- 『ビバ★グルメ!!』 作者:ゅぇ / リアル・現代 ショート*2
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全角9681文字
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原稿用紙約29.1枚
美味しいものは好きですか。
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【きつねうどん】
少し遠くに住んでいる友達と遊ぶときは、いつも阪神の梅田で待ち合わせをする。たまにあたしが余裕をもって家を出たときだけ、鶴橋まで行くこともある。だいたい待ち合わせをするのが十一時半くらいだから、あたしたちは会ってたいがいすぐに昼ごはんを食べるのだ。
ともかく何といっても、あたしたちはお金がない。いやむしろ彼のほうがリッチな暮らしをしているような気さえするけれど、とりあえずお金がない。少なくともお金持ちではない。だから昼ごはんも安上がりのもので済ませる。あたしは、安くて美味しいものが大好きである。この世で愛すべきものは、安くて美味しくて運ばれてくるのが速いもの。
阪神の梅田駅前――改札のすぐ傍らにフードコートがあって、あたしたちはそこでいつもうどんを食べるのである。
うどん。饂飩。ウドン。
やっぱり『うどん』っていう平仮名表記がぴったりなのではないだろうか。あたしも彼もきつねうどんを注文する。注文して一分経たないうちにきつねうどんが二つ運ばれてくる。何せうどんが運ばれてくるのがやたら早い。でもそれがいい。そこがいい。
きらきら輝く半透明のおつゆ。真っ白というわけではない、あえて言うなれば暖かいクリーム色のうどんがおつゆの中で静かに眠っている。顔に感じる湯気、鼻腔をくすぐるこの香り。
あたしはうどんを食べるために生まれてきたんだ、とこの瞬間には大げさにもそう思ったりする。そうして最初にひとくちだけおつゆをすするのだ。
(しあわせ…………)
心の底からそう思う。あつあつのおつゆがゆっくりと喉をおりていく、この独特の感じ。じーん、と胃の中があったかくなるのである。あれがたまらなくいい。
「あー、うま」
「あー、うま」
ふたり声を揃えて、うどんをすする。時々おはしから滑り落ちたうどんが、小さな音をたてておつゆを跳ねっかえしてくるのも、熱いけれど厭ではない。
鼻水が出てきそうになるけれど、いちいち自分を飾り立てて綺麗に見せなくてはいけないような相手ではない。むしろ女同士のような感じで接することのできる友達なので、遠慮なく紙で鼻をちーん、とする。
「鼻水が出るー」
「そういうことをわざわざ口に出して言うな!」
思わず口に出るのだから仕方がない。鼻水が出てしまうのだって、事実である。あたしはこの友達が嫌いである――嫌いである、といっても本当の『嫌い』ではもちろんない。嫌いな人間は、あたしの中で友達の枠に入らない。
彼の何が嫌いかといって、あれである。どう思い返しても目立ったツッコミどころがないから嫌いなのである。ツッコミどころを探してしまうのは、別に関西人の性ではない。なんだか常に細かなところまで突っ込まれている気がするから、思わず仕返しをしようと彼のあらを探してしまうのだ。けれどない。
「俺は完璧や」
「さすが俺やな」
とか何とかいう口を見ると、つねりたくなる。つねると倍にして復讐されるのでやらない。たまに頭をはたきたくなるけれど、頭を叩くのはあたしの信念に反するのでやらない。本当に厭な奴である。でも、何だかんだいって本当は優しかったりするのも本当である。こうしてフォローしておかないと、万が一あたしがこんなことを書いているのがバレたとき、無理やりホラー映画とか連れて行かれそうだから。だから、フォローしておくのだ。
【わたあめ】
白いふわふわ。光に透かすと眼に眩い、きらきらと輝く透明の極小の雫。お祭りの縁日で食べて以来、ずーっと久しく食べていない。
「はい、ナオのために買ってきたげた」
