- 『Fantasia-The song of sorrow-』 作者:say / アクション ファンタジー
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全角10047.5文字
容量20095 bytes
原稿用紙約30.55枚
殺しの先に未来を見る、過去を失いし青年エンジュ。滅び去った古代種族「クロス」の鍵を握る、悲哀の少女リーナ。彼らの出会いは何を引き起こすのか。そしてエンジュの刺青に秘められた、彼の記憶の謎とは?そして「クロス」とは?前作「Sorrowful Killer」リメイクにより、世界観を一新。黒い殺し屋と共に歩む「哀しみ」の物語。
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序章「Recollection」
―――俺は、何のために生きているのか?
夜の乾いた風が、少年の身体を通り抜けていった。金色の月が夜空に輝き、その周りで瞬く星達も、まるで黒いドレスに鏤められた宝石のように美しい。
再び風が吹き、乾いた大地を撫でていく。少年はその中で、身の丈ほどもある巨大な剣を地面に突き立て、それにすがるように座り、まるで死んでいるかのように微動だにしない。
―――俺に、生きている意味なんてあるのか?
己の生への疑問が、少年の頭の中を駆け巡る。しかしその答えは、時を追うに連れて近付いてくるけたたましい足音によって導き出されようとしていた。
「いたぞ、あそこだ!」
「逃がすな!取り囲め!」
足音と共に聞こえる、無数の咆哮。やがて、足音と共に訪れた大勢の屈強な男達によって、少年はあっという間に取り囲まれた。が、少年は相変わらずそこに座り込み、全く動じない。
―――あぁ、そうだ。やっと解った。
男達はそれぞれの手に、汚く錆びた剣や槍を持ち、歪んだ笑みを口元に浮かべている。
「さぁ、逃げ場はないぞ…。小僧!」
「社長を殺した事をこの場で償え…。そしたら両腕両足ぶった切るだけで許してやる
ぜ…」
男達の一人が、錆びて赤茶色になった斧をぶん回しながら言った。それでも、少年は動く気配すら見せない。
―――俺は、こんな無能な塵共を…
少年は、ようやくゆっくりと立ち上がると、地面に深々と突き刺した剣を、片手で軽々と抜き払い、顔を上げた。その瞬間、氷よりも冷たく、闇よりも禍々しい殺気が、男達の身体を貫いた。空気がびりっと震える…。
―――始末するためにいるんだ。
乾いた大地が、流れ出た血によって赤黒い潤いを手にした。乾いた風が、死体の肌を優しく撫でていく。死体の山、血の海、まるで地獄絵図のような光景だった。その中心で、一人の少年が、血に塗れた巨大な剣を地面に突き立てて、それにすがるように座り、まるで死んでいるかのように微動だにしない。
エンジュ・バラドス、それが、少年の名だった。
第一章「Visitor」
〜Client〜
エンジュは目を覚ました。夜の闇に支配された、殺風景な小屋の景色が目の前に広がった。
「眠っていたのか…」
葡萄酒の乗った小さな机に肘をつきながら、エンジュは思った。何だか気が重かった。さっきの夢の所為だ。
時々見る、あの奇妙な夢。凄くリアルで鮮烈な夢。エンジュはその夢が嫌いだった。それを見た後は決まって、額に咲き誇る鮮やかな黒い椿の刺青が疼くからだった。いつ、誰によって彫られたかも分からない、謎の刺青。エンジュは溜息をついて、それを隠すように額に手を置いた。
エンジュはふと、窓の外に視線を移した。夜空を彩る美しい星達。それらの中心で、紫色の不思議な光を発する月が、燦然と輝いていた。エンジュは、この紫色の月がとても好きだった。
