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『ディープ・ブラッド   13〜15』 作者:御堂 落葉 / SF SF
全角20277.5文字
容量40555 bytes
原稿用紙約71.1枚

 blood.13     宿敵定めしは対のインペリアル





「へえ〜、もとは日本出身なんだぁ〜♪」
「カッコいいね。前はどんなガッコに行ってたの?」
「今どの辺に住んでるんだろう」
「携帯とか持ってないの? よかったらメアド交換しようよ〜」



 高等部用校舎といっても、一口で表すには多すぎる総勢300強。
 高校レベルでの渡来者はどこに行っても珍しい。
 ましてやその顔の造作に完膚の無さが窺えれば文句のひとつも言いたくなる人だかりが、はい出来上がり。
「しっかし……えらい人気だな、さすがわテンコーセー、テンコーセー」
「編入生の間違いな気もするけどね」
「………」
「………」
「いや、どっちでも一緒っしょ」
「そうだね」
 わらわらと集る大勢の大半が女子で、というか段々女子だけになりつつある。
 その中心の原因はというと、にこにこしながら穏やかに質問に答えてゆく。
「いくら同性だったとしてもあそこまで群がられたらアタシはキレてんな〜」
「……亜里沙の場合は単に性格上の問題なだけ」
 ディスプレイ脇のフリースペースに腕をどんと置き、そこに顔を半分埋めながら亜里沙が怖いことを言うので、舞ではなく志筑が冷ややかに牽制した。
「どっちにしたって人気だな〜。やっぱああいうのって定番なんか?」
「……十中八九、顔よ」
「皆まで言わんでもそれは判ってら」
 ……そうね、と呟く志筑を苦い顔で見てから、舞はクロトを見る。
 隣りから「んぁ〜、」と唸る声がする。
「でも驚いたな〜。アイツまさかココの留学生だったんだってかよ」
「うん、ビックリだったね」
「……昨日、舞を助けてくれたのが……彼だったって」
 志筑はクロトを遠くから観察するように眼を細めながら訊いてくる。
「おーよ。あん時はマジ助かったんだぜぇ〜? ま、悪い奴には見えない野郎だよ」
 その眠りに入る一歩手前の口調で亜里沙がそう言ったことに、志筑は内心驚きを憶えた。
 普段からいいヤツ悪いヤツで区別する粗野な亜里沙でも、舞が絡むと辛口になる。
 はずなのに、男を相手に評価を緩める亜里沙。
(……目付け失格)
 内心で亜里沙を薄く咎める。
 舞・イズ・ダブルガードナーとしての自覚を失くしている気がしてならない。まさか顔か? と勘繰る。
「……そういえば、彼はどっちに入るつもりなのかしら」
「ふぇ、どっちって?」
「……授業方針選択よ。学術か戦闘か」
 あ〜、と小さく舞が納得する。
 その奥でだらしなくなり始めた亜里沙がちらりとクロトの微笑みを盗み見て呟いた。
「戦闘科なんじゃね? アイツの腕ハンパじゃなかったぞ?」
「……そんなに?」
「舞が拉致られてる状況でも、舞にかすり傷負わせずに全滅させたんだ。ありゃ素人の偶然じゃねぇよ」
 そういえば、と亜里沙は舞に顔を向ける。
「舞、あん時さ、アイツ……アタシの背中の上で何やったんだ?」
 舞は天井を仰いで数秒、
「う〜ん、どうだろう……なにかね、亜里沙ちゃんの背中の上でグルグル回って、気が付いたら周りの人たちが顎を蹴られてたよ」
「ふ〜ん……ますます強いんじゃね?」
「……そう」
 どうでもよさそうに呟く志筑を見つめてから、クロトに視線をずらす。
 ふと、考えたことがあって、舞に視線を向ける。
(つっても………あの一瞬で顎蹴ったって、フツー視えるか?)
 そこにいるのは、白い肌を陽光に透かして映える雪のような色を持つ日焼けを知らない深窓のお嬢が如くの綺麗な顔。睫毛も長く、目は大きく丸い。色抜けした栗毛の髪をサラサラと揺らしながら、天使のように無垢な笑顔を晒している。
 その口元から八重歯が見えて、何だか小悪魔を連想させてしまえる。
「………」
 亜里沙には、どうも何かが違う気がしてならなかった。
 いつもの親友の姿に、何故か疑問を持ってしまう。
 何故かは分からなかった。ただ、何かがおかしい。
「……、なに? 亜里沙ちゃん」
 生まれたての雛のように無垢な顔で見下ろしてくる舞に、亜里沙は一瞬グラついたが、
「うんにゃ、なんでも」
 何事も無かったように繕った。

