- 『月と、太陽……』 作者:たま / 異世界 SF
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全角13270.5文字
容量26541 bytes
原稿用紙約43.6枚
神はとうに失われ、繁栄は遠い過去のものとなった荒廃した世界。飢餓と渇望、魔なるものの跳梁跋扈、それでも人は生きていた。やがて築き上げられてきたささやかな平和は、ある青年の平穏の去るのに似て少しずつ綻びてきている。悲しい愛の綴る運命の子守唄。それは月と太陽のように……
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『昏き闇よりの覚醒』
暗い、昏い闇。
どろどろと粘つきながら絡みつくようで、凄まじい激流のようで、棘のように傷つけるようで。
右を向けども右は無く、左に振れども果てしなく、下を見れども底抜けで、上を仰げば天井で。
歩けども堕つようで、走れども動かぬようで、止まれども回るようで。
全てが曖昧模糊。それは腹の底から這い上がってくるような恐怖。それは胸の内から飛び出しそうな重い重い鉛の塊。耳の奥から聞こえてくるおぞましい呻き声。
それは、此の世ならざる処。
「………………」
彼は、その中にあって、何かを見つけた。
昏い闇の中に於いて蠢くそれに、彼が触れるその刹那。
弾ける。爆ぜる。溢れるは、これもまた、昏い光り。
「おおおおぉぉぉぉおおお!!!」
「しゃあああぁぁぁぁぁああ!!!」
ぶつかり合う、至高の力と力。
その余波は地を砕き、大気を揺るがせ、あらゆる生命を薙ぎ倒そうと暴れのたうつ。
紅く昏く光りの失せたこの世界に、二匹の魔人が交錯する。
「喝っ!!」
「疾っ!!」
爆発する様に弾け合う二匹。と同時に呪文の詠唱が始まる。
『オル・ギズィ=アルフタウムナク ウェリオレイブ・フェシホルティアヌグ ダ・ベシウス カナ・マクリウシス……』
地から響くように、天より轟くようにその音声を鳴り響かせる黒の男。
『ネリウミタリア ヤク=キエミウクシ サスオエルトイア・ジグ・ミー・ガルヴェイブ ナ・ナ・キエルティアウデス……』
糸を紡ぐように、引き寄せるように、侵すようにその音声を響かせる紅の男。
世界のエネルギーは今彼らに隷従し、彼らの織り成す術式を形作っていく。それは破壊するように横暴で、創造するように大らかで。そして只それは、美しかった。
怒涛の迫力で押し迫る光りの奔流。紅の微光が地を迸り、蒼の閃光が中空を飛来し、黄金の輝きが視界を染める。
その圧倒的な力の収束に地は慄き震え上がり、天は狼狽し陽を隠す。大気は罅割れ次元は渇く。
『おお、地の彼方より賜わん。大いなる剣
天の彼方より授からん。破壊の十字架
今、迎えん。闇より来たりし大いなる希望の刻!!』
『冥王よ、我汝が依り代とならん
されば与えよ。惨劇の牙、血飛沫の爪
今、迎えん。光り打ち砕く大いなる絶望の宴!!』
その窮極にまで肥大した力は、彼ら自身にもその影響を与えている。その体からは血が滴り、肉が裂ける。しかしそれでも尚それは止まらず、寧ろ更に膨れ上がっている。
宇宙をも轟かす極大のエネルギー。しかしそれは確実にこの二匹の魔人の掌に収束されている。実に不可思議な光景だった。例えるならビー玉に閉じ込められた宇宙。恐ろしい力を操るのはたった二匹の、魔人。
詠唱が終わり、一瞬の静寂が流れる。それは永遠であり、刹那であり………無限であった。
『黒き十字架(クラス・テンデンシア)アアアアァァァァ!!!』
『白の鉄槌(べネティアス・ウォルテシア)アアアアァァァァ!!!』
弾ける、空間。爆ぜる、宇宙。