すると、突然小屋の扉が軋んだ音を立てて開いた。エンジュ目をやると、そこには一人の老人が立っていた。多少の皺の刻まれた逞しい顔に眼鏡を掛け、白く長い髪を後ろに結い、整えていた。茶色のマントをはおり、十本の指に高価な宝石がたくさん輝いている。見知らぬ老人は、敷居を跨いで少し入ると、ゆっくりと小屋の中を眺め回した。どうやらまだ闇に目が慣れておらず、エンジュが居ることに気付いていないようだ。
「人の家に勝手に上がり込むなんて、礼儀知らずだな…」
闇に隠されたエンジュが冷たく言うと、老人はようやくエンジュに気付いた。しかし、別段驚いている様子もなく、じっとこちらを見つめている。
「君がエンジュ・バラドスか?忌まわしき太古の業『ゾルド』を営んでいるという…」
しわがれた、しかしはっきりとした威圧感を持つ声がそう言った。
「だったら何だ?僕を政府に引き渡すのか?」
エンジュがすかさず答える。すると老人はふっと微笑み、マントの懐に手を差し入れた。エンジュはさっと構えを取ったが、取り出されたのは、一枚の写真だった。
「仕事の依頼だよ、若きゾルド。構えを解きたまえ」
写真に写っていたのは、小さな少女だった。まだ年端も行かない幼さを顔に残し、美しい金色の髪も陽の光を受けてきらきらと輝いていた。しかし、浮かべた笑顔は不自然で、今にも泣き出しそうな感じだった。エンジュは写真を見ると、すぐに顔を上げた。
「どういう事ですか?」
老人はふうと息を吐き、エンジュの真っ黒な瞳を見つめた。
「私の愛娘、リーナだ。先日、私の屋敷に強盗が入り、その際にまんまと誘拐されてしま
ったのだ。君には、彼女の奪還を依頼したい」
それを聞くと、エンジュは写真をおもむろに捨てた。写真はひらひらと宙を舞い、老人の足元に落ちた。
「いいですか。『ゾルド』というのは、依頼者からの報酬に応じて、望む人間を始末する殺し屋の事です。依頼者からの情報を受け、迅速かつ確実に標的を抹消(け)す、それが僕らです。今、貴方が僕に依頼したのは『人助け』でしょう。ゾルドは『殺し』の絡まない仕事は引き受けない。そんなことは探偵か警察に相談するんですね」
そう言うと、エンジュはくるりと踵を返し、老人に背を向けた。すると老人は、また一瞬ふっと笑みを漏らした。
「殺しが絡んでいればいいのだね?」
エンジュは老人に背中を見せたまま、視線だけを老人に向けた。老人は懐からもう一枚の写真を取り出すと、月明かりに翳した。下卑た笑顔を浮かべている、一人の中年の男が写っている。
「アルバート・バルキシアン…、名前くらいは君も知っているだろう。」
「…名の知れた貿易商ですね。裏で奴隷の密輸などをしていると聞きますが…。」
エンジュが、手渡されたアルバートの写真に裂け目を入れながら答えた。老人は頷くと、窓の外に目をやった。
「そいつだよ…。リーナを奪った犯人というのは」
夜風が窓の外を通り過ぎていく音が、薄暗い部屋の中に響いた。エンジュは真っ二つに裂いた写真に火を点け、それが灰になっていく様を、冷たい目で見つめていた。
「分かりました、引き受けましょう。」
エンジュは支度を始めた。裸の上半身に防弾チョッキと同等の強度を誇る特殊なシャツを着て、その上から、大きな黒いコートを着る。それから銀色に鋭く光る装飾の施された大型の銃を腰に取り付け、最後に胸に取り付ける、鎖で編まれた短剣の鞘に、真っ黒い刀身にエンジュと同じ椿の紋章を持つ短剣を二本、きっちりと収めた。
「二時間したら戻って来ます。報酬はその時に僕が決めましょう。」
