- 『鳥は優雅に翔んでない 【読みきり】-修正-』 作者:影舞踊 / ショート*2
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――幼虫は全部カブトムシにならない
――靴がひっくり返っても雨にはならない
――雨は天使の涙じゃない
当たり前に思ってたこともいつしか変わっていく。
年をとるにつれて価値観も変わるから。
それでも僕は、
ありのままに見るという行為を忘れずにいたい。
「鳥は優雅に翔んでない」
◆
僕は年に何度かの楽しみを持っている。
でもそれは休みの日にする彼女とのデートじゃあない。家族との旅行でもない。はたまた家でのんびり過ごすことでもない。
じゃあ何なのか。それは今の僕の姿を見てもらえればよく分かると思う。
夏だっていうのに長袖長ズボン。太陽が燦燦と照りつける土の斜面を、僕は大きな靴で一歩一歩ゆっくりと歩いている。頭にかぶった帽子で出来たわずかばかりの日陰もほとんど意味をなさず、僕の頬を流れる眩しい水滴がまた一つ地面に跡を残す。背中には妙に大きなリュックを背負って、手には老人のように杖を握りながら、初夏の空気に馴染もうとしない僕の体はもう根を上げそうだ。
森林浴と言う言葉があるが、こう暑くてはそれどころじゃない。左右に視線を巡らせればめったに見れない緑が僕の目に飛び込んでくる。まだ蝉は鳴いていない初夏だからそんなに蚊もいない。けれど、やはりこの暑さはきついものだ。
ここ数日働きづめでやっと手に入った纏まった休暇。そして今僕はその『年に何度かの楽しみ』を満喫している。もう気づいたと思うけど、僕が楽しみにしているそれというのは『山登り』だ。
学生時分山岳部に入っていた僕は、すっかり体に染み付いた煙草のことも忘れて、こうして年に何度かの山登りを楽しんでいる。よく何が楽しいのかと聞かれるが、こればっかりは登ってみないと分からない。現に僕も何が楽しくて思い荷物を背負って山を登るのか、部に入るまでは分からなかった。
伝えるものが大きすぎるとでも言うのだろうか、学生時分友人に聞かれた時そう答えた。もちろん笑い飛ばされたのだけれど、そうでも言わないとどうしようもない。山があるから登ると言う名台詞があるけれど、まさに名台詞、あれほど的確な言葉はないと思う。
まぁこの登るという過程は本当に苦痛なんだけれど。
「はぁ、しんど」
めったに吐かない言葉が、僕の口から零れた。
この時ばかりは弱音を吐かないように、常々そう思い気をつけている。好きなことだから、けして否定的なことは吐かないと自分で決めていたのに、つい口から零れてしまった。
足取りが重い原因に、体は素直だ。
深くは考え込まないようにしていたのに、案外僕って繊細だな。
はははと乾いた笑いを一つ、よいしょとわざとらしく言って、僕は重い足を持ち上げた。
風が吹く。
昼過ぎの日差しが弱まった(とは言っても、予想外に弱まっていなかったのだが)頃から登り始めたから、この調子だと夕暮れを見ることになるな。僕は足取りを気持ち速めた。
山の天気は変わりやすい。このままのいい天気が続くことを願って、でもちょっとだけ涼しくなればいいなとも願って、緩やかになり始めた山道を僕は行く。
◆
その日は珍しく忙しかったんだ。だからまだ仕事に慣れてない僕はてんやわんやで、それでも一生懸命汗を流してた。工事現場の片隅で、僕は一人荷物を運んでた。学生時分の山登りで体力はあるほうだったから、力仕事にはそれなりに自信があった。それでも、慣れないことは僕の体力を予想以上に奪っていく。
額にかいた汗は、拭わない。
「おい、これも運べよ」
「はいっ」
せわしなく行き交っているはずの先輩達の姿を捉えられず、それでも声だけはしっかりと耳に入って、条件反射の如く口から出るのは礼儀正しい言葉。黙々と言われたことをやっていた。僕はそれなりに仕事が出来ると思われているし、実際出来る。言われたことは何の不満も漏らさずやっていたから、先輩達からも頑張るやつと認識されていた。
額から零れ落ちる汗。……忘れた、タオル。
照りつける太陽はお構い無しに僕の体力を奪って、たまたま朝飯抜きだったその日は昼までのその時間がものすごく長く感じた。なんか恨みでもあんのかよと、何度独りごちただろう。
「ここどうなってんだ!」
「これでいいのか!」
先輩達も暑さのせいで気が立っているようだった。ところどころから叫び声にも似た連絡が聞こえる。
暑さのせいで朦朧とした目の前が揺れている。僕自身の体力の限界とかじゃなくて、その場の空気の温度が異常だから起こる現象。
砂漠かここは?
