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『アインの弾丸2 上』 作者:祠堂 崇 / リアル・現代 アクション
全角43795文字
容量87590 bytes
原稿用紙約143.25枚




 Prologue     とある事件の三日前





 執務室を叩くノックは、返事を待たずして扉を開ける。
 藍の髪を撫で上げた二十歳の男性に相応しい知的で精悍な顔つき。ダークブルーのスーツを着込み、長い脚を組んで書類の束に目を通していた男は眼鏡の奥の双眸を上げた。
 明け透けなく入ってきたのは、小柄な少女。言葉どおりに幼く、中学生ぐらいの背丈だ。
 従来の女の子を凌駕した美しい顔立ちに、着色の気が無い黒髪を左右でツインテールにしている。男女問わず、振り向かずにはいられない人形のような姿だ。
 ただし、あくまでそれは容姿だけに限る。一四〇センチの低身長に似合わない軍服を着込んでいるからだ。深い碧の色のズボンとマントを着込んでいるが、どう見ても軍服のほうに着込まれているように思える。
 そして、白く瑞々しい顔にそぐわない、圧倒的な眼力。杏型の目元は漆黒の瞳で、氷を連想させる。
 外見年齢十二歳とは違う睨みを利かせ、少女は不遜なまでに胸を張って男を射抜く。
「ふん、突然に場所を変えるから驚いたが、将が隠遁とは笑えるな」
「ここは落ち着けるんだ……イギリスはどうだった」
「安泰、やはりでまかせであった。しかしなんなのだ近頃の空港は、身なりで人間を選ぶとは嘆かわしい」
「……、」
 空港で警備員に連行され、英語で捲くし立てられて混乱する軍服少女の姿が浮かぶ。
「……貴殿も私が悪いと言いたげだな」
「そんな、ことはない」
 図星を衝かれて視線を逸らしてしまった。
 少女はじろりと睨むが、すぐに目蓋を伏せて溜息をつく。
「して、《アマテラス》の動きは?」
 すっと表情を無機質なものに変える。幼い風貌からは想像もつかないほど凛としていて、圧巻する気品がある。
 男は椅子の背もたれに体を預けて、天井を仰いだ。
「何もないな。連中が不可侵を破るとは思わないし、何より我々との戦闘に勝利したとしても、不毛だ」
「そうとは限らんだろう、己が世界こそが高みに在れば良いと思う者も居ないわけではない」
「そこまで単純な奴が他人の下に甘んずるとは思えないと言っているんだ。それに、《アマテラス》の姫は人望が厚い」
「……知った仲に聴こえるな」
「……問題あるか?」
「大有りだ」少女は即答する。「赤の他人で済めばそれでも良い。だが旧知の敵対ならば必ず足元を掬われる」
「私がか?」
「他に誰がいる。貴殿には優しさがある。平穏でのそれは、戦場では甘さに変わるだけだ」
「……」
 男は目を通していた書類を大きな机の上に乗せ、肘を突く。
 両手を組んで、真っ直ぐと少女を見つめ返した。
「お前の言い分に反論はない。だが戦場での冷徹は、平穏では孤独に変わるだけだ」
「だが利口だ。前者はただの犬死にだからな」
「そうして仲間すら欠くか、愚かだぞプリシラ」
「謳うなハイネ。私の真意を忘れたか」
「己の世界に逃げるな。孤高であるが故の欠点を知らないわけではないだろう」
 徐々に、投げかける言葉にトゲが混じり始める二人。
「……ふん、」鼻で答えるように少女は打ち切る。「それより、ABYSSの件についてだが」
 男もこれ以上蒸し返すつもりもないので、振られた話に乗じる。
「ああ、アインからの情報を照らし合わせたが、東京にABYSSが異常に密集して発現するのが判明した」
「知った口を聴くが、ABYSSの発現する場所に限定があるものなのか?」
 少女は本棚の無い壁のところに背をかけて、ブーツの先でこつこつと床を叩きながら腕を組む。
「法則性があるならすぐ判るものなんだがな、オーラム・チルドレンとABYSSに関する記録が無いのが不憫だ」
「抹消のきらいも強ち捨てた理論ではないな。ふむ、東京……極東の島国か」
「行ってきてはどうだ? むしろジャパニーズが母国語の割によくここに居るな」
「む、仕方が無かろう。第一、何故私がアインと馴れ合う必要がある?」
「孤高もここまでくると面倒だ……」
「何か言ったか?」
「いや、なんでもない」
 じろりと睨んでくる少女に、男はスルーした。
「だが正直、頼みたいことではある。実はお前がイギリスに遠征している内にアインが大変なことになっていてな」
「大変? 《アマテラス》か?」
 とは訊くが、ついさっきそれについては保留と話したばかりだ。少なくとも彼は無駄な会話はしない。
「いや、《アマテラス》ではないのだが……」
 何故か言い難そうに視線を泳がせる男へ、少女は怪訝な顔をした。
「何だ、はっきり言え」
「……、オーラム・チルドレンの新生が覚醒したんだ」
 ほう、と少女は眉毛を吊り上げた。
 オーラム・チルドレンが増えるというのは、それなりに大きなニュースにはなる。仏頂面の少女も例外ではなかった。
「まさかその者とアインとが争ったとでも?」
「ああ、ただその戦闘中にABYSSに襲撃されて負傷した。マーシャが向かったから大事には至らなかったが」
「また間の悪いものだな……さすがにアインも難儀だ」
 感慨めいたものを混じらせる少女をちらと見て、男はさらに続けた。
「それがな、その戦闘中にもう一人オーラム・チルドレンが覚醒したらしくてな」
「なに……?」
 少女が睨んでくる。
 睨まれる謂れは無いが、そんな反応も頷ける。一度に二人ものオーラム・チルドレンの覚醒など、在り得ないのだ。深淵から契約する世界を引きずり出すのに、短期間で連続で行うと因果に歪みを引き起こしかねない。
「そうホイホイとオーラム・チルドレンが生まれるとは思えん。まさか、適正者か?」
「ああ。異常という点に措いては我々既存の例を遙かに凌ぐ……なんせ、その者はオーラム・チルドレンに接触せずに深淵に干渉して世界と契約し、初回の神器の発動で『侵蝕』を起こしてもう一人のオーラム・チルドレンを撃退したとか」
「……なん、だと?」
 少女は耳を疑った。
 ただの人間がオーラム・チルドレンになることは出来ない。日常と非日常のラインは決して相容れないものであり、日常に生きる人間に深淵へと近づくことは出来ない。
 それを瓦解させることができたのは、他でもないオーラム・チルドレンだ。オーラム・チルドレンはすでに日常から離反した存在。人間よりABYSSに近い≠ゥらこそ、オーラム・チルドレンの接触は新生の覚醒増殖を可能にする。
 ただ、確かに適正者と呼ばれる人間は比較的深淵に引きずり込まれやすいというが、それでも所詮は日常に生きる者だ。単独で深淵に堕ちることは不可能と言える。
 しかもそれだけじゃない。オーラム・チルドレンの『侵蝕』は直接見たことは一度きりだが、アレはとんでもない事態を引き起こす。一人二人の犠牲者では済まない。
「なんという者だ。禁忌を犯したどころの騒ぎではない、まさに異常……」
 少女は畏怖を込めて吐き捨てる。そうしなくては、背を奔る戦慄を男に悟られそうだった。
「……して、その者はどうした? アインと云えど、『侵蝕』したオーラム・チルドレンを倒せるとは思えん」
「ああ……詳細はまだ聞いていないが、なんとか正常に戻ったそうだ」
 その言葉に、少女の眼が見開く。信じられないといった風に、壁から小柄な背を離す。
「『侵蝕』を解いたというのか!? 自力で……!?」
 こくりと、男の顎が小さく下がる。
 少女は眉根を寄せてじっと見つめたまま、時が過ぎた。
 やがて沈黙に耐えかねた少女は、マントを翻して踵を返す。
「東京……かくして場所は?」
「中央区紫耀学園、アインと同じ寮に住んでいるらしい」
「……真名と姓名は?」
「アインから聞いたことではあるから確証はないが、こう言っていた」
 男は声を低めて言う。
「なんと」
「闇の楽園&P宮恭亜」
「……ひめみや、きょうあ」
 小さく反復して、少女は両開きの扉を開け、閉めた。
 一人残った男は、静かになった部屋の中で、椅子に背もたれた。きぃ、と椅子の軋む音が寂しく溶ける。
「異常、か……『侵蝕』の牢獄から抜け出した少年……」
 眼鏡の奥の灰の眼を虚空に向けて、誰にともなく言う。
「どうせならあいつ≠フ時も奇跡が起きてくれれば、こんな争いは始まらなかったのにな……」
 男は書類の束を手に取って記録を紐解き始める。
 静かに、静かに、静かに……。
 ばん! と扉が開け放たれる。
 そこには、黒髪ツインの軍服幼女。
「どうした?」
「……イギリス滞在費で資金不足だったのを忘れていた、しばし金を貸してくれ」










 Bullet.T     星天蓋の懸念の概念


 1


 なるほど、三日も経てば周りの目は随分と変わった。
 とか思ってる姫宮恭亜(ひめみや きょうあ)は三日前に怒涛の二日間を過ごしているからである。そうでなければ今頃はこんな空気の中で打ちひしがれることは無い、と断言したい。
 三日前、というのは彼がこの紫耀学園に転校してきたことである。
 彼のクラスメイトであり、また彼の隣りの席の生徒であった少女、蓮杖(れんじょう)アインが実はこの世成らざる存在であるABYSSを深淵へと還すため、日々戦っているという。姫宮恭亜は明らかに不運なことに、蓮杖アインの言うオーラム・チルドレンの実態を知り、自分もまたオーラム・チルドレンに成りやすい体質である適正者と宣告された。
 そしてそれと時を同じくして、恭亜に突っ掛かってきたクラスメイト、檜山皓司(ひやま こうじ)も何者かによって覚醒し、恭亜と蓮杖アインを襲った。
 奮闘する最中に、恭亜にとって最もあってはならなかった、鵜方美弥乃(うがた みやの)と桃瀬晴香(もものせ はるか)というクラスメイトを護れなかった。そのせいで自分もオーラム・チルドレンに覚醒したと蓮杖アインは教えてくれたが、残念ながら憶えていない。
 結局アインが言うには、檜山皓司は死に、深淵に喰われて居なかったことになったために鵜方美弥乃と桃瀬晴香含む日常の人間達の記憶から存在が消去され、迷宮入りしてしまう始末。
 判ることは、恭亜はオーラム・チルドレンとして非日常の存在になり、もう戻れなくなってしまった。
 そんな、三日前に起きた悪夢のような二日間。
 だった、のだが……これは一体どう解釈すればいいのだろうか、と恭亜は溜息と共に言いたい。悩みたい。
 人であることを捨てて戦場に立った身と言う割に、行き着く先はこんなもんなのでしょうか。
 いや、判る。とっても判るのだ。
 確かに恭亜はオーラム・チルドレンという非日常になったが、それ以前に大事なこともある。
 そう。時に些事、もとい椿事は不意に起きて、

