- 『WHIMSY ZEPHYR』 作者:いみや せんげん / ファンタジー ファンタジー
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全角7044.5文字
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原稿用紙約21.95枚
【これは、前にウィムジーアワーという題で連載していたものの改変版です。詳しくはコメント欄をお読みください。前作品は削除しました。それでは、↓からが本編となります。】
涼しげな陽光が降り注ぎ、地では花と虫が戯れる。どこか遠くで細波の音が聞こえ、非常にゆっくりと時間が流れる。付け加えるように所々、人工かと思われる石の小さな建造物がたっているが、蔦が巻きつき鳥が巣をつくり、自然と全く気にならないほどに溶け合っていた。昔、人がいたのだろうか。しかし今はそんな気配は全くしない。木々が時々囁くように葉を鳴らす。そこの空気は暖かい。暖かいのだが、どこか寂しい。これほどまでに緑に溢れ、一つの世界が出来上がっているのにも関わらず? 空虚が漂うのは何故だろうか。
その場所に、細く白い裸足が踏み出した。風に乗せられてきたように現れ、その人間の着ている白の布端は踊るように揺れる。その白は、肌の美しさを一層引き立たせている。細い腰から豊かな胸元まで完璧とも思えるアーチを辿り、締まった肩の上には長い首が、その上には顔がある。だがその顔ははっきりと見えない。長いしなやかな淡い茶髪が風に乗る。その髪を片手で抑えると、腕に垂れかかる腕輪が軽い金属音を立てた。唇が少し開いて、何かを呟く。その声は柔らかな紙をくしゃくしゃにするときの音に似ている。更にまた何かを、短い言葉を呟きながら、辺りを見回した。足元に黒い蝶が舞い、どこかに行ってしまった。尚もその人は何かを探したが、ふと気付いたように天のほうに目を向け、目を細める。それから憂い深くゆっくりと合掌し、祈った。
再びの沈黙が訪れる。その人間は、そこでずっと祈っている。何かを請い求め、訴えかけるように。
【WHIMSY ZEPHYR】
第1話 : 幻の地メヒシュ
背中に強い衝撃を受けた。頭が酷く痛む。
「寝てんじゃねえよ! 分け前が欲しくないのかよ」
はっと目を開け、辺りを見回す。そこには見慣れた薄暗い宿屋があった。隅のほうに階段があり、二階は客室になっているようだ。しっかりした木材で組み立てられた床や壁は、古びてもいい味を出している。隣には茶髪の男が座っている。今回一緒に仕事をした…………名前は思い出せないが、知りあいだ。
机をはさんで向こう側には、眉と目の下がった気が弱そうで、恰幅がよく長い袖から貴金属の指輪が見え隠れしているこの男、確か依頼人だ。……思い出した。仕事から帰ってきて、報酬を受け取るところだ。
「……すみません。つい気が抜けて」
そんな失礼な自分にでも、依頼人はにっこり微笑みかけた。
「いえ、お気になさらずに。なんせ、この辺じゃ名高い風煙(ふうえん)さんに仕事をしてもらえたんだ。結果も出たことだし」
隣の相方は、投げやるように鼻で息を吐き、俺の肩を憎らしく小突いた。
「だとよ、風煙。腕利きは仕事中でも余裕が違うね」
俺は奴をひと睨みした後、無視して依頼人に顔を向けた。
「名高いなんて、そんな。……話を戻しましょうか。まず、前金はこちらの通り無事届いております。それで、報酬金は予定は結果からこちらなんですが、いかがです?」
依頼人はもう一度依頼書に目を通す。それから別の紙にそれを写し取り、もう一度向きなおった。
「もちろんです。直ぐに用意して、また使いを送ります。大体二日ほど後になるのですが、よろしいですか」
「ええ。結構ですよ。では、帰路の道中もお気をつけください」
俺が立ち上がって一礼すると、隣の奴もそれに続いた。
「ありがとうございます。また何かの折にはよろしく頼みます」
そう言って彼はドアを開け、外に出て行った。後ろで大きなため息が聞こえる。俺は振り返った。奴は、特徴的な大きな鼻を赤らめ、かんかんに怒っていた。
「悪かった」
「悪かったじゃねぇよ! ここまできて、もし破棄されてたらどうすんだよ。……まったく、もう。情報屋の仕事なんて、今や競争率が上がってるんだ。――――まあ、ここで成功してるお前にとっちゃ関係ないかも知れんがな。俺はもうお前とは組まねぇつもりだし」
こんこんと俺を指差しながら奴はさらりと言い除ける。
