- 『鶏冠』 作者:時貞 / ショート*2 未分類
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原稿用紙約11.15枚
最悪の目覚めだった。
長いあいだ気味の悪い夢にうなされていたようだ――。
*
じりじりと鳴り響く目覚し時計の音が、まるで拷問を受けているかのように感じられた。
身体中から噴出した汗が、ベッドシーツや枕をぐっしょりと濡らしている。全身がだるく、頭がやけに重い。俺はベッドからむくりと起き上がり、ずきずきと疼くこめかみを指で押さえた。
昨夜はそんなに呑んだだろうか? 会社の近くの居酒屋で生ビールを二杯、梅酒サワーを二杯、それからウィスキーの水割りを……四杯だったか? それからフラフラと店を出て、路地裏のこじんまりとした小料理屋に入った。店の名前はたしか、《宿り木》とかいったはずだ。そこでまた料理をつまみながら焼酎をニ、三杯――ああ、あそこの焼き鳥はやけに美味かったなぁ……。
そうそう、それで家に帰ってきたんだ。そこそこには呑んだが、俺にとってはまぁ適量のアルコールだったろう。
それにしては頭が異様に重い。風邪でもひいたのだろうか? 俺はゆらゆらと立ち上がり、顔を洗うために洗面所へと向かった。
――洗面所の鏡を見て愕然とした。
ひぃッ! な、な、な、なんだなんだこれは! おいおい、こりゃ一体なんだ? え? なんでなんでなんで! どしてどしてどして? うっそ、マジ! やばいよやばいよこれ! なんなんだよォォォ――。
俺の頭に、鶏のトサカとしか思えないシロモノが赤々と生えていたのだ――。
様々に顔の角度を変えて、鏡に映った己の姿を食い入るように凝視する。
――やっぱりトサカだ!
誰かの悪戯かもしれないという限りなく少ない可能性を求めて、俺は頭の上でゆらゆら揺れているトサカに手を伸ばし、思い切り力を込めてぐいっと引っ張ってみた。
うッ、う――んッ!
……だ、だめだ。取れない。完全に頭皮と一体化してしまっている。やっぱりこれ、俺の頭から生えてるんだよ。……ど、ど、どうしよう。マジでどうしよう。ほんとにほんとにどうしよう――。
俺はとりあえず、会社に電話を掛けて休暇を願い出た。
「体調不良のため、今日はお休みをいただきたいのですが――」
会社を休んだのはいいが、さてこれからどうしたら良いものか。
まずは実家の両親に相談してみる? ――いや、こんな異様な事態を果たして信じてもらえるだろうか? ウチの両親のことだ。俺がいきなりこんな突飛な話を切り出したら、きっと頭がおかしくなったのだと思い込むだろう。それになんとなく、話しながら俺自身が笑ってしまいそうな気がする。
……いや、これは真剣に一大事なんだ! やはり両親に相談するべきだろう。
俺は携帯電話を掴み上げ、実家の電話番号をメモリから呼び出すと通話ボタンを押した。
八コールの後、電子的な女性の声が留守番電話であることを告げた。父親は出社、母親はおそらく近所でもぶらついているのだろう。俺は瞬時ためらった後、留守番電話にメッセージを残すことにした。
「――ああ、俺だけど。父さんも母さんも元気? あのぉ俺さ、……頭からトサカが生えたから。……じゃ」
他に何も言う言葉はなかった。俺は不覚にも涙を流していた――。
そうだ、病院に行こう。俺一人で考えていてもどうしようもない。これは病院に行って、しかるべき治療を受けるべきだ。しかし、病院までどうやって行こう? このまま外出するにはかなりの勇気がいる。とりあえずこの立派なトサカを何かで隠さなくては。
帽子を被ろうとした――が、被れなかった。大きめのニットキャップで覆ってみたが、よけい滑稽な姿になってしまった。
――帽子は却下。
髪の毛で隠そうか? そうだ、モヒカンにしてしまおう! 一昔前に比べたら、モヒカンスタイルもかなりファッションとして確立している……に違いない。俺はトサカに沿うかたちで髪の毛を逆立ててみた――が、毛髪の長さが全然足りなかった。
――モヒカンも却下。
――ついでに包帯ぐるぐる巻き作戦も却下。ウチには包帯などなかった。
ストッキングを被る――何故一人暮らしの男の部屋にストッキングが? と思われるだろうが、俺にはそういった趣味があるのだ――作戦も駄目だった。想像を絶するほどの異様な雰囲気が立ちのぼり、思わず自分自身で震え上がってしまった。
最初からおおいに焦っているが、更にじりじりと胸をこがすような焦りを感じ始める俺――。
そうだ、救急車を呼べば!
