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『ハナシの種』 作者:雪乃空 / リアル・現代 ミステリ
全角17999.5文字
容量35999 bytes
原稿用紙約49.35枚
1冊の小説が話題を呼ぶ。無名の新人作家が出したその本は謎が多く、その作品はなぜか似ていた。

この世の中、つねに、情報を求めている。話題をつねに、欲している。たとえそれがどんなに目を背けたくなるような事件であろうとも、ひとりの人間や周囲の人々の一生を左右するようなことであろうとも、周囲の目を向けさせるために、あらゆる情報をより多くの人々に拡散させようと、今日も必死だ。

 テレビ画面では見慣れたアナウンサー二人がいかにも興味をもたせようとしている、といったわざとらしい口調で今日も情報を伝えている。夕方から夜にかけて放送されている情報番組だ。
 俺は珍しく仕事を早めに片付けて自宅に帰っていた。値引きのシールが貼っている弁当と、その横には缶ビールが1本。一人暮らしの夕食はこれで十分だ。片膝を立てて、ビールをちびちびと飲みながら、テレビ画面を冷めた目で見ていた。暗いニュースは山ほどある。話題がつきることもない。川辺で焼死体がみつかっただとか、果物ナイフで少年が父親を刺しただとか。とんでもなく印象に残る事件はそうそう起きることもない。身近な人が起こした事件ならいま伝えられているこのニュースも大事件なのだろうが、所詮いまいる近辺じゃない自分には全く関係のないことだ。すぐに忘れてしまうだろう。「ああ、今日もどこかで大変な思いをしている人がいるんだなぁ」と平和ボケを感じながら、ビールを飲み干した。番組は今日の特集へとうつっている。最近話題となっている小説の特集だった。小説が特集として夕方の番組に組まれることは稀だったので自然と画面に見入っていた。
 いつからか読書家の一人となっていた。最初は漫画や映画といった、簡単に読めたり、見て感じとったりするものを趣味としていたのだが、次第に小説を読み始めるようになった。当時はクラブ活動もせずにいたので、時間をもてあましていたのだ。確か、初めて図書室で小説を借りたのは、高一の終わりのほうだったろうか。それまではまったく興味はなかったが、ただぼうっとしているよりはいくらかましだと思い、とりあえず最新刊という貼り紙があった棚から、1冊手ごろなものを選んで借りた覚えがある。しかし、思った以上に漫画や映画とは違った新たなおもしろさがそこにはあり、想像を膨らませる楽しさがあった。それから、マイペースに本を読み続け、いまではすっかり、余った時間は本に費やしている。いや、余ってなくてもついつい本を読んでしまうぐらいだ。年々増え続ける自宅の書物をどうしたものかと悩み始めていた。
 特集は、いま、注目の本についてだった。実は、本屋でふとみかけたとき、気になっていた本についてだった。タイミングがいいというよりは、自分の目にも留まるほどその本は売れているのだろう。確かに客の目に入るような場所に置いてあるなとは思っていた。名の知れた作家の本でもなければ、映画やドラマになったことで注目された本でもない。謎の新人作家によって手がけられた1冊の本だ。もちろん無名で、その本が注目されることになった最初のきっかけは、『題名』にあった。そのことをいま、番組でも伝えている。
 そしてもうひとつ、本が注目されるようになった理由として映画の脚本になった1冊の超話題作がそれには1枚噛んでいる。いまから半年前、映画の原作の本は、たちまち映画の効果で売れて、ミリオンセラーとなった。無名の本と、原作本の共通点は『題名』が酷似していることにあった。例えば、『白い巨塔』なら『黒い巨塔』と題名がわかりやすく似せているようなものだ。その本は『愛』の題名部分の文字が『夢』に変えられて、書店に堂々と並んでいた。俺も、本屋で見たとき明らかに似せていることに気づき、目に留まったのだ。けれどもそういうたぐいは、くだらないものが多いという先入観があったせいか、まったく中を見ようとも思わず、そのまま、本屋を後にしたことが記憶にあった。しかし、徐々に情報は辺りを駆け回り、どうやら、特集になるほどの加熱ぶりをみせているらしい。まさかそれほどまでに話題になると本だったとは。意外というよりも、物好きな客が多すぎるのではと、少しあきれた。
 番組はさらに進み、今度は本の中身の説明をおこなっている。次第にその本の全貌があきらかになりはじめ、俺はそれを知る内に興味がわいてきた。どうやら、『題名』だけでなく、内容も似ているらしい。わざとらしく題名を似せているだけでなく中身まで似せているとは。驚きを通り越して、とんだチャレンジャーが現れたと、感心してしまう。自費出版ではなく、れっきとした、出版社から発刊されているという事実もにわかに信じがたい。しかも、同じ出版社からではない。作者も作者なら出版社もとんだ大馬鹿野郎なのか。著作権侵害で訴えられることが話題を集められるとでも思っているのか。犯罪となれば、黙認した出版社だってただごとでは済まされないはずだ。そう思ってしばらくして、どうやらそこまで馬鹿ではないことに気づいた。やはり似ているのは『題名』だけのようだ。両方ともフィクションではあるが、登場人物の名前はもちろん、性格や背格好、特徴も違うらしい。ストーリーも似ているかとおもいきや、設定は全くといっていいほど、発想や流れが違い、結末も同じ結末とはいえないものになっているとのことだ。