- 『ここにいた自分へ[1・2・3・4・5]』 作者:貴志川 / アクション 時代・歴史
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全角42133.5文字
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原稿用紙約134.45枚
その『大尉』は、戦争が始って以来の生き残りだった。終わらない戦争、続く戦い、伝わる戦況、死んでいく仲間、消える命、見える幻覚、見えない未来。それらすべてが『大尉』を疲弊させていく……そしてある日、またいつものように命令が伝えられる。部隊を戦争から引き離す、最後の作戦が
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ただ身を隠す為に入った民家は狭く、木の床と白い壁は、入らない日差しのせいで暗い。あわせて必要最低限の家具しか置いていないそこは、静寂も含めて酷く閑散としていた。
そこで俺は身を縮こませ、窓から身が見えないようにすると、腰から鉄製の水筒を取り出して、それを口に運んだ。
ゆっくりと傾け、喉を鳴らす。不精髭を伝う水を無視して。
「…………」
ふぅ、と息を吐き出して、俺はようやく落ちついた。背を壁にもたれかけ、頭のヘルメットをその壁にぶつける。コツン、という金属音がして、頭の芯にその軽い衝撃が走った。
それで俺は、まだ自分が生きていることに、やっと気がついた。
「……ああ、クソ……」
顔についた泥や、すすを手で拭い去ると、俺は頭を振り、もう一度ため息をついた。なんだ。……俺、生きてたのか。
俺は痛む頭をゆっくりとさすった。顔についた泥とすすを両手で擦り取る。
荒くなった息を戻そうと、体を預けたまま休めた。上がっていた心臓が、やっといつもの歩みに戻ってくれそうだ。
助かったんだ、と俺はもう一度、かみ締めるように思う。何の気なしにぼんやりと天井を見ると、赤茶けたコンクリの天井が目についた。
「…………?」
染みは狭い部屋の端から放射状に広がっていて、それはなぜか人の顔に見える。髭の生えた、中年の男。
染み男はぼんやりと見つめる俺に、いきなり動き出し、微笑んだ。
「どうして殺したんだ?」
幻覚だった。間違いない。
この手の幻覚は腐るほど見てきた。きっと、頭がイカれてくるって言うのはこういうことを指すのだろう。
精神的なものでも、まして物理的なことでもない。何の気なしに、ふと、頭の片隅にイカれる予兆が現れて、そのまま自分が気がつくことなく、精神が蝕まれていく。
俺が何も言わないでいると、染みの顔は変化し、ぐにゃぐにゃと形を変え……そして指の形になった。その指先は、部屋の中央、血だまりを指す。
「戦場でうろつくからだ」
俺は答えた。
「だから殺したのかい?」
染みは髯面の男の形に戻り、また微笑んだ。
俺は目を細める。
「……俺は英雄だ」
男は、微笑んだまま。黙りこくって俺を見つめていた。
……わからないのか。
俺はイラついて、また目を細めた。
「殺した奴が英雄で、ここじゃ英雄だけが生き残る」
俺は床に置いてあった『ライフル』を手に取った。いや、ライフルだけじゃない。さっきまで背負っていた馬鹿でかく、重いバックパック。それに引っ掛けてある敵兵からむしり取った手榴弾。ヘルメット、T3爆弾。それらすべてを、カーキ色の戦闘服を着た自分の肩に背負った。
そうだ。俺は、『兵士』で、『国を守る戦士』で、『英雄』だ。
ライフルのマガジンを取り替えると、俺は……固まったままいつの間にかニヤニヤ笑いになっている……染み男を見た。
「俺達は英雄になる、ならないと、死ぬんだ。」
ライフルを天井に向けた。銃尻を肩に当て、脇を締めて引き金に指をかける。
その途端、髯面の男の顔が、突然歪んだ。 恐怖ではない。ドス黒い怒り、憎悪に顔を苦渋へと歪ませていた。この世のどんな醜悪なものより、それは醜く、酷く汚かった。
そして、口が大きく開き、空気を鋭く揺さぶる。
「お前は、自分が生きるために彼女を殺したのか……!!」
男の顔の脇にあの指が現れた。それは同じように、血だまりを指差す。
血だまりの中心には、白いドレスを着た女が、ブロンドの髪を黒ずんだ血に染め上げていた。女の首は、骨が見えるほどえぐられている。……そこからは信じられないほどの血が噴出していた。顔は床に押し付けられて見えなかったが、さっき倒れる瞬間に俺が見たときには、酷く捻じ曲げられたような苦悶の表情で、無機質な目をしていた。
俺はその死体……『俺が殺した』一般人から目をそらし、ライフルの引き金に掛けた指に力をこめた。
幻覚だ
「……俺は、死にたくないんだ……!!」
幻覚だ……!!
火薬の炸裂する、発砲音が当たりに響いた。
この世に夢の世界があるなら見てみたいと思う。この世界にそんなに綺麗で汚れない場所があるのなら、それは『俺達にこそ』見る権利がある。
そうだろう? そうでもなければ、何で俺達はこんなところで『死』と向き合わなくちゃいけないのか。どうして、同じ人間が、こんなところで死ぬ人間と、のうのうと故郷で生きる奴等でわけられなきゃいけないんだ。
俺達に、希望も夢も、何もない。
遠くで、ターンという、間の抜けた炸裂音がした。
「大尉ッ どこです!? 大尉!!」
声は民家の外から聞こえていた。俺は息を吐き出すと、ブロンドの髪の女と、穴の開いた『ただの』天井に背を向けた。
なぜかはわからないが、両手が震えていた。
乱立する建物が、そこには無数にあった。この国独特の紋様と材質、土色のレンガで作られた道や、噴水のある建物群は、川を渡す橋をはさんで北と南に分かれている。
俺がそこについたとき、仲間は南に乱立する民家の一つと、民家を囲むの塀に隠れていた。
故郷の街と比べると、随分古い町並み。コンクリートの建物も、その土色の壁と、主に赤で締められる独特な色彩の屋根のおかげで、古風な世界を作り出していた。
そこは言葉で表すのなら『廃墟』であり。
そこは俺達にいわせるのなら『戦場』だった。
重い重低音が激しく響き、仲間が身を出す窓や、ドア、そして塀のレンガが砕けて舞い上がる。
「うがぁッ!?」
一人の仲間が、塀のレンガの僅かな隙間を飛び越えてきた弾丸に、体を貫かれた。隣にいた兵士が慌てて彼の首根っこを引っつかんだ。そのまま銃弾の嵐の中を、頭を下げて引きずる。
「クリスが! ネルソン! クリスがやられたッ」
と、今度は『カンッ』、という金属音が小さく響いた。すぐに引きずっていた彼自身が、力なくぱたりと倒れる倒れる。
「ドクッ」
ドアに隠れて反撃していた兵士が、ホフク前進で彼の元へ向かった。
「 ああ、クソ……ヘルメット貫通してやがる」
まるで冗談のような光景だった。
機銃の轟音の中で、人の体が面白いように倒れる。レンガですら、弾丸を止めることはできない。
その音がやむと、反撃する仲間の、シングルボルトアクションの間抜けな発砲音が俺の耳に飛び込んだ。……きっと適当に撃っているのだろう。けん制で撃っているにすぎない。
俺が彼らを視界の左端に入れ……つまり俺は彼らの右側にいたわけだが……少しだけ頭を出すと、川の向こうの、高い集合住宅の窓から機銃が顔を出していた。そこで閃光が走ると、バガッという音が連続して響き、そのたびに空気を切り裂く甲高い音が通りを駆け抜け、仲間達の周りに鈍く光る弾丸が着弾する。
ふと、窓からオートのライフルを撃っていた若い男と、距離をはさんで隠れている俺の目が合った。
「大尉、どこに行ってたんですか!?」
直後に大声で怒鳴るが、その脇をまた銃弾が空気を裂き、彼はすぐに民家の中に引っ込むこととなる。
俺は彼らから二百メートルほど遠く離れた、花壇を囲む、小さなレンガの壁にしゃがんだ。機銃と壁をはさんで対極になる。背後の壁の向こうには、仲間を撃ちまくっていた設置型機銃があるはずだ。
俺は脇を締めて、ライフルをかかえた。目を閉じる。真っ黒な闇は、俺を銃声以外何も聞こえない暗い静寂と、緊張の渦へと落としこませる。
背後から轟音がしばらく続いた。
「あぁぁぁぁッ! やられた! 腹だ……腹をやられたぁぁ!! 死にたくない……! 誰か助けてくれぇぇぇぇぇ!!」
「ロジャーズッ、コイツの止血するんだ、早く!」
「ドク、助けてくれ! 指が……俺の指が! どこにいったんだ! 俺の指、俺の指を探してくれぇぇ!」
「ドクは死んだよ……! だれかモルヒネをくれ! ほら、お前の指だぞ……」
耳にやけに響く仲間の悲鳴が聞こえたが、俺はそれには意識を貸さなかった。
しばらくすると、ピタリと音が止んだ。
その瞬間を見計らって、レンガの壁から飛び出すと、緑色の迷彩服を着た敵と、奴らの撃つ機銃が見える場所へ滑り込んだ。奴らはまだ同じ集団住宅の一角にいた。窓にいるのが見える。
そこで身をさらして伏せたまま、ライフルのスコープを覗く。
シンプルにクロスした黒い十字架型の照準。そしてその先には集合住宅。倍率を最低まで下げて全体をみると、敵の機銃の位置はすぐにスコープの視界に入った。横に並んだ窓の一つから機銃を突き出して、弾を補充している。
「……よし」
俺は倍率を上げた。素早く、しかし正確に。……少しのズレが敵を視界から逃がしてしまう。そうなったら、また探している途中に撃たれることになる。慎重に。素早く、目を動かせ、敵より早く、撃たれるぞ、早く……早く……!!
