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『散歩道』 作者:マイケル / 未分類 未分類
全角2465文字
容量4930 bytes
原稿用紙約8.3枚
「明菜、行くぞ」


南に田んぼ。北に店の開いた大通り。そんな環境に挟まれた、平凡な住宅街。
前田明菜(まえだ あきな)の家の通りには、小さな男の子と散歩する老人が一人。甲高い子供独特の声が青空に響いている。
今日はよく晴れている。この梅雨のジメジメした季節にはめずらしい。

父親が、玄関で明菜を呼んでいる。明菜はさっさと車に乗り込んだ。

「行きたくないね。じじぃのとこなんか」
心の中で、明菜はつぶやいた。
……今から、ヤツのとこに行くのかぁ。
明菜は、祖父が嫌いだ。
昔は、さっきの男の子のように、手をつないで田んぼ道を歩く仲だった。毎日毎日、夕方の五時になると、明菜は祖父と散歩に行きたがった。
「あーきちゃんはね、明菜っていーうんだ。本当はーね……」
祖父は、毎日明菜に歌って聞かせた。演歌好きの祖父の歌声は、どこか演歌のような発音が混ざっていた。明菜はそんな祖父の歌を真似て歌い、母親に変な顔をされたこともあった。

だが、小学3年生にもなると、明菜は祖父に苛立ちを覚え始めた。
祖父は耳が悪くなり、明菜は耳元で、大声で言葉を発しなければならなくなった。
補聴器を買ったが、正常には戻らないし、そう変わりもしない。
いつまでも、自分を幼い子供のように扱う祖父に、明菜は苛立ちを隠しきれなくなっていったのだ。
明菜は、祖父とあまり話さなくなった。

だが、後に明菜は後悔した。祖父は、それを境にするようにして、おかしくなり始めたからだ。


「昨日、××県○○市の住宅街に住む主婦相田君代さん(65)が、夫の富次郎被告(67)に殺害されました。富次郎被告は妻の君代さんの痴呆症に悩んでおり……」
車のラジオから流れるニュース。それを聞くなり、明菜はうなずいた。
明菜には、この男性の気持ちがよく分かったからだ。明菜の大好きだった祖父は、三年ほど前にアルツハイマーだと診断された。
一年ほど前までは、家の中で世話をしてきたが、祖母がノイローゼになり、老人の訓練施設「若葉」に預けられるようになったのである。
毎日、夜中に起床し、水道の水を流し続け、顔を洗い続ける。そればかりか、風呂場で用を足し、家の中を徘徊し続けた。同じ部屋で寝ている祖母は、毎晩祖父の奇怪な行動を見張っていなければならなかった。
祖父のおかげで、前田家の水道代は3倍に跳ね上がる始末。おまけに、祖父はトイレの場所が分からなくなっていた。おかげで、明菜たちは床に注意して歩かなければならない。前田家のストレッサーといってもよいほどであった。
最近よく耳にする、老人の殺人事件のニュース。
うちだって、おばあちゃん一人で面倒を見ていたら、おばあちゃんはあのじじぃを殺してたかもしれないな。と、明菜は思った。


だが、明菜の心はそんな反面、罪悪感が沸いていた。アルツハイマーとは、趣味、おしゃべりといった、日常的なことができていない老人にかかりやすい病だ。
祖父の趣味はパチンコ。おしゃべり相手は……幼い明菜ほどいい人間はいなかったであろう。
しかし、小学三年のとき以来、祖父と話すこと自体、極力減ってしまった明菜。
もしかしたら、祖父をあんなふうにしてしまったのは、自分なのかもしれない。明菜はそれを考えると、自然に涙がにじんだ。
あんなにやさしかった祖父の瞳は、今では生気をなくしている。話していることも、半分以上が意味不明であり、理解をするのは難しい。


若葉に着いた。足取りが重い。
別に祖父に会うのすら、そんなにも嫌なわけじゃない。明菜は、若葉の住人に会うのが嫌なのだ。祖父のように、死んだ目をした老人が何人もいる。いるはずのない孫と、かくれんぼをしているおばあさん。ずっと、手をたたき続けているおじいさん。大声で突然怒鳴りだすおばあさん。
まさにゾンビの館に忍び込んだような感じを受けるほどである。

普段なら、明菜がここに来ることはない。けれど、今日は別だ。家族はめずらしくついてきたんだな、くらいにしか思わなかっただろう。
だが、明菜は今日の日付を毎年忘れたことはなかった。

「前田です」
父親はスミレ棟のインターホンを押した。
たちまち、厳重な扉が開けられる。係りの人がにこやかに出迎えた。
「あら、その子って、明菜ちゃん?」
愛想のよい係りのおばさんが話しかける。
「はい」
明菜がうなずくと、おばさんは祖母の顔を見ながら言った。
「毎日『明菜ちゃんはいないかね? 』って言うんですよ」

祖父は大部屋の真ん中にいた。車椅子の上で、だらんとしている。
「おーい、じいさん。きたぞ」
父が祖父に話しかけた。
祖父はうなるような声でなにかモゴモゴ言っている。
明菜は、ポケットに手を入れた。祖父は、饅頭が好きだった。アルツハイマーになった今もそうである。
だから、母について買い物に行ったとき、少々値の張る饅頭をひとつ買ったのだ。明菜はこっそりと、そのプレゼントをポケットに忍ばせていた。

「明菜ちゃん」
明菜の顔を見るなり、祖父は嬉しそうに話しかけた。
目は死に、歯は溶けて、外見も昔とは比べ物にならないくらい違う。けれども、明菜の名前だけは、わすれないし、大好きなものも変わらないようだ。
明菜はやり切れなくなった。
明菜の兄の名前や、息子(明菜の父)の名前は忘れがちなのに、明菜の名前だけは、一度も忘れたことがないのだ。小学三年のとき、あんなにひどいことをしたのに。何度祖父が話しかけてこようと、無視したこともあった。
なのに、祖父は明菜の名を忘れないでくれていた。

「誕生日、おめでとう」
明菜は、ひとつの饅頭を手渡した。祖父は顔を上げ、にこりと笑った。
口から見せる歯は溶けているし、顔も少し強ばっている。
だが、祖父の笑顔は、昔田んぼ道を一緒に歩いたときに見せたものと、ちっとも変わらないように見えた。
明菜には、祖父がそのときだけ、昔の優しいおじいちゃんに戻ったように見えた。明菜は祖父に微笑み返した。
そして、明菜は帰る間際に祖父の耳元でささやいた。
「また、来るからね」と。
















2005/07/02(Sat)22:22:40 公開 / マイケル
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■作者からのメッセージ
初めまして。
私のじい様をモデルに書いてみました。
足りないところは大量にあるかと思いますので、たくさんアドバイスや感想をください。読んでくださった方、ありがとうございます。
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