- 『Caduto』 作者:春一 / 異世界 ショート*2
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全角6625.5文字
容量13251 bytes
原稿用紙約20.05枚
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ここでいいわ、と少女が云った。
青年は云われた通りに彼女を降ろす事が出来ず、負ぶった侭緩慢に数歩歩き、寄りかかっていた瓦礫の終わる所で派手に転倒した。
膝を力なく折り複雑な角度で倒れこんでから、結局仰向けになって寝転ぶ事しか出来なかった。杖代わりに衝いていた鋼鉄の弓が跳ね飛ばされて、誰のものかもわからない血溜まりにびちゃりと軽く沈む。
何もかも無様だった、と後に青年は語る。
力ある者は戦いに果て、己が内の妄想の中に囚われた者は自害をし、最期まで生に縋った者すら爆発的に広まった病魔に追い討ちを受け、朽ちていった。
二人の周囲を囲むモノは、世のあらゆる滅びと死。国という群体の、終末の姿だった。
彼は背中の異様な生暖かさと鼻につく鉄の匂いを感じつつ、先刻遊び程度に止血した己の右足を見ながら少女に尋ねた。
「出血の度合いは」
「もうすぐ致死」
「――そう」
彼と彼女は仕事柄、戦闘方法や役割の差異こそあれ、互いに幾度もの死線を越えてきた強者だった。
だから、己の血液がどの程度体外に放出されると死に至るのか熟知していた。その上二人が二人とも、戦いの中で事実認識を誤魔化す、等という行いを徹底して避けて来た為、交わす言葉は状況に似つかわしくなく、いつものように端的且つ事務的だった。
◆
発端は何だったのか、もう記録すらも焼けた頃であろう。
端的に言えば、どの国にも有り触れた政的な腐敗。それが風邪をこじらせる様に暢気に、しかし着実な速度で悪化して、良策を見出せないでいる内、気づいた頃には取り返しがつかなくなっていた。何処かで必ず来ると信じられ疑われなかったターニングポイントは、その国に無かったのである。
民に暇は無かったが、生きようとする意欲くらいは在った。そして個人主義に過ぎた。だから公たる政治を批判する間に反抗組織を領内の各地に勝手に作り上げ、文字通り紛争が勃発する様になってしまった。
――それが国家にとっての当面の救い、民にとっての厳然たる弱点だった。
民の団結力は低く、その為大きな抗争や交渉が起こるでも無く、完遂後徹底して攻撃を受けるというリスクのあるクーデターを起こそうにも圧倒的に人員が足らず、小さな造反勢力と、国家側が対応策として設置した特殊な公用武力組織による紛争が半世紀以上もの間ずるずると続いていた。
そして最近、最も偉力を持つとされる反抗勢力に人員が集結し、軍との前面衝突と相成る。そこでは主に、自治にあたっていた少数の公用武力組織が壮絶な戦果を上げるも、軍は彼らを撤退の為の撒餌として残し消失した為、虚しくも勝者は残されず、首都は伝染病の蔓延する巨大なブランクとなった。
その国家の撒餌とされ残された少数派である、元・公用の自治組織に、青年と少女は先刻まで所属していた。
◆
どちらかといえば楽天的である少女は、いつものように思っていた。
状況としておあつらえ向きに、また、最期に己の嗜好を満たしてくれる為に雨でも――彼女は雨が好きなのだ――降れば良いのに、と。
しかし空は深く曇天であるものの、彼女の為に泣いてくれるつもりはあまり無いらしい。――もとい、その時まで自分の身体を保たせる事に、彼女は甚だ自信が持てなかった。
「持って帰った方が良いのか」
何をと問うでもなく、彼女は柔らかく首を振り、
「ううん。それに、どこに持って帰るっていうの。腐乱して白い骨に成った上、あなたの道行きの荷物になるなんて厭」
「白い骨…ね……。まぁ、一本くらいなら邪魔にはならないけど」
それでも厭、という彼女の楽な拒絶を聞きながら、青年は懐から銘柄の良く判らない煙草を取り出して吸い、
「不味いな」
一度飲んだだけで箱ごとうち棄ててしまった。出る時、確か上官に渡された物の筈だった。呑み慣れてなどいなかった。
この間にも血は止まらず、流れている。
青年は光の無い白髪に、攻撃的な熱を灯した紫眼だった。そして背の中ほどまで髪を伸ばし、分厚く黒い防刃のロングコートに身を包んでいる。背は年のころからして、平均より高い。
少女は茶に近い赤眼、アッシュブロンドの波打つ髪を肩くらいまで伸ばし、黒いスタイリッシュなローブを着込んでいた。背は年のころからして、やや低い。