そこまで違うのに、内容が似ているはずがない。おかしな話だ。それなのにその情報番組の報告では、読んだ人たちの感想が「似ている」と口々に言っているとのことだった。最初は半信半疑で読んだ人も、最後は「あの本と内容が確かに似ている」と感想を述べるのだという。物語ではなく全体の読み終わった後の感覚というか、その文章全体が、似ているのだそうだ。正直信じられる話では…ない。内容をすべて見て、その上、物語の進行や結末、登場人物の性格も違えば考え方も違うとわかっているはずなのに、似ているなんて言葉が感想として出てくるのだろうか。確かに、本を読んだ後になんとなく、この二人の作家は似ているなと思うことはあるが、果たして、何人ものひとが同じ感想を口にするだろうか。アナウンサーも不思議なことを自分で言っている自覚があるのか、ただ不思議そうに原稿を読んでいるだけだ。
「今日は評論家の山下さんにもお越しいただきました。どうなんでしょう、ほんとうに登場人物も話の流れも類似点が少ない小説なのに、読んだ人たちの全員が似ていると感じることが実際にあり得るのでしょうか?」
 原稿を読んだ女子アナウンサーとは違う、男性のアナウンサーが興味津々といった様子でたずねた。評論家は咳払いをひとつして、両手の指を絡ませて手のひらを重ねた後ゆっくりとテーブルに手を置き、話を始めた。
「いえ、それはないと思いますよ。私はまだその小説を読んではいませんが、小説というのは、読者自身の解釈というのに大いに左右されます。ですから、小説を読み終わった後で感じることは十人十色、ましてや、類似点の少ない小説を、読んだ人が全員、原作の本に似ていると思うのはあり得ないことです。もし、あるとしたらそれは書き手に相当の技術を要すると思います。いや、書き手本人になりきらないと無理でしょう。ですが、作者は無名の新人作家。おそらく、買った人が噂を直接聞いたか、耳にいれたかで、内容が似ているという先入観が生まれ、それを読んだ人が、先入観にとらわれ、似ているといったんでしょう。そして、それはたまたま広まり、題名の効果もあって、似ていると言わしめているのではないでしょうか?」
 自分の解説に自信があるのか評論家の顔は満足気だ。
「では、山下さんはつまりこれを先入観による思い込みだというお考えですか?」
「そうです。ですから、題名を知らせず、なおかつ内容を全く知らない人に、酷似本から読ませて、後からこの本物を読ませたとしたら、違う感想が聞けると思いますよ。まぁそんなことをしなくても、専門家が見れば、一目瞭然だと思いますけど」
 と、誇らしげに評論家は語った。読んでもいない本についてよくもまぁあんなに確信をもって語れるものだ。
「そうですか。山下さん今日はありがとうございました。今日は話題の小説にスポットを当てて、お送りしました。明日は盲導犬の特集をお送りいたします。続いては明日のお天気です…」
 番組は天気予報へと変わり、7時近くになっていた。特集を見てから、急にその本のことが気になり始めた俺は、時計をみながら、いまから書店へ行くかどうか迷っていた。確かにあの評論家の言うとおりだとは思う。しかし、読書好きとしては、うさんくさくても読んでみたいような気がする。原作本を読んで、映画も見たのだ。比較をしたいという気持ちがふいに湧き出る。天気予報が終わると同時に、テレビを消し、財布と携帯、それからコートを羽織って駅前の書店へと向かおうとしていた。明日でもいいはずなのに、玄関をでるころには本を手に入れたい気持ちでいっぱいだった…

 急ぎ足で本屋へと向かいながら、話題に踊らされている俺も馬鹿だなと思った。そして、他にすることのない自分を少し寂しく思う。
 本屋はいつも帰りに寄って、面白そうな本を探し回る、馴染みのある店だ。店内は明るく、本もジャンルごとに数多く配置されている。新作の本もいち早く取り揃えられているし、気に入っている作家の本も、きちんとそこは置いてあった。自動ドアを抜け一直線に小説の棚へと向かう。いらっしゃいませといった若い男は、夕方近くから店にいるので、おそらく大学生ではないだろうか。小説コーナーの本をそろえている最中だった。俺は、無名作家の名前を思い出しながら、作者のアイウエオ順に並べられてある本の棚を探し始める。名前は確か、「樋野真鴨」という覚えづらい名前だったような。ペンネームであろう。苗字はヒノだろうか…とりあえずハ行の列を探していくと、そこにはそれらしきものはなかった。そこで考え込んだ。確かにアナウンサーはヒノといっていた気がする。微かな記憶では間違っているのではないかと、もう一度、頭の中で思い出してみる。すると、その状況を見て、さっきの若いバイトの男は近づいてきた。
「何かお探しですか?」
 店員は、人懐っこそうな顔でこちらの様子をうかがっている。探すのが面倒なので題名を言ってみた。すると、どうやらすぐにわかったらしく、話題の本のコーナーにうつしたのだと言った。
「さっきも、前髪の長い僕と同い年ぐらいの人でお客さんが同じ本のことを尋ねてきたんですよ。偶然ですね。なんだかいま、話題になっているみたいで人気なんですよね」
 と、店員は笑顔で言った。楽しそうに仕事をしている印象があった。
「でも、さっきのお客さんは買わずにそのコーナーをジロジロ見て、本をパラパラっとめくって、帰っていったんですけどね。なんだかそわそわしていたような…それはいいとして、よかったら、本買っていってくださいね」
