- 『遺書』 作者:藍川 蔵人 / リアル・現代 未分類
-
全角6496.5文字
容量12993 bytes
原稿用紙約18.25枚
それはいつもと変わらぬ夜の道であった。帰宅中の少年、浩二は道端に落ちていた封筒を拾う。好奇心が浩二を動かし、浩二はそれを開封してしまう。だがその中身は、名も知らぬ男の、痛烈な告白を綴った遺書であった。ほんのささやかな好奇心は、浩二を様々な出会いと別れの世界にいざなう……。
-
夜の街ほど静寂に包まれるものはない。
空は灰色の雲で覆われ、光り輝く星たちの姿を見ることは出来ない。闇を照らす唯一の光は、弱弱しく、不気味に光る街灯しか存在しなかった。
仄暗い道を足早に歩みながら、須賀 浩二は真冬の寒さを逃れるべく自宅を目指していた。
時刻は九時を過ぎようとしている。高校一年生の浩二は学力に乏しく、今日もまた補習を受けていたがために帰宅する時間が遅くなったのであった。
学力に乏しいといったが、決して浩二は無能というわけではない。瞬時の判断力は飛びぬけており、行動力もなかなかのものである。彼が成績不振なのは、ある事情があったからだ。
浩二の家族は四人構成ではあるが、四人のうちに父親は存在しない。
父親は浩二がまだ幼い時に交通事故で他界、故に彼には父親との触れ合いの記憶がなく、彼にとって父親とは写真に写るただの人でしかなかった。
女手ひとつで浩二ら三人の子供を育てた母親は、過度の疲労のためか、一ヵ月ほど前から風邪をこじらして以来一向に治る様子が見られない。そのため、唯一の収入であった母のパートはストップしてしまい、今は浩二とその兄の健二のアルバイトが命の綱の役割を果たしていた。
家事やらなにやらすべて自分で行わなければならないという状況下において、成績を上げるよう努力しろというほうが無理な要求なのであった。
まぁ別に構わないか、どうせ卒業したら就職するのだから……。
そんなことを頭の中で考えていると、自然と浩二はうつむいてしまった。理解してはいるものの、やはり本能的には不満なのだろう。不満でないはずが無い。これまで経済面でどれ程の抑制を強いられたことか。
もしも浩二が今の生活に満足していたならば、これから起こる出来事はすべて起こらなかったであろう。彼がうつむかなければ、物語のきっかけとなるものに気づかずに素通りしていたからだ。それが浩二にとって幸であるか不幸であるかはまだわからないが。
浩二はうつむきながら歩いていると、足元に何か白いものが落ちていることに気がついた。はじめはそれを手に取ろうとは考えなかった。だが、こんな道端に置かれるようにして落ちている得体の知れないものをやはり不思議に思い、浩二はその場に立ち止まってその白いものを拾った。
街頭の光に照らされることで、それは封筒だという事がわかった。封もされている。
誰かが落としたのだろうか。浩二は宛名を確認しようとしたが、それは封筒のどこにも記されていなかった。これでは一体誰が落としたものなのかがわからない。封筒の中身を見ない限り……。
駄目だ、それはいけない。浩二は邪念を振り払うようにして自らに語りかけた。同時に浩二は悩んだ。これをどうすればいい?
やはり警察に届けるべきだろうか。確かにそれが賢明だろう。だが届けたところでどうなる?自分には何の得がある?封筒の主が現れるまでは、それは落し物類に放り込まれたままになるであろう。そんなことよりも、やはり中身を見てしまったほうが早いのではないのか。
いよいよ浩二は他者の情報が書き取られている物の中身を見ずにはいられない好奇心に駆られてしまった。
そうだ、もとはと言えば落としてしまった者の責任なのだ。ここで自分がこれを放っておいても、また誰かが中身を見ようとするだろう。だったら、いらぬ正義感を捨ててしまえ。
浩二は落ちていた封筒を鞄にしまうと、先ほどよりもより足早に自宅を目指した。
自宅に戻った浩二は、制服を脱ぐよりもまず拾ってきた封筒の封を破ることに専念した。机の前に座り、びりびりと慎重に封を破る。
封筒の中の手紙の枚数を数えてみると、五,六枚ほどであった。浩二はまず一枚目に手を伸ばす。その胸に期待を膨らませて。
それは、浩二が見るべきものであったのと同時に、決してあけてはならない禁忌の箱でもあったという事を、彼は知る由も無い。
(一)
『早苗さん。きっとこの手紙を読んだ時、あなたは驚くことでしょう。そして、この手紙を最後まで読まずに捨ててしまうかもしれない。ですが、どうかこの手紙を読んでいただきたい。私はあなたのためだけにこの手紙を残したのだから』
一枚目はここで終わっていた。
浩二はその一枚目だけを目にしたとき、この手紙は恋文なのではと疑った。だとしたら、これ以上の盗み見は書いた本人に悪いのでは……。そう思うと、今までにない罪悪感が浩二を襲った。
しかし、浩二はこうも考えた。内容がいかなるものであっても、封を破った時点ですでに罪人なのだ。なんだ、俺はもう罪人じゃないか、何をいまさら躊躇う必要がある?
