- 『漆黒の語り部のおはなし』 作者:夜天深月 / ショート*2 リアル・現代
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紳士、淑女の方々。これから貴方達に広くもあり、狭くもある世の中を話しましょう。
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貴方は、世の中が広いと思いですか? それとも世の中とは狭い物だと思いですか?
世の中が広いと思いになった、淑女または紳士の方々。残念ながらその答えは正解ではありません。世の中はとても広い。自分達が知らないことは、まだまだある。そう思いになった方、大いに結構です。大きな夢を持つということは他人から見れば下らないのかもしれませんが、私にとっては大きな夢を持つということは純粋な事だと思います。ですが、答えは違います。
ならば世の中とは狭い物だと思われた、淑女または紳士の方々。残念ながらも、この答えも正解ではありません。世の中なんて狭い物。世の中はもう知り尽くした。そう思いになった方々、大いに結構です。他人から見れば、夢がない、なんて思われるのかもしれませんが、現実を見つめるということは素晴らしい事だと思います。
それでは、一体正解はなんなのだ、と思いの淑女または紳士の方々。正解は、世の中は広くもあり、狭くもある、というなんとも曖昧な答えです。この答えにご不満に思いの方は少なからずいるかと思われます。しかし、これこそ私が見つけた正解です。この正解は簡単に説明するならば……、そうですね。『絶対』と『可能性』。この言葉がキーワードになります。
自分達が知らないことはある、または、自分達は世の中を知り尽くした。これらの『可能性』は未知数です。九九パーセントかもしれませんし、たった一パーセントかもしれません。ですが、九九パーセント、一パーセント、というように『絶対』ではないのです。しかし、『絶対』という枠から出られないでいる『可能性(世の中)』が、広く(九九パーセント)もあり、狭く(一パーセント)もあるのです。ですから、世の中というものは広くもあり、狭くもあるのです。
さて、これが私が見つけ出した世の中というものの答えです。
……おや? 皆様方、頷けないご様子でいらっしゃいますね。確かに、唐突に答えを突き付けておきながら、納得しろ、なんて言われても到底無理な話ですね。しかし、困りましたね。私がどのようにすれば皆様に信用して頂けるのか見当も付きませんね。何方か、良い案があるのならば仰ってくださいませんか?
……誰もいませんか。面倒なのですが、仕方ないですね。では、世の中というものは広くもあり、狭くもある、という答えに行き着くまでに見てきた数々の世の中をお教えしましょう。ですが、ただ、世の中というものは広くもあり、狭くもある、という答えに行き着くまでに見てきた数々の世の中を教えるだけじゃ、つまらないでしょうね。ですから、貴方達が知らないような数々の世の中を見てきた中でも私のお気に入り、あなた達が知っているような数々の世の中を見てきた私のお気に入りを教えます。
まずは……、そうですね。誰もが知っているような世の中をお話しましょうか。誰もが知っているような世の中、と言いましたが一味違いますよ。どう違うのかは、口では説明しづらいですね。私の話を、聞く、聞かないは自分で決めて下さい。
それでは、おはなしの始まり、始まりぃ。
第一の世の中『オレンジジュースと緑茶の後味』
彼は、なんの前触れも無しに目を覚ました。目覚まし時計で目を覚ます、ゆっくりと目を開けて目を覚ます、こんなように人は大抵目を覚ますと思う。だが、今さっきまで寝ていた少年は違った。完全に目を閉じた状態から一気に目を開けるという、覚醒という言葉がピッタリな表現だった。悪夢でも見ていたのなら解るが、少年は汗を一つも掻いてないところを見ると、悪夢なんて見ていなかったようだ。ちなみに歳は、一五、十六辺りだろう。