焦りで汗が指から噴出して、どうしても震えるのを抑えられない。。倍率をあげるスコープのボルトアクションが、酷くのろく感じた。
その時、ターンという間抜けな音がした。いや、間抜けなのは音だけだ。その音と共に飛び出した弾丸は、俺の右肩をかすめて地面に着弾。細やかな粒子を持つ砂を、派手に巻き上げた。
「うッツあ……! なんだよ!! クソッ」
スコープから目を離すと、集合住宅の下から同じようなスナイパーライフルを持った敵が見えた。橋の欄干とヘルメットの間から俺を見つめている。もちろん、ライフルを持って。……この距離なら遠すぎて肉眼でははっきりと確認できない。目を凝らさなければ、ただの点だ。
「クソッ!」
俺は必死に照準を下へ下げた。酷く、のろく感じる。
「――ッ、……!! ……!!」
機銃を撃っていた敵が、なにかしらを叫びながら俺を指差していた。
「(気づかれた……!!)」
俺はぎりっと歯軋りをした。悔しさなんていう陳腐でのんびりした感傷じゃない。そうでもしなきゃ、恐怖で歯がカタカタと震えて、しょうがなかった。
体の各部が『そこには踏み入れてはいけなかった』と鳥肌を立てて恐怖を感覚的にねじ込んできていた。心臓がうるさいほどに鳴り響く。背中へ何かが這い上がる。それに心臓がやけどするほど冷たく、握りつぶされた。
「……ぐ」
スナイパー同士で撃ち合うのは初めてだった。
俺にとって最悪なのは『初めて』だけじゃない。敵のライフルのほうがこちらのライフルより高性能だというところだ。
ついでありがたいことに機銃をこちらへと向ける二階の兵士達。
これで飛んでくる弾が二倍以上に増えた。
周りに銃弾が次々と着弾し、砂埃を立ち上げる。
「――ッ」
思わず縮こまりそうになる体を、唇を噛む事で無理やり引き止めて、息を止めて引き金に力をこめる。とてもじゃないが正確に狙っている余裕はない。けん制でもいいから撃つ。
飛び出した弾丸は、仲間の隠れている民家を跳び越し、橋を飛び越え、その先にある敵の隠れる欄干を飛び越えた。パシュンという情けない音と共に、機銃を撃っていた兵士のいる集合住宅の、一階の窓を叩き割った。
その音に、スコープをのぞいていた敵は少し体をびくつかせ、後ろを僅かだが振り返ろうとした。
その間に体を転がしてもう一度壁に隠れる。
少しだけ頭を出して、仲間の場所を確認すると、口を開いた。
「ウィンターズ!」
潜伏する建物のドアから反撃していた若い男が反撃の手を休めて頭を下げると、俺を見た。
俺は握りこぶしを作って、親指を立て、その指先を機銃を撃つ敵へ向けて左右に振った。
ハンドシグナルで『一斉攻撃』
若い男……ウィンターズは右手で親指を立てると、バラバラに撃っていた仲間達の射撃をやめさせた。
仲間達に何かしらを口頭で伝えると、ウィンターズはドアから身を乗り出して、機銃へと向けて銃を撃った。それを合図に、仲間も民家の二階や、窓の各所から同時に射撃を開始した。
先程からの散発的な攻撃よりもかなり効率的になった。今度は機銃を撃っていた敵が、頭を下げながら移動を開始する。
俺はそれを確認すると銃を構えた。体を伏せて、今度は僅かに体を出した。スコープをのぞく。
案の上、スナイパーは慌ててウィンターズたちへと照準を変えていた。
そこへ、十字を合わせる。
ふう、と息を吐く。吸う。
息を止めた。
その時になってスナイパーはやっと俺に気づき、照準を変えようと身じろぎした。
「――ッ」
かちん、と引き金が引かれた。
ターンという、聞きなれた音が、敵のスナイパーに重なった。
■
夜を迎えたそこは、暗闇に支配されつつも、兵士達の明るい笑い声と焚き火によって雰囲気も、そして空気もやわらかく、明るくなっていた。。
鉄のカップ片手に笑いながら話す兵士。
配給された、久しぶりの肉の食事に舌鼓を撃つ兵士。
気分よく歌をがなりたてる兵士。
それぞれが思い思いにその時を楽しんでいた。
「大尉、さすがですね」
ぼんやりと彼らから離れた位置でその様子を見守っていた俺に、ウィンターズがコーヒー片手に近づいてきた。
「なにが」
俺は気のない返事を返した。正直、他の仲間のように騒げるような心境じゃなかった。
「なにって、昼間の狙撃ですよ。うまい戦い方でした」
「…………」
正直、思い出したくもなかった。硝煙と血の臭い、機銃の連続する轟音に、反撃するアサルトライフルの発砲音、間の抜けた狙撃音に、弾丸が体の各部を持っていくたびに聞こえる血が飛び出す液体音、それが記憶と五感に伝わるたび、俺の中の恐怖と、敵と戦うことへの義務感が、冷たい切迫感と共に湧き上がる。……撃て、撃って勝たなければ、自分が死ぬ。
どうにも、嫌になるほど俺は「兵士」だった。
「うまい戦い方なんて、ない」
「え?」
地面へ座り込んだ俺の横に立っていたウィンターズは、驚いたように声を上げた。
「お前達をおとりにして撃ったんだ。俺は大尉として失格だし、お前達は兵士としてうかつ過ぎだ。助けてもらったなんて、楽観するな」
ウィンターズは俺の言いように少し眉根を寄せる。
俺はそれを視界に入れつつ腰から水筒を引っこ抜いた。口に運ぶ。……いったい水筒の中身はどうなっているのだろう。味は鉄くさかった。無理もない。もうこの行軍生活を二年も続けてるんだ。ただの鉄の入れ物が錆びない方がどうかしてる。
「二年になりますね」
ウィンターズは露骨に話題を変えた。
「そうだな」
それでも俺は何も言わなかった。先程の話題に戻したところで、また暗い話に戻るだけだ。
きっと俺達は救いを求めているんだと思う。
今はどうあがいても救いのない話なんかより、バカみたいにハッピーな終わり方をする映画が見たい。
もちろん、そんな下らない願いは、ここにいては永遠にかなわない。
「最初に組んだ奴等、覚えていますか」
ウィンターズはポケットから丸い金属……兵士の名前が書いてあるドックタグを取り出した。
「マイク、ロウ、エリック、ロジャー、エイブス……いい奴等ばかりでしたね」
楽しそうに語り、何かを思い出すように目をつむるウィンターズに、俺は小さくため息をついた。
「……ドックタグ、返しとけよ。いいかげん」
「そうですよね、そろそろ、返さないと」
ウィンターズは笑った。
ドックタグは、兵士が戦場で死んだ場合、誰かが回収して本部や大隊に返還する。するとその持ち主は死者として扱われ、軍の記録に『死者+1』とされる。軍も無駄な『救出作戦』を展開しなくて済むということだ。
なにより、ドックタグの回収は遺族への『戦死報告』に一役かっている。
「でも、家族の方も、永遠に『行方不明』のほうがよくないですか? 『戦死』よか、希望が持てる」
「クズみたいな考え方だな」
俺はもう一口、水筒に口をつけた。
「そんな、野良犬に餌をやるようなことやるから、絶望が深まるんだ。死ぬ間際までそいつが帰って来るときを待たせる気か」
ウィンターズは小さく、咳き込むように笑った。
「今のセリフ、ロウが聞いたら怒りますよ。『また隊長がネガティブになってやがる!』」
ウィンターズはロウを真似て俺の背中を叩いた。俺は思わず咳き込み、口に含んだ水筒の中身を地面に噴出した。
「ゲッホ……何しやがるバカ野朗!」
「ロウですよ。今のはロウがやったんですよ」
愉快そうに笑うウィンターズに、
「…………」
舌打ちすると、俺はすぐに怒る気力を失った。
いや、正直、ここのところ何をするにしても気力が湧かない。どうしてかはわからないが、きっと長く戦場にいるせいだと思う。ここにいると、なぜ生きているのかすらわからないのだ。いつか死ぬためにここにいるとしか思えない。きっと『死ぬ為の』順番ってのがあって、その台本通りに俺達は死ぬのだろう。俺は偶然、台本の端に置かれているだけなのだ。
ふと、俺は右手が震えていることに気がついた。開いた手が、ぶるぶるとまるで痙攣でもしているかのように揺れていた。
「どうしたんです?」
いつもなら、もう少しは怒鳴るからだろうか。不思議そうにウィンターズが俺を覗き込んできた。
「……いや」
俺は……よくわからない内に右手を握り締めて、無理やり震えを止めていた。さりげなくポケットに突っ込んで隠す。
「なんでもない」
「大丈夫ですか? 以前の傷が開いたとか……」
「本当に、なんでもないんだ」
俺は必死になっていた。立ち上がると、ごまかすために適当に歩きだした。ウィンターズはあわてて俺の後ろを追う。
俺は適当な話題を探すと、口を開いた。
「それより、今日の死傷者数を教えてくれ」
ウィンターズは何か言いたそうだったが、俺がもうこれ以上は私事を話す気がないと悟ったのか、
「……負傷者七名、死者二名です」
それ以上追求しようとはしなかった。
「数が多いな」
「特務でしたので。本来の任務を踏んだ編成と大分違いますし……」
「大隊に連絡しておこう。補充兵を送らせろ。前回の奪回作戦といい、こんな調子で頭数が減るならこの先足りなくなるだろう」
「わかりました……夜明けまでに大隊へ連絡をつけさせます」
ウィンターズが素直に頷くのを見て、俺はふぅ、と溜息をついた。ごまかすために適当についた話だが、それはあまりにも現実的すぎる話題だった。実際、この中隊は明らかに数が少ない。焚火に当たる兵士達に指先を飛ばし、仲間の数を概算する。
「二十七人か……大分半端な数になったもんだ。次は何人来るか……」
「二桁超せばいいほうでしょう」
ウィンターズは肩をすくめた。
「本土は切羽詰まってますよ。最近来てるのは訓練生ばかりですし」
「……そうだな」
俺達はしばらくおし黙り、そのまま何の気なしに歩いた。
しばらくすると、ふと、俺の視界に広大な夜空へと腰を降ろした星が迷い込んだ。それを追いかけるように夜空を見上げると、驚く程の銀や、輝く赤色の星が俺を見下ろしていた。それは時とともに刻刻と色や形を僅かに変え、まるで生きているかのように優しい光りだった。
「……もう、あと何回同じ事を繰り返すんだろうな」
「……は?」
俺の横を歩いていたウィンターズは、突然呟いた俺にポカンとした。
「戦って、敵を撃って、撃ち返されて、仲間が死んで、補充兵を連れて来て、また戦って……仲間が死んで。ここに来てから毎日同じことを繰り返してる気がするよ。いったいいつになったら……終わるんだか」
俺は頭を振った。口に出した考えは、大尉になって以来ずっと考えていた事だった。
ここでは延々と死が繰り返されるだけで、他には何も変わりばえするものはなかった。言わば、『死』がエンターテイメントなのだ。
それだけ、ここでは『死』が当たり前に感じる。病気で死ぬのも、銃弾で死ぬのも、同じ『死』なのに、今や俺にはそれは別のもののように感じていた。
『死』の単位はいつの間にか『死』そのものではなく、それを構成する『恐怖』に片寄っていた。ここで死ぬなら、病で死ぬほうがよっぽどマシだ。そっちのほうが、恐怖はない。
ウィンターズは俺の視線に気がついて、同じように空を見上げた。
「……こんなことしてなんになるんです?」
「さあな、上の奴らに聞けよ」
「違いますよ。戦争じゃありません。空を見上げて、何してるのかって聞いてるんです……センチメタルな気分に浸かれましたか?」
ウィンターズは呆れていた。両手を広げて、間抜けな顔を作る。
「同じ気持ちになれなくてすみません。でも、俺はここに来てからというもの感傷に浸ることができなくなってまして」
俺は星からウィンターズに目を移した。そこには、星と比べたら、随分汚らしいすすと土にまみれた顔があった。
「……そいつはよかった。お前も俺と同じ殺人マシーンに早変わりした訳だ」
へっと俺は笑った。そうだな、そうだ。俺達に感傷なんてもの、贅沢すぎて神様は与えてくれなかった。ずっと、生きるために這いつくばって来たんだ。これからも、ずっとそうやって足掻いていろと、神さまは言っているのだろう。
随分なことじゃないか。
ウィンターズは少しだけ笑うと、俺の腰から水筒を奪って口をつけた。あ、それ、必死に故郷から持ってきた酒なのに……
ふと、ウィンターズは顔を引き締めた。……いや、違うか。疲れきった顔になっただけだ。
それは戦場ではどこにでも転がっている表情だった。少なくとも、俺は二年間、その顔を見続けている。雨にぬれながら、土砂にまみれた塹壕でじっと息を潜める時、暗い森の中で敵が来るかもしれないと遠くまで走る平原を見つめるとき、そのどのときも、兵士達は疲れきった顔をしていた。感傷なんてものじゃない。もっと荒削りで……絶望的なものだ。
「早変わりした訳じゃありませんよ」
ウィンターズはつぶやいた。
「昔大尉言ってたでしょう。『死んだ奴等は皆星になって俺達を見ている』って。星を見るたびにその言葉を思い出してました。『あの星はマクだ』『あの星はエリックだ』って。考えたら止まりませんよ」
そうだったけかな、俺、そんな事言ったかな、と考える俺を無視して、ウィンターズは俺から奪った水筒にもう一度口をつけた。グビリ、と咽を鳴らすと、疲れた顔で、笑う。
「夜空を見上げるたびに星が多く見えるのは、きっと死んだ奴らが皆上に行ってしまうからです。あそこには俺達の仲間がたくさんいるんですよ。いつか……」
そういうと、ウィンターズは立ち上がった。
水筒を無理やりに俺に押し付けると、焚き火に向かって歩き出す。こんどは俺があわてて追いかけることになった。
「お前こそ」
ふと、俺は奴が何を言おうとしていたのかがわかって、鼻で笑ってやった。
しばらく追いかけて、途中で俺は追いかけることをあきらめた。なんだかこっぱずかしい気がした。
「お前こそセンチメタルじゃねえか」
ウィンターズは少し遠くで立ち止まると、俺に振り返った。その顔は、笑っている。
「知ってますか? ……俺達には、そんな権利、与えられていないんですよ」
「……ああ」
知ってる。
知ってるさ
俺はそっと呟くと、水筒に口をつけた。
「……チッ、やられた」
その中身は空になっていた。
■
廃墟の中心、枯れきった噴水を背に、俺は仲間達を見回した。
「ついにこのラングシュメール地区全域を落とす時が来た」
俺は通信兵に渡された大隊からの通信記録を見ながら言う。
「我々D中隊が遥か西の果て、バハマ海岸から降下、進攻を開始して四ヵ月。数々の仲間を犠牲にしてやっとここまで来た」
俺の前には補充兵を含めた三十二人の兵士達が、適当に俺を囲むように立っている。
同じく補給された銃や、手榴弾を手にして。
「ラングシュメールは西から東への進攻でそのほとんどを我々が占領。残ったのは二つだけ。我々が進攻する市民街ケイブと、軍事拠点となっているネルフ」
兵士達の目はすべて俺に向いている。だから、その中にある色も感じることが出来た。
覇気の無い、義務感と徒労感に練り込まれたような瞳は歴戦の兵士達。
緊張を押し込めようとギュッと唇を噛み締めているのは補充兵。
