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『【創作祭】境界線より愛を込めて』 作者:夜行地球 / 未分類 未分類
全角17537.5文字
容量35075 bytes
原稿用紙約59.7枚



   1、プロローグ


 太陽の明るい日差し。
 心地良いそよ風。
 緑をたたえた木々。
 こんな気分の良い日になんで、俺は剣の修行なんてやらないといけないんだろう。
 しかも、森の中で爺さんと二人っきりで。
「これ、ゲイル。何度言ったら分かるんじゃ」
 ガツン……
 爺さんが俺の頭を杖で殴った。
「痛ってえなあ、クソ爺。そんな物で人の頭を殴ってんじゃねえよ」
 俺の抗議が聞こえないのか、爺さんは自分の話を続ける。
「良いか? 剣とは己との対話。剣を持つときはいかなる場合も無心にならねばならん。今のゲイルのように投げやりな気持ちで剣を持つなど言語道断」
「うるせえな。俺は剣なんか持ちたくねえの。モンスターとの戦争もとっくの昔に終わったってのに、何が悲しくて剣の修行なんてしなきゃいけないわけ?」
 爺さんは眉をひそめた。
「戦争が終わった? 笑わせんでくれ、孫よ。確かにモンスターとの戦いは終わった。しかし、国同士の戦はどうじゃ? モンスターと戦っていた頃よりも多くの人々が命を落としているではないか。モンスターさえ倒せば平和な世の中がやってくるなどと言っていた馬鹿者たちは、今頃何といっているのじゃろうな?」
 やれやれ、また熱く語りだしたよ、この爺。
「戦争なんてさ、職業軍人の皆さんがやってくれてりゃいいもんだろ? 俺らみたいな庶民には関係ないって。隣のギルティアみたいに徴兵制をとってる国は別だろうけどさ」
 爺さんは右手で自慢の顎鬚をなでた。
「ほう……関係ない、か。戦争でゲイルの愛する者が傷つけられても、まだそんな悠長な事を言ってられるかな」
「だから、俺は戦争なんて参加しねえから関係ねえの。俺の愛する誰かさんが傷つけられたりする事も無いって」
 爺さんの目が少しだけ哀れみを帯びる。
「愚かじゃな。戦争とは参加するものでは無い。巻き込まれるものなのじゃよ。降りかかる火の粉は自分で払うしか無い。だからこそ、ゲイルに剣術を教えていたわけじゃが……このような腑抜けなら仕方ない。喪失の時に、惨めな己を痛感するが良い」
 その言い方には無性に腹が立った。
「爺さん、誰が腑抜けだって?」
「お前じゃよ、ゲイル。我が孫ながら情けないことだな」
 今度は明らかにこっちを馬鹿にした口調だった。
「このクソ爺」
 俺は半ば本気で爺さんに斬りかかった。
 しかし、爺さんはそっと動くだけで楽々とその攻撃を避ける。
 俺の行動はお見通しだとでも言いたげだった。
「ゲイル、怒りは剣を鈍らせる。本気で斬るつもりなら無心になれ。憎しみも同様だ。どんな相手であっても、怒るな、憎むな、恐れるな、侮るな、哀れむな、悲しむな。ただ、全てを忘れて斬ることだけを考えろ。それが、剣を持つ者の心得じゃ」
 爺さんは俺に背を向けて家に戻っていった。
「なんだよ、くそ」
 誰もいない森の中、俺は剣で地面を叩いた。 
 爺さんから叱られるのは慣れっこだけど、さっきみたいに馬鹿にされるのは初めてだった。
 何だか自分がとてもちっぽけな存在に思えた。



   2、森での出会い


 爺さんが帰ってから数十分。
 俺はまだ家に帰る気になれなかった。
 どんな顔をして爺さんに会えばいいのか、まだ良く分からない。
 俺は足の向くまま森を西へ西へと歩いていた。
 迷った時には体を動かせ、というのが俺の親父の口癖だった。
 それを守ったというわけじゃないけど、今はただ歩く事くらいしか思い浮かばなかった。
 親父は今一体何をしているのだろう?
 今から五年前、俺が十歳の時にお袋と家を出て行ったきり、一度も戻ってきやしない。
 まさか、死んだなんて事は無いだろうと思っていたけど、さっきの爺さんの話を聞いていると、戦争に巻き込まれて死んじまったのかな、なんて弱気な事を考え始めちまう。
 くっそ、何考えてんだ、俺は。
 あの馬鹿みたいに強かった親父が死ぬわけないだろ。

 ふっと視界が暗くなった。
 見ると、俺の目の前には森には不釣合いな高い石壁が立ちはだかっていた。
「境界線まで来ちまってたか」
 思わず呟く。
 境界線、それは人の住まう事の出来るデッドライン。
 境界線の中がどうなっているのか、確かめようとした者は数知れないが、境界線を越えて帰って来た者は誰一人としていない。
 境界線が世界のあちこちに出来たのは、約五十年前。
 五人の勇者によって魔王が倒され、モンスターとの戦争が終わってからの事だという。
 境界線を見ている内に、俺の事を腑抜けといった爺さんの顔が浮かんできた。
「俺は腑抜けなんかじゃないっての」
 側にあった木によじ登る。
 登れば登るほど、境界線の中はその姿を現していった。
 そして、境界線の壁の高さよりも少しだけ高い場所に到達した時点で登るのを止める。
「なんだ、こんなもんか」
 木から見えた境界線の中の世界は、外の世界となんら変わりが無い、ただの森だった。
 少しガッカリしたが、これなら入ってみても大丈夫なんじゃないかという冒険心がうずいた。
「ちょっとだけ散策してみますか」
 俺は木から境界線の壁の上に飛び移った。
 衝撃を押し殺す見事なまでの着地。自分でも惚れ惚れするくらいだ。
 そこから今度は境界線の中の木へと飛び移る。
 そのまま落ちたら大怪我は間違いないので力いっぱい木にしがみついた。
 きちんと木に移れた事を確認してから、するすると下に降りる。
 何て事は無い。小さい頃の遊びの延長だ。
 気をつけてさえいれば、失敗なんてするわけが無い。
 俺は境界線の中から石壁を見上げた。
 何か違って見えるかと思ったが、結局外から見るのと全く同じ、ただの石壁だった。

