- 『テリー鮎川の推理趣味』 作者:時貞 / ショート*2 ミステリ
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全角9566文字
容量19132 bytes
原稿用紙約26.9枚
ある晩秋の夕刻のことである。
大学生の北見吾郎は、学友である《テリー鮎川》こと鮎川輝彦の住むアパートの一室にどしりと腰を降ろしていた。どうやら外は北風が強くなってきたようだ。サッシ窓がガタガタと揺れている。テリー鮎川は、グラスに注がれたストレートのウイスキーをぐいっとあおると、煙草を咥えてうまそうに一服した。
テリー鮎川――この何とも怪しい渾名は、彼の本名である輝彦の《てる》をもじったという意味もあるが、それと同時に彼が無類のミステリー愛好家であるということも意味している。ミステリーの《テリー》を採ったというワケだ。
北見は自分のグラスに注がれたウイスキーをチビリと舐めると、話を切り出した。
「なぁ、テリー。例の女性資産家殺人事件について、お前はどう思う? ほら、一昨日の深夜に起こった事件」
「ん? ああ、なんかそんな事件がこの田舎町で起こったらしいね。お前の兄貴もその事件に関わっているのか?」
北見吾郎の実兄は刑事である。
「ああ、ウチの兄貴の担当事件なんだ。こんな田舎町にしてはけっこう面白い事件なんだが……その口ぶりじゃあ、ほとんど内容については知らないらしいな」
テリー鮎川は、寝癖のついた後ろ髪をボリボリと掻きながらそれにこたえる。
「うむ。もっぱら空いている時間は読書に掛かりっきりだからな。現実に起こる事件なんて、ミステリ小説の面白さに比べたらつまらんものばかりだが……まぁ、せっかくお前が寒い中来たことだし、退屈しのぎに聞いてやってもいいよ」
テリー鮎川はそう言って大きく紫煙を吐き出すと、短くなった煙草を灰皿代わりの空き缶の中に突っ込んだ。
「ったく、相変わらず高飛車な口ぶりだな。まぁいいや。これは兄貴から内々に聞いた話も含まれるんだが――」
そう言って北見が語り始めた事件の概要とはこうである。
*
この町に住むさる女性資産家――独身で一人暮らしであった――が、一昨日の深夜何者かによって殺害された。死因は絞殺。首には家電量販店でよく見受けられるような、灰色の電機コードが深々と食い込んでいた。絞痕が二本あることから、犯人は被害者の首を一度絞めた後――その一度ではまだ死に至らなかったのか、あるいは抵抗されて電機コードが一度緩んだのか――、更にもう一度首を絞めて殺害している。凶器となった電機コードは、被害者の首に巻きついたまま放置されていた。殺害現場は被害者の自宅。庭に面した八畳ほどのリビングで殺されていた。なお、そのリビングの窓ガラスが割られており、部屋の中にガラスの破片が散らばっていた。室内を物色したような形跡は無し――。
この事件で浮かび上がった容疑者は、次の四人の男たち。
いずれの四人とも殺害の動機があり、それに反して事件当夜のアリバイは曖昧なものばかりであった。
一人は霧島和則。職業は運送業経営の四十三歳。被害者の元夫である。自分の経営する運送会社の経営が傾き、被害者に多額の借金があったらしい。事件当夜は近くの居酒屋チェーン店で呑んでいたとのことであるが、それを裏付ける目撃証言は無し。
二人目は新城武彦。職業は大学助教授の三十六歳。被害者とは以前交際があったのだが、新たな恋人が出来てしまい別れたとのこと。被害者から、脅迫的とも言える復縁を迫られていたらしい。事件当夜は自宅にてすでに寝ていたとのこと。一人暮らしでもあり、当然裏付けは取れていない。
三人目は中田圭二。職業は無職の四十五歳。もともとは被害者の経営する会社の下請け会社の社長であった。昨年被害者より下請け契約を打ち切られ、それに伴い経営が破綻。倒産を余儀なくされ、被害者個人に対しても強い逆恨みの念を抱いていた模様。事件当夜は自宅で家族とともに寝ていたと言うが、証言としては弱い。
