- 『たかちゃんぐるめ 〜ふゆのなべもの〜』 作者:バニラダヌキ / お笑い 未分類
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全角82837文字
容量165674 bytes
原稿用紙約247.45枚
ひょんなことから自炊を思い立った、なかよし三人組の行く手には、やはりなんだかよくわからない意味なし展開が待ち受けているのであった――脱力のたかちゃんシリーズ最新作。なお、精神年齢14歳以下の皆様は、保護者同伴の上お読み下さい。その際、保護者の方の精神年齢も、厳重にご確認下さい。
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いんとろ【♪つんつんつん、つんつんつ、つつつん♪】
……ぎろり。
はい、そこの無精髭を生やしたあなた、たった今、せんせいのお話を聞かないで、窓からお外をながめていましたね。
お外には、なにが見えましたか?
――ほう。ゆうやけぞらがまっかっか、とんびがくるりとわをかいた、ほーいのほい?
――どこのだれにおそわったやら、そんななつかしのめろでぃーでこの場をごまかそうとしても、そうはまいりませんよ。
せんせいが、いぜんのせんせいのようにたるみきった、教育者の風上にも置けないクサレ教師だと思ったら、それはおおきなまちがいです。この琥珀色にシブく輝くブ厚い鼈甲縁眼鏡、そして拓○大学教育学部首席卒業・陸上自衛隊四年在籍のけいれきは、けして伊達ではありませんよ。
――こっちに、いらっしゃい。
……きこえませんでしたか?
こ・っ・ち・に・い・ら・っ・し・ゃ・い。
――はい。
…………。
くぬ!!
くぬ! くぬ!! くぬ!!! くぬ!!!! くぬ!!!!!
……さいしょから、すなおにゆーことをきいていれば、あすのあさひもおがめたものを。
おや、そこのなにやらいっけんこんじょーの入ったこれみよがしのソリコミのあなた、なにかいいたいことがおありのようですね。
おやまあ、ずいぶんセコいナイフをお持ちですこと。
「こんなババアにナメられちゃいらんねえ」?
……まだ30年ちょっとしか生きていないおんなざかりを、いつからこの国では、『婆あ』と呼ぶようになったんでしょう。
この日本には、昔から、素晴らしい格言が多々あります。
――肉を切らせて、骨を断つ。
そんなチンケなサバイバル・ナイフなど、左下腕の外側で受けてしまえば、右手の指であなたの眼球をただの破れたゼラチン膜に変えてあげるなど、いともたやすいことなのですよ。
私は留学先のロスで、一度はあのスティーブン・セガールを蹴り殺しかけたこともあるおんなです。
しかし、あえて正式な段位は得ておりません。
ということは――刃渡り15センチのサバイバル・ナイフを振りかざした身長180センチのとっちゃんぼうやのひとりやふたり地獄に落としてやったところで、裁判では立派な正当防衛が成立するのですよ。
――ナメんじゃねえぞオラぁ!!
はい、その態度は、あすのあさひをおがむために、とっても賢明な態度ですね。あらあら、そんなにかしこまらなくっても。はいはい、そこでアワ吹いてるオトモダチを、やさしく手当してさしあげてくださいね。
うふふふふ、せんせい、きちんとマジメにお話さえ聴いてくだされば、おっきなぼうやは、ほんとはだーいすきなんですよ。くりくりお目々のかわゆいチワワなんかよりも、人の2・3人はズタズタに噛み殺した土佐犬のほうが、ずうっとシメがいがありますものね。
はい! それでは『よいこのお話ルーム・リニューアル版』、でも中身はあいかわらずなんだかよくわからない『たかちゃんぐるめ 〜ふゆのなべもの〜 』、始まりまーす。
★ ★
さて、ふゆやすみもおわり、しゅくだい関係のしゅら場もきれいさっぱり水に流してしまったある冬の土曜日、たかちゃんは担任のおんなせんせいと、あいかわらず熱いたたかいをくりひろげております。
「はい、それでは――かたぎりたかこさん」
せんせいが、最後のしつもんを発します。その声は、なにがなし震えているようです。
にゅうがくいらい、このてんねんむすめには、はいぼくしっぱなし――。
対峙するたかちゃんのお目々が、めらめらと闘志に燃えます。
実は今晩7時をもって、たかちゃんは晴れてななつになります。ですからこんかいの勝負は、むっつさいごの、きねんすべきしょうぶでもあります。
この理科のじゅぎょうにしょうりすれば、あとはもうなんら思い残すことなく、おうちでお誕生会――。
そんなたかちゃんの気負いをがぶりよつに受けて、せんせいのお目々が、きらりと光ります。
「――お日様は、どっちから昇って、どっちに沈みますか?」
どうじゃ小娘、いかに無敵の天然と言えど、さすがにこの単純な設問には、ボケられまい――。
ごきんじょ席のくにこちゃんやゆうこちゃん、そしてきょうしつ中のみんなも、固唾を飲んで、本日再終幕を見守ります。
たかちゃんは慌てず騒がず、ちっちゃいお手々で、びしっと右方向をゆびさします。ろうかの窓から見える丘陵の斜面には、いかにもせかいのはてらしい、雪をかぶった枯山水がひろがっております。
「あっち、から」
それからちっちゃいお手々を、くるりんと左のグランド方向にまわし、
「そっちに」
教室のみんなが、おう、と息を飲みます。そう、それはやっぱし、自由へと続く真理。
せんせいが、がっくしと肩を落とします。
なぜ私は、はっきりと『東西南北』を設問に入れなかった!?
――まあ、お日さまなどというものは、せかい中のどこにいても、おおむね『あっち』から昇って『そっち』に沈みます。ですから、これは正解です。ちなみに、『こっち』とか『むこう』でも、やっぱしせいかいです。
こうしてたかちゃんは、きょうもせんせいにしょうりしたのです。
そのいち【♪つんつくつくつく、つんつんつん♪】
さて、そのかえりみち、いつものようにのどかな住吉神社のあたりを歩きながら、
「♪ はーるかーなほーしがー、ふるーさーとだー ♪」
たかちゃんはじょうきげんで、うるとらせぶんの歌をうたいます。
「♪ うるとらーせぶん、ひーろー、せぶーん、うるとらーせぶん、せぶーん、せぶーん ♪」
くにこちゃんはもう夏のおわりに、ゆうこちゃんも冬のはじめにななつになっているので、ちょっぴりおねえさんらしく、そんなたかちゃんを鷹揚にみまもっています。
「♪ べんべべべんべーん、べんべんべん ♪ べんべべべんべーん、べんべんべん ♪」
こんどはだぶるおーせぶん、ジェームス・ボンドのテーマの元祖サントラ盤を歌ったりします。
「♪ ちゃちゃっちゃちゃーらららー、ちゃーりらりーらー、ちゃりらー ♪」
くにこちゃんやゆうこちゃんは、たかちゃんとちがって、おうちでそんな古い特撮番組や古いアクション映画のびでおを見せまくる、おたくっぽいパパがいません。ですから、なんで「べんべんべん」や「ちゃーりらりーらー」なのかはちっともわからないのですが、あえてじょうきげんのたかちゃんに、みずをさすようなやぼはしません。なにしろ、ほいくえんいらい、半生に及ぶ竹馬の友ですものね。
「……たかこ、らんどせるおいたら、すぐに行ってもいいか?」
くにこちゃんが、おずおずと訊ねます。
今日のなかよしさんにんぐみせんようのお誕生会は、さんじのおやつからはじまって、ばんごはんまでのよていです。でも、くにこちゃんは、なんだか訳ありげです。そういえば、きょうはのらいぬをみつけても、ちからなくためいきをつくだけです。いつもなら、すぐにおいかけてはがいじめにしたり、しっぽをつかんでふりまわしたりするはずなんですけどね。
「うん? いいよ。おひるごはんも、いっしょにたべよー」
「……ごくり」
くにこちゃんは、おもいつめたお顔で喉を鳴らします。そんなくにこちゃんのお肩を、ゆうこちゃんが、むごんでぽんぽんしてあげます。
それには、こんな深い事情があるのでした。
くにこちゃんのおかあさんは、いっしゅうかんほど前から、お産でにゅういんしています。はじめのうちは、もう四人目の子供だから虫がかぶったらタクシー呼べばらくしょー、そんなふうに夫婦で思っていたのですが、どうやら4人目はくにこちゃん似のとってもかっぱつなお子さんらしく、おなかのなかでげんきにあばれたりしたため、いつのまにかさかさまになってしまったのですね。
さて、のこされたちちおやは、さっぱりした気性だけがうりものの、はっきりいってせいかつのーりょくにとても乏しい下駄屋さんです。すいじせんたくなどはきっちり不得手ですし、ヘルパーさんに来てもらったり、店屋物でご飯を済ませるお金もありません。そして長女のくにこちゃんも、まだいちねんせいなので、おりょうりなどはできません。もっともくにこちゃんのばあい、たとえはたちになっても、いいえ、おっとやこどもができてからも、おりょうりなどというめめしい行為は、とことん忌避するたいぷのお子さんです。
「きょうのあさめしも、らーめんだった」
みっかまえから、おんなし愚痴をくりかえしています。
ゆうこちゃんは、きのどくそうにたずねます。
「やっぱし、ふくろの、らーめん?」
くにこちゃんは、ちからなくこくこくします。
「まあ、おとついのあさまでは、まだましだった。もやしやたまごがはいってた。おとついの晩っから、もうなんにも、はいってない。きゅうしょくがなければ、おれはもう、しぬ」
かばうまさんにたかろうにも、かばうまさんの公休日は、はるか来週の水曜です。
ゆうこちゃんは、さらに気を利かせてたずねます。
「……おひるは、おうちにくる?」
おやつやおゆーしょくがたかちゃんちだから、あんましふたんをかけては、しつれいなのではないか――そんな、ゆーこちゃんらしい、そだちのよさです。
くにこちゃんは、かんしゃのまなざしをうかべながら、ふるふると首をふります。
「さんきゅ。きもちは、うれしい。でも、ゆーこんちのひるめしは、ばたくさいからなあ」
ゆうこちゃんのおうちは、ばんごはん以外、たいてい洋食系です。それもお金持ちらしく、よーろっぱの本場物のちーずやばたーが、ふんだんに入っています。いっぽうくにこちゃんのおうちは、おみおつけやおひたしがめいんの、まるで明治時代のしょみんのような食生活を送っています。ですから、くにこちゃんは、いまだにそっち系がにがてです。
でも、武士は食わねど高楊枝――なんだかちょっとさびしそうなゆうこちゃんを、ぎゃくになでなでしてあげる、男らしいくにこちゃんです。
たかちゃんが、ぶいぶいとじこしゅちょうします。
「きっとママが、なんか、もうできてるよ。ふとまきとか、おいなりさんとか」
「……ぐびり」
前途に希望の光が見えたからでしょう、くにこちゃんの足取りも、軽くなります。
「いやー、これでもう、へんな夢とは、おさらばだ」
たかちゃんとゆうこちゃんは、はてな顔です。
「いや、おとついっから、らーめんになった夢ばかりみてな」
「らーめんに、なる? くにこちゃん?」
なんだかとってもおもしろそう――たかちゃんは、そうぞう力をフル回転させます。しかし人間がラーメンそのものになるという状況は、さすがに脳内でビジュアル化しません。
「――やっぱし、ふくろらーめん? それとも、かっぷめん?」
「いんや、モノホンのらーめんだ。かばうまにたかるとでてくるみたいな、うまいらーめんだ」
くにこちゃんは、まんざらでもないお顔でせつめいします。
「おれは、きれいなどんぶりばちに入ってる。おつゆがほかほかで、きもちいい。ほかほか、ゆげもたってる。ぐもいっぱい、頭にのってる。だから、らーめんになるのは、しあわせだ」
そのシヤワセそうなお顔が、やがて曇ります。
「でも、もんだいは、ひとが食いにくるのだ。はしでつまんで、くちにいれて、のみこもうとするのだ」
それは、ちょっとやだなあ――たかちゃんとゆうこちゃんは、思わず顔を見合わせます。
「だから、おれは、にげる」
こうきゅう飯店の豪華らーめんになってしまったくにこちゃんが、いかなる手段で逃亡するのか――たかちゃんの肥大化した想像力をもってしても、ゆうこちゃんの繊細な思いやりのこころをもってしても、やっぱりビジュアル化できません。
「……どーやって、にげるの?」
「はじめは、くろうしたんだけどなあ」
くにこちゃんは、感慨深げに呟きます。
「なれてみると、あんがい、かんたんだ。どんぶりばちごと、ゆっさゆっさ、からだをゆする。そーすると、がったんごっとん、なんとか、まえにすすむのだ。でも、そーやって逃げてると、どーしても、おつゆがこぼれる。ああ、もったいない。でもやっぱし、くわれるのはやだからなあ。あのちゅーか屋のくるくるまわるとこを、いっしょーけんめい逃げるのだ。そのうち、ぐも、こぼれる。おつゆが、みーんななくなる。それでも、にげる。――あれは、とてもかなしい」
くにこちゃんは、なんだか遠い目をして、空を仰いでいます。
鳥のからあげさんも、もうできてるといいなあ――つくづくそう願う、たかちゃんでした。
★ ★
「ただいまー」
くにこちゃんやゆうこちゃんとひとまずわかれて、たかちゃんはととととととおうちにかけこみます。
ようちえんの頃、てぃらのさうるすさんやみんくくじらさんがこわしてしまったおうちより、ちょっとりっぱなおうちです。
たかちゃんのパパは、とってもやさしいパパなのですが、なんといっても昔はこみけにいりびたりだったおたくやろうですので、年間所得は中の下です。そうした所得層は、こいずみ首相がこの前つめたくみかぎってしまったので、いまのあめりか盲従型政治が続く限り、早急にかそうかいきゅう化するのは目にみえています。
でも、たかちゃんのおうちでは、なんといってもママがちがいます。災害保険の水増し請求から日々のパートまでなんでもござれの、すてきなママです。らいおんさんやひぐまさんやうみぼうずさんにまで、尊敬されているくらいですものね。
「おかえりなさい、たかちゃん」
おだいどこでおりょうりしていたママが、にっこしわらいます。
いつもみたいに、とってもやさしいママです。
たかちゃんはとりあえず、ママのせなかにすりすりします。
ようちえんのころは、もっぱらおしりにすりすりしていたのですが、たかちゃんもこの春にはもう2ねんせい、ほっぺたはもうママのお腰のうえまでとどきます。ですから、ママのおたくごろしのいろっぽくくびれたひっぷらいんなどは、もっぱらパパのすりすり専用に、もどっています。
「ねえねえ、とりのからあげさん、もうできた?」
ママは、きょとんとしてたずねます。
「お昼は、炒飯なの。三時のおやつと晩ご飯は、お昼食べてから、いっしょに買い物に行きましょうね」
どうやらおいなりさんも、ふとまきさんも、まだみたいです。でも、たかちゃんのおうちのちゃーはんには、ちゃあんとやきぶたさんやたまねぎさんや、なんかいろいろはいっています。ぐのないふくろらーめんと比べたら、大ごちそうと言っていいでしょう。
「ちゃーはん、くにこちゃんのも。くにこちゃん、たいへんなの」
たかちゃんの豊かな想像力の世界では、さっき別れたばかりのくにこちゃんが、もうすっかりおどんぶりに浸かっています。
「まいにちらーめんばっかしで、もうすぐ、らーめんになっちゃうの」
いっぽんいっぽんの麺に、ちっちゃなくにこちゃんのお顔がくっついて、からみあいもつれあいながら、今しもかばうまさんにたべられようとしています。ただ、大量の極小くにこちゃんも、かばうまさんも、双方極めてシヤワセそうな顔をしているので、さほど陰惨な光景ではありません。
ママはにこにこと、たかちゃんのおつむをなでなでします。くにこちゃんのママとお友達なので、なんとなく事情を察知できるのですね。
「あらあら、じゃあ、こんどはラーメンじゃなくて、おいしい炒飯になっちゃうかも」
たかちゃんの脳裏に、ふと、ひとつぶひとつぶのお米のかわりに、大量の極小くにこちゃんがちゅうかなべで炒められている光景などが浮かびます。火にあぶられてつらいかと思いきや、みんなにこにこしています。大量の焼き豚さんや玉葱さんといっしょなので、あんがい楽しいのかもしれません。
★ ★
「ごめんなさい。しつれいつかまつります」
げんかんからのっそりとはいってくるとき、くにこちゃんのごあいさつは、いつもへんです。曹洞宗や真言宗のお寺さんにとっかえひっかえ入りびたって、修証義や真言ばっかり習っているからかもしれません。また、今日は背中におおきな風呂敷包みをしょったりしているので、もっとへんです。でも、きっとそれが、お誕生のぷれぜんとなのですね。
「やっほー、くにこちゃん、どどんぱっ!」
「おう、ぱんぱどぱん」
いつものようにどどんぱ語でごあいさつしたあと、
「あるつはいまー!」
くにこちゃんがかまします。
「ないぞうはれつ!」
間髪を入れず、たかちゃんが返します。
いったん終結したかに思われた紛争でも、ゆうこちゃんのいないところでは、まだ火種が燻り続けているのでしょうか。でも、ふたりの交わすびみょうな視線を見るかぎり、そこには、陣営こそ違え、熾烈な戦いを通して得た勇者同士の熱いシンパシーが香り立っているようです。ふたりをみまもるおかあさんのまなざしも、なぜかすべてを悟っているように、おだやかで、おごそかです。
「いっぱいあるから、いっぱい食べてね」
ふろしきづつみをおろし、だいにんぐのテーブルに着いたくにこちゃんのお目々から、いたいけな涙がひとすじながれます。
「なまんだぶなまんだぶなまんだぶ」
殊勝に手を合わせお経を唱えつつ、しかし唇の両端はしまりなく上方に円弧を描き、両眼はよくぼうにうるんでいます。
「はぐはぐはぐはぐ、がう、はぐはぐはぐ」
れんげをあやつるのももどかしげに、お皿に顔をすりよせてかきこむその姿は、なにか痩せ細った雨夜の野良犬が、一宿一飯の光明を得たかのようです。
おむかいのたかちゃんは、そうしたくにこちゃんの姿には慣れっこなので、ちっとも動ぜずに自分の炒飯をぱくついていますが、となりのママは、さすがに胸を痛めます。しばしれんげの手を休め、くにこちゃんのおつむをぽんぽんします。
「がう?」
「食べ終わったら、くにこちゃんもいっしょに、お買い物しましょうね。今日は、おやつも晩ご飯も、くにこちゃんの好きな物にしましょ」
こくこくうなずくたかちゃんと、慈愛に満ちたママの笑顔を、くにこちゃんはなんだか呆然としたようなお顔で見比べています。喜びが飽和を超越した時、人間というものは、そんなお顔をしてしまうものなのですね。
「……おい、たかこ」
「うん?」
「おまいんちのおふくろさんは、ぼさつさまのうまれかわりだ」
思わずれんげを置いて、神妙に合掌するくにこちゃんです。
「かんじーざいぼーさつ、ぎょーじんはんにゃーはーらーみーたーじー」
残りご飯と残り焼き豚と残り玉葱で菩薩様に祭り上げられてしまったママは、ちょっと困ったようなお顔で笑っていますが、実は味付けにある種のサンスクリット寺院系調味料など使用したりしているので、くにこちゃんの宗教的評価が嬉しかったりもします。
たかちゃんは、例によって、なんにもかんがえていません。そもそもぼさつさまとさつまいもの違いもわかりません。でも、ぼさつさまもさつまいもも、ママもパパもたかちゃんもくにこちゃんもゆうこちゃんも、そして路傍のぺんぺん草も実は根源的に同一の存在である、そんな感覚を、たかちゃんはうまれながらに備えています。ですから、なーんにもかんがえていないこと自体が、たかちゃんのたかちゃんたるゆえん、万物との縁起なのです。
さて、お話の人の悪い趣味で、妙に抹香臭くなってきたこのお話ですが、よいこのみなさん、けしてしんぱいはいりませんよ。その証拠にママの携帯が、実にまあ作為的なタイミングで、お話の人好みのめろでぃーを奏でます。中島みゆきさんの、『時代』みたいです。
「あらあら。――はい、片桐です。はいはい。あらまあ、ムラマツさん。ええ、ええ、どうもお世話になっております。――えーと、はい、すみません。今日はちょっと、どうしても都合がつかなくて――えっ!? イデ隊員とアラシ隊員が、南太平洋でビートルごと行方不明!? はい、核実験で変異したミロガンダが、オアフ島に接近中――わかりました。ただちに現場に向かいます!」
そんな思いっきし説明的な会話を交わしたのち、申し訳なさそうに、しかし厳格な表情でたかちゃんとくにこちゃんに頭を下げます。
「ごめんね。ママ、急にパートのお仕事入っちゃったの。すぐに帰れると思うけど――後で電話するね。なにかあったら、そこのお電話メモのところにね」
「はーい。いってらっしゃーい」
ママはそのまんまとたぱたと、お二階に駆け上がって行きます。む、三分しかない、急がねば――そんなお声も聞こえたようです。
ぼーぜんとしているくにこちゃんを尻目に、たかちゃんは、のどかにひらひらとお手々をふっています。
二階のベランダのほうから、ただならぬ轟音と振動がひびき、てーぶるの上のなんかいろいろが踊ります。しゅわっち、という叫びも響いたようです。
「おっと」
くにこちゃんは、宙に舞ったちゃーはんをはんしゃてきに確保して、それからおずおずとたずねます。
「……たかこ。おまいのおふくろさんは、いつも、ああか?」
たかちゃんは、へーぜんとちゃーはんをぱくつきながら、
「うん。ときどき」
きわめてとーぜんといったその顔つきに、くにこちゃんも気を取り直し、ちゃーはんの残りにかかります。
でも、やっぱしなにか腑に落ちないので、
「……どこで、パートしてんだ?」
「うん。げつようとかようは、えきまえのすーぱー」
「ふんふん」
「でね、もくようときんようは、かがくとくそうたい」
「……そうか」
やはりあのおふくろさんは、ぼさつさまではないにしろ、ただものではなかったのだ――くにこちゃんは、なっとくしてれんげをほおばります。ちゃーはんのお味も、なんだかありがたみが増したようです。
そうして、ふと壁のホワイトボードに目をやると、そこにはこんなまるまっこい字が、ぴんくのマーカーで踊っていました。
〜ママのきんきゅうれんらくさき〜
【月・火】 すーぱーまるほん かいけいじむ
0428―××―2856
【木・金】 かとくたいきょくとーしぶ だいひょう
03―××××―5249
だれもでないとき
×××―×××× (りゅうせいばっち、ちょくつう)
★ ★
さて、その日の三時ちょっとまえ、たかちゃんちに続く淡雪の住宅街を、ゆうこちゃんがしゃなりしゃなりとあるいています。
白いボアに縁取られた白いコートは、いっけんそこそこのキッズ・ブランドのようですが、実はとんでもねーケタの舶来こうきゅうぶらんどです。午後から降り出したふわふわの牡丹雪が、絶対に合成繊維などではない繊細なボアにそこはかとなくまとわり、ゆうこちゃんのかわゆいくちびるから流れる白い吐息にちょっと溶けて、きらきらとみずみずしく輝いたりします。それを描写するお話づくりの人も、なんでたかちゃんやくにこちゃんにはそこまで描写がないのにゆーこちゃんだけこんなにねんいりなのか、そんな読者の疑惑を真っ向から受けて、もはや開き直っております。
ゆうこちゃんは、やっぱり白いボアのついたちっちゃいてぶくろで、なにか細長い角箱を、だいじそうにかかえています。きれいならっぴんぐやおりぼんは、きっとゆうこちゃんのお手製なのでしょう、ちょっぴり乱れたり型くずれしたりしていますが、それだけにまたけなげで愛しかったりします。おうちを出るとき、恵子さんがきちんとびにーるをかぶせてくれたので、雪でぬれてしまうしんぱいもありません。
――ぷれぜんと、とってもとっても、いっしょーけんめいつくったの。たかちゃん、よろこんでくれるかなー。
期待より不安がどうしても上回ってしまうのは、やっぱりゆうこちゃんらしい、そだちのよさなのでしょうね。
さて、雪になってしまったからでしょうか、見てくれだけはそこそこの中流住宅街に、道行く人の姿は、ゆうこちゃんいがい、ひとりもありません。のらねこさんのおやこが、いっときお屋根のある居所を探して、さびしげに道をよこぎったりするだけです。