「赤ちゃんって、なんで『赤』ちゃんなんやろ?」

 蓮杖アインのそんな一言に、恭亜達は「ぶふっ!?」と吹き出すのだ。





 いづこかで、蝉時雨の名に相応しいほどの轟音が響いている。じーじー、煩いことこの上ない。
 七月十日、土曜日。
 場所は東京都中央区に腰を据える私立紫耀学園。巨大な敷地に寮制度が導入されたことで、寮区の生徒は思い思いの休みをエンジョイしている。
 無論、三日分の勉強が遅れている人間にはただの地獄である。
 恭亜、アイン、そして美弥乃。Tシャツと短パンというラフな格好で三者は恭亜の寮室の中で卓袱台を囲み、ただでさえヒートアップさせた頭部の熱を夏の暑さでさらに加熱させていた。
 というのも、この三人は昨日まで怪我によって入院していたのだ。僅か三日で退院したことに救いはないのか、帰ってきて早々小早川沙耶(こばやかわ さや)先生が待ち構えていて、異様極まりない量のプリントを課してきた。
 現在、室内の気温は三十度近く。言葉にして解りにくいなら、部屋の中で陽炎を見そうになる状態と言えば解ってもらえるだろうか。
 で、結局入院仲間で仲良く勉強会と相成った。
 さらに補足すれば、彼らは七夕というステキイベントを余裕でスルーしています。
 そんな不快指数とプリントの上を奔るシャーペンの速度とが反比例する異界で、胃腑を潤わそうと飲んだ麦茶を逆流させた恭亜と美弥乃。
 視線は、アインへ。
「……ぶーたれて一個も質問しないって言い張ってた奴が寄越した質問が、なんだ今のは」
「せやから、なんで赤ちゃんって言うんやろって言うたんや」
 ……、と言葉を失いつつ、汗拭き用に持っていたタオルで口元を拭う恭亜。美弥乃に至っては爆弾発言+麦茶逆流の衝撃で咳き込んで呼吸困難に陥っている。
 ちなみに、頭数が一つ足りないのは恭亜だけが知っていた。
 桃瀬晴香も課題を渡されているが、彼女は警備学生の成績付与制度があるため不在だ。こんな地獄の辺境地で黙々と課題を消化するより、働いたほうが成績になるためである。
 逃げたな、と恭亜は推測しているが、今は現実逃避するには早すぎる。
 空調どころか扇風機すら無いこのクソ暑い部屋に缶詰め状態の中、アインの白い涼しげな銀髪がクラゲのように卓袱台に広がっている。
 が、繰り出される呪文は際限なく恭亜と美弥乃を苦しめる。
「別に赤ちゃんって言う意味あんのやろか、青ちゃんでもえぇんちゃう?」
 そういうお前は課題やる気あんのか。
「いや、無いんだよな、やる気」
「なんやぁ……別にウチかて集中しとるで」
「集中している人間は数学の課題の最中に人体の神秘について疑問を浮かべねぇよ……!」
 そろそろキレたいところだが、暑くってそれどころじゃない。
 はぁ〜、と溜息を深く深く吐く恭亜に、美弥乃は苦笑してしまう。
「ま、まあ頑張ろうよ。そ、それより凄いね恭亜君、もうそこまで進んだんだ」
 現状進行度は恭亜が九割、美弥乃は恭亜の助けもあって七割、アインは半分も終わっていない。
「美弥乃だって、よく出来てるよ。教え易くてこっちも楽しいしさ」
 本心から言う。事実、美弥乃の成績は文句を言えるほど悪くは決してない。数学や英語は基礎知識だから長い努力を要するが、美弥乃は取り分け真面目なので応用についてこれている。
 問題は、アインはその真逆に属していることが頭に痛い。基礎知識はまさに不真面目こそ大敵だというのに。
「アイン、あと半分なんだから頑張れよ」
「別に日本人なんやから英語なんて覚える必要ないやん」
「明確なハーフがほざくな」
 駄目だ。完全にやる気を無くしている。
 このクラゲ紛いを御すには一体どうすればいいというのか。
「とりあえず、そこの三十九ページ目まで出来たら休憩にしよう。退院ついでにアイスを買い込んであるから」
「やいやいさー」
 復活するアイン。
 なるほど、食い気か。
 ぺたぺたと汗ばんだ腕に張り付くプリントを払いながらアインがシャーペンの先を右往左往させるのを見ている恭亜。すると、二の腕の辺りにちょんちょんと指先で叩くのに振り向く。
 美弥乃は少し強張った顔でこっちを向いていた。
「ん、どした?」
「あ、えと……こ、ここ解んないんだけど、どうするんだっけ?」
 ああ質問か、と沈殿しかけていた思考が急浮上し、美弥乃のプリントを覗き込んだ。
 遠慮がちに指差す所を見て、恭亜は苦笑した。
「美弥乃、これは基本文のとこを見てみろよ。ほらここ、因数分解して……」
「あ……それでたすき掛け、かな?」
「そうそう」
 丁寧に教える恭亜。さりげなく恭亜のプリントを覗き込もうとしたアインに気付き、つつつ、とプリントを没収する。
 手段を断たれたアインは小さく呻きながらも観念した。
 ふぅ、と息を吐いて恭亜は立ち上がる。
「そろそろアイスでも取ってくる。美弥乃は何がいい? バニラとソーダ、抹茶があったかな」
「あ、じゃあワタシは抹茶で」
「ちょっと、ウチんは?」
「お前はノルマをやってからだ」
 おーぼーや、と小さく呟いてアインはせかせかと書き出すのに苦笑を向け、部屋を出た。
 残る二人。対面するようにして座って、眼前の紙切れと戦っている。
 ふと、美弥乃は恭亜が居なくなる気配を耳にしながらぽつりと呟いた。
「……恭亜君とアインちゃんって、仲いいんだね」
 不意の質問に顔を上げるアイン。少しして、眠たそうな眼をプリントに落として答える。
「別にアイツとは仲えぇ訳やない、楓鳴帝の出身者の頭脳を拝借しとこ思ただけや」
 ちなみにアインを下で呼んだことについてはもうアインも諦めた。
 というのも、恭亜とアインが互いに下で呼んでいるのに気付いた美弥乃も、何故か呼びたいと言い出したのだ。
 当然反対したのだが、どうしてか食い下がらない美弥乃に負けてアイン本人が諦めたのだ。
 アインはシャーペンを奔らせながら、思う。
 今の質問に、何の意味があったのだろうか。
 美弥乃はどうして恭亜にそこまで歩み寄ろうとするのだろう。そのせいで檜山皓司に殺されかけ、恭亜は人間性を欠いて非日常へ足を踏み入れたというのに。
 といっても、当の檜山皓司が何者かに殺されたことで存在を消去されて美弥乃は覚えていないのだから、何を言おうにも仕方が無いことだ。
 アインはゆっくりとペンの動きを止め、視線を上げた。
「美弥乃……」
「え、なに?」
 急に声をかけられて驚いた美弥乃を見て、やっぱりやめようかとも思ったが、コレばかりは避けられない。
「……ここ、解らへん」
 すっと差し出すプリントを、きょとんとした顔で見る美弥乃。
 指差すのは、構文読解の日本語訳に直せという部分。
「教えて」
 少し頬を染めて短く言うと、美弥乃が吹き出すように苦笑して頷いた。





「……あ?」
 変な声を出してしまった。
 調理室に設置されている馬鹿でかい冷蔵庫の冷凍場所に入れておいたアイスが、一個無くなっている。
「ソーダが無くなってる……」
 何故だろう、と眉根を寄せる恭亜の脇から、男の声が聴こえた。
「んむ、姫っさん?」
 振り向くと、一八〇センチはある長身の男子。黒の中に控えめの赤の混じる染め髪をツンツンに跳ねさせた青年でタンクトップに薄い生地のズボンという寝間着姿で、素足にスリッパを突っかけていた。
「佐々原」
 他でもない、恭亜の向かいの寮室の住人だ。
 佐々原宍道(ささはら しんじ)。同い年のクラスメイトで派手な容姿と、入院中の恭亜を見舞いがてら果物片手に挨拶しにきたことで恭亜には印象が強かった。
 しかし、今回その手には恭亜にとってあまり嬉しくない物が握られていた。
「それ……」
「は? ああ、これ……うっわやば、もしかして姫っさんのアイスだったりした?」
 そう、ソーダ味のアイスバー。これから持って行こうと思っていた代物である。
 宍道はすまなさそうにうな垂れる。
「わっりぃ〜……いくつもあるから男子寮区の管理人さんでも持って来たんかって思って」
 壁のような長身を低めて頭を下げる宍道。
 謝られてもその半分以上喰われているアイスを食べるつもりはない。
 恭亜は苦笑しながら手を振った。
「いいよそんな、言わなかった俺が悪いんだし」
「そうか、ならありがたく」
「食うんかい」
 溶け始めているアイスを宍道は食べだす。
 まあ過ぎてしまったことは悔やむしかできない。どうするか、と恭亜は悩んだ。
「しょーがないな、コンビニでなんか買ってくるか」
「お前さん……こんなクソ暑い外を出るんですか? 特攻ですよ特攻」
 信じられないと言いたげに目を細める宍道。誰のせいでもないので、恭亜はぐぅの音も出ない。
 とりあえず残った二個のアイスを取って、調理室を出る。
 尾いてきている宍道に恭亜は話しかける。
「ところで、お前はどうしたんだ? 部活とか、誰かと遊びにいったりしないのか?」
 この学園の生徒は八割以上が部活に入っているらしい。そのためか、休日の寮区はほとんどの人間が出払っているのだ。恭亜達や宍道のように、空調設備の一切無い寮に篭もる人間のほうが珍しい。
 宍道はアイスバーを涸らして棒の部分をぺろぺろと舐めながら答えた。
「そーなんだけどさぁ……俺っちってば部活は助っ人以外は出ないし、僅か三ヶ月でこの気温の中を出歩いて遊ぶほどの固い絆をお持ちの相手はいないんだよねぇ〜」
「ふうん……」
「俺っちにすれば、なしてお前さんは居んの? 退院祝いにパーッとしたりしないわけでっか?」
「それがそうもいかないんだ。先生に三日分の課題を渡されてさ、今三人でやってたんだ」
 すると、棒を舐める手が停まる。
「三人? 退院したのってお前さんだけじゃなかったの?」
「いや、アインと美弥乃も一緒。勉強はみんなでやったほうが楽しいという従来の文殊の知恵法を実施中だよ」
「へっ!? 蓮杖と鵜方っ?」
 宍道の声が跳ね上がる。
 いきなりの動揺に恭亜は驚いて目を丸くした。
「な、なんだよ」
「まじっすか? クラス一の謎美少女の蓮杖と、クラス一の家庭的っ娘の鵜方と、なんで仲良くそんなステキイベントしちゃってるわけ!? うっわ両手に華っすか!? 白百合と向日葵っすか姫っさんよ!」
「別に、そんなつもりはないけどさ」
 むしろその白百合のほうに邪魔されてる現状である。
 楓鳴帝学院蹴殺の経緯を知らない宍道は、「いいなぁ……乙女いいなぁ」とヤバい視線を虚ろにして呟いていた。
 自分の寮室の前に来た宍道は振り向いて棒をチョイチョイと振りながら苦笑する。
「じゃあ俺っちは寝まっすけど……マジで悪かったな、コレ」
「しょうがないんだよ、気分転換も兼ねて外出たかったから」
「いや、そう言ってくれっと馬鹿した俺っちも救われるってなもんだわな。じゃ、ベンキョー頑張れな」
「ああ」
 ぱたん、と木戸を閉めたのを見送ってから、恭亜はアイスが溶けない内に自室に入った。
 すると、
「そう、それが前置詞で……ここは主語より先にあるでしょ? だから『〜の+主語』になるの」
 と、美弥乃がアインのプリントにペンを当てて説明している光景が見えた。
 またふてぶてしい態度なのかと思ったら、意外にもアインはすんなりと頷いてノートに書き綴っている。
 入ってきた恭亜に、アインと美弥乃は同時に視線を向けた。
「恭亜君……、あれ?」
 美弥乃はきょとんとした顔をする。どうやら恭亜が持ってきたアイスの数に気付いたのだろう。
 アインは、恭亜と宍道の会話を知らないがために不満そうな顔を上げた。
「ちょ……そら遅いんは言われたかてしゃあないけど、アイスまで没収までするん!?」
「違う、これはお前達のぶん」溜息混じりに恭亜は答える。「ちょっとした理由でアイスが減ったから、俺は出かけてくる」
「二個しかなかったの?」
 ああ、と美弥乃に答えながら恭亜は卓袱台にカップ型のアイスとスプーンを置く。
「大分出来てるし、病み上がりだから今日はこの辺にしようか」
「そうだね。英語はワタシ得意だから後は大丈夫だし、良ければアインちゃんと一緒にやるけど」
 と言って美弥乃は抹茶アイスを取る。ちなみに今の会話の最中に、アインはちゃっかりとバニラアイスを掠め取っていた。
 恭亜はズボンと薄手のコート、財布や携帯を手に取って戸を開ける。
「じゃあ俺は出るから、部屋は好きに使ってくれ」
「うん……いってらっしゃい」
 ふと、美弥乃の笑みが曖昧な気がしたが、錯覚と思って戸を閉めた。





 2


 シャワー室の脱衣場で着替え、外へ出る。
 曇り気味で、それほど陽光は熱気的ではない蒸し暑さ。確か予報では来週いっぱいまで快晴が続くと言っていたはずだが、と恭亜は思うが、直射が無いだけマシであろう。直射が無くたって、気温は凄いのだから。
「……ちょっと、早まったかな」
 呟くが仕方の無いことだ、冷暖房の毛色も無い部屋でアイスまで無ければ、何で涼をとれと言うのか。
 それに、
「ふわぁ……」
 思わず出てしまった欠伸。目尻に浮かんだ涙を拭って寮区の門を出た。

