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『My father』 作者:光歌 / サスペンス サスペンス
全角6646.5文字
容量13293 bytes
原稿用紙約21.85枚

 親愛なるお父さんへ。



  M y f a t h e r



#01 序奏
 
 少し厳しいが、傷付きやすく料理上手な母。
 常に笑顔を絶やさぬ優しい姉、まだ幼い、歳の離れた弟。
 そして、大らかな父。
 少年の家は、何の欠陥も無い、幸せの家庭であるはずだった。

「久しぶり。話って何?」
 中学時代に一度だけクラスが同じになったことのあるこの少女は、今では大学で心理学を学び、一心にカウンセラーを目指していた。
 あと一年程で成人するこの少女と、彼女と視線を合わせ向き合う少年は、それぞれ小さな椅子に腰掛け、狭いが僅かに爽やかな香りの漂う少女の部屋で、どこか大人しくしている。
 髪染めの流行る現代の中で、珍しく自然のままの黒髪を持つこの少年は、俯きながら見上げるように、自分と同じ黒髪の少女と目を合わせた。
「あのさぁ斉藤、俺……」
「ん?」
 少女は手際よく専用のファイルらしきものを片付ながら、少年の声を聞き、ふと中学校の卒業文集に書かれていた小さな文字を思い出す。
 「将来は美術関係の仕事をしたい」とだけ書かれた文面の右下に、遠慮がちに「水澤由樹」と書かれていたのが可笑しくて、笑っていた記憶がある。
 静かな部屋の中に、すぐ側を通る電車の音が小さく響いたことで、少女は我に返った。
「どうしたの、由樹」
 肩に掛かる真っ直ぐに伸びた髪を耳にかけながら、少女は首を傾げた。
 同時に由樹(よしき)もまた、無頓着に伸びた髪の先を、不自然に指先で弄くる。
「どんなことでもいいよ。この将来有望なスペシャルカウンセラー・斉藤万里子に話してごらんって」
 得意げに微笑む少女の表情とは裏腹に、ぎこちなく微笑む由樹の表情には影が差すばかりだった。
 窓から昼の日差しが柔らかく差し込み、由樹の曇った顔を、先程よりもくっきりと映し出す。
「あのですね、万里子さん」
「はいっ」
 中学校時代から、由樹は変わり者だった。
 それは19歳となった今でも変わらないらしく、仕草や声色、そして今のような人の呼び方などは、話す度にちょくちょく変わっている。
 万里子(まりこ)にはそれが『いつまでたってもその人はその人』という自分の考えと見事に一致したように思え、嬉しい限りではあるのだが。
 ただ、次に紡がれた言葉は、あまりに暗く、澱んでいた。
「……俺、追われてるんだ。父さんに」


「ヨシキ、学校遅れるよ」
 都会とはいえないこの場所で、水澤家は古い小さな家に、五人で住んでいる。
 コンビニへ行くのにだって自転車や車が必要になるこの場所も、一人一人個性の違う家族も、ヨシキはそれ相応に好いていた。
「遅れないよ」
 少しお節介の混じる姉の指摘に、ヨシキはだるそうに答え、黒いスクールバッグに教科書やらノートやらを詰める。
 ふと左手の腕時計に目を移せば、時針は“8”の部分を示しかけていた。
 遅れるかも、と先ほどの言葉とは正反対なことを思いつつも、ヨシキは冷静に時間割を揃え、紐の解けたスニーカーを履き、軋みかけた横開きの戸に手を掛けた。
 そのとき、ヨシキの制服の裾を引っ張る者が、突如として現れる。
「ヨシぃ……」
 まさか、と硬直し、思わず視線はぎこちなく下を向く。
 やはりそこにいたのは、寝ぼけ眼で自分を見る、パジャマ姿の幼い弟・ナオキだった。
 自分を見上げる、しかもまだ四つのナオキを振り払って駆け出すなど、辛口の母が黙っているはずは無い。
 ヨシキは遅刻を覚悟し、普段は絶対に見せない笑顔を不自然に顔に浮かべ、ナオキの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「帰ったら遊ぼうな。クマさんで」
「やだ!今遊ぶの!」
「俺、学校があるんだよ」
「ヨシくんがガッコー行くなら、ナオキも行く」
 ヨシキは溜息を飲み込んで、いつの間にやらナオキの背後で自分達の様子を見ていた母に目で合図し、制服を掴むナオキの手をそっと離した。
 予想通り、途端に幼い弟は泣き出す。
「うわあぁん、ヨシくん、ヤダぁぁ」
「い、行ってきます」
 何時から、自分はこんなにも弟に好かれてしまったのだろうか。
 父母や姉に甘えるのならまだ分かる気もするが、よりによってナオキが一番懐いているのは、兄であるヨシキだった。
 実の兄に向かって「ヨシくん」などという聞きなれぬ愛称を発し、少し離れるとすぐ泣き出す弟を、ヨシキは毎朝汗だくで引き離すしかなかった。
 「このところ遅刻が多い」と担任の教師に指摘されるが、家の事情も知らずに自分を責める担任を、ヨシキは心の隅で呪った。