そしてそのどちらにも、得体の知れない黒い『何か』にねっとりと絡めとられているようだった。
「……名前なんて覚えなくてもいい」
俺は記録をポケットにねじこみながら言った。
「いなくなった仲間のことも忘れろ。どうやって命令に従うかだけ考えておけ。……余計な事を考えるな。そうしないと次は」
ふと、補充兵の一人と目があった。
「…………」
疲れたような目では全くなく、清んだ、青い瞳をしていた。
「……俺がお前達に言えることは少ない。各自、生きて帰る事を考えろ。……フーアー」
「フーアーッ」
兵士達は敬礼すると、それぞれの準備にかかった。静寂に包まれていた空間が、雑然とした足音と話し声で騒がしくなる。
「大尉」
ウィンターズが、武器を片手に近づいて来た。
「予想通りでしたね」
俺は足元で転がっていた敵の死体から拳銃を持ち出し、それをもてあそびながら呟く。
「補充兵の数か? それとも訓練生だった事?」
「両方ですよ」
ウィンターズは掌を返して少し持ち上げた。 顔を渋らせる。
「戦争は景気がいいのに、軍は羽振りが悪いですね」
「…………」
俺はウィンターズを見た。ウィンターズは煙草をくわえて、器用に溜息をついている。相変わらずの煤と泥にまみれた顔だ。
俺は少し俯くと、すぐに顔を上げ口を開く
「……ここだけの話だが」
ウィンターズが煙草を指に挟みながら俺をけだるそうに見た。
「え?」
俺は死体を蹴り飛ばすと、仲間達から少し離れた建物に歩き出した。
「ちょ、ちょっと……」
ウィンターズも煙草を捨てて、慌てて俺について歩き出した。
不満げに鼻を鳴らすウィンターズには悪いと思ったが、そういう感情を外にだすような余裕は、俺にはない。
しばらく歩き、仲間を見ると、大分離れて、彼等は薄い朝霧に紛れていた。
追い付いたウィンターズは俺を見て、同じように仲間を振り返った。そしてそこに何もないのを知り、口を尖らせる。
「なんなんです?」
俺は溜息をつき、また少し俯いた。口は鉛の様に重い。
「……俺は正直、この作戦がD中隊にとっての……最後の、任務になると思ってる」
「なんですって?」
ウィンターズは慌てふためいて周りを見回す。
「便衣兵に聞かれたら殺されますよ」
「だが事実だ」
元はカフェか何かだった建物につくと、柱に隠れて小声で耳打ちする。
「お前達は知らないが、この間前線基地がやられた。状況はどうあれ前線は後退せざるえないだろう。にも関わらず俺達には進攻命令……おかしいと思わないか?」
ウィンターズはしばらく動きを止めた。しかしすぐに笑って頭を振る
「……そんな、考えすぎですよ」
「そうか? 俺にはそうは感じんな。大隊からの連絡はいつだって不明瞭なのに、今回だけやけに詳しく伝えて来た。武器も、兵の置き方も、どこから入ってどこを攻撃してどうやって倒せばいいかまで」
「大尉、それは」
「ウィンターズ、この間俺がお前達を囮に使ったの覚えてるか?」
「……はぁ?」
ウィンターズはまだ事態がどの程度危険なのかわかっていない。しつこい俺に呆れて苛立っていた。それでも俺はつっかえながら続ける。
「あの時俺はお前達が俺より前で、……敵に近くて、敵にとってお前達が脅威だからお前達を利用した……わかるか?」
ウィンターズはしばらくの間まじまじと俺を見た。
「……ええ。よくわかりましたよ。大尉の事がね。明日までに上官除隊願を出しておきますよ」
ウィンターズはそういうと、ククッと笑った。冗談でも言っている気らしい。
瞬間、俺の頭はカッとなった。俺の意思とは関係なく腕が前に飛び出す。
「ウィンターズ!」
俺は焦りと苛立ちで掴みかからん勢いでウィンターズに迫っていた。
「な、なんなんですか!? 大尉、おかしいですよ!」
ウィンターズはいきなりの事に目を見開いてびくつく。両手を上げて、上体を反らせた。
「…………」
ハッとして我にかえると、自分の息が止まっていたことに気がついた。あわてて息を元に戻そうとするが、まるで何かが咽の奥に詰まっているかのような呼吸しか出来ない。
「……ハッ……カッハ、ふぅ、ッふぅ、はぁ、はぁ……はぁ……糞……」
「あの、大丈夫ですか大尉……」
ウィンターズはまるで別の生き物でも見るかのような目で俺を見ていた。俺は胸を押さえながらその目を見返す。
「……大丈夫だ。ッはぁ……すまない、話を聞いてくれないか。頭がおかしくなりそうなんだ」
ウィンターズは眉を寄せたが、しばらくすると、ゆっくりと頷いた。
俺達を囲む状況は常にシビアだった。
俺達が過去、そして現在まで行ったラングシュメール降下作戦は、敵国の本土攻撃最初の足がかりになっている。国では俺達は英雄だろう。何しろ、勝つどころか引き分けすら難しいとされていた敵にいきなりカウンターパンチを浴びせたのだ。英雄にならなきゃ歩に合わない。
そんな英雄として崇められている俺達は、元々志願兵として軍にいた……今考えるとバカ野朗どもだった。
俺達が所属していたのは厳しい降下訓練を受けていた特殊部隊、D中隊。そこにある日降下命令が下った。
その三日前には敵国はかねてからの緊張状態から一転、俺達の本土を急襲、軍事港一つを丸々つぶしていた。港にあった基地は補給艦二隻を残し全滅。海兵隊員百四十名が負傷し、二百二十三名が死亡、七十八名が行方不明となった。
この『大敗』をきした状況に軍上層部は国土及び領海、領空に防衛線を張ると共にすぐさま反撃に移った。
まず一番近いラングシュメール地方への上陸を画策した上層部は、素早く制空権を得て、先の命令により輸送機に揺られていた俺達を降下させる。
シビアだったのはここからだ。
俺達は制空はされていたが『制海』はされていなかったそこで、海軍と敵本土との両挟みにされた。猛攻を受けて、俺達D中隊そのほとんどの仲間を失った。
なんとか命からがら生き残り、後ろ盾のない戦いをして俺達はそこを制圧したが、その後も俺達にはシビアな状況が待ち伏せていた。
半数以下に減らされた俺達に、味方からの『帰還命令』は行われず、代わりに『進行命令』が言い渡されたのだ。
俺達は当然反抗したが、誰もそれは聞き入れなかった。通信へ『無理だ』と伝えても、帰ってくるのは同じ答えばかり『前進せよ』。
もとより俺達に帰るところなどなく、後ろに控えているのも敵だった。落下傘部隊は『囲まれてから戦う』が基本だ。その意味を、俺達はその時、やっとわかった。
そこからの戦いは長かった。一言で言い表せぬほどの戦いに、戦いを重ねた。ラングシュメール地方は陸に上がるのは簡単だが(もっともそれも失敗したわけだが)、そこから進行するのは、連なる山と崖で困難を極めた。
つり橋の上での戦いや、山頂から攻撃される激しい銃撃戦、そしてやっと平原についても今度は市街戦が待っている。
その中を四ヶ月……そう、四ヶ月もの間だ。俺達は戦ってきた。一度として気が休まった日はない。いつだって俺達は、銃弾の恐怖におびえていた。周りはどこだって、敵なのだ。
一週間前、マクが敵のロケット砲で死んだ。激しい市街戦の時に、ロケット砲が窓に直撃した。マクは偶然その時窓の近くにいたために、吹き飛んだガラスの破片が信じられないほどたくさん肉に食い込んで、そして死んだ。
マクが死んだことで、最初の降下作戦に参加していた兵士は俺とウィンターズだけになっていた。
シビアだった。
その時、同時に前線基地が爆撃を受けて大損害を受けたと聞いた。普段なら大したことなく対空砲で撃ち落として終わりなのだが、撃ち落とした爆撃機が本部に突っ込んだのだとも。本部から派遣された補充兵にだ。
「すぐに撤退ですよ。そうしたら、大尉達も故郷に帰れます」
彼は笑って話し、そしてそのまま俺の目の前で狙撃されて、頭を吹き飛ばした。
だからこの事実を知っているのは俺だけ。なぜ一週間たっても撤退命令が来ないのか、なぜ進行命令が続くのか、そこに疑問があるのも俺だけ。
そして今回の進行命令でわかった。俺達は、本部と大隊が撤退するための囮だ。
敵は俺達の動きに注目している。なぜならバハマ海岸の電撃作戦、そして行軍不可能とされていた山岳地帯への進行。各所の基地の急襲によるラングシュメール地方大幅制圧。俺達は目立つことばかりして来ていた。数々の犠牲を払って。
それは上層部の奴らには実に美味い『エサ』に見えただろう。敵をかぶり付かせる釣りの『エサ』。多くの犠牲を払って得た代価といえば、そんなものだった。
今俺達が大々的に動けば、それはもうラングシュメール地方最大の市民街、ケイブへの進行以外考えられない。軍事拠点ネルフへの進行は大隊が行っており、それは既に敵の知るところ。わざわざ遠いところへ進行する意味もないのは俺達も、敵も知っている。
つまり一本線の道を俺達は歩いているようなものだ。俺達には『国へ帰るための最後の侵攻の』道、敵にとっては『待ち伏せするには画期的な』道だ。どこに向かうかわかっている。これほど攻めやすいことはないだろう。
そして上層部からすればそれはまさに好都合。敵は待ち伏せをし、俺達は『大隊からの連絡通り』奇襲進攻を敢行。敵は混乱、D中隊を抑えるのに必死になり、大隊が前線から撤退するのに気づくことはできない。いや、気づいたとしても叩くことはできないだろう。
そしていずれ軍事拠点ネルフからの増援がケイブに来る。そこで俺達の作戦は終わる。
「全滅だ」
俺は言った。
「この作戦の最後のシナリオは、俺達の全滅によって締めくくられる。大隊は撤退し、本部はいつの間にか前線を下げて、そして今度は爆撃機がケイブを吹き飛ばす。そうすれば形勢はまったくの逆転。俺達との戦闘で疲弊した敵が大損害を受け、前線を今以上に譲らざるをえなくなる」
俺が座り込んだままウィンターズを見ると、ウィンターズはつめを噛んだまま地面を見ていた。
「……考えすぎっていうのは」
「そのわりにはでき過ぎてるだろう」
俺は自嘲気味に笑う。
「俺は大尉としてこの作戦を遂行する。お前達を引き連れてな」
「仲間を騙すんですか」
ウィンターズは俺を睨んだ。なんだよ、俺を睨むのか?
こうなったのは俺のせいじゃない。仲間を騙すわけではない、作戦だ。俺は騙してなんかいない。俺は今までだってそうしてきた。
作戦が伝えられて、俺はそれを遂行するように部隊を動かし、戦う。怖がる新兵を励まし、ケツを蹴り飛ばし、反抗する古参兵をなだめ、銃を握らせた。
例えそれが、どれだけ死に近しい行為だとしても。
「じゃあどうしろっていうんだ……!」
俺はその目を睨み返す。ふざけるな。お前に何がわかる。どれだけ俺がこの部隊の為に尽くしてきたかわからないくせに。どれだけ俺が悩んできたか知らないくせに。
仲間を殺させたくない。そのために、数少ない犠牲で多くを救うことを日常的にやってきた。
そのたびに、俺がどれだけ悩んだか。お前は知らないだろう……!!
ウィンターズはさらにその怒気を強めた。
「やっとここまで来たのに……! 何人の仲間が死んだと……!!」
「そんなことはわかってる!」
「わかっちゃいない!! どうして! どうしてですか!! どうして……俺達ばかり!!」
ウィンターズはうなだれた。そのまま壁に手をつき、崩れ落ちるようにしゃがんだ。
「ウィンターズ……」
お前、悲しいのか?
苦しいのか?
俺にはわからない。
俺は何人もの人間を、やむ終えないという理由で殺してきた。見殺しにした。囮にして、盾にして、それでより多くの命を救った。
ここに来てから俺はおかしくなってしまった。
……いや、おかしく『なった』。
人間が人間を『数』として評価するなんて、やってはいけないことだった。たとえ百人を救う為だとしても一人を盾にするべきではなかった。二百人だって、三百人だって……。
みろ、裏切られた俺の姿を。
俺は上層部をののしる権利などない。
俺は同じことを何度も何度もやってきた。多くの仲間を救うため、僅かな仲間達を、裏切った。
裏切られた奴の顔は、全部、鮮明に覚えている。
マイク。お前がいることを知っていながら、俺は橋を落とした。お前の真後ろに、敵が迫っていた。落ちる瞬間のお前のゆがんだ顔。
ロウ。崖から落ちそうなお前の手を離したのは、俺が撃たなきゃ仲間達が、俺達の仲間達が爆殺されていたからだ。「手を離す」と俺から聞いた、お前の悲しみのような、あきらめの様な顔。
エリック。逃げ出そうとしたお前を撃ったのは、お前が憎かったからじゃない。そこを死守しなければ、皆爆撃を受けて死んでいたから。お前に続いて逃げ出そうとする新兵達を思いとどまらせるには、それしかなかった。すまない。撃たれながら振り返ったお前の、裏切られたという絶望の顔。
ロジャー。負傷したお前をおいて逃げた。敵は目の前に迫っていたし、戦車のキャタピラ音、お前も聞いたろう? 俺はそれ以上、仲間全員を一人の為に犠牲にすることはできなかった。「待って」といった、お前のおびえた顔。
エイブス。たった一人で突撃なんてさせて、すまなかった。もっとも勇敢な仲間の、俺はその勇気さえ利用してしまった。腹と肺に弾丸を受けながら、あの防衛線を突破したときのお前の、嬉しそうな、やりきった顔。
皆、すまなかった。
俺はお前達を裏切った。自分を、仲間を、ウィンターズを助けたくて、お前達をはかりに掛けた。
すまなかった。
許されないだろう。許してくれないだろう。
裏切った俺を、誰も許してはくれないだろう。
だから俺はここで逃げ出すことはできない。
お前達を犠牲にしたように、自分と、そして仲間達を犠牲にして、俺は大隊と前線基地を守る。数少ない犠牲で、俺はより多くの、仲間を救う。
迷うことなど、許されない。俺は、どうしても、この作戦を遂行しなくちゃならない。
「……どうしてですか」
ウィンターズはうなだれたまま、呟いた。俺はその見えない顔に、少しだけ震えた。怖いわけじゃない。すまなさに、身が震えたのだ。
どうしてすまないのか、わからなかった。
「どうして、俺に話したんですか」
「…………」
それも、わからない。
「迷ってたんじゃないですか? 俺に止めて欲しかったんでしょう?」
……わからない。
「本当は」
ウィンターズは、腰から銃を引き抜くと、その銃口を俺に向けた。
「……どうして」
不思議と俺は、疑問は浮かんだが
「本当は、自分を殺して欲しかったんでしょう? 仲間を見殺しにする選択しかできない自分を、殺してほしかったんじゃないですか」
ウィンターズの引き金に指が掛けられても、俺に恐怖はなかった。浮かばなかった。
ただ、すまないとしか……
■
「…………」
俺は、生きていた。
「…………」
彼は、血だまりにのまれていた。
俺は握り締めていた、黒く生光る拳銃を投げ捨てると、それを木の床に放った。木床を敷き詰めた部屋はその鈍い音に満たされる。先程から続く、敵と味方の銃撃の音と混じって。
不意に力が抜け、膝が崩れ落ちる。ドン、という音と共に俺の意識は真っ白に飛んだ。嘘だろう?
