- 『七夕の夜に…… 【読みきり】 修正版』 作者:影舞踊 / 未分類 未分類
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全角6533文字
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原稿用紙約21.35枚
乾いた白の空間に薬品の匂いはこびりついているのだろう。待合室も小さいこんな場所でそうそう長居はしていられない。
安っぽいポルノ雑誌と試験管を持って、僕は個室へと足を進める。
男として生まれて、男としてできること。なんてかっこつけて言ってみても、お金のない画家の卵にはほんの少しの恵みにもなるから。
家で無駄にナニするよりも、こうして社会に貢献しよう。
そんな風に思ったわけで。
――このページの娘可愛いなぁ
僕は最低なやつだろうか?
「はい、お疲れ様」
今しがたまで頭と下半身両方に血を回していた人相手だから、この言葉はすごく適切かもしれない。けれどもやはり恥ずかしい。
「どうも」
僕はそっけなく返す。
「どうしたの、素晴らしいことじゃない」
「え、ええ」
陽気にそう話すおばさんは慣れているのだろう。素晴らしいこと、確かにそうなのかもしれないが、俯く僕の気持ちがわからないわけではないだろう。別に後ろめたく思っているわけじゃない。
ただ……まぁこれは男にしかわからないか。
「まぁしょうがないわね。精根尽き果てるって感じかしら?」
その冗談はちょっときついです。
「ははは……」
◆
七夕の夜にメールが来た。
「件名:だめかな?
内容:今日、会いたいの。」
僕はだるい体を起こしながらうす暗がりの部屋の中で携帯を手にとって考える。どうしようか。これはどういう対応を望んでいるのだろうか。というのも、もし僕が素直にこれを真に受けて返信したとする。僕はその返信が少し恐ろしかったりするからだ。
決まった日に会うという間柄でもないし、付き合っているという間柄でもない。仲がよくないということはないけれども、僕らはお互いにほとんど何も知らない。だから、僕は躊躇ってしまう。
僕は『この人』と会うべきなのだろうか? と。
携帯のディスプレイとにらめっこをしていてもしょうがないのだとやっと気づいた僕は、ぽちぽちと指を動かし始める。
「件名:Re:だめかな?
内容:ダメに決まってんだろボケ!――というのは冗談で、いいですよ。どこで会いますか? なんなら車で迎えに行きますが、雨も降ってますし。」
僕はふぅと溜息をついた。これだけの文を打つのに五分もかかってしまった。日頃使わない部分の脳みそと、臆病な僕の性格のせいだ。っとこうしてはいられない。打ったならば早く送信しなければ、ただでさえ五分もかかっているのに――こう思ってしまう僕はやはり臆病なのだろうか? それとも正常なのだろうか?
織姫と彦星。彼らの間に携帯がなかったのは本当に幸せなことだと思う。
一分後、僕の携帯が鳴動した。
人肌恋しさ。この歳になるとそれも分かってくる。
というか、正直この歳になるまでそれが分からなかった。ドラマや映画、アニメ・漫画にいたるまで、僕は恋愛ものと言うやつを毛嫌いしてきたし、その世界とは違う垢抜けすぎた現実の女なんてのはもっと興味がなかった。
それでも僕も男だし、思春期というものも経験したし、それなりにジェンダーというものも理解している。そんなわけだから男としての通り道は通ってきたし、女性という生物を一通り理解してはいるつもりだ。
だがやはり、この歳になるまで『人肌が恋しい』などとは思ったことはなかった。寂しい夜は誰かに抱かれたい。そんな風なことを思う女性と出会うと、昔は蹴飛ばしてやろうかとも思ったが、今なら何となく理解もできる。それだけ老けたということなのか、それとも知らず知らずの内にそのような影響を受けたのか。
ま、どうでもいい。
「名前なんだっけ?」
こちらはどうでもよくない。
梅雨のじとじとした雨が人々の活気を奪う中、僕はさぁさぁと道路を行き交う車の一つを運転していた。黒い車体の中には紺色のシート。全体的に暗い雰囲気の僕の車は、こんな曇りの日は特に薄気味悪くすらある。
せめてもの明るい雰囲気はバックミラーにかかったおさげの人形にかかっているが、曰くつきのものなのでそれを考えると笑った笑顔が悪魔にも見えてくる。ま、ダークな一品ではあるがそんな話を知らないものにしてみれば、よくあるカントリー調の人形だ。