「俺もだ。最初から気が合わない奴だと思ってたが、その意見だけは同じだ」
俺が挑発すると、向こうはぎっとこっちを睨んだ。俺も睨み返す。暫くの間どちらも言葉を発さず、その状態が続く。後、俺は鼻を鳴らして嘲り笑う。
「本来なら、俺一人でも十分こなせた仕事だ。それを、馴染みの店主に頼まれて、お前の腕を上げるために同行させた。少なくとも報酬の七割方、俺だな」
「何を! やるのか?」
奴は更に俺を睨んで腕をまくった。俺もため息をついて、構えた。その時。
「はい、リラ茶二つ!」
陶磁器に入れられた茶が零れるのではないかと思うくらい、それは荒く机の上に置かれた。俺たちは動きを止めた。
「うちの店で騒ぎを起こすなって此間言ったわよね? 風煙も風煙よ。あなた、先輩でしょ? もっと大人になりなさいな」
店主だ。彼女は、右肩あたりで茶色の巻き髪を長く結んでいる。素朴な顔立ちだが、切れ長の目からは凛とした印象を受ける。
「……二日後にまた来るからな。報酬は五分五分だぞ」
奴は俺を睨んだままで、出された茶を一気に飲み干し、ドアを開けた。それからもう一度こちらを見て、鼻を鳴らし店を出て行った。
店主は大げさにため息をつく。
「……――――まったく、あなたって人は。世渡りを覚えなさいよ」
「悪かったね、子供っぽくて」
俺はもう一度椅子に腰掛け、茶に口をつけた。まず甘味が鼻を抜け、深い植物のような香りが喉の奥に広がる。
「今回の仕事、どうだった?」
ほかに客がいないのを確認して、店主も椅子に腰掛ける。
「うん――。まあ、想像つくだろ。でも、依頼人はさすが北方の人間だ。金持ちは器量が違うね」
「そんなに割が良かったの?」
鞄の中から俺は依頼書を取り出した。店主はそれを覗き込む。すると彼女の目は胡桃みたいに真ん丸になった。
「……この人、相場ってものを勉強したほうがいいわ。これじゃそのうち騙される」
彼女はもう一度数字を見直した。
「心配要らないさ。この人は俺のリピーターだから」
俺が自信満々に言うと、店主は呆れ顔をした。それからふと微笑む。
「それにしても、あなたも名をあげたわよね。あの情報屋、ほら、何ていったっけ。一時期伝説とも言われた、女の情報屋さん」
「游禽(ゆうきん)?」
「そうそう。游禽。あの人と並ぶくらいになったんじゃないの」
俺は嘲った。だが、相手を悪い気にさせるつもりはなかったので、ぱっと表情を戻す。
「そんな馬鹿な。まあ、腕はそうだといいが。でも俺はあんなのじゃないさ。あいつは、金と権力の亡者だって業界じゃ噂されているんだ」
「ふうん。でも、情報屋ってみんなそんなのじゃない?」
店主は笑った。俺はむっとして、そっぽを向いた。
「俺は違うぜ」
「まあね。私もそう思うわ。仕事中に眠るんですもの。よっぽどいい夢でも?」
皮肉っぽく言い放つ。俺は正直に話すことにした。
「まあ、そんなところさ。楽園みたいなところにさ、一人の女が現れたんだ。……顔は良く覚えていないけど、何ていうんだ、そうそう、神秘的。白い服をまとって、柔らかそうな茶色の髪が揺れてさ。何か探して、祈ってたんだ。……もう一回出てきてくれないかな。この世でどうこうって問題じゃないほどの奴だぜ、あれは」
店主はゆっくり片眉を吊り上げ、こっちをじろりと見た。
「……なんだよ」
俺は少しだけ後悔した。女の前で他の女を誉めるな。これは肝に銘じていたはずなのに……。
「よっぽどお気に召したみたいで」
店主は額に掛かる前髪を邪魔そうに避けた。
「え? 嫉妬?」
俺がそう笑うと、彼女は口角を少しだけ上げてちょっと俺の肩を叩いた。
「今日は二階の部屋を借りてくよ。空いてるよな」
「ええ。一番手前の部屋が空いてるわ。……でも、お隣さんが厄介だけど、我慢してね」
店主が腕を組んで苦笑する。
「お隣さん? 俺の泊まる部屋の?」
「そうよ。占い師とか言ってる男なんだけど、会うなり私に『良い死に方できませんよ』とか言いやがったの」
風煙は吹き出し、その後も堪えきれずふつふつ笑っていた。
「……ちょっと、何で笑うのよ」
「いや、別に。確かにそうかもな、と思って」
彼は小さく謝罪した。笑われた女店主は、ため息をついた。
「まあ、会ったら挨拶だけしてとっとと避けることね。あなたみたいな奴は何言われるかわからないわよ」
「俺は慣れてるからいいさ。いきなり発狂するとか、そういう類の奴じゃないんだろ?」
「とりあえずはね」
店主は懐から錆びた小さな鍵を取り出し、風煙に渡した。礼を言い、彼は階段を小気味良い音を立てながら上っていった。