四人目は渡辺淳也。職業は建設会社の営業マン。二十八歳。リフォームの仕事の依頼を受け、被害者と知り合う。妻子は無く一人暮らし。被害者に強く恋愛感情を持ち――財産に目が眩んだとの見方もあるが――、拒絶されながらも執拗に迫っていたらしい。いわゆるストーカーまがいの行為を繰り返していた。事件当夜は残業で遅くなり、車で帰宅途中であったと言うが裏付けは無し。
なお、四人ともその住居は被害者宅からさほど遠くない距離にあり、例えば家族と共に自宅に居たと言う中田圭二でさえも、家人が寝静まった隙をついて外出した可能性もおおいに考えられる。
事件の解決を大きく左右する、重大な目撃証言があった。
被害者宅のある町から近い距離に一人暮らしをしている女子大生が、事件直後に犯人とおぼしき人物と接触していたのである。彼女の非常に重大な証言に、警察関係者はみな色めきたった。
その女子大生――名前は八木下ゆかり、二十歳――は、現在絶対安静状態で総合病院に入院している。以下に、警察が医師の承諾を得て聴取した彼女の証言を再現する。
――あなたは何故、あの時間にあの場所で倒れていたんですか? それも頭部に失神するほどの怪我を負って。
「……はい。私はあの夜、自室でレポートを書いていました。夕食を採っていなかったもので、あの時間になって急にお腹がすいてきたんです。でも、家には何も買い置きがありませんでした。時間が遅くてお店はみな閉まっていましたので、歩いて十五分ほどのところにあるコンビニまで出掛けようと思ったんです。ええ、ご存知のとおり田舎町ですし、私のアパートの近くにはコンビニがないものですから」
――それで、あの人気の少ない被害者宅の側を通った?
「はい。あの道、暗いし人通りも少ないのであんな時間に通るのは気が引けたんですが、一番の近道だと思ったんです。私は早足で通り過ぎようと思ったんですが、ふとあの家に視線が向いて……」
――そこで例の、窓ガラスに書かれた赤文字を見つけたと?
「はい」
――そしてその直後に、犯人らしき人物に襲われたと仰るんですね?
「ええ。窓ガラスに書かれた赤い文字に目を凝らしていたら、急にあの家の庭から黒ずくめの人物が躍り出てきたんです。そして急に私に襲い掛かってきて……何か、バットのような物で殴られたのだと思います。風を切る「びゅん」という音が耳に入りました。それと同時に額がカっと熱くなって……気が付いたらこの病室にいました」
――その人物の顔は見ませんでしたか?
「……はい。暗くてよく顔はわからなかったのですが、男の人だと思います。私に襲い掛かってきたときに何か声を発したのですが、男の人のような太くて低い声でした」
――体格や服装、背格好などは思い出せませんか?
「全身黒っぽい格好をしていて、かなり大柄だったと思います。……百八十センチくらいでしょうか。ガッチリしていて、スポーツ選手のような印象を受けました」
――わかりました。それで、あなたが見たと言う窓ガラスに書かれた赤い文字のことなのですが、一体そこには何が書かれていたんですか? 我々が発見した時には窓ガラスは粉々に割られておりましたし、その前に何かでその文字を拭ったような痕もあって、識別が出来なかったんです。分かったことは、その文字が被害者の持っていた口紅で書かれていたということくらいで……。思い出していただけませんか?
「……二文字の、漢字でした。……人の名前だったと覚えています。でも、なんと言う名前が書かれていたのかは……残念ながら思い出せません」
――我々の推測では、被害者が今際の際に書き残したダイイング・メッセージではないかと考えています。きっと、犯人の名前を誰かに知らしめるために――。それに気付いた犯人が、あなたを襲って気絶させた後に、証拠隠滅の目的であの窓ガラスを叩き割ったのでしょう。あの辺りはご存知のとおり人通りは極めて少ないですし、時間は深夜です。周囲の人家から離れている所為もあって、物音に気付いた人はいなかったようです。
「そうですか……」
――いいですか? あなたの証言は非常に重大なものです。なんとかして被害者が書き残したその文字を、犯人に繋がる可能性の大きなその文字を思い出していただけませんか?
