- 『ダーク・ダイブ』 作者:浅葱 / 恋愛小説 ショート*2
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全角1828.5文字
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原稿用紙約5.85枚
一度でも、ダイブしたいと思った人へ。私の話を聞いてみるといい。(読点の改訂のみ)
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皆のっぺらぼうになってしまえ。
私は、一人自分の部屋の中ですすり泣いていた。ベッドの中にうつぶせになり、枕に顔をうずめる。
目の前が、枕のやわらかい感触に包まれて真っ暗になる。その黒いキャンバスに彼の顔が浮かんでしまうのを、私はどうしても止めることが出来なかった。
いつの間に、こんなに好きになってしまったのだろう。
陸上部のキャプテンだった。さらりとした髪、きらきら輝く目、余分なところがまるでない、日に焼けた顔。真っ白な歯。細いけど、まるで鉄のようなたくましさを持った足。
嫌味なところなんてまるでない。トラックに入るとまっすぐな闘志を見せて、常に全力で走る。
優しい人だった。
あの言葉を除いては。
「ごめん」
その一言は私の心臓をまっすぐに貫き、いまだにその痛みは消えない。
階下でFMラジオの音が聞こえる。母のものだ。陽気なDJの声が、今は異次元のことのように感じられる。
彼の残像を探すかのように、私は部屋の中を見渡した。何もない。白い壁紙に沈みかけた太陽が真っ赤な色を与えているだけだ。
赤……。
血……。いっそ、このまま……。
私はフっと笑った。冷たい素振りをしてみたつもりなのに、胸の中は焼けるように熱い。
陸上部のマネージャーである私は、いつものようにハードルを用具室に片付けていた。
でも、いつもと違うことが起こった。
部長が、入ってきたのだ。
<あ、橋本さん、ウォッチ忘れてたよ>
何気ない、何の変哲もないことだった。
でもその時私は急に意識してしまったのだった。
私は今、この狭い部室の中。
この愛しい人と、二人っきり……。
顔が急に熱くなっていく。ああ……、先輩……、こんなに、こんなに、近くにいるのに……。
<んじゃ>
部長は踵を返そうとした。
私は衝動的に、それを呼び止めてしまったのだ。
<待ってください>
枕のカバーは、びしょびしょに濡れてしまっていた。太陽が沈み、光が消える。壁の色は、次第に赤から黒へと変わっていく。黒は黒でも、漆黒だった。
明日から、何を支えにして生きていけばいいのだろう。友達への愛想笑い?それとも、陸上部?でも、そこには彼がいる。さっき、私をフッた、彼が、いるのだ……。
<どうして?>
既に細い雫が頬を流れていた。もう敬語なんてことを考える余裕もなかった。
彼は、私の顔を見ようともしてくれない。
<どうして私じゃ駄目なの?>
尚も何も言わない彼の胸を、私は小さな拳でドンと叩いていた。
<何か気に入らないことがあるんなら、行ってよ!私、一生懸命治すから!先輩の気に入るような子になるから!>
先輩は私の腕をつかんだ。思いの他強い握りかただった。
<……好きな人が、いるんだ>
それは、この学校のミスコンでトップに選ばれた子だった。
私なんかとは、月とスッポンという表現がピッタリの、天使みたいに可愛い顔を授かった女の子だった。
私なんか……。
自分の爪が自分の顔に食い込む。もはや痛みすらも感じない。
もう、嫌だ。
小さい頃からずっとだった。周りの男の子は、皆女の子を「顔」で選んでいた。そして、高校生になって、こんなにも大人に近づいても、まだそれは変わらないのか。
目頭がまた熱くなる。冷たい枕に顔をうずめて、叫んだ。声は枕の中だけで響いた。こんな時までも周囲を気にしている自分が大嫌いだった。捨ててしまいたかった。
もう、私には生きる理由も無いのだった。
窓の外を見やる。窓の外にはあんなに限りない空が広がっているというのに、私は……なんて狭い世界に生きているのだろう。
私が死んだなら、誰が悲しんでくれるだろうか。母は、父は、友人は……彼は?私を振ったことで、少しは罪悪感に浸ってくれるだろうか?
ベランダの手すりに触れてみる。ひんやりとした鉄の感覚が妙に心地よかった。深呼吸をする。あと、3歩。
ベランダの側に、足を近づける。あと、2歩。
そうしていつのまにか、私は、右足をベランダの手すりに乗せていたのだった。
あと、一歩。
一歩を踏み出す勇気があれば、この苦しくて、哀しい世界から逃げ出せる。
……さよなら。
全てを終えた後、思った。
あれは勇気じゃなくて、逃避というものだったのだ、と。
あの頃の私は、現実と戦っていくだけの強い心をもっていなかった。あのダイブを終えた今、私は思うのだ。
死んだら全て終わるのだ。何もかも。
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2005/09/13(Tue)19:29:42 公開 / 浅葱
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■作者からのメッセージ
読点の改訂のみです。
また今度、改訂版として書きます。