嘘なんだろう?
「…………」
俺はそっと手を彼の頬に延ばすが、床に転がっている彼の、その頬はただ「冷たい」とだけしか伝えてこず、俺の体もその事実をぶるぶると小刻みに伝えて来るだけだった。
「……何故だ?」
震える声がのどから出てきたとき、俺は初めて戦争をしていて、『怖い』と感じた。
「……何故こうなる!! 何故なんだ!! どうして!?」
どうして俺達ばかり!!
「神よ!! あんたは俺にどうしろって言うんだ!? 俺達に、何を止めろって言うんだ! 何が正しいって言うんだ! 俺が、俺達が」
そこまで言って、俺は爆風に体を吹き飛ばされた。硬いコンクリの床に鼻頭を叩きつけらる。激しい空気の圧力に、俺の鼓膜は甲高い音に支配され、まったく役に立たなくなる。
「――ガッ!」
肺から衝撃で押し出された空気が俺の咽を鳴らす。身をよじりながら体中の痛みに必死に耐えた。
這いつくばったまま、巻き上がる砂のなかで目を凝らすと、民家の窓から、すぐ近くで爆発が起きていたんのがわかった。
さらに連なる爆発音。思わず体を丸める。
「……もう、始るのか……!?」
爆撃だった。鳴り響く空襲警報、敵味方入りまみれての兵士達の怒号、巻き上がる黒い砂、爆音、そして、爆撃機が唸るエンジン音。
「大尉!? 友軍機が俺達を爆撃してます!」
窓の横にあるドアからの声に振り返ると、そこには黒い肌を持つ曹長が息を荒げていた。
「俺達ごとここを吹っ飛ばす気です! 大尉、ここは持ちません!!」
彼は酷く慌てていた。土とすすに汚れた顔。
今考えると、そんな顔をしているのは『彼』だけではなかった。そうだ、
死が近づいた兵士達は皆そんな顔をしていたんじゃないのか。
「……そうか」
ぼんやりとした俺が搾り出した言葉など、それだけでしかなかった。
曹長は一瞬動きを止め、なにか不思議なものでも見るかのような目で俺をみた。いや、実際不思議に感じたのだろう。今や俺は死が近づいたのにもかかわらず、死になんの恐怖も抱いてはいない。
俺はぼんやりと部屋の隅にあった、割れた大きな三面鏡の破片に見入った。
「……そうか、ハハ、そうだったのか」
「た、大尉……?」
突然笑い出した俺に曹長はさらに体を硬直させる。眉を寄せ、世界の『異物』を、決して目に入れてはいけない『異物』を見たような、そんな顔をしていた。何がそんなにも不思議に感じるんだ? 曹長。
どこがそれほど異物に感じる? 俺か? 俺の気が狂ったとでも思ったのか?
いいや、それは違う。俺の精神は正常だ。
ほら、見てみろ、実に滑稽じゃないか。
鏡の中に写る俺の姿を。
鏡の中に写るお前の姿を。
土にまみれ、すすに汚れた俺たちの顔を。
そうだ、そうだったんだ
「『俺たちはここに来たときからもう、死ぬ運命だったんだ。だから俺たちの顔はこんなにも土にまみれて、すすに汚れているんだ』」
死ぬ奴がそんな顔をするんだと俺は長い戦いの中で知った。それは間違いじゃなかった。
鏡の中の俺は、土にまみれ、すすに汚れているのだから。
そうだ、俺は死ぬ。
ここまで続いてきた、長い長い『死の台本』に、やっと俺の名前が挙がって来た訳だ。
笑った顔のまま曹長をみると、彼は顔を引きつらせていた。かすれた声をあげる。
「大尉……しっかりしてください」
「しっかりしてるさ」
そうして答えた俺の顔を、また、爆風が殴りつけていった。座り込んでいた体がさらに吹き飛ばされ、回転しながら後ろを振り向くと、そこには壁。今度は部屋の奥にまで叩きつけられるだろう。
――あぁ
その瞬間。
曹長の体が、爆撃の衝撃でバラバラになったのを見た、その瞬間。
俺はその肉片を顔に付着させながら、思っていた。
――間違っていたのかなぁ
硬い壁に俺の体は叩きつけられた。内臓を直接革靴で蹴り上げられたような、吐き気ののし上がってくる鈍痛。それが背中から襲ってきて、俺は吐しゃ物をそこいら中に撒き散らす。
そして爆風が収まると、そのまま床に顔から叩き落された。鈍くも小気味よい音が内部から鼓膜を揺らし、その音で俺の鼻は折れたのだと認識した。
そして俺は自分の吐しゃ物と鼻から出した血のたまりに顔を力なくへばりつかせながら、最後の力を振り絞った。
口を、開く。
「なあ、ウィンターズ……どこだろうな……俺達、どこで間違ったんだろうな……」
俺は、笑った。暗い闇の底を覗き込みながら……
「(この作戦の本当の意味を、俺は伝えます)」
やっと、ラングシュメール地方最大の市民街『ケイブ』についた。
正確にはケイブについたのではなく、ケイブを攻めるためのポイント、つまりケイブ周辺に広がるうっそうとした森へと到着していた。
俺達は夜のうちに作った、無数の塹壕の中に身をおいている。行軍の間の衰えを取り戻すためだと、仲間には説明していた。
廃墟を占拠してから三日たっている。皆酷く疲れきっていた。疲れ、おののいた者は座り込みそうになるが、仲間のうちにはこの戦いが最後だと公言しながら歩くものがおり、彼らはその言葉に追い詰められるようにしながら歩いていた。
そして、誰かがそう呟くたび、俺は自分を責めていた。彼らを殺すのは、俺だ。俺が彼らに『死』を与えるのだ。
「……大尉」
同じ塹壕の中、横でタバコをくわえていたウィンターズが俺を全く見ずに呟いた。
俺はここに来てから半日の間、何度もそうしてきたように、頭を抱え込みながら返事を返した。
「なんだ」
「ここに来てもう八時間以上たちます。いい加減エヴたちも気がつき出しているでしょう」
俺は近くの塹壕に目を移す。そしてそこにいるであろう兵をまとめる軍曹、エヴの顔を思い出した。隊の仲間を強く意識し、激しい銃撃戦でも臆することなく突撃する、さらに部下にも信頼される絵に描いたような軍曹がエヴだ。そのいかつい顔が眉根を寄せる姿を容易に想像できることに、俺はウィンターズのいうとおりの事態になっているであろうということを感じさせられた。
「……そうだな」
「いずれわかります……そのときになったら手遅れでしょう。俺は言います」
「…………」
俺が答えないでいるとウィンターズはタバコをふき出して立ちあがった。塹壕から出てホフク前進で進み、比較的おおきな塹壕にとびこんでいく。
俺は顔を空に向けた。
木の上から朝露が落ちてきて、俺のヘルメットに当たる。カン、という小気味良い音がヘルメットの中に響いた。うっそうとした森の木はどんよりと曇った空をその緑の体で押し隠し、しかしむしろその行為は兵士達の心情を暗く、暗澹とさせていた。
俺は手探りでウィンターズが捨てたタバコを探り当てて口にくわえた。残り火を吸い込み、煙を吐き出す。
いったい、何をしているのだろう。
ここに来る前の俺はこんなことはしていなかったと思う。こんな事態になるまで放置などしなかった。もっと前に……そうだ、あの時。D中隊が半数にまで減ったあの降下作戦の後、あそこできっと進軍を止めたはずだ。
いったいいつ、俺は変わってしまったのだろう。
いや……前の俺の前の姿っていうのはなんだったか?
あれ? なんだろう。俺はいったい、『誰だったのだろう?』。どこで何をしていたどういう人物だったんだろう?
「…………」
俺はタバコをプッと吐き出した。そうだ。ここに来る前の俺はタバコなどすわなかった。
少し考えてみれば違ったところばかり浮かぶ。たしか俺は……
「大尉」
ふと考え込もうとしたとき、砂を飛ばし、ざらついた感触の音を立てながら塹壕に男が飛び込んできた。
「ウィンターズの言っていることは本当の事で?」
走ってきたらしく(焦り、というよりは敵に見つからないためか)息を荒々しくたてながら男……エヴは小声で言った。
「俺の考えでしかない」
俺はなるべく軽く答えたつもりだ。しかし
「……だとしたら大尉、あんたはこんな所じゃなくて本部で働いたほうがいい……きっと軍師として重宝されますよ。腐った上層部なんかより」
エヴはため息をつきながら呟き、そして俺と同じように空を見上げた。
「マジかよ……クソッ!」
地面を叩くエヴ。俺は彼に何を言うでもなく体を抱えた。時計を見つめる。
「作戦を今日の夜、マルイチマルマル時にはじめる。時計を合わせろ」
「まだ俺は行くとは言ってない」
俺がなんの感慨も無くエヴを見ると、エヴはいつの間にか俺を見ていた。
「ウィンターズが言ってた。行きたくない奴はいかなくていいと。あんたには言ってないみたいだが、今日中に逃げたい奴は逃げる算段になってるらしい」
「……そうか」
俺はまた空を見上げた。露がヘルメットに落ちて軽い音を立てる。
エヴは眉根を寄せた。
「驚かないんだな」
「予想はついてた」
「いいんで?」
「何が」
エヴは下から覗き込んだ。
「逃げちまうんですよ? このままだと誰もいなくなっちまう」
俺はうなずいた。そうだな、すすんで死にたい奴などここにはいない。
「ウィンターズの言うとおりの作戦放棄はできないでしょう。大尉、俺はあんたの意見に賛成だ。確かにウィンターズの言うことも一理あるが、あの甘ちゃん言うとおりにしてたら全員銃殺刑だからな」
エヴは周りを見渡すと、ヘルメットを深くかぶり顔をよせる。
「……身代わりが必要だ。何人かを助けるための、犠牲者が必要なんだ」
「…………」
「少なくともアンタの考えどおりなら作戦の重要課題はこさなくちゃならない。つまり敵の霍乱と陽動だ。ソレをこなせるだけの人員は集めなくちゃならない」
「つまりどういうことだ」
俺にはエヴが何を言いたいのかわからなかった。いったい何を言いにここまで来たんだエヴ?
その質問に答えるように、エヴはもう一度周りを見渡してささやいた。
「隊にこれ以上の混乱を呼ぶな。ウィンターズを止めるんだ。そうすれば俺たちで残る隊員は決められるし、逃がす奴は逃がすことができる」
「ウィンターズを止めることはできない」
俺はぴしゃりと言った。
「俺はアイツを止めることはできない。アイツとはもう、銃を向けられてまでことを話した」
「銃?」
エヴは目を見開く。予想通りの反応に俺は苦笑した。
「そうだよ。『俺はこのことを話します。もし止めるのであれば、引き金をひきます』……だと」
「……ウィンターズらしい。信じられないほど甘ちゃんな野朗だ」
エヴは吐き出すように言うと、握った銃……単発式、ボルトアクションの長銃だ……を肩に担いだ。
「……大尉。俺はね、『限界』なんですよ」
しばらくの沈黙の後、エヴは突然一言一言かみ締めるように呟いた。俺は目を細める。
「俺だって逃げたい。だがそうはいかない。仲間が死ぬか生きるかは俺にかかってる。大尉だってそうだろう?」
俺は別に首を縦に振ることも、横に振ることもしなかったがエヴはうなずいた。
「最悪、俺たちが戦うことに何の意味がないにしても、俺と大尉は仲間を生かすことだけは考えなくちゃいけない。……俺たちにとっては行楽の帰りは終わりじゃないわけだ。生きて帰らなくてはいけない。だから俺たちは、『何があっても』仲間を助ける最良の選択をしなくちゃならない。たとえ」
すっと息を吐き
「誰かを犠牲にしたとしても」
遠くでウィンターズたちが騒ぐ声が聞こえた。何かしらを言い合っているのかもしれない。この塹壕にいた緊張感が限界に達しているのか、その声は敵の近くにいるというのに隠そうとしている感がない。
その点、俺は随分冷静だった。
「……どういうことだ」
俺は特に取り乱すことなく、エヴの視線を見つめ返した。エヴは硬くなった表情を崩すことなく口を開く。
「そのままの意味です。俺たちはどんな犠牲を払ってでも、仲間達が生き残る最善の準備をしなくちゃならない。障害になるのなら犠牲だっていとわない。自分だって、『仲間に恐怖を伝染させる』仲間だって」
エヴはゆっくりと視線を後ろに向けた。視線の先には、少しだけ頭を出して仲間に話し続けるウィンターズの姿。
しばらく黙ったあと、抱えていた銃を見つめた。目を細める。
「おい、お前……」
エヴは俺を無視して、そっと体位を変える。正面にウィンターズが見えるようにすると、銃尻を肩に押し付け、照準をのぞく。
「おい!」
「違わないでしょう!」
エヴは小声で、しかし俺にははっきりと聞こえるように叫んだ。照準からは決して目を離さない。
「仲間を助けるための犠牲。俺もアンタも今までいくつも乗り越えてきたはずだ。それと今と、どう違う……!」
「何言って……」
「それとも訓練時代のお仲間は殺したくはないとでも? 他のやつらは見殺しにしたのに」
単発銃のボルトを引く。ガチャリという音があたりに響いた。あとは、引き金を引くだけで弾はウィンターズに飛んでいき、俺があのスナイパーを撃った時の様にウィンターズは脳を撒き散らして……そして死ぬ。
俺は唾を飲み込んだ。
そうだ。
いまや奴は仲間を脅かす存在でしかない。どうして俺は止めるんだ。今までだってそうしてきたじゃないか。少ない犠牲で、多くを助ける。そうしてきただろう。
だったらなぜ、止めるんだ。
止める必要などない。いつもの通りだ。ここで止めたらウィンターズについて仲間は撤退し、作戦は遂行できず、仲間は脱走兵として本国で銃殺刑は免れない。どちらにせよ、仲間は死ぬ。
だったら、ここでウィンターズを殺してでも俺はこの死の輪廻を止めるべきじゃないのか? 迷うな、迷うかことが一番危険だと今まで何人もの仲間を犠牲にして知ったんだ。
そうだ! 殺せ! 助けるべき人間はたくさんいる!