「……すみません。誰かの名前だったとしか……私、私、それ以上はどうしても思い出せないんです――」
――では、ここに四人の名前が書かれています。この中で思い当たる名前はありますか?
「……すみません。どれも思い当たりません」
――わかりました。それは後でゆっくり思い出してください。……もうひとつだけお聞きしたいのですが、あなたが襲われた後、男性らしき声で警察署に通報があったんです。――「若い女性が頭から血を流して倒れている」――と。現場にも、付近にもその通報者らしき人物は見当たりませんでした。そして、今も名乗り出てきておりません。その人物に何かお心当たりはございませんか?
「……さぁ――」
*
「お前の兄貴は刑事失格だな。いくら身内だからって、いや、身内だからこそお前にそこまで打ち明けるなんて、何を考えているんだ?」
北見の長い話を聞き終えたテリー鮎川は、嫌味を込めたような口調でそう言った。外はすっかり風が止み、しんと静まり返っている。北見はバツが悪そうに頭を掻きながら、言い訳がましくこう言った。
「いやぁ、俺たち兄弟は何でも包み隠さず話し合う間柄でね。はっはっは。……それに、兄貴はちょっとお前を試してみたかったのかもしれないな。俺に聞かせれば、きっとお前にも話が伝わるだろうと思ったのかもしれない」
テリー鮎川は、以前この町で起こった連続放火事件の真犯人を指摘したという実績がある。警察も手をこまねいていた難事件で、やはり今回のように北見吾郎との会話の中で、見事真犯人の名前を指摘したのであった。
「ふんッ」
あまり興味なさそうに鼻を鳴らすテリー鮎川。北見はニヤニヤしながら、思わせぶりな口調でこう切り出した。
「なぁ、さっき四人の容疑者についての話をしただろう? 実はその中で、今警察がもっともマークしている人物が居るんだが、お前は誰だと思う?」
「中田圭二だろ」
テリー鮎川は、何の逡巡もみせずに即座に言い放った。そして箱から煙草を一本抜き取り、口に咥えて点火する。
「な、なんでわかった?」
テリー鮎川は天井を見上げて紫煙を吐き出しながら、
「目撃者の女子大生の証言だよ。――何て書いてあったのかは忘れたが、人の名前だと思う――って言ってたんだろう? ここに四人の容疑者の名前を書いてみろよ」
そう言ってメモ用紙とボールペンを差し出した。北見は受取り、素早くペンを走らせる。そして名前を書き終えると、テリー鮎川にそのメモ用紙を差し出した。
テリー鮎川はさも面倒くさそうにそれを受取ると、ぼやくようにこう言った。
「女子大生が目撃した現場は、どれくらいの明るさだった?」
「いや、かなり暗かったはずだぜ」
「ふむ。じゃあ被害者宅の庭だが、どれくらいの広さだ?」
「うーん、実際に見たわけじゃないからハッキリとは言えないが、資産家だけあってかなりの広さだったらしいぜ」
そこまで聞くとテリー鮎川は、手にしたメモ用紙をヒラヒラさせながらこう言った。
「この四人の名前を見てみろよ。一目瞭然だろ? 被害者は《部屋の中》から文字を書いた。それに対して目撃者は、《部屋の外》から文字を見たんだ。ガラスの内側から書かれた文字は、外から見れば当然左右が逆になる。辺りはかなりの暗さであり、庭を隔てた窓ガラスまではそこそこの距離があった。つまりそんな状況の中であっても、《左右が逆になっていても人名だと判別する事が可能な文字》をこの中から選べばいい。すると、おあつらえ向きに一人しか残らない。――《中田》だよ」
北見は思わず口笛を吹いた。さすがはテリー鮎川といったところだが、まさかこんなに早く言い当てるとは思わなかったのである。しかしそんな北見に反して、テリー鮎川は浮かない顔で天井を見上げている。それからおもむろに口を開いた。
「警察は中田を拘留したのか?」
「いや、まだだ。そこまでの証拠が無いしな。今のところ、一番怪しいとマークしているだけにすぎない」
「女子大生の証言だけだからな。それならいいが……ときに、被害者が文字を書くのに使ったという口紅だが、それは本当に被害者本人の持ち物だったのか?」