窮極にまで肥大した莫大なるエネルギーが、指向性を持って胎動する。魔人の掌を以って指向性を顕されたそれは、踊るように爆発した。
全ての罪を灼き尽くそうとする光りの奔流が空間を飲み込み宇宙を凌駕し、たった一つのちっぽけな命を昇滅せしめんと荒れ狂う。
全ての光りを噛み砕かんとする紅い闇の激流が空間を破戒し宇宙を侮蔑し、たった一つのちっぽけな命を消滅せしめんと暴れ踊る。
「おおおおぉぉぉぉおおお!!!」
「しゃあああぁぁぁぁあああ!!!」
在るのは、高笑いする憎悪と、怒り狂う涙。
残るのは、眼を灼く閃光と、耳を劈く轟音。
眼が覚めたら、そこは戦闘の真っ只中。
「……へ?」
死んだような眠りから覚めて
死の門を潜り抜けて
死を打ち砕き
死を押し退けて
死を乗り越えて
私は、また死ぬように眠る
「世話になるぞ。主殿」
最早聞こえてはいないだろうことを知りつつも、燃え滾る髪を風に靡かせてリリスは微笑む。
その佇まいは妖艶にして華麗。灼熱の瞳は濡れた様になっているが、しかしその奥には強く硬い自信と信念を見て取れる。
纏う雰囲気は威圧感を伴い、彼女の尊大な微笑を傲慢なものに見せる。
倒れゆく己が主を見守りながら、溜息をつく。
「……頼りない主じゃのう」
漏れ出た声は溜息と共にあり、何も音を遮る物の無いこの空間に心地よく響く。泉も、水の表面張力で音を跳ね返すので、声を響かせるのに一役買った。
その心地よい響きの余韻が大気に溶けて消えた瞬間、今まで固まっていた空気が、凪いでいた風が、ゆっくりと動き始めた。
爽やかな涼風と、キラキラと輝きだした木漏れ日が、俯いたままのリリスの周りを踊る。静かに聞こえ始めた小鳥達の囀りや、木々の歌声も、リリスを楽しませるように、輪唱する。
ゆっくりと、気だるげとも取れる緩慢さで首をもたげたリリスは、もう一度己が主を見た。その眼には彼女を喜ばせようとする風や木漏れ日のダンスは見えない。その耳には、小鳥達や木々の輪唱など雑音にも聞こえる。
ひょいと、事も無げに足を動かして一つ飛びにサンの隣に舞い降りる。音も無く岩場に着地すると、しゃがんでサンの抱き起こす。その顔には苦渋とも苦悩とも取れる苦い表情が浮かんでいた。
「……主よ……儂は…………」
そのまま顔をサンの直ぐ横までもってきて、甘えるように抱きしめる。サンの、子供のような太陽の匂いがした。見た目よりもがっしりしているサンの首に腕を絡ませ、その穏やかな寝息を耳の傍で聞く。サンの体温が服を通して確実に伝わってくる。それを感じながら、リリスはポツリと一つ、その瞳から大きな雫を零した。
名残惜しげにその腕を解き、体を離す。サンの体温は近くに無くなり、寝息は遠くなり、太陽の匂いは分からなくなる。赤く腫らした目元を人差し指で拭い、悲壮な様子で微笑む。
「もう、そろそろか」
再び快い響きを空間に響かせて、彼女はサンを再びそっと、岩場に置く。それはそれは大切なものを扱うような仕草で。
眼を、そっと閉じる。鼻から大きく息を吸い、口で吐き出す。その間、彼女の頭の中では、己が主を案ずることだけが考えられていた。どうか、どうか彼の方にほんの少しの安息を。どうか、どうか彼の方に微かな祝福を。
「………………」
眼を開き、目に映る全てを自分の中の全てに記憶させる。それは己が主。銀の髪を風に流しながら、その優しい顔を木漏れ日に照らされながら、眠るこの方を。
スッと、勢いよく立ち上がる。それは迷いを振り切るため。或いは感情に楔を刺して置き去りにするため。
もう一度目を閉じる。息を吸って、吐く。これでよし。もう、私に感情など存在しない。私は只の化け物だ。
眼を開き、同時に後ろを振り返る。それはもう二度と見ないため。
何を?
