- 『勇者デバッガー』 作者:かにそうす / ファンタジー ミステリ
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全角10530文字
容量21060 bytes
原稿用紙約31.9枚
俺の名前はハヤマ。
俺は『勇者デバッガー』。
−***−
勇者に扮してこの世界の『バグ』を調査するのが俺の仕事。
さて問題。俺が勇者になっているのは何故か。答えは簡単。主人公の職種が勇者だから。少し考えれば単純なことだ。
俺はこの世界の主人公であり、勇者であり、デバッガーである。
勇者には様々な特権がある。勇者は一個体の人格だ。誰の『命令』にも制御されず、自由に世界を歩き回ることができる。考えるのも行動するのも俺自身の意思による。
至極当然のように思われるが、実はこの世界『キャストワールド』においてはそうではない。
住人たちの行動は、各地に配置された『ヌシ様』と呼ばれる鏡の啓示に依存している。言わば絶対服従。ヌシ様の『命令』には誰も反発しようなどとは思わない。忠実なる奴隷人形――と言えば聞こえは悪いが、それが彼らの特性であり、彼らにとっては服従が当たり前だと思っている。
また、彼らは人間ではない。人間の姿をしていてもその実体は『オブジェクト』という名の『箱』である。彼らの正確な正体は、実際のところ俺にもよく分かっていないが。
それはともかく、『オブジェクト』はバグを起こす。だから俺はそいつらの仕組みを理解し、デバッグ(バグを取り除く)作業を行うのだ。そのときはヌシ様との連携プレイも必要になる。
世界を統制するヌシ様は、クリエイターでありプログラマー。一方、俺はデバッガー。バグを発見したらヌシ様に報告し、ヌシ様は『命令』を作り変える。そして俺はその『命令』を『オブジェクト』に入れて書き換える。ややこしいだろうが一連の作業はこんな感じだ。
説明は以上。そろそろ実演――冒険へと入ろうか。百聞は一見にしかず、目にした方が呑み込みも恐らく早いだろう。
冒険の内容は、よくありがちな『魔王を倒す』こと。
しかし目的を履き違えてはいけない。
俺は飽くまでデバッガーであり、勇者はただの仮面であるのだ――。
−***−
俺は草原に出た。近くには人間大の大きな鏡。緑の自然に囲まれた不自然な造形物――ヌシ様の鏡。世界の創造主というだけあって、額縁にはカオスな文様が刻まれている。
俺とヌシ様。始まりの地。ここから俺の冒険が始まる。
−***−
果物ナイフと鍋のフタを装備して、俺は最初の村を歩いた。勇者の初期装備は確かに貧相なものだったが、それにしてもカッコ悪い。早くまともな剣と盾を手に入れたい。
歩いてすぐに村についた。『エービーシー村』と書かれた看板が見える。村人の話では、小高い丘にある祭壇から見下ろすと、家の並びが『ABC』に見えるからこの村の名前になったそうだ。なんとも安易だな、と思ってしまう。
のどかな雰囲気の普通の村だった。畑地が多く、農民が鍬を持って耕している。子供たちは親の手伝いをしており、収穫した野菜を運ぶ姿もちらほらと目にする。
村人たち挨拶しながら、俺は『B』の底辺に当たる土地に行った。建物の反対側に丘があって石段が上に伸びている。俺はさっそく駆け上る。
目的はもちろん、キャストワールドを統制するヌシ様の存在。村の祭壇には必ずといっていいほどヌシ様の鏡が置いてある。冒険に困ったことがあれば、ヌシ様を当てにすればいいのだ。エライから何とかしてくれるだろう。
そんな適当な考えで、祭壇の鏡に向かう俺。ふと視界の端に、老人がうろうろ歩き回っているのが映る。深いシワを顔に刻んだ老人の姿。何かあったのだろうか。
「あのー、すいません」
俺は声をかける。キャストワールドの住人は、声をかければ必ず何かの反応を見せる。たとえ無視されたとしても、『無視』という反応が返るだけで反応がないということはない。これも彼らの特性だ。
もちろんこの老人も例外ではない。
「おおっ、貴方様は勇者様! ようこそエービーシー村においでくださいました。私はヌシ様の啓示を伝える預言者でございます」
