- 『【創作祭】自動販売機の中には 【読み切り】』 作者:神夜 / ファンタジー お笑い
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全角18678文字
容量37356 bytes
原稿用紙約52.35枚
創作祭に投稿していた作品。僕の出遭ったちっちゃいおっさんが繰り広げる、どこか可笑しくも激しく燃える型破りなファンタジー物語、ここに見参。
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「自動販売機の中には」
幼稚園くらいのとき、自動販売機の中にはちっちゃいおっさんがいるんだと思ってた。
ちっちゃいおっさんはお金を入れる所の向こう側から辺りの様子を窺っていて、客が来たら神経を研ぎ澄まして構えを取り、ぶち込まれる合計で百二十円のお金を受け取って移動させ、それが終ったらすぐにスイッチを点け、百二十円分で買えるジュースのボタンの所に赤いランプを灯すのである。客がどのジュースを買おうかと悩み選んでいるときは、じっと息を殺しながらも「早く決めろよこちとらそれが楽しみでこの仕事やってんじゃいお前が買わなきゃワイの家族はどうなんじゃ」とか思ってるに決まっているのだ。そして客が目当てのジュースのボタンを押し込むと、自動販売機の中にそのジュースの銘柄が表示され、それを確認したちっちゃいおっさんは走り出し、表示された銘柄のジュースの保管庫へ向かい、自分よりも大きい缶を引っ張り出して来て取り出し口へと蹴り飛ばすのである。「冷たい」とか「温かい」とか言いながらジュースを持って行く客を満足気に見つめ、ちっちゃいおっさんは煙草を吹かすのだ。そうに決まっているのだ。
ボーリング場にだってちっちゃいおっさんはいると思ってた。
レーンの奥底、ピンが並ぶそこにちっちゃいおっさんは待機していて、客が投げたボーリングの玉がピンをぶっ飛ばしたら活動開始である。回収されるピンを実に手馴れた動作で並び替え、それぞれの位置へ設置してレーンへと戻す機械に乗せるのだ。たまに次のピンが出て来るのが遅いときがあるのは、ちっちゃいおっさんが手こずっているからである。ピンを出し終えたらまた玉が飛んで来て並べたそれを弾き飛ばし、そうしたらまたちっちゃいおっさんの出番である。ピンを並べるときは絶対に、「これがワイの生き甲斐じゃけえ手は抜けん客の喜ぶ笑顔が何にも代え難い喜びじゃ」と汗水垂らして頑張っているのだ。ボーリング場が開店して閉店するまで、ちっちゃいおっさんは毎日一生懸命に働いているのだ。そうに決まっているのだ。
ボーリング場と言えば、あのボーリングの玉が出て来る所にもちっちゃいおっさんはいる。
玉がピンを弾き飛ばすと同時に、ピンを並べる仲間とアイコンタクトで肯き合い、冗談のように重い玉を背負って走り出すのだ。レーンの下を巨大な玉を持ったちっちゃいおっさんが走り抜け、別レーンで同じように走る仲間と手を取り合い日々を生き抜いている。たまに力尽きて玉の下敷きとなった仲間へは決死の思いで走り寄り、「ここで負けたら何も残らんぞ立て立ってワイ等の仕事を全うしようぞそれでこそ男じゃい」などと励まし合って力を貸し合い頑張っているのだ。そうに決まっているのだ。
ちっちゃいおっさんは、いつでもどこでも、身の回りには絶対に一人や二人は潜んでいると思ってた。車のタイヤにだって、電車の車輪にだって、飛行機のエンジンにだって、テレビの中にだって、冷蔵庫や電子レンジにだって、ありとあらゆる場所に潜んで日々頑張っているのだと信じて止まなかったあの頃。汚れを知らず、視界に入るすべてのものが新鮮で輝かしかった純情なあの幼稚園時代。不可能は何も無く世界のすべてが平和で心配事など微塵も存在しない、ただ純粋に楽しかった幼少の時分。
しかしいつからだったのだろう。ちっちゃいおっさんが、この世に存在しないのだと気づいたのは。
記憶が正しければ、小学一年生の夏だったような気がする。その日は馬鹿みたいに熱くて、だからいつもと同じように親から貰った百円玉一枚と十円玉二枚を握り締め、近くの自動販売機に向かった。今思えば、それが過ちであり、それが運命を別つ瞬間になっていたのだろう。小学一年生して、現実の残酷さを知ったあの日のあの昼下がり。セミの声がやけに大きく響いていたのを今でも憶えている。自動販売機の側には薄緑の作業服を着た中年の大人の人がいて、あろうことかその中年は自動販売機を開けてジュースを補充していたのだ。現実を思い知った。自動販売機の中は無機質な機械に包まれた冷酷な世界だったのだ。ちっちゃいおっさんが生きて行けるスペースなど、どこにも在りはしなかった。
その日からはしばらく、視界に入って見えるすべてのものが信じられなくなった。自動販売機もボーリング場も車のタイヤも電車の車輪も飛行機のエンジンもテレビの中も冷蔵庫も電子レンジも、ありとあらゆるものが信じられなくなってしまったのだ。ちっちゃいおっさんは存在しないのだという事実は、汚れを知らず純情ですべてが楽しかった時分には巨大な衝撃となって押し寄せて来ていた。悲しくて寂しくてどうしようもなくて、夜中に布団に包まって気づかれないようにそっと泣いていたあの日のあの満月の夜。
ちっちゃいおっさんは、そんじょそこらの戦隊モノヒーローよりずっと格好良くて紛れもない正義の味方だった。悪者は、薄緑の作業服を着たあの中年の大人に決まっていた。ちっちゃいおっさんの仇を討とうと思ったのがいつだったが忘れたが、とにかくあの自動販売機の陰で待ち伏せをしていたこともある。が、結局は中年の大人は現れなくて、逆に日射病に侵されて倒れた。