塾に入って右に進むと、左手にコピー機。右手に塾長の机とパソコンとトイレ。そこをまだまっすぐ進んで、突き当たりを右にいくと本棚があって、またまたその向こうに講師室がある。縦に長細いロッカー、そこが講師の衣類やバッグを入れるところだ。
白い皮のコートをハンガーにかけて、プラダのバッグ(貰い物)を無造作に奥に突っ込む。たまにイマドキの後輩に羨ましいといわれる。
プラダのバッグにバーバリーの香水。それからヴィトンのキーケースと財布。プラダのバッグは太古の彼氏に貰った。バーバリーの香水はサークルの先輩に貰った。ヴィトンのキーケースと財布は祖母に貰った。
羨ましいという後輩の気持ちがあたしにはさっぱり分からない。だいたい祖母に貰ったヴィトンなんて、絶対パチモンに決まっている。ヴィトンの財布はもう母親にあげたので、猫が仁王立ちしてるイラストの茶色い財布を使っている。バッグだってもう少し可愛らしいのが良かったし、香水はベビードールを使う主義の人間だから、バーバリーとか必要ない。高いお金を出してブランド物をくれるぐらいなら、安くていいからあたしも一緒に選ばせろよって思う。それか下品なことを言うとすれば、ブランド物を買ってくれるぐらいなら現金をくれ、と。もちろん冗談めいた口調でしかねだれないけれど。
けれど、あたしが欲しいのはそんな高価なものじゃない。
朝マック。
うどん。
スーパーの駄菓子コーナーで売ってるシャボン玉。
書きやすい黒インクのペン。
ダイヤ柄のストッキング。
コンビニのトンポーローまん。
このうちのどれか一つだけで、あたしは充分満足なのに。ブランド物よりはるかに役に立ってくれる。
「ホントきみは男にさりげなく貢がせるよな」
親友のハナはにたりと笑って、あたしのわき腹をこちょこちょとくすぐる。いやぁんだめよ敏感なのあたし、と叫んだら向こうに座っていた生徒から何エロいこと言ってんねん、と怒られた。まだまだケツの青いチェリーである。そんなことを言ってるのは自分がエロいことを考えている証拠に違いない。本物を知らないぶん、妄想だけはたっぷり愉しんでいるのだろう。
「わたあめとー、シャボン玉」
あたしがハナを大好きな理由は、これである。あたしの欲しいものをちゃんと理解していて、欲しいものをちゃんと買ってきてくれるのだ。別に貢がせているわけではない。
そこにいた生徒と奪い合うようにして、あたしはわたあめの袋をぱりっと破る。
人差し指と親指で白いきらきらのかたまりをちょっとだけちぎった。指が少しベタつくのが分かったけれど、美味しいものを食べるときにはほんのわずかなリスクは覚悟しなくてはならない。いい思いだけして美味しいものを食べようなどというのは、食べ物に対して無礼である。小学六年生の女の子と、高校三年生の男の子を押しのけて、二十一歳の女講師がわたあめを真っ先に口の中に放り込む。
(溶けてく〜……)
快感だ。
白い滑らかなかたまりが、舌の上でするすると溶けてゆく感触。溶けるにつれて、しつこすぎない甘みがふわりと口の中に飛散する。高貴な甘みのシャボンが、音もなく消えていく感じだった。
隣で高三のタイスケが、同じようにわたあめを貪っている。こいつのは「貪っている」としかいえない。袋からわたあめを引きずりだして、よく味わいもせずに口に突っ込んでいるのである。こいつ、あたしが大学の試験官なら絶対落としてやるのに。いや、けれどどんなにわたあめを奪われて悔しくても、あたしは善良であるから生徒を刺したりはしない。
「子供やな!」
小学六年のユウコに、あたしとタイスケは一喝された。そう言いながら、屋台で買ってきたたこやきを食べているユウコはおっさんである。あたしがこの塾に入ったときには、この子はまだ小学三年だった。いつの間にか、こんなに大きくなっていた。ユウコを見ていると、なんだか時の流れを実感する。高三のタイスケもそうである。私が塾へ入ったときは、中三だった。
みんな成長した――いつのまにこんなに大人になったんだろう。
「オバサンやなもう!!」
ユウコが言った。この子の失礼な物言いには慣れている。三年前はもっとひどかった。さっき子供やな、と言ったくせに今はオバサンやな、という矛盾にももう慣れた。
「窓から吊るしたろか。落としたろか」
