- 『空が青くないなんてことはもう知っている』 作者:くじらぺんぎん / ショート*2 ショート*2
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原稿用紙約5.2枚
時がとまればいいのに、なんて。
思うことがあったら、それだけで幸せ。
空が青くないなんてことはもう知っている
マニキュアがよれた。ていうか畳にもついた。
「なにすんの。」
抑えた声でにらみつけた相手は、見たこともないような顔でこっちを見ている。
「手。つかんでる。」
「分かってるよンなこたぁ。」
手、でかいな、と思う。相変わらず。会ったのは一年ぶりで、変わったのは向こうだけで、結局あたしはがりがりのやせっぽちのちびのままだ。
男の子ってのはずるい。完膚なきまでにずるい。あっという間に追い越していく背も、簡単に地面を飛び越える筋肉も、なにからなにまでずるいとあたしは思う。
「なんで。」
「は? 」
「なんでってきいてんの。」
相変わらずいっていることの意味が分からない。第一文才というものがないのだ。この男。
「さっき言ったでしょ。事情が変わったのよ。」
仕方なくあたしは口を開く。いい加減その手はなしてほしいんですけど。
「お母さんから電話があったの。あたしのこと手放したくないのよ、あの人。」
指に残ったマニキュアをふき取る。親指の腹がきらきらひかる。
「明日、帰らないといけなくなったの。何か文句ある? 」
葉は不満げな顔でしぶしぶその手を放した。
葉とかいてヨウと読む。あたしの名前は紅という。紅とかいてベニと読む。二人合わせて紅葉というのだからばかげている。あたし達は燃えさかる紅葉の季節に生まれたのだ。二人一緒に、手を取り合って。
あたし達は似ていた。何をするにもどこへいくにも一緒だった。葉が全てを飛び越える足をもち、あたしが痛みとともにとがる胸をもつまでは。
二人でおそろいの服を着た。あたしはいつも右側を歩いた。葉がいつも左側を歩くからだ。あたしはいつも左手をつないだ。葉がいつも右手を差し出すからだ。あたしたちは木漏れ日を選んで歩き、セミの鳴き声で同時に目を覚ました。いつのまにかあたしは綺麗でもない髪を伸ばしはじめ、葉はかわらず短い髪であたしの側にいなくなった。
あたし達は似なくなった。あたしは爪まで伸ばすようになり、葉はますます地面を離れていることが多くなった。
一年ぶりに会ってみればこのざまだ。母さんの心配なんてまったくの杞憂。葉の背骨は空に向かってまっすぐ伸びて、昔住んでたこの家に入りきらない。浮き出た血管も日に焼けた肌もくっきりしたのどぼとけも、あたしが知っている葉じゃない。
あたしが母さんについてこの家を出てから、葉はいちども、あたしに触れることがなくなった。どんな夏休みでさえも。
一週間だけ、一週間だけよ。それをすぎたら、ちゃんと帰ってきてね。母さんは毎年あたしに言い聞かす。今年はとうとう、三日しかいられなかったけれど、それはもう仕方ない。この家へ帰ってきても、待っているのはあたしが捨てた父さんと、あたしの知らない男の子だけだ。一瞬の閃光で、あたしの視界を切り裂いてしまう男の子だけだ。
その瞬間、視界が暗くなった。
「夕立」
葉がつぶやいた。途端に大粒の雨の音がばらばら和室に跳ね回る。
「洗濯物」
あたしは急いで庭に下りた。濡れた土と、夏の雨の匂いが足元からわきたつ。頭と肩を次々と雨粒が侵略していく。縁側に放り投げる洗濯物を、葉が粗雑にかき集めている。空から低い音が響いてくる。
「雷」
葉が空を見上げた。遠く、鮮烈な白い光が雲を切り裂く。雷は好きだ。美しくて、圧倒的で、眩しい。あたしは黙ってそれを見ていた。
後ろに葉がたっているのは気付いていた。それでも黙ってあたしは雷を見ていた。勢い良く吹き付ける雨の中、二人ともびしょぬれで庭に立ち尽くしていた。あたしはずっと黙っていた。葉も黙っていた。
本当はまっていたのかもしれない。分かっていて、まちかまえていたのかもしれない。葉が後ろからあたしを抱きしめるのを。
あたし達は似ていた。どこでも一緒だった。
あたし達はもう似ていない。あたし達はもう一緒じゃない。
それでも少しだけ願った。時間が止まればいいって。
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2006/04/25(Tue)02:46:33 公開 / くじらぺんぎん
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