- 『迷って、捨てて、そして始まる』 作者:十魏 / リアル・現代 未分類
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全角8336文字
容量16672 bytes
原稿用紙約30.7枚
何かを始めるためには、何が必要なんだろう?迷ったときには、いっそのこと捨ててみるのも必要なんだ。そうやって始まるものには、きっと価値があるのだから。そしてそれを進めるのは、大切な人の優しいチカラ。一人の青年が、何かを始める決意をした。ある一つの家族の、ほんの些細な日常の物語。
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久しぶりに家に帰ると、
玄関前で母親が待ち構えていて、
思わず無意識に逃げかけたら、
首根っこ捕まえ捕獲され、
「おかえり、よく帰ってきたわー」と、
極上の笑顔の言葉と共に、
有無を言わさず、
突然指令。
久しぶりの帰省早々。
俺は何故か、妹の部屋の片付けを手伝うことになった。
階段を上った、右手の木造りのドア。
"ちさと"とネームプレートがついている。
「ちぃ、入るぞ」
ノック三回、ドアをあけると中は大荒れ状態。
散らばった床の真ん中に、小さな妹は座ってて。
顔をあげると、パッと目を輝かせてくれた。
「おにいちゃん! おかえりなさい!」
あぁ、なんて可愛い反応だろう。
母親も俺の帰りを待ちかねて、玄関前まで出てきていたわけだが。
根本的にこの子と喜びの種類が違う。
『やっぱりね、片づけ中のちぃ一人きりにして出て行くのもどうかと思ったからねぇ』
『てゆーか。根本的に間違ってるだろ、久しぶりに息子が帰ってきた日にデートって』
『あら、だってデートは一ヶ月も前から決めてたのよ』
『……まぁいいけど。で、食事は? どーするんだよ』
『夜までには帰るから。今日は焼肉の予定よv』
『昼は?』
『あ、ちぃはもう食べさしたわよ』
『ちぃのじゃなく、俺の』
『……』
『まさか用意してないとか言わないよな』
『……えへ』
『オイ』
母親と玄関前で繰り広げられた会話は、思い出しただけで疲れる。
結局、俺に妹の部屋の片付けを任せ。
帰省したての息子の昼飯をカップめんですましたあの人は、父親とのデートにルンルンと出かけていったのだ。
「ただいま。ちぃ、片付け中だって?」
「うん。二年生になるから、春休みのうちに、一年生の教科書とかお片付けしなさいって」
「そっか。じゃぁ、お兄ちゃんも手伝ってやろう」
「わぁい、ありがとお」
にこっとちぃが笑う。
久しぶりの妹の笑顔。なんか、癒される。
帰省したての息子に突然理不尽に仕事を押し付けた、どこぞの母親とは大違いだ。
「ママとパパ、もぅデート行ったの?」
「行ったよ。ひどいよな、ちぃ置いてきぼりなんて」
「ううん。前ね一緒に行ったけど、ちぃ何か恥ずかしかったし、もうデートはついてかないの」
7歳児に恥ずかしいと言われるデートをする四十代カップル。
それが自分の両親と言うのは、なんというか、情けない話だ。
呆れつつ、俺はそれでも母親の指令を実行する。
まぁ、可愛い妹の手伝い自体は、そんなに嫌なことではないし。
部屋の床には、様々なものが散らばっていた。
多分本棚のものを全部ひっぱりだしたのだろうな。
教科書や図鑑のほかに、漢字ドリルに算数ドリル、音楽ノート。
俺の座り込んだ回りには、読書カードやスポーツチャレンジカードが無造作に置かれていた。
そういえばやったなー、小学生のころ。縄跳びや跳び箱の記録が記されているカード。
ちぃの記録は…二重跳び15回。はやぶさ跳び6回。おぉ、中々やるな。
「お兄ちゃん! サボってないで、ちゃんと働いてください」
怒られた。うーん、暫く会わないうちに、何かしっかりしてきたな。
あんな両親じゃぁしっかりするのも無理ないかもしれないけど。
とりあえず、学級便りを整頓しているちぃに謝って、ノートを整理することにした。
「ちぃ、授業のノートは捨てるのか?」
「うん。ママがノートは新しいのにしなさいって」
「へぇ。あれ、教科書はとっとくの?」
ふと見ると、ダンボールにキレイに整理して、国語や音楽や生活科の教科書。
ボロボロな表紙。毎日張りきって勉強したんだろう、きっと。
「うん。ちぃ国語とかの教科書好きだから」
「でもさっきゴミ袋に算数や図工の教科書捨ててなかったか?」
「だってちぃ算数嫌いだもん。図工は迷ったんだけどー」
ちぃがぺロッと舌を出した。この年でもう教科の好き嫌いが出るとは…。
しかし、嫌いだからと教科書を捨てるあたり、さすがだ。
「でもちぃ、迷ったんならとっとけば?図工の教科書なんて薄いモンだし」
俺は図工の教科書をゴミ袋から拾い上げた。
薄い、キレイな教科書。カラフルな絵や作品が表紙を埋め尽くして。
「お兄ちゃん」
ちぃが、わかってないなぁと言う風に首を振って俺を見上げてきた。
まっすぐな、目で。
「迷ったら捨てる、だよ」
そうじゃないと、片付かないでしょぉ?