少年は、上半身を起こしベッドの脇に置いてある目覚まし時計を、寝ぼけ眼で見る。時計は六時四五分を指していた。
(微妙な時間だな……。二度寝も満足に出来なさそうだな……)
込み上げて来る眠気に少年は耐えきれず、酸素を肺に満たす。同時に涙も出てきたので、少年はそれをうざったそうに、グリグリ、と拭った。拭った時に、グチュグチュ、という気持ち悪くはないが、聞き心地が言いわけでもない音で、朝日が差し込む部屋は満たされた。
少年は、面倒くさそうにベッドから出て、ベッドから出ると面倒くさそうに服を脱いで……。とにかく、少年は全ての動作を面倒くさそうにこなしていた。
少年は制服に着替え終わり、部屋の隅に無造作におかれている、教科書や参考書が詰め込まれている鞄を重たそうに持ち、自室から出て行った。少年は自室から出るなり、右向け右。そして、前進。廊下をトタトタ、階段をトントン、という具合に歩いている。
「おはよう、慶哉(けいや)。今日は、早いわね」
少年―――慶哉―――が、リビングに入るなり、女性だと解るソプラノの声が慶哉に飛び込んできた。声がした方向を辿っていくと、食卓の席に着いている二十代前半ぐらいの女性がいた。今まさに、朝食の目玉焼きと格闘中だ。もう一つ皿が女性の右に置かれていて、その皿には食べかけのトーストが乗っている。左には、『玲華(れいか)』と自分の名前がデザインされている湯飲みが置かれている。女性―――玲華―――曰く、洋食にも緑茶は合うとのことらしい。
「お早う、母さん」
慶哉は、リビングの顔というべき存在のソファに鞄を置き、自分も玲華と向かい合わせになるような形で、食卓へと着く。品定めするようにトーストと目玉焼きを見比べた後、最初にトーストに手を付けると、後はもう途中で目玉焼きには手を付けずに一心にトーストを食した。
玲華は訝しげに慶哉を見るが、口出しはしない。おそらく何回か口出しをしたが、結局はその癖は直らなかったので諦めたのだろう。だが、やはりおかずと一緒に食べないというのが、どことなく歯痒く感じてしまい、視線が慶哉の方へいってしまうのだろう。
「ねぇ」
丁度、玲華が朝食を食べ終えたときだった。玲華は手に付いているパンクズを、パッパッ、と払い、声を発した慶哉へと視線を向ける。一欠片の関心がこもっているだけの、温かくも、冷たくもない、そんな視線。
「なに? あんたが食事中に喋るなんて珍しいわね。いつもは、淡々と食しているだけなのに」
「たまには、そんな時もあるよ。だいたい、本当の親じゃないのに結構俺のこと知ってたんだ?」
慶哉は事も無げに毒舌を吐いて、オレンジジュースを啜る。慶哉が、果汁を喉に通し終わったその直後、痛くもなければ、何ともない衝撃を後頭部に感じた。この果汁一〇〇パーセントの、さっぱりとした後味を慶哉はとても気に入っている。その気に入っている後味を、痛くもなければ、何ともない衝撃が邪魔したのは腹立たしいことだった。
「何すんの? オレンジジュースのさっぱりした後味を、堪能できなかったじゃないか」
「うっさい。捨てられたクズ同然の奴が、拾ってくれた人様に毒舌吐くなんて一〇〇年早いのよ」
玲華はそう言い捨てて、緑茶を啜る。このほろ苦さと、仄かな甘さの後味が玲華は好きだった。玲華曰く、捨てられたクズ同然の奴は、言い返せずに俯いているので、玲華はじっくりと後味を堪能した。堪能し終わると、ほぅっ、と息を吐いて目を閉じる。
「で、なんなの? 話が逸れちゃったけど、あんた何か言いたいことあったんでしょ?」