そう言い残し、エンジュは暗い夜の闇に出て行った。
〜In darkness〜
月ももう既に高く昇った真夜中。草木も動物も、大地さえも眠りに就いた真夜中。静寂と夜風だけが、世界を我が物顔で駆け回る真夜中に、一台のバイクが漆黒の突風の如く走り抜けていった。運転手は二十歳前後の青年で、真っ黒な装いに身を包んでいる。腰に付けた銀色の銃が、月明かりを受けて光っていた。
十分も走ると、バイクの向かう先に広大な海が広がって来た。そして、黒い輝きを放つ水銀のような美しさを持つその海の真ん中に、小さな孤島がひっそりと浮かんでいた。このアリア大陸有数のリゾート地であるその「アロイク孤島」には、世界中の富豪達の別荘が建ち並んでいて、アルバート・バルキシアンの休暇用の別荘も、その島で最も眺めの美しい岬に建てられている。バイクはそのまま、そこに向かって走り続けていった。
エンジュはバイクを止め、目の前に建っている豪勢な建物を見上げた。小洒落た外観に、よく整えられた広い庭、そしてそれらを護る数人の警備員が、隅々にまで目を光らせていた。エンジュはそれらをざっと見渡し、満足そうに微笑むと、殺気に満ちた声でポツリと呟いた。
「楽しませてくれよ…」
エンジュは懐から、筒状の瓶のようなモノ――手榴弾を取り出した。そして、その先からちょっと出ているピンを抜いて、目の前にある大きな鉄柵の門に放り投げた。手榴弾は綺麗な放物線を描いて、こつんと門に当たった。その瞬間、それは轟音を立てて爆発し、鉄の門を、まるで砂糖で出来たお菓子細工のように粉々に吹き飛ばした。巻き上がる煙の向こうが騒がしくなってくる。エンジュは煙の中に飛び込むように、門の残骸を越えていった。
「侵入者だ!」
火花が飛び散り、鉄の塊がエンジュに向けて飛んでくる。しかし、疾風のように駆け抜けるエンジュを、それらが捉える事は出来ない。
「遅いよ」
黒い狂気の風が警備員達の横を通り過ぎる。すると、彼らの身体が真二つに割れ、鮮血を噴き出しながらその場に転がった。ある者は首が転げ落ち、またある者は上半身と下半身が綺麗に別れた。エンジュは、立ち塞がる警備員達を一人残らず切り裂きながら、広大な庭園を屋敷へ向かって走り抜けていった。
そして、エンジュは立ち止まった。背後には凄惨なる死体の海が鉄の香りを漂わせている。目の前には巨大で美しい屋敷がたたずんでいる。エンジュはゆっくりと屋敷の正面玄関に歩み寄り、大きな扉の取手を引いた。案の定、鍵が掛かっていて開かない。エンジュは血に塗れた短剣の一本を抜いて、二枚の扉の真ん中にある境目に刃を滑らせた。ぱきんという音がして、いとも簡単に鍵が切断された。
屋敷の中は、廊下の灯火だけが点いていて薄暗かった。外ほど派手な行動が出来ない為、行動は慎重に取らなければならない。家政婦の一人にでも見つかって、非常ベルでも鳴らされたら仕事が台無しだ。エンジュはゆっくりと廊下を歩き始めた。依頼者の老人から再度渡された少女の写真の裏に、丁寧な屋敷内の地図が載っていた為、家政婦を脅して案内させるという手間が省けたのが幸運だった。
十分程屋敷の中を歩き回ると、ようやくエンジュの目の前に一際大きくて豪華な扉が立ちはだかった。地図にも、そこがアルバートの寝室だと記載されている。エンジュは大きく一息吐くと、ゆっくりと扉を引いた。
一人の男が、立派な仕事机に乱雑に腰掛け、札束の勘定をしていた。口元には、写真で見た通りの下品な笑みを浮かべている。最初は目の前の汚い金に夢中で、突然の来訪者に気付いていなかったが、通り抜ける冷たい風を追うように目線を上げ、訪問者の姿を確認すると、途端に驚いた表情を浮かべた。
