- 『ディープ・ブラッド 7〜12』 作者:御堂 落葉 / SF
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blood.7 猛き御魂は夜踊る
柔らかい風が吹く。
月下の静かな世界はその風をさらに涼しげなものにする。
風が涼しい、と言葉にするには少し冷えるが、悪くはなかった。
男は眼を閉じる。
その出で立ちは紺のジーンズと灰のジャケット。首には髑髏のシルバーアクセサリーが三つもあり、髪と眼は黒かった。
凍てつく中で、徐々に春の兆しを見せる清涼な調べに身を任せ、男はずっとそうしていたいと思ってみた。
「………良い風ですね」
背後から声が掛かる。
どこぞの学園のどこぞの屋上のどこぞの誰かの声など、こんな時間帯にあること自体おかしいのだが、彼等からしてみればこれは至極当たり前の挨拶だった。
だから男は動じない。
薄く眼を開け、頭上に燈る光源を見上げる。
「おうよ。月も綺麗じゃの……ただ少しばかり欠けとんのが不満っちゃあ不満じゃけぇの」
後ろで苦笑する気配がする。
「確かにそうですね。周期的には昨日で終わりでしたから」
「ナニ? ヌシもそうゆうん気になるタイプなわけ?」
男は楽しそうに笑う。
「いえ、身内に月の風景が好きな人がいましてね、彼女曰くでは『欠けた月ではなく、月が欠けることを待ち望んでいれば毎夜が楽しくなる』とのことですよ」
「うっわ〜、もろワシんとこのマスターと正反対のキャラぜよ」
男は振り返る。
屋上へ出る出口。
その上にそびえる浄水塔の上に脚を投げ出し、もう片方の脚を折りたたんでそこに膝を突いている。
月夜に照らされる姿は黒一色。
ベルト状の黒い服の上にマントを羽織った仮面の青年。
「……死神か、まるで恐ろしい姿ぜよ」
小さく男は呟く。
当然、静か過ぎる夜にはその言葉が染み渡り、仮面の青年にも聴こえた。
「そうですね……『執行』する必要は無いのですが」
仮面の青年は浄水塔の上に立った。ばさり、とマントが風に煽られる。
「三つ訊きたいことがあります。宜しいでしょうか?」
「なんよ?」
「昨晩、【ストリゴイ】を3人ほど見つけたのですが、それは貴方達ではないですか?」
「なに?」
男は怪訝な顔をしたので、仮面の青年は首をかしげた。
「憶えはありませんか?」
男はもう一度問われて、考えてから頭をガシガシと掻いた。
「それは人違いじゃけぇのぅ。『吸血は絶対禁止』……ワシんとこのマスターの命令ぜよ」
「おや、そうですか」
ふん、と男は威張るように鼻で息をする。
「で、次は?」
「ああ、済みません。今のでもう一つの訊きたい事が解消しました」
「……えらい敵を信じるやっちゃのぅ?」
仮面の青年は首を傾げる。
「知らんとは言わせんぜよ。ワシかてヌシ等、異能狩り連中のことはよぉ知っとるけぇの」
男はピッと指をさす。
「《WITCH》の……しかもその仮面着けとるんは、よぉ強い奴っちゅう証やってのぅ」
指された仮面越しに青年は苦笑する。
「あらら、さすがに知られていたんですね。日本には支部も無いんですが……敵対組織には敏感ですか?」
「おい……とぼけんなや」
面倒臭そうに男は呟く。
「敵、やと? ボケぬかせ。天敵が何言っとぉけぇの……【ディープブラッド】」
「………」
青年は黙り込む。
「ワシの血の匂い嗅ぎつけて来おったの。ワシかて天敵の区別はできるぜよ」
そうして、指していた手を下ろす。
「さあ、残りの一つっちゅうのはなんよ?」
「………」
風が、強く吹く。
青年の大きなマントが翻り、腰に携えられている銀色の大きな拳銃が月に照らされ、不気味にちらついた。
「言う必要は……ありますか?」
青年が呟く。
男は意地の悪い笑みで答えた。
「うんにゃ、その演出で充分ぜよ」
黒いマントを掴み、それを剥ぎ取る青年。
ジーンズに突っ込んでいた手を出す男。
「《WITCH》吸血狩り部隊、クロト・ヴァーティライン……真名は銀銃=v
「自己紹介? ワシはそんな大層な団体名なんぞ無いじゃけぇの……真名は魔弾=B忌名は伊崎 遊人(いざき ゆうじん)じゃ」
銀銃≠ヘ腰の銃を抜く。
跳躍し、魔弾≠ニ同じ高さに合わせた銀銃≠ヘ対峙する。
「これより、『執行』を開始します」
魔弾≠ヘ薄っすらと笑った。
「やってみぃ……」
「…………………………」
「…………………………」
沈黙は一瞬。
ドゥン!!
黒い空に、大きな銃声が轟く。
反射で頭を横にずらした魔弾≠フ左耳が、ボンッ! と爆ぜる。
「……っ!」
ぶしゅう、と血が吹き出でて頬を染めるが、魔弾≠ヘ暗くギラギラと笑っていた。
「〜〜〜っやりおる、それ以前に弾速がとんでもない……!! ぎりぎり避けたと思ぉてたんじゃが……ヌシの獲物はC.S.A.Aじゃけぇか?」
仮面の嘲る表情とは違い、銀銃≠ヘ涼やかに答える。
「詳しいですね、その通り改良型の拳銃ですよ。コルト・シングル・アクション・アーミー60口径シルバーフルカスタム、ピースメイカー=c…常人が撃てば腕が使い物にならなくなる代物です」
魔弾≠ヘ左耳を押さえる。
「ったく、化け物揃いの連中とは聞いておったんじゃけぇがのぅ……じゃけん、」
すっと手を離す。
そこには傷跡が無く、元通りの耳が構成されていた。
「リジェネーション(自己再生)ですか」
「化け物が化け物争いで負けるわけにいけんのぜよ」
頬に付く血をベロリと舐め、魔弾≠ヘ自分の右手の親指の腹を噛み切る。
ぶし、と溢れて飛ぶ血を見せて、魔弾≠ヘ叫んだ。
「戯曲の魅せ合いには自信があるけぇのぅ!」
ブゥン、と何かの震動する音と共に、魔弾≠フ手の内の血液が一瞬で凝固する。
「さあ、耳の分はしっかり踊ってもらうぜい!!」
ぐぐぐ、と手を強く握り、親指を一気に弾く。
物体を察知するよりも速く銀銃≠ヘ避ける。
ギュィン! と何かが頬を一瞬掠めて通過する。
ちらりと見ると、壁に突き刺さる丸い紅の玉。
(指弾!? 血液の練成速度が半端じゃない……!!)
ギュィン! ギュィン! ギュィン!
再び、しかも今度は連射してくる。
手を支点に側転して回避し、銀銃≠ヘ撃鉄を上げた。
シングル・アクション・アーミーは一発一発に撃鉄を上げる動作が必要な連射に向かない拳銃である。加えて彼の銃は60口径であるが故の反動が強く、苦にはなっていないが連射すれば腕に負担だって掛かる。
使い所の考慮と、リロード&フルバーストの出来ないピースメイカー≠ヘ相当不利だった。
「ハッハァ!! 弾込めの暇ぁ与えんぜよ! こっちは血がある限り無限じゃけぇのぅ!!」
ブゥン、と震動音を立てて、血液が小さなビー玉のように凝固される。
親指に力を込め、一気に弾く。
貫通するほどではないが、殺傷能力は充分あった。
むしろ威力に自信があっても、撃てなければ60インチもの弾丸にさえ意味が無い。
「ヌシには悪いが、売られた殺し合いには手は抜かんぜよ!!」
そして弾く。
ギュィン! と飛来する血の弾丸に銀銃≠ヘ―――――――、
「―――――――奇遇ですね」
顔の前で腕をクロスして、それを避けずに受けた。
「なっ……!?」
思わず魔弾≠フ表情がひきつる。
ズグン、と鈍い音がして、銀銃≠フ腕に二発と左腿、腹部にも直撃する。
だが、彼は動じない。
「俺もそれは同じ思考でしたから」
それどころか、地面を踏み壊す勢いで前進。
爆発にも近い速度で間合いを詰められ、魔弾≠ヘ指弾を放とうとするが、一歩手前で手を覆うように掴まれてしまう。
親指の根元に力を込められて、魔弾≠ヘ青ざめる。
指弾の最大の弱点は間合いを制限されることと、親指の先に込める力を封じられてしまうと無力になってしまうこと。
「化け物、と称されても肉体的な構造は人間と同じ」
銀銃≠ヘ目の前で狂笑の仮面を近づけて呟く。
「人間の手の親指はですね、手全体ごと根元を押さえられると神経を圧迫されて、力が入らないんですよ」
その仮面の目の部分から、紅い瞳が見えた。
「丁度リボルバーが、シリンダーを押さえられると撃てないのと同じような原理です」
魔弾≠ヘゾッとした。
瞬時に、銀の拳銃の銃口が額に押し付けられる。
「押さえてみますか? この一瞬に―――――――」
言うが速いか、銀銃≠ヘ引き金に力を込める。
だが、
「―――――――ならやってやるぜよ」
魔弾≠ヘ笑って口を開ける。
その口腔にあるモノに、銀銃≠ヘ唖然とした。
紅い舌の上を転がる、一個のビー玉のように丸い玉。
しまった、と銀銃≠ヘ思い出す。
魔弾≠ヘあの時、吹き飛んだ左耳から出た血を舐め取っていた。
ボン!!
異様な音が出て、銀銃≠フ銃を持っている手の人差し指に激痛が奔る。
見ると、第二間接の辺りにめり込んでいた。
「ぐ……!」
引き金に込める力を封殺され、よろける。
「もろぅたあ!!」
手を突き出す。
この至近距離なら、貫通まではしないが死には至らしめられる。
その機を見計らって、魔弾≠ヘ指弾で頭を撃ち抜こうとした。
刹那の出来事。
出した腕を、うねる蛇のように脚が絡み、魔弾≠フ体勢が前へ崩れる。
ズドン!!