ちっちゃいおっさんは、もう二度と、その姿を現さないのかもしれなかった。
そして訪れるはそれから十年以上経った夏の昼下がり、十七歳になった僕はちっちゃいおっさんのことなどすっかり忘れていたこの日に、その存在を思い出す羽目になるとは思ってもみなかった。いや、流石に十七歳にもなったら自動販売機の中にちっちゃいおっさんがいるなどとは微塵も思わないし、それにそんなことを本気で思ってたら痴呆である。
しかしそれが痴呆ではなく、現実という形で僕の目の前に現れた。
連日連夜に続く気温は観測史上最高で馬鹿みたいに熱くて、そんな日の昼下がりはそれこそ灼熱で、額を流れる汗をついに我慢できなくなってジュースでも買おうと思ったのだ。財布から百二十円を取り出して自販機にぶち込み、赤く灯るボタンのランプに視線を巡らせ、今日はファンタのグレープ味にするか手堅く三ツ矢サイダーにするかを慎重に悩んでいたのだ。そして数秒後、僕はファンタのグレープ味を選ぶことになる。
――後になって思う。このとき、三ツ矢サイダーを選んでいたのなら、僕はいつもと変わらない『今日』という日を過ごせたはずだ。それなのに、僕はファンタのグレープ味を選択してしまった。だから、こんなことになってしまったのだ。
ガゴン、という音と共にファンタのグレープ味は落ちて来て、それを確認してから取り出し口から冷たい缶を取り出そうとした僕の手が、止まった。ついでに体の動きそのものが止まった。それに思考も止まった。挙げ句の果てには心臓も止まったような気がした。
ファンタのグレープ味の缶にへばり付くようにして、そこに、
ちっちゃいおっさんがいた。
ちっちゃいおっさんは肌色の服を身に纏って腹巻をしていて、髪の毛なんて寂しいかなバーコード禿げで、どこからどう見ても、休日の部長さん風のおっさんだった。
ちっちゃいおっさんは「アタタタ」と腰を摩り、ゆっくりと僕を見上げて、ヤクザよろしくでメンチを切る。
「……何じゃあ若人(わこうど)。やんのかぁ、コラ。上等じゃい、掛かって来んかい」
ファイティングポーズを取るちっちゃいおっさん。
夢だと思った。夢と思わないとやってられなかった。買ったばっかりの缶を取り出すことも忘れて、僕は悲鳴を上げながら世にも情けない格好で逃げ出す。しかしそれを、ちっちゃいおっさんは制止させる。
「待たんかいコラァッ!! 人を落としてといて詫びの一つも入れへんのかっ!!」
どうしようか一瞬だけ悩み、しかしこの現実があまりに恐かったので無視してまた逃げ出そうとすると、
「待てっつっとんじゃボケェッ!!」
ファンタの缶が飛んできた。缶は僕の足元で弾け、盛大に破裂して逃げ道を完全に遮る。破裂音に驚いてその場に尻餅を着く僕の背後から、小さな小さな足音がヒタヒタとゆっくりと近づいて来る。人間とはとても悲しい生き物である。触っては駄目だというものほど触りたくなってしまうのだ。だから、振り向いていけないと脳ではわかっていながらも、どうしても振り返ってしまう。
デコボコに舗装され、空から降り注ぐ陽射しに熱されたアスファルトの上を、ちっちゃいおっさんは圧倒的な殺気を漲らせて近づいて来る。それは、その辺にごまんと存在する下手なホラー映画よりよっぽどホラーな光景だった。腰が抜けて立ち上がれず、アスファルトの上に熱さを忘れて這い蹲り、僕は息も絶え絶えにそれでも逃げ出す。後ろから追って来るちっちゃいおっさんはもう目の前だった。這って逃げる僕と、走り出すちっちゃいおっさん。どっちもどっちのような光景だがやはり、恐いものは恐いのである。そして、ちっちゃいおっさんは足が異様に速かった。
一瞬にして回り込まれ、ちっちゃいおっさんは笑った。その「にィイ」という笑い方が本当にとてつもなく恐くて、僕はアスファルトに額を擦りつける。
「いやホンマすんません落としたことならこの通りマジで謝りますですから何もしないでくださいそれに小遣い昨日全部使っちゃって今千円も持ってないんですホンマごめんなさいごめんなさい勘弁してくださいっ」
ちっちゃいおっちゃんは近づいて来る。ゆっくりと僕の髪の毛を掴んで顔を上げさせ、間近から睨みつけながらつぶやく。
「……煙草買(こ)うて来いや。それで許したる」
肯くしか道は無かった。立ち上がって走り出す僕の背中に、「マイルドセブンのスーパーライトのソフトタイプじゃ。それ以外買こうて来たらシバくぞ。それからええか、逃げてみぃ。そんときゃ承知せんぞコラ」というちっちゃいおっさんの声が響く。
頭の中が真っ白だった。それでも僕は必死に走り回り、ついに煙草の自動販売機を探し出すことに成功し、財布かならなけなしの三百円を探し出す。確か三百円あれば煙草は買えるはずだ。早速お金を投入して赤く光るボタンに視線を巡らせて初めて、僕は絶望的な事実に気づいた。ちっちゃいおっさんはマイルドセブンのスーパーライトのソフトタイプだと言った。しかし、マイルドセブンってそもそも何だ? 僕は煙草は吸わない。煙草の銘柄など言われてもさっぱりである。だがそれでも買って行かないことには本気で殺されそうだったので僕は必死で目当てのブツを探る。
だが、案外簡単にマイルドセブンという銘柄は見つかった。見つかったのだが、マイルドセブンの中にも幾つか種類があることに気づいた。どれがスーパーライトなのかわからず、焦りながら探っていると見本の所に「スーパーライト」と書かれていることに気づく。あった、と無意識の内に声を出しながらボタンを押そうとして、寸前のところで止めた。このクソ暑い中でも全身を冷たくする冷汗が流れた。