まるで開き直ったかのように、浩二は二枚目に手をのばした。だが、ここで浩二はまたもや手紙から手を離してしまう。
浩二の目の中に入った、二枚目の手紙の一行目の言葉は、彼を完全に硬直させた。後ろめたいという訳ではない。読む気が失せたという訳でもない。それは文字通りの硬直であった。或いは恐怖というべきか。
『私は、あなたの、そして私の親愛なる友人を殺しました』
この一文から二枚目は始まる。これは誰が見てもラブレターの類ではないという事は明白であった。これは、殺人者の告白。自分は見てはいけないものを見てしまったのではないかと、浩二はこのとき初めて実感した。
『私は親愛なる友人を殺しました』
部屋の中で時計の秒針の動く音が不気味に鳴り響く。コチリ、コチリと、まるでもうすぐ何かがこちらに迫ってくるかのような音。今にも何かが襲い掛かってくるような、緊迫した音。今まで何気なく聞いていた、聞いていたかどうかもわからない音に、まさかこれほどの恐ろしさがあったとは。コチリ、コチリ、コチリ……時は無情にも過ぎ去って行く。
『私は親愛なる友人を殺しました』
浩二は流れ行く時の中で、この一文から先を見る決心が未だつかないでいた。
もしもこれが他愛無い、淡い恋心を綴ったものであったなら、単におもしろおかしくそれを見るだけで済むはずだった。だが、これは違う。少なくとも、これは単に面白いなどという言葉で済まされるものではない。だからこそ、読むべきか読まざるべきか、彼にしては珍しく判断に迷っていた。
貴方は、殺人者ですか?空想の中の人物に浩二は語りかける。当然返事は返ってこない。
結局、浩二が再び手紙を読もうと決心したときには、時刻は既に夜中の十二時を過ぎていた。
はじめは浩二は手紙から頭を離そうとしていた。気を紛らすために、学校の宿題にも手をつけた。しかし、やはり手紙が気になるのか、何をやっても一向に力が入らないことに浩二は気づいた。本能は素直ということか。
どうせ気になって仕方がないのなら、いっそのこと見てしまったほうがいい。理由はどうであれ、浩二は二枚目の手紙を手に取り、再び読み始めた。
『私は、あなたの、そして私の親愛なる友人を殺しました。
こんなことを唐突に言われても、あなたはただ困惑するだけでしょうね。でも、これは事実であり、私が人生において犯した最大の罪なのです。恭次が……花園恭次があのような形で死ぬことになったのは、私のせいなのです。私が彼を殺したのです。
恭次が自殺してもう四年になりますが(この時浩二は書き手が直接誰かを殺したのではないという事にようやく気づいた)、私にとってその四年間は苦痛以外の何者でもありませんでした。親友を失った悲しみによるものではなく、自分が彼を死に陥れたという、罪悪感という名の呪縛によるものです。今日に至るまで、私は所謂生ける屍でした。一人でいるときは勿論、あなたと二人でいるときもまた苦しんでいました。
あなたは時折私の顔色を心配そうに見てくれましたね。「具合でも悪いのか」と。あなたは普通に私を心配してくれてただけなのでしょうが、私はそれが何よりも辛かった。あなたに心配されることが辛かった。あなたに優しくされることが辛かった。あなたと一緒にいることが辛かった。
早苗さん、私はあなたを愛していますし、これからも一緒でありたいと願っています。しかし、それは決して許されることではないのです。恭次があのような目にあったのにもかかわらず、私だけがのうのうと日常を暮らすのは、人として間違っているように思うのです。あなたと一緒にいたいと願えば願うほど、愛すれば愛するほど、私はあなたと一緒にいてはならないような気がするのです。
だから私はあなたのもとから消えます。いや、この世からと言うべきでしょうか。私は生ける屍からただの屍になります。私は罰を受けるべき人間だから、死すべき人間だから。これが恭次への償い……にはならないでしょうが。私は死後も彼に怨まれることでしょうし、私もまたそれを覚悟しています。何故なら、私が彼を殺してしまったから。
