- 『シキ-小さな出会いの物語-』 作者:十魏 / 異世界 未分類
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全角18847文字
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原稿用紙約57.2枚
出会うはずない相手に、会いたいと願ってしまった。変わりゆくものと変わらないものの中で、不安と怯えを抱きながら、たった一つの出会いを願った。
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それは、小さな小さな、出会いの物語。
「名都」
自分と全く違う色をしたその空間。その場所に足を踏み入れた名都に、空間の主、亜祈は振り向いて微笑んでくれた。
「久しぶりだね、亜祈」
名都は亜祈のもとに駆け寄る。駆け寄るときに湿った熱い風が立つのを、亜祈は目を細めて見つめていた。
「えぇ本当。一年ぶりですね、名都」
「そりゃぁね」
亜祈の言葉に名都は笑顔を見せる。名都の笑顔は眩しい。キラキラとした、眩しい太陽みたいな笑顔。それを見て、亜祈も優しく笑う。亜祈の笑顔は綺麗。静かで、優しい。笑顔のまま、静かな声で亜祈は言う。
「……もう、そんな時期ですか」
「うん」
二人が出会うその時期。
一年に一度訪れて、季節は緩やかに移り変わる。
「まだ、ヒトは夏を楽しみたいんじゃないですか? ヒトは夏が好きだから」
亜祈がからかうような口調でそう言うと、名都は口を尖らせる。
「そんなワケないって。ヒトは暑い暑いばかり言ってるんだぜ。暑くない夏なんて、夏じゃないだろう!」
「確かに。でも、秋も深くなると、ヒトは寒いばかり言ってますよ。ヒトは本当にわがままですね」
「秋で寒いなら、冬はどうなるんだよ」
名都の意見は最もだ。亜祈は少しだけ肩をすくめた。
「確かに冬はもっと寒いです。でも、とても綺麗だから、ヒトは皆、冬も結構好きなんだと思いますよ」
「へぇ……」
名都は髪をかきあげて、興味深げに亜祈の言葉を聞く。冬は綺麗、そういう亜祈自身がとても綺麗だから名都は何だか不思議な感じがするのだ。
「秋も綺麗じゃん? 夏っていえば、緑色の葉っぱが生い茂っている樹とか、鮮やかな色の花とかだけど。でも秋は、紅い葉っぱと黄色い葉っぱが樹から一斉に降るだろ? すごい、めちゃくちゃ綺麗じゃん」
名都はそう言って、その空間をゆるりと見回した。自分とは全く違う色をしたその空間に、さらさら、紅色と黄色の葉が降り注ぐ。幾回も見てきたその風景は、でもそれよりもずっと慣れ親しむ夏とは全く違って、やっぱり慣れない。それでも、慣れないその風景は、綺麗だと思う。
「夏というのは何もかもがキラキラと輝いていますからね。秋はね、そのキラキラが少しづつ、少しづつ静かになる時期なんですよ」
ちょうど、貴方の髪の色から私の髪の色みたいに。そう言って亜祈は微笑んだ。名都の眩しい金の色をした髪は、亜祈の暮らすこの場所にはあまり溶け込まない。亜祈の静かな深い茶色をした長い髪が、この静かで深い色をした土地に静かに吹き込む風をうけ、着物をかすめるように揺れた。
この場所は秋の色をしている。名都は一年に一度だけ、秋をこうやって見ることができる。鮮やかな色の花や樹を見慣れている名都にとって、この場所はとても不思議な。神聖な場所。
「ねぇ、亜祈? 秋が、夏から少しづつ静かになってゆくのなら、冬は一体どんなものなんだ? さっき綺麗って言ってたけど、秋より、綺麗なのか?」
「冬ですか……?」
亜祈は、ゆっくりと茜色に染まる空を見上げて言う。名都も見上げた。夏の夕方にもこんな色の空はあるけど。この場所で見る茜色の空は違う。本当に鮮やかで綺麗な茜色、名都は感心してしまう。今にも燃えそうな、それでいて優しい赤橙が覆い被さる。
そう、言葉で表せれないくらい綺麗なのに、何だか寂しい、空の色。
「冬と秋は全く違いますから、比べられませんよ。それに私は秋を司る者、秋が一番好きですからね。でもね、冬は本当に美しいんです。静かになった冬の地をね、空から降る真っ白のものが覆い隠すんですよ」
「真っ白の、もの?」
「えぇ、雪っていうんです」
亜祈がそう言いながら、降ってきた紅葉の葉を一枚とる。真っ白な雪。名都には、それは想像もつかない。数ヶ月前にも出会った羽琉の世界には、空からこぼれてくるという薄紅色のサクラというものがある。秋には黄色や紅色の葉が、空から。だけど。
「……夏には何も降らない。雨しか」
「季節にはそれぞれ特色があるんですよ、名都」
亜祈は困ったように笑って、そう言った。そんなこと、名都だって分かっている。だけど、全く想像がつかないのだ。白いものときいて、名都の知る世界で真っ先に思い浮かぶのは雲だ。あの透き通るような水色の空にかかった、真っ白の雲のようなものが、空から落ちてくるのだろうか。それは、本当に綺麗なんだろうか。
名都が俯いて考え込んでいると、クスリ、笑い声。亜祈は小さく笑っていた。
「貴方はいつからか、時々思いたったようにひどく冬の話を聞きたがるようになりましたね」
「……そう?」
「えぇ。――貴方たちは、何だか似ている」
「貴方たちって?」
「名都と、風由ですよ」
名都は意外そうな顔で、亜祈を見る。思いもかけない言葉を紡いだ亜祈は、更に続ける。
「風由もですね、よく夏の話を聞きたがるんですよ」
「へぇ」
名都は目を瞬かせた。風由、まだ見ぬその存在。自分が司る夏という季節の他に存在する三つの季節。その中で、唯一隣り合わないのは冬という季節だけだ。その相手と似ていると言われると、それはとても、不思議な感じで。