「ああ、それは間違いない。何しろ、被害者本人が取引のあったイタリアの某メーカーから取り寄せた試作品で、日本国内では他に出回っていない品だそうだ」
「……」
それきりしばらく、テリー鮎川は黙り込んでしまった。合わせて北見も黙り込む。テリー鮎川がこのように押し黙っているときは、その脳裏を様々な思考が駆け巡っているということを知っているからだ。
十分が過ぎ、十五分が過ぎる。北見は沈黙に耐え切れず、痺れを切らして口を開いた。
「なぁ、さっきから何を考えているんだ?」
テリー鮎川はきょとんとした顔つきで北見を見返すと、ため息ひとつついてから重い口を開いた。
「いや、ちょっと引っ掛かるというか、おかしく思えることがあってな」
「なんだよ、そりゃ?」
「その目撃者である女子大生だが、どうもその証言にしっくりこないものを感じないか? 他の部分については結構詳しく覚えているのに、何故窓ガラスに書かれていた名前が思い出せないんだろう? たとえハッキリ覚えていなくても、その四人の名前を見せれば思い出せそうなものじゃないか」
北見は少し考えてから、
「俺も詳しくはわからないが、そういった一種の健忘症があるんじゃないか? あるちょっとした事柄だけ思い出せないような」
そう言って腕組みをしてみせた。
テリー鮎川が、自問自答にも似た言葉を更に続ける。
「窓ガラスの問題もある。警察が駆けつけたときには既に粉々に割られていたそうだが、だとすると犯人は、女子大生を襲った後で窓ガラスに書かれた文字を隠蔽したことになる。……それはまだいい。おかしいのは、窓ガラスに内側から書かれた文字が何かで拭われた痕があったということだ」
北見が口を挟む。
「犯人は最初被害者宅に戻って、口紅の文字を拭き消そうとしたんじゃないか? それでも上手く消せなかったから、思い切ってぶち割ったとか」
テリー鮎川は無言で首を振る。
「普通、殺人者は一刻も早く犯行現場から立ち去りたいと思うものだろう? 何しろ一度、その女子大生に遭遇してもいるんだ。一度室内に戻って拭き消そうなんて悠長なことをしなくても、最初から外側からぶち割ればいいじゃないか。いくら深夜で、人通りの少ない道だったとしても、また誰かが通りかかるかもしれないだろう? しかもそこには、頭から血を流して失神している女性が転がっているんだぜ。それに、警察に通報した人物っていうのは何だ?」
そこまで一気にまくし立てると、テリー鮎川は肩が凝ったように両腕をグルグル回し始めた。そして、同じように首もグルグル回す。やがてそれらを終えると、真剣な眼差しで北見の双眸を覗き込みながら語りだした。
「いいかい? これはあくまで僕の仮説だ。あくまでひとつの推理に過ぎない。そう思って聞いてくれるか?」
北見の喉がごくりと鳴った。そして、黙ったまま機械人形のようにコクリと頷く。テリー鮎川は、先ほどの四人の名前が書かれたメモ用紙を再び北見に手渡すと、ゆったりと落ち着いた声でこう言った。
「ここに、目撃者である女子大生の氏名を付け足してくれないか?」
「あ、ああ」
北見はメモ用紙とボールペンを受け取ると、先ほどの四人の名前の一番下に八木下ゆかりの氏名を追加した。そして、そのメモ用紙を無言でテリー鮎川に手渡す。テリー鮎川は手渡されたメモ用紙にチラと目を落とすと、北見に向き直って唐突に切り出した。
「僕の立てた仮説、推理では、この事件の犯人は女子大生の八木下ゆかりだ」
「――なッ、なんだって?」
「警察ももしかしたら、もうすでに彼女をマークしているかもしれないな。……窓ガラスに書かれた名前を見たなんて言わなければ良かったんだ。ただ、庭から飛び出してきた人物に襲われたとだけ言っておけばね――。僕の推理はこうだ。彼女――八木下ゆかりは被害者の家に上がり込み、リビングで首を絞めた。そしてそのままその場を立ち去ろうとしたんだ」
北見はもう何も口を挟まない。置時計の秒針の音が、室内に静かに響いている。