――――さあ、もう忘れた。
突如。光りが、一閃舞い降りた。
眼にも留まらぬ光速であったそれはしかし、木の葉の一枚も揺らしはせず。波紋の一つも水面に起こさなかった。
光の降りた先、何かが居た。
それは、人の形をしている。人が蹲っているように見える。しかしそれは絶対にして確実に人ではない。
それは、確かに質量を有した有機体である。命を宿した生命体である。しかしそれは酷く希薄で、不確かな存在だ。
それは、それは―――――
「久しぶり、になるか。リリスよ」
「……どちらでもよかろう」
その妙に響く、美しい声。整った顔立ち。整然とした佇まい。そう、憎しき、奴。
何とも無げに水面に立つ美麗な面立ちの青年。銀色の髪が木漏れ日に輝く。無色の、澱んで濁った瞳は奥が見れない。華奢に見える体型。纏える雰囲気は、高貴にして邪悪。そう、見紛う筈も無く、見違える筈も無く、憎しき憎しき、奴。
「いつまで闇黒に身を委ねているつもりなのだ。闇の落し子よ」
「フフ。もうその名で我を呼ぶのは卿のみとなった」
「……! 己……!!」
表情は僅かにも変えず、口だけで笑って軽くリリスをあしらう。リリスはあからさまな敵意を男に叩きつけているのだが、男はまるで微風に吹かれるが如く微動だにしない。
リリスはその真紅の髪を怒りで震わせながら、その瞳を射殺すかのように男に釘付けにしながら、その拳を血の滲むほどに握り締めながら、自らの無能さに歯噛みした。何故に、何故に自分はこれほどにも無力なのか。何故こんなにも無能であるのか。何故、何故!
「そう己を責めるな。我と卿とでは、そもそもの出来方が違うのだ。案ずるな。すぐ楽になる」
「笑わせるな!! 己が神に選ばれたとでも言いたいのか、大罪人が!」
大罪人、この一言を聞いたとき、男の表情がちらりと変わった。少々の、怒りを湛えた表情だ。
してやったりの顔をして、更に捲くし立てる。
「お主は神を討たんとし、結果神に見放され地の果てに追いやられた愚者ども! それが何を以って神の祝福を受けた身だと申すか! 戯けが!」
「フッ……」
一息にそこまで叩き付けたリリスを見ながら、男は微かに、しかし確実に笑った。鼻で。明らかな、あからさまな嘲笑である。
「よいか、リリス。我は天界に胡坐をかいて愚考と愚行の限りを尽くし、無能を晒す偽りの神などの祝福など、其処此処で蠢く人間どもと同様に必要はない。我が神は、卿ごときでは与り知れぬ高みに居わす神よ」
「フン、どちらが偽りの神だかな!」
負けじとリリスも言い返す。嘲笑の表情と侮蔑の態度をおまけに付けた必殺攻撃だ。
瞬間、男の顔に表情が失せた。リリスの顔にも緊張の色が走る。密かに臨戦態勢を整える。
それを敏感に感じ取った男は言った。侮蔑と、嘲りと、ほんの少しの退屈を混ぜた声で。
「安心しろ。生憎だが卿の相手をしているほどに我も暇ではない。卿の相手はこやつらが致す」
「……!?」
リリスは驚愕した。目の前の男の力量に。器に。
「多数瞬間移動……だと」
今の今まで何もなかったその空間に、何十、否何百という妖怪の軍勢が顕現化していた。
瞬間移動。それは聞き馴染みはあるだろうが実際には恐ろしく高度な術。事実上その時間、その場所にいた対象物を『空間』、『時間』、『次元』の三つの弊害を越えて指定の場所へ愚現する。空間を超越し、時を捻じ曲げ、次元を切り拓く。通常魔方陣と魔方陣を経由し予め決めておいた場所へ対象物を移動させるため、それほど力は食わないがそれも『不特定の場所へ』送ろうとすれば話は別である。しかも単体でなく複数となるとその作業に要する魔力、法力の類の消費エネルギーは換算すれば核分裂の際発生する膨大な熱エネルギーの約五倍、六倍にもなる。
それでだけではない。その対象物一つ一つの弊害をクリアにしていく『法』の発動作業、膨大な数に及ぶ術式を解かなければならない。
それをこの男はたった一人で、この一瞬で行ったというのか。
「化け物め……」
「お互い様だな」
男は哄笑とその昏い気配をそこに残し、最後は自分が闇に溶けるように、掻き消えた。