 それじゃあ、探検開始だ。
 俺は剣を片手に森の中を歩く。
 二十歩歩くたびに側の木に剣で跡をつける。
 こうしていれば森で迷うことが無い。
 小さい頃に婆さんに習った知恵だ。
 歩きながら珍しい物はないかと辺りに気をつける。
 今のところ、特に気を引くものは無いが……

 コロコロ……コロコロ……

 奇妙な鳴き声が聞こえた。
 息を潜めてその音のする方向へ近づいていく。
「ここだな」
 勇気を出して音の元である低木の根元をそっと覗き込んだ。

 コロ……コロコロ

 そこには、小さな白い生き物がいた。
 大きさは両手に収まるくらいで体つきは人間そっくり。
 そして、小さい子が悪戯書きしたような案山子のような顔。
 こいつは本で見たことがある。
「まさか、本物のコロコロ?」
「コロコロ……コロ、コロ」
 俺の声に反応してか、ソレは弱弱しく鳴いた。
 コロコロと鳴くだけの人畜無害なモンスター、それがコロコロだ。
 モンスター狩りで、とっくの昔に滅んだって聞いていたけど。
「まだ生きてたんだな」
 声を聞いて、コロコロは身を縮めた。
「コロ……コロコロ」
 コロコロはどうやら俺を怖がっているみたいだ。
「おっと、驚かしちゃったみたいだな。悪りぃ」
 こんな臆病な奴を脅かす事はないだろうと顔を上げようとした瞬間、コロコロの真っ白な体に赤い点がポツンとある事に気がついた。
「お前、怪我してんのか?」
 コロコロをそっと根元から運び出す。
「コロコロ、コロ……」
 コロコロは嫌そうに身を捩った。
「ちょっとだけ我慢してくれよ。治してやっから」
 そう言って、コロコロの怪我の程度を確認する。
 足の付け根がやや深めに切れているみたいだけれど、重症というわけでもなさそうだ。
「このくらいなら、俺でも大丈夫だな」
 コロコロの怪我した部分に手をかざす。
「傷つきし肉体に癒しを与えん、『キュア』」
 俺の手から出た光を浴びて、コロコロの傷がみるみる小さくなっていく。
 あっという間にコロコロの傷は完治した。
「コロ、コロ……コロッコ、コロコロ」
 治った傷口を見て、コロコロが嬉しそうに跳ね回る。
「お、喜んでもらえたか。数少ない俺の使える魔法が役に立ったみたいで何よりだ。この魔法は昔から婆さんに何度も使ってもらってた奴なんだよ。俺が怪我して帰るたびに『まったく世話の焼ける子だよ』なんて言いながら、治してくれてさ……って言っても分からないか、お前には」
 ピョンピョンと踊り回るコロコロを見ている内に、何だかあの頃の婆さんの気持ちが分かるような気がした。
「それじゃあ、これからは怪我しないように気をつけるんだぞ」
 そう言って立ち去ろうとしたら、コロコロに靴を引っ張られた。
「コロ、コロコロ」
「何だ? 俺に言いたい事があるのか?」
 コロコロは靴から手を離すと、テクテクと歩き出し、こちらを振り返った。
 そして、クイクイと手招きをする。
「ん、俺がついていけばいいのか?」
 俺がコロコロの元に近づくと、コロコロは満足したように頷き、またテクテクと歩き出した。
「ま、折角だからついていってみるか」
 俺はコロコロに導かれるままに、森の中を進んで行った。

   ◇◇◇

 歩くこと数十分、俺は小さな洞窟の前まで連れてこられた。
「コロコロ、コロ、コロコロ」
 コロコロが洞窟の中で手招きをしている。
 暗い洞窟の中でコロコロの白い体がぽうっと光っている。
「あいつがいれば、多少暗くても平気かな」
 頭上を注意しながらコロコロの姿を追っていく。
「どこまで続いてんだろう、これ」
 一本道だから迷うことは無いが、歩いている内に段々と不思議な気分になってくる。
 足元に気をつけながら進んでいくと、次第に先が明るくなって来た。
「そろそろ出口か」
「コロ、コロ」
 コロコロが明かりに向かって走っていく。
「おいおい、そう急ぐなって」
 コロコロを追いかけて俺も出口に向かう。
 急に明るくなったものだから、眩しさに目が眩んだ。

