- 『人生屋』 作者:芥川瑛司 / ファンタジー 未分類
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全角11269.5文字
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原稿用紙約37.8枚
1話 『金』
俺はとある雑居ビルを見上げていた。
ここに「人生屋」という奴がいるらしい。
――あくまで噂だが。
噂によると、その「人生屋」って奴は命を売ってくれるらしい。
そう、寿命を延ばすことが出来ると言う便利な話だ。
俺は再び目の前の雑居ビルを見上げた。
誰かが住んでいるとは到底思えない程、ビルは廃れている。
外壁のタイルは剥がれ、むき出しになった冷たいコンクリートからはコケやらが生えている。
こんなオンボロビルに、そんな夢のような仕事をしている奴が本当に居るんだろうか?
改めて考えると、なんとも馬鹿馬鹿しい。
……だが、今の俺にはそんな事を言っている暇はなかった。
雑居ビルの横に付けられている錆びた階段を一歩一歩上って行く。
昇るたびに、カツーン、カツーン、と靴と金属が触れ合う冷たい音が響く。
2階まであと少し、と言うところで、俺は脇に抱えた大きなバッグを確かめるようにがっしりと抱えなおした。
最後の段を上り終え、貧相なドアの取っ手をゆっくりとまわした。
「いらっしゃいませ」
ドアを開いた瞬間、開いたその先から声が聞こえてきた。
男性の。どちらかというと、高めの声が。
視線を足元から順々に上げて行くと、"そいつ"はすぐ目の前に居た。
――こいつが「人生屋」――。
喪服のように真っ黒なスーツを着込み、長めの黒髪の上にはメルヘン宜しくなシルクハットを被っている。
顔はというと、まるで狐のような、細く気持ちの悪い目をしている。
口元には何ともいえぬ人を小ばかにしたような笑みを浮かべている。
「……あんたが『人生屋』って奴か?」
俺が疑惑と確信を半々に持ちつつ、その変てこな男に聞いた。
「ええ、私が貴方のお探しの『人生屋』です」
笑みを口元に含んだまま、男はそう答えた。
「まあ、ここでお話もなんですから、どうぞこちらへ」
相変わらずな笑みをそのままに、男はくるりときびす返すと奥の方へと消えて行った。
本当にこんな奴が『人生屋』なのか? こんな怪しい奴を信じて良いのか?
目の前の怪しい姿をした男に対しての疑惑が頭を過ぎる。
「どうぞ、お座りください」
通された部屋はなんとも雑然としていた。
ソファが向かい合わせに二つ。
その間には木で出来た小さなテーブルが一つ。
回りには何か資料でも整理されているのか、ファイルの整理棚が置かれている。
言われたとおり、俺はソファに座った。
テーブルやソファを近くで見てみると、チリやホコリなど無く、生活感が何一つ無いといっても良いほどだった。
「――で、貴方は何のためにここに?」
男は俺が座ったのを確認すると、向かい合わせになったソファに座り、おもむろに俺の顔を見、言葉を発した。
「な……何のためって、そりゃあ、命を買いに来たんだよ」
俺も真剣な目つきで相手を見返してやった。
「そうですか。初めに言っておきますが、私が売るのは"命"ではなく"人生"です」
「……? どういう意味だ?」
俺は男の言っている意味がわからず、思わず聞き返した。
「つまりですね、"命"を延ばす事は出来ないんです。
たとえば、とある人の寿命が30歳までと仮定しましょう。でも、時に不慮の事故なんてものがありましてね。
30歳で死ぬ予定が25歳で死んでしまったとします。そうすると寿命が5年余ってしまうんですよ。
――その後の5年間を売るのが『人生屋』なんです」
男は話し終えると、再び口元に笑みをにやりと浮かべた。
「とにかく何だって良い!1年……いや、1ヶ月で良いから、俺に売ってくれ!」
とにかく、"人生"だろうが"命"だろうが、今俺の寿命が延びるならそれで良い。
