- 『群青の守護神』 作者:渡来人 / 異世界 アクション
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全角24979.5文字
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「……オイオイ……」
無機質な螺旋階段ばかり続く建物の中で、青年は呟いた。もう大分登ってきたというのに、中央の吹き抜けから見える景色は一向に変わらない。つまりこれは最上階がまだ遙か上に在るという事を示していた。
髪は赤銅色で短く纏まりが無いそのぼさぼさの髪は、青年の大雑把な性格を良く表している。燃え盛る灼熱を宿したような双眸は暗闇でもよく解った。腰に革で出来たコートを巻いて、上半身が白い長袖。だが防寒効果は抜群だろう、青年は三枚重ね着しているからだ。下はまだ青々とした新しそうなジーンズ。そしてベルトの所にホルスターがあり、其処に拳銃が在った。護身用の銃なのだろう。
所々に在る窓からは薄い月明かりが入ってくる。これがこの建物の中での唯一無二の光源となっていた。登るたびに、かんかん、と音が建物の中に反響していく。薄暗い中、常人が恐怖を感じるのに十分すぎる反響音だった。だが青年はそんな事を気にせずにどんどんと上の階を目指し登っていく。
ふと、青年は思いついたように立ち止まり、足元に転がっている石は無いか探しだす。
「落とせば少しは登ってきた距離が解るかも……」
独り言を呟きながら、手に触れた石らしき物体を握り締め、中央の吹き抜けへと落としだす。それと同時に青年は時間を数え始める。
「いーち、にーい、さーん、しーい……」
一秒数えるごとに指を一本折る。
微かにしかない月明かりだが、手元を見るには十分な光だった。
「じゅーなな、じゅーはち……おいちょっと待て」
此処まで数えたので十八秒。そして今、考えているところで二十秒を越え、さらに脳内思考が遁走を始めたところで二五秒を越えた。其処から窓の外の世界を覗こうと身を乗り出したところで三十秒を過ぎて、其処でとうとう青年は秒数を数える事を諦めた。
簡単に考えて、重力加速度などの事柄も全て含めて計算しても、絶対に千を軽く越している……自分はこの距離を登ってきたのか、などと考えて驚いた、だがそれよりも青年は良く此処まで数えたなぁ、と其方の方へ驚いていた。それは今の状況下ではあまり意味は無い事だ、と割り切って結局は何も考えないようにする。思わず出してしまった嘆息さえも、建物内に反響する。
とんでもない所に来てしまったものだ。
一番最初の原因は、酒場で酒を呑んでいる時に、聞き耳を立てていたことだろう。あの時聞き耳を立てていなければと考えても今更もう遅い。隣で酒をぐびぐびと呑んでいた二人組みの言う事を真に受けたのもいけなかったのかもしれない。後の祭りというやつであるが。
聞いた話はこうだった。この場所、蒼天の塔の最上階には『竜眼』と呼ばれる魔力を無限に蓄蔵出来るといわれる宝石があると言う噂だった。だけども、それを手に入れようと何人もの冒険者が挑んだが途中で朽ち果てて結局最上階に着けぬままこの世から去って逝った……。
これを聞いた直後は、どうせ御伽噺か何かの一種だろう、お前ら騙されてんだよばーか、などとその酔い潰れてしまっていた二人に向かって心の中で囁いたのだが、後になってみると、月並みだがだんだんと興味が湧いてきたのだ。行くだけ行ってみよう、無ければ無かったで結局期待していなかったのだからそれはそれで良しとする。在ったならば……その時は自分がお宝を独り占めにしてやろうとにやり、とほくそえんだものだ。
結果、勢いと半分の期待と四分の一の不安とさらに恐怖と共に町を計画もなく飛び出して二日目にしてこの塔を見つけて歓喜し、「やったろうやないけぇ!」の一言と共に威勢良く中へと這入り込んだのだ。あの時もう少し考えていれば……後悔先立たずではあるが。
いや、もしかしたら言葉が悪かったのかもしれない。あんな何処ぞの背中に刺青を入れているような男の人達のようなドスのきいた声で這入らなければ良かったのだ。失礼します宜しくお願いしますだから何卒俺にはなんの危害も加えないで下さいと言って這入ったのならば其処はもう最上階みたいな展開が待っていたのかもしれないのだ。そうか、セオリー通りに攻めるのが駄目だったのだな、実は外から登ればすぐに着けますよという展開が……もう止めよう。青年は思考を止めた。
絶対に在り得ない事だ。例えこの世の奇跡という奇跡が集いに集っても在り得ない。
青年ははぁ、と肩を落として嘆息する。
外はもう夜だ。此処に這入りこんだのは昼だというのに。しかし、幸いながらに食料はふんだんにある。さらに飲み水だって結構な量は持ってきた。節約しながら過ごせば、軽く三日は過ごせる量である。……しかし、青年には不安が在った。もし、三日で登り切れなかったときはどうなるのか、いや、往復まで考えて三日で無ければならない。つまり、半分を一日半で登らなくてはならないのだ。
そう考えた途端に、胸の奥の不安が鉛のように圧し掛かってきた。青年はそれを振り払うように頭を振って、階段を登る。その際に壁を触って、手応えを確かめながら登る。
「……くそっ、さっきから調べてるけど……やっぱ塔全体の壁にルーン文字が彫ってあるみたいだな……しかも防除魔術かよ」
防除魔術。これは在る一定の空間での魔術などの使用を制限する効果のある魔術である。青年が調べた限りでは、彫ってある文字はどうやら塔内部での空間移動系魔術の発動に対してのモノと、壁に対する攻撃系魔術のみに反応し制限するモノあった。しかし、それ故に、小細工などは委細通用しないようになっている。しかも文字を直接書き込む事によって魔力を内部まで行き渡らせるルーン魔術でのそれはどんな高等魔術師で在ろうと、そうそう看破できるものではない。さらに髪の毛一本通す隙間も無い程にビッシリと防除魔術が張られているのだ。
どうせ、塔も何かの特殊物質で造られているのだろう。
単純に考えて三重の防除魔術。抜け出す術は、無いに等しい。しかも、それだけではなかった。
……くそっ。青年は舌打ちをしてさらに塔を登る。
すると、上に天上らしきものが見えた。一瞬、最上階に着いたか? と思ったがしかし、青年は中央の吹き抜けを見て、天井はまだまだ先にあるのだな、と思い知らされた。しかも、最上階ならば中央に吹き抜け用の穴など造らない筈だろう。青年はこれで五度目になるな、と心の中で呟いて、立ち止まる。背中に背負っていたリュックから食べ掛けのパンを取り出して口に含み、さらに水筒から水を飲む。飲んだ後に丁寧にそれを仕舞い、深呼吸を一つ。そして護身用の銃を腰のホルスターから取り出して、深呼吸をもう一つ。大きく吸い込んで――息を吐き出し走り出す。高鳴る心臓の鼓動と階段を登る足音が重なり、緊張がどんどんと増大していく。最後の一歩を踏み出して、広い空間へと足を踏み入れた。
「――我は纏う一陣の疾風(かぜ)ッ!」
そして、ほぼ同時に、簡易詠唱。青年の周りを渦巻く風が取り巻く。
簡易詠唱とは、その発動させたい魔術のキーワードを決め、自分で詠唱を決めて、術式へと展開させる。つまり、キーワードさえ入っていればどんな詠唱でもいいのだ。ただし、魔術の効果は詠唱の言葉を元として自分でイメージするため、言葉によって効果は変わる。