このアブないご時世に、こんな美幼女をひとりあるきさせとくなんて、親はいったい何を考えているのだ――はい、そんなしんぱいは、ごむようですよ。気のちいさいまなむすめに、いちにちもはやくじしゅせいをみにつけてもらうため、「たかちゃんちはごきんじょだから、ゆーこ、ひとりでいけるの」という当人の言葉を形だけ尊重してはおりますが、なんといってもおーがねもちのおじょーさま、それに昨年の拉致未遂事件などもありますので、きっちり三人のSPが、密かに従っております。
このSPのみなさんは、むかし陸上自衛隊に勤務していた、わたくしのせんぱいにあたる方々です。全員柔道空手の有段者であり人格堅固、とうぜん銃器の操作もお茶の子ですし、また野に下っては、銃刀法に触れない範囲の民需品を用いて人知れず敵を葬り去る体技なども、しっかり会得しております。現に、ここまでゆうこちゃんを護衛してくるわずかなあいだにも、刺身包丁を手に徘徊していた分裂症の主婦を無事拘束したり、胡乱な車で女児を見繕っていたうんこっぽい鬼畜を、事故死にみせかけてたまがわにしずめたりしております。また、さくねんまつにおこったいたましい事件のはんにんがいまだにそーさせんじょーにうかばないのは、実はすでに渓谷の水底によこたわって、おさかなさんたちの冬越しの餌になり、白骨と化しつつあるからです。
ゆうこちゃんが、ぶじにたかちゃんちのお玄関に着いたのをかくにんし、SPさんたちは、物陰で長い待機の態勢にはいります。わたくし同様、知床の原野で生死を賭けたサバイバル訓練なども受けておりますので、この程度の雪や寒気は、春風同様です。
――ぴんぽーん。
ゆうこちゃんがいんたーほんのぼたんを押しますと、
『はーい。ゆーこちゃん? あいてるよー』
たかちゃんのあけっぴろげなお声とともに、なんだか奇妙な声や音が聞こえてきます。
『♪ しょーけんごーうんかいくーどーいっさいくーやく ♪』
そんなくにこちゃんのお声に、ちんちーん、と、鈴《りん》の響きが混じります。
くびをかしげながらドアをひらきますと、ぷーん、と、なんだかいんきくさいお線香のけむりが流れ出します。
ゆうこちゃんは、とってもしんぱいなきもちに、なってしまいます。
おたんじょーびだとばっかし思っていたのに、これはもしや、お葬式の音や匂いではないのか。
あまつさえ、ぽくぽくぽく、などというもくぎょの音まで響いてきます。
おっかなびっくりろうかをすすみ、声のする応接間をのぞきこみますと、
「ちがうちがう、たかこ。そこは、りんを、ちょっとおさえて打つのだ」
「ありゃりゃ」
たかちゃんとくにこちゃんは、てーぶるの上にちょこんと正座し、おごそかなお顔で向かい合い、法事を営んでいるようです。
「もーいっぺん、はじめっからだ」
「ほーい」
「こほん。――かいきょーげ。♪むーじょーじんじんみーみょうほう、ひゃくせんまんごーなんそーぐー、……もくぎょは、まだだぞ」
たかちゃんは木魚撥を手に、わくわくとたいみんぐをみはからっています。
「あ、ゆーこちゃん、みてみて。もくぎょさんだよ。ほんものだよ!」
ゆうこちゃんは、ぼーぜんと立ち竦みます。
たしかに、りっぱに時代のついた木魚のようです。ひょうめんの彫りなどはずいぶんすりへっておりますが、けしてみすぼらしくはなく、日々のおつとめのまごころが、奥深い光沢からうかがえます。
「おう、ゆーこ。おまいも、おつとめ、やるか?」
香炉や線香差まで、きっちり並んでいるようです。
くにこちゃんのしょってきた風呂敷には、こんなぷれぜんとが包まれていたのですね。
★ ★
「いやー、いきつけのてらのぼーさんが、ふるいのを、くれたのだ」
たかちゃんが淹れなおしたお茶をすすりながら、くにこちゃんが胸を張ります。
「せこはんでも、これでまいにち、ただしいおつとめができる」
きっとビンボでぷれぜんとの買えないくにこちゃんのために、お坊様が、気を利かせてくれたのですね。
「ほんとは、ただの檀家にもくぎょまではいらないんだが、やっぱし、あったほうが、きあいがはいるからなあ」
たかちゃんは、そのもくぎょさんがいちばん気に入ったらしく、ごきげんでかかえこみ、ぽくぽくと軽快なエイト・ビートを奏でています。しんからうれしそうなそのお顔に、ゆうこちゃんは、あらためてたかちゃんというにんげんのふところの深さを、感じ入ったりします。
「……あの、あの……」
ぽ、と頬を赤らめながら、ゆうこちゃんもプレゼントをさしだします。
「おたんじょーび、おめでとー」
「わーい! またまた、ぷれぜんとぷれぜんと」
たかちゃんはもくぎょを置くと、なんの遠慮もなく、がしっとその細長い角箱を我が物にします。
でも、ゆうこちゃんがなんども包みなおしたキティーちゃんのらっぴんぐや、なんどもなんども結びなおしたぴんくのおリボンなどは、とっても綺麗なので、ていねいに開きます。
「わあ……」
箱の中では、パステルカラーのいろんなお花さんたちが、花たばになっています。ただのお花さんたちではなくて、ちょっと造花っぽいのですが、それでもきっちりみずみずしく、お花畑に咲いてるかんじです。
ぽぽ、と、ゆーこちゃんのほっぺが、もっと赤くなります。
「……あのね、ママにおそわって、つくったの。どらい・ふらわーなの。おうちの、おんしつで……」
「わーい、さんきゅー。すごいすごい」
たかちゃんは、ぶいぶいとくにこちゃんにみせびらかします。
「ほらほら、お花さんの、みいら! かわいい、みいら!」
くにこちゃんも、お花さんはさておいて、みいらは大好きです。きょねんのG・Wにはまだ知らなかったのですが、過去に入定したお上人様たちは、けっこうみいらになったりしているのですね。自分もいずれはりっぱなみいらになってみたい、そんなあこがれがあります。
「ほう。これは、みごとなものだ。ありがたや、ありがたや」
おもわずお花さんたちに、合掌します。
ゆうこちゃんは、まあちょっとした齟齬は感じたりしているものの、たかちゃんがおおよろこびなのは明らかですから、ほっとひといきです。
くんくんと花束さんを嗅ぎまわしていたたかちゃんは、まんなかあたりに、なんだか見たことのないお花をみつけます。白くてちっこい花びらがたくさんつんつんした、とっても清楚なお花です。
「ねえねえ、この白いくてかわいいの、なんのお花?」
ゆうこちゃんはおずおずと、ママに教わった蘊蓄をたれます。
「うーんとね、『ひとりしずか』っていうの。きょうの、お花なんだって。たかちゃんの、おたんじょー日のお花。でね、花ことばが、『せいひつ』なんだって」
「わーい、せーひつ、せーひつ!」
大よろこびしているたかちゃんに、くにこちゃんがたずねます。
「せーひつって、なんだ?」
たかちゃんは、にこにこ顔のまんま、ふるふると頭を振ります。『静謐』などとゆーむずかしそーな言葉は、知っているわけがありません。とりあえず、うれしいので喜んでみただけです。
「うーんとね、しずかで、おしとやかなんだって」
ゆーこちゃんのウンチクの続きに、くにこちゃんは、ちょっぴり疑問を抱きます。たかこは、はたして『せーひつ』だろうか。
「わーい。たかちゃん、しずかでおとしやか」
まあ、めでたい日だからな。今日はそーゆーことにしといてやろう。
そんなふたりのいーかげんな心を知ってか知らずか、ゆうこちゃんは、またほっとしています。
実はママに教わった話だと、おたんじょーびのお花にはいろんな説があって、きょうのお花も、もうひとつあるのでした。
ボケの花です。
花言葉は、『熱情』『早熟』、また『魅力的な人』『指導者』、かと思えば『平凡』やら『妖精の輝き』やら、その名にふさわしく、なにがなんだかよくわかりません。
ゆうこちゃんも、さいしょにそれを聞いたとき、ほんとうはそっちのほうがたかちゃんなのかなあ、などとも考えたのですが、せっかくのお祝いの日ですから、あえてやさしいっぽいほうを選んであげたのですね。
★ ★
さて、ほんじつのじゅーだいいべんと・プレゼントのお披露目は、なしくずしに無事終了しました。
しかし、事後のもんだいがやまづみです。かんじんのママが、まだ帰って来てくれません。とーぜん、3じに華々しくとうじょうするはずだったごうかなばーすでーけーきも、姿を現しません。晩ご飯のご馳走は、なおのことその気配すら漂ってきません。
くにこちゃんのおなかが、ぐう、と鳴ります。
「……えーと、ばーずでーぷれぜんとのつぎは、やっぱし、ばーすでーけーき。まあ、ふつう、だいたい、そんなかんじだわなあ」
おのれのよくぼうを、あたかもせけんの良識のように糊塗しつつ、しゅちょうします。おひるに喰らったたいりょうのちゃーはんは、とっくの昔に消化されています。
たかちゃんも、異議なしでこくこくします。ちゃーはんはまだおなかにのこっていたのですが、なんといっても晴れてななつのお誕生会、むせきにんなやらずぶったくりは、おとなへのかいだんを確実にいっぽ昇りつつあるおんなとしての、自尊心が許しません。
ととととととお電話に駆け寄って、かとくたいきょくとーしぶを呼び出します。
「あのね、あたし、たかちゃん。かたぎりたかこ。はーい。ママ、いますか?」
お電話の向こうでは、なにやら切羽詰まった怒号が飛び交っています。お電話に出てくれたフジ・アキコ隊員のお声も、いつものようにやさしいお声でありながら、なんだかびみょうにアセっているようです。
「……はーい。うん、わかりました。ありがとー」
たかちゃんはきちんとお礼を言って、お電話にぺこりと頭を下げます。
「どーだった?」
「うん。まだ、みなみたいへーよー」
ちょっとおこまりで、くちびるをとんがらせたりします。
「みろがんださんといっしょに、まりあなかいこーで、まだ、おしごと」
正確には、すでに巨大グリーンモンスと化してしまった食虫植物ミロガンダと組んずほぐれつ、南太平洋から西太平洋に戦いの場を移し、マリアナ海溝のチャレンジャー海淵――地球上で最も深い海底に沈みつつあったのですが、さすがのたかちゃんでも、その詳細はつかめません。
ぴぽぴぽと、こんどはちょくつーのばっちに、お電話します。
「……あ、ママ! やっほー! あのね、あのね、けーきさんと、ばんごはん――」
でも、電話口のママは、なんだかとっても忙しそうです。
『ごめんね、たかちゃん。もうちょっと、かかりそうなの。うん。海坊主さんも来てくれたから、夜までには帰れると思うんだけど――でゅわっ!!』
ママの雄々しい叫びに続き、巨大うみぼうずさんの、蚊の鳴くようなかわいらしいお声も聞こえます。
『まあまあミロガンダさん、まあそんなに事を荒立てないで。同じUMA仲間じゃありませんか。これしきの放射能、一億六千万年もすれば半減しますから。寸足らずな人類なんて、ほっときましょうよ』
『ぎゃおおおおん』
みろがんださんは、まだちょっとごきげんななめのようです。
『たかちゃん、ほんとにごめんね。夕方には、パパが帰ってくるから、不二家かデニーズで――とうっ!!』
『それじゃあミロガンダさん。お話の続きは、錦糸町のガード下の、あの屋台でいかがでしょう。おや、ご存知なかった? おかみさんの故郷から、うまい地酒が届いておりましてねえ』
『……ぎゃお?』
なんとか事態は収束に向かいつつあるようです。しかし、予断は許されません。けーきもごちそーも、まだまだみたいです。
『おなかがすいたら、おだいどこの具ー多――ああん、そこ駄目! ああもう、戸棚の上のお盆の下にお札があるから、ピザでもお寿司でも――くぬ! くぬ!』
――ぷつん。
こうなると、さすがのたかちゃんも、とほーにくれます。
「……しゅわっち!」
おもわずさくらんして、うるとらまんに変身したりします。でも、それはやっぱし気合いだけの変身なので、飛び上がっても、すとんとちゃくちするだけです。これからなんべんもお誕生会をひらいて、おっきいおねえさんになったら、ママみたくなれるのかもしれません。
「まて。おまいが行っても、しかたがない」
よこでお電話を聞いていたくにこちゃんが、たかちゃんをおしとどめます。ゆうこちゃんも、やさしくたかちゃんのお肩を抱きます。
くにこちゃんは、おもむろに結跏趺坐します。
半眼となって、しばし精神とういつののち、
「りん! ひょう! とう! しゃ! かい! じん! れつ! ざい! ぜん!」
おとくいの、目にも止まらぬ九字の印。しかしこんかいのもくてきは、不動様ではありません。
「おんまゆらきらんでいそわか! くじゃくみょーおー!!」
ひとさしゆび2ほんの印を結びます。
――ずずずずずずずずず。
お庭に面したお窓から、なにやらきんきらきんの光がさしこみます。
くにこちゃんが、りりしいお顔でうなずきます。
「みろがんだが、ほーしゃのーで怒ってるんなら、あいては、くじゃくだ」
みんなで目を細めながらお外をのぞくと、お庭からはみだしそうにして、それはもう有りがたみのある金色の大孔雀明王様が、降臨なさっております。いぜんのねこちゃんのひたいのようなセコいお庭ではなく、そこそこのお庭ですから、かなり大きな明王様です。ちゅーとはんぱに洋風のツー・バイ・フォーが立ち並ぶ住宅街は、あんまし居心地が良くないのか、淡雪の中でうさんくさげにきょときょとと首をまわし、そのついでにつんつん羽根をつくろったりしているお姿は、きょねんの秋にたかちゃんがパパやママとたまどーぶつえんに行ったとき、はなしがいになっていたくじゃくさんとそっくりです。
「こいつは、どくっぽいのを、なんでもたべる」
くにこちゃん同様、きょーじんな消化力を備えた明王様のようです。
くにこちゃんがお窓からのりだして、ごにょごにょとみみうちすると、はじめは乗り気薄だった孔雀明王様のお目々が、きりりと引き締まります。それはそうですね。いつも迷惑カラスさんの退治やら鼠さんの駆除などばかりやらされているのに、こんどはなんといっても、突然変異巨大食虫植物関係です。
「おし、いってこい!」
くー、と清らかに一鳴き、孔雀明王様がはばたきます。
雪のしじまに、数知れぬ金色の小羽根が舞います。
きりりと見おくるくにこちゃん、うるうるとかんどーのまなざしのゆうこちゃん、ごきんじょのものかげで社会通念のコペルニクス的転回に呆然自失しているさんにんのSPさん――そしてたかちゃんは、いつものようになんのきんちょーかんもなく、ひらひらとお手々をふります。
「いってらっしゃーい。よろしくねー」
★ ★
孔雀明王様を見送ったのち、おだいどこに進軍したたかちゃんたちは、さっそくママの言っていたびちくしょくりょうや、いんとく資金のそうさくをかいしします。ゆうがたパパが帰ってくるまで、手をこまねいてうんめいにみをまかせるほど、だじゃくなたかちゃんたちではありません。
「……これが、うわさにきく『ぐーた』か」
くにこちゃんは、シンクの下にかっぷめん関係のくりあ・ぼっくすを発見し、おそるおそる検分します。
「……ふくろらーめんより、すごく、おもい。かさかさ、いろんな音もする。これは、ただものではない」
たかちゃんは踏み台にのっかり、うんしょうんしょと背伸びして、とだなの上をさぐっています。
「たべる?」
「――いーのか?」
お札のお盆さがしにいそがしいたかちゃんのかわりに、ゆーこちゃんが、電気ポットやなんかいろいろ、かいがいしくお世話をしてあげます。
「いやあ、わるいなあ、おればっかし」
まあ、こんな短時間でおなかをすかせられるのは、くにこちゃんくらいしかいません。もっともゆうこちゃんなどは、どんなにおなかがすいていても、いんすたんとめんやれとると食品などというげせんなたべものには手を出さないよう、おうちでしつけられています。
おなべであっためたれとるとのぐを、ゆうこちゃんが、めんのうえにのせてあげます。ちょっとしたおりょうりのおてつだいなどは、恵子さんがこっそり教えてあげているのですね。
「……これは、ほんとうに、かっぷめんのなかまか」
くにこちゃんは、ちゃーはんの時ほどではありませんが、やっぱしじわっと涙をうかべます。
「ずるずるずる。うん、んまいんまい。ずるるるる、んまいぞ。けほけほ、けほ」
おもわずめんを気管にすいこんでしまい、むせかえるくにこちゃんのお背中を、ゆうこちゃんがぽんぽんしてあげます。
「けほ。すまんすまん」
ものめずらしそうにかっぷをのぞいているゆうこちゃんに、くにこちゃんは、めんとぐを、ちょっとつまんでさしだします。
ゆうこちゃんは、ぽ、と頬を赤らめ、おっかなびっくりお口に入れます。
「んまいな」
「……うん!」
ほんとうはゆうこちゃんも、いっぺんいんすたんとしょくひんを食べてみたくて、しょうがなかったのですね。
さて、そのとき――
「おう! みっけ!」
ふみだいのたかちゃんが叫びます。
ととととととてーぶるにかけてきて、
「みてみて。すごいすごい」
お手々がぷるぷるとふるえています。
「のぐちのおじさんじゃないよ! おねーさんだよ!」
くにこちゃんも、いきをのみます。
つやつやのお札の上で、とさか頭の野口英世さんではなく、のっぺり白塗りの樋口一葉さんが、やさしくほほえんでいます。
「…………これは、もしかして、ごせんえんさつというものか?」
くにこちゃんのお声も、ぷるぷるふるえています。
たかちゃんは、いっしゅんすごく不安になってしまいます。そんなばくだいなざいほうが、我が掌中に存在していいものだろうか――こきゅーをととのえ、おさつのすみっこの、まるの数をかぞえます。
「いち、じゅー、ひゃく、せん……ご!」
こりはたいへん! やっぱし、てんもんがくてきなきんがくのおさつです。
「……おい、たかこ」
くにこちゃんが、真顔でたずねます。
「おまいんち、もしか、ゆーこんちよりもかねもちか?」
たかちゃんは、なんぼなんでもそこまでではないだろうと思いますが、あるいはそれに近いのかもしれないと、くびをひねります。ゆうこちゃんは、もともと『げんきん』という下賎な通貨とはほとんどおつきあいがないので、ただきょとんとしています。
くにこちゃんは、てーぶるのすみにおいてあったくりあふぁいるに、ふらふらと手を伸ばします。たかちゃんのママが、パート疲れの時やなんとなく家事を手抜きしたい時に利用している、あっちこっちのデリバリー食品パンフです。印刷用画像処理時、実物以上に詐欺スレスレまで彩度を高められた、おすし、ぴざ、かまめし、てんぷら、ふらいどちきん、そのた、もうなんかいろいろ――くにこちゃんのお目々は、もはやウツロです。脳内のシナプスの街道を、盆と正月とくりすますとお誕生日が、徒党を組んで暴走行為に及んでいます。お口の中に、とめどなくだえきがあふれます。
「……ごくらくだ」
たかちゃんも、お目々に透過率50パーセントの乳白色レイヤーを重ね、すでに正気を失っています。ごせんえんとゆーてんもんがくてきなおさつがあれば、お部屋いっぱいのばーすでーけーきを買ってきて、うきよのしがらみをなにもかもかなぐりすて、そのなかにだいびんぐしたり、さらにもぐりこんでありさんごっこができるのではないか――そんなファンタジーの世界に旅立っています。
ゆーこちゃんだけが、かろうじて理性を保っております。生半可な経済感覚とは無縁なだけに、せんえんもごせんえんもまんえんも、おじさんやおばさんのお顔が違うだけみたい、そんなかんかくです。
「……あの、あの、たまごさんと、はちみつさんと、かっちゃだめ?」
おずおずと、おねだりモードでたずねます。
「うん? そんなもんなら、ひゃくおくまん個は、買えるぞ」
くにこちゃんの説得力に満ちた計算結果に、たかちゃんも、こくこくとうなずきます。
ゆうこちゃんが、にっこし笑います。
「たかちゃんに、たまごやき、やいてあげるの。おたんじょう日だもん。恵子さんに、おそわったの。たまごやき、はちみつさん入れると、とってもおいしーんだよ?」
たかちゃんのおつむに、ぴーん、となにかがひらめきます。
あこがれの、とんとんとん、ぐつぐつぐつ。
もうようちえんのころから、おだいどこの包丁さんやお鍋さんを使って、とんとんとんやぐつぐつぐつをやってみたくてしょーがなかったのですが、それはおっきーおねーさんになってからと、いまのところきんしです。でも、きょうはひじょうじたいです。ほんとうなら、ママがりっぱなお誕生日のごちそうを作ってくれるはずだったのに、きゅうにおでかけしてしまったのです。そして、だいじなおきゃくさまをおもてなしするときは、てづくりのおりょうりがいちばんといつも言っているのも、そのママにほかなりません。
もうすぐななつなのだから、おっきーおねーさんだって、きっと、もうすぐ。とんとんやぐつぐつのみならず、じゃーじゃーじゃーだって、ゆるされてもいい――。
あまいきけんなおとなのひあそびのゆーわくが、たかちゃんをさしまねきます。あこがれのきゅーしょく係のおねーさんなども、まぶたにうかびます。
たかちゃんは、たからかにていげんします。
「ねえねえ、おかいものにいこう。でね、でね、たかちゃん、おりょうりするの!」
そのに【♪つんつくつくつく、つんつんつん♪】
(注・めろでぃーが、そのいちと、ちょっとちがう)
…………困りましたねえ。
なにゆえ、あのソリコミのお坊ちゃん方は、それっきり学校に出てこないのでしょう。よいこのみなさん、どなかたご存知ありませんか?
いえいえ、アタマの末路は知っております。面会謝絶で、生死の境をさまよっていらっしゃるそうですねえ。ほんとに何があったのかしら、お気の毒に。私も昨夜こっそり集中治療室にお見舞いして、今後の長生きのためのより良い身の振り方など、呼吸器のチューブを思わせぶりに弄びながら、親身に助言してまいりました。したがってあの件につきましては、もうきれいさっぱり、なんの心配もありません。
しかし……なにゆえ、他のソリコミ仲間のよいこの方々まで、それっきり姿を現さないのでしょう。
この国には、とても美しい言葉が多々あります。『仁義』『義理』『根性』『侠気《おとこぎ》』――もはや乱れきったこの国では、突破者すらヤクザの皮を被った金の亡者に成り下がり、真の武闘の気迫を失ってしまっているのでしょうか。せんせい、ロスでの熱いストリート・ファイトの日々を想いつつ、わざわざ毎晩、いちばん暗い物騒な道をひとりで帰っておりますのに。うるうるうる。このままでは、あなた方のようなモヤシでもヘチマでも木偶人形でもなんでもいーから、この鍛え抜いた拳で、思わず無差別にしこたまかわいがってさしあげたくなったりしちゃったりするではありませんか。
あー、拳が疼く。脚がわななく。
――はい! 気分を変えましょう!
せんかたない血の滾《たぎ》りは、ほどの良い体練で冷ますのがいちばんです。
こうしましょう。今回の『よいこのお話ルーム』は、今窓から見える街外れの小高い丘、あの森の中でたっぷり語ってさしあげます。木漏れ日の下で、たとえつかのまでも、弛緩した戦士の休息を満喫するのです。
どなたですか、あすこまで何十キロあると思ってんだ、そんな惰弱な泣き言をおっしゃるよいこの方は。
はい、そこの顔だけは立派にひねてふてくされた、しかし伸びきったパンツのゴムのような上腕筋しか、仮にも男子の腕に備えていらっしゃらないペンペン草のようなあなた、あすのあさひもおがみたければ、丘まで20キロ、しっかり全力疾走いたしましょうね。
ほうら! 青空を、白い雲が鴎のように流れて行きます!
その彼方には、緑深い原生林の丘陵が広がっております。
野生の血の騒ぐまま果てしなく原野を駆ける、それもまた人生というサバイバル・ゲームの、大切な要素です。
ほらほら、あなた、血を吐いたくらいでなんですか! 血は吐いても弱音は吐かない、それが戦士の生きざまというものですよ。いいえ、生きとし生ける者すべてが、『生存』という死を賭した戦闘の、戦士なのですよ。
さあ、みんな! 青空の下を、雲といっしょに走るんだ!
太陽に向かって走るんだ!
これが青春だ!