「パパがね、こう言ってたの」
ちぃはそう言って、にこっと笑った。
俺はただ、驚いてちぃを見ていた。父さんのウケウリか。
ちぃをあぐらに座らせ、酒を飲みながら語る、父さんが目に浮かぶようだ。
でも、なんか。ちぃが言うと、なんというか。
"迷ったら捨てる。そうじゃないと、片付かないから"
7歳の妹は、時々とんでもない教訓を俺に授けてくれる。
「お兄ちゃん?」
ちぃが俺を見上げてきた。不思議そうに。
「……いや、なんでもないよちぃ」
俺はそんなちぃの頭をそっと撫でた。何だか、気持ちがすっとしていて。
張り切ってちぃの部屋の片付けを再開させた。
俺は一つ、決心をした。
「―――なんて、言った?」
夜。夕飯を食べて、そのあと。
ちぃは部屋の片付けの続き。父さんは、突然の応援要請に、仕事へと向かった。
警察官の休みはあってないようなもの。よく父さんはそう語っていた。
俺は小さい頃、父さんのような警官になりたかったんだ。
そんなことを思い出しながら、もう一度、俺は言葉を繰り返した。
「だからさ。俺、大学辞めるよ」
「ちょっ、ちょっと待って龍希」
母さんの口調が少し焦りを帯びていた。
「どうして。折角がんばってあんな良い大学入ったじゃない」
良い大学。まぁ、世間一般で言えば。旧帝大と呼ばれる物の一つだし。
でも、それはあくまで、親の、大人の、価値観だ。
「やりたいことが、あるから」
「やりたいことって?」
「……ホスト」
「はぁ!?」
母さんがすごい声で叫んだ。そして立ち上がる。
目を白黒させながら、母さんは言葉を捜すようにして呟いた。
「ちょ、ちょっと待ってね、龍希? あのね、確かに母さんアンタ男前に産んであげたつもりだし、
まぁ中々の男前だと思うわよ、そりゃぁ父さんには負けるけど。でも、その父さんに似たその目元とかね」
「いや、ノロケはいいから」
この人は真剣なのかどうなのか。俺は、思わず呆れてそう言う。
「いや、うん。まぁそんなのは今はどうでもいいとして。やっぱり、でも、ほら、ホストなんて勝負の世界だし、
ほら、やっぱり何ていうか、こう、成功する人とね、しない人もいて…こう…」
母さんは困ったように俯いて、うーっとか唸りだした。多分、この人なりに本気なのだろうけど。
俺はというと実は少し呆気にとられていたが。やがて、母さんは顔をあげた。
意を決したような表情で。俺をじっと見据えて。
「とにかく、私は反対よ」
きっぱり、そう言い放った。真剣な、顔だった。
「自慢の息子が、父さんに似たその顔で女の人を食い物にするなんて、賛成できないわ」
ひどく真剣な表情のわりに、言ってるコトは微妙におかしい気もしたが。
でも何だか実感。あぁこの人も母親なんだなって。
「―――まぁ、ホストは冗談として」
「冗談なの!?」
またも母さんはすっとんきょうな声を張り上げた。素直な人だなぁと思う。
母さんは何か言いたそうな目で俺を見たが、ふうっと息を吐いて、そして静かに、
「……でも、大学を辞めるのは」
そう、聞いてきた。俺も静かに、呟く。
「それは、本気」
「何か、したいことがある、のね?」
「うん」
「……それは、なに?」
母さんの言葉に、俺は宙を黙って睨む。言葉は続かない。
「言えない事なの?」
言えないこと。というより。
いまはまだ、言ってはいけない気がした。だって、今すぐできることじゃないことだ。
「そうなのね」
母さんは、ふうっと沈黙を破るような、息をついた。
「アナタが言わない以上、私にはアナタに言わせる術はないわ」
だから、言いたくないなら、言わなくてもいい。そう言って母さんは俺を見て、でも、と言った。
「それならやっぱり、私は、反対するしかない。貴方に苦労の道を選んでほしくないわ」
母さんの言葉に俺は息を飲んだ。
改めて思った。この人は、やっぱり母親だ。