後に残されていった妖物どもの大群を見据えて、リリスは自分の背筋を伝わる嫌な汗を認めた。蠢くようにきっかけを待っているそいつらは、確かな殺気と狂気を湛えて獲物を見据えている。ウサギを見る狼の眼。シマウマを見るライオンの眼。獲物を狩る狩猟者の目。
きっかけは、風の吹いた拍子に舞い上がった木の葉がリリスの目の前に来た瞬間。僅かな間隙を突いて、化け物共は一斉に呻きとも悲鳴とも取れる雄叫びを上げてかかってきた。
「くっ……!」
先頭の火蓋が、切って落とされた最中。
眼が覚めたら、そこは戦闘の真っ只中。
「……へ?」
彼はポカンと口を開けて、呆けていた。
おお、至高なる神よ
全能なる神、神聖にして絶対の神よ
我々は貴方に祈り、歓喜と祝福で満たされるでしょう
私は貴方を信じています
だがしかし、ああ、神よ
我らの目は病んでいて、貴方の姿が見えないのです
『力を、我に』
きっかけは、言い争う声。
一つは、耳にも心地よい女の声。しかしそれはかなり怒気を含んでいる。もう一つは耳障りはよいものの、背筋にナイフを突きつけられているような緊迫感、背骨を蜘蛛が這っているような悪寒を感じさせる声だ。
その二つの声が織り成す不思議な喧騒に揺り起こされて、まだ朦朧としていたサンの意識は、一番最初にこう思った。
(お腹、減ったなぁ……)
私には、力がない
僕には、力が使えない
ならば、私がその力を使おう
ならば、僕が力を君に貸そう
さすれば貴様は、この世の何者にも勝る者になる
だから君は、僕をこの世の何者にも勝る者にしてくれ
轟、という風の脈動がサンの耳元を思いっきり叩いて、漸く正気に戻ったサンの眼に映ったのは、とてつもなく不思議な光景。
見渡す限りの妖怪、化生、化け物……。今まで生きていた中でも、これほど不思議で脈絡の無い出来事も初めてだ。思わず口から漏れたのは、酷く間の抜けた声。
「……へ?」
しかしその刹那は待つ事無く激しく暴れのたうった。
堰を切ったかのようにおぞましい激流が押し寄せる。木の合間を縫い、または折り倒して、凄まじい速度で迫ってくる。その壮絶さと言ったら、サンは暫く息をするのを忘れたほどだ。
その時。
「主よ! 起きているか!」
先程の声。聞こえた方に目をやると、赤い髪、真紅の瞳でこちらを見ている少女が居る。
「イ、イブ!?」
「儂はリリスだというのに! そんなことよりも主!」
イライラした、しかし焦りも見える声色でサンを呼び立てる少女。そうだ、確かさっきの……。
「よいか! 今から儂は其方と融合する!」
「……はあ!?」
彼女の言葉をよく理解するまでの間も無しに何かがリリスから放られた。混乱しながらも取り敢えずそれを受け取ろうとして…………やめた。
「うわっ!?」
落ちてきたそれはクルクルと回転しながら危うく仰け反ったサンの髪の一本を切り、地面に突き刺さった。
中央の白い布に巻かれた取っ手からすらりと伸びる鋭利なフォルム。取っ手の両端から伸びるそれは、片方を地面に、片方を天に向けている。地面に突き刺さるのは美しい無垢な銀色。それはまるで地に眠る魔物どもを塵も残さず消し去ろうとするように力強い輝き。天を向くのは風も切り裂く紅黒。それはまるで天に唾するように憤然と傲慢を振りまく光り。
それをまじまじと見ながら、サンは腰を抜かしたような体勢のままリリスに激しく抗議した。
「あああ、危ないでしょ!? ナイフは投げないように!」
「喧しい! 今はそんなことを論じているときではない」
そう言った次の瞬間、数十数百の妖怪がリリスの防御結界にぶち当たる。力の弱い妖怪なぞはこれに触れただけで消滅するものだが、あまりそういう奴は見えない。あっという間に囲まれ、逃げ道は無くなった。いや、もともと逃げる道などありはしなかったのだろう。
「それを、御主の胸に突き刺せ!」
「えぇ!?」
焦りを隠そうともせずにサンに向き直り、揺らぐ瞳でサンを睨みつける。
結界がギリギリ、ミシミシと音を立てている。恐らく、もう数分ももたないのだろう。
「今は説明している時が無い! 早く!」
「今説明しなくて何時説明するんだ!? そんなことしたら死ぬでしょうが!」
「大丈夫だ! 早く!」
「何が大丈夫なんだーー!?」
責め立てるような眼差しで睨みつけてくるリリスに、頭を抱えて絶叫するサン。頭の中は最早何も考えることは出来ぬまでに混乱しきっていた。