 といわれ、まぁ買いにきたんだけどね、というと、今度は元気よく、ありがとうございます! とさらにうれしそうな顔で言った。なんだか気持ちのいい青年だった。きっと、その客も特集をみて、気になってのぞきに来たのではないだろうか。さっそく目当ての本を手に取り、レジへと向かった。表紙には、青空と草原と地平線の広がる写真が載っていた。モンゴルの広大な草原をイメージさせた。さっきの店員はにこやかな笑顔で仕事に取り掛かっていた。よほど本が好きなのだろうか。あんな風に仕事ができる青年をうらやましく感じた。
 店を出て、さっさと家へ帰った。そして、やるべきことをてきぱきと済ませ、ベッドに横になった。家で読むときは決まって、寝る前の布団に入ってからだ。それ以外のときもあるが、こうしないと、眠れないので、半ば毎日の習慣となっている。しかし、ときには時間を忘れて読みふけってしまい、朝になることもある。今日はまさにそれだった。日付もかわり時刻はすでに朝5時。今日が休日であることに気付いて一安心した。眠気も覚めていたのでそのまま最後までページをめくった。なぜだか、時間を忘れることが容易にできる。それほど読者を引き込ませる中身だ。けれど、内容はあの本とは似ているとは感じさせない。けれど…
 そして、読み終えたときの瞬間、それは急に頭をかすめた。確かに…この本は似ている。先入観ではない何か、似ているといわせる力がこの本にはある。おそらく、原作本の作者のファンで、作者の作品をよく知っている人ほどそう思うのではないだろうか。こんなに似せることができるだろうか。まさに読後感は原作本と一致しているような感じがする。わからない。やはり先入観があるのかもしれない。そう思い、寝ることも忘れ、今度は原作本、そして、また酷似本ともう一度読み返してみた。結果は同じ、いやそれどころかさらに似ているとさえ思った。つまり似ていると確信したのだ。心はなんだかすっきりとしていた。ここまで、期待以上のことをしてくれるとは。同一の作者が書いたとしか思えない仕上がりだ。いや、作者に違う話で、似せるように書いてくれといっても、きっとできない芸当だろう。一体、樋野という人物は何を思ってこの本を書いたのか、どう書き上げたのか、さらにわからなくなってしまった。

 しかし、無名の新人作家、樋野という人物はそれだけでは終わらなかった。驚くことにそれから数ヶ月後、今度は違う作者をターゲットにして、最初と同じように、『題名』を似せ、それから内容も似せた本をまたも出版したのだ。


 樋野の才能ともいうべきなのだろうか。どんな方法で作品を完成させているというのか。もちろん俺だけではない。世間も騒いでいる。単純にたまたま、その新人作家の考えや書き方の癖が真似られた作家に似ていたと考えたとして(それで、あそこまで意図的に似せることができるとは思えないが)今度はジャンルも違えば、全く作風の違う作家をターゲットにしたのだ。もし、前回同様に読者に似ていると思わせることができたなら、もう、たまたまという言葉で片付けられるだろうか。ターゲットとなった作家もたまったものではない。自分の技術をそっくりそのまま真似されてしまうのだ。簡単に真似られてしまうようではこの先、作家としての立場が危うくなる。
 今回のターゲットはミステリー小説で名が通っているK作家だ。実力はベテランの域に達しているし、賞も前回の作家より受賞数がかなり多い。作品は最近出されたミステリー小説で、K先生の真骨頂とも言われている作品だ。あの情報番組にでていた評論家もテレビでたじたじのようだ。発売された1冊目、2冊目の本を読んだのだろう。評論家として、「似ている」とは言えないが、似ていない理由を説明するのに苦し紛れともとれる発言しかできないでいた。
「先生。今回はミステリー小説のようですが、私も読んでびっくりしました。いえ、K先生の作品は私も大好きで、以前から拝読していたのですが、もう、読み終わったときにはK先生の作品ではないかと作者名を見返すほど、似ていたんですよ。ほんとうに先入観でここまで似ていると思わせることができるのでしょうか?」
 評論家はアナウンサーに見られて、返答に困っている様子だ。
「どうやら、樋野さんの作品はよくその人の作品を研究をしていらっしゃるみたいですね。前々から好きだった作家さんなんじゃないでしょうか。何度も読み返しながら、癖や、流れをつかむのが得意なのだと思いますよ。いやいやそれにしても、危うく私も似ていると思いそうになりました。それほど完成度が高いですね」
 といいながら目線は斜め下をみて、誰とも目を合わせようとしていない。感覚的に似ているという不可解な事実が評論家すらも惑わせているようだ。一体、誰が書いているのか。
 まだ俺はその作品を読んでいなかったので、駅から出て帰りに書店へと立ち寄った。そこには、うれしそうにバイトをする青年が今日も楽しそうに本を並べていた。
「こんばんは」
そういうと、青年は振り返り、まぶしい笑顔で「いらっしゃいませ!」とあいさつをした。
「樋野真鴨の作品はまたあのコーナーにあるのかな?」
「ああ!またあの作品を買いに来てくれたんですね!いつもここに立ち寄ってくださるから、顔覚えちゃいましたよ。ええ、あの作品は話題の本のコーナーにありますよ。案内しますよ!」
といわれ、仕事をしているようだったので、断ろうとしたが、うれしそうにしている顔を見ると、なぜだか断れなかった。
