- 『プラネタリウム』 作者:南城 / ショート*2 ショート*2
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原稿用紙約6.15枚
夜空が好きだと言った君は、それなのに本物の夜空を見たことがなかった。
そんなこと、もう今となっては当たり前かもしれない。
夜の街はあまりに明るすぎて、騒がしすぎて、何億光年もかけてようやく地球に到達する小さく、ささやかで、儚すぎる光を潰してしまう。
「あれがねぇ、シリウス」
僕らが住む街から、ずいぶん離れた郊外。そこにぽつねんとある、来月取り壊しが決まった科学博物館のプラネタリウムでは、最後の投影会が行われていた。
還暦をとうの昔に過ぎた老いぼれ館長は、最後の観客である僕らのために、たった2人きりの学生のために、その壊れかけた体を酷使して、今、投影室で何十年も連れ添った機械を操作している。
君は藍色のドームに散りばめられた星のひとつを指差して、僕に笑いかけた。
僕は曖昧に頷き、「分かってる」と小さく呟いた。
君は僕の呟きを耳にすると少し驚いた顔をして、それからくすりと笑った。
「うそつけ。全然分かってないくせに」
その通りだった。僕は星のことなんか何一つ分からない。
こうして小学生の頃から足繁くこの科学博物館に通って、ここの来る度に、たった百円のプラネタリウムを見てきたのに、何一つ分からない。
なぜって、君が教えてくれるから。
いつからか、機械が壊れてしまって、ドームに投影される星の動きとともに解説を読み上げる女性の声はなくなった。
それから君は、女性の代わりに、僕の隣で、時にはマイクを使って、映し出される虚像の星の解説をする。
誰に頼まれるでもなく、君が進んで始めたことだ。
「あーあー、もう疲れたよ」
君はスプリングが壊れた、色褪せたて所々白く剥げている紺色のカバーの、座るたびにきしきしと音を立てる椅子に深く体を預け、背伸びをした。
「何に」
僕は聞く。君をちらりと横目で僕を見て、そして空に視線を戻した。
「別に、ただ、なんとなく。終わるんだなって」
そうだ、終わってしまう。
君と築き上げた思い出の礎となるこの場所が、もう潰される。壊される。
来年の春には、この場所には高い高い、とても高いマンションが建つそうだ。マンションの前には小さな公園を作って、憩いの場とする。
来年の春には、この場所で誰かが新しい生活を始め、今ではこんなにも静かで活気のない閑散としたこの場所が、人々の笑い声に溢れる。
そして、僕たち、ここにはいない。
君は天文台に勤めたい。だから、とても遠い、夜になれば辺りは暗くなり、星が見え、都会の喧騒とはかけ離れた土地にある大学へ行く。
僕は、僕は――おそらく、停電にでもならなければ星なんか見えやしないこの街に残る。
「南の空をご覧下さい」
君が言った。紺色の空間に、一筋に線が流れ、消えた。
「見えましたか。流れ星です」
流れ星は、小さな砂粒が地球の大気に突入して輝くものです。彗星の尾の残骸が地球に降り注ぐと大量に出現します――。
「星のなれ果てとも言える流れ星に、あなたは何をお願いしますか」
君はあの女性が語っていたナレーションを一字一句間違えずに、空で言える。
「何をお願いしますか?」
君は僕に笑いかけて、もう一度聞いた。
「……そうだな」
今まで一度も、映し出される流れ星に願ったことはなかった。
叶うはずがないと分かっていたからかもしれないし、何を願えばいいのか分からなかったからかもしれない。
君はずいぶん前に、同じ質問をした。僕は悩んだきり、結局答えはでなかった。
「おいおい、今のうちに願い事を考えておいた方がいいって。本当に一瞬しかないんだぞ。見つけてからあーだこーだ考えても遅いんだから」
君は呆れたようにそう言ったけれど、どうでもいいような願い事ばかりが浮かんで、こんな巨大な宇宙を前にしたら、とてもじゃないが祈ってられないと思う。この考えは、今でも変わらない。
それに、きっと、僕一人が空を見上げて、運良く流れ星を視界の端に捉えたとしても、それを流れ星だと分からない。
君にばかり頼ってしまって、自分では何も知ろうとはしなかったからだ。
僕はこれからも、この街で生きるだろう。
君は星の見える、別の町で生きるだろう。
また2人がこうやって、空を見上げることは、もうない。
そんなことを思い、僕は苦笑した。
「そうだなぁ」
靄のように掴みきれなかった願い事が形になりつつある。
しかし、君はすでに僕の答えなどは聞いておらず、季節の経過と共に変化する天井に見入っている。
ただのプラネタリウムの流れ星に、願いを叶える力はないだろう。
それでも僕は、とりあえず頼んでみよう。
「――なぁ、もう一回、見せてもらえないかな?」
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■作者からのメッセージ
初めまして。
若輩者ですが、皆さんの意見・批判を聞かせていただきたいと思います。
高校三年生の夏、という設定です。