 檜山皓司との戦いを通して、恭亜には不思議な力が宿った。

 と、曰くアインなのだが恭亜にはまるで自覚はない。
 初めて神器を使ったときはまるで憶えていないのだ。黒い街で黒い服で黒い刀とか色々言っていたが、そんな黒だ黒だと言われたって解らないものは解らない。むしろ黒くない髪してる奴に言われると頭にこないでもない。
 ただ、人の何倍もの身体能力を得たという実感は感じていた。なんせ退院直後に走って帰ってみたが、車道を走る車に平然と張り合っていたのに逆にこっちが驚いた。
 元々運動神経が抜群の恭亜にはあまり突拍子もないことではないが、傷の回復や集中力の強化には目を瞠るものがある。
 が、やっぱりオーラム・チルドレンの大切な意味は神器にあるのだそうだ。
 それは恭亜にも何となく解っていた。
 オーラム・チルドレンは戦ってナンボだという事実だ。
 無論、恭亜としてはそれは嫌な話だ。和平の上に立つ安穏など無いと思う。
 その結果が、この欠伸である。
 要はアインが今まで一人で巡回していたのである。聞けば彼女は紫耀学園に通い始めた三ヶ月間、夜はほとんど寝ずにABYSS送還の巡回をずっと続けていたらしい。頑張ることはいいことだが、その睡眠量を昼に補っているアインに、さすがに恭亜は巡回分担を率先した。
 だってそうしないと人としての健康に支障を来すし、挙句そのツケが今の補習だ。というより、自分や美弥乃が居なかったらどうするつもりだったのか凄い気になる。
 だから週に四度の巡回を、交互にやることになった。
 昨夜は、その巡回の方法をアインに教わることで夜を明かしているのだ。
 ただ、既に退院しているはずのアインが昨日の深夜に潜入してきたときは、病棟に霊は付き物という概念を信じたくなった。何故か裸足でふら付くながら個室に入ってくる、あの闇夜に揺れる白銀髪。あれは凄い怖かった。
 などと思い出で背筋を凍らせて、さりげなく涼をとってみた恭亜は商店街に入った。
 初めてここを訪れたときは、相次ぐ通り魔や空き巣、警察庁で働く夫婦の℃S殺事件、ある学園での教師の謎の失踪。そういった出来事ばかりで東京の警察や警備学生による厳戒態勢が発令されていたためにゴーストタウンじみていたが、どうやら入院中にそれが解かれたらしく、商店街は活気を取り戻している。
 というよりも、本来するはずだった七夕のイベントを潰されたため、それを代用した福引やバーゲンが今になって実施されているといった具合である。どちらにしても、行き交う人々は老若男女を問わず、歩行者天国になりそうだ。
「結構凄いな……」
 ぽつりと呟く。まあ、都心があんな無人では一番場違いに思える。
 さて、と恭亜は財布の中身を確認しつつ、辺りの店を眺める。どうせだからアインや美弥乃達も一緒に昼食にしたかったのだが、正直に言うと財布のほうも干上がりかけているので、誘えなかったのだ。
 むしむしする外気に負けそうになりながらも、じゃあこの間見かけたバーガーショップに行こうと決めた。
 その時だった。
 恭亜が鼻の頭の汗っぽさを指で拭いながら、商店街の中間点にある大きな十字路の真ん中の噴水広場に差し掛かったとき、その人物は居た。
 なんというか、奇抜だった。
 子供達がきゃっきゃと喚いてじゃれる、その噴水の縁。そこにぐってりと座って俯いている、中学生ぐらいの少女。
 なのだが、そのうな垂れて伸びる金糸のさらさらな髪がカーテンのようだ。
 肩から露出するノースリーブの蒼いワンピースと皮のブーツ。見た目外国人だった。
 ポケットから出たコードは首まで伸び、少女の体躯からすれば不釣合いなほど大きなヘッドホンが首に掛かっている。
 ただ、猫背なのか判らないほどうな垂れているのが異様に感じる。まさに『ガックリ』という擬音が似合う。
 なんだか気になった。周りで擦れ違う人々もそのやたら長い金髪に奇異なのか好奇なのか判らない視線を送るが、外来語に自信がないために過ぎ去ってゆく。
 恭亜はそれが哀しく思えた。
 元より、困っている人や悲しんでいる人は放っておけない性分なのは判っていた。
 だからといって、誰かにそれを非難される筋合いはない。出来得る限りは救いたい。
 それに、命を奪い合うような問題ではないのだから、いいじゃないか。
 恭亜は踏みしめるようにして噴水に近づく。
 少し離れたところで小学生ぐらいの子供達が遊んでいる傍ら、暗ーい雰囲気をかもし出している金髪の少女へと声を掛けた。
 まあ、金髪と言えばアメリカという安直な感覚で。
「Hi,What do you now...?」
 このときだけ、楓鳴帝直行のチケットが有るエリート小中学校を通っていて助かったと思う。あそこは、日常会話で英語を話す無意味な日本人ばかりだった。
 すると、少女は顔を上げた。
 思わず恭亜は見惚れた。人形のように綺麗で小さな顔。睫毛が長くて大きな瞳は碧眼に煌いている。全身が華奢で、金糸の髪は腰元まで伸びている。
 ちょっとだけ怖気付くが、ここで負けたら元も子もない。
「Why you sit this? Lose one’s way?」
 近くに座っている母親達も驚くほど流暢に話す。だが、少女は数秒の間きょとんとしたまま、じっと恭亜を見上げている。
 どうしたのだろうか、と恭亜は不安になった。
 まさかドイツ語とかイタリア語とかだろうか。それは困った。イタリア語は多少出来るが、ドイツ語は――
「お兄さん、何語しゃべってるの? あ、もしかしてこれが噂のチャネリングってやつ?」
 いきなり日本語で返ってきた。それはもう、近くに座っている母親達も驚くほど流暢に。
 また違う驚きで閉口する恭亜をじっと見上げたまま、少女は立ち上がる。
 少女が動いたことに反応した恭亜は、今の英語をそっくりそのまま日本語に訳した。
「えっと、なんでここに座ってるんだ? 迷ったのか?」
 金髪碧眼の少女に日本語は凄く違和感を覚えるが、少女はすんなりと答えた。中学生ぐらいの子供にしては珍しいほど、無邪気で屈託なくて、極上の微笑みで。
「うんっ、迷っちゃった! サラトはトーキョーに来るの初めてだから、全然わかんなくなっちゃったの〜」
「それでここに座ってたのか」
「ぴんぽーん♪」
 はーい、と片手を真っ直ぐ挙げて笑う。本当に無邪気だ。
「――あ、」
 だが、急に少女の顔が曇り、腹部を押さえてしゃがんだ。
 恭亜は目を瞠る。
「ど、どうしたっ? 腹でも痛いのか!?」
 小さい背格好でさらに屈まれると、恭亜としてはどうしようもできない。
 やがて少女のソプラノの声が、呻きで低まったか細い音量で恭亜に届いた。

「おなか、へった……」





「ご馳走様」
「……ごち」
 なぜか丁寧に合掌している美弥乃に習って、なんとなくアインも呟いた。
 アインの食べ終えたカップを自分のと重ね、近くにあったゴミ箱に入れる。美弥乃はそれから自分のノートとプリントを纏めて立ち上がった。
「じゃあ、そろそろワタシ達も戻ろっか」
「んー、も少しここに居る……」
 するとアインは再び卓袱台に頭を投げ打つ。とろんとした目つきで、今にも眠りにつきたそうだった。
「アインちゃん……寝てないの?」
「むー、ここ最近はほぼ一睡もしへんな……」
「えぇっ! だめだよそれはさすがに……っ」
 美弥乃は驚きながらもそう言う。アインはそれは尤もだと思うが、何も知らない人間に無知で言われると苛付く。正直に思えばはっきり物申したい。誰のために睡眠不足なのか、と。
 しかし、さすがに一昨日昨日とほとんど寝てないのは身に応える。
 どうせ帰ってこないのなら、一分一秒でも惰眠を貪りたい。
 美弥乃は少し躊躇いがちに、だが苦笑で誤魔化して立ち上がる。
「じゃあね、解らないことあったら来てね」
「ぬー、おおきに……」
 畳敷きの上を歩く音。がちゃり、と開いて。ぱたん、と閉まり。やがて気配が遠のくのを感じてアインは目を閉じた。
 数秒の間をしてアインはすぅー、と小さく息を吸い込んで、溜息に変えた。
「……まったく、一分一秒でも寝ときたいっていうのに」
 すっと目を開ける。銀の髪に白の肌、そこに燈る逆色の黒い瞳が強く光を放つ。
 軽やかに立ち上がり、ポケットに忍ばせておいた物を取り出した。
 それは、ペンデュラムだった。鋼色の細いチェーンの先に、握り拳大のプリズム。その中にはコンパスのような独楽状の回転盤が取り付けられてある。そのコンパスが、かたかたと音を立てて震えていた。
 アインはチェーンのもう一方の先に付いている指輪を中指にはめ、ペンデュラムを垂直に落としたまま腕を突き出す。
 ふぅ、と小さく息を吸って呼吸を整え、ゆっくりと精神を研ぎ澄ました。
 《ツクヨミ》の人間が得意としている亜種の神器。歪みから漏れた深淵の干渉性を磁気に変えて感知し、大まかな方角と距離を割り出すためのものだ。
 呼吸を整えて自分の気配を強めた途端に、プリズムの中のコンパスがくるくると正常な回転を始める。
 ヒィィィィィイン、と回転で鳴る音が五畳の部屋に木霊し、反響した音がまたコンパスを刺激してどんどん回転の速度が上がる。
 やがて、
 くん、と。プリズムが中指を基点に少しだけ傾く。
 重力に逆らうように斜めになったチェーンの方角は、廃屋街の方角。
「……また、あそこか」
 しかし妥当な線である。
 間に商店街を挟んでいるが、商店街は厳戒態勢が解かれて雑踏が甦っているので大したことはない。
 携帯電話が与える鳩への弊害の原理に似ている。深淵と相容れない存在である人間が多いと深淵への干渉性が薄らぐため、神器の衝突さえなければあそこにABYSSが出現することはまず絶対に有り得ない。
 逆を言えば廃屋街に出やすいと言えるが、見事な好機だ。昼夜を問わずに無人なら送還しやすい。
 アインは手首の返しでプリズムを上げる。チェーンに引かれて昇るプリズムをキャッチして、アインは扉へ走った。





「はむ……、♪」
 子リスのように両手でバーガーを持ち、かぶりつく。味が気に入ったのか、それとも食べるのが楽しいのか、見てるこっちまで微笑んでしまいたくなるほどの無邪気な笑みを湛えている。
 金髪で幼い少女は嬉しそうに恭亜を見上げて、にぱっと笑みの輝きを強めた。
「ありがとぉお兄さんっ、サラトお腹減って減って、ずっとあそこから動けなかったんだ〜」
「いや、例を言われるほどのことでもないさ」
 これは本心である。ここまで嬉しそうに食べてくれるならこっちも奢った甲斐があった。
 二人は恭亜の予定していた通りバーガーショップに入った。
 綺麗な顔の男女(年齢に高低有り)が来店したことでレジに立った女性や客の学生などが視線を寄越すなか、二人はガラス張りの横長テーブルに腰掛けて昼食を摂る。
「ところでお前、英語じゃないのな。びっくりしたよ」
 むぐむぐと咀嚼していた手を止め、少女は答える。
「逆にサラトは英語で話しかけてくるからびっくりしたよ。そりゃあサラトはサラトだけど日本から出たことないもん」
「サラトっていうのか?」
「そだよ。サラト=コンスタンスって言いま〜す、今は仲間の家に引き取られてるの」
「仲間?」
「うん、だけどあまり訊かないでね。サラト嘘つくの嫌だから、あまり質問とかされるとサラト困る」
 嘘が嫌い。
 なるほど繊細な子なんだなと恭亜は純粋な少女、サラトを思う。確かに、一個一個訊くのも失礼だ。
「判った、訊かないでおく」
 ずずー、とジュースの中身を飲み干す恭亜を、きょとんとした顔でサラトが見上げてくる。
「ん、どうした? なんか付いてるか」
 口元を拭う恭亜から視線を外さず、サラトは首を横に振った。
「お兄さん変わったひとだね、普通だったらそこで『なんで?』って訊いちゃうと思うけど」
「なんだそんなことか」
 恭亜は苦笑した。
 そうは思う。彼女の言うことに疑問は浮かぶが、それは詮索でしかない。過度の詮索は他人の日常に足を踏み入れることだ。そんなのは駄目だ、彼女が訊かれると困ると言うのだから、何も訊くわけにはいかない。絶対に、だ。
「俺はお前の意思を裏切ってまで自分のことばっか考えたくはない。それに、訊かれたほうが良かったか?」
 しばしの沈黙、やがてそれを丸い目で見つめていたサラトの表情が、柔らかい笑みに変わる。
「ん〜ん、訊かないでくれると助かるよ。でも、なんか嬉しいな……お兄さん、いい人だね」
 にぱっと、また笑う。
 なんだか同じような台詞を聞いたが、いい人と言われて嬉しいことは嬉しい。
 ちょっと恥ずかしくなった恭亜はジュースを涸らすことに専念しようとしたが、サラトが袖をくいっと摘んだ。
「ところで、お兄さんは名前なんてゆーの? サラトだけ教えてズルい〜」
 ぷくーっと頬を膨らませてくるサラトに、そう言えば名乗ってなかったなと恭亜は思い出した。
「俺は恭亜、姫宮恭亜だよ」
「ひめみやきょうあ……うん、憶えにくいから恭亜でい〜い?」
 甘えるような声。
 恭亜は少し考えたが、姫宮っちだの姫っさんだの言われるよりは、いかにもニックネームっぽくていい。
「ああ、いいよ」
「やった! 恭亜はいい人だからサラトは好きだよ」
 その時だけちょっと悪戯っぽい笑みになって、恭亜はうろたえた。
「な、何を急にっ……」
「えへへー」
 自分で言ったのに恥ずかしいのか、頬を染めて笑うサラト。
 純粋で、一人っ子の恭亜には妹みたいな安心がある。
「恭亜は何をする人なの? 学生さん?」
「ああ、すぐ近くの紫耀学園ってとこの高校生さん」
「え、紫耀学園?」
 サラトは少し驚いたようにこっちを向いた。何かまずいことでも言ったのかと不安になったが、何も言わないでいるとサラトは話題を変えた。
「ところで、恭亜はお休みなの? 遊んでるの?」
「ん〜、そうと言いたいんだけどさ。補習で大変だったんだよさっきまで」
「ほしゅー?」
「学校でちゃんと授業しないひとがやる課題のこと」
「じゃあ恭亜悪いひとなの?」
「いや……入院してただけだから思いっきり不可抗力だと思うんだけどな、先生は凄い理不尽だと思う」
「ふーん……」
 あまり興味がなさそうに頷いてから、サラトはバーガーに噛み付く。途端に嬉しそうな顔。
「美味いか?」
「うん!」
 即答で零れる笑顔が返ってくる。
 底なしの明るさってのもいいなとか恭亜は考えてしまう。
(まさに妹って感じだな……こういう素直さがアイツにもあれば課題もすんなり終わるってのに……)
 アイツとは考えるまでもない、あの不真面目な奴だ。
 もう少し素直になってもいいと思いたい。つっけんどんで無力的で面倒臭がりで、
「恭亜、何考えてるの?」
 ずいっとサラトの顔が迫ってきて我に返った。ぼーっとしているのに気付かれたらしい。
「あ、いや……別になんでもないけど」
 すると、サラトの表情が一瞬だけ強張った気がした。ただ一瞬だけだったため、何かは判らない。
 サラトは頬をぶーっと膨らませてさらに迫った。
「恭亜、嘘ついてる……やっぱり何か考えてた」
 ドキッとした。ついてるのかを訊いてくるのではなく、『ついてる』と断定されて驚いた。
 確かに嘘ついたのはそうだが、さすがに吐き通す気にはなれなくなった恭亜はすまなさそうにうな垂れる。
「わ、悪い……ちょっと、な。しかしよく判ったな」
「えへへー、サラトは嘘が分かっちゃう天才なんだから〜♪ だからサラトは嘘が駄目なのぉ〜」
 と言って、サラトはおもむろに恭亜の顔へ腕を伸ばした。そっと口の端を指で拭い、その親指をぺろりと舐める。
 そこでやっと、自分の口元にソースが付いているのに気付いた恭亜は少し狼狽したが、サラトは嬉しそうに頬を染めた。
 本当に、純粋な子だと恭亜は思う。
「なにを考えてたの?」
「ん、お前と知り合いとの比較をしてたんだ」
「しりあい?」
「ああ、アインっていうクラスメイトでさ。ちょっとした騒動で知り合いになったんだけど……あ、これは深く訊かないでくれ」
「あい♪」
 元気よく頷くサラト。
「それが問題で課題をやることになったんだけど……どうしてあんなにいい加減っていうか、不真面目っていうか……ちょっとみんなでやろうって言っただけで、なんであんなに不機嫌になんだろ」
 思わず愚痴っぽくなってしまう。こんな小さな子に悩みなんか言ってもしょうがないのだが、溜息が漏れる。
 サラトは無邪気がために、不思議そうに訊いてきた。
「トモダチじゃないの?」
「友達……」
 また難しいほど曖昧な単語だ。
 友と呼ぶなら、それ相応の信頼が成り立つものである。
 勿論のこと恭亜はアインに助けられた。
 『侵蝕』という暴走から救ったのは、他でもないアインと美弥乃だと聞いていたのだ。
 だから恭亜には贖罪にも値するほどの礼儀が問われる。『ありがとう』と言いたいところだが、それは所詮人間としての恭亜≠ナなければならないはずだ。
 今の恭亜はオーラム・チルドレンで、だから友達だと意識するにはあまりに一方的すぎる。
 その事実を知らない美弥乃は予想以上に恭亜に接してくれている。あれは、きっと友達なのだろう。
 でも、アインは?
 彼女はどう思っているのだろう。
 ひょっこり現れて、適正者であり、四人もの犠牲をだし、やがて自分と同種の者と化した。
 ただ、それだけの存在。
「恭亜?」サラトが傍らで不思議そうに見上げてくる。「どうしたの? 疲れた顔してる」
「あ、いや……」
 結局は、アインにとってただ同じ事件に巻き込まれただけの仲なんじゃないか。
 そう、思ってしまう。
「悪い、なんでもないわけじゃないんだけど……訊かないで、くれ」
 サラトは首を傾げて、しかし素直にバーガーにかじりつく。
 恭亜は、アインとの繋がりがどれだけ弱いものかを考えた。
 ぐるぐると思考が鈍くなる。
 忘れよう。これからはやることが増えたのだから、余計なことは忘れるべきだ。
 恭亜は手元のジュースを手に取り、ストローを吸った。
 ずぞ、と。溶けた氷で薄くなったソーダの味が口腔を淡く刺した。