お決まりの文句で老人の預言者は挨拶をする。それから深く溜息を吐いて、悩みを俺に打ち明ける。
「勇者様。村の者が薬草を摘みに森に入ったきり、村に戻ってきていません。森には怪物フラッガーが住み着いており、もしや襲われてしまったのではないのかと……。どうか、村の者をお助けください! お願いします!」
預言者は俺にしがみついて、頼みごとを泣き喚く。想像以上にすごい剣幕で喚いているので、俺は思わず面食らう。『オブジェクト』のくせにこういうところは妙に凝ってやがるのか、と心の中で悪態をつく。
イベントが発生。俺は鏡に目を移す。すると鏡は黒い斑点を描き出し、やがて文字が浮かび上がる。ヌシ様からのメッセージ。
≪森に棲む怪物を倒し、少女を村に連れ帰るべし≫
目的が表示されている。内容自体はよくあることだが、このイベントをこなさない限りは先に進めないのがここの法則。たとえ無視して次の村に行こうにも、森は必ず通り抜けていかなくてはならない。怪物フラッガーは避けては通れない道であり、必ず戦わなくてはならないのだ。
「……よし、分かった。森に行ってくる」
俺は決意をした。
−***−
魔王を倒すという名目で、勇者の俺は旅をしている。
では、キャストワールドにおける魔王の存在とは如何なるものか。
それは悪。恐怖。闇。魔物――。人々の負の感情が魔王を生み出したとも言われている。
モンスターもまた然り。不安がモンスターを生み出したのか、モンスターがいるから不安なのか――鶏が先か卵が先かは住人たちには分からない。神(ヌシ様)のみぞ知る。
そんな負の感情を取り払うべく、勇者というユニットが生まれた。勇者は人々の希望であり、正の象徴とされている。
俺は勇者に選ばれた。正確に言うなら自分から選んだ。俺にしてみれば、魔王にはあまり興味ない。所詮は魔王も『オブジェクト』だ。たとえどんなに恐ろしかろうと、結局魔王もヌシ様の『命令』に従うだけ。制御されている限りは、俺の勝利は決まっている。負けたとしても繰り返せば必ず勝つ。
本当に怖いのはバグだけだ。
−***−
モンスターは最初は弱いと感じていたが、塵も積もれば山となる――蓄積されたダメージは、勇者ハヤマを徐々に死へと追い込んでいく。
深緑に囲まれた樹木の数々。道なき道に広げられた大木の根。転ばないように慎重に進むが、疲れが溜まると危うくつまづきそうになる。
森を歩くのが辛くなった。果物ナイフと鍋のフタでは持ちこたえるのが難しい。幸い傷薬を持っていたからある程度は回復したが、とても今の低レベル低装備では怪物フラッガーには勝てそうにもない。
(そろそろヤバイな。引き返して出直しだ)
丁度思い立ったとき、誰かの泣き声が俺の耳に飛び込んできた。か弱く、高く、細い声。女性のようだ。
声のした方向に走っていく。疲れていたが、ここで見捨ててしまえば勇者の名前に傷がつく。俺はそう思い込む。本当は誰も気に留めないことではあるのに、奇妙な義務感が俺の中に芽生えてしまい、行かなくてはならないような『勇者な気分』に酔っていく。
足元で緑色の生きた芋虫が襲い掛かった。俺はナイフでそいつを潰し、経験値を得てレベルが上がる。少しだけ強くなったような気がする。
女の泣き声が近づいてきた。生い茂っている森を抜けて、俺はついに一人の少女を発見する。
亜麻色の髪を背に向けて、草の上に座っていた。手にはカゴを持っている。
少女は泣いていた。俺は少女に近づき、話しかけようとする。怪物フロッガーが近くにいるかもしれないと恐れながら。
「なあ、どうしたんだ?」
フロッガーは現れなかった。少女は泣きながら、目の前の土を指差している。
「えっ、土?」
「そうよ。あの土には何もないの。薬草にする青いお花が……」
「……?」
俺は状況が呑み込めずに腕を組んで考える。
何かがおかしい。
預言者の言った言葉は、この少女は怪物フラッガーに襲われているということだった。しかしそのフラッガーはここにはいない。ということは、もしかしたら戦わずにしてイベントを完遂できるのか?