「どうしてでしょうね、私はそれほどまでに春という季節に興味は注がれません。そりゃぁ全く興味がないと言ったら、嘘になりますが」
亜祈はそう言うと、先ほど手にした紅葉の葉を空に透かしてみせた。葉の薄くなっている場所から、光。茜色の弱い光が差し込まれて、うっすら輝いた。亜祈は満足そうに笑う。それを見て名都は、あぁ本当に亜祈は我が季節を愛しているのだろうと思う。それは勿論、名都だって変わらないのだけど。
「私は秋をこよなく愛しています。そして、同じように夏も冬も、全く違うその世界が綺麗で素敵だと思います。だから春もきっと素敵な季節なのだろう、と。直接知らずとも、少しの知識ぐらいはありますし」
「うん、春も、何だか、温かくてほわほわしてて……俺も、春はすごくいい季節だと思うよ」
「そう。私は、それでいいと思うんですよ」
亜祈はそう言って、優しく微笑んだ。深い茶色の長い髪が、ゆらりゆら、静かに揺れた。
「どういうことだ?」
「だから、私は春という季節もいい季節なんだろう、そう分かればそれだけで良いのです。でも、風由や名都の感覚は、違うようですね」
そう言って、亜祈はもう一度優しく笑った。名都にはその言葉が、深く染み入った。そういえば、羽琉もそうだ。名都はしばらく前に会った、春を司る者を思い出す。羽琉は、夏と言う季節の話を聞き、自分が司る春の話をするけれど、秋と言う季節に対しては話を多少は聞いても、あまり興味を示さない。
亜祈と羽琉は雰囲気が大分違うのに。しっとりとした落ち着いた雰囲気が亜祈なら、羽琉はほわほわした、まるで砂糖菓子のような雰囲気を持つ。優しい笑い方は似ているかもしれないが、でも大分違う二人は、だけど自分の知らない季節に対してそんなに興味を示さない。
何故だろう。だって、知らない季節、隣り合わない季節なんて、気にならないはずないと思うのに。不思議に思って、名都は考え込んだ。そんな名都に亜祈は声をかける。
「名都、とりあえずこちらへどうぞ。お茶をお出ししましょう」
そう呼ばれて、名都は顔をあげた。空間の奥に移動した亜祈は、木造りの机を前にお茶の用意をしていた。名都はその方へ向かって、足を踏み出した。自分の季節とはまるで違うその空間を、ゆるやかに歩む。たくさんの淡い黄色や赤い色をした葉が降り注いできた。自分の世界にある向日葵やトマトの、鮮やかな黄色や赤とはまるで異なるその色を、綺麗だと名都は思った。まるで違う色なのに、同じ赤色や黄色と呼ばれるのが不思議だと思った。
カチャリ。茶器が小さな音をたて、熱い湯気が立てられた。茶色い木造りの机は、その空間に溶け込むように一体化している。備えられた同じく茶色い木造りの腰掛に名都が腰掛けると、亜祈はどうぞと湯飲みを差し出してくれた。熱いそれを、名都は両手で包み込みながら言った。
「なぁんか、亜祈は洋風のようなイメージもあるんだけどなぁ」
「何ですか、それは」
亜祈は短く笑った。自分たちが季節を司る倭(やまと)の国は、いつしか外の国の文化を受け入れて、その洋風と言う言葉も生まれた。昔は茶碗に湯を入れて飲んでいた人々は、いつしかティーカップというものに紅茶やコーヒーを入れて飲んでいる。それと共に、ヒトは季節というものを少しづつ変化させてきていると名都は思う。
季節は、もしかしたらもうヒトにはあまり必要ないのかもしれない。
「俺の季節は、あんまり意味がないのかなぁって思うんだ、時々」
「どうしてまた」
熱いお茶をすすりながら、名都の呟きに亜祈はそう切り返す。
「だって、ヒトは俺の季節には暑い暑いと言って、建物の中に篭ってしまうだろう。そうして建物の中は、他の過ごしやすい季節のような、例えば春や秋のような温度に作られている。そしてヒトは言うんだ、暑いなぁ早く涼しくなったら良いのにって。俺の季節は、じゃぁ、何のためにあるんだ」
「名都がそういうことを言うとは、意外ですね」
亜祈はまた、お茶をすすりながら言う。そして湯飲みを置くと、ふわり、立ち上がって歩く。少し歩いた所で立ち止まると、着物の袖口をつかんで一本の樹に手を伸ばした。淡い茶生地の長着を纏う亜祈。洋風のようなイメージがあるといった亜祈は、しかし、ひどくこの和風の出で立ちを落ち着かせる。
名都は、自分たちが季節を与える対象の、倭の人々が今やそうしたように、自分たちが洋風の、現代風とも言われるあの出で立ちをした様子を思い浮かべ、思わず吹き出した。亜祈も羽琉も自分も、そしてまだ見ぬ風由もきっと、それはあまりに不自然なものとなりそうで。そういったイメージは、具体的に想像すると、やはりどこか定着しない。名都は、自分の身を覆う夏用の短い着物――甚平のようなその和着を見る。自分たちは、きっといつまでもこのままだろうと思った。
ヒトの世界が変わっても、ずっと。
「何を笑ってるのですか」
「いや……ちょっと」
亜祈が不思議そうにそう言って、歩み寄ってきた。首を振って見せた名都は、一瞬微かな甘い香に包まれる。
「なんか、甘い匂いが……?」
「ふふ、いい香でしょう」
亜祈は微笑んで、手に持っていた細かな薄い橙色の花を名都の目の前に散らした。とたん広がる、脳の奥まで染み入るような、甘酸っぱい匂い。
「うわっすげぇ甘い匂い! なんだ、これ」
「金木犀ですよ、名都。匂いは多少キツイかもしれませんが……私が最も秋の中で好きな花なんです」
そういって、亜祈はその先ほど腕を伸ばしていた金木犀の樹を指差した。その樹には、確かにところどころ、橙色の細やかな花をつけている。多少強さのある、甘く酸っぱい香。
「秋には、こんな花があるんだな」
「えぇ、秋は様々な花と……何より、様々な実りがあります。でもね、名都。秋の実りは、夏があってこそのものなのですよ」