「だ、誰だ貴様は!?」
脂ぎった甲高い声で男が叫ぶ。しかしエンジュは何も言わずに、ゆっくりと男に近寄っていく。
「こ、こ、こっちへ来るな!人を呼ぶぞ!」
男は携帯式の非常ベルを、核の発射ボタンのように握ってエンジュに向けた。手は汗に塗れ、がたがた震えている。しかしエンジュは歩みを止めない。
「く、く、く、来るなぁぁ!!」
男の恐怖はピークを迎えたようだ。ボタンにかけた指に力が入る。するとエンジュは、腰に挿してあった銃を目にも止まらない速さで抜き、一瞬の躊躇いもなく引き金を引いた。銃声が響き、男の握り締めた非常ベルが粉々になった。
「つまらない事をしないで下さい。面倒臭い事はしない主義なんです」
男はしばらく、手の中の残骸を見て唖然としていたが、すぐに全身に脂汗を浮かべ、力なく元の椅子に座り込んでしまった。
「お…お願いだ…、こ…殺さないで…」
もはや言葉になっていなかった。今にも泣き出しそうな醜い顔で、エンジュを見ている。エンジュはそっと男に歩み寄り、二本の短剣を抜いた。
「い…幾らでも…幾らでも…金が欲しいなら…」
エンジュは冷たい眼で男を睨んだ。それだけで、男の顔から残りの血の気が全て引き、顔面蒼白になった。しかし次の瞬間、エンジュは踵を返し、男に背を向けた。そしてそのまま、出口の方へ歩き出す。
「とりあえず、そこにある金は全部貰いますけど…いいですか?」
蒼白だった男の顔に、血の気が戻ってくる。助かった。男は心底そう思った。
「あぁ…あぁ…くれてやるとも…」
涙をぼろぼろ流しながら、男は机の上の札束に手を伸ばす。そして…、
「死ね…!!」
立て続けに破裂音が飛び出す。三発の鉛弾が、エンジュの背中を貫いた。そしてそれを見て、男の甲高く悪辣な笑い声が屋敷中にこだました。
「つまらないパフォーマンスでしたよ…」
後ろでぽつんと声がした。男の血の気が引くより速く、男が振り向くよりも速く、男がその存在を確認するよりも速く、男の身体はばらばらに切り刻まれ、ばら肉の状態にまでなってようやく、地に伏すことを許された。エンジュは血を滴らせる短剣を振ってぱっと血を払うと、ゆっくりと元の鞘に収める。そして胸の前に手を置き、十字を切った。
「良い夢を」
〜A girl〜
エンジュはしばらく、目の前に広がる惨状を眺めていた。肉片の一つに付いている眼球が、不自然な方向を睨んでいる。エンジュは机の上から、血を浴びていない綺麗な布巾を見つけると、顔と刃に付いた血を拭った。すると、布巾を取った下から、アルバートの日記と思われる本を見つけた。エンジュはゆっくりと、その頁を紐解いてみる。
「…X月X日、…遂にやった。あの無能なアルフの爺が大事にしていた小娘を掻っ攫ってきた。やはりそこいらのゴロツキは、汚い仕事をさせるのに適している。口封じの為に殺しておいたが…まぁ問題はないだろう。」
エンジュは足元に転がっている肉片を踏みつけた。訳の分からないモノが飛び出して、壁にへばりついた。日記は更に続く。
「娘は地下牢に閉じ込めておいた。とりあえず、徹底的に調べ尽してやろう。アルフに奴にだけ、『クロス』の秘密を独り占めさせてなるものか…」
日記はここで終わっていた。『クロス』という言葉が、妙に頭に引っかかった。何だろう、確か僕はそれをよく知っていたような…。しかし幾ら考えても、答えは浮かんでこない。エンジュはそっと、血に染まった寝室を後にした。