鈍い衝撃と共に、魔弾≠ヘ昏倒しそうになって地面に倒れた。
「徒手空拳で俺に勝つには、素人我流では無理ですよ」
声が聴こえて身を起こそうとしたが、頭上から銃を突きつけられて動けなくなる。
最悪なことに、両手を広げた状態で停止してしまった。
月をバックに、銀銃≠ヘ呟くように言う。
「貴方に縁ある殺意はありません。ですが貴方も言っていたように、売った殺し合いは生半可にはしませんよ」
「……く…、」
右頬も赤く腫らして、魔弾≠ヘ唸る。
銀銃≠ヘ、手に持つ銃の引き金に力を込めた。
ギギギギギ……、
不意に、何かの錆びたような音がして、銀銃≠熈魔弾≠熕Uり返る。
「………あ」
そこには、開いた扉に向かって手を伸ばした格好で硬直する、一人の可愛らしい少女がいた。
銀銃≠熈魔弾≠焉A完全に硬直して動かなくなる。
一方の表情は判らないが、魔弾≠フ方は呆けた顔で闖入者を見ていた。
「え、……と……」
対する闖入者も、ややひきつった愛想笑いで応える。
微かに場の雰囲気が壊れかけた。
その直後、
―――――――、
不意に、微かな生々しい香りがたち込め、銀銃≠ヘ上を向いた。
ばさり、
水気を帯びたように広がる漆黒の夜空に、保護色のように蠢く二つの羽根。
上空を一周滑空してから、それ≠ヘ猛スピードで地面に降り立つ勢いで、銀銃≠ヨ突っ込む。
「………!!」
咄嗟に後ろへ飛び退いて、体勢を立て直す銀銃≠フ前に、ばさり、と音を立ててそれ≠ヘ姿を現した。
白桃の派手な髪を左右団子状に結わえ、スリットから伸びる脚が艶かしい黒のチャイナドレスを着た、13,4歳前後の少女。
一見普通にも見える少女の背中には、黒く大きな羽根状の布みたいなモノがばさり、と音を立てていた。
未だ地面に尻餅をつく魔弾≠フ背後に立ち、少女はニッコリと子供らしいあどけない顔をする。
「ども〜こんばんわ〜。ウチんとこの眷属仲間が喧嘩吹っ掛けたみたいで悪いことしたね〜」
甘い声で、若干片言口調の少女を真っ直ぐ見つめ、銀銃≠ヘ少しだけ警戒を解いた。
「いえ、吹っ掛けたのは俺のほうですので、済みませんでした」
「いいよ〜こんな戦闘バカ。むしろ負けて頭冷やすなら大助かり☆」
間延びした返答を、苦笑混じりで銀銃≠ヘ啖呵を切って煽ぐ。
「ならどうしますか? 次に貴方が相手する、と言うのなら、俺はそれでも構いませんが」
そう言うが、少女は首を横に振った。
「いーや、遠慮しとく。余計な喧嘩を買ってボッコにされたら、マスターに怒られるからね〜」
可愛らしい顔でウィンクすると、ちらりと横を見る。
今もこの光景に呆然としている闖入者を見つめ、視線を戻す。
「それに、さすがに【ディープブラッド】を二人も¢且閧オたくないしね〜」
え? と闖入者は声を出す。
そんな反応すら気付かなかったかのように、少女は魔弾≠フ襟首を後ろから掴んで黒い平面的な羽根を広げる。
布のように平べったそうな翼は、優に幅3メートルに達し、ブォン! と唸り羽ばたくと魔弾≠フ首根っこを捕らえた少女は宙に浮く。
「お互い有利不利はプラスマイナスゼロ。だったらこっちはトンズラ、無意味に結果だけ出て嬉しいほど熱血でもないよ〜」
「そうですか、わかりました」
銀銃≠ヘ停戦を認めると、銃をホルスターに収めた。
それと同時に、見計らっていたように飛翔する。
「互いに不問で一件落着。それじゃね〜♪」
自分の服に首を絞められ、「ぐ、ぐるじ……!」と呻いている魔弾≠無視し、少女は猛スピードで夜の景色に溶けていった。
「………」
それを見上げて見送った銀銃≠ヘ視線を戻す。
そこには、訝しげにこちらを見つめ続けていた美少女が座り込んでいる。
どうしようか、と本気で悩んだ。
とある方法≠ナ黙ってもらうのもありなのだが、それは少し抵抗を感じる。相手は恐れ多くも女性だ。
「あの〜」
とりあえず声を掛けてみる。
すると、ビクンと肩を震わせて少女が萎縮し、こっちを眉をひそめて見上げる。
苦笑して出そうとした手を引っ込めると、向こうが立ち上がってくれた。
「あの……」
口を開こうとした一歩手前で、少女が割って入った。
「君は……吸血……鬼、なの?」
恐る恐ると訊いてくる少女に、銀銃≠ヘさらに状況がややこしいことになっていることに気付く。
「それに、でぃー……なんとか、って……何の事?」
少女は強張った顔で尚訊いてくる。完全に余裕の無い表情だった。
「それに……今の人……ふたり、って……」
徐々に言葉が力を無くしてゆく。
思い当たる節でも見つけたのだろう、と銀銃≠ヘ手を出し、制止を掛けた。
「違います……いや、後半は合ってますけど……」
眉をひそめる少女に苦笑し、銀銃≠ヘ、
「俺は吸血鬼ではありません。それに、本当は貴方も―――――――」
「誰か居るのか!?」
少女が肩を竦ませる。
背後、階段の下から声がする。
再び銀銃≠ヘ仮面越しに、苦悩の笑みを零す。
「あらら、どうやら銃声が大きすぎたみたいですね……えっと、お嬢さん」
お嬢さん、などと呼ばれたことのないのだろう少女は一瞬キョトンとし、すぐに自分を指差す。
「ええ、そうです。貴方です。何やら面倒になりそうなので俺は逃げますが、貴方はどうしますか?」
どうする、と言われても少女には急すぎて判断が鈍っているようで、銀銃≠燻d方が無いと苦笑する。
「どうされます? 俺に関わるならこっちに来るも良し。貴方の日常を生きたいと言うのなら、引き返すことをお薦めします」
少女は笑顔も作れないほど戸惑った表情で、何かを考えている。
「おい、誰か居るのか!?」
また声が聴こえる。さっきより近くなっている。
もう何も言わない銀銃≠ノ、少女は唇を噛み、そして―――――――、
「居るのか……!?」
日常からの、最後の声を引き金に、少女は銀銃≠ノ向かって走った。
blood.8 決意の一歩手前の下ごしらえ
「このスカポンタン♪」
と、言いながら頭頂部に拳骨を落とす。
ただ、その甘く幼く甲高いソプラノの声と比例していない、ゴスン!! という鈍い音が炸裂する。
「……っ〜〜〜!!」
頭を押さえ、苦悶の声を曇らせる遊人。
制裁のつもりの拳骨だったんだろうが、少女のか細い腕にしてはかなりの衝撃に、座り込んでいる遊人の脳は揺さぶられた。
「確かに喧嘩するなとは言わなかったけどさ。ついで言うなら相手が《WITCH》なら闘いたくなるのもわかるけどさ。頭粉々に吹き飛ばされたら【ノスフェラトゥ】でも死ぬんだからね?」
「解っとるぜよ。ただ相手の銀銃′セうんが強いんじゃけぇ、しゃあなかよ」
腰に手を当て、少女は「も〜」と頬を膨らませた。
今はあの巨大な布状の翼は無く、見た目ただの頭が派手なチャイナ服の少女にしか見えない。
口にする単語は、相当アレだが。
「まったく……勘弁してよね〜。マスターも少しここを離れてるんだから、しっかりしてくれないと困るよユージン」
「はいはいよ」
「『はい』は一回♪」
ゴスン!! と、鈍い音がまた炸裂。
「〜〜〜〜〜、っつぁ〜……!」
たまらず頭を押さえる遊人。
立てば届かない、と一度やったことがあったが、今の威力を腹に喰らって無事でいられるわけがなかった。座ってるほうがまだマシだ。
「しかし銀銃≠ゥぁ〜……噂には聞いてたけどね〜」
「あん? なんよ、知ってたクチじゃけぇのぅ?」
「まぁね。ボクはユージンとは違ってマスターの話はちゃんと聴くから☆」
明るく言い切られて、遊人は言葉を失う。もろ図星でした。
「《WITCH》でも一目置かれる、若き天才【ディープブラッド】……日本に支部すら無いことをいいことに移住して、日本語まで覚えたのに、ま〜た厄介なことになったな〜」
一人達観して苦悩を口から漏らす少女に、座ったままの遊人は怪訝な顔をする。
吸血鬼になって日が浅い彼には、《WITCH》という敵対勢力がいる、としか認識がない。
ついでに、その中の上級階級者は本当の意味で化け物じみていることも。
「しかしどうするけぇのぅ? あの男に次逢ぉたら、間違いなく殺し合いに」
そこまで聞いて、少女はキョトンとする。
「あ、そかそか……ユージン知らないんだっけ」
「なんよさ?」
「向こうはこっちには手はほとんど出さない……むしろ出せないに近いよ」
遊人はその答えにますます意味がわからない。
「これはボクも聞いた話なんだけどね……マスターが言うには、相当悪いことしたか、悪い吸血鬼から生まれた【ストリゴイ】以下の吸血鬼しか狩らないんだってさ」
「なぜ?」
「さあ? だから言ったじゃん、聞いた話だって」
むぅ、と遊人は唸ると黒い短髪をガジガジと掻く。
「……《WITCH》、ねぇ……」
「銀銃≠ニの戦闘どうだった? 愉しめた?」
少女の問いに、遊人はニヤリと笑う。
「まぁのぅ……小手調べのつもりだったんじゃけぇ、ボヤボヤできん奴よのぅ」
沸々と、内にたぎる感情を押し殺すように、遊人は暗い笑みをギラつかせる。
「銀銃≠ゥ……面白いことになるぜよ」
「馬鹿して殺されないようにしてよね。銀銃≠セけが《WITCH》じゃないんだよ?」
返事は来ない。
ただ、返してきたギラつく視線が、解っていると言っていた。
あまり期待をしてなかった少女は振り返る。
「じゃ、ホドホドにしなよ」
その小柄な背中から、ブォン! と黒い布のような翼が広がる。
「シンル」
呼び止められて、少女は振り返る。
まだ座ったままの遊人は少し間を空けて俯きながら、
「……すまん、一応は……助かった」
キョトンとした後、少女は満面の笑みで「よしとする♪」と頷いた。
「あとついでに言うとくが……ヌシ、下着がたまに見えとるぜよ。いい歳していい加減スリットは―――――――」
ドゴン!!!
嫌な音が夜空に響いた。
夜の道路はもうほとんど通行人がいない。
というより、予想では例の夜間不審者の件で外に出る生徒が激減したからだろう。
この辺の学区エリアは8割方が学生である。年齢差にあしからず。
街灯によって均等に照らされる、コンクリートの通学路。
疾走する二つの影が、その規則的なスポットライトに現れては隠れる。
その主である一人の、端整な顔つきの愛らしい少女・舞は、連れ出すように手を引く仮面の青年に声を掛けた。
「あ、あの……!!」
その声に今気付いたように、青年は立ち止まり手を離す。
「ああ、済みません。痛かったですか?」
仮面越しにも関わらず、あまりくぐもった感じには聴こえない。
危惧する青年は相変わらず小馬鹿にしたような嘲る仮面が不気味だ。
少し早まった動悸を整えながら、舞は青年の顔を指差す。
「あの、まずその仮面取って」
え? という声の後に、青年はやっと気付いた風に慌てた。
「ああ、本当に済みません、気味が悪いですね。当たり前なので忘れてました」
そう言うと、青年は仮面に手を掛けてパチン、と外す。
その向こうから現れた顔は、色白く端整で女性のようにも見える。
見覚えのある顔。声。その物腰の柔らかさ。
「やっぱり……クロトく―――――――」
言葉が続かなかった。
見覚えのあるはずのその青年の両目は、炎のように真っ赤に輝いている。
呼ばれたクロトは少し困った表情をする。そこでやっと嘲笑以外の顔を見た気がした。
「済みません。黙っておこうとは思っていたんですが、やはり知ってしまいましたか……」
黒い奇抜な格好のクロトは、黒く大きなマントを羽織り直して真っ直ぐと舞を見る。
「もう……言うしかないでしょうね」
「……、」
困惑の表情で聞き入る舞に、クロトは平然と告げた。
「貴方は一度―――――――死んでいるんです」
「………え?」
舞は呆けた。
クロトが何を言ったのか分からなかったせいで、少し時間を置き、やっと言葉の真意を知る。
「……死ん、で……る?」
不意に、自分の胸を服ごと掴んでしまった。
ネオン灯の下に立つ黒い死神は、確かにそう言った。
殺す、ではない。
すでに死んでいる、と。
ドクン、
自分の心音が聴こえた。
クロトは無表情の中に薄く悲惨めいた色を混ぜて続ける。
「正確には死んだのではなく、死に掛けている所を一度仮死状態にして創り直した≠です」
舞は、最後のほうで出てきた単語に眉をひそめた。
「創り、直した?」
頷くクロト。
「……そうです。今貴方の中にある心臓は貴方の本来のモノではありません」
その言葉の先に、舞はゾッとした。
「それって……!」
もう一度。今度は辛そうに頷いた。
「あの時、肺を潰されて死ぬ寸前だった貴方の人間の心臓≠ニ、俺の【ディープブラッド】の心臓≠ニを取り換えたんです」
「―――――――、」
言葉を、失う。
喉の奥がビリリ、と焼きついた。
「今の貴方は人間ではありません。【ディープブラッド】と呼ばれる、対吸血絶対兵器……生きた武器です」
舞の頭の中は、白濁したように凍った。
どれくらいそうしていただろう。
やがて、ずっと黙って何も言わないクロトに、空笑いをした。