俺は試してみた。少女を立たせようとする。
「とにかく村に帰んないか? みんなが心配しているぞ」
しかし少女は動かなかった。座ったまま、何もない土を見て泣きじゃくっている。
「ダメなの! あたしは薬草を取って帰らなきゃいけないの! 手ぶらで村には戻れないのよぉっ!」
「そんなの後で探せばいいって! だから早く村に帰ろう!」
「それができればこんなところで泣いてないわ! このカゴの中に薬草が入ってないと、あたしはここから『動くこと』もできないのよぉっ!」
その言葉で俺は自分がこの世界に入ってきた理由を思い出した。
キャストワールドの住人はヌシ様の『命令』には逆らえない。ただ一人、俺という勇者を除いては。
そして俺はキャストワールドが正常に機能を果たすために、勇者というユニットを選んで旅をしている。
そう、俺は勇者であると同時にデバッガーだ。バグを発見し、ヌシ様に報告するのがデバッガーとしての俺の仕事。俺の役目。
この少女は薬草を取るまで動かないことになっている。それがこの少女に組まれた『命令』なのだ。だったら俺は青い花の薬草を見つけて、少女のカゴに入れればいい。
果たして簡単に見つかるだろうか。消えた薬草はどこに行ったか。
調査しなければならない。
俺は『勇者デバッガー』だから。
−***−
少女に質問をぶつけてみた。この少女に課せられた『命令』を正確に把握するために。
「君は毎日この森で薬草を摘んでいるのか?」
「ええそうよ。昨日、私が摘んだとき、この土には一本だけ花が残っていたわ。それで今日は残りの一本を摘もうとしたの」
「じゃあ、もし今日の分を摘み終えたら明日はどうするつもりだった? もうここには花がなくて君は一本も摘めなくなるぞ?」
「それは心配ないわ。この左手の紙袋の中に、薬草の種が十粒ほど入っているの。一つの種に一つの花を咲かせてくれるわ。花はたった一日で咲いて、決して枯れることはないの。私は最後の薬草を摘み終わってから、この種を全部土の中に蒔いておくつもりだったのよ」
なるほど――俺は思った。この少女の『命令』には、少し不安定な部分があるなと。細かいことだが、後でヌシ様に書き換えてもらわなくてはなるまい。
『薬草を摘み終わってから』ではなく、『土に薬草がなければ』種を埋めろという『命令』に。これは保全のためだ。
続いて俺は少女に質問をする。
「ここで動けなくなってから、どのくらい時間が経ってるんだ?」
少女は少し考えてから答えを出す。
「六時間くらいね。朝九時に森に入って、今は十五時。普段なら三十分でここを往復しているわ」
俺は頷いた。時間については問題なさそうだ。が、この少女を見て気になることが他にある。
「……そういえば、モンスターには襲われてないのか? 見たところ、無傷のようだけど……」
不思議に思った。ここに辿りつくまでの道中、俺はモンスターに襲われまくり、身も心もずたぼろでいた。果物ナイフで敵を刺し、鍋のフタで攻撃を防いでやっとのこと。決して楽な道のりではなかったはず。
それなのにこの少女は手ぶらで歩いて、しかも傷を受けてない。明らかに変だ。もしかしたらこの現象もバグが原因なのかもしれない。
と思ったら、それはヌシ様による仕様だった。少女は答える。
