- 『Cowdly Love』 作者:凰庭人 / 未分類 恋愛小説
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全角22298文字
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原稿用紙約66.1枚
映画、それは時として人の心を揺り動かすことがある。文化祭で演劇をすることになった私は、男嫌いを克服するために千樹という男とかりそめのカップルになった。そして、初デートの日に見た映画、それは私の心を大きく揺さぶる映画だった。臆病、それを克服した時、そこに私の求めた世界があった。今にすると、こう思ってしまう。「眠り姫」、その話は「Cowdly Love(臆病な恋)」ではないかと。
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ざーっと音を立てて雨が降り、冬の寒さが風とともにこの肌に染みてくる。私は生まれてすぐに、両親に捨てられた猫。幸運にも里親に育てられたが、里親もやがて別れも言わずにこの世を去り、ふたたび私は1人になった。そんな私に相応しい夜だ。心の中からそう思う。暗闇の中、私はつぶやく。
「おじいちゃん、そっちに行ってもいいかな? 私、もう1人は嫌だよ……」
雨で水かさが増した川は、ごうごうと音を立てて、私を力いっぱい飲み込もうとする。けれど、私は怖くない。私は信じているから、あの世の世界でおじいちゃんが待っていてくれることを。
「おじいちゃん、今行くよ。待っててね」
私はにこりと微笑むと、川の流れに身を任せた。瞳を閉じる。暗い中、私はゴウンゴウンというベルトコンベアーに乗せられて、おじいちゃんの待つあの世へと旅立った。いや、旅立とうとした。ベルトコンベアーが途中停止したのだ。
「今、助けるから!」
うんしょ、うんしょ、と子供の力む声が聞こえた後、大人たちもかけつけたらしく、えいしょ、えいしょ、と大きな声が私を元の岸へと引きもどした。
目が覚めると、白い部屋の中に居た。ここは天国だろうか? 私は昔おじいちゃんとともに見た教会を思い出し、胸を躍らせた。おそらくあの茶色の部屋を出るとおじいちゃんが待っているんだ。あの笑顔で私を迎えてくれるんだ。さぁ、こんな掛け布団を蹴飛ばして、あの部屋を出て行こう。そして、おじいちゃんとともに……
第1話:「白と銀の世界」
がばっと布団を蹴飛ばすと、うわっ、と驚く少女の声がした。そして、少女はほっとため息をつくと、なれなれしく私の手を生暖かい硬い何かとともにつかんでくる。
「良かった」
私は第一声に嫌悪感を抱いた。
「良かった? なにが良かったの?」
私が少女の手を払うと、何かがカランと音を立てて少女の手から滑り落ちた。少女は呆然とした顔をして私を見つめる。私はいらだった思いを少しでも抑えながら、声をふるわせた。
「あなたは良かったかもしれない。でも、私には良くなかった! 私はおじいちゃんのところに行きたかったの! それを、あなたや大人たちが!」
少女はその言葉を聞くなり、顔の色を変えた。少し手をわなわなと振るわせる。
「なに怒ってるの? 大切なおもちゃを私が落としたから? なら、ごめんね。そして、看護婦さんに言ってきて。おじいちゃんのいるあの世に」
パシーン! 平手打ちをする音が病室に響き渡る。私は頬を押さえながら、平手打ちをした少女の顔を見た。とても悲しそうな顔、なんでそんな顔をするの?
「それは同情の顔? それともなに?」
少女はゆっくりと床に落ちているそれを拾うと、目じりに涙を浮かべた。
「死にたい、あなたがそう思っているのが悲しいの。きっとあなたのおじいさんはそこで待っていない、というのに」
おじいちゃんはそこで待っていない、その言葉が私の胸に強く突き刺さる。どうしこの少女はそんな残酷なことを言えるのか。私にはなにも言い返せなかった。
「だって、あなたのおじいさんは、きっとそんなことを望んでいないから。きっとあなたが死んだことを知れば、とても悲しくなってしまうから。ねぇ、あなたはどう思うの? おじいさんがあなたの死を望んでいると思う?」
おじいちゃんが私の死を望む? それは無いだろうし、そんな風に考えたくは無い。なら、なんで私はその望まれない死を手にしようとしたんだろう。おじいちゃんの嫌がることをしようとしたんだろう。
「ねぇ、もしもあなたがあなたのおじいちゃんなら、あなたにどうして欲しい?」
「そんなこと分かるわけないでしょ! そんな、そんなことが……分かったら……」
そうしてあげたい。だって、おじいちゃんは私の大切な里親さんなんだから。たとえ貧乏だったとしても、たとえ学校に行けなくても、私はおじいちゃんといるだけで幸せだった。そんなおじいちゃんだったんだから。
少女は私を見つめた後、大人のような顔つきでそっと瞳を閉じる。そして、しずかに私に語りかけた。
「分からないなら、探せばいいんじゃないのかな? これからあなたが生きていく中で探していけばいいんじゃないのかな?」
「探していく? でも、それはとても難しいよ」
おじいちゃんはもうこの世にいない。だから、いないおじいちゃんが私にどうして欲しかったのかを探すなんて、とても難しくて、私にはできそうにない。顔をうつむくと、少女は私の手をふたたび握りながら言った。
「私も協力するから」
「え?」
手の中の銀色のロザリオがきらりと輝く。そして、少女がふわりと笑顔になる。
「私も力になる。だから、一緒に生きていこうよ」
幻想的、大人だったらそんな言葉で表現するのだろうか? その笑みには私の知らない何かがあった。それは怖くないもの、それはとても暖かいものだった。私はその暖かさの中でうなずいた。
「おねがい、しようかな?」
「うん、お願いして」
そう言って、少女はくすくすと笑い出した。私もつられて笑い出す。
おじいちゃん、ごめんね。私、もう少しこの子と一緒に歩いてみる。
それでもいいよね、おじいちゃん?