「そういえば、この前もあなたと同じ時期に店に来た、前髪の長い、僕と同い年ぐらいの人、また来てたなぁ。結局買わないままに帰っていきましたけど、樋野先生の作品のコーナーをしきりに見ていたんですよね。そうだ、お客さん名前なんていうんですか?」
「ああ、俺かい? 瀬戸だ。君は名越君だね?」
すると驚いた表情で、彼は言った。
「え! なんで僕の名前知ってるんですか! 瀬戸さん」
 彼の表情を見るのは面白かった。リアクションがいいし、なにより感情が豊かだ。俺は自分の胸で彼の胸ポケットにあるネームプレートの位置に指を差した。彼はあっといった感じでにこやかに笑う。
目当ての本は、前回の作品の隣に置いてあった。本を手に取り、ありがとうと名越に礼を言った。
「いえいえ、また瀬戸さんも来て下さいね。僕も本好きなんでその内、話しましょうよ。お買い上げありがとうございますね」
 そう言って、そそくさと仕事に戻った。本を手に取るとはやく読みたい気分になってしまう。明日は休みではないが、また徹夜かもしれない。
 本を読み終わって時計を見ると、やはり朝を迎えていた。あと2時間は寝られるだろうか。しかし、本の内容はおもしろかった。そして率直な感想はKの作品に似ているということだった。樋野の作品を見た限りでは、真似などしなくても、十分な実力を持っている。それなのにこうまで挑戦的な作品を出す理由はなぜなのか。他の作家に喧嘩を売っているようなものだ。
 そして、樋野はそれからも、次々と作品を世に出版した。時代物といった、ある種固定されてしまう内容のものでも、うまくターゲットに似せて、その上、かわしかたもうまい。恋愛、ミステリー、SF、ホラー、推理など彼にかけないジャンルはなかった。そして、似せることのできない作家もいなかった。それがたとえ女性作家であろうとも、関係はない。しかし、それはフィクションに限ったものしかなく、エッセイや、ノンフィクションは出版されることはなかった。やり方はいつも同じで、『題名』が似ていて、内容は感覚的に似ていると思わせる、しかし、話の流れや登場人物、結末は似せていない。もう、これは有り得る話ではない。この間、2年半、出版された本は10冊になっていた。もはや、世間を巻き込んだブームになっていた。そして、予想していた問題は起きた。11冊目の本となったものは、芸能人の書いたフィクション小説だった。大物俳優が書いた小説は、大ヒットとなり、翌年には、ドラマ化がされた。そして、樋野がだした本は標的とされたYの本にそっくりだった。疑いようもない、出された時点で似ているのだろうとわかった。しかし、それに激怒したのは、他ならぬ大物俳優のYだった。出版業界は、あのような真似事作家を野放しにしていいのかとブラウン管を通して怒りの表情が映し出され、俺もその映像を見ていた。どうやらただ事では済まされそうもない。よくある、音楽の著作権侵害を訴えている光景に似ている。聴いただけでは微妙に似ているか判断できないが、楽譜などを見比べることによって、明らかになる場合もある。それは音楽業界ではよくあることだが。
 さて、こうなった場合、裁判沙汰になることが予想された。公の場で法律はどういった判断を下すのだろうかと、俺自身も注目していた。いままで出ている樋野の作品は全て家の本棚にそろっている。11冊目となる本ももちろん買いに行くつもりだ。今度の騒ぎを見る限りでは、本の売れ行きはいつもに増して多くなりそうだ。『題名』は似せているとしか思えないようなものではあるが、題名が全く同じといった作品はいくらでもある。樋野の作品の内容は文字を見るだけでは、とてもそのまま写しているとはいえないものだ。むしろ、文字だけでは似ていない。確かに細かいところまで目を凝らせば、多少は似るというより、書く上では仕方ない表現方法などで一致する部分はあるが、そんなことを言っていれば、ほとんどが著作権侵害にひっかかる。果たして、Yに勝ち目はあるのだろうか。出版業界もいままで黙ってきてはいたが、そうもいかなくなるだろう。そして、真っ先に目をつけられたのは、樋野と樋野の本を出版している出版社だった。出版社には大勢のマスコミが詰め寄せていて、喧騒に満ちていた。俺は家で、そのニュースを見ていた。
「裁判となった場合、出版社はどういった対応をするんですか!」
「なぜ樋野先生は顔をださないのですか!」
「どういった方法で樋野先生は本を執筆されているんですか!」
「もちろん出版社の方々は、似ていると承知の上で出版なさっているのですよね? どうしてそれを黙認しているのですか!」
 と、責任者に対して、質問攻めだ。責任者はあくまで、樋野先生自身の書いた、オリジナルの話だといっている。もちろん、裁判沙汰にならないように、努めると言っていた。俺は急いで、11冊目の本となる、樋野の本を買いに書店へと向かった。ついでにYの本も読んだことがなかったので、買いに行く。急がないともしかしたら樋野の本は書店へ並ばなくなる可能性もあるからだ。自動ドアを抜けると、いつものように明るく「いらっしゃいませ!」という声が聞こえてきた。名越はいまも相変わらず書店で働いていた。名越とはいつからか、食事に行ったり、最新の本について語るような仲になっていた。付き合ってみると実に気持ちのいい人物だった。人への思いやりも忘れない、好青年といったところだ。どうやら大学生ではなかったらしく、フリーターとして書店でバイトをして、ときには派遣のバイトを行いながら食いつないでいるようだ。だから食事のときにはいつも、おごろうとするのだが、名越はそれを断ってきちんと現金を払った。おごってもらうために、瀬戸さんと食事に行くわけではないと怒られたこともある。