ユウコは動じない。かわりに本棚のところにいた男子中学生三人組が、あたしの暴言にどよめいた。
わたあめを食べつくして、あたしたちはシャボン玉の封をあける。鮮やかなピンク色と青色の容器が、四つ入っていた。ふうっ、と優しくストローで息をいれると、虹色に輝いたシャボン玉が一瞬だけ大きくふくらんで、けれど突然ぱちんとつぶれた。
「おまえへたくそやねん、こうやるんじゃ!!」
高三のくせにまだまだ無邪気なタイスケが、シャボン玉の容器を奪い取る。なんだか少しだけ切なかった。へたくそやねん、とけなされたことが切なかったのではない。そんなことで切なさを感じていたら、あたしはとっくに切なさに押し潰されて死んでいる。そうではなくて、何だか一瞬にして消えてしまったシャボン玉が――何となく、少しだけ……切なく思えたのだった。
あたしたちはもうすぐお別れだ。あのシャボン玉のように消えてなくなったりはしないけれど、あたしたちはもうすぐお別れだ。
ユウコはこれからどんな中学生活を送るのだろう。
タイスケはどんな大学生活を送るのだろう。
タカは獣医になりたいと言っていたけど、ちゃんと志望校に行けるかな。
アヤは指定校推薦で外大に受かったから良かった。
ナツもそうだ。自分が本来希望してた学部に行けた。
タカアキは絶対落ちると思ってたのに、あいつが指定校推薦とれたのは奇跡に違いない。英語も全然できないし、漢文の「漢」の字も間違うくせに、言語学部を選択した。アホかと思ったけれど一応打たれ弱い子だから黙っておく。
カンちゃんはバスケのほうへ進むんだろうか。イケメンだから、行き場なくなったら芸能界にでも行ってしまえばいいんだ。
ショウ君は専門受かったから大丈夫だろう。きっとマイペースに自分の道を歩いてく。
ヒカルは第一志望に受かった。あたしの就職先とも近い。また会える。
モトキ――何でこの子が塾にいるんだろう。去年大学に受かったはずだ。そう不審に思ってクリップボードを見てみる(十年後の自分を書け、と作文テーマを出されて、『十年後、僕はパイロットになる。そしてその一ヵ月後、墜落して死ぬ』という作文を書いた奴だ)。大学の講義内容が分からなくて、塾に来たらしい。ああ、正真正銘のアホだ……と思ってあたしは笑った。
それは少しばかり呆れた表情だったかもしれないけれど、あたしは懐かしさに浸っていた。
あたしたちはもうすぐお別れだ。みんなにとって、きっとあたしは長い人生の中でたまたま出会った塾の先生。とても些細で、きっと楽しい新生活の中ですぐに忘れていくだろう。
あたしたちはもうすぐお別れだ。でもあたしにとっては、ひとりひとりの名前と顔と素敵なところ、全部言える。小学生なんてちょろちょろしてて声でかくて大嫌いだし、中学生なんてうるさくてアホで鬱陶しい。でもひとりひとりの名前と顔と特徴と、素敵なところを全部いえる。もしかしたらあたしは子供が好きなのかも、という恐るべき可能性も最近時々脳裏をかすめる。
とてもいい四年間だった。
すぐ消えていくけれど、その甘みだけは忘れない。
わたあめと一緒。
【お粥】
――入院。入院っていうのは、あたしの人生でたいして珍しいものではない。逆子で生まれたあたしは、まず喘息で入院。百日咳で入院(そのシーズン、西宮一帯で百日咳にはじめて罹った子供だったあたしは、その後百日咳を小児科中に流行らせた)。気管支炎で入院。肺炎で入院。でもこれらは全部今となってはいい思い出で、「あたし病弱なのよ美人薄命なのよだからしんどいことはできないのもっといたわってちょうだいよねあぁん?」みたいな冗談を言うためのネタでもあった。本気ではない。冗談である。
それが最近冗談ではなくなってきた。美人薄命は冗談のままである。美人でもブスでも薄命な人間は薄命である。
あたしは入院した。夜中に高熱を出して運ばれたあげく、インフルエンザだと診断された。入院したのはインフルエンザのためではないのに、インフルエンザで死線を彷徨ったわけである。病気に対する免疫が弱まってきているらしい。ついでに歯茎も弱っているようだ。口をゆすいだだけで歯茎から出血して、吐き出すのは赤い水である。ホラーだ、と恐れおののいてみても自分の口から溢れてくる血なのだから、そうむげに罵るわけにもいかない。そのうえ薬の副作用もあってか、眩暈と吐き気がとまらない。だから食事を制限される。
