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『微笑みの魔法の使い方 ぷろろーぐ 〜初春暮夜〜+えぴそーど1 〜A pillow of grass〜(修正版)』 作者:ゆるぎの 暁 / リアル・現代 ファンタジー
全角14075文字
容量28150 bytes
原稿用紙約42.75枚
千種が出会った、ある男。その人は突拍子もない言動で、千種を戸惑わせて――――。微笑みの魔法のコツ、ほんの少しお教えいたします。ちょっぴり日々お疲れ気味の方、こんな物語はいかがでしょう?
ぷろろーぐ 〜初春暮夜〜

 真冬という名を冠する季節に、それはやってくる。その冷たさはいまだ春を予感させず、冬を主張するかのように乾いた寒さを運んできた。窓枠をがたがたと揺らす北風が、我が物顔で暴れ回る。しんしんと冷えこむ風を噛みしめながら、人々は年の始めを過ごす。そして、年の始まりは新たな気持ちでことにあたる事を自然と考える。そのような気持ちが否応なく湧き上がるのが、年始めというもの。
 そんな中、一人の男がそれに便乗するように大きな決意をしようとしていた。妙な出で立ちで。
 グルリと体に巻かれた毛布はすっぽりと全体を覆い、唯一顔のみが露出していた。他人が見れば、遭難しかけた人間に見えるに違いない。だが、男はしっかり部屋の中で暖をとった状態で、その格好なのだ。…どういう理由があってかは知らないが、異な人物であるのは間違いない。
「ハァ、困りました……」
 そう言って、男はかぶりを振った。馬鹿らしい格好ではあるが、彼は思い悩んだ様子で目前にある紙を注視する。
 そこには消しゴムのカスが山盛りになっており、紙にはミミズが這ったような文字が躍っている。どこぞの外国語で書かれているらしい、それらは解読不能だ。
「アァ、本当に困りました」
 本当に困った様子で、彼は唸っていた。付随するように、腕組みをする。唸る。頭を振る。歩き回る。唸る。頭を振る。それを何度も繰り返す姿はある種、面白い。
 よく見てみれば、その顔立ちは端整だ。細められた靄がかった翠色の眼も、への字に垂れた薄茶の情けない眉も優美に見えた。困惑した表情、それさえも絵になる。見目麗しければどんな表情も似合う、という見本例の男だ。
 しばらくそのようにしていたが、ふと動きを止めて男は天井を見遣った。その先に何を見たのか、いきなり目を見開く。そして、目を輝かせた。
「Est ainsi! それが一番ですネ! あぁ、Dieu est descendu!!」
 早口に日本語交じりの外国語をまくしたてながら、大の男は勢いよく飛び跳ねた。
 その拍子に、毛布がハラリと体から落ちた。
 ショッキングピンクの蛇と漆黒の堕天使が乱れ舞う、荒唐無稽なデザインの紫色のポロシャツ。その上に羽織られた、赤と青と緑のギンガムチェックの甚平。そして何処で買ったのか、唐草模様の柄になっているチノパンを履いている。その姿は、ファッションと呼ばれるものに対する冒涜にしか見えない。
 男は机の上にあった紙に、サラサラと猛然と文字を書き連ねていく。そして満足げに頷き、そのままバッタリと机の上に倒れ込んだ。机の表面に顔面衝突したというのに、ビクともしない。さながら電池が尽きたロボットのようだった。
 しばらくすると、男からかすかに息が漏れる。安らかな寝顔は幸せそうに笑みを浮かべていた。
 その下に覆い隠された単語は、判読不可能。しかし、そのミミズの羅列には男の想いがこもっていたのだ。深い――――信念とも言うべきものが。


苦しいこと。悲しいこと。悔しいこと。
傷ついてしまうこと。傷つけてしまうこと。
大人になってもそれは変わらない。
変わったのは、子供の頃より見える世界が広くなったこと。
その世界で何をすればいいのか?いまだに戸惑ったままで。
それでも日々は流れる。
淡々と、細かくて見えない零れ落ちる砂粒のように。
気が遠くなるほど、先の見えない未来。
今でも思い出す、キリキリと軋む過去。
遠く、想いを馳せる、故郷の匂い。
溢れる感情の渦は、どうやって止めればいい?
どうしても後ろを振り返ってしまう。
だれかに何か言ってほしくて。
けど、それはきっと甘えだから。
ただ独り、私は前に進むしかない。