「舞さん」

 不意に声が掛かる。
 見上げると、舞達のもとへ歩み寄ってくるクロトがいた。
 背後でまだたむろっていた女子生徒は一様に口をぽかんとさせる。
 憐れな……。
 亜里沙と志筑は同時にそう思った。
「クロト君……あの子達はもういいの?」
 すると、苦笑しながら頬を掻く。
「いえ、どうもこの時間中に終わりそうもないので、勝手ながら抜けさせてもらいました」
 なんだ一応自覚はあるのか、と亜里沙は思いつつも口元をニヤつかせる。
「つかお前、この学園の留学生だったのかよ」
「はい。ですから昨日言ったでしょう? 『またお逢いしましょう』、と」
 その微笑みに、一瞬悪戯めいたものを感じ取った亜里沙は失笑する。
「ったく……今時んな使い回しの無い演出はないだろ」
「まあ、偶然が重なったので粋がってみたんですよ。面白かったでしょう?」
 んなこと、と言おうとした亜里沙は硬直する。
 舞とクロトの視線の交わる中点で、亜里沙は頬を少し赤らめた。
「……………まあ、嫌っつーことはなかったけどよ」
 その言葉に、微笑む。
「それで充分です。ドッキリ番組じゃないんですから、そこまで驚きは含んでいませんしね」
「はは、なんだお前。話してると面白いじゃんか♪」
 カラカラと笑う亜里沙と、それを微笑ましそうに見る舞。
(……なに……この男は)
 2人の変わり様に、志筑は眉をひそめた。
 その視線に気付いたように、クロトはこっちを向く。
 焦ったわけでもなく反射でそっぽを向く志筑を見て、彼女の思考に気付くはずのない舞がクロトを見た。
「あ、ほら……昨日言ってた志筑ちゃん。加賀 志筑ちゃん」
「ああ、貴方が……」
 さも納得としたように目を細めるクロトに対し、志筑は少しむっとした。
(……気安い)
 毒づく志筑に、会釈がかかる。
「クロト・ヴァーティラインです。よろしくお願いしますね」
「……そんなことよりも―――――――」
「!」
「―――――――舞と亜里沙とはどういった経緯で知り合ったの?」
 いきなりの辛辣な口調にクロトがキョトンとするなか、隣りの亜里沙は驚いた顔をしていた。
「経緯……ですか? どうと申されましても、単なる偶然としか」
「……そう」
(ご不満のようですが……?)
 舞と亜里沙には聴こえない呟きでクロトがさらりと言うのに、志筑はギョッとした。
 見上げたそこにはもう爽やかな笑顔はなく、まるで無表情の上に貼っつけただけの薄っすらとした笑みで見下ろす。まるで勝ち誇ったような顔で、志筑は余計にむっとした。
 だが、それを言葉にも表情にも出さずに抑える。ここで感情をグラつかされれば、どこぞの粗暴単純娘と同じになってしまう。そうはいかない。
「……別に、私にもアナタにも関係の無い思慮よ」
 淡々と言い切る志筑に、クロトはやっと苦笑いで表情を崩した。
「なんの話だよ」
 亜里沙が訊いてくるが、志筑は立ち上がる。
「……なんでもない。そんなことよりも亜里沙、次の3,4時限目は選択分離でしょう?」
「おっと、そうだった。今日はなんだろーな……また走り込みだったらあのハゲセンコーの靴紐踏んづけてやろっかな」
「……やめなさい」
「っひひ♪」
 笑いながら亜里沙も立ち上がる。
 クロトは舞と視線を合わせた瞬間に、ふっと笑顔を見せてから亜里沙を仰いだ。
「俺はどちらなのでしょうね。まだ大雑把な説明しか聞かされてませんが」
「どーなんだろぉな……ん? クロト、あれ」
 くいっと顎をしゃくって向こうを差す。
 振り向くと、丁度クロトを見つけた白衣の男が何も言わずに指だけでチョイチョイと招いている。
「クロト様ご指名入りま〜す」
 亜里沙が後ろからふざける。
「クロト君はどっちにいくの?」
 舞が訊くと、クロトは振り返って答えようとしたが亜里沙が制止する。
「先に行ったほうがいいぜ。熊野センセー結構待つの嫌いなタイプだからよ」
「そうですか、分かりました」
 では、と会釈をして出口のところで背もたれる熊野 一利に歩いてゆく。
 ふと、その背中が立ち止まる。
 何事かと見ていた3人の前で、クロトは自分の座っていた席のほうへ向くと、頭を少しぺこりと下げた。
 きゃあ、と軽い悲鳴めいたものがして、納得した。
 クロトが脱出した地帯。つまりは歴戦の姫騎士達が集う戦乱の場に向かって、クロトは会釈したのだ。
 たぶん、いや確実に、あのタダで見るにはもったいないほどの笑顔で。
「……………知ってっか? 『もったいない』って、日本でしか使われない言葉らしいぞ」
 呆れ半分でボケてみる亜里沙に、「そうなんだ!?」と素で驚く舞がいた。










 3時限目。
 各自で2人組になってストレッチをする、ジャージ姿の生徒達。
 ただ、生徒と呼ぶにはあまりにも体格のゴツい大男や、不良じみた眼光を放つ生徒もしばしば見られる。
 よくこんな面子で騒動が起きないものだが、そこはかとなく生徒会執行部も畏れる教師軍の目下が影響している。畏れる理由は退学がどうこうじゃない。教師が平気で返り討ち≠ノしてくるのだ。しかも、容赦も何もないから溜まったものじゃない。
 亜里沙と志筑もジャージに着替え、2人で背を合わせて腕を絡ませて志筑が亜里沙を仰け反らせる。
「っつーかよ、珍しく人間相手に出たな」
 なんら苦になってないような口調で亜里沙が言う。
 それを頭上から聞きながら、志筑は首を捻った。
「そんなことよりも=Aだよ。お前のソレっていわゆる『お前のことなんてどうでもいい』発言だろが」
「……そうね、確かにそうかもしれないわ」
「言い切りやがったか……っつか、おま、そろそろ降ろせや」
 志筑が降ろすと、今度は亜里沙が引いて仰け反らせる。志筑の黒くしなやかな長髪がはらりと垂れる。
「……そんなことよりも、亜里沙……アナタ、彼のことはどう思っているの?」
「あん? 彼?」
「……編入生」
「ああ、クロトか……あいつがどうかしたのか?」
 わざとではなく、恐らく本気で訊いたのだろう。だが、それはなおさら志筑を怒らせる。
「……舞に近づいているのよ?」
「あ〜、そういうことか」
 一旦間を空けるように志筑を背から降ろしてから振り向く。
「何とも言えないんだよなぁ〜アイツ見てると。最初は舞に近づくジュウかと思ってたんだけどよ」
 志筑が頷く。『獣=ジュウと読む』は志筑にも確立されているローカルルールだ。
 亜里沙は考え考え頭を掻く。もともと考える脳はそこまで持ち合わせていないが、舞が絡むと率先して思考する。
「なんか、素で街を案内いてほしかったっぽい感じでさ。助けてくれたって言ったろ? だから悪い奴って感じはしねぇんだよな」
「……、」
「なんだよ、冗談キツいっつの。アタシはパス、パス。タイプじゃないよ」
 顔の前で手を振って否定する亜里沙。
 だが今度は別の意味での笑みを手で隠して志筑が勘繰る。
「……あら、初耳。どんな殿方がお好みで?」
 引きつった頬を赤らめて、亜里沙は後ずさる。
「ふ、ふざけんなっ……! どーでもいいじゃねぇか、んなこと!!」
「……そうかしら? 私はとりわけ聞き逃すにはもったいない発言なのよね」
「ばっ! バーロォ!! 誰がんなも、んっ……、あぁもう!!」
 真っ赤になって自爆した表情を、逃げるかのように振り返って背を向ける。
 どうやら懸案事項は舞だけでは無いことに、志筑はささやかながらにほくそ笑んでみた。
「ねぇねぇ、紫藤さん」
 一人で屈伸をしている亜里沙に、女子生徒4名が近寄る。
 クラスメートだが、とりわけ仲が良い間柄でもなかった。
 同じ学園同じ学年同じ教室同じ選択同じ性別。ただ、それだけ。
「んだよ」
 さして平常通りに返事をする亜里沙に、内二人の女子が怯える。
 まあまあ、と何故か亜里沙の目の前で前に躍り出ている女子がなだめる。なんだか当てつけな感じがして、亜里沙は気分が悪かった。
「あのさ、クロト君がさっきアナタ達に親しそうに話してたけど、知り合いなの?」
(なるほど)
 察する。解りやす過ぎて、舌打ちをしそうになった。
 つまりはそういうことである。
 これから狙っていく男に、彼から寄り付くような女がいては困る。そう言いたいのがバレバレだった。
 しかも亜里沙に、というのではなくて、彼女達が案じているのは二人ではなく舞のほうである。
 顔がどうの性格がどうの成績がどうののアイドルだ。策略を練るような打算性を孕んでいる女子は少なくない。
 一種の嫉妬なのであるが、どちらにしたってそんなしょうもないこと≠ノ巻き込まれる筋合いはない。
「知らねぇな、それがどうしたんだよ」
 ざっと言ってざっと斬り捨てる。
 あまりにも酷い言い草にも思えるが、それは志筑とて黙して案ずる答えだった。
 ただ、あまりにも無知を誇らせる少女達には、やはり冗談とさえ通じない。
「なに、その態度……」
 その言葉のつっけんどんさを、彼女達は『冷たさ』としか見なかった。
「そんな言い方しなくたっていいじゃない」
「あん? 別に、これがアタシの喋り方だよ。文句あんのかよ」
 多少睨みを効かせる。
 だが、それがいつぞやの不良ならいざ知らず、相手は年端が同じただの女子高生だ。
 びくり、と肩を震わせる4人に亜里沙は大仰にため息をついた。
「第一アタシらに訊こうってのがお門違いなんだよ。別にアタシらはアイツを呼んだ憶えはねぇんだからな」
 同意なのかを求めるように一人の少女が志筑を見つめるが、一瞥して気付いた志筑は興味も無さそうに目を伏せた。
 その反応が同意であると感じ取った女子生徒達は、冷ややかな侮蔑の表情で振り返り様に、
「なにアレ……ちょっと強いからっていい気になっちゃってさ、バッカみたい」
「いいよもう、いこいこあんなの今度の模擬演習でやっちゃえばいいんだよ」
「え〜でも強いしさぁ」
「4人で囲めば大丈夫だって」
(聴こえてるんだよバーカ)
 靴の紐を結び直しながらうつ伏せになっていると、亜里沙の辺りが急に暗くなった。
 何かと見上げればそこには、
「やあ亜里沙ちゃん」
 いつかの長身のロン毛が髪をかき上げながらこっちを見下ろしていた。
 また、舌打ちしそうになった。考えてみれば選択分離で嫌でも逢うことを忘れていた。
「んだよ」
 今度は多少怒気を含めて睨んだ。
「いやぁ……昨日は結局うやむやに終わっただろ? だから今度はしっかりと告白してみようかと思ってさ」
「なんでそれをアタシらに言う必要があるんだよ」
 アタシら≠ニ付けた亜里沙から、志筑へ視線を変えて再び亜里沙へ戻す。
「だって、キミ達僕のジャマするでしょう? だから今度は二人っきりでさ……」
 最後のほうでちゃんと言い切らない喋り方に、亜里沙が立ち上がり拳を握り締める。
 だが、
「……よしなさい」
 寸での所で志筑が拳を押さえた。
 変わらず冷めた視線で見てくる志筑に、東堂 晃は髪をかき上げながら笑う。
「志筑ちゃんもこんにちわ。殴らなくって正解だよ、亜里沙ちゃん」
 ぐ、と拳に力を入れるだけはしながら、亜里沙は振り返る。
「さっさと行くぞ志筑。こんなヤツと話してたら馬鹿になっちまう」
「……」
 さっさとその場を離れようとする二人の背に、東堂のせせら笑う気配が感じられた。