それはマイルドセブンのスーパーライトでもソフトタイプではなく、ボックスタイプだった。危ない危ない、間違うところだった。その近くにあるソフトタイプを探し出し、今度こそ本当にボタンを押した。カコン、という音と共に煙草が落ちて来る。取り出し口に手を差し伸べようとして、瞬間に脳裏に嫌な考えが過ぎる。まさかここにもちっちゃいおっさんがいるのではないかと思った。だがこうして考えている間にもあのちっちゃいおっさんが不機嫌になるかもしれない、という恐怖が僕を突き動かす。幸いにして、この自販機からはちっちゃいおっさんは出て来ていなかった。安堵の息を漏らし、煙草を取り出してポケットに押し込み、踵を返したその刹那、僕は唐突に我に返る。
僕は一体、何をしているのか。自動販売機から出て来たちっちゃいおっさんに脅されて煙草を買いに来た、だと? 何をやってんだ、馬鹿じゃねえのか。そんなことある訳ないじゃないか。そもそも自動販売機からおっさんが出て来ること自体が有り得ないのだ。そりゃあ、確かに小さな頃には自販機とかにはちっちゃいおっさんがいるとは思ってたが、それとこれとは話がまるで違う。そんなことが、現実に起こるはずはないのである。ジュース買ったらちっちゃいおっさんも付いて来た、って出来の悪い笑い話じゃあるまいしそんな。
夢に決まっている。決まっているのになぜ、
「おう若人。こっちやこっち」
このバーコード禿げのちっちゃいおっさんはそこにいるのか。
ちっちゃいおっさんは自動販売機から少しだけ離れたベンチの上に踏ん反り返っていて、その隣に置いてあるのはシルバーのジッポライターではないか。しかしそのライターがおっさんの体くらいあるのがどこか異様に不自然だった。ちっちゃいおっちゃんは大儀そうに手を差し伸べ、「ほれ、出してみぃ」と言う。呆然としたまま、僕は操り人形のようにポケットから煙草を取り出してちっちゃいおっさんに手渡す。
ちっちゃいおっさんは煙草のパッケージを起用に開け、銀紙を引き千切り、ケースの頭をガンガンと必死に殴って煙草を一本だけ取り出す。そのとき、おっさんの身長は煙草一本分より少しだけ大きいことが判明した。自分の体ほどあるような煙草をがぶりと咥え、隣に置いてあったジッポライターをこれまた起用に開けて擦り石を回転させて火を灯した。そして煙草に点火させ、煙を吸い込んで実に上手そうに吐き出す。
そんな光景を見つめながら、僕は一人、自暴自棄に納得していた。もういいや。これが夢でも現実でもどうでもいい。このおっさんは今、ここに存在している、それだけに原点を置いて物事を見つめよう。そうしたら自然と答えは導き出せる。そうさ、訊くべきことはただ一つだけなのだ。このちっちゃいおっさんは、一体何者なのか。こんな人間が存在する訳はないのである。まさか新種のUMA(未確認生物)ではないのか。
いつそのことを訊き出そうか迷っていた僕に、おっさんは「隣に座れ」と促す。躊躇いながらも肯いて隣に腰を下ろすと同時に、煙を盛大に吐き出しながらちっちゃいおっさんはつぶやく。
「若人、名は?」
「あ、雪谷真吾(ゆきたにしんご)、です」
おっさんは怪訝な顔をする、
「雪谷て、今夏やん」
うっせー禿げ、それとこれに何の関係あるんじゃクソ。
「まあええ。おっちゃんはな、源五郎丸義経(げんごろうまるよしつね)いうねん」
どんな名前だよ。てゆーかお前、名前すげえ偉そうだなオイ。
「……あの、源五郎丸さんは、何者なんですか……?」
「何者てお前、おっちゃんはそりゃ小人族やろ」
マンマかよ。
ちっちゃいおっさん改め、源五郎丸はなぜか満足そうに煙草を吹かし続ける。
しかし、小人族って一体何だ。いや、そりゃ小さい人間の一族ってことはわかるけどさ、そんなモンがこの世にいるはずはないだろうに。やっぱりこれは夢なのだろう。僕は起きていると思ってるけど、本当はまだ部屋のベットに包まって眠っているのかもしれない。それかもしかしたら、自動販売機でジュースを買おうとして日射病にでも罹ってぶっ倒れてしまったのかもしれない。だから現実と夢の区別がつかないのではないか。なぜかそんなような気がする。
これは、夢だ。そう心の奥底で思うとなぜか気分が少しだけ晴れた。
「源五郎丸さんはどうして自販機の中にいたんですか?」
「語るも涙、聞くも涙の物語や。話すと長くなるぞ、それでも聞くか?」
どうしようか悩んだが、源五郎丸は無性に話したそうな顔をしていたので仕方が無く聞いてみる。
「あのな、おっちゃんは自販機の中が好きなんや」
そう言った源五郎丸は煙草を咥え、煙を吐き出し、どこか遠くを見つめる。何か昔を懐かしむような感じに「うんうん」と肯き、また煙草を咥えてすべて話終えて満足だ、と言わんばかりの顔をして晴れ晴れとしていた。……ってそれで終わりかよ! 語るも涙聞くも涙って、自販機の中が好きだって告白にどうやって泣けっつーんだオイ。
だが、源五郎もそれで終る気はなかったようだ。遠くを見つめたまま、ゆっくりと語り出す。
「おっちゃん等小人族はな、お前等巨人族が繁栄する前からずっとこの地球におったねん。けど、やっぱり小さいと不利なんや。いつの間にかお前等は数を増やして、おっちゃん等の居場所を次々と奪って行きよった。生きる場所が無くなったおっちゃん等は、どっかにあるユートピアを探すために故郷を捨てこの巨人族の世界に足を踏み入れたんや。それでも、過酷な試練は続きよるねん。……巨人族に踏み潰されて殺された奴、野犬に襲われて五体引き千切らされた奴、カラスの襲撃を受けて穴だらけになった奴、科学チームとかいう化け物に攫われて解剖された奴、家族バラバラに引き離されてもう二度と会えんくなった奴。もう暗黒の時代やってん。このまま小人族は巨人族に制圧されて死ぬしかないんやと本気で思った。しかし、そこでおっちゃん等は見つけたんや。仮初めであるのは知ってる。知ってるが、今は紛れもないユートピアや! それがあれやねん!!」