「ヨシキ、今出るのか?」
 不意に自分の名を呼ぶ声がし、振り返ればそこには、錆び始めた如雨露で家の周りに水をかける父の姿があった。
 普段から優しく、怒った姿や怒鳴り声などは絶対に見せない、聞かせないという大らかなこの水澤家の大黒柱・水澤隆志は、郵便局に勤める中年……言わば「おっさん」だった。
「うん、遅刻してく」
「ははは、またナオキに泣かれたのか」
「うん」
 ヨシキにとっても実の父は、「父親」というよりも寧ろ「親切なおじさん」という考えの方が強かった。
 それを以前、姉のアヤに話したとき、アヤも同意してくれたことを覚えている。
 それだけ父は人柄が良く、理想の父親像よりも長けているのだと、母は言う。
「車に気をつけてな、行ってきなさい」
「はいよ」
 ヨシキは幸せだった。
 暖かい家庭を持つということだけで、当時中学二年生だった彼は、恋も部活もせずに幸せを噛締めていた。


「あ、斉藤に会ったのも、中二のときだったな」
 由樹はふと、思い出したように呟いた。
 万里子は嬉しそうな笑みを浮かべ、元気良く頷くと、本棚にあった中学校の卒業文集をちらりと見る。
「卒業文集、上京する時に持ってきたんだ」
 彼女は笑顔で言うと少しだけ俯き、邪魔そうに肩の下まで伸びた髪を耳にかけなおす。
「で……? 弟は可愛いし、お父さんはいい人で……それから何かあった?」
 由樹は不意に大きめの窓の外を見た。
 小さなアパートの六階であるここから、線路が見え、巨大な建物が見え、道行く人々が見え、それから川に掛かる大きな橋がビルの隙間から顔を覗かせている。
 時折線路を横切る電車の音が僅かに響く万里子の部屋は、日当たりも厳しすぎず、快適というに相応しい部屋だった。
 巨大な病院の裏にあるということが欠点だな、と由樹は思い、それから話を戻そうと重々しく口を開く。
 全てを語る為に。
「父さんは……その次の日、俺から全て奪った」
 彼の言い分を理解しきれない万里子は首をかしげ、尚も窓の外を見続ける由樹の表情を窺おうと、ほんの少しだけ身体を傾けた。
 由樹は口元に少々微笑みを浮かべ、万里子をちらりと見てから、小さいがはっきりとした声で言った。
「いや、多分父さんは俺も殺すはずだったんだ。母さんや綾姉ちゃん、直樹だけじゃなくて」
「……殺す……?」
「うん」
 由樹はしっかりと万里子と向き合い、全てを覚悟したかのように、細かなことまではっきりと話し出した。


 蒸し暑い、7月の半ば。
 夏休みを目前に控えたそのとき、ヨシキの隣の席に座っていたのは、二年のクラス替えで初めて同じクラスになった少女、マリコ。
 慣れない相手との会話は至極少なかったが、ヨシキとマリコはまるでそれが当然の如く、隣とのコミュニケーションなどとらずに授業に没頭していた。
 しかし夏休み直前のある朝、その沈黙の関係は、突然破られた。
「おはよ」
 機嫌が良いのか元々陽気な性格なのか、マリコは珍しく、登校してきたばかりのヨシキに明るく挨拶した。
 それまで挨拶もろくに交わしたことの無かった小さな隣人の突然の行動に、ヨシキは頭上に疑問符を浮かべるばかりであったが、とりあえず自分も挨拶を返す。
「うん、おはよ」
 それからだった。
 ヨシキが授業中に注意されるようになったのは。

