- 『タナトス』 作者:片瀬 / ショート*2 リアル・現代
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全角2095.5文字
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原稿用紙約8.5枚
あたしは、あんたを殺してでも死ねるのだろうか。
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屋上のフェンスに寄りかかってみた。
古くなってきしむそれは、錆びて血のにおいがする。
あたしも、三十分後には、このフェンスと同じにおいがする物体になるだろう。物体。なんとも、都合のよい言葉だが。
死のうかなあ、なんて呟いてみる。
まるで、覚悟が決まっていないみたいで馬鹿らしかった。
死のうかなあ、ではなく死ぬ、のだから。
もう決めた。今日死ぬ。
ずうっと考えていた。もうこれ以上生きたくなかった。
毎日、今日こそ死のうと考えていた。
何となく。そんな言葉が似合っている。
退屈な学校、窮屈な家庭、卑屈な自分にうんざりしてるんだ。
たったひとりで食べるお弁当も、敬虔なクリスチャンで口うるさい母親も、外で女を孕ませた父親も、何もかも他人のせいにしてしまう自分も、だいっきらい。
あたしだって、だてに生まれてから数年、クリスチャンだったわけじゃない。
自殺が大罪である事は十分わかっている。
でも、これ以上、存在したくなかった。
三時間目の始業を告げるベルが鳴った。
初春の風が、頭上を通り過ぎていく。
せめて最後は、とセットした髪の毛がふわふわと舞う。
(そして、セットしたとしても、どうせ落ちるのだから意味がないと気付く)
日差しが温かくて、床に寝転がってみる。
ああ、今日も死ねないのかもしれない。
少なくとも、これから死のうとしてるのに、太陽の誘惑に負けたあたしはばか。
明日、明日、明日。
毎日思ってきた。先延ばしにしてきた。
今日こそ、今日こそ、今日こそ。
毎朝そう唱えながら家をでて、友達と適当な挨拶をし、二時間目が終了すると屋上へ向かう。
そして、死ねない。死なせてもらえない。アイツが来るから。
一度だけ、本のしおり――本当は、本を落とそうと思ったのだが、それでは騒ぎになると思ってやめた――を落としてみたことがある。
あたしの体重よりもはるかに軽いそれは、下に落ちることなく、一度舞って屋上の床に落ちた。
なんだ、しおりは死にたくないのか。
そのとき、あたしは鼻で笑った。
生きてもいないくせに。と。
そのときのあたしが、フェンスの数センチ先に立っているような気がした。意地の悪い顔で手招きをする。
死にたくないの?生きてもいないくせに。
意固地になったあたしはフェンスに脚をかける。
しゃん、と音が響く。
どこかの教室の窓が開いているのだろうか、とんちんかんな朗読が同時に響く。
違う。
……この朗読は現代文の授業でもなんでもない。アイツだ。
「『船乗りたちは恐怖に陥り、それぞれ自分の神に助けを求めて叫びをあげ、』」
「……ヒロ」
「『積荷を海に投げ捨て、船を少しでも軽』」
「旧約聖書?」
「おー、よく知ってるね」
「どうせ、官能小説でも隠すのに使ってるんでしょ」
「おー、よく知ってるね」
「繰り返すな気持ち悪い」
あたしは脚を戻す。
それでも、向こう側のあたしは意地悪く笑ってる。
来て欲しかったんでしょ、ヒロに。
「お前さ、また死のうとしたでしょ」
「……別に。フェンスを越えたかっただけよ」
「クリスチャンのお前ならわかるよね、自殺は大罪だよ」
お前のかーちゃん、いっつも言ってたじゃん。
「わかってるわよっ」
つい声を荒げる。
ヒロは悲しそうな目でこちらをみた。
「何?助けに来たの?教えを説きに来たの?」
ヒロは何も言わない。
「いっつも、しつこいわね!」
やっぱり何も言わない。
「ほっといてよ、死なせてよ」
ヒロは乱暴に聖書を置いた。その拍子に一緒にはさんであった官能小説が広がる。
「簡単に死ぬなんて言うなよ」
毎日のように、彼女の自殺とめにくるほうの身にもなれよ。
ヒロはあたしの顔を両手で包む。
じょじょに、手の力は強まる。
あたしのほっぺたに、ヒロの涙が落っこちた。
一粒、二粒。
「死にたい」
「マユ、言うな」
「死にたい」
「言うなって」
「死にたい」
「お願いだから」
「死にたい」
「言うなよ!」
苦痛に歪むヒロの顔。
対照的に、あたしは自分の高ぶっていた感情がやわらいでいくのがわかった。
ヒロの顔越しに、あのときのあたしが笑ってた。
ヒロに死ぬなって言って欲しくて、やってるんでしょ。
本当は、死にたくないくせに。死ねやしないくせに。
そうだ。いつだってそうだ。ヒロに、こうしてもらいたくて死のうとしてる。
ヒロがとめにこなくても、あたしは死ねない。
ヒロは床に座り込む。
「ごめんヒロ。嘘だよ」
いよいよ本格的に涙を零し始めた彼を抱く。
あたしは、こうしてヒロをいじめて満足してるんだ。
心底自分が気持ち悪いと思った。
心からの謝罪だった。もう一度ゆっくり、はっきりと発音する。
「ごめんね」
ねえ、
震える声でヒロは呟く。
「もし本当に死にたくなったら、」
「え?」
俯いたヒロの顔を覗き込もうとするが、表情は読み取れない。
けれど、かすかに唇が歪んでいた。
「お前を自殺させてしまうくらいなら、」
「俺が、お前を殺すから」
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2006/04/22(Sat)19:19:47 公開 / 片瀬
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■作者からのメッセージ
お久しぶりです。
相変わらず暗い……です。
前回のcity of damnedはログ流れしてしまったので、
これからは短編で精進していきたいと思います。
少しずつ、長いものが書けたら……。
どうかよろしくお願いします。