そんなことを思ってしまうほど太陽が憎い。夏場によく見える、蜃気楼のようにもやもやした景色が目の前に広がっていた。黙々と続く単調な作業。頭まで単調になっていた。
そんな時だった。
「おい、誰だここの担当!」
先輩の呼ぶ声に僕ははっとして顔を上げる。ひどく怒った声だった。
「はい、僕です」
恐々と、それでも急いで駆けていくと、想像した通りの怒り顔で先輩が立っていた。山積みの工具箱を見てしまったと言う顔をするがもう遅い。
「どうなってんだ! こんなとこに置きやがって!?」
先輩がそう言って示した場所はもちろん山積みの工具箱。
「あっ、これは――」
僕の担当だ。
ここにおいて置けば仕事の邪魔にもなるし、必要な道具が必要な時に必要な場所にないと困るのは当たり前だ。僕はすっかりこの仕事のほうを忘れていた。申し訳なさそうに俯く。
「お前の担当だろう! ボーっとしてちゃ困るんだよ!」
僕はすいませんと言って頭を下げた。ぽたぽたと涙のように汗が零れ落ちた。
拭わなかった汗が。
「忙しいのは分かるけどな、現場はこういうところなんだ。しんどくてもやる、無理でもやる! それが仕事なんだよ――ほら、汗を拭け」
先輩が投げてくれたタオルを受け取り汗を拭う。乾いた肌が露出した。
「すいませんでした」
何度も謝る。
「もういいから、さっさとどけとけ。――頑張れよ」
はい。
そう言って答える僕の声は、ものすごく優等生だった。その後僕はゆっくりと、だがしかし確実にいわれた仕事をこなしていった。
乾いた額にまた汗が滲むように。
◆
「暑いわ、もういやや〜。みんな待ってや〜」
もちろん僕ではない。
依然として体から流れる汗は止まらず、僕はペットボトルの水を飲みながら山を登っていた。下に着ているTシャツがへばりついて気持ち悪くなってきていたが、もう少しすれば気にならなくなる。そんな風にいつも通りの誤魔化しをして山道を登り、既に中腹程度まで来ていた頃だった。
高校生だろうか。いや、もう少し小さい印象からすると中学生かもしれない。中学時代に感じた懐かしい山岳部のにおいが、僕の目の前でヒィヒィ言っていた。結構太めの子だった。
「あーくそ、暑いっちゅうんじゃあ」
その割には元気そうに、一人ではないと思うが周りに仲間は見当たらない。おそらく置いていかれたのだろう。練習なんかじゃ遅いやつはこうして置いてかれるのが常だ。大会ではチーム競技だけれど、僕も昔はそうだったのを思いだした。
でっぷりとした体つき。やっぱり同じぐらいの頃の僕を思い出す。そう言えば僕も山岳部に入って痩せたのだった。中学を卒業する頃には随分と逞しくなって、出来るはずがないと思っていた彼女なんかも『出来そう』だった。――結局勇気のなかった僕に告白は出来なかったんだけど。
「う〜、しんどい。もう嫌やぁ」
こいつ何で山登ってんだ。
思わず苦笑が零れた。あぁそうだったそうだった、登らないとわかんないのがあるんだった。それでもこの疲れきった顔をみると、そんなこと関係なくそう思ってしまう。明らかに家でゲームしてるほうが似合ってるタイプだ。
少年の後を追うように僕も山を登る。
「君、中学生?」
話しかけていたのは僕も暇だったからかもしれない。話しかけられて初めて気づいた様子で、少年は僕のことをじろりと見た。見ず知らずの他人だ、警戒するのも無理はないだろう。
「僕も中学高校と山岳部でね」
僕は少年に人好きのする笑顔を向ける。愛想笑いも随分とうまくなった。今じゃ面白くないことも声を立てて笑える。それがプラスになるかどうかは別として、一時期『特技の欄に書こうか』と本気で悩んだことがあったぐらいだ。
「はぁ」
少年はなんと言っていいかわからないのだろう。とりあえずそう答えた。無視されるよりはずっといい。
