- 『この花が君に届きますように』 作者:翔 / 未分類 未分類
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全角6321文字
容量12642 bytes
原稿用紙約23.45枚
梅雨が明けた。
待ち兼ねた夏がやって来た。
雨のせいで長い間訪れていなかった屋上へ足を向ける。
梅雨の季節、どうにも気分が冴えないのは、どんよりとした暗さや湿っぽい空気だけでなく、雲により空から隔てられたせいだとチカは思う。
天へ届かないことは、チカを脅えさせた。
(……あれ……?)
人が寝ている。
コンクリートの上で仰向けに大の字。
ここ、西棟の屋上は本来開放されておらず、立ち入り禁止のはずだ。
もう長いことここに住んでいるチカはこっそりと鍵を手に入れて、自分のお気に入りの場所にしていたが、そのささやかな秘密基地に侵入者が眠っていた。
どうしよう、とチカが戸惑っている間に、その人は目を覚ましたのか、身体を起こした。
「ふぁ…」
のん気に欠伸などをしている。
眠たそうに目を擦るのは、オレンジの髪、耳にはいくつもの連なるピアスをぶら下げた少年だった。
立ち尽くすチカを座り込んだままで見上げる、綺麗な淡色の目。
「……? どうかしたの?」
柔らかく笑う。
外見からは想像できない穏やかな声だ。
「ここの患者さん?」
そう訊かれて、チカは頷いた。
チカはもうずっとこの病院に入院している。
少年はTシャツにジーパンというラフな格好で、パジャマ姿の自分がひどく恥ずかしくなった。
テレビでも滅多に見たことがないほど少年の顔は整っており、手足もすらりと長く、まるでモデルのようだった。
高校生くらいだろうか? 14歳のチカよりも年上なのは確かだ。
「俺の友達がここに入院してるんだ」
ここはその友達が見つけたのだと言う。
「あいつ、昼寝場所を探すのが趣味みたいなヤツでさぁ」
のんびり笑う。
いつまでも突っ立ったままのチカを手招きして、ぽんぽんと床を叩いた。
その仕草につられるようにチカは少年の隣に座った。
「俺、シズカ。きみは?」
「チカ」
「チカちゃん? よろしくね」
ハンサムな顔に微笑まれ、チカは思わず赤くなった。
オレンジ色の髪が光を浴びて透き通り、とても綺麗だった。
「シズカぁ!」
バン、と扉の開く音がして、また侵入者だ。
シズカと同じ年代の男の子。
「竜」
「おめー、ふざけんなよ。なんだよコレはぁ!」
竜と呼ばれた少年が両手で広げたのは……トランクス。
「着替えを持ってこいっていったのは竜だろ〜?」
「だからってなぁ、スイカはねぇだろ!スイカ柄のトランクスは!」
一体どこで買ってきたんだ、とシズカに投げつけたものの、風に揺られてへたりと手前に落ちた。
目の覚めるようなスカイブルーに、赤く切られたスイカがいくつも踊っている。
その青と赤のコントラストがなんともいえない脱力感を誘った。
「お前はどうしてこう嫌がらせに手間ひまを掛けるんだ……」
あぁ疲れた、と言ってへたり込む。
「怪我人なんだから無理すんなよ」
「誰のせいだよ」
竜は唸り、チカとは反対側のシズカの隣に腰を下ろした。
入院している友達とは彼のことなのだろう。第二ボタンまで外したパジャマからチラリと白い包帯が見えた。
「絶対に仕返ししてやっからな」
「何をこのくらいのことで。やだねぇ、心の狭い人は、ねぇチカちゃん?」
「え? は、はい」
「ん? 知り合い?」
竜は今はじめて目に入ったとでもいうようにチカに顔を向けた。
「そー。さっきお友達になったの俺たち。ね?」
「えっと……」
