- 『holy wing』 作者:來 / ファンタジー 異世界
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全角10492.5文字
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原稿用紙約34.2枚
――応えよ。
――我らの声に……応えよ。
――汝に、癒しの力、在るならば……。
――我らに、救いを……。
「ん……」
カーテンの隙間から零れる光。窓の外から聞こえてくる小鳥の囀り。いつもと変わらぬ朝。
「ふぁ……」
小さくあくびをしながら、彼女――風凪聖(かざなぎひじり)――は身を起こした。軽く身体を伸ばすと、ベッドから降りる。
顔を洗い、歯を磨き、高校の制服に袖を通し、朝食と、お昼のためのお弁当を作り、長い自分の髪を整え、鞄を手にする。
「行ってきます。お父さん、お母さん」
ふわりと彼女が微笑みかけたのは、テーブルの上に置かれた二枚の写真立て。二度と言葉を交わすことの出来ない両親にそう言って学校へいくのが、彼女の日課だった。
ドアに鍵をかけ、聖は学校へ向かって歩き出した。そんな彼女に、後ろから近づく人物がいた。
「はよ、聖」
「あ、葵。おはよう」
聖の背をぽんっと叩いたのは、聖と同じ学校の制服を着た、短い黒髪に、長身の少年。葵と呼ばれた彼は、聖の横に並んで歩き出す。
「聖、数学の宿題やったか?」
「うん」
「全部?」
「……問三だけ、わかんなかった」
少々悔しそうに聖がそう言うと、葵がくくっと笑う。
「やっぱりな。そんなことだろうと思ったよ」
「う〜〜……」
笑われて、聖は悔しそうに唸ったが、葵のほうが数学の成績がいいことはわかっていたため、反論も出来ない。
「拗ねるなって。後で教えてやるから」
「……別にいいよ。自力で解く」
教えてもらえるのはありがたかったけれど、素直に受け入れるのがなんだか癪で、聖はそう言った。だが、聖の心情を見透かしているかのように、葵は言う。
「いいのか? 数学、一時間目だぞ?」
「うっ……」
今の時間は八時を少し過ぎたところ。ここから学校まで約三十分。昨日ずっと悩んでいた問題が、二十分そこらで解けるようになる可能性は……低い。
「……すみませんでした。教えてください」
「よろしい」
聖の言葉に、葵はにやりと笑みを浮かべる。
「じゃ、報酬はお前の作ったシチューな。契約成立!」
「は!? ちょっと待って! 聞いてない!」
葵がさらりと言った言葉に、聖は思わず声をあげた。だが、葵は楽しげな笑みを崩さない。
「そりゃ、言ってないからな。でも、もう取り消しは聞かないからな」
「ちょっ……!」
聖の抗議の言葉を綺麗に聞き流して、葵は聖の手から鞄を奪うと、そのまま学校へと走っていってしまう。
「葵! ……もう……」
そう漏らすものの、聖の表情はまんざらでもなさそうだった。苦笑を浮かべているものの、その表情はどこか嬉しそうでもあって。
「お〜い、聖! 早く来いって! 本当に時間なくなるぞ!」
「あ、ちょっと待って!」
響いた声に視線を向ければ、少し離れたところで葵が待っていた。いつだって彼は、聖をおいていったりはしない。どんな状況でも、彼は聖を待っていてくれるのだ。
聖はずっと、そんな葵に救われていた。
聖は、日本人にはほとんど無い、紫色の瞳を持っていた。髪は綺麗な黒なのだが、瞳だけが、違ったのだ。両親の話では、隔世遺伝だ、と言うことだった。
だが、幼い子供にそれが分かるわけがなく、聖は、その瞳の色が理由で苛められていた。それと共に、その容姿が人形のように整っていたから、それも原因になっていた。
そんな聖をいつも守っていたのが、幼馴染みの藤堂葵だった。聖の両親が葵の両親と仲が良く、お隣同士ということで、自然と聖と葵も一緒にいるようになった。そして、聖が苛められるたび、助けに来るのが葵だった。
そして、中学生になり、幼かった子供も多少成長し、瞳のことで苛められることがなくなった頃、今度は、聖の両親が事故で命を落とした。交通事故で、原因は、対向車の飲酒運転によるものだった。両親とも天涯孤独の身で、必然的に聖は、中学生でありながら、独りで生きていかなければならなくなった。不幸中の幸いは、高校を卒業するくらいまでならどうにかなりそうな、親の遺産があったことだけだった。