「え゛〜今日の3,4時限の分離学科実技についてだが」
 いわゆるバーコードヘア、率直に言うなら禿げかけた頭に脂性じみた中年教師、西本 茂芳(にしもと しげよし)の学年別集合の場にて、それは一つの驚きの状況だった。
「今日編入してきたヴァーティライン君が、戦闘科を選択した。皆、集団でいじめないように」
 どっと笑いが漏れる。
 ただ、上っ面だけの物言いに亜里沙がつまらなそうにそっぽを向く。
 グラウンドの上で体育座りをさせられている生徒達の前に立つ西本の隣りで、同じくジャージ姿のクロトが佇んで微笑を浮かべている。
 青全般に白いラインの入った質素なジャージだが、クロトが着るとそれすらもカジュアルに着こなしている雰囲気があって変に見えない。
(……女子の赤いジャージを着ても違和感が無い気がするわ)
 耳元で志筑が囁いてくる。
 それを想像した亜里沙は、咄嗟に口を押さえる。
(ばかっ、笑いそうになっただろが……!)
「あ〜ヴァーティライン君。君は戦闘科については簡単にしか聞かされていないはずだったが」
「ええ。でも大体は教えていただいたので構わないのですが」
「む、そうか」
 とりあえず手に持つボードに乗っている紙に出席確認をしながら西本はクロトへ向く。
「そうだな……この時期は全校演習の類はないからな。ヴァーティライン君、なにかやりたいことはないか」
「俺が決めるんですか?」
「戦闘科の消化内容はその場で決めてしまうことが多い。今日は君に合わせてやってみよう」
「そうですね……」
 顎に手を添えて思索するクロト。
 やがて結論が出たのか、西本へ視線を向け直した。
「実戦形式では出来ませんか?」
 その一言に、西本はもとより生徒達も薄くざわついて動揺した。
 西本が恐る恐る訊き返す。
「それは……摸擬演習で構わないと? 実際に戦闘を始めてしまっていいと?」
「はい」
 そこでスマイル。
 西本は気圧された。だが、ここで却下をするのは言い出しっぺのすることじゃない。
 苦渋の選択だったが、鵜呑みにした。
「いいだろう、なら今日の内容は摸擬演習だ」
 おお〜、と歓声めいたものが出る。
 近頃走り込みばかりだった彼等にとって、やっと違うメニューを食べさせられる犬のようだった。
「各自第4仮設校舎に移動しろ、グズグズするなよ」
 待ってましたと言わんばかりに立ち上がり土を払うと、ぞろぞろと歩き出した。
 西本は近くにいた2年の担当教師のもとへ小走りで向かい、何か……おそらく事情を話しにいったのだろう。
 それを遠くから見ていたクロトの脇を、小突く肘があった。
「よっ、クロト。やっぱ戦闘科に来たんか」
「亜里沙さん」
「しっかし、いきなり実戦かよ。やる気満々だねぇ〜」
 意地悪く笑う亜里沙。
 その後ろから冷ややかな声がする。
「……亜里沙。アナタだって楽しそうじゃない」
「おおよ、久しぶりの殴り合いだぜ? わくわくすんじゃねぇか♪」
「……単純」
 侮蔑とは違う言葉に、亜里沙はニヒヒ、と笑う。
「そんじゃま、頑張って成績アップを狙いますか。早く行こうぜ」
 子供のように楽しそうな感情を内に秘めて歩く亜里沙を苦笑して追うクロト。
 そのクロトの背を見ながら、志筑は好機だと悟った。
(……どうせなら、その強さを知っておくべきね)
 黒髪の奥に隠されるハンターのような視線で、志筑は視察を測ることにした。










 blood.14     摸擬演習・前編





「血液中の白血球は、体外から侵入したウィルスに対し反応し―――――――」
 教室に響く熊野 一利の声を耳にしながら、舞はチラと時計を見た。
 3時限目開始から、もう10分は経っている。
 結局、クロトは戦闘科を選んだらしい。
 それを知っているのも、実は彼がもう一度教室へ戻ってきて、舞を呼び出したのだ。

