- 『ある地点』 作者:カメメ / リアル・現代 未分類
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全角4885文字
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原稿用紙約13.65枚
近藤良子は、真理恵のグラスにまたビールを注ごうとしている。真理恵は良子に笑いながら、しかし強い調子でそれを静止させようとした。
「私はね、今日の12時には帰るつもりですからね、もうこれでお終いにするつもりよ」
良子は久しぶりの大学時代の友人との再会にはしゃいでいた。一体いつ以来だろうとも思う、良子にとってそれは久しぶりの高揚感であり、手放したくない感覚であった。
「あのね、真理恵、たまの再会よ、そうでしょう、そうでしょうね。こうして我が家にご招待もした訳だし、今日は帰るとかそういうのはなしよ、いい、分かった」
真理恵は良子がどのような種類の人間だったか思い出していた。良子がこうなってしまったら、もう逆らわない方が利巧だろう。真理恵はそのままグラスにビールを注がれ、またそれを口に入れる。2人の大学時代のゼミ仲間は、10年の歳月をたまに思い出しながらビールを飲み続けた。基本的には楽しい女のおしゃべりを真理恵は心がけた、流行の服装から、流行の化粧、最近の芸能の話題から、嫌な人間のことそんなことを。
「あなた、覚えている、川原君のこと」
良子がそういうのを真理恵は少し警戒していたが、このころになれば程よく酔っていることもあってこの話題は避けられないものと認識した。OK、話をしましょうと。
「ええ、覚えているわ、あなたの川原君でしょう」
「ふふ」と良子も笑った。良子はまた冷蔵庫へ行き、こんどはワインを持ってきた。若い2人の女性が飲んで語るのであれば、ワインが似合うのだと、真理恵に説明をした。
川原君のこと、真理恵にとってそれはあまり楽しい思い出ではなかった。かつて、川原と真理恵が付き合っていたのであるが、いつの間にか川原は良子と付き合うようになっていた。まあ、よくある話と真理恵は思っているのだが、それを当の良子からされるのは、やはり面白くなく感じた。
「川原君は最初あなたのスタディーだったでしょう」と良子から切り出した。「それをあなたが寝取った」と真理恵は言った。しばらく沈黙が2人を包んだ、それを真理恵の方から崩した。「寝取ったってのはいい表現でしょう」真理恵は笑った。良子はほっとしたような表情で真理恵を見つめた。「実際に怒っているんじゃないかと思っていたのよ、私は。あれから、まあ当然でしょうけど、私たちほとんど話をしなくなったからね」確かに、これも仕方のないことであったが、真理恵は川原と、良子から距離を取るようにした。そんな風にして、大学時代は終わって、それから1度だけの再開で、今日を迎えた。
「でもね、彼は最高におかしな人であったわ」と良子は言った。「変なことばかりどちらかというと考えている人だったからね」真理恵も同意する。それから、2人の女は、それぞれ少し時期をずらして付き合った一人の大学生についていろいろな話をする。それはまた、大抵の思い出と同じように暖かさに満ちたものだった。
2人の女が12時を回り、話にも疲れ眠りにつこういう時、隣の部屋のドアがそーっと開く。眠い目をこすり、髪をたらし、左手に熊のヌイグルミをもった女の子だ。
「夏見ちゃん、そうでしょう、噂の夏見ちゃんでしょう」夏見は眠い目をこすって、ぼーっと、真理恵を見つめる。「えーっと、確か4歳になったんだよね」
「夏見、挨拶ぐらいしなさい。」夏見はペコリと頭を下げて、無言でトイレに行く。「夏見、夏見」明らかに良子はイライラする。その場に真理恵がいなければ、夏見をしかりつけていたことだろう。良子は眠りにつくのをやめ、ワインをまた注ぎ始める。真理恵はもう眠りにつこうかとしている。
「あの子よ」と良子は言う。「あの子ときたら、いつだってあのヌイグルミを持っているんだ」ワインを一気に飲んで、真理恵を見つめる。真理恵が何も答えないのを確認してまた話を続ける。「あの子はもう4歳だよ。なんだって、いつまでもヌイグルミを持っているんだい。」良子の視線に真理恵は何かの発言を促されていることをしる。