「う……うそ、でしょ……?」
救いの懇願にも似た問い。
だが、
「いいえ、残念ながら事実です……貴方の方は、上手く俺の心臓に適応して【ディープブラッド】の血に目覚めたようですので、気付かなくて当然だったようですが」
「………」
口を曖昧に開き、何も言えなくなる舞。
「貴方も気付いているはずです。【ディープブラッド】の身体能力は人間のそれとは規格外のレベルですから」
加えて補足する。
思い出す。
2キロの疾走に息を乱す程度。
5メートルの壁を一跳躍。
その高さから転落しても怪我無し。
そして、
「……そん、な……」
今も街灯に関わらず明るい視界に、愕然としてよろける。
「私、が……人間じゃ、ない……」
自分の手を見る。
皺の無い、珠のように滑らかな肌。なんの違和感もない手の平。
「私が………死んだ?」
クロトは答えない。だが、その沈黙が肯定を表していることは、充分に判った。
「………嘘、でしょ?」
最後の、救済。
「済みません」
謝罪という、絶望。
現実は、粘着質な悪夢のように始まった。
そうっと扉を開ける。
自分の家の玄関なのに、警戒するのもどうかと思って、少し余裕の戻ってきた舞は笑った。
暗い廊下。ほっとする。
笙子は家に帰ると無駄に廊下の電気をつける癖がある。
ただ、それが誰を迎えるための行動かを思うと、舞は心が軋むように痛んだ。
自分は死んだ、らしい。
確信がもてず曖昧にしか言えないのは、舞自身がそれを自覚していないからだ。
自分に関することは超鈍感、それが舞だ。
靴を脱いで上がり、舞は安堵半分罪悪半分で自室へ向かい、扉を開ける。
「……………」
暗く電気の付いていない、変わらない自室。
だが、そこにある小物ですら輪郭もくっきりする。
部屋の全貌は確かに眼に映る。
まだ受け入れられない光景に苦笑しながら、舞は箪笥から蒼いコートを取り出して部屋を後にする。
リビングへ出て、電話脇に置いてあるメモ帳から一枚剥ぎ取ってペンで書く。
亜里沙ちゃんの所に泊まりに行ってきます。
もし帰ってきたら、冷蔵庫の2段目に海老ピラフ置いてあるので、チンして食べてください。
舞
ボールペンを持つ手が一瞬止まり、罪悪感に少し哀しい顔をした。
その紙を食卓テーブルに置いて、リビングを出る手前で立ち止まり、
「………ごめんなさい」
何を、ともつかない想いを口にして、舞は玄関へ向かった。
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ……!」
息を弾ませ、白い息を吐きながら舞は走る。
道を曲がり、交差点で立ち止まる。赤信号だ。
「……はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
息を整えながら、赤の灯りを凝視する。
パッと青く換わる信号を走って渡り、鉄柵をヒョイと飛び越える。
普段なら、あそこで引っ掛けてすっ転んでいたはずの飛び越えさえも、安易に出来た。
公園を通過し、垣根を回りきったところで、やっと舞は表情を少し緩ませて歩いた。
誰もいない鉄橋の上。
頭上に昇るやや欠けた月を見つめて立つ、黒い変わった服を着た美男子。
ふと向こうが気付いてこっちを振り返る。
その眼はもう、いつもの黒い色をしていた。
こちらを見て、青年は申し訳無さそうに笑って会釈のような動作をすると、口を開く。
「……よろしいですか?」
いつの間にか息を完全に正常に戻した舞は、手に抱えるお気に入りのコートを強く握って、頷いた。
「そうですか……わかりました」
踵を返し黒いマントを翻すと、青年はゆっくりと歩き出す。
「俺についてきて下さい。真実を……話しましょう」
舞は、きゅっと唇を噛み、後についていった。
blood.9 理解と和解とようこそ異界へ
「……………」
うぁ〜、という声が消えた瞬間の舞。かなり間抜けな顔をしていたが、本人もクロトも気付いていなかった。
「どうぞ、何も無い所ですが」
と、謙遜めいて椅子を薦めるクロト。
謙遜しておきなら、カップル席のないシングルチェアに座らせられるのには訳がある。
「何もないっていうか……本当に何もないね」
その光景に舞は唖然として立ち尽くしていた。
学区エリアから離れた郊外地域。
俗に呼ばれるゴミ広場≠ノ近い平地にポツンと建つそれは、家ではなかった。
それは一つの小屋。
正確には家畜用なんていう野暮なものではなく、どうも物置か何かとして機能していたものを軽く改装したもののようだ。
その痕跡と言っても過言ではない、隅の籠に置かれた無駄に本数の多い竹箒がレトロすぎて人が住むとはあまり思えない。
しかもこの小屋……もとい、家には家具が全くと言っていいほど無かった。
キッチン、風呂、まともなベランダはおろかベッドすら無い。
あるのは数十本はある竹箒と掃除用(学園でよく見るタイプの縦長)ロッカー。せめてものつもりなのか、一応カーペットは敷かれている。
小屋、と察することの出来る致命打を特に挙げるなら、天井からぶら下がっている蛍光灯そっちのけのオイルランプだった。機械万歳な御時世にまたこの光源がレトロである。
そして家具、と呼ぶに抵抗を生む、ちょっとボロい四脚椅子と長めのソファだけ。
本当に、これだけ。
「ですから、『家にはいない』って言ったでしょう?」
苦笑混じりにクロトは振り向いた。
その姿は以前の妙ちくりんな格好ではなく、黒いタンクトップに薄手の生地の黒いコートを羽織って、下はジーンズである。これも黒いが。
(黒尽くし……)
とりあえず椅子に座りながら、舞はそんな風に考えた。というか、黒くない姿を見た憶えがない。
クロトは一人舞をそのままにし、向こうにある棚(?)の上に置かれた、これまたレトロな一品であるコーヒーメーカーに湯を入れていた。なけなしではあるが、水場は一応あった。
「なんか……台風来たら倒れそうだね」
「あはは、ボロい所でしょう? これでも少しは掃除したんですけどね……まともに使えるといったら水道ぐらいなものでして、着いた当日なんかはトイレが心配でしたよ」
笑いながら湯沸しボタンを押し、パックからコーヒー豆をスプーンで掬って入れ、それを放置して戻ってくる。
「さて、え〜っと……舞さん、でしたね。何から話しましょうか……」
クロトもソファに座り、舞と向き合って脚を組む。
少しだけ、彼が真面目な顔をしたのを見て、舞も表情を引き締めた。
「そうですね………まずは、俺のことについて話しておいたほうが解りやすいでしょう」
クロトはすっと指を差す。
その指の延長線を追っていくと、そこには床に無造作に置かれた黒いベルト状の飾りの無数についた服と、その上にポンと置いてある不気味な仮面。
「俺は、そうですね……いわゆる、この世の裏の世界に生きる者達との戦闘を繰り返している、一種の秘密結社みたいなものです」
「裏の世界の………もしかして……吸血、鬼?」
「そうですね。実際はそれも含まれる、ですが」
「含まれる?」
怪訝な顔をすると、クロトは頷いてこう言った。
「吸血鬼だけでなく、この世の表舞台には姿を出さない魑魅魍魎がいます。俺達の仕事はその化身達が罪を犯した場合、その一族的なものを含む全ての妖魔に執行することです」
舞が、少し頼りなく頷く。魑魅魍魎、という言葉が良く解っていなかったのだ。
「まあ、これは知らないことだと思いますが、この秘密結社のことを《WITCH》と呼んでいます」
舞は今度はキョトンとした、漢字に弱いくせに英単語には滅法強い。
「ウィッチ……魔女って意味?」
クロトはくすり、と笑った。
「Weaponing Ideal Temporary Convictionning Hangmans.(武装理想式臨時断罪執行人)通称《WITCH》」
ネイティブな英語でスラスラと言うと、指で宙にそれを描いてみせる。
「俺はその中でも吸血狩り部隊のエージェントとして、日本にやってきたんです。実は日本には《WITCH》の支部すら無いんです」
「どうして?」
「宗教的問題です。日本は世界からの物差しで測れば純・現実主義国家ですからね。下手に執行をして《WITCH》が異能者を目立たせたら、かなり浮きだってしまうんです。イタリアやドイツ、インドといった国では魑魅魍魎が夜を跋扈する、という伝説的な話がよく噂になるものですけど」
ほぅ、と。納得ともため息ともつかない息を、舞が吐く。
「………あの、ついてこれてます?」
途中で気付いて訊くと、「にゃ゛っ!?」と小さく悲鳴を上げた。
「えっと、ですね……まあ、簡単に言うならあんまり目立つのヤなんで本土から出なかった、ってことです」
「…………………………、あ……そ、そうなんだ」
酷く不安な納得をされて、クロトは苦笑した。
「つまり、俺は任務でこの国に来たんです。来たのは今から二日前。貴方と路地裏で出逢った前の日です」
思い出して、「あ……」と舞は顔を少し赤らめた。ただ、クロトはそれに気付かない。
「? ……次に、貴方のことについて」
クロトの言葉に、首筋がぞわりと怖気る。
舞は頭から水をかけられたように、表情を強張らせた。
その直後に、
「あ、クッキー食べます?」
いきなりバッグから袋を取り出して、嬉々としてクロトが訊いた。
ずる、っと姿勢を崩す舞。
「いえ、固くなって聞かれるのもあれかと思うので、まったりと和みながら聞いてください」
「は、はぁ……」
そんなんでいいのか、と思う舞は袋に手を突っ込んで取り出す。チョコチップクッキーだった。
「あ……これ好き、です」
「おや、それはよかった。それと、俺は癖なのでいいんですが、貴方まで敬語で話さなくていいですよ? 俺も軽く話していただけるほうがいいので」
「はい、あ……うん」
「もう少しでコーヒーも出来るんで。あ、コーヒーは飲めますか?」
「砂糖が入ってれば……」
分かりました、と頷いて笑う。物凄く嫌味無しの爽やか笑顔だ。
「さて、済みません、話が逸れましたね。貴方についてですが」
とか続けながら、クッキーの袋を開けて少しかじるクロト。
「先ほども言いましたように、今の貴方は人間ではありません。まあ、吸血鬼でもありませんが」
舞もクッキーにかじりつきながら頷く。
「【ディープブラッド】。謂わば吸血鬼に対して絶対的な対抗性を持つ種族です。死にかけていた貴方の心臓を、俺のそれと取り換えて、貴方の身体の血を【ディープブラッド】のものにしてしまったんです」
舞は首を傾げる。
「それって、つまりは私の血をその……【ディープブラッド】と同じに染めるってこと?」
「え……?」
クッキーをかじる手が止まる。
「えっと……浸透圧みたいなもののメルヘンバージョンってことかな? 心臓を通った血が【ディープブラッド】の血に変わって、私の身体の中を巡って私を【ディープブラッド】にした」
「………」
舞はふと気付く。
クロトはぽかんと口を開けて見つめている。
舞は困った顔をした。
「え、あの……ま、間違ってた?」
「……いえ、素直に驚いてるんです……思った以上に理解が速いですね。こんな突拍子も無い話なのに」
「そ、そうなの……かな」
普通に、ただ思うままに考えたことを口にしただけに、今一実感が湧かなかった。
とりあえず褒められたのだろう、と舞は微妙なところがスカスカな脳内で思考した。
「心臓を介して、貴方の全身の血を変えることで、貴方の身体が本来持つ自己再生能力を【ディープブラッド】のものにしたんです」
舞は自分の胸をさする。
それを見て、クロトは続ける。
「傷の治癒速度だけではありません。力や走行速度、柔軟性、反射、五感の鋭敏化。その者が得意とする能力を持ったりとか」
種々様々ですよ、とクロトは苦笑した。
「まあ、そういうことです。貴方を助けるためには、これしかありませんでした」
そしてソファから立ち上がり、おもむろに頭を下げた。
舞が口に含もうとしたクッキーが零れ落ちる。
「本当に済みませんでした」
「あ、そんな……!」
つられて舞も腰を上げる。
「いいよ、そんな! だって……私のこと、助けてくれたんでしょ?」
顔を上げると、クロトは困惑気味の表情をしていた。
「だって……よく、覚えてないけど……あの時、私の肺が潰れたって……殺された、ってことでしょう?」
椅子に座り、舞は少しぎこちなく、それでも柔らかく笑顔をした。
「本当なら、死んでた。でも、それを救ってくれたのは君でしょう? だから、もういいよ」
「……舞、さん」
「……それにね」
舞は袋を開け、次のクッキーをかじった。
「話してくれて、嬉しいよ?」
「………」
「こんなことを黙っていられたら、私……後悔してた」
「………」
「だから、いい……むしろ、ありがとう」
クロトはずっと舞を見つめていたが、やがて疲れたように苦笑しながらため息を漏らした。
