- 『夏の一日 【読みきり】』 作者:いみや / 未分類 未分類
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贅沢だ。
外では蝉の大合唱がクライマックスを迎えている。とは言えども彼らは常にクライマックス、フォルテッシモ。強弱という言葉なんか知らないのだろう。きっとそのうちふっと鳴きやむのだろうけど、また最上級に嫌がらせしてくるに違いないのだ。でもどうせ彼らは短い命なのだから、少し我慢しておこう。
薄いカーテンの向こうには刺すような強い太陽光。開けたくもない。ちょっとおすそ分け程度にあればいい。昨日の晩にニュースでやっていたが、日陰にいても熱中症者がでるというのは本当だろうか。だとしたら、一歩外に出れば放置されたアイスクリームのごとく、やる気ごと溶け出してしまうだろう。
そんなところにくらべたら、ここは天国。雲泥の差。クーラーは二十四度に設定され、扇風機がうなる。二酸化炭素削減、なんて言葉も、扇風機の風に乗ってどこへやら。寒いくらいにがんがんに冷え切った部屋。
畳の上にひかれた万年床に寝転がりながら薄手のタオルケットを肩までかぶる。贅沢だ。最高の贅沢。息を吸うと、すっと澄み冷えた空気が肺に心地よい。はみ出た足の先が冷えていくが、悪い感じはしない。タオルケットの感触が肌にやさしい。もうすぐ、おそらく足首やらふくらはぎがクーラーにやられて痛むだろうが、今はそんなこと考えちゃいけない。
少し唸って、大の字になって伸びをした。伸びきった左手に、百円均一でいつぞかに買った蛍光色の灰皿があたる。ダルさを跳ね除けながらのっそり起きて、足元のちゃぶ台に手を伸ばす。今にも落ちそうな感じで置かれていたフィリップモリスの箱から、タバコを一本抜き出す。残り三本。また買ってこなければ、という思いと、財布の中との相談が脳内で一瞬行われたが、結局自分の欲が買った。めんどうだから、十箱入りを買ってこよう。
口にタバコをくわえ、コンビニでおまけに貰ったライターで火をつける。オイルが少ないらしく、三回擦ることでやっと火がついた。軽く油の臭いがする。すっとタバコを吸ってから、口を「W」の発音のようにひらけると、白い輪ができた。そういえばこんなこと、何年ぶりだろう。高校生の頃、内緒で友達の家で二人で吸った以来か。あの時は妙などきどきを覚えて、一気に自分が大人に思えたが、同時に子供じみてもいるような気がしたのを、鮮明に覚えている。そんなことだけが学生時代の思い出として、なぜか頭に残っている。あの時習った化学のモル計算やら数学の二次関数なんて、頭の片隅にもないのに。
タバコの灰を一度灰皿に落としてから口にもう一度くわえる。こないだやっとオークションで何とか安値で落とせたCDラジカセ(それでも結構古い型)に、中古屋で買った聞いたことも無いアーティストのCDを入れた。きゅっと軽快にCDが中で回り、ディスプレイに曲数と時間が表示される。アルバムでもなんでもない、250円均一のコーナーで買ったそのCDは、比較的少ない数字が並んだ。
右向きの矢印、再生ボタンを中指で押す。だがタッチが軽すぎたようで、ラジカセは何も動かなかった。もう一度、中指でしっかりとボタンを押した。
一曲目は、寂しげなギターのイントロから始まった。そしてボーカルが歌いだす。まっすぐに手を伸ばし、ラジカセの四角い停止ボタンを押した。CDケースを開いて、人差し指と親指でラジカセからCDを取り出し、閉まった。鼻から曲調や声が何だか好きになれない。第一印象と、それ以降の印象が変わったことはなかった。いつでも直感を大事にして生きている。今のガールフレンドだってそうだった。これは良い例であるけれど、直感的に恋した。いい年して、こんなこというのも少し恥ずかしいけど。
一旦タバコを灰皿に置き、プラスチックのCDラックからお気に入りのアルバムを取り出した。このグループに五年程前にハマって、それ以降全てCDは買っている。これもそんなに新しいものではないが、何か心に引っかかるものがあった。彼女も気に入ってくれたらしく、何枚か貸した。そのうちの三枚ほど、何故か返ってきていないのだが、まあ彼女の笑顔に免ずるとして、いいとしておこう。本当はちょっと返して欲しいけど。
そういえば、もう彼女と一週間ほど会っていない。大概週に二回ほどのペースで会っているのだが。でも会ったら会ったでこないだ借りた二千円を返さなければ。
窓の外、蝉の羽音に交じるようにホンダ車のミドル・キーのエンジン音が聞こえた。それはもう耳に馴染んでいる音だった。反射的に身体を起こし、簡単に布団をたたんだ。普段なら角と角をきっちり合わすはずなのだが、今はそんな余裕はない。車のドアをロックする音、続いて鍵が触れ合う金属音。押入れに布団を突っ込んで、無理やり閉める。その後部屋を見回し、昨日の晩に夜食で食べたカップラーメンを隣の部屋のキッチンに流し、捨てた。その他のごみも燃える燃えない関係なしに(本当はここの地区は分別に煩いのだが)ごみ袋に投げ捨てる。そのごみ袋はとりあえずベランダに放った。持っている中でも比較的フルーティーな香水を二、三回部屋にふる。
安っぽいチャイムが部屋中に響く。来た。そういや、一昨日くらいに「家に行く」と彼女からメールがきていた。どうしよう、返信したっけ。まあいいや。
適当な映画雑誌を片手に、ラブソングがBGM。いかにも「待ってたよ」とでも言うような顔で出迎えよう。
そして、ドアのロックをはずし、開ける。想像どおり、彼女ははにかんだ笑顔でそこにいた。待ってたよ、と言おうとしたが、彼女の視線は部屋の中の一点を探るように見、笑顔がすっと消える。その先を見ると、灰皿一杯の吸殻に、タバコとライター。
しまった、こないだ禁煙したって嘘ついたんだった。嫌煙家の彼女はあまりに厳しく咎めるので、とっさにそう言ったのだ。その場では彼女は納得したようだったが……。
「昨日、友達が来てたんだ。それで」
彼女は笑顔で深く頷き、もう一度、灰皿を指差す。そこには、吸いかけの火のついたタバコが、ゆらゆら白い煙をあげている。
どうしよう。
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2005/08/09(Tue)14:53:50 公開 / いみや
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■作者からのメッセージ
すみません、連載も途中でほっぽってます…。
ちょっと生活がごたごたしてネット環境がよくないのと、文が書けなくなってきています…。
ちょっと練習兼ねて落ちもない短いものを書いてみました。
できるだけ、物でこの人の性格を語ってみる、というのを前提に何気ない短い時間を書いたつもりです。