『いつものように』
エヴはゆっくりと照準をあわせる。ぶれないように、慎重に。
丸い手前の照準と、銃口上にある突起状の照準をあわせる。視線を遠くに向けると、ぼんやりとしていたウィンターズの顔がはっきりとする。相変わらず何かしらを部下に話し、儀直に仲間の話にうなずく。それを確認すると、その頭にゆっくりと照準を当てた。
息を吐き出す。
大きく、吸う。
昔、補充兵として送られてきたばかりだった頃、エヴはウィンターズに戦場で生き残るノウハウを教えてもらった。
『照準を合わせたら深呼吸しろ。一度だけだ、のんびりしている暇はない。吐いて、吸ったらそこで息を止めろ。そうすれば銃はもう動かなくなる……あとは何も考えるな、勝手に引き金が引かれる』
受け売りだがな、と笑ったウィンターズの横顔は、いまではもう浮かばなかった。
エヴはさらに吸う。息を止めるまでが、ウィンターズの最後のときだ。
隣に立っている大尉は何も言わない。最初に会ったときと同じように、ぼんやりとエヴとウィンターズを見比べるだけだ。……内心は別として。
ウッとエヴは息を引きつらせた。一瞬咳き込みそうになるが、何とか留める。
吸い込みすぎた。……そんなミスをするなんて思いもしなかった。やはり自分もウィンターズに思いいれなんてものをしているらしい。俺としたことが……随分と過去に引きつられる男らしい。非常な男として名を馳せたはずの俺が。
だが、それもこれで終わりだウィンターズ。
俺はいつものように、同じように、正しい行いをするさ。
エヴは引き金にかけた指に力がこもるのを感じた。すっとどこか虚無の空間に落ちていくように、ゆっくりと、自然に引き金は引かれ
カチャリと、引き金と金属のあたる音がした。
「……どうして」
「ウィンターズに撃つタイミングを教えたのは俺でな。当然お前の撃つタイミングだって把握してるわけだ」
体をそのままにして目だけを後ろにずらすと、大尉が疲れたようなその顔を、さらに疲れたように渋らせていた。その手に握られているのはエヴと同じ型の長銃。
「……随分じゃないですか」
「そうか? 俺はそうは思わないな……これ以上仲間を見殺しにはできなくてな」
「アンタは勝手な男だ。今までは好き勝手に見捨ててきたくせに、自分の仲間は殺させたくない……そんなことが許されると思っているのか」
「いいや、そうは思わないね。許されるなんて、俺たちには最初から『そんな権利はない』」
エヴは視線を前に戻した。
「もしここで俺が引き金を引いたら、間違いなくウィンターズは死にますよ」
「そうしない為にこうしてお前の頭に銃を向けてるんだが?」
「それでも俺が今まで死んだ仲間の為に引き金を引いたら、大尉はどうするんですか」
大尉は少しだけ押し黙ると、しかしすぐにその顔に笑みを浮かべた。
「そしたら、お前の言うとおり、俺たちだけで死ぬ奴を選ぼう。『いつものように』」
エヴは引き金に当てた指に、僅かに力をこめた。ふざけやがって。
ふざけやがって、ふざけやがってッ、ふざけやがって!、ふざけやがって!!
エヴは頭の中が殺意でいっぱいになっていった。今すぐ、この後ろで笑みを浮かべる男と、ふざけた甘ちゃんのウィンターズをぶち殺したくて仕方なかった。
「……そいつは楽しそうだ」
エヴは握っていた銃をおろした。フウッと小さく息を吐くと、ウィンターズに背を向けた。
「だが俺と大尉はどうも意見が合わないらしい。その時ももめそうだ」
「そうだな」
大尉は笑っていた顔を元に戻し、隊でも有名なあの『疲れた顔』をした。その顔をまた空に向ける。
「まだ、俺もお前も、死ぬには早い」
「…………」
大尉は銃を空に掲げ、ヘルメットを脱ぐと呟いた。
「然るべき時に、然るべき死を。ウィーアーサー」
ただの掛け声であるはずのそれは、エヴの目には何かしらの祈りに見えた。
この腐った世界のどこに、祈るべき場所があるのかは疑問だったが。
■4
ケイブから少しだけ離れた林の中、俺たちは二部隊に分かれた。
ウィンターズの統一する十八名の部隊。
俺の統一する十二名の部隊。
二つの部隊はそれぞれ一列になって向かい合っている。俺とウィンターズを代表として一歩前に並べて。
その部隊に名前はない。いや、もし名前をつけるとしたら、彼らは後ろ向きながらもふざけあって互いに名前を付け合っただろう。
すなわち、『負け犬』と『戦争狂』と。
「事態は知っての通りだ」
誰も口を利かない空間が一時間以上続いてから……もっとも俺には数分に思えていたが……俺は口を開いた。ただただ向き合って、互いの顔を何とかして目にやけつけようとしていた兵士達の目が久方ぶりに俺の目に重なる。
「実際の状況がどうであるかは私にはわからない。私にできるのは予想でしかない」
俺はいつものように、皆の前で話すときではお決まりの『私』という呼称を使った。仲間達はそれに特に反応をするでもなく俺の顔を覗き込む。ウィンターズだけは俺の顔を目を細めていたが。
「私にはわからない。この判断が人として正しいかどうかは。だが、軍人としてこのことを判断すれば、私の考えはこうだ。『作戦を遂行するに決まってる』」
俺の目の前……ウィンターズの後ろに並んだ兵士達は顔を伏せた。ゆっくりと下げた者、すぐに下げた者、一人ひとりのタイミングがバラバラであるのならその中で考えられていることもバラバラだろう。当然のようにその考えはわからない。申し訳なさか、それとも自虐的な発想から来るものなのか。
「ウィンターズ少尉の発案によって我々は二部隊に分けられた。味方に伝令として向かうウィンターズを含む班、そして私を含む作戦を遂行する班」
口には出さなかったが、そこにある意味を兵士達は当然のように飲み込んでいる。
立ち去ることは『生きること』であり、残ることは『死ぬこと』であるということを、彼らは知っている。垂れた頭が、さらに深くなった。俺は一息だけつくと、また口を開く。
「それぞれの選択を、私は尊重する。なぜなら私にはわからないからだ。人としての自分をとるか、軍人としての自分を取るか、私が判断するべきことはもう随分前にに過ぎ去った……後は君達に任せる」
俺としては。
俺としてはこれほどまでにここに残ると言う仲間がいたことに驚きを隠せなかった。ほとんど全員行ってしまい、最後に残るのは僅か仲間達だけかと思っていた。
ウッという声が俺の目の前……ウィンターズの背後から聞こえた。一人の兵士がしゃがみこんでいた。
「すみません……!」
「…………」
酷く小さな嗚咽だった。片手で顔を覆い隠し、しかし食いしばった歯と流れる涙を隠し切ることはできていない。
周りの兵士達は声を抑えようとする彼を見ていた。何を思っているかはわからない。ただ、何かしらの感情をこめて見つめていた。
「ほんとに……すみません……! 俺はこの部隊と共に死にたかった……苦しいことばかりだったけど、俺はお前達が好きだった……」
「逃げる奴が偉そうな口を利くな」
ふと、俺の背後……任務遂行班の一人、中年に達した軍曹が座った姿勢のまま言った。
「敗北者はだまって隊を去れ。それが俺たちのルールだろう」
「ルールなんて……」
ウィンターズの背後、伝令班の若い兵士が呟いた。頭をかかえたまま、しかしその下の表情は容易に想像できる。きっと、今の俺と同じ表情をしているのだろう。
「いつまでそんなこと言う気ですか。こんな間際まで……裏切られてまでそんなこと言うんですか! おかしいんじゃないのかアンタ!? こんな事になってまでまだ軍隊なんてもの信用してるのかよ!!」
その言葉に眉を寄せて、中年の軍曹が腰を僅かに浮かせる。
「逃げる奴が偉そうに……」
若い兵士は怒りに任せて抱えていた腕を振り回し、頭もそれに合わせてブンブン振った。
「逃げるに決まってるッ! 利用されて死ぬくらいだったら裏切ってでも生き残ってやる!」
「だったらここに来るまでに何人の仲間が死んだ? そいつらが何のために死んだのか考えろ!」
「『平和』のためだ! 母国の平和の為に死んだんだ! 俺だってその気で来たッ、だが現実を見ろ!」
若い兵士はなぜか俺を指差した。
「俺たちは結局『平和』なんて言葉に引っかけられてたんだよ! 何でだよ……どうして皆が死ななくちゃならないんだよ……俺たちはまだ、生きてるのに……!!」
そのままその若い兵士も力を失ってしゃがみこみ、やがて辺りに嗚咽交じりの沈黙が漂った。
「皆、嫌だ」
暫くたってから、俺は周りに聞こえるか聞こえないか微妙な声でぽそりと呟いた。周りの兵士達が俺を見る。
「死ぬのは嫌に決まってる。だから逃げたい奴は逃げればいい。最初からそう言ってる」
兵士達は呆けた顔で俺を見ていた。まるで今まで見ていたものがなんだったのかわからないとでも言うように、まじまじと俺の顔を見ていた。俺はその顔にたたみ掛けるように口を開く。
「俺の後ろにいる奴も、もし義務感やなんかでそこに居るとするなら、すぐにウィンターズの元にいけばいい。それが」
「なんで」
さらに口を開こうとした俺に、ウィンターズが言葉を重ねた。俺は思わずウィンターズの顔を見る。
酷い顔をしていた。
眉を寄せ、緊張したようにこわばったその顔を俺に向ける。
「なんで笑ってるんですか」
「……何?」
緊迫感に溢れたウィンターズの声に従い、口元に手をやる。……端がつりあがっていた。
なんだ、これ?