「……まったく、頭が下がりますよ。貴方には」
舞はそんなクロトを見て、「えへへぇ♪」と照れくさそうに笑った。
「………そうですね、ならば貴方の話はこれで大丈夫でしょう。次は吸血鬼についてですが」
ソファに座るクロトを、また真面目に表情をつくる。
「吸血鬼、と一言で表しても、貴方達が思っているような吸血鬼とは全くイメージが違います。舞さん、貴方の吸血鬼のイメージを述べてみて下さい」
話をふられて、舞はボロい天井を仰いで考えること数秒。
「んと、ね……牙が伸びてて眼が紅くて色白で……物凄い力を持ってて人の血を吸って、鏡に映らなくて……陽の光とにんにくと聖水に弱くて水の上を歩けない」
クロトはにっこりと笑う。
「そうですね、常識としては100点です……が、本来の吸血鬼は陽の光を浴びても、水の上を歩いても、全く平気なんです」
舞は、口をぽかんと開けた。
クロトは構わず続ける。当然の反応だと思ったのだろう。
「貴方達の思っている吸血鬼は伝記や方便から出来た想像によるものです。まあ、いくつか合ってらっしゃる点もあるんですが」
そう言いながら、クロトは舞に向かって指を『2』にして見せる。
「………写真撮影?」
舞が安直に言う。
クロトは苦笑した。
「いえ、貴方達の思っている吸血鬼と同じ点は二つ。一つ目は陽の光。これは、当たっても灰になるわけではなく、単に身体能力が落ちる吸血鬼もいるというだけですが……」
ふむふむ、と舞は頷いてみせる。
クロトはそれをしばし傍観してから、口を動かし始める。
「二つ目。言ってしまえば何のことはありません、それは吸血行為。血を吸うことです」
「そりゃあ、『吸血』鬼だもんね……」
「ええ」
二人揃って空笑いをする。
「吸血鬼には階級が存在します。初めは、その吸血鬼の根源ともいえる、真祖……【ハイデイライトウォーカー】と呼ばれています」
ふむふむ、とまた頼りなく頷く舞。
「真祖の吸血行為によって、ごく稀に死なずに吸血鬼になる者がいるんです」
「え? 絶対なるものじゃないんだ」
「いいえ、実際に狙って吸血鬼を増やすことは出来ないんですよ。まあ、例外があればそうじゃないかも知れませんが」
今度は手で『4』を作る。
「真祖によって生まれる眷属を【ノスフェラトゥ】。さらに、眷属によって生まれる従者を【ストリゴイ】。そして、従者によって生まれる吸血鬼は人間としての自我も意思も無い亡者、【グール】と分別されます」
「真祖の【ハイデイライトウォーカー】。眷属の【ノスフェラトゥ】。従者の【ストリゴイ】。……亡者の、【グール】」
指折り数えて呟くと、ふと思い出す。
昨晩と、今さっきの吸血鬼。
「ねえ、昨日の人とさっきの人も、吸血鬼なの?」
「そうですね。ただ昨夜の4人は【ストリゴイ】、今日の夜闘ったのは【ノスフェラトゥ】。恐らく、どちらも成り立てでしょうね。銀銃≠フ真名を知らなかったですから」
「まな……?」
豆鉄砲を喰らった鳩のようにキョトンとする舞。
「俺達には、真名と忌名という二つの名前があるんです。真名とはその者の存在を呈示する名。忌名とは簡単に言えばニックネームのようなものです。俺のクロトの名も忌名です」
「へぇ〜……」
とか納得してから、考える。
「………ぎんじゅう、ってなぁに?」
「それは内緒です♪」
朗らかに笑ってクロトは答える。
むぅ、と舞は頬を膨らませた。
クロトは立ち上がり、コーヒーメーカーへ向かう。気が付けば湯気を吐いていた。
「まあ、粗方は説明できたので、そろそろこれを飲んだら、お開きにしたほうがいいでしょう」
「え?」
え? と言われて、逆にクロトが首をかしげた。
「どうかされましたか?」
「いや、もっと長い説明になると思ってたから……特に、私の身体については」
そう思って、わざわざ嘘の書置きを置いてきたのだ。
対するクロトはまた苦笑。
本当に苦笑の絶えない人間だ、と舞は笑いそうになった。
「実際のところ、もっと難しい単語も多いんですが……なんかついてこれなさそうなんで」
ぴく、と舞は反応した。
「……クロト君、いま私のことバカにしなかった?」
「おや、本気で話していいんですか?」
う、と喉の奥で何かが抑制したが、意地が勝った。
「い、いいよ? 別に……」
胸を張る舞に向かって、クロトは爽やかに笑いながら、
「そうですね。詳細を述べるならば、まず舞さんの身体の損傷が65%近くダメージを負っていたため、貴方の傷口から俺の血を押し込む形で輸血を施し、貴方の呼吸を一瞬だけ正常に戻し、その後に心臓を抉り出したんですよね。そして俺の心臓と取り換えたことにより貴方の血そのものをすべて【ディープブラッド】にすることで最大限の治癒効果を呼び起こし、かつショックに対する精神強化を促したんです。また、貴方の身体能力が向上されたベースとしては、基本的に細胞の一時的な分解を通じて再構築、俗に言う練成術を介して粘土を練り直すように創り直したんです。まあ、貴方の肉体を構成している塩基配列・DNAスパイラリズムなどは舞さんのもののままですので、あしからず。身体能力向上の他の技能付与としては、自然におけるエレメンタル・オブ・スペシャルメイクのような現象操作技術などが基本で、ちなみに吸血鬼もそういった能力を持っているんですよ。といっても、【ストリゴイ】以下はただの体力自慢なだけですが。ああ、大体は血を基点に使う能力が多く、ちなみに《WITCH》の同僚の何人かも血を使う能力者がいます。【ハイデイライトウォーカー】に至っては自らを媒体である血そのものに変換するという次元を超―――――――」
「……………ごめんなさい」
粋がって胸を張っていた舞は、この一瞬にあっさりと撃破された。
クロトは、未だに勝利に酔うでもない爽やかな笑顔を湛えている。
小屋……もとい家を出て、少し進んだところの遊歩道を二人で歩く。
あの後、やるせない気分を晴らしてくれるかのようにコーヒーをご馳走になった。思っていた以上に美味しかった。
「あ、ここでいいよ……」
「そうですか」
見送りと称して傍を歩く、月に照らされた容貌の美しい、女性のような雰囲気もかもし出す秀麗の男子。
小川を越える鉄橋のところで、今度は今日の別れの場として舞は立ち止まる。
「あの……これからはどうするつもりなの?」
クロトは「そうですね……」と小さく呟いてから、口元に手を添える。
「一応は無期の滞在ということにしてあるので、当分は東京にいるつもりですが……闇雲に歩いても偶然に見つけるぐらいなんですよね……この街には血の匂いが強すぎますから」
「血の匂い?」
「ええ。まあ、舞さんは昨日【ディープブラッド】になったばかりなので、そういう感知能力はコントロール出来ないと思います。吸血鬼に対するレーダーみたいなものです」
「血の匂いって……やっぱり臭いのかなぁ?」
クロトは苦笑した。
「ですね。鉄粉と塩とぬるま湯を無造作に混ぜたような、生臭い香りです。【ハイデイライトウォーカー】にもなると、血液の塊が歩いているようなプンプンした匂いがするほどなんです」
ふぅん、と頷く舞をよそに、クロトは考える。むしろ悩む。
「しかし困りましたね……明後日からはともかくとして、明日はどうしたものか……」
少し悩むように考えてから、ふと視界に入る小柄な体格が可愛らしい少女が視界に入って、ピンときた。
「舞さん」
むむむ〜、とかリスのように唸っている舞に声を掛ける。
視線を少し上げて、舞はクロトを見上げる。
「なぁに?」
目鼻立ちの綺麗で繊細な感じの美少女。翌々考えてみれば美男美女が夜の話し合いとは結構なイベントではあるが、二人揃ってそっち方面は鈍感であることを知る者はいない。
愛くるしき少女に、クロトはさらっと言った。
「舞さん。明日の午後から、俺と付き合ってくれませんか?」
舞は、ぽかんと呆けた。
さすがに『付き合う=デート』という構図を知らない舞ではなかった。
停止した舞を見下ろし、言葉の重さというヤツをかる〜く知らないまま首を捻る青年。
機能が快復するまで、数秒かかったのは余談にする必要もないかと……。
月が綺麗だった。
だが、その男は決して相容れない存在だった。
凍てつきから解けた、清々しい風が吹いていた。
だが、その男は決して相容れない存在だった。
夜は漆黒に物々しさを与えない、虚無と紙一重の静謐さを生み出す。
これには共通点のようなものがあった。
男は常に虚構の心に支配されていた。
足元には、おびただしい数の人間だった<cmが転がっている。
その中心で、自分の脚を抱くように屈みこむ男は、むくりと立ち上がる。
恐らく、男にはもう足元の悲劇の犠牲者は視えなかっただろう。
もう男は泣くことを知らない。怒れることも、喜びすらも。
男は歩き出す。
「―――――――……く、くく」
哂う。嘲う。壊れたぜんまい仕掛けのように、本能のままに笑う。
男は、自分が笑っていることを知らないだろう。
「くはは、はは……はは、っはっはっはぁあははははははははぁぁああ!!!」
月が綺麗だった。
凍てつきから解けた、清々しい風が吹いていた。
夜は漆黒に物々しさを与えない、虚無と紙一重の静謐さを生み出す。
ただその風景にいることのない。いることを許されない。男は常に虚構の心に支配されていた。
ゆらり、と歩き出す。一介の女性であったモノの腕を踏んづけたが、その眼にはもう死人は映らない。
その死んだ色に濁る眼には、夜も眠らぬ光と科学の都市を映していた。
夜はやがて更けてゆく。
姿を消し、新たなる静かな夜を求め、男はこみ上げる狂笑を漏らした。
blood.10 告白ブレイカー舞
「はぁ〜……」
ディスプレイの電源を落とし、真っ黒なモニターに映る美少女を見つめ返しながら、舞はため息を大仰についた。
「んあ? んだよ舞、ため息なんてついてよ」
右隣に座っていたおさげ髪でネクタイを緩め第一ボタンを外した少女、紫藤 亜里沙がチャイムと同時に椅子の上にあぐらを掻いて訊いてくる。
舞の左隣に座っている黒い長髪の少女、加賀 志筑はディスプレイの電源のOFFの仕方に手間取る手つきとは裏腹に、さも冷ややかに言った。
「……亜里沙、舞は今の時間の内に4回はため息をついていたわ。授業中に寝るからよ」
ぎくり、と亜里沙は頬を引きつらせ、苦笑いをした。よく見ると、右頬に真っ赤な跡が残っている。
「はは……でよ、なんでため息なんだよ。苛められてんのか? どこのバカだ? アタシがシメてやんよ」
「……亜里沙……アタシ『達』、よ」
「おぉ〜、そぉだったそぉだった♪」
カラカラと笑う亜里沙を見て、「それは困る〜」と泣きの入った声ですがる舞。
彼女のため息は、学園に来てからではもう14回していた。
今朝のショートホームルームで担任の熊野 一利から、
『あ゛〜……何人かの朝練連中は知ってるだろうが、実は学園の……それもこの校舎で不審者が暴行を起こしたらしい。屋上に色々な痕が残ってるが、まだ調査が済んでないから誰も近寄るなよ? 言いつけを忘れようもんなら……解ってるだろうな?』
とか、とか、とか。
生徒に説明しているとは思えない口調で話す中、舞は複雑な気分だった。
それ、自分です。まあ言ったらものすご〜くヤバいわけですが。
なんとなく揉み消しの類をされたのか、不審者の人数やその他は曖昧なままであった。
そして、もう一つの原因である一人の無頓着で無責任な鈍感青年は、
『そうですね。午後、と言っても3時頃でしょう? その頃にこの橋にいるので、お願いします』
(お願いって言われてもな〜……)
そのことで舞は昨晩から悶々と悩んでいた。
告白未遂を起こされて、うやむやなまま帰ってしまったのだ。クロトが。
半ばデートを強要されたのだが、正直誰かに話したいのが本音だった。
ただ、もっと本音を言うならば、恋愛話(しかも男が相手)を持ち出そうものなら、パッと出てくる助っ人3名は速攻で彼を捜して潰しに行きかねない。
中等部時代の伝説。中等生、S・A女史とK・S女史による恋の野獣狩りはそうとうの激戦で、あれをもう一度再来されると舞でも本気で困るわけである。
しかも内容が内容だ。『私、吸血鬼さんに殺されて【ディープブラッド】になって、今日男の人と待ち合わせることになったの』とか言ったら、笑ってスルーされるか本気で病院を薦められたりするのだろう。どちらにせよ、後々彼を潰しに行きそうだが。
それに、
(…………………………まあ、なんていうかにゃ〜)
ほんのりと頬を染めて苦笑する。
密会の相手は、女装したら本当に女と間違えてしまいそうな、生半可なイケメンのさらに上をいく男だ。
物腰の良さの紳士性も相まって、正直な話……まんざらではなかった。
「……………」
「……………」
そんな思考に耽っている舞はふと気付く。