二人の衣服にはどちらにも、その意匠に見合う様に銀板が縫い付けられている。
そしてその地に、上下・左右対称の黒い十字が刻んであった。
二人は互い、血と戦塵に塗れ、全身の筋繊維が疲弊して、もう一歩も動けなかった。
青年は一人でなら脚を引きずって移動する事も可能に見えたが、少女の方の身体は既に、肉と骨としての、また脳としての働きを失いつつあった。
青年は、他にすべき事も、行く場所も無いのだからと、この少女の最期を看取るつもりでいた。そしてそこに有り触れた悲壮感は無く、他の仲間の場合とは違い、状況として見葬る事が許されている事に、一握りの幸運と幸福を感じていた。
戦うべき敵は、残らず全て討った。
“社会から見る結末”はともかく、成すべき事が成せたかはともかく、もうやるべき事は全て終えたのだ、と二人は互いに思っていた。
「――霞んできた」
唐突に少女が言った。視界の事である。
白髪の青年は、昏い紫の瞳で前を見たまま表情に変化を見せず、何か言い残していけとだけ云ってやった。最早、そう云う事しか出来なかった。少女は眼だけを閉じて頷いて見せた。
「……こういう時の為に決めておいたんだけど、」
なんだろうか、と青年は思う。
元々彼女は、自分の死に際に何を言い残すか考える等という些事に時間を割く筈の無い人物だった。それに、言い残す相手が居ない。
彼女は国外から来た人員だったが、両親はとうにこの国に対し造反する者の一人に殺されている。友人も無ければ、まして恋人など居よう筈も無かった。
だから只、やるべき眼の前の事だけに、全てを費やしてきた。
そう、持てた筈の時間も、絆も、運命に殺されている。
今、そう考えている青年自身も例に漏れずそうだった。
ひたすら純粋であるが故に、安定した情緒と価値観を持たないが故に、決して倦み疲れる事の無い少年少女で構成されたその集団は、残らず全員が復讐者だった。
だから不思議だと。
およそ何も残せなかった、復讐という意味の無い事柄に費やされた彼女の生涯だったからこそ、青年は少女があらかじめ末期の言葉を考えておいた事を不思議だと感じたのだ。
――価値ある時間と暖かい絆。
人を人たらしめているのは、これら二つで全てである。
それを知らずして生きてきた人間は―― つまり、彼ら二人と幾人かは、常軌を逸した人外の存在と云って良かった。その道を、このもう亡い国の目指した『正義で制圧する自治』という目的はともかく、己の親族を殺した人間をこの国の犬となってでも殺し返して殺し尽くしてやる、その道を選んだ時点で彼と彼女は人間失格だった。
造反者であるのなら、その親族をも殺す権利を、彼らは持っていた。
しかし個人の理由はどうあれ、結果として人を殺しているのなら、彼ら二人は化け物なのである。
どう言い逃れをしようとも、そう。そういう道を歩ませた彼らの不幸な境遇は、他者に向かって云う為の言い訳に過ぎない。
彼らを取り巻く世というものは、現実というものは、そう判断する様に出来ていた。
母親を殺されたとして、その仇を取って良いと許す法は何処にも在りえない。その為合法的に仇討ちを行う手段として、彼や彼女は国家の犬になる事を選んだ。
そういう救えない顛末である。
と、そこで、
「あなたは人も自分にも、厳しすぎるの」
一瞬何のことかわからず、彼は は? と聞き返してしまった。
少女は苦笑して、しかしあまり時間が残されていないので説明を避け、続けた。
彼もすぐに、彼女の意図を半分まで察して黙る。もう半分は『末期の言葉を何故自分に対してなど残すのか』という疑問で埋め尽くされていた。
「あなたを見てるとね、疲れちゃうの。――ん、あ。嫌悪という意味ではなくて――こう、痛さが伝わって来てしまうの」
「どうして?」
彼は只々先を促す。彼女はあどけない顔を苦笑させて、
「自分は大抵はぐらかす癖に、他人から伝わって来た事は全部バラバラに分解して、成分毎に調べているみたいに見えたから」
「臆病だからね。こればかりは」
少女はくっくっと笑い始めようとして、傷が開いたのか小さく呻いた後、腹部を押さえて黙った。
それでも彼は手を貸さない。ここで自分が何を出来るとも思っていないし、何より手を貸す事など、戦う者としての彼女の誇りを傷つける事に他ならない。
酷い疲労と、それ以外の何かによる重いやつれを顔に浮かべながら彼女は続けた。