簡素な空間だった。中央には吹き抜け用の穴が在り、向こう端にはさらに上へと続く螺旋階段が設置されている。……単純に考えれば、此処で向こう側まで歩いて階段を登ればいい話だ……が、やはり一筋縄ではいかない。それならば青年が魔術を使う必要性も皆無である。つまり、此処に、危険な『何か』が在る、そういう事になる。
刹那、足元を何かが穿つ。轟音が鳴り響き、青年は瞬時に後ろへと飛び退いていた。
「……お次はなんだ……? ハッ、雑魚であるのを祈るけどな……」
そう言って、眼の前の空間に一発、発砲する。ドォン、と銃声が鳴り、壁に当たった音は、聞こえずに、眼の前の闇に消えていった。そして、先程までは居なかった、『怪物』が現れていた。両腕が槍のような形状をしており、俗に言う蟷螂の体をしていた。数百数千もの小さな眼の集合体が、ぎょろり、と此方を見ている。
次の瞬間、その蟷螂は両腕を青年の方へ向ける。流石にその動作で察知したらしく、青年は横へと跳んだ。先程まで立っていた場所に音も無く穴が穿たれる。
「……っ。伸縮自在ってとこか」
見れば、蟷螂の槍のような両腕が伸びている。先程はこれで穴を穿ったのだろう。
青年は対峙するように、睨み据える。
……三重の防除魔術、それともう一つの侵入者対策なのだろう。ある程度登ってきたところでの戦闘行為。これは今までずっと登り続けてきた冒険者にとっては相当な消費であろう。単純作業で精神をそれでなくても削っているのだ。厳しくない訳がない。
二つの発砲音、それと同時に青年は動き始める。あくまでも中央は吹き抜けになっているのだ、これに落ちる訳にはいかない。気を付けながら円を描くように青年は全体の輪郭だけ見える蟷螂へと少しずつ近づく。それに併せて蟷螂もじりじり、と青年へと狙いを定め、腕を振っている。
青年の銀色の護身銃はリボルバータイプ。銃弾は六発まで装弾可能で、一発撃つごとに自分で撃鉄を起こさなければいけない。しかし、それが青年の性に合ったらしく、中古の武器屋で発見して以来、ずっと青年の相棒となっている。実際にかなり良質の銃なのだが、それは青年自身は全く知らなかった。
ともあれ、今の状況にそんな事は露ほども関係はない。双方は睨み合いながら、お互いに距離を詰めあっていく。
次の刹那、両者が一斉に攻防を開始した。
青年は加速する。蟷螂はそれに併せて両腕を伸ばし貫かんとしてくる。暫く走り続けた後に、青年が先程まで立っていた場所がどんどんと穿たれていき、少し舌打ちをした。
……このままでは……。速めに決着をつける必要性有り、かな。
この速度で床を壊され続ければ、いずれ双方の負荷を支えきれずに床が崩壊してしまうだろう。それを一瞬で察知し、何か対策を立てようと思考を働かせる。
大技を一撃叩き込む。これしかない。
これは相当危険な事だが、今の青年はそう判断して、屈み込む。
ならば、少しでも動きを止めなければ。銃弾は効かない、なんとなく、魔術の効きも悪そうだ。だが、そんな事は言ってられない。下等魔術でも良い、何か相手の動きを止めるモノは……。頭に自分が覚えている魔術を出来得る限りに思い出す。……その中で何か使えるものはないかを探す。
「……おお、あるじゃん」
それが本当か確かめるように何度か頷き、内心喜びながら呟く。
そして青年は探し出したその魔術を詠唱しようと身構える、が、そう簡単にそれをさせてくれる筈もなく、より一層激しく攻撃は増していた。轟音が鳴り響き、次々と攻撃が繰り出される。やはり本能というものが蟷螂に危険を察知させたのだろう。
ばくばく、と心臓の鼓動が高鳴り、より一層緊迫感が増す。上手くいくだろうか、それとも失敗して一瞬の隙を付かれてはい終了、となってしまうのか。そんな事を考えるとさらに心臓が張り裂けそうになる。
しかし、大丈夫だろう、という確信の無い根拠が青年の心の奥には在った。
なぜならば。
大概の冒険者は一度目の戦闘で命を落としてきた。その証拠として落ちている白骨が一度目の戦闘場所が一番多かったのだ。二度目、三度目と白骨の量はだんだんと少なくなり、そして、五度目に関しては、白骨すら見当たらない。これは此処まできた強者が怪物を倒して上まで登ったという事……それか、その逆で、此処にたどり着いた者は居ない、という事を表していた。
つまり――
「蒼穹の天を翔けよ 紫電の双牙 我が右腕にその色彩を帯び 放て五重の刃」
――此処に居る青年は相当の強者、という事になる。
「“Brionac(五雷の槍)”」
五重の紫電が迸った。
紫電は一直線に蟷螂の方へと向かい、戸惑う蟷螂の腹を腕を足を頭部を、貫いていく。そのまま無様に吹き飛んでいく様を青年は見て思う。
……効いた……なにはともあれチャンスだよ……な?
精々足止めできて一瞬だとは思っていたが、これは青年にとっての予想外。勿論良い意味で、だが。今、音をたてて倒れこんでいる蟷螂が立ち上がるまで数秒は掛かるだろう。
それは青年が詠唱するには充分過ぎるほどの時間である。勝利を確信して、詠唱を始める。
「開扉(かいひ)せよ 冥府への門 我誘(いざな)うは煉獄の焔 禍々しきその獄焔を翳し 灼熱を灯せ」
青年の両手の五指に紅い光が現れ、それが両の掌へと収斂されていく。その光に周りの空間が照らされ、はっきりと蟷螂の居場所も姿も解るようになった。月明かりでは体の色までは解らなかったが、今は解る。漆黒の全身に、五本の紫電が刺さっている。狙いを定めるように両腕を前へと翳した。
「汝を劫火で覆い尽くし 万物を灼き尽くせ」
両腕を地面へと叩きつける。
「“Muspellheim(焔の世界)”」
刹那、焔が、辺り一面を覆いつくした。燃え盛る焔は火の粉を飛ばし踊り狂うように爆ぜ、包んだ空間の物体を灼き溶かす。無論、蟷螂さえもが例外ではなく。包み込まれた焔に為す術も無く奇声を上げるのみであった。青年は直に跡形も残らずに灰になるであろう蟷螂を見て、安堵の吐息を吐き出した。
「……あー、疲れた」
そう呟いて、青年は焼け焦げた床へと寝転がる。先程の戦闘から最早三十分。焔はとうのとっくに消え去って、広い空間には青年しか居なかった。蟷螂の残骸は灰と化して端の方に佇んでいる。その灰を何か有効利用できないものか、と青年は思考を働かせた。
「……やっぱ、発動しといて良かったな、“difrecsio・vent(風の障壁)”。アレが無かったら俺も燃え尽きてたなー、あはははははは……全然笑えん」
今更ながらに自分の無謀加減は鞭打って杭で貫いて一生固定したいくらいに自分の駄目なところだ。あ、杭で固定したら駄目じゃん、消えないよそれじゃあ。
などと青年はくだらない考えをして、今までの事を処理し始める。
此処に這入ったのは朝、そして今はもう真夜中近い。壁にはルーン文字で書かれた呪文。それによって壁に対するあらゆる魔術や攻撃が無効。そして塔内部での移動系魔術は全て無効。今まで登ってきた距離はおよそ千を越えていると思われる。一定距離を登ったところでの戦闘が今ので五回。食料と水はあと三日ほど。
……寝ても差し支えない、かな。いや、今寝ないと何時寝れるか解らんぞ……?
青年は考える。そして数秒迷った後に、
「うっしゃあ、此処で寝る! 今日の探索はお終いって事にしとくか。……それでも明日の対策は立てないとなぁ……」
そのままブツクサと呟く。どうやら、青年は独り言が癖になっているみたいだ。
顎に掌を当てて、青年はもう一度考え込んだ。
このまま最上階に着けなければ死ぬのは自分だ。干乾びて死ぬのは嫌だ。……そのまま時間だけが経過する。
すると、あの傍らに積もっている灰の使い道がイキナリ思い浮かんだ。
そうか、灰を使って火を付ければいいんだ! でも、灰で火ィ付いたっけ……?
