- 『淡い夢(読みきり)』 作者:黒井あか / ショート*2 ショート*2
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原稿用紙約7.45枚
さらさらと風がそよぎ、カーテンが風に合わせてフワフワとなびく。窓からやわらい光が差し込み教室全体に白い靄がかかっているのように見える。机が教卓を正面に整列し、その感じはなんとなく外国で見た田舎にある教会の雰囲気を思い出した。僕はぼんやり一人で窓側の机に座っている。
ふーっと溜息をつく。何のためにこんなに早く学校に来たのか理解できない。ただ、なんとなく気持ちいいかな、と思ってここに来たんだっけ。やっぱり僕は変わり者なのだ。そう、異常なほどに、いや、今そんなことはどうでもよく、まともな理由なんて眠くて分からないのが本音だ。ただ、はっきりと分かるのはこうして何もしないでただ机に突っ伏しているんだったら、わざわざ朝メシを抜いてまで早起きするんじゃなかった。と今になってかなり後悔しているということ。計画性まったくなしだな。考えないでその場の気持ちで行動するからだ。まったく僕と言う奴は……。一人でふてくされ、機嫌を悪くし、しばらくそのままじっとしていると僕はゆっくりと睡魔に襲われていった。机に沈み込むように意識が遠のいてゆく。
―――次に瞼を細く開けてみると辺りには何もなかった。教室も、学校も、空も、地面も。僕は透明な液体の中を漂っていた。夢だと分かるまでそんなに時間はいらなかった。それに、ここが夢だろうと現実だろうと関係なく、むしろ現実だったら面白いとさえ思う。何故か不思議と怖くない。息も出来るし、目も痛くない。体が軽く感じて心地いいくらいだった。音がない。見る物も、触るものも、上も下も、動も静も、他の生き物も、全て何もない。ただぼんやりと液体の中を漂っているだけだった。もしかしたらここはお母さんのお腹の中なのかもしれない。そう思うとお母さんの暖かい鼓動が聞こえてくるようだった。
ドックン、ドックン。
しかし、その音は長くは続かなかった。音は止み、またあの静寂が戻った。フワフワと体が回る。手足は力が入らず、たれているだけだ。まるでここにいるのは自分ではないようだった。他人の目線のとでも言うのだろうか。感覚が鈍っていて、ぼんやりとする。もしかしたら体だけがここにいて意識はまた別の場所にいるのかもしれない、こんなことを思ってもみた。そうしてあれでもないこれでもないと考えていたらまた眠くなってきた。そういえば僕は眠っていたのだった。ああ、瞼が重い。寝てしまいたい。寝よう。瞼が閉じる瞬間、
―――コポッ、コポッ。
遠くで音がした。液体から泡が出ようとしているような音。どうやらちょうど足元の方から聞こえてきたように聞こえた。
コポッ、コポッ。
不思議に思い眠い目を無理やり開いて目線をやると随分下の方からやはり空気の塊が浮いて来ているようだった。始めはピンポン玉くらいの大きさだったが、時間につれ段々と大きくなり野球の球くらいになってくるとはっきりした形が見えた。ここから見るとクラゲのようだった。いや、もしかしたらクラゲなのかもしれない。泡のような音を発するクラゲなのだ。泡のクラゲはふにゃふにゃと形を変えて一定の速さで上がって来た。しばらくじっと見ていると時間の流れが止まっているように感じてきた。くわくわと感覚が泡に引き寄せられていく。泡と僕、それだけが世界を構成している。そんな気持ちになった。ふと気づくと泡は随分上がって来た。もう目の前だった。近くで見れば確かにキラキラと輝く拳二つ分くらいの泡。覗くと鏡のような表面に顔が曲線を描いて映る。まるで宝石のようだ。泡を目の前にして自分が泡に愛着のようなものを持っている事に気づいた。時間をかけてゆっくりと上がって来る泡、時々発する可愛い音。久しぶりに会った親友のように、過去に別れたあの娘の様にいとおしく思えた。しかしどうなのだろうか、この泡は僕に気づいているのだろうか? 僕はこんなにも思っているのに、このふにゃふにゃした奴はまだ何も反応を見せてくれない。その上、僕なんて気にする様子もなくすーっと目の前を越して行ってしまった。
コッポッ、コッポッ。
そう思った瞬間、音が鳴った。今更だが挨拶でもしてくれたのだろうか? 別れの挨拶か、それでも諦めていた僕にとって嬉しいことだった。僕は通り過ぎた泡を見上げる。まだ手は届く距離だ。ジッと見上げる。ああ、行ってしまうのか、もう会えないんだな、離れていくんだな。だから挨拶するんだな。今度生まれ変わった時はお前も人間になれよ、きっと可愛い女の子になるはずさ。じゃあなバイバイ……。
―――僕の手は泡を掴んでいた。
ゴボゴボッ。ボゴボゴッ。
泡は粉々に散った。さっきまでの綺麗な玉は砕け指の間からクシャと抜けた。つぶした感触などなかった。空しく握力だけが残る。
―――ゴボゴボッ。
いとおしくも感じたあの泡をつぶす時、僕に全くためらいはなかった。そしてつぶされた泡は水に溶け白く濁ってとても苦しそうだった。しかし、しばらくすると落ち着いてコップに入れたサイダーのようにシュワシュワとまた何事もなかったかのように揃って上を目指して行った。大きいものは早く、小さいものはゆっくりと。ぶつかり合い、時には合わさって。見えなくなっていく。(ああ、これも同じだった。)
崩れたものは形を変えて存在意義を通そうとするのだ。泡だろうが人だろうが……。そうなるのも僕の考えもなしに感情だけの行動のせいだ。なくすのが怖くて、大切な人が遠ざかっていくのが淋しくて……。僕はやってしまう。やはり何も変わっていない。あの娘の時もそうだった。別れると言い出したあの娘の時も……。僕はこんなの悪夢だな、と思った。
この世にはいつまで経ったって戻らないものがある。いくら願ったって手に入らないものがある。そんなこと知っている。知っていても、分からないこともあるのだ。あの泡もどうにもならないものの一つだった。なくしたくないもの、大切なものがたくさんある。ならこの先、生きてゆく中で僕はどれだけ失っていくのだろうか、そう思うと心がしんと軋んだ。しかし、その軋んだ心が出した結論。「なくす前に無くそう」もまた、どうにもならないのだ。そんなこと繰り返すことは出来うることではないのだ。許されうることではないのだ。
僕はきっと繰り返す。もしもまた大切なものが目の前に現れたら……。欲しいものが目の前を去ろうとしていたら……。僕はまた繰り返す。そう考えて眉をひそめた。天高く上ってゆく泡たちを見上げて僕は、
(ああ、泡になりたい)
と願った。
―終―
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2005/07/11(Mon)18:40:29 公開 / 黒井あか
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■作者からのメッセージ
この駄文読んでいただけたのでしょうか…? 読んでいただいた皆さんお疲れ様です。ありがとうございます。
7月11日 皆さんのアドバイスにより少しストーリーを変えました。まだ曖昧ですが、前より「ん?」感があると思います。その分描写が崩れた気がします。その辺りどうでしょうか? 改めて皆さんからの感想お願いします。