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『カエルの王女様』 作者:羽乃音 / リアル・現代 童話
全角4946文字
容量9892 bytes
原稿用紙約15.65枚

                   


                          カエルの王女様




――空は青く、どこにも雲の陰すら見えない、そんな真夏の午後。
 真夏の陽光は白い校舎をより空間に映えさせ、それによって自分自身の存在を表示していた。
 そんな自分本意な太陽に焼かれながら、僕は自分の家までの道を歩む。
 白のシャツがよく似合うと言われる――これも太陽のせいなのだ――小麦よりやや濃い褐色の肌。人に言わせると「女ったらし」。自分なりには純情なつもりなのだけれど、誰もそんな僕の心を見てはくれない。派手な顔立ちとか、服装のセンスとか、そんなものでしか僕を計ってはくれない周囲の人達がいまいち好きになれなかったりする、そんな僕である。……調子に乗って髪をアッシュに染めたりしたからかな……。
 僕は実際、人にそんな風に言われるほど女の子には縁が無い。だからほら、今日の様に帰り道を一緒に歩く女の子もいないのだ。周りの男友達も今日は皆部活が忙しいらしく、今日に限っては独りで寂しく帰る羽目になった。辛いよぉ、これ。でも部活とか、合わないんだよなぁ、体質的に。
 そんなどうでも良いことを長々考えて落ち込みながら、僕は雑草がアスファルトからがつんがつん飛び出してきているのを横目に、家路を辿る。しかし、家に帰ってからのことを考えて、また落ち込んでしまう。……家に帰るのかぁ……。
 家に帰っても、僕の場合呑気なことを言ってられないのだ。部屋を片付けてくれる母も、金を稼いできてくれる父も、優しい兄も、口うるさい姉も、遊び相手の弟も、ましてや可愛い妹もいない。……困ったことに僕は今独り暮しなのだ。それも全部、教育熱心な母のおかげである。
 母はかつて高校の教師だった。その経験と、築き上げた人脈によって、最高の教育を一人息子である僕に受けさせたい、その一心によって僕は故郷を離れることを余儀なくされ、遠く離れたこの松山市の高校に通わされている。贅沢なことかもしれないが、ちょっとはた迷惑だ。
 ……そんなことを考えている内に、自然とそれに目が行ってしまった。
「ん?」
と声を出してしまったのも、きっと頷いてもらえると思う。誰だってそんなのを見たら、……。
 僕が歩いていた道から入れる空き地。そこに、女の子である。グリーンの、やたら派手なドレスを着た僕と同じ年頃らしい女の子が、……相撲取りが敵に向かっていく時みたいな、つまり手を地面につけて、足を広めに開いて、こっちを見ているのだ。しかも僕が見ているのに気付いたらしく、こちらを見てニコッと微笑んでいる。
 ……変な子だろうか。これは大人に最も近い子供といわれる年代の代表として、大人らしく見てみぬ振りをするのが得策なんだろうか。そうやって醜い大人色に染まって、過去の青春を遠く遥かに眺める人生を歩もうとするべきなのだろうか。そして「あの時のあの少女は、一体何だったのだろう」と死の直前に考えるべきなのか。
 僕は……。
「あなた、私が見えてるんですかぁ?」
「あ、はい」
 僕が何か言う前に、彼女の方が僕に声を掛けてきたので、僕は思わず素直に答えてしまった。ああ、大人の渋い僕が遠ざかっていく……。
「やったぁ! ようやく見つけたぁ」
 なんだかその変なポーズと同じ位言葉遣いも変だ。というか、なんだかとろくさい。天然系というか、男に媚を売るような感じというか。
 僕はなんだかすぐにでもこの場を立ち去らないと骨の髄までしゃぶり尽くされるような気がして、彼女から目をそらし、逃げようとする。
「あぁぁ、待ってくださいよぉ」
と追い縋る――変なポーズのままで――女の子を振り切るように、僕は早足で進む。
 しかし、その足も……あっという間に止められてしまう。
 足元に群がった、無数のカエル達によって。