 遡る。それは廊下を歩いて階段の屋上前の踊り場にて。





『済みません。いきなりでしたね』
『ホントだよぉ……』
 頬を膨らませる舞に、クロトは苦笑する。
『でも、実際にここに在校して潜伏する手筈だったんです』
『ふーん……』
 と、何となく納得しかけて、気付く。
『………どうやって編入したの?』
 満面の笑みで、
『コネです』
 《WITCH》の、と付け加えなかった。
『あはは………そう……』
『どちらにせよ、学生に成り済ますほうが後がラクなので仕方が無いことです』
 後、が何を意味しているのか良く解っていない舞は、クロトを見上げる。
『クロト君は、これからどうするつもりなの?』
 何のどうする≠ネのかを自覚しているクロトは顎に手を添えて考える。
『そうですね、潜伏して一段落しましたが……やることは街をうろつくことぐらいですねぇ』
 笑うクロト。
 だが、舞が視線を落として黙っていることに気付いて表情を曇らせた。
『あの……済みません、何かマズいことでも言いましたか?』
 そこでやっと心配されていることに気付いた舞が、顔を上げて慌てた。
『あ、ち、違うの……! あのね』
 クロトは頷いて、その続きを待つ。
 舞はしどろもどろで口を噤み、何かを躊躇っていた。
 何だろう、と首を捻る。
『あのね……その……』
 何かを言いそうで言い淀む。
『………あの、やっぱり言えないから……放課後会えないかな?』
 呆けるほどではないが、クロトは面食らった。
 何かを告げるために、再び会えないかを訊かれるとは思っていなかった。
『どうしたんですか、急に……』
『……あの





聞いてんのか、八神……!?」

「に゛ゃっ!?」
 熊野 一利の声が一喝のように轟き、現実に引き戻される。
「どうした猫。日向でもなくても眠くなるモンか?」
 ふざけたようで結構イタい発言に、舞はしょぼんとした。
「っつか心臓の話は聞きたくないんか?」
「いや、むしろ心臓がどうのはお腹いっぱいというか……」
「は?」
「な、なんでもないですっ!!」
 抉られて、交換までされた心臓の話なんて常人には言えない。
 それ以上の詮索は、あるいは面倒臭がってか背を向け直した。
「………」
 ふぅ、と息をつく。
 あの後、結局言えず仕舞いで、放課後の会合の約束だけはした。
 彼女が【ディープブラッド】と呼ばれる種族に生まれ変わってから、二日が経った。
 身体がどう変わった感は特に感じられない。
 それどころか、
「……、―――――――」
 舞は手に持っているシャープペンシルをくるりと回す。
 親指の付け根で半回転を果たし、さらに半回転して人差し指と親指の間に戻ってきて、
(むっ)
 掴む。
 出来た。
「―――――――………」
 舞は自分の手をじーっと見つめる。
 今までペン回しなんて成功したことはなかった。
 出来なかったことが、急にできるようになった。
 端的に言うなら、体調ではなくて感性の変化が起きたのだろうと舞は推測する。
 【ディープブラッド】の運動能力や思考能力が高まる、というのはあながち誇張の類ではなさそうだ。
「………あ、」
 しかしよーく考えてみれば、ペン回しもないと思う。

『ペン回し=Bまたの名を、浪人回し=x

 亜里沙がそんなことを言っていた。
 我ながらのアホさ加減に、舞はため息しかつけなかった。










 同刻。
 第4仮設校舎にて。


「え〜っと、そうだね。ざっと言ってしまってもいいかな? 時間なさそうだし」
「構いませんよ」
 その笑顔に、少女は満足そうに笑い返した。
 仮設校舎といっても、それほど大きいわけではない。精々が5階建て。
 だがそれに驚くことなかれ。それ≠ェこの学園には6つあるとのことだ。
 さすがは軍事経由の化け物学園。やることがモンスターだ。
 各自くじ引きでスタート配置についた生徒達。クロトも3階の講義室に似せた部屋の中で少女の説明を聞くことにした。
「えっと、まずは摸擬演習についての基本。もっぱら成績向上のための……一種の小テストみたいなものよ」
 胸元のポケットから出したメモ帳を開いてそれを見ながら補足してゆく。
 少女の出で立ちは、生徒という感じではなかった。
 指定用カッターシャツとスカートはそうだが、上に紺のジャケットを羽織り、その背には城閃学園 戦闘監視・判定委員会≠ニ白印刷で施されている。
 長い茶の髪を右側で一本に縛って、首にゴーグル、手に指の露出するグローブ、そして足にはローラーブレード。身長は155センチ前後か、ローラーブレードで多少高くしているが、それでもクロトよりやや低かった。
「ただ無造作に殴り合いをするのが目的じゃないからね。胸のそれ見て」
 言われるままに視線を落とす。
 ジャージの胸のところに、金色の薄く光沢を放つ星型のバッチ。さっき、この少女に貰ってつけたものだ。
「それが得点バッチ。実はこの摸擬演習にはノルマがあってね。一人の合格ラインは5点、自分自身のバッチ……メインバッチが3点で、他人のバッチ……サブバッチが1点」
「つまり、メインバッチを死守しつつ二人分のサブバッチを奪えばノルマクリア、と」
「そゆこと。時間制だから、ノルマを超えたらスタコラサッサを決め込むのがベストだね。もっと取ってもいいだろうけど、200人の内の3分の1がこの校舎にいるからね……要は、深追いは厳禁ってこと……あ、そのバッチ、実はよ〜く見れば名前彫ってあるから、誤魔化しは効かないから。言う必要はあんまり無いと思うけど」
 腰に巻いてあるポシェットから、少女は紙切れを手早く取り出して差し出す。
「コレはここの地図。さっきハゲ、っと……西本先生から渡すように言われたから、今回は特別にだね。場所はこの第4仮説校舎の中。領地内であれば、場所・手段を問わずにガチンコ有りの完全バトルロワイヤル制」
 クロトが、怪訝な顔をした。
「バトルロワイヤル? つまり、本当の意味で何でもあり≠チてことですか?」
「そ。ほんとの意味で何でもあり≠ネの。呑み込み早いね〜、緋色そういう呑み込みの早い人好きだよ♪」
 ウィンクをして笑う少女に、クロトが笑い返す。
「さてと、あと何か知りたいこととかある?」
「あ、一つだけ……貴方についてなんですが」
 ああ、と少女はポンと手を叩いて気付く。
「ゴメンゴメン、大事なこと忘れてたね。緋色達は生徒の中で唯一授業の一環として監視とその場の判定とかを決める《ウォッチャー》の役割をしている特殊な委員会なの。緋色のほかにもいっぱいいるよ」
「へぇ……」
「あ、もっとごめん。緋色のこと言ってなかった、初対面だもんね。《ウォッチャー》の高等部1年、朝河 緋色(あすがわ ひいろ)。度々一緒になるかも知れないから、よろしくね♪」
「はい、こちらこそ」


 ビイイイイイィィィィィィィィィィ!!