 ゆっくりと開けた俺の目には、信じられない光景が目に飛び込んできた。
「なんだよ、これ……」
 見事なまでに咲き乱れる花々。
 緑をたたえた巨大な木々。
 あちこちを跳ね回るコロコロの群れ。
 まるで御伽噺の中にでも紛れ込んでしまったかのような感じだ。
「すっげえ……」
 良く見ると、木の間を一角リスが走り抜け、花々の中をフェアリーが飛び回り、シンギングフラワーが歌を奏でている。
 どれも絶滅したはずのモンスターばかりだ。
 それが、実に幸せそうに繁栄を謳歌している。
「コロッコ、コロコロ、コロコロッコ、コロ」
 先程のコロコロが大きな声で鳴いた。
 すると、全てのモンスター達がその動きを止め、こちらを見てきた。
 俺を見て、どのモンスター達も怯えたように姿を隠した。
「コロコロ、コロ、コロコロ」
 コロコロが俺を指差して何か弾んだ声で鳴いている。
 それを聞いて、モンスター達が徐々に姿をあらわしだす。
「コロ、コロコロ、コロロ、コロ」
 今度は自分が怪我をしていた場所を指差して痛がる様子をし、次に俺の事を指差してから元気に跳ね回った。
 それを見て、周りのモンスター達の表情が優しげになる。
 どうやら、俺がこいつの怪我を治した事を他のモンスター達に伝えていたようだ。
 どのモンスター達も安心したようで、さっきまでと同じように遊び始めた。
「コロコロ、コロッコ」
 コロコロが鳴くと、他のコロコロ達が黄色い果物を運んでやって来た。
 その果物をコロコロが受け取り、俺に向かって差し出してきた。
「コロ、コロコロ」
「ん、食べて良いのか?」
 もぐもぐと食べる素振りをすると、コロコロは満足そうに頷いた。
 そこで、俺は果物を受け取り、口に運んだ。
 シャリっという食感と適度な甘酸っぱさ、とても美味い。
「美味いよ。ありがとうな、コロコロ」
 と、ここでこいつの丁度良い呼び名が無いことに気付いた。
「ただのコロコロじゃ、他の奴と区別がつかないか。じゃあ、お前はチビコロだ。いいか、チビコロだぞ、チ・ビ・コ・ロ」
 そう言って、そいつを指差して『チビコロ』と何度も復唱した。
 チビコロは不思議そうに首をかしげていたが、六度目くらいで自分の事を指差し、「チウィコロ」と鳴くことが出来た。
「よし、上出来だ。俺はゲイルって言うんだ。ゲイルだぞ、ゲ・イ・ル」 
 俺は自分を指差し、『ゲイル』と何度も復唱する。
 今度はすぐに意図を理解してくれたようで、俺を指差して「クェイル」と鳴いた。
 俺が頷くと、楽しそうに「チウィコロ」と「クェイル」と連発しだした。
 俺はそのようすを見ながら、果物を齧る。
 実に楽しい光景だった。

「あなた、これ、飲むか?」
 いきなり耳元で女性の声がした。
 驚いて飛び退くと、そこには美しいフェアリーがいた。
 手のひらサイズの人間に透明な羽を二枚つけたような外観で顔はどれも美形、というのが本に載っていたフェアリーの定義だ。
 その定義から言うと、俺の横に浮かんでいたのは間違いなくフェアリーだった。
 なにしろ、飛び切りの美人だったから。
「いらないか? それなら、私、戻る」
 葉っぱで編まれたコップを両手で持ったまま、フェアリーが少し悲しげな顔をする。
「いや、飲むよ。飲ましてくれ」
 俺がそう言うと、フェアリーがにこりと笑ってコップを手渡した。
「これ、飲むと、元気になる」
 コップに口を近づけると、甘い酒の香りがした。
 子供が酒なんか飲むんじゃないと言う爺さんの顔が浮かんだが、直ぐに頭から消し去る。
「ま、少しくらいなら大丈夫だろ」
 くいっと一息で飲み干す。
 芳醇な香りが口全体に広がり、体がすこし温かくなる。
「どう? 美味しい?」
「ああ、美味い。爺さんが飲んでるような安い酒とは大違いだ」
「良かった」
 フェアリーが微笑む。
 それを見ると、こっちの頬も緩んでくる。
「君の名前は何て言うの? 俺はゲイルっていうんだ」
「私、ぺリア。よろしく、ゲイル」
「ぺリアか、良い名前だね」
 ペリアは俺にウインクをした。
「ゲイル、私、友達、なれる?」
「ああ、今日から友達だ」
 ペリアがクルクルと回った。
「嬉しい。友達、しるし、私、あげる。ゲイル、目、閉じて」
 言われるがままに目を閉じる。
 ちょんと柔らかな感触が頬に当たった。
 目を開けると、顔の横にペリアがいた。
 目が合うと、顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「目、開ける、ズルイ。私、閉じて、頼んだ」
「悪い、悪い。でも、どうせだったら……」
 思わず口が滑る。
「どうせ、なら、何?」
 ペリアが首を傾げる。凶悪な可愛さだ。
 だから、つい妄想が口から出てしまった。
「頬じゃなくて、唇が良かったな」
 言った直後に、自分の顔が真っ赤になる。
「馬鹿……」
 ペリアが顔を背ける。
 やばい、急に気まずくなったぞ。
「ごめん、冗談だよ。ちょっと高望みしただけ」
 ペリアがジロリと俺を見つめる。
「ゲイル、目、閉じる。それで、許す」
「はい、分かりました」
 俺はもう一度、目を閉じた。
 ペチリと頬に軽い衝撃が走る。
 大して力の入っていない平手打ち。
 なんだ、この程度のおしおきなら軽いもんだ。
 そう思って、目を開けようとしたら、今度は唇に柔らかな感触が。
「……!?」
 慌てて目を開けると、ペリアが俺の顎の辺りにいた。
「な、なんで、そんな事を?」
「ゲイル、唇、良い、言った。私、それ、しただけ」
 確かに言ったけど、さっきまで怒ってなかったっけ?
「でも、ゲイル、また、目、開けた。嘘吐き」
「ごめん、許して」
 へこへこと頭を下げる。
「私、話、好き。ゲイル、話、する。それで、私、許す」
 さっきから、許してくれる条件が甘い。
 ペリアと話をするなんて、俺の方から頼みたいくらいだ。
「分かった。それじゃあ、俺の幼少時代の不思議な出来事について話してしんぜよう。血沸き肉躍る冒険活劇の始まり始まり……」

 コロコロ達が踊りだし、フェアリー達が舞い始め、シンギングフラワーが甘いラブソングを歌いだす。
 俺は実に幸せな気分になっていた。



  3、デビルベリー


 チビコロ達の踊りに拍手を送り、ぺリアとの会話を弾ませているうちに徐々に日が落ちてきた。
 そろそろ帰らないと、森の中で迷うことになってしまいそうだ。
「楽しい時間もそろそろおしまいか……」
「ゲイル、帰るのか? ぺリア、悲しい」
「またすぐに戻ってくるさ。お土産でも持って」
「本当か? 本当に、戻ってくるか?」
「ああ、だから……」
 俺の肩に乗っているぺリアに別れを告げようとした瞬間、あたりに異様な雰囲気が漂いだした。
 モンスター達も、ピタリと動きが止めている。