微笑みの魔法の使い方 えぴそーど1 〜A pillow of grass〜

 一瞬、目の前が暗くなる。全てがコンマ分の1の間、消失。そして、世界が高速で一回転した。明滅する、感覚。
 それを振り払うように、宵草 千種(よいぐさ ちぐさ)は目を瞬かせた。
「あれー? 宵草さんってば、ちょっとお疲れ気味?」
「いえ、平気です。ちょっと、目にゴミが入っただけなんで」
 サラリと言いのけると、向かいに座っている同僚が首を傾げる。
「そぉ。じゃ、もう少し頑張ってねぇ?」
 振りまかれた笑みを受け流しながら、千種は視線をパソコンの画面へと移した。眼前には打ちかけの記事の草稿がある。仕事の途中で、集中力を切らした自分に喝を入れたくなる。
 白い色に重なるように、赤黒い染みが右往左往していた。チカチカと点滅を繰り返す、自身の瞳に苛立ちを覚えた。頭痛も伴っての痛み。しかし意識ははっきりしているから、作業は続けられる。
 カタカタと指で打ち続ける文章を、頭の中で組み合わせながら着々と仕事を進めていく。
「あら、千種ちゃん。精が出るわね」
 ふと背後で響いた声に、一瞬息が止まった。そして、振り返る。
 ニッコリと笑顔を浮かべ、ビシッと決まったスーツ姿がそこにあった。うなじにかかる程度の髪はさっぱりと整っていて、清潔感がある。
「三枝チーフ!」
 慌てて立ち上がろうとすると、手で制されてしまう。
「いいから、いいから。もうすぐ終わるんでしょ?仕事。口を開くのは済ませた後よ」
 クイッと片方を持ち上げた唇は、ほのかに紅く色づいていた。さりげなく美しさを引き立てる紅、そのセンスのよさもさすがというところかもしれない。
 三枝 涼(さえぐさ すずみ)は千種の勤務先である、MAY-BI出版編集部のサブチーフである。世の男性に負けない知性と落ち着きと自信を兼ね備え、男と同等以上に仕事をこなしていく様はカッコいいの一言で足りる。もう三十路を超えていると言う話だが、そのバイタリティあふれる仕事っぷりとさっぱりとした性格で男女ともに人気が高い人物でもある。千種も密かに尊敬している上司なのだ。
「はい」
 そう返事をしながら、千種は先ほど頭で組み立てた文章をそのまま打ち込んでいく。今は何も考えず、ただ記事の結びを書くだけだ。黙々とその作業を進める。しばらくの間、一切の音が遮断され何も聞こえなくなる。
 やがて打ち込みが終わり、誤字脱字・文章がおかしくないかを確認して、後ろを見遣った。そこに人の姿はない。
「うんうん。千種ちゃんは仕事が丁寧だから、安心して原稿読めるわね」
「ひゃっ!?」
 不意に横で声が響き、千種は思わず叫び声を上げた。右隣に佇んでいた三枝は叫び声に気づかず、熱心に完成したばかりの記事のチェックをしている。
「うん、ちょっと気になる所もあるけどいい出来ね。メキメキ、腕上げてきたわ」
 満足そうに頷いて、三枝は視線をこちらに寄越す。
「あ、ありがとうございます」
 慌ててお辞儀をすると、三枝の目はわずかに細まった。
「それで。今日は直帰してちょうだい」
「……え?」
 予想もしない言葉に、頭が真っ白になる。まさか何か重大なミスでもやらかしてしまったのか、と一気に血の気が引いていく。
「ああ、勘違いしないでね。千種ちゃん、ここ二週間ぐらい医務室に通っているらしいじゃない?医務室の飯田から注意するよう、言われたのよ。で、さっきから見ていても具合悪そうなもんだから、これは休ませないとダメかな〜、と思って」
 その様子にすぐ気づいた三枝は、落ち着いた様子で理由を説明してくれる。それでようやく千種は得心し、顔が熱くなった。
「す、すみません。ご心配お掛けしてしまって」
「会社は学校とは違うから、お休みします、という訳にはいかないものね。けど、それだけ長い間具合悪いなら、ちゃんと体を休めなきゃダメだと思うの。少しでも、ね」
 見つめる視線は、気遣いの色を帯びていた。医務室に通っていることが知られているということは、ほとんど事情も筒抜けなのだろう。千種は何と言っていいか分からず、つい口篭もってしまう。
「ま、そういう事だから。今日は残業なし、ぐっすり休んじゃいなさい。ちゃーんと明日からは仕事、こなしてもらうわよ〜?」
 少しからかいを含む言い方をしながら、三枝は去っていく。ふと、去り際にミントの香りがした。一迅の風のように爽やかな香りが心地いい。千種は小さくお辞儀をしながら、ジッと上司の姿を送った。