普段は明るいというか、頼りないというか、両親の一挙一動に俺は随分振り回された覚えがあるけど。
でも母さんは、このときの母さんは、本当に母親の顔をしていた。
比較的、自由に俺を育て、俺のやりたいことをやらせてくれた。
楽でいいと思う反面、両親に頼りなさを感じていたけれど。
この人が俺を。
真正面から俺がしたいと言ったことを反対したことは。
これまで、たった一度しかなかった。
あの時は、俺は両親に従った。
というより俺の中にも迷いがあったから、今すぐ決断する必要はないと、そう思ったんだ。
そのときの俺はまだまだ子どもで。自分の意思を貫き通す責任を、背負ってなくて。
でも今は。
今は。
「……でも俺は決めたんだ」
一言、母さんに告げて俺は席を立った。
「ちょっと、龍希!」
母さんが叫ぶ。リビングの戸に手をかける俺の後を追うように席を立った母さんに、
俺は背を向けたまま話し掛ける。
「……ありがと、母さん」
「え」
母さんの動きが止まったのが分かった。
リビングの空気が、静かに止まる。
「心配してくれて、ありがと」
それだけ告げて俺はリビングを後にした。
「……当たり前じゃない」
母さんの呟きが、僅かに聞こえた。
リビングを出て階段のところまで来ると、一番下の段にちぃが座っていた。
「ちぃ、片付け終わったのか」
俺が話し掛けると、ちぃは敬礼のまねをしてりりしい顔をしてみせた。任務完了、といったところか。
俺はご苦労、と言って敬礼を返した。ちぃが笑う。俺も、笑った。
「お兄ちゃん、学校やめるの?」
ちぃより一つ上の段に腰掛けた途端、ちぃが聞いてきた。
多分わかっているんだろうなぁと思っていたけど、やっぱりな。
子どもは鋭い。特にちぃは昔から感性の強い子だった。
「……うん、そうだよ」
「なんで?」
ちぃが大きな目で見上げてくる。
俺はそっとちぃの頭を撫でた。
「迷っていたから」
「え?」
「ちぃが教えてくれたんだろ?」
ちぃは暫くキョトンとした顔をしていたが、いきなりあっと小さく叫んだ。
「迷ったら捨てるだ!お兄ちゃん、迷ったら捨てる、したんだ!」
「おおあたり」
まるでクイズの答えを見つけたように目を輝かすちぃ。
小さなちぃには、きっと俺がしようとしていることの意味はわかってないんだろうけど。
「そっかぁ。お兄ちゃん、迷ったから学校やめるのね」
「そうだよ。迷ったけどね、やりたいことがあったんだ……それが正しいのかは分からないけどね」
俺は小さく呟いた。
決心はした。もう揺るがないつもりだ。だけど。
正しいのかどうかは分からない。
「大丈夫だよ、お兄ちゃん」
そんな俺を見て、ちぃはにっこり笑って言った。
「だって迷ったら捨てるは凄いんだよ」
「すごい……?」
スゴイって……すごいとかすごくないとかあるのだろうか。
何だか不思議なことを言うちぃは、だけど自信満々に話し出した。
「うん、あのね。ちぃ算数と図工の教科書捨てたの。迷ったけど、迷ったら捨てる、をしたの」
ちぃは一生懸命話し出した。
俺はゴミ袋に入っていた二冊の教科書を思い出す。
「だけどね、お片付け終わったらねやっぱりもったいないなぁって気がしたの」
「勿体なかったら拾えば良いよ、ちぃ」
俺はちぃの頭を撫でて言った。
そう、教科書はまだ拾える。でも俺の選択は勿体ないの一言で戻るだろうか?
戻る気も勿体ないと言う気もないけど、でもそれは今の段階だ。
いつかは思うかもしれない。
そしていつかがきても、それはずっと先だとしたら。
それまでの時間まで無駄になってしまうのかもしれない。
それは、教科書と違って、後戻りできない選択。
「ううん、違うよ。捨てちゃったらもう、拾っちゃいけないの」
ちぃの答えは真剣だった。
迷ったら捨てる、の時はね。もう拾わないの。
そうじゃないと意味がないでしょう?
