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『ほら聞こえるでしょう。』 作者:ゆきひら。 / リアル・現代 リアル・現代
全角3124文字
容量6248 bytes
原稿用紙約10.3枚
ほら聞こえるでしょう。
あの人の声が。
あの人の顔が。
あの人の指が。
あの人の脚が。
ほら聞こえるでしょう。



「それってどんな気分?」

ふと、同級生に聞かれた。
私が吸っているビニール袋の中身を見つめて、同級生は不思議そうに私に尋ねた。
傾きかける太陽の光さえ届かないトイレの中、芳香剤の香りに塗れて、世界が変わる、それを見る私に。
授業が終った時間帯。部活がある生徒以外はほとんど下校している時間に、私はこのトイレにいた。
しまった。油断していた。恍惚していた。気が抜けていた。見られたなんて。でもと入れのドア全開にそんな事していた私が馬鹿だったんだろうな。
肩が震える。怯えているのかな? ああ、多分、こんなところを見られたなんて大失態だろう。停学……いや退学? 警察沙汰かもしれない。そういう感情が頭を駆け巡った。
でも大丈夫そうだった。先生にいいつけそうな感じの同級生じゃなさそうだった。少し安心した。息を吐いて、肩から力を抜いた。
しばし考えた。こんな奴いたっけな? と。ああ、そういえばいたな、とぼんやり頭で認識した。少しケバい、クラスで中心的なグループの、その中心の奴の友達だったと思う。多分、麻生とかなんとか言ったっけな。
そう。クラスには下らないグループというのががある。そういうケバ系のグループ、平凡平和グループ、運動系グループ、そしてオタグループ。
けれど私はそのグループからはずれた、でも陰キャラという暗いアニメおたくのグループでもない。どこのグループにも入ってない。入らない。かっこよく言えば一匹狼。悪く言えばはずれ者。
全く喋った事もない。喋りかける事もない。普通のクラスメイトという認識状態だった。

「ねえ」

同級生の愛らしい顔が近づいて、彼女の肩までかかる髪が夕日に照らされて光った。
…ああ、そういえば、質問されていた。少し躊躇って、でも、はっきり答えてやった。
「イッちゃう気分」
にま、と笑って、私は答えた。あ、多分引き攣った。口元ぷるぷるしてるもん。
同級生も少し笑って、でも少し拒絶し気味に、私の側へ近づいてくる。
便器に座る私の足元にしゃがんで、ビニール袋の中身を興味深そうに見つめている。
小声で、呟いた。
「………シンナー?」
「うん」
どうにでもなれと、言ってやった。
別に隠すような事じゃない。見られた時点でもうばれているようなものだ。
うわあ、と…麻生? はうめいて、でも楽しそうに、ビニール袋を少し突付いて見せた。
「幻覚とか、ないの? 幻聴とか、やばいんじゃないの?」
やっぱり楽しそうに聞いてくる。
くすくすと、漏れてくる笑い。
「……けっこういろいろ見えたりするけど、無視してる。それにまたやったら、すぐに消えるよ」
これは本当。でもだんだん量が増えてくる。だんだん金も消える。得られるのは、一瞬だけの最高の“アノ”感じ。
世界が変わる瞬間が、目に見えた。灰色の日々が塗りかえられて、景色がみんな鮮やかに映る。
浮遊感が駆け巡る。このまま地面を蹴れば今にも空に飛んでいきそうなくらい、現実感は遠のいていく。
灰色の夕焼けも、色褪せたアルバムも、涙がでるくらいに鮮やかに濃くはっきりとみえた。
想い出も、感情も、現実も全て忘れて、透き通るような空に融けていくような、“アノ”感じ。