「でも、それじゃあこの先辛いから。そのままだときっとあなたは孤独になる。相手がそれで良くっても、きっとあなたが辛くなる。――そんなのはわたしも辛くて、見てられないから」
彼は茫と、前方を見たまま表情を動かさない。その表情からは、何を考えているのか誰にも読み取れない。……いや、或いは今側に居る少女にくらいには理解できたのかもしれなかった。
「……うん。それじゃあ、どうしたら良い?」
少女には、彼は不器用ながらあくまで会話の流れとして、自分の言いたい、しかし言いにくい事を引き出してくれているように思えていた。この言葉は情の欠片か、と、そんな珍しい物を彼から引き出せた事に、ほんの少しの喜びを覚えた。
こんな種類の会話は少しも今までになくて、彼女はこの後に及んでも少し言いよどんでいた――それを、彼に見抜かれていたのだった。
もう土気色に近くなった顔に、弱い笑みを浮かべる。
「不器用だから、あなたは人の穢れも自分の穢れも全て残らず裁こうとしてる。――あなたはよく物語を読むわね?」
「読むね」
少女は嘲るような優越感の欠片も持たず、只優しく母親の様に笑んで次のような事を言った。
餓鬼、と。
彼は、凄まじい糾弾だな、と笑った。
彼女は優しげな瞳を遠くへ向けながら、彼と並ぶ様に瓦礫に背中を預けた。
「私は物語なんて書いた事が無いからわからないけど、これだけは言えるわ。あんなに物事を割り切れる、都合の良い人間なんて何処にも居ない。物語の登場人物は、主人公ですら物語を形成するピースに過ぎないの。
人間っていう意思総体があんなに上手く絡み合う筈が無い、だから物語はまるでリアルじゃない……。だからこそリアルが求められて、それに『近いだけの』物語を綴った本に人気が出るの。わかるでしょ?」
「頭ではね。でも、俺は本の世界の方が嗜好として好きで――、肯定したいね」
彼は即答した。
――それは世に背を向けて拗ねている訳では無い、彼の本心だった。
死の間際に在る仲間をおいて尚、口だけの建前ですら崩したくはない、彼の意地だった。
事後に顔を見られ、やむなく見知らぬ子供を殺したり、
味方に裏切られ、あまつさえその彼に撃たれ、
何十何百という人間を手にかけた罪悪感と修羅から心を護り、正気を保つための。
それはそういった壮絶な過程を経て編まれた、余りに強固な結論としての嗜好だった。
彼の心は倒錯するほど脆くは無いが、精神の果てまで逃避する程に弱くは出来ていた。
それを全て知って居て、しかし同じ境遇にある少女は続ける。
「――あなたのその、固い結果をくつがえせるとは思わない。好みを変えてと迫る事もしない。…何故って、あなた、強情だもの」
――或るいは、少女も。
今のように、死という生物にとっての終末に直面する以前は、今の彼と同様だったのかもしれない。
無理も無い――、確かに状況として、過去の経過として無理は無いのだろうが、世界はそれを許してはくれない。彼女はその事に、最期の最期に気づいたのかもしれなかった。
(……血を流し過ぎて、頭が冷えたのかな)
と諦めた様に、けれど卑屈さの欠片も無く独り微笑む。そして、微笑んでこそ言う。
「だけど、わたしの言葉は覚えて居て欲しい」
「――うん、多分。覚えてなら、ずっと居る」
彼は、即答した。
最後まであまのじゃく、と彼女は言い、言葉を次ごうとして沢山の血をごぼりと吐いた。
青年のコートは吸血鬼の様に、鮮血の紅を黒に同化させ、吸っていった。男性にしては細すぎる、しかし幾度も頼りにして来た腕に抱きとめられて、黒い十字の中心を見据えながら、彼女は生の証たる言葉を紡ぐべく口を開く。
「……わたし達がこうなるより他に無かった様に、人の歪んだ部分には全て理由があるの。だからどうか、全てを裁かないであげて。冷たいこの世の中の様に、全てに等しく審判を下す権利なんて、あなたにも、わたしにも無い。
――ましてわたしは、あなたにそんな冷たい人間に成って欲しくなんて、ない」
「そうか」
「うん、そう。だから、今すぐ多くを認められなくても、時々は――、」
もう一度血を。けれど今度は、その量に比して余りに勢いが無く、彼女は口内に溜まった沢山の血を、口の横から惰性で流し、
「――時々は、ゆるしてあげて」
そう言った。そして息を荒げて、今際の際に居る人間とは思えないほどの、壮絶な力を篭めた左手で彼の服の袖を握った。そして血塗れの右手を、愛し子にそうするように優しく当てた。
「……人は、良い部分も悪い部分も含めて一個の人だとわたしは気づいたの。
悪い部分を完全に否定してしまう事は、その人の一部を殺す事になってしまうでしょう?