恭次が首を吊って自殺した原因を、あなたは知りたがることでしょうね。単に私のせいだといっても、あなたは納得しないでしょう。だから、私は彼が死に至るまでのいきさつを書き留めました。あなたに真実を伝えるという使命以上に、私は自分の罪の重さを再確認するためにも、断腸の思いで全てを書きました。
私のことをどのように罵っても、私は一向に構わない。ですが、どうかこれだけは誓ってほしいのです。花園恭次という人間が存在していたことを決して忘れないでください。あなたが忘れてしまったのなら、一体誰が彼の墓標に花を供えるというのでしょうか。
最後に、私の勝手な行いであなたを一人にしてしまうことをお許しください。私は心の底からあなたのことを愛していました。早苗さんがこれからの人生を末永く、幸せに暮らすことを心から願いながら、私は先に旅立ちます。
追伸……この手紙は読み終えたなら燃やして頂きたい。これを残しておくには、私にとっても、あなたにとっても辛いことを、私はあまりにも多く書きすぎた』
二枚目はここで終わっていた。
「馬鹿だ」浩二は一人つぶやいた。
なんてものを拾ってしまったのだろう。浩二は心底自分の軽率な行動を恨んだ。
これは遺書だ。紛う方の無い遺書だ。しかも、名前も顔も知らない、全くの赤の他人の。浩二は知らない。早苗という名の女性を知らない。自殺した花園恭次を知らない。つまり、浩二とこの遺書を書いた者との接点は皆無であった。本来ならばこのような物を手に取り、読む資格など、浩二にはあるはずも無い。
だが、既に浩二はこれを読んでしまった。全てに目を通したわけではないが、これはそういう問題ではないことは浩二も十分に理解している。この遺書を読むべきだったのは、冒頭にも書かれていたように、早苗だったのだ。早苗が読み、早苗の手によって処分されるはずだったものを、浩二が手に取り、浩二が封を破り、浩二が読んでしまった。なんて事をしてしまったのだろうか。
浩二はそれまで手にしていた遺書を机上に置いた。ひどく汗ばんだ掌が、それを若干湿らせてしまった。
熱気を帯びた体が外界の冷気を欲していたため、浩二は閉め切っていた部屋の窓をわずかに開けた。入り口を発見した冷気は、わずかな隙間から徐々に部屋の内部へと侵入してゆく。やがて冷気は内部を侵食し、部屋は程好い寒さへと環境を変えた。
浩二の視線は窓の隙間を縫うようにして外の景色に向けられていた。未だ灰色の雲は晴れることなく、夜空に浮かぶ星たちの輝きを遮っていた。月の光もまた遮断されているかのごとき暗闇、あるのは脆弱な街灯のランプによる点々とした明かりだけである。
不気味だ。浩二は身震いした。普段ならば当たり前の光景も、今の浩二にはまるで魔窟のように映ってしまうのも、やはり得体の知れない禁忌の箱を開けてしまったがための報いなのか。
違う。少なくとも、報いを受けるのはまだ先のことだ。
浩二は散乱していた視線をある街灯一点に集中させた。その街灯のランプは切れかかっていて、点滅をひたすら繰り返していた。それでも、己の役目を果たすために、ちかちかと光るわずかな明かりを周囲に捧げんとしている街灯の姿には勇ましいものがあった。傍から見れば、それは目障りなだけに過ぎないだろうが。こういうものを、無駄な努力とか、生き恥をさらすと言うのだろうか。
貴方も、生き恥をさらしていたがためにこのような物を残したのですか。不意に浩二は遺書の書き手を思う。
貴方もまた、生きていることに嫌気がさしたのですか。生きていることが辛くなったのですか。貴方が何者なのかは知らない。貴方の恥が一体何なのかは知らない。それでも、これだけは言える。生きて罵られることよりも、自ら死に赴くことのほうがよっぽど恥なのだと。貴方は死に恥をさらした。馬鹿な人だ。貴方はきっと、単純に馬鹿だったんだ。