「水澤君って、美術得意っしょ」
「それは斉藤も同じ……ってか斉藤の方が美術の成績上だろ」
 突然向けられた疑問に反射的に返した言葉は、一限目の数学の授業を一気に潰した。
「あたしね、実は水澤君と喋ってみたかったんだよ」
「……マジか」
「うん。普段何も喋んないから」
 カツカツと音を鳴らし、黒板に白い文字で数式を書いていく教師になど目もくれず、ヨシキは突然話しかけてきた少女に興味をそそられた。
 それはマリコも同じらしく、彼女は白い数式を、まっさらなノートに写す気配を全く見せない。
「あたし、東京の大学行こうと思うんだ。東京に芸大あるでしょ」
「いや、でもあそこレベル高いだろ。しかも北海道から上京するにはかなり金掛かるし」
「それじゃ今日からバイトする」
「は?」
 カツン、とチョークの音が響き、二人は黒板を見た。
 明らかに呆れ顔な、大柄な男性教師が、こちらを無言で見つめている。
 見下すように二人を睨むその教師が「黙れ」と言いたいのは、火を見るより明らかであった。
 そして、チャイム。
 在り来たりなメロディが校内全体に響き渡り、授業終了の合図を送った。
 同時にクラスの学年委員の「規律」声が聞こえ、皆だらだらと椅子を引きずって立ち上がる。
 マリコは自分より一瞬早く立ち上がったヨシキに、小さく呟いた。
「……あたし達、数学の時間なにしてたっけ」
「忘れた」


#02 帰還

「……お父さん?」
 玄関にある、黒い革靴を見て、ヨシキはふと呟いた。
 左手首に付けられた時計に目を移せば、まだ四時をすぎたばかりで、普段ならこの時間、父は仕事先ではがきの整理か何かをしている時間帯だ。
 忘れ物を取りに帰ってきたとしても、時間が遅すぎる。田舎の郵便局に勤める父の仕事は、大抵は日の沈みかける時刻には終わってしまうらしいのだ。
 仕事が早く終わったのか、とヨシキは考え、未だに紐が解けているスニーカーを大雑把に脱ぎ捨てた。
「お姉ちゃん、お父さん帰って来た?」
「うん」
 狭く古臭いリビングで自分のコップに麦茶を注いでいたアヤは、ついでとばかりにヨシキ専用のコップにも麦茶を注ぐ。
 「お仕事早く片付いたみたい」とヨシキの考えに等しいことを言い、アヤは冷えた麦茶の入った青いガラスのコップをヨシキに手渡した。
 ヨシキはそれを受け取りながら、ふうんと鼻で返事を返し、そっと奥の部屋を覗き込もうと、僅かに身を屈めた。
 しかしその行動は、面倒見の良いアヤによって防がれる羽目になる。
「お母さんと大事な話があるらしいから、覗いちゃダメよ」
 まるで奥の部屋を庇うかのように、自分より多少背の低い弟と視線を合わせたアヤは、姉というよりも母親を連想させる、温和な笑みを浮かべた。
「ね」
「……うん」
 ヨシキは不貞腐れたように、コップに残る麦茶を飲み干すと、教科書などで重たいスクールバッグを部屋に置こうと、アヤに背を向ける。
 しかし不意に何かを思い出したように振り返り、冷蔵庫に麦茶の入れ物を戻すアヤに訊ねた。
「ナオキは?」
「座布団で寝てる。お母さんの隣」
「そっか」
 ともかくナオキが静かに眠っていることに安心したヨシキは、今度こそカバンを戻しに部屋へと向かった。
 アヤもまた、宿題でもするのか、ヨシキの部屋よりも玄関側にある、風通しの良い自分の部屋へ入る。
 二人が部屋の戸を閉めたのは、ほぼ同時だった。


「……今思えばさ、あの時感づいてればよかったんだ」
「感づく……?」
「何かおかしい、って」
 まるで何かを悟ったように溜息をつき、そこまで話した由樹が、常にどこか俯き加減の顔をふと上げた時、万里子の座る椅子の後ろにひっそりと佇む、多少散らかった机が無意識に目に入った。
 その視線に気が付いたのか、万里子は僅かに自分の机を見、それから自棄に慌てた笑顔を浮かべる。
「あ……! 学校で使うファイル以外は片付けてないから、あんまり見ないで」
 万里子は机の上に散らばるノートをガサガサと端に寄せ、終いには机の上からさり気なく叩き落とした。
 その様子を唖然と見ていた由樹は、まるで自分の子供に言い聞かせるような穏やかな口調で、目の前にいる万里子ですらやっと聞き取れるほどの小さな声で呟いた。
「変わんないね」
 由樹は万里子の部屋から見える洗礼されたような都会の景色が気に入ったのか、無意識にまた窓から外を眺めた。
 僅かに見える大通りの人通りは多く、田舎者が都会のイメージを具現化するには十分だ。
 行く人全てが知り合いのように感じられるのは、由樹が家族を失った、ただの“孤独な人間”だからなのだろうか。
「斉藤はさ、島内と一緒に俺の事試してたんだろ」
「島内……? ああ、ひかりね。あの子、由樹のこと好きだったもんね」
「斉藤は島内の相談相手だったよな」
 万里子はもう一度――まるで反射神経のように――卒業文集を思い出す。
 島内ひかり。彼女は中学時代の、万里子の一番の友達だった。出席番号が近いこともあってか、二人は入学して日も経たぬうちに仲良くなった。
 読書好きで運動神経の良い万里子と違い、読書嫌いで運動の苦手だったひかりは常にネガティブだという欠点があったが、それを万里子がさり気なく癒していたのを、由樹は当初からなんとなく知っていた。
 そして、彼女が自分に好意を抱いているということも、然り。