「グルルル……グル……ガルルル」
 
 不気味な唸り声をあげながら、森の奥からソレは現れた。
 醜悪なイノシシの顔、硬い毛に覆われた筋肉質な肉体。
 森の番人、オーク。
 本で見たのとほとんど同じだった。
 ただ違うのは、凶悪そうな目つきと禍々しい尻尾。

 ギラギラとした目で何かを探している。
 そして、何かに気付いたようにギロリと俺の方を睨んだ。
 
「イタ……ミツケタ」

 オークが物凄い勢いで俺の方に向かってくる。
 しこたま飲んだ酒のせいで、俺はそれを避ける事が出来なかった。
 ドシン、という衝撃と共に、俺は遠くまで吹き飛ばされた。
「痛ってえ……」
 見ると、オークの手にはぺリアが握られていた。

「コレデ、オレ、オマエト、イッショ。ゼッタイ、ハナサナイ……」

 オークはぺリアを掴んだまま森の奥へと走り去っていった。
「ぺリアが、攫われた?」
 あまりにも突然の出来事に思考が停止してしまっている。
「攫われた。攫われちまったよ、おい」

 事態を把握すると同時に皆が一斉に行動を開始した。
「コロコロ、コロ、コロコロ、コロコロコロコロ」
 コロコロ達の大合唱。
「ウゥー、ウィーン……グウォーン……」
 シンギングフラワー達の警戒音。
「緊急事態、緊急事態」
 フェアリー達は隊列を成して上空を飛び始めた。

   ◇◇◇

 それから数分後、上空に大きな影が現れた。
「一体何事だ。これだけ騒ぐからには、それ相応の一大事なんだろうな」
 威厳のある低い声があたりに響き渡る。
 バサリ、バサリという音を立てながら、その影は地面に降り立った。
 力強い猛禽類のような羽。
 鍛え上げられた鋼のような肉体。
 思慮深い目に頭から生えた大きな角。
 全てを切り裂くような鋭い爪。
 本の記述が間違いなければ、それはガーゴイルに相違無かった。
 悪魔の代行者、残酷なる賢者、モンスターを統べる者。
 ガーゴイルを表す語彙は数知れない。
 最恐のモンスター、それがガーゴイルだった。
「あんな奴までまだ生き残ってんのかよ」
 俺の呟きが聞こえたのか、ガーゴイルがこちらを睨む。
「人間……如何にして此処まで来た?」
 睨まれただけで、ちびりそうになる。
 答えようとするのだけれど、上手く言葉が出てこない。
「早く答えよ。さもなくば、此処で只の肉片となる事になるぞ」
 ガーゴイルがじわじわとこちらに近づいてくる。
 びんびんと伝わってくる殺気に、足を動かして逃げることも口を動かして釈明することも出来ない。
 やばい、このままだと問答無用に殺されるぞ。
 俺が命の危険を感じていると、チビコロが俺の目の前に飛び出した。
「コロ、コロコロ、クェイル、コロッコ」
 ガーゴイルに向かって必死に何かを語りかけている。
 それを聞いて、ガーゴイルが静かに頷いた。
「ふむ……クェイルとやら、コロコロが世話になったようだな」
 ガーゴイルからは殺気がやや薄れていた。
 今なら口くらいなら動かせそうだ。
「いや、世話をしたと言える程はしてませんよ。あと、俺の名前はクェイルじゃなくて、ゲイルって言います」
「そうか、人間が此処にやって来た事への警報かと思っていたが、違うようだな。一体何があったのだ?」
 フェアリー達がガーゴイルの周りに集まり、
「ぺリア、攫われた」
「オーク、凶悪」
「ビズ、似てた」
「尻尾、生えてた」
「怖い、怖い」
 と好き勝手に喋りまくる。
 ガーゴイルは少しだけ困った顔をして、こっちを見てきた。
「ゲイル、貴様が説明できるか? この者たちの説明は少々分かり辛い。人間だったら、もう少しましな説明が出来るだろう?」
 俺は少しビビリながらも、見たままを説明した。

「ふむ、奇怪な尻尾の生えたオークがフェアリーのぺリアを攫った、か。先程のフェアリー達の話と合わせて考えると……」
 ガーゴイルは腕組みをしながら呟いた。
「ビズの馬鹿者め、デビルベリーを拾い食いでもしたな」
 どうやら、さっきのオークの名前はビズと言うらしい。
「あの、ガーゴイルさん。一つ質問して良いですか?」
 機嫌を損ねないように恐る恐る尋ねる。
「答えられる範囲なら答えてやろう。それから、私の名はヴァリスだ。次からはそう呼ぶが良い」
「分かりました。ヴァリスさん、『デビルベリー』って何ですか?」
 俺の質問にヴァリスの顔が険しくなる。
「何? デビルベリーを知らんだと? モンスターと人間の戦争を引き起こした諸悪の根源を知らんと言うのか?」
「はい、無知なもので」
「ふう……前々から知っていたものの、人間とは愚かなものだな。あれほど危険な物のことを次の世代に教えないとは。まあ、隠蔽体質の人間の事だ。自分達に都合の悪いことは全て記録から消し去ったのかも知れんがな」
 ヴァリスが俺の目を見てきた。
「よし、では手短に説明してやる事にしよう。デビルベリーとモンスター、そして人間についての関係をな」