白い光が2人の少女を暖かく包み、そして少女の笑い声が軽やかに響く。
その光景に少女の手の中のロザリオがそっと銀色の色合いを添えていた。
私は今高校生、青春真っ盛りの時期というやつだ。だが、私は女子高に通うことにした。病室でともに生きていくことを誓い合った少女、橘夢乃がそこに進学したからだ。学費は橘家持ちということもあり、私も少しためらった。だが、夢乃の父親、悟さんは、私の気持ちを聞くとこう言った。
「宮ちゃんのしたいようにすればいい。たしかに、君が心配してくれるように家計に多少は影響があるさ。なにしろお嬢様学校だからね。でも、血がつながって無くても、君は私の娘なんだ。娘に我慢してもらってまで払いたくない額ではない。むしろ、娘がそんな血のつながりを気にして無理をすること、そのほうが私は辛いよ。それに、君が同じ学校に通うとなれば、夢ちゃんもとても喜ぶだろうしな」
悟さんはすでにその気であったらしく、私に願書を渡すと、がんばれと背中を押してくれた。私はそれから一所懸命に勉強した。宮乃と一緒の学校に通いたい。その一心で。
合格した、それを宮乃に知らせた時、宮乃はまるで母親のように泣きながら喜んでくれた。私はとてもそれが嬉しかったのだが、少し気取って、はしゃぎすぎだよ、と言う。
「はしゃぎすぎ、夢乃。そんなに喜ばれると、私が受かったのが奇跡みたいじゃない」
「あ、そうか。ごめんね、宮ちゃん。でも、私嬉しくて、嬉しくて」
そう言って泣き虫夢乃はまた泣き出した。私はそんな夢乃をそっと抱きしめると、なんてね、とおどけて見せる。
「私も実はとても嬉しいんだ。だって、また夢乃と同じ学校に行けるから。だから、とても嬉しいんだ」
そんな様子を見て、悟さんは私たちの肩に手を置きながら声を出して笑いだした。夢乃のチョップが悟さんの腹にきまる。くぅ、とわざと痛そうにすると、悟さんはお父さんのように微笑んだ。
「母さんが生きてたら、きっと4人で円陣を組んでたりするのかもな? いや、胴上げか?」
「お父さんじゃないんだから、円陣はないよ。ね、宮ちゃん?」
「うん。だね、夢乃」
夢乃や私の言葉に、そりゃそうだ、と照れくさそうにする悟さん。そして、少し寂しそうな顔をした。私はその寂しそうな顔が気になったが、私の視線に気がつくと台所にくるりと足の向きを変えた。
「さて、宮ちゃんと夢ちゃん。手伝ってくれるかな? 今日は、パーティーだ!」
台所から美味しそうな匂いが漂い、喜びの花に色を添える。
その夜は笑いがつきない、とても楽しいものだった。
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第2話:「男」
その日、私の第一声はこうだった。
「冗談じゃない! なんで、男と私がキスをしなくちゃいけないの?」
まぁまぁ、とクラス委員長の上島が私をなだめながら言う。
「キスと言っても、そう見せるだけよ。なんというか、そう、寸止めってやつ? つまり本当にはしなくてもいいわけ。ね、お願い」
キス、そんなセリフがクラス中を飛び交う。ことの経緯はこうだ。
11月にある学園祭で演劇をすることになった。タイトルは「眠り姫」。お姫様が悪い魔法使いに魔法をかけられて、長い眠りについてしまう。その噂を聞いた王子様は、お姫様を助けようとして魔法使いのいる城に向かう。激闘の末に魔法使いを倒した王子様。その王子様がキスをすると、お姫様が目を覚まし、そして2人は幸せに暮らしましたとさ、という有名なおとぎ話だ。
そして、そのお姫様役に私が選任され、王子様に本物の男が呼ばれた、ということわけだ。つまり、私はこのままいけば、寸止めであったとしても、男とキスをすることになる。だから、こうして抗議しているのだった。
「それにこんなおとぎ話、嘘に決まってるじゃない! 甘ったるい夢物語に見せて、実はどこかの国を滅ぼして、乗っ取りました! これが真実でしょ?」
「いや、真実も嘘も、おとぎ話だから……」
上島の言葉に思わずうっ、と息を詰まらせる。完全な失言、周囲の生徒はくすくすと小さく笑い出していた。
「とにかく、私はこんな甘ったるいラブストーリーなんかに出る気ないから!」
私はガタン、と音を立てて立ち上がると、担任や上島の声を振り切って外に出て行った。
「はぁ、参ったな。失言の次は失態か……」
ふぅ、と深くため息をついて、そして私はふらふらと神社の方へ向かって歩き出した。
男、たしかに悟さんはいい人だ。だから、男すべてを否定しようとは思わない。
けど、たぶん自分でも忘れているどこかで、男に対して嫌な感情を抱くなにかがあるのはたしかだった。
私は石段を登りきると、その最上段に腰をかけ、そしてうーん、と伸びをしながら地面に背をつけた。青い空にぽっかりと白い雲が浮かんでいる。シャッシャッシャ、と竹箒で掃く音が聞え、一定のリズムがメトロノームのように思えてきた。私はそのメトロにつられ、ゆっくりとまぶたを閉じた。
「宮乃、魚取らねばならんからのう。もし良ければ、少し手伝ってくれんか?」
「うん、いいよ。わたし、がんばる」
そう言って、目の前のちっちゃな私がガッツポーズをする。おじいちゃんは優しく微笑むと、そっと頭をなでていた。そして、よし、と気合を入れると、川に向かって歩き出した。次々と銛で魚を串刺しにして、川に浮いている竹壷にいれる。それが少しだけ重くなった頃合いを見計らって、引っ張るのが私の役目だった。川の流れが邪魔をして幼い私にとっては重いのだが、手伝えることはこれしかない、と言ったのでがんばる私。
おじいちゃんは時々手を休めると、私の方へ来て、一緒に休もう、と言った。
「重いじゃろ? 無理しなくてもええよ。宮乃は、宮乃のしたいことをしてええんじゃから」
おじいちゃんはまた優しく微笑んだ。私は、ううん、と首を横に振りながら言う。
「宮乃はおじいちゃんの手伝いがしたいんだもん。だからしてるんだもん」
ありがとな、と優しく微笑むと、少し寂しそうな顔をした。だが、小さな私はそれに気がつかずに、花で遊んでいる。おじいちゃんはその花についてうんちくを小さな私に教えてくれ、そして私は嬉しそうに瞳を輝かせていた。
おじいちゃん、ここだよ。私は意を決して声をかけてみる。しかし、その声は届いていないらしい。おじいちゃんと小さな私は私の声を無視して話をつづけている。その光景はもう手に入らない。手に入らないからこそ、よけい楽しそうにみえるのだった。
やがて、遠くからだんだんと耳障りなメトロの音が近づいてくる。
私はその音が耳障りになったことで、その夢から目が覚めた。
「お昼寝、ですか?」
「え?」
巫女装束の女が私に声をかけてくる。どこかで聞いたような声、だけど誰だったかな?見上げると、それは夢乃と同じ学年の瑞穂さまだった。
「み、瑞穂さま? でも、なぜ? まだ授業中のはずじゃ?」
瑞穂さまは、それもあなたも、とくすっと笑ってから言った。
「私、いけない子ですから。ところで、宮乃さん。授業戻る気が無いのなら、私のお茶を飲んでいきませんか?」
いけない子、その言葉は不良以外のなにかを指している。そんな気がしたが、私はそれを詮索せずに、誘われるがままに社務所へと入っていった。畳の部屋に案内され、とりあえず正座をする。瑞穂先輩の巫女衣装、少し長い髪と和風な身のこなしがいつもよりも洗練されて、美しく見える。憧れの瑞穂さまがもっと憧れの存在になった、という感じだ。
「おいしいです」
