- 『【抒情詩】読みきり』 作者:京雅 / ショート*2 ショート*2
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原稿用紙約13.7枚
【抒情詩】
真っ白な部屋の真っ白な机に真っ白な箱が置かれている。
わたしの記憶に間違いが無ければ、この清潔感漂う個性に欠けた部屋はわたしの仕事場兼寝室であるし、目の前で踏ん反り返った机は二年前に高校時代の先輩から騙されて買った物だ。並の記憶力を得ていないのではないかと最近考え始めているわたしは、面倒ながらもその記憶を引っ張り出し苦虫を噛み潰して――箱に意識を遣る。
徐に箱を持ち上げて、本当に目当の物が入っているのか確かめた。重みはある。何とはなく己の感覚を疑ってみて、若しこの中に戦国物の漫画等で能く見る落武者の首が息を潜めていたらどうしよう、と要らぬ愚考をはたらかせた。まさかそんなはずは無かろう、否、あの電器屋の田中さんなら遣りかねないのではないかと上滑な思考は加速度を増して歯止めが利かなくなる。
莫迦莫迦しいので、わたしは一先ず箱を開けた。
――ワープロ。
昔から使っていた物を愛猫のミケが踏み砕いてしまったため、知り合いの電器屋――伊藤君。田中さんはその上司――に頼んで、古い機種を安く売って戴いたという経緯がそこには在った。勿論ミケは責めない。居間に置き放しにしておいたわたしの責任であり、ミケの体重が五キロ一寸もある事実は闇に葬り去られている。
みゃぁみゃぁ。
可愛らしい鳴き声が聴こえてふと時計を見ると、ちょうど十三時を差していた。
昼御飯の時間だ。わたしは愛猫を撫でて缶詰を開けてやると、物凄い勢いでキャットフードを頬張ってゆく姿に暫し見惚れた。我慢出来なくなって、シーチキンの缶詰を取り出し一緒に食べる。どちらが旨いのだろうとは考えなかった。
ミケはデブではない。
脂肪を巧く燃焼出来ない可哀相な女の子なのだ。
物書きの仕事をし始めて既に三年は経ったか――食後のミルクセーキを飲みながら壁に掛けられたカレンダーに視線を投げた。
思考が横道に逸れがちなわたしは、梅雨の来訪が遅かった事を思い出し幾分か苛立つ。七月も中頃を過ぎれば流石に夏という季節を感じずにはいられない。それはそれで年中長袖を着通してやろう主義のわたしにつらい現実を突きつける。
夏場、冷却器は常に稼動し続けていた。地球温暖化に拍車をかけているわたしをどうか許してほしい。家屋に居座る限り長袖なわたしを優しく見守ってほしい。
暑いのは苦手なのだ。仕方の無い事であろう。
ミケが脚に擦り寄ってきた。にゃぅみゃぁう。満腹感に酔いしれているのかいつもの倍は幸せそうに頬を寄せる。わたしは思わずミケをひょいと持ち上げて胸に抱き寄せた。重いのはこの際気にしない、可愛いものは可愛い。
ミケを見ていると猫が登場する物が書きたくなる。茶と黒と白の三毛猫、一寸デブで――違う違う、一寸ぽっちゃりしていて、物語を彩るとまではいかなくとも読者の心を掴む一つのエッセンスとして機能させてみよう。立場としては主人公の飼い猫か御近所を渡り歩くノラ、無論ミケを想像して描く。よし、次の連載物に出してみるか。
「ねえミケ、あなたも出演したいよね?」
みゃぁ……。
ミケは乗り気じゃなかった。
真っ白な部屋の真っ白な机に向かっているわたしはしがない物書きである。
本来は異世界を舞台にした冒険活劇を書きたい、と強く願う物書きだ。
想像力が欠如しているのか文章力が足りていないのか素の才が無いのかは未知数であるが、どうにも異世界ファンタジーに手を出すとひとりよがりの物が書き上がってしまう。仕方無く純愛や愛憎を主軸に置いた物を書いて細細と生きている。
書き上げてゆくうちに己を極め異なる世界の物語を紡げるようになればよいと思う。
今は兎に角書く事が大切だ。
書き物をしたいと思う理由は何なのか、実は能く解っていなかった。小さな頃は画家になりたいと願っていた気もする。小学生の図書の時間とやらで図書室の隅の方にあった長編小説を手に取った時から、文字の世界という魅力に浸り始めたのかもしれない。もう何年も前の事だから記憶が曖昧だ。わたしは物覚えが良くないのだから。