「……ま、ものは試し、か」
青年は立ち上がる。先程までと考えていた事はものの見事に脱線している。否、脱線どころの話ではないかもしれない。其処まで青年の考えは変わっている。
その事に疑念を抱かない青年も青年なのだが。
……真っ黒な灰。少し吐き気を催しそうなぐらい黒く、青年は流石に直視出来ない。だが、それを素手で持って荷物の所まで持ってくのは根性が在ると言えるのではないか。
運び終わって、青年は恐る恐るその積もった灰に手を近づける。
「我は灯す一輪の華」
ぼぅ、とまるで火の玉が発生したように、青年の掌には焔が灯っていた。
そして、灰に点火する。
「……って燃えたーーっ?!」
まさか本当に燃えるとは……恐るべし、黒い蟷螂よ。あっ、訂正、黒い蟷螂の灰よ。
青年は驚愕の表情を浮かべて少し仰け反ったが、これは有り難い。貴重な熱源となってくれるだろう。そもそも、今の季節的にもこの世界は気温が低くなっている。さらに塔の中では引切り無しに風が吹き抜けを通り抜けていく。少し、火が消えるんじゃないか、と心配もしたが、それは取り越し苦労だったようだ。
青年達の位置は端に在ったため、風は幸い此処までは来ない。
……青年は歓喜しているが、火が灯ったのは正確には魔術の焔の為だ。灰なのだから、火が灯るはずが無い。青年は灰を魔術の媒介として、火を付けた。それだけなのである。魔術というのは自己暗示が左右する時もある。
何も無い状態で氷を作り出すのと、水が在る状態で氷を作り出すのでは精神の消耗が桁違いだ。なので、大抵の魔術師は何かを媒介として術式を展開させる。
全く関係は無いが、青年はその火で干し肉を焙っていた。
「ふっ、流石俺天才! 干し肉を焙る事で美味しさ倍増ってやつだな!」
嬉々として焙るその様は少年のようなあどけなさを感じさせる。
しかし、
「焼けた……いくぜ、突貫!」
勢いまかせにかぶりつく。
すると、一秒目はまだ良かった。全然普通の、先程の嬉々とした表情だったのだ。二秒目から変わってきた。先ず顔が引き攣ってくる。三秒目に冷や汗を掻き顔が青ざめる。四秒目には口に含んだ干し肉を異物と判断して口の中から吐き出した。
ぐぼぁ、と嗚咽を漏らし、そのまま四つん這いの状態で口の中の唾液を必死に吐き出す。瞳にはうるうると涙が浮かんでいた。そして促音を三つ溜めて次に吐き出したのはこの言葉である。
「なんっっっだこれェェェッ! 嘘だろ、おかしいって! 俺の考えに別におかしいところは塵一つも感じられなかったって! 不味っ、ちょっ、この干し肉腐ってんじゃねぇのか?! くそぉっ、口直しにパンだ、パン持ってこーい!」
と、言っても勿論この塔には青年一人しか居ない。誰かがパンを持ってきてくれる事など在り得ない。仕方なく、青年はしょんぼりとした顔で自分の荷物からパンを取り出した。無造作に噛み千切る。
ゆっくりとゆっくりと咀嚼して――飲み込むときに咽た。
「ごっふぁ! ……ああ、もう諦めたよ俺は。今宵の月は綺麗だなぁ……」
とうとう、現実世界から逃避してしまった。青年にとっては其処まで心に傷を負ったのだろう。傍から見れば何処が傷付く場面なんだ、と突っ込みたくなる場面だったが。
窓から見える月が青年の言葉通りに綺麗だ。
十六夜の月。
……そういえば、十六夜は人を惑わす力があるとかなんとか……。青年は思い出す。
「ばっかじゃね? 俺の人生はもうボロボロなんだから惑わすとか関係ねぇもんね!」
酷い言い草だ。そのまま、右手に持っていたパンを噛み千切り、手元の荷物に戻す。
暫く、夜の空に浮かぶ十六夜を見詰めていた。星は、無い。何処までも続く漆黒の中に、唯一つ明るく光る十六夜。――確かに、人を惑わすまではいかなくても、
「人を魅了するぐらいは出来るだろうな……」
そう言って、青年は瞳を閉じた。
無機質な螺旋階段が続く塔内に、一人の青年が居た。何も言わずに、無言で登り続けるその表情は真剣そのものだった。中央の吹き抜けからは、ごう、と風が吹き晒している。
青年が一段登るたびに、足音が反響する。実に不気味だ。
『竜眼』を探し求めて今日で二日目。昨日は寝てしまったので、今日中には着かなければ帰りの分の食料が持ちそうに無い。何でこんな事になったのだろうか、と今更考えても無為に等しい。青年はそんな事を考えながら無言でひたすらに登り続ける。
窓から燦々と照りつける太陽の陽射しがこれほどまでに残酷なものだと思った事は一度もない。
急にこの塔に来る前寄った酒場を思い出して、戻りたい衝動に駆られたがそんな事今更出来るわけがない。
青年は登る。
ルーン文字がこれでもかと言うほど書き込まれた壁に手を添えて、そしてもう片方の空いた手を自分の膝へと押し当てて、青年は何も言わずに上へと登っていく。時折荒い息が零れて、辛そうな表情を見せるがそれでも階段を登る足は止めずに動かし続ける。
中央の吹き抜けから時折上を見るが、天井は見えない。最上階はまだ遠い事を示していた。
それが解ると青年は少し落胆したような表情をして、肩を落とすがすぐに取り直し、気を取り直して階段を一段一段踏み締めて登る。
何分登ってきたのか、それとも何十分登ってきたのか、否、もしかしたら何時間も登ってきたのかもしれない。
青年は耐えかねて、階段にどかり、と座り込む。
「……大分登ってきただろ……飯だ、飯。もう朝から何も口に含んでねぇ……」
そう言って、肩から掛けていた荷物を降ろし、パンを取り出す。
乾いたパンが、青年の渇いた口の中に入る。
食べにくい、けど、必死に噛んで唾液と混ぜる。混ぜれば多少は飲み込みやすくなる。そう思いながら青年は咀嚼を続ける。
しかし、やはり飲み込めずに、水筒を出して水を飲んだ。
きゅぽっ、と青年の口から飲み口が離れる。
「……しかし、今日は敵と遭わないな……いや、これはラッキーと思っておくべきなのか……はぁ、先はまだまだ長い、少し休んでいこう」
階段に背を預ける。
痛いとかそんな事は今は言ってられなかった。
「……眠い」
青年は、瞳を閉じる。が、すぐに閉じた瞳を開けて、がば、と起き上がった。
寝てはいけない、今は寝られない。
そんな思いが青年の頭の隅に、無意識に在ったのかもしれない。
そして、このままでは最上階に辿り着けない、と。
「……今日中には辿り着きたいね」
もう一度、水筒の水を飲む。
顔には明らかに疲労の色が出ていた。赤銅の髪は汗にまみれて皮膚に張り付く。気持ち悪い、と思いながらもそれを振り払う事はしない、いや出来ない。そんな気力はもう何処にも無かった。
口からは絶え間無く荒い息が零れる。
それでも、青年は立ち上がり、また何処までも続いているような螺旋階段を登り始める。
しかし、暫くすれば座り込んだ。
そしてまた立ち上がり、登り始める。
座ってはまた立ち上がり、立ち上がっては登り、そして暫くすればまた座り込む。
こんな事をもう何十回と続けただろうか。
ふと、窓を見ると太陽がだんだんと沈んでいっている。
――今日も、辿り着けそうには無いな……。
そう思いながらも足は止めない。
執念の為せる業か。
しかし、何の執念がこの青年には在るというのか。
何が――この青年を突き動かすというのか。
汗まみれになり、衣服が皮膚に張り付いて、体中の水分という水分がぽたぽたと階段に落ちていっているというのに、足はもうボロボロになっているというのに。
「……ぷあっ……まだまだいける……」
何故、止まらないのか。
それは青年にも解らない。
青年はまた、階段へと座る。
苦しそうだった。もう肉体は限界を悟っている。訴えている。
だが――。
青年はたまたま座った所に在った窓から見える風景に魅入っていた。
燃え盛るような夕焼けの紅。青年の瞳と負けず劣らずの紅蓮。
直に夜になる。
やはり、辿り着けなかったか……。
青年はがっくりと肩を落とした。
「……ちぇっ」
残念そうに、青年は呟く。
どうすれば、最上階に辿り着くのだろう。いくらなんでも、もう着いてもおかしくは無いのに……。
外観では、そんなに高くは無かったのだ。精々普通の山一つ分といったぐらいだった。もう結構な距離は登ってきた。しかも、大分速いペースで進んできた。ならば本当に、もう着いてもおかしくはない、おかしくはないはずなのに……おかしい。これは本格的におかしい。
青年は考え出す。
すると、先程まで眼が行かなかった所まで、気付いてくる。
壁に書かれたルーン文字……いや、これは違う。単に侵入者を逃がさないための防除魔術だ。なら……螺旋階段? 否、これも違う。至って普通の螺旋階段だ、何の小細工もされていない。……なら、怪物。これも違う。これまでで五回戦って来たが、どれも違うタイプだった。
――待てよ……。
青年は思い出すように首を捻る。
五回目までは一定の距離を登れば広いフロアに出た。言ってみれば一日で五回のペースで敵と出会っている訳だ。それなのに、どういう事か。今日は一日中登っているのに――敵どころか、広いフロアすらも見ていない。
つまり――。
「……俺は、登ってなんかいない……? まさか」
登っているという感覚があった。登っているという質感があった。登っている時の反響音があった。登っているという……そんな、気が、した。……気が? した?