私の率直な感想に、ありがとうございます、と微笑む瑞穂さま。すらりとした伸びた背筋、そしてその微笑が、社務所の窓から差し込む光に照らされて神々しく見える。……、これじゃぁ、まるでアイドルの追いかけみたいな気分じゃないか。私はそんな惚れる心を抑えて、緊張でこころなしかさつく唇を開いて話しかけてみた。
「瑞穂さまはよくここに?」
「はい、私はいつもここに来ます。私は神社の娘ですから、仕事もたくさんありますから。ところで、宮乃さん。その、さま、はちょっと……」
どうやら瑞穂さま、さま付けで呼ばれるのにはなれていないらしい。瑞穂でお願いします、と言われたが、それでは忍びないので、瑞穂先輩というところで妥協してもらうことにした。
「先輩、私にもなにか手伝えますか? こう見えても小さな時から力仕事をしているので、多少のことはそこらへんの男なんかには負けませんよ」
そう言って、ちょっと自慢の力こぶを見せる私。女の子としてはとてもはしたない行為かもしれないけど、瑞穂さまに仕事を分けてもらうためなら気にしない。
「あらあら、殿方に負けないだなんて。それでは、頼もしい宮乃さんには、これをお願いしてもよろしいかしら?」
そう言って、お札を渡してくる先輩。そのお札の裏表を見てみたが、なにも変哲の無いお札だ。
「それは力岩のお札と言って、力岩の下に貼り付けて頂いてもらいたいのです。力岩は私では持ち上げることができなくて、いつもはお父様にやっていただいてるのですが、今日はたまたま」
奥の部屋から、ごほごほ、と咳き込む声が聞こえてくる。どうやら風邪を引いてしまったようだ。私は自分の胸をとん、と叩いた。
「まかせてください、先輩! それでは行ってきます!」
力岩と言うのはこれだろうか? 岩の下にある土台に、破れかけたボロボロのお札が貼られている。私はよいしょ、と力をいれ、その岩をどかすと、そのお札をぺりぺリペリー、と剥がした。そして、ぺたぺたとお札を貼ると、ふたたび岩をもちあげる。
「すごいわ、宮乃さん。力岩を持ち上げるなんて」
「え? うわ!」
突然の声に姿勢を崩し、そして前のめりに倒れこむ。かろうじて岩と私、ともに何も起きずにすんだ。私は後ろを振り返る。
「先輩、いきなり声を出さないでください!」
「だって、宮乃さんが、力岩をもちあげたんですもの。お父様も、よいしょ、ですのに」
その仕草が普段の瑞穂さまからは想像もつかないほどかわいかった。
私は思わず笑ってしまう。すると、瑞穂さまは少し戸惑ったようすで聞いてきた。
「なにがおかしいんですの、宮乃さん?」
「だって、ふふ、先輩のその仕草がとてもかわいかったから」
ぽんっとやかんが沸騰するように顔を赤らめる瑞穂さま。
「私も普通の女の子ですもん」
からかわないで、と言いながら、ぷいっとそっぽを向く瑞穂さま。その姿がまたかわいい。
「ごめんなさい、先輩。でも、あはは」
だめだ、笑いが止まらない。その笑いは面白いからの笑いではなく、あまり人に知られていない瑞穂さまを見れたことによる嬉しさ。私だけがこの瑞穂さまを知っている、そんな嬉しさからくる笑いだった。
「もぅ、宮乃さんったら」
そう言って瑞穂さまもクスクスと笑い出す。2人で紅葉の中で笑っていると、上島の声が聞こえてきた。
「宮乃ー! こんなところまで逃げて!」
「逃げてないけど?」
私が冷静に返すと、上島はきーっとヒステリックな声をあげて言った。
「あ、瑞穂さま、ごきげんよう。すみませんがこの子、借りていってもよろしいでしょうか?」
瑞穂さまはにっこりと笑い、そして上品な返事を返す。
「ごきげんよう。それではさようなら、宮乃さん」
上島は瑞穂さまが立ち去るのを見届けてから、私の腕をがっしりとつかんだ。さすがは女子レスリング同好会。パワーと気迫だけはある。
「それで、どういうことですの? まさか、男が苦手なのでは?」
「は? 男が苦手?」
男が苦手、なぜか核心をつかれたような気がして、思わず動揺してしまいそうになる。私はそれをなんとか押し隠しながら、上島の私についての説明を聞いた。
「私がそういう根拠はふたつありますわ。ひとつ、あなたは、なぜ私が男とキスをしなければならないのか、と言うことを怒った口調で言った。ひとつ、普段は成績優秀、冷静沈着なあなたが、めずらしく冷静さを失ったこと。どうです? 私の言っていることは間違いではありませんでしょ?」
「まぁ、成績優秀、冷静沈着だなんて褒め言葉をいただけて、とても光栄ですわ。ありがとうございます」
私のわざとらしい発言に対し、上島も引けを取らない。
「あらあら、私は褒めたつもりは無くてよ。」
にらみ合う視線。どうやら私が降参、と音をあげたほうがよさそうだ。そう思ったとき、高校生にしてはやたら青春していますオーラがない男が木の葉をかさかさと踏み鳴らした。
「上島、悪いけど、俺も乗り気じゃないんだ」
乗り気じゃない。その言葉は救われたようにも、むかつくようにも、感じ取れる不思議な言葉だった。イライラとする上島に対し、男は言葉をつづける。
「他ので借り返すからさ、まぁ他の人にその話は当たってくれよ。じゃあな」
「ま、待ちなさいよ!」
んー、と顔だけこっちに向ける男。上島は慌てたように男に言った。
「ここで借りを返してもらわなければ、私、立つ瀬ないじゃない。だから、お願い」
男は、面倒だが、とため息交じりで言った。
「んー、分かったけど、そちらさんの乗り気しだいだな。俺はテンションの上がり下がりが激しいんだ。せめてパートナーがやる気満々です、という感じじゃなければ、やれないな。そんな条件付きだけど、いいか?」
上島は仕方ないわね、とうなずくと、私に向かって当り散らすように言った。
「はやく男嫌いを直しなさい!」
お嬢様学校のレスラーはそう言い捨てると、男を手で押しのけて、帰っていってしまった。男がやれやれ、とため息をつく。
「どうしてやる気が無いのに断らないの? 断ればいいじゃない。借りとかいうのも、その態度でチャラにしちゃってさ」
「そいつは無理だ」
「なんで?」
妹が借りを作ったからだ、男はそう恥ずかしそうに俯いた。
その後少しだけ、私は男と少し話をした。男の名前は、初島千樹。妹の名前は千鶴といって、なにかとそそっかしい女の子のようだ。借りを作ってしまったのも、そのそそっかしさが原因らしい。
「それで、宮乃はなんで男嫌いなんだ? 劇のパートナーになるかもしれないし、もしよければ教えてくれないか」
核心をつかれたような気がして、どきりとする。
「別に私は男嫌いじゃない、けど? ううん、違う。男嫌いか、男嫌いじゃないか、それは良く分からないけど、でも好きじゃないのはたしか」
千樹は黙って私の顔を見た後で、それなら、と切り出した。
「それなら、仮のカップルってのをやってみないか?」
「仮のカップル?」
「そう、本当に宮乃さんが男嫌いなのか、それを確かめるのも悪くはないだろ?」
それはあまりにもバカバカしくもあり、魅力的でもあるものだった。仮のカップル、つまり実際にラブラブではないが、ラブラブな2人を演じてみよう、というものだ。私はひとつ返事でそれを受け入れることにした。
その日から、千樹と私はかりそめのカップルとして付き合うようになったのであった。
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第3話:「映画」
ふぅ、またため息をつく。これは一体今日何度目のため息だろうか?
