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『E.V.O.』 作者:Show-Bow-者 / ファンタジー サスペンス
全角8239.5文字
容量16479 bytes
原稿用紙約27.3枚
 ニンゲン、それは主にヒト――ホモ・サピエンスを指す。一般的には進化は最到達と考えられていた。 飛躍的な発展、化学力に伴って、争いを生み出し、その死体の上に。今の歴史が組上げられていた  
 
 眼を閉じていた。


 髪は玉のような肌を滑り、
 鼻孔に届く緑の匂いを感じさせ、
 耳は鳥の囀り、噴水の水音を聴き、
 手で触れれば、やわらかい土の感触が、
 肌は、涼風が揺らす草が、くすぐる感触に驚き、
 指は花飾りを紡ぎ、
 頭にはそれを乗せ、
 足は自然と走り出し、
 汗腺からは、当然のように粒のような汗が出、
 口はたくさん空気を取り込んでは吐き出した。
 
 
 ぜんぶからだ。
 全部からだ。
 全部体。
 ゼンブカラダ。
 
 
 眼は瞑っている。開ければそこに、きっと華冠を載せた自分がいて、動物と走り回って、疲れて息をしている。
 

 キレイな自分がいて、美しい庭園があって。優しい世界で。

 そんな自分がいる。

 

 でも、眼は瞑ったまま。血管と太陽の光が混在して黄昏色を映している。

 映している

 映しているんだろう

 きっと、おそらく、たぶん、映しているんだろう。

 確認したくて眼をあける。

 そこに自分がいるはずの世界はなく。

 やっぱり眼は瞑っていたんだと思う。

 眼を開けたのは嘘で、必ずそこには庭園が広がっていた。

 いつか眼を開く日を、自分はずっと待っていた。



 びちゃり

 通りすがりの誰かが、肩にぶつかったような。だというのに水を打ったような音がした。
 そもそも、伽藍とした。見渡す限り、自分だけの夜の世界に肩がぶつかるなんてことは、ありはしない。やっぱり疲れているのか、目の前が虚ろだ。
水音も、きっと一昨日の夕立でできた、水溜りが跳ねたのだろう。
 眼を擦って視界を元に戻すと、もう100メートルも離れていない距離に家が見えた。
 毎日の部活で、本当に疲れた。いや今日は疲れ過ぎかな。課題は明日早くにやるとして、今日は風呂の後、すぐに寝よう。
 体の疲労が取れれば、またいつものように登校できるだろう。課題さえ忘れなければ。そうすればまた彼に会うことが出来る。まったく私ときたら未練タラタラだ。まだ好きでいる。

 ぼとり、と力の入らなくなった肩からバッグが落ちる。
 ヘンだ。とバッグを拾おうと腰を屈めた瞬間。
 がくん、と糸の切れた人形のように、バッグを凝視しながら……地面に崩れた。
 親友の夕美がプレゼントしてくれた、通学用の、それなりにブランドもののトートバッグ。
 ああ、確かあれは私の好きな青色で……。
 右肩から落ちたバッグは、染まっていた。赤に、臙脂色に、まっかっかに。
 何の痛みも感慨もわかない、ただ呆然としていた。 
 不思議と、噴水のように噴出している血には全く気づかないでいた。


 びちゃり、じゃぶ、じゃぶ

 水溜りの音。
 足、そう足。
 この足は命の次に私にとって大事なもの。スポーツ推薦で上流校にいけたのも、これのおかげである。
 夏の大会は全部制覇した上。今期、冬は既に二冠に輝いている。
 それが、もう、間接より10センチほど上部からない。パクパクと肉襞が呼吸に合わせて揺れ、どくん、と黒い塊を吐き出す。
 感触は、自らが自らの中に沈んでいくと言えば、一番近いか。
 