……でも、今回のお話は、やっぱり走りながら語ってさしあげますね。時間のつごうもありますし、すでに過半数のよいこが、後方の路傍で、しかばねのように横たわっております。どうやらしかばねそのものと化してしまった方も、いらっしゃるようです。フル・スロットルでまだたかだか10キロ弱、これしきのことで心拍停止に陥ったり脳の血管がぷっつんぷっつん切れたりするようでは、あすこに着いてからだと、みなさん、ひとりも生き残っていらっしゃらない可能性がありますので。
はい! それでは『よいこのお話ルーム』、全力疾走しながら、続きの始まりでーす。
よっ、はっ、ほっ、と。
★ ★
そうしてこんごのほーしんが定まったなかよし3にん組は、ちらちら小雪のなかを、えきまえのすーぱーにむかって進軍します。
「♪ ゆき〜のしんぐん 氷をふんで〜 ど〜れが河やら道さえしれず〜 ♪ うま〜はたおれる すててもおけず〜 こ〜こはいずくぞ みなてきのくに〜♪」
脳内に湧きいずるアドレナリンの命じるまま、もはや日露戦争従軍時のひいひいおじーちゃんの遺伝子きおくすらよみがえり、すっかりハイなたかちゃんです。
くにこちゃんも、ひそーなけついをかためております。
「♪ 焼か〜ぬひものに 半にえめしに〜 な〜まじいのちのあるそのうちは〜 ♪ こら〜えきれない さ〜むさのたきび〜 け〜むいはずだよ なま木がいぶる〜 ♪」
第二次大戦中、満州の荒野を彷徨ったひいおじーちゃんのいでんし記憶が、ありありとよみがえっております。
じつはくにこちゃんのばあい、おりょーりなどというめめしいこういに走るのは、ほんらいのやまとだましいが許さないのですが、たかちゃんのていげんのあとじっくりパンフ類をちぇっくしたところ、いかにおーがねもちの樋口一葉おねーさんでも、こうかなでりばりーしょくひんに対抗するにはその数量において限界がある、そんなきびしいげんじつにゆきあたったのでした。樋口一葉さんというお方は、ほんとうは、清貧の沼に咲いた一輪の睡蓮さんだったのですね。
――いつか、おふくろが、いっていた。てんやものをとるおかねがあれば、じぶんなら、もっとうまいおかずをたいりょーにつくれると。うちのおふくろは、たかこのおふくろとはまたちがったいみで、そんけーにあたいする。おやじもつよいが、ふくろらーめんしか、にてくれない。おふくろは、ほっぺたのおっこちそうにうまいおいものにっころがしなどもつくれる、てんさいなのだ。そしておれも、そのなもなきてんさいの血を、ひいているのだ――。
そんな勇壮な中にも貧しい一兵卒の悲哀をたたえた軍歌精神など、ちっとも縁のない上流階級の家系を持つゆうこちゃんは、
「♪ ゆ〜き〜の〜ふ〜る〜よ〜は〜 たの〜し〜い ぺ〜ち〜か〜 ♪」
こころのなかでちまちまと歌いながら、ほわほわと叙情にひたっております。
おんぷーき、けした、かぎ、かけた――あまあまのおじょーさまとはいえ、お手伝いの恵子さんが陰に日向に民衆きょういくをしてあげているので、そんなしっかりした事後確認も、きちんとできるゆうこちゃんです。
「もくひょー、はっけん!」
たかちゃんが、雄々しくぜんぽうをゆびさします。
そこには、えきまえのすーぱーまるほんが、あたかも雪の旅順要塞のごとく、てっぺきのぼうぎょをほこっております。
「こーりゃく、かいし! とつげきー!」
★ ★
さてそのように ♪デテクルテキハ〜 ミナミナコロセ〜♪ 正確には ♪どどそそどどど〜 みどみどそそど〜♪ などと雄々しく吶喊したものの、せかいのはて・おうめのすーぱーのこと、店内はきわめてのどかそのものです。もうそろそろゆうごはんのしたくでピーク・タイムをむかえるじこくなのですが、雪がふっているためか、もともとあんまし人類が住んでいないのか、れじの行列もほとんどありません。
それでもたかちゃんたちは、意気揚々とカートを押してとつにゅうします。
まずは、ゆうこちゃんのりくえすと、たまごのこうりゃくにかかります。
「おう……」
たまごうりばをまえに、たかちゃんは、たちすくみます。
ママといっしょのおかいもののときだと、そーいったきほんてきしょくひんは、ほとんどママにまかせっきりです。たかちゃんはどちらかとゆーと、いりもしないきれいな色のたべものや、ふたりはぷりきゅあの食玩などをよくぼーのおもむくがままカートにほうりこみ、ママに「めっ」されるのが、おもなおしごとです。ですから、いざじっくりとたまご売り場をながめるのは、これがはじめてです。
白いのやら赤いのやらおっきーのやらちっこいのやら、なんだかずいぶんいろんなたまごがならんでいます。にわとりさんといういきものは、こんなにたくさんのいろんなたまごを産むのでしょうか。それともたかちゃんがまだ知らないだけで、よのなかには、にわとりのMさん一家、L型にわとり、さらには赤いにわとりさんなども棲息しているのでしょうか。
ゆうこちゃんも、たかちゃんよりなお場数を踏んでいないので、ちょっと手が出せません。よって、突入直後から膠着状態に陥ってしまった戦線を切り開けるのは、くにこちゃんしかおりません。
「これだな」
わきめもふらず、いちばん安いM玉ぱっくをカートに入れます。おふくろはいつもはじっこしか買わない、そんな選択基準です。
「つぎは、はちみつだ」
からからとカートを押して進軍を続けるくにこちゃんに、ゆうこちゃんは、すなおにしたがいます。
しかしたかちゃんは、あるじゅうだいなじじつに気づいてしまいます。
くにこちゃんの選んだ、そのおとなりのぱっくを手に、とととととと後を追います。
「ねえねえ、こっちにしよー」
くにこちゃんは、けげんそうに、そのちょっときれいな紙のついたぱっくをながめます。
「たまごなんて、どれもおんなしだろう。どうせ、ひよこは、はいってない」
ひ、ひよこ――くにこちゃんの意表をつく発言に、ふたりは思わず反応に窮します。いちだーすのたまごに、いちだーすのひよこさんがはいっていたら、いったいどーするつもりなのでしょう。
ゆうこちゃんは、くにこちゃんが朝の食卓でめだま焼きのかわりにひよこ焼きをたべているのをそうぞうし、かなり青ざめます。たかちゃんは、たまごかけごはんのかわりにぴよぴよともがくひよこさんをおどりぐいしているくにこちゃんをそうぞうしますが、あんがいありそうな気もするので、ちょっとしか青ざめません。きっとそれが、じゃくにくきょーしょくの、きびしいしぜんかいのおきて。でも、ひよこさん、やっぱしちょっとかわいそう――。
「ひよこがはいってるんなら、そっちが、いい。そだてて、もっと、たまごをうませる」
ああ、よかった。おもに第一次生産者的感性に基づく発言だったのですね。
「おんどりだったら、しめて、くう」
うう、やっぱし。
「でも、でも、ほら」
たかちゃんは、もってきたぱっくの包み紙を、ゆびさします。そこにははっきりと、いかにもおいしそーな黄色い字で、『おいしい玉子』と印刷してあります。
「こっち、『おいしーたまご』。ぜーこみ、にひゃくよんじゅーごえん」
それから、くにこちゃんの選んだ、とくばいひんをゆびさします。
「そっち、ひゃくはちじゅーきゅーえん。きっと、おいしくないたまご」
いわれてみれば、たしかにかーとのぱっくには、ちっこくMやら日付やら印刷したそっけない紙切れが入っているだけで、おいしいともまずいとも、明記されておりません。
「……でも、こっちだと、思ったがなあ」
家のたまごかけごはんやたまごいりらーめんは、けっこううまい。だとすれば、それはやっぱし『おいしい玉子』のほうだったのだろうか――くにこちゃんも、過去のおかいものきおくに、さほど自信はありません。ゆうこちゃんは、もとよりなんにもわかりません。
こまったときは、おみせのおとなのひとに、訊くのがいちばんです。たかちゃんは、とととととと、ちかくのえぷろんおばさんにかけよります。
「どどんぱっ!」
十数年前は立川駅裏の盛り場でちょっとした顔だったのに、上手くたらし込んで入籍した不動産屋の夫はバブル崩壊後倒産して行方不明、自らも容色の衰えた今となってはセコいパートを掛け持ちして中学生の娘を一手に養わねばならない――そんなエプロンおばさんは、添加物コテコテの旨くもない安食肉加工品をいかにも美味そうにフライパンで炒めつつ、日々の疲れをけなげにも押し隠し、りっぱな新製品派遣デモ員としての笑顔を浮かべてくれます。
「はいはい、どどんぱ?」
老いたりとはいえ、さすがはかつてのワケアリ美女、なかなかあなどれない客あしらいの良さです。
たかちゃんは、あんしんして、ふたつのたまごぱっくをさしだします。
「ねえねえ、こっち、『おいしーたまご』」
「はいはい」
「じゃあ、こっちは、『おいしくないたまご』?」
パートのおばさんは、うに、と眉を顰めます。
いえ、たかちゃんにはなんら悪印象を抱かなかったのですが、さきほどくにこちゃんのひよこ発言を聞いたときのたかちゃんたち同様、想定外の発言に戸惑ってしまったのですね。
「……ママは、どこにいるのかな?」
よくいる『なんでなんで幼児』は、回答ごと保護者に丸投げしようとしますが、たかちゃんはにこにこぷるぷるします。
「ママ、とーくで、おしごと」
同行者は後からととととととやってきたふたりだけ、つまり子供たちだけのようです。
「お買い物ごっこは、おうちで、ね」
努めて冷淡にならないよう、おつむをなでなでしてあげます。
「ごっこと、ちがうよう。みんなで、おりょーりするの」
大事そうにぽっけから出して見せた5千円札に、パートのおばさんは、ちくりと胸を痛めます。
中学二年のひとり娘は、今でこそ落ち着いておりますが、実は入学したての頃、荒れかけた時期があります。小遣いだけ与えてあとはほったらかし――そんな表層的な説教を垂れた若い担任教師の、苦労知らずの血色のいい坊ちゃん顔なども記憶によみがえり、おばさんの心が疼きます。不器用な人生を歩む親にとって、子供への愛情をお札でしか表現できない、そんな状況だって、ときにはあるのです。
ここは、きちんと応えてあげよう――おばさんは、さらに優しくなでなでしてあげます。
「こっちはね、きっと、『ふつうの玉子』なのね」
「ふつーに、おいしくないたまご?」
たかちゃんにも、けしてあくいはありません。
しかしパートのおばさんは、隘路にはまってしまった自分を感じ、ちょうど通りかかった制服の店長を、ラッキー、とばかりに呼び止めます。
あまいますくにおくぶかいやぼうをひめた、まだ若い店長さんは、時あたかも有楽町の本部から訪れた東京北部ブロック長の店内視察に付き合っている最中だったので、ここはひとつ自分の現場処理能力をアピールしておこうと、こんじょーを入れてたかちゃんをなでなでします。といって、あえて簡略なパッキングで安さを演出し、折り込みの目玉にしたり、過剰品質にこだわらない低所得層や個人経営飲食店を狙ったり――そんな商品差別化について説明しても、幼児に理解できるとは思えません。
にこにことたかちゃんたちをつれて玉子売り場に戻り、自信を持って、ぐるりんと棚を指し示します。
「お嬢ちゃん、うちのお店で売ってる玉子はね、みーんな、おいしい玉子なんだよ」
しかしたかちゃんは、そんなあいまいなかたちだけのえがおでは、なっとくできません。
さっきのおばさんの、じんせいにつかれながらもなおやさしいえがおにくらべ、このおじさんのえがおには、どこかいつわりのにおいがする――。
「でも、こっちが『おいしーたまご』。だったら、こっちは、『おいしくないたまご』」
「……『ふつうにおいしい玉子』なんだね」
なんとか、たかちゃんもなっとくします。
でも、こんどはにひゃくよんじゅーごえんのほうに、ふと疑問を抱きます。
「じゃあ、こっち、まちがい」
「?」
「ただの『おいしーたまご』じゃなくて、『ふつーよりおいしーたまご』。あれ? 『もっとおいしいたまご』?」
店長さんも、隘路にはまってしまった自分を感じます。
まあたかだか子供の戯れ言、自店の評価に響くはずもないのですが、ちょっと気になってブロック長の顔色を窺うと、ブロック長はなぜか真円近くまで目を見開き、妙に強張っております。その緊張した視線は、張本人のちょんちょん頭幼女でもカートのボーイッシュ幼女でもなく、一番後ろでふむふむと生真面目にうなずきながら成り行きを見守っている、鄙には稀な美幼女に固定されているようです。
「三浦優子ちゃん――だよね?」
ちょっぴり引きつった笑顔で、丁重に訊ねます。
ゆうこちゃんは、きょとんとしながらも、こくりとうなずきます。
「やっぱり、そうか。いやあ、こんにちは。覚えていないかもしれないけど、おじさん、お正月にいっぺんごあいさつしたんだよ。帝国ホテルのパーティーで、おじいちゃんやパパと、ごいっしょしてたでしょ?」
あ、おじーちゃんやパパの、おきゃくさまなんだ――ゆうこちゃんは、その大東京の夜景を睥睨するとんでもねー広さの宴会室で会ったとんでもねー頭数の三つ揃いの大群など、もちろんひとりひとり覚えてはおりません。でも、おうちのお客様だったのですから、ていねいにごあいさつを返します。
「こんにちわー。いつも、おせわに、うーんと、おせわになさりれ――」
「いやいやいや、こちらこそこちらこそ」
幼女にぺこぺこと最敬礼する中年男というのは、ちょっと異様です。
怪訝そうなお顔の店長さんに、ブロック長さんはごにょごにょと耳打ちします。
「三浦会長のお孫さん」
「げ」
さらに隣の加工品コーナーで納豆や豆腐を見繕っている、ガタイのいい会社員風の男に目を移し、
「あれ、もと三浦会長付きのSP」
「げげ」
店長さんが、顔色を失います。
そもそも(株)丸本は、全国展開SCチェーンとしてはまずまずの老舗ながら、老舗ゆえにPOS導入後の流通合理化を徹底しきれず経営不振に陥り、昨秋三浦財閥傘下に収まることによって、なんとか倒産をまぬがれたという経緯があります。業界では、現在三浦商事の常務取締役を務めている会長の末息が、春には三浦銀行OBの中継ぎ現社長に代わり(株)丸本の社長に就任するだろう、そんなもっぱらの噂です。
「でも、お孫さんはただのお孫さんですし――」
「甘いぞ。まあ次期社長はコチコチの知性派だそうだから、仕事と私事は混同しないだろう。問題はその親父、三浦の爺さんだ。あの歳でも仕事にゃ滅法厳しいが、情緒面では、正直、半惚けだ。一番出来のいい末息子にベタベタで、その娘には、もっとベタベタだ。だってお前、正月の賀詞交換会にわざわざあの子だけ連れて来て、傘下一同取引先一同に見せびらかしたんだぞ」
あの殺人的な可憐さなら、解る気もするが――店長さんは、逡巡します。感情とビジネスは、あくまで別物です。しかし、たとえビジネス上でも数字的に甲乙の付けがたい稟議などは、絶対にランダムには動きません。上の連中の『勘』、つまり些細な好悪で動くのです。
――自分は一介の店長で終わる気はない。今春あるいは今秋、このブロック長が北関東統括マネージャーに昇る時は、その後を継いで本社に戻る。いずれは取締役まで昇る男だ。
「……えーと、みんな、お友達なのかな?」
三浦一族における、ちょんちょん頭の位置に、探りを入れます。
ショートカット娘が、豪快に他のふたりの肩を抱えます。
「おう。ちるときはいっしょと、ちかったなかだ」
いっぺん言ってみたくて、しょうがなかったのですね。
たかちゃんは、ほんとーはそこまででもないだろうと思いますが、こんごのつきあいというもんだいがあるので、こくこくします。ゆうこちゃんは、ぽ、と頬を赤らめて、心から嬉しそうにうなずきます。
店長さんは、かくごをきめます。
「――ごめんごめん。やっぱり、これは、間違ってるみたいだね」
内線携帯でPOP室を呼び出し、ごにょごにょと、しかし切羽詰まって指示を出します。
5分もたたない内に、女子社員が急ぎ足でやってきます。
「間違いは、すぐに直しとかなきゃね」
玉子コーナーのプライスカードが、またたくまに何箇所か差し替えられます。
『広告の品・おいしい玉子』、税込189円。
『すごくおいしい玉子』、税込245円。
『ものすごくおいしい玉子』、税込328円。
以上3品目以外は、ビタミンやらヨードやら色やらハーブやら、納入業者独自の商品名が付いているので、ちょんちょん頭に追求される恐れはありません。
たかちゃんは、ねんいりにプライスをちぇっくしたのち、ふまんげに棚の現品をゆびさします。
「まだ、ちがう」
「……包み紙は、すぐには直せないから、ちょっと待ってね」
「ぶー」
たかちゃんは、カートに入れていたふたつのパックを、ぬい、とさしだします。
「……?」
ものといたげな店長さんに、たかちゃんはきびしいおめめでこくこくします。
やはり曖昧な妥協は許されないようです。
店長さんは、しばし挙動に迷ったのち、女子社員から赤いマーカーを借りて、『お・い・し・い・た・ま・ご』、さらに包み紙のあるほうには、『す・ご・く』、と手書きしてあげます。
たかちゃんは、んむ、とうなずきます。
とりあえずじぶんのぶんだけはっきりすれば、あとのなりゆきは些末事です。
店長さんは、こまっしゃくれたちょんちょん娘にかめんのえがおを向けながら、その隣で天使のように頬笑んでいるゆうこちゃんをかくにんし、ないしんむねをなでおろします。
いっぽうブロック長さんは、びみょうなまなざしでそれらのいきさつをぼうかんしつつ、「このネーミング、丸本直系じゃ無理あるけど、食品オンリーの小型マート系ならウケるんじゃないか?」などと、冷静に分析したりしています。
こうしてたかちゃんは、(株)丸本鶏卵部門にも、めでたくしょうりしたのです。
★ ★
のっけからなかなか苦戦してしまい、このままでは夜戦に突入してしまうのではないか――思わずそんな不安にかられてしまうゆうこちゃんでしたが、次のはちみつさんは、幸いひらがなと漢字とあるふぁべっとの三種類しかなかったので、
「はい、はちみつ」
「おうよ」
うるさがたのたかちゃんやくにこちゃんも、平仮名しか認識できず、いっぱつせんたく可能です。
「うおっしゃあ。つぎは、いよいよ、ほんばんだ」
くにこちゃんは、はりきってかぽんかぽんと両腕をならします。
「なんといっても、めでたいたんじょーびだ。てはじめに、すきやきは、どうだ?」
ごせんえんとゆーばくだいなしきんがありますから、くにこちゃんの鼻息も荒くなります。
「おう、ごーせー」
「こくこく」
脳内に浮かんだ食味・食感に、オーストラリアの野性的牛さんと松坂のお上品牛さんの差はありますが、たかちゃんもゆうこちゃんも、異存ありません。
まずは手近なお野菜コーナーへ――と思いきや、なぜだかくにこちゃんは、奥のなんだかごちゃごちゃコーナーにどんどん進んでいきます。
「あったあった」
まよわず『丸美屋のすきやきふりかけ』を、さもうれしげに3袋いっきにわしづかみにして、カートにくわえます。
たかちゃんは、ことばにつまります。
「…………う」
「なんだ? すきやきだぞ?」
ゆうこちゃんは、目を輝かせます。
「すごおい。お湯にいれると、すきやきさん?」
たかちゃんは、ふくざつなしんきょーで、ことばをえらびます。
「……ちょっと、ちがう。えーとね、やっぱしぎゅーにくさんと、しらたきさんと、おとーふさんと、えのきさんと――」
ねぎさんはきらいなので、たくみにしょーりゃくするたかちゃんです。
「いんや。それは、ふんまつにする前の、すきやきのもとだ。おやじが、おしえてくれた。こっちのほうが、こうきゅうなのだ」
生活能力の欠如した保護者を心から信じきっているくにこちゃんのいたいけな姿に、たかちゃんは、心の中で、はらはらと落涙します。ゆうこちゃんは、そうした極貧の下層階級の実態など知る術もなく、すなおにあたらしいちしきをうけいれます。すきやきのふんまつ、すごいすごい。
「こうきゅうひんだから、あんまし腹はふくれない。こんだけくうと、ちょっとじゃりじゃりする。まあ、つまみだな」
「――じゃあ、おなかふくれるのも、おりょーりしよー」
あえてそれ以上のついきゅうは控えてあげる、やさしいたかちゃんです。
★ ★
さて、しきりなおしのため見通しのいい入り口きんぺんにもどり、あらためて、たかちゃんたちは、ぜっくします。
「おう……」
むげんにひろがる、すーぱーのだいうちゅう。あんまし静寂でもない光に満ちた世界。しんでいく賞味期限切迫品もあれば、うまれくるおりょーりのざいりょうもある。そうだ、うちゅうは生きているのだ――。
たかちゃんのこころに、大田区産業会館で原始コミケ初の森雪こすぷれを披露していたママの、ふくいくたる遺伝子きおくがよみがえります。まあびじゅある的には、ゆうこちゃんがもりゆきでくにこちゃんがこだいすすむで、たかちゃんはちょっとあならいざーっぽかったりするわけですが、そこはそれ、主観の自由です。
「♪ さらば〜 ちきゅうよ〜 ちゃちゃちゃちゃ〜 たびだ〜つ ふねは〜 ちゃちゃちゃちゃ〜 ♪」
――まあにほんじんなどというものは、どーしても悲愴に戦って、あいするもののためにみんなでしんでしまえば無能でも未熟でも派手に大ウケ可能、そんな意識があります。しかしねんのため、こんかいたかちゃんの歌っているお歌は、そんな浅い次元のものではありません。あいのこんぽんは、あいするじぶんと同じだけ、あいされる対象そのものにもあるはずです。しかし、それだけではありません。そのりょうしゃのそんざいするくうかんじたいが、それらのいしき体をないほうするものとして、てつがくてききのうをはたします。
たとえば、勇壮に戦おうにもその術すら見いだせない存在――野菜売り場のびにーる袋の中から、遠いバレンタイン・イベント・コーナーの北海道名産ホワイト・チョコレートちゃんに熱い視線を送っているピーマン君などは、朝の陳列時にほんの一瞬すれ違ったその清楚なお姿に一目惚れして以来、刻とともに高まる胸のうずきをただ己ひとりの胸に秘めつつ、お口もないしお足もないので、やがては無言のままどこかのお家のフライパンで焼き殺されたり、千切りにされて生きたまま食べられてしまう運命にあります。しかしピーマン君は、そんな己の運命など、微塵も慮《おもんばか》っておりません。ただあの清らかに美しいホワイト・チョコレートちゃんだけは、くれぐれも口の臭いオヤジに食べられたり、義理チョコや本命外チョコとして無意味に生を終えてほしくない――そんな祈りを心の中で繰り返しております。無論その心は、彼がピーマンであるがゆえに、ホワイト・チョコレートちゃんにも、他の人間たちにも伝わりません。しかし、たとえその心がピーマン君以外の誰にも知られず、またホワイト・チョコレートちゃん自身も、自分をそれほど愛してくれたお野菜の存在を知らぬまま泣きながら口の臭いオヤジに食べられてしまったとしても、ピーマン君の心は、はたして無意味でしょうか。
否《いな》、なのです。
なんとなれば、この物語がお話づくりのぶよんとしてしまりのない人とせんせいによって『あなたに』語られた、そしてごくしょうすうの『あなたが』それを聞いてくれた、その時点で、この物語の中には『相対的空間』が生じます。それは外界の森羅万象を繋ぐ『縁起』と、まったく同じ性質のものです。そしてそれは、志穂美悦子さんという素晴らしい女性を娶っておきながら肉欲のおもむくがまま不倫しまくりのナガブチのクソ野郎が己ひとりだけを相手に朗々と歌い上げる愛の歌に乗せられて無駄に沈まされるYAMATOなどとは百億万光年離れた、むしろ松本零士大先生の個人的でもありかつ巨視的でもあるロマンの世界に近い世界と言えます。そこにおいては、ぶよんとしてしまりのない人もせんせいもたかちゃんトリオもピーマン君もホワイト・チョコレートちゃんも、そして『あなたも』、俯瞰しながら俯瞰されながら、ごにょごにょと分別不能の『存在』として、等価になります。『大四畳半物語』や『男おいどん』の生活空間が『宇宙戦艦ヤマト』と同じ宇宙であること、それを、かつては『廓育ち』『新幹線大爆破』『君よ憤怒の河を渉れ』といった良質娯楽作を産みながらもいつしか角川のシャブ中坊ちゃんに煽られ「真意を表現する誠意」から乖離してしまった佐藤純彌監督の散漫な世界と混同してはいけません。
さて、お話の人の悪い趣味で、またまたあさっての方角に偏向してきたこのお話ですが、よいこのみなさん、けしてしんぱいはいりませんよ。
そうしたお話のひとの歪んだ嫉妬心や自己満足などはもうきれいさっぱりシカトして、たかちゃんたちはげんきにうろちょろと、すーぱー内を斥候します。
そこではむすうのとんとんとん・ぐつぐつぐつ・じゃーじゃーじゃーの原料が、混迷した散兵戦の様相を呈しております。
「赤いおさかなさん」
「ひつじのにく」
「……ぷちとまと」
こんごのさくせんの方向が、なかなか合意に達しません。
それはきっと、(株)丸本自体の散漫さでもあるのでしょう。『にっぽんの冬 おなべの冬』などという、あったかお湯気がほわほわたちのぼっているコーナーがあるかと思えば、ちょっと横には『雪の夜には激辛韓流』などという、むじゅんしたコーナーがあったりします。まあ韓国さんの唐辛子好きも、実は文禄だか慶長だか江戸時代だかに、日本から唐辛子が渡って以来の好みだそうですから、おいしーものにこくせきはむかんけいなんですけどね。
「――『びびんば』」
あるPOPをかくにんしたたかちゃんのあたまに、ふたたびぴーんと、なにかがひらめきます。
「ねえねえ、どどんぱ鍋にしよう!」
「おう、いいな、どどんぱなべ。うまそうだ。くったこと、ないけど」
ゆうこちゃんは、かつてたかちゃんとくにこちゃんの交わす『どどんぱ語』を会得するために費やした、なんだかよくわからない涙の日々を思い起こし、ちょっぴりお顔を曇らせます。
「……どんな、おなべさん?」
「うん。これから、はつめいするの」
「おう、いいな。しようしよう。しんはつめい、どどんぱ鍋」
ゆうこちゃんも、にっこし笑います。これからいっしょにはつめいするのなら、それがなんだかわからなくて、さみしくなる心配はありません。
「なべなら、かんたんだ」