「え」
橙色の花を見つめていた名都は、しかし亜祈の言葉に驚いたように亜祈を見返す。
「夏の陽が、風が、水が、秋の実りを作るのです。ねぇ名都、季節は皆繋がっていて、意味のない季節などないのですよ」
そんなこと、わかってるでしょう? 亜祈はそう言って、微笑んだ。そう、それは本当に確かなことだ。季節が繋がっているのも、それぞれの季節がそれぞれの役目を果たしているのもちゃんと名都は分かっている。でも。
時々、名都はこうやって思ってしまうのだ。自分の季節は、だって他の季節よりずっと強い。言うなれば攻撃的な季節なのだ。我が季節は大好きだけれども、時々不安になる。
強すぎることは破壊を表すのではないか。かつては、ヒトは夏という季節を恩(めぐみ)を育てる季節として尊んでくれていたけれど、いつしかヒトの生活は変わり、夏はもう必要ないのではないか。そう感じてしまうのだ。それを感じたときは、このように亜祈が、あるいは羽琉が、言葉をかけてくれる。優しい季節を司る彼らは、そうやって優しく諭してくれる。それでようやく安心できるのだ。
亜祈は、クスリと笑った。笑いながら自分の置いた湯のみを持ち、またお茶をすすった。ひらり、小さな橙色の花が風に舞う。
「本当に、貴方たちは似ていますね」
「……それって、俺と風由?」
「そう」
亜祈は微笑んだ。名都は不思議そうにそんな亜祈を見返す。
「風由も、貴方と全く同じことを言いましたよ、自分の季節は必要あるのか……って」
何かを思い出したのだろうか。クックと短く笑いながら、亜祈はそう言った。そんな亜祈に名都は湯飲みの中のお茶を飲みながら、不服そうな顔をした。
「なんだよ、そんなに笑わなくても」
「ふふ、すいません。でも何だか、不思議で」
亜祈は机の上の橙の粒を一粒拾う。小さなその粒を、亜祈はまた陽に透かしてみる。あぁやっぱり、名都は亜祈が思ったとおりの行動をしたことに内心小さく笑う。亜祈はよくそうするのだ。そうやって様々なものを陽に透かすのが好きなのだ。大人びた亜祈の見せる、幼い子どもの一つ覚えみたいな行動。そうしながら、亜祈は呟いた。
「ねえ、名都。何で貴方たちは正反対で、全く姿の違う季節を司っていて、それでこんなに似ているのでしょうね」
「……知らないよ、そんなの」
名都はぶっきらぼうにそう言い捨てた。そう言う他はなかった。だって。
「俺は、風由がどんなやつで、冬がどのような季節か、知らないんだから」
「そう」
亜祈は笑った。笑う亜祈は優しい。名都は少しだけ目を細めた。優しくて暖かい空間。自分の空間とは全く違って、あぁでもなんて心地よいのだろう。その心地よい空間の、優しい笑顔の主。風が吹いて、ひらり、橙色の細かな花が宙を舞い踊った。それを見つめながら、名都は思うのだ。自分と全く違う季節を司る、自分とよく似たという。
まだ見ぬ風由。
「――会って、みたいな」
呟いたとき、同時に風が低く唸った。低く甘い香を運ぶ風。ほんの少しヒヤリとした風。秋の風は、一つ一つ表情が違う。柔らかい風もあれば、強く冷たく吹く風もある。でも一つ一つ意味があるように吹く。まるで、狙い定めるかのように吹く風はきっと意思があるのだろうと思うぐらいに。
「……すいません、名都。聞こえなかったんですけど」
風にゆれる髪を抑えて、亜祈は困ったように笑った。その言葉に名都は首を振った。
「何でも」
聞こえなかったことへの安堵。そして少しの落胆。それを含めて、名都は笑いながら言った。言いながら自分の言葉は、きっと言ってはいけなかったんだろうと思っていた。
あぁそうだ、と。亜祈は呟いて、建物の方へ向かっていく。振り向いて、美味しいものがあるんです、と言った。とってくるから待っていてください、そう言った亜祈が小さな家の中に入っていき、名都は一人でその場所に残された。
立ち上がって目を閉じると、冷たい風が吹く。冷たいのに、優しいような。夏に吹く風は、少し湿った熱い風が多い。その風が潮の香を運ぶ。それが名都のいちばん好きな風だった。ふと名都は思い出した、その風を浴びながらヒトが言っていた言葉。この前の、夏の終わり。
“うわぁ強い風! なぁんか、そろそろ夏も終わりって感じね”
“風が、熱いだけじゃなくなってきたもんな。もう海の季節も終わりかぁ”
“……ねえ、夏の海と冬の海、どっちが好き?”
“はあ? なにを急に……海っていえば、夏だろやっぱ”
“えー冬の海も綺麗じゃない。雪が降る前の赤紫の空と薄暗い海の色のコントラストとかさ”
“まるで詩人だな”
“……あとは、海に降る、雪とか”
“くそ寒くないか? それ”
“んー……なんかね、雪の降る海って寒いのに温かいんだよ”
“なんだ、それ”
“ほら、夏の終わりの海って風はまだ熱いのに、なんか寒いじゃない? その逆って言うか”
“……それは、なんか分かる気がする”
“なんかね、雪の海は、ホッとする。温かいんだよ、すっごく寒いけど”
“今日の海の風は、少し寒い感じするかもな”
“うん”
“――雪降ったら、また来ようぜ。温かい雪の海、見てみたい”
“そうだね”
その言葉をきいた名都は不思議だった。潮風は、まだまだ熱かった。時々少し冷たい風があったが、それでもその風は涼しいぐらいの心地よい風だと思った。でも話していたヒトたちは、寒いと言った。そして雪の海は温かいと言っていた。
雪。風由の司る季節の、真っ白のもの。それが、名都の季節の代名詞みたいな海へ降る。雪というのは、すっごく寒いというその場所を温かくするものなのだろうか。全く想像が及ばない。晴れ渡った青い空の下の太陽に照らされた海より、雪の降る海は綺麗なのだろうか?