「モンスター? 見なかったわよ。実際にはいるみたいだけど、あたしには襲い掛かってこないみたいね」
どうやらモンスターに与えられた『攻撃の命令』は、勇者のみを対象にして組み込まれたものらしい。普通に考えれば不自然なことだが、これはよくある仕様だそうだ。この少女に見えるモンスターは、イベントに絡む怪物フラッガーだけの模様。
(……。くそう、都合よく出来てやがる)
勇者もデバッガーも損な役目だ、と俺はへこむ。
気を取り直して、情報を集め終えた俺はこの先どうするかを考えた。少女に対する質問はこれでもう十分だろう。
消えた薬草を探さねばならない。最後の一本は誰が何のために摘んだのであろうか。
−***−
よく見ると、道はまだ続いていた。
俺が来た場所、少女がいる場所、先の道。
怪物フラッガーは現れなかった。だから俺は、戦わずして森を抜ける道へと行ける。
次の村にも行くことができる。しかし抱えている現イベントは未解決のままで、本来ならば行くべきではない場所である。
イベントの順序を狂わせていくと、自分自身でバグを引き起こすことにもなりかねない。
危険な賭けだ。どうする? 行くべきか、行かざるべきか。
(俺は勇者であると同時にデバッガーだ。少しでも情報が欲しい。消えた薬草の手がかりとなる情報を!)
奥に続く道を行くことを決心した。
俺は歩く。雑魚モンスターは現れるが、果物ナイフで消滅させる。
森を抜けた。落ちかけてる太陽が眩しい。
草原をしばらく歩いていくと、予想通り村が遠くにあるのが見える。
俺は走る。雑魚モンスターは現れるが、自慢の足で逃げ切っていく。
村に着いた。俺は息を切らせてざっと眺める。最初の村より少し大きい村だった。立看板に『プレート村』と書いてある。
最初の村とは対照的に、建物が整然と並んでいた。区画を管理するには分かりやすいが、似たような景色ばかりなので道に迷ってしまいそうだ。だから俺は建物の看板を目印にして、道を覚えることにする。宿屋、酒屋、武器屋、防具屋、道具屋――。
歩いている途中、ヌシ様の鏡の祭壇を見つけた。この村にもやはりあった。俺は祭壇に近づき、そこにはやはり預言者がいて――。
「って、ええっ!? あんたはさっきのじいさん! いつの間にこんなところに!?」
驚いた。この村の預言者は、エービーシー村で会ったあの預言者と全く同じ顔をしているのだ。
ところが目の前の老人の反応を見て、同一人物だという俺の見解は間違いだということに気づいた。
「おおっ、貴方様は勇者様! ようこそプレート村へおいでくださいました。私はヌシ様の啓示を伝える預言者でございます」
同じなのは老人の顔と預言者という職業だけで、どうやら別の人物らしい。これもヌシ様による仕様であるらしく、預言者という『オブジェクト』を使い回して楽してるのがバレバレである。
俺は思わず苦笑い。仕様が分かったところで、俺はさっそく預言者の老人に尋ねてみる。
「青い花の薬草についてのめいれ……じゃなくて啓示を受けた、村人って誰かいますかね?」
うっかり専門語を言いそうになった。ここでは仮にも勇者だから、住人に話しかけるときは勇者に成りきっておかなくてはならない。大変だ。