くにこちゃんが、自信たっぷりにだんげんします。
「おふくろが、いってた。だしを、きちんとる。あとは、すきなものをなんでもいれればいいのだ」
「だし。――おだいどこのとだなに、かつおさんとこんぶさんの絵の、あった。あのびん?」
「おう、あれだ。とゆーことは、あとはすきなものをなんでも買って、なべで、煮ればいいのだ」
それはとっても、いーかもしんない。
ようやくいけんのいっちをみたたかちゃんたちは、勇んでカートを押して駆けだします。すきなものならなんでもいいのですから、はなしはかんたんです。
「赤いおさかなさん、青いおさかなさん、いちごみるふぃーゆさん、ゆずめんたいこさん、みとなっとう、ぴーまん、すじこ、ふたりはぷりきゅあのかーどのきゃんでぃー」
なんだかとってもこのみのかたよった、たかちゃんです。
「はんばーぐじゅっこ、じんぎすかんごにんまえ、にんにくいっぱい、こーきゅーまつざかぎゅーすてーき大ふぁみりーぱっく、いせえびさんびき、こくないさんてんねんうなぎのかばやき5にょろ、むのーやくはくさい、まるかじりようにんじんじゅっぽん」
すきなもののなかに、すきかどうかはまだわからないがいっぺんくってみたくてしかたがなかったものなども、しっかりくわえるくにこちゃんです。
「……とまとさん、ぷちとまとさん、みにこーん、うずらさんのたまごさん、なのはな、きくのお花、なまゆばさん、あと、あと……」
ゆうこちゃんも、おもにかわいいたべものやおしとやかなたべものなどをぶっしょくしつつ、このまえてーこくほてるでたべたおむれつにのっかってた、あのきのこさんもおいしかったなあ、などと、きょろきょろあたりをみまわします。
「おう、ゆーこ、あとはなんだ?」
「……うーんとね、きのこさんなの」
「まいたけさん? なめこさん?」
たかちゃんは、すでにじぶんのしぶいこのみでカートに入れた茸類をゆびさします。
「ううん、ちょっとちがう。うーんとね、とりゅふさんっていうの。くろくて、こーんな、ぽよぽよ、って」
「とりゅ? ふ?」
「とーふじゃないのか?」
陰に日向にお嬢様の様子を窺っていた店長さんが、ここですかさずとうじょうします。
「これはゆうこちゃん、何かお探しですか?」
「……ぽ。おそりいれます。トリュフさん、うーんと、こーんな、くろくて、ぽよぽよさん」
そんな世界三大珍味がこんな大衆向けSCに置いてあってどーすんのよ、などとはお首にも出さず、
「ごめんね、それは、お取り寄せになっちゃうなあ」
たかちゃんが、ぽん、とお手々を鳴らします。
ととととととばれんたいんこーなーに駆けて行き、またととととと戻ってきます。
「ほらほら、くろい、ぽよぽよ。とりゅふ」
たしかにおんなしお名前で、かたちも似ています。まあ、希少食用茸とちょこれーと菓子の差はありますが、ゆうこちゃんは、だきょうしてうなずきます。おむれつにちょこれーとがのっかれば、それはそれでおいしーかもしれません。
「あと、これも」
たかちゃんは、いっしょにかかえて来た白い箱も、かーとにほうりこみます。いつかパパがほっかいどうしゅっちょうのおみやげに買ってきてくれた、おいしいホワイト・チョコレートさんです。
「さーて、こんなもんだな」
なんだかいろんなぱっくがみゃくらくもなく山を成したカートを押して、くにこちゃんは意気揚々とレジに向かいます。たかちゃんたちも、げんきに後続します。
レジのおねいさんは、まったくこの頃のガキは伊勢海老だの松坂牛の霜降りだのこんなたけーもんへーきで買いくさってよう、親の顔が見てみてーよ、などという本音はお首にも出さず、マニュアルどおり、きっちりびしょうします。
「三万二千六百五十三円になります」
たかちゃんは、ぽっけから樋口一葉さんをさしだします。
「はーい!」
「…………」
おねいさんは、こんわくします。
なにか言おうとは思うのですが、
「(^o^)」
「(^_^)」
「(^^)」
さんにんの幼女の希望と自信に満ち溢れた純真な笑顔に圧倒されてしまい、二の句が継げません。
なぜかその後方に待機していたワケアリげな店長さんに、視線で指示を求めます。
店長さんは、ぶいぶいとサインを出しています。VIP扱い外商回し、そんな符丁のようです。
「……五千円は、現金でよろしいですか?」
なんだかよくわからないので、たかちゃんは、ひきつづき超にっこしこうげきをかまします。
「はーい! (^o^)v」
★ ★
「いやー、ぴったしだったなあ」
くにこちゃんは、きしょくまんめんで、たいりょーのせんりひんを袋詰めします。
「さすがに、ごせんえんさつというものは、ちがったものだ」
たかちゃんとゆうこちゃんも、なんのぎもんもなくにこにこうなずきあいながら、いっしょに袋詰めします。
そうして小雪の中を元気に帰途につくたかちゃんの、ちっちゃいぴんくの手袋にぶらさがったレジ袋の中では、憧れのホワイト・チョコレートちゃんと肌を接してしまったピーマン君が、予期せぬ展開になんだかもじもじと、推定ほっぺたのあたりを赤緑色に染めたりしています。そしてホワイト・チョコレートちゃんも、なにやら思うところがあったりするのか、冷たい冬の風に吹かれながら、なぜかちょっぴりやわらかくなったりしています。
こうしてたかちゃんたちは、むげんにひろがるすーぱーのだいうちゅうにも、ぶじ、しょうりしたのです。
そのさん【♪つんつくつくつく、つんつんつん♪】
(注・めろでぃーが、そのいちと、おんなし)
つんつんつん、つんつんつ、つつつん―― ♪ つんつくつくつく、つんつんつん ♪ つんつくつくつく、つんつんつん ♪ つんつくつくつく、つんつんつん ♪ つくつくつんつん、つん、つん、つーん―― ♪
はい、このごにおよんでまだタイトルのめろでぃーが想像できないよいこのみなさまはもういらっしゃらないとは思いますが、ねんのため、せんせいがだめおしで歌ってさしあげました。なお、長さのかんけいでサビのめろでぃーは省略いたしましたので、ご了承くださいね。
さて、『NHK・今日のお料理』――じゃねーや、きょうの家庭科実習は、とってもおいしくてかんたんな『びびんば丼』のつくりかたを、おしえてさしあげましょうね。ざいりょうは、『グリコDONBURI亭・ビビンバ丼』、そして『ぱっくのごはん』、さらに『なまたまごいっこ』、はい、たったこれだけでーす。
はい、そちらのからだだけはいちにんまえでもふにゃふにゃ幼児発音会話しかできない、でもしぶやでおっさんひっかけてろくでもないあそびやむだなかいもののお金をぼったくるには赤ん坊程度の語彙でらくしょー、そのようなおんなのよい子のかたでも、あるいはやはりからだだけはすくすくとひとなみいじょうに育ちながらしこうのうりょくのけつじょによりこんびにのまえで徒党をくんでうんこずわりするくらいしかじんせいの意義をみいだせない、でもおっさんをかつあげしてろくでもないあそびやむだなかいもののお金をぼったくるにはママのおっぱいにしゃぶりつく程度の生存本能を備えていればらくしょー、そのようなおとこのよい子の方でも、歪んだ頭骨の中に脳味噌が3グラム以上存在していれば、いつでもおいしい『びびんば丼』がいただけます。ほんとうにすばらしい人類の進歩と調和ですねえ。満艦飾の和服姿で高らかに歌う三波春夫さんの『世界の国からこんにちは』など、思わず脳裏をよぎります。この国の民がその後なんぼ脆弱化し萎びつつあっても、世界は確実に『進歩』しつつあるのですねえ。『調和』のほうは、保証の限りではありませんが。――失礼いたしました。今のせんせいのはつげんは、たった今この瞬間、きれいさっぱりわすれさってください。わたくしはあくまでも三十路をむかえたばかりのおんなです。けして大阪万博など、記憶にございません。
なお、脳味噌は3グラムでも胃袋だけはひとなみ以上の飢えがちな男のおこさんのばあい、『ぱっくのごはん』を大盛り300グラムでえらんでおけば、より長時間のうんこずわりやかつあげが可能になります。そのげんばをはっけんしたせんせいが正しい教育者として真摯な生活指導をしてさしあげる際に流れる赤黒い血潮や濁った体液もちょっとは増えて、より生存率がアップするかもしれません。
はーい、それでは、そこの身長165バスト94ウェスト58ヒップ85体重48(公称)、でもほんとはウェスト68体重58の文盲で舌の回らないナイス・バディーなあなた、ガス・レンジのコックの捻り方と水道栓の捻り方は、そのかわゆい角砂糖のようなカスカスの頭脳でも理解できますね。はいはい、おなべにお湯を沸かしてみましょうね。おー、よちよち。
はーい、そこの大量添加物入りコンビニ食品やジャンク・フードばっかししこたま喰らって前頭葉が萎縮してしまい自制心を失った毛のないゴリラのようなあなた、玉子を割ってくださいね。そのぶっといだけが取り柄の不器用な指で、殻ごと捻り潰してはいけませんよ。はーい、どうどうどう。なお、きっちり黄身と白身を分けてくださいね。この種の韓国料理の場合、黄身だけ混ぜたほうが、コクが出て美味しいのですね。
あう!
あうあうあうあう!!
て、てめえ! 白身、シンクに流してどーすんだ! いってーどんなたわけた躾け受けて育って来たんだおのれは! おめーの親父もお袋も毛のないゴリラか!? すくえ! そこの茶碗で、はよ、すくえ!!
……こほん。
――失礼いたしました。
でも……しにたいですか?
あすのあさひもぶじにおがみたいですか?
ならば、すなおにその白身を余さずシンクの奥からすくい上げましょう。せんせい、ダイソーのお味噌汁といっしょに、明日の朝のおかずにいたしますので。そんだけの動物性蛋白があれば、充分午前中の戦闘、いえ、きょういくが可能になります。陸自別班の極秘任務を帯びて厳冬期の図們江を夜間渡河し、北朝鮮に潜入するのも可能です。
はい、それではれとるとぱっくをゆがく間に、『よいこのお話ルーム』、つづきをかたってさしあげましょうね。
びびんばならぬどどんぱ料理にかかんなたたかいをいどむたかちゃんたちのゆくてには、いったいどんな凄惨なうんめいが待ち受けているのでしょうか! そこは分断された手脚が吹きとびひしゃげた首が舞い、脳漿や血しぶき降り注ぐ地獄の戦場か!? 『たかちゃんぐるめ 〜ふゆのなべもの〜』、いよいよ、ほんばんのはじまりでーす。
★ ★
「……おう」
れんじの大なべが、ぐつぐつと不気味に蓋を蠢かせ、濁った湯気を上げはじめます。
おだいどこにあったおなべの中でも、いちばんおっきい大なべです。
たかちゃんたちは、ほんのうてきにおだいどこのはんたいがわまで遠のき、さんびきのはむすたーのようにひとかたまりに身を寄せ、おそるおそるなりゆきをうかがっています。
ぼこ、ぼこぼこ。
かた、かたかた。
なにやら地獄の沼に湧き出る粘液質の泡のような、ふきつな音と匂いが、おだいどこに漂っております。
「……だし、まちがって、ないな」
「こくこく」
たかちゃんは、かくしんに満ちたお顔で、うなずきます。でもちょっぴり、なんらかのぎもんをいだいていたりもします。――やはり、『濃縮』とか『倍』とか、よめない漢字をぜんぶとばして、よめる数字だけでおだしの量をはんだんしたのは、あやまりだったのだろうか。
ゆうこちゃんは、やや冷静に、おだしのすぐ後にとうにゅうしてしまったあれやこれやナニがなんらかの悲劇を呼び起こそうとしているのではないか、そんな分析を下しております。やわらかそうなものやちっこいものをさきに入れてしまったらどうか――いかにももっともに思われたくにこちゃんのはんだんが、まんいつあやまりだったとしたら――みやこそだちの内気なななまゆばさんは、はでずきのきゃんでぃーにいじめられてはいないか――あのゆずめんたいこさんやいちごみるふぃーゆさんやすじこさんは、やはりもっとあとでとうにゅうするべきだったのではないか――みとなっとうさんとあんみつさんとにんにくさんとの間に、なんらかのあつれきがしょうじているのではないか――ふあんの種は尽きません。でも、こわくて口に出せません。
たまごやきまでは、かんぺきだったのです。
たかちゃんやくにこちゃんの助言という名の妨害にも負けず、さすがに恵子さん仕込み、わずか7さいのゆうこちゃんは、ぶじにはちみついりのあまくておいしいたまごやきをかんせいさせたのです。ちょっぴり焦げてはいたものの、たかちゃんもくにこちゃんも、お世辞抜きで「んまい」「おいしー」と、舌鼓を打ってくれました。きのこではなくちょこれーとっぽいトリュフさんだって、必ずしも、ミス・マッチではありませんでした。
しかし――さすがにしんはつめい『どどんぱなべ』のほうは、相応の試行錯誤を要するようです。
「……なやんでいても、しかたが、ない」
くにこちゃんが、果敢に脚を踏み出します。
たかちゃんもゆうこちゃんも、よりそってぷるぷる震えつつ、その後に従います。
くにこちゃんは、しんちょうにおなべのふたをもちあげ、勇を奮ってのぞきこみます。
つーん。
くにこちゃんのりりしいお顔が、とってもせつなげに、ゆるみます。
「あはん」
それはもう、どーしていーやら理性では収拾のつかないせつなさが、しもはんしんからせなかをつたいあたまのてっぺんまで、ぞわぞわとはいあがります。もしここがたかちゃんちのおだいどこでなく寝室であり、そんなお顔をしているのがくにこちゃんでなくたかちゃんのママだったりしたら、パパのお腰の動きがたちまち抑制を失い、思わずたかちゃんの弟か妹を作ってしまいそう、そんなお顔です。
もはや苦痛と恍惚の分別を失っているらしいくにこちゃんのよろめきに、たかちゃんはある種のアラートを感知し、すばやくおなべのふたを閉じます。
「たしっ」
くらくらとゆかにくずおれるくにこちゃんを、ゆうこちゃんが支えます。
「ごめんね、ごめんね」
ゆうこちゃんはなんにもわるくないのですが、事前に止めてあげられなかった自分がとっても悲しい、そんなきもちなのですね。
くにこちゃんが、陶然とつぶやきます。
「……ごくらくのいりぐちは、しゃけのももいろだ」
なにかと児ポ法のやかましい昨今、全年齢対象の場でこの表現はヤバい――かしこいたかちゃんは、
「こりは、あぶない」
ふたりを遠ざけ、洗濯ばさみでお鼻をつまみ、果敢に危険物の処理を試みます。
「まて」
正気を取り戻したくにこちゃんが、やっぱし鼻をつまみながら、
「ほかるな」
そう言って、お鍋の中身をシンクに流そうとしているたかちゃんを押し止めます。
「よなかに、もったいないおばけが、でてくる」
ゆうこちゃんは、『おばけ』ときいただけで、もうぷるぷるとくにこちゃんのせなかにすがります。
たかちゃんは、ちょっとかんがえこんだのち、ひきつづき危険物処理を続行します。
たぱたぱたぱ。
くにこちゃんは、あわてておなべをおさえます。
「やめろ! たかこ!」
「でも、もったいないおばけ、みる」
いっぺん見てみたくて、しょうがなかったのですね。
「もったいないおばけを、あまくみては、だめだ」
くにこちゃんは、こわい顔でけいこくします。
「それは……おそろしーものだ」
ゆーこちゃんは、ききたくないききたくないとふるえつつも、
「……みたこと、ある?」
などと、ついついつぶやいてしまいます。
はい、全せかいのこわがりのよいこのみなさん、この心理は、充分ごりかいいただけますね?
くにこちゃんは、いんうつなおかおで、こくりとうなずきます。
やや季節外れなのではないかとゆーぎもんなどはとりあえずこっちに置いといて、かしこいたかちゃんは、すばやくおだいどこの蛍光灯を落とします。そして、とととととと応接間にかけていき、もくぎょや鈴や鉦をはこんできます。
「ほーい」
「おう、きがきくな」
いつのまにだれが用意したものやら、てーぶるに点った2ほんのろうそくにてらされて、くにこちゃんがかたりはじめます。
「……それは、おれがまだ、ほいくえんにあがるまえ、六本木でバーテンをしていたころのはなしだ」
たかちゃんとゆうこちゃんは、ずる、とコケます。
しかしくにこちゃんは、きまじめなお顔のまま、おかまいなしに続けます。
「そのころ、おれはまだらんどせるよりもおしゃぶりのほうがにあうような、ねんねの小僧っ子だった。だから、すいかの皮はぜったいにすててはいけない、そんなあたりまえのことさえ、まだ、しらなかった」
のっけから置き去りになってしまいそうで、ゆうこちゃんは、ないしんあわあわとあわてます。『ろっぽんぎでばーてん』とはいったいなんなのか。西瓜の皮を、なぜ捨ててはいけないのか――。
いっぽうたかちゃんは、なんだかいきなし、しゅってんをめいきしないいんよう、つまりパクリが行われているのではないかと推測します。このまえてれびでやっていた、たかちゃんもパパもちっともおもしろくないのにママだけ夢中になって観ているとれんでぃー・どらまのいけめんくんが、たしか『ろっぽんぎでばーてん』だったような気がします。また同時に、たかちゃんはとってもかしこいお子さんなので、くにこちゃんち特有のきまりが、あたかもせけんいっぱんのじょーしきであるかのように語られているのではないかとも判断しますが、とりあえずおもしろそーなので、ほっときます。
「……そのなつは、とてもあつかった。まいばんねぐるしー日がつづき、おれは、まいばんぐっすりねていた。でも、ひるまは、とてもあつかった。うみがみたい、とおれはいった。でも、おやじは、いった。海水よくなどというものは、ちっこいぴらぴらの着物しかかえないびんぼー人のいくもので、厚着でいく山のほうが、こうきゅうなのだ。そういって、じーさんばーさんのいるいなかに、つれてってくれた。信州の、山おくだ。たぬきやかばしかすんでないみたいな、うーんと、山おくだった――」
くにこちゃんは、もはやすっかりぎょろぎょろお目々の稲川淳二さんと化しております。まあいながわさんでしたら、冬の大晦日まで年越し怪談ライブを開いていますから、けして季節外れではありません。
たかちゃんは、SEを務めます。
ぽく、ぽく、ぽく、ぽく。
ちんちーん。
「……こーゆーときは、やっぱし、ひとつ鉦だろうな」
「ほーい」
こぉーん――。
★ ★
――おまいらも、もうしょーがくせーだからしってるだろーが、すいかをくうときは、赤いとこをくって、そいから白いとこも、しゃじが通るとこまでくって、のこったかわは、つけものにしてごはんのおかずにする、それが、ただしいきまりだ。
でも、さっきもゆったように、そのころのおれは、まだ、わかすぎた。まあ、まだときどき、おふくろのおっぱいにすいついてるおとうとたちをはりたおして、かわりにおふくろのおっぱいにすいつきたがる、そんな、つみのないこどもだったのさ。だから、すいかの赤いとこも白いとこも、おんなしだいじなすいかのいちぶである、そんなさとりに、たっしていなかったのだ。
じいさんのいえは、やまん中だから、にくやさかなは、あんまし、ない。つぐみのまるやき、いなごのつくだに、はちのこ、てっぽーむし、そんなかんじだ。
おまいら、つぐみ、しってるか? すずめににてるけど、すずめより、んまい。
いなご、しってるか? ばったににてるけど、ばったより、んまい。
はちのこってのは、よーするに、はちのこだ。うじむしににてるけど、うじむしより、んまい――かどーか、まだわかんない。
おすすめは、なんといっても、てっぽーむしだな。しろっぽくて、もこもこのいもむしだ。はっぱの裏とかじゃなくて、木の中にすんでんだ。このあたりのいもむしより、やっぱし、こんじょーがあるんだろうな。じーさんやばーさんは、焼いてくってる。おれは、なまのほうが、んまいな。いつかかばうまにたかった、ほんまぐろのおーとろみたく、ものすごく、んまい。このあたりのいもむしとは、やっぱし、きたえかたがちがうんだろうな。
だからつぐみもいなごもてっぽーむしも、ものすごく、んまい。でも、ちっこい。おまいら、しってるか? にっぽんには、やまんなかでも、ぷてらのどんやくろこだいるみたいな、やいてくったらうまそーなでっかいいきものは、あんまし、住んでないのだ。たぬきやきつねは、たたるから、くっちゃ、だめだ。
でも、やさいやくだものは、いっぱいあった。きゅうりやごぼうやにらやにんにくが、うらやまのはたけに、たくさん、なってる。じーさんとばーさんの、はたけだ。すいかも、あった。なしやかきも、よなかにふもとまでおりれば、みちばたの庭に、たくさん、なってる。じーさんやおやじといっしょに、もらいにいく。よなかだから、ひとんちのめいわくにならないよう、しずかにこっそりにもらってくる。
いろりでなんかいろいろやいたりにたりして、ばんめしは、おうめより、んまかった。そいから、ふろにはいる。にわの小屋にあって、ふろおけも木でできてて、なんか、ぬるぬるしてる。でも、でっかいから、およげる。ふろごやのやねがこわれてて、はんぶんしかないから、およいだり浮いたりしてると、やまやほしがみえる。でも、雨の日は、ちょっとちくちくする。でもおよげるから、雨でも、のどがかわく。はだかのまんま、えんがわにもどって「のどかわいたぞー」ってゆうと、ばーさんが、すいかをだしてくれるのだ。いどみずでひやしてあるから、ひゃっこくて、んまい。なんぼでも、くえる。いっこまるごとくうと、はらがすいかみたいなかたちになって、たたくと、いいおとがする。いいおとだから、ぽんぽんたたいてると、ばーさんがにこにこして、いつもゆーんだ。「くにこは、ばーちゃんちの、子になるか」ってな。「なるぞ」ってゆーと、もっとにこにこする。でも、やまにはよーちえんやがっこーがないから、やっぱし、なれないんだ。
すいかのくいかたのきまりは、そのばーさんに、ならった。しろくなるまできれいにくって、そとがわのしましまんとこは、ほーちょーで、むく。そいから、ぬかに、つける。こんだけで、んまいつけものになる。でも、おやじは、あんましくわない。おやじは、つよい。でも、ばちあたりなんだな。
そーやって、まいばんきちんと、すいかをくってたんだが――魔がさしたんだろうなあ。
あるばん、おれは、なぜかよなかに、目をさましてしまった。
ああ、おれはいつも、ひとりでねていた。おやじはちょっとねぞうがわるいんで、うっかりすると、ろーかまでけりとばされる。じーさんやばーさんとねると、おれもちっこいころはねぞーがわるかったんで、うっかりすると、あばらをけり折ってしまう。としよりは、ほねが、もろいんだ。
そのひは、ばんめしが、てっぽーむしのカレーだった。じーさんちには、カレー粉がなかった。でも、おれがカレーくいたいとゆったんで、ふもとのこんびにから、わざわざ買ってきてくれたんだ。ありがたいもんだ。ハウスのジャワ・カレー辛口と、てっぽーむしは、すごく、あうのだ。それはもう、どんぶり5はいでもじゅっぱいでもくえる。でもやっぱし、よなかに、のどがかわく。
――すいかが、くいたい。
そのばんは、カレーをくいすぎて、すいかをはんぶんしか、たべてなかった。
――すいかが、くいたい。すごく、くいたい。
いつも、いっこまるごとくってるから、やっぱし、くいたりなかったんだな。
おれはこっそりおきだして、うらにわの、井戸にいった。
庭は、まっくらだ。その日は、雲がでていて、つきもほしもみえなかった。くうきも、なんだか、やけになまあったかい。やまおくだから、よなかは夏でも、さむいはずなんだ。でも、なんだかべたべたして、いやあなくうきの、よるだった。
おれは、すいかのゆわえてある、なわをひっぱった。
ちゃぷん。ちゃぷちゃぷ。
なまあったかいよるでも、すいかは、きっちり、ひえてた。
おれは、とりあえず、かるくはんぶん、くった。
ほうちょうはもってなかったから、頭突きで割った。
そいから、ねんのため、もうはんぶんも、くった。
そんでもって、残った皮は、いつもみたく、だいどこの蠅帳《はいちょう》に置いておけばよかったんだが――魔がさしたんだろうなあ。ねぼけてたんだかなんだか、あんましおぼえてないんだが、おれはその皮を、うらにわの掃き溜めに、つい、ほうりこんでしまったのだ。
ねどこに戻ったら、まんぷくして、すぐにねむたくなった。
そうして、とろとろっ、と、しかけたとき――
――しくしく、しくしく。
泣きごえが、きこえてきた。
――ぐすぐす、めそめそ。
おんなと、おとこの、なき声だ。
ばーさんと、じーさん?
いんや、そんな、じじばば声じゃない。
おふくろと、おやじ?
いんや、おふくろは、あかんぼふたり、おちちやうんちのせわで、おうめでるすばんだ。おやじはつよいから、よなかには、なかない。いんや、なにわぶしをききながら、たまーに、なく。でも、うえうえとかおぐっおぐっとか、がまがえるみたいに泣く。
――『もったいないおばけ』。
ふとんのなかが、ものすごく、ひゃっこくなった。
いんや、ねしょんべんじゃ、ないぞ。
そのころ、おれは、まだほいくえんにいっていなかった。だから、しょーぶやしゅぎょーが、まだまだだった。おとうとふたりをなんぼシメても、まだあかんぼーだから、しょーぶにならない。いまのおれなら、おばけでもごじらでも大ありくいでも、りっぱに、しょーぶしてみせる。が、しょせん3さい児のかなしさ、しょーじき、こわかった。
――しくしく、しくしく。
さっきまで、しょうじのむこうからきこえていた声が、
――ぐすぐす、めそめそ。
へやのなかで、きこえる。
ふとんをかぶって、ぷるぷるしてると、
――しくしく、しくしく。
こんどは、まくらもとで、きこえるんだ。
――ぐすぐす、めそめそ。
おやじたちをよぼーとおもっても、こえが、だせない。
なんだか、あせっくさいみたいな、いやあなにおいも、する。
ああ、おれは、ほいくえんにもあがらないうちに、『もったいないおばけ』に、とりころされてしまうのか。
なまぐさいいきが、ほっぺたに、……ほわほわ〜。
……でも、にんげんというものは、つくづく、おもしろい。
しぬきになると、なんでも、へーきになる。
どーせとりころされるんなら、かのゆうめいな『もったいないおばけ』、めーどのみやげに、よっくと、見ておこう――。
おれは、せいかたんでんちからをこめて、ふとんをはねのけた!