「あ! 瀬戸さん、もしかして、樋野先生の本を買いに来たんですか? 僕も読みましたけどやっぱりおもしろかったですよ! また食事に行きましょうよ」
 と、言って仕事もほったらかしに、駆け寄ってきた。なぜかなつかれているらしい。
「ところで、例のあいつはやっぱりきたか?」
 例のあいつとは、かれこれ3年ほどの付き合いとなる、前髪の長いあの若い青年のことだ。実際に俺は鉢合わせたことはないが、樋野の本がでるたびに、この書店に寄っては、樋野の作品のあるコーナーをじろじろと見て、うれしそうにしている怪しい人物だ。俺がくるたびに名越から報告を受けていた。いつも俺より前に来ては、本を買わずに帰るらしい。
「やっぱり来てましたよ! といっても何の変化もなくいつもどおり、見て帰っただけですけど。あれだけ本が話題になっても、買わずにかえるんですよね。立ち読みするわけでもないし。不思議だなぁ」
 名越の考えている姿はかわいげがあって、見ているこっちはささやかな幸せにふれたような気分にさせる。顎を親指で支え、曲げた人差し指の第二関節は上唇と下唇の間に位置して、考えにふけっている。まるで探偵のようだ。
「あんまり気にすることでもないさ。世の中にはいろいろな人間がいるってもんさ。人間観察するには、おもしろい人物なのかもな。」
「そうだ! おいしい居酒屋見つけたんですよ。今度は絶対そこ行きましょうね! きっと気に入りますよ。絶対ですからね」
 明るい表情で目線は俺の目をまじまじと見ている。
「わかった、わかった。またメールで暇なときがあったらメールするよ。それじゃあな。今日も徹夜だ」
「はははっ。じゃあ、またのお越しをお待ちしております! 気をつけて帰ってくださいね」
 手を振る姿は、純粋さを忘れていない少年のようだ。こっちは手を振るのも気恥ずかしくて、さっさとレジをすませて、自宅へと向かった。相変わらず、うまいといわせる抜け目のない小説だった。もう、とても常人には真似のできない天才のレベルだ。作家自信はまるでつかみどころのない、他人の心を読み取れるさとりのような人物ではないだろうか。そんなことを思いながら眠りについた。
 それから1週間。俺は仕事に追われ、すっかり名越の約束を気にしていなかった。最近では休暇もろくに取れないような忙しい日々だ。それを知ってか知らずか、名越も俺に連絡してはこなかった。テレビでは、樋野とYのことが毎日のように報道されている。話題があればそれに食らいつき、それを食い物にするピラニアのような精神は、感心するしかない。どうせ、視聴者が寄り付かなくなったら、さっさと次の話題を求めて錯綜するのだろう。それのおかげで世の中の起きていることが瞬時にわかるのだから、文句を言える立場でもないわけだが。
 この日も自宅のパソコンと睨み合いをしながら仕事を終わらせようと必死にキーボードを打っていた。すると、つけっぱなしのテレビから、俳優のY氏と、樋野氏との間に和解が成立したことが明らかになったとの報道が流れた。俺は仕事を一旦止めてニュースを見ることにした。あれだけ、怒りをあらわにしたYは、落ち着いた顔で、和解したことを報告していた。裁判沙汰にもならなかったことで、結局、法律がどういう判断を下すのかはわからずじまいとなった。しかし、なにもしなかったということは、勝ち目がないと判断したからだろうか? あまりにあっけなく、肩すかしをくらった思いのまま、事件は一件落着をした。視聴者も残念がっているだろう。出版業界も大事にならず、ほっとしているだろう。アナウンサーは報道の最後に、
「なお、今日の夕方には、樋野氏が会見をおこなうとのことです」
 と言った。とうとう、姿をみせなかった樋野が会見をするというのか。もしかしたらはじめて、姿を見ることができるのかもしれない。一体どういう人間が、あのような作品を書き上げたのか。俺をふくめ、大勢の国民が期待しているだろう。熟年のベテラン作家が実は書いていたのではないかという思いもなくはなかった。そうでなければ、あのような作品はできないはずだ。
 その日のうちに報道はなく、翌日、テレビに映されることを期待しながら、俺は眠りについた。
 朝起きると、目を覚ますために、顔を洗い、朝食の用意をして、テレビをつけた。そういえば、もう、樋野氏の会見はでているのだろうか。チャンネルを何度も変えていると、会見の映像のようなものが一瞬うつったようなきがして、チャンネルを戻した。すると、そこには朝の眠気が瞬時に覚める、事実がうつっていた。思わず口に含んだ牛乳をテーブルに撒き散らしそうになる。それをとどまり、口のはしについた牛乳を手でぬぐった。飲み干した後、驚きのあまり、大声で叫んでしまった。
「な、名越!? なんで名越が…」
 責任者の隣でうつむいているスーツ姿の青年は間違いなく名越だった。何がおこってしまったんだ。混乱で頭が回らない。右隅のほうには、衝撃の事実! 樋野氏の正体は若い青年だった! と太い文字で書かれている。関係者一同もざわついている。責任者は
「このたび、世間をお騒がせしてしまったこと、申し訳ありませんでした。和解が成立しましたので、今後も…」