確かな、感覚では、ない?
……あれ?
おか、しい……?
質感……?
そんなもの、あった、っけか?
反響音?
それは、俺の脳内だけ、で繰り返、れたも、のじゃない、の、か?
青年が、顔を思い切り掌で包み込む。
「クッ……ハハハッハッハッハッ!」
なんだこれは、よく考えてみれば簡単な事ではないか。
青年は階段に後ろ向きに倒れ込んで、今度は腹を両手で押さえ笑い出す。笑い出したら止まらない、青年の中の何かが治まるまでは。そのお陰で中央の吹き抜けに危うく落ちそうになったが、それさえも笑って受け止める。
……流石に落ちたら無事では済まないだろうが。
そんな事も気にせずに笑い続ける。
……やがて、笑いも治まったらしく、青年は涙眼ながらに起き上がった。
「ああ、チクショウ……まんまと騙されちまったよ……。これも、魔術の一種か」
笑いながら、どん、と壁を拳で殴る。
何度も、何度も、何度も、何度も。
……此処まで気付けなかった自分を馬鹿らしく思っているのか。
それとも、単に悔しがっているだけなのか。
暫くして、壁を殴るのも止めた。拳から紅い液体が出ているのは気のせいだ、と青年は自分に言い聞かせる事にした。
「あー、落ち込んでてもしょーがねぇ。……確か、魔術を打ち消すモンが在ったと思うんだけど……」
青年は、笑いを止めて荷物の中を探る。
すぐにお目当てのものは見つかったらしく、それを握って取り出した。見た目は丸薬みたいなモノで、掌ほどの大きさがある。変わっているのはそれが青色をしている点だけだろう。
「……本当に効果あんのかなぁ……? ま、ものは試しっと……」
それを階段に叩き付けた。
ぱぁん、と弾けて、青色の気体が噴出し、周りの大気と混ざる。
「……俺の考えが正しければ……周りの景色は変わっているような気がする! でも心配なんだよな……」
青年の視界は真っ青になっていた。思いの外、煙の量が多すぎる。その煙に、涙眼になり咽たりしながらも青年は煙が消えるのをただただ待ち続けた。
そして、煙が晴れた直後。
青年の眼の前には、探し求めていた『竜眼』が在った。
どうやら、先程までの螺旋階段は全て魔術による幻、と青年は考えたらしい。その勘は的中し、螺旋階段が続いていた塔内部の景色はもう、無くなっていた。
先程までは手を伸ばせば感じられた、壁の質感はもう、ない。
「……吹き抜けの風で幻を見せてたわけだ……チィ、高等魔術の一種じゃねぇか、死ね、この塔造った野郎めが」
その後、どうせ、もうとっくに逝ってるか、と一人で頷く。
そして青年は、開放された空間で一人立ち尽くす。
螺旋階段なんて、とうのとっくに消えていた。それと同じように、中央の吹き抜けだって綺麗さっぱり、消えている。
空の向こう側には、太陽が沈み掛けていた。紅蓮の焔の塊が、だんだんと地平線へと消えていく。その様に少し魅入る。儚い煌きが消え逝くかのような、命の灯火が消え逝くかのような切なさが其処には在った。
……天上を覆うものなど何も無かった。広い円状の空間の四方に明かりを灯す用の台が立っているのみ。地面には、なんだか解らない陣が刻まれている。青年が塔内部の壁で見た、ルーン文字がびっしりと書き込まれ、それをさらに陣で包み込んだような形だ。
そして、その中央に、竜の手を象った台座。
その手の中に納まっていたのは、紅い球体。
魔力を無限に蓄蔵出来るという、あの『竜眼』であった。
青年は堪らずに座り込む。思ったよりも疲労がたまっていたらしい。
「……ざまぁみろ、辿り着いてやったぜ……っはぁ……」
荷物をごそごそと漁りだす。取り出したのはパンだった。
ようやく、一段落ついた、というような顔をして右手に持ったそれにかぶりつく。
……何かを達成した後の食事は、より一層心に沁みるね……。
などと考えながら、無我夢中でパンを貪り食う。
そして、水筒の水を飲む。
「……ぷはっ。オーケィ、後はアレを取るだけだな……」
さて、何が仕掛けてあるかも解らない。慎重に行かなければ……。
此処まで来て死ぬのは勘弁願いたい。そう思って、青年は再度水筒の水を飲む。太陽は、何時の間にか沈みきって、あたり一面は漆黒へと変わっていた。
光といえば、月明かりと星々の明かりだけだ。だが、それだけでも青年の姿ははっきりと見える。灼熱の瞳も、赤銅の髪もはっきりと。
否、月明かりだけで、はっきり見えるはずは無い。
ならば、何故?
……青年の足元の陣が、仄かに輝いて見えた。
「さぁて、んじゃあ早速取らせて頂きますかねぇ……」
そこで、体の異変に気付く。
――おかしいな、俺が飲んだのは水のはずなのに。
まるで、度の強い酒を飲んだみたいに体が熱い。
立ち上がる。
「……この日を二日間待ち望んだんだよなァ……」
――あれ? なんで勝手に体が動く?
青年は、そのまま『竜眼』の方へと歩き出す。
ふらふらと、足元が覚束無いようだ。
頼りない足付き。まるで、酒飲みが酔っ払ったが如く。
「……今いくぜェ……」
――罠かッ!
気付いた時には、もう遅かった。
青年の足は加速を初め、直ぐに走り出す。
だが、青年はそんな事を望んでいない。脳内から必死に止まれ、と命令を出すも、体が拒否する。
……何故、最初に此処に立った時に疑わなかったのか。
青年は悔いる。
正直、油断していた節があったのだろう。
これが、本当に、正真正銘の最後の罠。
地面に描かれた陣の効果だろう。恐らくは、陣の上にのった人物を、思い通りに操れるようにするようなものだ。それとも、ある事を実行させるだけなのかもしれないが。実行内容は簡単だ、走らせればいい。それこそ、塔から飛び降りるまで。
簡単な魔術の類だが――それを逆手に取られやすい訳だ。
だが――
「だからこそ、返されやすいって訳だよ」
ドォン、と銃声。
一発ではなく、六発鳴った。
「だらあああああっ!」
その後、砂埃が舞うほど青年は靴底を地面へと押し付けていた。光り輝く陣を足蹴にして、思い切り摩擦音を鳴らす。しかし、それでも速度は中々に落ちないので、そのまま青年は膝を地面へとつける。ザッ、とジーンズが擦れて熱を帯び、膝が熱くなってきたが青年はそれでも気にせずに我慢し続ける。だが、それでも止まらない。しょうがないので、そのまま体ごと倒れ落ちる事にした。肩から背中から落ちるように頑張って、衝撃を最小限へと抑える。ようやく速度が落ちて、だんだんと静止していく。砂煙と共に他の煙が出ている気がしたが、全く気にしないことにしておく。背中と膝に疼痛が奔るがそれさえも我慢する。傷薬を後で塗っておこう、と青年は思った。
「……ギリギリセーフって所か……。危ねぇな、もう数cmで死んでたぜ……。……まぁ、そんな事はどうでもいいか。さて、此処まで俺をコケにしてくれたんだ。何かやり返さない時が済まん」
成程、良い根性をしているようだ。大声で、青年は罵詈雑言を吐き出す。月明かりと多少の星々が点在するのみの、漆黒の夜の空に、響き渡る声。その声は谺して、四方八方からさらに聞こえてくる。そういえば、此処一帯は山々が在ったな、それのせいかもしれない、と青年は考えた。今の状況にはやはり関係は無いのだが。
……反応が無い。
つまり、何も誰も居ないのか……?
