- 『流屋本売り怪奇譚』 作者:ぱん / 時代・歴史 ファンタジー
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全角5204文字
容量10408 bytes
原稿用紙約15.6枚
1.本売りと少女
奇妙な風貌の男が一人、箱を背負い街道を歩く。全体的に長い髪。前髪はすでに目を隠していた。後ろ髪は紐で結んであり、ほどけば恐らく肩に掛かる。顎には無精ひげがあり、右腕のみ関節部分から下がすっぱり切れた着物、その右腕には通常より少し長い甲手のような手袋。よれた袴を履き、背負った箱には「流屋」の文字が浮かんでいた。
「流屋」とは、いわゆる屋号である。この男、名を流(ながれ)と言い、町を転々としながら箱の中の本を売る商売をしている。
道で人とすれ違うたび挨拶をしていたが、だんだんとその気力もなくなってきた。この数日間、まともな場所で寝ていないせいだ。いや、まともな場所はあるのだ。自分は街道を通ってきているのだから、確かに道々に宿はある。
しかし、いかんせんそこに泊まるための金がない。そこそこ大きな町でなければ本を買う者などいない。村など論外だが、運が良ければ一晩泊めてくれるような家があるので、見かければ寄っていく。それも無理ならば近くに寺か何かあるか聞き、そこで一晩を過ごす。
だが、この数日間その寺すら無い。一昨日など岩陰で一晩過ごそうと思っていた矢先に野盗に襲われた。命からがら逃げ出したものの、その晩は一睡もできず仕方なく先を急ぐことにした。
宿から出てくる旅人を恨めしそうに見ながら通り過ぎる。背負った箱がまるで子泣き爺のようにどんどんと重くのし掛かる。
つかれた……。
声に出す気力もなく、ただ歩き続ける。しかしふと、すれ違う人の数が増えてきたのに気付いた。それはもうすぐ町がある、という事を告げていた。それに元気づけられ、最後の力を振り絞る。心なしか背中の子泣き爺も消えた気がする。
町と街道を繋ぐ橋が見えてきた。この町は人が多いのか、橋の上には人がたくさんいる。
いや、正確にはたかっていた。
人は皆、橋の下を覗き口々にわぁだのきゃぁだの騒いでいる。自分も覗き込もうにも割り込めないほど多い。一体何があるのかさっぱり分からないので、近くにいた野次馬の男の袖を引っぱり話しかける。
「あのう、何かあったんですか?」
「おおう、またやられたんでさあ」
「また……と言いますと?」
なにが「また」やられたのかさっぱり分からない。
男は流の格好をまじまじと眺めてから納得する。
「ああ、あんた旅の商人かい。いやね、最近人斬りが多いんでさあ。この前は男が殺されてね。物盗りや乱暴された跡はないんで、ただ殺すだけを楽しみにした奴の仕業じゃねえかって、もっぱらの噂よ。あー、ほれ、ここなら見えるわい」
男は人垣を分けながら橋の手すりまで近づき、川の横の土手を指した。そこには敷き藁が何かの上に被さっていた。藁の下からアザだらけの小さな腕が出ている。
「これで五人目だ。小さな女の子でさあ。顔は見たが、知らない子だったなあ。だが見てみい、あの細い腕を。可哀想に、刀傷はあったがきっと殴り殺されたんでさあ。」
下衆が、と男は苦虫を噛み潰したような表情で呟く。しかし、流は一つ疑問に思う事があった。自分の町の女の子を見たことがない、というのも気になったがここはそれだけ大きいのだろうと思う事にした。それよりもまず気になったのがアザだ。
「さっきは今まで乱暴された跡はないって言ってましたけど、あの子だけ何でアザだらけなんですか?」
おうそれもそうだ、と目を少し大きく開いて男は流を見た。その時、橋の反対側の下から叫ぶ声が聞こえた。
もう一人、背中に折れた刀の刃が刺さった女が見つかった、と。
六人だ……。そう言い残して男は立ち去った。とんでもない時に来たものだ。頭を掻きながら自分もその場を後にした。
町の広い通りに、本と一緒に箱に入れてあった大きな風呂敷を広げ、その上に本を並べ座る。用意は出来た。あとは呼び込みをかけるだけである。
広げて数時間、しかし売れない。これだけ大きな町ならば、今まではまず間違いなく少なくとも一冊は売れていた。おかしい。人通りは決して少なくない。むしろ多い。なのに売れない。困った。
あと一時間もしないうちに日が傾き始めるだろう。せめて宿代だけでも稼ごうと考えていたのに、これではまた野宿だ。しかも人斬りがうろうろしている中で。
それは困る。