 帰る支度をすませて、千種は会社を出た。もう昼は当に過ぎ、日差しはそれほどきつくない。だが、熱気を秘めた空気が体を火照らせていくのを感じた。周りを歩く人々は皆、暑さに急かされるように足が速い。それにつられるように千種も早足になる。
 ふ、と肩にかけた鞄から振動が伝わった。携帯にメールが届いたのだと解る。千種はパカッと開いて、画面を覗き見た。宛先を見て、ちょっと驚く。母親からのメールだった。

『最近暑いわねー(-_-;)でもこれだけ長野が暑いんだから、東京はもっと暑いんでしょ?夏バテしてない?ちゃんと水分や食事はとらなきゃ駄目よ(゚□゚)丿無理は禁物!お母さんは、千種にもっと頑張りなさい、なんて言わない。疲れたら、適度に休むのを忘れないようにね。それじゃ、また連絡する§^。^§』

 千種は頬を緩ませた。あまり携帯慣れをしていない母が必死に書いたメールには、いつも励まされる。母親からメールが来ると思わずホッとしている自分がいる。
「……あれ?」
 メールを閉じようとして、もう一行メールが続いている事に気づく。そして気づいた事にすぐ後悔した。

『そういえばこの前、縁ちゃんに会ったのよ。連絡してる?』

――――パチン。
 携帯電話を閉じて、そのまま鞄の中に滑り落とす。返信は自宅に着いてからにしよう。
心臓が跳ね上がった事に気づかないフリをする。メールの最後の部分も気にしないことにした。
 ――――縁――――
 一瞬その面影に捕まりかけて、頭を振った。
「早く、帰らなきゃ」
 チクリと刺すような胸の痛みも無視する。
 早足に歩を進めてしばらくすると、駅前に辿り着いた。まだ高校生の波は来ていない時間帯だ。まばらに立つ人から少し離れた場所で立ち止まる。
 そしてホームで電車を待っている間、千種は明日やるべき仕事のことを考える。すべき仕事の内容。その内容の詳細。構成の仕方。参考する資料。どうやったら効率的か?それをどんどん考えているうち、また眩暈が起きた。
 小さく息を零し、右手で鼻の付け根を揉み解す。どうやら思考力が限界に近いらしい。蒸すような暑さがちょっとバテ気味の体に効いているのだろう。肌にまとわりつく湿気は苦手だ。
 社会人になって2年目の、初夏。ネットリと絡みつくような暑さは、日増しに増すばかりだ。故郷もそれなりには暑かったが、それを確実に上回る暑さ。夕方ともなれば涼しくなるが、蒸し暑い事には変わりない。
 千種はボーッとホームの隙間から覗く、赤と水色の空を仰いだ。少しずつ陽の光が落ちていくのが見てとれる。
 自宅には日暮れ前には着けるだろう。そんな他愛もない事を考えた。深く考える事が億劫なほど弱っている自分が何とも情けないと、内心思いながら。