やっぱり父さんのウケウリだろうけど。
ちぃはそう言った。
ちぃなりに後戻りできない選択をしたんだ、そう思うと何だか少し胸が痛い気がした。
「だけどね、お兄ちゃん。ちぃもう拾わないけどね、算数と図工の教科書勿体ないって思ったの。
そしたらね、速く新しいの欲しくなった。それでね、来年は大切にしようって思ったの。
だからね、ちぃ2年生になったらもうちょっとだけ、算数好きになれるかもしれないよ」
ね、だからね、迷ったら捨てるはすごいでしょう?
つまりね、気持ちの持ちようなの。結果的に大成功なんだよ。
最後の言葉は、ちぃにしては随分大人びて聞こえた。
きっとまた何かのウケウリだろうけど。
俺は、ただ息を飲んでちぃを見ていた。
そして、ようやくの思いでちぃの頭を撫でれた。
あぁほんとだ、すごいよ。
でもそれは、ちぃに対する想いだった。
この小さな小さな妹は。
本当に俺に、とんでもないことを教えてくれる。
そうだ、後戻りできないなんて最初から分かっている。
そしたら後は気持ちのもちようなんだ。
前に進むキッカケを、何かを変えるキッカケを作ったら。
そうしたら後は、俺の気持ちの持ちよう。
正しいかどうかは、今、俺が決めることじゃない。
この先の行動が、この先の結果が、俺に正しいかどうかを教えてくれるんだ。
「……ちぃはすごいな」
俺はポツリとちぃに言った。ちぃは大きな目で俺を見上げる。
「すごいの?」
「うん。ちぃはとってもいい子だ、将来はすごい人になれるかもしれないぞ」
「えへへ、ありがとー」
ちぃは屈託なく笑った。そして俺にぴょんと抱きついてきた。
「お兄ちゃん大好き」
にこっと笑って、その言葉。本当に無邪気で、かわいい妹。
自分の言葉が、どれだけ俺を救っているのか、この子はわかっていないのだろうけど。
「ねぇねぇ、お兄ちゃんは学校やめて、何をやりたいの?」
俺の肩にしがみついたまま、ちぃは聞いてきた。
俺のやりたいこと。
今すぐできることじゃない。
だから母さんにはいえなかった。
バカらしいかもしれないけど、変なプライドというか。
カッコつけていった手前、言えなかった事。
でも、ちぃには言わなきゃいけない気がした。
「お兄ちゃん……?」
ちぃが不思議そうに見上げてくる。
黙ってしまった俺に不安を感じたんだろうか。
「……母さんにはないしょだぞ?」
「うん!」
ちぃがパッと顔を輝かす。
俺はそんなちぃの頭を撫でて、笑った。
「……お兄ちゃんね、映画を作る人になりたいんだ」
「……えいが?」
「そう。映画を作る人になる勉強をしに、アメリカに行きたいんだよ」
「へぇぇ、カッコいい!」
ちぃが大きな目を瞬かせた。
小学校の低学年の時は警察官になりたかった。
でも成長するにつれて憧れ出した職業。
中学を卒業するとき、俺は映画の専門学校に行きたいと進路相談で担任に言った。
担任も両親も驚いて、そして俺を説得しだした。
せめて高校は行った方がいい。専門学校とかそういうのは高校の後でも遅くない。
そう言われて結局俺は県下トップの進学校に入り、そのまま大学に進んだ。
やりたいことを突き通すほどの覚悟も危機感も、俺にはなくて。
まだ自分はそんなことを考える必要はないって、そう思っていて。
そして将来のビジョンもミッションも見えないまま、ここまで来てしまった。
ただ漠然と、今はまだ平気だ。後で考えれば良いや。そんな考えで。
本当に部屋の片付けと一緒だな。
はじめようとしないと、はじまらないんだ。
「ねぇ、んじゃぁお兄ちゃんアメリカ行っちゃうの?」
ちぃが尋ねてくる。何だか寂しそうなその声が、かわいかった。
「いや、今すぐじゃないよ。すっごくお金がかかるからね、お金をためないといけないんだ」
「お兄ちゃん、お金のアテあるの?」
ちぃの口から、信じられない言葉が出た。
「……ちぃ、お前どこでそんな言葉覚えてくるんだ?」
「えへへ」
ヒミツーと唇に小さな指を当てる、その姿はかわいいのだけど。
「まぁね…お金のアテは、あるにはある、かな」
今現在、土日にDJのバイトしているクラブのオーナーには、
ずっと前からオーナーの経営しているホストクラブのホストに誘われていた。
ホストの世界はそんなに甘くないだろう。
新人がどれだけ稼げるかも分からない。
でも、何があろうとやってみせる。
決めたんだ。
これまでの大学生活を、まぁまぁレールに沿っていた生活を。
捨てるって決めたんだ。
新しいものを目指すって、決めたんだ。
