- 『RID(仮)』 作者:凰庭人 / 未分類 未分類
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全角9873文字
容量19746 bytes
原稿用紙約28.4枚
昔、「海神」というコードネームをもつ伝説の東洋系エージェントがいた。名を鞍布海人と名乗る。ただそれだけが知られ、詳しいことは不明な男。成し遂げた記録は、ほとんどが前代未聞の数値。この話はそんな伝説の親父が遺した息子が、親父の背中を越えようと、数々の強敵を相手にミッションを遂行するストーリーである。
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第一話:「スタートライン」
息が荒くなり、目眩がするのを必死にこらえながら、俺はあの黒いローブをまとった少女を追いかける。俺がピンチになるたびに目の前に現れ、その小さな体には不釣合いな大きさの鎌で敵をなぎ払う少女。今追いかけているのは、その少女が何者なのかを確めるためだけではない。なぜ俺を助けるのか。そして、俺に何をしたいのか。それらすべてを確めたい。だから、俺は漆黒の、足元を照らす光さえ虚ろげなその一本の道を全速力でかけていった。
「ようこそ、りっくん」
急に後ろからかけられた声に、俺は反射的にトリガーを引いた銃口を向ける。その影はその銃口を見て、嘲るように笑ったかと思うと、すぐにおどけた口調で言った。
「撃たないでくれよ、そのへなちょこを。へなちょことは言え、その大きさだ。ちょっとぐらい血がぴゅーっと出てしまうかもしれないから、さ」
「……お前、何者だ?」
影は一層大きく高笑いをすると、その背中からあの少女が持つものと同じような大きさの鎌を取り出した。闇の中でさえ、その漆黒の鎌が放つ妖光は、俺の背筋を凍らせるほどの戦慄を放つ。俺は震える手を必死に固定しながら、相手から銃口をそらさずに保とうとする。だが、影はそんな俺を笑うと声高に言った。
「私の名はリド・グラフ。死神と呼ばれているものさ」
「死神?」
「そう、だから君の寿命もよーく分かる。君がどうしてここまできたのかも、ね。まぁ、その銃口を下ろしてくれよ。私は君を殺しに来たわけではないのだから」
クスッと小さく笑うリドに対して、俺はまだ銃口を下ろさずにはいられなかった。強者が放つ戦慄という名のプレッシャー、それがまだ俺の心を苦しませているからだ。
「ふ、君も用心深い、ね。言ったろ、私は君の寿命を分かってるって、さ。もし君の寿 命があと1日以内なら、私のこの相棒が君の喉をずっぱりさ。ってことは、逆を返せば、君はまだ死なない。そうだろ?」
「もしそれが本当なら、そのビシビシとくる、どきつい殺気をどうにかして欲しいものだな」
リドは俺の言葉を聞くなり、愉快、愉快、とお腹を抱えて笑い出した。
「君は面白い。さすがはサイちゃんが惚れるだけのことはある。そうだね、そろそろ後ろに隠したアレも消すとするか」
すっとどこかに鎌を隠すとともに、リドの背後にいたとてつもなくでかい何かが、マントの中に吸い込まれていった。それとともに、周囲が一気に普通の家と同じくらいの明るさになる。いや、あたりを見回すと、そこはすでに家の中であった。どこを走ってきたのかさえ分からない俺は、疲れと戸惑いから一瞬立ちくらみを覚えそうになる。そんな俺に対して、リドはあの陽気な口調でこう言った。
「ようこそ、マイ・スウィートホームへ。と言っても、近々引越し予定なんだけどね」
リドが招待してくれた家はまさしく豪邸という雰囲気だった。それに、さすがは死神、と言うべきなのだろうか。大小様々な鎌が鎮座されており、なにやら怪しげな燭台に大量の蝋燭が飾られている。それら死神らしきグッズを除けば、人が住むには十分すぎるぐらいの豪邸だった。
「広いだろ? 君の部屋も用意でき」
リドの言葉をさえぎるように、急に階上から大きな壷が勢いよく落下してきた。ゴツーン! という激しい音ともに、リドの長身がぐらりと前のめりに倒れこむ。
「何言ってるの、お父さん! りっくんの部屋ならいいけど、他の人のは……?」