水の滴る湿った音が、暗い地下に響いた。鉄の牢獄がいくつも連なり、そのほとんどが空室だったが、数少ない囚人達は、皆一様に弱り、やつれていた。『永遠に抜け出せぬ地獄』、そんな言葉がぴったりの静かなる地獄絵図だった。
その一番奥の牢に、少女はいた。入れられて日が浅いのか、他の囚人達よりも弱っていないように見えたが、誰よりも深い絶望を瞳に湛えているのが見て取れた。少女は牢獄の片隅で膝を抱え、夢の中に逃げ込むように目を閉じていた。
「おい、小娘!寝るんじゃねぇよ!」
看守が荒々しく鉄の格子を蹴った。少女はそれに驚き、顔を上げた。
「退屈させんなよ…。何だってこの俺が、こんな仕事やんなきゃならねぇんだ?」
古びた椅子にもたれかかりながら、看守が呟く。すっかり味のなくなったガムを、意味もなくくちゃくちゃと鳴らす。
「そうだな…、ゲームをしようぜ。俺を楽しませたらお前の勝ちだ。勝てたら自由にして
やらぁ…」
下品な笑い声が地下中に反響した。少女は虚ろな眼を潤ませながらゆっくりと立ち上がった。看守の汚れた眼がぎらりと光る。
「そのゲーム、僕も混ぜてくれませんか?」
ぱっと鮮血が飛び散ったかと思うと、看守の首が勢い良く宙を舞った。その顔は何が起こったのか分かっていないように、下品な笑いを浮かべたままだった。
「精々地獄で、ご主人様と笑っている事ですね」
少女は呆然とその場に立ち尽くしていた。今まで自分を縛り付けていた鎖が、大きな音を立てて千切れるように感じた。それを断ち切った黒い影が、彼女の瞳を黒く支配しているのにも気付いていた。エンジュはそんな少女をしばらく見つめた後、まだ温かさの残る死体から鍵の束を取り外し、牢の開錠に取り掛かった。冷たい鉄の扉が、不気味な音を立てて開く。
「あ…」
近づいて来るエンジュに、少女はうろたえた。少し痛んでしまった金色の長い髪が、格子窓から入り込んでくる夜風になびいた。
「初めまして」
エンジュは相変わらず冷たい態度で少女に接した。言葉にも、表情にも優しさなど微塵も込められていない。少女はゆっくりと頭を下げて言った。
「…リーナです。」
「…エンジュです、よろしく。…さて、自己紹介も済んだし、ここから出よう。お父さん
が待ってる」
すると、少女の表情が突然険しいものになった。身体ががたがたと震え、額には汗が滲んでくる。少女は頭を抑えて座り込み、涙を流しながら途切れ途切れに言った。
「いや…、お願い……あいつの所には…帰りたくない…」
突然泣き出してしまった少女を見て、エンジュは少しイラつきを覚えた。もともとこんな仕事を請け負った事もないゾルドだ、無理もなかった。
「こっちも仕事なんだ、分かって欲しい。」
非情な殺し屋は冷たく突き放すように言った。少女は涙に濡れた顔を上げ、エンジュにすがり付いた。
「お願い…助けて…」
エンジュは突然、胸が凍り付いたような感覚に襲われた。少女の発した言葉が、必要以上にエンジュの胸に突き刺さった。目の前に、身に覚えの無いフラッシュバックが見える。冷たくなった、愛しい手だった。初めての感覚に、滅多な事では顔色一つ変えないエンジュでも戸惑いを隠せなかった。そして、変化は起こった。何故だかは分からない。ただ、この少女を助けたい。―――人殺しのエンジュが抱いた初めての感情だった。
「…きっと助ける」
エンジュはそっと、少女を胸に抱いた。少女はエンジュの胸の中でしばらく泣き続けた後、ゆっくりと顔を上げた。
「本当に…助けてくれますか…?」
少女の潤んだ瞳がエンジュを捉える。それに答えるかのように、エンジュは少女を解放した。
「約束しよう」
〜and we meet〜