 3


 厳戒態勢が解除され、むしろ多すぎるほどの雑踏の中を縫うようにアインは疾走する。
 数センチを掠めて風よりも弾丸に近いほど早く走りぬけ、右手に握り締めていた携帯電話を開く。
 いつものように着信履歴からそれを探し出して、通話ボタンを押して耳に押し当ててから前に集中する。
 コール音は二回、三回、四回、五回、六回、七回、八回、九
『え、あ、はい、もしも――』
「遅い!」
 苛立つソプラノが一閃。近くの人がなんだという目で振り向くが、声の発生源を見た人々には彼女の姿は見えない。振り向いたときにはもうとっくに擦れ違っているからだ。
 受話の向こうからの声はおどおどしていて、今の一喝で喉から引き攣る悲鳴がこっちにも届いた。
『わっ、ごごごごめんなさい……! わ、わわ、わたしっ、ケータイはにに、苦手でして』
「プリシラみたいなこと言うてる場合ちゃう! また出たで!」
『出た……って、え!?』
 今更のように驚いた声が返ってくる。『出た』というのは暗号の類ではなく、『ABYSSが出た』というのを《ツクヨミ》の中では省略するようになったのだ。
 ただ、その反応の仕方はアインにしてみれば怒るしかない。
「なんで気付かへんのや! 探知用の神器持っとるんちゃうん!?」
『え、わ、わ、……………あ……ほ、本当ですね』
「……、」
 こと戦闘になるとてんで役に立たない彼女は、しかし治癒という戦闘をする者にとって不可欠とも言える神器使いだ。
 だから念のために声を掛けたのだが、探知機が反応するのを見逃すはずがない。肌身離さず持てば気付くはずだ。
 と、そこで彼女は学生ではないため、この辺のアパートを借りているということを思い出す。
「まさか荷物運ぶのに邪魔やから、どっかほっぽっとったんやないやろな……」
『あ、そ、そうなんです……あ、あのプリズムの部分ってゴツゴツしてて、け、結構痛いんですよね〜』
「大アホっ!!」
 ひぅ、という悲鳴みたいな声が返ってきて、アインは商店街の噴水広場をほんの十秒足らずで駆け抜ける。
「もぉえぇ! 急いで廃屋街手前まで召集、数は恐らく一体や」
『え、ええと、待機、でいいんですよね?』
「死体にならへんように回復のチャンスを見失わへんなら別に待機でえぇよ!」
 そんなー!! という悲しき乙女の声は無惨にもさっさと通話を切ることで聴こえなくなる。
 着てきた制服のポケットに携帯を押し込み、アインはやけに若い人々が密集している部分を脇目も振らず、この間の殺人事件でまだ捜査されているであろう廃屋街郊外道路を迂回して左側から商店街を出た。





「――なっ、」
 目の前を、熱気むんむんの地獄の地と隔絶したアクリルガラス。その向こうに、本人達は気付いていないが美男美女に興味を持つ人々から逸脱した白が走り抜けるのが見えた。
 白いシャツと白いプリーツスカートは紫耀学園の制服。髪の毛まで白いとなると、一人しかいない。
 恭亜は雑踏で紛れつつ廃屋街のほうへ走ってゆくのを見て立ち上がる。
 傍らのサラトは驚いた。
「ふわっ! き、恭亜どうかした?」
 一瞬なんでもないと言いそうになったが、彼女の前で他の女の子を追うとは言えない。
「わ、悪いサラト……俺、行かなきゃ!」
 急いで椅子から立ち上がった瞬間、サラトが腕を掴んだ。
「恭亜っ!」
 ぐっと掴んでくるため、恭亜は思わず脚の力を抜いた。
 サラトは寂しさを紛らわせる子供のように、眉根を寄せて懇願した。
「また逢いたい……明日は、だめ?」
「……サラト?」
「明日、また、噴水のとこにいるから」
 そう呟くと、サラトは手を放して椅子から降りると、金糸の髪をなびかせて店内を走って出て行った。
 取り残された恭亜はゆっくりとその言葉を噛み締めたが、やがてアインが気になってしょうがないことを思い出す。
「く、っそ!」
 弾かれるようにして外へ出る。
 注目していた二人が店を急に出たことで、暑さの中で野次馬根性を働かせていた人々は蜘蛛の子の如く散ってゆく。
 そんなのものが出来ていたことを知らない恭亜は、とにかく廃屋街へと走っていた。










 廃屋街は数日振りだが、その見た目は全く変わっていない。
 あの時は日が変わる頃の雨の中だったのに比べ、今回は少し曇っていても蒸し暑い熱気が陽炎となって揺らめく廃墟だった。通気性の良い制服とはいえ、さすがにこの暑さの中を疾走したことで汗を掻いていた。
 アインは廃屋街の敷地へ入り込んだ瞬間、両手を握り、また開いて叫ぶ。
「行くで! ファイノメイナ!!」
 刹那、陽光よりも白い光がアインの右手を包み込む。煌々とした光が収束し、その白魚の指に絡まるように現れたのは、アインの体格には無謀とも言えるほどの大口径を誇る白銀のリボルバーだった。
 彼女がオーラム・チルドレンを誇示するために、そしてこの世在らざる存在であるABYSSを深淵へ送還するための神器、名をファイノメイナ(星空)。
 元々の能力は判っていない。そもそもそれ以前の問題があるのだ。
 だがアインは気にはしない。彼女にとって大切なのは能力じゃない、神器という相棒の存在だ。
 ブーツで乾いた打ちっ放しのコンクリートを踏んで、瓦礫のハードルを跳び越える。
 そして大きな十字路の辺りに辿り着いたとき、轟音が鳴り響いた。
「……来た」
 聴く者がいれば、背筋を凍らせるほど別人のような眼光でその方角を睨む。
 それは、鳥。
 巨大な翼をはためかす、三メートル大の怪鳥。
 だが、鳥というにはあまりにも異形。皮膚は泥を固めて造ったような灰褐色の体で、どういう原理で飛べているのか気になるほどの重量で、コンクリートの地面に着地する。ほとんど激突に近く、地面に振動と亀裂が奔る。
 ずしん、と腹を打つ衝撃と風を受け、白銀の髪をなびかせるアインは、銃を両手で握り顔の前で構える。
「始めるで」
 誰にともなく呟く直後、ABYSSが巨大な翼を目一杯に広げ、一羽ばたきで飛翔する。
 吹き荒れる強風を腕で覆って防ぐアインが視線を上げると、曇り気味の陽光を遮る怪鳥のシルエットが頭上を過ぎる。
 アインは背後を振り返り様に銃口を天へ突きつけ、引き金を絞った。
 ズドン!! と大砲のような轟音が炸裂し、ABYSSへ飛来する。
 だが、それを感じ取ったABYSSは翼を折りたたみ、ドリルのように回転して避けた。
(遠すぎる……)
 舌打ちをして走って追うアイン。向こうは廃屋街の奥へ進む方向だが、廃屋街から出してはいけない。
 放置されている高層ビルの合間を縫って飛び続けるABYSSは、密集している辺りに入り込んで急降下した。それを追っていたアインの死角に潜り込むように。
「……!」
 アインも道を曲がって、狭い路地へ潜り込む。
 瓦礫やポリバケツを踏み越えて、抜け出た先は四方の空き地。ビルが撤去された跡らしく、周りをぐるりと囲むビルによって余計に狭く感じる。
 土の地面の中心に立つアインは、ゆっくりと精神を研ぎ澄ませる。
 水面に広がる波紋を探すように呼吸をぎりぎりまで浅くして、目を閉じる。
 刹那、コンクリートを爆砕する音は――真上。
「そこ!!」
 鋭い声と共に銃を真上へ。
 だが、
「な、」
 息が止まった。
 突きつけた先は、ビルの最上階辺りが吹き飛ぶ。だが、瓦礫が弾けるそこにはなんの姿もない。
(フェイク!?)
 アインは頭から飛び込むように路地へ入り、降り注ぐ瓦礫の雨を避ける。
 背後で轟音が響くのを聴きながら急いで立ち上がるが、地面へ突き刺さる瓦礫の雨の向こうから、旋回するように飛んでくる灰褐色の怪鳥。
 咄嗟に銃を向け撃った。しかし、迎撃のつもりで撃った弾丸は、ABYSSの回転が生む風の乱れで弾道を変えられ、地面に当たる。
「ギィギギシャアアアアアアアアア!!」
 金きり音が鳴り叫び、槍のようなくちばしを開いてアインへ猛襲する。
 アインは銃を盾に両腕を前へ突き出した。





 ごばっ! と瓦礫ごと吹き飛ぶアインを見た恭亜は愕然とした。
 アインが盾にしている銃に噛み付きながら突進してビルの密集から出てきたのは、灰褐色の鳥の姿の異形。
「あれが、ABYSS……!」
 初めて見た。この世に在るべきでない存在と言うからどれほどのものかは想像していたが、あそこまで獰猛だと思わなかった。
 弾かれて地面をごろんと回転して着地し、ABYSSが真上すれすれを飛んで去るのを常に目で追う。
 ABYSSは広い場所に出たことで旋回し、さらにアインへと滑空を続ける。
「アイン……!!」
 その声に、アインはびくりと肩を竦めた。
 猛然と振り返ったアインの顔は、どこかオモチャを買ってくれるかもと期待を込める子供のような輝きがあった。
 思わず怪訝な顔をするが、すぐにその表情は憤怒の色に早変わりする。
「あ、アホっ! なんで来た――」
 凛とした声は遮られる。上空を旋回していたABYSSが奇声を発して落ちてくる。
 不意を衝かれて銃を向けるが、あのドリルのような捻転のせいで撃てない。跳弾が恭亜に行きかねない。
 銃を盾にしてまた防ごうとしたが、背後からの足音でアインは視線だけを向けた。
 飛び込んでくるのは、一人の青年。
「なっ……!」
 ばっとアインに飛びつき、アインを抱きすくめて地面を転げる。刹那、ずがん!! と地面を抉る一撃がコンクリートに突き刺さり、灰の地がべっこりと砕け散っていた。
 あんな一撃を防ごうとしていたのか、とアインの背筋が凍った。
 同時に、恭亜が抱き上げて叫ぶ。
「アイン……大丈夫か!?」
「あ、うん……おおき――」
 ふと、アインの言葉が停まる。本当ならこんな至近距離で見るのが恥ずかしいぐらいに綺麗な顔をしている、そんなアインの表情は凍りついている。
 何がどうしたのか、それを探そうと焦って視線を巡らせる恭亜は、
「……、あ」
 気付いた。
 恭亜とアインの視線の交わるそこには、アインの制服の白シャツの上から思いっきり置かれた恭亜の手。
 ふんわりと、女性特有の起伏。
「ど、わああっ!?」
 一気に身を(あと手も)引く。
 アインは白い頬を赤らめて立ち上がる。こんな時でもABYSSの追撃に対応する集中力はさすがだと思う。
 ただ、その瞳孔は少し開いていた。結構ショックだったのかもしれない。
「ギィギギシャアアアアアアアアア!!」
 頭上から、甲高い悲鳴が轟く。
 慌てて振り返ると、ABYSSが旋回しながらこちらへ狙いを定めているのが見える。
「どきぃ!」
 恭亜の胸を押して、銃を突きつける。
 当たるかは判らない。こんな荷物を持っていては戦えないことは確かだ。
(どうする、……どうする!)
 脳をフル回転させて考える。対策、逃げるか撃つか。後者は無理だ。なら、
「あかん! 逃げるでぇ!」
 アインは恭亜の腕を引っ張って踵を返そうとした。

「ふん、ABYSS一匹相手にさえ背を向けるか。だから貴様は一兵卒どころか半人前なのだ」

 アインと同高音の綺麗なソプラノが横合いから聴こえた。
 二人が振り向いた瞬間、その声の主は二人とABYSSとの合間に割って立っていた。
 少女の背格好は小学生か、あるいは中学の成り立ての一四〇センチ前後。艶やかな黒髪を左右で結び、ツインテールにしている。それだけならどこにでもいる可愛い外見と言えたが、生憎そうではなかった。
 なんせ、着ているのは今時では有ることに耳を疑う戦争時代の軍服だ。深いグリーンカラーを基調に縁の部分に赤いラインの奔る詰襟服。ズボンの裾を革のブーツの中に入れ、軍人顔負けの背筋の良さで屹立している。
 呆然とその背を見つめる恭亜。だが、アインは目を見開いて少女を呼んだ。
「プリシラ……!」
 少女は振り返らず、ABYSSを一瞥した。
 ぶぉん! と急降下して少女に口を開ける。
 轟として襲い掛かる攻撃に、少女は前へ倒れるように体を傾ける。
 直撃する一歩手前、間一髪で避けて真下からABYSSの顔を掌低を打ち込む。
 首をかち上げられ、上へずれる。軌道を変えられて翼をはためかせて飛翔する。
 攻撃を免れた少女が立ち上がるが、左腕と肩、胸の辺りが血塗れになっていた。あれだけの巨体の突進を受け流すには、少女の体はあまりにも華奢すぎたのだ。
 ぱたた、と血が地面に落ちる。
 皮膚が裂け、指がぶるぶると震えている痛々しい左手を見て、少女はやっと振り向いた。
 少女の顔は、とても綺麗だった。
 低身長が織り成す可憐さは全く無いわけではない。だが、それよりも凛々しく鋭い眼光が、女性としての『強さ』が気品として相貌に現れていた。
 アインの眼光が氷ならば、彼女は静かに燃え滾る炎のようだ。
 頬に血が付いているが、それすらも気にしないようにアインへ問う。
「アイン、マーシャは来ているのか」
「……うん」
「ならば良い。まさか来ておらずにこんな怪我をしては洒落にならんからな」
「……そやな」
 変に神妙な態度のアイン。どうしたのかと思っている恭亜を、少女がじろりと睨みつける。
「ふむ、そいつが例の男か。顔は良いが、冴えん毛色をしているな」
 むしろ侮蔑するような視線に恭亜が戸惑うが、少女は無視して歩き出す。
 旋回をして、さらに追撃を繰り返そうとするABYSSへ、右腕を構える。
「ふん、せめて私の血肉を仮初めの手向けにでもするんだな」
 急降下。今度はドリルのような捻転が生まれる。コンクリートの地面すら抉り取る破壊力に、恭亜が叫ぶ。
「よ、よせ!!」
 だが、傍らのアインは小さく呟いた。
「えぇんよ……少なくとも今の<vリシラは負けへん」
 強く言い放つアイン。
 轟! と地面すれすれを飛翔して少女に突進する瞬間、

「穿て、イヴィルブレイカー」

 ゾン!!