ワープロの画面に映し出された言葉の羅列を目で追う。
昨日はこれでよいと踏んでいたが綻びを見つけてしまった。読み直せば読み直す程に己への自信が脱け出てゆく――あっ、誤字を発見。わたしは肩まで伸びた黒髪を掻き揚げながら優雅にそして大仰にバックスペースキーを押した。
間違えて一行丸丸消してしまい、目に溜まる涙が熱い。
わたしはうんと背伸びをすると、連載の最終話を書き直し始めた。
『夕陽に背を向けてジョナサンはその場を立ち去った』
最後の一行をじっと見つめるわたしは、世間の皆様に猫背と能く言われる。
しかしうちのミケは簾を敷いた床に寝そべっている事の方が多い。事によると仰向けになって不可思議な寝言を漏らす。時折「エビシューマイ」と言っているように聴こえるのだからわたしは聴覚に障害を負っている可能性もある。
エビ、エビ――わたしは世間の皆様にエビ背と呼ばれる日が近い事を悟った。
エビ背なわたしは画面を睨みつけ、そこに相応しい言葉を置こうと模索している。
『夕陽を一瞥して、ジョナサンは寂寞の想いに駆られた』
何か違う。
『夕陽に照らされた霞雲に、いつかのアンドリューを思い出した』
これも一寸……。
『夕陽はジョナサンと浩太郎の視線を受け止めたまま、ゆっくりと沈んでいった』
どうしても納得出来ない。夕陽に固執し過ぎている感じもする。
みゃぁみゃぁ――ミケが呼んでいる。
慌てて時計を確認してみると既に十九時を回っていた。晩御飯の時間である。集中していると時間に置いていかれてしまうから怖い。三度の飯だけは規則正しく摂りたいと豪語するわたしは、数時間の頑張りを上書き保存してワープロを閉じた。
ジョナサン・キュート・トランポリン。
恋愛小説の主人公に何故その名前を抜擢したのか、己を顧みても謎は深まるばかりだ。
書き物をしていて肩が凝ると言う事は日常茶飯事だ。
書き物は感性のまま書くと統制に欠けてしまう。誤字脱字も自ずから増える。何より相手に伝えたい事伝わってほしい物の伝達に滞りが生まれると思う。物語性を重視するにしてもメッセージ性を重視するにしても、全ては己の中に凝る想いを顕現した物である事には変わらないのだから、それが巧く伝わらないとなると死活問題であろう。
故に舵をとらなければならない。これが至極肩の凝る作業である。
例えば物語の一章を書き上げる頃には、わたしの肩に悪霊が憑いてしまっている。
わたしの家に神棚は無い。御守も持っていない。悪霊の襲来は避けられないのだ。
食べても食べても痩せ過ぎと評判のわたしは、ストレス発散のために冷蔵庫に隠してあるデザートを満腹になるまで食べる。
コンビニエンスストアのデザートを莫迦にしてはいけない。嗜好と合う品は安い割に旨く感じ、あっという間にわたしにとり憑いた悪霊を追い払ってくれる。
最近の御奨めは夏ミカンプリン――蕩ける味わいは絶品だ。
「美味しかったぁ……ミぃケ、あなたも何か食べる?」
にゃふぅん。ミケは嬉しそうに猫缶を指差した。
ミケはデザートよりも主食派であるらしい。
わたしは真っ白な部屋の真っ白な机に向かって、画面と睨めっこを開始した。
偶に、全く書けなくなってしまう時がある。
周期的に訪れるそいつを、わたし達物書きの間ではスランプと呼んでいる。
頭の中に創造した異なる世界を、文字と言う媒体に書き表そうとしても色色な要因が邪魔をして巧くいかない。読み手と書き手はイコールではないから、わたしの伝えたい言葉と相手の読み取った言葉にすれ違いが生じてしまう。いつもは自己を抑制して踏み止まっているのだが、時として無性にそれがもどかしく感じ、納得出来なくなる。
書きたいのに書けない。相当につらい。
苛立たしくもあり、悔しい。
結局、書き物は即座に打ち切ってしまった。
久方振りのスランプに溜め息が零れる。
連載物が最期だと言う重圧か、それとも夏バテの所為か。
――少し休もう。
ミケの待つ居間へ戻って、わたしは夜食のマンゴープリンを取り出した。