「あっそうだ、お兄ちゃん!」
突然ちぃが叫ぶと、階段を駆け上っていった。
そしてすぐに駆け下りてきたちぃ。
行きと帰りで違うのは、腕に抱えた豚さん貯金箱。
まさか。
「はい、これお金のアテにしていーよ」
ちぃはそう言って豚さんを差し出してきた。
俺は差し出された豚さんを持って、ポカンとしてしまった。
中々重たい豚さんは、ガシャンと低い音。
「でもこれ、ちぃの全財産だろ?」
「うん。でも、いーの。おのね、こないだね、ちぃ数えたの。
そしたらね、二千……えーっと、三百八十円だったかなぁ。それだけ入っていたの!」
すごいでしょ、と笑顔で自慢げに話すちぃ。
「ちぃはお金持ちだな」
俺は嬉しそうなちぃを見て、言った。そして豚さんをちぃに返す。
「折角そんなにお金持ちになったんだから、ちぃの豚さんはちぃが大切に持ってろな?」
「……ちぃ、お兄ちゃんのためなら使っていーよ?」
「うん、ありがとう。お兄ちゃんちぃのその言葉だけで、充分だよ」
クルッとちぃの髪を俺はかき回した。そうして、ちぃの目を覗き込む。
「ちぃもね、大きくなったらやりたいことがきっとできると思うんだ。
そのときのためにその豚さんのお金、大切にとっておこうな?」
ちぃは少し不満そうだったが、こっくり頷いた。
俺はまた、笑った。
お金なんかよりもっと大切なもの、大切な勇気をちぃはくれたんだよ。
そうちぃに言ってやろうと思ったけど、やめた。
それは成功してから言ってやろう。そう思った。
「さて、ちぃ。もう結構遅いし、そろそろ風呂入って寝る準備しろよ?」
「はーい!」
「お、いい返事」
手をあげて返事したちぃの頭をもう一度撫でて俺も立ち上がった。
二階に駆け上がっていくちぃ。
そして俺は、リビングの方へ向かった。
リビングの戸の前。
そっと戸が開いて、母さんが顔を出した。
「……母さん」
俺は、俺の肩くらいの身長の母さんを、見下ろした。
母さんは俺を見上げてきた。
「……龍希、父さんもうすぐ帰ってくるから」
「うん」
それきり、また無言。
何かを言わないといけないような、それでいて何も言っちゃいけない気がしていた。
どうしたらいいか分からなくなった俺に。
また母さんの声。
さっきまでの緊張感が嘘のような。
限りなく優しい、声。
「龍希、母さんも父さんも、貴方の話ちゃんと聞くから。……聞きたいから」
貴方にとって一番いい方法を、さがしましょう。
あぁすごい。
俺は強く、強く思った。
ただ捨てると決めただけで、自分だけで進もうとした俺を。
呼び止めて。
そして話したいと。
気付いてしまった。
俺一人では、何もはじまらないと。
ちぃと言葉で決意し、ちぃによって励まされ。
そして母さんと父さん。
決めるのは俺だけど、始めるのも捨てるのも、全ては俺だけど。
でもそれを支えるのは、歯車をまわし続けるのは。
きっと俺一人ではムリなんだ。
一人でしようと、何も説明もナシで決めるのは。
それはきっと逃げていることなんだ。
俺は目を閉じた。
ありがとう。
俺は心の中でつぶやいた。
前に進むキッカケが、本当に動き出した気がした。
「母さん俺、映画監督になりたいんだ―――」
何かを始めるのは俺から。
何かを動かすのは俺から。
迷って進めなくなったら、いっそそれまで大切にしてきたモノを捨ててみよう。
そうすることできっと何かが始まるから。
何かを始めるために、これまでのモノを捨てるのは怖いけど。
でもそうしないと始まらないことだってきっとある。
後悔なんてしたくない。
だから、ただ前に進むんだ。
それには俺一人だけの力じゃきっと足りない。
捨てることから、やめることから始まる何か。
大切な人の些細で優しいチカラに支えられて、
そうやって、やっと。
少しづつだけど、
前に進んでいくんだ――。
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2005/09/15(Thu)23:19:38 公開 / 十魏
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■作者からのメッセージ
はじめて投稿させていただきます。
温かい家族、仲良し兄妹、優しい物語ってのをイメージして書きました。何か説明くさい感じな話になってしまった気もしますが……そして多少矛盾している気もするのですが; 読んでくださった方が少しでも何かを感じてくれたなら嬉しいです。