拷問という以外、何というべきだろう。このあたしに、食事を制限される日が来ようとは。
「はーい、夜ごはんの時間ですよ〜」
六人部屋の病室。あたしは窓際に寝ているけれど、鼻だけはぴんぴんしている。ああ、今日の夜ご飯は――鯖の煮付けと筑前煮と大根の味噌汁とごはんだ。何とかして鼻だけでもごはんを味わおう、と必死こいて起き上がる。
きっとこれは罰に違いない。前に入院したとき、病院食の悪口を言ったからこんな目に遭っているんだ。そう思った。これが二十一歳――あと数ヶ月で二十二歳になる女子大生の思考回路である。
決してアホなのではなく、他の人よりも少しだけ、テンポが遅いだけなのだ。他の人よりも少しだけのんびりしているだけなのだ。
「……………………」
あたしのところにだけはお粥がくる。梅干すらも乗っていない白いお粥である。あからさまに悲しげな顔をするのは、さすがに二十一歳のつつましき成人女性として恥ずかしいので、一応平然とした顔で嬉しそうにありがとうございまーす、とお礼を述べた。心の中は、暗澹たる雲におおわれている。
(お粥飽きたし……)
あたしのいる病室を出て右に行くとナースステーションがある。左に行くと非常階段がある。だから、夜中に抜け出そうと思えばナースステーションの前を通らずに抜け出すことができるのだ。幾度か挑戦した。隣に24H営業のダイエーとコンビニがある。
コンビニの肉まんやチャーシューまんが唐突に食べたくなったり、綺麗にトッピングされたクレープが食べたくなったりして、幾度か挑戦したけれど、夜中の病院が怖くて泣く泣く病室へ帰るしかなかった。あたしは極度の怖がりである。
友人と夜中に日本人形の話をされるだけでちびりそうになるし、もうそうなるとあとは眠れない。泣き喚きながら誰かに助けを求めるか、電気をつけて徹夜するかのふたつにひとつである。
(お粥かぁ……)
夜中友達に美味しいお粥を持ってきて、と冗談でメールしてみた。
『たんぼ行ったらたくさんあるぞ!!』
(……米かよ!)
「料理せなあかんやん」
『いや生でそのままバリバリと』
「喉に引っかかる」
『口の中で溶かして頑張れ』
人を人とも思わない返答である。人をバッタとでも思っているような返答である。
夜中友達にお粥まずいよ、と冗談でメールしてみた。
『フカヒレ入り中華粥とかでてきたらうひょー(ハートマーク)やのにね(笑)』
素敵な返事だった。心の底から激しく同意したものである。フカヒレ入り中華粥。そうだ、と思いつく。翌日の朝、ナースステーションの前にある公衆電話で母親に電話をし、小声で、フカヒレ入りの中華スープを濃くして熱いまま持ってこいと命じる。バッカじゃないの、と笑われて切られた。
その次の日もそのまた次の日も白いお粥が出された。嗚呼、とあたしは天を仰いだけれど、誰も微笑みどころか美味しいものも寄越してはくれない。テレビでやっていた料理番組を腹立ち紛れに消して、あたしは個々のベッドを仕切るカーテンを閉める。横の人や前の人が美味しそうな(美味しそうに見える)食事をしているのを目の当たりにするのは、なかば本気で涙が滲みそうなほどに切ないものなのだった。カーテンを閉めると、ここはあたしだけの空間になる。お粥だけが目に飛び込んでくる。
くつくつと湯気をくゆらせる白いお粥。柔らかくくすんだお粥の水分が、ふっくら膨らんだ米粒を包み込んでいる。スプーンの先が、まるで砂漠の砂に吸い込まれていくような感じでお粥の中にはいってゆく。
(ん、いい感じ)
白い汁だけをすくって、先に口に運ぶ。確かにはっきりとした味はしないけれど――ほんのりとした甘みが少しだけ舌先を刺激した。口の中がほのかに温かくぬくみ、それからあたしはお米をすくって少しずつ食べていく。
ゆっくりと噛む。噛むほど食べ応えのあるものではないけれど、よく噛む。ひと粒ひと粒を舌先で選り分けて、丁寧に噛んで味わっていくのである。