ダダダダ、というロケットダッシュとともに降りてきた少女。Tシャツのロゴは、「Kill You! てへ♪」。髪の色は黒、目の色は青、顔はかなりかわいいほうだろうか。年は俺と同じくらいに見える。俺が冷静に分析するのをよそに、少女はうれしそうに声を震わせながら聞いてきた。
「り、りっくん?」
「え? ああ、俺は陸人だが、君は?」
俺への返事をよそにして、急に抱きついてくる少女。腕から伝わってくる柔らかな感触に、自分でも分かるぐらいに顔が赤くなってくる。
「えへへー、りっくんだ。お父さん、ありがとう」
「だからいつも言ってるだろ。父さん、いつかりっくんに会わせてやるって。父さんは男の約束はかならず守るんだ。……だから、壷、落とさないで」
高そうな壷の破片を見ながらうなだれるリドの姿からは、さっきの暗闇の中での恐怖感はまったく抱けない。それどころか、いつの間にか着替えていたアロハシャツに、古めのジーンズというその姿は、アットホームな雰囲気がにじみ出ていた。
「サイちゃん、ご機嫌なのは分かったけど、少しだけ向こうに行っていてくれないか? 僕はりっくん、いやRIDに依頼したいことがあってさ。少しの間だから」
「えー、隣で聞いてるのはダメ?」
リドはサイと呼ばれた少女に無言で答えを返すと、少女は頬を膨らませながらしぶしぶと二階へと戻っていった。
「これは、君の親父さん、コードネーム「海神」ならば、やすやすとこなした仕事だろう。だが、君の技量では、そうはいかない。先ほど言ったとおり、私は君の寿命が見えている。だから、死ぬことは無い。だからと言って、危険が無いとは言い切れない。それでも私の依頼を聞いてくれるか?」
「ああ、死なないなら、大丈夫だろうしな」
「私の依頼は、この娘を探し出して保護してもらいたい、というものだ」
そう言って、リドは一枚の写真を懐から取り出す。サイらしき少女の隣に、犬歯がちょぴっと出た少女がにっこりと笑っている。
「この子、犬歯が長いですね。もしかして、あなた達と同じような」
「さすがRID。まぁ、同じと言っても、君たちとは違う種というところだがな。私たちは死神、この子はヴァンパイアーだ。実はこの子が家出してしまってな、それが少し厄介な理由なのだよ……」
リドは言い渋るように、首の後ろを手でごしごしとしはじめる。俺は小さくため息をつくと、その写真をサスペンダーのミニボックスに挿入した。
「なにが親父ならやすやすとこなした仕事、だ。ただの家出娘の捜索だろ? 俺でもできるさ」
そう言って俺が立ち去ろうとすると、リドは小刻みに笑いながら言った。
「ふふ、僕だって君がそこまでど素人だとは思っていないさ。危険なのは、その子を狙う悪人どもだ。名前、一応教えとくよ。大手バイオメカ二クス企業、サイクロプス社」
「さ、サイクロプス?」
頭の中にあの灰色の要塞が姿を現す。俺たちの業界では攻略困難、という意味で皮肉たっぷりに、フォートレス(要塞)・サイクロプスの異名をもつビルだ。ただ大きいだけではなく、何者をも通さないという意志にあふれた、まさに悪魔の城ともいうべき異物。
「そうさ、サイクロプス社。それも君が予測しているであろう、フォートレス・サイクロプス。一つ目の巨人が相手だと分かっても、君はさっきの言葉を言えるかな?」
「ひとつ聞きたい。その子を探し出して、俺にどうしろと? そして、なぜあれだけの強大な力をその身に秘めながら、自分自身では動こうとはしない?」
リドは手を目の前に組んで、前かがみに進むと、冷静な口調で語りだした。
「正確には、ふたつ、だったね。1つ目の答えはこうさ。君は依頼主を信用せずに、その仕事を遂行するほど、安っぽいプライドの持ち主なのかい? そして、2つ目の答えはこうさ。フォートレス・サイクロプスには2つの結界が貼られている。1つは人の意識に働きかける拒絶。1つは私たちに働きかける聖なる光。最初は人間ごときが貼った物だ、と軽く見ていた。だから、たった数人の末端部隊を派遣したんだけどね、全滅さ。つまり、人間を拒絶する城は、人間でなければ攻め落とせない」