源五郎丸は自動販売機を指差し、輝かしい笑顔で笑う、
「自販機は画期的なユートピアや。あの、『あったか〜い』と『つめた〜い』ってあるやん? あの間の鉄板のトコが最高なんや。年中快適に過ごせる温度を保ってくれる最高の場所、それがあれや。それに自販機はそこら中にあるさかいに、隠れ場所には困らん。一台の自販機に一人の小人族。木の葉を隠すのなら森の中、ってな。……けど、今日はちょっと失敗した。最近ごっつ暑いからな、『つめた〜い』の方に移住して缶にへばりついとったら、あまりの気持ち良さに眠ってもうてなあ。それで気づいたらガゴン、バキャンゴキゴキッ、そんでお前がおった、って訳や。どや? 語るも涙、聞くも涙やろ?」
最後の一口を吸い終わり、アスファルトの上に煙草をポイ捨てしながら源五郎丸は煙を吐き出す。
地面に転がって煙を上げる煙草を見つめながら、僕が思うことは一つだけ。
……アホかこいつ。胡散臭い話にもほどがあるっちゅーねん、何考えとんのや。……ヤバイ、口調がうつった。てゆーか、このおっさんが何の話をしているのかがさっぱりわからない。小人族がユートピアを目指して旅立ち、見つけたのが自動販売機? 確かにそれまでの経緯だけ見たら涙モノかもしれない。しかしエンドに辿り着いたユートピアが自動販売機ってどうよ。涙流すにも流せないっつーの。そもそもこのおっさんは何弁を喋っているのか。関西弁のような気もするが何かが違う。いろんな方便がごちゃ混ぜになっていると思うのは僕の気のせいなのだろうか。
二本目の煙草にジッポで火を点けながら、源五郎丸は唐突に言う。
「あのな、お前だけに言うけど、おっちゃん等は魔法使えるねん」
何を言い出すのかこの禿げは。
「……魔法?」
胡散臭そうに訊く僕の態度の怒ったのか、源五郎丸はいきり立つ。
「ホンマや! お前信じてへんなっ!? おっちゃん等は火出したり水出したりできるんやっ! 小人族にだけある特殊能力なんやぞ。その気になればすごいでお前、そこにある家の一件や二件くらいはちょちょいのちょいでぶっ壊せんねん。せやからあんまおっちゃん怒らせん方が身のためやで。下手したらお前死ぬで、マジで」
「……でも、さっき煙草の火はライターで点けてたじゃん」
かあー、これやから若人はアカン、と源五郎丸は頭を抱える。
「ええか? 煙草に火を点けるはジッポライター。これは男のロマンなんや。わかるか、ジッポってお前、風が強い日でも火ぃ消えへんのやで。すごないか? おっちゃんも詳しい仕組みは知らんけど、このライター発明した奴は天才やな。源五郎丸賞やりたいくらいやわ」
ジッポライター作った人も、賞は賞でもそんな賞は死んでもいらないだろう。
「とにかくや、煙草はジッポライターで火ぃ点けへんと美味くないねん。それに魔法使うと腹減るんや。最近は食糧不足で普通の生活もヤバイのに、イチイチ魔法なんて使ってられるかって話やわ。それに魔法を最後に使こうたのなんて何年前かわからへんしな、下手に不発でもされたらそれこそ大損や。……あー、何や食いモンの話してたら腹減ってきたわ。なあ、何か食いモン持ってへん?」
煙草の次は食料を恐喝する気か、このおっさんは。
「あ、いや……食べ物は、持ってないです」
それに考えればこんな炎天下の下で食い物持ってても食えないだろう。さっきから一体何分経っているのかはわからないが、生ものならとっくの昔のご臨終しているに決まっている。
僕の返答に、源五郎丸は不満そうに「使えへん奴やなあ、お前」とつぶやき、しかし唐突に思い出しかのように身を乗り出す。
「おっちゃんな、ハンバーガー食ってみたいねん。マクドナルドってトコ連れてってくれ。そこでハンバーガー買うてくれや。たまにこの自販機の前を美味そうに食いながら通ってく奴がおんねん。その度、おっちゃんは腹の虫を鳴かせながら拳を握って我慢しとるんや。せやから連れてってくれ。そんで買うてくれ」
何だこのおっさん。素直にそう思う。
「いや、でも僕、お金あんまり持ってないんですけど……」
「ええやん、ハンバーガーなんて八十円くらいで買えるんやろ? それとも何か、お前今日びのガキが八十円も持ってへん言うんか?」
いやいや、八十円くらいなら持ってるけど、そもそもお前が煙草なんて買って来いって言うから財布の中身がピンチになったんじゃねえか。
不満そうな顔をする僕に向かって、源五郎丸は嫌そうな顔をする。
「嫌やわ、ケツの穴の小さい男は。高々八十円如きでブツブツ言うなや。お前がさっき買って結局飲まへんだジュースに比べれば安いやん。飲まへんジュース買うくらいならハンバーガー買った方が得やろ」
その前に三百円払わしておいて何を言うか。しかも飲まなかったジュースって、お前がぶん投げてオシャカにしたんだろうが。本当は飲む気満々だったのだ。ああ、そう考えるとすごく悲しくなってきた。さっきファンタが破裂したアスファルトはまだ少しだけ湿っていて、いつの間にかアリの行列が完成していた。アリの餌のためになぜ百二十円も支払ってしまったのか。喉が渇いた。干乾びて死ぬときってこんな感じなのかな、ってオイッ!!