 砂袋を斬りつける重たい音が響く。
 少女が右腕を薙いだ直後、捻転をして通り過ぎた巨体が二つに分かれた。
「深淵に還れ、外れた存在め」
 少女の声が、引き金となる。
 赤い液体を大量に撒き散らして回転する二つの何か≠ェ霧のように散り、灰燼のように爆ぜ、虚空に掻き消えた。
 取り残された少女の手には、アインと同様に彼女の体格には似合わないほどの大剣が握られていた。
 細く長いが二メートルはありそうだ。全身が鈍色で、中心に埋め込まれている赤い十字架から伸びる赤い筋が切っ先や柄尻へと奔る。まさに西洋に存在するクレイモア(諸手両刃大剣)だった。
 一瞬の浮遊、やがて重力に従って刀身が地面に突き刺さり、コンクリートに亀裂を生む。
 静寂が訪れた。
 からからと砂塵と瓦礫の鳴る音はやがて終わり、少女はやっと振り返った。
 なんと片手で軽々と大剣を持ち上げ、そのままこちらへ歩いてくる。
 恭亜は身構えたが、背後でアインの声がした。
「休み、ファイノメイナ」
 パキイィィン、という耳心地の良い音が鳴り、振り向いたそこにいるアインの手に銃は無かった。
 すっと恭亜の視界に影が差す。
 見上げた先には、軍服を着た可愛らしい少女の、苛烈なまでに鋭い視線。
「まずは腕を治療させて貰おう。おいおい話さなければならないことは多い」
 そこで今まで黙っていたアインが口を開いた。
「……いつのまに来てたんや?」
「挨拶だな。私にこんな無様な姿を見せる半人前が、そのような悪態を吐けるとは片腹痛い」
「ぐ、」
 あっさり一蹴され、息を詰まらせるアイン。
 険悪なムードの中で、恭亜は少し怖々と口を開いた。
「あ、えと……アインの仲間か? ありがとう……助か――」
「仲間? 私が? 冗談じゃない」
 吐き捨てるような声に、恭亜は思わず閉口した。
「私は私の意思で来ただけだ。そんな半人前の安否など知った事か、むしろその醜態が滑稽だ」
 あまりにも辛辣な言い方。しかもなんでかアインは何も言わずにいる。
 それが、恭亜にはカチンときて仕方が無かった。
「ちょ……お前、そんな言い方ないだろ? あれは俺が邪魔だったのが悪いんだし」
「そうか、なら貴様が悪い。それで? 貴様は戦場で『間違ったからゴメン』で済ませるつもりだったのか? セーブとリセットを繰り返すゲームみたいなもので、先のABYSSとの戦も括るつもりか?」
「……っ」
 唐突な正論で、恭亜さえ何も言えなくなる。
 黙っていれば誰しもが心奪われるような顔立ちの少女は、不遜な物言いで目を伏せ、腕を振るう。
 その手に握られていた大剣は、その一振りで陽炎のように揺らいで姿が消える。
 少女は決して誰も信じないと言いたげな目つきで、恭亜を睨みつけて口を開いた。
「私はプリシラ=グロリオーサ。ABYSS討滅組織《ツクヨミ》の一角であり、貴様やそこの半人前と同じく深淵に身を寄せ合い外れた世界を背負う者……【孤高世界】のオーラム・チルドレンだ」










 Bullet.U     破戟の謳う包囲網


 1


 十数分の後に、三人の来客を引き連れたことで八畳一間のアパートは地獄と化していた。クーラーガンガンでいい具合にパラダイスを満喫していた矢先の出来事であり、これほどまでにない最悪のタイミングと言えた。
 まさにマーシャ=ハスティーノンの悲劇である。いや、惨劇でもいいかもしれない。
 渦中に巻き込まれている挙動不審シスターさんは、なのに何故か茶を淹れていた。
 もう一度言う、マーシャは被害者のほうです。
 問題は、来客した三人だ。
 蓮杖アイン。マーシャも属するABYSS討滅組織《ツクヨミ》の同志であり、マーシャよりも先に居たので先輩にあたる。美形で、すこし天然で、不真面目が玉に瑕で、だけどとても強い、そんな子。
 プリシラ=グロリオーサ。彼女もまたマーシャと同じ《ツクヨミ》の同志であり、マーシャよりも後に来たので後輩にあたる。美形で、かなり天然で、仲間嫌いが玉に瑕で、だけどとても強い、そんな子。
 そして姫宮恭亜。
 この人は、よく知らない。


 中央区の外れのほうに建っているアパートの一室で、四人の人間は沈黙に座していた。
 マーシャから受け取った湯呑から昇る湯気だけが、クーラーの利いた静かな空間に揺らめいている。
 口火を切ったのは、やはりプリシラだった。可憐な声とは裏腹な荘厳なる言葉がマーシャに向く。
「ふむ、さすがは弔花の諸手≠セ。これほどまでに綺麗に治せるとは、向上したようだな」
「で、ででですからっ、そ、その名前で、よよ、よ、呼ばないで、く、下さいよぉ〜」
「?」
 何故『ですから』なのだろう、とプリシラは小首を傾げた。前にも言った憶えはないのだが。
「ですけど、い、因果を逆転できるのは、き、傷だけ、ですし……し、死んだら、なな治せませんからねっ」
「解っている。痛みぐらいどうという事でもない」
 冷たさは無いが、どこか突き放したような刺々しい声音。注意しているマーシャもびくびくしながら涙目を堪えている。
 マーシャの治癒の神器シャイン・ブレスによって肩口から受けた傷を治療してもらったプリシラは、そこでやっと恭亜を見据えた。マーシャの時とは違い、鋭利な視線には侮蔑の感情が篭る。
「ふん、ハイネが云うに気を張らねばならぬ手練れを想像していたが……よもやこれ程の情けない男とは」
 男ということは自分のことなんだろうな、と恭亜は腹に力を込めて視線を返す。
「アイン、これが姫宮恭亜でいいんだな?」
「……うん」
 まただ。恭亜は心の中でそう呟く。
 このプリシラという女の子が話しかけても、どうもばつが悪そうにアインは返事をする。まるで、悪い事をした子供が後々で親の言葉にうな垂れるように頷くように。
 だがそれとこれとは別な部分がある。
 今、彼女は恭亜を『これ』と言った。それはさすがにむっとした。
「お前……『これ』呼ばわりはないんじゃないか?」
「黙れ異常め。貴様に問うている訳ではない」
 年端もいかない子供に睨まれ、それでも恭亜は一歩退いた。
「異常、だって? どういうことだよ」
「気付かんのか。聞けば貴様、オーラム・チルドレンに触れていない状態で無理矢理深淵に干渉し、何処とも判らぬ世界と契約したそうではないか」
 ごぶっ!? とマーシャが啜っていた中身を湯呑に戻して顔を上げる。その表情には、驚愕を通り越して異質な物を見るような目だった。それほどおかしな事なのか、と恭亜は不安に駆られた。
「しかも初回の発動で神器に喰われて『侵蝕』し、挙句『侵蝕』から生還した。これが我々オーラム・チルドレンの歴史上類を見ない出来事であれば、その根源を異常と称して何に間違いが有ると説く?」
 それは、恭亜もあまり判らないことである。
 あの時失神にも似た感じで夢も見ない昏睡状態だった。病室でアインにそれを聞いてもまるで実感が湧かない。
 ただ、暴走して檜山皓司の腕を斬り落とし、アインや美弥乃を殺そうとした経緯を聞いてぞっとした。まさに見境がなくなり、歯止めが利かず、無差別的に殺戮を引き起こそうとしたことから、『侵蝕』がどれほどのものかは充分に判っていたつもりでいた。
 しかしプリシラの物言いには、妙な意味があった。
「ちょっと待て。『侵蝕』から生還した、って……それが普通じゃないのか?」
 アインに視線を向ける。
 だが恭亜のその問いを耳にした途端、アインは俯いてぼさぼさの白銀髪に目を隠す。
 次にマーシャへと向けた。彼女との面識もまた皆無に等しいが、しかし彼女も慌てて視線を逸らす。
 嫌な、予感がする。
 もはや絶対に答えを出せるのであろうと感じ取れるプリシラへ向く。
 答えは、すぐに返ってきた。
「有り得ないのだ。『侵蝕』とは世界と契約者とが同一化しすぎて深淵から還れなくなった者の、一種の現象だ。ある意味では死と同義であり、『侵蝕』した人間が元に戻ったというケースは今まで一度も無い=v
「なん、だって?」
「だから異常なんだ。貴様の知る日常からも、我々の居る非日常からも、貴様は異常なんだ」
「――、」
 恭亜は言葉を失った。
 そんなこと、アインからは一言も教わってないどころではない。
 すぐにアインを見るが、本人はずっと俯いている。
 窺うように、目を瞠って恭亜は言う。
「……アイン、どういうことだ?」
 ぴくり、とアインの肩が揺れる。
「お前、『侵蝕』から還って来るのは出来ないことじゃないって言ったじゃないか!」
 焦って裏返りそうになった声で、だがアインは何も答えない。
「ちょ、ちょっと待てよ! 契約した世界を本人が知らないってのも異常なのか!?」
「それこそ今更だな。己の在るべき真意を忘れて、世界と契約出来る訳が無い。有無以前に絶対に有り得ん」プリシラはなんの躊躇も無しに答える。「むしろ恥ずべきだ。貴様も、その半人前も。真名や神器の名を刻めばオーラム・チルドレンであるという保証など何処にも無い。契約した世界の真意が判らなければただのモグリなのだ」
「……え?」
 おかしな、ことを言う。
 契約した世界の真意が判らないのは、恭亜のはずだ。
『貴様も、その半人前も』
 それは、
「まさか……」
 呆然とする恭亜に気付き、プリシラは眉根を寄せた。
「なんだ。アイン、貴様これに自分が欠陥がある半人前のオーラム・チルドレンだということを言ってなかったのか」
 声の流れに従うように恭亜は振り向く。
 アインは、白いスカートをきゅっと掴んで、やっと視線だけを返してくれた。
 その表情は、苦痛と悲哀がない交ぜになった色。
「教えておこう、姫宮恭亜」プリシラはむしろ嘲るように鼻で笑う。「アインは貴様と同じなのだ。契約した世界の真意を知らず、あまつさえ九年前から以前の記憶を持たないがためにどうして契約したかも憶えていない。星天蓋≠ニいう真名と、ファイノメイナという神器だけは一丁前に唱え、その神器の能力すらまともに引き出せていない。まさに半人前だな」
「記憶、を……持たない?」
「プリシラ!!」
 立ち上がったアインの一喝が轟く。傍らのマーシャが怯えた。
 睨むアイン。それでもプリシラの黒い瞳は揺らがない。
「事実を言ったまでだ。オーラム・チルドレンの出自や仕組み、意味、その結果生まれる柵や枷。貴様は知らない。故に虚言で誤魔化してそいつを騙し、束の間の安寧を求めた。そうして何を得た? 姫宮恭亜への理解に、余計な混乱を生んだだけだ。違うか」
「それは……」
「半人前の上に、情まで覚えたか。所詮貴様に東京のABYSS送還は出来まいに……ハイネの意図が知れん」
「……っ!」
 歯を食いしばって、アインは踵を返す。革靴を履いて、玄関を開けて出て行ってしまった。
「アイン……!」
「放っておけマーシャ、あれは我が儘のツケを背負うことも出来ぬ半人前だ」
 追おうとしたマーシャを制止し、プリシラは恭亜を見据えた。
「どのみち東京の……特にこの中央区に異常に発現しているABYSSの送還が先だ。アインが学園に居る昼間は私が出ようではないか……奴だけでは心許無い」
 そこにきて、遂に恭亜の堪忍袋の緒が切れた。
「お前……、酷すぎないか? 仲間なんだろ!? 俺はいいとして、アイツにあんな言い方しなくても――」
「だから甘いと言っているのだ。最たる送還に貴様という障害一つで敗北に追いやられるようでは、この先《アマテラス》との衝突に遭った際に戦力にならない」
「……、」
「それと、今一度言わせて貰おう」
 すっと立ち上がり、頭一つ分以上も小さいプリシラは腕を伸ばして恭亜の胸倉を掴んで引き寄せる。
 小柄な体格に似合わない強靭な力に引かれ、大勢を崩して前に屈む。吐息もかかる目の前に、人形みたいに可憐な相貌が睨んでくる。
 小振りな唇からは、どこまでも冷酷な言葉。
「私の在るべき真意は孤高。独りであるがために背を斬られること無し、高みを望むがために理不尽な弱さも無し、故に【孤高世界】。だから私は《ツクヨミ》の同志と云えど、仲間はいない」
 どん! と胸を突き飛ばされ、よろける恭亜。
 軍服の少女は振り返って元居た座布団に座る。湯呑に手を添え、殺意にも似た眼光で恭亜を射貫いた。
「去れ、異常め」
 恭亜はしばし無言に打ちひしがれる。ふとマーシャと目が合ったが、彼女は眉をひそめて何も言わずに俯く。
 その一瞬、恭亜は怒りと共に、無力を感じた。
 彼女の謳う正論に何も反論できず、アインを庇うこともままならない。
 それが、どこまでも恭亜を無力的にさせる。
 オーラム・チルドレンという非日常に居るのに、また、救えない。護れない。
 やがて拳を握り締め、恭亜も無言で靴を履いて外へ出て行った。
 残った二人の間に、沈黙が降り積もる。
 ゆっくりと、マーシャはおずおずと口を開く。
「ぷ、プリシラ」
「……、」
 ふぅ、と小さく吐息を漏らすプリシラにいつもの°C配が感じられて、マーシャはほっと肩の力を抜いた。
「プリシラ……き、急に来るから、お、驚きましたよ」
「許せ、ハイネの謳い文句に踊らされた」
 今日び、東京という近未来都市の代表地帯のアパートの一室に、シスターさんと軍服幼女が談笑に花咲かせるのも凄い異空間だ。しかし、互いに『これが落ち着くから』という思想は共感できた。
 ただ、マーシャの顔が曇る。
「ですが、あ、あの子も、頑張ってるんですから、あまり、キツく言わないであげて、く、下さいね」
「……甘い。貴殿も甘いぞマーシャ」
 いくらか言葉の刺々しさはなくなり、湯呑の縁を指でなぞって滔々と言う。
「アインが何故、契約した世界の真意を知らないのか。幾度となく死地に臨むも能力が開花しないのか。それらを真相とする九年前の記憶の境界線が、未だ瓦解を成さないのか」
 丁度ツインテールに隠れて、その瞳にどんな色があるのか判らない。
 マーシャは誰も座っていない座布団と湯気の立ち昇る湯呑を見遣った。
 アインが居たほうでは、ない湯呑を。
 静かな空間にクーラーの機械的な音が続く。
 やっと、プリシラは湯呑を手に取って、仄かな熱で手を温める。
「これでいいんだ。力が無くとも、奴は戦おうとする。ならば酷を以って接さなければ、私のようになる。御揃いを作ることだけは、死んでも御免だ」
 彼女にしては驚くほどに寂しそうな物言い。
 何度か見たことのある、まるで姉が妹を心配するような表情に、マーシャは苦笑を浮かべた。
「……それより、」マーシャの苦笑に気付いてか、頬を染めて咳払いをする。「奴だけではABYSSの探索も難儀であろう。用が無い内は私もここに居る。しばらくの間、ここに居させてもらうぞ」
「あ、は、はいどうぞっ」
「助かる……それに、確かめなければならないこともあるのでな」
 きょとんと首を傾げるマーシャを余所に、プリシラは湯呑に口を付けた。
「――ご、ぶふっ!? き、貴様! これ……っ! い、一体何を淹れたっ!?」
「はい? コーヒーですけど」
「ゆ、湯呑にそんなハイカラなモノを淹れるなぁあ!!」