どうしたものかと考えあぐねいていた時、一人の男が並べてあった本を一冊手に取る。「これ、くださいな」
その言葉にはっと顔を上げ、しばらく呆然。人が近づいて来ていたのには気付いていたが、まさか買うと思っていなかった。疲れきっていたので頭の回転が遅い。言葉の意味を理解するのに三十秒ほどかかった。男がもう一度言おうとして口を開いた瞬間、突然立ち上がった流に腕を掴まれた。
「あ……有り難う御座います! このまま売れなかったら僕は、僕ぁどうなってた事か…」
よく見れば隠れた目がうっすらと潤んでいた。まだ腕を掴まれたままの男は引きつった笑顔で、それは難儀なことで、と金を渡しながら答えた。あぁ、すみません、と腕を放し金を受け取る。そこでようやく男をちゃんと見た。
若い男だった。優しそうな物腰の好青年。自分と違い、着物をきちんと着ており腰には真新しい刀を差している。
「随分真新しい刀ですねえ」
なぜか気になった。優しそうな顔に刀が似合わなかったからなのかもしれないが、自分でも分からなかった。受け取った金を仕舞いながら聞くと、男は少し照れながら答えた。
「剣の練習をしてる時に、折れちゃって。さっき買って来たんです」
「それはまた……練習熱心ですねえ」
そうとしか言えなかった。そんなに簡単に刀が折れるものだろうか。いや、実際に折れたと言っているのだから折れるのだろう。男はただ曖昧に笑っているだけだったが。
「それでは、商売頑張って下さい」
そう言うと男は手を挙げ、立ち去った。頑張れと言われたが、恐らくこれ以上ここにいても売れないだろう。そう判断し、今日はもう店仕舞いにして宿を探すことにした。安宿ならなんとか泊まれるだろう。並べた本を箱に仕舞いながら、久しぶりに入る布団を夢見ていた。
かたん。
本も風呂敷も全て入れ、蓋をする。いざ宿探しに行こうと顔を上げる。
目の前に少女がいた。
しゃがんでいた流と少女の目線がばっちり合う。
「…………」
しばしの沈黙。またも不意打ちで頭が上手く回転しない。
まったく気付かなかった。
さっきの本を買った男は、近づいてきたのは気付いていたがただ言葉の意味を理解するのに時間がかかっただけだ。しかし今度は、この子が目の前に来た事すら気付かなかった。
そんなに疲れていたのかと頭を抱えたくなったが、目の前の少女を放っておくわけにもいかない。とりあえず、お客、なのだろうかと考えにこやかに話しかけてみた。
「あのお、何か、本をお探しですか?」
そんなわけがない。見れば十歳にも満たないような少女だ。前髪を真ん中で分け、肩につくかつかないかの所で切られた黒髪。赤い着物は裾が長く、地面についており足が見えない。
少女はただ流を見つめ、彼の片腹あたりを指差す。そこには確かに本が入っている。着物の懐の中に。
なぜ気付いたのか。本とはいえ、これは売っているものより遙かに薄い。着物の上からでも目立たないはず。いや、そんな事よりもまず言わなければならないことがある。
「すみません、これ、売り物じゃないんですよ」
流の私物だ。昔、友人から貰ったお守り代わりの本。流石にこれは売るわけにはいかない。
それでも動く気配のない少女を見て、どうしたものかと考えていると、こちらに真っ直ぐ向かってくる男共に気付いた。
若い。肩まで伸びた髪の者と、剃り上げた頭の者、上の方で結い上げた者、人数は三人。全員帯刀している。着流し姿がいかにもな雰囲気だ。
まずい。本能的にこのままでは確実に絡まれると思った。立ち上がる前に、まだいる少女に一言、お逃げなさい、と囁き立ち上がる。
遅かった。すでに目の前でこちらを構えている。右手に持った箱の縄を握り締め、意を決する。
「何か御用で。今日はもう店仕舞いなんですが」
なるべく穏便にいきたかったが、自分でそれをぶち壊した気がする。男共は流を囲む形で半円になって並び、にやにやとしながら見てくる。主格と思しき長髪の男がずいと前に出た。
「よぉ兄ちゃん、死にたくなかったら金出しなぁ!」
とんだ脅し文句だ。
「生憎しがない本屋なんでね、金はないですよ」
やっと手に入れた宿代だ、死んでも渡せない。今日も野宿になったら、自分はのたれ死ぬ自信がある。どのみちこのままでは殺されるが。
その言葉を聞いたその男は、待ってましたと言わんばかりの表情で刀を抜き、叫ぶ。
「ねぇなら用はねえ! 死になあ!」
瞬間、大きく刀を振り上げる。遠巻きにこちらを見ていた野次馬共が悲鳴を上げた。男の腹部に隙が出来たのを流は見逃さなかった。