ぶわっ!!
しかし――。
やっぱし、それは、みてはいけないものだったのだ…………
★ ★
くにこちゃんは、あたかも『お岩の誕生』のクライマックスを語る人間国宝・一龍斎貞水師匠、あるいは故・一龍斎貞山師匠――別名『お化けの貞山』のごとく、ぎりりんと眉根を寄せて、たかちゃんとゆうこちゃんを、ぎろりんと見回します。
ゆうこちゃんは、ひんひんとはんぶん泣きながら、たかちゃんの胸にお顔をうずめます。
さしものたかちゃんも、くにこちゃんの気合いにやや劣勢を自覚しつつ、しかしぎりりりりんと眉根を寄せて、果敢な対峙を試みます。
「……どんな、だった?」
おし、いい間だ――くにこちゃんは、おもむろにうなずきます。
「そーぞーをぜっする、いんさんな、ものだ」
「……こくこく」
「だれかが、まくらもとに、しゃがんでた。ふたりならんで、しゃがんでた。ならんでまくらもとにしゃがみこんで、おれを、じっと、みおろしていたのだ。でも、くらくて、どんなもんだか、よくみえない。しょーじのそとのほうがあかるいから、かげにしか、みえない。でも、目をしょぼしょぼしてると、ぼーっと、なんとなくみえてきた。顔や手もとんとこあたりに、ちょっぴり、ひかりがあたってたんだ。そいでな、それは――」
「……ごっくし」
「それは――ぶよんとしてしまりのないちゅーねんおとこと、ガタイのいいちゅーねんおんなだった」
「…………」
たかちゃんとゆうこちゃんは、ちょっぴり、反応に困ってしまいます。
「……いまいち」
正直につぶやくたかちゃんを、くにこちゃんは真顔のまま、まてまてと制します。
「あればっかしは、みたものでないと、わからん」
そういって、いんうつなお顔で、うなだれます。
「……そのちゅーねんおとことちゅーねんおんなは、おれが掃き溜めにすててきたすいかの皮を、だいじそうに、かかえてるんだ。そいでもって、しくしくしくしく泣きながら、そいつをつんつん、ゆびさしてみせる。そいからおれを、なみだのたまった目で、じーっと、みつめる。こーんなふーにくびをななめしたにして、うわめづかいに、じーっとみつめるんだ。ほかにはなんにも、いわない。ただ、すいかの皮をおれにつんつんしてみせては、また、しくしくしくしく、うっとーしー声ですすりなく。つんつん、しくしく、つんつん、しくしく――まっくらい、ねぐるしい、よるのへやだ。そこでひとばんじゅう、そればっかし、やられてみろ」
なるほどそれはたしかにあるいみとってもイヤかもしんない――たかちゃんもゆうこちゃんも、なんだかこころのそこから、とっても陰惨なきぶんになります。
「おれは、きがくるいそうになった。どーやったら、もったいないおばけは、きえてくれるんだ――。でも、しばらくつんつんしくしくじーっをみてるうち、ようやく、わかった。きづいてみたら、かんたんだ。もったいないからもったいないおばけなんだから、もったいなくなく、すればいいのだ」
「……こくこく」
「おれは、しかたなく、そいつらのもってきたすいかの皮を――くった」
「……おう」
たかちゃんたちは、いきをのみます。
「いっこぶんのすいかの皮――なまで、ぜんぶ、ばりばりくった」
――そ、それはたしかに、ものすごくイヤかもしんない。
「……つけものだと、んまい。でも、なまだと、あれほどまずいくいものは、めったにない。なみだが、ぽろぽろ、とまんない。んでもって、よーやくさいごのいちまいをくいおわったら――まっくらいへやには、もう、なんにもいなかった」
くにこちゃんはしみじみと、吐息します。
「……これが、『もったいないおばけ』の、おそろしさなのだ」
たかちゃんとゆうこちゃんも、しみじみと、ためいきをつきます。
「よくあさ、じーさんにきいたら、なんでもおーむかし、ききんとゆーものがあって、こめもやさいもできなくて、はらがへりすぎて、なんびゃくにんも死んだんだそうだ。それが『もったいないおばけ』になったんじゃないかと、じーさんはゆーんだが……おれは、ちがうよーなきがする。いまにしておもえば……なんだかかばうまや、あたらしーたいいくのおんなせんせいに、にていたよーなきもする。でも――いまとなっては、すべてが、なぞだ」
★ ★
さて、いながわくにこかいだんらいぶは、それにてぶじ終了しました。
もんだいは、おなべです。
さんにんそろって、ちんしもっこうするばかりです。
もしもなかみをすてて、よなかに『もったいないおばけ』がでてきてしまったら、そーぞーするだに、おぞましーこうけいがてんかいしてしまいます。
しかしこのままでも、どっちみち、いつかは『もったいないおばけ』がきてしまう――それがいっしゅーかんごだったりしたら、なんぼもののくさりにくい冬場でも、もはやいまのうちにしんだほうがまし、そんなてんかいになりそーな気もします。
くにこちゃんが、ふたたび一歩、果敢に脚を踏み出します。
「おう……」
「……もう、さめたころだ。においは、あんまし、しない」
「でも、でも……」
ゆうこちゃんが、お目々をうるませながら、くにこちゃんのうでにすがります。
「……だれかがそれを、やらねばならぬ」
くにこちゃんは、凛々しくうなずきます。
「きたいのひとが、おれたちならば」
JASRACスレスレのつぶやきとともに、おなべのふたを、そっともちあげます。
もうぼこぼことぶきみにねばった泡などは浮いておりませんが、冷めて濁った皮膜のそこかしこに、どすぐろいふぞろいの塊が、お顔をのぞかせております。鰹昆布だしの染みたいちごさんのいちぶでしょうか、それともなっとうさんやにんにくさん、あるいはあんみつさんにふくまれていたさくらんぼさんの、かわりはてたお姿でしょうか。
――ああ、くにこちゃんは、みずからコスモ・クリーナーと化そうとしているのだわ――。
たかちゃんとゆうこちゃんは、むいしきのうちに、おもわずヤマトのテーマではなく、『明日への希望』のほうを、ソプラノでハモってしまいます。
「♪ ら〜ら〜〜 ら〜ら〜ら ら〜ら〜〜 ら〜ら〜ら ら〜ら〜〜 ら〜ら〜ら〜ら〜らら〜 ♪」
なんだかずいぶんエコーも効いています。
がしっ。
ちからづよくおなべをかかえたくにこちゃんは、む、とこきゅーを止め、
「おくっ」
「…………」
「…………」
くにこちゃんのがんめんが、あごのほうから、みるみるそーはくと化していきます。
それでもくにこちゃんは、こわばったうでをふるわせながら、そーぜつに嚥下を続けようとします。
おっく、おっく、おっく、おっく――。
「もう、いいよう!」
ゆうこちゃんは、泣きながらくにこちゃんを止めようとしますが、くにこちゃんはすでにチアノーゼを呈したお顔に、なおほほえみをうかべ、ゆっくり、くびをふります。
そして、ふたたびおなべに口をつけ――
「むぶ」
おなべを、がし、とれんじにほうりだし、
「ぶふ」
どどどどどどと、トイレ方向に突進していきます。
「……やっぱし」
だつりょくしながらおなべにふたをする、たかちゃんでした。
★ ★
「……おれも、ばかだった」
白髪と化したくにこちゃんは、あたかも対ホセ戦後の矢吹丈のごとく、ぐったり椅子にくずおれます。しかし、まだ灰となってはおりません。
「おれはもう、あのときの、おれではなかったのだ」
のこったきりょくをふりしぼり、
「りんひょーとーしゃかいじんれつざいぜんなぅまくさまんだばざらだんかんふどうみょーおー」
かなりいーかげんに、印やら真言やら、ぼーよみします。
そんな気合い不足を反映してか、おなじみのこわもて不動明王様も、まるで三河屋のサブちゃんのようにさりげなく、お勝手口からぬいっとでっかいお顔を差し出します。
「呼んだか?」
「おう」
くにこちゃんは、ぞんざいにレンジのお鍋を、顎でしゃくります。
「食え」
ほんとうは、こういったきけんなしょくひん関係は孔雀明王様の管轄なのですが、さっきマリアナ海溝に派遣してしまったので、しかたありません。
「なんだ、飯か? これはありがたい。愛染や金剛と、きのうっから砂漠のイモ創造主野郎シメてたら、徹夜んなっちまってな、さっき帰ったばっかしなんだ」
お勝手口ではお顔を入れるのがせいいっぱいらしく、レンジの上の窓のほうに、ぶっとい指が回ってきます。
たかちゃんはおなべをかかえて、どっこいしょと渡してあげます。
「はーい」
「おう、かっちけない。元気か、ちょんちょん頭」
指先でたかちゃんのおつむを、つんつんしてくれます。
「ぶー。ちょんちょん、ちがう。たかちゃん」
「わはははは」
不動明王様は、雪のお庭にあぐらをかいて、いそいそと大鍋のふたをつまみ上げます。
「こ、これは……」
一瞬目を見張り、くんくんと匂いを嗅いでいる様子に、たかちゃんたちは一瞬ふあんを覚えますが、
「いい出汁でてんなあ。鰹と昆布だな。お、明太子の匂い。こりゃ博多の柚明太子じゃないのか? 好物なんだこれ。おう、本場の水戸納豆も。おうおう、大蒜までたっぷり効かして。こっちに浮かんでるのは、ビタミンCてんこもりの苺か。クリームもあんこもたっぷりときたね。おや、すじこまで。いくらより、クドくてうまいんだこれが。うんうん、こりゃ徹夜の後には、最高だわなあ! 精ついちゃうなあ」
多少悪ズレしていてもさすがは仏様のお仲間、カオス状の液体から、個々の成分の旨味も選別享受可能のようです。
「……こーなると、ちょっと、こっちのほうもあったら完璧、なんちゃってな」
くいくいと、なにやらお猪口を要求しているようです。
たかちゃんは、ときどきパパの晩酌につきあったりしているので、『こっちのほう』は知っています。れいぞうこの奥から、お客様用の高級吟醸酒をひっぱりだし、ととととととお庭にはこんであげます。
「はーい」
「いやあ、なんか、催促しちゃったみたいで」
たかちゃんは、不動明王様のお膝によじのぼり、雪見酒のおしゃくをしてあげます。
「ささ、おひとつ」
「わははは、悪いな、俺ばっかし」
おだいどこでは、てーぶるにぐったりつっぷしたまんまのくにこちゃんを、ゆうこちゃんが、やさしくぽんぽんしてあげています。
はじめっから、呼んどけばよかったのですね。
★ ★
「――さくせん、ぞっこう」
てーぶるいっぱいにひろげたなんかいろいろの食材さんを前に、たかちゃんが宣げんします。
「おうよ」
強靱な胃壁修復能力によって復活したくにこちゃんが、雪辱戦への気合いを籠めて、ちからづよくうなずきます。
ゆうこちゃんも、こんどこそはむりょくなじぶんもおなべのためにがんばるの、と、けなげにこくこくします。
雪のお庭からは、徹夜明けに大酒かっくらってしまった不動明王様のいびきが、ごうごうと響いています。この末世、仏様としては多忙で残業続きなのか、ときどき呼吸が途切れたり、呻いたり、ちょっぴり心臓の動脈や脳の毛細血管のグアイが心配な気配も見受けられますが、まあ駅のホームや公園のベンチで凍死してしまう惰弱なおっさんたちとは鍛え方が違うので、それっきりという事はないでしょう。
「さっきは、だしが、まちがっていたのだ」
くにこちゃんが、第一次攻撃失敗の責任転嫁を謀ります。
たかちゃんも、おだしの瓶に書いてある『濃縮』『倍』『CC』といった特殊戦略用語が理解できない以上、作戦初期の失策を認めるにやぶさかではありません。でも、なんだかとってもくやしーので、とりあえず反ろんします。
「でもやっぱし、さきににるのも、ちがってた」
くにこちゃんは、う、とことばにつまります。
「……まあ、いたみわけだな」
「こくこく」
結局なにひとつかくしんがもてないまま、せつなせつなのなあなあに身を任せ墓穴を掘ってしまう、にたものどうしのふたりなのですね。
「だいじょーぶだ。まだざいりょーは、いっぱいある」
くにこちゃんは伊勢海老さんをむんずとつかみ上げ、そのりっぱなおひげを、たのもしそうにうにうにと揺らします。
「こいつは、強そうでかっこいい。だから、だいじょぶだ」
こんきょの方向性が誤っております。
「おだし、もう、あんましない」
たかちゃんは、さっき原液のままどぼどぼ使ってしまった瓶を、ちゃぽんちゃぽんと振ってみます。
「でも、だいじょーぶ。おみそとおしょーゆ、ぎゅーにゅーとけちゃっぷ、まだ、いっぱいある」
タイプちがいのこんきょが重複しています。
ゆうこちゃんは、ふと、ふきつな既視感にとらわれます。南の海で巨大な戦艦が炎につつまれながらちんぼつしていく姿など、なぜか遺伝子きおくによみがえります。いっそ伊勢海老さんもお魚さんもお野菜もお肉さんたちも、別々にぐつぐつしたりじゃーじゃーしたりして、適宜ポン酢やおしょーゆでたべちゃったほうがあんぜんでおいしーのではないか――でも、それだと『どどんぱなべ』という最終目標を、根本から放棄しなければなりません。
「そんだけあれば、しるは、じゅーぶんだな」
「こくこく」
「こんどは、でっかい具から、さきににてみよう」
くにこちゃんは、まつざか牛すてーき大ふぁみりーぱっくなども、むんずとわしづかみにします。
ゆうこちゃんは、ついに発言を決意します。
「あ、あの……はじめに、とんとんとん」
おずおずと、再攻撃の手順を具申します。
「あ」
たかちゃんは、ぐつぐつぐつやじゃーじゃーじゃーに囚われて忘れていた当初の目的を、ようやく思い出します。そう、そもそもとんとんとんが当初の希望だったのですね。
「なんということだ」
くにこちゃんも、そんけいする母親のおだいどこ姿を思い出し、己の短慮を悔やみます。
「いっとー先は、ほーちょーと、まないただったのだ」
そーと決まれば、後先考えないふたりのこと、
「ほいっ」
「おうよ」
「ほりゃ」
「あらよ」
またたくまにシンクの横には、ありったけの俎板や包丁が並びます。
刀剣類はやっぱし武闘派主導――そんな阿吽の呼吸で、出刃包丁片手のくにこちゃんがまんなかに陣取り、もっとも手強そうな伊勢海老さんに立ち向かいます。
たかちゃんはふつうの文化包丁で、いったんトマトさんに勝負を挑もうとします。でも、まっかっかのまあるいトマトさんをくりくりなでているうちに、なんだか情が移ってしまい、切るのがかわいそうになったりします。
――とまとさん、まあるいまんまで、かわいく、おりょーり。
しばし考えこんだのち、
「とまとさんは、ぐつぐつぐつ」
いつかママがなんか赤くておいしい洋風おなべを作ってくれた時みたく、まるのまんま、小鍋で煮てみることにします。まあトマトさん本人にしてみれば、斬殺されるのも釜茹での刑になるのもおんなし虐殺かもしれませんが、そこはそれ、主観の相違です。
「♪ とんとんとん、ととんととととん ♪」
たかちゃんは上機嫌で、お台所限定シンガー・ソング・ライター活動など再開します。
「♪ とんとんと〜ん、とんとんと〜ん ♪」
このところ既成曲のカバーが多く、久々のオリジナル作曲活動だったためか、ついつい盗作に走ったりもします。
「♪ よさく〜 よぉ〜さぁくぅぅ〜 ♪」
トマトさんの替わりに人参さんを輪切り――いや、角切り――もとい乱切りしているたかちゃんの反対側では、ゆうこちゃんがちっこい果物ナイフを手にして、おそるおそるタマネギさんを見つめています。
……どきどき。びくびく。
「ゆーこ、おまいは、皮をむけ。そしたら、おれが切ってやる」
くにこちゃんのやさしいことばに、思わずちょっぴりときめいたりしてしまう、ゆうこちゃんです。
当のくにこちゃんは、推定30センチはあろうかと思われる伊勢海老さんをがしりと押さえつけ、闘志満々で、その強固な装甲に立ち向かおうとしております。
「てい!」
いっきに胴体を両断しようとしますが――
がっつん。
さすがは高級食材、たやすく俎板の露と散る器ではないようです。
「……なかなか、やるな」
くにこちゃんのほっぺたに、ふてきなびしょうがうかびます。
「とうっ!」
こんどは敵の後頭部めがけて、おもいっきし切っ先をふりおろします。
がしどすっ。
厚い甲殻でかわされた切っ先は、鈍く激しい振動と共に、まないたさんのほうを貫きます。
「…………」
伊勢海老さんの寝ているまないたごと、むひょうじょうにほーちょーを持ち上げるくにこちゃん――両側のたかちゃんとゆうこちゃんは、さすがにたらありと冷や汗を流します。シンクのステンレスまで穿たれた穴が、くにこちゃんの底知れぬ潜在能力を物語っております。
――この恐るべき力は、志《こころざし》を過《あやま》てば、暗黒面に墜ちる。
たかちゃんは、教育的指導を試みます。
「……もうちょっと、そっち」
「こうか?」
「ちがう。そこんとこ」
「……ここだな」
「ちがうちがう。すきまんとこに、ずぶ」
「くぬ、くぬ」
「ちがうよう」
くにこちゃんは、こわいお顔で、羞恥心を糊塗します。
「……たかこ。おまいは、うるさい」
それから、ふと、ゆうこちゃんをふりかえります。
ゆうこちゃんは、さっきくにこちゃんに言われたとおり、はてしなくたまねぎを剥き続けながら、ほろほろと涙を流しています。
「……ゆうこ。おまいは、いいおんなだ」
ゆうこちゃんは、つつましやかに頬を染めます。
「ぽ」
たかちゃんのちっちゃい胸の奥に、いっしゅん、嫉妬のほむらがむらむらと燃え上がったりします。
「むー」
――さて、前回までの無能教師がその引退宣言において、コンビよりトリオのほうが社会的であり発展的である、そんな講釈をたれましたが、その一方で、先を見ないむやみな発展性はしばしば暴走し、最終的に人類の存続すら危うくしたりもしがちです。巨視的にとらえれば、核開発などがその典型的な例と言えるでしょう。微視的には、たとえばこのお話のように、たからづか的きゃらを交えたおんなたちのさんかくかんけい、あるいはやおい方向がまぎれこんだ野郎のさんかくかんけいなどは、どーしてもズブドロになりがちです。ですから、同性2対異性1のありふれたさんかくかんけいに輪をかけて、ころしあいになる前に、ちょっとこまめに気をくばる必要があります。
しかし幸い、たかちゃんはものごとにあんましこだわらない、早い話がとことんいーかげんな性格のお子さんなので、
「つるつるつる」
湯がいたとまとの皮を気持ちよくいっき剥きしているうちに、
「♪ つるつる、つるつる〜 ♪」
この世界はなんてささやかなシヤワセに満ちているのだろうと、みにくい感情のもつれなどは、なにもかも水に流してしまいます。
これこのように、なにごともおおらかに世に接していれば、くにこちゃんのほうでも過干渉を逃れて自助努力に目覚め、
「うおうりゃああっ!」
徒に硬い甲殻にこだわらず、伊勢海老さんのわしわしとした左右の脚をわしづかみにしていっきに腹から引き裂く、そんな発想の転換も可能になります。
ばりばりばり。
★ ★
「ああ、お父様!」
テーブルに残された伊勢海老さん姉妹は、ひしといだき合い、よよと泣き崩れます。
「……な、なんてことだ、股裂きにするとは」
松坂牛の霜降り青年が、思わず目を覆います。
「ま、宿命ですな」
無農薬白菜おじさんが、淡々とつぶやきます。
「わたしら、しょせん流通ルートに乗ってしまった食材の身、流れに身を任せるしかありません」
はい、伊勢海老はともかくステーキ肉がどーやって目を覆うんだよ、白菜どこでつぶやくんだよ、そんなツッコミを入れてくださる想像力のカケラもないかわいくねーそこのあなた、あなたは体育用具室の片隅に、老朽化した跳び箱が、一組放置されたままになっているのはご存知ですか? ああいった粗大ゴミは、今どき処分するだけで、少なからず経費がかかります。せんせい、ふにんしてきてからずうっと、なんか有効利用できないものか、考え続けておりました。……跳び箱の中は、狭いながらも空洞なのですね。あなたのような無駄に肥大化したよい子でも、ちょっと手脚をあっちこっち、四方八方になんかすれば……うふ、うふふ、うふふふふふふふ。はいそれではあなた、放課後になったら、体育用具室にいらしてくださいね。いいですか、あなたひとりでですよ。
さて、白菜さんのつぶやきに、残った若い人参さんたちもうなずきます。
「まあ、人参としてこの世に生を受けてしまったからには、馬にでも人にでも、旨く食べてもらうしかないでしょう」
松坂牛さんは、肩を怒らせて反論します。
「そりゃあ君たち、君たちは土に縛られた野菜だから、そんな日和見な事を言ってられるんだ。僕なんか数日前、ハンマーで眉間を一撃されたんだぞ。産まれた時から乳母日傘、蝶よ花よと育てられ、このままいつまでも平和な一生が続くのだと信じこまされていたところを、いきなり撲殺されたんだぞ。これは絶対、横暴な権力による虐殺だ。それでも一瞬のことだから、僕なんかまだ幸せなほうだ。こちらの伊勢海老のお嬢さん方なんか、目の前で、父親が虐殺だ。聞けば君たち、先週は実の母親を生きたまま煮えたぎる油に放りこまれたと言うじゃないか」
伊勢海老姉妹は、わっ、と泣き伏します。
白菜さんが、あいかわらず淡々と訊ねます。
「あの、すみませんが、よろしいですか? わたしら、もとが花粉なもので、身内関係がアレなもんで――どうやって実の父親や母親を見分けるのですかな、伊勢海老さんのご一家は」
伊勢海老自称姉妹が、ちょっとこわばります。
「ぎく」
「ぎく」
その場の同情を引きたいあまり、経歴を偽っていたのかもしれません。
やや形勢不利を感じ始めた松坂牛さんは、お仲間っぽいジンギスカン用ひつじさんたちに、話を振ります。
「君たちも、さぞ辛い目に会ってきたんだろうねえ」
ひつじさんたちは、茫洋とした瞳を宙に彷徨わせつつ、
「……まあ、草原で草食ってるのも、牧場で飼料食ってるのも、どうせ同じ空の下ですから」
「そうですねえ、草原で丸焼きになるのも台所のフライパンで焼かれるのも、どうせ同じ焼肉ですから」
松坂牛さんはあせって他のメンバーを見回します。
金目鯛さんも鰯《いわし》さんも、まんまるお目々をウツロに開き、とくになんにも考えていないようです。
うなぎさんたちのほうが、まだしも粘着質っぽく、論戦に加わってくれそうな気がします。
「――無念でしょうねえ。利根川上流でのどかに泳いでいたところを捕らえられ、裂かれてしまったお気持ちは、重々お察しします」
うなぎさんたちは、愛想よく挨拶を返します。
「にぃはぉ」
「くぃんとぅくぁんちゃぉ」
どうやら産地が偽装されていたようです。
ハンバーグさんたちは、己れが牛であるのか豚であるのかはたまた野菜であるのか穀物であるのか、すでにアイデンティティーを喪失してしまっているらしく、なんだかぶつぶつとアブナげにつぶやいているばかりです。
菜の花さんと菊の花さんは、お花さんどうしのおしゃべりに夢中です。
「あなた、かわいい」
「あなたも、きれい」
「くすっ」
「くすくすくすくす」
ピーマン君とホワイト・チョコレートちゃんは、いつの間にそこまでハッテンしたものやら、シヤワセそうに頬を寄せ合いながら、
「食べられた後も、おんなし胃袋だといいね」
「うん。あの、くるくる巻き毛の子のおなかだと、もっといいね」
――こりゃあかん。
松坂牛さんは、がっくしと肩を落とします。
――いいんだいいんだ。どうせ人間なんて、ひとりぼっちなんだ。
1971年中津川フォーク・ジャンボリーの夜、トランス状態に陥った吉田拓郎さんのように、2時間ぶっつづけで「♪ にんげん〜なんてらら〜ら〜らららら〜ら〜 ♪」などと、思わず歌い狂いたくなったりします。牛肉なんですけどね。
そんな青春の苦悩に悶える松坂牛さんの肩を、白菜さんが葉先で慰めます。
「……形があるから心があるのか、心があってこその形なのか――」
「?」
怪訝そうに振り返る松坂牛さんに、
「――眉間を一撃されても、畑から根を抜かれても、私たちはこうして語り合っております。それが『魂』という恒久的な意識なのか、あるいは未練な残留思念が束の間交錯しているだけなのか、私にも解りません」
白菜さんは、穏やかに微笑しています。
「いずれにせよあなた、同じ鍋で煮られて、共にあの子たちの体内を巡ってみるのも、一興ではありませんか。その時私たちの心がすでに失われていたとしても、少なくとも躰はあの子たちの血肉になれる。今確実に『形』と『心』を併せ持っている、あの子たちの『今』そのものになれるのです。そしてまた、いつかあの子たちが生を終えるとき――あの子たちと私たちを、もう誰も分別することはできない。しかし同時に、かつてあの子たちと私たちが別個の『形と心』であったという事実もまた、誰にも、否定することはできません」
そんな老獪な詭弁で、納得するものか――若干の敵愾心を残しつつ、納得できないなりに、ついなんとなく、こくりと頷いてしまう松坂牛さんでした。
★ ★
「とんとんとん、しゅーりょー」
シンクに連山を成した不定形物のお皿群を前に、たかちゃんはじゅーじつしたお顔でせんげんします。
「つづいて、ぐつぐつぐつー」
「まて」
くにこちゃんが、おしとどめます。
「さっきは、それで、しっぱいした。もしか、じゃーじゃーじゃーが、先だったんじゃないか?」
「おう」
たかちゃんのちっちゃな脳裏にも、かつてお台所でママの炒め物をお手伝い《ぼうがい》しながら聞いた、「これで、お野菜が型くずれしないのよ」とか「お肉の旨味を中に閉じこめるの」とか、なんだかよくわからないけれどとっても説得力に満ちた言葉が、よみがえります。
たかちゃんはさっそくシンクの下にもぐりこみ、いちばんでっかい中華なべを、頭にかぶって出てきます。
「かぶとむし」
一発芸を狙ったつもりだったのですが、
「…………」
つのが小さかったためか、あるいはお鍋が大きすぎて肩まで隠れてしまい兜に見えなかったのか、あんましウケません。
「…………」
たかちゃんはふたたびシンクの下にもぐりこみ、今度は中華なべを背中にしょって、よつんばいでのたくり出ます。
「がらぱごすおおうみがめ」
くにこちゃんは、ぶ、と吹き、ゆうこちゃんはくすくすとお口をおさえます。
こんどはぶじにウケたので、たかちゃんはこころおきなく、じゃーじゃーじゃーにかかります。
「ちゃっか!」
きあいをこめて、がすれんじの栓をひねります。
しかし、さすがにありとあらゆる食材を山盛りにした大中華なべは、なかなかじゃーじゃーじゃー状態になりません。
「これは、あぶらがたりないのだ」
「こくこく」
たかちゃんは、てんぷらあぶらの大びんをかかえ、いっきに流しこみます。
「どぼどぼどぼ」
いきおい余ってお鍋の縁からこぼれるてんぷらあぶらに、ゆうこちゃんはいっしゅん、つよいふあん感にかられます。
しかしくにこちゃんは、んむ、とうなずきます。
「ま、そんなもんだな」
たかちゃんも、カタルシス重視でにっこし笑います。
そして、待つこと、しばし――じゅわじゅわじゅわ。
たかちゃんとくにこちゃんは、がしっと腕をからませます。
「どどんぱっ!」
ようやくおとなのおんなのひあそびをじっかんできたうれしさに、たかちゃんは、はりきってターナーをふるいます。
「♪ じゃ〜じゃ〜じゃ〜 ♪」
やまもりのなんかいろいろさんが、白い湯気を引きつつあっちこっち乱れ飛びます。
くにこちゃんもごーかいに協力しながら、もったいないおばけ対策のため、シンクや床にこぼれたなんかいろいろをお鍋に戻したり、あるいはこっそりおなかに収めたりします。
「おしお!」
「おうよ!」
「こしょう!」
「はいな!」
「らーど!」
「ぶちゅう!」
きなくさい異臭が、おだいどこにただよいはじめます。
ママのじゃーじゃーじゃーを思い起こしつつ、ランナーズ・ハイに近い精神状態に陥っているたかちゃんを、やはり情動の奔流にのまれてしまったくにこちゃんが、せっせと補佐します。ゆうこちゃんは、いまだ胸の底にふあんを秘めつつも、やはり今となってはこれしかないのかもしんない、と、別のバタービーターでたかちゃんに協力します。
「しあげ! えーと――そこの、まるいの、びんの!」
「どすこい!」
くにこちゃんが抱え上げた瓶に、ゆうこちゃんは一瞬、いきをのみます。
それは、恵子さんがお肉料理の仕上げなどに使用している、アレではないのか。とすれば、これはすでに海上特攻に等しい暴挙ではないのか――。
はんしゃてきにうばいとろうとしますが、
――ぼ。
それはそれはみごとな火柱が、天も焦げよと吹き上がります。
高アルコール度数のブランデーさんは、放火にも使えます。
ちなみに過熱したてんぷらあぶらさんも、日々あっちこっちで、せっせと民家を燃やしております。
めのまえのげんじつを受けいれそこねたたかちゃんは、
「……つぎは、おくらほまみきさー」
キャンプ・ファイヤーの夜に現実逃避したようです。
「……おんあぼきゃー」
思わず合掌するくにこちゃんは、護摩壇にすがったのでしょうか。
もっともれいせいと思われたゆうこちゃんまで、
「……きれい」
いっしゅんにして、夢の世界に旅立っております。
それほど壮絶な炎だったのですね。
めらめらめら――きらきらきらとお目々を潤ませているたかちゃんたちの火照った頬をまだらに染めつつ、炎は今しもおだいどこの天井まで届こうとしております。
ああ、なんということでしょう!