だから、わたし達が今までやって来たみたいに殺すのでは無くて、せめて心の中にくらい、居場所をつくってあげて」
「――……」
「わかったかとは聞かないわ」
少女の左手は、最後に青年の首を一瞬だけ力の限りに絞めた。それから、
「――でも、お願いね」
静かに眼を閉じ、頬に当てていた右手から力を抜き、少女は全ての生命活動を停止させた。――何故か、酷く、幸福そうな表情をして。
◆
血の手形を拭うこともせず、彼は脚をひきずって立ち、無言のままに彼女の亡骸を埋葬した。
それから街の外を見て思う。これからどうすべきか、と。
どうしたいのかでは無く、自分のやるべき最良の事柄は何なのか、どうすべきなのか、と。
彼にはまだ、人として人らしく、心から人間と関わる必要があった。そう、自覚していた。
脚を引きずって立ち、ろくな荷物も持た無いままに歩き出す。
持って行くなとその宿主に言われているのだから、その身体の、偽りの温かさに未練は無い。
ただ、負傷した右足のせいで走れない事が辛かった。
走って、身体に回る生気と昂ぶりに任せて泣くことが出来たら、どれほど楽かと考えた。同じ泣くのでも、弱々しく涙しながら歩いて行く等、本当に無様に過ぎる。迷子とそう変わらない。
けれどその時、彼には、何処からかこんな声が聞こえた気がした。
あまり辛かったら、何処で如何泣いたって構わないでしょう、と。
……呆然とした様に、今しがた亡骸を埋め、土を盛り、墓標の代わりに残った矢の一本を付き立てた場所を振り返る。
自分で変えようの無い事実として、自ら変わってくれる筈の無い現実として、一番最近の戦闘で死亡した、只の仲間の墓を見る。
彼は、攻撃的に笑んだ。
それは少なくとも、恋人に対する笑みでは無く、また長く一緒に居た友人への笑みでは無く。
身体であろうと心であろうと、互いに互いの一番弱い部分を、また強い部分を、戦いという奈落の底に堕ちていく途中で理解し、指摘し、そして補い合う機会の在った、一人の仲間への笑みだった。
「――今更に女性気取りか」
血溜まりと馴れ合ったままの弓は置いていく事にした。
負傷した右脚を引きずり、滅んだ全てを無視し、背を向け、精々格好悪く、前方だけを見据えて青年は歩き去る事にした。
最期の最期に、あれの本当に思っている事を異性として優先してやれなかったと、そう悔いて。
けれど、彼女にはまるで思い残す事など無いのだと、確りと理解しながら。
あの仲間は終始女性であったと、彼は今でも思っている。
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2005/11/10(Thu)17:20:03 公開 / 春一
■この作品の著作権は春一さんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
忙しいにゃあ……
む、愚痴を言いましたごめんなさい(帰れ帰れ
さて、此処まで来ると殆ど初めましてですね。春一といいます、よろしくです。
主に現代風ファンタジーとか、生ぬるくてややえちぃ恋愛物とか、ダークな戦闘・心情描写とかを好んで書くそうです。
ギャルゲーに触れる機会がありません(何
諸事情があって、推敲してる時間の方が長かった分はしりきれトンボは避けられているかと、多分。
タイトルは伊語で『戦死者』という意味だそうです。
それでは感想指摘賛辞罵倒、あれば宜しくお願いいたします。
m(__)m