エンジュはリーナの手を取り、屋敷を後にした。長時間地下牢に閉じ込められていた所為で、月明かりがとても眩しく、リーナは外に出て少し眼を瞑った。エンジュはリーナをコートの中に匿い、目の前に広がる血の海から守った。そのままゆっくりと、リーナの歩幅に合わせて歩き出す。しばらく歩くと、入ってきた正門跡が見えた。そこでふと、エンジュは足を止めた。
「…どうしたんですか?」
コートの中からリーナが不安そうに訊ねる。しかしエンジュはそれに答えず、ただ黙ってそれを見ていた。
少年が一人、月明かりを背に佇んでいた。年の頃はエンジュと同じくらいと思われたが、美しく整った顔立ちはそれよりも少し若い感じだった。エメラルドグリーンの髪を靡かせ、動きやすそうな軽い着こなしをしている。背には細く流線型の剣を装備していた。
「こんばんは、ゾルドさん」
見知らぬ少年は明るく話し掛けて来た。エンジュは冷たく睨みつけて言った。
「何ですか、こんな夜更けに」
「…いえ、こんな所で何しているのかな…って思いまして」
少年は態度を崩さずに答えた。エンジュも視線を外さなかった。
「貴方には関係ないことです。お腹が空いたので、早く帰りたいんですが」
少年がくすくすと陽気に笑う。エンジュは全く笑わず、相変わらず少年を睨んでいる。
「えぇ、いいですよ。」
そう言うと、少年は背中の剣の柄を握った。勢い良く引き抜かれた長剣が妖しく輝く。
「僕を殺した後でね」
美しい光が宙を舞い、黒い刃とぶつかって火花を散らせる。エンジュは力を込めて、突然襲ってきた刃を押し返した。少年の小さな身体が華麗に舞い、少し距離をおいた。エンジュはコートからリーナを出すと、近くに立っている木を指差した。
「目と耳を塞いで、そこに隠れていて」
リーナがそこに隠れるのを確認すると、エンジュは少年の方に向き直り、改めて剣を構えた。
「ゾルドなのに、優しいんだね。」
少年がからかうように言った。
「…悪いが、お前に優しくするつもりはない」
エンジュも冷たく返す。
「いいですよ。是非厳しくお願いします」
少年はにっこりとエンジュに微笑みかけると、そのまま真っ直ぐエンジュに斬りかかってきた。エンジュは双剣の片方でそれを受け止め、すかさずもう片方で斬りつける。少年はそれを素早くかわすと、軽くステップを踏んで、次は横振りの斬撃を繰り出した。エンジュはその素早い攻撃を、綺麗なバック転でかわす。
「へぇ、結構やるじゃないか!…それならこれでどうだ!」
少年は空いている方の手に銃を握ると、体勢を崩しているエンジュに向けて発砲した。乾いた発砲音と共に打ち出される弾丸を、エンジュは連続のバック転で華麗にかわした。少年は口笛をぴゅうと鳴らした。
「流石だね、ゾルドさん」
エンジュは手に付いた土を叩き落とし、腰に差している自分の銃に手を伸ばした。
「ほう、ガンファイトがお望みなんだ」
「言っておくが、」
エンジュは銃のマガジンを引き抜くと、別のマガジンを入れ直した。弾の装填を終えると、銃口を少年に向ける。
「手加減はしない」
少年はふんと鼻を鳴らすと、2発発砲した。エンジュも発砲し、襲い掛かる銃弾に全てぶつけて相殺した。それを引き金に、二人は同時に歩き出した。少年がまず発砲すると、エンジュは銃のボディーで弾を叩き落し、次にエンジュが発砲すると、少年は首を素早く振ってかわした。二人の距離が、銃声と共にゆっくりと詰められて行く。そして遂に、互いの銃口が互いの額に密着する程までに近づいた。
「終わりだね、ゾルドさん」
少年が再びにっこりと笑った。その表情から、恐れが全く感じられない。
「その銃、アドルフアームSA401でしょ?珍しい銃だし、分からない様に装飾されているけ