玲華は、右目だけ開いて慶哉にへと鋭い視線を送る。まるで、全てを見透かしてしまっているのでは、と思うほど鋭い視線だった。
そんな、鋭い視線で射られているのに慶哉は、呑気にトーストの最後の一欠片を口に放り込んで、食している。飲み込むと、開口一番に口笛を鳴らした。
「はは、そんな鋭い視線で睨めば、被告人も容疑を認めちゃうんだ。さっすが、敏腕検事さん」
「ただの餓鬼が、私の仕事を知ったような口聞かないの。サッサと、言いなさい」
慶哉は、冗談が通じない玲華に思わず溜息をつく。溜息をした直後、今まで身につけていた仮面を剥ぎ取ったかのように、慶哉の表情は一変した。幼い純粋無垢な表情から、一気に大人びた無表情へと変わる。こうやって、一体何人の人を騙してきたのだろうか? 表では純粋な人を演じて、裏では普段無表情な大人が、多くの人が騙されていくことにほくそ笑んでいる。考えるだけで虫酸が走る。
「知ってる? 果汁一〇〇パーセントのオレンジジュースってさ、無駄な甘さも、無駄な酸味も残さないから後味が凄く良いんだよ。……まぁ、人によって無駄に甘い、無駄に酸味を残しているって言う人いると思うけど、俺は無駄な甘さも、無駄な酸味も残さないと思ってるよ」
慶哉は、無表情に、抑揚無く語った。
慶哉と同じように玲華も淡々と聞いている。ハッキリ言って、慶哉は何が言いたいのか全く理解できていなかった。だが、無駄に口を挟むよりマシだろうと思い、敢えて口を挟まなかった。
「俺は、そんな刺激を求めている。無駄な甘さも、無駄酸味も残さない、オレンジジュースの後味みたいな刺激を。……で、俺より長く生きてきた玲華さん。貴女が生きてきた中で、そんな都合の良い刺激ありましたか? 俺は、それが知りたい。ちなみに、拾ってくれたあんただから聞けるんだからな。本当の母親には、こんなこと恥ずかしくて聞けない」
慶哉は語り終わると、オレンジジュースを一口啜った。そして、後味を堪能する。彼が言う、無駄な甘さも、無駄な酸味も残さない後味を。
フゥ、と玲華は溜息をつくように息を吐く。正直、唐突な質問に面食らっていた。今まで、少し反抗することはあってもこんなことは無かった。加えて、難しい質問だ。玲華だって、人間の平均寿命八〇歳の四分の一しか生きていない。それ故、このような哲学的な質問は難しかった。
玲華は、若干寝癖ではねている髪の毛を掻きむしると口を開いた。
「あんたが言う、適度な刺激はハッキリ言って私の人生の中では無かったわね。無駄に強い刺激、無駄に弱い刺激ばかりだった」
スッパリ、と玲華は嘘もつかず慶哉に現実を教えた。それを、聞いた慶哉は、そう、と言って目玉焼きを食べ始めたが、落胆を隠していることが玲華には手に取るように解った。だから、柄にもなく慶哉を励ますため、敢えて自分が好まない綺麗事を言うことにした。さすがに、綺麗事を言うのには抵抗があったので、思わず溜息を漏らした。
「知ってる? 緑茶ってね、無駄な苦味と、無駄な甘さを残すのよ。でもね、これが意外で結構後味良いのよ。子供の頃はこの後味が嫌いで仕様がなかった。だけど、大人になるにつれて、その無駄な苦味と、無駄な甘さを美味しく味わえるようになるのよ」
慶哉は手を止め、口の周りに付いている、目玉焼きの黄身を舌で器用に舐め回し、視線を玲華へと再び向ける。
玲華は、緑茶を二口、三口と啜って飲み干した。頷きながら、うん美味しい、なんて言っているのは、ちょっと重くなっているこの空気を和らげるためだ。このような、空気を玲華は法廷で何度も体験しているが、耐えきれずにわざと欠伸とかをしていたりする。
「つまり、無駄に強い刺激や、無駄に弱い刺激をいかにして楽しむか、っていうことが重要なの。そして、子供だとそれは出来ないけど、大人になったら出来るようになる。私はそう思ってる」