預言者は、俺の質問を受けて鏡に触れて目を瞑った。ヌシ様が与えた『命令』を探っているのだろう。
「この村に、潜在的ではありますが、青い花を摘んでくるよう啓示を受けた者がいます」
「……! それは本当か? そいつはどこに?」
狙い通りだった。薬草を摘んだ犯人はプレート村の中にいるのだ。俺はそいつを見つけ出して、ヌシ様に報告しなければならない。
「そいつの居場所を教えてくれ」
「はい。その村人は道具屋の息子でございます。黄色い帽子が目印ですのですぐに分かるかと思います」
「よしっ、黄色い帽子だな。ありがとう、じいさん!」
俺はすぐに祭壇を降りて村の中を駆け出した。広い村といっても道具屋の位置は覚えていたので、恐らくすぐに見つかるはずだ。
顔色のいい老婆が目の前を横切ったとき、看板となる壺のマークが目に入った。道具屋だ。
さっそく俺は扉を開けて中に入る。
思ったよりも明るい場所だ。窓が広く、西日の光が差してくる。棚の上の瓶の羅列が色鮮やかで綺麗だ。匂いも道具屋らしく芳香を出している。とても心地よい。オシャレで女性っぽい雰囲気だ。
しかし店の主人は男性だった。線の細そうな道具屋の主人。その隣には黄色い帽子の若い男。右手の指には高級そうな指輪の輝き。どこで手に入れたのだろうか。
「いらっしゃいませ、ここは道具屋です。何をお求めでしょうか?」
柔らかい物腰で道具屋の主人が営業スマイル。俺もまた、勇者スマイルで笑顔を返して、道具屋の主人をあっさりとかわす。
隣にいた息子の方に目を向けた。こちらは父とは対照的に無愛想な印象だ。この店の将来は大丈夫だろうかと余計な心配を募らせてしまう。
俺は息子に声をかけた。
「あんた。昨日か今日、森に入っただろ」
黄色い帽子が西日に当たって反射する。息子の表情は帽子のツバに隠れて見えない。
「……」
彼は沈黙という反応を返した。俺は眉根を軽く上げる。この男に謎の気配。
今度質問するときは、内容を核心に切り替えた方がよさそうだ。直接的な質問の方が特性からして分かりやすい。もし彼が犯人であれば反応を示し、そうでないならスルーするはず。
「何故薬草を摘んだんだ?」
「……!」
黄色い帽子の若い男がツバを持ち上げ俺を見た。両目を大きく見開いている。
間違いない――彼が犯人。
確信した。俺はそいつに歩み寄って腕を掴む。逃げ出さないように。
「教えてくれ。あんたは何で森に入って青い花の薬草を摘んだ? この道具屋に薬草はあるのか? ないのか?」
「それは……」
ようやく男の口が開きかけた。心の中でガッツポーズ。
だが。
「勇者様! この道具屋にはもともと薬草は置いてないのです! 代わりに傷薬という道具はあります。薬草より少し高級で、薬草よりも効果のある回復道具でございます。今ならなんと二割引。どうです? お買い得ですよ?」
道具屋の主人が俺たちの話に割り込んできた。こんなタイミングで喋るなよ、と舌打ちをする。息子の話が聞けないじゃないか。
肝心な部分を聞き逃し、なんだか損をした気分。しかしよく考えてみると、この道具屋の主人の話も、あながち的外れではないかもしれない。ここの道具屋には薬草がないという情報。代わりに傷薬があるらしい。
(……? 待てよ?)