その頃から、葵はいつも聖の傍にいるようになった。何かと聖を気に止め、けれど押し付けるわけではない彼の優しさに、聖は救われたのだ。葵がいなかったら、自分が今ここにいられたかどうかさえ、分からない。
だから、聖はずっと、葵に感謝していた。高校に入学した、今になっても。
学校に着くと、早速聖は葵に教えてもらいながら、数学の宿題を終えた。それを確認した葵は、軽く聖の頭をなでると、他のクラスメイトのところへと向かう。
「相変わらず仲いいね〜」
「わっ!」
突然後ろから抱きつかれ、聖は声をあげた。
「って、沙希?」
「おはよ〜、聖」
クラスメイトで友人である皆川沙希が、にっこりと笑う。
「脅かさないでよ、沙希!」
「あはは。ごめんごめん」
ニコニコと笑って、沙希は聖から離れる。
「でも、本当に仲いいよね〜。本当に付き合ってないわけ?」
「付き合ってないってば!」
沙希の言葉に、聖が声をあげる。葵のことは大切な幼馴染みだと思っているが、そう言う対象として考えたことは一度もないのだ。
だが、この年の男女がいつも一緒にいる、というのはやはり周りから見ると『そう言う関係』に間違われやすいようで、こういう質問をされるのも、いつものことだった。
「…………葵君も可哀相に……」
「え?」
「あ、ううん。なんでもない」
沙希がポツリと呟いた言葉が聞き取れず、聖は聞き返したのだが、沙希は首を横に振るだけだった。
「ただ、ナイト様は報われないなぁ、って思ってね」
「??」
沙希の言葉に、聖は目を瞬かせ、首を傾げる。本当に分かっていないのだろう彼女に、沙希は思わず男友達と談笑している葵に同情した。
チャイムが鳴り、授業が始まる。黒板をチョークが走る音が響くかと思えば、居眠りをしていた生徒が叩き起こされたり、クラスメイトの間で、手紙が回されたり。
お昼には友人同士でお弁当を開き、そこに葵が乱入してきたり。みんなで、ファッション雑誌を読んで、買い物に行く計画を立てたり。
そうして、一日を過ごすのが、彼女の『普通』だった。
放課後になると、部活に入っていない聖は、まっすぐ帰ろうと鞄を手にとった。
(葵にシチュー作らないといけないしね……)
別に今日作れ、なんていわれていないのだが、やはりこういうことは早いほうがいいだろう。家にある食材を思い出しながら、聖は昇降口に向かう。
「聖! もう帰るの?」
「沙希」
同じように鞄を手にして駆け寄ってきた沙希に、聖はこくりと頷く。
「うん。今日は夕飯の買出しもしなきゃいけないし」
「あ、じゃあ、私も行っていい?」
「え?」
「さっき電話で頼まれちゃって……。こういう時、携帯があると不便だよね」
どうやら、携帯で一方的に買い物を頼まれてしまったようだ。ブツブツと文句を言っている沙希に、聖は苦笑する。
「じゃ、早く行こう。今からならタイムサービスに間に合うし」
「そうだね」
聖の言葉に、沙希も笑顔で頷いた。
すでに日は傾き、夕日の光が道路を赤く染めている。下校途中の学生達の声に混じるように、聖と沙希も他愛ない話をしながらスーパーに向かっていた。
――……よ……。
「……え?」
「聖?」
突然足を止め、振り返った聖に、沙希がいぶかしげな表情を浮かべた。
「今、何か聞こえなかった?」
「私は何も聞こえなかったけど……」
――応えよ……。
「!!」
今度ははっきりと聞こえた。聖は確信を持って辺りを見回すが、声の主らしき人物はいない。
「ちょっと、聖? どうしたの?」
「……呼んでる……」
「え?」
「私を……呼んでる……」
そう呟くように言うと、聖はふらりと歩き出した。
「聖!? どこ行くの!?」
明らかに様子のおかしい聖に、沙希は慌てた。聖を呼び止めようとするが、聖は沙希の声に応えることなく、歩いていってしまう。
「? どうした?」
「葵君!」
と、そこに、葵が現れた。沙希は天の助けといわんばかりに葵に助けを求める。
「葵君! 聖が……聖がおかしいの!」
「聖が……?」
沙希の言葉に、葵ははっと視線を巡らせた。そして、ふらふらとどこかおぼつかない足取りで歩いていく聖に気づく。
「聖!?」
葵は思わず声をあげた。
(……今の……葵……?)