「ちょ、な、何やってんですかっ!?」
源五郎丸はなぜか、僕のズボンのポケットに潜り込んで来ていた。その感触がどうしようもないくらいに気持ち悪くて、源五郎丸を摘み出そうとするがなかなか上手く行かない。どうやらズボンを力一杯に握り締めているらしい。
「早よう連れてってくれ。おっちゃん腹減って死にそうや」
このまま下手して源五郎丸がズボンのポケットの中で潰れるのが嫌だったので、僕は摘み出すことを諦める。
ため息を吐き出しながら僕は立ち上がって歩き出す。ここから一番近くのマクドナルドはどこだったか。ああ、そうだ、駅前だ。ここからなら徒歩で五分も掛からないだろう。炎天下の空の下、僕はポケットにちっちゃいおっさんを入れながらマクドナルドを目指す。その道中、源五郎丸は「この中暑っついわ」とか「このズボン臭っさいわ」とか文句を垂れ続けていたが、僕は当たり前のように無視する。
道路を歩くのにも一苦労だった。もしコケてしまったら源五郎丸が潰れて死んでしまう、という心配が僕を一層慎重にさせる。いや、死んだら死んだでそれはそれでいいのだが、死ぬ場所が悪い。ポケットの中で潰れて死なれたらどうしようもない。小人族とか意味不明の一族と言えど、恐らく中身は人間と変わらないのだろう。ならば潰れれば血がで出るだろうし、下手すれば内臓も飛び出すかもしれない。そうなったらトラウマどころじゃ済まない話になってしまう。それでは嫌だ。気持ち悪過ぎる。
辿り着いたマクドナルドで、取り敢えず財布の中身をチェックする。二百円しか残っていない。リアルな財布の中身に少々引きながらも、僕はカウンターへ向かう。「いらっしゃいませー」という店員の声に、「ハンバーガー単品で一つ」と頼んだ矢先、ポケットの中の源五郎丸が突然に「あ、やっぱり二つお願いします」と声を出しやがった。訂正したかったのだが、店員はすでに了承してしまっていて、「ハンバーガーを単品で二つ、百六十円になります」と営業スマイルを爆発させていた。
泣く泣く財布の中から二百円を差し出し、お釣りは味気ない四十円。貧乏街道まっしぐらである。受け取ったハンバーガー二つの入った紙袋を手に持ったまま、僕は店を出て歩き出す。紙袋をぼんやりと見つめ、唐突に思い至った。この中にはハンバーガーが二つ入っている。一つは源五郎丸の分だ。ならばもう一つは、僕の分ではないのだろうか。なんだ、何だかんだ言っといて優しいトコあるじゃん。まあ今回はそれで見逃してやってもいいか。
そんなことを思ってた僕の期待は、早速裏切られることになる。再びベンチに辿り着き、ハンバーガーを袋から取り出す源五郎丸は、あろうことか二つ共引っ張り出して、片方をソファーのように下敷きにしてもう片方を食い始めたのだ。
「……あの、僕の分は……?」
そう訊くと、源五郎丸は怪訝な顔をする。
「なんや、食べたかったんかいな? そんなら自分の分は自分で頼まんとアカンで。おっちゃんはちゃんと自分の分二つ頼んだやん。まったく情けないなあ、そこんとこおっちゃんをちゃんと見習わなアカンでまったく。これやから最近の若人は馬鹿ばっかりなんや。食いたかったらまた買って来ぃ。これはおっちゃんの分や。おっちゃんはな、人を甘やかしたらアカン思うねん。せやからこれはやらへん。食いたかったから自分で買って来ぃ。それにしてもこれ美味いなあ。今度また買うて来てくれや」
本気でぶん殴ってやろうかと思った。地面に叩きつけて踏み潰してやろうかとも思った。
ハンバーガーを美味そうに食い散らかすこのちっちゃいおっさんが、何よりも憎い。
しかしそんな源五郎丸が、唐突にハンバーガーを食うのを止めた。それまでの馬鹿みたいな表情を一瞬にして打ち消し、少しだけ残っていたハンバーガーを口の中に押し込んで「モグホファヤバビュア」と言った。源五郎丸の頭が狂ったのかと思った。しかし違ったのだ。ただ単純に源五郎丸の口にハンバーガーが入ったまま言葉を言ったからそう聞こえただけだ。アホらしい。
一飲みで口の中を空にした源五郎丸は、今度こそ本当にその言葉を言う。
「……若造が、人の家で何やっとんじゃ……」
その意味がわからず、視線を移したそこに、源五郎丸が暮す自動販売機がある。
そして、気づいた。その取り出し口に何かがいる。それが何であるのかを、僕は一発で理解してしまっていた。どこからどう見ても、それは、ちっちゃいヤンキーだった。源五郎丸と大差ない大きさで、金髪のリーゼント頭をして学ランのような特攻服のような、よくわからない黒い服を着た、もう一人の小人族である。それが辺りを見回しながらゆっくりと自動販売機の中へと入っていく。泥棒か、泥棒なのか。こういう場合はどうした方がいいのだろう。警察に電話して「自動販売機に泥棒が入りしまた」って言うのがいいのだろうか。
そんなことを考えていた僕を置き去りに、源五郎丸は立ち上がる。
「このハンバーガーを何が何でも死守せえや。おっちゃんはちょっくら、若造に世の中のルールってもんを教えて来たらあ」
ベンチから飛び降り、マッハの速度で源五郎丸がアスファルトを駆ける。
そして自動販売機の目の前に仁王立ちし、源五郎丸は叫んだ。
「出て来んかいコラァッ!! 人ん家でなんばしよっとかっ!?」
また変な方便出てるっておっさん。
数秒の間、やがて自動販売機の取り出し口がゴソゴソと動き、そこからちっちゃいヤンキーが登場する。
「やましいわボケェッ!! ここは今日から俺ん家になったんじゃ!! 文句あんならヤッたんぞ禿げっ!!」
「禿げ言うなやっ!! 髪の毛まだあるやろドアホがっ!!」
「無いやないかっ!! 鏡見てからモノ言えバーコード禿げっ!!」
「あ、おっちゃん切れたぞ今ので。ええかあ、覚悟せえよ若造が。『灼熱の源五郎丸』言われたおっちゃんの力、魅せたるからな」
そう言った源五郎丸は、ゆっくりと両手を前に向けた。その矛先にいるのは、ちっちゃいヤンキーである。
ちっちゃいおっさんが吼える、
「――すべてを焼き尽すオトンの炎っ!! ファイヤー・ファーザーッ!!」
源五郎丸の両腕から灼熱の炎が一気に噴き出し、それを見たちっちゃなヤンキーが目を剥く。
そして、それは僕も同じだった。源五郎丸の腕から迸る炎は、驚くほど巨大で、そんじょそこらの炎ではなかった。あんなものを食らえば人間なんで簡単に丸焦げになるに決まっている。魔法が使えるなど微塵も信じていなかった。しかし今、目の前で繰り広げられているこの光景は、魔法としか言いようのない現象だった。すげえ、と思った。小人族なんて馬鹿げたものが、二十一世紀の科学が支配するこの世界で、しかしそれを簡単に凌駕する魔法を使っているのだ。
生み出された炎は源五郎丸の腕に纏わりつき、しかしすぐに荒れ狂う劫火と化して蠢き出す。まるで炎自体が生きているかのように活動を開始し、真っ直ぐにちっちゃいヤンキーに、――伸びて行かなかった。なぜかは知らないが、その炎は間違いなく僕に向かって突っ込んできていた。その事実に気づいたときには時すでに遅しで、炎は僕の腕を掠めていた。燃えた。腕が黒くなった。それで感じたのは熱さではなく、どうしようもない怒りだった。