 今更、私は気付いた。

 
 なんて酷い恐怖


 びしゃり、さぶ、じゃぶ
 
 その音は今もこうして私の足の下にある血液でできた赤い紅い池の鈍い鈍い――




 無心から、彼は窓からの景色を見る。
 窓際の四番目に位置する席からの情景は、活気に溢れている。
 この学校が完備した、学生用の私道を挟んだ道の対極、部活動に励む生徒たち。別棟の低い屋上で、おしゃべりしながらに昼食をとるものたち。午後が始まった楽しげな風景だ。
 けれど少年は、素面でそれを見つめていた。
 ただ一人、教室に残って、たまに外を通るクラスメイトに目配せし、度々ため息をつく。
 「よぉ暇人、何たそがれてんだよ! 背中が四十代だぜ」
 「煩いな、哀愁漂う四十代の背中を叩くなよ。ぎっくり腰になるだろ」
 言い返すと。がはは、と大笑され、初めて彼は顔を教室側に向ける。
 「相変わらず暗いな、降矢」
 「お前が騒々しいだけだよ、犬養」
 デカ淵メガネの少年が、机に腰を預けながら、こちらを見ている。
 さらに面倒そうに、少年は口を開く。
 「別に無口ってわけじゃない、誰も俺に話しかけないだけ」
 「当然だろ、そのキンキラキンの金髪に強面にだもんな」
 「俺はお前みたいに、ステイタスまで変えないんだ。それに強面はおかしいだろ、プロレスラーか俺は」
 そう、私学、進学の上流校で、品行方正を重んじるこの学校に、彼――瀧澤降矢に声をかける人間はいない。その大きな原因は、少年が言ったように、着飾った雰囲気と、見た目にあった。
 一見して欧米人を思わせる。冴えたような金髪と、スラリと伸びた足。しかしそれを否定したのは、その面、眼には日本人特有の堀りがあったためだった。
 「はは、俺もできればあっちの姿でいたい。ま、お前と違って俺は、家の後押しがないから、そんなことしたらすぐさま停学だけどな」
 そういう少年――犬養俊隆も、普段はこの牛乳瓶の底みたいな、格好悪いメガネをかけている訳ではない、髪も今は七五三に赴く子供のよう、といった風情である。
 「まぁ、見た目だけで問題起こしている訳じゃないし、別にいいとは思うんだけどね」
 ため息混じりに、犬養は言う、今にもこのネクタイを剥ぎ取って『わずらわしいんじゃボケェ〜』と叫びそうな雰囲気だ。
 「見た目なら教師受けがあるのは俺だけど、中身ならお前が誰よりも優等生だと思うがな」
 自分を褒めているのか、降矢を褒めているのかわからない口調である。
 「第一印象が重要ってね。見た目も中身に反映するのさ、『人間中身が大事』ってどの口が言うんだか」
センスのないジョークだ。と降矢は肩をすくめてみせた。
 「あちらさんのおメガネに適わなきゃならないんだから、結構大変だ。女子にしてもメイクとスカート、ありゃ他校より厳しすぎじゃないか? 俺としてはもっと、大胆に太腿が見えたほうがいいんだけれどな」
 「エロ親父かよ、おまえは、それに俺は今のクラスの女子に興味ない」
 げ、といろんな意味で、犬養は言葉につまる。焦って廊下を見渡し、降矢の危険な発言が漏れていないか確認した。幸い女子の気配はなく、双方命の危機には晒されなかった。
 「降矢クン、君ね。『壁に耳あり障子に目あり』って言葉を知っているかい?」
 「知らない、初耳。たとえいつどこで誰が聞いてるか分からないから、口には気をつけろってコトだとしても、知らないフリする」
 にぃ、と厭味を込めた邪悪な表情で、渋い顔をしている犬養を見た。
 「フン、まぁな。確かにお前の言うとおりだよ降矢。この進学校ときたら、運動不足ガリ勉女子ばっかりだ。男として俺も萎えるってモンよ。けどな、窓の外の特待生たちに眼を向けてみるといい」
 どこぞの貴族のように差し出した手は、もうじき昼下がりに入る外のほうへと向けられた。それに反応し、降矢は窓の下を覗く。
 「美術の大谷……。あ、カツラが!」
 「誰がそんなもの見ろと言ったよ。グラウンドだグラウンド」
 無理矢理頭をひっつかんだ犬養は、彼の目線を、校舎と挟んで反対側にある。第二グラウンドのほうに移させた。
 基本的には陸上部かサッカー部のどちらかが使用している。が、今日の昼休みの割り当ては陸上部だったのか、テッポーの音が度々響く。
 その陸上部が引いた100メートルの白線の第3コーナー。そこに目がいく。
 銃声と共に、屈んだ状態の体が浮くかのように起きる。と、すぐさま疾駆した。一際、ぐん、と2番目に速い第4コーナーの人影をも大差をつけ、白線の末に到達した。昨日の夕立でぬかるんだ土をものともせず。
 その様子を校舎2階から始終見ていた2人、と、犬養が口笛を吹いて囃したてた。
 「ヒュウッ、いいねぇ〜。あの華麗な走り、健康的な太腿! 俺を刺激してくれるなぁ」
 大袈裟に、感動をジェスチャーで表す。といっても、ただのスケベ心からそれが生まれるのだが。
 「やっぱ違うねぇ〜、アレで器量もヨシときたもんだから、もう言うことナシだな」
 「ま、それはそれとして……へぇ、お前も憧れるんだ」
 「何、降矢。お前は全然アレを前にして無反応だと言うのか? ライバルが減るのはいいがな、オカシイと言えばオカシイぞ。まさかゲ……」
 「違う」
 真正面から、言いかけたそれを否定した。まさか、最近流行の黒い半裸のグラサンのようには見られたくないからである。肯定するべきならここで腰を前後に高速に振り、奇声を上げる他ない。
 「とにかく、かの相田槙乃の名を聞いて、反応薄の男子などお前だけだってコトだ」
 軽く蔑むように、犬養は笑った。
 「サキに聞かれても、半死半生で済めばいいけど」
 ぼそ、と聴こえるか否かの程度で、呟く。と、大笑が突如として止まる。
 サキとは、犬養俊隆が付き合っている少女――小山内岬のことである。
 思案したところ、慌てて再び廊下を見渡す。今度はここの階、全てを廊下に出て確認した。幸い、女子(おもにサキ)の気配はなかった。
 「はぁ、助かった。ま、世間話はここまでにして……と、ああ、もう時間がないな。じゃな、降矢」
 「ん、放課後にな」
 ちらちらと、廊下にも活気が戻りつつある。校則では他のクラスのハシゴが許されていないのだ。これ以上の長居は優等生を演じきる犬養にとって、危険なため、ネクタイを締めなおし、降矢のいるクラスを後にした。
 「相田……」
 友人の走り去る姿を見届けると、降矢はまた、視線をグラウンドへと投げた。パン、という音とともに靡く煙が、冬の風にふかれて消えた。
 いつしか、先ほどまでの殺風景な教室には、活気が戻っている。
 けれど自分のいる場所は、教室とはどこか別で、窓の外の風景に集中していた。
 冬の、1時過ぎ。低い太陽は黄昏色に、降矢が見ている世界を染めようとしていて――
 