「そうせねば死ぬのだ!」
「そうしても死ぬでしょう!」
「ええい! そうしてもそうしなくても死ぬのであったら、儂を信じてそうしろ!!」
「……〜〜〜!!」
そんな屁理屈並べられたって、恐いものは恐い。こんな鋭利なナイフを自分の胸に突き刺したら……考えただけで恐ろしいことだ。しかし、この結界を隔てた向こう側には間違いなく自分を引き裂き喰らおうという化け物どもが居る。ならば確かにその理屈が分からんでもない。これを刺せというのも何らかの考えがあってのことなのだろうが……。
「いかん、結界がもたん! 早く!」
「くっそ〜〜〜……やってやる〜〜〜!!!」
言い終わるか終わらないかの刹那、結界はガラスのように砕け、邪悪の奔流が二人を飲み込もうと押し寄せる。
『黄泉の女王 リリス 出で魅せよ 汝が舞い』
詩がふと静まった無音の空間に響いたその瞬間、リリスはニヤリと笑い、その容を失い光の粒子となった。粒子は化け物共をすり抜けながら一つの方向へ向かう。向かった先にあるのは、棺桶。漆黒の色の、絶望と生命の終わりの象徴。終わりし命をかき抱き大地に還る死の船。
しかし、それに描かれしは逆十字。天に背き、徳に背き、仁に背く邪悪なる象徴。全ての善を侮蔑し薙ぎ倒さんとする悪の象徴。
そこに吸い込まれるように入っていく光の粒子。それはまるで棺桶が光を喰っているようにも見えた。
今まで呆気にとられていた化け物どもが、ここまで来て漸くその鈍い頭を活動させてリリスの気配が移っていった棺桶を攻撃しようとした、その時。紅い、昏い、光が棺桶の中から溢れ出すように爆ぜた。
妖怪どもを大いに吹き飛ばし、近くにいた者などは消し飛ばして、それは顕現した。
中から出てきたのはサン。しかし逆立つ深紅の髪、ゆっくりと開かれる業火の瞳、威圧感溢れる額に描かれた幾何学模様、神秘的にも思える背中に生えた黒色の皮翼……それはサンの姿をした悪魔のようであった。
その姿を見て、その力を感じて、妖怪どもは混乱した。感じる気配は二つ。人間のものと、リリスという今回の標的のもの。しかしそれらはまるで溶け合うように混ざり合い、包みあい、その気配を威圧感へと変貌させていく。また、その力量は推して測るだけでも、ここに居る中級に届くかどうかという程度の妖怪達の頭では計り知れないものであった。
「これは……」
『よいか、主。取り敢えず今は奴らを倒すことだけを考えろ』
「! リリス? どこに……」
『来たぞ!』
サンが状況を把握する時間など毛程となく、言語すら理解できかねる妖怪どもが数で押せばよいという結論によって襲ってきた。
頭に響くリリスの声に従って、戦闘態勢をとる。手近にまで迫ってきている妖怪に取り敢えず正拳を見舞うと、何とも実に簡単にその妖怪は砕け、粒子になり掻き消えた。
「え?」
驚きながらも、後ろから迫る妖怪に振り向きざまの肘撃ち。これも喰らった妖怪は簡単に砕け散った。
「ええ!?」
サンは驚愕した。妖怪は、この世界に於いては天使、悪魔などを除いたら『最強』と言っても過言ではない種族である。上級の法力使いが一人で相手できるのは、せいぜい中級妖怪。普通の人間だったら低級妖怪に蚊ほどの攻撃を加えられるくらいだ。ましてサンは法力を使えぬ体質なのだ。普通の人間でも僅かに纏う法力を、僅かにも纏っていられぬ体なのだ。それは即ち、妖怪に触る術を持たない、と言うことにも同義だ。
それが、どうだ。いとも容易くまるで、枯れ枝でも折るかのような要領で、もう既に数十匹は倒した。
「あれぇ……?」
『余計なことを考えるな! 次だ!』
首筋まで来ていた触腕を右腕に滑らせて避け、勢いを利用して巻き込むように回転、触腕を引っ掴み本体を引き寄せると迎えるように蹴り砕く。流れるような一連の動作に、リリスは感心したように語りかけた。
『ほう。中々にいい動きをするじゃないか』
「ちょっと武術をかじっててね」
リリスと話して、自分に相当の余裕があるのに気付いた。よくよく見てみればあれほどの俊速だった妖怪どもの動きが酷く緩慢であるのにも気がつく。まるで時の流れが遅くなったように。
「これは……?」