「他の子は? 先生達は先に行ったのかい?」
こくりと頷く。警戒心は少しだけ解かれたようだが、あまり人と話すのが得意ではないのだろう。目を見ればわかる。僕も昔同じ目をしていた。ひどい先生達だね、そう言って笑いかけると少年もぎこちない笑みを返した。
「この山は結構高いだろう。中学生には無理があるんじゃないか?」
少年は首を振った。
僕はほうと、驚く素振りを見せる。やせ我慢だろう、僕にも同じような経験があった。自分をダメなやつに見られたくなかったんだ。これぐらいの時は、何だって出来ると思われたかったし、思ってた。
「でもしんどいんだろう?」
わざときいてみた。あれだけ独り言でしんどいといっていた少年が、僕(他人)を前にしてなんと答えるか興味があった。尤も、無理でも「大丈夫だ」と答えると、僕は確信めいて質問したのだけれど。
驚いたことに、少年は首を縦に振った。
意味するところはしんどいと、そのままの正直なところだった。
何を驚いているのだろう。ありのままそう答えた少年に、僕は我に返りながら「そうか、頑張るね」と返した。少年は首を縦に振るだけで口を開こうとはしない。
そうして僕も、それきり喋りかけなくなった。
山頂についたのはもう太陽が沈もうかとしている頃だった。まぁ昼もだいぶ過ぎてから登り始めたのだから当たり前ではあるが、やはりこの時間帯の山頂からの眺めは物悲しいものがあった。
それが見たくて来たわけであるが、やはり何とも言えない寂寥感が胸にこみ上げてきて、近頃ゆるくなった涙腺を刺激する。
もう少し早い時間に登ればよかった。晴れ晴れとした青空の下、眼下に広がる新緑を見渡したほうが気分も晴れただろうに。気持ちいいんだか悪いんだかわからない感情が言葉にならずに抜けていく。きっと気持ちいいんだろうけど……。
少年とはもう別れていた。
途中まで一緒に登っていたが、そのうちにあまりにもペースが遅いので僕は一人先に来たのだった。あれでは置いていかれるのも無理はない。もしかしたら途中で諦めて帰ったかもしれない、そんな風なことも十分に考えられた。
長い木のベンチに座って僕はゆったりと夕焼けを眺める。自然僕の視界に仲間を待つ中学生の一団が集まっているのが見えた。
「遅いわ〜ほんま何やねんあいつ」
「俺ら着いてからもう十分以上たっとるで」
「はや帰りたいのによぉ、何でまたなあかんねん」
随分辛辣な言葉が囁かれている。まっすぐで、正直な少年達の気持ちだろう。そわそわして落ち着きがないのも、苛立ちを紛らわせるためか。
夕焼けがまぶしいぜちくしょい。
耳に届く少年達の陰口をどれほど聞いていただろう。太陽がついに山に引っ付きそうになったぐらい、あのでっぷりとした少年が山頂へと姿を現した。
「あっ、来たで!」
「ぼけ、遅いんじゃ」
集まっていた少年の一人がへろへろの少年に走りより、ヘッドロックをかます。飛びつかれた少年ともども二人はその場に倒れた。
「そんなん言うたって、みんな早いねん。しんどいっちゅうんじゃ」
少年も口を尖らせる。取り越し苦労だった、どうやらいじめられているんじゃないみたいだ。
「ホンマお前ヘタレやなぁ」
「ヘタレ言うな」
そんなことを言いながらもう帰ろうとしている少年達に目を丸くする。
「景色はいいのか? そりゃ君達は十分堪能したかもしれないが、その子は今来たばかりじゃないか」まるで部外者なのに僕はそんなことを叫ぼうとしている自分に気づき、思わず上げた腰を下ろす。少し熱くなっていた自分をなぜか笑えなかった。
そうして帰り始める少年達。暗くならない内に僕も帰ろうかな。そんなことを何となく思った瞬間、彼らの声が聞こえた。
「あ、鷹や鷹」
鷹? こんな山に?