 
 既に茜色に染め上げられた空の暁時。とうの昔に終わった授業に我関せずと、降矢は窓の外を眺めつづける。
 雲が薄くかかり、中々絵になる情景を写した夕日は、海沿いの家屋を経て、入りに指しかかろうとしていた。
 いつでも、視線をあちこちに投げると、面白いものをよく目にする。
 寒風に揺れる。葉のない木々。人通りの多い私道を一瞬で往来する、学校に住み着いた黒猫。飛んできたビニール袋に視界を奪われる生徒。
 すぐ真下を通った大谷のカツラが、また吹き飛んだ。それを拾った生徒になにか説伏しているようだが、カツラの件は全校でも黙認済みの事実である。
 しかし、今時カツラも珍しい。しかもくっつけることすらせず。風に靡いて飛ぶとは、なんとお約束か。
 「あいつ……こないのか?」
 既に刻限は4時。それまで犬養を待ち。殆ど意識を窓の外の景色に集中させていた降矢は、友人が来ないことを知ると。重い腰を持ち上げた。

 
 軽めのバッグを担いだまま、降矢のクラス――2−Aから近い、裏口から出る。と外はもう少しだけ青い、これから夜になろうとする暗い色をしていた。西から尾のような赤い日が、まだ延びて一面の赤を晒していたが。
 「やっほぅ!」
 「うおっ!」
 突然現れた人影を目の当たりにして、彼は飛びのいた。
 後ろに軽く束ねただけの髪をはらうと、気の強そうな眉が、くい、と上がる。
 「あはは! 驚いてる驚いてる。瀧澤くんは普段クールだから、そういう一面を見ると面白いわね」
 「はぁ、あやうく転んじまうところだった。酷いことするな、相田」
 前に一歩出ると、相田と呼んだ少女の真正面に立つ。
 「で、どしたんだ? 今日部活じゃないのか」
 「うん、今日は休み」
 そう言ってから、数秒後。パンとテッポーの音が反響した。
 一瞬、両人とも硬直し、
 「……サボりか」
 降矢が実情を悟り、口にした。
 「……い、いいからいいから。気にしないで、きっと暴発そう」
 「暴発だと余計に危ないよ、まぁそれはそれでいいとして、なんでこんな所にいるんだよ?」
 あ、と思い出したように口に手をあてて、槙乃は言葉を捜す。周りの様子を伺ったところ、幸い人通りはないようだ。
 「あ、うん。一緒に帰ってもらおうと思って」
 少々照れくさそうに、彼女は視線の先に居る少年に言う。
 「それはいいけど……」
 「ね、懐かしくない?」
 そんな言に対し、唐突に、降矢は昔のことを思い浮かべた。
 