 地元の駅に着いてから、10分ほど歩く。千種が暮らしているのは、アパートに近い規模のマンションだ。都心から多少離れた、家賃が比較的安めな一室。自宅から仕事場の所要時間は乗り継ぎを合わせて、30分。今の出版会社に内定してから引っ越してきた場所で、仕事場への行き来が結構近いのが利点と言える。
 その自宅へと続く道を、特に何も深い事も考えず千種はただ歩いていた。早く家で休みたい一心で黙々と歩く。地面に広がる自分の影を見つめながら、何度か曲がり角を曲がり、家の手前の路地に踏み入れた。あと少しで、自宅に辿り着く。
 そう、千種の気が緩んだ矢先…青年が、道を塞ぐように立ち止まっていた。顔は見えず、茶色い頭とリュックを背負った後ろ姿だけが見えた。どうやらもぞもぞと腕を動かしているらしく、奇妙極まりない。
 あまり関わり合いにならない方がいいと、千種はその青年を無視する事を決定する。が、それは出来ない選択だった。ここは狭い路地だから、横を通るということが不可能。通るならば、路地のど真ん中に立ち尽くしている人物へ声を掛けなければならない。
「あの、少し横にずれてもらえませんか?」
 千種は意を決して、その背中に声を掛けた。
 ピクリとその背中が震える。そして、勢いよく振り返った。
 思わず、千種は息を飲んだ。目が、離せない。驚いた表情の青年に釘付けになる。
 ジワリと恐怖が湧きあがってきた。心がざわめく。心臓が早鐘のように、鼓動を打つ。やはり話し掛けずに、動くのを待っていた方が良かったのだろうか?
 そんな事をグルグルと考えていると、青年が口を開いた。
「あのー」
 ちょっと癖のある発音の日本語が耳に入って、抜けていく。フワリと、空気が揺れた。
「お客サン、寝不足ですよネ?」
 ニコリと満面の笑みを浮かべ、そんな問いを青年は投げかけてきた。
「……はい?」
 思わず声が裏返る。突然の問いかけに、千種は頭が全くついていかなかった。
 恐怖していた心に染み渡る、さっきの声のリフレイン。だが、それでもその不審者の言葉の意図がさっぱり理解できない。千種は息をつき、どうにか口を開いた。
「あの、今何か言われました?」
「はい。アナタ、近頃寝不足ですよネ?」
 穏やかに微笑む表情。不思議なその存在感。千種は、自分がまるで異世界に紛れ込んでしまったような感覚を覚えた。
 夕陽は橙色に熟し、男を見事なまでの光で染め上げる。顔の陰影がクッキリと浮かび上がり、まるで出来のいい彫刻を見ているようだ。日本人ではあり得ない、靄がかった緑の瞳。静かな風が揺らす、子猫のように柔らかな薄茶の髪の毛は、光によって淡い輝きを放つ。東洋人と種類の違う白い肌は人形と表すると大袈裟かもしれないが、それに匹敵する白さだ。
 そこまでは、いい。容姿の造形がいいのはひとまず置いておく。だが、どうにも服のセンスはいただけなかった。
 ダラダラと腰下まで伸び切った灰色のパーカーは、まるでみすぼらしい魔術師のローブのようだ。何をすればこれほどカラフルに汚せるのか理解不能なジーンズ。挙句の果てに、足には黄色の長靴。整っている容姿も、その服装ですべてがぶち壊しだった。
 おかげで平常心が保てず、警戒心が一段と強まっていく。
「私に何か用があるんですか?」
 青年は嬉しそうに頷いた。
「ハイ、そうなんです。アナタの不眠を緩和するお手伝いがしたいんですヨ。それがワタシのお仕事ですから」
 青年は千種の困惑の視線に気づいていないのか、変わらず和やかに答えてくる。その穏和な表情と声は、何故か千種の心を不快にさせた。
「私が寝不足だろうと何だろうと、あなたには何も関係が」
 そう言って否定しようとした瞬間、男がさえぎった。
「それは違います。眠れない事には、イロイロ原因があります。アナタの場合、精神的に疲れていることが、眠れない大きな要因です。眠れない事を甘く見てはイケマセン。それで、心身ともに壊れてしまう事もあるんですヨ 」
 先ほどまでとは打って変わった、青年の真剣な声音。何故こんなにドキドキするのだろう?靄がかった緑の瞳が心を強く揺さぶる。
 千種は言葉を返せなかった。
 確かに近頃、毎夜ほとんど眠れない日々を過ごしていた。理由は自分では夏のせいだと思っている。だから医務室に行って睡眠薬を処方してもらい、それを飲んでいた。しかし、効果はあまり現れず、最近は不眠以外にも頭痛や眩暈までもが付随してきていた。
 だが、この事は友人にも同僚にも話したことは無い。故郷にいる両親にも。唯一その事実を知るのは、尊敬する上司と医師だけのはず。
「あの、あなたは?」
 まだ警戒はしながらも、千種はおそるおそる問いかけた。
 すると青年はまたあの笑みを浮かべ、背負っている大きめな紫色のリュックのチャックから一枚のチラシを差し出した。
「ああ、スミマセン。申し遅れました、ワタシはこういう仕事をやっているモノです」
 声を耳にしながら、千種はその差し出された紙に目を向ける。その紙には、こう書かれていた。