奥まで差し込みきらず、ちょっと手前で回す。俺は、この部屋の鍵の癖を熟知していた。これじゃあ他のお客が困るだろうに、と思いながらも部屋に入る。ドアの止め具はこないだ直されたばかりで、開けごこちが軽い。
箪笥と窓と寝台と机、他には洗面所のみで構成された至って簡単な部屋。俺は何故か前からここがひどく落ち着いた。整えられた布団の上にどさりと荷物を置き、窓を開け風を入れる。永遠のような旅路の向こう、険しい山々に赤い日が沈んでいく。ここから見渡せる町並みは、平穏と形容するのが一番だろう。外にはいくつもの服が干され、家への帰路を辿る子供達の声が聞こえる。中年の大柄な女性は、果物売りとの世間話に夢中なようだ。
仄かに暗い部屋に向き直り、依頼書を広げた。簡単に済ませられるものはさっさと提出して報酬を貰うだけだが、中には大掛かりで年月を要しそうなものもある。もちろん報酬は比例し、名声は高くなる。だが、俺の望むものはそんなものじゃなかった。もっと、もっと何か……。
「そのあんたの心のそこにへばりついてるものの名前を教えてやろうか。欲だ、特別な存在になりたいとか、そういう類のな」
投げ捨てるような、気だるい声が部屋に響いた。俺はびくりとして、戸のほうへと顔を向けた。
「まああんたの未来の道は広いから、何しても成功するんだろうな。自分の足につまづきさえしなけりゃ」
俺は、直感的にこいつが隣の占い師だと気付いた。まとまりのない農茶色の髪を後ろで束ね、だらりとした着こなしをしている。眼鏡は左右の高さがあっていなかった。俺は一応愛想笑いをしたが、完全にそうなっているか自信が無い。占い師は何がおかしいのか薄く笑った。
「……他人のお部屋にはノックして入りましょうってふるさとのお母さんに教えてもらわなかったか?」
俺は足を組んで、極限にとげとげしく言い放つ。占い師は鼻で笑った。
「扉の向こうの人物が、ノックしなければならない事情であるか否かなんて、私にはわかりきったことだね」
奴はぼうっと横を向いて、後頭部あたりを掻いた。ぼさぼさの髪が余計にひどくなる。
「仮に別に必要としなくても君の人格が問われるぜ。もし俺の心臓が極度に弱かったら、お前は医者を探さなきゃならないしな」
占い師はめんどくさそうに眉をしかめ、引きずるように歩いて俺のそばまで来た。
「日常に退屈しきってるのに、抜け出したくない。怠惰な根っこだなあ、あんたの心ってのは」
目を合わさずにそう言い、広げられた依頼書に触れる。
「おい、こりゃ俺の仕事の道具だ。触るな」
俺は、彼の右手首を掴み、除けた。だが奴は左手で数枚の依頼書を取ろうとした。その手もなんとか防いだ。
「何しにきたんだよ、君は」
「すまない。でも私にはあんたがここに来るのはわかってた。だから、ちゃんと用意してきたんだ、依頼書」
面白くもなさそうに、早口で占い師が言う。俺は気持ち悪いとかそういう奇妙なものが走り抜け、彼の手を払うように放した。それで重心を崩した占い師は少しよろけ、間を空けて、呟く。
「……『幻の地メヒシュの存在の確認、有ならば場所』……こんな仕事、やってみたかったんじゃないのか、一度」
占い師はさもしく笑った。俺は一瞬呆けた後、はっとして彼を睨んだ。
「さっきから、占い師だとか何とか言って、横柄な口をきいて。君のような人間は不快だ。悪いが出て行ってくれないか」
「人間本心とは向き合いたくないもの。分かるよ、私には。あんたの脳みその裏側までね」
奴は嗤笑のようなものを浮かべたが、それさえも面倒なように表情を戻した。
「――――気っ、色悪いこといいやがって」
もしかしたら、今ここで俺が考えていることもあいつに読まれているのだろうか? そう思うと気が気でならない。それさえも見透かすように、占い師はふつふつ笑った。
「占いは読心術じゃない、安心しろ」
俺は驚いた。
「じゃあ、なんで」
「あんたはただでさえわかりやすい。僕にかかっちゃ、なお更だ。言ってやろうか、君の性格を。飽きっぽいが、一度執着すると一生はなれない。自分が第一で、完璧主義者。少々潔癖症なところがあって……私みたいな奴は嫌いかな。それに……」
俺は片手を上げて奴の言葉を制止した。何もかもが的を得ている。俺の気分は最悪だったが、なんとか表情を微笑むにとどめることができた。
「……脅すつもりかい。何か俺は揺さぶられることをしたかな」
「いいや、あんたは善良な奴だろうよ。私はただ依頼をしにきただけ。……ほら」
占い師は、懐からくしゃくしゃになった依頼書を取り出し、俺に向かって差し出した。