「バカタレッ!! しっかり避けんかあっ!!」
そんな声に、ついにぶち切れた。
「アホかお前はっ!! どこ狙ってんだバカヤローッ!! 死んだらどうすんだっ!!」
「構わんっ!! ハンバーガーが無事ならお前の一人や二人惜しくはないっ!!」
「言い切ったなテメえコラ、上等だ勝負せえやっ!!」
言い合いをする僕と源五郎丸を見ていたちっちゃいヤンキーが唐突に声を張り上げた、
「おれほっぽいで何やっとんじゃ己等っ!! まとめてぶっ殺したらあっ!!」
自動販売機の取り出し口から飛び降り、地面に着地した刹那にちっちゃいヤンキーは腕を振り上げる。
瞬間、辺りの気温が一気に低くなった。そしてあろうことか、このクソ暑い夏の中、突如として雪が降り始めたのだ。やがてちっちゃいヤンキーの頭上に巨大な氷柱のようなものが出来上がり、それを見据えた源五郎丸は「氷結やな」となぜか実に格好良い口調でつぶやく。
「味な真似しよるな若造。けどな、『灼熱の源五郎丸』に氷結は通用せえへんぞ」
源五郎丸は氷柱に向き直り、またもや叫ぶ、
「――すべてを焼き払うオカンの炎っ!! ファイアー・マザーッ!!」
ふと思う。その叫びに意味なんてないんじゃないかって。
しかしその叫びに比例して源五郎丸の腕には再び炎が渦巻き、氷柱と同じように炎の柱を造り出す。
緊張の糸が張り詰めるかのように、小人族の二人は互いに必殺の攻撃を構えたままピクリとも動かなくなってしまった。睨み合った二人の視線の間では恐らく、『なかなかやりよるな若造』『ふっ、おっさんこそなかなかなモンじゃねえかよ』『だが若造に負けるほど錆びれてはおらん』『甘い、今やおれたち若造の時代、おっさんはとっとと世代交代しな』『生意気な。灼熱の源五郎丸の力を舐めたときは、お前が死ぬときだ』『減らず口め。いいだろう、どちらの世代が本当に強いのか勝負してやる』『その言葉、後悔するなよ』『上等』という熱い言葉が交わされているに違いない。……いや、本当かどうかは別にして、そうだったらいいなあっていう感じなんだけどね。
源五郎丸とヤンキーの間に一つの雪が舞い降りる。その舞い散る雪がアスファルトに着いたとき、それが勝負の始まりだ。ゆっくりと、ゆっくりと雪は空間を漂い、そしてアスファルト
「――先手必勝じゃいっ!!」
などと抜かし、雪がアスファルトに着くより早くに源五郎丸は腕を振り抜いた。
「汚っ!!」と叫ぶ僕の視界の中、攻撃が一歩遅れたヤンキーが苦しそうな顔をして氷柱を投げ飛ばす。それは神速の速さを持って空中でぶつかり合、
しかしなぜかやはり、炎の柱はヤンキーではなくこっちに向かって突っ込んで来ていた。だが何度も同じ攻撃を食らう僕ではない。迫り来る炎の柱を素晴らしい反射神経で避ける僕! 背後から爆音っ! そして炎上っ!! 格好良くポーズを決める僕の目の前では、氷柱に地面をぶち壊されて舞う源五郎丸がくるくると回転しながら「ぎゃぁあああ――――――――――――――――――――――――――ッ!!」という悲鳴を上げながら落下している。
地面に蛙が踏み潰されたような音を出して激突した源五郎丸は、鼻血を垂らして不敵に笑う。
「……くっ、卑怯な真似をしてくれよってからに。しかしこれで終る源五郎丸義経ではないわっ!!」
いや、卑怯な真似してんのはお前じゃん。それになんでお前の攻撃は僕に飛んで来るんだよ。てゆーか狙ってるだろ、ぜってーに狙ってるだろバーコード禿げのおっさん。
「何じゃ、『灼熱の源五郎丸』ってのは見せ掛けの名前みたいじゃの? そうとわかればこっちのもんじゃい、無様に死に晒せやバーコード禿げっ!」
ちっちゃいヤンキーは両手を振り上げ、瞬時に巨大な氷柱を二つ造り出す。
そこでやっと僕は気づいた。辺りはいつの間にか猛吹雪に遮られていて、今が夏だということが信じられなくなるような光景だった。膝を着いて口から流れる血を拭う源五郎丸に横から弄るように雪が積もり、半分だけ白くなっているのがどこか馬鹿みたいで面白い。本当は緊迫しなくちゃならない場面なんだろうけど、流石にバーコード禿げのおっさんが死闘を繰り広げているのを間近で見せられたら結構引く。どうコメントしていいのかわからないもん。どっちかっていうとあれだ、ヤンキーの方が格好良いもん。
立ち上がる源五郎丸のその瞳には、漢の灼熱が宿っている、
「……もう許さへんで若造。さっきおっちゃん言ったよな、切れたって。もうアカン、今二本目切れたもん。もうおっちゃんは止まらへんで。さっきのに二発はデモンストレーションや。こっからマジでお前殺すで。切れたおっちゃんは恐いからな、気ぃつけな一発で丸焼けや。でも心配せえへんでも骨は拾ったるで安心して、――成仏せえやぁあっ!!」
源五郎丸の体に積もっていた雪が一瞬で溶けて蒸発し、それどころか辺りを覆っていたはずの猛吹雪さえも次々と消え去っていく。源五郎丸から吹き抜ける力の波動はちっちゃなヤンキーをも包み込み、集中力を掻き乱す。その隙を源五郎丸は見逃さない。力を一挙に爆発させたと同時に冬の冷気は溶けてなくなり、この場には再び夏の熱気が蘇る。いや、蘇っただけではない。源五郎丸と合わさった熱気は灼熱に進化し、辺りをサウナのような熱帯の砂漠へと変化させた。それは、源五郎丸の反撃開始を意味している。
「お、己ぇえッ!! 死に晒せバーコード禿げぇえッ!!」
ちっちゃなヤンキーが溶け出した氷柱を源五郎丸に向かって投げ付ける。が、それは源五郎丸に到達するより早くに熱気にあてられて完全な水となり、一瞬で蒸発して消え失せる。引き攣った顔をして後ずさるヤンキーへと、源五郎丸はゆっくりと歩み寄る。バーコード禿げをしたちっちゃいおっさんを包み込むは灼熱の炎だ。これこそ『灼熱の源五郎丸』の真骨頂。かつて小人族の中でも群を抜いて最強と謳われ尊敬された存在。それが、源五郎丸義経――。
が、これには一つ問題がある。
「源五郎丸さん源五郎丸さん、ちょっとねえ、髪、燃えてますよ、メラメラ燃えてますよ」
僕のつぶやく声に、源五郎丸は悲しそうに答える。
「……何も言うたらアカン。おっちゃんもわかってん。わかってんのやけどな、どうしようもないねん。見逃したってや。もう何も言わんといてや」
はらり、と涙を流す源五郎丸。その間にも数少ない髪の毛は着実に灼熱の炎に包み込まれていく。
しかし突如として源五郎丸はすべてを振り払い、ヤンキーへと向き直る。
「お前の事情は知らへん。けどな、おっちゃん怒らせたのと、髪の毛の代償はとんでもなく大きいで。せやから潔よぉ、――往生せぇやぁあっ!!」
辺りを漂っていた劫火は一瞬で源五郎丸の目前に収縮され、巨大な一つの炎の球体を造り出す。
その威力に気づいたちっちゃいヤンキーが勝てないと悟り、踵を返して逃げ出すが、易々と逃がす源五郎丸ではなかった。
源五郎丸は大声で叫ぶ。
「――親父の存在太陽の如しッ!! 食らえやッ!! 一撃必殺!! バーニング・キャノンッ!!」
うわっ、何かいきなりカッコイイ技名出ちゃったよ!