「しかし、被害者はまだ息絶えていなかった。必死で窓ガラスまで這っていき、手元にあった口紅で犯人の名前――八木下だか、ゆかりだか――を書いた。それを犯人が見つけ、慌てて駆け寄ると再び首を絞め上げる。……絞痕が二本あったのはそのためだろう。それで今度こそ息絶えたのを見届けてから、窓ガラスの赤文字を拭おうとした。しかし、なかなか上手く拭き消すことが出来なかった。もしかしたらその口紅は、特殊な原料が使われていて落ちにくかったのかもしれない。そこでやむなく、窓ガラスを叩き割った」
テリー鮎川はここで一息入れると、グラスにウイスキーを注ぎ足して一口含んだ。少し顔をしかめながら、そのまま話をつづける。
「そして逃亡しようと外に走り出た際に、ある人物と出くわしてしまった。きっと彼女と関係の深い男だろう。興奮した彼女と、事態を知って慌てふためく男――揉み合っているうちに、男は彼女を突き飛ばすか押し倒すかしてしまった。路面に頭を打ち付けたか、あるいは近くに電柱でもあったのかもしれない。窓ガラスを割るのに使った鈍器を彼女が持ち出していて、それが何かのはずみで彼女自身の頭を襲ったのかもしれない。ともかく彼女は昏倒した。そして男は彼女がただ気絶しているだけだと気付くと、公衆電話から警察に通報してそのまま立ち去った」
北見にも何となくその場面を想像することは出来た。しかしまだ、いまいち頭にピンとこない。その疑問を口にする。
「もしその仮説を取るとしてだ、一体彼女の動機は何なんだ?」
「さぁ……というのはあまりにも無責任だから、これまた僕の仮説で話を進めさせてもらおう。……彼女には恋人がいた。そして、その恋人にとっても、彼女にとっても、被害者の存在は邪魔者以外の何者でもなかった。そこで彼女は被害者の殺害を思いつく。うすうす彼女の行動に不安を覚えていたその恋人は、彼女が深夜にも関わらず部屋に居ないことに驚いて、もしやとの思いで現場に駆けつけ、最悪な状態を引き起こしてしまった彼女と遭遇した」
グラスのウイスキーをちびりと舐めてから、北見が問うた。
「その、彼女の恋人っていうのは誰だったんだろう? お前は誰だと思ってるんだ?」
「いくら仮説でも、そこまでハッキリとはわからないよ。データが少なすぎる。でも可能性として高いのは、新城武彦あたりではないかなぁ」
「その根拠は?」
「僕の仮説で推し進めると、一番その人物像に当てはまるのが彼だからだよ。被害者とは以前交際があって、新たな恋人が出来たことから別れているんだろう? それに被害者から、脅迫的とも言える復縁を迫られていたらしいじゃないか。それに彼の職業が大学助教授で、八木下ゆかりが女子大生だというのも何だか暗号っぽくて面白いじゃないか」
そう言ってテリー鮎川はにやりと笑うと、何やらわけのわからない節回しで鼻歌を歌い始めた。北見はそんな彼を呆れた様子で見つめながら、なおも問い掛ける。
「それは全部、お前の仮説にすぎないわけだよな?」
「当たり前だろ。最初からそう言ったじゃないか。こんな仮説も立てられる。……八木下ゆかりは、被害者を亡き者にしたいと目論んでいた四人の男たち――自分の恋人も含めた四人の男たちを知っていた。そこで事情聴取の際、窓ガラスに書かれた名前のことで偽の証言をし、警察の目がわざと中田圭二に向くように誘導した。……また、もし四人の男たちの名前を知っていたならこんなことも考えられる。窓ガラスを叩き割った理由だ」
「その理由とは?」
「うん。最初彼女は口紅の文字を拭き消そうとした。それはある程度うまくいったのかもしれない。少なくとも、はっきりと文字が識別できない程度には。しかし、完全に綺麗に拭き消すことは出来なかった。……四人の男たち――彼らの名前は苗字も二文字、下の名も二文字だ。それに対して八木下ゆかりは、姓も名もどちらも三文字。赤文字自体はぼやかす程度に拭き取れたかもしれないが、三文字で書かれていたという痕跡だけは消せなかったのかもしれない。警察は四人の男たちの情報を握っている。そこから糸をたどって、彼女に辿り着くかもしれない。だから、窓ガラスを叩き割った」