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「…………」
 体の力が抜けていくのは愛らしい桃色の印刷のせいなのか、内容から匂う怪しさからなのか。いや、両方からだろう。
 千種はとてつもない虚脱感を感じざるをえなかった。
 悪夢解放?夢解き?睡眠専門店?スペシャリステ・ド・ソメイル?
 胡散臭い内容から目を外して、口から息を漏らす。そう反応する以外に、一体どうしろと言うのだろうか?
「あれ? どうかしましたか? さっきまで灰色だったのに、かなり黒くなっていますヨ?」
 このチラシを作成したであろう青年、ディレアン・ムッシューは不安げに千種の顔を覗き込んでくる。顔がいいものだから、そんな表情さえ様になる。トンチンカンな言葉さえ吐いていなければ、の話だが。
「ムッシューさん」
「ディレアン、と呼んでください。あ!ディーでも構いませんヨ」
 その笑顔と能天気な言葉に苛立ちながら、千種は深く息を吸い込む。
「私はいきなり話し掛けて来る人を信用するほど、馬鹿じゃありません。まぁ、夢やら眠り専門店やらそんな嘘くさい文句に惹かれる子なんて、イマドキ若くてもいない気がしますけど。さっさといなくならないと警察呼びますよ? それにこんな小さな路地でもここは住宅地なんですから、大声を出せば人だって来るんです。そんな事が解らない程、頭お悪くないですよね?」
 一気にまくし立て、千種は仕上げと言わんばかりに睨みつけ――――
(え?)
 眼前に広がる光景に、思わず絶句してしまう。
「ウーン……。アナタは精神的ストレスによって不眠を引き起こしているタイプのようなので、こちらの安眠マスク太郎!など如何でしょうカ?いやいや、違いますネ。これより、もっと癒しに念頭を置いたモノの方がー」
 ディレアンは首を振りながら、背負っていた紫色のリュックから何かを放り出していた。
 狭い路地の上に、転がるモノの数々。アイマスクやら、膝掛け毛布やら、甚平やら。ビニールで包装されているからといって、この扱い様はどんなものだろう?赤ん坊が散らかした物よりはマシだが、散乱という単語がピッタリ当てはまる惨状。まるで子供のような散らかし方。人通りが多い場所ならば、邪魔なこと請け合いだ。
「何を、しているんですか」
 千種は声を出すというより、呻くように声を漏らす。どうしようもなく頭が痛かった。
「アナタに最適な安眠グッズを探しているんですヨ♪ あ、これですネ!」
 そう言ったかと思うと、ズイッと何かを差し出された。勢いよく差し出された物を、千種は思わず手にとってしまう。そして、千種の顔の引きつりはそれで決定的なものとなる。
 その諸悪の根源は千種の腕の中にある、萌葱色のドーナツ型クッションだった。一昔前、赤ん坊の頭の形を美しくするものとして人気を博したそれだ。全く、全く、全く!と言っていいほど安眠とは関係のない、ただのクッションである。
「……これが、その安眠グッズなんでしょーか?」
「ハイ! “草枕”と言う商品です。眠りと癒しの効果を持った草花や薬草を布地に染め上げ、織り込んだ、ワタシの自信作です♪ あ、作り方は教えられなっ!?」
 ニコニコと嬉しげに説明をしているその鼻先に、千種はクッションを叩きつけていた。言葉で問い詰めるつもりだったのだが、あまりの怒りに手のコントロールが効かなかったのだ。
 整った美貌は驚いたように目を見開いて、こちらを見ている。どこにも怪我はない。クッションが軟らかくできていたせいか、ダメージはなかったらしい。
「いい加減にしてください! こんなモノで眠れるのなら、誰も苦労しません!! それをこんな、安眠グッズだなんて、嘘をついて何が楽しいんです!?」
「ああ、そんなに真っ赤になっては体によくないですヨ。ますます疲れが」
「何を評して、そんな事が言えるんですか! 変な言い方しないでください!!」
 悲鳴のような金切り声。キリキリとこめかみが痛くなる。
 自分でも驚くほど、千種は怒っていた。これほど叫んだのは、どれだけ久しぶりだろう。初めて会ったただの他人に、これほど八つ当たっている自分が信じられなかった。どこかで感情のダムが崩壊してしまったとしか思えなかった。だが、苛立ちを堪えきれない。ひたすらに、目の前にいる男性が腹ただしい存在として目に映っている。
 しばらく張り詰めた沈黙が続いた。しかし、それを先に破ったのはディレアンだった。
「ゴメンナサイ。ワタシが、アナタを困らせているのは知っています。けれど、それでもアナタの苦しみを無視できなくて……それはウソじゃないんですヨ」
 その言葉が千種を苛立たせる事を、彼は知らない。何もかも知っているように、子供の癇癪を宥めるように、口調は穏やかで。嫌気が差すほどの誠意。それがどうしても耐えられない。
 千種は、強く奥歯を噛み締める。
「なんで……あなたに解るんですか?何もかも解っているような顔で、人を馬鹿にして」
 ディレアンは眠るように目を閉じた。そして、口を開き、言葉を紡ぐ。
「口から虚実を吐くこと。それがウソですネ、そしてワタシの言葉はウソなのだとアナタは思っている」
 強い物言いではなかった。だが、弱いというわけでもない。柔らかさの中に、強い芯が一本通っている言葉。
「ケド、いいんですヨ。アナタがワタシの気持ちをウソと言っても、オッケーなんですヨ」
 一体、彼は何を言っているのだろうか?千種はその言葉の意図が理解できなかった。
「ワタシの言葉は、気持ちは、間違ってる。全部、ワタシのワガママなんですヨ」
 するすると動く男の口を、千種は見つめる。心の中で燃えていた火種がかすかに消えていく事を感じながら。
「アナタの悲しくて傷ついたココロを、ワタシはワタシのために癒したい。だから、イッパイ怒ってください。イッパイ疑ってください。それで」
 そして、翠の瞳が瞬いた。霧の先に広がるその色は、胸を衝かれるほどに鮮やかだ。
「それで、オアイコです。ケンカ両成敗というヤツですネ」
 そう言ったディレアンの顔は、やはり穏やかだった。先ほどと変わらない、何もかも見透かすような表情。優しげな瞳。
 けれど、もうそれを見て、千種は苛立ちは感じなかった。
 彼の瞳は、揺るがない。
 彼の考えは曲がらない。
 彼の言葉は理解に苦しむ。
 そんなディレアンの事を、千種は受け入れていた。自分でも驚くほどに。
 その気持ちが偽りでも、憐れみでもないことに気づかされてしまったから。
 千種は深く息をついた。そして、目前のディレアンの顔を見る。
「……ごめんなさい、大切な商品を投げつけたりして。投げつけたお詫びと言うのもなんですけど、その“草枕”お一つ頂けますか?」
 穏やかに千種を見つめていた顔が、柔らかく微笑む。とても綺麗な表情。整った顔の造形を除いても、美しい笑顔だった。
 彼は壊れ物に触れるように、ゆっくりと千種の腕へと手を伸ばしていく。千種もその動きを見て、手を差し出した。そおっと、クッションが手に収まる。
 ビニール越しの浅葱色のクッションさえも、優しく目に染みた。今は目にする全てのものが優しく見えてくる。千種は、ぼんやりとそう思った。
「用法は簡単ですヨ。ただ眠る時に、この枕を使ってください。アナタに安らかな眠りをお贈りする事を、きっとお約束します」
「わかりました。今夜にでも使ってみます」
「ハイ。そうしてください。それでは、ワタシはこれで」
 そう言って、彼は丁寧なお辞儀をする。それを何とはなしに見つめていると、お辞儀を解いたディレアンは道に広げた商品達を手早く拾い、そのままリュックの中に詰め込んでいく。
 その動作を見ていて、ようやく千種は我に返る。手伝うと声を出そうとしたが、既に作業は終わっていた。彼は立ち上がり、そのまま逆方向へと歩き出してしまう。
 その姿を見て、まだ代金を払っていないことに気づく。慌てて声を出す。
「あ、あの! この草枕のお金 」
 ピタリと、黄色い長靴の足が止まった。
「イイエ。お代は結構ですヨ」
 顔は見えない。背負った紫色のリュックが声を発しているように思える。
「え?」
「それはお礼です。アナタは、ワタシにとって初めてのお客サマですから」
 千種が戸惑っている事に気づいているのいないのか、彼は振り返らない。
「ワタシの事を信じてくれて、ありがとうございます」
 そう言い置いてディレアンは角を曲がり、姿を消す。追いかけようと思ったが、足が動かなかった。動いたら、そのままこの温かい空気が壊れてしまうように思えたのだ。
 千種は深呼吸をして、目を閉じる。腕に抱えた草枕から、懐かしい草の匂いがほのかに香った気がした。