フッ、と息をつき、玲華は、もうこのお話お終い! と言って片手に皿を一つずつ持って台所に行った。
慶哉は、そんな玲華をボンヤリと見ていた。だが、暫くすると目を離し、また目玉焼きを食べ始めた。そして、食べ終わると、無駄な甘さも、無駄な酸味も残さないから後味が凄く良いオレンジジュースを飲んだ。飲み終わると、フゥ、と息をつき頬杖をついて、『あるもの』を見ながらなにやら考え始めた。『あるもの』、それは湯飲みだった。
「母さん」
慶哉は、未だに湯飲みを凝視するように見ていた。ジッ、と見ていた。ずっと見ていれば何かが見つかる、とでも慶哉は言っているみたいだった。そして、思った。湯飲みを置いて行ったのは態とだな、と。
「あいよ、何か用?」
玲華の戯けた声が宙を舞い、慶哉の元へと、ポツリ、と落ちる。その、戯けた声に慶哉は思わず笑みを漏らした。
「俺にも、緑茶淹れてくれない?」
玲華は皿を洗っていて後ろ姿だったが、慶哉には微笑んだことが感じ取れた。温かく、眩しいくらいの微笑みを感じ取ることが出来た。
玲華は、皿を洗う手を止めて、フッ、と息をつく。
「わかったわ。とびっきり、後味が悪い緑茶を淹れてあげる」
「ああ、お願いするよ」
慶哉は席を立ち、左手にコップと湯飲み、右手に皿二枚を持って台所へと置きに行った。そして、柄にもなく、こう思った。それは、玲華の前では言えない言葉だった。恥ずかしくて、言葉に出来ない言葉。口にしてしまったら、絶対玲華に大笑いされそうな言葉。
(この人に拾われて、本当に良かった)
さあ、どうでしたか? 私のお話。楽しんで頂けたのなら、これ以上に嬉しいことはありませんね。まぁ、楽しんで頂けなかったのなら、これ以上に残念なことはありませんね。一応、私が面白いと思う世の中を選んだのですから、普通に残念に思います。
え? …………。なるほど、なぜこのような場所に自分達が居るのか? それを説明して欲しいのですね? 確かに、皆さん今まで普通に生活していたのに、気付いたら一面真っ白のところに居たのですからね。加えて、いきなり話を始めた私。不思議に思うのが当たり前ですよね。ですが、今はまだ説明できません。ご安心下さい。もう、直にあなた方の世の中へと戻しますから。
さて、そろそろお別れの時間です。ですが、また私とあなた方は会いますよ。なぜなら、まだ私は、あなた達にまだ一つの世の中しか話していないからです。いろいろな世の中の内、たった一つなのでまだ話す世の中はたくさんあります。また会うときは、違う世の中をお話しますよ。
それでは、さよ―――え? 私の名前ですか? 生憎と、名前なんて私には無いのですよ。ですが、強いて申し上げるのならば、『漆黒の語り部』。見ての通り、漆黒のタキシードに身を包んでいますからね。漆黒の紳士、の方がしっくり来ると思われる方もいるかもしれませんが、色々な世の中、つまり、色々な話を話しているので、敢えて語り部とさせて頂きました。
それでは、さようなら。また、お会いしましょう。
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2005/12/08(Thu)18:55:43 公開 / 夜天深月
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■作者からのメッセージ
こんばんは、または、初めまして。夜天 深月(ヤアマ ミヅキ)という者です。
今回の作品は、漆黒の語り部が世の中、つまりおはなしを色々と話していくものです。
作品の終わりにもあったように、『また、お会いしましょう』、とありますから、一応続いていきます。
ある時は、ファンタジー、ある時は、リアル、という具合になりますので。
勿論、感想、批評、アドバイス等随時お待ちしていますので。
それではこれで失礼します。