俺の中で何かが掛かった。思考の網に大物が一匹。
その大物が出した議題は、薬草と傷薬の違いについて。俺は考えを巡らせる。答えが導き出せるように。
傷薬の方が薬草より断然回復力が高い道具。しかし傷薬は傷を治すだけの道具で、それ以上の効果はない。
一方、薬草は回復力は低いが、持っていて損はしない道具。手軽なゆえに、知名度がとても高く――。
「もしかしたらこの道具屋に『薬草』を求める客が来ませんでしたか?」
「……!」「……!」
道具屋の主人とその息子は、驚いて口をあんぐりと開ける。どうやら図星だったらしい。
薬草には回復道具としての役割の他に、小さな病気を治すというイベント道具としての使い道もある。道でおばあさんが倒れているとき、薬草をあげるとお礼に『いいもの』がもらえるというジンクスがあったりするくらいだ。この場合、傷薬では意味がない。おばあさんが求めているのは『薬草』という名の道具だから。
そのことを、黄色い帽子の道具屋の息子に当てはめていくと納得がいく。俺は睨むようにそいつの右手の指を見る。
「なるほど。あんたのその綺麗な指輪はそういうことか。『オブジェクト』のくせに勝手にイベントをされちゃ困るよ? くそう、こりゃかなりの修理が必要になっちゃうなぁ?」
俺は道具屋の息子に向かって愚痴をぐちぐち吐き出した。こいつに専門語を言っても通じないのは俺もよく理解している。だからこそ俺は仕事のストレスを解消したくて、人でもない『オブジェクト』に八つ当たりをしているのかもしれない。
道具屋の主人はあんぐりと口を開けたまま、隣で怒られている息子を静かに見守っている。バグのなかった彼にとってはどんな気分で見ているだろう。息子の指輪を羨ましいと思うのか、それとも怒られずに安堵しているのか。
俺はとにかく、息子に指を突きつけて言い放つ。
「仕方ねえ! ヌシ様に報告! あんたが二度と余計な手出しをしないように『命令』を書き換えてやるからな。そこで待っていろよ!」
そう言い置いて、ヌシ様のいる鏡の祭壇へと戻っていく。
今回の調査は初っ端から手強かった。頭も使うし勇気と判断力も消費する。デバッガーの仕事は本当に大変だ。
疲れた。
−***−
プレート村のヌシ様の祭壇。
俺は鏡に向かって、今日の不具合についての報告をする。
バグがあったのは道具屋の息子。主人の方は『薬草を取りに行く』という『命令』が組み込まれていなかったため、問題なし。だから犯人は息子のみ。預言者の証言を聞いても裏を取れることが確認できる。
俺は鏡に右手を触れた。力を入れると腕がずぶずぶと鏡の中に入っていく。
何か『物』が渡されていく感触を覚えた。鏡の中の手のひらに、『物』がゆっくりと握られていく。
腕を鏡から引き抜いた。現れた右手には弾丸が二つ。『道具屋の息子の初期状態』と『薬草を貰った村人の初期状態』。これらの弾丸を俺がデバッガーとして持っている道具『デバッグ銃』にセットして、目標の人物にぶっ放して弾を当てればそれでおしまい。的となった『オブジェクト』は、記憶や持ち物の状態も、弾丸に詰まった『命令』通りに書き換えることができてしまう。
これがデバッグの最後の手順。世界を揺るがす行為ゆえに、外さないよう慎重に遂行しなければならない。
デバッグ銃を手に持って、俺は道具屋へと向かっていく。店の前の通りを、顔つやのいいおばあさんがぴんぴんに歩いているのを見つける。薬草を欲した客人はこいつだ、と俺は直感。弾丸を間違えないようにセットし、おばあさんに狙いをつける。
発砲。おばあさんは倒れた。青い花の薬草が舞って、俺は空中でキャッチする。
次の標的は道具屋の息子。黄色い帽子に向かって撃つ。若い男の指輪が外れて、俺の元へと飛んでいく。左手ですかさずキャッチ。
店を出て、倒れたおばあさんに指輪をはめて、この村でのデバッグは終了。後はこの青い花を森で待っている少女のカゴに入れるだけ。
と、その前に。もう一度ヌシ様に弾丸を貰いに行っておこう。保全のために念には念を。
あの少女に弾丸を。
『薬草を摘み終わってから』ではなく、『土に薬草がなければ』種を埋めろという『命令』に。
書き換えるべく。
−***−
青い花を手にし、俺は森へと戻っていった。
少女は相変わらず土を見て泣いている。俺はデバッグ銃を右手に抜き、弾丸を詰めてセットする。そして撃つ。
当たった。少女の行動が一変する。土に薬草がないと分かると、少女は手元の紙袋を手にし、種をばらばらと土の上に落としていく。これでもう、少女が困ることはないだろう。たとえ今日のように事故で薬草が消失しても、たった一日だけ待っていれば少女は花を摘んで村に帰ることができる。俺がデバッグを完了するまで永遠に花を待つことはなくなる。
たった一日。種を蒔いた少女は明日への希望に胸を膨らましているだろう。
しかしそれは、俺がいない場合の保全対策。今は俺がここにいるので、俺の持っているイベントをさっさと終わらせておきたいところ。
青い花。俺は少女に近づき、カゴの中にそっと置く。少女の涙はようやく止まり、嬉しそうに立ち上がる。
「ありがとう、勇者様ぁ!」
少女は礼を言い、俺の頬に唇を寄せる。温かく柔らかい感触。あまりにも突飛な出来事に、俺の脳味噌は一瞬だけ時を止める。
(……っ! 『オブジェクト』のくせにこいつ……!)