「お前なぁ、こんなとこでナンパすんなよな」
呆れ顔で竜が言った。
それから三人並んでぼんやりと空を眺めた。雲一つない晴天なんて、本当に久しぶりだ。
「あ、やべ」
竜が身を起こした。
「由希がノートを持ってくるんだった」
病室に戻る、と砂を払って立ち上がる。
「居なかったら探しに来るだろ」
「いや、あいつは帰る。そーゆーヤツだ」
竜の行動に、チカは自分も病室へ戻らなければいけないと気がついた。
しかし、シズカと共に作り出された空間はとても居心地がよく、離れがたい。
「俺も、か〜えろっと」
そんなチカの心情を察したのかシズカも立ち上がった。
「じゃあね、チカちゃん」
にっこり笑い、ひらひらと手を振ってシズカは軽やかに階段を降りていった。
翌日屋上を訪れると案の定というか、やはり彼は居なかった。
チカは軽い失望を覚える。突然チカの世界に飛び込んできた少年は、チカの中にほわりと何ともいえない温かみを残した。
だから、多分そのせいだろう。
ここを見つけたという竜も見かけなかった。
「や、チカちゃん」
そう言って、彼が屋上を訪れたのは三日後のこと。
「シズカくん」
「シズカでいいよ?」
優しく笑う。
「じゃあ私もチカでいいよ」
「そう? なら、チカ、これお見舞い」
シズカが手渡してくれたのは、小さなブーケだった。
色とりどりの花に、淡いピンクの包装、赤いリボンが添えてあり、とても可愛らしい。
「わぁ、ありがとう!」
満面の笑みでチカがお礼を言うと、シズカも嬉しそうに微笑んだ。
「やっと笑った」
「え?」
「明日またこの時間に来るよ。チカは?」
「あ……、く、来る!」
「じゃ、またね」
シズカは先日のようにまたヒラリと手を振った。
そうしてシズカは、チカの元に度々訪れるようになったのだ。
ある日、シズカは制服だった。グレーのブレザーにチェックのネクタイ。
「ねえ、その髪は学校で何も言われないの?」
チカは前から気になっていたことを訊いた。
「まぁ言う先生もいたけど。なんで駄目か理由を訊いても要領を得ないし。俺を納得させたら止めるけどさぁ、とにかく駄目なんだって言われても、そんなん聞けるわけないじゃん」
ねぇ?とチカに同意を求める。
「チカはこの髪キライ?」
「えっ、ううん! 好き」
「だろ? 結構うまく色入ったと思うんだよね」
シズカはオレンジの前髪を引っ張りながら言った。
成績もよく人気者で(本人談)、先生達もシズカの外見のことは諦めたらしい
一方チカは、近所の中学校に籍を置いているが、ほとんど登校していない。
三年生になったというのに制服は新しいまま。
友達だって出来ない。
「シズカの友達は元気? ここを見つけたって言ってたのに会わないから」
最後に彼に会ったのは、シズカに初めて会ったあの一度きりだ。
そりゃ会わないんじゃない?と事もなげに言う
「ああ、竜? もう退院したもん」
じゃあシズカはどうしてここに来るのだろう?
「ん〜? いや運命かなと思ってさ」
運命?
「俺、そういうのには逆らわないようにしてるんだ」
ちっとも意味がわからない。
こんな曖昧なことを言われると期待してしまいそうだ。
小さい頃からずっと憧れていた。
お母さんと一緒に見ていたドラマに憧れていた。
格好いい男の子と恋愛。
シズカの優しい目も穏やかな笑顔も、何もかも勘違いかもしれないのに。
シズカは屋上だけでなく病室にも訪れるようになっていた。
チカが自分を諌めても、毎日訪れるシズカとの時間に、まるで恋人同士のようだと浮かれてしまう。
チカはある時、不安になった。
どうしてシズカは毎日来てくれるのだろうと。
もしかして……同情?