でもそれが忘れられなくて、つい何度も何度もやってしまうのだけれど――――………

「……楽しいの?」
興味が湧いたのか、聞いてきた。
彼女の大きな瞳が、私の目をじっと見つめている。
ぼんやりした頭で少し考えて、少しうめいて、言った。

「………やりたい?」

にや、と同級生のかわいらしい顔が笑みで溢れる。
子悪魔のような、艶やかで、愛らしい笑み。
「……イッちゃいたいんだ」
ビニール袋の中身が、揺れた。




「これ、吸うだけでいいの?」
「うん」

放課後、夕日に染まった屋上で、私は麻生にビニール袋を手渡した。でも麻生は、少し震えていて、躊躇っているのが分かった。聞いた。
「……麻生怖いの?」
そ、確認したところ、やっぱり麻生だった。麻生真優。「真優って呼んで。」って言ってたけど、なんとなく麻生のほうが呼びやすかったから、そうした。
「………だってシンナーだもん」
麻生の顔が少し引き攣る。今更怖がってるのは、麻生はまだ常識人間だからだろうな。
「じゃあやめな。今のうちだよ。やめるのは……」
本当だった。本当に今のうちだった。道を外すのは簡単だけど、道に戻る事はもうできないだろう。
「人間じゃなくなるよ。多分」
少し笑って、袋を麻生から剥ぎ取るように掴んだ。そして思いっきり息を吐いて、袋の中に口を突っ込んで、“それ”を肺の中いっぱいに満たした。
「うわっ………」
麻生がうめいた。あ、ふらふらしてきた。
下が回らない。頭がぼんやりして、背中からごろりと寝転んだ。…あ、空が見えるよ。
「……麻生ぉ、見てぇ。世界が変わるよぉ」
夕焼けに染まった空を指差す。麻生が空を仰いだのが見えた。
「何が見えるの?」
「カミサマ」
はっきり、言った。麻生の表情が、不意に何だか分からない感情で彩られる。
「……“カミサマ”?」
「そぉ、カミサマ。ほら手を振ってる。歩いてるよ。……あはは笑ってる。なんで歌を歌ってるんだろうねぇ」
口元から何故か笑いが零れる。なんでだろ、すごく楽しいや。
目の前にいるカミサマは、大きな大きなおじいさん。金色の髪の毛を肩まで垂らして、そう教科書に出てくるキリストを、もっと老けさせてみた感じ。
「ちょっと、……大丈夫?」
麻生の声色で少し怯えているのが分かった。確かにそうだろうな。目の前に狂人がいるのだから。
「麻生もやってみなよぉ。カミサマの歌が聞きたくないのぉ?」
自分でも思うほどに、テンションが上がっている。いや、興奮しているの? いつも以上に今日はヤバイや。
袋を手渡す。麻生が躊躇いながらもその袋を持った。
へーっ、と麻生が言いながら、顔を近づけた瞬間に、袋を麻生の顔に押しつけた。
「うはっ!」
麻生が叫ぶ。シンナーが零れた。びちゃびちゃびちゃ。私の服も麻生の服もびちゃびちゃになった。
「あーあ。ごめんねぇ麻生。」
麻生を指差しながらきゃはきゃは私は笑う。麻生は怒り出すかな? と思うくらいに笑って笑って、笑った。
麻生が口を拭った。あ、起られる?と思ったけど、でも麻生も笑い出した。私の側に寝転んで、空を仰いで、指差して、叫んだ。
「ほんとだあ、カミサマだ! 見えるよ! 見えるよ!」
私も笑った。麻生も笑った。ついにカミサマが歌っている歌に、一緒に笑いながら交ざった。カミサマも笑いかけて、また楽しそうに歌を歌った。そこに私達も加わって、少女とカミサマの三重奏になった。

森のはずれの小屋へおいで
一緒に白桔梗を摘みに行こうよ
森のはずれの沼へおいで
一緒に堕ちていこうよ

さあ一緒に 手を繋いで 離さないで ほらおいで
大麻にまみれて一緒に歌おうよ ほら

ほら 聞こえるでしょう。

あはは、と笑いながら、屋上は歌で溢れる。
夕日が堕ちて、学校からの帰り道、とうとう夜になっても、ずっとずっと歌い続けた。
馬鹿になって、おかしいくらいのテンションで、夜道をずっと、大合唱。
カミサマが笑う。私も笑う。麻生も笑う。みんな笑う。
あはは、あははは、あははははは………。

森のはずれの小屋へおいで
一緒に白桔梗を摘みに行こうよ
森のはずれの沼へおいで
一緒に堕ちていこうよ

さあ一緒に 手を繋いで 離さないで ほらおいで
大麻にまみれて一緒に歌おうよ ほら

ほら 聞こえるでしょう。




2005/10/27(Thu)21:17:48 公開 / ゆきひら。
■この作品の著作権はゆきひら。さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
たくさんのご指摘ありがとうございます。
・・・なるほど! 確かに逆でした・・・拙いとかそういう問題じゃなかったですね。馬鹿だなあ自分。ちゃんと読め、と自虐っています。今。
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