 パチンと、電気をつけた。チカチカと光る蛍光灯が、小さな部屋を静かに照らし出していく。シンと静まり返った、誰もいない部屋。電気がジリジリとかすかに鳴いていた。
「ただいま」
 小さな声は壁に吸い込まれて、そのまましぼんで消えていった。千種は一つため息をつき、カーペットの敷かれた床に座り込んだ。整理整頓を日曜日になるとやる習慣があるため、汚くない。けれど、つんと鼻につく独特な部屋の匂い。居心地の悪さをふとした時に、感じてしまう。
「あつ、い」
 一言つぶやいて、ちゃぶ台に突っ伏した。ぬるい表面の温度が肌に張りつく。気持ち悪い。体が嫌がる。こんな所で突っ伏してもどうにもならないのは理解しているのに。
 小さく、息が漏れた。ゆっくり顔をちゃぶ台から離して、ふと目に入るモノがあった。放置した荷物の間から覗く、浅葱色のクッション。
 千種は、それを掴む。ビニールの包装をはがし、ゴミ箱に捨てる。クッションの触り心地は、どうしようもなくただのクッションだった。だが包装をはがすと、フワリと草花の香りが漂ってくる。
 何の香りだろう?確か、色々なモノを織り込んでいると言っていた。
 ちゃぶ台の上に、それをポスッと置く。そして、おそるおそる顔を埋めてみた。と言ってもドーナツ型だから、埋まるのは額から上。傍から見たらおかしな光景だろうなと、頭の隅で思う。
 そう思いながら、だんだんと心が安らいでいくのが分かった。ゆらゆらと揺れる、世界。次第にそれは白く、白く、塗りつぶされていく。最近、この感覚を忘れていたように思う。
 密やかに襲ってくる睡魔。
 それはまるで、なめたら溶けてしまう、わたあめのように甘い――――