青年が安心して、銃をホルスターに仕舞おうとする。
まさにその瞬間だった。
――それでは望み通りに――
まるで、直接脳内に響き渡るような声。
「……くっ……」
その声に、少し眩暈を覚える。まるで、脳を揺らされたような不快感が、体中を駆け巡った。吐き気がする、気持ちが悪い。……なんて、精神に響く声なのだろうか。
立っていられない。がくり、と肩膝を付いて、額を掌で覆うようにして掴む。その手に自然と握力が掛けられる。みしり、と音が鳴ったが、痛いとは思わなかった。そんな事を気にしていられる場合ではない。
――参上してやろう――
風が、大気が、空間が、揺らぐ。
何かが羽ばたくような音さえも聞こえる。
頭が割れる、狂う、崩れる、壊れる。
体が動かない、否、動けない。
劈くような悲鳴が、空間を包み込んだ。
『……この程度で……ふむ、人間とは脆いものだ……』
「が……ぁっ……テメェ、人間嘗めんなよォ……」
直接響いてくる声に、何とか抵抗して声を上げる。
すると、声の主は、少し穏やかに言った。
『なに……ヒトと会うのは久方振りなものでね……少し嚇(おど)かせてしまったか……』
その声を境に、頭の中に響いてきた痛みは嘘のように消え去る。少し出かけていた涙も必死に堪えて、出さなかった。だが、痛みの余韻は残る。覚束無い足で、立ち上がる。
だんだんと、顔を上げていく。まずは眼の前に脚が見えた。青年の体の数倍はありそうな、極太の脚。そして胴体、月光を受けて煌く白銀の腹が見える。絶え間なく、艶かしく動くそれは、しかし不思議と不快ではなかった。そして――頭。角が生えていて、長い口からは隆々と息が零れる。瞳はこれも白銀の色。しかし、体を覆う鱗は、蒼天に相応しい群青色だった。青年は、かつてこんな生き物を見たことがあるだろうか。
「……龍……」
青年は呟く。
龍と呼ばれる存在の事を。
「……しかも、『神格化』してやがる……」
龍という存在は、敢えて分けるならば二種類存在する。
一つ目は普通の龍。これは知能がまだ十分に発達していない(とはいっても、人間のそれを遙かに凌駕するのだが)。故に人間を極たまに襲ったりするのだが……。これはそうそう在り得ない事だ。龍という存在はあまり他と関わらないように暮らしている。勿論、同属でも然り。
そしてもう一つは、『神格』を持っている龍の事を指す。主にこれは寿命が三千年を越した龍が多い。
基本、龍の寿命は二千年程度と推測されている。これは死骸の骨を調べた結果によるものなのだが。しかし、二千年を遙かに超す三千年。此処まで生きると龍は神と同様に扱われるようになる。これが『神格化』と呼ばれる現象。実際に、神格化して『神格』を持っている龍には、何か神秘的なものが纏わりついているらしい。それは多少魔術をかじったものならば解るぐらい、物凄いもの。
力は絶大。そんな存在を今、眼の前に青年は見ているのだ。
しかし……そんな龍が、何の理由もなく人間を襲うとは考えにくい。
……オーケィ、焦らずクールにいこうぜ……先ずは話し合いからだ。イキナリ襲ってくる事はないだろ。
「俺に何か用かい? じゃなきゃ、龍がわざわざ出向いてくれるとは思えないしな」
『如何にも。その前に、我が何故、『神格』だと解った』
「だてに魔術をかじっちゃいねぇよ。神格ってのは存在自体が別格だからな」
青年が言うと、納得したように龍は眼を細めて首を振った。
動作ごとに大きく動くので、青年は面倒そうだ、と場違いな事を考えた。
「さて、何が用か、言ってもらおうじゃねぇか」
自分の身長の軽く五倍はある、龍の頭の部分を見詰めて、青年はふざけたように問う。
龍は、その問いに躊躇う事無く答えた。
『……では問おう。其処にある『竜眼』を求め、何に遣う』
「特になにも」
『何を求める』
「特になにも」
『何を望む』
「特に……なにも」
青年は、矢継ぎ早に出されていく質問に、全て同じ返答を、全て同じ顔で、全て同じ声で返す。本当に興味もなにも無い、そういう顔と声音だった。
『……ならば、何故、此処に来た』
再度、確認するように龍は問う。
その声には、流石に疑問を含んでいた。
青年は、それに実に面倒くさそうに答える。まるで、それこそが当たり前かのように。夜空に響き渡る、透き通った声で。
「……なぁ、何か勘違いしてるだろ、アンタ……てのもおかしいか」
龍はその言葉に、驚いたかのように訊き返す。
『……何?』
「俺は、何に遣うでもないし何を求めるでもないし何を望むでもないし何を願うでもない。女も富も酒も名誉も何もかもがいらない。何やかんや一切合財十把一絡げ、全部纏めてひっくるめて、欲しいと思うものは何も無い。……俺が求めてるのは、其処にある『竜眼』だけ」
青年は、其処まで言ったところで荷物から水筒を取り出し、水を飲む。龍は何をするでも無しに、その動作を見ているだけだった。こきゅ、と小気味良い音が喉元から鳴り、青年は水筒の口を離す。
そのまま水筒を右手で弄び、再度龍の方へと向いた。
だが、その顔の口は、妖しく笑うように歪み、眼はからかうような眼差しを放っていた。
そして、
「コイツは俺の生き様だ。邪魔する奴はぶっ潰す。今まで、実際そうしてきたし、これからも、そうするつもりだ……。解るだろ? アンタも例外じゃねぇ。いくら神格を持ってても、俺はアンタをぶっ潰す。さぁ、前口上はこの程度で良いだろう? じゃなきゃ、俺はあの『竜眼』を取って逃げさせてもらうぜ――この俺、ラウル=シュヴァルツがな……!」
啖呵を切っての、宣戦布告。
言い終わったと同時に水筒を中空へと放り投げた。からん、と乾いた音が鳴る。
龍は、再度となく確認するように、言う。
だが、双方はもう解りきっていた。
今の啖呵が、前口上が、終った瞬間から、もう戦闘は始まっているのだと。
『……確認する。それは、戦闘行為をする、という事か』
「くどい」
『……了承した』
龍が、翼を広げる。
翼が動き始めて、龍の体がだんだんと空へと浮かんでいく。
青年――ラウルは、その様をただ黙って見ていた。
……どちらにしろ、逃げられない。中央の吹き抜けなどはとうに無いし、降りる階段さえ見当たらないのだから。
ある程度上がったところで、龍が突然、動きを止める。といっても、翼を動き続けたままだが。
――――手加減は出来ない……死を、覚悟せよ。
大きな大きな口を開く。そして、口先に蒼白い塊が収斂していく。だんだんとそれは大きくなり、球状の物体へと変わっていく。……程無くして、大きくなった塊が、高密度の小さな塊へと変貌していく。
「大気よ極限まで圧縮せよ 我が紡ぎ織り成すは壁 風よ集え収斂せよ 我が創るは万象を防ぐ楯」
龍が、その塊を吸い込み、口を閉じる。
ラウルも、次の行動には大体の予想は付いていた。だから、今も着々と詠唱をしているのだ。どう考えても、先程の塊は魔力と呼ばれる精神力の塊だ。しかも、途轍もなく膨大な量の。それを高密度にして、吸い込んだ。これは次の行動の予兆、龍の方も、敵に攻撃を悟らせるとは、絶対的な自信でも在るのだろうか。
そのまま、大きく深呼吸をして、
塊を、吐き出した。
塊は蒼白いレーザー状となり、ラウルの立っている塔の屋上を覆い尽くすほどの太さを持っていた。轟(ゴウ)と無茶苦茶な音を鳴らし、尋常じゃない速度で迫り来るレーザー。
それに併せて、ラウルは両腕を前へと差し出した。
「交わりて全てを打消す矛と成れ 疾風(かぜ)の叫喚」
ラウルの両掌の前に複雑な紋様が描かれた陣が現れる。