救急車に乗って病院まで行けば、外で他人の目に晒されることもない。救急隊員には見られてしまうが、きっと彼らならこういった事態にも冷静に対応してくれるだろう――多分。
俺は119番に電話を掛けた。お決まりの、「火事ですか? 救急車ですか?」というひどく冷静な声が聞こえてくる。俺はすがるような気持ちでうったえた。
「救急車を一台お願いします!」
「どうされました? 場所はどちらですか?」
「自宅です。あ、頭から、頭から真っ赤なトサカが生えてきたんです!」
――切られた。
悪戯だと思われたに違いない。
ああ、俺はなんで正直に話してしまったんだろう。嘘をついて怪我人か病人かをよそおえば、とにかく救急車は来てくれたはずだった。嘘がばれたとしたって、この頭を見たら救急隊員もただ事ではないことに気づいてくれたはずだ。俺は、正直者はつくづく損をすると痛切に思った。
思わず独り言が口をついて出る。
「救急車に乗っていたらすぐ病院に行けたのに――。でも、一体どこの病院に連れて行かれただろうか。トサカが生えているからといって、まさか動物病院ではなかっただろうに――」
俺はまたもや、不覚にも涙を流していた――。
考えていたら何だかやけに疲れてしまった。部屋の隅で体育座りをして膝を抱え込む。
ああ、なんで俺がこんな目に。……よりによってなんでトサカなんだ? 鶏に恨みを買うような覚えはないぜ――そりゃ、「大好物は?」って聞かれたら真っ先に《ケンタッキー》ってこたえてたけどさ。そんなことでこんな目に遭うんだったら、それこそ日本中トサカ人間ばっかりだぜ。――はぁ、どうしよう。
膝を抱えたまま、だらんと垂れたトサカに手を触れてみた。ちょっとザラザラしていたが、指でつつくとプルンとした弾力をもって振動する。
――なんだか気持ちよかった。
もう一度指で、今度はもう少し強くつついてみた。プルプルプルンとトサカが横に振動する。それと同時に、ぞくそくっとした快感が俺の背筋を走った。
――おお、気持ちいい。
俺は両手を使ってその行為を繰り返した。ときに強い力を込めて。そして、時にそっと優しくいたわるように。
プルプルプルン、プルプルプルンと振動する真っ赤なトサカ。それと同時に沸き起こる、なんともいえない心地よさ。
――うーん、気持ちいい。何だかよくわからないけど気持ちいい。
俺は快感に身を任せていた。頭が徐々にぼーっとしてくる。俺はトサカを刺激し続けた。強く強く強く、優しく優しく優しく、そしてまた強く、強く、強く――。
しばらくそうしていたと思う。
時間が経つにつれ、なんだか少しずつ快感が薄れていくようになってきた。刺激に身体が慣れてしまったのであろうか?
あまり強く刺激すると、今度は少し痛みをともなうようになってきてしまった。小鳥に触れるようにそっと優しくさすってみる。
――あれ? ……あ、いたたたたッ――!
それまでの快感がまるで嘘のように、鋭い痛みが俺の頭を襲った。俺はトサカから手を放そうとするのだが、不思議なことにまったく放れようとしない。自分の意思とは関係なく、指がトサカを刺激しつづける。
――いだだだだだだッ! いたい、いたいよッ!
歯を食いしばって耐える俺の頭上から、突如人の声が振り落ちてきた。
「お客さん、いい加減に起きてくださいよ。もうとっくにカンバンなんだからさッ」
――え? お客さん……?
頭を襲っていた鋭い痛みが、今度はどんよりと重く鈍い痛みへと変わった。混濁した意識の中で、俺は必至に思考をめぐらせる。
俺は、俺は――そうだ。会社の近くの居酒屋で生ビールを二杯に梅酒サワーを二杯呑んで、それからウィスキーの水割りを……確か四杯ほど呑んで。それからフラフラと店を出て、路地裏のこじんまりとした小料理屋に入ったんだった。店の名前はたしか、《宿り木》とかいったはずだ。そこでまた料理をつまみながら焼酎をニ、三杯呑んで――で、それを潮に真っ直ぐ家に……。
ん? 真っ直ぐ、家に……? ……いや! 俺は、俺はまだ家に帰っていなかったんじゃ――。
慌てて店のカウンターから顔をあげた。
薄ぼんやりとした視界に、空になったグラスと乱雑に積み重ねられた小皿とが映る。俺は無言で自分の頭に手を置いてみたが、当然そこには《トサカ》などありはしなかった。
振り返ると、白髪を短く刈った頭にねじり鉢巻をした店主が、さも迷惑そうな表情で俺の顔を覗き込んできた。
「お客さん、相当に酔っちまってるようだ。もうこの時間じゃあ終電もないだろうし、よかったらタクシーをお呼びしやしょうか?」
「……」
*
最悪の目覚めだった。
長いあいだ気味の悪い夢にうなされていたようだ――。
――了――
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2005/10/05(Wed)12:49:35 公開 / 時貞
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■作者からのメッセージ
お読みくださりまして誠にありがとうございます。
バイクでコケるといった情けないアクシデントに見舞われた時貞です(汗)この「あとがき」もほとんど右手タッチだけで書いているという悲しい状態で(泣)
実はコレ、前回投稿した《十月の海》というSSと同時に書きあがっていたものなのですが、時貞という名前を忘れられませんようにという浅ましい考えから、今回投稿させていただきました。
なにぶんヘンな内容のSSではございますが、お言葉をいただけたら本当に嬉しいです。完全復活への大きなパワーとなります。どうか皆様、僕にパワーをください!!