「……名都?」
ふと声をかけられた。家から出てきた亜祈は、腕に器を抱えていた。
「名都、どうしたんです? そんな難しい顔して」
少し笑いながら亜祈は、その器を机の上に置いた。器の中には、茶色い木の実みたいなものがごろごろ。名都は、何でもないよと答えてからその器を覗き込んだ。
「これ……秋の、実り?」
「そう、栗です。美味しいですよ、食べてみてください」
そう言って亜祈は器用にその表面に爪を立て、硬そうな茶色い外皮を外していく。中から出てきた濃い黄色の実を亜祈は笑顔で差し出してくれた。名都はそれを口へ放る。
「……あ、おいしい」
優しくちょっと甘い味。それはいかにも秋の実りらしさを出す味をしていた。秋のものはすべて、この秋の空間の深い色に共通した感じがある。深くて優しくて落ち着いた、風も花も木の実さえも、全て。
亜祈は名都の言葉に嬉しそうに笑った。亜祈の笑顔も、秋そのものだった。優しくて落ち着いて、深い。亜祈はこの季節を司る者、そして本当に秋という季節を好きと感じている者。
「亜祈って本当に、自分の季節が好きなんだな」
茶色の木の実を、亜祈の手元にならって皮をむきながら名都は言う。
「……名都は違うのですか?」
「いいや。大好きだよ。……大好きだけど」
だけど、なんだろう。だけどの後が自分でもわからず、名都は黙った。黙ったまま皮をむこうとするが、亜祈のように上手くいかない。苦戦していると、亜祈の小さな笑い声がして手が伸びてきた。
「貸して、名都。むいてあげますよ」
そうして亜祈は丁寧に、しかし素早くその皮をむいた。ここのね、少し柔らかい場所、そこにこうやって爪を立てて……、亜祈は静かな穏やかな声でそうやって説明してくれた。
「へぇー器用だなぁ、亜祈」
「そんなことありませんよ、慣れです」
物事は全て繰り返しが大切なんですよ。笑いながら亜祈はそう言って、名都に実を渡す。渡された木の実を口に入れたそのとき、亜祈は小さく呟いた。
「――ねえ名都……私は、難しいと思いますよ」
「え?」
「貴方の気持ちも分からないでもない……でも、繰り返される季節の巡りの中で、そんなコトは今まで一度もなかった」
亜祈が木の実を見たまま、戸惑ったような声音でそう告げる。それを聞いて、名都は亜祈の言わんとしていることが分かった。先ほどの自分の呟きへの、答え。名都は空を見上げた。
「聞こえていたんじゃん」
「……何て言ってあげるべきか、わからなくて」
なるほど、と名都は空を見たまま思う。だから亜祈はこの栗という実を取りに行ったのだろう。何を言うべきか考えるために。亜祈は優しく、誠実であった。
空を見上げたまま、名都は呟いた。
「……亜祈、俺の好きな風さ」
「はい?」
「俺の、好きな夏の風って、海から吹く熱くて湿った潮風なんだ」
「……はぁ」
亜祈は名都の突然の話に真意をつかめないと言う風に返事をする。それでも名都は空を見上げたまま続けた。
「ヒトが、言ってたんだ。冬の雪の海、綺麗だって。すごく綺麗だって……夏の潮風に吹かれながら」
「……そう」
見上げる茜色の空。自分の知る青い空。冬は、一体空は何色をしている? ヒトの言う、うすい赤紫色の空ってどんな色? 暖かくて寒い冬の海って、どんなもの? 綺麗な雪。寒くて綺麗な季節。自分の季節と、正反対の。名都の思いは、ただもう、その場所にしか辿り着かなかった。
たった一つのことを夏を司る者は願ってしまった。
「……風由に会いたい。冬という季節を見てみたいんだ、亜祈」
名都の呟きに、亜祈は何も答えなかった。
名都は、自分の空間に足を踏み入れた。
自分が司る季節は昨日で終わり、今日は秋という季節を司るものに季節を渡す日であった。そうして名都はまた一年この地で過ごす。明日から暫くは、亜祈がこの夏の空間を訪れる。ここに亜祈が訪れることで、亜祈は夏という季節の影響をうける。夏の影響を受けたまま、亜祈は秋という季節をヒトの世界へ運び込む。そうすることで、ヒトの世界の季節は緩やかに夏という季節の色を残しながら秋という季節に移ってゆくのだ。
だから名都は秋という季節を見ることができ、亜祈は夏という季節を見ることができる。同じように、名都は春を司る羽琉とも、互いの季節を見て、そうして今まで過ぎてきた。亜祈は、言った。どうして今更、今までずっとそんなことはなかったのに、そう言っていた。本当にそのとおりだった。
名都は自分の空間を見渡す。亜祈の空間とは違う。明るい色が溢れ、空は青く雲は白く、青々とした葉が茂る木。向日葵が誇るように咲くその場所。明るくてキラキラしていて、大好きな我が季節。
でも、違うんだ。この季節は大好きだけど、でも、見てみたいんだ。冬という季節を。この思いはきっと亜祈や羽琉にはわからないものだと、名都は思った。だって、春と秋はヒトに受け入れられている。向き合ってくれてるじゃないか。名都はそう思ってしまうのだ。名都の司る季節では、ヒトは発達した科学技術で過ごしやすい状態へ、そういう涼しさへ変化させてしまう。かつてに比べて、この季節に向き合ってくれるヒトは少なくなってしまった。冬もそうだと聞いている。風由は自分の季節を必要ないんじゃないか、そう言ったのだ。冬の寒さを、ヒトは春や秋のような過ごしやすい季節まで温度を変えた建物で過ごす。ヒトは、昔のように暑さと共に働き、寒さと共に生きることをしなくなっている。
季節には意味がある。亜祈は優しくそう言ってくれた。だけど、どんなに意味があると思っても、向き合ってくれなければ哀しい。それが一方的で子どもじみた考え方だと、分かってはいる。だから亜祈には言わなかったけど。
名都は、でも、受け入れてほしかった。自分の司るこの季節を、ヒトにはありのままに受け入れてほしい。ただ、それだけなのだ。ヒトがもっと科学技術を発達させれば、自分のこの季節は、ヒトにとっては時には破壊的でさえある暑さを抱くこの季節は、いつか消されるのじゃないかという恐怖に怯えながらも、ただ。
「そんなことは、いままでなかった」
名都は亜祈に言われた言葉を繰り返してみた。知っている、わかっている。そんなこと。隣り合わない季節を司るものに、会ってはいけないと誰かにとめられたことはなかった。でも永い間、そういったことは起きなかった。そういったことを考えたことがなかった。亜祈は言っていた、繰り返しが大切だと。それはきっと、自分たちにも言えること。今までなかったことを行うことは一体、何を意味するのか。それをすると、何か起きるのかもしれない。何も起きないかもしれない。様々に考え、それはきっと終わりのない問答。
でも。
「会いたい。会ってみたいんだ……」
呟いた声は、明るい空間に響いた。何だか悲しくなり、名都はその空間に座り込んだ。温かい日差しに、涙が溢れそうだった。自分の、狂おしいまでの止まらない思いがどこから来るものかも分からず。
明るい日差しに、蝉の合唱が賑やかで。世界はキラキラ輝いている。
ねえ、ヒトはどうしてこの季節を、ありのままに受け入れてくれなくなってしまったの?