「……なんでそんなにメヒシュの事が知りたいんだ?」
俺は差し出された紙を見ながら、片眉を吊り上げる。
「あんたならメヒシュの伝説はとうにご存知のはずだ。誰もがそこへ行ってみたい事も」
「ああ。『遥けし海の中らに、清ら古都島あり。そこへ行けば心許なし事全て消え去り、常世の美しきを見る』ってやつだろ。俺の仲間も何人かがこいつを探した。結局見つからなかった」
「じゃあ、あんたが見つけろ。メヒシュ古都島を」
占い師は、初めて俺と目を合わした。人の目が見れる奴だったのかと少し驚いたが、依頼書を突き返した。
「わざわざ、俺に頼む必要ないんじゃないのか? 占い師だろ、メヒシュがあるかないかぐらい占ったらどうだい」
「あんたは占いを穿き違えてるな。……依頼書に書いてあるゼロの数が足りないか? ならば、あと二つほど足せる」
ほとんど抑揚をつけずに言った。もしも何も考えずに聞いていたら早口言葉だと思うだろうな、と考えた。一瞬唾を飲んだが、言葉を続けた。
「……足りないぜ、それでもな」
「何故? 十分すぎる額だろう」
俺はもう一度唾液を飲み込む。
「金の問題じゃないからさ」
「おや、本心かな、それは」
占い師がねったりと言う。目の前のこのふざけた客人を少しふっ飛ばしたくなったが、止めておいた。
「偉大な過去の英雄は、富を求めた。そいつらはそれを手に入れると不老不死を望み、最後には自滅していった。だが俺は違う」
「そうか。ここであんたが迫られている選択の内の一つも、あんたを自滅へと導くだろうけど」
占い師は意地汚い笑みを浮かべる。面倒くさそうに依頼書を突付き、署名を促した。だが俺はまだそれを承諾する気は無かった。
「お前が見るのは運命か? それとも人の心か」
疑わしげに訊いた。
「どちらも違う。未来の虚無だ。そうなっては面白くないから、私はこうして助言している」
俺は占い師の男の顔をもう一度見る。表情が無く、考えが取り辛い。俺が黙っていると、彼はふと呟き始めた。
「……あんたの言った運命だが、それは全てを従えてしまうものだ。私が見るのはあんたの虚無、そこからできるだけ外れるように足掻いているだけ。
まあそれは別として、魅力的じゃあないか? 未知の島を発見するのは――――あんたは開拓者となりうるんだ」
「もしそれ自体なかったら?」
「ある。なければ作ってしまえばいい、架空の中に。あんたはそれだけのことを成し遂げられる」
いけ好かない。そのような言葉が、俺の頭の中に浮かんだ。このような人間には出会ったことが無いからかもしれない。いけ好かない、確かにそうだがおもしろいかもしれない。
低い笑いが零れだし、依頼書を受け取った。そして机の上にあった筆に墨をつけ、名前を流すように書いた。占い師は相変わらず力なさげな表情だったが、明らかに満足していた。
「……どうも。私は川心という。メヒシュには、私も同行させてもらおう」
「足手まといにはなるなよ、占い師殿。明日の昼から、情報の収集をする」
川心は長い袖を翻し、ふらつくように一礼した。頼りない足取りで出て行く。俺はそれを見送りながら、不確かな地メヒシュを想った。
そのときに何故か、あの夢の光景を思い出した
「知っているか、名高き情報屋。もうひとつの言い伝えを。『その地、物体に宿る幻なり。麗しき地は常しえの美を保つ。汝それを閲す時、その由を知る』……」
誰もいない廊下で、川心は呟いた。
「…………その人はそう言ったんだ、私に。助けてあげないと可哀想だろう、ねえ?」
薄い笑い声が密かに響く。
「全てはサミアラ神の元に。私はそれに従うのみ……」
彼は跡形も無くその場から姿を消した。
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2005/06/25(Sat)21:41:47 公開 /
いみや せんげん
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■作者からのメッセージ
いみやです。
ウィムジーアワーという小説を書いていたのですが、最初のヴィジョンがはっきりしていなかったため、プロットに土砂崩れがおきました。
なので、改変しました。スケールも小さくしました。前作品を読んでくださっていたかたは少々混乱するかと思いますが、申し訳ないです。登場人物も、同じ名前でも別人だと思ってください。
【ウィムジーアワー】にコメントくださっていたかた、ありがとうございました。もう一度全て感想を読み返し、今作品の助けとさせていただきました。すみません。