   ◇◇◇

 今から百年ほど前までは、人間とモンスターは、友好的とまでは言えなくとも、それなりに住み分けをし、互いに敵対感情を持つことなく暮らしていた。
 一人の魔術師がデビルベリーを創り出すまではな。
 その魔術師は、モンスターを労働力として利用する方法を探っていた。
 モンスターの筋力や知力を向上させ、なおかつ人間に絶対の忠誠を誓わせる。
 それを実現する為に、ありとあらゆる実験を繰り返した。
 その結果、辿り着いた答えがデビルベリーだった、というわけだ。
 動物系のモンスターはその実を食べると、植物系のモンスターはその花粉を受粉すると、身体の組成が変化し、筋力や知力が向上した。
 実験は成功したかに思えた。
 しかし、最も重要な点、「人間に絶対の忠誠を誓わせる」という点だけは失敗していた。
 デビルベリーによって変化したモンスターは、どれも凶暴になっていた。
 それで、知力が上がっていたのだから、なおのこと性質が悪い。
 モンスター達はデビルベリーを創り出した魔術師を殺し、デビルベリーの種を持ち出した。
 そして、デビルベリーの栽培を始め、次々と自分達の同類を増やし始めた。
 この辺りからモンスターによる人間への犯罪が増えていき、人間達のモンスター狩りも始まるようになっていった。
 無実の罪で善良なモンスターが殺される事もしばしばだった。
 そして、家族や友を殺されたモンスターは、復讐の為に自らデビルベリーを口にし、新たな犯罪を犯した。
 人間もそれに対抗してモンスター狩りを強化する。
 まさに、悪循環だな。
 どちらも、後に引けなくなっていた。

 そんな状況が五十年近く続いた後、一人の男が現れた。
 男は、デビルベリーによって変化したモンスターを元に戻す方法を求め、探しだした。
 その方法というのは、実は笑ってしまうほど単純なものだったのだがな。
 男は、それを使ってモンスター達を次々と元へ戻していき、争いを止めるように説得を続けた。
 しかし、モンスターと接している内に、気持ちが変わったらしく、その男はモンスター側の味方をするようになった。
 モンスターによる軍隊を編成し、人間達と同等に渡りあったその男は、人間達に恐れられ、魔王と呼ばれるようになる。
 
 その後、勇者と呼ばれる五人の人間に魔王が倒された。
 人間側ではそういう事になっているらしいが、実際は違う。
 魔王がモンスター軍を退く代わりに、人間は今後一切モンスターに危害を与えない。
 そのような内容の取引をしたのだ。
 いわゆる、政治的決着というやつだな。
 そして、人間とモンスターを隔てるものとして『境界線』が作られた。
 もちろん、人間側にはその理由を伏せて、秘密裏にだ。
 それから、五十年。
 人間どもは愚かにも内輪で戦争を続けているようだが、我々モンスターは平穏に暮らしている、というわけだ。

   ◇◇◇

 ヴァリスの長い話が終わった。
「ゲイルよ、これで理解しただろう? デビルベリーがどのようなものか」
「はい、色々と知らなかった事を教えて頂いて、ありがとうございました。あと、今の話を聞いていていくつか気になった所があったんですけど、聞いていいですか?」
 ヴァリスは軽く溜め息をついてから言った。
「ついでだ。答えてやろう」
「それじゃあ、聞きますね。まず、一つ。デビルベリーって今でも栽培しているんですか?」
「いや、五十年前に全て焼き払った。その時に処分しきれなかったものが時々見つかるが、それも見つけ次第焼却処分している」
「次に、デビルベリーによって変化したモンスターって、見ただけで区別がつくものなんですか?」
「ああ、デビルベリーによって変化したモンスターには、凶悪な尻尾が生える。
それを見れば一目瞭然だ」
「最後に、デビルベリーによって変化したモンスターを元に戻す方法って何ですか?」
 ヴァリスが真剣な目でこちらを睨んできた。
「ゲイル、それを聞いてどうするつもりだ?」
「ぺリアを攫った奴は、デビルベリーを食べたオークなんですよね? だったら、元に戻ればぺリアを返してくれるかもしれない」
 ヴァリスが疑惑の目を向けてくる。
「確かに、オークのビスは元々気の良い奴だ。元に戻れば自らの過ちに気付くだろう。しかし、どうして貴様がその方法を知る必要がある?」
 どうして、だって?
 そんなもの一つに決まっている。
「俺がぺリアを救い出したいからですよ。目の前で女の子が攫われたんだ。黙っているわけにはいかないでしょう?」
「人間ごときが生意気な事を言うでない。デビルベリーを食べたモンスターに立ち向かおうなど百年早い。身の程を知れ」
 ヴァリスが見下した目でこちらの事を見ている。
「でも、魔王と呼ばれた男には可能だったんでしょう? それなら、俺にだって出来るはずだ。同じ人間なんだから」
「ふっ……貴様と魔王が同じだと? 馬鹿も休み休み言え。あの男は特別だ。あれは、この私が唯一君主と認めた男。貴様とは天と地ほどの差がある」
 確かにそうかも知れない。
 でも、俺は……
 『喪失の時に、惨めな己を痛感するが良い』
 爺さんの言葉が頭の中で響く。
 ぺリアが攫われた時、俺は何も出来ず、ただ傍観しているだけだった。
 なんと、愚か。
 なんと、無様。
 爺さんの言った通り、俺はただの腑抜けだ。
「そんな事は分かってるさ。でも、俺はぺリアを助けたいんだ」
「ほう、何故だ?」
「決まってんだろ? ぺリアが好きだからだよ。好きな女も助けられないようじゃ、俺は一生腑抜けのままだ」
 ヴァリスは可笑しそうに笑った。
「人間がフェアリーに惚れたか?」
「ああ、惚れたさ。何が悪い」
 ヴァリスは俺の顔をまじまじと覗き込んだ。
「いや、悪くは無い。それなら教えてやろう、デビルベリーによって変化したモンスターを元に戻す方法を」
「ああ、頼む」
「方法は実に単純だ。デビルベリーを摂取したモンスターに生える凶悪な尻尾、それを切り落としさえすれば良い」
「なるほど、確かに単純だな」
 よし、聞くことは全て聞いた。後は行動に移すのみだ。
 俺はオークの消えた方向に目を向ける。
「ゲイル、ビズを探すつもりか?」
「そうだよ。何か文句あんのか?」
 ヴァリスは口元を歪ませた。
「それで、居場所の心当たりはあるのか?」
「ねえよ。本気で探せば見つかるだろ」
「愚か者。どれだけ時間がかかると思う」
 ヴァリスはバサリと音を立てて宙に浮いた。
「ついて来い。私が案内してやろう」
 意外な行動に呆然と立ち尽くす。
「案内は不要か? ならば余計な世話は焼かぬが」
「いや、助かる。案内してくれ」
 ヴァリスがにやりと笑う。
「ビズの居場所はここからそう遠くない。数十分もすればつくだろう。それにしても……」
「何だよ」
「ふむ、慣れぬ敬語よりも、そのような言葉遣いの方が貴様にはあっているな」
 そこで、俺は自分の口調が乱暴になっている事に気がついた。
 殺されるかもしれないという恐怖は何処かに行ってしまっていたみたいだ。
 ヴァリスが速度を上げて先に進む。
 月明かりの中、俺はガーゴイルを追いかけながら森を駆け抜けた。