「“Storm-gouache(荒れ狂う轟風)”」
爆ぜる。
疾風とレーザー状の咆哮が。
疾風は霧散し、咆哮は散乱する。それらは辺りを囲む霧となって、ラウルの姿を包み込んだ。これで、龍にはラウルの姿が視認し難くなる。
『……古代魔術(ハイエンシェント)……莫迦な。そんな最高等魔術を……何故』
「莫迦も阿呆もあるか……!」
ラウルは大声で威嚇するように叫ぶ。勿論、そんな事が龍に効果があるとは思えないが、やらないよりはマシだろうと思っての行為だ。今の状況だと、霧による目隠しがあるとはいえ、圧倒的にラウルの不利。地の利は相手にあるし、なにより、空を飛んでいる。攻撃手段は魔術しかないと確定出来るだろう。銃などが効く相手とは思えないからだ。しかも、足場は限られている。潰されればそれこそ一瞬で姉妹となりかねない。打開策を早急に考えなければならない状態だ。
「……くそっ、でもそんな卑怯な手段も使わないだろ、龍ってのは紳士だからな」
そんな軽口を叩いても、一向に場を包む空気は和らいだりしない。むしろ、逆に緊迫感という糸が張り詰められた状態になってきた。ラウルは荷物を強引に取り寄せて、急いで中身を探る。もたもたしていられない。もう、龍の方は二発目の準備へと取り掛かっている。焦りがさらに焦りを生んで、巧く目的の物を取り出せない。……間に合わない。
自棄(やけ)になって腕を引き抜き、先程握り締めたものを見る。細長い楕円形の物体、そしてふにゃりとした柔らかい感触。そして鼻を擽る穀物の香り……パンだった。在り得ない、これで死の方程式が確立してしまったではないか。冗談ではない。冗談のような雰囲気ではあるが、冗談で済むものか。ラウルはパンを放り投げて、急いで詠唱を開始する。
「我は抜き 屠るは剣 今一度鞘から放ち 其の力顕現せん」
轟、と唸る。
「“Claimh-Solais(不敗の剣)”」
ラウルは、次の瞬間右手に握られていたモノを揮う。レーザーは真っ二つに分かれて、ぱぁん、と弾ける。まるで、眼の前の空間が隔絶されたような錯覚さえ覚えさせる一撃には、流石の龍と言えども驚きを隠しきれない。轟音が鳴り終わる。
ラウルは安堵する。どうやら塔は何処も崩れてないらしい。咄嗟の機転が此処まで功を奏すとは思ってもいなかった。頭に浮かんだ文字の羅列を必死に掴み取った結果、とでも言うのだろうか。兎に角、ラウルは少しだけ体勢を崩す。だが、直ぐに取り直した。今は戦闘中なのだ。油断など出来ない。ラウルは右手に握られているモノを見やる。刀身は少し弓なりに反っていて、柄には美しい緑の宝石。鞘から抜けば、不敗を誇るという剣。万物に対しての不敗を誇るのが、この剣。そんな事を考えている時に、また、脳内に響くような声が聞こえる。しかし、不快感はもう無かった。しかし、次の言葉でラウルは一気に不快になる。
『……神格形成魔術……失われし咒(ロストミスティック)……とうの昔の禁忌を……何故』
神格形成魔術とは魔力と呼ばれる精神力を、限りなく神格の存在へと近づけてイメージ化し、『神器』として具現する。勿論、実在する神器とは精密な意味では違うが、十分な威力を持っているモノとなるのだ。しかしそれは、ロストミスティックと呼ばれる今は失われたはずの魔術。あまりにも強大過ぎる力を行使する故に、全ての人間から禁忌扱いされ、消えていったはずの魔術。それほどまでに危険、それほどまでに兇器。しかし反面、その強大な力を抑え切れずに、自分自身に反動が来る危険性もあるのだ。
「……さぁて、ね」
無理遣り顔を作って、ブン、と剣を揮う。しかし、そんな素振りさえも見られない。精神的に疲労しているとも思えない。反動が来ているとも思えない。完璧に使いこなしている。……どれだけ、桁外れなのか。
龍ほどではないが、ラウルも常人のそれを遙かに凌駕している。
「……本番は、これからなんだろ?」
『……然り』
「なら、もうお喋りは必要ないな……」
『……然り』
「――疾風よ集いて飛ばせ 我を彼方に」
言葉の応酬は終わり、ラウルは簡易詠唱を開始していた。足元に、渦巻く風が纏わりつく。昨日の簡易詠唱の応用編、とでも言ったところだろうか。軽やかに一歩を踏み出し、剣を揮う。一歩、また一歩と。満天の星空に、龍の全体像がぼんやりと見える。
とん、と今度も軽やかに、跳躍した。否、飛翔という方がより近いだろう。何故ならば、数十メートルはゆうに跳んでいるからだ。一直線に、龍の方へと。次の瞬間には、龍の横側へと滑り込むようにラウルは存在していた。
「ああああっ!」
怒号と共に、剣を振り上げる。龍の体が捩れ、翼の部分が刀身へと当たる。しかしラウルは弾ける反動を使い、さらに回転して横斬り、防がれると翼を掴んでその上へと飛び乗り、切先を突き立てる。が、効果は無い、火花が散るのみだった。仕方が無いので行動を変える。翼の根元ヘ向かって疾走を始める。切先は翼に突き立てたまま、がぎぃ、と嫌な音が耳の中へと入る。昏い夜の空に、火花という光源が増した。
『……邪魔だ……っ』
体を揺する。足場が不安定だったのが余計に不安定になる。しかし、此処で落ちたら本当に死んでしまう。それは避けたかった。というよりも、避けなければならない。
一時的に、少し跳ぶ。治まりそうには無いが、緊急回避のようなモノだ。
が、それがいけなかった。
龍が体を回転させて、翼を思い切り叩き付ける。突然の襲撃に、ラウルも反応が遅れる。辛うじて剣で防いだものの、衝撃はものすごく、遙か下方に向かって落下を開始した。尋常な速度ではない、周りの景色が光速で流れていく。龍の姿がぐん、と遠くなったように感じる。
ラウルは体を強引に回転させて、足を地面の方向へと向ける。
「弾けろっ」
突如、ラウルの進行方向が変わる。塔の屋上の方へと本当に弾けるように吹き飛び、先程までの落下が嘘のようだった。そのまま、陣の描かれた地面へと着地する。砂煙が舞い、足の裏に熱を感じる。靴の底が磨り減ったのは間違いないだろう。
「……チィッ、消耗が激しいな……」
左腕を押さえて、そう呟く。あれほどの一撃だ。龍の質量などを考えればとんでもない威力には間違いは無い。現に、今ラウルは吐血した。口の中に鉄の味が広がる。喉元がねばねばとして唾が飲み込みにくいし、気持ち悪い。痰と共に吐き出す紅い液体は、見るに耐えない。
早々に決着をつけなければ。ラウルは焦り始めた。
先程の魔術行使で、魔力がかなり消耗されている。空を飛ぶなんて真似はしたくはなかったのだが、あの状況下では仕方なかった。しかし、おかげで、此方は激しく消耗してしまったわけなのだが。
……愚痴を言っても始まらない。寧ろ、終わるだけだ。
銃……は、もう役に立ちそうに無いな……やりたくなかったんだけど……しょうがない。
決心して、剣を握り締める。
そして、詠唱を開始しようとする。
が、それも叶わずに。
「――?!」
風が、啼く。右の脇腹に、衝撃が奔る。まるで、馬にでも思い切り蹴られたかのような衝撃。めしめしめしぃ、と骨が鳴り軋み、体を変な方向へと弓反り型にして吹き飛ぶラウル。地面に着陸したところでさらに勢いが加えられて横回転を繰り返す。着陸するごとに宙に浮き上がりを数回。最後にラウルは仰向けの状態で止まった。右手に持っていた剣も、もうあんなにも遠くに転がっている。といっても、ラウルは今そんな事を確認出来る状況ではなかった。顔を横に向けて、嗚咽と共に吐き出した大量の血液。……何をした、何をされた。今自分は何で地面に寝転がっている? 理解出来ない、といった風にラウルは血反吐を再度と吐く。立ち上がろうと手を付けるも、起き上がれない。体がそれを拒否するかのように倒れ伏せる。動けない、動けない、動かない。