夢乃が心配そうな顔をして、私の顔をのぞきこむ。
「宮ちゃん……、そんなに嫌なら断れば?」
「ううん、別に嫌じゃないから。そう、嫌というよりも不安、なのかな」
「不安?」
「うん、言葉じゃ表現できないけど」
不安、それは言葉じゃ表現できないものだが、心の空にどんよりと浮かんでいるもの。千樹からデートしようぜ、と誘われてからずっと私の心の中にそれはある。
ことの成り行きは、一週間前の喫茶店からはじまる。
「デート?」
「ああ、デートしようぜ」
いつからこんな軽い奴になったんだろうか? それとも、なにか考えがあってのことだろうか?
「まぁ、デートといってもゲームなんだけど」
ゲーム、その不純な言葉に、思わずケーキを串刺しにしてしまう私。そんな私をなだめるように千樹は言った。
「ごめん、ゲームという表現は悪かった。男嫌いを直すためのデートだよ。これは口実なんかじゃなくて、その」
焦る千樹の様子を見て、私はなんとなく彼の真意を察した。おそらくカップルもどきをいくら続けていても、それは男嫌いを直した、ということではなく、男に慣れた、という終わり方になってしまう。それを言いたいのだろう。
「いいよ。デートしよう」
「ファイナルアンサー?」
そう言って、なにかのチケットを手に、私を見つめる千樹。
「ファイナルアンサー」
とりあえずノリにあわせてみるものの、私はドドドドドというBGMが頭に聞えてくるほどには緊張できなかった。
まのもんたのマネをしているのだろうが、千樹と彼の顔は違いすぎるからだ。
それにこれはクイズじゃない。私の意志、それが答えなのだ。
「正解!」
なにが正解だかはよく分からないが、千樹はそう少し大きな声で言うと、ほれ、と長細い紙を私に手渡した。
「映画のチケット?」
「ああ。俺もさ、カップルがするデートってのはやったことないんだ。女友達はいても、カップルというのはまがりなりにも初めてだからな」
その言葉を聞いて、なぜか私はほっとしてしまった。
「映画の後は?」
「後? うーん、それはまだ考えてなかった。宮乃は、なにかいい考えある?」
デートスポット、と言えば、遊園地だろうか。観覧車に乗ってキスするストーリーとか、よくテレビで見るし。それとも公園だろうか。2人で歩いて、それから……。あれ、デートって。
「ところで千樹、デートってキスするの?」
紅茶を吹きだす千樹。そして、ゴホゲホと咳き込みながら、苦しそうに言った。
「キスは、しない。いや、したくなったらしてもいいけど。デートの形なんて人それぞれだと思うし、他の熱々君たちがやるようにはしなくていいじゃないか?」
私は、そんなもんなのかな、とあまり釈然としなかったが、とりあえずそういうことにした。いくら千樹がいまどきのイケメン男だからとは言え、キスをしたいとは思えない。私はその後、2、3段取りを話し合うと、その喫茶店で別れることにした。
デート当日、ふたたび私たちは喫茶店で待ち合わせた。手はつながない。私が断ると、千樹は普通にそれを受け入れた。緊張して、動きがギクシャクしてしまう私を優しくリードする千樹。さすがは瑞穂さまの幼なじみを名乗るだけのことはある。ダメ、先輩を思い出してしまっては。まるで千樹とデートしれいるんじゃなくて、憧れの瑞穂さまとデートしているように思えてしまうから。
私がぶんぶんと頭を横に振ると、千樹は心配そうに聞いてきた。
「どうした? 具合でも悪いのか?」
「ううん、そうじゃないんだけれどもですね」
「うん?」
妙な言葉遣いになる私を不思議そうに見つめる千樹。
まがりなりにもデートをしているのだ。そのことぐらいは気がついて欲しい。
映画館に着くと、千樹が飲み物を買ってくれた。私は払う、と言ったが、断られた。
「ところで宮乃さん? 今日は全部俺のおごりだが、中でもこの映画チケット代は高いんだ。寝なさんなよ?」
なにを言っているのだろう、そう思ったが、その理由はすぐに分かった。その映画は、恋愛映画だった。
幼い頃に大好きだったお父さんと死に別れ、男の人を好きになることを嫌いになった少女、早坂雪乃が、ある日駅でどんと背の高い男とぶつかる。
「ごめんなさい」
雪乃は謝ると、男の言葉も聞かずに走っていってしまった。そして、ビルの中に走りこむと、自分が大切な懐中時計を落としてしまったのに気がつく。探しに戻ったが、もうそこには見当たらなかった。雪乃は泣く泣くあきらめ、気分を変えてバイトの面接を受ける。そして、みごと合格し、雪乃はファミリーレストランで働くことになったのである。
そこで男とふたたび出会う。男は懐中時計を雪乃に渡し、雪乃はそれを見て驚く。落としたときには動いていなかった時計が、ふたたびカッチカッチと時を刻んでいるからだ。
「これ、動いてるの?」
「ああ、直しておいた。あのとき謝らなかったお詫びだ」
男の名前は有島達樹。時計屋を兼業していることもあり、その手のことは長けていた。雪乃は感謝をするとともに、それを機にいっきに親しみを覚えていく。そしていつしか、2人は付き合うようになった。
そして7度目のデートの日がやってきた。楽しかった時間はあっという間に過ぎ去り、そしてあたりは暗くなっていく。雪乃は達樹に告白をした。
「結婚してください、お願いします」
「断る」
達樹はそう即答するとともに、そっぽを向いた。
雪乃が涙を流すと、達樹は冷静な口調で言った。
「俺は君と結婚できない」
ピシン! 少女の平手打ちを受ける達樹。
受けた場所を押さえながらも、達樹は冷静な目で雪乃を視線をそらさない。
「なぜなの? 愛している、その言葉は遊びだったの?」
「愛していたさ。けど、結婚できない。これでさよならだ」
達樹はそう言い捨てると、雪乃に背を向けて去っていった。
私はそこで寝てしまうことにした。
どうせこの後色々とあってから、すまなかった、許してくれ、と男が謝って、結婚して、ハッピーエンド。ありきたりの恋愛ドラマだ。もう見る気がしない。お休みなさい。
しばらくしてから、つんつん、つんつん、となにかが私の頭をつつく。
「宮乃さん、起きてくださいな。もう映画終わったぜ」
私はあくびをこらえながら起きると、千樹に連れられて、映画館の外に出た。出てからしばらく千樹は無言だった。
「千樹、もしかして怒ってる?」
「え? いや、怒ってないけど? あ、ごめんな、黙り込んで」