「そんなのは、まあ子供の勝手ってもんでしょう、いちいち怒ることではないんじゃないの」真理恵の発言に良子は鼻で少し笑う。「はは」と。
「あなたは知らないのよ、子供ってもんがどんなもんであるのか、子供ってもんがどんな風にイライラさせるか」真理恵は何も言わない。真理恵は結婚もしていなければ、子供もいない、こういう場合は何も言わない方が得策であることを、ここ数年の女同士の会話の中で学んだ。火に油を注いではいけない、真理恵の人生哲学になりつつある。
それから、しばらくは良子の子育ての大変さや、夫の不満が続いた。良子の眠気はどこかへ飛んでいったようだった。その間に夏見が熊のヌイグルミを持って、急いで自分の部屋へと戻っていった。
しばらくの時間が経って、良子はまたおだやかになった。真理恵がまだ正気でいるのを確認して「いいこと、今日はもう眠れないわよ」と言った。真理恵はもうとっくにそれを覚悟していたし、そうするつもりでいた。
「川原君よ、川原君の話」
「彼は最高に面白かった」良子は繰り返した。
「彼ね、私が進路で悩んでいた時に言ったの、ねえ、なんて言ったと思う。」
「さあ」
「人生なんて、死ぬためにあるって。どうせ死ぬのがゴールなんだから、気楽に考えたら良いって」良子は今度は大きな声で笑った。真理恵は特段面白いとは思えなかったが、つられて少し笑った。
「彼、それをベット中で言ったのよ、分かる、SEXの後でよ、そんな事言う人いる。少なくとも私は彼以外知らないわ、後にも先にもね」
真理恵は川原とそれほどの長く付き合った訳でもないし、彼女の人生においてそれほど重要な男性というわけでもなかった。大学時代のある時期、付き合ってそして別れた男、そこに仲の良かった女の友達が絡んできたのでそれなりにドラマチックではあったが、それだけといえば、それだけであった。それでも、この話は真理恵にとって、新鮮なひびきをもっていた。人生は死ぬためにある。そんな事を考えている人には思えなかった。
「結構、味なこというのね、川原君って」
「そう、そんな風なことばかり言っていたわ」しばらく沈黙した後、良子は続けた。「そのわりに、あっさりと先にゴールしちゃうんだから、笑えるのよ」
川原は大学を卒業して、24才になって、死んだ。フラッと、電車に飛び込んだ。
「そうね、びっくりしたわ」真理恵は言った。大学を卒業して、それなりに忙しくしている時期に良子から電話をもらったのが、この川原の事だった。フラっと死んだ、その時良子は泣きながらそう言った。良子はそれから、何も言わなくなった。真理恵もまた特に何か話すことがある訳でもなかった、しばらくまた静かさに包まれた。
「良子、こういう事聞くのって変かしら」真理恵が切り出した。「ほら、私結婚とかしていないから」
「どんなこと」
「今の旦那さんより、川原君のほうのこと好きだったりするのかなって」良子は真理恵を見つめる。
「そうだったら」
「さあ、分からないけど、そういうのってあるのかなって」真理恵はあまり良い質問でなかったと思う。簡単に分かることだと。良子は答えない、コップのワインをじっと見つめる。
「川原君ね、時々不安定になると、私に助けを求めてきた。混乱しそうになって、でもね、最後にはいつもバカな冗談言うの。カエルの生理がどうしたとか、笑えやしないことも多かったけど、そうやって冗談始まると思うわけ、もう大丈夫だって」
「いつから、彼が混乱するようになったの」真理恵はこういうことも聞くべきでないことは分かっていた。でも、真理恵の中でも川原の興味が沸いてきていた。
「はっきりとは、そうね、あなたも知る権利はあるものね。おそらくは、うまくいえないけど初めから、なんていうのかな、そんな風に思う」
時計の音がカチリと鳴る。絶えずなっていたはずであるもの、良子はその音を今ははっきりと感じている。
「混乱しているって自覚を持ち始めたのは、大学を卒業した後だったとは思う。でも、混乱はずっと付きまとっていた。例えば、セックスの後、例えば、2人で将来の事を話し合った後」