彼女を挟む二人の少女達が、揃いも揃って怪訝そうな目をしていた。
「な、なに……?」
その声に、ようやく二人は動き出す。
「あ、いや……なんかやっぱりお前……雰囲気変わったような気がしてさ」
目を丸くして少し驚く。
ぎくり、という擬音が聞こえそうなほど表情を引きつらせた舞を見て、志筑も頷く。
「……最近、気にかけてることでもあるの?」
「う、ううん……! そういうわけじゃないよ!? ………そんなに変わった?」
自分の顔を指差す舞に、亜里沙は数秒まじまじと見つめてから頭をポリポリと掻いた。
「……」
「……」
未だに顔を覗き込んでくる亜里沙に対抗心を感じ、
「………むぁ〜」
っと、だらしなく緩みきった顔を、至近距離で喰らった亜里沙は「ぶっ!?」と吹き出す。
「く、あっはははははははははは!!」
カーボン製の椅子の上で器用に仰向け気味になって笑い続ける亜里沙。実は笑いやすく、一度笑うとなかなか収まらない。
スカートの中が見えそうになって、角度的にやばい位置にいた男子生徒がドキリとして目を逸らすが、3人は気付かない。
「へんなカオ〜!!」とか言いながら指差す女傑を無視しながら、志筑は舞に声を掛けた。
「……舞、亜里沙はどうでもいいとして、何かあったなら言ってね」
静かに説くように眉根をひそめて訊いてくる。
珍しく表情を崩されて一瞬戸惑うが、舞はにぱぁっと子供のように無邪気に笑った。
「大丈夫だよ。ありがとね、志筑ちゃん」
「……そう。舞がそう言うなら」
ふっと控えめに微笑して志筑は頷いた。
「ふふ、ふ……ふふふふ」
「……亜里沙、気味が悪い」
舞の肩に手を掛けて沸々とこみ上げる衝動と余韻を噛み殺す亜里沙は、やっとこっちの世界に戻ってくる。
目頭に涙を湛えていた。今に始まったことではないが。
「くく……んあ? んだよお前ら。二人揃ってニヤニヤしてよ?」
「にやにや? してないよね〜志筑ちゃん♪」
「……そうね、にやにやしてたのは、亜里沙だけよ」
んなにを〜、と言いながら舞に抱きついてくる亜里沙。
「重いよ〜亜里沙ちゃん」
と口では言うが、これもまんざらではなかったりするのだ。
そうして、ため息が増えてゆく最大の原因である、今までに無かった日常が始まった。
「……あ」
開けた靴用ロッカーの前で、舞は硬直する。
そう、勘違いしてはいけない。
日常と非日常との狭間に存在する事象は、いつだって誰かを待ち伏せするものである。
そして今。
舞の眼前に確かに存在する革靴の上に置かれた、カテゴリ(分類)の不可能な紙切れ同封の小さな封筒。
正確には、封筒と呼ぶのも分類し損ねるものである。
色は真っ白、中腹で口を留めるタイプで、しかも留めている部分に使われているシールはハート型ときた。
恐らくは『ラ』で始まる、女子が男子にあげると物凄く喜ばれる品であろうことは識別できた。
「う……」
「次は『お』か?」
隣りに立っている亜里沙はそう訊いた。
「? なんかあったん………っていうか、あったんかぃ……また」
また、と付け加えられて、舞は空笑いで濁してしまった。
別に今に始まったことではない。
容姿端麗、成績優秀、性格温厚、快活熱心。その他諸々でトップに君臨し、加えてそれを鼻にかけるどころか、本人は自覚なく天然。
小・中・高一緒くたの巨大学園でのアイドルであるだけのことはある。
さて、そんな超が付く美少女が、モテない理由がどこにあろうものか。
告白された数は3桁が当然で、今日という日もその一部なだけである。
隣りにいる亜里沙が、舞に向かって腰に手を当ててジトッとした目つきで見ていた。
「あ、あはは……」
喉の奥から搾り出すように、笑う。
『潰しに尾いてこないでね』
という意味合いに気付いた亜里沙が深い息を吐いた。
中等部時代の舞・イズ・ダブルガードナーと謳われた、恋のアルティデイズ・ライト(必滅を捧ぐ剣)こと紫藤 亜里沙の復活を予期して、舞は先手を打って正解だったと思った。
恋のインペリアル・レフト(絶戟を誇る盾)こと加賀 志筑はというと、今日も家の用事で早くに帰ってしまっている。
亜里沙は昨日の臨時シフトでの空白が今日出来たので、今隣りにいるわけである。
昨日は無かったが、久しぶりにラブレターを貰ったので舞も不意打ちを喰らった。
確か以前に貰ったのは、1週間と二日前。その間隔でも充分落ち着いたと言えよう。中等部時代は相当のものだった。それこそ昼夜問わずに近く、何度も舞の自宅に泊り込みをしたことがあるほどで、
「………で? 今日は何人のバカが立ち上がったんだ?」
食って掛かる勢いを押し殺して、亜里沙が訊いてくる。
「え、と……」
自分の革靴の上に乗っかってるモノに視線を移し、
「二つ……です」
何故か敬語になってしまった。
亜里沙は顎に手をもっていき、
「………ちっ、志筑を帰したのは失敗だったかもな」
真顔で言われても、困るのは舞である。
亜里沙ちゃ〜ん、という泣きの入った目でウルウルさせると、亜里沙は意地が悪そうに笑った。
「もう、亜里沙ちゃんのイジワル……」
と、一通り抗議の末を過ごした舞は二通のある意味宣戦布告の果たし状を取り出し、舞はまず茶封筒を開ける。そっちから選んだのは、『舞ちゃんへ』という題があったからであった。
その場で読む。
読む前から予想はできる。高等部の……それも3年だろう。
巧妙な手口である。
朝ではなく、午後の帰りに読ませることで今すぐ読み、今すぐ行かなければならなくなる。
ましてや考える余地を与えなくして、なし崩しにOKを出させようとできる。
しかも、タイトルに『舞ちゃん≠ヨ』なんて馴れ馴れしい呼び方は同級生でもまずしない。
秘密のファンクラブの鉄の掟に、『ちゃん&tけは言語道断。見掛け次第、吊るし』という噂もある。総勢500人以上の隠れファン(内70%は武闘派)を単独で相手する人物はざらにもいない。そういった意味では舞・イズ・ダブルガードナーだけが敵では無い。勇士だ。男女問わず。
取り出して文面を読む。
「ざっと見でいいんじゃね?」
とか隣りで言うが、そういうわけにはいかない。
初めまして、かな。
実は前から気になってててね。
舞ちゃんカワイイしね。おっとりしてるところが凄くタイプなんだ。
今日の放課後にここの校舎裏で待ってるから、良かったら来てくれないかな。
待ってるよ、麗しの少女へ。
「うっわ、何だコレ? ウザい。そしてキモすぎる……」
横から文面を盗み見ていた亜里沙は思わず渋面になった。
「放課後に入れといて『今日の放課後』とか指定してウッゼ〜。しかも『麗しの少女』とか書いてキモい通り越して鳥肌が立つ。おまけに字ぃきったね〜。アタシだったら今すぐソレ破ってんな……」
ズバズバ批評を言った挙句、恐いことを付け足す。
「だ、だめだよぉ……!」
目が本気な亜里沙から逃げるようにしながら、もう一つをバッグに入れる。
「んで、やっぱ行くのかよ」
「そりゃあそうだよ。行ってちゃんと謝らなくちゃ」
「断らなくちゃ、の間違いだろ?」
にひひ、と意地悪く笑う亜里沙に、舞は顔を赤くして頬を膨らませる。
「もぉ、やっぱりイジワルだよぉ……」
そう言いながら舞は校舎裏へ向かった。歩く爆弾を引き連れて。
なるほど確かに、そこにいた。
(げ……マムシの東堂じゃんかよ。あの男とうとう動き出したんか)
壁から顔だけを出して覗いている亜里沙が、ポツリと囁いた。
(まむし?)
(東堂 晃(とうどう ひかる)……高等部の2年で、合気道部のエースだ)
(あ、一つ上の歳なんだ)
(おう。ただアイツはやめたほうがいいぜ。格好見れば分かるけどよ……相当のナルシストだ。しかも女が絡むとすっげぇネチっこい。そんで野郎の間で付いたあだ名が、マムシの東堂)
(へぇ〜、忌名みたいなものかな)
(いみな?)
何の気なしに言ってしまって、舞はドキリとした。
(な、なんでもないよ……! 間違えただけ)
そうか、と呟いて亜里沙は再び、校舎裏で今も待つ長身ロン毛の茶髪男を見つめた。
ほっとする。
普段から呂律の回らない舞なので、言葉のあやに対して当たり前と思われているのが幸いした。
(じゃあ、行ってくるね)
(おう、言ってこい♪)
(……………今なんとなく答え方に違いがあったような……)
(気のせい気のせい♪ もしヤバかったらフォローいくから頑張れよ〜)
(もぉ!)
「あの……」
おずおずと声を掛けた。
自分から男に話しかけたのは、随分と久しぶりだ。相手から話して来るのは、昨日ぶりだが。
その男は、振り返る。ただ、あまりにも自然じゃなかった。
何かこう……誰が声を掛けるか分かっているかのように。演出するように。
「やあ、舞ちゃん。待ってたよ」
いけしゃあしゃあと、その長い髪をかき上げる仕草がいかにもな男、東堂 晃は笑う。100%何かを含んだ笑みだ。
「あ、ども……です」
東堂は笑う。
ただ、その笑みがなんとなく『ニヤニヤ』に属している気がして、舞は背筋に何かを感じる思いをした。
「いや〜来てくれると思ってたよ。あ、僕は2年の東堂」
「あ、はい……知って、ます」
「あれ? 嬉しいなぁ、知っててくれたんだ。ま、そうだろうねぇ……僕を知らない女の子なんていないだろうから」
舞は愛想笑いで誤魔化した。彼女が今しがた知ったことを、東堂は知らない。
「舞ちゃんに来てもらったのは他でもないんだよ。う〜ん……どうしようかなぁ、はっきり言っちゃおうかなぁ」
わざと焦らすようにふざける東堂に、舞はキョトンとする。
「はっきり、って……なにが、ですか?」
告白だと思っていた舞は、東堂の真意に気付かずに呆ける。
相変わらずニヤニヤ笑いの絶えない東堂は髪をかき上げ、頷いた。
「そうだねぇ……放課後なんかに呼び出したんだし、はっきり言っちゃうか」
ずいっと身を寄せてきて、舞は薄く肩を竦めた。
平均身長から逸脱しかねない、まんまな少女の舞(身長148cm)。180は届いてそうな東堂とでは、頭一つ半は差が生じる。
見下ろすようにして寄ると、東堂は髪をかき上げる。むわぁっとキツい香水の匂いがして、舞は咳き込みそうになるのをこらえた。
「実はさぁ……僕、君のことが前から気になってたんだよねぇ……まあ、他の野郎達がウルサくて黙ってたけど、頃合いだと思ってさぁ」
さらに一歩。歩み寄る。
さすがに怖くなって、舞は肩を竦めたまま退く。
「なあ、いいじゃんか。別に付き合ってる奴なんていないんだろ?」
ひっ、と喉の奥で声が漏れた。
瞬間、
「くぉらあ!!」
横から黒い影が飛んできて、東堂は一気に身体を退いて避ける。
鼻先を掠めていく跳び蹴りに冷や冷やしながら、東堂が見ると、舞と東堂の間に割って入る形で亜里沙がいた。
華麗な着地を果たし、白いアレなものをチラリズム。スカートをはためかせて東堂を睨む亜里沙は相当の剣幕だ。
「テメェ……なに舞にたかってんだコラ……!」
名前を呼ぼうとしていた舞は凍りついた。
亜里沙が二人称を『テメェ』に変えるのは、一種の臨戦態勢の証拠である。
「おやおや、君は確か舞ちゃんのトモダチの亜里沙ちゃんじゃないかぁ」
若干甘い口調でニヤける東堂に舞は怖気を憶え、亜里沙は怒りを憶えた。
「どうしたの? 今日は舞ちゃんに告白してたんだけど、ジャマしないで欲しいなぁ」
軽くヤンキー(死語)的な威圧感を放つ亜里沙は拳に込める力を強める。
「うっせぇよエセナルシスト。テメェみたいなバカに舞とベタベタする権利はねーんだよ」
吼える亜里沙に、東堂は肩を竦めてため息を出す。いかにも心外そうだった。
「失礼だねぇ……ま、正直君に何を言われようとも、僕は舞ちゃんに用があるからさぁ」
にじり寄る東堂に、亜里沙は口の端を吊り上げて、不敵な笑みを湛えた。
「は! アタシがいなくたって舞はテメェなんざとは付き合うわけねぇだろ」
その言葉に、一応はイケメンの東堂が眉をしかめる。
そんなことは無い、と言いたげだった。
「それホントなわけ? 舞ちゃん、ホント?」
身体を傾けて、亜里沙越しに舞を見て東堂は訊く。
亜里沙の背後で縮こまっていた舞は、胸に抱く鞄をギュッと締めて口を開く。
「あ……あの、ごめんなさい!」
ぺこり、と腰から折って謝罪。
男の告白→女の謝罪。それは前者の敗北を意味する。
東堂は少しの間黙っていたが、薄っすらとニヤけて髪をかき上げる。
「ふ、どうも信じられないなぁ」
「はぁ?」
亜里沙が眉をしかめ返す。
「僕ほどの男が告白なんてしたんだよ? 何の理由もないのに断る理由が想像できないね」
「けっ。言っとくけどなぁ……舞はこれからもう一人の告白相手に会いに行かなくちゃなんねーんだよ」
「もう一人? 誰だい?」
口を開き、そのまま硬直する。
よく考えてみれば、もう一方の手紙を読んでいない。
「……嘘でしょ?」
「ち、ちげーよ!!」
亜里沙は振り返る。
(おい、舞。その手紙、宛名書いてあるか?)