後ろからかけられた声は、確かに聖に届いていた。返事をしないと心配する。分かっているのに、身体が、言うことを聞かない。
――どうか、我らを……。
変わらず響く、声。その声に縛られるかのように、引きずられるかのように、聖がたどり着いたのは、小さな空き地だった。
――我らに、救いの手を……。
「っ……」
響いた声があまりにも苦しそうで、辛そうで。聖は思わず胸を抑えた。全く知らない声なのに、そこにこめられた感情が、痛いほど伝わってくる。
空き地の中央近くで、聖は空を見上げた。夕焼けで赤く染まった空。けれど聖は、その中に別の光を見つけた。
「……私を、呼んでいるの……?」
そっと聖が手を伸ばせば、光はその強さを増し、聖の姿を包み込んでいく。暖かく、優しく、聖を、誘うかのように。
「聖!!!」
叫ばれる声。けれど、聖がそれに応えるよりも早く、聖の意識は光に飲み込まれていった。
「聖!!!」
ようやく追いついた空き地で葵が見たのは、どこから生まれているかも分からない、眩しいほどの光に包まれる聖の姿。思わず彼女の名を叫んだが、返ってくる声はない。
ドサリ、と音がした。
「っ……」
その音と共に、光は急速に消えていった。葵は急いでそこに駆け寄ったが、そこにあったのは、聖が持っていた鞄だけ。聖本人の姿は、どこにも、無かった。
「………い……」
「ん……?」
小さく身体を揺さぶられて、聖の意識は覚醒し始めた。ゆっくりと瞳を開くと、かすんだ視界の先に、誰かがいるのが見える。
「おい、お前……、大丈夫か?」
心配そうにかけられる声。次第にはっきりしていく視界に映ったのは、燃えているような、綺麗な赤い髪。
(……髪、染めてるのかな……?)
まだ思考ははっきりせず、聖はそんなことを考えてしまう。そんな聖に、その人物は、言った。
「お前、こんなところで気絶してると、魔物に食い殺されるぞ?」
「…………………!!?」
さらりと言われた、あまりに非現実的な言葉に、聖はしばし間をおいてから、目を見開いた。
「えっ……!?」
大きく見開かれたその瞳に映ったのは、多い茂る木々と、見たこともない草花。そして、ファンタジー小説に良く出てくるような衣装を身に纏った、自分と同年代の少年の姿だった。
がばりと身を起こした聖は、目の前に広がる光景に絶句した。自分が倒れていたのは、一応整えられているものの、土が剥き出しになっている道。そのすぐ両脇には、数え切れないほどの木々。その雰囲気は、人の手のほとんど加えられていない田舎の森のようだ。
だが、問題なのは何故自分がこんなところにいるのか、だった。聖の住んでいた場所は、お世辞にも自然が多いとはいえない。住宅街で、ところどころに空き地が残っている程度だ。少し歩けば、ビル街にでるような場所であり、最低でも聖は、こんな森を知らない。
「……お前、なに固まってるんだ?」
「えっ……、あ……」
訝しげなその声に、聖ははっとして視線を向けた。見れば、赤い髪の少年が、自分を訝しげに見ていた。
くせがあるのか、短いその赤い髪はところどころはねている。瞳は、一瞬黒にも見えたが、よく見るとそうではなく、どうやらダークブルーのようだ。その顔立ちも、聖が見た限りでは整っており、学校でファンクラブなるものまであるらしい葵を見慣れていた聖でも、目を見張るくらいだ。
身長は高く、180cmは超えているだろう。その長身に纏うのは、黒のウェアとズボン。腰のところには、二つのベルトが交差するようにつけられている。そして、そのうえには、少し古ぼけたマントを羽織っている。
そして何より、聖の目を引いたもの――鞘に収められているものの、それはまず間違いなく……。
「け、剣……?」
ベルトに通して、左側に帯びられているそれは、間違いなく剣だ。だが、そんなものを身につけている相手に会ったことなどあるわけがなく、聖は、すぐには信じられなかった。
呆然とする聖の反応に、少年は訝しげに眉を寄せた。
「なに驚いてるんだ? 村や町から一歩でも出るなら、武器を持ち歩くのは常識だろ」
当然のようにそう言ってから、少年は首を傾げた。
「お前、ずいぶんと珍しい格好してるけど、どこの人間だ? フィラードの人間じゃないだろ?」
「フィ、ラード……?」
話の流れからして、それが地名か、国名であることだけは聖にも分かった。だが、やはり聞いたことも無い名前だ。聖は、困惑した表情を浮かべることしか出来ない。