ああお粥って美味しいかも、とようやく思いはじめた。どんなにまずいと思うものでも、その中に潜む美味しさを探してあげるのが大切なのよ。そんなことをひとりで思って、うんうんと頷いてみる。
『どんなに厭だと思う人でも、その中に潜む素敵なところを探すのが大切なのよ』
綺麗ごと? 綺麗ごとかもしれない。けれど綺麗なほうがいいときだってある。綺麗ごとから始まることだってある。そう思う。
【をぐら山春秋】
黒豆のまるいおかき。
五ミリ四方くらいの海苔が散りばめられたまるいおかき。
胡麻が練りこまれた、葉っぱの形のおかき。
海苔が練りこまれた、紅葉の形のおかき。
海老味のほんのり紅い、いびつな形のおかき。
何もついていない、シンプルなまるいおかき。
砂糖が散りばめられた、正方形のおかき。
海苔が巻かれた、正方形のおかき。
全部で八枚。どれもこれも、とても小さなおかきである。それが八枚ひとつの小袋に入っている。風流な袋に入った透明のトレーには、百人一首の和歌が白抜きの文字で描かれているのだった。
看護婦さんの目を避けるようにカーテンを閉めて、おかきをかじる。黒豆の風味がほわほわと口の中に広がる、この懐かしみのある味が好きだ。ベッドの脇にある緑色の丸椅子には、ハナが座って甲斐甲斐しくあたしの世話をやいてくれている。コップを丁寧に洗い、持参の魔法瓶からあたたかい玄米茶を注いでくれた。まるであたしの恋人か母親のようである。
最近なぜかみんなが優しい――いや、なぜかと問われれば入院患者なのだから当然なのかもしれないけれど、それでも優しさが身に沁みる。
「最近どうなのさ」
あたしとハナの間における“最近どうなのさ”は、たいがい恋愛についての“どうなのさ”である。
「何も。なぁーんもないわ」
ハナが自嘲気味に言った。二股をかけていた元彼のことが、いまだ忘れられないらしい。どんなにか腹立たしいことだろう――けれどあたしは知っている。どんなに腹立たしくて、バカにすんなと怒鳴りたくても、けっして嫌いにはなれないこと。
勝手な男、とののしりたくても今までの思い出が邪魔をしてののしれないこと。
ハナはきっと闘ってるんだろう、とあたしは思った。この親友には、幸せになって欲しい。心の底からそう思う。
「新しい出会いとかさー、ないの?」
「ないって、そんなん!」
ハナは笑ってそう言った。そう言って、おかきと一緒に持ってきた袋から鯛焼きを一匹取り出して、食べ始める。ハナは最高の友達だけれど、鯛焼きを尻尾から食べるところだけはいただけない。あんな美味しいところを先に食べてしまうなんて、あたしから見たら驚愕の行動である。
「だってうちマチダさんのこと、まだ好きやもん」
紅葉の形の海苔おかきを思わず力いっぱい噛んだ瞬間、血の味がした。あ、また血が出た、と心の中でうんざり思いながら、あたしはハナを見る。
「……そんな好きなん!」
「しゃあないやん〜」
言いながらハナは、鯛焼きの頭を口の中に放り込んでお茶をがぶがぶと飲んだ。
この子はあれだ。銘菓『ひよこ』もお尻から食べていくタイプだ。あたしはあれ、全部皮を剥いでから皮だけ食べて、それから中身だけ食べる。何でそんな残酷な食べ方すると?ってよく従兄に訊ねられた。
――しゃあない。
そうだ。仕方ないんだよ、とあたしはわけもなく思った。仕方ないって一言は便利だ。それだけで心が少しだけ片付く。整理できる。言い訳にもなる言葉だけれど、救いにもなる言葉だと思った。
「まだ好きなんや……」
「ん。何であんな男のことが好きなんやろ」
まったくだ。ハナはいったい何でまだあんな男のことが好きなんだろう。でも知っている。
そんなことを思いつつ、やっぱり愛しいと思ってしまうこと。恋しいと思ってしまうこと。何であんな男、と思うけれど、やっぱり『あんな男』にも素敵なところがいっぱいあるのだ。なにか惹かれるものがあるのだ。
仕方ない。好きなものは仕方ない――そんな簡単にはどうしようもない。そんな簡単にどうにかできる気持ちなら、とっくに整理をつけている。ハナは闘っている。少し前は本当に落ち込んでいて大変だったけれど、でも今は少し明るくなった。
少しずつあたしたちはいろいろなものに整理をつけていくのだ。好きなものは好きなままでいるし、できることなら嫌いなものも少しずつ受け入れていければいいな、とも思う。