「それで親父であれば、か。分かった、やってみる。ただし、もしフォートレスに攻める必要がなければ、俺は手をだすつもりは無い、という条件つきだ。俺だって、宝も無い地獄に好き好んで片足突っ込むようなドジではないからな」
リドがゆっくりとうなずくのを見てから、俺は、ふぅ、と大きくため息をつき、ソファーに座り込んだ。まさかフォートレスに挑むことになるとは夢にも思っていなかった。いざ敵になったという状況を踏まえてあの砦を思い出すと、目眩がしてきそうな気分だ。
「お父さん、話、終わった?」
「ああ、終わったよ。さーて、後は若い2人を残して、年寄りは退散いたしますか」
にっこりと笑いながら立ち去っていくその後姿に、殺意すら抱いてしまいそうな相手だ。けれど、まぁ、死神が俺は死なない、と教えてくれたわけだしな。俺がそう決意を固めてからゆっくりと目を開けると、少し大きめの瞳と視線が重なった。
「りっくん、お疲れ?」
「ああ、疲れた。少し休ませてもらってから、帰るとするよ」
今日2度目のため息をついて、背もたれに寄りかかろうとすると、サイがぶーっと頬を膨らませた。
「膝枕」
「は?」
「そこじゃなくて、ここに寝るの」
そう言いながら正座をすると、サイは自分のふとももを指差した。俺は顔が赤くなりそうになるのをなんとかこらえながら、ふん、といじけたようにそこに横たわる。すると、サイは優しい手で俺の髪をなでてきた。
「りっくん、私たちが昔に何度かあったことがあるの、覚えてる?」
「ああ、ミッション中のピンチでだろ?」
俺の答えが的外れだったらしく、サイは少し悲しそうな顔をした。
「そっか、あれは5歳の頃だもんね。海人叔父さんがまだ生きていた頃のことだもん」
「親父?」
「うん、近くに大きな豪邸があって、って覚えてないなら、もういいや。りっくん、私ね、死神にしては変な力だけど、人の体から疲れを取ったりすることもできるんだ。だから、私がその力で、りっくんの疲れをとったげる」
サイは目を細めると、手から不思議な安らぎの光を放たれる。その光が俺の体をほどよく温めてくれるような錯覚に襲われ、俺のまぶたはしだいに重くなっていく。ほどなく、俺は深い眠りの世界へと落ちていった。
誰だろう? なぜか懐かしい、そんな夢。
「りっくん、ここまでおーいで♪」
「待ってよー。サイちゃん、足速いよー」
サイ? これはあの光が作り出したイメージか? それにしては、あまりにも自然すぎるような。
遠くから眺めていて、ふとあることに気がついた。この公園には他にも遊んでいる奴らがいる。なぜだろうか? 奴らはちらちら、と俺やサイを見るものの、なぜかその視線はとても冷たかった。なぜ異物を見るような視線、とても嫌な、吐き気がするようなそんな視線を俺たちに向ける? 俺は気持ち悪くなり、そばにあった木に座り込むと、大人が数人公園の中に入ってきた。その大人たちは口々に、サイのことについて話しはじめる。
「あの子、変な子よね。耳だって長くて、細いでしょう?」
「ねぇ、奥さん。聞いた? あの子ね、死神の子なんだってよ」
「あら、やだ。ひー君、もうお家に帰りましょ。あの子に取り殺されてしまう前に」
がやがや、とサイをののしる声が騒音のように木霊する。頭にガンガンとサイを魔物呼ばわりする声が響き、俺はふたたび吐き気を覚えた。
「うるさい!」
俺の叫び声と、小さな俺の叫び声が重なりあう。
「サイちゃんは、いい子だ! お前らなんかよりも、ずっといい子なんだ!」
小さな俺の前にしゃがみこみながら、1人のおばさんが語りかけるように言う。哀れなものを見下す、そんな心をその目に携えて。
「りっくん、あなたかわいそうな子ね。人よりも魔物の言葉を信じるなんて」
「ちがう!」
小さな俺がサイを必死に守るように、その前で両手をばっと広げる。そんな俺を取り囲むように、親子が俺をジロジロと見つめてくる。俺は泣きそうになりながら、叫びつづける。
「ちがう! サイちゃんは、いい子だ! 悪いのは、お前らだ!」
ふと疾風のごとく男があらわれ、叫びつづける俺の頭をごつんとこづいた。
「すみません。悪いのは、お前らだ、なんて悪言をうちのガキがたたいてしまいまして。すみません」