「え……」
小声で亜里沙に促され、舞は鞄から手紙を取り出す。
こちらは真っ白な中腹開きをテープで簡単に留めたシンプルなもので、封筒には名前もタイトルもない。
「これだよ、これ」
親指で差して亜里沙が見せ付けるが、東堂は未だ引き下がらない。
「信じられないなぁ……ホントはそれ、自分で作ったダミーじゃないの?」
「………っ!!」
ついに亜里沙のほうが逆上した。
もう一度振り返り、
「もういい、舞! それ中身見ろ。名前書いてなかったら、文面読んでやれ!! コイツ頭固くてしょうがねぇ!」
え、と躊躇ったが、舞にしてみれば怒りを露わにした亜里沙も怖いので、おずおずと手紙を開けて、まず内容を黙読してみた。いきなり音読はプライバシーに問題がある。
だが、そこに書かれている、恐ろしく達筆な黒い文面に、舞は硬直した。
ちょっとした用事が出来たので、少し遅れます。
3時半には着けると思えるので、昨日の鉄橋で。
では、待っていますね。
あ、コレ、勝手にいれて済みませんでした。
バレてはいないので大丈夫だと思いますが。
クロト
「…………………」
「………舞?」
怪訝な顔で振り返る亜里沙も、その奥で髪をかき上げる東堂も、もはや舞の思考の範囲外だった。
一応、色々と疑問は出てくるのだ。
なんでわざわざ手紙?
外人さんがこれほど達筆なのはなぜ?
というか、どうして私の下駄箱の位置を知ってるの?
やがて、徐々に、ゆっくり、と……意識を取り戻してゆく。
その視界の中に、やっと亜里沙が入る。
「……亜里沙ちゃん」
「あ?」
抑揚の無い声でぼんやりと呟く舞に、亜里沙は少し怖気た。
「今、何時だっけ……」
質問とも分からない質問に、亜里沙は訝しげながらポケットから赤いボディの綺麗な携帯を取り出し、チラと見てから、
「さ、3時43分……だけ……ど」
それがどうし、まで言った瞬間、
舞の脳内は、見事なまでに壊れそうになった。
「にぎゃああああああああ!!!」
それは人ですか? と訊きたくなる悲鳴を上げて、俊足で駆け出した。
まさに、俊足だった。
呆ける亜里沙と東堂はそっちのけ。走る走る。
紙切れは哀れくしゃくしゃに握り締められ、半泣き少女の姿は(色んな意味で)かなり全力だった。
取り残される二人。
やっぱり不幸だあああぁぁぁぁぁ……、とフェードアウトしてゆく背中を東堂が仰天していた。
「ま、舞ちゃん……!?」
亜里沙も、東堂とは少し意味合いが違うが驚いていた。
「ちょ、舞!!」
亜里沙は東堂を無視して走り出す。
「ちょっと!!」
後ろから声がしたが、それどころじゃないのは亜里沙のほうが上だ。
無視を決め込むことにした亜里沙は後を追う。
取り残された男。
最終的な判断は、フラれた……のだろう。
要約するなら、天然超絶美少女・八神 舞の撃墜率は、今日も100%をキープされたことだけ。
どちらにしたって、取り残される男には結構なダメージだけれど。
blood.11 水面下のストラグル
「―――――――あ?」
咄嗟にとはいえ、つい奇声をあげてしまった。少女と同じライダージャケットにグラサン仕様、加えてシルバーアクセサリー付きは攻撃力があり、目の前を通りすがった女性が一瞬怯える。
チラと視線をずらす。上へ上へ。
カフェテリア『Green Leaves』。
青葉≠フ意に適した、清潔感の溢れる喫茶だ。
特に吹き抜けのガラス張りで、展望じみた感覚が面白い。
ただ、逆を言えば外からは中の客が丸見えであることだ。
だからというわけではないが、これは意外な偶然である。思わず奇声も上げたくなる。
「ユージン、どったの? 財布を落とすという切なる絶望体感中?」
さらっと想像したくないことを言ってくれる。
口の中で「うわぁ……」と呟いて伊崎 遊人はやっぱり留めた。口に出したら粋がるので、癪だった。
「アホか。そんなヘマすんのはイーリだけじゃ」
「え〜、イーリちゃんは……まあ、一番ありえるけどさ」
そじゃろ、と内心勝ち誇り、遊人は視線を下へ。
全体が淡い紺のライダージャケットに、膝上でヒラヒラと舞うチェックのミニスカート。
下には女の子としての自覚のあまり見られない桃色の花柄の可愛いタンクトップだ。タンクトップ、だ……。
見てて寒い。言ったら本気でリバーブロー(別名:臓物破り・後から効く系)ですけど。
しかも、この小娘紛い。頭がピンクだ。といっても、人工的ではなくて正真正銘の地毛である。
左右で団子にした髪がいかにもチャイナな童顔で、目も大きく丸くて人懐っこい色の表情をしている。
道行く人がこの奇抜な頭髪にドキリとしているが、チャイナ+少女外見と相まってそこまで異質には見えなかった。
実際20歳の遊人より、中学生体型で年上だという事実が、未だに彼は鵜呑みにできない。
歳いくつだろうか。訊いたら本気でブレインシェイカー(別名:延髄狩り・3ゲージ使用版)ですけど。
「で。いきなりイーリちゃん化したけど、どったの?」
まだ言うか、と遊人は顔をしかめた。
「じゃけん……あんな無責任座敷童と一緒にすんなや。アレじゃ」
顎でクイッと促す。
カフェテリアの店内にいる、お喋りな客達。
その中で遊人は3人で話す連中を、商店街特有の雑踏の多い人波に潜んで見つめた。
友人同士。
というには、表現が違った。2人はどこかの制服だが、一人は私服だ。
恋人混じり。
それも違う。女にも見えそうな私服の男の右隣りに、おさげ髪で右頬にテーピングの張ってあるワイルドな少女。そしてその右隣りに、ハニーブロンドの髪を首まで伸ばしている一際容姿の浮きだった少女。しかも真ん中の少女はやたら男を睨んでいる。
お手上げだった。
たった2パターンで終わりという、表現演出の下手な自分に軽い嫌悪だが、遊人はさすがにあの構図が理解できなかった。
「あの3人がどうかしたの?」
少女が訊いてくる。彼との身長差から見上げる形になるが、もう一度言おう。少女はこれでも遊人より年上だ。
ただ、変貌した℃椏_での歳が幼かった結果こうなっただけなので、遊人は気にも留めない。
「よぉ見ぃ。あの端で紅茶の熱さにやられとる蜂蜜色の髪のんを」
言われて視線を向けると、紙コップを高速でテーブルに置いて泣きながら口を押さえる少女。
「ああ、あのすっごい可愛いカオの子? それがどうし―――――――」
たのさ。と言おうとした言葉を、少女は本能で停止する。
見覚えがある。チラと一瞥しただけだが、あの端麗な顔はそうそう忘れない。
ましてや、あの時は立派な戦闘状況だ。忘れろってほうが難しい。一人、あっさりと忘れてしまえる素敵なオツムの同属がいるが。
「あの子、昨日屋上にいた……」
「そうじゃけぇのぅ。ということは、あの黒髪の女男が恐らく」
そこまで言うと、言葉を停める。
脇に立つ少女は、輝く乙女の眼差しでその男を見る。
「へ〜……彼が銀銃≠ネんだ。綺麗なカオしてる〜♪」
「シンル……」
咎める口調で遊人が呼ぶと、少女・奔 杏露(ふぉん しんる)は悪戯に赤い舌を出して笑う。キッとやたら長い牙が見えた。
「いーじゃんか〜。恋したい年頃まっしぐらなんだから」
ウィンクをする杏露。
むしろ結婚に焦る歳だろ。ツッコんだら本気でソーラーテキサス・ゼロ(別名:水月突き・否応無き必滅風味)ですけど。
視線を向け直す。
外を展望できる席に座り、男が何かを話している。おさげ髪の少女はふんふん、と頷いている。
ただ、3人が何を話しているかまではわからない。こっちは読唇術なんて知らない。なまじ殺す能力を持っていても、それが無ければ遊人も杏露も運動能力の高いただの人間でしかない。
「ユージン」
距離にして15、いや20メートル。
今の現状を察っせなくても、おさげ髪を挟んだ2人が【ディープブラッド】であることは知っている。
「ユージン? ねえ」
遊人はその3人の動向が気になった。
自重すべきだと最近思っている。日がな一日街を徘徊するだけでは、退屈する。
たとえば、それが人を殺せる力を持て余していることだ。
「ねえってばユージン、おーい」
だから抑えるべきだと、自重するのだ。
目立つ云々ではなく、純粋に殺戮に溺れれば種族としてではなく、単純に人間として生きられなくなることを意味する。
だが、それでも―――――――、
「そーろそろ怒るよ?」
「なんよ、やかましいのぅ」
気だるそうに視線を戻す。
そこには頬を膨らまして子供のような#ス応を示す杏露がこっちを見上げて睨んでいる。
「無視とかするのヒドいと思わないの? ってかヒドいよ」
「ヌシの自問自答に付き合ぉとるヒマはないんじゃ」
にゃにおぅ、と抗議の声が聴こえるが、遊人は気にせず歩き出す。
いい加減歩かないと、雑踏の中で立ち尽くしていては往来に迷惑だ。遊人は余計な面倒を嫌う。
「あ、待ってよぉ! 今日はオゴってくれるんじゃなかったの!?」
何気なくとんでもないことをおっしゃる。
「ヌシはアホか? はたまたわざとか? いや前者か……金がのぅなっとんのになんでワシが奢らないけんのぜよ」
「だってもう夕方だよぅ? お昼食べてないからお腹減ったよぉ〜何か食べようよぉ〜」
間延びした声で媚びてくる。これは確実に悪意をこめているのだろう。
「寝言は寝て言え」
「寝たら食べ物の夢しか魅れないよぉ〜」
それは同感だ。
だが、それとこれとは別格であり、
「ワシの財布じゃ脚が出るぜよ」
「足? 逃げ出す、ってこと?」
これは本気で天然だろう。
もはや無視を決め込む。すたすた。
「待ってってばぁ……!」
待てません、こっちは貴方以上に人間やってる身なんです。
とりあえず飯代を考えながら、もう一度だけ視線を後ろへ。
3人は何かを話している。おさげ髪が顔を赤くして男に何かを抗議していた。
あの男だ。
苦笑しながら何かを言っている、あの男。
(あの男に……ワシは)
「ユージン……!」
背後から声がして我に返る。あぶなかった。また、再発≠オそうだった。
タイミングの良さを無自覚に発揮した少女は雑踏の中から流されそうにあたふたしながら彼を待っている。
遊人は歩き出す。
とりあえず粋がられると癪なので、タイミングだのについては礼は言わないことにした。
「しかしここの飲み物は美味しいですね」
ああそうか。それがどうした。
「うん。私の好きな場所だから」
知らなかった。なんで教えてくれないのか。
「ケーキとかもあるんですね。甘いものは少々苦手ですが……」
苦笑いしてんな。お前の好き嫌いはどうでもいい。
「あ、そうなんだ。私甘いもの大好きで……ついつい食べちゃうんだよ」
なのに太らない。その身体の構造を一度教えて欲しい。
「紅茶も良さそうですが、コーヒーもまた格別です」
だからさっきからしつこいんだよ。お前の好き嫌いはどうでもいい。
「そういえば、前もコーヒー自分で作ってたね」
それって―――――――、
「―――――――って……! それってお前、前にもコイツと一緒にいたのか!?」
喉の辺りで押し留めていた言葉が、ついに出てしまった。
はい、と返事しようとしていたクロトの口は開いたまま。タイミング的には良かったが、中断する理由がいただけない。
「そ、そうじゃなくて……えーっと、ほら、作るのが得意だってことだよ、ね?」
救いを混じらせた質問に、亜里沙を挟んだ向こうにいる爽やかスマイルは「ええ」と肯定する。
なんだか含むものを感じるが、舞が言うならばということで彼を免除した。
あの時、橋の上で待っていたクロトに猛烈な謝罪をする舞に、クロトは笑って許した。
ただ、それで終わりではなかった。
尾いてきていた亜里沙が、ことさらに猛烈な形相でクロトに詰め寄る。
が、
『あ、もしかして舞さんのご学友ですか?』
などと言いながら、あのスマイル0円を至近距離で喰らって、亜里沙は怒りの有り所を失った。
なんだコイツ、と思っていると舞が慌てて亜里沙をなだめ、クロトは微笑を湛えて説明をした。
彼が言うには、ドイツからの留学でこっちにやって来たはいいが、構造複雑な東京都市だ。即、道に迷ったらしい。
迷っていたところで男子生徒に絡まれる舞を助けたことがあり、翌日にも偶然逢ったので、良ければ次の日に街を案内してくれるかどうかを頼んだのが、昨日のことだったそうだ。
舞曰く、助けてくれたお礼だと。
確かに、野郎に手を出していたところを救ってくれたのなら、自分のことよりも助かる思いだ。
ただ、さすがに見も知らない男と同伴なんて見過ごせない。
2人で街中を歩いて回るという行動を、世間一般では『デート』という。
だから、亜里沙が取った決断は、
『アタシも一緒に行く!!』
そして現状。
喫茶に入ろうとした舞を停めようとしたが、クロトの発言、
『俺が奢りますよ?』
に、亜里沙が負けて今、こうしているのだ。『タダ』という単語こそ、亜里沙の弱点その2である。
カフェテリア『Green Leaves』。
青葉≠フ意に適した、清潔感の溢れる喫茶だ。
特に吹き抜けのガラス張りで、展望じみた感覚が面白い。
ただ、逆を言えば外からは中の客が丸見えであることだ。
まあ、雑踏を見せられたところで嫌だという客は来ないだろうし、そんなものは少数だろう。
内装も結構配色の落ち着く店内で、店員も皆若くて意外と客層も幅広い。
一種の憩いの場でもあるので、学生が大半を占めている。現に3人の隣りにはどこかの女子生徒4人がゲラゲラ笑ってぺっちゃくっていた。
それとはあまりにも対照的な、流水のせせらぎが如くの風景をかもしだすクロト、舞。そしてその間に割ってはいる形の亜里沙。
店内のほとんどの客が、3人に視線をチラつかせる。
無理は無い、と亜里沙は思った。
片や、エスカレーター式の国家公認の戦闘訓練教習型超大型学園の、誰もが認めるアイドル的存在の美少女。
片や、物腰の柔らかさと紳士的な卒の無い動き、そして見る者の視線のやり場を困らせる色白で爽やかな美男子。
間に割ってはいってブスッとしている自分が、まるでバカではないか。場違いではないか。
(いいや! それは断じてない! 特に後者は!!)