『違う、奴らは通常通りの速度だ。我らの速度と、五感が鋭くなりすぎているのだ』
「おお……」
感動とも言うべき感情にサンが僅かに頬を緩めた時、背中に何かが当たっているような気がした。振り向くと、背中に当たった妖怪の角が砕けていくところだった。
『我らの自動展開障壁の方が奴らの武器よりも硬いと言うことだ』
また感嘆の声を上げかけたサンに、見越したようなリリスからの注釈が入った。
「すごい……」
『面倒だ、『法』を使うぞ』
「え、それは無理だよ」
何だと? と言うリリスに、サンは更に続ける。
「僕の体って特異体質らしくってさ、体が生成する法力を、この痣が吸収するらしいんだよ」
そう言うと、サンは自分の右胸を見せた。赤黒くなっているそれは、何かの形を成しているが、それが何かは分からない。
『儂は今御主の中に居るのだ。そんな事しても見えんし、せずとも分かっておる』
「じゃあ……」
『それは、封印じゃ。何者が掛けたのかは分からんが強力なものだ』
しかし、とリリスは繋げた。
『御主は今儂と融合しておるのだ。ならば儂の魔力だけで事足りるだろう』
そう言うと、リリスはサンの頭へ複雑で難解な魔術式を送り込む。
「うわっ!?」
『慌てるな。儂がサポートする』
すると、サンの頭の中に展開されていた魔術式が、世界を構成する法則が、リリスの恐ろしいまでの演算速度で次々と書き換えられていく。と同時に、サンの口から強い力を持った言霊が流れ出した。
『イー・リスアツ・ドゥ・リリウム ヴァイリル・ヴィアム』
(わーっ!? 何だ何だ!?)
一人混乱に暮れるサンも、いつしか意識が朦朧としていき、『法』を発動するための瞑想(トランス)状態に落ちていく。
リリスが魔術式を解く。サンはそれに倣った言霊を発する。
妖怪の触腕の一つが、サンの胸先四センチほどに迫っている。
『闇と、月と、血と、憎悪の輝きよ
その胎動を熾せ
その悼みを示せ』
法力、否これは魔力。邪悪とも言える力が恐ろしいまでに膨れ上がっていく。
触腕が二センチにまで近づく。
地の底から響くような声で詠唱を終えたとき、禍々しい、おぞましい力が溢れんばかりにその場にはち切れんばかりに満ち満ちる。
魔術式は、解かれた。
触腕は、あと一センチで胸に届いた。
『闇夜の紅月(マロウ・テス)!!』
その言霊を皮切りに、サンを中心にまるで波紋が広がり行くように魔力が爆発した。全方位三百六十度どこの死角なく、例外なく紅黒い光に飲み込まれていく妖怪ども。そしてこれも例外なく、呻きも絶叫も上げる間さえなく砕け散る。その昏い光は、まるで妖怪どもを蝕み破壊していく紅黒い月。触れるものをいとも容易く消滅せしめる死神の吐息。何百と居た妖怪どもの最後の一匹を消し飛ばした時、漸く役目を終えたかのように淡く消えいくその光は、間違いなく死の象徴だった。
フッと瞑想状態から帰って来たサンは、酷く、驚いた。あの何百といた妖怪どもを、たった一撃で消し飛ばした『法』の力に。それを成した自分と、そして勿論、
『フン、他愛無い』
この少女に。
自分の頭に流れ込んできた式は間違いなく難解複雑で、三人で頑張って二晩掛かりそうだな、と思うほどだった。それをこの少女はたった一秒足らずで……。
「ほぉ〜〜〜…………」
『どうだ? 初めて『法』を行使した気分は?』
思い出したようにからかうリリスは、とっても愉しそうな顔をしていると、サンは思った。
「すごい、すごいよ!」
『まあまあ、そうはしゃぐな主』
宥めるようなその口調は小さな子供に言い聞かせる母親のようだ。大らかで、優しさに満ちているそれ。
突如、サンの胸から紅黒い光が漏れ出すように輝いた。サンが驚きに顔を向けると、サンの胸からなんと先程のナイフがゆっくりと抜き出ていた。
「うわわわ!?」
やがてサンの胸から抜けきったナイフは、ぼんやりと昏い光に包まれていて、紅黒い刀身がその存在を主張するかのように輝いていた。それを見ながら、サンはその光が銀色の刀身を飲み込もうとしているようだな、と思った。
サンがその光景に見ほれていた刹那、一層輝きを増して光は止んだ。サンが次に瞬くとそこには眼に鮮やかな紅の少女が立っていた。よく見ると、サンの方もいつの間にか翼や、髪色などが元通りに無くなっている。