 切りの良いところで、けたたましい音がスピーカーを通して鳴り響く。
「ん、そろそろ始まりだね。二回目の合図で開始、次の合図まで戦闘が続くから気を抜かないようにね」
 手元にずっと持っていたレトロな懐中時計を見て、緋色は思い出すように視線を上げる。
「……そういえば、君の得意な形態ってなんなの? 見たところ、模造武具のようなもの持ってなさそうだけど……」
 ああ、とクロトは思い出す。
 ここに来る前に、西本に模造武具はいるかを訊かれたことがあった。
「いえ、いりません。強いて言えば、俺の得意は脚技なんです」
「そうなんだ、でも……気をつけたほうがいいかもね」
「なにがですか?」
「実はね、1年の中でも特に強いのが二人いるのよ。紫藤さんと加賀さん」
 クロトは眉をぴくりと動かした。
「この二人、いつも摸擬演習で10点くらい取ってるから、狙われたら辛いだろうね」
「へぇ……」
 なんとなく思慮しながら頷くクロトを見て、大丈夫かと思いながらも、懐中時計を見る。
「っと……開始時刻だよ」
 そして緋色は首に回していたフライトゴーグルを付け直し、
「では、コホン………朝河 緋色のウォッチの元に―――――――」


 ビイイイイイィィィィィィィィィィ!!


「クロト・ヴァーティラインの摸擬演習を開始します……!」
 コールと緋色の号令が、同時に発せられた。










「……、」
 コール音が鳴ってから2,3分は経った。
 加賀 志筑は2階の理化学室からスタートになり《ウォッチャー》が出払ってしまったので、まずは1階から洗っていこうということになった。
 仮説校舎は、本当の校舎と同じく口型になっているので、この階だけでも誰かと逢うのが一苦労なのだ。特定の、それもたった一人を捜し出すのは至難の業だ。
 順繰りに見て行って、すぐさま彼≠フ力量を知っておくべきだった。
 志筑は左手に白い布でグルグル巻きにされた長細い包みを携え、非常用階段のほうへ向かおうとする。

「あ、いたよミサキぃ」

 背後から声が掛かる。
 ただ、振り返るのが億劫だった。この声を知っている。
 ゆっくりと、疲労の繰り糸を振り解くように身体を回すと、廊下の角から出てきた4人の女子。
 あの、4人だ。向こうにも《ウォッチャー》の姿が見えなかった。闘う人数に対して監視係の比率は歴然なので、仕方が無いと言えば仕方が無い。
「加賀さん見ーっけ……まだ紫藤さんと一緒じゃないんだ」
 無駄に作り笑いをしない少女。だが、内に孕んでいる色がどれほどの混濁さを秘めているかは、その眼を見れば容易に感じ取れた。
 もう一人の女子が、こちらは含み笑いを湛えて少女の肩に手を掛ける。
「いーじゃん、もうコイツでさ」
 ふと見ると、手元にはナイフと呼ぶには少し長めの短刀が握り締められている。
 後ろの二人に至っては、拳銃を所持している。当然のことながらゴム弾だろうが。
「加賀さんには悪いけどさぁ……メンチ切られた以上はあたしらだって本気になるんだから」
 そうしてにじり寄る二人。後ろの拳銃を持っている二人は引っ込んでいるつもりらしい。
 志筑は少し考え、やがて思慮している内容が馬鹿らしくなったので、窓の外を見た。
 ガラスでは危険なので、アクリルを極限まで薄くしたものを何重にも重ねたビニールのような形になっている窓の向こう。
 彼≠フ姿が、あわよくば同じ階に見えればよかったが、数名の男子達がやり合っているのが見えるだけ。そこには彼≠フ姿はなかった。
「ちょっと、なに無視してくれてんのさ」
 苛ついた声が聴こえて、面倒だが振り向き直す。
 完全にナメられている、と受け取った少女達が睨みながら前で出る。
「強いからっていい気になっちゃってさ……前から潰してやろうと思ってたのよね」
「もぉいいよ。さっさとヤっちゃってさ、紫藤さんでも捜しに行こうよ」
 二人の意見が合致した。
 直後、二人が走り出す。
 一人はナックルグローブ。一人は短刀。
「素直にバッチ渡すっていうなら、許してあげるけどね!!」
 この4人のことで、あまりあれこれと考えたくなかった志筑は、小さくため息をついた。
「……億劫」
 ぐ、と軸足に重心を掛けた。
 まさに、瞬間だった。