「……ぃ…ん……ちぃちゃん、ちぃちゃんってば!」
「……ん……?」
 目を開くと、眼前に顔があった。それを認識して、一瞬ひっくり返りそうになる。
「話、聞いてなかったでしょー? まったく! 人が真剣に話をしてるのに」
 口を尖らせて、不満気に睨まれる。久々に見る顔とその声に、私は声が出なかった。
 彼女はあの頃と変わらない。私よりちょっと背が小さい、可愛いらしい女の子だった。癖毛だからと言って、伸ばしているのを見たことがないショートヘア。それでも髪が跳ねるからと言って、前髪をピンでいつも留めていた。ラフに着こなしていた、ブレザーの制服。記憶と変わりない、彼女の姿。
「どうしたの、ちぃちゃん? もしかして具合でも悪い? 」
 先ほどまで怒っていたのが嘘のように、彼女は心配そうに私の顔を覗き込んだ。
 小学校・中学・高校とずっと一緒だった、私の親友。
「 ゆか、り 」
 名前を呼んだ瞬間、一気に熱いものが込み上げてくる。
 掠れた声にしかならなかった言葉は、それでも縁には聞こえたらしく、安心したように微笑んだ。
「そうだよ。縁だよ。渡会 縁(わたらい ゆかり)。どうしたの? 私のこと、忘れちゃったみたいな顔してさ」
 これは夢だ。こんなに胸が震えるのは久しぶりで。喉から漏れそうになる嗚咽を、必死に我慢する。

 ――あぁ、どうしよう。

「ちぃちゃん、泣きたいの?」
 気づくと俯いていた頭を、優しくそっと撫でられた。心配そうにかけられる声。突っ張っていた心が、解けていく。解けて、しまいそうになる。
「泣か、ないよ。私、もう大人になったん、だから 」
 やっぱり声が震えてしまう。嬉しくて懐かしくて、痛い。
「そんなの関係ないよ。大人だって泣くよ。ちぃちゃん、泣いていいんだよ」
 ぱっちりした目がきらきらと輝いていた。彼女に、私はいつもかなわない。まっすぐで優しい、その言葉。
 どうしても、いつものように突っ張れない。心が、揺れる。鼻の奥がツンとして、目頭が熱くなっていく。

 ぽたっ

「……あ……」
 瞳から零れる透明なソレを、止めることができなかった。慌てて拭おうとすると、少し小さな手が私の手を掴んだ。温かい、手。
「拭いちゃだめ」
「な、んで……?」
「だって、我慢しちゃうでしょ? 泣くの」
「そんな事」
「あるよ。ちぃちゃん、いつも頑張ろうとするから。だから、泣かなきゃだめ」
ピシャリとそう言い返されて、何も言えなくなってしまう。涙が、ぽろぽろと頬を伝っていく。その様子を見て縁は、よしよしと頷く。変わらない笑顔で支えてくれる。
 私は泣くのを堪え切れなくて、彼女はそんな私をずっとなでてくれた。

 18歳から24歳。あれからもう、6年も経っていた。大学卒業後に上京した私とは逆に彼女は高校を卒業してすぐ、地元で永久就職をしてしまった。
 相手は、彼女の家庭教師。私は相手の顔を知っていた。けど、まさか二人が好き合っていたなんて気づかなかった。…親友だったのに、私は何も知らなかった。
 私はそれに気づかなかった自分と、何も言ってくれなかった彼女に腹を立てた。その事で大喧嘩をして、それ以降ずっと縁とは絶交状態が続いていた。
 だから、私の記憶の中ではずっと彼女はブレザー姿のままなのだ。話す機会でもあれば、疎遠になることはなかったのかもしれない。しかし大学時代、上京してしまってから話す機会などなかった。いや、これさえも言い訳なのかもしれない。
 彼女ともう話を出来ないと思っていた。あんな自分勝手な八つ当たりをした私を軽蔑しているに決まってる。そう、私は決めつけていた。
 本当は、彼女と会って話すのが怖かっただけだったくせに。
 夢だから、素直になれた。縁だから、救われていた。人見知りが激しい私にとって、地元にいる友達はかけがえのないものだった。しかし上京してからは、大学時代の友達とも連絡は途絶え気味になっていく。
 遊ぶ、なんて事をしなくなった。生活のほとんどが仕事になった。人と外出を共にすることも仕事関係ぐらい。近頃、笑ったり泣いたりすることもなくなった。その代わり、愛想笑いはうまくなったような気がするけれど。
 それが大人になることなんだ。最近はそう思うようになっていた。けど、それは嘘だ。