と内心で確信づける。
そう。場違いであっては困る。少なくとも舞とは10年来(実際は9年)の親友だ。唯一無二の親友だ。
妹のように見守り、顔目当てだの金目当てだので群がる獣(ジュウと読む)を志筑と共に蹴散らしてきたのだ。
今更引き下がれない。舞が毒牙にかかるとあればなおさら。
これは闘いである。
今、静かなるStruggle(闘い)は、告がれずに始まった。
「この辺は商店街としては随分往来が激しいですね」
ガラス張りの向こうを見ながらクロトは呟いた。
軽く独り言のような喋り方だったが、意外とよく通る声で舞まで届く。
「うん。東京のほとんどはオフィス街で囲まれてるから、学区エリアに住居が集中しちゃうんだ」
「学区……すると、学生ばかりがいるんですか?」
「そうだね、8割ぐらいがそうじゃないかな。東京は今や子供をどれだけ優秀に育てられるかを考えてるから」
「なるほど、城閃学園のダブル・カリキュラムというのもその一環ですか」
「つーよりもよ」
紅茶を啜りながら亜里沙が口を開く。
「大体の学校は案外フツーだぜ。変わってんのがウチんとこなだけだ」
「詳しいみたいですね」
「アタシ戦闘科」
自分の顔……というより、右頬に張ってあるテーピングを指差して亜里沙が舞に代わった。
「軍事なんたらが関係してるからなぁ、あの学園は。だから腕っ節だけであっさりと入学できちまう……つっても、殺しがどーこーじゃなくて、どう闘えばいいかを勉強するんだよ。だから机に向かうことだってたまにある」
「戦術、として学ぶんですね。人海戦術や孤軍戦、籠城戦などのように」
「……、そーゆうこった」
一瞬の間を、紅茶を啜って誤魔化す。下りの単語がよく解ってなかった。
「学術国家って呼ばれるぐらいなんだよ、今の日本は」
舞の安直なまとめに、クロトが頷く。
「………」
だが、亜里沙からしてみれば何となく嬉しくない。
「粗方教えていただきましたが、活気があって良い国ですね」
「そうかぁ? ガスくせぇ場所だと思うけどよ」
「まあ、あまり星が見えないところだと思いますが、人がいないというのも考え物ですよ」
「んあ? いないって……ドイツだっけ、アタシはなんかこう……高層ビルがあっちこっちだとか」
首を横に振って苦笑する。
「いいえ、東京に比べることすら無理なほどの田舎ですよ。というより、格式が古いんです。宗教健在国家ですから、教会の数も相当のものです」
「っへ〜」
と、ついつい頷いて感嘆めいて気付く。
(て……なに和んでんだアタシは……相手は敵だぞ敵)
「そういえば、舞さん達は城閃学園の学生でしたね。何年なんですか?」
「私達高等部1年だよ。あと志筑ちゃんも」
「しづき……?」
クロトはキョトンとした顔をする。
亜里沙は紅茶を飲み下しながら舞を親指で差す。
「アタシらのマブダチだよ」
「そうなんですか。今日は?」
「志筑ちゃん、神社の子だから仕事で早く帰っちゃったの」
「へえ、日本の神社は久しぶりなので―――――――」
そこで言葉を切って、クロトは口を噤んだ。
「なんだよ、お前。日本にいたことあんのか?」
亜里沙の横目に、クロトは申し訳無さそうに苦笑した。
「いやぁ、済みません。大分昔にいたんですよ。というよりも、俺の国籍は日本ですよ?」
がちゃん! と音がして、2人が視線を向けると、紅茶の熱にやられて舌を出しながら半泣きで口を押さえている舞がいる。
「なっ、おいおい大丈夫かよ……!」
慌てて様子を見る亜里沙に、舞はにっこりと愛想笑い。
「ご、ごめんなさい。びっくりしちゃって……クロト君って日本出身だったんだ」
「驚かせましたか、済みません。日本語のほうが元来なんです……逆にドイツ語ができなくて」
「おかしい奴だな〜、それでドイツ人なのかよ」
カラカラと笑う亜里沙。
「もぉ〜亜里沙ちゃん、いくらなんでも初対面の人に向かって言いすぎだよ?」
「ワリィワリィ」
「いえ、気にしてないので構いませんよ」
微笑む。
はっとまた気付く亜里沙。
(ええい、調子狂うなぁ〜……なんなんだコイツは)
「あの、亜里沙さん……?」
考え事というより、単に悔しい想いをしている亜里沙を窺うクロトに、亜里沙はドキリとして上半身を仰け反る。
「うっわ!! おまっ! 顔が近ぇよ!!」
目の前にクロトの整った顔があって、亜里沙は頬を赤らめた。
クロトは心外そうにはせず、眉をひそめる。
「いえ、何か考えているようでしたが」
「あ、いや、そんなことは……」
口ごもる亜里沙に、クロトは表情を曇らせる。
「もしかして、俺はまだ信用されていないのですかね」
「は……?」
「いえ、どうも俺が舞さんに話しかけると、表情が険しくなっていたので」
口をぽかんとさせて、クロトを見た。
「……バレてた?」
「確信はなかったですよ。ただ、そうかなと思って」
「………、」
ため息を吐いて、亜里沙は頭を掻いた。
未だに返事を待っている美形(男)が視界に入り、
「あ゛〜なんでもないって、気のせい気のせい」
「そうですか、失礼しました」
といって、やってきた時よりは冷めたコーヒーを飲み干すクロト。
「さて、そろそろ出たほうがいいかもしれませんね」
といって、後ろをチラリと見る。
なんで? と訊こうとしていた亜里沙はクロトのその行動の意味に気付く。亜里沙も一瞥。
後ろの円状テーブルの席で座る大多数の帰路から脱線した学生達の視線が、2人の一瞥に気付いてさっと逸らされる。
敵は隣り、だけではない。
まあ、男(しかも私服の)と話している時点で寄っては来ないだろうが、気分は良くない。
隣りであたふたしながら紅茶を飲み干す舞と、テーブルの上のガラス筒に入れられたレシートを手に取るクロト。
「大体の地形は知りました、助かりました。さすがに道に迷いたくない理由があるんで」
そういってジーンズのポケットから黒い財布を取り出す。よぉく考えてみれば、黒いワイシャツに黒い冬用コートで黒いジーンズに黒いアサルトブーツと、透き通るような白い肌以外は上から下まで真っ黒だ。顔と相まって、地味には見えないが。
「本当にありがとうございました」
「いや、まあ……奢ってもらったんだし、なあ?」
「あちち、あふ……え?」
今、気付いた舞がこっちを向く。
「………」
もういい、という言葉も吐けなかった。
そんな余力も奪う親友。
悪くはないのだが、自覚を持ってほしいと思って気付く。これが八神 舞だと。
blood.12 水面上のリアルバウト
喫茶店を出た3人は商店街の北口へ向かっていた。というのは、亜里沙が舞に代わってクロトの案内を買って出たのだ。その真意に、舞もクロトも気づいてないのだが。
「あと、この先は学生寮の密集地だっけか。アタシらは一軒家住まいだからあんま縁の無い地区だな」
なるほど、と呟くクロトを尻目に、亜里沙は結局ガツンと言う言葉すらないまま夕暮れも終わりに指しかかっていた。
この繁華街。夜になるとオフィス街のサラリーマン主体の、いわゆる歓楽街になる。正確に言えば、切り替わるといったほうがいいかもしれない。
だからどうした、と言ってしまえば早い気もするが、学生はそうはいかない。
さすがに捕まることを上等で夜までいるのは怖い。
道行く雑踏が徐々に年代の高いほうへ移行してゆくにつれ、学生の姿はなくなってゆく。
時刻は4時21分。日暮れはもうすぐ終わり、夜へと暗くなってゆく。
「そろそろお開きにしないといけませんね、お二人の家はどこですか? 送りますよ」
何気なく言って振り返ったクロトは、怪訝な顔をした。
亜里沙が、その言葉を聞いたからなのか、どこか陰を落とす。舞もバツが悪そうに顔をしかめていた。
「あ、あのね……」
舞が口を開いた直後に、亜里沙は舞の肩に手を乗せて抑止した。
「いいよ舞」
「………う、うん」
「え〜っと、クロトだっけ……悪いけど、アタシは送ってくれなくていい。舞も、アタシが送っていく」
何事もなかったかのように振舞う亜里沙。だが、舞の表情は未だに曇っていた。
それを瞬時に察したクロトは、無意味に笑わぬよう薄く微笑めいた。
「そうですか。済みません、余計なことを言ったみたいです」
「気にすんな。お前は関係ないし、謝られても困るんだよ」
「そうみたいですね……」
苦笑して頬を掻くクロト。
「それでは、重ね重ね本当にありがとうございました。またお逢いしましょう」
「あ、うん……」
「ごっそさん」
戸惑う舞と、あまりにも自然すぎる亜里沙に会釈し、紳士のように踵を返してクロトは遊歩道から逸脱した細道を歩いていった。
「って……アイツ、細道知ってんのか……」
呆れ半分で亜里沙が呟く。これでは案内の意味がなくなった気がする。
「真っ直ぐ帰る方向が、あの道だったんじゃないかな」
「そーかぁ? 舞に寄ってきてるだけな気がして、信用なんないな」
「そうかな、いい人だと思うけど」
ほえほえと笑う舞を、ジトッと見る。
「甘い。甘すぎる。甘々のアンマミーアだぞ、八神 舞君!」
「あんまみーあ?」
小首を傾げる舞の両肩をガシッと掴むと、前後に揺さぶる。
「あんなぁ、相手は男だぞ。しかも見も知らない。お前はも少し警戒心と緊張感と打算力と距離感と観察力と駆け引きに対する度胸と探り合いに勝る技量を持って接しろ」
「注文が多すぎるよぉ〜」
「あ゛〜もうこのボケボケ天使はぁあ〜!!」
怒っているのか萌えているのか判らない揺さぶりを掛けて、亜里沙が笑う。
そうして、そろそろ揺さぶりを止めてやろうと思った。
その時だった。
「いたいた……アイツだ」
不意に横合いから男の声がして、亜里沙が視線をずらした。
そこにいたのは、知らない制服を着る茶髪の男子生徒。何故か左頬に大きな湿布が貼られてある。
しかも、後ろに10人以上の同じ制服姿の連れがいる。
なんだコイツら、と亜里沙が記憶を探っているうちに、目の前から微かな吐息の震えを感じた。
「舞?」
そこには、団体を見つめて青ざめる舞の顔。
口をぱくぱくと動かして、それでも何かに怯えるようにまた閉じる。
「捜したぜぇ……クソ女」
茶髪が道端に唾を吐き捨てて、そう言う。
カチン、ときた。今、このわけの分からない茶髪は、舞に向かって『クソ女』と言った。
「テメェ……」
こめかみに青筋を立てて、舞の肩から手を離す。
すぐ近くで戦闘態勢に入る亜里沙に、舞がぞっとする。
「今、舞のことをクソ呼ばわりしたろ……!」
威圧と共に一歩前へ出ると、茶髪は眉をひそめて亜里沙をねめまわした。
「なんだ? アンタ誰だよ」
上から下まで見定めるように見てから、茶髪は目を据わらせる。
「ま、どうでもいいや。オレが用があんのはそっちのカワイ子ちゃんなわけ」
亜里沙は解りきっていた。舞を隠すように立ちふさがる。
「んだよ……コイツが何したってんだよ?」
茶髪はその言葉を待っていたように、返事を用意していたように肩を竦める。
「あ〜違う違う……ソイツはもういいんだ。オレが捜してんのは、あの女みてぇな顔したクソ男だ」
舞と亜里沙の表情が、ぴくりと動く。
茶髪は、それを見逃さなかった。
「やっぱ知ってんだな」
手をすっと挙げると、合図だったのか男子生徒の群れがぐるりと周りを囲む。
雑踏のど真ん中での出来事なので、ひそひそと話す野次馬がいるが、茶髪の連中は知ったことはないらしい。
「このオレの顔をこんなにしやがったあのクソを、ぶっ潰して二度と人間やってらんなくしてやらなきゃ気がすまねぇ……だから」
頬の湿布を擦っていたが、やがて一人の男から、どこから手に入れたのか判らない木刀を受け取って茶髪は薄ら笑う。
その眼は、少しばかり血走っているような気がした。
「吐けよ。アイツの連れなんだろ?」
吐かなければどうするつもりなのか、それは充分過ぎるほど解った。解りすぎるほどだ。
亜里沙は舞を制しつつ、前へ出る。
おっと、と声を出して茶髪との間に大柄な男。
「いかせるかよアマ……志雄さんが用があるのはそっちの方だって言
その言葉が最後まで終わることは無く、大柄の男子生徒は横に吹き飛んだ。
ズドン!! という鈍い音と共に、巨躯を重力の抵抗から解き放つかのように横にスライドするようにして吹き飛び、コンクリートの地面をゴロゴロと転がって、やっと静止する。
仰向けになった男は、ビクン、ビクン、と痙攣しながら白目を剥いていた。
茶髪の男は呆然とした。
やがて視線を戻すと、右腕を盛大に振り抜いた格好のおさげ髪の少女がいた。
スカートがはためき、白い何かがチラと見えるが、湛える表情はまさに鬼をも射殺す眼光を放っていた。
「……メェ……」
小さく、呟く。
「テメェ……許さねぇ………」
腕を戻して拳同士をゴツン、とぶつけ合い、構える。
それは右腕を奥に秘めたる―――――――拳闘のスタイル。
「どこの生徒に喧嘩売ったのか、身を持って知りな……!」
ぽかん、と口を開けていた茶髪は我に返る。
「る、ルセェ! この人数に粋がってんじゃねぇよ!! やれ、テメェら!!」
その一言に、どっと攻める男子生徒達。
だが、
「遅ぇんだよトーシロー」
ドン!