せっかくママが保険の水増し請求で再建してくれたそこそこのツー・バイ・フォーも、こんどは東京大空襲のごとき焦土と化してしまうのでしょうか。なんのつみもおちどもない女児たちまでまきこんで!
――でも、よい子のみなさん、けしてご心配はいりませんよ。
いちぶのかしこいよい子の方々は、「そうか、このシークェンス収拾のためにも、不動様登場が必要だったのか」、そんなうがった分析をなすっているかもしれませんが、あにはからんや、徹夜明けの泥酔した不動様などというものは、地震が来ようが津波が来ようが地球が壊滅しようが、そう簡単に起きるものではありません。まあ、おしなべて神様や仏様などというものは、人間がもっともそれらを必要としている時に限って、安らかに熟睡していたりしがちです。
でも、以前からたかちゃんたちのかつやくを見守ってくだすっている、すでにそんなシロモノは虚しい幻だったのかと思われるほどごく少数となってしまったとってもとってもよい子のみなさんならば、もうお気付きですね。
はい、あわやたかちゃんたちも焦土の人型炭化物と化してしまうのか――そんなとこまでめいっぱい引っぱったあたりで、おだいどこの窓が、からからと開きます。
「こんばんは。旅の行商のバニラダヌキです。おいしいバニラシェイクはいかがですか?」
ふかふか冬毛でちょっぴりケバ立ったバニラダヌキさんは、体長3メートルほどの三毛猫にまたがり、いつものようにシェイクのお屋台を引いています。
こんな雪の中、露天でシェイク売って回ってどーすんのよ、そんなツッコミは歯牙にもかけず、ただひたすら年中無休で世界中を行商するのが、バニラの村に生まれたタヌキの使命なのです。それはもう、北極点到達寸前で力尽き凍死しかかっている探検隊員たちにまで、ひゃっこくておいしいバニラシェイクを買ってもらうのが、バニラダヌキさんたちの、非情な宿命なのです。
「おお、これはみごとな落ち葉焚き」
あいかわらずくりくりと澄んだお目々――見方によっては何を考えているんだかわからないお目々で、
「もっと、燃《も》しますか?」
たかちゃんたちは、約数秒間その見事な火柱をながめつづけたのち、いっせいにぷるぷると首を振ります。
「消しますか?」
こくこくと、うなずきます。
バニラダヌキさんは、お屋台のシェイクの機械から、先っぽのプスンのところだけ取り外し、ずりずりとお窓まで引っぱって、ガスレンジに向けます。
しゅわわわわわわ。
じゅわー。
ぶくぶくぶくぶく。
なるほどたしかに、バニラシェイクと消火器の泡は、ちょっと似てるかもしんない――ひとごとのようになっとくしつつ、こくこくとうなずき続ける、たかちゃんたちでした。
そのよん【♪つくつくつんつん、つん、つん、つーん――♪】
――はい、いつのまにやらいちおくにせんまんぶんの『すうめい』に激減してしまったよいこのみなさん、こんにちはー。
いえいえ、せんせいは、なにもふへいふまんをもらしているわけでは、けっしてございませんよ。せんせいは、いぜんのイロモノ出身教師のように、ウケるためならケツの毛さえ見せてしまうような、せっそーのないおんなではありません。また、きょーいくいいんかいからのだんあつやふけいからの投書に負けて、鉄拳や延髄切りにこめた熱い愛の教育を放棄してしまうような、惰弱な教育者でもございません。たとえお話づくりの人とただふたり、未開の原野で吹きすさぶ風のみを相手に語ることになろうとも、そこに叩き割る岩やへし折る巨木があるかぎり、草の汁をすすっても地虫を喰らっても、敢然と語り進むおんなです。
しかしそれでも、ちかごろやっぱしひびのよっきゅーふまんがたかまるばかりで、ついついのこりすくないよいこのみなさまのだいどーみゃくをかき切ったり、ささいなかんじょーのもつれによって、むいしきのうちにしめころしたりするといけません。
ちょっとお話の前のでもんすとれーしょんとして、またストレスかいしょーを兼ねて、ここに取り出しましたるコンクリートブロック十段重ね、頭突きで粉砕させていただきます。
ずご。
――はい、ロス留学中大道芸で学費を稼いでいた頃ほどのキレはありませんが、これこのように、最下のブロックまできれいに二分されております。物言わぬ冷たいコンクリートゆえ、悲鳴も上がらず血も流れないのがやや物足りなくはありますが、そこはそれ、我が国がどんなにフヤケきりヤバくなりつつあるか内心薄々自覚しつつ、なお真実から姑息に目をそむけようとしている平和ボケ愚民国家に生きる身の哀しさ、この程度の怒りの発露で、我慢することといたしましょう。
はーい! それでは、孤高のせんせいにえらびぬかれたいのちしらずの『いちおくにせんまんぶんのすうめい』のよいこのみなさま、こんかいもまた、つらくはてしない、たかちゃんわーるどにたびだちましょー!
★ ★
「はい、どーぞ」
消火活動を終えて、テーブルに落ち着いたお客様を、たかちゃんはきちんとおもてなしします。
「いやいや、どーぞ、おかまいなくおかまいなく」
おかまいなくおかまいなくと言うわりには、たかちゃんの出してあげたコップをすばやくまえあしでかかえこみ、すでにストローでじゅるるるし始めているバニラダヌキさんです。もっともたかちゃんのほうも、ガス・レンジに山盛りになってしまったシェイクをコップですくってお出ししただけですから、どっちもどっちです。
「ほう、どどんぱ鍋ですか」
たかちゃんの出火釈明を聞いたバニラダヌキさんは、訳知り顔でうなずきます。
「それは、いい。さむいばんには、バニラをたっぷし効かしたどどんぱ鍋、なんといっても、それがいちばんです」
たかちゃんとゆうこちゃんは、はてな、とお顔を見合わせます。
ちなみにくにこちゃんは、巨大三毛猫がお勝手口から入ってきたとたん果敢に勝負を挑み、その巨大肉球でおだいどこ中突き転がされたあげく、今はまるくなって寝てしまった三毛猫さんのおなかのまんなかあたりに捕獲され、首だけ出して脱出の機会をうかがっています。
「たべたこと、ある? どどんぱなべ」
その名を知っているだけの、いえ、もとい勝手にでっちあげただけのたかちゃんは、おずおずとバニラダヌキさんにたずねます。
「はい。それはもう、一晩中はらつづみを打ちまくりたくなるような、どどんぱっぽい美味しさです」
なんだかとっても楽しいお味のようです。
「でも、とんとんとんやじゃーじゃーじゃーはいけません。いきなしぐつぐつぐつも、きんしです。まかりまちがうと、じんるいが、めつぼうします。おなべのはずの『どどんぱ』が、どんぶりものの『はるまげ』に突然変異してしまうのです。バニラの村では、それを『はるまげ丼』と呼んでおります」
なにやら想像を絶するリスクも、秘めているようです。
思わず腰の引けてしまうたかちゃんたちに、バニラダヌキさんはにっこし笑――笑ったのではないかと推測される狸顔で、
「いえいえ、ご心配にはおよびません。おいしいシェイクをごちそうになったお礼に、ただしいつくりかたを、教えてあげましょう」
もとはと言えば自分でぶちまけた商品なのですが、なんといっても小動物さんのこと、そういった遠い過去の過ちは、忘れてしまっているのですね。
たかちゃんとゆうこちゃんは、バニラダヌキさんに続いて、再び調理台に向かいます。
ちなみにくにこちゃんは、それらの会話のあいだ中、なんども三毛猫さんのおなかから這いだしては、そのたんびに尻尾の先で押し戻され、はいぼくかんにうちひしがれております。この秋となり村にもらわれて行ってしまった三毛猫さんの赤ちゃんと、間違われているのかもしれません。それでも気まぐれな猫さんのこと、たかちゃんたちが移動すると、「なんだなんだ」と立ち上がって後を追います。ですからくにこちゃんも、ようやくひとりだちできます。
バニラダヌキさんは、溶けたシェイクと焦げた食材さんたちでチョコパフェのようにまだらに輝く小山を、ふんふんかぎ回っております。
「――『どどんぱ』が、はいっておりません」
たかちゃんたちは、はっとお顔を見合わせます。おりょうりの方向性が、根本的に過っていたのかもしれません。どうやら『どどんぱなべ』は、これまで想定していた『よせなべ』や『やみなべ』のような『状況由来鍋』ではなく、『とりなべ』『ししなべ』のような、『主要食材由来鍋』らしいのです。
たかちゃんは、己の無知を内心恥じつつも、やはり責任転嫁を謀ります。
「……すーぱーに、なかった」
「こまったスーパーですねえ。『どどんぱ』や『ばにらの実』をきらすようなお店は、企業努力が足りません」
全世界を行商しているわりには、ちょっとグローバル・スタンダードに疎い、バニラダヌキさんです。
「ぼくのもっているのを、ひとつ、お礼にさしあげましょう」
「おう」
お庭のお屋台にむかうバニラダヌキさんに、たかちゃんたちもわくわくと続きます。
「『どどんぱしぇいく』、しんはつばい?」
そんなしぇいくがあるのなら、ただしい児童として、ぜひいちどじゅるるるしておかねばなりません。
「それはまだ、企画会議で検討中です。去年の秋口に『どどんぱ』がいっぱいとれたので、夏には商品化可能と思われます」
雪のお庭では、不動様のかたちの白い小山が、ごうごうといびきをかいております。おなかのあたりにちょっと轍《わだち》の跡が残っているのは、バニラダヌキさんが越えてきた道でしょうか。
「これから秩父山地を越えて、八ヶ岳のサナトリウムを行商する予定だったのです。『地域限定シェイク・風立ちぬ』の市場調査を兼ねまして。『どどんぱ』はとっても精がつくので、冬の山越えには欠かせません。ふたつ持ってきておいて、ちょうど良かった」
きょねんまでよりも、なんだかずいぶんハードなお仕事をこなしているようです。きっとのどかなバニラの村にも、『負け組棄民政策』は、確実に影を落としつつあるのですね。
バニラダヌキさんは、お屋台の横の扉を開けて、ごそごそとなんか引っぱり出します。
「おお、まだ、いきている。これは、とってもこうきゅうな『どどんぱ』です」
バニラダヌキさんの腕のなかで、ピンク色のなんだかよくわからないものがふたつ、うにうにとうごめいております。ふたつのどどんぱさんがなっとう餅のようにからみあい、洋楽だか邦楽だかわからないちょっとホンキーなリズムにのって、あっちこっち出っぱったりひっこんだり元気に弾んでいるありさまは、なるほどこれを食べたらからだが芯からあったまったり精がついたりひつよう以上にハイになったりして、昭和36年の元祖『東京ドドンパ娘』渡辺マリさんのように老婆になってもドドンパ娘でいられそう、そんな感じです。
たかちゃんは、さっき秋にとれたと聞いたので、くだものかお野菜なのかなと思っていたのですが、どうやらみちのせいぶつだったのですね。
「はい、どうぞ」
「ど、ども」
ぬばあ、とピンクの糸を引いているどどんぱさんのひとつをうけとったたかちゃんは、うでやむねやおなかに感じるびみょうなかんしょくと甘いような苦いような香りに当惑しつつ、やっぱしおとなのおんなになるのはかならずしも快感ばかりではない、そんな一種の悔悟にとらわれます。
しかしくにこちゃんは、さっそくそのねばねばをつっついて、ぺろ、などと味見します。
思わず顔をしかめるたかちゃんやゆうこちゃんに、
「とっても、あまみの、おくがふかい」
かんじいったように、こっくりとうなずいてみせます。
ついてきていた大猫さんも、くにこちゃんのお手々をべろりんと嘗めてから、たかちゃんの抱えているどどんぱさんを、ものほしげにふんふん嗅ぎ回ります。
「これは、くせになるかもしんない。てっぽーむしに、ちょっとにている」
たかちゃんとゆうこちゃんは、やっぱしお顔をしかめます。
でも、あえてくにこちゃんのために、せんせい、責任を持って断言しますが、鉄砲虫――カミキリムシの幼虫さんは、なんで養殖してすーぱーで売らないのか不思議なくらい、ほんとにおいしいいもむしさんなんですよ。ちなみにおすすめは、なんといってもおどりぐいです。せんせいも陸自時代の山間サバイバル訓練中、なんど舌鼓を打ったかわかりません。大自然の恵みを素直に享受できない惰弱なよい子は、網焼きかバター焼きにして、ビールのおつまみすれば最高でしょう。
★ ★
おだいどこに戻ったたかちゃんたちは、エプロン姿のバニラダヌキさんをせんせいにして、こんどこそはと三度目の正直をめざします。
「『どどんぱ』は、いきがよければそのまんま酒肴にしてもおいしいのですが、お子さんやせいしんねんれい十四歳以下の外観のみ成人の方などは、やたらにナマでたべるとあまりにおいしすぎて、全世界の『どどんぱ』を求めて旅立ってしまったりします。うまくみつからないと、やけになってみさかいなく銃を乱射したり、刃物を振り回したり毒を撒いたりしがちです。そうなってしまうと、ようやく新しい『どどんぱ』をみつけても、まちがって『はるまげ丼』を作ったりしてしまうわけです。ですから、お子さんやせいしんねんれい十四歳以下の外観のみ成人の方などには、まいるどな『どどんぱ鍋』が、いちばんです」
たかちゃんたちは、とーぜんもうまったくなにがなんだかよくわかりません。でも、ママのエプロンをずりずりとひきずっているバニラダヌキさんがとってもおもしろかわいいので、すなおにこくこくします。
「『どどんぱ鍋』は、『とんとんとん』のかわり『むちむちむち』、つぎには『じゃーじゃーじゃー』のかわりに『ちん』、それからはじめて『ぐつぐつぐつ』なのです。それさえまもれば、とってもかんたんに、おいしくいただけますよ」
バニラダヌキさんは、お皿で蠢いているどどんぱさんを、むち、とひとつかみちぎります。
「はい、それではみなさん、これこのように、どどんぱを、一口大にちぎってください。千切り蒟蒻《こんにゃく》の要領ですね」
バニラダヌキさんのお手々から、ぴんくいろの粘液が糸を引きます。なんだか粘液自体も、ぞわぞわと自律的に蠢いているようです。そのありさまは、すでにどどんぱの味を知っているくにこちゃんですら、思わず一歩引いてしまうようないんぱくとです。
「…………」
「…………」
くにこちゃんとゆうこちゃんのしせんが、たかちゃんに集中します。なんだかよくわからないものごとはたかちゃんの担当、そんな暗黙の了解が成立しているのですね。
たかちゃんも、自己の存在意義を賭けて、んむ、とうなずきます。
「……むにっ」
粘液の内側の感触は、確かにこんにゃくさんに似ています。
「むちっ」
なまあったかいもちもちが、あんがい潔くちぎれます。
あえて詳細に表現すれば、軽く湯がいたスライムに包まれた柔らかめのぼたもち、そんな感触でしょうか。
「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃ」
その微妙な歓声に、多大な快感を察知したくにこちゃんは、勇んで調理に参加します。
「むちっ!」
一般に幼児といういきものは、ねばねばしたものやむにむにしたものが、もともと大好きです。
「わひゃ、わひゃははははは」
まあ幼児に限らず、千葉の栄町や神戸の福原などを夜毎うろつく愚劣な中年男たちなども、単なる○○○○だけでなく、ローションたっぷりの逆ソープ状態など、なかなかにこたえられなかったりします。
「……びくびく。……むちっ」
おそるおそる参加した、おしとやかなゆうこちゃんまで、
「(^o^)。……むちむち、ちまちま」
夢中になってハマってしまいます。すでにいつものやわらかわいいバニラダヌキさんが登場した以上、もうこの物語世界全体が果てしなくメルヘン方向にシフトして行くのではないか、そんなはかない希望的観測にとらわれてしまったのかもしれません。
そうして、またたくまに、笊いっぱいのちぎりどどんぱができあがります。
お庭方向に逃亡したちぎりどどんぱさんや、その途中で三毛猫さんに食べられてしまったちぎりどどんぱさんも数匹いるようですが、バニラダヌキさんは、往年の田村魚采先生か神田川俊郎さんのようにあくまでもひとあたりよく、
「はい、それでは、したごしらえの続きです。瀬戸物かガラスの器に移し、お水7対お醤油3、それに味醂を少々加え、電子レンジで5分ほど、『ちん』してください」
バニラダヌキさんの指示に、たかちゃんは、ちょっとした齟齬をかんじます。
「♪ちろりろりろるるるん♪」
「?」
「おうちのれんじ、ちん、じゃないの。 ♪ちろりろりろるるるん♪」
「――それでは、電子レンジで ♪ちろりろりろりりりん♪ してください」
「♪るるるん♪」
「……♪ちろりろりろらららん♪ してください」
「♪るるるん♪」
「えー、こほん。あーあーあー。 ♪ららりーるれろらーららら♪ こほん。――♪ちろりろりろるるるん♪ してください」
「こくこく」
たかちゃんは、ようやくなっとくして、瀬戸物のおなべを探します。バニラダヌキさんのひとあたりのよいほっぺたが、往年の田村魚采先生か神田川俊郎さんのように、びみょうにひきつったりします。
このばあい、たかちゃんに、けしてあくいはありません。あくまでも、バニラダヌキさんが見た目よりずうっと長生きしているがゆえの、世代ギャップです。しかしけしてあくいがないとはいえ、重要な大局をことごとくいーかげんにやり過ごしながら、じぶんごのみの枝葉末節にのみしつこくこだわってしまう性格は、お話のひとのようなおたく野郎や、不幸にもおたくの父を持ってしまったたかちゃんのようなお子さんに、ありがちな欠点です。一般社会への適応や、お料理の進行などに何かと悪影響を与えかねないなので、ぶよんとしてしまりのないみなさんなどは、特にご注意くださいね。
★ ★
さて、『どどんぱ』の『ちろりろるるるん』を待つあいだに、他の食材の準備――もとい、火事場の後始末にかかります。
どろどろの小山を、バニラダヌキさんは再びふんふんしたり、ぺろぺろしたりします。
「バニラのふうみも、足りませんね」
こんだけシェイクにまみれていても、まだバニラ方向の不足があるのでしょうか。
「ちょっと、とってまいります」
ママのエプロンに脚をとられつつ、ぽこぽことお勝手口に向かったバニラダヌキさんは、ふとたかちゃんたちをふりかえり、
「それから、これはとってもだいじなことなので、よっくと、聞いてくださいね」
意味深なお顔でけいこくします。
「ちろりろるるるんがおわるまで、ぜったいに、れんじの中をのぞいてはいけませんよ」
たかちゃんたちは、とうわくしながら、うなずきます。
そうして、いったん閉まったお勝手口が、またちょっと開いたりします。
「……ずぇったい、のぞいてはいけませんよ」
いつになくシリアスな、狸顔です。
これはもうぴかぴかのしょーがくいちねんせいにとって、『こっそり覗け』と命じられているのと同じです。
バニラダヌキさんのあしおとが遠ざかるのをかくにんし、くにこちゃんとたかちゃんは、さっそく意味深な視線をかわします。
「…………?」
「……こくこく」
ぬきあしさしあししのびあし。
ゆうこちゃんが、あわあわとふたりの腰を引きます。
「……だめだよう」
ちなみにくにこちゃんのデニム・パンツは、当節ハヤリの購入時からこれ見よがしに脱色されたり擦り切れたり穴が開いたりした『オレらアタシらなーんも苦労してないけどいちおー苦労してるみたいなカンジで馬鹿は馬鹿なりにカッコいいでしょジーンズ』では断じてない、7歳児にしてすでに立派な経年消耗ジーンズです。幼稚園の頃から、ぶかぶかのウエストをベルトでカバーし、裾折り返しまくりで穿き慣らした結果、育ち盛りの女児の中性的ヒップ・ラインに皮膚のごとくジャスト・フィットし、鬼畜の誘蛾灯として、くにこちゃんの必殺活動に日々貢献していたりします。いっぽうたかちゃんはオレンジ寄りのベージュのスカート付きパンツ(特売2枚組1290円)をはいているので、ゆうこちゃんに引っぱられると、びよーんと伸びてショーツのおしりのラスカルがコンニチワします。
「でんしれんじのまどは、りょーりのぐあいを、のぞくためにあるのだ」
「でも、でも……」
「でんしれんじは、まいくろ波で、かねつするのだ」
くにこちゃんは、学習雑誌の科学漫画をうけうりします。
「まいくろ波は、そとにもれないように、できている。だから、のぞいてもだいじょぶなのだ」
ふだん現代科学をきれいさっぱり無視して生きている割には、都合のいい時だけ科学を重んじるくにこちゃんです。
たかちゃんはとにかくのぞいてみたいので、『まいくろは』がなんであろうと、しっかりうなずきます。
「こくこく」
ゆうこちゃんは、とほーにくれます。でも、けっきょくふたりのお腰にくっついて、でんしれんじに向かってしまいます。ふたりのあきらかなあくじやいさかいを止めるときとは違い、こんかいのような『もらる的に問題が残るが、科学的には誤っていない』ケースだと、やはりおのれじしんのよくぼうが、もらるを凌いでしまうのですね。
「わくわく」
そーっと覗きこんだレンジの中では、おそるべきこうけいが展開しております。
おなべから這い出たぴんくのちぎりどどんぱさんたちを、体長数センチほどの豆狸さんたちがナンパしています。洒落たスーツのイケメン風豆狸さんたちは「ちょっとお話しながらお茶しようよ」「化粧品のアンケートなんだけど」などと、おもにオトし易そうなお嬢さん系のどどんぱさんを誘っております。カメラマン・ジャケットの豆狸さんは「キミ、これからウチのオーディション受けてみない?」などと、ちゅーとはんぱに崩れつつあるギャルを狙います。赤ら顔の中年の豆狸さんたちは「ねえちゃんひとばんナンボや」「えーやないかへるもんじゃなし」などと、すでにヒップ・ラインの崩れた援交バリバリ層にハシタ金をちらつかせ、それはもう渋谷か池袋、あるいはミナミか梅田状態になっております。どうやら、濁ったおなべの中にまた連れ込もうとしているようです。
こりはびっくり――まあ、さすがに幼児のこと、詳細な事実背景は把握できないものの、たかちゃんたちは思わずたじたじと後ずさります。そんなたかちゃんたちの気配に気づき、レンジの手前にいた、黒シャツ・ノータイの胸をはだけた見るからにガラの悪そうな豆狸さんが、ガンを飛ばします。
「あーん?」