腰を落とし姿勢を低くする。左手で箱を、右手でその肩掛け縄を持ち、刀が振り下ろされる前に大きく踏み込み相手の腹めがけて思いきり、箱で体当たり。突き飛ばす。
うっ、と呻き声を上げてバランスを崩した男は仰向けに倒れる。角を前に出したからみぞおちにでも入ったのだろう、と全速力で逃げながら考える。狙ったわけだが。この方法で一昨日の野盗からも逃げ延びた。後ろの方で、待てだの殺すだの叫び声が聞こえるがかまっていられない。
ちらりと後ろを見ると、残り二人が追ってきていた。
「うわあ、やっぱり追ってきたあ!」
まずい。流石にあと二人も相手には出来ない。全速力で走ってはいるが、人混みの中を走れば当然遅くなる。
もう一度後ろを見ると、男達はすぐそこまで来ていた。と、突然、髪を結い上げた男が止まった。走る格好のままで。それにぶつかる剃り上げた男。二人はバランスを崩し倒れた。何だかよく分からないが今が好機だ、と走り出す。ふと、視界の端に小さな赤い着物が見えた気がしたが、今は立ち止まっているわけにはいかない。とにかく町から出ようと走った。
町からほんの少し離れた街道。道の両端は森で囲まれている。あの男達の姿はない。前を見ても後ろを見ても、道が続くのみ。宿はない。しばらくすれば日が傾き始める。町には戻れない。つまり、また野宿だ。
助けて下さい仏様。僕は何か悪いことをしましたか。
泣きそうなのが自分でも分かる。へたり込もうとした瞬間、目の前に少女がいるのを見て思わず、ひっ、と小さな叫び声を上げその拍子に手にした箱を落とした。
心臓が止まるかと思った。この子は、確かにさっき町にいた少女だ。いつの間に、どうやってここへ。さっきまで誰もいなかったはずだ。この子は、この子は……この子は誰だ。
「お、お嬢さん、足、が、速いんですねえ」
やっとの事で絞り出した声は震えていた。我ながら情けない。
普通の女の子、普通の女の子と繰り返し、深呼吸しもう一度話しかける。
「あ、あの、お嬢さん、お名前は?」
深呼吸した意味はあまりなかったようだ。
じっとこちらを見上げていた大きな瞳が、伏せられる。まずい事を、言ったか。まさかとは思うが、もしや。
「もしかして、名前、無いんですか……?」
少女は答えない。代わりに、より一層目を伏せ、俯く。
どうしたものか。本日三回目の嘆き。
ふと、見上げた木に少女の着ている着物のように赤い、美しい椿が咲いているのが見えた。
椿、ツバキ、つばき……
「椿姫(つばきひめ)、なんて名前、どうでしょう?」
言ってから後悔した。いくら名前がないからといって、親でもない自分が勝手に名付けるなど。
少女はゆっくりと顔を上げ、流を見つめる。そして、微笑んだ。微笑むと言うにはあまりにも微かだったが、しかしその笑顔は美しかった。
恐らくこの名を気に入ってくれたのだろう。初めてみせる少女の笑顔に、つられてこちらも頬が緩みさっきまで警戒していた心が解けていく。やはり普通の少女だったのだと、納得した。
遠くの方でカラスの鳴き声が聞こえた。途端、大切なことを思い出し笑顔が固まる。
……宿。
「あああぁ町に戻れないい! あの人達に見つかったら殺されるう! 宿があ……!」
がばり、としゃがみ頭を抱えて嘆き叫ぶ。じき日が暮れる。金はある。だが宿がない。人生金だけでは生きていけないという事を思い知った。
少女……椿姫は流の前にしゃがみ、顔を覗き込む。それに気付き顔を上げると、椿姫は立ち上がり街道の脇をまっすぐ指差した。流は袖から少し出た椿姫の指の先に目をやり、その指す方をゆっくり見た。遠くの方に木々の間からかろうじて家のような建物が見えた。その建物にすべるように歩いていく椿姫を見て流は慌てて追った。
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2005/12/21(Wed)02:13:06 公開 / ぱん
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■作者からのメッセージ
初めまして、ぱんと申します。
日本のようで日本でない世界です。分類に困りました。
本当は続き物にするつもりは無かったのですが、あまり長いと読む気が失せると
思ったので。利用規約はちゃんと読んだつもりではいますが理解してない部分があるかも
しれません。『ここおかしくない?』とか『誤字脱字発見!』等ありましたらバシバシ指摘
していただきたいです。小説を書くこと自体初めてなので……。
その他感想、アドバイス、批判等ありましたらとても嬉しいです。