「……わかりました。1ヶ月ですね」
「ああ、それだけで良いんだ」
とにかく俺には時間が無かった。
「――そうそう、これは一種の契約という形で、必ず"理由"をお聞きしているんですよ」
男がにいっと笑い、ちらりと俺が先ほどから大事に抱えていたバッグをちらりと見た。
「貴方はどうして1ヶ月ほどの『人生』が欲しいのですか?」
一瞬、俺は戸惑ったが、契約ならば……と言うことで話し始めた。
「……俺はなぁ、もうガンに侵されてて寿命がねぇんだよ。結局、仕事も下働きのままリストラされちまった。俺の昔っからの夢は金持ちになる事だったんだ。
でも、もうそんな金を集めることすら叶わねぇ体になっちまった……。
――で、今やってきちまった訳なんだよ。
俺は夢のためには何をしたって良いって言うタイプなんだよ」
目の前にあったテーブルに俺はおもむろにバッグをのせ、中身を見せた。
――そう、このバックの中身は大金だ。たった今銀行を襲ってとってきた金達だ。
「……これは?」
男は細い目をさらに細めて俺に問うた。
「たった今銀行を襲って取ってきた金だ。で、この金を使うために人生を延ばして欲しいって言う訳だ。
――俺の願いを叶えて、誰にも口外しないって約束さえしてくれりゃあ、報酬としてこの金の3分の1を渡したって構わねぇ」
男は無言で居たが、暫くしてこう言った。
「ええ、これも仕事ですからね。――良いですよ。引き受けました」
「そうこなくちゃなぁ」
人間なんて金でつれば、どんな言うことでも聞く。
俺は内心薄ら笑っていた。
結局は世の中、金なんだと。金次第なんだと。
男はそんな俺を尻目に、壁際にならんだ整理棚の一つを開け、ファイルを探しはじめた。
とある一つのファイルを目にした瞬間、男の目が一瞬細まった。
「……一ヶ月で良いんですよね?」
「ああ、一ヶ月もあれば十分だ」
俺が承諾の声をあげると、男は一つのファイルを棚から取り出し持ってきた。
「それでは、まず承諾書にサインをください」
男は一枚の紙と、ボールペンを俺の目の前に差し出した。
俺は一通り目を通すと、ボールペンで名前を書いて、紙を男に渡した。
男は紙を受け取り、一瞬目を通しただけだった。
「では、この契約書にもサインを。……それで契約成立です」
俺は疑いも無く再びサインをした。
目の前の男は相変わらずな笑みを浮かべていた。
――俺はゆっくりと目を開けた。
いつの間にか気を失っていたらしい。
視線をあげると、目の前にはあの男が笑みを浮かべて座っていた。
「気分はどうですか?」
俺はその問いかけに答えようと声を発した。
「ワン!」
聞こえてきたのは犬の鳴き声。
俺は一瞬耳を疑った。
俺は確かに今、「大丈夫だ」と答えようとした筈なのだが……。
俺の耳に入ってきたのは紛れも無い犬の鳴き声。
目の前の男を見ると、ソファに座ったまま薄く笑っている。
――いったい……一体これはどういう事なんだ!?
そう男に向かって叫んだつもりだったが、口から出るのは「ワン! ワン!」という犬の鳴き声のみ。
「どういう事もなにも……契約通りの事をしたまでですよ」
男はおもむろに口を開け、話し始めた。
「ちょうどつい最近買い取ったばかりの"人生"があったんです。
とある女の子がここを尋ねてきましてね。『この子の"人生"を使って欲しい』と言ってきたんです。無駄に無くなってしまうより、誰かの役に立たせて欲しいって――ね」
にやりと男の口元が不気味に歪んだ。
「それでさっきそのファイルを丁度見つけたのでね、貴方にはうってつけだと思って契約してもらったんです」
男は不気味な笑みを浮かべたまま、俺を見下ろし言葉を続けた。
「私は"人生"を売ります。とは言いましたが誰も"人間の人生"とは言わなかったでしょう?」
暗鬱で気味の悪い笑い声が部屋中に響き渡る。
こんな……こんな事があってたまるか!
これは夢だ。夢に決まっている!