「毎日ありがとうございます。あの子、本当に明るくなって……」
そう母の声を聞いたとき、ああ、やっぱりと思った。
シズカが来てくれるのは同情なのだ。
病気の女の子を哀れんで来てくれていただけなのだ。
「ねぇ、もう来なくていいよ」
「なんで?」
きょとんと訊き返すシズカが憎いと思った。
「同情なんていらない!!」
ドライフラワーにしていたシズカのブーケを投げつけた。
そのままベッドに潜り込む。
悔しくて涙が出た。
「同情じゃない。チカに会いたいから来てる」
大好きな穏やかな声が、今はただ自分を宥めているだけに聞こえて腹が立った。
「シズカなんて嫌い!」
「俺は好きだよ」
「うそつき!」
「どうしたら信じてくれるのさ?」
シズカが優しく言う。
長い指がブーケをベッド脇のテーブルに戻した。
「……じゃあ」
シズカを困らせてやろうと思った。
「そんな小さなのじゃなくて、もっと大きいのをちょうだい。いっぱいの花。両手で抱えられないくらい」
花が高いものだということをチカは知っている。
「千本の花」
高校生には出せないような注文をしてやる、と思った。
「ふーん。なんの花がいい?」
「え?……えっと……バラ、真っ赤なバラ千本! 大きなのよ! そんな小さいのは駄目!」
本当は、ブーケが嬉しくて嬉しくて、ドライフラワーにしたのに。
綺麗な色合いの優しいブーケが大好きだったのに、貶めるような言い方をした。
「いいよ。そんなんでいいの」
あっさりとシズカは言った。そして、次の日、本当にシズカは千本の薔薇を持ってきたのだ。
「俺、金持ちなの。こんなんじゃ気持ち試したことにはならないよ?」
シズカは微笑んで言った。
「本当の望みを言って?」
それはやっぱり優しい穏やかな声で。
同情だと知っていたけれど。
涙が溢れて。止まらなくて。
「恋人になってくれる?」
「いいよ」
抱きついたシズカからは、薔薇の香りがした。
千本の薔薇の甘い香りが広がっていた。
きっと、シズカはもう知っている。
チカはもう秋を見ることはない。
この夏が最期の季節だなのだ、と。
シズカは理想の恋人だった。
格好よくて優しく、博識で話は面白かった。
じゃれるようなその仕草はとても優しかった。
「チカは八月生まれなのか」
「シズカは?」
「俺は七月。このまえ過ぎたばっかりだ」
チカは一緒にお祝いをしたかったな、と少し残念だった。
15歳までは生きられないだろう、と生まれたときからチカは言われていた。
誕生日は、恐怖でもあった。
いっそのこと早く死んでしまえれば楽なのに、と何度も思った。
死んでしまう子供の入院費のために父があくせく働くこともない。
毎日の看病に疲れる母も、自分のために我侭をいうことが出来ない弟も。
どこかで早く死ななければ、と思っていた。
チカが死ななければみんなの苦しみは終わらない。
シズカが恋人になってくれたのも、チカがもうすぐ死ぬと知っていたからだろう。
すぐに解放されると判っていて、同情で時間をくれたのだ。
シズカは、チカが恋人が居たらしてほしいと思っていたことを全てしてくれた。
先生に許可をとって、遊園地にも連れて行ってくれた。
綺麗な宝石の指輪をくれた。
大好きなシズカ。
ずっとずっと一緒にいたいよ。
「チカ。花火見に行こう」
夕暮れの赤く染まった病室にシズカは訪れた。
面会時間は過ぎていた。
もう立てなくなっているチカを毛布に巻き、抱き上げる。
シズカが向かったのは、二人の出会った屋上だった。
病院の裏手に流れる川は、赤く、大きな樹の陰が長く土手に敷かれていた。
「多分、ここからよく見えると思うよ」
中庭に面したチカの部屋からは、花火は見えない。
シズカはチカを抱えたまま腰を下ろし、優しく瞼にキスをした。
誕生日は、一日、また一日と近付いていた。目を覚まさないのではないかと怖くて夜は眠りにつけない。
「早く死んでしまえばいいのに」
するり、と口から本音が滑り出た。
シズカに言ったのは、初めてだった。
そうすれば、この恐怖からも解放される。
チカに隠れて泣く母も、辛そうに見る父も、もう嫌だった。
自分が死ねば恐らく彼らはとても悲しんでくれるだろう。
しかし、彼らが前に進めるようになるのはその後なのだということも、チカは知っていた。
「もうすぐ死ぬ子供のために必死に働いて、お金を使って、看病して」
「いいんだよ。それが、望みなんだから」
「望み?」
「チカが一秒でも長く生きてくれることだよ。実際に俺の妹もそうだった」
「妹さん、亡くなったの?」
「あぁ、5年前にな……。その時も、一秒でも長く生きて欲しいと俺も両親も思ってた」
シズカの顔を見ると、悲しい目をしていた。
「だから、な……。もう、そんなこと言うなよ」
「……うん」
何度も聞いた言葉。
嘘だとは思わない。
でも。
ドォン!