親父は平謝りをしつづけ、親子は、よくしつけして下さいよ、などと身勝手な言葉を言い捨てながら、その場から消えていった。それを見届けてから、親父がゴツゴツした手で小さな俺の頭をなでながら、優しく語りかける。
「良くやった、陸人。だが、少しだけ言葉が悪いな。人のことを良い、悪い、など言えるほど、俺もお前も達しちゃいない。まぁ、そのことを除けば、陸人、お前のやったことを父さんは偉い、と認めてやろう」
「えへへー、お父さん、がんばったよ。サイちゃん、守ったよ」
「うん、りっくん、サイ、守ってくれた。えらいえらい」
サイも親父を真似て小さな俺の頭をよしよし、となでてくれる。そんな中で小さな俺が浮かべる幸せな笑顔は、俺が見てもうらやましいぐらいのものだった。それを見ながら、俺はまだ脳裏に何か失われた記憶があるのでは、と考えたが、思いつかない。俺がその日、夢に見たものは、それがすべてだった。
目が覚めると、サイの優しい瞳が俺の寝顔をのぞきこんでいた。
「ま、まさか、ずっと俺の寝顔を?」
「うん。だって、懐かしかったから」
たったそれだけの言葉なのに、ドキッとしてしまう。久しぶりの、そんな懐かしい気がする心地よい響きが、俺の鼓動として聞こえてくる。
「ありがとな」
俺は立ち上がると、小指をすっとサイに差し出した。
「久しぶりに、ゆびきりげんまんをしないか? 今までサイちゃんが俺を助けてくれたように、今度は俺がサイちゃんを助ける。約束だ」
「うん、いいよ。ゆーびきーりげーんまん」
別れを告げて、俺が外に出ると、もう辺りは次第に明るさを取り戻していた。警察に出くわす前にと急いで家に帰り、ひんやりと冷たくなったベッドにこの身をダイブさせる。
「ゆびきりげんまん、か」
窓から少しだけ差し込む朝日に照らしながら、俺の小指を見上げる。まだ俺はサイを守るだけの実力はない。それは今までのことから分かっている。けれど、この指で約束したことを果たすために、あきらめかけていた夢をもう一度追いかけてみようと心に決めた。親父、いや、コードネーム「海神」を越すエージェントとなる夢を。
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第2話「ボーイ」
サイと出会ってから何も進展が無いままに1週間近くが過ぎ、ひんやりとしたベッドは、秋の中頃にさしかかって急に冷たい氷のようになっていった。もともとあまり保温性が良くないこのマンションは、外気を容赦なく取り込み、そして代わりに部屋の中の熱を容赦なく奪っていく。俺はそんな環境が生み出した氷のマットで背中に少しの痛みを覚え、しかたなく夜の世界へとくりだした。外に出るなり、間近に聞えてくる小波の音。俺はその音に誘われるように、ゆっくりとした足取りで海のほうへと歩いていった。
「よう、お前も眠れないのか?」
「な、なんだよ、びっくりした。俺は夜行性なんだ。つまり昼寝て、夜起きんの。分かった?」
帽子を深くかぶった少年はそう俺に言うと、ふたたび寂しそうに夜の月を眺めはじめた。俺はおじんみたく、よっこらせ、とつぶやくと、少年の隣に腰をかけた。
「お前、驚かないんだな。俺が、夜行性、と言ったことにさ。もしかして、ジョークだと思ってるのか?」
冷たいコンクリートにそっと両手を置いてから、俺はあきらめたような口調で言った。
「ジョークだとは思ってないぜ。それに別に驚くこととも思ってない」
「なぜだ?」
「死神とか、ヴァンパイアーとか、まぁ色々とな」
少年は、ふーん、とつぶやくと、帽子をさらに深くかぶった。そして、ためらいがちに俺の手を握ると、生意気な口調で言ってきた。
「お前、見るからに頭弱そうだけどさ。だから、なんか信用できそうな顔してるよな。……それで、さ、ちょっと頼みがあるんだけど……」
頭弱そう、そのひと言に少しピクッときたので、俺はふざけた口調で返した。
「血を吸いたい、とか言うなら、ごめんこうむるぜ。それ以外なら聞いてやる」
「血? 俺はヴァンパイアーだけど、血を吸う奴ぐらいちゃんとこの眼で選んでるんだよ! 相手を見て物を言え!」
「それはお前も同じことだと思うが……」
「そう、だな……。ごめん」