ど。マガジンに装填出来る弾の最大数は、8発だ。そうでしょ?今、あんたが撃った数と同じだ。」
少年の瞳が、妖しく光った。
「もうその銃に、弾は残っていないね。」
その言葉は、エンジュの負けを意味していた。しかし、エンジュはにやりと不敵な笑みを口元に浮かべた。
「…何がおかしい?死ぬのが恐くなっておかしくなったの?」
「…お前の銃の事も、僕は知っている。ベレッタM92だ。総弾数は16発。さっきの攻撃で、
お前は全部撃ちきっていた。お前の銃にも、弾はないな。」
しばらくの沈黙。そして二人は素早く距離を取り、銃をしまって、再び剣を構えた。
「…仕切り直しだね」
悔しそうに少年が言った。
「そうしたい所だが」
エンジュは一瞬間をおいた。
「依頼者との約束の時間まで、あと少ししかないんだ。仕事を邪魔されるのは嫌いでね」
少年は気がついた。徐々に場の空気が変わっていく事に。風が心地良い春の夜なのに、言い知れぬ緊張感で空気が凍りそうだ。少年の表情も、徐々に恐怖が広がっていく。――この後に一体何が起こる?――そしてそれは、エンジュの一言から始まった。
「退け。」
空気が、まるで魔法をかけられたかのように凍りついた。一瞬、たった一睨みだった。エンジュの突如放った鋭い殺気は、空気を貫き、時を握り潰し、対峙する少年の心までもを粉々に砕き切った。少年は突然襲って来た凶器のような感情の波に、汗をびっしょりと掻き、顔色は冷水に投げ込まれたように蒼白になった。膝を折り、崩れるようにその場に座り込む。唇を震わせ、必死に何か言葉を探している。しかし、その意思が言葉となることはなかった。エンジュは、そんな少年の横を何事も無かったかのように平然と通り過ぎていった。その後を、隠れていたリーナが追う。
「…待ってよ」
去り行くエンジュの背後から、必死に搾り出したような弱々しい声がした。
「何で…止めをささない…!?」
それはかなり弱り切った声だった。が、かすかに挑戦しているような強気な態度を備えていた。「精一杯の強がり」…そんな言葉が最も似合う感覚だった。エンジュは座り込んでいる少年の背中をしばらく見つめていた。そしてその視線を外す事無く、弾の入っていない筈の銃を抜いた。そのまま少年に向け、引き金を引く。
ぱんっ!という破裂音が、小気味良く空気を震わせる。弾き出された弾丸が、少年の右肩を貫通し、そのまま地面にめり込む。貫かれた箇所からは、噴水のように勢い良く真紅の液体が噴き出した。
「あぁぁぁぁぁぁあっ!!」
断末魔の悲鳴が静寂を切り裂いた。痛む傷を抑え、少年は地面に倒れこんだ。血の水溜りが、少年を中心に徐々に広がっていった。
「…痛みを怖がるうちは、生意気な強がりはやめることだ」
少年を冷たく見下しながら、エンジュが言った。銃を再び収め、少し乱れた服装を整えた。そして踵を返し、外に向かって歩き出した。
「…その痛みを、恐怖を忘れるな。大切なモノまで忘れてしまう…。僕のようにな」
去り際のエンジュの呟きは、しっかりと少年の耳に刻みつけられた。痛みからなのか分からない…、悔しさ故かも定かではない…涙が頬を伝わるのに、少年は気がつかなかった。
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■作者からのメッセージ
改めて初めまして。Start=Luckybook改めsayです。結構前に投稿しました「Sorrowful Killer」をアレンジし、再投稿させていただきました。感想、指摘など、してくだされば幸いです。宜しくお願いします。