- 『幸福な日本食』 作者:ヨシムネ / ショート*2 未分類
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原稿用紙約7.45枚
去年のクリスマスに妻から貰った腕時計に目をやる。時針はほぼ重なり合い、日付があとわずかで変わろうとしていた。
山手線外回りから渋谷駅で乗り換え、終電間際の東急東横線に飛び乗る。この車線は直通で横浜みなとみらいにも通え、便利な為か終電間際のこの時間帯でも大勢の乗客が疲れた顔で電車に揺られていた。
私は窓に映る自分を眺めた、私も疲れた顔をしている。窓が開いているのか車内の中吊り広告がばさばさと音を立てた。たまらず身震いをする。
ふと目の前に座る頭が禿げかかった中年の男が読む新聞広告に目がいった。広告には有名寿司チェーン店の新店舗が紹介されていた。奇しくも私の仕事場の向かいである。そして私はその広告を見ていて自分が空腹である事に気がついた。残業の時は部下の入れるコーヒーしか飲んでいなかった。共に食事をする事になっていたが向こうに急な用事が入ったらしく、そのまま電車に乗ってしまったのだ。
「そういえば近頃あそこにも行っていないな。よし、少し贅沢でもするか」
そう考えが決まると窓に映る顔は自然と笑みを浮かべていた。
私は自宅がある駅の2つ前に降り、繁華街に向かった。冬も真っ盛りのこの時期、コートだけでは寒さが堪えた。タバコに火をつけて寒さを紛らわしながら賑やかな通りを進んでいく。各種飲み屋に風俗店、コンビ二の前には大学生らしき男達が円陣を組んでいた。
私の目的地はその繁華街を抜けた住宅街にある。小さな暖簾と提灯を出した居酒屋の様な佇まいだ。入り口に立つ『営業中』の看板に思わずほっとため息が出る。
引き戸のドアを開けて中に入った。店内は右手に5,6人ばかりのカウンター席、左手に4人席のテーブルが3つあるだけの小さい造りだ。他の客は1人でテーブル席に座り雑誌を読みながら黙々とビールを飲み、目当てのものを口に運んでいた。
「いらっしゃい、お久しぶりですね」
威勢のいい板前がカウンターから顔を出した。年は私より少し若いだろうか、坊主頭で凄みはあるが愛着のある良い男だ。
「久々に日本食ってやつを食べたくなってね、いつものいいかい?」
私は指定席にしているカウンター席の右端に座った。コートを椅子にかけ終えるとカウンター越しにアガリとお絞りを渡してくる。
「今日は良いのが入ってますよ、楽しみにしていてください」
板前はそう言うと私の前で仕事を始めた。私はお茶を一口啜り、お絞りを両手に擦り合わせた。お絞りは湯気を出しながら私の両手を徐々に暖めていく。アルバイトの女性店員に燗の酒と適当につまみを頼み、板前に話しかけた。
「最近は同じような業者が結構出てきたね、私の会社の前にも新しくオープンしたよ」
トントンとリズミカルに包丁の音を立てながらこちらを見ずに彼は答えた。
「アルバイトが作ってるようなものじゃ駄目ですよ、基礎が大事なんですから。日本文化のものは殆どが基礎を大事にするでしょ?それは食も同じです」
女性店員が酒とつまみを持ってきた。笑顔で酒を受け取り、猪口に掬って一気に喉に流し込む。ーーー美味い、強い酒だが冷える夜は五臓六腑に染み渡る。
「まだ若いのにしっかりしているね君は」
「ガキの頃から手伝い程度で仕事はしていましたから。逆に大変なんですよ、同い年の連中とメシを喰いに行っても俺は愚痴を言ってしまうんです。ダシの採り方がなっていないだの、仕込みが荒いだの…」
私は笑いながら彼との話を楽しんだ。今日の酒はいつも以上に美味かった。
「お待ちどうさまです、お腹を空かしていらっしゃるみたいなんで量の方を多少サービスしておきましたよ」
私は礼を言い、この若い板前が作った3つのニギリにただただ唸った。
日本食は見て良し、聞いて良し、食して良しと昔から言うが確かにその通りだと思う。
一つ目は巻かれた海苔の間から申しわけなさそうに明太子が見えたものだった。だが海苔の中にはたっぷりと詰まっていることだろう。箸を置き、鷲掴んで豪快に口に入れた。
パリパリと口の中で海苔が潰れる音が心地よく、その後包まれていた米がふわっとくずれていった。明太子はその米の間に巧みに散らばり、丁度良い辛さと粒粒した食感が私の頬を綻ばせる。
「本当に良いモノを使っているね」
「うちの板長の昔馴染みが博多の業者さんでしてね、特別に取り寄せているんです。銀座の店でもこの明太子は使えませんよ」
私は彼の笑顔に笑顔で返し、直ぐにそれを平らげてしまった。
次は鮭だ。そのまま使わず、この店は少し炙ったものをほぐしている。その方が香りが良いらしいそうだ。そこにジャコと白髪葱を添えている。口に入れるとシャキシャキした白髪葱がほぐれた鮭と絶妙にマッチして舌を躍らせた。私はそれを食しながら涙が出そうになった。最近では簡単に食べられる様になり、ツナマヨやテリヤキなんていうものも出回っている。私自身それらを食べたことはあるがここのニギリに比べたらそれこそこの板前にも失礼というものだ。機械ではこの繊細な味を出す事は出来ない。
「いやあ、美味かった。最高だよ、じゃあ締めにいこうかな」
私は最後のニギリに手をかけた。それは鰹節と梅肉を合えた一見変わった代物だ。だが鰹節が酸味の強い梅肉をしっかりと包み込んで上品な味に引き立てている。食べながらその香りを嗅いだ。梅と鰹節のすっきりとした香りが鼻腔をくすぐった。
私は全て食べ終えると最後の酒を飲み干した。板前は片付けをしながら問いかける。
「どうでしたか久々のうちの味は?」
アガリを啜り、タバコに火をつける。
「大満足だ、寒い中きたかいがあったよ」
板前は笑った。そして私も笑った。
「それじゃお会計いいかな」
私は重い腰を上げ、コートを羽織り、伝票をレジに持っていった。店員がレジに注文を打ち込んでいく。
「お会計締めて2150円になります」
私は金を出し、領収証を見た。やはり高い。だが、十分満足だった。
「どうも有難うございました、また御出で下さい」
「こちらこそありがとう。ご馳走様」
板前と店員に軽く礼をし、引き戸を開けて表に出た。外は中とは別世界の様に寒く、暗かった。だが今の状態なら温かいまま帰る事が出来るだろう。私は小さく鼻歌を歌いながら帰路の徒についた。
良ければ皆さんも出向いてみるといい、店こそ小さいが其処で用意されるものは古来より日本人に愛され、食されてきた幸福な日本食だ。私はこれからもこの店に通い続けるだろう。店の名は『おにぎり屋』、お忘れのない様。
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2006/01/04(Wed)14:47:10 公開 / ヨシムネ
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■作者からのメッセージ
寿司じゃなくておにぎりかよ!?
って言った後に
おにぎり喰いてー!!
って思ってくれたらこの話は大成功です(笑)
でも俺は三角形に握れません…。