少年はふたたび顔をうつむかせると、それっきりひと言も話さなくなった。しばらく2人で海を眺めていると、急にどこかからゴロゴロという雷のような音が鳴りだしてくる。
少年はその音にびくっとして、急に恥ずかしそうに自分のお腹を軽く手で押さえた。
「お前、お腹すいてんのか? 冷凍食品でもよければ、ついて来いよ」
「変なことしないだろうな? 明日の夜、気がついたら、いつの間にかアメリカでXなんとかっていう標本になってました、ってのはごめんだぜ」
「そんなことしないし、別に食いたくないんならいいんだぜ」
自分の部屋に戻っていく俺の後をしぶしぶといった感じでついてくる少年。俺は横目でそれを見てから、くすりと小さく笑った。それを見て、少年が怒ったように俺の脚のふとももに蹴りを一発入れてから言う。
「何笑ってんだよ?」
「さぁて、ね。ま、どっかに座っとけよ。すぐになんか食わせてやるからさ」
部屋の電気が明るすぎたらしく、少年が思わず、うっと言う声をあげて眩しそうに目を細めた。
「明るすぎる。もっと部屋の電気を暗くしてくれ。俺は夜行性なんだ」
要求にこたえ、部屋の電気を豆電ひとつにする。そんな中で冷凍庫や冷蔵庫を漁っているこの姿はどうも食い意地のはったような姿に見えそうで、少しだけ恥ずかしい気持ちになる。チーンという音がなり、皿におにぎりを3つ乗せる。俺は冷蔵庫からウーロン茶を取り出してコップに注ぎ、それをセットにして食卓へと持っていった。
「毒なんて入ってないから安心して食べな」
「よし、分かった。食ってやる」
気合をいれたのか、腕まくりをして食べはじめる少年。俺はその食いっぷりを見てから、しかたなく追加でおにぎりをレンジで温めていった。
「なぁ、飯のお礼なんて着せるつもりは無いが、名前だけでも教えてくれないか?」
「覚えてない。俺、自分がヴァンパイアーであることしか覚えてないんだ」
「自分がヴァンパイアーであることしか覚えてない?」
「悪かったな。俺はお前以上の……バカなんだ」
たべかけのおにぎりを皿に置き、そしてうなだれる少年の姿を見て、俺はそれが真実なのだと悟った。 理由は分からないが、なにかをきっかけとして記憶を失ってしまったのだろう。俺はこの少年の力になってやりたいと思い、少年に聞いてみた。
「俺になにかできることは無いか?」
「え?」
少年の瞳がはじめて俺の瞳と交わる。紅い、とても澄んだ色の純粋な瞳。俺はその瞳を信じて、自分のことをさらに告げることにした。
「俺はこんなナリだが、いちおう探偵、破壊工作、その他もろもろを仕事としているんだ。力になってやる」
「な、ならさ、まずはここに俺を寝泊りさせてよ。……なんていうのはダメ?」
俺が、いいぜ、と答えると、少年は心の底から嬉しそうな顔をした。そして、もう1度俺を見つめながら聞いてくる。
「もうひとつお願いがあるんだけど、さ。……風呂、入っていい? あ、服はこのままでいいからさ」
「おう、いいぜ。入ってきな」
そう言って、風呂に案内すると、少年は嬉しそうに部屋の中に入っていった。とても気になる、ひと言を残して。
「見るなよ」
「見ねぇよ、男同士なんだから」
少年が風呂場に入っていくのを背に、俺は食器を洗いはじめた。もともと母さんの顔は覚えてなく、父親も失ってから、俺の部屋は1人だった。日の差込が弱いために、幾度と無く棺桶のような気がしたこともあった。そんな中に突然春風のように舞い込んだ少年は、生意気だが、俺の弟みたいな気がしてきた。だから、俺の正体を告げようと思ったのかもしれない。風呂場から聞えてくる結構うまい歌を聴いていると、なんだか部屋自体が明るくなる。そんな気がした。
「あー、さっぱりしたぜ」
「風呂から上がっても、その帽子は被るんだな」
「まぁな。顔、あんま見せたくないし。……あ、勘違いするなよ。俺は兄さん、あんたを信用してるからな」
「分かってるさ」
兄さん、か……。心の中で声にならぬつぶやきをし、俺は押入れから敷布団を取り出した。これはもともと親父が使っていた奴で、親父が死んでからずっと長い間使い主を待っていた布団だ。それが今、こうして弟とも呼べる少年と出会い、こうして使われる。そこに俺はなぜか運命のようなものを感じていた。