「……何が面白いんですか」
俺は手を口元から離した。
「面白い?」
「この状況の何が面白いのかって言ってるんです!」
ウィンターズは俺の顔を見ながら怒鳴った。いや、睨んでいたのだ、彼は。隊員の前だからこそ直立不動の姿勢を崩していないが、もし二人だけであったのなら間違いなく掴みかかってきていただろう。それだけの迫力が彼にはある。
「……面白い……?」
ただ、俺には彼に返すような言葉が見つからなかった。別に楽しいから笑っていたわけではない。第一、何で笑っていたのかも俺にはわからない。
……いや。
どうしてかは……わかるだろう。そうだ、なんだか間の抜けた光景に見えたのだ、今のこの状況が。
「俺たちは……人間だ。そうだ、これで正しい」
兵士達は相変わらずの罪悪感にまみれた顔で俺を見ていた。力ないかおで、やつれた顔で佇む者、座り込むもの……
俺はその顔を見つめる。
「悩んで、罵って、ぶつかって、これが人間の姿だ。何も間違ってない。それが普通なんだ」
ウィンターズが口を開く。
「……仲間の為に自分を犠牲にするのもですか」
「ウィンターズ、てめえ……!」
一歩前に出ようとするエヴを俺は手で制した。ウィンターズの目を見返す。暗く、曇った瞳だった。何かしらの黒い感情に飲み込まれないように必死になって怒りを蔓延させているかのような、そんな目だ。
俺はふっと力を抜いた。笑った……いや、むしろ微笑んでいたのかもしれない。
「俺達は英雄だ」
空気が少しだけ変わった。そんな気がした。
「国を守ることは国土を守ることだ。国土を守ることは領土を守ることだ。そして」
俺はウィンターズの後ろにいる兵士の一人ひとりの顔を見ていく。最後にウィンターズを見ると、彼は下から俺を睨んでいた。
「……そこに在る物を守ることだ。家族なり、仲間なり、恋人なり」
「それがなんなんです」
ウィンターズは怒気混じりに呟いた。吐き捨てるように言う。
「それの為に死ねとでも言うんですか。守るために死ぬんですか。……イカれてる。俺たちは守るためにここに来たんだ。死ぬためじゃない」
俺はその言葉に今度は意識して笑った。そして口を再度開こうとし
「てめえ!」
俺の脇から飛び出してきたエヴにそれを阻害された。
エヴは俺を突き飛ばすと腰から拳銃を抜いて、その銃口を突き出すように勢いよくウィンターズに向けた。
「気にくわねえ……! ふざけやがってッ、死ぬためにきたんじゃねえだと!? 俺たちだって同じだそんなもの!」
ウォンターズは一瞬体を動かそうとしたが、しかしその動きを退けてエヴを睨み返した。呟く。
「だったら何なんだ? 俺を撃つのか?」
エヴは興奮に任せて銃をブンブン振り回した。銃口はウィンターズに向けたまま、今にも発砲しそうな勢いに周りに緊張が走る。
「気にくわねんだよテメエは! こんなところにいるのに偉そうに説教かよ!」
「お……おい!!」
エヴのの動きに兵士達あわてて、体を動かそうとする。腰の拳銃に手を掛ける。
俺は直立不動の姿勢を崩さなかった。
「やめろ、 銃を抜くな!」
周りの兵士達は怒鳴った俺に困惑の表情を浮かべるが、俺はそんなことに気を使わなかった。ウィンターズを睨みつけるエヴに目をやる。
「エヴ、銃を引け」
エヴは動かなかった。じっとウィンターズを睨みつけ、銃の撃鉄を上げる。カチャリ、という音が響き、周りの兵士達の顔に焦りがさっと通りすぎる。動き出そうとするが、それを俺が目で制す。
エヴはそんな中でも眉一つ動かさなかった。瞬きもせず、銃口をウィンターズの額につける。
「あぁ、嫌です大尉……アンタ甘ちゃん過ぎるぜ。生きて逃がすなんて選択を出したこと自体、もう間違いだったんだよ……!」
ウィンターズが薄く笑った。
「……だったら何だ? ここで無駄死にするのが正解だってのか?」
「黙ってろ! 無駄死にじゃない! 戦って死ぬ、名誉のある死だ!」
「死ぬことに名誉があるのか? それこそ甘ちゃんの考えだな。下らない」
「逃げる負け犬が偉そうな口を聞くな!」
「エヴ軍曹!」
カチャッという音と共に一人の兵士が銃を引き抜いた。怒りに任せた形相でエヴを睨み、銃口を向ける。
「我慢ならねえ! アンタ何様のつもりだよ! 逃げるのがそんなに悪いことかよ!?」
エヴは視線をゆっくりとその兵士に向けると、素早い動作で銃口を動かした。金属音と共に銃口が兵士に向く。
「……悪いね。少なくとも、軍人なら死を覚悟して当たり前だろう。腑抜けになって逃げ出そうとしやがって」
「エヴ、もうやめるんだ」
冷静な声でウィンターズが呟いた。エヴの後ろで銃を引き抜く。
「俺だけならまだしも、部下に手を出すのは見逃せない……!」
「やめろ三人とも」
相変わらずのぼんやりとした、夢のような感覚の中で俺は呟いた。しかしそれはぼんやりとした俺の頭の中では音の調整がつかず、 あまりに小さかった。
「大尉すみません」
俺の横の老齢の兵士がまた、バッと銃を抜いた。銃口をウィンターズに向ける。
「全員銃を捨てろ、今すぐ投降しなければ撃つ」
ウィンターズはそれに反応すると逆に銃口を
老齢の兵士に返す。
「お前には信念がないのか? 戦って死ぬだけで満足なのか」
慌ててまた兵士が銃を抜いて老齢の兵士に向ける。
「お前らやめろ! 銃を捨てるんだよ! 味方同士でやり合うつもりかよ!」
そしてそれは波紋のように一気に仲間全体に広がりはじめた。緊張の糸がプツリと途切れてしまったかのように、顔を強張らせていた兵士達が慌てたように腰に手をあて、次々と銃を抜いていく。僅かな間に綺麗に整列していた二列はエヴとウィンターズを囲んでの銃出できた円となった。
年老いた兵士が銃を正確に相手に向ける。
「意見がくい違って作戦に支障が出るなら仕方がないな」
反射的に銃を抜き、撃鉄を挙げる若い兵士。
「ふざけんな! 勝手なこと抜かしやがって!」
全員が全員、拳銃を振り回して撃鉄を上げる。カチャリという音がつぎつぎと響き、怒声が静かだった森を揺らがす。
「やめろ!」
「銃を捨てるんだ! 全員で死ぬ気かよ!?」
「負け犬が! 下がってろ!」
「黙れクソ野朗! 生き残りたくて何が悪いんだよ!」
「やめろよ! 何してるんだ!?」
「俺は戦う! 死んでいったやつらのためにだ! 腰ぬけどもは黙って去れ!」
「いいから銃をおろして、一緒に逃げよう!」
「黙れ!」
「銃を捨てろ!」
「戦うんだよ! 戦え!」
「生き抜いて何が悪い!」
銃を向けて怒鳴りあう兵士達の横で俺は一人取り残されるように突っ立っていた。じっと立ったまま、どうすることもできずにぼんやりとした頭で
「やめろ……銃をおろせ」
と呟いていた。
俺は恐れていた。こうなることは予想できていたのに。
ウィンターズが俺に銃を向けたあの時、もうこうなることは予想できていたのに。どうしてだ。どうして俺はそんなことになるのに話した。
「大尉ッ! アンタも動くんじゃない!!」
ウィンターズが突然俺に銃を向けた。憎しみに満ち溢れた目で俺を睨む。
ああ、俺が望んだものはこれだったのか?
こんなものだったのか?
憎しみと絶望に満ちた瞳のために、俺はウィンターズに話したのだっただろうか。
「アンタは一番危険なんだよ……大尉は死のうとしているでしょう。ここで誰かに撃たれて死んだほうが、この問題に直面しなくていいからな……!」
「…………」
どうしてだったか。
ウィンターズは何も言わない俺を見たまま、腰へ手を回した。ゆっくりとポケットに手を突っ込むと、まるで壊れ物でも扱うかのような手つきで丸い金属を取り出した。
「大尉は忘れてしまったでしょうけどね、俺は覚えてる。このドックタグに刻まれた名前、大尉にわかりますか?」
俺は答えなかった。答えられなかった。ずっと黙って、そのドックタグを見ているだけだった。
いつの間にか黙り込んだほかの兵士達がから失望とも取れる瞳が投げかけられた。
ウィンターズは薄く笑った。明らかな嘲笑だった。
「わからないでしょう? この四ヶ月間、仲間の話題を出したのは俺からだけですよね? 大尉はその話すらすり抜けた! 死んだ仲間のことは一言だって触れなかった! 大尉は結局仲間のことなんて頭になかったんじゃないですか!?」
ああ、そうか。
俺はそのドックタグをよく見て、やっとなんで俺がウィンターズに話したのかを思い出した。
そうだ。コイツは人一倍人間らしかったんだ。
コイツはどの戦場に行っても死んだ奴の為に涙を流せた。生きていることに意味を見出そうとした。やっていることが人として正しいかどうかをいつも悩んでいた。
そして死んだ人間を忘れなかった。
「……アラン、アルバート、アドルフ、クリフトン、カーティス」
口を開いた俺にウィンターズは眉を寄せた。しかしすぐにその意図を察して笑う。ドックタグを振った。
「はずれですよ。一つだってあっちゃいない。ふざけてるんですか?」
引き金に指がかけられるウィンターズの銃を見ながら、俺は一度息をつき。そして口を開く。
「……コーネリウス、セシル、クライド、デイブス、ノイエ、イブリン」
「…………」
ウィンターズは再び眉根を寄せた。ほとんどそれは睨んでいたが、俺はやはりそれを無視をした。
その代わりに腰に結んでいた麻袋をウィンターズの目の前に突きつける。
「イーノック、エイバー、ジョージ、ギルバート、ジャハード、ハリス」
その袋の口紐を解くと、そのままさかさまにした。
ジャラジャラとしたたくさんの金属がぶつかり合う音が響いた。麻袋の口が小さいからだろう。細く、長い、耳障りな音が当たりに流れる。
落ちたのは俺が四ヶ月の間に集めたドックタグだった。
目を見開き、黙り込んだウィンターズが手に持ったドックタグを指差し、俺は呟いた。
「……マイク、ロウ、エリック、ロジャー、エイブス」
俺は力の入らない目でウィンターズを見た。
「お前が背負ったのは四人か」
「背負った?」
「俺は四ヶ月の間にあまりに多くの人間を背負いすぎた」
俺は説明などする気は無かった。ウィンターズもわかっているはずだ。俺には直感に……いや、共に戦ってきた人間として共有している感覚のようなものでそれを悟っていた。
ウィンターズは戸惑った表情をしながら銃を握る手を緩める。
「忘れたんじゃないんですか……?」
「仲間の兵士のことか?」
俺は自嘲気味にフッと笑った。体全体から力が抜けるような、そんな笑いだ。
「……忘れられないんだよ。あいつらは俺を攻め立てるんだ。『何で殺したんだ』ってな。夢の中でも……戦いの中でもだ」
俺の脳裏に浮かぶのはあの顔。女を殺したときに現れたあの、醜くゆがんだ顔。
「……殺したのは大尉じゃない」
ウィンターズは呟いた。小さな声だった。
俺はかぶりを振る。
「いいや。俺は何人もの人間を殺してきた。見殺しという殺しをしてきたんだ」
「大尉!」
叫んだのはエヴだった。
銃は握り締めたまま、顔をろくにこちらに向けないで顔を苦々しくゆがませる。
「ここでそんなことを言ってどうするんだ!? アンタはそうやって自己満足に浸るためにまた仲間が死ぬ理由を増やすのか!?」
俺は黙った。
「死ぬんだぞ!? アンタのせいでまた人が!! 仲間が死ぬんだぞ!?」
「黙れ!」
仲間の兵士によってエヴに銃が向けられる。エヴはウッと息を詰まらせると銃をそいつに向けなおした。カチャリという音が交錯する。
「……黙れだと……! ふざけやがって、お前達を守るために俺たちがどれだけの犠牲を払ってきたのかわかっ――」
「た、大尉!?」
エヴの恨み言はウィンターズが上げた息の詰まった驚愕の声でさぎられた。エヴに目をやっていた兵士達の顔が俺に集中する。
そしてその顔は恐怖にゆがんだ。
「……最善の選択だ」
甲高い金属音を立てて手榴弾のピンは抜かれた。俺は驚愕と恐怖で動けなくなっている仲間を見る。
「話すべきじゃなかった。間違っていた。俺はやはり、何も言わないで戦うべきだった。……もう御託はいい。逃げたい奴はにげろ。戦う奴は戦え。俺はもう選ばない。好きにすればいい。俺はもう、一人でも戦うことを決めた」
なぜか穏やかになった心の中を反芻するように俺の顔は笑顔になった。
ウィンターズが顔を引きつらせ、緊張に咽を上下させる。
「大尉……手榴弾を」
俺は笑いながら手榴弾を上下に振った。
「コイツはまだ爆発しない。俺が握っている間はな。わかったら銃を捨てろ」
兵士達は緊張と困惑で顔を見合わせる。互いの銃を見、しかしどうしたらよいのかわからないのか銃を揺らすだけだ。
「捨てろッ!!」
俺の怒鳴りに最初に反応したのはエヴだった。ちっと小さくしたうちすると銃をその場に捨てる。
「…………」
他の兵士達もおずおずと、そしてゆっくりとだがそれに習って銃を地面に捨てた。
「……お前もだ」
一人を除いて。
「……大尉は俺に何を求めていたんです」
「…………」
銃を振るわせるウィンターズを見ても、俺は答えなかった。それを答えてしまっては、俺は戦う意思をなくしてしまう気がした。
「大尉は何を」
「…………」
「大尉は何をッ!」
「今となってはもう意味の無いことだ!」
俺は手榴弾を握った手をウィンターズの咽ものとに押し付ける。兵士達がビクリと体を反応させて近づこうとするが、エヴがそれを留めた。正確な判断だった。今兵士が近づいたり、銃に少しでも触れたものなら俺は手榴弾を手から離していた。
そうなればその鉛と火薬の塊は、瞬時に爆発してその身に内包させた金属片を撒き散らすだろう。
「意味のないことなんてない!」
「…………」
「想像できたでしょう……こういうことになることは、大尉はわかっていたはずでしょう!? それでも俺に話した理由はなんです!?」
「…………」
ふと、俺は思い出した。
最初の、降下部隊だった頃の仲間達の姿、表情。あのときの俺たちの笑顔。つらい訓練の中でも、それでも笑い合えていたあの頃の俺達の姿。
あの頃の俺達は、どこにってしまったのだろう?
どうして皆、いなくなってしまったんだ?
どうして俺たちは、武器を向け合っているのだろう?