鈍い音を放って、コンクリートを蹴り上げた亜里沙は姿勢を地面すれすれまで低くして舞に近づく男子生徒の懐に入り込む。
咄嗟の反応で男が出した手を、手首ごと一気に殴りつける。
指は折り曲げられてあったが、手首の部分からゴギン! と嫌な音がしてへし曲がる。
ぎぃあ! と叫びながら手を押さえた男の顎めがけて、横一閃に振り抜く。
顎をゴヅン、と殴りつけられて、脳を揺さぶられた男は悲鳴も上げずに昏倒した。
「の、やろ……!!」
後ろから木刀を振り下ろすが、亜里沙は振り返る勢いを利用して、降ってくる木刀の腹に迷うことなく左手でバックナックルを打ち込む。
めきぃ、と音がした。
真ん中からへし折れてぶら下がった木片を目の前で唖然としていた男は、勢いを停めずに回転をかけてバズーカのように飛んでくる右ストレートを、見事に顔面に受けて吹き飛んだ。
睨み付けると、男子数名が怖気づいて足を停める。
「誰がクソだって!? ああ!!?」
茶髪の男以上に血走った目つきで亜里沙が吼えると、男達はビクリと肩を竦めて震える。
「数ありゃ勝てると思ったのか!? 武器持てば有利だと思ったのか!? 女が相手なら楽勝だとでも思ったのか!? 城閃の戦闘科生をナメんなよ……!!」
怒号にも似た咆哮を上げ亜里沙は震え上がっている数人の溜まりににじり寄った。
「待てクソアマぁ……!!」
後ろから声がしてゆっくりと振り返ると、亜里沙の表情が凍りついた。
大事なことを失念していた。
舞は腕を後ろに回され、首元にナイフを突きつけられたまま血の気の引いた顔をしていた。
足元に鞄が落ちているが、それを茶髪が踏みつけている。
「テ、メェ!」
一歩踏み出そうとして、
「動くなってんだよクソがぁ!!」
ビタリ、と反射で動かなくなる。
茶髪はニタリと笑って舞の少し色の抜けた艶やかな髪の匂いを嗅ぐ。
「く、ははっ……大人しくしてりゃよかったのによぉ!!」
狂気じみた笑みに引きつらせて、茶髪は眼を血走らせる。
「おいお前ら……今のうちにブチのめせ!!」
その言葉に、震えていた男子生徒達は勝機を見いだし、取り囲む。
亜里沙はギリギリと歯を食いしばって、舞の後ろで嘲笑う男を睨んだ。
「ヒヒッ! ちょっとでも抵抗してみろ。コイツの顔に一生モンの傷残してやるからよぉ」
「くっ……」
成す術もなく両腕を下げる亜里沙の背後から、木刀を拾い上げた男が振りかぶり、
「亜里沙ちゃ―――――――」
一気に振り下ろされなかった=B
「―――――――え?」
背後から来る気配を察知して、目を瞑った亜里沙は恐る恐るを振り返る。
「……! アンタはっ」
「申し訳ありません……てっきり懲りたとばかり思っていたのですが、言い忘れていたので戻ってきて正解でした」
穏やかに喋りながら、振りかぶった体勢の男の腕を掴んで、クロトが眉をひそめて立っていた。
「ぐ……、」
「まったく……自業自得で出来た傷でしょうに。それを逆恨みされる筋合いは無いですよ?」
ぐい、といとも簡単に男の腕を捻じ曲げて関節を掛ける。
ぐああ! と叫ぶが、クロトはさらっと無視した。その視線は真っ直ぐと茶髪に向いている。
「言っても解らないだけというならいざ知らず、関係のない方を巻き込んだことは赦せませんね」
いきなりクロトは動き出した。
腕を固められて仰け反り気味だった姿勢の男の足を蹴り、ぐるんと回すと背中の……それも後背筋の辺りから一気に地面に叩きつけた。
1メートル以上もの高さからの墜落だ。その男は悲鳴を一瞬上げて、悶絶もせずに白めを剥く。
「そんなに潰し合いがしたいのなら構いませんよ? 俺と一戦交えましょうか」
片膝をついたまま顔を上げたクロトに、茶髪はぞっとした。
怒りのままに咆哮する少女も多少は怖いが、この男の表情はそれとは別格だった。
能面のように整った顔を無表情にしていても、内面から湧く何かが明らかに違った。
まるで、表現するならそれは―――――――、
「済みません、亜里沙さん。背中を借りますね」
ふとそう言うと、ぐっと亜里沙の背を押して屈ませ、馬跳びの格好にさせた亜里沙の背中に背中を合わせて乗っかると、
ブォン……!!
亜里沙の背後でぐるりと何かが回り、風が唸る音がしたと同時に近くに立ち尽くしていた男子生徒数名が一斉に吹き飛んだ。
どさどさと倒れこんで、自分の顔を押さえて苦悶の声を漏らす男子生徒達に、亜里沙はもちろんのこと、茶髪と舞も口をポカンとさせる。
その直後、目の前を何かが通って茶髪は我に返るが、手元のナイフを指2本で挟んで動きを留めるクロトがいた。
ビクン、と背筋の辺りで身体が反応を起こし、手を引こうとした。
だがそれよりも速く、眼前の涼やかな顔は横へ流れ、くるりと回転しながら茶髪の手からナイフを抜き取って背後へ。
「遅いですよ」
警告ではなく、申告めいた言葉と共に首にひやりと冷たく固い感触が広がる。
背後からナイフを突きつけられた事実に、茶髪は全く動けなくなった。
「三つ数えます。今すぐその手を放しなさい」
首元のナイフ以上に鋭利に凍える言葉の刃が、茶髪の意思に関わらず腕を広げさせて降参のポーズにさせる。
「―――――――っ……は、」
安堵と弛緩の吐息を吐いて、舞は亜里沙のほうへと走り逃げてゆく。
栗毛色に艶めく髪を揺らすその小さな背中を、ベタベタとする脂汗をかきながら茶髪は見続ける。
「こんな真似をしなければ、俺も穏便に済ませても良いと思っていたのに……」
まこと残念そうに、背後に立つ死神はため息を吐く。
「貴方はまさか、自分が上にいる立場だと……赦してやっている¢、だと思っているんですか?」
酷く抑揚の無いトーンで死神は訊いてくる。
茶髪はここにきてやっと、この悪寒が恐怖≠セと知った。
怖い。怖すぎて言葉どころか、息一つすることもままならない。
喉の奥でねっとりと溜まる唾液をやっとこさ飲み込んで、はぁはぁと息をする。
「訊いているんです。まだこんな下らない復讐に身を捧げる御積りですか?」
その言葉に、ビリビリと脊髄の辺りで溜め込まれていた反応を全て出す。
ナイフが触れていることなどお構い無しに、茶髪は首をめいいっぱいに横に振った。振りまくった。
「………そうですか、分かりました」
すっとナイフが取り払われ、頭の血が全て失せたような蒼白な表情の茶髪は、ほっと胸を撫で下ろ
ズドンッ―――――――!!!
鈍い音と鈍い感触が混じり合い、茶髪の視界が流れてゆく。
首が折れそうになって、やっと激痛を脳が感じ取った。
だがそうして気がついた頃には、茶髪の男は顔面をソバットで蹴り飛ばされて収集されたゴミに突っ込んだ。
蹴り抜いた勢いでくるりと1回転をしたクロトは、
「死を以って償わずに済んだだけ、マシですよ?」
一瞥に冷ややかな視線をくれて、舞と亜里沙のもとへ小走りで寄った。
「舞さん、亜里沙さん、大丈夫でしたか?」
「あ、ああ……」
眉をひそめて窺うクロトにやや怖いものを感じながら、それでも亜里沙は答えた。
「済みませんでした。次にこんなことが無いようにしておくので」
会釈するように、だがしかし腰から折って謝罪する。
「い、いいって! 別にアタシは気にしてねぇから……なあ?」
「う、うん……」
「本当に、済みませんでした」
顔を上げると、クロトは苦い笑顔を浮かべた。
「つーよりもよ……言い忘れってなんだよ」
ゴミ溜めに突っ込まれた茶髪共々、野次馬が小言めいて話す中で亜里沙はちらりと見てクロトに訊く。
ああ、と呟いてクロトはにっこりと笑い返した。
「いえ、そんな大したことでは無いんですよ。城閃学園と聞いて、言おう言おうと思っていたことをつい忘れてまして」
舞と亜里沙が怪訝そうな顔で見る。クロトは100%誠意で出来た笑顔で、
「実は―――――――
―――――――というわけで、留学でドイツよりやって来ました。クロト・ヴァーティラインと言います」
翌日。
ざわつく生徒達の前で爽やかさを炸裂させ、城閃の制服を着込む美男子は無自覚に女子生徒を魅了する。
怪訝な顔の志筑に訝しげられる舞と亜里沙は失笑する。
「皆さん、宜しくお願いしますね」
(ものすごく大したことだよ……)
舞と亜里沙とが、何の打ち合わせもなく心の中でユニゾンした。
《続く》
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2005/06/16(Thu)19:12:41 公開 / 御堂 落葉
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■作者からのメッセージ
12話更新です。
文字の量がかな〜り重くなってきたので、次なる新規です。もう3度目の新規です。速いですかね、それって。
件のCDによる2,7倍速によってパパッと描いた12話。
自分で読んでみて、なんか微妙かな〜とか思います。
亜里沙っちの激怒の中で、『城閃の戦闘科生をナメんなよ……!!』ってのが微妙にベジ○タはいってるなぁ、って今更かよ(笑)
何はともあれ12話です。3度目の新規へ突入です。
読んでくだされば至極感涙。
※今日の一言コーナー※
茶髪の本名は志雄 幸直(しお ゆきなお)。
苗字だけだったので、プチ紹介。ちなみに頭が中の上だったり。