「幸せになりたいねぇ」
きっと今でもじゅうぶん、あたしたちは幸せだ。生きているということ。友達がいるということ。好きという気持ちを知っていること。愛する幸せと、愛する苦しみを知っていること。
そんなこともきっとすべて幸せのひとつに違いない。でも笑いながら言う。
「幸せになりたいなぁ」
それでおばあちゃんになっても家族ぐるみのお付き合いしよな、とあたしとハナは笑った。
あたしがその日空けたおかきの透明なトレー。書かれていたのは百人一首の五十番。
『君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな』
(あなたとお会いするためになら、たとえ捨ててもけっして惜しくない命だと思っていました。しかしこうしてあなたとお会いできた今は――あなたともっとお会いするために、いつまでも生きていたいと思うのです)
藤原義孝というひとの歌だった。彼には愛した人がいたのだけれど、病気のせいでなかなか会うこともできなくて――そうして会ったときに、その喜びを詠んだ。そんな歌である。ハナにお見舞いに来てもらって喜んでいたあたし。でも一気にテンションがさがる。おまえ病気で入院している人間にこの歌ってどうなんだよオイ、とあたしは残ったおかきをヤケクソのようにばりばりと口に突っ込んだ。
――ハナが帰ったあと、紙袋の中を覗き込んだ。
手紙が入っていた。
『ナオへ(^∀^)あともう少しの我慢やで。はやく退院して一緒においしいもん食べにいこな。塾にナオがおらんから、皆さみしがってるよ。ゆっくり休んで、はやく帰っておいでな。待ってるよ。何かつらいことがあったらいつでもメールとか電話とかしておいでや』
――幸せになりたいなぁ、と思ったけど、あたしは今でもじゅうぶん幸せだった。今、こんなにも幸せだ。
きっとあたしはいろいろなものを失って、いろいろなものを忘れていくだろう。けれどけっして変わらない何かが必ずあると信じる。あたしは今こんなにいろんな人に迷惑をかけて、何だかすごく弱い人間になってしまっているけれど、あたしの中にも強い何かがあるんだと信じる。踏まれても蹴られてもつぶれていかない強いものが。
あたしたちは必ず、上へ向かって伸びてゆく。
この病室から見える銀杏の木。あのすぐ上が、もう空だ。
あたしはあの青い空へ向かって飛んでゆく。
今の幸せをどんどん風にはらませて、どんどんふくらませていくために。
みんな幸せになろうぜ――!!!
何だかそんな気分なのである。
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2005/12/12(Mon)19:25:19 公開 /
ゅぇ
■この作品の著作権は
ゅぇさんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
まぁたやっちまいました。退院早々、ビバグルメの第三弾、しかもこれこそ今までで一番雑な出来になっています。申し訳ありません。何が言いたかったか、といいますと、つまり言いたいことはただひとつ。
みんな幸せになろうぜ――!!
と言いたかっただけなのです。それ一文だけではどうしようもありませんので、どうせならあたしの幸せに必要不可欠な美味しいものと絡めて書いてしまおう、と思いついたわけなのでした。ずっと病院でぐたぐたと考えていた内容をそのまま文章に起こしたものです。物語性もなければ特に繋がりも意識していない。もちろん小説というには不完全すぎて、まるで成り立っていないものだとは思うのですが、何せ「美味しいよね、これ」という気持ちと「みんな幸せになろうぜ」の気持ちをこうして書かずにはいられなかったのでした。最後まで読んでしまった方、お目汚し失礼します。小説としての欠陥等々考えれば投稿すべきではないのかもしれませんが、気晴らしグルメ単発ショートとして「うんうん、美味しいね」とでも思っていただければそれで幸せです。厳しいお言葉は…………心の中にどうか秘めておいていただければ(コラ
それでは久々のショート、なのでした。