典型的な、東映Vシネマ発音です。「オレら武闘派、シロト衆にナメられちゃ生きてけんのよ」とでも言いたげな、しかし内心は「俺らだってクズはクズなりにいっしょーけんめー生きてるフリしてるけど実はほとんどこんじょーないんでとことんラクしてカネとオンナがもーなんぼでもとにかくもっともっとラクに欲しいだけなんよ」、そんな発音です。
その声に反応したのか、レンジいっぱいの豆狸さんたちも、いっせいにぎろりとたかちゃんたちを睨みます。
こりはたいへん――はんしゃてきに身を乗り出し、ふたりを護ろうとするくにこちゃん、おろおろとその背中にすがるゆうこちゃん、ちゃっかり最後部に回ってまっさきに逃げ出すたいみんぐを見計るたかちゃん――張りつめたむすうのしせんが交錯します。
1ぷんが1じかんにも感じられる、そんな、ながいながいちんもくののち――
「ああっ! 見ないで!! そんないたいけな汚れなきまなざしで、わしらの恥ずかしい姿を見ないで!!」
黒シャツさんが、みもだえしながら涙にくれます。
レンジ中の豆狸さんたちが、いっせいにくるんとでんぐりがえります。
ぽんぽんとあっちこっちに上がった煙の中に、胡麻粒ほどの葉っぱたちが、ひらひらと舞い降ります。
煙が晴れたあとには、すでに豆狸さんたちの姿はなく、おなべからのがれたちぎりどどんぱさんたちが、かってきままにきゃぴきゃぴと散策しているだけです。
やはり、みてはいけないものをみてしまったのだ――そんな苦い後悔がむねにこみあげると同時に、あの豆狸さんたちにも辛い過去があったのかもしんない、と、またいっぽ、おとなにちかづくたかちゃんたちでした。
そして――♪ちろりろりろるるるん♪
電子レンジのちゃいむが鳴った、そのとき、
「……みてしまいましたね」
はっとしてふりむくと、お勝手口には、籠にいっぱいのバニラの実をしょったバニラダヌキさんが、たちすくんでおります。
こわいかおをして――いるのかどうかは、いつもの狸顔なので、よくわかりません。
たかちゃんたちは、しらばっくれて、ぷるぷるとつよく否ていします。
「……みてしまいましとぅぁぬぅえ」
バニラダヌキさんのお声が、いまだかつてない陰湿な粘りけを帯びます。
たかちゃんたちは、ふほんいながら、やむをえずこくこくします。
「――まいくろ波による味醂吸収が足りない『どどんぱ』は、すでに『はるまげ』化しつつあります。このままでは、おそるべき『はるまげ丼』が、できてしまうのです」
バニラダヌキさんはおもおもしく、でもなぜかちょっぴりうれしそうに、講釈をたれます。
「こーなったら、いっこくもはやく、どどんぱに引導を渡さねば!」
バニラダヌキさんに命じられるまま、たかちゃんたちは電子レンジを開けて、逃げ惑うちぎりどどんぱさんたちをおなべに戻し、調理台に運んで火事場の焼け残り物件の上にぶちまけます。バニラダヌキさんは、さらにざらざらとバニラの実をぶちまけます。
「さあ! ちからのかぎり、『こねこねこね』するのです! ここはもう、早急に『つみれ鍋』にしてしまうしか、世界を救う道はありません!」
その剣幕に、ただならぬ危機を感じたたかちゃんたちは、
「こねこねこね」
「こねこねこね」
「こねこねこね」
総出で最終戦争に立ち向かいます。
しかしたかちゃんは、
「こねこねこね。こねこねこ……ねこ、こねこ……このこねこのここねこのこ」
いまいち、きんちょーかんが足りません。
ゆうこちゃんも、こーいった肉体労働は、どーしても不得手です。
「……うんしょ、ふう、うんしょ」
『こねこねこね』が、いつのまにか『ちまちまちま』に減力してしまいます。
いきおい戦闘の主導権は、例のごとくくにこちゃんが掌握します。
「ごね! ごね! ごね!」
まだらで不均等だったなんかいろいろが、日本一のカリスマ手打ちうどん師もかくやと思われる力づよいこねりんぐで、またたくまに淡いピンクの巨大なマシュマロと化していきます。最初はていこうしていたちぎりどどんぱさんたちも、しだいにおとなしくなり、やがてくにこちゃんのたけだけしいゆびさばきに、あっはん、などとみをゆだねはじめます。
そうして、激闘、さんじゅっぷん――。
さしものくにこちゃんもちょっと手を休め、
「まあ、こんなもんか」
充実した荒い息を吐きながら、汗をぬぐいます。
バニラダヌキさんが、ピンクのぷよぷよをふんふんとかぎ回ります。
たかちゃんたちも、いきをひそめてみまもります。
「……もっと」
いろっぽい、としまおんなのつぶやきが、静寂をやぶります。
たかちゃんたちは、いっしゅん、お顔を見合わせます。
でも、たかちゃんやゆうこちゃんは、そんなお声を出すにはまだ推定十数年の修行が必要ですし、くにこちゃんにいたっては、生涯ふかのうと思われます。もちろん、バニラダヌキさんの狸声でもありません。
バニラダヌキさんが、たじたじとあとずさりします。
「……はるまげ? いや……どどんぱが、熟成進化している……」
次世代どどんぱさん――いえ、かつてどどんぱであったもの――あまたのいのちをそのなかにとりこみつつ、まったく未知の意識体として覚醒してしまった何者か――しいていえば『ごもくどどんぱ』あるいは『どどんばーぐ』とでも呼ぶべきなのでしょうが、ちょっと長いので、以降も『どどんぱ』と呼称させていただきます――は、乳桃色のなまめかしい軟体をくねらせながら、くにこちゃんに、うにゅう、としなだれかかります。
「……もっと」
「?」
「やめちゃ、いや。もっと」
くにこちゃんは、どーすんだこれ、そんな視線でバニラダヌキさんに救いを求めます。
バニラダヌキさんは、いつのまにかシンクの下にもぐりこみ、ママのエプロンにくるまれて、しかばねのようによこたわっております。呼吸はいっけん停止し体温も低下、心拍も生存限界ぎりぎりまで微弱に抑える――はい、これが、パニックに陥った非力な小動物などに多くみられる、たぬきねいり、とゆーものです。たんに、しんだまね、とも言いますね。
くにこちゃんは、かくごをきめます。
どどんぱさんのなまあったかい感触と、過剰なあまいかおりに辟易しつつ、しんちょうにお手々をのばします。
「……こうか?」
ごにょごにょごにょ。
「もっと、やさしく」
「じゃあ、こうか?」
ぷにぷにぷに。
「……へたくそ」
それはけしてどどんぱさんの本心ではなく、とししたの夫を軽くからかう、そんなニュアンスだったのかもしれません。
しかしまだわかすぎるくにこちゃんは、男としての自尊心を根源的な部分で傷付けられたようなきぶんになり、思わずつきはなしてしまいます。
「かってに、しろ」
おんなのこなんですけどね。
どどんぱさんが、ぴくりとこわばります。
「……ひどいわ」
ささいな閨事《ねやごと》のいきちがいが引き金となって、としまおんなの被害妄想に火がつきます。
「あなた、もう私を愛していないのね」
きょとん――くにこちゃんは、ことばにつまります。
いかに侠気《おとこぎ》溢れるおんななかせのくにこちゃんでも、さすがにどどんぱさんとねんごろになった過去はありません。
ふしぎなものをみるようなくにこちゃんの視線を、さらに曲解してしまったのでしょうか、どどんぱさんの表面が、みるみる蒼白――もとい、青紫色に変わります。
「…………」
ぶきみなちんもくをたもちつつ、ぶるぶると震えております。
そして――
「……死んでやるう!!」
ぶわ、と、膨張変形巨大化します。
なんだかよくわからないけれど、とってもやけくそなかたちに膨れ上がったそのてっぺんは、おだいどこの天井を突き崩し、お二階の屋根にまで達します。
がらがらがらがら。
がれきや畳の雨の中を、たかちゃんたちは、あっちこっち逃げまどいます。
「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ」
逃げまどいながらも、ぷれぜんとのもくぎょさんやどらい・ふらわーさんだけはしっかり確保するたかちゃんですが、おうちのほうは、もはや廃墟と化しつつあります。
――やっぱしたかちゃんのおうちは、どーしても、こうなるお約束だったのですね。
★ ★
ごきんじょの物陰で待機していたさんにんのSPさんは、いっしゅんにして雪煙をあげ倒壊する家屋に愕然としながらも、すばやくコートやせびろをかなぐり捨てます。そのしたには、しっかり迷彩戦闘服を着こんでおります。そして、たたたたたと雄々しくお庭に突入しますが、雪の小山をうっかり踏み越えようとしてしまい、
「なんや、そーぞーしー。寝てらんねーぞ」
などとぶつぶつ言いながら起き上がった不動様に振り落とされ、見事に出鼻をくじかれます。
ごごごごご。
雪煙の中に瓦礫を弾き飛ばしながら、巨大どどんぱさんが屹立します。
不動様は、その異形の影を見定め、
「お、やんのかオラぁ!」
これは調伏しがいのある奴が出現したと、張り切って立ち上がります。
しかしそのとき、あしもとに、なにやらだだだだだと駆けてくる姿――
「ひゃっほう!」
くにこちゃんを先頭に三毛猫さんにまたがり、窮地をのがれたたかちゃんたちです。
「うひゃあ」
不動様はまのぬけた叫びをあげて、阿波踊りのような手つきをしながら数メートル跳んで逃げます。
「またかよ」
不動様は、生理的に、猫を受けつけない体質だったのですね。おさないころ非行猫に足蹴にされた、そんなトラウマがあるのかもしれません。そのまんま屏を跳び越え、どどどどどと四つ角まで逃亡し、物陰からこそこそと様子見をきめこみます。
たかちゃんたちは、もとより不動様に期待はしておりません。
「はいよー! しるばー!」
今どき何人のよい子に解ってもらえるか心もとない掛け声とともに、そのまんま門を駆け抜けようとしますが、どどんぱさんは、うにゅにゅにゅにゅう、とからだを尺取り虫のように引きのばし、頭越しに行く手をさえぎります。
「ありゃ」
進路を断たれたたかちゃんたちに、丸っこく戻ったどどんぱさんがのしかかります。
「ま、まて。はなせば、わかる!」
くにこちゃんは、ひっしにせっとくをこころみます。そのせなかにはりついたゆうこちゃんと、ちゃっかり風呂敷づつみをしょったたかちゃんも、こくこくと同調します。
しかし、嫉妬妄想の虜と化したとしまおんなに、もはや理屈は通じません。
「ひとりでは、死なないわ」
うにい、とさんにんにのしかかり、とししたの夫(妄想)の背後に身を隠すふしだらな情婦たち(妄想)を見定めます。
まずはたかちゃんのお顔の前に、どどんぱさんのお顔(推定)が迫ります。
「……ごっくし」
こりはやばい――そう緊張するたかちゃんをよそに、どどんぱさんのお顔は、ぷい、とそっぽを向きます。ちがう、こんなちょんちょん頭に夫を奪われるほど、私は安くない――そんな自尊心の表れでしょうか。
「むー」
たかちゃんは、こころのそこからむかつきます。たとえ幼女でも、そうしたおんなごころは、なんとなく読めてしまうのですね。
どどんぱさんのお顔が、今度はゆうこちゃんに迫ります。
「……あわ、あわ、あわ」
せいじゅんかれんなおとめのおびえきった瞳に、殺気に満ちたどどんぱさんのお顔が映ります。
このおんな。この美しいおんなが夫のこころを私からうばってしまったのだわ。でも、でも……。
どどんぱさんは、けして鬼でも蛇でもありません。ただ、なんかいろいろ混沌とこねまわされてしまい、ちょっと思考回路があっちこっちアレになってしまっただけなのです。
この美しい情婦を亡き者としても、夫の心は、二度と戻らないのでは――いや、亡き者にしてしまった時点で、きっともう、永遠に戻らなくなってしまう――。
どどんぱさんの頬(推定)を、熱い涙(推定)が伝い流れます。
その両脇から、にょわにょわと2本の腕(推定)が伸び、なお情婦たちをかばおうとしているとししたの夫(妄想)を、三毛猫さんの背中からうばいとります。
「あなたもいっしょに死んで!」
うしろめたいこともないのに、無理心中の道連れになってはたまりません。くにこちゃんは果敢にその手をふりほどき、
「とうっ!」
くるくると宙を舞い、大地を蹴って反撃に転じます。
「とりゃ! とりゃ! とりゃ!」
しかし、手負いの熊程度ならばやすやすと蹴り負かすくにこちゃんの脚力も、巨大軟体生物の皮膚には通じません。
どどんぱさんのほうでも、可愛さ余って憎さ百倍、
「あだじのどごがいげないのおぉ!」
としまおんなのみれんが、もはや明白な殺意となって燃え上がります。
腕の先からぞわぞわと無数の指(推定)を伸ばして、くにこちゃんを狙います。
びゅん! ぶん! びゅん!
「ぬおおおおっ!」
こことおもえばまたあちら――すでに夜をむかえた雪のお庭に、ぴんくの触手群とくにこちゃんが乱れ飛び、もはや戦闘はあいよくのどろぬまと化しております。
みかねたたかちゃんは、三毛猫さんの背中にすっくとたちあがり、
「♪ あ、そーれ、ちゃっちゃっちゃ、ちゃっちゃっちゃ ♪」
木魚撥をばとんがわりにくるくる振り回し、むせきにんにおうえんします。
その横ではらはらと戦闘をみまもるゆうこちゃんの背後に、SPさんたちの影が駆け寄ります。
「お嬢様、こちらへ!」
先頭の主任が、有無を言わさずゆうこちゃんを保護します。
「きゃあきゃあきゃあきゃあ」
保護と言うより、行動的には奪取です。
「ご心配なく! さあ、安全な所へ!」
きゃあきゃあともがき続けるゆうこちゃんをかかえて、部下ふたりに背後を警戒サポートさせながら、またたくまに撤退して行きます。
「……ありゃ」
いっしゅんなにごとかと反応に窮するたかちゃんですが、そのおじさんたちはテレビで見たじえい隊のおじさんっぽかったので、とりあえず、おまかせすることにします。
「ゆーこちゃん、たいひ」
じぶんとくにこちゃんは見捨てられてしまったなどという事実は、三毛猫さんの背中でちあがーるをやっているほうがずっとおもしろいので、些末事です。
「♪ あ、そーれ、ちゃっちゃっちゃ、ほれ、ちゃっちゃっちゃ ♪」
★ ★
さて、青梅駅から徒歩15分ののどかな我が家でそんな非現実的事変が勃発しているとは露知らず、新シリーズでようやくキャラクター設定対象となったたかちゃんのパパは、出版不況の折から人員削減で土日出勤あたりまえになってしまった三流出版社の過酷な営業活動を命からがら全うし、今日も一日クモ膜下出血で昏睡状態に陥ったりストレス性鬱病でビルから飛び下りたり電車に飛び込んだりもせず、まんがの森や虎の穴やまんだらけにやくたいもないおたく向け成年コミックを無事納品できて良かった良かったと、駅のホームに降り立ちます。
ぶよんとしてしまりのない姿はややかばうまさんにも似ておりますが、なんといっても編集インテリ・ヤクザではなく妻子持ちの営業社員のこと、甲斐性はともかく外見上は社会人として多少見栄えがします。娘の誕生日プレゼントを大事そうに抱えて、この『ふたりはぷりきゅあすぷらっしゅすたーみっくすこみゅーん』があれば、うちのむすめもよりかんぺきな『きゅあいーぐれっと』にコスプレできる、などと軟弱な頬笑みを湛えているその姿は、一見かばうまさん同様のおたくでありながらすでにおたくの牙を抜かれ、妻子のどれいとして立派に馴致されております。たかちゃんには内緒でネット予約しておいた『きゃらでこけーき・ふたりはぷりきゅあ』なども、型くずれしないよう、大事そうに抱えております。
しかしそんな小市民的幸福を望むパパの人生観とはうらはらに、住宅街の坂を多摩川方向に下るにつれ、なにやらただならぬ喧噪が、細雪に紛れながら響いてまいります。
パパの脳裏を、いやあな既視感がよぎります。
その不吉な予感は、坂道を一歩一歩下るにつれ、より確実なものへと変わっていきます。
なにやら幼女を抱えた一団が、どどどどどと坂道を駆け上ってきます。
「きゃあきゃあきゃあきゃあ」
――あれは、たしか三浦さんとこの優子ちゃん。
かばうまさんに似ているだけあって、やくざに因縁をつけられているおっさんなどはおどおどと見て見ぬふりをしても、若い女性や女児だけは、死守したい性質《たち》です。
「あのう、ちょっと」
SPさんたちは任務上、優子ちゃん関係の友人・家族などはすべて把握しております。
「これは片桐さんのご主人」
すちゃ、と敬礼しながら、
「倒壊しつつあるご自宅から、お嬢様を救出させていただきました」
任務関係以外の状況などは、きっちり省略するSPさんです。
「たべられちゃうよう! どどんぱさんに、たべられちゃうよう!」
ゆうこちゃんが、じたばたと泣きながらうったえます。
「くにこちゃあん! たかちゃあん!」
――これはやっぱり、うち特有のなんだかよくわからない大変な事が起きているのだ!
パパは泡を食って駆け出します。
その姿に一瞬気を取られたSPさんたちの隙をついて、ゆうこちゃんが逃れます。
ととととととたかちゃんちに駆け戻ろうとしますが、
「いけません!」
たちまち追いつかれ、狭い坂道の路地で、進退を断たれます。
「さあ、お屋敷に戻りましょう」
SPさんたちは、けして意地悪をしているのでもなければ、薄情なのでもありません。彼らの任務は、あくまでも『三浦優子の安全を確保する』ことであって、それは人道上の倫理とは無関係です。たとえば仮に、片桐貴子や長岡邦子を救う事によってしか三浦優子の生命も維持できない、そんな状況下であったとしたら、彼らは自分が迫撃砲の盾となってでも、たかちゃんやくにこちゃんを救おうとするでしょう。それがプロの警護員の倫理だからです。
しかし、こころのそこからゆめみるちっこいおんなのこゆうこちゃんに、そんなおとなのりくつはつうようしません。
「……いくもん」
ゆうこちゃんのお人形さんのようなくりくりお目々に、そしてか細い四肢に、なにか強靱な意志が宿ります。
人一倍蒲柳の質であるがゆえに、幼い頃から『死』と無意識にでも対峙していたからでしょうか、あるいは連綿と続く財閥の家系が歴史の水面下で絶えず繰り広げて来た過酷な生存競争の遺伝子記憶が、ついに蘇ったのか――。
「……とおして」
それは、陸自別班出身の猛者たちが、思わず対等の構えを取ってしまうほどの気迫です。
しかし、やはり体格差の壁は厚く、ゆうこちゃんはじりじりと路地の壁に追いつめられます。
あやうし、ゆうこちゃん――。
「――はっ!」
れっぱくの気合いとともに、とつじょ、ゆうこちゃんの姿が掻き消えます。
せつな、SPさんたちが事態を把握した時には、ゆうこちゃんはくにこちゃんもかくやと思われる身のこなしで坂道の下に着地し、一散にたたたたたと駆け去って行きます。
瞬時に追跡を開始したSPさんたちは、突如頭上から襲った風圧に煽られ、ばらばらと地を転がります。
ごごごごご。
とんでもねー轟音と光が、ゆうこちゃんを追うように通過します。
そう、今しもママを乗せて南太平洋から帰着した、ジェット・ビートルの勇姿です。さらに後方上空には、金色に輝く孔雀明王様も続いております。
★ ★
そーしたきんぱくの展開などはもうきれいさっぱり知らぬげに、たかちゃんはあいかわらず、
「♪ あ、そーれ、ちゃっちゃっちゃ ♪」
熾烈な肉弾戦を繰り広げるくにこちゃんを、いしょーけんめー応援だけしております。
どどんぱさんは、完璧な錯乱状態です。じんでやるごろじでやるでもひどりでば逝がぜないわでもみんなあなだのぜいよわだじなんてわだじなんて、などと、叫ぶ言葉ももはや脈絡を失い、正気な人間にはいみふめいです。
一方くにこちゃんは、戦っても戦っても勢いの衰えないどどんぱさんに、もはや愛憎を超えた『闘友』とでも言うべき感情を抱いております。
――ころすには、おしいおとこだ。
熱い男の血が滾《たぎ》っていたりします。性別的には、どっちも雌なんですけどね。
いずれにせよ、永遠に解り合えない長く哀しい戦い――飽きっぽい三毛猫さんなどはすでに興味を失い、うなあああ、と大あくびをしたあと、うにゅにゅにゅにゅう、と伸びてそっくりかえります。
その背中で、ちょうどお腰に両手をあてて片脚を上げていたたかちゃんは、
「ありゃりゃ」
すってんころりんと、うしろに転がり落ちます。
いかに動作のキレが命の熟練喜劇役者とはいえ、この角度で後頭部から無防備に落下しては、演舞場の露と散って伝説の喜劇子役と化すか、あるいは脊椎を傷め生涯車椅子か――しかしそこはそれ、お約束、
「キャッチ!」
「おう」
パパのぶよんとしてしまりのない胸が、たかちゃんをうけとめます。
「やっほー。おかえりーい」
たかちゃんは、うにうにとパパのおなかのかんしょくをせなかで慈しみます。
筋肉のカケラもない脂肪にまみれた脆弱な胸や腹部でも、たかちゃんにとっては、だいじなおふとんがわりです。なんといってもまだ幼児のこと、見た目の逞しさなどよりは、触感優先なのですね。
「ただいま。今日もいい子に――」
していたはずがありません。
なにがあった、などという野暮な質問も、パパは発しません。我が子の豊かな想像力と行動力、そして合理的説明能力の著しい欠如は、日々痛いほど実感しております。
ばらばらと降り注ぐ建材の破片から愛娘を護りつつ、奇態な巨大生物とくにこちゃんの激闘をまのあたりにして、パパは家長としての使命感をあらたにします。
まあその足元で粉微塵に砕かれつつある我が家は、また愛妻が保険の水増し請求で、なんとかしてくれるだろう。しかし長岡さんちの邦子ちゃんや向こう三軒両隣にまで被害を及ぼしては、家庭崩壊・一家離散必至――。
パパは雄々しく立ち上がり、とりあえず、丸くなって寝ている巨大三毛猫さんのおなかあたりに、たかちゃんをおしこみます。自分のおなか同様、クッションが効いて安全そうに見えたのですね。
「待ってろ!」
だだだだだと頼もしく駆け出すパパに、かたちゃんはひらひらとお手々を振ります。
「はーい。いってらっしゃーい」
わずか数秒後、ズタボロになったパパが、めのまえにらっかしてきます。
「おかえりなさーい」
まあそんなもんだろうと思っていたので、たかちゃんは、さほど驚きません。やすらかなねむりにつけるよう、おはなをそなえ、もくぎょをたたいてあげます。
「ぽく、ぽく、ぽく」
しかし一方どどんぱさんは、今しもその触手にくにこちゃんを捕らえ、抱きしめ――というよりさばおりで、無理心中を図ろうとしております。
あやうし、くにこちゃん! さすがの超強化ろりも、お夕食前で、空腹が限界に達してしまったのでしょうか!