いくら吠えようが、鳴こうが、これこそまさに負け犬の遠吠え。
俺がいくら叫んで講義しようが、口から出るのは犬の鳴き声だけだった。
「嗚呼――もちろん、契約通り、気に入らなかった場合は全額ご返済いたしますよ」
そう言うと、男はソファから立ち上がり、テーブルの横に置いてあった、大金がぎしりと詰まったバッグを俺の目の前に置いた。
「ま、購入された人生の返品は不可とも契約書には書いてありましたけれどね」
バックに大量に詰まった大金が目の前にさらされた。
――金……俺の金!
人生を買って、違う人間になって、警察から逃げて、この金を使って遊びまくる筈だった俺の金!
欲望と怒りと何か良くわからない感情たちが入り乱れて、ぐるぐると胸中で渦巻いている。
俺は何も言えず、何ともわからぬ感情を振り払う為に吠え続けた。
とにかくこの金に支配された欲望を満たしたくて吠え続けた。
男はそんな俺を見下ろして、まるで哀れむようにあざ笑っている。
どうしてこんな事になっちまったんだ……。
俺の夢が――。
俺の未来が――。
俺の金がっ……!
「――そのお金は全額貴方の物です。ご自由にどうぞ。
……まぁ、その姿で自由にお使い出来るのでしたらね」
2話 『愛』
「――ねえ、『人生屋』って知ってる?」
「『人生屋』……? 何、それ?」
「何か今、密かに噂になっててさぁ、"命を売ってくれるんだって」
「まさかぁ。噂でしょ?」
「うん、でも噂によると犬の命を買っちゃって犬にされた人もいるんだって」
そんな噂、私は嘘だと思ってた。
だって、今時そんな馬鹿げた話ありえないもの。
どうせ下らない都市伝説だとその時は思ったの。
――でも、今の私はそんな噂にすがり付いて来た、馬鹿な女。
どうしても、私はある理由で人生が欲しくなり、噂のルートを逆にたどって行った。
そして今、私は廃れた雑居ビルの前に立っている。
「ここに『人生屋』が……?」
裏の裏路地も良い所で、変なゴロツキでも居るんじゃないかと思うような陰湿な場所に、私が探していた雑居ビルは建っていた。
両側に立ち並ぶビルは光を遮り、真昼間だと言うのに、もう薄暗い。
ビルを軽く覗き込むと、カビ臭い匂いが鼻をついた。
――本当に、こんなところに人がいるの?
一階は廃墟と化していて、コンクリートの壁には落書きがされている。
本当にこんなところに『人生屋』なんているのだろうか?
私の頭の中では何度もそんな問いかけがされている。
けど、私はなんとしてでも"とある人物の"人生を買わなくちゃいけない。
そう、それもこれも、全ては彼への愛の為に――。
屋外に設置されていた、錆び付いた階段を上り、ドアの取っ手を握り締める。
もちろん、ここまでに看板はおろか、人の気配すら全く無い。
このドアの向こうには一体何が待ち受けてるんだろう。
――『人生屋』? それとも、ただの廃墟?
不安と期待が交差した胸を抑えながら、私はゆっくりとドアを開けた。
「いらっしゃいませ」
ほぼ、開けたと同時に、すぐ目の前――ドアのすぐ向こう側から男性の声が聞こえてきた。
完全にドアを開けて、その人物を見ると、
なんとも変てこな格好をした若い男性が立っていた。
喪服の様な真っ黒なスーツを着込み、頭にはシルクハット。
その黒を引き立たせるような蒼白と言って良い程の白い肌。
目はまるで剃刀で切ったかのような細い狐目。
口元にはにやりと不気味な笑みを含んでいる。
「あの……あなたが『人生屋』……?」
恐る恐る、その明らかに不審な目の前の男に問うてみる。
「はい、私が『人生屋』」
男はそんな私の気持ちを知ってか否か、さらりと答えた。
そして、
「ようこそ、いらっしゃいませ。中へどうぞ」
と、軽く頭を下げた。
中に通されると、そこは雑然とした事務室の様な場所だった。
ファイルの整理棚や、客人を座らせるためのソファなんかが置いてあって、男の人にしてはとても綺麗な部屋だ。
そんな部屋を軽く視線で見回して、最後に『人生屋』をちらりと見る。
――どこか容姿的にも潔癖症の様な雰囲気があるし……だからこんな部屋なのかしら?