「加賀居合一刀流―――――――絶影の太刀=v


 ズドン!!
 凄まじい音と共に、一瞬で二人の間に入り込み、包みから抜き放ったソレを半円に振る。
 その白銀に薄ら光る筋が、短刀を持っていた少女の背を穿ち砕いた。
 かは、と悲鳴のように息を吐いて、少女がフローリングの床を転げ、うつ伏せになって昏倒する。
 この刹那の出来事に呆けていたもう一人の少女は、やがて我を取り戻して振り返る。
 すぐ目の前で刀を振り抜いた姿勢の志筑へ拳を振り上げるが、志筑のほうが速かった。
 右手に掴む刀を、迷うことなく鞘へ滑り込ませる。
 その鞘が、少女の腹部を狙っていることに本人が気付いた時にはもう遅かった。
「居合、帰突の太刀=v
 凛とした声と同時に、納刀の勢い強い鞘の一撃が少女の腹部……それも、鳩尾に当たった。
「は、ぐ……!?」
 吐くことすら出来ずに呼吸を失った少女は、咄嗟に両腕で腹を押さえてしまう。
 志筑は再び刀を抜かず、居合い抜きの構えのままタックルのように少女の腹部に突っ込み、壁に押し潰した。
 ズゥン!! と鈍い音が響き、クロスした腕ごと壁に叩きつけられた少女は完全に酸素の欠如によって悶絶する間もなく床に倒れた。
 だが、志筑はこれで止まらない。
 完全に呆然として立ち尽くす残りの少女達に、目にも留まらぬ迅さで詰めより、二人が反応して銃を突き出したタイミングを見計らい、抜刀で叩き落した。
 床に転がっていく拳銃を見ることも出来ずに、一人の少女の喉元に切っ先がピタリと静止する。
 夜空のように黒く艶やかな髪をなびかせ、志筑の伏せ気味の眼光に、少女達は怯える。
「ご、ご……ごめ……」
 何かを、今更謝罪している気がした。
 どうせだからついでに訊いてみる。
「……一つ、答えなさい。彼≠ノついて」
「え、……かれ?」
「……編入生よ」
 いきなり訊かれたことに躊躇しながらも、突きつけられた刀に怯えながら少女が答える。
「別、に……かっこいいなぁって、それぐらい、しか……」
「……そう」
 やはり、と落胆めいた感情に志筑はため息をつきたくなった。
 どっち道、彼≠ェ編入してきたのは今日だ。第一印象以外に赤の他人が知りうることなど、むしろあるほうが希少だ。
 下らない抜刀をしてしまった。軽い自虐と自重に苛まれながら納刀する。
「……アナタ達、この件≠ノついて不問にしてほしいなら、バッチを頂けないかしら?」
 この件=Aというのが何のことかは判らない。
 だが、身に危険があるならば従うほかに選ぶ余地などないし、力量もない。
 二人は自分のポケットに忍ばせていたバッチを渡す。これでひとまず合格ラインは確保した。
 受け取った志筑は、最後に刀を突きつけなかったほうの少女にぐっと近づいて睨むともない抑揚のない視線を合わせる。
「……亜里沙のこと、馬鹿呼ばわりにしたら……次は……容赦しない」
 一つ一つ区切ってそれを言うと、返事も反応も待たずに振り返る。
 漆黒の髪を羽織りのようにはためかせ、志筑は黙して彼≠捜すためにその場を後にした。










 blood.15     摸擬演習・中編





 AM11:18

 第4仮設校舎3階―――――――理科準備室前。



「なるほど……想像以上に広いんですね」
 手にしている校舎のP3と書かれた白い紙に目を落として、クロトは思わず驚嘆した。
 口の形にぐるりと出来ている建物にも関わらず、窓の向こうに映る廊下までは4,50メートルは下らない。これが5段にもなれば、一般生徒も通える理屈がワカラナクナッテくるのも当然だろう。
 現にさっきから誰とも逢わない。あちこちからそういった気配はするのだが、どうもある意味で死人と化した生徒ばかりで、戦意ある者はいなかった。
 傍観、もとい平和主義でいこうかなぁとか呑気に戦闘科を選んだシュール通り越してアンノウンな行動を起こしているクロトはただただ進む。
 正直に言えば、ノルマ達成よりもまず道に迷いそうで怖いのでまずは地理を熟知しておいたほうがいいとクロトは考えた。
 3階だけでも理科室、物理室、視聴覚室に予備空室が幾許か。アホらしくなってくる、なんでわざわざジオラマみたいなことをするのだろうか。しかも1分の1スケールで。
『実践、だからかな。出来うる限り公平に、みんなが知りうる環境下で、戦術として闘えるようにっていう配慮だよ。学生の溜まる場所と言ったらゲーセンか学校だからね』
 ついさっきまで一緒にいた緋色曰く、そうらしい。だからここまでやるだろうか、と眩暈の一つも起こしたくなってくる。
「はは、やることの大袈裟さは《WITCH》とどっこいですねぇ……」
 というか、ごく少数の仕業なのだが。それは喉の辺りで呑み下した。
「どうしますかねぇ……こうも人と逢わないと、逆に得点が気になっ


 ガッシャアアアァァァァァンン!!!


 軽い性質の金具がひしゃげ、ベキベキと唸る轟音が背後から轟く。
 何事かを考える前に、クロトは反射で振り返った。
 スライド式の白い扉を背負い、廊下に叩き出される男子生徒。
 ガラスではないため、裂傷の類はないが相当のダメージのはずだ。
 綺麗に真ん中からへし折れた扉を布団にして昏倒する生徒に続いて、一人の少女が出てきた。
「ったく……毎度毎度フクロだの言いくさりやがって、結局拳の一つでも当てられ―――――――」
 ヒョイと物理室から出てきたのは、二本のおさげと右頬のテーピングが印象的な、クロトの知る快活な少女だった。
「亜里沙さん」
「お、クロトじゃんか♪」
 肩に掛かった髪をかき上げて戻し、亜里沙は笑う。
 その両手には、指の突出する空手でよく使う甲を包む形の黒いグローブが装着されている。
「まだ生きてるみてーじゃねぇか。ま、倒し甲斐があるほうがアタシも燃えるけどな」
 廊下に出てきて、クロトと真正面から対峙する。
「別にアタシはやる気満々なんだけどよ。お前どーするつもりなんだ? やるか?」
 むしろやりたい、みたいな眼の輝きを秘める亜里沙に、クロトは苦笑した。
「そうですね、女性に手を出すのは苦手なんですが」
「へぇ、ジェントル的発言はご愛嬌ってな。口だけの奴はいっぱいいるぜ? そこでくたばってるけどな」
 物理室を指差して亜里沙は姿勢を低くした。
「アタシは強いのが好きだ。つっても、強い野郎が欲しいわけじゃねぇけどな」
 右足にすべての力を込めて、

「どうせなら、お互い熱くヤりあおうじゃんか!!」

 一気に前へ突っ込んできた。
 みるみるうちに間合いを詰め、左拳を振ってくる。しかも、連撃だ。
「おっと……!」
 咄嗟に身を退くクロト。
「おせぇ!!」
 亜里沙は、溜めていた左足を引きつけて更に蹴る。
 ほとんどぶつかる間合いまで近づいた。
「シッ!」
 右腕を後ろへ振りかぶる。
 その姿を、体勢を崩したクロトは視界に入れ、とん、と軽いジャンプをする。
 真っ直ぐと飛んでくる右拳を、宙に浮いた状態で片手で受け止める。
 浮いた分だけ、受ける衝撃はほんの一瞬で済んだ。
「くっ……!」
 すぐに拳を戻そうとする瞬間を、クロトは逃さない。
 戻ってゆく右腕を肘あたりまで、両脚で鋏のように絡める。
 グルリと半回転して、地面に手をついて更に一回転。
 咄嗟の状況対応に遅れた亜里沙が、その回転に巻き込まれて脚が浮いた。
「げっ―――――――」
 ほんの数センチの浮遊。クロトは手で自分の回転を殺さずに回り、亜里沙の脚をけたぐった。
 おわ、と悲鳴とは思えない反応が聴こえた直後、亜里沙はフローリングの床に背を打ちつけた。
「か、は」
 空気を吐き出し、条件反射で仰向けから後ろ回りする。
 迎撃がくる。
 そう先読みしていた亜里沙は腕を顔の前でクロスさせて、脚を踏ん張った。
「―――――――」
 踏ん張った。
 踏ん張ったが、