そのとき、実にまあタイミングを見計らったように、例の轟音と光が片桐家上空に到達します。
ごごごごごごごご。
ドルビー・サラウンドでリミックスされた立派な効果音で、ひょろひょろの噴射炎やセコい煙をカバーしつつ、ジェット・ビートルがホバリングします。そしてその扉から、白い影がダイブします。
突き出した右手の先に光り輝く、銀色のフラッシュ・ビーム――。
「でゅわっ!!」
華麗なる空中変身を遂げて、ウルトラママが大地に下り立ちます。
ずずうううん!!
いっけん初代うるとらまんに酷似しておりますが、なんといってもナイス・バディーなたかちゃんのママのこと、お腰のくびれなどはナマツバものですし、銀色のラバー・スーツはビザーレ・ファッションあるいはボディコンさながらの艶やかさです。
思ってもみなかった同スケールのおんなが出現した驚きに、どどんぱさんは、いっしゅんたちすくみます。
「じゅあっ!」
ウルトラママは、すかさずその腕をひねりあげます。
夜空に弧を描く触手の先をめざし、上空から孔雀明王様が舞い降ります。
「くー!!」
すでにマリアナ海溝でごいっしょしたからでしょうか、ママと孔雀明王様は息もぴったしです。
孔雀明王様はその嘴《くちばし》で、どどんぱさんの緩んだ触手の先から、くにこちゃんをくわえあげます。
「おう、もどったか!」
「くーくー」
★ ★
いきをのんで見守るたかちゃんとしかばねのようなパパの前に、こんどはくにこちゃんが、ぽて、と落ちてきます。
「……はらへった」
やっぱし、燃料切れだったのですね。
くにこちゃんは、たかちゃんが生還のお祝いにさしだした『きゃらでこけーき』を、ふたりはぷりきゅあの型びにーるごと、またたくまにむさぼり食います。ようやく精気をとりもどし、上に乗っかっていたプラスチックのペンダントのみ、ぺ、と吐き出すのを、
「きゃっち」
たかちゃんはすかさず回収します。
そんな三人の背後から、恐る恐る不動明王様が顔を出します。
「……寝てるな? 起こすなよ?」
びくびくと三毛猫さんを遠回りして、戦線に加わって行きます。孔雀明王様も加わった今、さすがに自分だけ物陰に隠れていては、今後のツブシが効かないと覚悟したのでしょう。
不動様は、ウルトラママと対峙するどどんぱさんの背後に回り、その退路を断ちます。
「でゅあ! でゅあ!」
「くーくー」
「来なさい!」
前後と頭上の三方を固められ、どどんぱさんは焦りの色(推定)を浮かべます。そして、まだ同性のほうが勝算ありと見たのか、のわ、とウルトラママにのしかかります。
「芳恵、がんばれ!」
息を吹き返したパパが、がば、と飛び起きます。
ちなみにママのお名前は、片桐芳恵です。パパのお名前はどーでもいいのですが、いちおー片桐誠三郎です。したがって今戦っているママの変身モードの名称は、正確には『ウルトラよしえ』さんなのでしょうが、ちょっとやっぱりアレなので、以降もウルトラママと呼称させていただきます。
パパはなぜだか通勤鞄を抱え、再び戦線に向かって駆けだします。
「おう」
その深い夫婦愛に我が父ながら思わず感動してしまうたかちゃんでしたが、パパは鞄から自慢の高性能デジカメを引っぱり出し、
「芳恵、綺麗だ!」
コスプレ嬢を慕うおたくの群れのように、あさましくローアングルを狙っております。
――あのちちおやとのけつべつは、あんがい早いかもしんない。
たかちゃんは漠然とそんな予感を抱きつつ、
「♪ あ、そーれ、ちゃっちゃっちゃ ♪」
父親のことを言えた義理ではありません。
まあ、ママにしても重大な局面で無力なパパに邪魔されるよりは、遠巻きに賛美されるほうがまだましでしょう。
しかしいざどどんぱさんと組み合ってみると、なにしろ相手は変形自在の軟体生物、さしものママも次の技に窮します。投げ技も足技もぶよぶよとかわされてしまい、『技あり』に持ち込めません。孔雀明王様が上空からつんつんとついばんでも、お餅をつっつく雀さんと同じで、お餅自体の丸呑みは不可能です。不動明王様はもともと筋肉勝負以外取り柄がないので、やっぱり徒にどどんぱさんの背中(推定)をこねたり波打たせたりするだけです。ちなみにかとくたいのジェット・ビートルは、きほんてきに市街地での自主発砲を許されておりません。発砲許可を求めてやくたいもない交信を繰り返しつつ、うろうろと燃費最悪のホバリング、ぜいきんのたれながしを続けております。
どどんぱさんが、しだいに気合いを盛り返します。
――勝てる。上のケバイ鳥や後ろの筋肉バカは、単なる見かけ倒しに過ぎない。このこしゃくなボディコンおんなさえ亡き者にすれば、またあのひとを、この手に抱ける。
ぬっぷし!!
ぴんくの超重量級軟性体が、ウルトラママを押し倒します。
「どすこーい!」
大地を揺るがし倒れこみつつも、ウルトラママは身をよじり、かろうじてお隣の家を直撃するのを避けます。自宅だけならまだしも、ご近所の倒壊まで保険の水増し請求が効くとは思えません。このあたりはさすがに夫婦、パパ同様の平衡感覚です。
しかしそんな体勢には、やっぱり無理があったのでしょうか。どどんぱさんはすかさず脇の隙を突き、ウルトラママを寝技で完璧に絡め取ります。柔道ならば襟を取って片羽絞め、そんな展開になりそうなところですが、ウルトラママは一見コスチューム姿のようでも、実は生身です。当然襟がないので、どどんぱさんの腕と触手が、直にママの首を締め付けます。
ぎりぎり、ぎりぎり。
ウルトラママのお顔が、苦悶に歪みます。
背後の不動明王様は、
「こなくそっ!」
どどんぱさんを引き離そうと、その背中に取り付きますが、すでにどどんぱさんはこっちの世界から離脱してしまい、『ピー』の世界に行ってしまっております。凶暴性の『ピー』は、か弱いはずの女性でも大の男を数人振り払ってしまうほど、正常時には想像もつかぬ力を発揮したりします。
ぼむ!!
どどんぱさんの背中が、エア・バッグのように瞬間膨張します。
不動明王様はみごとに弾き飛ばされ、
「あーれー」
上空の孔雀明王様やビートルもろとも、多摩川方向の星と消えます。
こうなると、デジカメを抱えてうろちょろ駆け回っていたパパも、もはや液晶モニターを覗きながら「お、その顔も色っぽいぞ、芳恵」などと喜んでいる場合ではありません。必死こいてどどんぱさんの触手に食らいつきますが、しょせん一介の営業社員、別の触手で軽くデコピンされただけで、
「あーれー」
首に掛けたデジカメをなびかせながら、やっぱし多摩川方向の星と消えます。
あやうし、たかちゃんのママ! もはや孤立無援!
「……こりは、たいへん」
たかちゃんは木魚撥をぽとりと落とし、われをわすれてかけだします。
なんといってもいたいけな幼児のこと、パパのいないじんせいはあるていど覚悟できても、ママのいないじんせいなど、想像すらできません。
「まて! たかこ!」
くにこちゃんも、あとを追ってダッシュします。
さらにそのうしろから、
「たかちゃあん! くにこちゃあん!」
SPの手をのがれたゆうこちゃんが、お嬢様にははしたないだだだだばしりで合流します。
たたたたたたたた。
さんにん組は並んで疾走しつつ、おたがいのひとみのかがやきを、きらきらと交差させます。んむ、おう、こく、などとすがすがしくうなずきあったりもします。
まあ、ひるまくにこちゃんの言った「しぬときはいっしょとちかったなか」とゆーのは、下駄屋のお父さんにつきあって観た任侠映画の単なるエピゴーネンだったのですが、やっぱしなかよしさんにん組、あとさきかんがえない状況では、やるこた一緒なのですね。
たたたたたたたた。
しかし――なんぼ格好つけても、相手は推定十数メートルの巨大軟体生物、平均身長120センチの小学一年生たちに、勝ち目はあるのでしょうか!?
たたたたたたたた。
時あたかも、午後7時ちょうど!
……よいこのみなさんもとうに忘れ去っていると思われるはるか冒頭部の伏線、そしてお話の人自身も「なんぼなんでもこりゃスベるだろーなー」と予測しつつそれでも他の収拾策が思い浮かばないのでなしくずしにやっぱし使ってしまう伏線――『時あたかも午後7時ちょうど』。
そのしゅんかん、たかちゃんは、晴れてななつにパワー・アップします。
くにこちゃんはもう夏のおわりに、ゆうこちゃんも冬のはじめにななつになっております。
……勘のいいよい子の方は、なんとなく、コケる準備を始めていらっしゃいますね。
まあどうせコケるんならそのまんま後ろにコケて後頭部を強打し頭蓋骨折で即死するほど思いっきしコカしてしまえ、とゆーわけで――
ごごごごごごごご!
なんのいみもなく、青梅上空に巨大な光の窓がしゅつげんします。
三つ並んだその四角い窓は、奥多摩一帯を満艦飾のハレーションで満たしつつ、なんじゃやら高速で縦方向にブレていたそれぞれの内側に、つぎつぎと飾り数字を並べていきます。
それはもう、トンデモ惑星直列説や、大昔からテキトーこいてるだけの恐怖の大王など足元にも及ばない、まして駅前や街道筋のパチスロなどひゃくおくまん軒たばになっても敵わない、ホームレス寸前の貧乏人が一瞬にして億万長者に変身できるとゆー本場ラスベガスのラッキー・セブンを宇宙規模に拡大したような、無敵の『7の直列』です。
天空から黄金のコイン状の光が滝のように降り注ぎ、疾走するたかちゃんたちを包みこむように、渦を成して集束します。
「へんーしん!」
たかちゃんは本能のめいじるまま、たからかに叫びます。
「とうっ!」
さんにんそろって宙に舞い、くるくるくるといかにもトランポリンで跳び上がったところを挿入したなあ、そんな感じのカットの中で、黄金のコスチュームが、つぎつぎとたかちゃんたちのちっこい体を覆っていきます。
わずか0.05秒で輝く光の戦士と化したたかちゃんたちは、そのまんまママやどどんぱさんをとびこえ、瓦礫のお山の屋根に降り立ちます。
すたん!
すたん!
すたん!
そして三者三様、いかにもの見得ポーズをびしっとキメつつ、
「美幼女戦士、すりーせぶん!!」
★ ★
天空の輝きからふってわいたような、なにやらちっこい光り物たちに、どどんぱさんは怪訝な視線を向けます。
「…………」
警戒していいやら無視していいやら、とっても戸惑っているようです。
「…………」
たかちゃんたちじしんも、ふと、なんらかのぎもんを抱いたりします。
ポーズをキメたまではよかったのですが、ねんのためおたがいのへんしん具合をかくにんしてみると、たかちゃんは黄金のおじゃまじょどれみですし、くにこちゃんは黄金のうちゅうけいじですし、ゆうこちゃんにいたっては、黄金のあるぷすの少女はいじに近いありさまです。おのおの、原初記憶に刷り込まれた『もっともなりたいもの』のイメージで、大宇宙のスリーセブン・パワーを蒸着してしまったのですね。
せめてじぜんのミーティングができていれば、いちばん強げなくにこちゃんのこのみに合わせて戦隊物から三色えらぶとか、たかちゃんのこのみに合わせてくにこちゃんにあいこちゃんをやってもらいゆうこちゃんにはづきちゃんをやってもらい『完全どれみパクリ』に走るとか、なんら戦力になりそうもなくともたかちゃんがはいじでくにこちゃんがぺーたーでゆうこちゃんがくららで、いっしょにお屋根の上で『クララが歩いた』の回を再演してどどんぱさんを泣き落とすとか、なんらかの統一性が取れたのかもしれません。
もっともこの場にふさわしく蒸着できたくにこちゃんは、
「……きにするな」
むせきにんに断言します。
「もんだいは、きあいだ。そとみじゃ、ないのだ」
たかちゃんとゆうこちゃんも、こくこくとうなずきます。
ささいなかこのあやまちはみらいへのきぼうに変えて、たかちゃんが叫びます。
「こうげき、ぞっこう!」
どれみだって、りっぱな――あんましりっぱではないかもしれませんが、いちおう、まほうつかいです。
「とうっ!!」
さんにんそろって、雄々しくどどんぱさんに飛びかかります。
たかちゃんはどれみのばとんで、どどんぱさんの背中をつんつんつっつきます。
「ぴりかぴりららぽぽりなぺぺると」
正確な呪文を唱えているはずなのに、どどんぱさんは痛がりも消滅もしてくれません。
くにこちゃんはさすがに歴戦の勇士、
「どば! ざば! ずば!」
れーざーぶれーどを振るってかけまわりながら、次々とどどんぱさんの背中を切り裂いていきます。でも、切れたそばからたちまちくっついてしまうので、ちっともこたえません。
ゆうこちゃんは、ざんねんながら、じゅんしんなこころという精神的なアイテムのみの強化にとどまってしまったので、
「えい、えい、えい」
遺伝子記憶に蘇った闘争心に従い、いっしょーけんめーぺんぺんしてみたりするものの、やっぱしアルプスで山羊のお乳をしぼったりするほうが、なんぼか建設的のようです。
しかし、よいこのみなさん。
やっぱりくにこちゃんは、正しかったのです。
問題は、気合いなのです。
千丈の堤も蟻の一穴から――象の背中にとりついた三匹の蚤さんのような力でも、状況によっては中途半端な銃弾などより、よほど効き目があるのです。みなさん、ちょっと想像してみてくださいね。たとえばおねんねしようとおふとんに入ったとき、背中の軽い切り傷が痛むのと、ちくちくむずむずあっちこっちちょっぴり痒いのと、どっちがうざったくて眠れないでしょう。
どどんぱさんが、ごにょごにょと身じろぎします。両肩(推定)を、交互にくりんくりんしたりもします。
その一瞬の隙を突いて、ウルトラママは、ついにどどんぱさんの寝技をふりほどきます。
「でゅわっ!」
後方にトンボを切り、再び対戦のポーズで身がまえます。
焦って後ずさりするどどんぱさんの背中から、たかちゃんたちがぽとぽととこぼれおちます。
「ありゃりゃ」
しかし、いちぶ見てくれはアレでもさすがにコンバットスーツ蒸着済み、三匹の小猫のようにくるくると、
「きゃっとくーちゅーさんかいてん!」
すとととん、と大地に降り立ち、とととととと前に回って、ウルトラママに合流します。そして、ここはやっぱしもういっぺん、さんにんそろって見得ポーズをキメつつ、
「美幼女戦士、すりーせぶん!!」
ちっこいとはいえ、せなかくすぐりこーげきは侮れない――どどんぱさんは動きを止めます。
なんとか一件落着か、そう思われたとき――
ぴこん、ぴこん、ぴこん。
ママのゆたかなばすとの間で、からー・たいまーが点滅を始めます。
「!?」
ウルトラママは、動揺します。
「おう……」
たかちゃんたちも、ぜっくします。
どどんぱさんは、そうしたお約束にはとんと疎いので、まだ自分の勝機到来に気づいておりません。
しかし今ここで、ウルトラママが、ただの片桐芳恵ママに戻ってしまったら――
「…………」
たかちゃんのこめかみに、たらありとひやあせがながれおちます。
なんぼポーズだけキメても、事実上、まともに戦えそうなのは、やっぱしくにこちゃんだけではないのか。となれば『きゃらでこけーき』も消化されつつある今、いずれ燃料切れは必至――。
ママの一見アルカイックなマスクにも、実は生身のお顔なので、やっぱしちょっと大きめのたらありが流れ落ちます。
そんな微妙な空気を読んだのか、どどんぱさんのお顔(推定)に、精気(推定)が戻ります。
ぴこん、ぴこん、ぴこん。
その精気は、やがて確信に変わります。
どどんぱさんが、じりじりと前進を始めます。
あやうし、すりーせぶん!
……はい、そこで「いってーなんべん『あやうし』ばっかしやってんだよ」、そんなツッコミを入れてくださる難癖型評論家さながらに目つきの荒んだよい子のかた、御丁寧な御批評の前に、よーくその脆弱な記憶を遡ってみてくださいね。たしかにせんせい、今回『そのよん』の語りにおいて、すでに四回の『あやうし』を使用しております。しかし毎回、その対象はきちんと変えてあるのですよ。そのように、同じ技で敵を反復攻撃する場合は、攻める部分や間合いを微妙に変化させる、それが肝要です。たとえば、あなたが極真空手の対戦相手であると仮定して、それにわたくしが正拳突きを四度叩きこむ場合、これこのように――びし! ずど! ぐぼ! ばき! ……あらあら、ぼろにんぎょうのようにしんだまねなどなすって、ほんとうはとってもオチャメな、よい子の方なのですねえ。
さて、ぴこんぴこんとめいっぱい緊張の高まったお話でも、このお話が『たかちゃんシリーズ』である限り、悲愴な破局など訪れるはずもありません。
めいっぱい高まった緊張感の中、対峙するたかちゃんたちとどどんぱさんのあいだの地面に、なにやらちっこいぴんくのむにゅむにゅが、のこのこと這いだしてきます。どうやらお勝手口方向から、瓦礫の山と化したおうちを乗り越えて、はるばる旅をしてきたようです。
なんだかみおぼえのあるむにゅむにゅさんの、この世からすべての活力を奪い去ってしまうようなかったるい進行具合に、たかちゃんたちは思わず脱力して、その挙動をみまもります。
「…………」
どどんぱさんも、あきらかに気合いを削がれております。
「…………」
ちっこいぴんくのむにゅむにゅさんは、たかちゃんとどどんぱさんのちょうどまんなかあたりで立ち止まり――もとい這い止まり、うにゅう、とどどんぱさんを見上げ――もとい、そんなかんじでのびあがります。
「……なんでー、どこほっつきあるいてんだよ」
いかにもヒモっぽい、じだらくな若者の声です。
どどんぱさんは、怪訝そうに首をかしげます。
まじまじとむにゅむにゅさんを見つめ、それからうちゅうけいじと化したくにこちゃんを見つめ、またむにゅむにゅさんに視線を移します。
これまでなんかいろいろとこね混ざってしまい、朦朧としていたどどんぱさんの脳裏に、かつての同棲生活の記憶が、ありありとよみがえります。
そう、じぶんはちょっととしまのどどんぱであり、わかくてわがままでじだらくなぶんだけこころのそこからぼせいほんのうをちょくげきしてくれる内縁の夫もまた、人間ではなく、おすのどどんぱさんだったのです。
「あ、あんた――」
「……んなとこでゴロまいてんじゃねーよ。はよ、メシにしてくれよ」
巨大どどんぱさんのからだが、ぶよ、とゆらぎます。
そのからだのあっちこっちから、淡いぴんくの光が、焼けてふくらんだお餅から吹き出す湯気のように、しゅわしゅわとたちのぼります。
その湯気のような光の、一条一条のなかに、おぼろげな残留思念さんたちの姿が凝《こご》っております。
「おやおや、なんだか、妙なあんばいになりましたなあ」
呑気そうにつぶやいているのは、中年の白菜さんでしょうか。人参さんたちも羊さんたちも、異議なしで、なりゆきにまかせております。
「だからこういった宗教的構図で、社会的矛盾を糊塗してしまうのは、あきらかに日帝米帝の策略なのであってですねえ――」
若い松坂牛さんは、あくまでも反体制的立場をつらぬくようです。
「ぎちぎちぎちぎち」
血縁関係の曖昧な伊勢海老さんたちも、ぎちぎちともつれあいながら、ふわふわと宙に浮かんで行きます。
金目鯛さんや鰯《いわし》さんは、あいかわらずまんまるお目々をウツロに開き、とくになんにも考えていないようです。ハンバーグさんたちも、ぶつぶつとひとりの世界に閉じこもったままです。でもまあそれなりに、お空をめざします。
「あなた、天使さんみたい」
「あなたも、天使さんみたい」
「くすっ」
「くすくすくすくす」
楽しそうに笑い合う菜の花さんと菊の花さんにくるくると彩られながら、
「天国でも、ずうっといっしょだと、いいね」
「うん。そのつぎもいっしょだったら、もっといいね」
ピーマン君とホワイト・チョコレートちゃんは、あいかわらずラブラブです。
トマトさんやタマネギさんも、まあるく戻ってごきげんです。
そして中国産の養殖鰻さんたちは、
「つぁぃつぇん、つぁぃつぇん、つぁぃつぇん――」
5にょろ仲良くにょろにょろと、夜空に溶けて行きます。
そんな光の湯気を出しつくしながら、どどんぱさんは、しゅわしゅわと縮んでいきます。
さいごに、あっちこっちからぺぺぺぺぺと食材さんたちのコマぎれを吐き出して、ついに、もとのちっこいむにゅむにゅ姿に戻ります。
「あんた――」
「いーから、はよ、メシ」
ふてくされているわかいおっとを、いとしげにつつみこむどどんぱさん――。
そして、いつのまにかたかちゃんたちの横に現れたバニラダヌキさんが、
「……愛です。愛こそが、はるまげ丼をふせぐちからなのです」
今までどこで狸寝入りを決めこんでいたものやら、もっともらしくつぶやきます。
たかちゃんとゆうこちゃんも、きらきらお目々で、ゆめみがちにこくこくとうなずきます。
くにこちゃんだけは、実はうちゅうけいじのマスクの奥で、ほんとはこいつがいっとーわるいんじゃないのか、と、いちまつの懐疑をいだいております。でも、とりあえずたかこもゆーこもぶじだからまあいいか、と、やっぱしこくこくうなずきます。
そんなこどもたちの姿を、優しく見下ろしたのち、
「……じゅわっ!!」
いつのまにか雪もやんだ青梅の夜空に、あんしんして飛び去るウルトラママでした。
★ ★
――はーい、さいごのさいごまでおつきあいいただいた、素晴らしく忍耐強いよいこのみなさん、はてしなくだらだらと続くかに思われた今回の『よいこのお話ルーム』も、めでたく、これでおしまいでーす。
なお、途中で飽きてこっそりフケてしまったよいこの方々は、最後までがんばったみなさんのためにも、せんせい、今夜中にこっそり家庭ほうもんをおこない、なんかいろいろシツケてさしあげまーす。ですからみなさんは、あすのあさまでに、全治6ヶ月のおともだちや生涯半身不随のおともだちに送るおもいやりに満ちたお見舞いの手紙を、しっかり書いてきてくださいね。
え? なんだかお話が、しりきれとんぼっぽい?
……うる、うるうるうる。
せんせい、いま、こころのそこから感動しております。
お話しているせんせい自身、なんぼなんでもここまでクドいと、すでにお話づくりの人は若年性アルツハイマーに冒されてしまっているのではないか、そんなふあんにおびえておりましたのに、みなさんから、そんなけなげな言葉をかけてくださるとは――。
はい、それではりくえすとにおこたえして、だめおしの、かーてんこーるんなど。
★ ★
ちなみにその翌日の深夜、さすがに『愛こそが』などと言ってしまった手前おいしそーなどどんぱさんたちを食べてしまうわけにもいかず、その愛の巣であるお屋台を引く三毛猫さんの背中にまたがり、うえとさむさではんしはんしょーになりながら、八ヶ岳をめざして秩父山地を縦走するバニラダヌキさんの悲愴な姿があったそうです。
またその前夜、いったん成層圏まで弾き飛ばされたジェット・ビートルが、ようやく大怪獣に対する発砲許可を得て青梅上空に舞い戻ったり、陸上自衛隊東部方面隊第一師団の戦車隊がごごごごごごと青梅街道を西進し青梅駅方向の住宅街に一斉に砲塔を向けたりしたとき、たかちゃんちのお庭では、つぶれたお家の木材や瓦礫の山から掘り出したお鍋やふらいぱんや食器、また、おつまみに残しておいたすきやきふりかけやどどんぱさんが排他した残留思念抜きの食材さんたちなどを用いて、多摩川から無事に這い上がってきたパパや何食わぬお顔で「ただいまー」などと戻ってきたママも加わり、たかちゃんの盛大なお誕生会が、やややけくそぎみに、くりひろげられていたということです。
はい、それではみなさん、ごいっしょに――
「♪ はっぴばーすでー、とぅー、ゆー」
「♪ はっぴばーすでー、とぅー、ゆー」
「♪ はっぴばーすでー、でぃあ、たーかちゃーーん」
はい、じゅーぶんひきのばして――
もっともっとひきのばして――
「♪ はっぴば〜すで〜〜、た〜かちゃ〜〜〜ん! ♪」
「きゃははははは! どどんぱっ!!」
★おしまい★
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2006/04/03(Mon)04:09:40 公開 /
バニラダヌキ
■この作品の著作権は
バニラダヌキさんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
今回は初心に返り、ナンセンスに徹しようと思います(いつもか?)
……ふう、と、ひといき。
とりあえずたかちゃんは、やっとななつになりました。
さらに恒例の(おいおい)度重なるしつこい細部修正をさせていただきました。一応、現行ログでは最終更新の予定です(引っ込んだらまたやるつもりかよ)。
ちなみに陸上自衛隊東部方面隊第一師団の戦車隊の一部は、なかなおりした海坊主さんとミロガンダさんが東京湾から上陸し錦糸町のガード下の屋台で飲み始めたため、そっちでなんかいろいろしていたのですが、それはまた別のおはなしです。