 

 それは、ちょうど1年前だった。
 雲ひとつない、嘘のように晴れている空は、しかし寒く、その身に夕の明かりを浴びた2人が並んで歩く。その間は人一人分ほど空いており、一緒の帰路につくにしては、よそよそし過ぎた。無理もない、2人がこうして肩を並べて歩くのは、今日が初めてなのだから。
 「…………」
 「…………」
 2人にあるのは、ただ沈黙。烏も鳴かない、12月も近い夕方。ただ聴こえるのは時折道を通る、自動車の音だけだった。
 市立の中学。受験で一杯になり、袂を分かつカップルも多かったろうその時期。彼女の降矢に対する申し出は、多少常軌を逸していた。
 
 ――私と付き合ってください――
 
 シンプル過ぎるそれは、彼を困惑させた。呼び出しもない、ただ帰るのに寄った下駄箱で、たまたま立っていた少女に告げられただけである。
 対して降矢は、イエスとでもノーとでも答えるでもなく、硬直したまま数秒。照る夕焼け以上に顔を赤らめた少女を眺める。
 いまにも逃げ出しそうな彼女を一瞬早く呼び止めて、ただ冷静に返した。
 
 ――とりあえず一緒に帰らない?――

 校舎を出てから数分。激しい色の赤は白い吐息を見えなくする。ブロロ、と自動車が再び、横を通った。
 「相田……さぁ」
 「……え、ああ!」
 さらに広がる2人の距離。
 「なんで、俺」
 咎めるわけでもなく、ただ不明なことを聞き出すように、降矢は傍らの少女に向かってそう言った。
 「え……だってそれは」
 理由を言わなくたって、と目で訴えるように、槙乃は視線を投げかける。だがそれを降矢が察するでもなく、俯いて小さく、
 「好き……だったから?」
 語尾をあげて、呟いた。
 突如として、槙乃の前方を降矢は、過ぎていった。スタスタとまるで彼女の歩く速度など気にせず。距離を広げていく。
 「…………」
 当然といえば当然。事務的な用事以外は全く会話することなかった少年と少女が、少女側の一方的な想いによって、繋がりを持つとは思えない、もし違うにしても時期が時期だ。取り残され加減の槙乃は歩くのを止め――
 「……くっ」
 小さな笑い声をその耳に捕らえた。
 「あの、瀧澤……くん?」
 「くくく、わ、悪い……いやさ、相田の口からそんな言葉が出るとは思わなかった。おしとやかってか、しめやかっていうか。もっと男勝りなカンジだと思ってた。でも、まさかさ……ははっ」
 ここは恥ずかしがってよいものなのか、嬉しがってよいものなのか。木枯らしが通り抜ける中。少女は一度思案して。
 「な、なによっ! あんた人が真剣だっていうのにその態度」
 「おお、出た出た。我が校期待のポープはソレぐらいでなきゃ務まらない」
 あ、と、つい普段のように戻ってしまった口調を恥じ、俯いた。結局答えは焦らされたまま、消えるのかと、跳ね上がる心臓のみを感じながら、目の前の少年を眺めた。
 「じゃあ、また明日も一緒にな」
 それが答え。
 指定鞄を高々をあげ、相田と書かれた表札の前で、別れた。
 取り残された少女は、ぽつん。と、あれほどあっけらかんとした彼にしばし呆然すること10秒。
 人知れず、家の前でガッツポーズをするのだった。

 
 「あのときのまんま……」
 「そうだね」
 あれから2年――現在。今は一間ほどの間もなく、降矢と槙乃は近くで歩いている。相変わらず木枯らしは寒いか、違うものといえば制服と鞄と帰り道くらいのものだった。
 槙乃は、後ろに束ねた髪のゴムを外す。と、段のついた髪を手櫛で整えながら、降矢を見。
 「私も青かったなぁ、気の迷いってやつ。何の因果であんたと一瞬を共にしたんだか」
 「誘ってきたのはお前の方のクセに」
 あ、ほんとだ。と、とぼけ笑うと、降矢も口の端を上に上げ、くつくつと笑う。
 結局。2人の交際については有耶無耶になった。共に帰ることについてはクラスの人間に冷やかされたのは槙乃。降矢は勿論、話すくらい仲のいい人間がいないので、密告のみに留まっていたが。
 「それじゃ、俺はこっちな」
 「うん、ばいばい」
 あまり交わさなかった言葉も、何故かこの一瞬で埋まってしまう。ただ燃えるように紅い夕日を浴びて、中学のときよりも短くなった帰路の距離を歩くだけだというのに。
 「また明日」
 決まって少年はそう言う。彼とて、槙乃の多忙さをしらない訳ではない。毎日毎日、コンマ一秒でもタイムを縮めるための作業の繰り返し、特待生として迎えられているからには、休みなど許されない毎日。
 それを知っていて、あえて彼は『また明日』と言い残していく。
 会う予定などないし、学校以外で会ったことなど稀だ。
 家の前の短い道、黒の柵を手で押す。
 「いつ答えてくれるんだか、あの忘れん坊の朴念仁は」
 呟いた先、口元に笑みを浮かべたまま、家に入った。

