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『彼女は悩んでいる。』 作者:もろQ / リアル・現代 恋愛小説
全角3060文字
容量6120 bytes
原稿用紙約8.1 枚
 彼女はよく色々悩んでいる。友達の事から、仕事の事、将来の事、果ては人間の生死についてなんかも、色々悩んでいる。時と場所を問わず、色々な所で色々悩んでいる。僕はただ、なんとなく面白いなーと思って、くっついて歩く。

 彼女の眉間におけるしわの寄せ方はすごい。なんと言うか、ギューッとなって、柔軟で、それでいてスキがないって言うか、とにかくすごい。何か突然そこに新たな生命体が産まれたみたいな。ビジュアル的には。
 あんまりすごいから、一度だけ指摘してみた。そしたら彼女、自慢げな顔して「これは苦悩の証。長年の悩みの勲章みたいなものよ」って言った。悩みの勲章って、そんなえばって言えるようなもんじゃないじゃないか。と僕が笑うと、彼女も照れくさそうに笑った。そしてまた眉間にしわを作る。

 彼女は小さい頃からチャレンジャーだった。子供の頃には女優を目指し、中学校でテニスにハマり、医学関係の高校でなぜか翻訳家を夢見た。本格的な英語の勉強をするためなんとアメリカへ渡航。しかし3ヶ月で断念し、そのまま普通に帰国。その後大学にも行かず、喫茶店、運送業、ピザ屋、書店、魚屋など計15ものアルバイトを経験し、そして現在は小さな楽器店で働いている。
 読んでてワケが分からないだろうが、その人物を実際目の当たりにしている僕でもワケが分からないのだから、無理もない。どうやらこの好奇心旺盛な性格に両親も愛想を尽かし、ついこの前まで音信不通だったらしい。まあこれだけ豊富な人生経験をしているからこそ、悩みの種も尽きないのだ。「あの時は……」とか、「あの仕事場が……」とか色々比較しながら色々悩んでいるのだ。これだけ豊富な人生経験をしているからこそ、僕も話を聞いていて楽しい。

 彼女と僕は、今日も近くのファミレスで落ち合う。お互い仕事があるから、どうしても夜遅くになってしまうが、それでも僕らは毎日のようにファミレスのドアをくぐる。
 たいてい僕が先に席に座っている。しばらくして彼女がやって来る。楽器店で働いているからか、たまにギターとかサックスとかを持ってきたりする。弾いてみて、と何度かお願いしてみたが、ことごとく断られた。
 席に着くなり彼女は悩みを打ち明ける。突拍子もない悩みをいきなり聞かされるので、長年一緒にいる僕でもたまに驚く。例えば、100円玉のどっちが表でどっちが裏だったかみたいなどうでもいい事を考えていたら、突然「救急車を有料化するか否か」というなんとも堅苦しい議論に、一方的にすり替えられてしまう。でも、救急車の方が100円よりよっぽど面白そうなので、僕は黙って彼女の話を聞く。カラン、ドアのカウベルが音を立てる。さて、今日はどんな悩みを持ち出して来るやら。

 彼女は別に答えを望んではいない。ただ単に苦悩の時間を楽しんでいるだけなのだ。でなかったら、あそこまで僕の答えに反発したりしない。耳を貸さなかったりもしない。苦悩する事で、彼女は一種の快楽を得ているのだろうと思う。悩む事が楽しいという。ゴールのない迷路をひたすら進んでいる。僕にはその楽しさはいまいち分からないが、それでも、彼女が楽しいというなら僕は一向に構わない。僕はただ、なんとなく面白いなーと思って、くっついて歩いている。

 彼女が悩みを打ち明ける相手は、どうやら僕一人らしい。昔はバイト仲間とかとも色々話したらしいが、回を重ねるごとに相手が辛い顔をしていくのだと言う。極端に言えば、口に出す悩みなんて愚痴の一環みたいなものだから、中にはそれが重いと感じる人もいるのだろう。とにかく、悩みをぶつける相手がついにいなくなった彼女は、しばらくあてを探してウロウロしていたらしい。そこで、ちょうど僕に出会った。
 実際僕も最初は変な人だなあとは思った。しかし、彼女の「悩み癖」というものには、別段嫌悪感を抱かなかったのを覚えている。むしろ、それについては興味すらあった。彼女も僕の事を「いいカモだ」みたいに思ったのだろう。
 でも、よく考えたら、本来いろんな人に配られるはずである彼女の悩みは、全部僕の所にやってきている。全部、全部。ちょっと気が引き締まる。