「それじゃあ、俺は寝るからさ。マンガなんかは無いけど、テレビでもよかったら、そこにあるから勝手に見てくれ」
俺の言葉に、少年はブスッとした顔をしながら聞き返す。
「おい、寝るな。俺をひとりにして何が楽しい?」
「無理言うなよ。俺は朝からまた家出娘についての情報を集めなければならないんだからさ。それに俺は朝型なんだ」
「じゃ、じゃぁ、俺も寝るよ。お前の隣で、お前が寝るのと同時に寝る。そして、俺、朝型になる」
俺が、ぷっと吹き出し笑いをすると、少年はむきになったように俺の布団にもぐりこんできた。
「ところでさ、お前の仮の名前は、ボーイ。ダメかな?」
「な、なんだよ、藪から棒に。でも、ボーイ、か。まぁ、お前がつけたんだ。俺はそう名乗る」
「んじゃ、おやすみ」
「おう、おやすみ」
俺はボーイを背にして、目を閉じた。冷え切った氷のようなベッドとは違い、この布団には三人分のぬくもりがある。それがとても安らかで、俺は自分でも信じられないほどの速さで深い眠りへとついていった。……だが、そんな幸せ気分で寝ている俺に対して急に後ろから声をかけられる。
「な、なぁ、もう寝ちまったのか? トイレ、どこだ?」
「……トイレ? ああ、風呂場の側に小さな扉があったろ? あれだ」
「そ、そっか。なら、いいや。おやすみ」
おやすみ、とボーイに返してから、もう1度眠りに入ろうとする。だが、ふたたびボーイが俺に話しかけてきた。それも声色が少し変わったような気がする声で。
「もう寝ちゃった?」
その変化に気になり、後ろを向くと、サーッと窓辺から差し込む月の光がサイと同じくらいの犬歯が少し伸びた少女の姿を照らし出していた。その幻想的な姿に俺は思わず見とれてしまう。それはまるで童話の人魚姫で、人魚姫が月の光に照らされているような、そんな美しい光景だった。
「お、お前、女の子だったの?」
情けないことに、俺の第一声はそれだった。ボーイは、いけない、と慌てたように言うと、すぐに帽子を深くかぶり、そして布団の中に顔を隠した。それとともにポンッという音がして、ボーイの姿が元に戻った。俺は心臓バクバクなのをなんとか堪えながら、布団から抜け出す。急いで書類ケースから写真を取り出し、ボーイの顔をたしかめようとする。だが、ボーイはそれを拒むように言った。
「違う、俺は家出なんてしていない! 俺はボーイだ!」
月の光に照らされた人魚姫のサファイア色の悲しげな眼差しが急に俺の脳裏によみがえる。俺は仕方なく小さくため息をつくと、書類ケースの中に写真を収めた。そして、泣きわめくボーイをなだめるように言った。
「そう、今の君は、俺の知っている君はボーイだ。きっと俺が寝ぼけちまったんだ。さ、早く寝ようぜ」
俺がボーイに背を向けながら寝直すと、ボーイは布団に顔を隠したままつぶやくように言った。
「お前、記憶の片隅に残っているアイツみたい……。そう、アイツも……優しかった……」
記憶、その言葉がなにか引っかかったが、俺はふたたび目を閉じた。頭の中であの光景が蘇り、ふたたび胸の鼓動が高まってくる。俺はそれを押さえて、なんとか眠りの世界へと入っていった。その時、まだ俺は気がついていなかった。死神のおじさんから、ボーイの本名を教わっていなかったことを。そして、まさか生まれてはじめて俺の身に降りかかるものを。
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2005/12/29(Thu)16:59:50 公開 / 凰庭人
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■作者からのメッセージ
親父の背中、それを乗り越えるのは難しい。などという、なんか渋くて格好いいテーマ(自分だけがそう思っているのかも……)をもとに、ストーリーを展開させていこうと思っています。(第2話である程度構成を決めたので、速めの展開としてあえて新キャラのボーイを登場させました。ここから当分の間、アクションを緊張として、ラブコメを弛緩として描いていきたいと思います。第3話からは、やっとサイクロプスとの駆け引きも書いていきますので、よろしくお願いします)