そんな聖の反応に、少年もさすがに何かおかしいと気づいたようだった。
「……お前……?」
少年が、何か言いたそうに口を開く。だが、聖がその言葉の続きを聞くことはなかった。
「っ……!?」
突然だった。突然、背筋を何か冷たいものが駆け抜けたような、そんな感覚に聖は襲われた。理由なんて分からない。けれど、言いようのない不安が、聖を襲う。
「逃げて!!」
「え?」
本能が警告するままに、聖は叫んでいた。そんな聖に、少年は一瞬目を見張ったが、次の瞬間、何かに気づいたように身を翻した。
『何か』の、咆哮が響いた。
「な、に……?」
聖は、自分の瞳に映るものが、信じられなかった。3mはあるだろう巨大な『何か』が、自分達のいるほうに近づいてきたのだ。
「ちっ……」
少年が軽く舌打ちして、剣を抜く。太陽の光を反射して切っ先が、輝く。
近づいてくるのは、形的にはゴリラに近い。だが、その腕の先には鋭く、長い爪が伸びている。そして、その顔であろう部分には、一つ一つが野球のボールくらいありそうな真っ赤な目が三つ、ついていた。そのうちの1つが、聖たちのほうを向いた。大きな牙の見える口が、笑みを浮かべたように、見えた。
「おい、お前! 戦えないんだったらさっさと逃げろ!」
聖を庇うように前にでた少年が、『それ』から視線をそらさずに聖にいう。
「っあ……」
いわれている言葉の意味は、確かに理解できた。けれど、身体が動かない。あまりに非現実的なこの状況に、思考も、身体もついてきていないのだ。
青ざめ、呆然と立ち尽くす聖の姿に少年はまた舌打ちすると、地面を蹴った。
「あ、危ない!!」
その音ではっと我に返った聖は、思わず叫んだ。『それ』の間合いに飛び込んだ少年に向かって、巨大な腕が振り下ろされたのだ。だが、少年はそれを軽々とかわし、その勢いのままに、剣を振るった。けたたましい叫び声と共に、『それ』の右腕が、地面に転がる。その傷口から零れ落ちるのは赤ではない。何か、まるで泥のような液体が、血の代わりに流れ出ている。
思わず耳を塞ぎたくなるほどの咆哮を気にもとめず、少年は再び剣を振るった。その剣筋は、『それ』の胸を大きく切り裂いた。一拍の間を置き、咆哮がやんだ。その赤い瞳からは光が消え、やがて、バランスを失った身体が、地面に崩れ落ちる。
「倒し、た……?」
動かなくなったということは、つまりはそう言うことなのだろう。その事実に、ほっと息をつきかけた聖だったが、それを遮るように少年が声を上げた。
「くそっ……走れ!!」
「えっ!?」
言うが早いか、少年は聖の腕をつかんで走り出した。強い力で捕まれたその腕は振りほどくことも叶わず、聖は少年に続くように走るしかない。
「……え……?」
走りながら、聖は何かに呼ばれた気がして、振り返った。だがそこには声をかけるような存在はなく、代わりに、全てを覆い尽くすような漆黒の煙を噴出す巨体が見えた。
どれくらい走っただろうか。気がつけば森を抜けていた。聖がそう認識するとほぼ同時に、少年が足を止めた。
「おい、お前、身体は?」
「え?」
「どこか苦しくないか?」
突然問われて、聖は困惑しながらも首を横に振った。すると、少年は小さく安堵の息をはいた。
「間に合ったか……」
小さく呟かれたその言葉に、聖は首を傾げた。彼は、一体何を気にしているのだろうか、と。
「ね、ねぇ。どうして逃げたの? あれ……貴方が倒したんじゃ、ないの?」
最低でも、聖にはそう見えた。そして、あれ以外に、自分達に害をなすようなものは、あの時、あの場所にはなかったような気がする。
そんな聖の疑問に、少年が目を見張った。
「なに言ってるんだよ。倒したから、ダメなんだろ」
「……え?」
少年の言葉に、聖はきょとん、としてしまう。目を瞬かせる聖に、少年が眉を寄せる。
「……お前、まさか……魔物の事、何も知らないとか言うんじゃないだろうな……?」
「…………」
まさかな、という少年に対し、聖は何も言えなかった。その無言は、肯定だった。
沈黙したまま俯いてしまった聖に、少年が声を上げる。
「本当に、知らないのか!? じゃあ、お前、どうやってここまで……」
「クルス?」
言いかけた少年の言葉を遮ったのは、女性の声だった。その声に、聖が顔をあげる。
「そんなところで何してるんだい、クルス」
「おばさん」