そんなことを思う僕の視界の中で、源五郎丸は炎の球体を撃ち出した。それは神速の速さで逃げ行く獲物に到達し、振り返ったちっちゃいヤンキーに向かって圧倒的な威力の下に炸裂する。轟音が辺りを塗り潰し、爆風と共に炎が巻き起こってとんでもない規模で炎上する。ちっちゃいヤンキーを丸ごと飲み込んだ巨大な玉は、人間一人くらいなら簡単に丸焼きにできるくらいの威力はあっただろう。そんなものを小人族みたいな小さな生き物が食らえばひとたまりもないはずである。だから僕は燃え盛るそこに向かって、そっと十字を切った。
が、それは無意味となる。炎上するその中から、ちっちゃいヤンキーが全身焼け焦げになって倒れ出て来た。生きているのが不思議だった。てっきり死んだと思ってたのに。そんな僕の疑問を消し去るかのように、源五郎丸がワザとらしく説明を開始する。
「ふん。おっちゃんのバーニング・キャノンが当たる瞬間に全身を氷結で纏って死亡だけは避けたんやな。その歳でよぉやりよるわ。驚きや。けど勝負はもう着いた。おっちゃんの勝ちや。けどな、気ぃ落としたらアカン。お前はこの『灼熱の源五郎丸』に本気出させた奴やねんから。誇りに思えばええ。おっちゃんのバーニング・キャノンを受けて生きとったんはな、お前で二十三人目や」
多っ! 数少ないって、二十人以上いるなら絶対に数少なくないだろっ!
ちっちゃいヤンキーは、ボロボロになった拳を握り締めながらつぶやく。
「……チクショウォ、チクショウォオ……ッ! これで……、これでやっと美奈子を迎えられるはずやったのに……ッ! 何でや、何でお前みたいな奴がここに住んでんのや……っ!!」
美奈子? ふと疑問に思う僕の言葉を、源五郎丸が代わり訊いてくれる。
「……訳有りなんか、若造。おっちゃんで良ければ、聞いたんで」
オイ、何か突然に粋な声出すとか卑怯やろおっさん。何かお前がめっちゃいい人に思えるぞ。
ちっちゃいヤンキーは源五郎丸を一瞬だけ見やり、それからすぐに視線を外して噛み締めるように語り出す。
「……美奈子いうんは、おれの妹やねん……。けど、あんたも知っての通り、おれ等小人族は家族一緒に暮すなんてことは滅多にでけへんやろ……。でもな、美奈子はまだガキやねん! 父やんと母やんは、少し前に事故で死んでもうて、もう美奈子守ってやれる奴はおれしかおらんねんっ! せやから、ここの自販機なら広いで一緒に暮らせるかもしれへんって思ったんやっ! ここが家に決まれば、知り合いに預けてある美奈子引き取って一緒に暮らそ思たけど、無理やった……あんたは強過ぎる。ここは間違いなく、あんたの家なんや……迷惑掛けて、悪かった。また、別のトコ探すわ……」
何かいきなりシリアスなこと言ってるよ。どうすんだよこの重い空気。
そんなことを思っていた僕に向かって、唐突に源五郎丸が口を開く。
「若人、ハンバーガーおっちゃんに貸したってや」
源五郎丸が何をやりたいのかは薄々わかる。結局あれだ、散々ぶっ倒しておいて最後には良い人になろうって、そういう魂胆なのだろう。
もはやどうでもよくなっていた僕は、成り行きだけ見守ろうと思い、取り敢えず源五郎丸に持っていたハンバーガーを手渡す。受け取った源五郎丸はそれをそっとちっちゃいヤンキーの側に置き、まるで仏のような笑顔を見せる。
「……おっちゃんからのプレゼントや。妹さんと一緒に食い。それとな、おっちゃんそろそろ引っ越ししよ思っとったんや。せやからその自販機、お前にやるわ。妹さん引き取って、一緒に暮すとええ。……おっちゃんはな、人を甘やかすのは嫌いやねん。けど、困ったときはお互い様や。助け合って生きてきて、今のおっちゃん等小人族がある。その絆を、忘れたらアカンねん」
その言葉に一筋の涙を流し、ちっちゃいヤンキーは源五郎丸を見つめる。
「……源五郎丸、さん……っ」
実に格好良く、源五郎丸は踵を返す。
「妹さんと、仲ようやるんやで」
「くっ……すまねえ、すまねえ源五郎丸さん……っ! このご恩は一生忘れません……っ! いつか、いつかの日か必ず、恩返しをさせて頂きます……っ!!」
そう言いながら大量の涙を流すちっちゃいヤンキーからは見えいないと思うが、僕にははっきりと見えていた。
源五郎丸は今、作戦通り、というような実に汚い顔をして笑っている。もう何か最悪だ。このちっちゃいバーコード禿げのおっさんは言葉では表せないほど最悪だ。結局いいとこは独り占めですか。ああそうですか、僕なんてどうでもいいんですか。格好いいこと言っときながら、僕へ攻撃仕掛けたことへの詫びはなしですか。そう言えばお前、最初に言ってたよな、人を落としてといて詫びの一つも入れんのか、って。じゃあお前は何なんだコラ。自分中心に世界回ってるとでも勘違いしてんじゃねえだろうな。
ちっちゃいヤンキーの感謝の言葉を背中に受けながら、源五郎丸はアスファルトの蜃気楼の中へと消えて行く。それを見送っていた僕だったが、唐突に我に返って源五郎丸を追いかける。源五郎丸に追い付いた僕は、そっとその顔を盗み見る。しかしやはり、その笑顔は汚いものだった。もうどうしようもないな、このおっさんは。
「これからどうすんのさ、家無くなったんだろ?」
「ん、ああ、まあそやな」
「行く宛てあんのかよ?」