 在り来たりな音楽。
 “キーンコーンカーン”という聞きなれたメロディが校内中に響けば、皆が皆それぞれのクラスに戻り、席に着く。
 マリコやヨシキ、ヒカリも、ドラマや映画でいうならば“その他大勢”に入るような勢いで、他の生徒達に流れるように席に戻った。
「ねぇ、どんな感じだった?」
 ヒカリは話し上手であり、おしゃべりの類にも入る、何処にでもいる女子生徒だ。
 ヨシキの隣の席のマリコ、そのマリコの後ろの席のヒカリ。ヒカリはヨシキに聞こえないように、そっとマリコに囁いた。
「水澤だよ、水澤」
「いい人だよ。ヒカリも話しかけてみたら?」
 見る間に耳を赤くし、それから侵食されるように顔も赤くするヒカリが可笑しかったのか、マリコは口元を手で隠し、ヨシキに聞こえないように笑った。
 その行動を見たヒカリが忽ち更に赤くなり、思わず大きな声で言う。
「笑わないでよっ!あたしまだ、あの人に話しかけたことないんだもん!」
「あははっ」
 二人はチャイムが鳴ってから教師が来るまでの僅かな間、大いに笑い合った。

 ヨシキの脳内は疑問符だらけだった。
 自分の隣に座る少女は、自分を見て笑っているのだと、何処となく感じ取ることが出来た。
 それは例えて言うならば、廊下で擦れ違った集団の放つ雰囲気で、誰かの悪口を言っているのだと悟れることに等しい。
 しかしヨシキは、その向こう側まで覗き込んだ。
 二人が笑っているのは、決して悪い意味ではない。そう思い、ヨシキはこれといって二人を気に留めなかった。


 遠くで聞こえる車のクラクションが、小さく部屋に響く。
 それは中学校の思い出の一つである、在り来たりなチャイムの音色に似て、どこにでもありそうな無機質な音だった。
「で、本題に入るけど」
「うん」
 万里子は出来るだけ優しく頷き、背筋を伸ばして由樹としっかり向き合う。
 彼は相変わらず俯き加減で、万里子と目を合わせるときも、由樹が万里子を少し見上げているような感じになる。
 伸びた前髪が目に入らないのか、などとあまり関係の無いことを心配していた万里子は、由樹が僅かに口を開いたのに気が付くと同時に、心を出来る限り真剣へと押し込んだ。
「……どこまで話したっけ」
「え? ああ、ええと……由樹のお父さんが早く帰ってきてて……」
「ああ、そうだった」
 こいつ本当に真剣なのか、と今時の女子らしい口調を心の中で呟き、万里子はそれでも由樹と目を合わせていた。
 由樹は今度こそという表情で、静かに顔を上げると、長い前髪をぎこちなく避けた。
「あの日……」
「ん?」
 聞き取れなかったのか、万里子が覗き込むようにして由樹と目を合わせる。
 それを合図にしたかのように、由樹は小さいがはっきりと、結論から述べ始める。
「あの日、早く帰ってきた父さんは、母さんと別れ話をしてた」
 由樹の記憶は見事にフラッシュバックし、その忌々しい過去が彼の脳裏に過ぎる。
 この過去を万里子話すことで、彼女の運命をも変えることになるとは、由樹は予想だにしていなかった。

2005/07/21(Thu)20:00:21 公開 / 光歌
■この作品の著作権は光歌さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
2話です。
万里子の住居地を出せなかったのが残念ですが、近いうちにわかるかと(汗;
ま、分かったところで話には直接関係ありませんがねw;
この話ですが、実は授業中に友達と落書きをしていて思いつきました。
ふざけ混じりで笑いながら「幸せな家族をパパが壊した究極のストーリーを描いてください」と言われたのが、妙に頭に残りまして…;
それで私が期待に答え、アンパ○マンのような目をした家族の落書きとかしてたんですよね、テスト前の授業中に(笑
ちょっとした誕生秘話でした;
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この作品の投稿者 及び 運営スタッフ用編集口
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