「名都、おはようございます」
翌日、亜祈が、その地に踏み込んでそう声をかけてきた。
「おはよう」
時間という概念は、ヒトの世界のものであるが名都や亜祈はヒトの世界と共にある。ヒトの世界で翌日とよばれるだけの時間が過ぎ、ヒトの世界がおはようという時間なら、そうやって季節を司るものも挨拶を交わす。
「今日から、ヒトの世界へ行くの?」
「もちろん。少しずつ秋を運んでゆきますよ」
優しく微笑んで、亜祈はそう言った。秋色に濡れたその姿は、キラキラしたこの地と不思議なつりあいを取る。不自然なようで、でもどこか調和して。亜祈も羽琉も、夏という季節になんとなく調和する。でも名都は、春にも秋にもなじまない。強すぎる季節の色をもった名都の姿は、優しい季節の色に反発してしまうのだ。
「やっぱり、夏は輝いていますね」
眩しそうに目を細めて亜祈は言う。輝くという表現は、最もその場所を表す言葉だった。名都は向日葵の黄色い花びらを一枚、そっとつまんだ。
「秋とは全く違う色だよね」
名都は明るい空を見上げて言う。そして続けた。
「隣り合ってるのに、こんなに違うなんて不思議だな」
この土地で言う黄色と、秋の黄色は違う色だ。落ち葉の鮮やかで優しい黄色を思い、名都は少しだけ笑った。
「――名都」
そんな名都を見ていた亜祈は、少し困ったように微笑んで。ためらいがちに名都の名を呼ぶ。
「私たちが季節を司る前にも、季節を司る者がいたって知ってますか?」
「なにそれ」
亜祈の思いがけない言葉に、名都は目を瞬かせた。亜祈は、本当かどうかは定かではありませんけれど、そう付け足して話を続ける。
「私たちが一体いつから季節を司っていて、そしていつまで続くのか……それは私たちにはわからない。もうずっと、ヒトが何度も輪廻を繰り返せる時を私たちは司ってきたのだから」
何度もヒトの命が巡る永い時。亜祈や名都たちは、倭の季節を司ってきた。そしてこの先も、きっと。
「ただ、私たちの中の永い記憶は私たちだけのものではないらしいのです。私たちの前にも季節を司るものは存在し、その記憶は次の季節を司るものへ移り、そうして永く繋がって、私たちは季節を司っていく――」
亜祈はそう言って静かに微笑んだ。ヒトが巡るように、季節を司る者も巡って、今がある。名都は亜祈の優しい微笑を見つめた。亜祈は優しく、まるで諭すように呟いた。
「そしてね、名都。私たちの記憶には、隣り合わない季節の出会いはないでしょう? ただの一度きりも。それはつまり、もうずっと永い間、全ての司る者の中で行われることのなかった行為だったのですよ」
亜祈の言わんとすることを途中で気付き、名都は俯いた。自分の中に、これまで全ての季節を司る者たちの記憶があるのだとしたら、つまりこの行為は今まで一度も行われなかったということ。隣り合う季節の出会いは一度も存在せず、そしてそれはきっと。
これからも。
「――でもね」
亜祈はそっと優しく呟いた。
「私には、貴方を止める術はない」
名都がハッとして顔をあげる。亜祈は変わらず優しく微笑んでいた。
「私はね、名都のしたいようにすれば良いと思うのです。ヒトの時は動き続け、だからヒトと共にある私たちにだって、変化は現れるのかもしれない」
「亜祈……」
「ねぇ名都」
亜祈は優しく、そっと囁くように言う。それは秋の風のように、優しく。
「貴方のしたいように、すれば良い。私は勧めることはできない、何が起きるかわからないから。だけど――」
――ヒトの世界が巡るように、私たちも巡り続けるのなら――
亜祈はそう言って、そのまま黙った。でも名都にはそれだけで全てが伝わっていた。
亜祈の優しさは偉大だった。そう、ヒトの世界は巡り続ける。そうして季節を司る者たちも、何度も巡り続けて。そうやって変わりゆくものの中で、祈ってしまった今までにない小さな小さな願い。誰にも否定することはできない。
「――名都」
亜祈が小さく声をかけてきた。そして優しく問い掛ける。
「名都は、自分の季節が好きですか?」
名都は、亜祈を見た。変わらない穏やかな笑顔。全てを見透かされているような。ヒトの世界は変わりゆき、自分たち季節を司る者も巡ってゆき、その中でも変わらないものもある。亜祈の前では、名都は決して自分を偽ることができないと、そう思ってしまう。それはずっと、昔から。
自分の季節。亜祈はきっと愛しているだろう、秋という季節を。夏と冬の間に存在するその季節を。では、自分は? 名都はそう自分自身に問い掛けた。夏という季節。ヒトにはありのまま受け入れてもらえなくなった季節。輝くような、強い暑さをもつ季節。
名都は空間を見回した。青い空に白い雲。鮮やかな世界。ただ、輝いている。どこまでも、どこまでも輝いていて。夏という季節、ずっとずっと司ってきたこの季節を。
「……大好きだよ」
嫌いなはず、ない。
「良かった」
亜祈はそう言って笑う。本当に、嬉しそうに。
「ねぇ亜祈……私たちが自分の季節を愛していないと、きっとヒトにも愛してもらえないから」
――私たちはずっと、ずっと大切にしていきましょう?