 会見は続いていたが、俺は名越のほうばかりに目をとられていた。名越が樋野真鴨? 信じられるはずがない。当の本人は口を開くこともなくうつむいてばかりだ。そうしているうちに、名越に質問は集中していく。しかし、会見は名越がコメントをいうこともなく終わってしまった。アナウンサーもいかにも驚いた表情で言った
「まさか、樋野氏があんなに若い青年だとは思いませんでした。どうやって、作品をつく
りあげる技術を磨いたのか興味がわきますね」


 あの名越が画面に映しだされた報道から、1ヶ月が過ぎようとしていた。俺は名越に連絡をとることもなければ、駅前の書店に寄ることもなかった。おそらく、名越はバイトを辞めたのではないだろうか。名越はあれ以来、テレビに出ることもなければ、本を出版する様子もなかった。周囲の、樋野氏に対する注目も徐々にまた落ち着きを取り戻し、いまニュースは議員の不祥事について毎日のように報道している。額に汗をかいた議員の顔が画面いっぱいに映されていた。カメラのフラッシュはあちらこちらから光り、議員は報道陣に囲まれていた。
 俺はこの1ヶ月、仕事をしながらも名越のことがきになっていた。しかし、連絡していいものか迷っていたのだ。会って話すにしてもどう切り出していいのかわからない。けれど、このまま、名越に会わずじまいのほうが後悔するような気がした。携帯電話を手に取り、名越の番号を呼び出す。8回、9回と電話の向こうで呼び出し音が聞こえ、あきらめて切ろうとしたとき、ふいに電話から声が聞こえた。
「もしもし…」
 元気のない声は、いつもの名越とは別人のようだった。
「名越? 大丈夫か。すまんな、なんにも連絡しなくて。こっちも驚いちゃってさ。タイミングのがしたっていうか…」
 話下手な俺は、久しぶりの会話にもかかわらず、何を話せばいいかわからなくなった。電話越しでの沈黙が続く。どうしていいのかわからず、立ちつくしていた。
「すいません。僕の方こそなんだか騙したみたいで…たぶん…もう…」
 会えないかもしれません。そう、言葉が続くのかと、頭の中で感じる。あわてて、話題をそらそうとする。
「なぁ、いまから外出れないかな?」
 時刻は九時を過ぎたあたりだった。
「いまから…ですか? どこに行くんですか?」
「おいしい…居酒屋の店知らないか?」
 ずいぶんと前の約束だった。けれど、直接会いたいと思ったら、ふいに言葉が出た。また沈黙が続く。外に出ようか考えているのだろうか。ここで、断られれば、もう会うことはないように思った。こんな風に終わるなんてごめんだ。頼むから、もう一度会ってくれ、口には出せないけれど、強く願う。口から息を吸い込む音が電話越しから微かに聞こえる。
「わかりました。じゃあ僕もすぐ行くので、駅の入り口で待っていてください」
 その言葉を聞いて安堵した。すると、真っ白になっていた頭から、次々と名越に聞きたかったことが浮かんだ。俺はすぐに支度をして家を出た。何十年ぶりに再会する友に会うかのように、足早に駅へと向かう。駅についてから数分して、名越がこちらに向かってくるのが見えた。ニット帽を深くかぶって、目立たないような格好をしている。けれど、間違いなく背格好は名越だった。久しぶりに会うせいか、俺の顔の筋肉はゆるくなった。
「お久しぶりです…瀬戸さん。僕も連絡しようと思ったんですけど、なんだかできなくって」
 すまなそうにしている名越は、さらにやせ細ったように見える。やはり、前のような元気がないように思う。
「いいよ。お互い様だ。それよりお前のいった居酒屋、本当にうまいんだろうな?」
 すると、名越は少し微笑んで、俺の前を歩き始めた。
「まかせてください。きっと涙でちゃうくらいおいしいですよ」
 
 駅の裏通りからほど近いところに、店はあった。中は個室もあり、名越とふたりで、個室へとはいった。ニット帽を取った名越の顔はやはり以前より体調が悪そうな表情だった。
「いい雰囲気の店だな。照明も落ち着いた感じだし、内装も統一された感じじゃないか」
「そうなんですよ。居心地よくないですか? 料理もなんだか、とっても安心できる味なんですよね」
 名越はいつものような笑顔をみせた。やはり笑顔が一番俺を安心させた。個室だったこともあって、名越も次第に表情がやわらかくなった。けれど、今日会うのは、あのことの真相が聞きたかったからでもある。もしかしたら雰囲気が悪くなるかもしれないという不安もよぎる。
「なぁ…本当に名越が樋野真鴨なのか?」
 一瞬、名越の表情が固まる。けれど、真っ直ぐに俺を見て、返事をした。
「はい。僕が全ての作品を書いていた、樋野真鴨本人です」
 真剣な表情と真一文字に結ばれた口が、嘘だとは言っていなかった。
「今日は、名越さんに、打ち明けようと思って。やっぱり隠し事は僕には向いていないみたいです」
 苦笑いをしながら、後ろ頭をすこしかいた。
「なぁ。なんであんな挑戦的な小説を書こうって思ったんだ?」
「あれは…最初は僕が生きるために書きました。別に、ふっかけようとか、そんな気持ちは一切ないです」
「けれど、だったらあんなことしないで、自分で考えた物語を書けばいいじゃないか。わざわざ、あんな面倒くさいことしなくたって、十分実力はあると思う」
 そういうと寂しそうに俯いた。
「だめ…なんです。僕、人の真似をすることしかできないんです。何か、参考となる土台や作家の人がいないと書けないんです…」
 よくわからなかった。正直、そちらの方が難しいのではないだろうか。そう思った。しかし、名越の話を聞いていくうちに、だんだんとどういう意味かわかってきた。