私が首を横に振ると、千樹はほっとため息をついた。
「誘った俺が言うのもなんだけど。あの映画、最後まで見なくてよかった」
その言葉は千樹自身に向けられたものではなく、私に向けられているような気がして、思わず聞いてしまった。
「え? それはどういう?」
だが、千樹は答えない。もしかしたらバッドエンドだったのだろうか。その気持ちが顔に表れていたらしく、千樹は、ハッピーエンドだったよ、とつぶやいた。
「ハッピーエンドだった。……だから、この話はおしまいにしようぜ」
そう言っておどける千樹。私はその態度になにか意味がある、と感じたが、なにも言わずに千樹とともに公園のほうへ歩いていった。ここは、恋人の丘、とか呼ばれていて、恋人たちがよく行くところらしい。なんでもそのフェンスに鍵をつけると永遠に結ばれる、とかいうことで、気持ち悪いほどに鍵が取り付けられていた。
「今日はやめておこう」
私が言う前に千樹が私の気持ちを口にする。いや、私の気持ちも同じだったが、たぶんこれは千樹自身の気持ちでもあるのだろう。だとしたらやっぱり……。
「ところで、宮乃。デートなんだからさ、なんか欲しいものとかあるか?」
「え?」
「え、って、デートって言ったら、プレゼントがつき物じゃないのか?」
それは違うと思うけど、と私は思ったが、くれると言うものを断る道理は無い。
私が、そうかも、と曖昧に返事を返すと、千樹は私を商店街に連れて行った。
それから2人は、映画のことを忘れたようにはしゃぎ、そして夕方になるとキスもせずにそれぞれの帰路に着いたのであった。
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第4話:「千樹の気持ち」
「俺は君と結婚できない」
それはあの子、雪乃にのみ伝えられた気持ち。だけど、それはあの子に限ったことではなかった。それはすべての異性に向けられた言葉だった。
幼い頃に父親と母親を亡くした俺は、ずっと姉さんに育てらてきた。体が弱かった姉さんに俺はなんども仕事をやめるように言った。俺が仕事をつづける。俺1人でも、時計の修理ぐらいできる。だから、もう無理をしないでくれ。
そう告げてきたが、姉さんはたびたびにその言葉を断ってきた。愛する姉さん、いや義姉さんであるからこそ、俺は1人の女性として姉さんを愛しつづけてきた。だが、ある日、姉さんは別れも告げずに俺のもとを去った。
買い物に行っている間に倒れ、そしてそのまま帰らぬ人になってしまったのだ。
俺はそれから何もする気が無くなった。時計の仕事は事務的なものとなり、面白みというものを感じられない。仕事だけでなく、なにもかもが面白くない。そんな味気ない、物足りない生活がつづくほどに、俺の姉さんに対する愛おしさが募っていった。
「姉さん、俺、死ぬことにしたよ……」
そう姉の仏前に告げると、達樹は昔姉とともによく遊んだ川へ足を向けた。姉さんに会いたい。そこがたとえあの世であろうとも。そしてもしあの世で姉さんに会えなかったとしても、姉さんのいないこの世にいる意味が無い。
達樹はそう自分に言い聞かせ、人ごみの中をぼーっと歩いていた。すると、どすん、と人とぶつかってしまった。
「ごめんなさい」
俺も謝ろうとしたが、女性はそれを聞かずに走っていってしまった。女性がいた場所を見ると、時計が落ちている。俺はその女性が自分の姉に似ていたことから、きっとこれもなにかの縁だと思い、時計を直すことにした。しかし、このままでは渡す術がない。そこで俺は考えた。同じ職場ならば、渡すことができるではないか、と。こうしてファミリーレストランの面接を受け、そして働くことになったのである。
時計をきっかけに深まる仲。ついに俺とその女性、雪乃はデートをする仲までになってしまった。だが、その仲を急に怖いもののように思うようになった。
もう2度と好きになった女性を失いたくは無い。そんな独りよがりの気持ちは、デートをするに連れて強まっていった。そして、俺は告白を拒絶した。
「俺は君と結婚できない」
平手打ちをされようともその気持ちを変えることはできなかった。その日から俺と雪乃の仲はギクシャクするようになり、ついに雪乃は仕事を辞めると同僚に話し出した。心の中で俺は焦ったが、素直に気持ちを変えられない。それが苦しくなった俺は、みずからが先に消えようと決意した。そして、ふたたび川に向かって歩き出した。
失いたくないのなら、もう2度と失えないようにすればいい。
「姉さん、ごめん。俺、やっぱり死ぬことにするよ」
そうつぶやいて、轟々と流れる川に足を踏み入れた時、目の前に見覚えのある姿があった。雪乃だ!
「雪乃! 戻って来い!」
雪乃のところへ走り寄ろうとした。だが、雪乃はそれに答えずに、さらに深いところへと足をすすめる。
「雪乃!」
俺はどんどんと力の限り足を進める。雪乃を失いたくない、だから俺は!
「どうして? どうして私を止めるの?」
雪乃の震える声に、俺は力強く言った。真実を告げることに、もう迷いなど無い。俺は、今、すべてを告げる。
「雪乃、俺は君を愛している。この気持ちに偽りは無い。だけど、俺は怖かった。君を失うのが怖かったんだ」
予想外の言葉に振り返る雪乃。俺はゆっくりと近づきながら、言葉をつづけた。
「俺はバカだ。義理の姉さんと君をかぶらせて、君もきっと失ってしまう。そう思って、怖くなった。愛すれば愛するほど、そんな臆病な気持ちは強くなっていった。だから、俺は君を傷つけてしまった。今でも、今も怖くなって、素直になれない。けれど! だけど、俺は君を止める。もう2度とその手を離したくないんだ。雪乃、もしも俺と同じ気持ちだったら、この手を握って欲しい」
俺はそう言って、手を差し伸べて告白する。
「俺は、天宮雪乃と結婚したい!」
雪乃の手が力強く俺の手を握る。
失いたくないという臆病さ、それが2人を裂き、そして2人を結びつけた。
そのエンドは「Cowdly Love」、その名に相応しい終わり方だった。
ふぅ、と俺はためいきをついた。
この映画のストーリーが、俺にはなぜか宮乃の話とダブってしまう。
宮乃にこの映画をもう1度見せたほうが良いのだろうか?
それとも、それは単なるお節介で、そして宮乃を傷つけてしまうことになるのだろうか?