 次が、来ない。

「………は?」
 よく見ると、遙か彼方を亜里沙とは逆方向へ¢魔髏ツいジャージの背中がある。
「……って、ぇえ!? に、に、にににににっ……!?」
 驚いて尻餅をついてしまった。
 脚を取られたことは、確かに珍しいことだが、こんなことになるとは思っていなかった。
 ぽかんと呆ける亜里沙の背後で、気配がする。
「げ、紫藤……!?」
 ぎちぎち、と機械仕掛けのように首を捻ると、そこにはクラスメートの男子生徒、佐々木と内藤と木之下の3バカがいた。しかめっ面でこっちを見ている。
「……………」
 状況を整理しようとする。落ち着け、と頭の中で思索する。
 つまるところ、

 ばぎん、と奥歯の辺りで音がした。

 ゆらりと立ち上がり、怖じ気づいている3バカすら忘れそうな勢いで、ある一つの単語を搾り出した。
「…………………られた」
「……は?」
 ぼそりと言われて聴き取れなかった3バカの返事に呼応するように、亜里沙は無造作に傍の壁に左拳を叩き付けた。
 ドゴン!! と鈍い音と共にそれを引き抜くと、べっこりとへっこんで拳の跡が出来た。
 ちなみに言わずもがな、壁とはコンクリートの壁である。
 ぞっとした3バカの不運すら吹き飛ばす龍の眼光が、必滅の呪文を短絡的に放った。


「逃げられた、っつったんだよ……!!」


 3バカは、心の中では『よく解らんけど、ゴメンナサイ』と言い散らしていた。










 AM11:23

 第4仮設校舎5階―――――――生徒会討議室内。



 がらり、とレール音が響いて、それを聴いた一人居る女性が振り向いた。
「あら緋色、お疲れ様。首尾は?」
 茶の髪を真っ直ぐに伸ばし、やや平均より高いの女性は生徒の使う長机の上に腰を下ろしてローラーブレードを履いたスラリと長い脚を降る。
 手元には幾枚かのプリントがあり、目を通していた凛として細く睫毛の長い瞳を少女に向けた。
「お疲れさまです、委員長。ついさっき清水君、翔本君、鍋島さん、穂波さん、そしてヴァーティライン君の開始を確認……ここに来るまでに、翔本君と穂波さん2名が自主棄権しました」
「やっぱり1年はリタイアする生徒が多く、速いわね……中等部3年の時に何を学んだのやら」
 薄くため息を漏らす女性に、緋色は苦笑した。同感なので、反論は皆無に等しい。
「でも、今日編入した彼は期待大だと思いますよ」
「編入? 確か……クロト・ヴァーティライン君、だったかしら」
「はい、今のところリタイアの類はありません。でも、さっき紫藤さんと接触したみたいなんです」
 緋色は耳元に備え付けた片耳用のイヤホンに指先を添えて耳をそばだてながら女性を見る。
 女性は少しだけ、首をこちらに向けた。
 紫藤、という名前は高等部3#Nにも有名だった。
「紫藤さんと、ねぇ……ま、彼女と加賀さんと対峙したら、やることは一つね」
 勝ち誇ったような雰囲気に、緋色が羨望の眼差しを込めて身を寄せた。
「さっすが朔夜先輩っ! なんですか、それは!?」
 女性は、ふっと薄い笑みを立てて応えた。

「三十六計逃げるに然る」










 AM11:28

 第4仮設校舎1階・2階間―――――――東棟階段。



「う〜ん……逃げてしまうのはマズかったんでしょうか?」
 逃げてから言うのは後のカーニバルでしかない。
 とりあえず、上に昇りきってしまうと逃げ道が絶たれる可能性もあるので、階段を下へ。
 2階に辿り着き、念のためにもう一つ降りようと思った。
 彼女の性格を考慮しての、戦略的なんたらである。










 AM11:30

 第4仮設校舎1階―――――――教員会議室前。



(……………、いた……!)
 志筑は長い廊下を歩いている中、その姿を視界に捕捉した。
 遙か向こう。恐らく東階段で降りてきたのだろうが、何故か走っていた。
 志筑は少し考え、彼が走るのとは逆の方向へ足を進めた。
 ただ闇雲に走っていると、どうなるかを知らない彼≠追うために。










 AM11:36

 第4仮設校舎1階―――――――被服室前。



 廊下を疾走していたクロトの前に、3人の団体が現れる。
「おっと……」
 立ち止まるクロトに気付いて、3人の男子生徒は少し驚いた顔をしていた。
「んだぁ? 知らねぇ顔だな……知ってっか?」
「あれだよ。今日城学に編入したっていう外人」
「へぇ〜……」
 少しガラの悪い男子生徒達と、5メートルほどの距離を置いてクロトは訊いてみることにした。
「済みません。どなたか、今時間の分かる方はいませんか?」
 とりあえず訊きたかった。さすがにあそこまで怒らせた亜里沙から鬼ごっこするには、ここはあまりにも不利な場所だった。
 だが、3人の生徒はその柔らかい口調が癇に障ったのか、視線を鋭くする。
「あ゛ぁ? なに余裕こいてんだテメェ、今は演習中だぜ?」
「ええ、解っているから知りたいんですが……」
 本人は本気で訊いているのだが、それはどうやら彼等に対する侮辱と受け取られたらしい。
「このヤロウ……! ちょっと編入したてだっつーから逃がしてやろうかと思ったのに、調子乗りやがって」
 その内の一人が、手に持つ木刀を掲げる。
 瞬間、彼の左腕から光る何かが見えて、クロトは指を差した。
「ああ、それですそれそれ。腕時計でいいんで教えてくれませんか?」
 掲げた腕を一気に振り落とし、後ろの2人を引き連れ、猛然と走り出した。
「はっ! そんなに知りたきゃ、力ずくで見て―――――――