「どうぞ、お座りください」
男は不意にこちらを向き、笑みを浮かべそう言った。
彼にとっては営業スマイルなのかもしれないけれど、私はどうもその笑みが不気味で仕方がなかった。
「で、貴方はどう行った事でここへ?」
ソファに向かい合わせに腰掛けた男が、私が座ると同時に聞いてきた。
「それは……噂で聞いたんです。"人生"を売ってくれる『人生屋』って言うものがあるって。それでここに……」
しどろもどろで話す私を、男は黙って聞いていた。
もちろん、不気味な営業スマイルはそのままで。
私が話し終わると、男は一つ頷き、話し始めた。
「そうですか、わかりました。で、どうしてまた人生を買いたいのですか?見たところ、余命幾ばくか……には到底見えませんが?」
言葉と同時に、私を見ていた男の目がすうっと細まった。
「それは……理由があるんです」
重たい口を開けて私は口ごもりながらそう答えた。
「そうですか。どうぞ、お話して頂けませんか?」
どちらにせよ、言わなければいけなかった事だから――と思い、私は順を追って話し始めた。
「実は私……とても好きな人が居るんです。
元彼なんですけどね。付き合ってるときは結婚まで考えたぐらい愛していたんです。
でも、つい最近……その彼が『他に好きな女が出来たから』って。別れてくれって、それで結局別れたんです。
……もちろん! 私は別れたくなんか無かったんです!
でも……でも、今の彼女を私、見に行ったんです。そうしたら、とても綺麗な人で……。
『これじゃあ、私なんか敵わない』って思ったんです」
話している最中から、胸が張り裂けそうな喪失感に襲われていた。
――本当に……本当に私は心の底から彼を愛していたのに――。
「……だから! 今、彼が愛している人の人生を私に売ってください!」
私が今、彼が愛している"その人"になれば、なんの障害も無く彼と幸せな生涯を送れる。
そんな、必死な彼への愛だけが、今の私の支え。
「……それは無理なご注文です」
目の前の男の口から発せられた言葉に、一瞬私は耳を疑った。
「え……? どういう事ですか?」
「どういう事と聞かれましてもね。
私、『人生屋』は余った寿命を売るのであって、勝手に相手の『人生』を売買する者ではないんです。
ごらんの様に、買った人生や依頼できた人生なんかはファイルとして取り揃えていますけどね。
貴方はまだ死ぬ予定ではありませんし、ましてやその彼女も死ぬ予定は無い。という事なんです。
ですから、そう易々と人格の入れ替えは出来ないんですよ。お分かり頂けたでしょうか?」
男は話し終えると一息、ふぅと吐息ようなものを零し、再びあの営業スマイルを浮かべた。
「そこを何とか――何とかお願いできませんか?
彼の為だったら、彼と一緒に居れるなら、ここで自殺したって構わないんです!」
私は必死にお願いをした。
これは彼の為よ。いいえ、彼と一緒にいるためには必要な事。
ずっと……ずっと彼と一緒に居て幸せになる為に!
「ここで自殺されては困りますからね……ええ、良いでしょう。今回は特別ですよ」
男はそういうとにやりと口元をゆがめた。
「それでは、この承諾書と契約書にサインを」
――ようやく私と彼との幸せな生活が始まるわ。
二枚の紙とボールペンを受け取りながら、私は幸せすぎるほどの未来を想像していた。
結婚をして、子供も出来て、そうして二人でゆっくりとした老後を送るのよ。
「そんなにその彼の事、好きなんですね。初めのプロポーズの時はなんて言われたんですか?」
サインをしていると、突然、男が私に聞いてきた。
プロポーズの言葉……なんだったっけ?