「ある訳ないやろ。……何やお前、もしかしてお前ん家泊めてくれるんかいな?」
「断る」
「即答やん。もうちょっと考えくれてもええんちゃう?」
「絶対に嫌だ、本当に嫌だ。お前泊めるくらいなら家に火放った方がマシだ」
「……そこまで言わへんでもええやん。傷つくわ」
「嘘つけ」
そこで源五郎丸は唐突に立ち止まり、僕を見上げた。
その笑顔は、さっきまでの汚いものではなく、純粋なものだった。
「……少しの間やけど、お前とおれて楽しかったわ。けど、もうそろそろお別れの時間やねん。小人族と巨人族は決して解り合えへん身、こうして話していること自体本当は禁止されてんのや。いろいろとスマンかったなあ。ジュース無駄にしてもうたし、煙草とハンバーガーも買わせてもうたし、魔法ミスってぶつけそうにもなってしもたし。ホンマ、スマンかった。でも楽しかった。せやからありがとうな。珍しいんやで、おっちゃんが巨人族に対してお礼なんて言うの。今まででたった四十七回しか言ったことないんやで」
だから多いって。話すのが禁止されてんのに、かなり禁を破ってるなこのおっさん。
でもまあ、楽しかったって言えば楽しかったかな。最後の最後でやっぱりちゃんと謝って綺麗さっぱり良い人になって別れようとするこのおっさんの意地汚さは流石に引くが、それでも楽しかった。なにせ、小さな頃に裏切られた現実が覆されたのだから。いないと思い知らされたちっちゃいおっさんは、確かに今、ここにいるのだ。僕は間違っていなかった。世界中のどこにでも、小人族はいるのだ。ちっちゃいおっさんは、やっぱり自動販売機の中で頑張っている。それを知れて、よかったと思う。
僕は笑った。心が、とても澄んでいる。
「じゃあね、源五郎丸義経さん」
「おお、元気でやるんやで、雪谷真吾」
おっさんの小さな小さな手と、僕の手が確かな握手を交わす。
そうして、源五郎丸は次の家を探すためにアスファルトを歩き出した。肌色の服を身に纏って腹巻をしていて、髪の毛なんて寂しいかなバーコード禿げで、どこからどう見ても休日の部長さん風のおっさんは、しっかりとした足取りでゆっくりと僕の視界から消えて行く。焦げた髪の毛が空を綺麗に舞っている。やっぱりちいさなおっさんは、そんじょそこらの戦隊モノヒーローよりずっと格好良くて紛れもない正義の味方だった。……いや、正義の味方なのだろうか、この場合。
けど、ちっちゃいおっさんは今、確かに光り輝いて見えるような気がする。
……太陽の光のせいかもしれないけどね。
# # #
自動販売機を見つけたら、少しだけ思い出してください。
その中にいる、ちっちゃいおっさんのことを。
そしてもし時間があるのなら、お金をぶち込む穴からそっと覗いてみてやってください。
たぶん、見れるはずです。面倒臭そうな顔で煙草を吹かす、バーコード禿げのおっさんの姿が。
……いや、信じられないと思いますけど、マジでいますからね、ちっちゃいおっさんは。
それに自動販売機の中だけとは限りません。いろんな所に、ちっちゃいおっさんは潜んでいるのです。
きっと貴方の周りにも、ちっちゃいおっさんはいます。もし出会えたのなら、潰さずに話してみてください。
そこには、すごい世界が広がっているかもしれません。
出会えたそのおっさんが源五郎丸義経ならビンゴ。貴方には、素晴らしい未来が訪れることでしょう。
それでは、貴方の素晴らしい未来を望み、僕はここで退散します――。
……マジだよ、マジでいるからね、ちっちゃいおっさん。
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2005/09/11(Sun)00:00:00 公開 /
神夜
■この作品の著作権は
神夜さんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
――さて、お久しぶりの方はお久しぶり、初めましての方は初めまして、神夜です。
今回の物語はあれです、キレイさっぱり連絡もなく流れてしまった『創作祭』に神夜が投稿した物語なのです。本当はタイトルに「創作祭用作品」てつけて、作者名を「NO NAME」にしてやろうかと思いましたが、そんなことして紅堂さんに注意をされると怖いのでこうして普通に投稿なのです。
しかしよくよく読み返してみても、結局の話はよくこんなもんを投稿したよなあ、と。「魔法が出ていればOK」だったので魔法は出ていますが、これは果たしてファンタジーなのだろうか。そしてこの作品のジャンルは何になる。紅堂さんが認めてくれたのだからひとつはやはり「ファンタジー」として、もうひとつは……やはり「アクション」か。――え?違う?……あ、すいません、どう考えても「ギャグ」ですね、あはは(マテコラ)そういえば創作祭に作品を投稿していた作品の作者、結局二人しかわからなかったなぁ。ていうかこの作品に対して飛び交わされたであろう、批判の声も聞きたかったのですが……そのデータももはや闇に葬られているのだろうか。
さてさて、この馬鹿げた物語、誰かひとりでも楽しんで頂ければ幸いであり、もしよろしければ仮想創作祭風に批判などをしてもらえれば感謝の極みです。
それでは読んでくれてありがとうございました。次回作は長編なのです。