「……たとえ、ヒトの世界がどんなに変わってしまっても」
亜祈はそう言って、夏の空間を見上げた。
輝く太陽は限りなく鮮やかで、そうやって笑う亜祈は。
静かな風のように穏やかだった。
その空間は、一面の銀世界。
踏み込んだその場所は、ただ白かった。しかし、それを銀世界と表現するのだと亜祈に教わったことがある。名都はその銀世界に踏み込んで、ただ降り続く白い塊を見た。
「これが……雪……?」
一面に。その白いものは、灰色の空からはっきりと降り注ぐ。途切れることのないそれは、綺麗ではあるけれど。
「……寒い……?」
名都は呟く。その呟きは降り注ぐ白いものを時々舞い上がらせる風の音にまぎれた。冷たいや熱いの感覚は多少は感じる。しかし、ヒトのように寒さや暑さに対し文句をいう概念を季節を司る者は持たない。それ以前に、その感覚はヒトに比べるときっとあまりに微量で。それでも、その場所に踏み込んだ瞬間、名都は不思議な感覚に襲われた。ドキリとするような、何か突き刺さるような。
悲しくなるような、冷たい感覚。それをヒトは”寒い”とよぶのかもしれない。
名都は自分の着る夏用の着物の袖をそっと掴んだ。寒くて凍えるなどといったことはないだろうけど、それは無意識の行動だった。一面、ただ白いだけの世界。こんな場所に、風由は存在しているのか。風が突然激しく唸り、白いものが空間を暴れ出す。思わず名都は目を閉じ、そうしてまた開いたそのとき。
白い世界に見えた、小さな影。
真っ白の世界に、こちらに背を向ける格好で座り込んでいる、小さな小さな姿を名都は捉えた。その上にもどんどん、真っ白の雪が降り注いでいく。名都は、吸いつけられるように、ただ暫くその姿を見つめていた。
一歩、名都は歩み寄る。サクリ、降り積もった白い雪を踏むと、僅かに音がした。
「――だぁれ」
その小さな姿が、そう声を投げかけてくる。風の中で聞こえる、水音のような声。
「……亜祈? それとも羽琉? どちらにしても、まだ貴方たちに会う時期ではないわ」
そう言ってその小さな姿は、ゆっくりと振り返った。その目に映るのはきっと、真っ白な世界に存在する、その世界に溶け込まない強い色をした姿。小さなその姿は、まるで時が止まったように動きを止めた。
「……だぁれ」
また、同じ質問。しかし先ほどより声は若干震えていた。名都はその姿をじっと見て、そして小さく答える。
「夏を、司る者」
白い世界に、名都の凛とした響きを持つ声がこだまする。フワリ、と。その空間の主は、ゆっくりと宙に浮いて名都の方へ近づいてきた。真っ白の着物を纏うその姿は、名都や亜祈、羽琉に比べて、ずっとずっと小さく。
ちょうど名都の目線にあうあたりで、冬を司る者はとまった。
「名都……?」
零した水音のような声で尋ねてくる。名都の大きさの三分の一ほどしかないだろう、小さくて幼い姿を名都は見つめたまま頷く。
「うん」
「どうして……?」
「――風由に、会ってみたかった。冬という季節を見てみたかったから」
それだけだよ。そう言って名都はそうっと風由に腕を差し出す。小さな冬を司る者は、少しだけ戸惑ったような顔をしてからその差し出された腕にフワリと座る。重さは感じない。名都は明るい笑顔を見せた。
「はじめまして、風由」
それをきいて、風由も静かに微笑んだ。
「はじめまして、名都。……私も、会ってみたかった」
風由はそう言って、そっとその手を名都の頭の方へ差し出した。頭に積もる雪を払いのける、小さな手。
「名都、寒くない……?」
「ヒトじゃぁないんだから」
名都は軽く笑う。大丈夫だよ、そう付け足した。
「風由、ねぇこれが雪なの?」
「そう……私の季節の象徴よ。あぁ、名都は初めて見るのね」
そう言って風由は開いた掌で空から舞う白い雪を受け止める。その小さな掌に受け止めた雪はすぅっと刹那に融けた。それを見て、名都は呟いた。
「……ヒトが、言ってた。雪はとても綺麗で、そして、温かいんだって」
「ヒトが?」
「うん。この場所の雪は確かにすごく綺麗だけど……でも、何か」
寂しくて、悲しい感じがする。
「……ごめん、風由の季節を悪く言うわけじゃないけど」
名都は少し沈んだ声で言った。雪が温かいと言ったヒトは、何を思ってそう言ったのか分からなかった。綺麗だけど、でもこの雪は。冷たくて、そして真っ白なだけのこの世界は悲しくて味気ない。そんな気持ちが伝わったのだろうか、風由はちょっとだけ考えた後、鈴のような笑顔を見せた。
「名都、これはね吹雪とも呼ばれる、いわば少し強い雪なの。悲しい感じは、私もするわ」
「え?」
「ねぇ……名都、一番綺麗な雪を見せてあげようか?」
風由の言葉に名都は風由の姿を覗き込む。笑顔で風由は、座って、と言った。言葉に従い、名都はその場にそっとしゃがみこむ。腕に乗っていた小さな冬を司る者は、フワリとまた宙に浮いた。
「名都、空を見ていて」
そう言うと風由は宙に浮いたまま、手を組み合わせた。そうして目を瞑り、祈る姿をとった風由。名都はそれを見た後、言われたとおりに空を見上げた。空からどんどん降り注ぐ白い雪。風が吹くたびに不規則に舞い踊るその姿。それがどんどん強くなり、視界一面が真っ白になった、その直後。
「……え」
突如、真っ白な世界が開けた。
強く激しく振っていた雪は、ひどく細かい粒のような、さらさらした雪へと移っていた。降っているかどうかも分からないぐらい微量な雪が、しん、しん、優しく降り注ぐ。重たい灰色だった空は、やがて、漆黒に近い群青色に変わってゆき、それを掠めるように僅かに薄紅色を帯びていき。
その合間から、覗いたミルク色の月。優しく注ぐ濡れた月影、細かくて静かに降る雪を反射させて。キラ、キラ。それは一瞬、名都に海の水面に反射した太陽の光と水しぶきを思い出させ、でも、その明るい輝きとこの場所の輝きはまるで違っていて。