俺にはその答えが導き出せずにいた。
「千樹、どうしたの?」
「宮乃、変ななぞなぞ出してもいいかな?」
「エッチなのでなければ」
俺が宮乃に問いかけたなぞなぞはこうだ。
「とある人には失うのが怖くて、どうしようもないものがありました。でもある日、突然失いたくないものを手に入れてしまいました。ここで質問です。その人はどうしたでしょうか?」
言った後で、俺は卑怯だ、と思った。なぞなぞなどと言う言葉でごまかして、宮乃自身から答えを聞きだそうとしているのだ。俺があの映画をもう1度見せるべきか、否かを。
「えぇっと、失わないようにすればいいんじゃない?」
「どうやって?」
あの主人公は死を選んだが、恋人が同じ結論にたどり着いたのを見て、答えを書き直した。俺が恋人を守る、もう2度と失わないように。さて、宮乃はどう答えるのか、と俺が考えていると、パス、という答えが返ってきた。
「分からないよ、その時にならないと。だって、守りたくても守れなかったら、とか色々と質問が質問を呼ぶから」
「ま、そうだろうな」
「え? 答えはないの?」
俺は、おう、答えなどありはしない、と力強く肯いた。
喫茶店の席に座っているということもあり、俺に宮乃のチョップがとぶ。
「だったらなぞなぞに出すな!」
「えらいすいません」
まったくもう、と宮乃はくすくすと笑い出した。
その笑顔を見て思った。
こいつの笑顔、はじめてみたけど、なんだか……。ああ、そうか。失いたくないもの、というのはこういうものなのか。
「千樹?」
「あ、ああ。いやあの映画」
思い出してしまってな、その言葉だけはどうにか外に出さずにすんだが、宮乃はそれに感づいたらしい。
「やっぱりあの映画は、なにかあるの?」
俺はそれを否定できなかった。なにかあるかもしれないし、ないかもしれない。それはあくまでも宮乃自身が決めることだから。
「ごめん。今日の俺、やっぱ調子悪い」
「そう。それじゃ、これでお開きにしよ」
そう言って、俺と宮乃はたがいに別れを告げた。
寒い風の中で、俺は寄り道をすることにした。
映画館、俺はチケットを買い、ふたたび映画館に入る。
失いたくないもの、その気持ちがどんなのか分かったような気がしたから。
そして、俺がこれからどうするべきか。
それを考えるために。
宮乃の笑顔、それはきっと俺にとってのきっかけだったんだ。
俺は今、そう強く感じている。
ーーーーーーー―――――――――――――――――――――――――――――――――
第5話:「宮乃の思い」
「俺は君と結婚できない」
彼にそう言われて、私は絶望を抱いた。昔父に愛を抱いてしまった私。娘としてでなく、1人の女としての愛。それは決して表に出されることの無かった思い。しかし、今は出さなくて良かったと思う。
「お父さん、大好き……か。ふふふ」
自嘲しながらも、私は泣きつづけた。どうして彼から断られたのかが分からない。そして、なぜあの時理由を聞いてから、すぐにあきらめてしまったのだろう。
「結婚してください、お願いします……か」
不器用だから、2度も思いを叶えられなかった。ううん、これはきっと運命なんだ。愛すれば、愛するだけ傷ついていく。なら、いっそのこと愛を捨てよう。
私はそう思って、仕事に励んだ。達樹さんとのことを忘れるぐらいに、お父さんに恋を抱いてしまった自分を忘れられるぐらいに、がんばって仕事に励もうとした。けれど、達樹さんの姿をいつのまにか目で追ってしまっている。
「お父さん、ごめん……。私、また失うのは怖いよ。だから、もう……」
仏前に線香をささげると、雪乃はふらふらと立ち上がった。もう辞表も出したし、やり残したことはもう無かった。轟々と流れる川までたどり着くと、私は川の流れが速いところめがけて、ゆっくりと歩いていく。
「雪乃! 戻って来い!」
達樹さん、ごめんなさい。もう私は失うのが怖いから、戻ることはできません。ごめんなさい。私は心の中で謝りながら足を進める。
「雪乃!」
彼の2度目の呼びかけに、私はついに聞き返してしまった。
「どうして? どうして私を止めるの?」
私は振り返らない。彼がなんと言おうと私の決心は変わらないから。でも、変わらない、そう思っていただけだった。
「雪乃、俺は君を愛している。この気持ちに偽りはない。俺は怖かった。君を失うのが怖かったんだ」
なら、なぜ私をふったの? 私は混乱して足を止めてしまった。彼のさらなる言葉が私の決意に追い討ちをかける。
「俺はバカだ。義理の姉さんと君をかぶらせて、君もきっと失ってしまう。そう思って、怖くなった。愛すれば愛するほど、そんな臆病な気持ちは強くなっていった。だから、俺は君を傷つけてしまった。今でも、今も怖くなって、素直になれない。けれど! だけど、俺は君を止める。もう2度とその手を離したくないんだ。雪乃、もしも俺と同じ気持ちだったら、この手を握って欲しい」
そう言って差し出される彼の手を私は振り返った。暖かい手がそこにある。
「俺は、天宮雪乃と結婚したい!」
はじめての彼の告白。それはとても力強く、冷え切った心を暖かく照らしてくれた。私は目を閉じると、彼の手を握った。
私もあなたと結婚したい。そして、もうあなたを失いたくない。別れなければならなくなる、その時までの間だけでも、あなたの側にいさせて欲しい。私はその思いをその手に託した。
笑顔、思い出してみれば、悟さんの前以外の男の人の前で私はそれを見せたことが無かった。悟さんは有名なアメフトの選手だから、他の男の人をうちに呼んだりすることもあって、色々な人とあいさつを交わしたのに、そのときは1度も笑顔を見せたことが無かった。それに悟さんと一緒にいるから笑顔になれるのではない。夢乃と一緒にいるから、笑顔になれるのだ。
なのに、今日たしかに千樹に対して私は笑顔になれた。そっと自分の頬に手を添える。作り笑いを浮かべてみるが、それは千樹に対する笑顔じゃない。
「私、心の底から笑ったんだ……」
私の仕草に夢乃が興味をもったように聞いてくる。
「どうしたの、宮ちゃん?」
「夢乃、人を好きになるってどんなことだろう?」
私が夢乃に聞くと、夢乃は本当に難しい質問ね、と首をかしげた。
「人を好きになる、その形は人それぞれだもの。その人の心を好きになる人もいれば、その人の顔やスタイルを好きになる人もいるわ。それに不純な理由で好きになる人さえもいる。だから、難しい。そんなところかしら」
「そうだよね。ところで夢乃」
私が考えるのをやめて話を変えようとすると、夢乃がむふふぅ、と何か含み笑いをしながら私を見つめてきた。私は一瞬ぎくり、としたが、冷静を装うことにした。
「宮ちゃん、千樹さんのこと好きになったんでしょう?」
「ゆ、夢乃! な、な、何言ってるの?」
夢乃は、まぁまぁと嬉しそうに私を見つめてくる。
私はその誤解を振り払うように言った。
「千樹は気が利かないし、隠し事はするし、もうろくでもない奴なんだよ。好きになるわけ無いじゃない!」