 私はぽろぽろ零れ落ちていく涙の行方を追いながら、心の底に隠れていたものをみつけた。

『ちぃちゃん、何かわかったの?』

 うん、みつけたよ

 ゆかり

 わたし、本当は――――


「あ」
 気づくと、顔は涙で濡れていた。夢だけでなく、現実でも泣いていたらしかった。泣くのは久しぶりだった。誰もいないとわかっているのに、なんだか恥ずかしい。そっと、涙をぬぐう。
 遠くで、犬が吠える声がした。かすかに耳に残る音。
 頭を起こして、ボーッとする。少し鼓動が早かった。
 そして、萌葱色のクッションに触れてみた。先ほどと変わらない、どうしようもなく、ただのクッション。何か機械が入っているわけでもない。しかし、これのおかげで久々に眠れたのは事実だ。ただのクッション、という認識は改めなければいけない。この草枕のおかげで、胸のつかえがとれたのだから。
「お礼したいな」
 あの不思議な外国人、ディレアンはあんな態度だった自分が礼を言ったら、驚くだろうか?確か貰ったチラシに電話番号が書いてあったから、電話をしてみようか。
 いや、その前に実家に縁の連絡先を聞いておくほうが先かもしれない。自分が意地を張って聞いていなかっただけで、縁の連絡先だってすぐわかる。
 夢ではなくて、今の縁とちゃんと話をしたい。そして、謝って仲直りをしよう。そう考えて、はたと思う。
(なんか)
「馬鹿だなぁ、私」
 口から笑いがこぼれた。こんなに自然に笑えたのも久しぶりだ。
 何故こんな簡単なことに気づかなかったのだろう?それほどまでに余裕がなかったのかもしれない。一人で頑張らなきゃ、と前しか向いていなかった。本当は横を向いたって、後ろを振り返ったってよかった。人を頼ったって、泣いたって、よかったんだ。
 本当に、私はどうしようもなく弱虫で泣き虫で、馬鹿だ。
 千種はとめどなく溢れる、この気持ちをたまらなく嬉しく思った。やはり、まず最初にあの人にお礼を言おう。そして、感謝の気持ちを伝えよう。大人であっても、子供であっても、何も変わらないということ。
 それに気づかせてくれた、この草枕。
 そして、あの温まるような笑顔をくれた、不思議なあの人に。
「よーし」
 千種は決心して、床に落ちていた一枚のメルヘンチックなチラシに手を伸ばした。

 その行動が、とんちんかんな彼に振り回される要因を再びつくってしまうのだが…それはまた別のお話。


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                               TO BE CONTINUED!!
2006/04/11(Tue)23:57:12 公開 / ゆるぎの 暁
■この作品の著作権はゆるぎの 暁さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 はじめまして、もしくはご無沙汰ぶりです。ゆるぎの 暁(あき)と申します。ここまでお読みくださり、ありがとうございます。とても嬉しいです。
 今回のお話は、続きものと相成りました。筆が遅いのが自慢の私ですが、なるべく早く次のお話を書き上げられるようにしたいと思います。この物語は「あったかい」「懐かしい」「愛しい」を目指していたりします。少しでも読者の皆様に伝わるものがあったら、これほど嬉しい事はありません。そして「切ない」「悲しい」「怒り」なども書いていけたら、と思っております。
 まだまだ未熟者ですので、ご指摘・ご意見・ご感想いただけたら非常に励みになります。これから、どうぞよろしくお願いいたします。

4月11日 あとがき 
 ここまでお読み下さり、本当にありがとうございます。
こんばんわ、ゆるぎのです。自分的には3月31日には修正版を上げようと決意していたのですが、呆気なく破ってしまいました。くぅ、不覚すぎて、涙がチョチョ切れそうです。あぁ、けど1ヶ月以内に更新ができてよかったと思おうと思います。2話目もなるべく早く更新できたらと思います。…「思います」ばかりで、何だか自分でも情けない限りです;;;
 さて、今回の更新はプロローグと1話修正をしてみました。話の筋には大差はないですが、多少物語の雰囲気が変わったかもしれません。いや、書いた自分自身はあまりよく解らないので、皆さんのご意見をまたいただけたら嬉しいです。筆の遅さはまさに亀並みですが、現在の自分ができる限りのことをやっていこうと思います。どうか、これからも宜しくお願いいたします。

更新記録
3月15日 えぴそーど1掲載
4月11日 ぷろろーぐ追加・えぴそーど1修正
4月11日 微妙に修正
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