「僕、小説を読んだのが18歳のときが初めてなんです。それで、16歳までずっと僕は山の中で暮らしていたんですよ。電気やガスはもちろん、学校やスーパーとか建物も自分たちの家以外全くない、山奥で父とふたりですごしていました。あまり詳しい経緯は聞かされてないですけど、母を亡くしてから、父は山の中に自分で家を建て、そこで僕と暮らしました。父は大工をしていたようです。父がいつも言っていた言葉は、『人間を信用した俺が馬鹿だった』でした。どうやら母を亡くした原因が、父を人間不信にさせたのかもしません」
 名越は自分の生まれ育った環境について語った。それは、都会育ちの俺には全く理解のできない世界だった。食事は山の中で取れたものばかりで、ときには、ひどい腹の下しかたをして、死にそうになったらしい。
「けれど、父との暮らしは特に、苦しいとは感じませんでした。当時、僕は4歳で、知っている人が父しかいませんでしたから、普通の感覚というのはなかったんでしょうね。父は無口なひとだったので、ほとんどの交流が、森や動物といった、人間とは違う生き物となんですよ。今ではあの頃は人間との交流といえば父しか記憶にありません」
 教養は、父親から教わる、ひらがなや簡単な漢字、あとは生きていくための知恵だったという。だから、森からでたときは、相当の馬鹿で、困っちゃいましたけどね。と、語ってはいたが、俺が初めて出会ったときにはそんなことは感じさせなかった。おそらくものすごい努力家なのだろう。
「僕の森の中での楽しみは、散歩でした。森を歩いて、動物に会うことが楽しみだったんです」
「でも相当な山奥なんだろ? 迷ったら、死んでしまうことだってあるだろう? 危険じゃないのか」
「いえいえ。名越さん。木って全部同じに見えるんじゃないですか?けれど、木だって同じ種類だとしても、全然それぞれが違うんですよ。だから迷うことなんてないんです。むしろ目印が多すぎて、道なんてすぐに覚えられました。徐々に家から範囲を広げて、散歩コースを増やしていくことが僕を熱中させる遊びでした。おかげで、山の中からでるときも、なんとかなったんですから。野生の勘っていうやつもずいぶん鋭くなったみたいです」
「その時点で、もうそこら辺の一般人と違うわけだ。君の父親はどうしたんだ?」
「父は…何かの病気だと思うんですが、僕が14歳のときに死にました。遺体は土に埋めてくれという遺言を言葉にしたので、僕が埋めました。それからはしばらくひとりで住んでいたんです」
「そりゃあ…寂しかっただろう」
「ええ、人の死を見て、急に孤独のつらさを知りました。でも森には動物たちも多くいたし、熊とも友達になれたんですよ」
 信じがたいことを言ってはいたが、すでになんでもありの状況では嘘だとは思わなかった。
「なんだか、動物たちの思っていることが次第にわかりはじめたんですよ。そんなとき熊がいて、最初はでかいし、にらまれてたんで、襲われるかなっておもったんですけど、実際に近づくと、実は熊のほうが僕を警戒しておびえていたみたいで。笑っちゃいません?」
「いや、笑えんような話だな」
 狼に育てられた少年の話を聞くような、話だった。名越は俺なんかが全くかなわない、壮絶な人生をおくっているようだ。
「それで、なんで山を出ようっておもったんだ?」
「それは…微かに山の外の世界の記憶って言うのがあったんです。本当はここにいるべき人間じゃないのかもしれないと、直感的に感じたんです。山を出る自信はありました。かなりの距離の山道をその頃には把握していたので、賭けにでたんです。生きるための術は父から教わっていましたし、これで迷ったらそれまでだったとあきらめようって」
「それで、無事、山を出ることができたってわけか」
「ええ、川を基準にして、それをたどっていったら、山を出ることができたんです。けれど、山をでて、遠くに建物が見えたので、そこまで行こうとして、疲れのせいか途中で倒れたんです。それを発見して助けてくれたのが、息子を亡くした老夫婦の方でした。目を覚ましたときには、タエさんというおばあさんが僕を心配そうにのぞいていました。周りを見渡すと、山の中で住んだ家とは全く違う、きれいな和室でした。微かな記憶は間違いじゃなかったということと、生きていたことに安心したんです。僕は、老夫婦に全て話しました。それはもう、驚いたようで、ときどきうなずいてくれながら大変だったろうねぇ、と涙を浮かべてきいてくれていました。僕の着いた土地も、まだ山の方にあったらしく、ここを更に行けば、町があるし、さらに、都会には大きな建物がたくさんあると知りました。僕は18歳のときまで老夫婦の方々にお世話になりっぱなしで、ものすごく優しい人たちだったんです。その頃にはなんとか、字が読めるようになって、なんとなく生活にも慣れてきたんです。そうして、僕はある日、町に出ました。そして本屋で小説を買いました。初めての買い物はなんだかとてもうれしくって。全部が新鮮だったんです」
 名越は思い出しながら、懐かしんでいた。書店のアルバイトを楽しそうにやっていたのも、納得できた気がした。彼の生い立ちは、あらゆる環境で特殊な状況だったのだ。
「初めて読んだ小説は、あの大ヒットした、僕が最初に真似た、映画の原作本として有名になった本です」
「なるほど。それが小説との出会いか。けれど、どうやってあんなに似せることができたんだ? 文字ですら覚えたてのはずった、そんなときにあの小説に似せてしまえる技術があったとは思えない」