   4、決闘


「ここだな、間違いない」
 ヴァリスが空中でその進行を止め、右奥の茂みを指差した。
 音を立てないようにそっと茂み覗き込む。
 確かに、そこには先程のオークがいた。
 凶悪な尻尾を振りながら、嫌らしい笑い声をあげている。
「ビズめ、やはりデビルベリーを食べていたか……」
 ヴァリスがそっと呟く。
 オークは一本の大きな木の周りをぐるぐると回っている。
 その木には小さな木の檻が下げられていた。 
 良く見ると、ペリアがその丈夫そうな木の檻の中に閉じ込められている。
 オークはじっと檻の中を見つめ、口を開いた。
「オレ、ペリア、ズット、イッショ。オレ、シアワセ」
 馬鹿でかい声で叫んでいるので、オークの声はこちらまで届いてくる。

「ゲイル、私がビズの相手をしているうちに、ペリアの閉じ込められている檻を奪え」
 ヴァリスが静かに言った。
「分かった」
「相手はたかがオークと言えども、デビルベリーを食している。私といえども楽に勝てる相手では無い。極力手短に救い出すのだぞ」
「了解。そっちもヘマすんなよ」
 ヴァリスがニヤリと笑い、オークの近くへと飛んでいった。

「ビズ、私だ。少し話を聞け」
 ヴァリスの姿を見て、オークが反応する。
「ナンダ、ヴァリス。オレ、イソガシイ。ジャマ、スルナ」
「そのフェアリーを皆の元へ帰してくれぬか? お主はデビルベリーを食して少々気分がおかしくなっているのだ。今なら許してやる。その醜悪な尻尾を切り、正気に戻れ」
 オークの鼻息が荒くなった。
「オレ、オカシクナイ。ヘンナイチゴ、タベテ、オレ、カシコク、ナッタ。ペリア、オレ、コバンダ。ソレ、オレ、ヨワカッタ、カラ。イマ、オレ、ツヨイ。ペリア、オレ、コバメナイ。オレ、タダシイ。ペリア、カエサナイ。イッショウ、イッショ。シッポ、キラナイ。コレ、アレバ、オレ、サイキョウ」
 ヴァリスが鼻で笑う。
「ふん、お主程度が最強を名乗るか。笑止千万。ならば、私が少し懲らしめてやろう。そのような戯言を二度と言えぬようにな」
 言うと同時に、ヴァリスがオークに飛びかかる。
 ズサッ……
 オークの左肩に大きな五本の赤い線が現れた。
 グゥオーン……グオ、グググ……
 オークの咆哮。
 ヴァリスは血に塗れた右手をペロリと舐める。
「やはり、オークの血は美味いものでは無いな。鈍重さが滲み出ているような大味さ加減。腹の足しにもならぬわ」
「オレ、キレタ。オマエ、シネ」
 オークがヴァリスに向かって右の拳を振りぬく。
 何メートルも離れている俺の所にまで風圧が伝わってきた。
 後ろに飛ばされそうになり、俺は近くの木にしがみつく。
 ただ、ヴァリスは何事も無かったかのように宙に浮いていた。
「ふむ、なかなか涼しい風だったぞ。ビズよ、良いことを教えてやろう。拳というものは相手に当てなければ意味が無いのだよ。このようにな」
 ドスッ……
 気がつけば、ヴァリスの拳がオークの腹に埋まっていた。
 そして次の瞬間、オークは後方に吹き飛ばされる。
 ただ、オークもただやられるだけでは無かった。
 直ぐに体勢を立て直し、ヴァリスに向かっていく。

「そろそろ、頃合だな」
 俺は壮絶な戦いを繰り広げている二人の横を通り抜け、一直線にペリアの捕らわれている檻へと走った。
 檻はやや高い位置に吊るされている。
 手で掴んで逃げることは出来無そうだ。
 右手で剣を抜き、地面を蹴って宙に舞う。
 その最高到達地点で檻と視線の高さが同じ程度になった。
 今だ。
 木の檻を下げている丈夫なロープを切断する。
 支えを失った檻は、重力に従って下へと落ちていく。
 それを左手で受け止め、着地の瞬間を待つ。
 上手くいった。
 そう思った時だった。

 ヴァリスと戦っている最中のオークと目が合ってしまった。
 一瞬で事態を理解したオークは、腰に下げていた大きな斧を振りかぶり、物凄い勢いで俺に投げつけてきた。
 着地まであと一秒。
 着地と同時に、あの斧は俺を直撃するだろう。
 やべえ、しくじった。
 俺の右足が地面に着いた。

 ズシュッ……
 夜空に舞い散る血液。
 顔にかかる赤い液体は妙に温かくて、俺は何が起こったか把握出来なかった。

 なんで、こんなに血が出ているのだろう?
 なんで、血が出ているのに痛くないんだろう?
 