「たしか……」
それにしても、これから会おうとする人の名前を忘れるなんてどうかしている。僕は自分で自覚していないだけで緊張しているのかもしれない。警察に見つかると厄介だからどこかで止まろうかと考えていたが、幸い赤信号だったのでそのまま停止し僕は携帯を取り出す。
ピッピッピッピ、機械的な音が僕の指によって奏でられる。
そして、気づく。
「あっ、知らないや」
信号が青になった。
織姫と彦星は、お互いの名前を知っている……よな。
空はどんよりとしていて、車の中だけれども湿気のせいで雨にさらされているような感じを受ける。大袈裟に聞こえるかもしれないが事実だ。実際僕の車はぼろいので、窓枠から少し雨が入ってきたりする。
最悪だ。
助手席には女の子。
小さな小さな女の子。
人肌の恋しさもまだ知らぬような、淡くて幼いマシュマロのような肌をした女の子。
織姫様は女性ではなく、女の子だった。
「ごめんね。冷たくない?」
「ぇ? あ、えと、少し冷たいです」
正直な子だ。気を使われてないと知って僕は少し安心した。
「これ、そこの窓につけな」
「はぃ」
はっきりとした、でもどこか怯えたような返事。素直に臨時用風雨対策シートを取り付ける彼女を見て、僕は申し訳なさでいっぱいになった。
おさげの髪の毛は今まで染めたことがないのだろう。痛んでいる様子もなく、黒々としていて健康そうな印象を受ける。ノースリーブの上着に、デニムのミニスカートからはともにすらっとした肢体が見えて、僕が日頃目にする痛んだおじいちゃんおばあちゃんのものとは違う若さが純粋に感じられた。
「……ごめんね」
「ぇ?」
そう切り出す僕を見て彼女は何を思ったのだろう。
「いえいえ、もう大丈夫ですよ。車でドライブさせてもらえるんだから、贅沢は言いません」
えへぇと笑う彼女を見て、僕は可愛いでもなく綺麗でもなく、幼いなとそう感じた。
ある程度予想はついていたことだった。彼女とメールのやり取りをやるようになって、文面に見え隠れする背伸びした感じや若い言葉遣い。メールが出来る時間帯や、話の内容なんかでもそれらは知ることができた。もっともそれらは幾らでも装飾の仕様があるからこそ、僕はこうして今彼女とあっているのだが。
「どこ行きたい?」
僕は前を見つめながら彼女に聞く。
「ドライブとお話」
彼女は嬉々としていった。それ以外は望んでいないかのような口ぶりで。僕が僕でよかったというような口ぶりで。
「じゃ、まずは本当の名前でも聞こうかな?」
「はい」
ずっとこちらへ注がれている視線を感じながら、僕らはそう言って話し始めた。
織姫と彦星は同い年だったのだろうか?
天の川を渡るならば船頭がいればいい。
年に一度会うことが出来ると、そんな希望をもたされたから彼らは思いつかないのか。それとも天の川はそれほど激流なのか。
どちらにしろ、永遠に会えないわけではないのだから彼らには関係ないのかもしれない。僕たち人間が生きていれば、彼らの話は語り継がれそれこそ永遠に彼らは会い続けることが出来る。
もちろん、会えない時間の苦しみも、彼らは背負うことになるのだが……。
七夕だというのに、梅雨の季節は終わったはずだというのに、今日はしとしと雨が降る。おかげで僕のぼろい車は音を上げそうなほど走らされたし、僕は僕で帰り道を聞かなければわからないほど遠くまで来てしまった。
美味しそうにパフェを頬張る目の前の少女を見て、僕はにこりと微笑んでみせる。いや、微笑んでしまった。
元来仏頂面がしみこんでしまっている性質だから、こうして自然と頬が緩むのを感じると自分がどうかなってしまったのではないかと思ってしまう。ま、大抵どうかなってしまっているのだが。
僕は三杯めのコーヒーのおかわりを頼んだ。
「彦星さん、コーヒー好きですね」
「織姫ちゃんはクリーム好きじゃないか」
僕らは互いを織姫、彦星と呼ぶ。
いやいや、そういう趣味があるわけじゃない。彼女がそうしようと言ったのだ。本名を名乗るのが嫌なわけではなさそうだったが、「七夕が終わるまではそれで呼びましょう。ね?」とそんな風にお願いされてはこちらとしては何も言えない。
結果僕らは七夕が終わるまではこの呼び方を通すようにした。本名を名乗るのは七夕が終わってかららしい。
ん? ということはこの子は僕と明日、つまりは今夜十二時過ぎまで一緒にいるつもりなのか?