悔しかった。すっかり出し抜かれてしまったことに。果たしてこれは、ヌシ様の『命令』による仕業なのか、それとも少女の『意思』なのか。
一方、戸惑っている俺を他所に、森の中を涼しい顔してエービーシー村に向かう少女。
「あぁっ!」
俺は思わず奇声を上げる。亜麻色の髪の少女は驚いたように足を止める。
ヤバイ。肝心なことをすっかり忘れていた。このイベントが持つ本来の姿の最大の難関。
悪夢。強敵は目の前に降臨した。
怪物フラッガー。
「ゲコゲコゲコ、ゲコッ」
枯葉のような体色に、おできようなぶつぶつ肌。
体長二メートルの巨大蛙を連想させる大きな口に長い舌。
頭部には何故か日の丸の旗が刺さしてある。ユニークな姿。
この森のボス、怪物フラッガー!
巨大モンスターが帰路の道を塞いでいるせいで、帰るに帰れない薬草摘みの不幸な少女。
そして。
ろくにレベルを上げられず、装備も未だに果物ナイフと鍋のフタという貧弱勇者のハヤマ――俺。
殺される!
−***−
一撃で意識が吹っ飛んだ。
気がつくと俺は、始まりの草原の地に立っていた。側にはやはりヌシ様の鏡。一から冒険のやり直しだ。
「あーあ。ちゃんと『記録』をしとけばよかったな……」
両肩を落とす。あの森をまた歩かなければならないと思うと気が滅入る。しかもレベルを上げなければならない。お金も必要だ。装備も十分に整えておきたい。怪物フラッガーを倒すために、強さと経験値を得なくてはならない。
と、そんなことを考えている自分に気づく。
これが本来の勇者の姿。
そう、今度の冒険は以前とは少し変わっているはず。少女が土を見て泣くことはもうないだろうし、次の村まで薬草を探しに行くこともない。デバッガーとしての作業は既に終了しているのだ。繰り返しは起こらない。
たった一つだけの冒険。俺だけのもの。頬に感じた少女の祝福を確かめながら、俺は道中を歩いていく。
バグがなければ純粋に勇者として楽しむのもよし。
バグがあればデバッガーとして俺だけの体験を楽しむのもよし。
『キャストワールド』を二通りの歩き方で楽しんでいる俺がいる。
俺の名前はハヤマ。
俺は『勇者デバッガー』。
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2006/01/14(Sat)01:27:21 公開 / かにそうす
■この作品の著作権はかにそうすさんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
初投稿になります。「かにそうす」と申す者です。省略して「かに」と呼んでくださっても構いません。
とりあえず、この小説のジャンルを「ファンタジー」「ミステリ」と決めておきましたが、読み方によっては「現代」や「SF」だと感じることもあるかと思います。その辺はどうかご了承ください。
この小説では、斬新さと滑稽さを目指してみました。ルールを敷いて、論理で詰めるスタイルをやってみたかったのですが、果たして上手くできたかどうか……。
良かった点や悪かった点、批評・アドバイス等があればお願いします。
※2005/01/14 微修正