「殿方はあまり気が利かない方が多いですし、隠し事は今宮ちゃんだってしてるじゃない。だからそれは理由になりませんよ」
さぁ、どう言い逃れしますか、とばかりに詰め寄ってくる夢乃。こんなときの夢乃は心の底からいじわるだ。だから、私はこんな時の夢乃を、いじわる夢乃と心の中で呼んでいる。もちろん外に出したりはしないけど。
「夢乃、違うんだってばぁ」
夢乃は私をじーっとその純粋な目で見つめてきた後、屈託の無い笑みを見せながら言った。
「本当はね、違っても、違わなくても、別にいいの。ただ宮ちゃんがそうして鏡に向かってくれるだけで」
「え?」
夢乃が鏡に向かって、しかめっ面だのふくれっ面だの色々な表情を作りながら言った。
「自分が今どういう顔をしているんだろう? 今私は笑っているんだろうか? それとも泣いているんだろうか? ときどきそれが分からなくなり、自分の気持ちはどうなんだろうと立ち止まってしまう。宮ちゃんは今そうやって立ち止まって、自分に向き合ってる。それは成長のときなの。自分に向き合って、今ある問題に対してどうしたいか、心に素直に問いかける。それはとても大切なことだから、だから私は嬉しいの。宮ちゃん、苦しくなったら、私が支えてあげるから。だから、自分に問いかけてみて。自分がなにをしたいのか? 自分の素直な気持ちはどうなのかを? ね」
「夢乃……、ありがとう」
私は夢乃を抱きしめた。本当は私よりも1つ年上のお姉さんなんだけど、私のほうが背が大きいために、夢乃はいつも抱きしめられる位置にいる。
「分かった。問いかけてみるよ」
「うん、がんばってね」
夢乃はそう顔を赤らめながら言うと、キッチンの方へと歩いていった。今日は悟さんがチームの若手指導に行っているため、夢乃が料理を作るらしい。私は夢乃を手伝うことにした。
「ただいまぁ!」
悟さんの声が聞こえてきて、夢乃は嬉しそうに、おかえりなさい、と返した。私も夢乃につられて、おかえりなさいを言う。
「おう、今日は和食か! それじゃぁ、楽しみにして、風呂でも入ってくるよ」
そう言って嬉しそうな笑みをこぼすと、悟さんは風呂場に向かって歩いていった。私は風呂場に行くと、浴槽を洗っている悟さんに聞いてみた。
「男の人が女の人を好きになる、ってどういう気持ちなの?」
ずるっと足を滑らせそうになりながらも、さすがはアメフト。がっしりと踏ん張って、振り返りながら言った。
「宮ちゃん、誰か好きな人ができたのかい?」
「い、いえ、別に、そういうわけじゃないんですけど……」
悟さんは私の顔を優しく見つめながら、そうか、とうなずいた。
「そうだな。僕の体験から言えば、だけど、なんていうかまずはその人の放つ雰囲気に惹かれるかな。学園のアイドルとか、そういう噂を聞いて、憧れる人もいるだろうけど、僕は雰囲気に惹かれる。この人は優しそうだ、とか、この人は気が強そうだ、とかね。それで友達になってみる。もっとよく知りたい。そうやって知りたい、と思うことが好きだ、と言うことなんじゃないかな? まぁ、僕の言ってることだ。多分間違ってるかもしれないけどね、あはは」
その人のことをもっとよく知りたい、そう思うことが好き、ということか。私の場合はどうなんだろう。千樹のことを知りたい、そう思う気持ちは私の中に強くある。そして、なぜだろう。よく分からないけれど、千樹と話している時は夢乃と話している時とは別の形でどきどきした。
「宮ちゃん、がんばれよ」
悟さんはきっと私が誰かに恋を抱いている、と思ったのだろう。早とちりをして、応援してしまう。そんなところが夢乃と悟さんのそっくりなところだ。
食事前の祈りの言葉はよく分からないので、私はとりあえず手だけを組んだ。何度も聞いている言葉なのだが、どうも覚えられない。悟さんの合図で、私たちは食事をはじめた。悟さんの恋愛の話を肴にして夕食を終えると、私は片づけをしてから、自分の部屋に戻った。
「あの映画、見てみようかな」
部屋に戻ってぼーっとしていると、なぜか千樹とデートの時に見た映画を思い出した。そして、夢乃の部屋の扉をノックして、部屋に入る。
「夢乃、明日の日曜日、映画見に行かない?」
「映画? 宮ちゃん、なにか見たいものでもあるの?」
私は千樹とデートの時に見た映画の話をした。そして、途中で寝てしまったけれど、もう1度見てみたい、と言うと、夢乃は優しく微笑んだ。
「いいよ。宮ちゃん、明日見に行こう。でも」
ピシッと指をさす夢乃。
「寝ちゃダメだよ。感想、ちゃんと聞くからね」
「うん、分かった。約束するよ」
指きりげんまんをすると、私と夢乃は明日の予定について打ち合わせをはじめた。
明日はひさびさに夢乃とデートだ。それが楽しみで、今日はどうも眠れそうにない。
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第6話:「時計」
カチカチと軽やかな時を刻む私。時計は見ていた。雪乃の父親に対する思いを、達樹の雪乃に対する思いを、そして結ばれた2人の姿をカチカチと。
私は時計。だから、2人の思いになにもしてやれることはない。出会い、そうなったのも私がしたことではなく、偶然がしたことなのだ。
カチカチ、秒針がぐるりと回れば、分針がちょこっと動き出す。分針がぐるりと回れば、時針がちょこっと動き出す。それの連続をしながら、私は2人を見つめている。
「瑞穂さま、先日はすみませんでした。私がわがままを言ったこと、許してください」
私が頭を下げると、瑞穂さまはくすっと笑いながら言った。
「頭を上げてください。私は別に怒ったりしていないのですから」
「ありがとうございます。瑞穂さま、じつは少し相談があります。宮乃の男嫌い、どうしたら直せるのでしょうか?」
「殿方をお嫌いなの? それは初耳だわ」
瑞穂さまは少し首を傾げてから、ゆっくりと目を閉じた。
「解決方法、私には分かりませんわ。宮乃さんご自身がどうなさるか、という問題ですもの。それに、もう上島さんは自分のできることをなされたのでしょ?」
たしかにそう。宮乃の男嫌いなんて、宮乃が解決すればいい問題。けれど、なぜか私は放っておけなかった。それはお節介だ、ってことぐらい、高校生なんだから分かってる。でも、なんでだろう。宮乃は私のなんでもないのに。
「上島さんはお優しいのですね」
「瑞穂さま、それは嫌味ですか?」
「いえ、嫌味などいう私ではありませんわ。学級委員長としてふさわしい優しさをもっているからこそ、お優しい、こう申したのです」
学級委員長としてふさわしいかどうかは別として、私が優しい? そんなバカな。現に宮乃には辛い思いをさせてしまっているかもしれないのに。あれ、どうしてだろう。涙が出てきて……
私の目から涙が流れる。それをそっと袖で拭くと、瑞穂さまは私を抱きしめてくれた。
「ほら、やっぱり上島さんは優しい方。ときどき突っ走ってしまうけれど、不器用な優しさで、人のことを見つめている。だからこそ、宮乃さんをなんとかしたい。そう思えたのですわ」