……思い出せない。
彼と初めて会ったときの事がどうしても思い出せない。途中からしか……。
目の前の男が意味深に、にやりと笑った。
目を覚ますと、世界が変わったような、そんな爽快な気分で心が満たされた。
どうやら、私は彼に愛されている"あの人"になったらしい。
あの美貌と彼の愛が私のものになったのよ。
一言、人生屋に私はお礼を言い、私は雑居ビルをあとにした。
ただ、
「またのお越しをお待ちしております」
と男が最後に言った言葉が耳について離れなかった。
「どうして? 私じゃ駄目なの?」
目の前に、あの日のような彼がいる。
煙草をふかしながら、視線は決して私を捉えようとしない。
この人生になってから、彼と半年ほど一緒に過ごしたアパートの一室に、何ともいえぬ痛い空気が流れてる。
「いや、そう言う意味じゃあないんだ。……そのなんつーか……」
彼は相変わらず気まずそうに視線を彷徨わせている。
「あれなんだよ。前の彼女に似すぎてて気持ち悪いんだ」
「そんなの……そんなの知らない! 私は私よ?」
私が詰め寄ると、あの日のように彼は両手を前にだして私を拒んだ。
「それに、他に好きな奴が出来たんだ。悪い、別れてくれ」
そして、また同じあの苦笑い。
結局、私はまた捨てられるのね――。
――こんな事が前にもあった気がする。
いや、前回だけじゃくて、もっと前。
確か、この一つ前も同じ理由で振られたんだっけ。
「前の彼女に似すぎてて気持ち悪い」って。
ねえ、前の彼女ってどんな人? どうしてそんなに私に似ているの?
だんだん思い出してきた……。
そうよ、私前にも人生屋に行った事があるわ。
それで前の人生を買ったのよ。もちろん、無理を言ってね。
結局その女の人生でも駄目で、今の私の人生を買ったわ。
ああ、だからあの時、人生屋はプロポーズの言葉を聞いてきたんだわ。
思い出させようとしたのね。きっと。
ねえ、彼はいつになったら身を落ち着けるの?
この女の人生でも駄目なの――?
「貴方が『人生屋』……? あのね、とある女性の人生が買いたいの――」
彼と幸せな生活を送るため、私は彼を追い続けるわ。
――永遠に。
最終話 『暇』
『退屈は神をも殺す』
そんな言葉が確かあった筈だ。
いつか何処かで聞いたことがあるような気がするから。
暇はやがて人を堕落させるものだ。
僕はこの世に存在していた。
そう、ただ"存在している"というだけの存在。
何かにあえて例えるのなら、ドラマや映画のエキストラのようなもの。
"居ても居なくてもどちらでも良い"というような、下らない生き物。
――そんな下らない思想を手放して、ゆっくりと重たいまぶたを開けた。
どこか陰湿で、かび臭い自分の部屋。
カーテンはぴったりと締め切られていて、光は一筋も入ってこない。
机の上に雑然と置かれたパソコンからは、人工的な光がディスプレイから放たれている。
床には読み飽きて投げ捨てられた、宗教的な怪しい書物や、ネットで買ったアングラ本が転がっている。
もう、悪魔や何やらの偶像思想の自己ブームは過ぎ去ったし、アングラ本は案外つまらない物ばかりだった。
『生きている意味がわからない』
あまりにも日常が暇すぎて、生きている理由すらも忘れてしまった。
結局は半年程通って中退してしまった高校も、所詮は四角い箱の中に押し込められて、脳に無理やり"勉学"という雑学を詰め込まされる場所だった。
街に出たところで、行きかうの他人ばかり。
皆、何かに追われて必死に逃げてるだけ。
そう結局この世の中、皆逃げてばかりの世界なんだ。
引きこもりという、暗い自分の部屋に逃げ込んだ僕という落ちこぼれの、せめてもの負け犬の遠吠え。
内心、色々と考え結論出して毒づいて、結局は下らなくなってやめた。
この陰湿な僕の憩いの場所の中で、唯一の外界との連絡手段のパソコンの前に座った。
人工的な光が、この薄暗い部屋の中で僕の顔を照らし出している。
『 人生_ 』
この検索キーワードが、その後の僕の人生を狂わせてしまった。
ただ、長ったらしい時間をつぶす為だけに、検索で絞込み、
リンクを辿って、一つの興味深いものに突き当たった。
『人生屋』
どうやら、噂でそんなものがあるらしい。
掲示板を見てゆくと、その『人生屋』という奴は人生を売ってくれる。
という、名前そのものな奴らしい。
「馬鹿馬鹿しい……」
人生を売るなんて、そんな夢のような職業があってたまるか。
所詮、これも都市伝説の一種だろうと思った。
が、何故か頭のどこかでひっかかっているような感覚が消えない。
実は存在しているとか……?