「主よ、中々によくやってくれた」
「う〜ん、尊大な従者だなあ」
何でもないように振り向きざま放つ労りの言葉ににっこりと微笑を見せながらサンが言うのに、リリスは呆れたように肩を竦める。しかし、その表情はやはり笑っていた。
それからちょっとの間をおいて、サンが切り出す。溜息と一緒に吐き出されたのは、渦巻く疑問。
「さて、それじゃあ説明してもらっていいかな? 『君ら』は何者か、何故僕のことを主と呼ぶか、さっきの戦闘のこと」
「……よかろう」
一変して静かに問うサン。リリスの顔は緊迫感にも似た何かが漂っていた。
欲しいのは、自由
欲しいのは、孤独
欲しいのは、力
全てを手に入れて思う
私が欲しいのは、これではない
私が欲しいのは、何だろう
日は高い。街道にも人々が活気を撒き散らしながら溢れている。砂埃が時々目に痛いが、それでもいつも通りその中にいるだけで楽しくなれる街なのだろう。サンの好きな、いつも通りの街。
「……………………」
ああ、とサンは心の中で溜息を吐く。自分も早く街に出て、今夜の料理の材料を執事のミリーと買いに行かなければ。おっと、カナを忘れていた。もしも置いていきでもしたらカナは拗ねて三日は口を利いてくれなくなってしまうというのに。
「……………………」
今夜の料理は何にしようか。う〜ん、ジパングのライスは美味しいが、高いし……ん? ああそうだ、今日はライスの特売日じゃないか。市街のお得意さん、『激安! ポポ』のおかみさんが豪気に笑いながら安く手に入れたと教えてくれた。今日、店頭に並ぶはずだ。
「…………主殿」
「…………何?」
リリスが呆れた様子でこっちを見ている。なんだろう、あの顔は?
「……いや、な」
「……どうしたの?」
頭痛がするのだろうか、こめかみの辺りを押さえながら言う。
「現時逃避はよくない」
「…………う」
こんにちわ、道化です
胴を輪切りにしても、首を刎ねても死にません
ただにっこりと笑って
ただ楽しい芸を披露します
でも時々、悲しくなったら
僕は泣きながら、楽しく芸を披露するんです
『現実逃避……』
あれから取り敢えず、森の中は僅かな物音も響くし、獣どもを起こすと面倒なので、森を出ようと言い出したのは他ならぬサンであった。リリスの真摯な雰囲気を読んでのことである。
そこで、リリスは何を言っているのか、といった風な顔をして告げたのだ。
「この森を出る? ここは『月心の森(エンド・オブ・エンド)』の真ん中だぞ? 出ようと思えば三日は掛かるじゃろうが」
エンド・オブ・エンド。
この常識という言葉が霞む時代において、それでも一般常識として存在する数少ない地名。この球状の星に於ける最北端、つまり北極に位置する深い深い森。本来樹木どころか生命体の存在さえも疑うような極寒の地であるはずのそこは、北極点に突如出現した常軌を逸する巨大さの樹木、『月陰樹』の魔力により、ある一定空間の中に特殊な空間を創り出した。いわゆる、『結界』である。その結果内では樹木は通常の二倍以上の早さで成長し、本来この星に存在しない獣が出現する。
しかし、その結界より一歩でも外に出ればそこは涙も凍る極寒となる。一歩出た後、後ろを振り返ってもそこにはただ吹雪で視界も閉じられた極寒の大地。戻ろうと走っても戻れぬ、一方通行の幻想の地。今では都市伝説と幾ばくも変わらぬ、ただの言い伝えとなった場所である。
それでも尚伝えられているのには、ある神話が関係してくるがそれはまた後に説明させてもらおう。
ともかくも、サンが現実逃避に走ったのは神話でも何でもない現実なのだから。
「いい加減戻って来い、戯け」
リリスが足元にあった拳大の大きな石を拾って、ヒョイとサンの頭に投げつけた。いやな音がしたと同時に頭を押さえて転げまわるサンを見ながら、呆れた様子のリリスには罪悪感なぞ蚊ほども、否ノミ虫ほどもないのだろう。
「さすがにでかいんじゃないかい? リリス」
「何度も呼んだのに返事せぬ主が悪いだろう。そんなことより本題じゃ」
どっかりと腰を下ろし、胡坐の上に肘をついてやはり呆れた調子の声は、しかしその裏に真剣さを含んでいる。
