- 『哀愁のロックミュージシャン』 作者:時貞 / ショート*2 ショート*2
-
全角2215.5文字
容量4431 bytes
原稿用紙約6.3枚
午後八時、俺は敷きっぱなしの布団からむっくりと起き上がった。
今夜もどうやら熱帯夜になりそうだ。寝巻き代わりのティーシャツが、汗でぴったりと背中にくっついている。俺は布団の上で大きく伸びをすると、少し重い瞼をごしごしと手でこすった。微妙に腰が痛む。俺ももう若くはないんだな、なんて漠然と思い、思わず口元に苦笑が浮かんだ。
ティーシャツとトランクスを脱ぎ捨て、全身に冷たいシャワーを浴びる。体と頭の中が徐々にクールダウンし、気分が浮き足立ってくる。外は相当蒸し暑いだろうが、今夜も最高のパフォーマンスが出来そうだ。
シャワーを浴び終わった俺は、洗いざらしのリーバイスに脚をとおし、ジョー・ストラマーの顔がプリントされた黒いティーシャツを着た。左手にリストバンドを嵌め、暑いのを承知でニットキャップを目深に被る。鏡の前で軽く全身をチェックすると、立てかけたままのギターケースを引っ掴んで玄関に向かった。
ショートブーツを履いて外に飛び出すと、むわっと生暖かい空気が全身を包み込んだ。俺は、ジーンズのポケットからジッポと皺くちゃになったマルボロを取り出すと、一本抜き出し口に咥えた。愛用のヴェスパに跨り、曲がった煙草に火を点ける。一口大きく吸い込んでから、勢い良くヴェスパを発進させた。
甲州街道を通り、新宿方面へとヴェスパを走らせる。蒸し蒸しと肌にまとわりつくようだった風が、だんだんと心地よい涼しさを伴ってくる。俺は軽く口笛を吹きながら、更にスピードを上げた。ノーヘルでのスピードオーバー、取締りが怖くないと言えば嘘になるが、俺は根っからのロックンローラーだ。警察ごときにいちいちびくついていたんじゃあ、この俺の名がすたる。今はまだまだ無名のストリートミュージシャンだが、いつの日にかアメリカへ渡って、世界に名だたるロックスターになってやるのだ。
新宿に到着した俺は、いつも駐輪に使っている雑居ビルの裏にヴェスパを止めると、ギターケースを担いで歩き始めた。今は午後九時三十分。新宿はまだまだ多くの人々がひしめきあっている。俺はいつものステージである新宿駅のガード下に向かう前に、馴染みのコンビニに立ち寄った。新しいマルボロを二箱と、缶ビールの五百ミリ缶を一本買う。カチンと心地よい音を立ててプルトップを開けると、冷たいビールをぐいぐい喉に流し込んだ。
「――ふぅ、うめえ」
俺は一息にビールを流し込むと、空き缶をぐしゃりと握りつぶし、ダストボックスに勢い良く放り込んだ。真っ黒な野良猫が驚いて、逆毛を立てて走り去っていく。
あまり酒が強くない俺は、すでに上機嫌でふわふわとした足取りになっている。ストリートライブの前としては絶好のコンディションだが、ロックミュージシャンというもの、もっとアルコールに強くなっておかなきゃな、と思う。
新宿駅のガード下に着くと、既にニ、三人のストリートミュージシャンがアコースティックギターをかき鳴らし、大声でシャウトしていた。俺と目が合うと、ライブを続けながらも軽く会釈をしてくる。俺も彼らにうなずき返し、いつものお決まりの場所に腰をおろした。
咥え煙草に火を点けると、ギターケースから愛用のアコースティックギターを取り出した。ネットオークションで何とか競り落とした、年代物の名器である。しばらくの間行き交う人々を眺めていた俺は、短くなったマルボロをブーツの底で踏み消すと、ギターを提げておもむろに立ち上がった。
簡単にチューニングを合せ終えると、夜の空気を軽く吸い込んだ。さぁ、ライブのはじまりだ!
俺はまず、スローテンポのブルースを爪弾きはじめる。今日は一段と、渋いトーンが流れ出てくる。俺は目を瞑りながら、哀愁漂うブルースのスタンダードナンバーを歌い始めた。
長いブルースを弾き終え、次はキャッチーなロックナンバーを、俺なりのアレンジで弾き始める。立ち止まっては、俺のギターを聞き入る人々が徐々に増えてくる。俺は汗まみれになりながらギターをかき鳴らし、大声で歌い続けた。
今夜の俺はかなりノっている。ギターは俺の感情そのままに、自在な音色を弾き出してくれている。いつも以上に声の調子も良い。俺は激しいオリジナルナンバーを歌い終えると、聴いてくれていた人たちに大きく腕を振り上げて見せた。嬉しい拍手が沸き起こる。この瞬間がたまらないのだ……。
ライブ開始当初は男ばかりが聴いてくれていたのだが、少しずつ派手な服装とメイクの女の子たちも集まり始めた。絶好調の俺は、俺を囲むようにして聴いてくれている人たちに向かって、次の曲を紹介し始める。
「……えー、どうも。じゃあ次の曲は……」
そのときだった――。
突如一人の少女が、目を大きく見開いて歩み寄ってきた。
「おじいちゃん! まったくもう、何やってんの! またこんなところに居るのがお母さんにバレたら、今度こそ本当に老人ホームに入れられちゃうよ!」
メイクが濃くて最初は誰だかわからなかったが、どうやら孫の亜理紗がいつの間にか来ていたようだ。
俺は構わず歌いだそうとしたが、亜理紗に強引に腕を取られてしまった。
その手を振り払おうとしたはずみに、思わずニットキャップが頭からずり落ちる。
黒いニットキャップの内側に張り付いていた一本の白髪が、夏の夜風にさらわれてふわりと舞い上がった……。
哀愁のロックミュージシャン――。
了
-
2005/07/27(Wed)14:42:58 公開 / 時貞
■この作品の著作権は時貞さんにあります。無断転載は禁止です。
-
■作者からのメッセージ
お読みくださりまして、誠に有難う御座います。現在連載中の物があるのですが、そちらが早くも行き詰まってしまったため、皆様に習ってSSを書いてみました。短くまとめるのも難しいものですね。と言っても、まったくまとめられていないのかも知れませんが(汗)
まだまだ未熟者ですので、皆様からのご意見やアドバイスを心よりお待ちしております。