その言葉がさらに涙を流させる。今までお節介和樹、とか世話焼き和樹、と呼ばれたことはあったけれど、優しい方、と言われたことはなかった。そして、私自身がお節介な自分の性格を嫌だ、と思ってさえいたのだ。だから、瑞穂さまにそう言われたとき、私は涙を流さずにはいられなかった。
「ねぇ、上島さん。あなたはどんな未来を?」
「え?」
「どんな未来を夢見ているの?」
未来、そんなこと私は考えたことが無かった。未来など今努力していけばいい結果が出てくるもので、努力しなければ悪い結果が出る。そんな結果としての未来しか、私は考えていなかったからだ。
未来、その言葉を頭に思い浮かべると、なぜか千樹の顔が浮かんできた。そのとなりで誰かが楽しそうに笑っている。2人は楽しそうに肩を並べ、とても幸せそう。あれは宮乃なのだろうか? いや、あれは宮乃じゃない。あれは私だ。
「やっぱり私、千樹さんのこと……」
声に出してしまってから、しまった、と気がついたが、瑞穂さまは聞いていないフリをしてくれた。
私、千樹さんのこと、好きなんだ。
私が千樹さんと出会ったのは、あの大会の時のこと。来週の試合の相手が強豪の津島奏だった私は、勝てない、そんな怯えからひざを抱えて座り込んでしまった。となりで男子がバスケットボールを楽しんでいる。私は現実逃避したくて、そっちを見つめていた。ふとある男子学生、先輩らしき人と視線が重なった。
「危ない!」
いきなり私のほうへ飛び込んでくる。混乱する私。視界が突然暗くなったかと思うと、バシンと鈍い音がした。目の前でその人が苦しそうに、そして私を守るかのように、ひざを曲げて立っていた。
「大丈夫か?」
「あ、あなたこそ、どうなのよ?」
その人は、大丈夫、と言いながらも、前のめりに倒れてしまった。
保健室で私はその人に聞いた。
「どうして助けてくれたの? あなた、バスケットボールの選手でしょ? 来週、試合あるんじゃないの?」
「週の試合、俺がいなくても勝てるだろうし、それに試合よりも大切な何かってあるだろ?」
その人はそう言うと、さわやかな笑みを私に向けた。私は戸惑った。どうしてこの人、こんな風に笑えるんだろう。全治2週間の怪我を腕に抱えたら、試合にはもう出られないというのに。どうして? そう混乱する私の頭をなにかがそっとなでてきた。
「ありがとう」
「え? どうして?」
「その大切な何かを見つけさせてくれたからさ」
そう言って、さわやかに笑う男は、初島千樹。ここ、天津宮に通う前、普通の公立中学に通っていた頃の大切な思い出だ。
それ以来、千鶴をなんらかのピンチから助けては、千樹に借りを返してくれ、とかめちゃくちゃなことを言って、よく会いに行った。そんな大好きな千樹に宮乃を託したのは、たぶん私は宮乃も好きだからだ。
宮乃と出会ったのは、天津宮に通ってからのことだった。夢乃さまと楽しそうに笑う宮乃を私は何度も見たことがある。でも、宮乃はクラスに馴染んでいなかったのか、クラスの中でその笑みを見せることは無かった。宮乃は私と同じように力が強く、みんなが体育を通して、そのことを知っていた。だから、誰も宮乃に直接けんかを売ることは無かった。まぁ、売ったところで勝てる人はいないだろうが。
そんな宮乃がある時、ふと寂しげな笑みを見せたことがある。それは天津宮の近くにある天神川のほとりの風景を書く美術の授業でのことだ。
「ねぇ、上島。あの子見て」
智が私の肩をつつき、宮乃をあげで指す。
「たそがれちゃってるのかな?」
私はその悪意とも取れる質問に答えなかった。
たそがれてるのとは違う。あれは本当のさびしさ。悲しみがそこにあるんだ。
私は宮乃と話したことが無かったが、その時ふとそんな風に感じた。
「ちょっと智、悪いけど、少しの間向こう行ってて。ちぃっと悪ふざけしてくるからさ、見られると恥ずいし。それに2対1って、卑怯臭いし」
「分かった。んじゃ、ごゆっくりー」
そう言って、智は悪意に満ちた笑いを見せると向こうへ行ってしまった。
「ねぇ、あんた。なに格好つけてるのよ」
「は?」
宮乃が振り返らずに聞き返す。私はその態度、その目を見て、なんとも言えない気持ちになってしまった。
「なにかあるんでしょ、この川?」
「え、まぁね。あんたとは関係ないことだけど」
私がひきつった笑いを浮かべると、宮乃はすくっと立ち上がった。そして、場所を変えようと歩き出す。私は宮乃のジャージをつかみながら言った。
「待ちなさい! なに、その態度? 私を馬鹿にしてるの?」
「馬鹿に? なんで?」
こいつ、むかつく。私の中でめらめらと赤い怒りの炎が立ち上る。平手打ちをしようと腕を振り上げる私。そんな私を宮乃はじっと見つめ返した。
「たたけば?」
「え? たたいてもいいの?」
「どうぞ」
そう言って、じっと見つめてくる宮乃。こいつ、なにを考えているんだろう。私はそれが分からなくて、へなへなと腕をおろしてしまった。
「あんたみたいな人、たたいたって意味無いわ」
「そう? それなら、さようなら」
「待って! ちょっと話をしたいの、お願い」
私が頼むと、宮乃は、そう、と無感情のままその場に座り込んだ。それから私ははじめて宮乃と話した。どんなことが趣味だとか、好きだとか、そんなたわいの無い話を。最初の頃は無感動だった宮乃。しかし、私がおどけると、くすっと小さく笑みをもらした。
「あ、今笑った?」
「え? あ、そうかも」
そう言って、宮乃が自分の頬に手を当てる。そして、幸せそうな顔をした。私はその顔に恋をした。だから、私はその顔がもっと見たい、そう思って、それからは智や他の子よりも宮乃と話すようになった。色々と聞いているうちに、宮乃をもっと幸せにできるならば、何かを犠牲にしてもいいかも、そんな思いにかられてきた。だって、その無感情な外見とは違い、宮乃はとっても純粋な子だったからだ。
「瑞穂さま、私これでいいんですよね? 千樹さんにも、宮乃さんにも幸せになって欲しい。だから、私は千樹さんをあきらめた。それでいいんですよね?」
瑞穂さまはマリア様みたいに優しく微笑んで肯いてくれた。それを見て、また涙が溢れだしてくる。巫女服のマリア様はそっと私を抱きしめて、私の涙をすべて受け止めてくれた。そんな2人の周りを、紅葉がひらひらと舞い落ちた。
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2005/10/31(Mon)13:57:42 公開 /
凰庭人
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■作者からのメッセージ
かなり長い間放置していたのについで、大幅に変更してしまい、申し訳ありませんでした。メインキャラクターと伏線に絞りを入れて、話を簡略化してみました。
第7話はいよいよ宮乃の「Cowdly Love」を描く予定です。そして、第8話は最終話。二話同時更新するつもりでいますので、どうかよろしくお願いします。(ちなみに、舞台劇「眠り姫」も多少アレンジする予定です