それは決して書き手に対する哀れみでも、同情でもない。浩二の心にある書き手への心情は、軽蔑だけである。無論、それが書き手への無礼極まりない行為であることは浩二も理解している。だが言わずにはいられない。貴方は馬鹿なのだと。
何故浩二がこれほどまでに書き手を罵るのか。浩二自身もあまりその理由を自覚していない。ただ、生きたくても満足に生きられない者がいる中、平気でその命を投げ捨てるものが存在すること自体が許せないだけなのかもしれない。
「平等」という言葉について浩二は考えたことがある。
人類は皆平等であるなどと、誰が言った世迷言であろうか。本当は、人は皆生まれたときから全てが決まってしまうのだ。周りの環境が自分の手で自由に決められるのだとしたら、成程それは立派な平等であろう。だが、そうではない。運命を選択することは出来ない。運命に逆らうこともまた然り。父も、結局は運命によって殺されたのだ。運命は平等などではない。
実の父の死を「運命だった」として比較的軽く受け止めることが出来るのも、やはり浩二は父親を父親として認識していないためであろう。彼は父の死を苦とはしてなかった。
だが、母は違う。母が、父の死がために味わってきた苦汁を、浩二は知っている。今も、母は未だその苦しみから解放されること無く病に臥している。言うなれば、やはりそれも運命の賜物なのだろう。今一度言う。運命は決して平等ではない。
それでも、人はその身勝手な運命の中で生きていくのが義務なのだろうと浩二は思う。
「どんなに辛くても、苦しくても、物事を途中で投げ出したりしては駄目よ。自分が始めたことは、責任を持って全うしなさい」いつの日か、母にそう言われたことがある。
それなのに、その義務すらも投げ出して、自ら命を落とす者がいる。浩二はそのような者達がいることが許せないのだ。
貴方は馬鹿だ。浩二は再びつぶやく。
そして、俺も馬鹿だ。
次第に寒気を感じ始めた浩二は、開けていた窓を静かに閉めた。窓を閉めるついでに、浩二は時計の方に目を向けた。時刻は一時を過ぎようとしていた。
もういい。素直にそう思った。
今日はもう寝よう。一日のうちにいろいろなことを考えすぎてしまって、もう疲れてしまった。
そして、浩二は三枚目以降には手をつけることなく遺書の入った封筒を引き出しの奥深くにしまいこんだ後、敷布団を敷いてそのまますぐに寝入った。
『私は罰を受けるべき人間だから、死すべき人間だから』
夢の中で、遺書にあった言葉が何度も現れては消えてゆく。
「死すべき人間なんていないんだ」誰に訴えかけるわけでもなく、浩二は夢の中でつぶやいた。
結局、その日の夜は最後まで灰色の雲に覆われていた。自らの存在を必死に訴え続ける星達も、その輝きも空しく誰の目に留まることなく夜の世界をさまよう。さながらそれはあの遺書のようでもある。あるべき場所に届くことなく、その存在も闇の中に消えてしまった、あの遺書。これは一体誰が綴ったものなのだろうか……。
夜は静寂を保ちながら更けてゆく。
-
2005/11/02(Wed)00:46:23 公開 /
藍川 蔵人
■この作品の著作権は
藍川 蔵人さんにあります。無断転載は禁止です。
-
■作者からのメッセージ
中間試験と部活動の大会が連続で続き、なかなか更新が出来ずにいました。申し訳ございません。
不明瞭な点などがございましたら、遠慮せずに御指摘してくださると幸いです。
10/22(土)初投稿
10/23(日)第一話更新、一部変更
10/29(土)一部改善、追加
11/2 (水)第一話更新、一部変更
お詫び……「白痴」という言葉の真意を確かめもせず、安易に使用してしまい、その結果皆様に不快感を与えてしまったことを心からお詫び申し上げます。まことに申し訳ありませんでした。