北見は、いつの間にかじっとりと手のひらに汗をかいていたことに気が付いた。それをジーンズに擦りつけて拭うと、あらためてテリー鮎川の顔を見つめなおしてこう言った。
「お前、すごいな」
「はっはっは、全然すごくなんてないよ。僕のこんな推理なんて、砂上の楼閣みたいなもんさ。もし被害者が書いた文字が、漢字じゃなくて平仮名だったら? そもそも名前なんか書かずに、全然関係ないことが書かれていたら? 新城武彦と八木下ゆかりが、何の面識もない他人同士だったら?」
北見は一気に肩から力が抜けてしまった。よほど間の抜けた表情を見せていたのであろう。テリー鮎川は彼を見てプっと吹き出しながら、
「もしさっきの仮説がお気に召したんであれば、兄貴に言って八木下ゆかりの交友関係、特に新城武彦との関係を調べてもらったらどうだ? それと、八木下ゆかりはまだ入院しているんだろう? 彼女の身に付けていた衣類を調べてみるのも面白いかもしれないな。もしかしたら被害者の髪の毛が付着しているかもしれないし、あの、日本にひとつしかないっていう口紅の原料が検出できるかもしれない。身体の汚れは病院側で拭き取ったかもしれないが、爪の間から何か面白いものが出てくるかもしれない。……まぁ、なーんにも出てこない可能性だってあるけどね」
そう言ってグラスを傾けた。
北見は腕時計に目を落とすと、すっかり根が生えてしまった重い腰を持ち上げる。放り出してあったスポーツバッグを肩に掛けながら、テリー鮎川を振り返りこう言った。
「とりあえずお前の立てた推理、兄貴に話してみてもいいか?」
テリー鮎川は笑顔でこたえる。
「どうぞ、ご自由に。僕はまたこれから、色々な仮説を立ててみるよ。今までのデータだけでも、あと二つくらいは面白い仮説が立てられそうなんだ。……まぁ、どれが真相だろうと構わないんだけど。というよりも、僕が真相に辿り着けなくたって全然構わないんだけど」
北見が少し驚いたような顔で振り返る。
「お前って珍しいな。普通ミステリー小説に登場する名探偵とかって、『私は犯人が誰であろうと興味が無い。ただ私は、真相を知りたいだけだ』なんて言うけど、お前はそんなタイプじゃないんだな」
テリー鮎川は爆笑した。目に涙をためながら、
「おいおい。僕は名探偵なんかじゃないし、ごくごくフツーの探偵でもないよ。単なるミステリー小説の愛好家だ。真相を突き止めるなんてことより、ただ色々と推理を組み立ててみることが好きなだけだ」
そう言って立ち上がり、北見の肩に手を置いた。
「駅まで送っていこう。ちょっとしゃべりすぎたから、外の新鮮な空気が吸ってみたくなった」
その言葉が言い終わらないうちに、テリー鮎川は新しい煙草を口に咥えていた。
――了――
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2005/11/14(Mon)17:17:31 公開 / 時貞
■この作品の著作権は時貞さんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
11/14:微修正
「渡辺淳」の名前を「渡辺淳也」に修正しました。これでないと主人公の言葉が可笑しくなってしまうもので(汗)あと、ラスト近くを微妙にいじってあります。
こんな些細なことでUPしてしまって誠に申し訳ございません(汗汗)
お読みくださりまして誠にありがとうございました。
初めてミステリ系のショートX2を書いてみました(これをミステリと呼んでいただけるのかは、はなはだ自信が無いのですが 汗)。なにぶんミステリ初心者が書いた拙作ですので、叩けばいっぱい埃が出てくることと思われます(汗)僕にとって本格的な謎解きミステリは、まだまだまだまだ遠く及ばない世界なのです。
一人でも楽しんでいただけたのでしたら嬉しいです。感想などいただけたら狂喜乱舞します(笑)
それでは、よろしくお願い申し上げます(^0^)/