 涼しかった部屋から出て、むわっとした熱気の外へと走った恭亜は、辺りを見回す。
 アインが出て行ってから大分経ってしまっているため、今更捜して見つけられるとは思えない。
 それでも、恭亜はアインの白い姿を目で追った。
 記憶を失い、真意と能力を持たず、日常にも非日常にも当てはまらない異質。
 恭亜の知らない、蓮杖アイン。
 じりじりと雲に薄らぐ陽光の下で、恭亜は心が締め付けられる苦しみを感じる。
 何も判っていないくせに、友達だなんだと悩んで。何を考えてるんだろう。異常なくせに、アインを判ろうとした。
 惨めで、不甲斐無くて、いっそ泣きたくなる。
 だが、それは身勝手だ。恭亜がどれほど想おうが、それは彼女やプリシラ達にはなんの関係もないことだ。
 コンクリートの地面を蹴って、とぼとぼと学園への道を歩いた。
 所詮、恭亜は赤の他人だ。オーラム・チルドレンだからというのは共通点でしかない。絆には、ならない。
 だからプリシラの言葉にも負けて、こうしてアインも追えず、おめおめと帰るんだ。
 ぎり、
 その時、恭亜が口腔を噛み切って血が滲んでいることに気が付いたのは、学園に着いた頃だった。





 オフィス街。
 居住区を挟んで廃屋街の真逆に建設されている、未だ増殖を続ける科学一辺倒都市だ。
 といっても、昼下がりはほとんどの人間が居ないため、数百メートルに及ぶビルが無人になることも珍しい話ではないという。そう意味では、廃屋街のようなゴーストタウンの静けさに似ていた。
 その無人のビルの一つは、もうすでに異界と化していた。
 ビル内のロビーは広く。応接用の場が設けられたり、案内受付のカウンターがあったりするが、誰も居ないがためにただっ広いだけの静かな重みが漂っている。
 中でも一際異質を放っているのが、ロビーの中央に立っている二メートル大の甲冑だった。
 鈍色の無骨な西洋の全身鎧で、曲線と鋭角を織り交ぜた丸太のような重みを感じさせる。もはや科学一辺倒と言われる東京では、成金趣味の会社でも置いていない代物だ。
 ただし、この鎧には中身が居る。
 それだけではなかった。ロビーのあちこちに、今で言う護符のような紙切れが張り巡らせていた。受付、階段、エレベーターの扉、応接間のソファ、果てはガラス張りの壁や自動ドアの玄関、様々な場所に無造作に、しかし確かな調和を以ってびっしりとロビーを囲っていた。
 鎧の足元には、巨大な魔方陣。直径にして五メートル、赤一色のそれは謎めいた文字や記号、数字を描き、おどろおどろしい雰囲気をかもし出している。
 微動だにしない鎧は、ふと背後から自動ドアの開く音を聴いて振り返った。
 それは本来、電気が通っていないために開かないのだが、それ以上に呪符を利用した因果の封印が掛けられている。内外を問わず、この空間を行き来することは不可能だ。
 とある、外れた存在を除いては。
「御機嫌よう、とでも言ったほうがいいですか?」
 現れたのは、一人の少女。
 歳は高校生ぐらいの若い娘で、淡いハニーブロンドの髪が緩いウェーブを作っている。緑色のワンピースの上からポシェットを提げている風体はまるで普通の休日を過ごす学生だ。
 知る者が居れば、彼女の名前をこう呼ぶだろう。
 倉敷御園(くらしき みその)、と。
 全身鎧は答える。どこか片言で、くぐもったような低い声。
「皮肉を言う時点で誰かは判るがナ」
「それは言わないで貰いたいかしらね、これ≠フ愉しみを否定されたら私の真意が駄目になるもの」
 邪悪さの無い、それでも何かを孕んだような作為的な笑みを浮かべる少女。
「それよリ、急な来訪だナ。何の用ダ」
「そんな大したことじゃないわ、貴方が陣取って何かやらかそうとしているみたいだから、見物しに来ただけよ」
「……そういえバ、例の者はどうなっタ」
「例の者?」
 きょとんとする少女。
 だが、それが嘘っぱちの演技だと判っている鎧は、溜息を漏らした。
「恍けるナ。汝の近くに居るという元異常適正者ダ」
「あ〜、姫宮君ね。なに、知りたいの?」
 悪戯に暗い笑みを作って鎧を詮索する。
「当たり前ダ。よもや敵になるなら知って損は無イ」
「ふ〜ん……でもま、友達だしねぇ〜。私は彼のプライバシーを護るわよ? 私がプライバシーを護るように」
「黙って貰おうカ、不定名詞=B我にすら素顔を見せない者ガ、信用されると思っているのカ」
「その辺はケース・バイ・ケースでしょう。貴方こそ素顔を見せないでよく言うわ」
「……」
「はいはい、私は絶望の姉さんとは違って言葉の蹂躙に興味は無いさね。私は騙してナンボだから♪」
 アメリカ人のような肩の竦め方をしながら、少女は魔方陣のギリギリ外で立ち止まる。
「まったク……汝の思慮が読めないナ、敵を前にして何故躊躇ウ? ある意味汝と魂喰らい≠ヘ近づきすぎるほど近くに居るんダ。いくらでも暗殺が利くだろうニ」
「べぇつに躊躇ってるわけじゃねぇよ破戟≠フ旦那ぁ♪」
 突然、少女の口調が一変する。綺麗なソプラノの、しかし嘲いの込められた悪戯の声。
「姉さんも躊躇ってるわけじゃあねぇな、あれは。単に遊ぶならとことん突っ走りてぇんだよ。極限まで、それこそ絶頂の快楽を繰り返して愉悦を味わわなけりゃつまらねぇ……ま、【自衛世界】の契約者にゃあ解らん話だぁなあ」
「……汝も喧嘩を売りたがるようダ」
 すっと腕を上げる。丸太のような豪腕が動いた瞬間、少女もふざけたように両手をバンザイのポーズにしてよろけるように逃げ出す。
「カぁンベンしてくれなー、腕っ節のガチンコでアンタとヤり合うつもりぁねぇよ」
 ひらひらとワンピースの裾を翻して、少女はもと来た自動ドアの前に立つ。
「あ、そうだ。善悪一≠フ嬢ちゃんが来てるって話だけど、本当かしら?」
 少女らしい口調に戻る彼女に、鎧は不承気味に答える。
「聞いていル、だが彼女もまた自由を好む子ダ。我も今何処に居るのかまでは知らないナ」
「……ふ〜ん」
 ゴゥン、と自動ドアが開き、閉じる。
 再び一人になった鎧は足元を見て、魔方陣を確認する。
「まあいイ。我は我のすべきことを実行するまでダ」
 くぐもった声は、どこか疲れたような溜息を混じらせて虚空に語りかけた。





 2


 翌日になっても、恭亜の心は晴れなかった。
 というのも、あのプリシラという少女の言葉にどうしようもなかったというのもあったが、それだけではない。
 昨日の夜、アインと共に巡回をするはずだったのに、彼女が来なかったことだ。
「アイン……なんで来なかったんだ」
 寮の自室に居た恭亜は、ぽつりと呟く。
 病院での話では、あの水晶のついたペンダントみたいなものの扱い方を教わることになっていたのに、結局来なかった。
 理由は判ってはいた。あの軍服少女の言葉だろう。
「アインが、記憶を失っているなんて……」
 自分が世界と契約したことを知らない。
 それが、彼女の苦しみなのだろうか。
 恭亜には、何も出来ないのだろうか。
 静かな空間に幾度とない疑念は生まれるが、それを答えてくれる誰かなんていない。
 恭亜は溜息を吐いて、時計を見る。
 時刻は十時過ぎ。
 ふと、一人の少女の顔を思い出した。
 金髪碧眼の少女、サラトといったか。
 そういえば、昨日また逢おうと約束して分かれたあの少女だ。
 まさかとは思う。でも、嘘が嫌いと言っていたあの子は、今日も商店街に居るんじゃないだろうか。
 どうしようかと迷うことはなかった。
 なんせ課題も終わらせてしまったし、アインが居ない今となっては何もすることがないからだ。無理に首を突っ込めば、プリシラの反感を買うだろうし、アインに悪いかもしれない。
 恭亜はすっと立ち上がると、着替えを取った。
 今の恭亜には、目の前の簡単な約束ぐらいしか護れないほど弱かった。
 頭の中でぐるぐると回る思考を忘れるように、恭亜はジャケットを羽織った。





「……なんや」
 廃屋街に居たアインは、ねめつけるような視線を向ける。警戒するように、どこか怯えるように。
 その逸らした視線に、さすがのプリシラも少しだけ表情を和らげた。それでも鋭い目つきは変わっていないが。
「そう邪険にするな。先日の言葉は加減を忘れた、許せ」
「……それが言いたいだけやったんか?」
「いや、私もしばしこの都市に滞在することにした」
「!」
 誰も居ないゴーストタウン。荒んだ打ちっ放しのコンクリートの地面の上に、二人の美少女。
 アインは驚きに眼を見開いて、少し考えてから口を開いた。
「せやったら、三人で巡回になるん?」
「三人? マーシャは治療役だろう」
「……恭亜のことや」
 彼の名前を口にした途端、プリシラは鼻で笑った。
「またあの異常か。何故そこまで奴に肩入れする」
「……、」
「よもや見惚れたのか? 下らん」
「――!」
 その一言に、弾かれたようにアインは前に出た。数歩の間を一瞬で詰める。
 胸倉を掴んで引き寄せる。その表情は、寝ぼけ眼の一切無い怒りの色。
「いい加減にしぃや、この仲間嫌いっ……アイツは確かに不安定なもんかも知れへんけど、それ以上に絶対裏切らへん奴や。少なくとも、敵になることは絶対にない……!」
 だがプリシラはまるで涼しい顔。
「……貴様こそ、いい加減にしろ……」いや、その冷徹な表情に、アイン以上に怒っている。「言うに事欠いて『恭亜』だと? 貴様は戦場に立つ者としての自覚は無いのか!」
 びくりとアインが怯み、手が離れる。
「非情を以って接することも出来ない甘ちゃんの分際で、知った口を聞くな半人前。その期待の新人は『侵蝕』を引き起こしているんだぞ……不明瞭で言うならば、それはもはや敵味方以前の問題だ」
「でもあれは……友達、を傷つけられたショックや。覚醒した恭亜とまだ人間の美弥乃には、もう接点がない!」
「そちらを言っている訳ではない……」疲れたように溜息をつくプリシラ。「貴様は奴に依存し過ぎる。過度の接触が再び姫宮恭亜を『侵蝕』させたらどうするつもりだ。その時は姫宮恭亜を殺さなければならない」
「……っ!」
「冷徹を覚えろアイン、貴様らしくもない。貴様が迷えば、犠牲になるのは姫宮恭亜だけではないのだぞ」
 肩に手を置いて、プリシラが諭すように静かに声を掛けてくる。
 一瞬の沈黙。俯いてボサボサの白銀髪に表情が隠れる。
「判るな?」
 ぽつりと落とすようにプリシラは訊く。
 だが、
 ぱしん! と肩に置いていた手を払われた。
 顔を上げたアインの目つきは、鋭くプリシラを射貫く。
「判るわけないやろっ……ウチは、アンタに勝手に決められるつもりは無い!」
 眼前で吼える。
 プリシラは数秒の間視線を合わせていたが、やがて大きく息をついた。
「……そうか、それが貴様の答えか」
 肩をすかして、そう言った。