キラキラ、静かに輝く空間。そのキラキラは、何だか優しく、そして温かかった。
「……すげぇ、空が……光ってる……」
名都は呆然と空を見上げたまま、呟いた。横から水音のような笑い声がする。
「綺麗でしょう?」
「うん……すげぇ……」
くすくすっと小さな笑い声。それに紛れて、雪が降る。そうしてやがて、静かに雪の降り注ぎが終わりを向かえ一面が真っ白なその世界で、空だけは白を帯びないものとなった。ただ空の中心とも思える場所にあるミルク色の月だけを除いて。
雪の注ぐしんしんとした僅かな音さえも消えたその世界は。
「……すごい、静かだ」
「――雪が降って、寒いとね。世界は静かになるのよ」
名都の呆然としたままの呟きに、風由は小さな声で答える。
「静かに?」
「そう……空気は澄んで、すごく、空が綺麗になってね。そして……音が消えるの」
「ヒトの世界も?」
「えぇ、もちろん」
風由はそう言うと、フワリと名都の目の前に来る。そうしてくすくすっと笑った。
「名都ったら……そんなに綺麗だった?」
「――うん。こんな静かな月も空も、初めて見た」
「良かった、喜んでもらえて。冬は悲しい感じも多いけど、綺麗なものも、あるのよ」
「――悲しくなんてない。取り消す。すごく、綺麗だ……」
どこか悲しみを帯びた風由の言葉に、名都はほとんど無意識にそう言った。静かな輝きがこんなに強いものだとは、名都は思っていなかった。雪が降り終わった後も、地面を覆おう雪を月が輝かす。空はあちらこちらに小さな輝き。星。寒いと澄むという空気は、確かに凛と冷えたまま、すごく透き通った感じがして。名都の季節にはこんな空気は存在しない。名都の司る季節の空気は、いつもどこか活気に溢れたような、それでいて気だるいような。こんな透明な色の空気は、初めて見るのだ。
「……夏の空気は、活気が溢れているのね」
名都が夏の空気の話について感じたことをそのまま言ったら、風由はそう言った。
「活気っていうか、熱くて……何ていうんだろう、この空気とはまるで違う」
こんな綺麗な空気じゃないんだ、そう言うと風由は首を傾げた。
「同じだったら、おかしいわ。夏には夏だけの空気があるのでしょう?」
その言葉に名都はハッとしたように風由を見る。そう、夏の空気はこんなに綺麗でも透明でも、静かな輝きもないけれど。
「……イノチに満ちている、かな」
暑さ、時には破壊的でさえあるその中には。だけどずっと、古来から、どの季節よりも明るい輝きを抱いていた。ずっとずっと、イノチが生命感が溢れる季節だったんだ。それが夏という季節なんだ。
「……すてきね。私も夏を、見てみたい」
風由はそう言って笑った。その言葉に、名都も笑った。
自分の季節に感じていた誇りを、思い出した気がした。
「私ね、名都」
静かになったその空間で澄み渡った空の星を見つめながら、風由は言った。
「ずっと、ずっと昔からね。貴方を想像していたの」
「俺を?」
名都は隣に座り込んだ風由を見る。やんでいたはずの雪が、またポロリと零れるように空から落ちてきた。
「名都は一体どんな姿をしているのだろうって。きっと、背は亜祈よりは少し小さくて、羽琉よりは大きい感じかな、それでね明るい色の髪をしていて、羽琉や亜祈よりは活発そうで……雰囲気は明るい色していて、」
そこまで言って、風由はフワリとまた浮かぶ。そして名都と目線を合わせた。笑顔で。
「想像通りだったわ」
「……風由も、俺に会いたかったの?」
名都は、風由の言葉に目を瞬かす。どれだけの時を風由はそうやって過ごしていたのだろう。
「さっきも言ったでしょう? 私も、会いたかった。本当に、ずっとよ」
「……俺は、ずっとじゃないんだ」
名都は風由の強い思いに驚きながら言う。名都の思いが一気に募った想いなら、風由は永い時をかけて想いを募らせてきたのだろう。
「でも、俺もいつからか感じるようになったんだ。冬という季節のこと。いろんなコト考えて……そしたら、冬という季節に興味わくようになっていた。居てもたってもいられなくなった」
出会うことない季節に。隣り合わせない季節に。出会いたいと初めて心の奥で思ったのは、もしかしたらずっとずっと昔なのかもしれない。
「どれだけの永い時が巡っても、私と貴方の季節は決して隣り合わないものね」
少しだけ寂しそうに風由は呟く。それから風由は名都の目を見た。
「……名都はどうして、私に会いたいと思ったの?」
その言葉に名都は目を閉じた。いっぱい、色んなことを考えてから、この場所に来た気がする。考えて色々思って。会いたいと思った最初の理由は何だっただろう。考えてみたが、名都は何だか意味無い気がして首を振った。理由なんて全てが、もう意味をなさないだろうと思った。
ただ、会いたくて仕方なかった。
「――別に。理由なんて忘れた」
名都は軽い言葉でそう告げた。
「なぁに、それ」
「じゃぁ風由は?」
「――じゃぁ私も忘れた」
「何だよそれ」
名都は笑った。風由も笑う。お互い、それでもきっとわかっていた。同じ不安を抱いていたこと。自分の季節に対する不安。でももうそんなものも、会いたかった理由ではない。ただもう、会いたいと思ってしまったことに理由はなく。
ただ、全く知らないその世界を、その姿を見てみたかったんだ。それだけなんだ。
「……俺たちが出会ったことで、季節に、影響は出るのかな」
「さあ……きっと私たちお互い、影響はされるかもしれないけど」
「……どのくらいの影響だろう」
季節にどのような影響が出るか、それは名都や風由には分からない。これまでなかったことなのだから、計り知れない。変わりないものの中で起したこの小さな変化が何をもたらすかは、計り知れないけれど、でも。
「わからないけど、でもどんな影響があっても、大丈夫よきっと」
「なんで?」
「私たちの司る、季節だもの」