……ざけてる。ラウルは思う。
一撃貰っただけなのに……どういう事か。威力が桁違いどころではない。次元が違う、とでも言おうか。
『……どうした、一撃で終いか? もう少し愉しめると思ったのだが……』
脳に響くその声に、ラウルは先程のように返せない。
……やばい、目の前の景色さえも霞んできた……。
それを見て、龍は言う。
『……もういい。諦めろ。しかし、良くやった……敬意を表しよう。せめて痛み無く逝け』
その言葉に、ラウルの意識が覚醒する。……何をやっている、俺は。むざむざと殺されに来たのか? 違うだろう、『竜眼』を手に入れるためじゃないのか……。胸の中で呟く。仰向けのまま首を振って、自分の考えを否定する。死にに来たわけではない、と。天を仰ぐ。龍が、蒼白い魔力の塊を創造していた。
「……なんで……くっそ。死んでる場合じゃねぇぞ……」
がば、と一気に起き上がる。腹部に疼痛が起こったが、気にしていられるはずが無かった。一時の痛みと、一生の死。どちらかを選べと言われたら、誰でも答えは決まっている。口の中にいつの間にか鉄の味が広がっている気がしたが、全て気のせいという事にしておく。紅い液体が口から垂れているような気もするが、それは幻覚だと自分の脳髄に刻み込んでおく。足が縺れてこけそうになるのを必死に堪える。せめて……荷物と剣だけでもせめて取らなければ。きっと、今から詠唱したってもう遅い。たかが遠くても十数メートルの距離なのに……果てしなく遠く感じる。それでも、先ずは荷物を取り上げた。中身を覗き込み、探し物をする。直ぐに見つかったので、そのまま取り出して口の中へと放り込む。がり、と噛み砕き、そのまま剣の所へと走る。
轟。
音が鳴り、体に響く。そして、バランスを崩してそのまま転倒。結構な勢いがついていたので、全身が疼いた。ばき、とあばらの方から聞こえた気がする。
からん、と右手に何かが当たった。握る。そして、叫ぶ。
「“Claimh――――Solais”」
刹那、紅い光がラウルの周りをドーム上に包み込んでいた。紅く燃える朱の灼熱。それは、蒼の咆哮とぶつかりあって、激しく反発しあう。ほんの一瞬の出来事。爆ぜて双方共に消えてなくなる。
が、光は再度と現れて、ラウルの右手の剣へと収束を始める。そして、立ち上がる。どうやら、先程噛み砕いた即効性の痛み止めが効いてきたようだ。しかしそれでも、体は満身創痍の状態なのだ。
龍の方を見ると、体をうねらせて、驚いた風に眼を細めていた。
体が軋むような痛みはもう感じなかった。痛み止めは思ったより効果があったらしい。しかも、もう喉の奥から血が噴き出す感覚も無い。どうやら、止血の効果もあるようだ。薬屋で安物のモノなのだが、何でこんなに効いているのだろう。ラウルはこのまま腹でも下すのではないか、と場違いにも程がある考えをしていた。今も本当は立っているのも危ないのだ。実際に、剣を突き立てて体を支えている。誰が見ても解るほど、無理をしているのだ。
龍が、口を開けた。警戒して身構える。とはいっても、しゃがんで刀身に身を隠すぐらいしか出来ないのだが。
『……再度と問おう。……何故、『竜眼』を求めるか』
一番最初の問いを繰り返されて、ラウルは少し苛立った。なんでまたそんな事を訊くのか。もう確認も終了して、双方共に納得した事だろう。それはラウルにとって、侮蔑に等しい行為ではないのか。嫌だという思いを、思い切り顔に出しながら、ラウルは答えた。
「……それが俺の生き様だから。秘宝を探し出し、手に入れるのが俺の存在意義だから」
しん、と辺りを静寂が包み込む。風が冷たい。そういえば、この季節は寒いんだったか。ラウルは苛々した気分を紛らわせるために、そんな事を思った。警戒は解いてはいない。もしかしたら、今から襲われる可能性もあるということなのだ。先と同じように。
『……持っていくが良い。もう十分だ』
「はぁ?」
その言葉を聞いた瞬間、剣を握る手の力が一気に無くなっていく。そして、握力が無くなった手は剣の柄を離して、拠り所を無くした体は地面へと倒れる。随分と派手な倒れ方をしてしまったが、体は痛くない。……夢か。そう一瞬思ったが、痛み止めの効果なのだろうか。しかし、痛み止めとは痛覚を失くすものではなかったような気もするのだが。
っつか、テメェさっき痛みなく逝かせてやろう、とかいったばかりなのにもう前言撤回かよ。
横たわりながら、そんな事も考えてしまった。
大体なんだ、その変わり様は。仮にも先程まで死闘を繰り広げていたのだ。態度の変わり方が急すぎる。怪訝な表情を浮かべるが、龍は構わずに続けていく。
『持っていけ。実力は十分だ。そして、貴様の決意も揺ぎ無い。器も上々、我は貴様に期待するとしようか』
「は? ちょっと待て」
『……何か問題でもあるのか』
「いやいやいや、そういう事じゃなくてだな……なんだ、その態度の急変は」
問題とかそういう事ではなくて、それ以前の事だろう。ラウルはもう力さえ入らない、といった風に仰向けになり、剣を離す。紅い光が霧散し始めて、漆黒へと溶け込んでいく。やがて、天空にある数々の明かりだけを残して、消えていった。そして、剣も消えていく。魔力で造ったものなのだから、当たり前といえば当たり前なのだが。
魔力で造ったものは大抵暫くすれば魔術行使した本人の魔力が切れて消えてしまう。特殊な加工をすれば、その時間を延ばせるらしい。全く関係ない事象であるが。
『……我は『竜眼』の守護龍だ。我が貴様を認めた。十分ではないか?』
「あー……うん、そうだね……ってなんで?」
正直今は頭が錯乱状態だ。もう、何か裏があるとしか思えない。いや、絶対にある。
ラウルは確信に似た思いを抱きながら、ごろごろ、と横へと転がっていく。陣が描かれている、というより彫られている為、でこぼこしていて、少し変な感じがした。地面の冷たさが、皮膚に直に感じる。かなり錯乱していた頭の中身も冷却されていく。……もう一度転がる。
ごろごろごろ、とそのまま横に転がり続けて、屋上の端までいったら逆方向へと転がっていく。それを数回繰り返した後、中央に仰向けで止まる。天を仰ぐようにして手を広げる。灼熱の双眸はちゃんと龍を射抜いている。深呼吸を一回する。風が頬を凪いでいき、体が震える。
……少し血を流しすぎたか、景色が霞んで見える。錯乱状態だった事もあって、大分精神的にも肉体的にも危なっかしい状態なのだ。
「や……ば……」
呟く。けれど、かすれて、ほとんど声にもなっていなかった。だんだんと、視界が暗転し始める。気味が悪いその感覚に吐き気を催しながら、ラウルは顔を手で覆った。
しかし、それでも意識は朦朧としてくる。
……やがて、ラウルの意識は闇へと堕ちていった。
ざぁ、と風が横へと流れていく、舗装のされていない田舎道。砂利が摩擦等で大分薄くなっている靴の裏に当たり擦れ、音を鳴らす。道端に生えている草が、一斉にたなびいていく。其処には目的地も特に定めずに、ひたすら前へと歩き続ける青年が居た。白い上着が、砂埃などで変色している。ジーンズは所々破れた痕が在り、皮膚が覗いていた。右手には艶やかな紅い球体が握られている。それを放り投げては受け取りを繰り返しながら歩いていく。