「ならば、貴様も私の正義の前では悪意と見做す」

 刹那、手元で空間が揺らぎ、衝撃が爆ぜた。
 ズガン! とアインとプリシラの合間に巨大な鋼の色が現れる。
 慌てて身を引いたアインは、そこでやっと現れたのが彼女の神器であると理解した。
 二メートルはある大剣で、刃の幅よりも長さに特化しているクレイモア。交わりに埋め込まれた紅い十字架を基点に四方に紅い線が奔る大剣が、持ち主を護るかのように垂直に突き刺さっている。
 その向こうの小柄な体躯から、恐ろしいまでの殺気が放たれている。
「集団に不安因子は破滅をもたらす。今すぐ排除してくれる」
「……っ、ファイノメイナ!」
 咄嗟にアインは一喝と共に腕をかざす。
 右腕が陽炎のように揺らぎ、指先に大口径の銀銃ファイノメイナが出現する。
 得物を抜き放ったことに勝負の肯定と捉えたプリシラは、腕を精一杯に伸ばして柄を握る。
「我が信ずる絶対正義の名の下に――」
 引き抜く。
 三十センチ近く突き刺さっていた大剣が真横に引かれたことで、地面が抉れて大剣が振るわれる。
 半回転して切っ先が天を向いた両刃西洋剣を軽々と肩に引っ提げ、プリシラは冷徹の視線に還った。
「――貴様を、斬る」





 商店街は滞りなく往来を作っている。日曜日だけあって、昨日以上に人が多い気がする。
 人ごみとも言えるアスファルトの道を歩く恭亜は、噴水の前で立ち止まる。
 いきなり立ち止まったため、背後を歩いていた人が嫌そうな顔をしながら避けていく。
 少しだけ流れの変わった往来の中で恭亜は佇み、噴水の縁に座っている少女を見据えた。
 縁に座る少女は、恭亜に気付いて立ち上がる。
 金糸の髪をストレートのまま腰まで伸ばす、プリシラという少女と同じか少し年上ぐらいの少女。大きな瞳に緑の眼と白い肌、今日はティーシャツと短パンに、長袖の服の袖を腰に回して腹部で結んでいる。青いキャップを被っていて、いかにもスポーティな感じだ。
 昨日と同じ、不釣合いなほど大きなヘッドホンを外す。
 道行く人々が、その容姿か容貌に惹かれて視線を向ける、そんな子。
「恭亜! やっと来た! サラト待ってた、恭亜は来るって信じてたよ!」
 サラト=コンスタンスは、まるで恋人との待ち合わせをしていたかのように頬を染めて、嬉しそうに笑った。





 ドン!!

 コンクリート製のビルの壁が、その一閃で発破でも掛けられたように爆砕した。
 硬質な物体を破壊したにも関わらず、殺傷力に申し分ない一撃が振り薙がれる。
 紙一重で避けたが、プリシラの腕が捻られ、刀身が垂直から水平になる。うちわのように風を作り出したが、その大剣の重さと薙ぐ速度が相まって爆風を起こす。
 風圧に負けたアインは、それに逆らわずに足を引く。華奢な体が宙を舞い、華麗に着地する。
 すかさず銃を突きつけるが、その銃口が脚を狙った瞬間にプリシラが回転する。
 両手で握った大剣イヴィルブレイカーを、ハンマー投げのように思いっきり放った。
「……っ!?」
 腐っても超重量に部類される大剣だ。それが回転しながら飛来されては、防ぎようがない。
 姿勢を低めてそれを避ける。チッ、と後ろ髪が斬れる音が耳に入るが、胴体から真っ二つにされないだけマシだ。
 過ぎ去る大剣を背後に顔を上げた瞬間、目の前に深い緑が広がる。
 腕を上げようとしたが、右の二の腕に鋭い横蹴りが入る。
「ぐあっ!」
 思わず銃を取りこぼしそうになったが、すぐに銃を構える。
 しかし、
「近い!」
 プリシラの手が、軽く銃身を退ける。銃口がプリシラの身体から外れ、アインは身を引く。
 だがそれをプリシラは許さない。アインの一歩に対して近すぎず遠すぎず、同じだけの距離を保ったまま前へ出る。
 銃を突きつけようとする度に、プリシラの手がアインの腕を払い銃口を外される。
「如何に威力が有ろうとも、この距離では銃は不利だ」
 プリシラの冷徹な声がアインに語り掛ける。
 ムキになったアインは大きく下がる。
 だが、あるはずのない壁に背からぶつかった。
 何事かと振り返った先には、大剣があった。
「しまっ――」
 直後、身を捩ろうとした一歩前にプリシラの膝蹴りが腹に突き刺さった。
 こふ、と息を吐くが、再び息を吸うことも許されない勢いで右肩を押されて大剣の腹に突き飛ばされる。右肩を強く掴まれている状態では、銃を向けられない。
 それに気を取られていたアインの顔に、拳が入る。
 身の丈の倍近くある大剣を楽々と振り回す豪腕とはいえオーラム・チルドレンであるアインに防げないものではない。それでも衝撃で視界が流れて銃を放してしまった。
 地面に転がる銃へと腕を伸ばすが、プリシラがもう一度アインの肩を掴んで大剣に背を押し付ける。
 表情をキッと強めてアインは握り拳を作ったが、気付いたように身を強張らせる。
「どうした、殴らないのか」
「……っ」
「私の能力の性質上、単発重視の貴様の銃と相性が悪いのは百も承知。殴り合いの持久戦にさえ持ち込まなければ、戦闘センスは貴様のほうが上のはずだ……では何故貴様は劣勢を強いられている?」
 肩を掴んでいた手を、胸倉に移す。
 ぐ、と息を詰まらせたアインにプリシラは断言した。
「貴様は甘すぎるのだ。私が相手なら一撃で仕留めなければならないことは知っているだろうに、何故貴様は脚や肩を狙おうとする? こちらは全ての攻撃を殺すつもりでやったぞ」
「……」
「ハイネも甘やかしすぎたな。貴様のような足手纏いが居ては邪魔なだけだ」
 そう口にした直後、拳を握ってアインの腹に放つ。
「っが……!?」
 くの字に身体を曲げた瞬間、プリシラはアインの服の襟を掴んで一気に引っ張る。
 前のめりに投げられたアインは咄嗟に身体を丸めて前転して体勢を直そうとしたが、前方にはプリシラの姿が無い。
 同時に大剣イヴィルブレイカーも無くなっていることに戦慄を覚える。
 反射で横に跳ぶと、頭上から巨大な大剣が突き刺さった。
 プリシラの武器捌きは、アインのそれと似ている。銃の大口径が生む衝撃に逆らわず体移動をして和らげる戦法はプリシラもそうで、持ち上げる瞬間は力任せだが振り回すときはほとんど剣の重量を利用している。アインの銃は直線で、プリシラの大剣は曲線を描く以外の点は同じだ。攻撃の先読みは苦難ではない。
 ただし銃を持っていない状態のアインでは、防ぐことが出来ない。それでなくてもプリシラの徒手空拳は強烈なのだ。
 柄を掴んだまま体を捻転させて、大剣を地面から抉って引き抜く。
 着地して大剣をかざすプリシラ。身長からか、大剣の先が地面に付いてしまっている。
「ファイノメイナを持たずして私に勝てると思うか! それが貴様の限界だ、アイン!!」
 ブォン! と空気を薙いで大剣が振り回される。
 跳躍し、上空から重量を増して飛来する大剣に、アインは横へ跳んでなんとか避ける。
 コンクリートの地面を砕く轟音と共に、砂煙が舞う。
「しまっ――」
 標的を見失ったアインが緑の姿を探す一瞬の隙を衝いて、横合いからプリシラが出てきた。
 プリシラが両腕を振るうのが視界の端で見えて、アインは体勢を崩してしゃがみ込む。
 だが、
「――え」
 頭上を過ぎてゆくプリシラの両腕には大剣が握られていなかった=B
 まさか、と脳裏を過ぎった瞬間、背後で鉄が鋭く地面を突く音が炸裂し、背中に硬い壁がぶつかった。
 大剣が振ってきたと理解した瞬間には、両腕を空振りして体を捻転させたプリシラの回し蹴りが腹に入る。
 重点的に腹部を狙われ呼吸を乱されたアインが苦悶の表情で吹き飛ばされ、大剣にぶつかると同時、前進したプリシラが掌低でアインの顎を穿つ。
 連撃を受け、アインはたまらず地面に転がった。
 すぐに起き上がろうと上体を起こしたが、顔すれすれを通って大剣が地面に突き刺さった。
 思わず身を硬直させるアインに、プリシラはまるで厭わないような顔で答える。
「もう一度言う、姫宮恭亜との接触を一切しないと誓え。そうすれば放免としてやる」
「……」
「何故そこまでして奴に固執する? 危険を冒して《ツクヨミ》に悪影響を及ぼせば困るのは私達全員だぞ。貴様はハイネやマーシャも犠牲にするつもりか?」
「それは、」
「『侵蝕』を見て、改めて危険性が判ったはずだ。アレは危険極まりない。いつ暴発するとも判らぬ爆弾と同じだ」
「……っ」
「だからもう一度だけ言う。姫宮恭亜と縁を切れ。奴はなんの力にもならない」
「!」
 それを聞いた瞬間、アインの中で怒りが湧いた。
 萎れていた感情が爆発的に沸点を超える。
「……いい加減にしろて、言うたやろ」
「なに?」
「アイツはな、確かにここぞという時にしょうもないヘマするような奴かも知れへんけど、それでも桃瀬晴香や檜山皓司……美弥乃、だって……日常を犠牲にしてしまったことを後悔してるんや。せやけどそれ以上にアイツは非日常になってまで戦いを望むことをしない奴や! 誰かを護るために力を利用するでもなく、正当防衛を語って犠牲を作ることもなく!」
 そうだ。
 でなければ彼はアインはともかく、美弥乃と一緒に課題を解くことなんてしない。
 ただ単に彼にとって日常と非日常のラインが曖昧になっているだけなのかもしれないが、アインにはそれは羨ましい概念だと思えたのだ。
 契約した世界の真意を知らなくても、
 身を護るための能力を知らなくても、
 護るものが漠然としているからこそ彼は絶対に酔いしれない。迷わない。日常を、鵜方美弥乃を護る。
 在るべき自分を決して見失わない。
 そんな彼に、一体何が力不足だというのか。
「本人の前では言わへんけどな、アイツは立派なもんや。ウチやアンタよりも、ずっとずっと人間やっとるで」
「――、」プリシラの目が見開き、憤然とした怒りを押し殺した冷徹な声が返ってくる。「そうか、なら貴様も姫宮恭亜も危険因子として排除しなくてはならないな」
 腕を引き、大剣を掲げる。
「殺しはしない。だが、」
 一度切っ先を地面に置き、全体重を乗せて大剣を振るう。
「その脚の一本や二本は斬り落としてくれる!!」
 アインの足首を踏んで、そこ目掛けてイヴィルブレイカーが振り落とされる。
 身動きの取れないアインは、恐怖のあまりに目を閉じてしまった。





「―――――――、?」
 誰かに呼ばれた気がした。
 恭亜はふと振り返って景色に違和感がないかを見回すが、そこは流れてゆく人々の背中がひしめき合う商店街。
 でも、何か嫌な予感がした。
 それがなんのものなのかは、判らない。
 もしかしたら、
「恭亜?」
 呼びかけられて視線を戻す。
 サラトはキャップに隠れそうな大きな瞳を上目遣いに向けて、恭亜の腕を引っ張っていた。
「どうかしたの? またトモダチ?」
「あ、悪い。そうじゃないんだ……ただ、ちょっとね」
「……そっか」
 一瞬表情を曇らせたが、すぐににぱっとはにかむ。
「それより恭亜、今日は遊べるの? サラトと遊べるの?」
 歳相応のあどけなさで、はしゃぐよう見上げてくるサラトに苦笑して、恭亜は歩き始めた。
 振り向いた先に、廃屋街があることを思考の範疇に入れないまま。





 3


 鎧の男はビルを出て、大きな公園に出た。
 あくまで社員の憩いの場として設けられたため、噴水や椅子のほかには何もない質素なものだ。
 白いレンガ調の清潔感溢れる公園は、そこも異質に染められている。
 札の紙切れがあちこちに貼られ、鎧の男の足元を中心に血で綴ったような魔方陣が描かれている。
 まず、東方の製菓会社ビル。
 次に、南方の香水製造ビル。
 次に、西方の建設中途ビル。
 そして、北方のブランドファッションショップの大手らしきビルを結んだ中点にある、この公園。
「これで最後、カ……さテ、連中に感づかれることがなければいいのだがナ」
 すっと右腕を上げる。その手の先には呪符があり、それを方陣の一番真ん中に落とすように手放す。
 ひらひらと舞い落ちる札は、磁石に引き寄せられた鉄のように方陣の中心に落ち、