簾の敷かれた床に寝転がって電球を眺める。
光と影の重なり合いが狭い空間の中で細やかに生み出されていて、わたしはふと、この様な色彩を書き物に於て表現するには幾つの言葉が要るのだろうと思った。それは場合によって百の言葉であり、極僅かな言葉であり――悟りかけたわたしの視界を急に茶と黒と白の模様が埋めた。ミケだ。ミケがわたしの上に舞い降りたのである。
猫は可愛い――ミケはさらに可愛い。
そのミケはわたしの顔をじっと覗き込んで、うにゃあと一声鳴いた。
「ねえミケ、わたしはスランプってものに嵌まってしまったんだ」
『能くあることじゃあ御座いませんか』
人語を話す猫が居たら連れてきてほしい。自慢ではないがミケはそこまで進化していないので猫語しか話す事は出来ないのだ。わたしはミケの口調を勝手に想像して声色を変えて口に出した。端から見たら奇妙奇天烈なこの場面も、我が家ではほぼ毎日繰り返されている。生憎、わたしには居座ってくれるような人は居らず、恥ずかしくはない。
「悩んでいるんだよぉ、書きたくても書けないんだよぉ」
『何を仰いますか、悩むなんて至極当たり前の事で御座いましょう』
「だってねぇ、巧く相手に解ってもらえる物が書けないんだぁ……」
『書き物とは全てあなたの心を顕現した物じゃあ御座いませんか。あなたは人の心を読む事が出来ますか? あなたは超能力者で御座いますか?』
「……違うけど」
『解ってもらえない事を前提で解ってもらおうと足掻く、そう言う物で御座いますよ。だからもっと御悩みなさい、それがあなたの力となりあなたの書き物に於る姿勢になりましょうや。書き物をする上で妥協する事も挫ける事も御座いましょう。けれどね、心と心を繋ぐ物が書き物だ。あなたは心の架け橋に書き物を選んだのだから――』
「悩むのは当たり前である?」
『書く事が好きなのだから仕方の無い事で御座いますねえ』
「そうだねえ」
己の中に在る結論を表に出すのにこれ程回りくどい事をしなければならないとは、物書きとしてわたしは大丈夫なのだろうか――。
にゃぅにゃぁあう。
ミケはわたしの心情を知ってか知らずか、頬を摺り寄せてきた。
わたしはミケの御腹の肉をつまんで、幸せを噛み締める。
真っ白な部屋の真っ白な机に向かって、わたしは画面と睨めっこを続けている。
書けないのはいつもの事だ。わたしは心のうちにある想いや映像を明確に伝える術を未だ知らない。だから毎日悩むし、ファンタジーも未だ書けない。
けれど、書く事が好きだから止められないのだ。
スランプなわたしは、明日も明後日もワープロと――己と向き合っている。
物書きとは何と面倒な生き物であるのか。
みゃぁみゃぁ――ミケの鳴き声を聴いて、わたしは居間へ向かった。
――あっ……。
『ジョナサンは夕陽に向かって猫缶を振り翳した』
わたしは突如閃いて、ワープロの待つ部屋に引き返した――。
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2005/07/26(Tue)21:58:19 公開 /
京雅
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■作者からのメッセージ
御読み戴きほんとうに有難う御座います。
夏場はひどく眠たい京雅。しなければならない事は多多あると言うのに、それらに片っ端から
手を出さねばならぬと思うともう……。
ある方の作品を読んでいると無性に猫を出したくなります。元元私は猫が大好きです。
書き物に於て制御し読み手に読んでもらえるかなと思うところまで推敲してゆくと、初めの思想からややズレた位置にゆく時があります。もっと文章力が欲しいですね。もっと吐き出したいです。
読んでくださった方、京雅に言葉をください。
※一先ず「仕方無く」のほうに変えておきます。御指摘感謝です。しかし、言葉知らないなぁ私(泣)。
※7/26 微修正。申し訳御座いません。
※常の癖にて「最期」としておりました(汗)。些細な事ではありますが修正。エテナ様御指摘有難う御座います。