今更ながら――本当に今更ながらだが――僕は口に含んだコーヒーを吐き出しそうなほど驚いた。
「どうしたんですか?」
それが態度に出たのは言うまでもなく、そんな僕に案外冷静に尋ねる彼女は見た目よりは若干大人なのだなと思わせる。子供のような驚き方をした自分が恥ずかしい。
「いや、なんでもないよ。――お、雨が止んできたね」
時刻は午後四時、夜のお食事まではまだ幾分か時間がある。
「あ、ほんとだ」
端的に、それでも愛着の沸く言い方で彼女は零す。パフェもほとんど空になった。
次はどこに行こうか。僕が尋ねると、彼女は、
「彦星さん、画描くんですよね?」
「ん? うん、まぁね」
「じゃあ私その画を描くのが見たいです。七夕の夜空と海がいいです」
「いや、それはいいけど……時間かかるよ」
「下書きだけでもいいんです。完成したら、送ってください」
何かこう切迫したものが、彼女には感じられた。
だからか。「わかった。描こう」と言った時の彼女の笑顔は、その日見た中で一番輝いていた。
織姫は彦星に何かを望むのだろうか? また彦星も織姫に何か望むのだろうか?
画材を取りに帰って画を書く場所を決めて、他愛のない話しをしているとすぐに時間は経ち、僕らはディナーを取ってから海へと向かうことにした。そもそも夜空を見るのだから、夜でなければ不可能な話だ。
イタ飯などというものはどうにも肩がこる思いだったが、彼女が満足してくれたので僕も満足することにした。思ったよりもよく食べる彼女はお酒が飲めない分(まぁ僕運転があるので飲めないのだが)、量が足りなかったようで僕の分を分けてあげたほどだった。そのおかげで満足があるのだが、何だかなぁという感じだ。
そんな感じで夕食を終えて、漆黒のおんぼろをまったり走らせ、目的地へと着いたのは八時だった。爽快なほど誰もいない浜辺は真っ暗で、だが目も慣れてくるとそれは綺麗な風景だった。思わず(似非であるが)画家として色々考えてしまう。
そうして僕らは浜辺の一部に溶け込んだ。
あれほど気持ちの悪かった雨にも感謝しなければいけない。
今こうして晴れているのにそれほど暑さを感じないのは、あの雨のおかげだろう。湿度が高くむしむしとした感じは微塵もない。不思議だったが、気持ちいいので特に問題はなかった。わからない疑問にやきもきするなんて馬鹿げている。今気持ちいいのだからそれ以上何を望めというのだろう。
星達の映える空。月もくっきりと浮かび、海面にその光を照射している。通り雨だったのかもしれない。夜空にはもう雲はほとんど浮かんでいなかった。
とりわけ星に詳しいわけではないので、夜空を眺めても星座を見つけることなんて出来ない。メジャーな北斗七星はわかるけれども、どれが一等星だとかどれが六等星だとか(こちらは見えないらしいが)も僕にはわからなかった。夜の風景は時たま描くが、星の知識は要らないからそんなもんだ。
けれども、黙って天の川を描く僕に彼女は色々と教えてくれた。
「天の川に分けられてる、あのほら……そうです、それそれ。わし座の一番光っているのが一等星で、アルタイル――彦星です。それから、こと座の一等星ベガが織姫で、お月様がね。ほら上弦の月でお舟なんですよ」
うぅむ、中々に詳しい。
「もともと中国のお話なんですよ七夕って。織姫と彦星が結婚して、織姫が機織をしなくなったからって天帝――お父さんです――が二人を引き離したんです。それでね」
これは調べてきたな。そんな風に勘ぐってしまう僕はやはり星座とは相性が悪いらしい。
結構どうでもいい話だった。でも知らなかった分結末が知りたいのも本音だった。
「天の川は二人を分けてるけど? 二人はくっつけるのかな?」
僕は鉛筆を止めずに聞いた。ざっ、ざざーと波の音が聞こえる。
「はい、大雨が降って天の川は渡れない。でもそこにカササギの大群がきて二人を引き合わせるんです。ロマンチックですよね」
これぐらいの年代の子はこういうことに興味がないと思っていたが、そんなこともないのか。星座や、上弦の月などと言える辺り、
「調べてきたの?」
「ひどっ、趣味なんですぅ」
ぷくぅと膨れる彼女を見ずに、僕は鉛筆を滑らせる。あははと笑ったのはご愛嬌、彼女もそれだけで満足そうだった。適度に湿った潮風が僕の手を後押しするように、どんどん画は出来上がっていく。
凪の海は静かで、浜辺に打ち寄せる波音も聞き逃してしまいそうなほど小さい。時刻は午後九時二十七分。
辺りはすっかり暗いのだから、眺めるものは空か海かしかないだろうに。僕はよくもまぁもの好きだなと感心せずにはいられなかった。彼女も本当に静かだ。
「何見てるの?」
僕は何となく聞いてみた。沈黙が耐えられなかったわけではない。むしろ心地よいものだったから、尋ねたことは本当は答えてくれなくてもよかった。
「彦星」
大人びた口調に一瞬どきりとするが、それはまぁ僕のことではないだろうと思いとどまる。ガールからレディに変わる瞬間というものはいつなのだろうか?