 ワンルームの、白を基調にした清潔な内装。母の知り合いに紹介してもらった、僕の部屋である。
 しかし普段は清潔感溢れるこの部屋が、今はなんだか湿った連中に埋め尽くされている……。
 緑、茶色、黄色。どでかい奴、ちっちゃい奴、普通の奴。どれにも共通しているのはヌメヌメした肌。
「……で、あんた誰なんだ? 謎のカエル使いか?」
 僕は本心から言った。だってそうだろう。これだけの数のカエルを引き連れた変な女なんて聞いたことが無い。きっと変な子だ。
 ……少女は僕の言葉を思い切り無視して、クーラーの下でウシガエルと涼んでいる。
「おいっ!」
 僕が大きな声で呼ぶと、少女の横にいたウシガエルは物凄い低い声で鳴いた。それを合図に周りにいたほとんどのカエルが鳴き始める。いきなりカエルの大合唱だ。
「……黙らせろ!」
 僕はあとほんの少しで手当たり次第にカエルを血祭りに上げてしまう、そんな精神状態だ。
 僕が言うと、少女はウシガエルよりも大きな音で鳴いた。……げっぷに似た、汚い音が部屋中に響き渡る。それで周りのカエルの鳴き声は収まるが……お前等、近所迷惑だよ……。
「すみません、余りにも暑いものですから、皆ストレスが溜まっちゃってぇ」
「いや、カエルのストレスなんて知らないけどさ。だったらどっかの水辺に連れて行けば良いだろ。それよりも俺に一体何の用があるんだよ、謎のカエル使いに知り合いはいないぞ」
 僕は洗濯機がまだ家に届いていなかった時に、コインランドリ−まで歩いていくのが面倒でわざわざホームセンターで買ってきた、大きなコントで使うような金盥に冷たい水を張る。それをフローリングの上に置いてやると、ザブザブとカエル達が水を溢れさせながら飛び込む。……あぁぁ、後で片付けないと……。
 少女は、自分もその水の中に入ろうとしている。が、僕の変な視線に気付いたらしく、こほんと軽く咳払いをして僕の目を見つめた。
「ええと、何の話でしたっけぇ」
「だから! 俺に何の用なんだよ」
「ああ、その件ですかぁ……。ところでこの部屋、ハエとかいませんかねぇ、イエバエが好みなんですけど」
 僕はもう一度変な、というかこの子はイエバエを食べて生きてるのか、なんていうちょっとした同情心を込めた視線を向けた。今時、もっとまともな食べ物がどこにでも溢れているだろうに。ましてやそんな派手なドレスを着てるのに。そのドレスを売れば良いものが食べられると思うんだけど……。
「あ、申し遅れましたぁ。私、カエルの王女ですぅ」
「……ハァ?」
 僕はとりあえず言っておく。いや、さっきからなんとなくそんな気がしてたんだけど、でもやっぱり言わなきゃいけないお決まりのせりふでしょ?
 ……もう一度僕は彼女を見つめる。
 柔らかそうな茶色の髪はうなじにかかる辺りで軽くくるっと巻き、顔立ちは少女らしさをアピールする様に、目は丸く大きく、鼻はそれほど高くなく可愛らしいという言葉が似合うくらい、唇はしかしどこか大人びた艶のある表情を持っている。その上ポイントは、膝上の丈のドレスから伸びたニーソックスの足……全体的に、……僕の好みなのだ。
「……名前は?」
「あ、リディですぅ」
 僕はその名前を頭の中で強固に記憶回路に叩きこんだ。リディね。
「私はですねぇ……」
 彼女がそのとろくさい口ぶりで語り出したことを要約するとこうだ。なんで要約するかといったら、彼女の言葉でその内容を語らせると原稿用紙が何枚あっても足りないからである。
 



 彼女はカエルの王女として、日本のどこかにあるというカエルの王国を治めていた。陰ながら世界の平和を守っていた彼女だが、ある日……。
「すぐ近くにぃ、蛇さんの王国があるんですよぅ」
 ……なんて防衛面で問題のある王国なんだろう、という突っ込みは置いときつつ。
 蛇といえばカエルの天敵なわけで、その蛇さん達がカエルの王国との間に結んだ条約――年に三百匹の生贄を蛇に与えるという、カエルにしてみればかなり酷な条約――を突如覆し、その有り余った食欲でカエルの国に侵攻し始めたのだということだ。
 もちろん、相手が天敵であろうと条約違反を許すわけには行かず、その上滅びの道を歩むわけにも行かず、リディはカエルの王国の王女として戦った。それは、父である大王アルティルグ二世との約束――アルティルグがリディの夫を探し出し連れてくるまで、王として王国を治め守ること――を守る為であった。
 その為に、蛇を食べる鷹を遥か高山地帯へと訪ねていった王女であるが、その道の途中蛇側の呪術師の手に掛かり、人間に姿を変えられてしまったのだそうだ。
「こんな姿で鷹さんに助けを求めるわけにもいかないし……困ってるんですぅ」
 しかも人間の姿をしている訳だが、しかし人間の中でも純粋な心を持った人間にしか彼女の姿は見えないのだそうだ。それであの空き地で変な格好で居た訳だ。