 そして、目の前にさっきまでは無かった存在がある事に気付く。
 
 なんで、ガーゴイルがここにいるんだろう?
 なんで、最恐のモンスターが人間を庇ったりしたんだろう?

 ヴァリスの腹には斧がザックリと刺さっている。
「ヴァ……ヴァリス」 
 思わず呟いた声に、ヴァリスが反応する。
「ふん、私としたことが……とんだ間抜けな事をしたな。ゲイルよ、ペリアを連れて……早く逃げるが良い」
 その声には力強さが欠けていた。
「それは無理だ。あいつからは逃げられそうに無い」
「何を、弱気な事を言っている。早く逃げろ」
 ヴァリスがゴホゴホと咳き込む。
 そんな台詞、ガーゴイルらしくねえっての。
「だから、無理だって。今やるべき事は一つっきゃないだろ?」
「ゲイル、何をするつもりだ?」
「決まってんだろ? オークをぶっ倒す」
 
 俺は檻を地面に置き、剣を握り直してオークに向かって走り出す。
 後ろでヴァリスが何か言っているような気がするが、そんなの関係ない。
 今はただ、こいつを倒すことしか頭に無い。
「ペリア、ツレテイク。オマエ、ワルイヤツ。オマエ、シネ」
 オークが右腕を振り上げる。
 力で勝負したら勝てるわけが無い。
 俺は剣を構えたまま真横に飛ぶ。
 ドゴッ……
 オークの狙いは俺ではなく地面だった。
 拳のあった部分がごっそりと削り取られる。
 そして、飛び散る土の塊が俺の体を直撃した。
「ごほっ、なるほどね。これなら、拳が直接当たらなくてもダメージが与えられるってわけか」
 倒れこむ俺に向かってオークが走りこんでくる。
 開けた場所じゃあ分が悪い。
 俺は木の密集している方へと駆けていった。
 単純な足の速さなら、負けはしない。

 適度な場所で振り返り、オークの姿を木々の合間から確認した。
 そして、手近な木にするすると登る。
 追いかけてきたオークを頭上から襲い、尻尾を切り落とすという作戦だ。
 オークが木に駆け寄ってきた。
 後は、自分の場所まで追って来てくれれば良い。

 しかし、そう上手くはいかない。
 オークは木の間を通らずに、木を力任せに薙ぎ倒し、一直線に俺の方に向かってくる。
 メリメリ……バキ、ボキッ……
 これでは、上から襲撃する暇なんて無さそうだ。
 俺はあっさりと作戦を変更し、地面に降りた。

 オークが目の前に現れる。
「モウ、オイツメタ。オマエ、アキラメロ」
 言うと同時に両手を大きく振りかぶる。
 ドゴッ……
 再び地面が削り取られる。
 俺は慌てて木の陰に隠れ、土の弾丸の襲来を避けた。
「ニゲル、ダケ。オマエ、ヨワイ」
 オークが俺に向かって突進してくる。
 俺は背後の木を利用した三角飛びでそれを避ける。
 そして、すれ違いざまに一撃を浴びせる。
 パスッ……
 オークの右肩から鮮血が飛び散る。
「グガガ……」
 だらりと下がった右腕を見てオークがうめき声をあげる。
 手ごたえは十分だった。
 筋を切ったから、もう腕は上げられないはずだ。

「ユルサナイ、シネ、シネ、シネ、シネー」
 オークが目の色を変えて飛び掛ってきた。
 しかし、怒りにまかせた動きは単調で、簡単に見切る事が出来る。
「怒りは剣を鈍らせる、か。爺さんの言うとおりだな」
 ブゥオン……
 オークの左手から繰り出される拳は轟音を立てるが、一向に当たらない。
 もちろん、当たったならば俺なんかは一撃であの世行きだろうが。

 さて、仕上げだな。
『怒るな、憎むな、恐れるな、侮るな、哀れむな、悲しむな。ただ、全てを忘れて斬ることだけを考えろ』
 爺さんの声が頭の中に響く。
 分かってるよ、斬れば良いんだろ?
 普段みたいにさ。

 心を落ち着ける。
 まず、音が消えた。
 もう、オークが何を叫んでいるのか分からない。
 次に、匂いが消えた。
 木々や土や血の匂いは感じない。
 そして、色が消えた。
 全てが白黒、平板な世界に見える。
 
 そんな中、ただオークの尻尾のみが黒々とした光を放っていた。
 なんて分かり易い目標。
 ここまで色の無い世界で、そこだけが激しい自己主張をしている。
 俺はそれに近づいていく。
 途中で丸太のようなものが俺の近くを通りすぎたようだが、関係ない。
 何かの塊がゆっくりと飛んでくるが、それも関係ない。
 剣で叩き落し、ただ斬る対象だけを見つめる。
 じっと見つめていると、黒く光る尻尾の中に一層強く光る幾つかの線が見えてきた。
 俺は、その線の一つに剣を当てる。
 そして、線に沿って剣を沈める。
 手ごたえさえなく、すとんとソレは落ちた。

 ふっと、視界に色が戻ってきた。
 次いで匂いが戻り、音が戻ってくる。
「ギャ……ゲェ……」
 うめき声をあげるオークの横で、根元を失った尻尾がピクピクと動いていた。
「オエッ……ゴボッ……」
 オークがどす黒い液体を口から吐き出す。
「ケホッ、ケホッ……」
 オークの目からは凶悪そうな光が消えていた。
「あれ……何でオレはこんな所にいるんだろう?」
 戸惑うオークを横目に、俺は一息ついた。
 どうやら、やるべき事は出来たみたいだ。