 
  軽い鉄の扉が開き、鍵もなしに来訪者を招く。
 「ただいま……」
 軽い足取り、だが慣れた様子で靴を脱ぎ、フローリングの床を歩いていく。
 唐突に、ぬ。と背の高い影が現れ、降矢を隠した。
 「兄貴、お帰り」
 降矢より背の高い男は、確かに彼を、兄貴。と呼んだ。降矢も目元を緩ませ、安心したように返す。
 「ただいま、司。裕紀は?」
 「寝てるよ、夕食のおかず買って帰ってきたら、いつのまにかね」
 「ほぉ、ま、いいや。とりあえず着替えてくる」
 「あ、待ち。ユーキは兄貴の部屋で寝てるから着替えるならリビングにしてくれ」
 「おい、何で俺の部屋で寝てるんだよ」
 声を上げて、詰問したところ、急に苦笑いの顔で、弟――司は言う。
 「制服のままで、行き倒れになったみたいだ。どうやら部屋を跨ぐ途中で力尽きたんだろうな」
 それがえらく滑稽だったのか、ついには声にして笑いを示した。
 「それで、兄貴。これから飯だけど、風呂も沸いてるから先に風呂にする?」
 「ああ、そうする。二人分……いや裕紀も食うだろうから、三人分」
 「了解」
 踵を返して、降矢は司に背を向け、風呂へと足を運んだ。
 

 この家に住む、三兄弟の名を、瀧澤降矢、宍戸司、浅葱家裕紀。性は違えど、三人の父は同じ――瀧澤清衡で、皆、母方の性で名を名乗っている。ただ一人、降矢だけは母が知れず。瀧澤の名を持っていた。
 浅葱家、宍戸などは分家――瀧澤を祖とする。6分家の一つ。
 瀧澤とは大家。その6分家を統括する宗家である。
 一代につき、各分家から一人づつ瀧澤の家に妾が送られ、瀧澤清衡の血を分かつ子が生まれる。
 過去の時代にあった、殿に構える大奥などと同じように、跡継ぎの男児の出生率を上げるための政策といわれていた。
 ところが、彼ら――降矢たちは、第2児、司は第3児、裕紀は第5児である。
 当然、長男へと跡継ぎの権限が最優先される。今代の跡継ぎは、薩内(瀧澤)雅臣という、清衡と薩内家の娘、瑠璃子の第一児だった。
 当然それ以外の5の分家は、普通家の子供として育てられる。引き取られた先は、分家の母と、本当の父と思い込んでいた他人の元。
 司や裕紀は、それを知り、血を半分分けた降矢の元へとやってきたのは、つい2年前だった。
 「それでも……やっぱりあのオヤジも俺の父親なんだよな」
 見かけた玄関のスミで、封筒を持ち上げながら、そんなことを呟く。
 清衡からの毎月の仕送りは欠かされることはなかった。一人で暮らしていくにも3人で暮らしていくにも、十分すぎるほどの金が、封筒で閉じられない容量で送られてくる。
 無論、降矢は住処を教えた覚えはなかった。それでも金はいつも、送られてきたのだった。
 「フン」
 風呂上りの濡れた髪を、バスタオルで拭く。
 札束の入った封筒を、部屋前の引き出しの中に滑り込ませる。既にそこに、いくつもの手付かずの封筒が溢れんばかりに混入していた。
2006/01/20(Fri)23:56:31 公開 / Show-Bow-者
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■作者からのメッセージ
始めまして、Show-Bow-者と申します。
 初心者で、全く文章に疎い部分も多々あるかと思いますが、読んでくださり、感想批評などいただけると幸いです。
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この作品の投稿者 及び 運営スタッフ用編集口
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