花火が上がった。
夕暮れは遠のいて、辺りは藍色に沈み始めていた。
「チカ、花火は好き?」
「好き……」
「俺も。すげえ好き。いつまでも上がっててほしいと思う」
シズカは呟いた。
「ねぇチカ。花火は無駄だと思う?」
優しい声が問う。
「一瞬で終わってしまう花だよ。作る手間も打ち上げるのも大変なのに、それでも咲いてほしいって思うよ」
チカはシズカの言わんとしていることに気がついて、彼を見上げた。
ドォン、とまた遠い音がする。
「花火って、幸せじゃない?」
チカはもう何も言うことも出来ず、頷いた。
「見てるだけで幸せになるんだ」
溢れる涙に光は滲んで、花火は夜空に散らした絵の具のように混じり合った。
シズカの腕の中はとても気持ちが良かった。
その夜は、久しぶりに恐怖を覚えず眠りについた。
「運命って?」
チカは訊いた。
シズカは誰にでも優しい。
チカをからかったり、意地悪を言ったりすることもあるけれど、どれも楽しく思えるものばかりだった。
それでいて、どこか他人とは一線を画しているようなところがあり、誰もそこには踏み込めないような気がしていた。
シズカは、誰かに恋をすることがあるのだろうか。
誰か、その中に入り込める人はいるのだろうか。
シズカはチカを哀れんだり、そしてチカを失うことに脅えたりしたりはしなかった。
ただ一緒にいて、ただ隣りにいた。
チカの悪化に合わせて暗くなっていく空気も、シズカの穏やかな様子に浄化されるようだった。
「なにが、運命だと思ったの?」
チカは繰り返し訊いた。
「チカに会ったこと」
「ホントに?」
「うん」
シズカは初めて出会ったあの後、チカを探しに来た母と遭遇した。
そして余りの慌てようにチカの病状を聞いたのだという。
「もう一度会えたら運命だと思うことにしよう、って」
小さなブーケを持って屋上へ行った。
そして、チカは居た。
「だから思ったんだよ。チカは恋人になるんだろうって判った」
「すごい自惚れ。私が好きにならなかったらどうするつもりだったの?」
「考えてなかった」
シズカはチカに向かって微笑んだ。
憎たらしい。
自意識過剰。
大好き。
「忘れないでね」
「忘れない」
チカはシズカにしがみつきながら、祈った。
いつか出会う、シズカの恋人。
彼の心の片隅に残ることを、許してほしい。
そう願うことの我がままを、どうか許してほしい。
「シズカ、探したぞ」
「竜」
「花届いたぜ」
「ん」
シズカは短く応えて、喪服のネクタイを軽く締め直した。
大仰な花の数々に眉を顰める参列者もいたが、シズカは気にしなかった。
千の花は、チカが唯一シズカに ねだったものだ。
例えそれがシズカを試すだけのものだったにしても、チカの本心だと知っていた。
チカの両親も何も言わなかった。
誕生日のために選んだ花。
チカは、15の誕生日、その日に息を引き取った。
シズカは一つ一つ違う種類の花を自ら探した。
美しい千通りの花を用意した。
その夜、またどこかで花火が上がる。
夏の間は、いつも何処かで祭りが行われている。
夏の誕生日に脅えながら、それでも空が近くなる夏が好きだと言ったチカのために、長く続けばいいと願った。
美しい花火が届けばいい。
涙は、あとからあとから溢れた。
「シズカ……」
竜は言葉を濁す。
どこか博愛じみたシズカの、同情だと思っていた。
「好きだったんだな」
「じゃなかったら毎日通ったりはしない」
シズカは涙を拭うこともせず流れるままに花火を眺めた。
ぼんやりと光が浮かび上がる。
千花。
千本の花より 、
夜空に咲く花より、綺麗な花。
どうか今夜咲く花が
空へ届きますように 。
千花 、
君まで届きますように 。
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2005/07/04(Mon)00:01:45 公開 /
翔
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