そこにいたのは、四十代くらいの女性だった。うっすらとしわが見えるものの、浮かべられている明るい笑みを曇らせるほどではない。
その女性は、少年と聖を交互に見つめ、やがて笑みを深めた。
「なんだい、クルス。そんな可愛いガールフレンド、どこで見つけてきたんだい?」
「なっ……!」
「え?」
その言葉に少年は声を上げ、聖はきょとんと目を瞬かせた。
「そんなんじゃない! 森で見つけただけだ!」
「照れなくてもいいんだよ、クルス。いやぁ〜……、あの悪がきがずいぶんと大きくなったんだねぇ」
「違うっての!!」
少年は声を荒げて否定するが、女性は気にもとめない。それどころか、少年の声に気づいたのか、少しずつ人が集まってきているようだった。
「……来い!」
「へ!?」
再び腕を引かれ、聖は声を上げた。だが、少年は足を止めることなく、ずんずんと歩いていく。
「ここじゃ、まともに話も出来ない!」
それだけ言うと、少年は早足で歩いていく。腕を引かれている聖も、そのペースにあわせなければならず、自然と小走りになる。
(…………村……?)
それでもどうにか状況を把握しようと視線を巡らせた聖は、そこが村であることに気づいた。先ほどまでいたのは、その入り口近くだったようだ。少し古びたレンガ造りの家がいくつか見える。屋根の上の煙突から、煙が出ている家もある。
(……まるで……物語の中にいるみたい……)
それが、聖の素直な感想だった。ちょうどその雰囲気は、絵本や、小説なんかに出てきそうだったから。長い夢を見ているのかとも思ったけれど、それにしては頬をくすぐる風も、今自分の腕を掴む少年の手の感触もとてもリアルで。何もかもが分からないけれど、現実とてして受けとめなければいけないのだ、と、聖は思った。
そんなことを考えていると、いつの間にか聖は一軒の家の中に連れ込まれていた。どうやら靴を脱ぐ風習はないらしく、少年がそのまま奥にはいっていくので、聖もそれに続く。
(……一人暮らし、なのかな……?)
一人で暮らすにはずいぶんと広い家だが、そのわりにはほかに人の気配を感じない。出かけているだけとか、そう言うレベルではなく、複数の人間が生活している気配がないのだ。
リビングらしきスペースまで来ると、ようやく少年が聖の腕を離した。
「そこ、座ってろ。今、お茶でも入れるから」
「え、あ、そんな事してもらわなくても……」
「いいから」
そう言って、少年はさらに奥にいってしまう。聖はしばし迷ったが、やがて近くにあった椅子に腰をおろした。そして、きょろきょろと周りを見渡す。
「やっぱり、違うんだなぁ……」
今は昼間だからさほど気にならないだろうが、夜になれば明かりになるのは電気ではなく、壁に取り付けられているランプだろう。今は温かいからつけられていないようだが、暖炉には燃え残った木の端が見える。夜になったら、火をつけるのだろうか。
物珍しそうに聖がそれらを見ていると、少年が奥から戻って来た。手にしていた二つのカップのうち一つを聖の前におき、自分も腰をおろす。
「さて、と……とりあえず、自己紹介だよな。俺はクルス。クルス・ヴァイア。お前は?」
「え、あ、私は聖。風凪、聖」
「ヒジリ? 珍しい名前だな」
少年――クルスはそう言うと、お茶を一口飲んだ。そして、改めて聖を見つめる。
「で、聖。お前はどこの人間で、どうやってここに来たんだ?」
「どうやって、って……」
その問いに、聖は困惑するしかなかった。聖自身、何故自分がここにいるのか、分からないからだ。覚えているのは、自分を呼ぶ声と、全てを覆うような光。それだけだった。だから、どうやってと聞かれても答えようがないのだ。
黙りこんでしまった聖を見たクルスは、少し考えてから、言った。
「旅人、ってわけじゃないよな? 旅人だって言うなら、魔物のことを知らないなんてありえない。最低でもこの国で、魔物の出ない場所なんて無いんだから。それに、武器も持ってないみたいだし、軽装にもほどがあるからな」
そう言って、クルスは聖の制服を見た。その視線は、どこか物珍しそうだった。
「……ねぇ、あの生き物……魔物って、この世界では、普通なの?」
クルスの質問に答えないうちに質問を返すのは卑怯だと自分でも分かっている。けれど、聖はそれでも問わずにはいられなかった。
聖の問に、クルスは気分を害した様子もなく、言葉を返した。
「……あぁ、普通だ。……今は、な」