まさかとは思いつつも、こんな非現実的な話が離れない。
もしかしたら、こんな退屈な人生とおさらば出来るかもしれない。
そんな馬鹿げた考えが頭を過ぎる。
もしも、そんな夢のような職業の奴が存在しているとしたら、
それはとても凄い事かもしれない。
『人生屋』とは一体、どんな奴なんだろうか?
そいつはどんな人生を売っているんだ?
その売っている人生はどこから買ってきた?
売っているという事は、もしかしたら人生を買ったりもしているのか?
考えれば考えるほどに、その得たいの知れない『人生屋』という奴に興味が沸いてきた。
7割の好奇心と2割の冒険心。
そして、1割の不安がぐるぐると胸の中で渦を巻いている。
そして、僕は一つの最大の疑問へと達した。
もしも……
「もしも、自分がその『人生屋』にお前の人生を売って欲しいと言ったら――?」
『人生屋』はどうするのだろうか?
売り買いの仲介人が、突然自分の人生を売って欲しいといわれたらどうする?
1割の不安がかき消された瞬間だった。
――そして、僕は今、そいつの目の前に座っている。
『人生屋』が居たのは、何の変哲も無い雑居ビルの二階の一室だった。
「……どういったご用件で?」
そして今、僕の目の間に座っているのが『人生屋』。
剃刀で切ったかのような細い目。それはまるで狐の様に弓なりに歪んでいる。
顔は白いを通り越して、病人のような蒼白状態になっている。
血の気の無い唇は歪んでいて、嫌味な笑いを保っている。
黒い、喪服のようなスーツを綺麗に着込み、頭には今時見かけない黒いシルクハット。
髪も漆黒だからか、青白い顔だけが闇の中に浮かんでいるようにも見える。
成人男性にしては小柄な方だろう。
「是非とも売って欲しい人生があって来たんです」
僕はその得たい知れない『人生屋』という奴に、臆さず、冷静を保ってそう答えた。
目の前の『人生屋』の表情は、まるで能面のように変わる気配が無い。
「それはどう言った人生ですか?」
男性にしては高めで細い声が問い返してきた。
「それは――」
僕は言いかけて、口を閉じた。
胸の中の好奇心が抑えきれず、暴走しそうな勢いだったからだ。
『人生屋』はただ、黙ってそんな僕を見据えている。
さて、今僕があの質問をしたら目の前のこいつはどういった反応をするんだろう?
この能面的な表情が崩れるのを想像すると、心の奥底で何かが這い出してくるような、何かがあふれ出してくるような奇妙な感覚に襲われた。
落ち着こうと一呼吸置いて、僕はその言葉を口から吐き出した。
「あなたの――『人生屋』の人生を売って欲しい」
「私の……ですか?」
そう言った『人生屋』の顔は、意外とあっさりとしていた。
あの表情はそのままで、口調も落ち着いたままだ。
「ああ、そうだ。こんなつまらない人生よりも、あなたのような世間と離れた人生が欲しいんだ」
「それは冗談ではなく、本気で――?」
「本気だ」
……何なんだ。どうして反応しない?