良子と川原はベットで良く何時間も話したものだ。セックスの前であったり、後であったりしたが、それはとりとめとなく続けられるような世界だった。永遠に話し続けられると良子は感じる事さえ出来た。
「ふっと、なくなるような感覚を覚えるのよ。年を取るのを止めたがっているというか、留まり続けようとするの、ある地点にね」
良子は結局のところ、川原の混乱を引き受けなかった。良子がある程度の時間をかけてでした結論だった。それは正しいとか間違っているとか、そういうたぐいの問題でもなかったと。
「私は進んだ、前にね。そして年を取った。川原君を思い出すのは、ある地点の私を好きかってことよ。私は今が幸せの絶頂とは思っていない、むしろ不満よ。まあ、そういうことよね」
真理恵は良子の事を考えた、そして自分の事も。それからソファーで眠った。良子は真理恵がいて、そして眠った後の空間に残されて、しばらくじっと座っていた。恐らく、今日も夫は帰らないだろう。そこにある空間に今、夫にくっついているものもなかった。ある地点が夫との間においても過ぎ去ろうとしている事を良子は感じていた。それは通り過ぎていくのだろうと。
良子はゆっくりと夏見の部屋にいき、そっと夏見の頬にキスをした。
夏見はまだ起きていて、「ママ」と優しく、ただ少し怯えた声を出した。「プーちゃんの事なの」その小さな女の子はベットの端から小さな手を出して、ママの手を握った。「プーちゃんの事でまだ怒っているの」と。良子は夏見を見た、そして少し微笑んだ。「違うのよ、夏見、プーちゃんはいいの。あなたの子供なのでしょう。あなたはいい子よ」。夏見はそっと目を閉じた、
小さく「良かった」と言って。良子はもう一度夏見にキスをして、ゆっくりと部屋を後にした。そして、いろいろな考えをめぐり合わせた後、夏見の部屋に戻り、眠っている夏見の横のプーちゃんを見つめた。
朝、真理恵が起きたときには、夏見は大声で泣いていた。
「プーちゃんがいないの、プーちゃんが」良子はまだキッチンで眠っていた、気だるそうに時々目を開けては夏見を見るが、またすぐに目を閉じる。夏見は泣きながら捜し歩いた。真理恵が起きたのを確認し、真理恵の側にやってきた。
「プーちゃんいないの、プーちゃん」夏見を少し落ち着かせ、プーちゃんの説明をしばらく聞いて、良子を起こした。夏見は泣きながら良子に話はじめた。プーちゃんと昨日ねていた事、ベットの横に昨日までは確かにいたこと、朝起きると、いなくなっていたこと、これまでそうした事は1度もなかったこと、部屋中探しても、どこを探してもなかったこと。
「かわいいなっちゃん」と良子は声を下げていった。「いい、プーちゃんは出て行ったのよ。疲れ果てたのかもしれないし、自由を探したかったのかもしれないし、いずれにせよ、出て行った」それから、真理恵をチラッと見た。話を合わせてねとの合図らしいが、真理恵は何をどうしたら良いかなんて分からなかった。
「プーちゃんは帰らない、決してね。そして、あなたはヌイグルミを卒業する。プーちゃんの代わりなどないでしょう」
夏見がそれを納得するはずもなく、それからしばらく夏見の泣き声と、良子の話がつづいた。最終的には「プーちゃんは出て行ったが、今は幸せになっている」としか繰り返さない良子に、泣きつかれた夏見が寄りかかり眠ってしまったことでおさまりはした。
しばらくして真理恵に良子はいった。ゆっくりと確かな声で
「プーちゃんを切り刻んだんだ。昨日の夜ね。発作的だったのよ、気づくとバラバラ。でも、夏見はまだ私にくっついている、ねえ、私はくっついているのよ」と。
何かの地点が通り過ぎようとしていた、それは確かに、確実に。
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2005/10/08(Sat)02:14:29 公開 /
カメメ
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■作者からのメッセージ
初めまして。初めて投稿させてもらいます。
書き始めて日が浅いので、読みづらいものになり、親切さに欠けたものだろうと思います。これからいろいろ書いていけたらいいなと思いますので、感想もらえるとうれしいです。