風由の根拠ないその言葉に、名都は笑った。そして頷いた。何だか不思議な安心があった。自分の季節に全ての季節に、もう大丈夫だよって思えた。その想いが何なのか、わからないけれど。それでも。
「――風由、今度は夏を見においでよ」
「え?」
「夏を、見せてやるよ」
自分の季節を。大好きな大切なその季節を、見てほしい。心からそう思って、名都は言った。
「――うん、いつか、きっと」
風由は、笑った。笑いながら、名都の肩に座る。フワリフワ、零れるような雪のつぶが、名都の頬に触れたのを風由はその小さな手でぬぐった。
「名都、私たちはでも……本当はこうやって隣り合って座ることはないのよね」
その手で雪のつぶを拾った風由は小さく呟く。
「――うん」
「何ていうのかな……私たちはきっと、きっとね。こうやって、気軽に会っちゃいけない存在なのよね、季節の順番は、だって絶対に変わらないから」
「うん」
「そうやって、私たちが色々思って感じて、そしてたとえ巡る存在でも、きっとその大きな流れは変わらなくて。だから、私たちは結局、」
「……変わらないものの一部なんだろうな、きっと」
名都は小さく、風由の言葉に続けて呟いた。風由の言葉は、名都の感じていたものだった。風由はじっと名都の目を近距離で見つめた。そして静かに頷く。
「うん……そう。ねぇ名都、私、上手くいえないけれど、でも……」
戸惑ったような風由を見て、名都は自分の肩に座る小さなその頭に手を回して、自分の側に引き寄せた。
「わかってるよ、風由。わかってる」
小さくそっと囁く声。本当は、名都も風由もわかっている。ヒトの世界が巡っても、季節というものは決して順番を飛ばすこともなく存在して。そうやって大きな流れを変えないもの、それが季節なら。本当は二人は隣り合ってはいけないんだということ。それでも出会いたかった。それでもこうやって出会ってしまった。それが持つ意味はわからないけれど、それでも。
「……名都、変わることと変わらないことは、どっちが怖いことなのかな……」
風由が水音の声で、小さく呟いた。まるでそれは、泣き声のようでもあった。
「――どっちも、きっと怖いことなんだよ」
名都は言った。変わってゆくヒトの世界と変わらない季節たち。いや違う、きっとどっちも変わっていっているか、或いはどちらも変わってないのかもしれない。それは自分たちが判断できることではない。
でも今こうやって出会ったこと。それはきっと、紛れもない小さな変化の事実であって。
「――風由」
もう出会えないかもしれない相手の名を名都は呼ぶ。また出会えるか分からない。夏に来てほしいけれど、それはもう無理なのかもしれないと思った。出会ったことで、自分たちが季節を司る者だと確認してしまった。自分たちは本当は隣り合わない存在なのだと、自覚してしまったから。
この変化を、世界が受け入れてくれるのか。自分たちが変化を引き起こすのか、それとも自分たちがまた何かによって変えられたものなのかそれは分からないけれど。もしかしたら、この全てが大きな流れの一部なのかもしれないけれど。
「会えて、嬉しかったよ」
ただ、この気持ちだけは、真実だから。
「――私も、会えて嬉しかった」
小さな囁きのあと、風由はそっと名都の頭を抱きこんだ。小さなその手を回して名都の頭をその胸に抱く。優しく降り注ぐ雪に覆われて、暫く二人はそのままだった。
もう二度と会えないかもしれない、会わないかもしれない。小さな出会い。
ただ優しさを込めて、正反対の季節を二人は抱きしめあっていた。
優しく降る雪は、ただ、ひたすら。
変化に怯え変化を望む、季節を司る彼らに、そっと降り注いでいた。
これは、小さな出会いの物語。
彼らの存在を信じる数少ないヒトは、でも確かにヒトの世界に居て、
そして彼らを”精霊”と呼ぶのだろう。
季節を司る、四人の精霊たち。
心優しく臆病で、ただ純粋な精霊たちが存在した。
たとえば夏なのに異常に寒い日とか、もうすぐ冬なのに暑い日ざしの日とかには、
そうっと感じてほしい。
ヒトは気付いてないけれど、動物や植物たちは敏感に感じ取っている。
だってほら、冬の真っ最中でまだ冬眠しているはずの熊が目を覚ましたりするだろう?
真冬に咲くはずのない花が咲いて、ヒトは「狂い咲き」なんて呼ぶけれど。
でも、それは本当は違うんだ。
本当の原因は、冬に焦がれた夏と夏に憧れた冬が出会ってしまったから。
だから本当は、ずっと昔から、夏と冬を司る者の出会いは存在したのかもしれない。
でもきっと彼らは、自分たちの行動や影響に怯え、それを封じ込めていたのかもしれない。
ねぇ、だけど、そういった本当に些細な変化があったら、どうか貴方は静かに感じて欲しい。
自分たちに怯え封じ込めてしまった、優しい彼らの出会いを、どうか。
それは、出会うことのない筈だった、夏と冬の出会いの物語。
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2005/10/30(Sun)19:01:28 公開 / 十魏
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■作者からのメッセージ
四つの季節のお話でした。題名の「シキ」は勿論「四季」です。いかがだったでしょうか? 春の描写だけほとんど出せなかったのは残念でしたが……。あまり動きがないお話なので、ちょっと途中で飽きるような気もしなくもないですが。自分でも書いていて途中混乱してきましたが、どうにか完成できて良かったです。
最近、秋も深まってきてめっきり寒くなりましたね。我が家はもうコタツさんが出てきました。あぁもうすぐ冬だなぁ。私は、冬も夏も大好きです。いやでも熱いのも寒いのも苦手だ(苦笑
読んでくださった方ありがとうございます。少しでも何か伝わったなら、嬉しいです。