「今は?」
「あぁ。魔物が現れ出したのはここ数年のことだ。なのに、あっという間に『普通』になったんだ」
そこでクルスは一回言葉を切った。そして一度目を伏せ、再び言葉を紡ぐ。
「数年前、魔物は現れ出したんだ。最初は、数えられる程度しかいなかった。なのに、日を増すごとにドンドン数が増えていった。その理由は、核(コア)の存在だった」
「コア?」
「そう。核と呼ばれるものがいろんな場所に散らばっていて、それが、魔物をどんどん生み出してるんだ。だから、魔物は増えていく」
「だ、だったら、その核を壊せばいいんじゃないの?」
魔物が生まれる原因がそんなにはっきりしているのなら、その原因を断てばそれで済む話ではないのだろうか。あの巨体を倒しながら進むのは、大変だろうけれど……。
そう思った聖だったが、クルスは静かに首を横に振った。
「それが出来たら苦労しない。でも、無理なんだ」
「無理?」
「……無理って言うか、誰も、やりたがらない。…………さっき、どうして俺が逃げたか、分かるか?」
さっき、というのはおそらく先ほどの森でのことだろう。そう言えば彼は、『倒したから逃げた』と、そう言っていた。だが、その理由に見当などつかず、聖は首を横に振った。
「魔物は、死ぬと黒い、煙みたいなものを出すんだ。それが何なのか、はっきりとは分からない。ただ、それは人には有害なものなんだ」
「あっ……」
その言葉に、聖は先ほど見た光景を思い出した。あの巨体を包み込むように生まれていた黒い煙。あれが、『そう』なのだ。
「あれに触れると、身体が冒される。毒薬みたいなもので、触れた程度にもよるけど、最低一週間は解毒剤での治療が必要になる。しかも、その毒の強さは魔物の強さに比例する部分があるらしいんだ。だから、場合によっては即死だってありえる。…………そんな魔物を生み出す核が、安全なわけがないだろ?」
「!」
その言葉の意味を、聖はすぐに理解した。核を壊そうとすれば、その身が毒に冒される。死ぬ可能性だってある。いくら平和に近づくからといって、自分の命を犠牲にしてまで……という人は、滅多にいないだろう。平和になっても、自分がその世界にいることが出来なければ、意味がないのだと、そう思うのが普通だ。
「だから……核は、壊せない…………」
「そう言うことだ。ま、王都のほうじゃ、あの毒を浄化する術(すべ)を探してるみたいだけどな」
聖が呟いた言葉に、クルスが捕捉するようにそう言った。だが、その言い方から察するに、まだその方法は見つかっていないのだろう。
「ま、不幸中の幸いは、あの毒は暫く放っておけば自然と消えるってことだ。あの毒が消える時、魔物が完全に息絶えたってことなんだろうな。だから、触れないように急いで逃げれば、どうにかなる」
クルスは少しでも聖を安心させようと思い、そう言ったのだろう。だが、それが何の救いにもならないことは、聖にもよく分かった。一体倒すことが出来ても、すぐに逃げなければならない。逃げて、戻ってくる頃には新たな一体が生まれているだろう。……終わりの無い、連鎖だ。
「ま、これが魔物についての大体のところだ。質問は?」
「…………」
クルスの言葉に、聖は首を横に振った。
「じゃ、さっきの俺の質問に答えてくれるか?」
「……」
その言葉に、聖は少し躊躇った。話して、信じてもらえるか、という不安がある。違う世界から来た人間だ、なんていっても、信じがたいだろう。けれど、話さなければ何も始まらない。どうすることも出来ないのも事実だ。
意を決し、聖は、言葉を紡ごうとした。
「あのね、私……」
「きゃあああああああ!!!!」
「!!」
その言葉を遮るように響いた悲鳴。そして、その直後に聞こえてきた、大きな咆哮に、二人ははっと目を見開いた。
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2006/02/02(Thu)23:10:22 公開 / 來
■この作品の著作権は來さんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
続き、更新しました。指摘のあった描写不足については出来るだけ増やしたつもりです。
クルスの衣装については、頭の中ではイメージが決まっているのですが、言葉が付いてこなくて、少しでも伝わればいいな、と思います。