 瞬間、オフィス街の一部は闇夜に潰された。





「――!」
 ズガン!! と地面を抉る斬撃は、アインの脚を逸れて横に。
 何事かと見上げたアインの先で、プリシラは片手を柄から離してズボンのポケットに突っ込む。
 取り出したのは、青いプリズムのついたペンデュラム。中のコンパスが、かたかたと音を立てている。
 はっとしたようにアインは表情を変える。
「まさか、ABYSS!?」
「昨日の今日だ。そうそう出るとは思えないがな」
 今までの戦闘など何処吹く風でプリシラは答えると、昨日アインがやったようにペンデュラムを中指に着けてプリズムを垂らす。
 通常ならここでコンパスが回り、プリズムが傾く方角を目指せばいいのだが、ペンデュラムは異常な動きをする。プリズムが物凄い勢いでオフィス街の方向を向き、ビィィィイイイイ! と振動していた。
 プリシラは冷静に、だが嫌悪のようなものを込めて舌打ちをする。
「ABYSSの出現ではない、一定座標の因果空間を強制的に遮断するこの技法は……《アマテラス》か!」
 アインも知っている。《ツクヨミ》特有の神器が深淵の亀裂や因果の干渉を読み取る神器なら、《アマテラス》は空間の支配を得意としている。
 といっても、巨大な壁を創るといった意味ではない。言うなれば押し出しだ。
 深淵に干渉することの出来ない人間はその空間から弾かれて、模擬的に創り出された空間で何も知らずに日常を続ける。ただしオーラム・チルドレンやABYSSは別だ。いわば深淵に関わる全てを外へ出さないようにする監獄を意味する。
 近づかなければいいと思うかも知れないが、無理矢理因果を遮断すると次元に歪みを引き起こして空間が壊れてしまう。そうなってしまってはABYSSが大量に押し寄せてくることになる。
 プリシラはペンデュラムをしまい込み、腕を振るう。大剣イヴィルブレイカーが持ち主の意志を汲み取って、陽炎に紛れて姿を消す。
「あっ、プリシラ……!」
 アインの声もまるで聴こえないように、プリシラは一目散にオフィス街を目指す。
 倒れていたアインも立ち上がる。腹部を押さえて銃に触れ、ファイノメイナを掻き消す。
 慌てて視界を戻すが、もうプリシラは遠くなってしまっている。
「ただでさえ小さいのに余計に小さくなってるやんか!」
「聴こえてるぞ半人前ぇええっ!!」
 遠ぉ〜くで振り返ったプリシラの怒号。
「……相変わらず『小さい』言われると煩いなぁ」
「今も何か難癖付けたなっ!?」プリシラは憤怒しながら、それでもすぐに真面目に戻す。「空間の断絶を数箇所も創られては対処が出来なくなる! 貴様も少しは役に立て!!」
 そう言うと、軍服のマントを翻してプリシラはさっさと行ってしまった。
 アインも後を追おうとした。咄嗟に右のポケットに手を入れたが、不意に止まってすぐに手を出した。
「あほ、こない時に何しとんねやウチは……」
 まただ。
 脳裏に浮かぶのは、あの美形のくせにどこか頼りない雰囲気を持つ、でも案外抜け目の無い奴の顔。
 情けないと自分を責め、護りたいと自分を戒め、自棄でなく日常を求め続けるオーラム・チルドレン。
 姫宮恭亜。
 アインは歯を食いしばり、オフィス街へ向かうべく走り出した。





 どくり、
「っぐ……」
 振り向いたサラトは、怪訝な顔をする。
「恭亜、どうかした? どこか痛いの?」
「あ、いや……」
 痛いというものではなかった。
 何か、凄く気持ちが悪い液体が心臓を嘗め回していったような、そんな不快感。
 完成されているパズルの、ピースを一個だけ取って捨てるような、そんな欠落感。
 大事な何かが無くなった感触。恭亜はそれがなんなのかを知らないがために、サラトのきょとんとした顔を見て苦笑した。
「悪い、ちょっと気分が悪くなっただけだ」
「……それはサラトと一緒にいるから?」
「そんなわけないっての、何言ってんだよいきなり」
 恭亜は怒った。
 今の感覚が何だったのかは判らないが、少なくともサラトがいけないなんてことは絶対にない。断じてない。
 首を横に振る恭亜を見上げて、サラトは頬を染めて嬉しそうに笑う。
「……恭亜はほんとにいい人だね、正直にそう言ってくれる人ってサラト好きだよ」
 といって、サラトは恭亜に抱きついてきた。腰元に腕を回して顔を摺り寄せてくる。
「っわ! お、おいサラトっ?」
「にっひひー♪」
 悪戯に笑ってサラトはしがみ付く。嫌なことはないのだが、公衆の面前だということを忘れないでほしい。
 ひとしきり抱きついたサラトは離れると、無邪気に笑い恭亜の歩く先を進む。踊るようにステップを踏み、金糸の髪をさらさらと舞わせる姿は、神秘的な妖精を思わせる。
 商店街を歩いていた二人は、噴水広場から南に歩く最中に居た。
 恭亜以上に人目を浴びているサラトはなんら気付くことなく恭亜に声を掛ける。
「恭亜、これから何をするの? 遊ぶの?」
「んー、そうだなぁ……暇だし金はあるから、ゲーセンでもどこでもいいけど」
「げーせん?」
「若者の暇潰しの場所ってとこかな」
 かく言う恭亜は一度もゲームセンターに行った事は無い。
 生い立ちを考えればそうだろう。楓鳴帝ルートの高いエリート学校の生徒がゲーセンなんか行ったら、問答無用で退学だ。それでなくたって、あんな場所にいたら毒気にやられて遊びなんて考えがつかなくなる。
 だから一度は行ってみたいとかいう、お前は箱入り娘かと言われそうな願望が一応はあった。
 首を捻りながら佇んでいるサラトに、恭亜はゲーセンへ行こうと促した。





 商店街に入ったプリシラとアイン。
「アイン!」
「!」
「マーシャに連絡を入れておけ! 連中が複数で留まることはないと思うが、誰が居るとも判らん! よもや紅姫≠ェ相手となっては、唯事では済まんのだろう……!」
 べにひめ、とアインは小さく呟く。
 聞いたことはあるが、実際にアインもプリシラもどんな人間かは知らない。
 ハイネから言われて判っていることは二つ。
 一つは《アマテラス》のリーダーが紅姫≠ニいうシェイプネームであること。
 もう一つが、紅姫≠ニは何があっても絶対に戦ってはならないということ。
 まさかアインやプリシラが勝てないと言われて聞くはずがない。
 だが他でもない《ツクヨミ》最強のオーラム・チルドレンが、アインやプリシラとは次元の違う圧勝のプロフェッショナルが、戦うなと言うのだ。無視できない相手だと判りきっている。
 アインは出し損ねた携帯を引っ張り出し、走りながらボタンを操作する。
「というか、プリシラ掛ければえぇやん」
「……私が機械音痴なのは知っておろう」
「今時電話が来るたびにビクつくのも考え物やで」
「なっ……! あ、あんな夜中に電話が着たら誰でも驚くだろう!!」
「時差ゆうのを忘れるなんてプリシラらしいと言えばそうやけど」
 というアインもそこまで携帯の中身は把握していない。登録してないからリダイヤル欄から掛ける。
 コール音が続く。五回六回のコール音が続き、アインよりも先にプリシラが焦燥する。
「遅い……!」
「ウチに言うな」
『え、あ、はい、もしもし!?』
「せやからアンタんとこの部屋に電話着たらハイネかウチらしかないんやから『もしもし』はいらへんっちゅうに」
『はい? あ、えと、アイン、ですか……?』
「ちぃと急いでるから手短に言うで、《アマテラス》が現れよった」
『……!』
 受話の向こうで気配が変わった。挙動不審のマーシャと言えど、話の現実味は良く理解する。
『場所は、どこですかっ……?』
「オフィス街、空間の因果遮断の術式は連中やろ」
『判りました、た、待機しときます、よね……?』
「頼む」
 プッ、と電源を切ってポケットに入れる。
 プリシラはちらと視線だけを寄越す。
「……掛けんのか?」
「……誰にや」
「恍けるな、期待の新人にだ」
「珍しいな、嫌味言うんは」
 人の合間を縫うように走りながら、冷静な牽制が続く。しかし内心では、かなり沸点間際の睨み合いになっている。
 昔からこの二人はこの調子なのだ。事あるごとにいがみ合いをしている。
 やがてプリシラが鼻で笑い、無言になった。
「……プリシラ」
 アインが口を開く。
「なんだ?」
「きょ、……姫宮のことを殺そうとしたのは、本気なんか?」
「無論」
 答えは早すぎるぐらいすぐに返って来る。
 キッと睨むが、プリシラは至って冷静に続ける。
「また仲間意識か。あんなモノを近くに置いて、また『侵蝕』したらどうするつもりだ?」
「――!」
 プリシラは気付かなかった。
 言葉の中に潜む、アインの怒りの引き金を絞る単語。
 アインが突然立ち止まり、プリシラも足を止める。
「何をしている!?」
 苛立ちの一喝が放たれる。周りを歩く人々は軍服のコスプレ美少女がドキツい表情で怒る姿に、底知れない畏怖を覚えているが、本人は至って無視だ。
 雑踏の中に立つアインは、無言でプリシラの元まで歩いてゆき、胸倉を掴んだ。
「……なんて言うた?」
「何?」
「今なんて言うた? あんな『モノ』?」
 そこまできて、プリシラははっと自分が何を言ったかに気付いて口を噤んだ。
「いつからアンタは人をモノ扱い出来る立場になったんや?」
 静かに、だがプリシラがぶるると背筋を凍らせる無表情でアインは滔々と口を開く。
「恭亜とか『侵蝕』とか、オーラム・チルドレンとかもうどうでもえぇ……せやけど、それだけは許さへん」
 プリシラを見据える瞳の中には、殺意に似た光がギラギラと燈っていた。
 睨まれたプリシラは思わず視線を逸らしてしまう。
「生きてるモンを理解しようとせずにぐちゃぐちゃにしてしまうことがモノ扱いなら、ウチはどうなる? ハイネは? ……アンタはどうなるん? アンタはなんで《ツクヨミ》に入った?」
 アインは、理由を知っている。
 プリシラが《ツクヨミ》に入るきっかけを、知っていてわざわざ口にはしない。
 今まで気まずそうに口を閉ざしていたプリシラが、表情を険しくした。
「貴様に過去を詮索される筋合いは無い」
「ならウチは現実を貶される筋合いは無い」
「真意もまともに知らぬ分際で……!」
「せやから人間性を冒涜してもええんか?」
「黙れ! 貴様の安直な考えで組織が潰えれば元も子もない!」
「プリシラ」
「なんだ!」
「……一体なんの話をしとんねや」
「――、っ」
 プリシラは、言葉を失う。
「……プリシラが護りたいのは体裁なんか? それがアンタの言う絶対正義? それこそ下らない」
 冷徹な一言に、プリシラが顔を上げる。
 憤怒のせいで赤らめてた、透き通るような美しい顔。
「貴様……」
 プリシラの拳が握られた瞬間、

「……、アイン?」

 呼ばれたアインが、驚いた顔をしながらプリシラの背後に立つ青年に向けられた。
 胸倉を掴む手が弱まったので、プリシラも振り向く。
 そこに居たのは黒髪の美青年と、金糸の髪の知らない少女。
 少女のほうが青年の腕にしがみ付いているが、二人は目に見えて歳に差があるためにどうも恋人のいちゃつきというよりは兄妹の休日の過ごし方みたいに思える。
 何気無い風景の中で、その何気無い二人の姿にプリシラも眉根をひそめた直後、目の前の空気が変わった。
「……恭亜」
 ぽつりと呟くアインは、悲壮に歪んだ顔をして一歩退いた。
 目を瞠って立っていた青年が恐る恐る口を開く。
「アイン……」
「……っ」
 アインはびくりと肩を竦めて、怯えたような表情をする。
 言葉を選び必死に考えていたアインを、プリシラが見据える。咎人を蔑むような視線。
 それに負けたアインは、唇を噛み締めて踵を返した。
「!? アイン……!」
 青年は呼び止めようとしたがアインは逆方向に走ったまま雑踏に呑まれて見えなくなった。
 アインの姿をただ目で追っていたプリシラは、何が起きているのか分かっていない少女を尻目に動揺している青年を睨み付けた。アインに向けてきた差別の意味合いではなく、生理的に憎悪する目で。
「貴様さえ居なければ、アインは狂わなかった……貴様の所為だ」
「……あ、」
「黙れ喋るな。その口から一言でも弁解を説いてみろ、八つ裂きでは済まさん……!」
 圧倒的な威圧感に青年は言葉を失くす。
 プリシラは激怒したかった。人が居なければ、今すぐ殺してやりたい。
 何も判らないくせに、そんな子供と遊んで、アインを傷つけて、許せない。
 こんな異常者にアインの意志が狂わされたなんて、絶対に認めない。認めたくない。
 憎悪の視線で青年を睨み続けていたが、やがてプリシラは無言のまま二人の脇を過ぎて走った。今はオフィス街の《アマテラス》の方が先決だ。
 こんな異常者なんて、もう、どうでもいいんだ。
 自分にも。アインにも。


「恭亜?」
 隣りから見上げるサラトは、不思議そうに首を傾げている。
 きゅっと服の袖を引っ張られるが、恭亜にはそれどころじゃなかった。
 たった今姿を雑踏に紛らせた二人の少女。
 プリシラという少女はいい。いや、あの虫でも見るような目つきは恐かったが、それ以上の恐怖で何も考えられなかった。
 アインが、恭亜から%ヲげた。
 拒絶。
 それが恐い。
 何よりも恐い。
 今、アインが恭亜を見て拒絶した。
「なんで……」
 非日常のくせに日常を求めるから?
 真意も知らない異常な存在だから?
 詰め寄ることで傷つくと懸念して、ただありのままのいつかの姫宮恭亜≠保とうとしたことが、許されなかったというのか。
 アインを追うことも出来ず、プリシラを追うことも出来ず、動くことさえ出来ない自分が憎くて、
「恭亜、苦しいの?」
 サラトの言葉が、無邪気故に容赦なく突き刺さる。
 恭亜は無言のまま歩き始め、サラトは無表情のままヘッドホンを装着して後を追った。





 ――第二章――
2006/03/19(Sun)03:32:12 公開 / 祠堂 崇
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