―――――――11時40分……なんだもうすぐ3時限目が終わりそうじゃないですか」
 床に十字式三段に積まれた格好で横たわる男子生徒3人の上に優雅に腰を降ろして、手からもぎ取った℃梃vを見ながらクロトはため息をつきたくなった。
「そろそろ終わりなんですかね……区切りについてはちゃんと守るタイプに見えそうですからね、ここは」
 一縷の願望を口にしながら、クロトは立ち上がって一番上になっている男子生徒の背に、ぽんと時計を放った。
 右手の中には、彼等から徴収したバッチが数個見つかる。以前に闘って勝利していたのか、全部で10個以上はあった。
 こんなにあっていいのかどうかを知らないクロトは、取った分だけ点数に加算されるから、腕に自信があるなら持っておいたほうが良いと緋色が言っていたのを思い出す。
 そこでふと気付く。
(ははぁん……なるほど、よく出来たシステムですね、これ≠ヘ)
 手の中に膨大にあるバッチを見て、クロトはその奥深さに驚嘆した。
 わざわざ完全バトルロワイヤル制にしておきながら、なぜ速攻で脱落者が出ない≠フか気になっていた。
 つまり、そういうことである。
 一人の生徒がバッチを集めれば集めるほど、標的の数が絞られていく計算になる。
 飛躍した例えだが、全生徒のバッチを一人の生徒が手にすればどうなるか。
 当然、彼を取り巻く生徒が敵であれ味方であれ、その一人の生徒を狙わなければならない生徒が必ずいる¥態に陥らせることになる。
 容易に仲間を作ることは出来ない。手元にある一つのバッチを巡って、互いに4点を持っている仲間同士が取り合えば、チーム内での内部抗争も起こり得る。
 恐らく、それを見越した単独行動者が、亜里沙と志筑なんだろう。互いに味方として干渉しなければ、疑い合いながらのらりくらりと闘う必要は無くなる。もしもの場合、双方全力で闘えるならあえて不可侵を取るのは最良の判断だと言えよう。
 何しろ、これで彼の持ち点は6。このまま終了まで逃げ切れれば―――――――、


「と、いうのはやっぱり無理なんでしょうね………貴方もそう思いませんか?」


 不意にクロトが口を開くと、廊下の角から薄く気配が揺らいだ。
 観念するように姿を現したのは、漆黒の髪を綺麗に伸ばす日本人形のように整った顔の少女。
「舞さんといい、亜里沙さんといい、緋色さんといい……この学園は綺麗な方が多いですね」
 本心をわざと悪戯めいて笑うクロトに、少女は笑顔も見せなかった。
「……いつから気付いていたの?」
「途中からですよ。彼等と闘っている時にふと貴方の気配を感じていたので」
「……」
 未知数、という単語ひとつで彼を測っていた少女は心の中で撤回した。
 侮れない、と。
「あ、ところで……亜里沙さんと逢いませんでしたか?」
 今度は心の底から済まなさそうに苦笑してくる。
 ころころ笑みの質を変える奴だと少女は訝しんだ。
「……なにか、したの?」
「いえ、あ……済みません、しました。ものすっごく怒らせました」
 なんだそれだけか、と口腔内で留めて少女は前へ出る。
「……知らないわ。それ以前に、あの子あれで大分方向音痴だから」
 苦笑するクロト。その足元に積み重なっている滑稽な格好で気絶している男子生徒。
 クラスメートではないので、名前どころか顔も憶えていない。というかうつ伏せなので確認の仕様もない。
 見たところ、ほとんど外傷は見当たらない。恐ろしい男であって、的確に急所だけ狙ったと推測できた。
「……3人を瞬殺、ともなれば……強いのね」
「いや瞬殺≠ナはないですけどね」
 苦笑のツッコミをスルーする。
 少女は舞や亜里沙とは、違う心の在り方が違う。
 そりゃあ、舞を亜里沙なんかと同質扱いも微妙に抵抗があるが、まず彼女は違った。
 それは、拒絶力。
「……どうせだから、アナタの力量を確かめたいわ」
「さっきのは参考にはなりませんか? 正直ちょっと本気だったんですけどね」
「……解ってて言うのは、好きじゃないわ」
 少女は左手に露出させたままの模造刀を腰元に添えて、姿勢を低くした。
「……アナタに私の刀が、どれだけ通用するかを見定める」
「剣士としてですか? それとも―――――――」
「……口出し無用」
 鋭い視線と共にクロトの言葉を遮ると、彼の表情も幾分か険しくなった。
 緊張感のある顔が出来ることに、少女は少し感嘆した。
「……どの道、いつ終了の合図が鳴るかは《ウォッチャー》にしか判らない。それまで戦闘は続く」
 柄の上で、半開きにした白い手をピタリと静止させる。
「……それに……亜里沙が喧嘩でキレるのは、舞を貶された時か……意味もなく逃げられた時ぐらい」
 最後のほうの言葉の意味に、クロトは渋面になった。物凄く後悔しているようだ。
「……せいぜい、私とは逃げないで欲しいものね。編入生君」
 やがて全てを言い切ったのか、少女は何も言わずに静止し続ける。
 クロトも、開こうかどうか迷っていた口を締め、姿勢を少し下げる。
 静かな時間が流れてゆく。
「………」
「……、」
「………」
「……、」
「………」
「……、」



 キーン―――――――



「……覚悟!!」
 チャイムの音と同時に、少女の刀は奔り、鞘から抜き放たれた。










 AM11:45

 第4仮設校舎5階―――――――視聴覚室前。



 ―――――――、コーン、カーン、コーン………


「んなっ……!?」
 またもや男子生徒をのし倒しながら、亜里沙は頭上に響くチャイムに奇声を上げた。
「くっそぉ〜、なんなんだよアイツ!! どこ逃げやがったチクショっ……!」
 泡を吹いて気絶している男子の胸倉を掴んで、ガクガクと揺さぶる。
「どこだクロトはあああぁぁぁ〜!!!」
 彼女は気付いていないだろう。
 自分が持っているバッチの数が、既に20個は超えていることを。





《続く》
2005/06/24(Fri)22:57:14 公開 / 御堂 落葉
■この作品の著作権は御堂 落葉さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
すみません。ほんっっっとにごめんなさい。
前回の予告を早くも裏切りました。
引っ張りすぎだろ、とか思った方はツッコミボタンかなんかを。
結局前編後編かと思いきや、御堂の行き当たりばったりが生んだ中編の15話締め、と。
なんなんですかね、病気ですよ病気。奇病。御堂はある意味病人です。やっぱ殴ってくれていいっス。ス。ス……。
何となく今回の更新が遅れたのにはちょっとした言いわ……もとい、訳があります。
まあ、それは後日またの機会があれば。
感想下さって、御堂はまだまだ粋がっております。
誠心誠意(←字、合ってるか謎)頑張りますので、ご賞味あれ。食中りにご注意。
それでは、これにて。





※今日の一言コーナー※

以前の心雑音事件以来、なぜか病弱キャラ扱いされ始めました。
シャトルラン90回はどこへ行ったることやら……。
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