「大尉!!」
いつの間にかウィンターズの目には涙が浮かんでいた。声も上手く調整がきかないのか潤んだ調子になっていた。
「教えてください! ……もう、あなたに会うのは……」
ウィンターズは泣いたまま、歯をくいしばる。引き金にかけた指に力をこめ、そして
……そして、引き金から指をはずした。
「これが……最後です……!」
それは、決別の言葉だった。
もう同じ道を歩くことは無い。
もう肩を並べて戦うことも無い。
もう、笑い合うことも、無い。
「……そうか」
気がつくと、俺の声にも湿っぽいものが混じっていた。……いつの間に泣いていたのだろう。無く必要なんて、無いのに。
戦わない者は、もう兵士じゃない。もう、ウィンターズは自分と同じ存在なんかじゃない。
そうだろう?
だったら、なんで泣くんだ?
「……頼む
……ドックタグを……かつて俺たちが戦友と呼んだ仲間を……帰してやってくれ……!」
なんで、泣くんだ。
俺は手榴弾のピンをもどそうとし、しかし手が震えてどうしようもなくそれはできなかった。
「…………」
エヴがザッザッと強引に足を地面にねじ込むように歩いてきた。俺のところまで来るとピンごと手榴弾を奪う。冷静にピンを元の位置に差し込んだ。
エヴはその作業を終えると、手榴弾を投げ捨て、俺に背を向けた。
「大尉……もう、いいでしょう。俺たちは決別したんだ。……兵士として、別れる時です」
俺はヒザを崩し、涙を流していた。もう、どうしようもなくとまらなかった。何も悲しいことなど無いのに。泣くことなど、どこにも無いのに。止まらない涙に歯噛みした。
(……どうしろってんだ……!!)
俺はドックタグの入っていた麻袋を手に取り、立ち上がってウィンターズの前に突き出す。
「俺はこれを持ってはいられない。もう、彼らとは違う道を歩んでしまっている……」
「…………」
俺は涙を振り払うかの様に、何かを言おうとしているウィンターズを突き放すかのように、一気に体を硬直させて右手を伸ばし、額に押し付けた。
「敬礼!」
俺とウィンターズとのやり取りに集中していた兵士達は一瞬、その決別を意味する敬礼に恐れをなしたが
「……ウィーアーサァァァッ」
エヴが直立不動になり、敬礼すると我に返ったかのように……しかしその『別れ』の重みに躊躇と悲しみを持て余し……ゆっくりと、敬礼を返した。
「ウィーアーサァッ」
「ウィーアーサァァァッ!」
「ウィー…アーサ……」
「ウィ、アーサーッ」
「ウィィィィアァァサァァァ!!」
次々と、しかしバラバラに兵士達はその『儀式』を終えていった。
そして最後に残ったのは
「…………」
ウィンターズは俺を見ていた。
「…………」
何を思い出しているのだろうか。俺は彼との思い出は余りに多すぎて、思い出そうにもどれを思い出していいかわからなかった。
ウィンターズは、唇をかみ締めた。声を震わし、涙を流しながら、口を開く。
「……ウィ……アー…サァ……!」
その押し殺したような声が、俺たちの最後だった。
俺たちは、そうやって暗闇への道を歩んでいった。
どうしてだ。神様。
俺たちはどうして、こうも不器用だったんだろう?
神様……
■5
「難しい作戦じゃない」
そう言った俺の声に、俺を囲んだ全員が頷くでも、わかったと口にするでもなく、ただ黙り続けていた。
あれから二時間たった。夕日がオレンジ色に輝く時間になると、俺は塹壕からはいでた。自然と体が動いた。匍匐前進で一番大きな塹壕に向かうと、同じように戦いの兆しを感じ取ったであろう分隊長達が押しなべ並べて俺を見上げていた。
俺の「始めよう」の言葉で作戦説明は始まる。どこにも不自然なところがなかった。すべてのことが当たり前のことのように自然に進んでいっていた。
「見ての通りケイブは周りを城壁で囲まれてる」
俺は大隊から送られてきた地図を懐から取り出し、それを全員に見えるように地面に広げると、指を這わせた。
「俺たちがいるのはケイブの南側だ。ここからでも南門があるのが見えるだろう……あそこにまずT3を仕掛ける。戦車を三つ爆破しても余るような量だ」
今度は指をずらし、街を囲む城壁の東側の門に止める。
「ここにもだ。……ああ、その前にあらかじめ分けておいた部隊の一方を、南門を見渡せるこの場所に待機させておく……」
指を南門へずらし、さらに南側にある、小さな丘に置く。
「機銃と狙撃を設置するんだ。これがβチーム。βチームが丘で設置している間、爆弾を設置したチーム……これをαチームとして北門へ移動させる」
指を南門とは正反対に位置する北門へ這わせた。
「これで準備はそろう。南門を爆破させ、そこに向かった敵兵を機銃と狙撃で固めた後、東門を爆破。敵も東門と南門で戦力を二分するだろう。そこを狙ってαチームは北門から突入し、中央司令部まで突入、制圧する」
「……人選は」
エヴが腕を組んだまま呟くように俺に聞く。
「誘導部隊になるβチームのリーダーをエヴ、お前に任せる。αは俺が引く。チーム人員はお前が決めろ。残りを俺が」
「……了解」
エヴはプッと口にくわえていたタバコを吐き出した。相変わらずその目は剣呑で、まるで生気がしないわりにぎらつくほどの殺意を浮かべていた。
ヘルメットに隠れた相貌は、陰になった表情までは読ませない。瞳だけだ。ぎらつく、瞳。
「…………」
「…………」
…………
……ふと
ふと訪れたのは、静寂だった。
残った隊員達は口数が少なかった。ずっと黙っていた。かといって黙り続けていることはない、突如として誰かが口を開き、不明瞭な言葉で何かを呟く。
そして示し合わせたように、誰もそれに応えない。
「俺はニューエイドウ生まれだ」
地図を囲んでいた一人が、身動き一つしないまま、呟いた。しかし、誰も彼を見ない。
いつの間にか、綺麗だったオレンジ色の夕日はしずみ、辺りは夕闇の暗闇に囲まれていた。遠くに薄ぼんやりと濃い紺色の空と真っ暗な闇の境目があり、それが俺の心の中に何かを引っ掛けていた。
周りを見渡しても、誰の顔も見えなくなっていた。
そして誰も、動くことはない。
「ニューエイドウは昔、隣の国から独立の記念に譲り受けた名前だ」
呟いた男はふっと笑う。
「だが、隣の国にはもう既にエイドウという街はあった。隣の国もその名前が捨てきれなくってな。だから頭に『新しい』の意味をこめて『ニュー』をつけたんだ」
「……レイト」
暗闇の中で呟いたのはエヴだった。すっとかがめていた腰を上げ、背筋を伸ばす。
「やめろ」
レイトはエヴを見ていなかった。楽しそうに、いつくしむように微笑む。
「ニューエイドウには信じられないくらい猫がいてな。俺は子供の頃から猫と一緒に暮らしてた。たくさんいたんだ。……たくさん」
「レイト」
「その中でもブチの猫が俺はお気に入りだった。ガキの頃からの友達で、名前はケットシー。猫の王様の名前からとったんだ。体の大きな猫だったから、俺はその猫が近所の中でも王様だと思ってたんだ」
「……レイト、やめろ」
「ある日ケットシーはいなくなった。急にいなくなったんだ。一週間くらい前からケットシーは病気を患ってた。でも俺はあの時、日が暮れるまで遊んでた。……帰ってきたらケットシーはいなかった」
「……やめろつってんだ」
「俺は必死で探した。今みたいな夕日が沈んで、暗くなり始めた頃だ。何度も名前を呼んだけど、でもだめだった。その日からケットシーは消えた」
ガッという音がした。目をやると、エヴがレイトの胸倉をつかみ上げていた。アゴを突き上げ、上から見下げるようにレイトを見ると、苛立った声を咽の奥から押し出す。
「黙れっつってんだよ……!」
レイトは一瞬だけ黙った。だが、顔は微笑を浮かべたままだった。胸倉をつかまれて苦しいだろうに、それを微塵も出していない。
何も感じていないのかもしれないと、俺は思った。
「……猫は」
ドグッとくぐもった音と共にエヴの拳が振るわれた。アゴを叩きつける一撃だ。レイトは「ぐっ」と小さく呟き、地面に倒れた。
うめき、這い蹲る。それを、エヴは息を荒げながら見ていた。
レイトはうつぶせの状態から体を起こし、うつろな目をエヴに向けた。
「……ね、猫は」
「まだ言うのかこの野朗!」
「猫は死ぬとき、もっとも安心できる場所で体を休めようとする!」
死ぬ
単語が出た瞬間、また動き出そうとしたエヴは動きを止めた。うっとうめく様な呟きをこめて。
しかしそれをもレイトは見ていなかった。へへへ、とまるで卑屈なジョークにでもであったかのように笑う。
「ケットシーにとっちゃぁ……へへ、俺の家も安心できる場所じゃなかったわけだ。俺と遊んだ思いでも、一緒のベットで寝た夜も、アイツにとっちゃぁ安心できるモンじゃなかったんだ……」
くくく、っと、こみ上げるものを抑えようとするかのように笑う。それは永遠に続くかのような、切れ目のない笑いだった。誰もがそこにあるのを知っていて、しかし戦場というこの場所では触れない。『触れるわけにはいかない』……そういう笑いだった。
「ケットシーは次の日、貨物船の中で死んでたのを見つけた。……俺達の国そのものが」
嫌だったらしい……ハハ、国まで出て行こうとするなんて勝手な野朗だろ?」
そこでやっと、レイトはふぅと息を付いた。ハハ、クク、っと小さな笑いをそのため息の中に混ぜ、そして、座り込んだ。ヘルメットを目深に抑えて黙る。
黙った。
「…………俺が軍に入ったのはそれが原因なのかもしれない」
はぁ、と荒くなりそうな息を吐き、かぶりを振る。
「たぶん……たぶんそうだったんだ。俺は、ケットシーが大好きなるような国にしたかったんだ。どこにも敵がいない。だれも銃を向けることのない、平和な世界……それを作りたかったんだ」
「…………」
エヴは息を荒げていた。他はたったまま、座り込んだレイトを見下げていた。じっと、じっと目をそらすことなく、見つめていた。
誰もがここで戦う理由を見つけたかった。
死ぬような作戦。生き残ることはできないだろう。
そこに残った自分が、なぜ戦うのか。それを決めたかった。
知りたかったんじゃない。『決めたかった』んだ。
決めたかったんだ。
その時は、誰もがそれを望んでいた。
■
肩に担いだ銃を両手に移し、握り締めた。
ひんやりとした感触、生光する黒いグリップが俺の手を冷やす。同時に、心の芯も。
すぅっと上った冷たさが背筋を上がり、頭まで達した時、俺の瞳は青白く光る満月に向いていた。すっと息を吸い、吐く。
「……大尉。βチーム、出ます」
俺が頷くと、エヴはザッと腰を曲げたまま走り出した。銃を握った手が揺れるのを見ていると、その後ろを五人ほどの兵士達が駆けていった。森の木の葉を踏み潰し、くしゃくしゃと音が駆ける。
俺はギュッと銃を握り締めた。
「……αチーム」
俺の呟くような声に、後ろの木の葉がザザッとうごめいた。伏せていたαチームの兵士が立ち上がった音だ。
ガサガサと走り寄り、俺の後ろに並ぶ。
「……いくぞ」
体を丸め、走り出した。それにいくつもの足音が続いた。
俺はアゴを引き、下から見上げたそこにある城壁を見つめた。青い月夜に照らされた、敵の巣くうケイブの城壁。青い月をバックにした城壁はむしろ美しいくらいじゃないかと思う。
表情は硬かった。戻せない。笑おうとしていたのだが。
足だけは、黙々と走る。
「行け行け行け行け……足を止めるな……! 見つかるぞッ」
エヴの小声の怒声に押され、たった五人のβチームは走る。丘までは障害物は何もない。城壁の上からも丸見えだろう。
ここを見つけられたら、いっぺんに撃ち殺され、すべて終わってしまう。
「(……もっとも)」
大尉にはこの状況は全部予想済みなのだろう。
恐らく、このまま自分達が死んだとしても、大尉にしてみれば「誘いになるならそれでいい」というだけのことだ。わざわざ見つかりやすい丘から銃撃しなくても、他に方法はいくらでもあったはずだ。先に東門を爆破し、敵を集中させる。その間に丘まで移動、南門を移動後に爆破して、出てきた敵を機銃で撃つ。それでもよかったはずだ。
ただ、確実ではない。
もし東門を爆破したことによって北門にいるαチームが見つかったら? もしβチームの移動がとまどり、機銃での攻撃が行えなかったら? もし南門が爆破できなかったら……もし……
Ifを重ねてもどうともならないだろう。だが、その確立は存在する。そしてそのすべては、βチームが犠牲になれば解決する。
上がる息を意識しながら、エヴは唾を吐いた。
「(残酷だとは思わねぇ……でも、気にいらねえ)」
エヴは誰も信用していない。もし、自分か仲間かをとる瀬戸際になった場合、迷うことなく自分を選ぶ。
そうやって生き抜いてきたことに何の後悔も抱いていないし、全体を率いる人間はそれくらいシビアなほうがいいと自分でも認識していた。
彼は、自分がウィンターズとは真逆の立場にあることを知っている。