「どうか力になってくれませんかぁ? ソンウンさん」
「ソンウン?」
 僕の名前は一ノ宮なのだが。
「ええ、表札にそう」
「むーらーくーも! そんな主婦が喜びそうな韓流な名前じゃないっての!」
 村雲という僕の名をそう読んだのか。もちろんカエルなのになんで文字が読めるのかとかいう突っ込みも置いておくべきだ。
 しかし……話を聞いて思ったのが、何故そんなことで悩む必要があるのか、ということだった。蛇を駆除すれば良いんだろ?
「……蛇をやっつければ良いわけだろ、簡単じゃん」
「え?」
 リディが小さく驚きの声をあげる。それに合わせてまたウシガエルがげふぅ、と鳴く。うるさいっつの。
「保健所に頼めば良いんじゃないの?」
 そう言いながら僕は携帯の104のボタンを押し、「松原保健所」と言った。そして機械の音声を聞きながらメモをとる。そしてその番号に掛けなおす。
「あ、もしもし? 一ノ宮といいますけど、最近東松原の林の中に入ってみたんですけど、なんか凄い数の蛇がいたんですよ。……ええ、アオダイショウとかだったらいいんですけどね、中にマムシとかも混ざっていたんです。危ないですよね、近くに住宅地もあるわけですから……ええ、ええ、……そうですか、ありがとうございます! それでは失礼しますぅ」
 ……終わった。僕に出来ることは終わった。燃え尽きたぜ……。
「……終わりですか?」
「うん、近い内に駆除されるって」
 僕がそう言うと、部屋中のカエル達がげこげこ、げふげふ、くえくえと鳴く。だから……、まあいいか。
「それより……どこかに不潔な家ってありませんかね? 皆お腹を空かせてるんですけど」
「あぁ、上林さんの家からよく食べ頃の虫が飛び出してるよ。隣の部屋なんだけど」
「あ、じゃあそこに行こうか、皆」
 リディがそう言うと、またカエル達がげこげこ、げふげふ、くえくえと鳴く。……もう諦めたよ。



「じゃあね、元気でな」
 いつの間にか、陽射しは西に随分と傾き、しかし外の暑さは変わらずそこにあった。
 一足先に上林さんの部屋をジャックして腹を膨らませているカエル達を横目に、僕はリディに声を掛ける。
「ええ、村雲さんもぉ元気でぇ」
 僕は西日に照らされる王女が僕を見上げる視線にドギマギしながらも、しかしやはり訪れてしまった別れの時に少し悔やんでいた。なんならもうちょっと、シリアスな協力の仕方をしてやればよかったか、と。毒蛇の牙をかいくぐり、大蛇に体を締め付けられ、それでも村雲は諦めず、とか、ねぇ。
 そこで僕の脳裏にふとした疑問が過る。
「あれ、そういえばリディってどうやってカエルに戻るの?」
 リディもその事実を思い出した様で、しかし慌てることもなく、僅かに頬を赤らめた。……不思議に彼女の瞳が潤んでいるような気がする。
「それは……、こうすればいいんですよ」
 

 僕の唇に、柔らかな羽毛にも似た感触が、一瞬だけ、僕の全身の感覚のどれよりも僕に響き、そして離れた。


 思わず目を閉じた僕のまぶたが開いた時、……そこには、


 物凄いでっぷりと太ったウシガエルがげふぅ、と鳴きながら僕を見上げていた。
 それを見て僕は思う。
 


 ……なんか、ロマンチックじゃねえな……。








                        終
2005/09/06(Tue)17:14:57 公開 / 羽乃音
■この作品の著作権は羽乃音さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 初めまして、羽乃音(はのね)と申します。何卒よろしくお願いします。拙作ではありますが、ほんの少しでもお楽しみ頂けたら本当にうれしく思います。
 それではお読みいただきありがとうございました。できましたら感想をお聞かせください。
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