「あほか、こんなとこに鷹やおらんわ。あれ鴉や」
帰り始めた少年達の会話を耳に僕も目を空に向ける。確かにそこには鷹じゃなくて、黒い鳥が一羽飛んでいた。
『大丈夫か? しんどかったら言えよ』
『はい、大丈夫です』
『君は文句も言わずによくやるなぁ』
『いえいえ、そんなことないですよ』
――そんなこと、ないですよ
少年達のざわめきが聞こえなくなるまで、僕はずっと顔を天に向けたままその黒い鳥の姿を追い続けていた。
間違いなく鷹じゃない。けれども、
鳥が翔んでる。
優雅に翔んでる。
それだけをじっと見つめて、大きな皮製の登山靴を飛ばしてみる。何とはなしにやったつもりが、随分と勢いよく飛んでいった。
宙を舞って地面に落ちるまで、ゆっくり夕日を浴びて回転する。
暫くして、とは言ってもほんの数秒のことだったんだろうけど。
僕の視界の中じゃスローモーションで流れてた映像が終わりを迎えた時、
ぽん、と地面に綺麗な着地。靴を飛ばしたほうの足がスースーした。
「あれ鴉やって。鷹やったらあんな必死に飛んでへんっちゅうねん」
少年達の笑い声。僕も笑った。
――明日は汗を拭くタオル、忘れないようにしないと
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2005/06/05(Sun)00:50:49 公開 / 影舞踊
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■作者からのメッセージ
非常にヤバイなぁと思いながらの投稿です。
まず連載のほうが全く進んでおりませんが、諸事情でそろそろ更新できますのでお詫びとともに一応ご報告。
次にこの作品について、影舞踊の脳内が『中途半端』なショートモードに入りそうで微妙なこの頃、書いてみたわけですが……う〜ん。どうですか?(苦笑 【どこか一つの山場】と【テーマをはっきりと示しすぎないこと】、それから【読みやすく纏まっている】か。自分なりに考えて書いたのですが、その結果なんか今までと違う感じになった気がします(笑 うまくいっていればいいのですが、その可能性はないに等しいです。書き続けると、止まらなくなりそうなのでそろそろ黙ります。
お読みくださった方、本当にありがとうございました。貴重なお時間、無駄に過ごしたとお思いになられなければ嬉しく思います。自分で言うのもなんですが、拙い作品で誤字もあるかもしれません。(その場合はすみません
感想・批評等頂ければ幸いです。
誤字と指摘された箇所をちょこっと修正。バニラダヌキ様に指摘されたラストのいくらかの『』部分。全部消せばいいのか、それとも行間をなくせばいいのか、いい方法が分からなかったのでそのままであります。それと、冒頭はとりあえずそのままです。(我侭をお許し下さい