それになんの感情を入れていないと言えば、彼にとってはウソになるだろう。だが、彼はそれをうそだとは思っていなかった。間違いなく、自分は残酷で残虐で、冷静で正しい存在なんだと思っていた。
ガシャァァァッと砂を巻き上げながら、ウィンターズは城壁から死角になる岡のふもとに滑り込んだ。上がる息を無理矢理に押さえ込み、休むことなくそっと頭をだして様子を伺う。
城壁の何処にも、敵の姿はなかった。それ以上に、音も聞こえなければ光も漏れてこなかった。
「(これだけの間南門はノーマーク……本当に向こうも玉砕覚悟の小部隊らしいな)」
ザザッ、ザザッと兵士達が走りこんでくる。
エヴはそのうちの一人、部隊の中でも飛びきり若い男、青い目をした新米兵士のエドの肩をつかんだ。
「上に上がれ。機銃を設置するんだ」
こくこくと何度か頷くと、エドは重い機銃を両手に抱えて、小高い丘を駆け上がっていった。
エヴは続く兵士達に指示を飛ばす。
「狙撃する奴はポジショニングをしっかり取れ。……小銃持ってる奴は……マーチンだけか。俺と一緒に周辺警備だ。一分一秒無駄にするな」
中腰の姿勢で走り回る兵士が、僅かに生える雑草を踏み潰す音。それだけがそこでは響いていた。
「……レイトの話ってマジなんですかね」
機銃を設置しながら、ぼんやりとエドは呟いた。横で補助をしていた老齢の兵士がチラリとエドを見、
「さぁな」
と応えた。
「俺にもガキの頃ってありましたよ。母親が家でも街でもいっつもイラついてました。子供の頃の思い出ってかんがえると、そればっかりが頭に浮かぶんです」
「……そうか」
ボルトを引くとガチャっと固い感触と共に弾が装填される。それを終えると次は、そっと丘の影から頭を覗かせる。チラチラと目線を動かし、城壁の上や周辺に敵がいないのを確認するとふっと息を吐く。
老齢の兵士はそれをじっと見ていた。
「……私にもある」
エドは合わそうとしていた照準から目を離した。え、と聞き返す。
老齢の兵士は柔らかな風が吹く中、瞳を遠くに這わせていた。
「……海辺に住んでた。風が気持ちよかった……潮風の匂いが、好きだ。今でも」
そういって老齢の兵士は黙った。深く刻まれたシワと、口元に生えた白い無精ひげ、エドはこの男と出会って、初めてまじまじと顔を見つめた。
男の顔は疲れきって、擦り切れたような顔をしていた。ぼんやりとするとそれが一層深くなる。今まで、どんな人生を歩んできたのだろう。ふと、エドにはそんなことが気になった。
「(……感傷に浸ってるのかな)」
自分はもうじき死ぬかもしれない。
そう思うと、今まわりにあるものすべてが美しく見えた。
そよぐ風、揺れる草花、僅かに舞い上がる砂に、空に輝く青白い月。どれも愛おしく見えた。横にしゃがむ老人との出会いも、今までとはまるで違う、愛おしいものに感じられた。とても戦いに行くような感情ではなかった。
この男はどうなのだろう。
エドは頭を振った。
機銃のグリップを握り、照準を城壁の上、恐らく通路があるであろう場所に合わせる。
「機銃、設置完了」
振り返りつつ呟くと、エヴが黙って頷き、ハンドシグナルで了解を答えた。
ぶるる、と震える体を押さえつける。すっと息を吸い、機銃のグリップを握り締める。
照準を覗くと、驚くほど自分の体が冷静になるのがわかった。
「……生きていたら」
ふと、耳元で息遣いが聞こえた。目線だけ横にずらすと、老齢の兵士が同じように顔を近づけて城壁を見ていた。
その顔は擦り切れたように虚ろだった。
「生きていたら、お前の母親に会わせてくれ」
エドははっと息を飲んだ。
「その代わりといってはなんだが、私の故郷に連れて行ってやろう。たぶん、君のお母さんも気に入ると思う」
エドは黙っていた。
そうか、と心の中では呟いていた。
そうか、この男も、許されたいのか。
生きることをあきらめないことを、許してもらいたいのか。
「…………」
エドは少しだけ笑った。
もしここを生き残れたら、もう少しだけ生きることを頑張ってみようと思った。
頑張ってみようと、思う。
すっと息を吸うと、後ろから設置完了の声が聞こえた。
「飛んでいった鳥に……名前をつける……」
息を吐き出すような音。それがレイトの口から漏れていることに気がついたのは俺が一番遅かったと思う。
走り、東門に達したときにはもう歌っていたらしい。風の音の中に混じるその声は、ほとんど俺の耳には届いていなかった。ただ、激しく脈打つ鼓動と、耳に痛い静寂が俺の鼓膜を揺らし続けていたから。
「彼女が見る景色を……夢見てみる……」
「レイト、声を出すな」
東門に爆弾を設置、移動し、今は北門のまさに目の前。黒かびの目立つ木板の巨大な門。そこに張り付く俺達の緊張感は、張り詰められた古い糸のようにギリギリの瀬戸際だった。
たった七名の兵士でこれからここに突入し、何人いるかわからない敵を相手にしなければならない。一人でも多くの敵を殺す。そのために。
リュック型の無線機を背負ったマイクが受話器を耳から離した。
「レイトを黙らせてください……! βからの通達が聞こえません」
小声の怒鳴り声に俺は頷き、レイトの襟を引っつかんで引き寄せる。
「……黙れ……ここにいるのがばれたら手榴弾で一発だぞ……!」
レイトはめんどくさそうに「……わかってます……わかってますよ」とうわ言の様に呟いた。
イラつきながら襟を離す。肩を叩かれた。
「大尉……α部隊準備完了です」
「……全員この場所を離れるぞ」
そっと体を動かし、周辺を確認する。枯れ草以外、何もない。
「退避ッ」
走り出す。乾いた砂が硬いブーツの底に巻き上げられ、薄く暗闇に舞い上がった。
すぐに事前に調べておいた低い丘の影に隠れる。
「マイク、北門を爆破するように伝えるんだ」
マイクは頷くと、無線機の受話器を口元に押し付けた。
「βへ、北門の爆破スイッチをいれてくれ」
すぐに『了解』との返答が返ってくる。それっきり、無線は沈黙した。
マイクが俺の肩を叩く。俺は手を振ってそれに答えた。ふっと息を吐く。
夜空を見上げると、綺麗な星が瞬き、辺りには静かすぎる静寂が訪れていた。虫の鳴く声が静かに色づけられる。
ドンッ
突如として地面が揺れる。伏せていた身が、衝撃音とともに持ち上がった。
『βチームよりαへッ! 北門を爆破したッ! 爆破完了を確認ッ、迎撃に入る!!』
「……始るな」
誰ともなく呟いた。
兵士達は皆一様に押し黙り、銃の揺れるかちゃかちゃという小さな金属音だけが空気を揺らす。
表情は深い。暗く、一点のみを見つめる者もいれば、息を意味もなく荒くし、辺りをきょろきょろと見渡す者、体を小さく丸め、銃を傍らに引き寄せる者。
城壁の上から怒号が聞こえた。敵だ。敵が城壁の上の通路を走り、北門へ向かっているのだ。……足音があまりに多い。怒号もそれに比例して、声に声が重なる激しいものになっていく。
「(……思ったより多い)」
『βチームよりαへッ!』
無線からの声に、マイクが受話器を耳に押し付ける。
「……敵の猛攻に耐えられない……予想以上に敵の集中が早い……。大尉、β部隊から撤退要請です」
「絶対に引かせるな」
俺は身動きせずに呟いた。地図を胸から取り出し、それに指を這わせる。南門に指をおき、そこからすっと東門へと指をずらす。
「東門を爆破する」
マイクはぎょっとした顔つきで俺を見た。いや、え? と激しい混乱振りをしめす。
「ですが……予定よりも十五分も早いです」
「この銃撃音が聞こえるか?」
俺はアゴで北門の方向を指した。ドォンという音にかぶさって銃撃音が重なる。さらにその中に、小さく機銃の音。銃撃の音は僅かな間にどんどん大きくなっていく。
「十五分もあれば敵にβ部隊を落とされるぞ」
「ですが……東門を爆破したら次は……」
「何だ」
俺はチラリと目線だけをマイクに移した。
……奴が言いたいことはわかっていた。
「次は南門を爆破して俺たちが突っ込んで敵を殺し、死ぬだけだ」
現実は妙に律儀だ。
時間とともに物事をしっかり運び、それがどんなに絶望的なものでも、それが誰にとっての終わりであったとしても、それが流れならば、その手で握りつぶすこともいとわない。
握りつぶされるときが、目の前に、ただ何の準備も合図もなく、ポツリと、立っていた。
何も言わず、ただ立っていた。
「勘違いするなよ」
確かに俺達は死ぬ準備はできていたはずだ。
――これが……最後です……!
――ドックタグを……かつて俺たちが戦友と呼んだ仲間を……帰してやってくれ……!――
――俺たちは決別したんだ。……兵士として、別れる時です――
――ウィィィィアァァサァァァ!!――
すべてのものに、別れを告げたはずだ。
それでも、この湧き上がるものはなんだろう。戦いの前の高揚感でもないし、死への恐怖でもない。胸の置くから咽下へ、突っかかるようなもの。目の奥へと、何かが押し上げてくる。
……これは『悲しい』……じゃないか。
『寂しい』、か?
別れを告げたあの瞬間の感覚、感情、思い、目線。そういうものが自分とともに消えてしまう。
寂しい。
怖い。
なくなってしまうことが、とても重要なものを時間の流れからすり落としてしまうことが、とても、寂しい。怖い。
「……死ぬんですか、俺たち」
マイクは呟いた。
瞬間、辺りの空気が止まったように感じた。カチャカチャとうるさかった音もなくなった。
俺は答えず、マイクから無線をむしりとった。周波数を変え、東門で爆破待機している兵士に通信を入れる。
「……!?」
だが、声は出なかった。
手が、震えていた。
ぶるぶると震える。
だめだ! 今ここで震えてはいけない! マイクたちが見ている!
俺はがっと無線機を持つ右手を左手で押さえ込んだ。
それでも、震えは止まらない。
「ッ!?」
俺はハッと息をのんだ。
地面にあの男がいた。
顔だけの、あの男
「……! ……!! …………ッ!!」
男は笑ったまま、口を動かす。しかし、声は出ていない。出ていたとしても、俺の荒くなる呼吸の音で聞こえなかっただろう。
だが、俺には奴がなんと言っているのかがはっきりとわかった。
死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、
「……う……ぐ……ぅぅあ……」
怖い
寂しい
「クソッ……クソ! クソ!! クソォォォ……!!」
誰か教えてくれ! 情けないと笑ってもいい! ここで戦うべき俺が恐れおののき、震える姿を見てあざ笑ってもいい! だから教えてくれ!
俺達はここで死ぬ為に生きてきたのか
俺が仲間を殺すことは正しいことなのか
人が殺しあうことは避けられないことなのか
生きていたいと思うことは罪なのか
見殺しにして涙も流さないのは残酷か
汚れても、生きていたい俺達は間違いか
戦争って、なんだ
兵士って、なんだよ
歯を食いしばった。
「……東門、爆破だ」
ドンッと、また音がかぶさった。
口から出た言葉によって、手の震えは止まった。幻覚もまるで最初からそこには何もなかったかのように、俺の足跡の付いた地面になっていた。
俺は荒くなる息を押さえ、フッと小さく息を吐いた。伏せていた態勢を変えて、立ち膝の態勢で振り返る。
南門に大量に設置されたT3爆弾。まるで『天国の門』のように、無骨な爆弾によって美しい丸い紋様が描かれていた。
『南門、爆破三分前』
兵士達に緊張が走るのがわかった。俺自身の体にもなにかが這い回り、ぞわぞわと血を冷たく沸騰させていく。
正しいのか?
殺しあうことが、正しいのか?
そんなはずはない。生きたいのだから。
生きたいと願うことに、何の罪がある。
そんなものはない。
願った者には、生きる資格があるのだから。
お前は、間違っている。
なぜ、死ぬんだ
「……ぅぅぅぅぅぁぁああああああああああああッ!!」
俺は地面を殴った。
うるせえッ! うるせえッ!! うるせぇッうるせえぇぇっ!!
顔があると思った。そこに顔があるから、そんなことを言うのだと。
「大尉……」
ハッとした。何もなかった。
振り返ると、仲間達が俺を見ていた。
俺は彼らそれぞれの顔を見返す。じっと、見返す。
「……突入、するぞ」
雨が降り出した。
最後の戦いの、合図だった。
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■作者からのメッセージ
かなりお久しぶりとなります。貴志川です。
自分のHPにかまけて、もう随分長い間ここには来ておらず、更新もしていなかったので懐かしいよりは先に申し訳ない気持ちです。呼んでいただいてくれていた方に対して本当に申し訳ないです。
なんとかHPは軌道に乗り、帰ってくることができました。
更新が滞っていた『ここにいた自分へ』の五話をなんとか書き上げました。誰が呼んでくれるかはわかりませんが、このまま最後まで突っ走ろうと思います。
読んでいただき、ありがとうございました。