   5、後始末


 オークに事態を認識させるのが一苦労だった。
 頭まで筋肉で出来ているんじゃないかって位の鈍さで、こっちがいくら説明してもなかなか話を理解してくれなかった。
「それじゃあ、オレがペリアちゃんを攫って、ヴァリス様に怪我をさせたのか?」
「だから、そうだって何度も言ってんじゃん」
「まさか、オレがそんな大それた事するわけがないよ」
 何度も続いた不毛な会話。
「もういいや、こいつが治れば全て話してくれんだろ」
 俺はヴァリスの治療に専念することにする。
 手から出る白い光をヴァリスの傷口に満遍なく当てる。
 傷口がみるみる閉じていく。
 一時は助からないかとも思ったが、流石はガーゴイル、回復の速度が違う。
「う……うう」
 ヴァリスの目が開く。
「おお、遂に目を覚ましたか。早くこの馬鹿に事情を説明してやってくれ」
 俺の必死の呼びかけにヴァリスが苦笑した。
「く、病み上がりに対してなかなか難儀な仕事だな」

   ◇◇◇

 ヴァリスの話を聞いて、オークのビズはようやく納得してくれたようだった。
「うーん、やっぱりそうなのかな……」
 ペリアは俺の後ろで震えている。
 まだ、ビズと顔をあわせることが出来ないみたいだ。
「オレ、ペリアに会いたくて。急いでたら、腹が減っちゃって。美味そうな野イチゴが茂みに生えてて。食ったらぼおっと眠くなって。気がついたらここにいて」
 ビズはペリアに避けられている事を気にしているみたいだ。 
「夢の中で、オレ、ペリアと一緒にいて。二人で楽しくしていたら、邪魔する奴等が現れて。戦ったら負けてた……あれって夢じゃなかったんだ」
 ビズは俺達に向かって頭を下げる。
「すいません。何か皆に酷いことしちゃったみたいで」
「まあ、良い。結果的には被害は無い」
 ヴァリスがビズの顔を上げさせる。
 そして、俺の顔をまじまじと見た。
「それにしても、貴様には驚かされたぞ、ゲイル」
「何がだよ」
「ビズを正気に戻す時のあの剣筋。若き日の魔王を髣髴とさせた」

「当たり前じゃろう? ゲイルに剣術を仕込んだのはワシなのじゃから」
 後ろから聞きなれた声が聞こえた。
 振り向くとそこには、チビコロを肩に乗せた爺さんが立っていた。
「コロコロ……クェイル、チウィコロ、コロッコ」
 チビコロが俺を見て嬉しそうに跳ね回っている。

「爺さん、なんでこんな所にいるんだよ?」
 爺さんは何でもなさそうな口調で答える。
「ゲイルが家に帰って来んから迎えに来た。早く探せ、早く探せと婆さんが五月蝿くてな。それで、こやつに道案内を頼んだというわけじゃ」
 そういて、チビコロの頭をなでる。
「爺さん、モンスターを見て驚かねえのかよ?」
「何故驚く必要がある? そもそもこのモンスター達はワシの友人達なのじゃよ」
「へ?」
 間抜けな声を出す俺を横目にヴァリスが立ち上がり、右膝をついて爺さんに頭を下げた。
「久しぶりだな。魔王よ」
「うむ、元気そうでなによりじゃ、ヴァリス」
 俺を置き去りにして、再開ムードたっぷりの二人。
「おい、ヴァリス。爺さんが魔王ってどういう事だよ?」
「どういう事も何も、この男が魔王だというだけだ。『爺さん』と言ったな。貴様、魔王の親族か?」
「おお、そのゲイルはワシの孫じゃ。ヴァリスには紹介していなかったかな?」
「孫が出来たとは聞いてないな。息子が生まれたとは聞いていたが」
 また、二人で盛り上がり始めるし。
「あの馬鹿息子は、また他の国で余計な人助けをしているようじゃな。全く勝手なやつじゃ」
 しかも、長年知りたかった両親の情報についてもあっさりと語るし。
「なるほどな。という事はゲイルの治癒魔術もあの白魔術師の直伝か?」
「ああ、確かに婆さんが仕込んだみたいじゃな」
「それで、ここまで治りが早いのだな。さすがは勇者を名乗った五人の内の一人だ。後継者の育成も万全か」
 おいおい、婆さんは勇者の中の一人かよ。
 もう俺にはついて行けそうにない。

 そっと後ろを振り向いて、ペリアに囁きかける。
「ちゃっちゃと抜け出して、二人で遊ばない?」
「それ、名案。夜、長い。これから、本番」
 ペリアが悪戯っぽく笑う。
 せーの、という声と共に俺らは森の中を駆け抜ける。

「これ、待たんか、ゲイル」
「貴様、何処に行く?」
「ペリアちゃん、オレも連れてってよー」

 何か言われても、速攻で無視だ。
 邪魔するならすれば良い。
 今の俺は腑抜けじゃない。
 降りかかる火の粉は自分で払ってみせるさ。

「なあ、ペリア。良い事教えてあげようか?」
「なに、ゲイル?」
 ペリアがこちらを振り向いて微笑む。
「俺はペリアを愛してるんだ」
「私も、ゲイルを、愛してる」
 ペリアは悪戯っぽく笑う。
「ゲイル、私、良い事、教えてあげる」
「なんだい?」
「フェアリー、寿命、長い」
「知ってるよ」

「私、年齢、二百十歳」

 愛に年の差なんて関係ない……よな?


<終わり>
2005/09/11(Sun)00:00:00 公開 / 夜行地球
■この作品の著作権は夜行地球さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
とりあえず、ほのぼの路線で行ってみよーって事でこんな感じに。
なにやら設定だけが多かった気がしますが、見逃してください。
こんな作品ですが、楽しんで頂けたら幸いです。
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