血が止まらない頭を押さえながら取り敢えず起き上がり、何となく、正座。
何を思ってか、サンを見て温かい笑いを漏らしつつ、話し始める。虚空を見つめ話すその姿が、なぜかサンの網膜に酷くくっきりと、焼き付けられた。
「ここからは、一切口を挟まず静かに聴いてくれ。よいな? よし。先ずは、そうじゃのう。儂らのことから話そう。
儂らは……『姫君』じゃ。ああ喧しい、わかっとる、今説明するから黙れ。『姫君』というのは、十三人の『遣い達』の事を指す」
「遣いって……誰の?」
「だから黙って聞けと……まあいい。確か、『古きより居わす唯一にして絶対の神』……だったか。ん? ああ、そいつのことは儂も知らぬ。ただ、馬鹿の神共がそう呼んでいるのだ、本当の名なぞ知らん。傲岸不遜で、センスの欠片も見えぬ、長い、訳の分からん名前よな。
ま、そんなことどうでもよい。次じゃ。
主の呼称だったな? ……そんなもん、主が主だからに決まっとろうが。ん? 何故主か? ……さっき契約したじゃろう」
……目の前に暗闇が奔った。
「………………!?」
「何じゃ、魚類の真似か? よく似ておるぞ。まあどうでもよいが、次は……」
「ちょっと待った」
「ん……?」
話を止められて不機嫌、な顔でこちらを睨む様子には、発言を撤回する様子も、ましてや罪悪感なんて最早細菌ほどにも感じられなかった。
「契約…………?」
「うむ」
「契約…………?」
「さっき話したじゃろうが」
「契約…………」
「しつこいの」
きっと、今限界まで捻っている頭をそのまま三百六十度回したところで、現状を理解するキーワードは転がってこないだろう。
「それってさ、本人の意思とか了承とか必要ないの?」
「必要に決まっとろうが」
「俺、了承したっけ?」
「ナイフ刺したな?」
脳裏に先ほどの不思議なナイフを思い出す。
「うん」
「契約にはいろいろあっての。これが儂の契約方法、『状況説明なしに自らナイフを刺す』だ」
「………………!??」
「よし、理解したな。では次」
違う、これは理解したのではない。呆れて口が塞がらない状況だ。しかしながら、サンがここまで混乱してくれたのはリリスには好都合だったろう。目に宿る悲しみの色を悟られずにすんだのだから。
「そんなのあり!?」
「あり」
「一刀両断!?」
先程までの緊張感はどこへやら。森に響く大声に、見かねたリリスがサンの唇に人差し指を当てて制す。突然のリリスの行動と彼女から漂う微かな甘い匂いがサンの興奮を僅かに抑える。それをきっかけに冷静さを取り戻したサンは、しかしやはり納得できない様子で問い詰める。
「その『姫君』が、なんで僕と契約するのさ?」
「うむ。この世には主のような『神憑き』というのがおってな。神どもと同じような霊基構造をしておる『神憑き』には儂らも神どもと交わすような形で『契り』を結べる」
『神憑き』という言葉が、サンの脳内で跳ねた。とても大事な言葉のような気がするが、懐かしいような恐ろしいような気がするが…………思い出せない。まるで靄が掛かったように。否もっと自然な形で、物忘れしてしまったような感覚で、しかしどうしても思い出せない。
「しかし主はその神憑きの中でも抜群の才能じゃの。ほぼ神や魔の霊基と同じじゃ」
にっこりと、不意に見せるその笑顔はとても小悪魔的で。うっかり、サンはそれに見入ってしまった。
「でも、その契約って一体……」
…………と、地平の彼方からきらりと光が零れた。
「あ、朝だ」
「な、なにい!?」
こんにちわ、道化です
僕はとっても混乱してます
何が何で、なんなのでしょう?
僕は誰で、なんなのでしょう?
貴方は誰で、なんなのでしょう?
やっぱり僕は、困っています
『
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2006/12/15(Fri)17:49:54 公開 / たま
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■作者からのメッセージ
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