「飽きない?」
「うん」
静かな口調が心地よい。
「織姫は見ないの?」
一瞬の間。
「え? あ、織姫? うん、見ない。だってわがままだもの」
混乱した返答にこちらも混乱して首を傾げて振り返ると、彼女は夜空を見上げてはいなかった。僕はさらに困惑した。彦星ってもしかして……。
努めて冷静に、平静を装って声を出したつもりが、半オクターブほど上がって口から飛び出す。
「わがまま?」
短い言葉で助かった。彼女は何を気にした風もなくこくりと小さな首を縦に振った。
「どうして? わがままなのは天帝だろう?」
そう言うと彼女は、ふんわりとした黒髪をなびかせ首を横に振る。
「わからんなぁ」
その後、可笑しそうに笑った。
彦星と天帝ってどういう関係だったんだろう?
時刻は十二時二分前。正確に言えば午後十一時、今五十九分となったところだ。
「名前……ですか?」
彼女はなぜこんなにも怖がっているのだろう。いや、緊張しているのか。嫌ならば言ってくれればいいのに。
「嫌?」
「いえ、そういうんじゃないんです」
やはり、何か別の要因があるらしい。
「僕から言うよ」
「ま、待ってください! 私からっ! 覚えておいて、下さいね」
その後僕は、別に普通で特に変わったこともない日向井杏(ひむかいあん)という名を聞いた。
でもその後の言葉で僕は、彼女の名前を深く深く心に刻みつけた。
この瞬間僕は、なんと愚かな彦星だろうと思わずにはいられなかった。
織姫も彦星も、思い合うからこその繋がりなのだ。
僕は感情的なほうではなかったけれど、泣いて僕に抱きつく彼女を見て、もらい泣きせずにはいられなかった。
◆
ここに一枚の絵画がある。
描かれたのは天の川にかかる上弦の月と、それを眺める二つの一等星。
凪のない海面にはそれが映り、照り返された月光と星達の瞬きは淡い灯火をつくる。
よくある風景画の凡作。
けしてうまくはない作者にプライドがあったのかどうかは別として、それにはきちんとサインが入っている。
「Dear,my little little baby from S.T」
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2005/07/07(Thu)23:36:37 公開 / 影舞踊
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■作者からのメッセージ
すいません。七夕ということで。
他の方々とかぶっていたりもするので投稿するのを躊躇ったのですが、やはりこうして投稿してしまっている影舞踊をその寛大なお心でお許しください。
最近やっと小説を書くにはたくさんのものがいるのだなぁと気づきました。皆様の作品に比べていかに自作が稚拙か。書けば書くほど自信を失ってゆく今日この頃、誰か影舞踊に才能と度胸をください。作中にも出てきましたが「人肌恋しい」そんな気持ちの影舞踊です(もう黙れ
読者の方々には本当に頭が下がる思いです。ほんの少しでもお気に召さない点がございましたら、言ってやってください。影舞踊は打たれづよいです(苦笑
*わかりにくいんだということを忘れてた馬鹿作者。ある種どこまで読者様が読み取れるかという実験作でもあったわけで、本当に申し訳ないです。というか本当に嫌がらせの如くわかりにくいので少々補填しました。すいません。
ありえないこと(日本ではまだ)だと思うのですが、その辺は色々と夢を持って下さい(苦笑(マテ 知識不足のためおかしなところがあると思います。もしも読み返してくださった方は納得していただければ幸いです。本当にすいませんでした。わかりやすくなりすぎだと言われるかも(笑
感想・批評等頂ければ幸いです。
*七夕の短冊が叶いますように(あっ、これ笹じゃねぇや