 彼女も、風邪を引いたりする。春先がどうも苦手で、3月から4月にかけてやたら具合を悪くする。彼女は嫌がるが、一応看病をしにいく。そういう僕も、この季節は毎年のように花粉症にかかり、「鼻水カップル」と言ってふたりでバカ笑いしたりもする。
 そして、そういう時でも彼女は悩んでいる。少し安静にしてたらいいのに、と思うのだが、もう悩む事が習慣みたいになってしまっていて、具合が悪い時にはやらないなんていう器用な事はできないらしいのだ。仕方がないので僕も付き合ってやる。部屋の中にふたりっきりで、鼻をズーズーやって、目をウルウルさせて、「あー」とか「うー」とかいいながらやたらこむずかしい議論を繰り広げる。はたから見たらなんとも不思議な空間である。でも、楽しいのだから仕方ない。たとえ風邪をひいていても、いつものように彼女の眉間には悩みの証が刻み込まれる。

 
 彼女が泣いた事がある。何かと他人から「重い、辛い」と言われる彼女が、「辛い」と言って泣いた。それまで連絡の途絶えていた彼女の両親から、突然電話がかかってきたのだという。僕はどうする事もできず、ただ涙を流す彼女を黙って見ているしかできなかった。
 私たちは、お前をそんな風に育ててやった覚えはない。私たちが送ってやった金もアメリカで無駄にし、趣味もころころ変えて、本当に情けない娘だと思っている。どうせろくな人生を送れないのだから、話を聞いたってしょうがない。そう思い、しばらく連絡を取らないでいた。そんな調子ではこの先もおそらく大した人生を送れないだろう。私たちはもう、お前と一切干渉をしあわない事にした。それでは、体くらいは大事にしなさい。
 彼女の苦悩は、彼女の今までの人生があって初めて存在した。その多種多様な人生と、どこへ行っても柔軟な心がなければ、彼女はなんの悩みも持たずここまでやってきていただろう。彼女が心から楽しんだ悩みを、人生を、こんなにも冷ややかに侮蔑された彼女は、どんなに悲しいのだろうか。ゴールのない永遠に続くこの迷路を、こんなにもあっけなく壊された彼女は、どんなに辛いのだろうか。
 僕には分からなかった。ただ、目の前で俯いて涙を流す彼女を、一瞬でもいいから守ってあげたいと思った。僕にはそれしかできなかった。耳にかかる長い髪をそっと指でなぞった。目の前の一人にしか聞こえないような声で、たった一言、「大丈夫」とだけ呟いた。それしかできなかった。

 彼女が楽しいなら、僕も楽しい。彼女が悩むのなら、僕も同等に悩んだ。あなたがいなかったら、僕はこんなに悩まなかった。あなたの人生は、僕という存在をも巻き込んで、少しずつ、少しずつ大きくなっている。それは、僕の人生なんかより明らかに幸せな人生だと思う。あなたの幸せな人生が、もっと大きく、もっと幸せなものになってくれる事を、心から祈っている。

 彼女はよく色々悩んでいる。友達の事から、仕事の事、将来の事、果ては人間の生死についてなんかも、色々悩んでいる。時と場所を問わず、色々な所で色々悩んでいる。僕はただ、なんとなく面白いなーと思って、くっついて歩く。
 カラン。今日も彼女は、ドアのカウベルを鳴らして僕の元にやってきた。窓に映った「悩みの勲章」は、いつもより輝いて見える。
2005/09/01(Thu)23:09:58 公開 / もろQ
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■作者からのメッセージ
もろQ復活第1弾。がめったに書かない恋愛モノ。まだ体がなまってる感が……。あと、初めてタイトルに「。」が付きました
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