僕は真剣に『人生屋』とやりとりをしながら、内心、落胆のため息をついていた。
その時だった。
「――それでは、この契約書にサインを」
「え?」
僕は一瞬、その言葉が信じられず、間抜けな声を出してしまった。
まさか。そんな簡単に事が進むはずが無い。
「私の人生を買いたいのでしょう?」
『人生屋』は、まるで僕の心を見透かしたかのように言葉吐いた。
「え……でも……」
僕が予想外の言葉に戸惑っていると、『人生屋』はさらに言葉を続け始めた。
「例え、私の人生とて、何億・何兆のうちの中の一つです。別に、売り物と考えても可笑しくはないでしょう?」
『人生屋』はそういうと、にやりと口元をゆがめた。
「本当に……本当に良いのか?」
僕は思わず生唾を飲み込んだ。ごくりと喉が揺れるのがわかった。
こんな平凡なつまらない人生から、ここで契約すれば一転。
噂でしか存在しないような、世間から隔離されたような奴の人生に変わる。
そう、ここで契約をすれば僕は"生きた伝説"のような存在になれる。
変な憧れが胸の中でどんどん大きくなっていくのがわかった。
僕はその憧れだけのために、契約書にサインをした。
ボールペンを握った手のひらが、異常に汗をかいていた。
『人生屋』に契約書を渡すと、にやりと再び口元をゆがめ、淡々と話し始めた。
「――ちょっとした昔話でもしましょうか。実はね、私も元はお客としてここへ足を運んだものなんですよ」
「……え?」
僕は再び、あの間抜けな声をあげていた。
何なんだこの展開は?
全く予想していなかった展開に、僕は混乱寸前だった。
「まあ、落ち着いて聞いてください。ちょっとした昔話ですから」
『人生屋』はそう言うと、すうっと目をあけ、小さく微笑んだ。
そう、その笑みはまるで"何かの束縛から放たれる喜び"に溢れているような、そんな歓喜を秘めているように、僕にはうつった。
「私も貴方と同じように、自分の人生に嫌気がさしましてね。『人生屋』にこう言ったんです。
『あんたの人生が欲しい』――って」
聞けば聞くほど、今の僕がやってきた事と同じだった。
つまらない人生に疲れ、ここにたずねてくる。
そして目の前の『人生屋』に、あの言葉を吐いた――。
「そうして、契約をして私は『人生屋』になった。――でも、想像していた人生とは、全く違う人生だった。
今まで蔑んでいた世の中から、隔離され、私は一人になった。そう、今まで嫌だった世界がどれほどあり難いモノなのか知ったんです。
こちらから他人と接触する事は出来ず、時折たずねて来るのは頭がイカれてしまった者ばかり……。
かくいう私も、もうイカれてしまっているのかもしれませんがね。そして、終わりの無い退屈――。
死ぬことも許されず、次の後継者を待つ日々。でも、それも今日で御終い。
――そう、あなたが来てくれた」
目の前の奴はイカれている。
生気のない、死んだ魚のような目。
ただ、自分の人生を終わらせるためだけに――次の犠牲者が現れるのを待っていた。
何年? いや、何百年?
僕がそんなの知るわけが無い。
ただわかる事は、自分がこれからその道を歩むという事だけ。
「――あなたには感謝していますよ」
目の前のイカれた奴がにやりと笑った。
――退屈な……それこそ神をも殺してしまいそうな"暇"というモノから、ゆっくりと目をあけた。
先ほどまで温かかったインスタントコーヒーからの湯気は、もうすでに消えていた。
「――つまらない事を思い出してしまった」
あれはもういつの話だっただろうか? 僕は――いや、私はもう忘れてしまった。
この隔離された世界では、もう何百年とたったような気がする。
あの頃の私はいつ来てくれるのだろうか? 私の元へと……。
そう考えると、あの時の私自身が愚かに見えて仕方ない。
けれども――
「今更、後悔しても遅いんですけどね」
そう呟き、私はスーツの埃を軽く払い、シルクハットを被りなおした。
――それでは、私はお客様の相手をしなくてはいけませんので、この辺にて……。
え? まだ『人生屋』の話が聞きたいって?
それは、また暇がある時にでもお話いたしましょう。
私はいつでもここに居ますから、ええ、"いつまでも"――。
「――いらっしゃいませ。私が貴方のお探しの『人生屋』でございます――」
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■作者からのメッセージ
どうも、初めまして。
此処に投稿するのは初めてなのでかなり緊張しています。
まだまだ文章もストーリーも未熟かと思いますが、評価や感想など頂けると幸いです。