ふと、思いついたように立ち止まる。
「……あれ、あの後結局どうなったんだ?」
気が付いたら右手に紅い球体……魔力を無限に貯蓄出来るという『竜眼』を握り締めながら、近くの村に倒れ伏せていた訳だが。……もう一度よく思い出してみようか。青年――ラウル=シュヴァルツは赤銅の髪を揺らしながら思う。
俺は蒼天の塔と言うところで、今握っている『竜眼』を探していた訳で、それで見つかって何故か龍と戦う事になって、気を失って、今に至る。何か大事な部分が抜け落ちている気がしないでもないが、多分これで合ってるのではないか。
……まぁ、兎にも角にも生きているのだ。これだけでいいじゃないか。
「つかこれ、どうしようかな」
右手に握り締めている『竜眼』を大袈裟に見やる。
ま、いいや。投げ遣りな風に考えて、荷物に乱雑に入れる。
――もう少し、丁寧に扱え。
……今の声は……。ラウルは記憶を辿って声の主だと思われる人物を思い出そうとする。直ぐに予想は付いた。結論も出た。だけど、在り得ないはずだ。ていうか、人物じゃないじゃないか。ラウルは呆けて立ち尽くす。あれ、そういえば、なんで怪我が治ってるんだろう。普通に歩けてるし、肋骨の方も折れていたのに、もうそんな気配はない。試しに少し力を入れて腹を押さえてみたが、痛みは無かった。……違う、今は先程の声の事を考えていたんだろうが……。声がしたのは荷物の方からだ。……正直、開ける勇気が湧いてこない……どうしよう、このまま無視して走り去る事も可能なのだが。ラウルは思いながら、顔を掌で覆う。
……無駄だな。
ラウルは胸を張って深呼吸を始める。一回、二回と新鮮な空気を肺一杯に吸い込んで決意を固めようとする。……無理だ、固められるかボケッ。荷物を降ろして思い切り揺らす。
『……やめろ!』
……勘弁してくれ。そんな事を思いながら、荷物を開ける。中には、先程入れた紅い球体、『竜眼』とその横に、本当の龍が居た。次の瞬間、一気に紐を締めて口を閉じる。ラウルはそのままそこら辺の木にジャイアントスイングで中身がぶちまける程の勢いで叩きつけたかったが、中には結構大事なものも入ってるので流石に躊躇った。
「なんで居るんだよッ! テメェとは昨日か一昨日かに戦ったじゃねぇか!」
ぼす、と無理遣りに口から首だけを出す龍に対して、大声で叫ぶラウル。
そのまま、体を無理遣り出して、中空へと向かい飛ぶ。ラウルの丁度斜め四十五度の角度の地点で龍は止まった。小さい。塔で戦った時の数倍は小さいだろう。しかし、その体は塔で見たときのそれとは全く違っていた。可愛らしい先の丸まった角、真ん丸な銀の瞳、体を覆う群青の鱗はくっ付いていて、まるでぬいぐるみみたいにふかふかな皮になっていた。……頭が痛くなってきた。頭痛薬は無かっただろうか。荷物の中を探る。
『言っただろう? 我は『竜眼』の守護龍だと』
そんなラウルの気持ちなど龍に解る訳が無い。にやり、といやらしい笑みを浮かべてラウルに言う。
「……あー、つまり、守護龍だから此処に居る、と? 塔で見張り番でもして来いよっ。つーか何処から出てきたんだよっ」
『その通りだが、何故我が塔の見張りをせねばならん。そもそも、宝が無くなった場所などに存在価値は如何程も感じられん』
「……そうでもないと思うが……」
全く持って、ラウルの言う通りである。あれ程のモノだ。貴重なルーン文字を壁一面に彫ってあり、そしてその塔を造っている物質も特殊な物。さらに、高等魔術が掛かっている。最上階に辿り着けたのならば、地面に書かれた陣も希少なものだろう。宝物は無いとはいえども、考古学者達にはそれ自体が宝物であるはずだ。……連絡すれば、報奨金でも貰えないかな、とラウルはくだらない思考を働かせた。
「……ん、待てよ。んじゃあ、俺の旅について来るって事か?!」
『……そういう事になるな』
冷静に言う龍。
……一拍遅れて、ラウルが反応する。
「……えぇぇええぇえっ?! ……勘弁してくれよ……くそっ。……いっそのこと『竜眼』を打ち壊せばコイツは居なくなるって事だよなでもそれだと頑張った意味が無くなるし売りに出しても意味ねぇだろうな拒否するだろうし全く嫌なパートナーを……待てよ、有効に使えばいいじゃないか……」
最後の方は確実に独り言が入っていた。
『その独り言を呟く癖を直した方が良いと思うぞ、我は』
言いながら、ちょこん、とラウルの肩に留まる龍。翼を閉じて、休んでいる。意外と重さは感じなかった。どうやら、重量も本当のぬいぐるみ並みに軽いようだ。
ラウルは未だにブツブツと独り言を言っている。完璧に龍の一言を聞こえていないみたいだ。
『……その集中力を他に使え……怪我を治したのは誰だと思ってるんだ……』
「だからコイツを戦闘の時に……あ、今何つった? 怪我を治したのはお前なのか?」
『此処までつれてきてやったのも我だ。感謝ぐらいして欲しいものだが』
唖然として、龍の方を見やる。
そして、そういえば、『竜眼』のリュウは、竜と書くのに、何故普通のリュウは龍と書くのだろうか、と考えたが、それは昔誰かに習った気がしないでもない。確か、空想上の存在が竜で、実在するのが龍だったはず。ラウルはそんな事を思った。如何程も関係ないが。
「……頼んでない。だから絶対感謝の言葉も述べん! あと、お前。可愛らしい外見と言葉の古さのギャップをどーにかしろ。可笑しくてかなわん」
『……横暴な』
流石のラウルの態度に、龍は呆れを隠しきれていない。はぁ、と口から零れた嘆息は空気に雑ざって消えていく。ラウルはそんな龍など構わずに、歩き始めた。
『……おい、何処へ行く』
「気が向くまま、風が誘うままに。目的地なんて決めてられっか。旅人ってのはな、気儘に生きるんだよ」
『……まぁいいだろう。こういうのも、たまには悪くは無い』
だろ? とラウルは肩に乗っている龍に向かって微笑う。それに龍も釣られて微笑い返す。
そして、赤銅の髪を揺らし、灼熱の瞳に光を反射させて。
ラウル=シュヴァルツは果てまで続くような道を駆け出した。
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2006/03/14(Tue)15:05:59 公開 /
渡来人
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■作者からのメッセージ
ログが飛んでいたのには正直ビックリしました。しょうがないかな、もう。という訳で、一偏に投稿。長いです。そして、期待していた方々ごめんなさい。クオリティ低すぎです。ラストがやはり冗長になっているかも。すぱっと決めたいものですが、難しいですね……言い訳は止めときましょうか。もし、ログが消える前にレスを下さり、そして返せなかった方々すいません。今此処で、短いですが感謝の気持ちを述べさせていただきます。本当に有難う御座いました。
“Brionac”ブリューナク
“Muspellheim”ムスペル(またはムスペッル)ヘイム
“difrecsio・vent”ディフレクシオ(またはデフレクシオ)ヴェント
“Storm-gouache”ストーム・ガッシュ
“Claimh-Solais”クラウ・ソラス
という訳で、読み方を此処に乗せておきます。後、訳は正しくは無いので、これで勉強しないで下さいね。
それでは最後に、こんな長く、そして支離滅裂な文章を読んでいただいて、本当に有難う御座いました。