「本を読み終わった後のことです。僕は、小説を読んで、なぜだか自分にも同じようなものが書けると思えたんです。感性がまるで作者と同じになれたような気がしたんです。文章を読むと、そこから直に作者の思いや、伝えようとする表現が伝わってきて、自然に話しが進んでいきました。それはもう、驚くほどアイデアが浮かんで、知らない表現や言葉だって、作者の本を見れば、自然に頭に言葉がうかんできました」
 俺はそのことをきいて、似せようとしたのではなく、読むだけで自然と、似た小説を書くことができるのだと感じた。けれど、普通に生きていればそれができるはずもない。人間との交流も長い間なく、つねに自然と会話をしてきた名越だからできたのではないかと思った。それは、まぎれもなく、自然が生んだ、天才児なのかもしれない。とらえようのない、雲のような存在は、真っ白な紙だったのだ。感性は研ぎ澄まされ、そして汚れを知らない、純粋な心は、真っ白でなにも書かれていないきれいな紙となったのだ。だから、作者の思いをそのまま汲み取ることができる。まるでコピーされた感情が違う形となってあらわれてしまうようなものだ。だれにでも名越は染まることができるようになったのだ。だから、ジャンルにだってこだわる必要もないし、特定の作家に絞る理由もない。現代のように固定した観念にとらわれていない、名越という自由に生きた男だからこそできる芸当だった。
「それで、出版社が目をつけて、出版にいたったわけだ」
「はい。僕が持ち込んだんです。そうしたら、出版社の人に、いろいろきかれました。どうやって書いたのかとか、本当に自分で書いたのかとか…そして、出版社の人に話しをして、全面的に僕に協力してくれることになったんです」
 出版社も、名越の通常とは違う才能を見抜いたのだろう。最初の作品を見ただけでも、名越の才能は、開花していた。断るには惜しい存在だったのだろう。
「僕は、いつまでも老夫婦に迷惑をかけるわけにもいけないとおもって、一人暮らしをはじめました。本の印税で稼げるようにもなったので、都会で暮らすことにしたんです。出版社に無理を言って、働き口も探してもらいました。どうしても働いてみたかったんで。そして、働き始めたのが、あの駅前の書店です」
 全てがつながったように思えた。そして、俺は名越に会ったのだ。あの純粋な笑顔は、人の汚い部分を見てこなかった結果ではないだろうか。性格の確立をする時期に、彼は森の中で過ごしたのだ。いまも、少年のような綺麗な心をもっているのだろう。
「でも、出版業界はなんであんなに黙っていたんだ?」
「それはやっぱり、双方に利益になるからかもしれないですね」
「と、いうと?」
「瀬戸さんも、もし僕が出した本で、ターゲットとされた本をまだ読んでなかったとしたら、両方読みたいっておもったでしょ? 理由はそんなところです。最近では出版業界も落ち込み気味ですから、うまい商法ともいうべきかもしれません」
「そうか。だから、俳優のYも和解を成立させたってわけだ。うまく丸めこんだんだな」
「ええ、といっても、著作権の侵害になるかは怪しいものですけどね」
 もう名越の顔は全てを話して、すっきりとした顔だった。
「じゃあこれからも、前と同じように本を執筆するんだな」
 すると名越は困ったような顔をした。
「いえ、それはもうないです。今回の事件で、自分がやってることの愚かさを知ったんです。長年かけて考えたアイデアや、小説を書く技術を、盗むのは、やっぱり、恥ずべきことなんだって、思いました。盗まれる方の立場になると、やっぱり憎むほどつらいことなんだって。だから、もうこんなことはしません」
「じゃあ…これからどうするんだ?」
 と、問いかけたとき、店員が閉店になるのでそろそろ…と申し訳なさそうに、部屋に顔をのぞかせた。レジをすませ、すでにひと気のない商店街を歩いた。
「これからのことは…わかりません。けれど、町を出て、旅をしようかなって思います。そうしていくうちに、自分で考えた小説を作ることができるかもしれないから。こんどはちゃんと、名越悠として。もう『まがひもの』は卒業です。だから、もし、作品を完成させることができたら、一番に瀬戸さんに見せますね」
 名越の表情は幸せそうで、うれしそうだった。
「じゃあ、しばらくのお別れなんだな」
「そう…ですね。寂しいな。僕の最初の人間友達第1号なのに」
「変な代名詞つけるなっての。それとな、お前にだけは俺は変わらずそのままでいて欲しいって思う。今の、お前が俺は大好きだからだ。だから、心が折れそうになったり、くじけそうになったときは、いつでもこの町に帰って来るんだぞ。待っているから…」
「ありがとう。瀬戸さん」
 俺たちはそうして、別々の道へと別れた。

 今日も話題を求めて、ハナシの種を探して、情報が行き交う。
 そうして、人々から忘れられていく、そんなハナシもある。
 けれど、それぞれに明日があって、それぞれに出会いがある。
 人間だからこそ、そう思えるんじゃないかなって。
 考えたり、悩んだりすることが悪いことじゃないってそう思えた。

2006/04/02(Sun)03:01:57 公開 / 雪乃空
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雪乃空です。今回は連載モノにしてみました。
できるだけ早く更新していこうと思います
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