- 『-Hearts&Soul- 光と闇の鎮魂歌 【11】 完』 作者:チェリー / ファンタジー ファンタジー
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全角44202.5文字
容量88405 bytes
原稿用紙約129.9枚
【プロローグ】
潮騒が聞こえてくる。あたりは花が咲き乱れ、草原がひろがり、心地よい風がおだやかに頬を触れてわたっていく。海は遠くに、とても遠くに、しかし確かにある。花びらが舞い散る中、ひとりの少女が立っていた。長い、艶やかな髪がなびいてきらめく。髪をかきあげ、少女はただ遠くを見つめる。白いうなじには陽光に輝く首飾りがゆれる。
少女は大切ななにかを、とても大切ななにかを忘れているような気がしていた。
――思い出さないと
そう、思い出さなければならない。絶対に。そうでなければそのなにかを失ったまま時間を過ごしてしまう。
――そのなにかとは?
少女は表情をすこし下へ傾ける。きれいな花が咲いている。その花を憶えている。しかし、思い出せない。
――なぜ?
この花もとても大切な何かの一部分だと思う。思考にぼやける一人の青年の表情。笑顔、それ以外わからない。ずっとここで考えていた気がする。ついさっきここに着たのに。ずっとである。そう、永遠のような。永遠であってしかし一瞬であるような。変わった感覚が少女を覆う。
舞い散る花びらの一枚を少女は手でそっと掴む。新鮮な、とても触っていて心地良い感触。不意に、風が強まって舞い散る花びらが風にあおられていく。少女の黒髪もあおられていく。少女はそっと手を広げて手の中にあった花びらを風に乗せる。
「みんなといるのがいいよね?」
私が掴んでいてはその花びらは“みんな”と離れ離れ。あの花びらは私?まわりには誰もいない。草原と花たちしか。遠くの海には?おそらくいない。根拠はない。しかしわかるのだ。
――ここの世界では私はひとり
ではみんなのもとへ帰る?しかしあの“なにか”を思い出さないといけないようなきがする。それまでここにいなければ。思い出さなければ。少女は不安そうに胸に手を当てる。空を見上げてみた。雲ひとつない大空。
少女は視線を戻して、海へ。なにもないことはわかっている。しかしどこか逝かなければ。このまま時を過ごすのは無駄である。
歩むたびにやわらかな感覚を感じる。草木が豊富に茂っているため土を踏む感触が感じられない。しかし草木を踏むということは少々嫌な気がする。なにか生命を痛めるような感じだが地面全てを覆っているため仕方がない。
海は輝きを放ち、星達が舞い降りたように綺麗だった。透き通る青。魚達が、生命が泳いでいる。―――ここではない。“なにか”を思い出すにはここではできない。やはり先ほどの場所でしか。
――再会を誓ったあの場所でしか
・・・・・・再会?ふと頭をよぎるその言葉。私は誰かを待っていた?
―誰を?
おそらく大切な人。愛し合うことを誓った人。私が心から求める人。名前、名前、名前、名前、名前、名前。
―――――思い出せ
思い出さなければ。思い出せ!思い出すんだ!とても大切なことだ。失ってはならない。絶対に。
―思い出せ―
【1 婚儀】
少女は目を覚ます。どれくらい眠っていただろう。眠気が冴えていた。きちんと睡眠をとったからだ。装飾が施されている天井。金をかけたくせに見ていてとてもつまらない。少女は上体を起こす。すこし頭をおさえて目を閉じる。今見た夢を鮮明に思い出した。
・・・・・・またあの夢か
最近よく同じ夢を見る。草原、花びら、海、空。そして思い出さなければ、と考える私。夢とは不可解だ。一体なにを示しているのか?迷いでも出ているのか?
「・・・・・・今日は結婚式だから?」
そう、結婚式。私は迷っているからあのような夢を作ってしまったのだろうか。結婚という話がでてからあの夢を見るようになった。しかしこの結婚は望んでいたものだ。お見合いのようなものだが、相手とはすこししか会ったことがないがとても彼は私が望む人だ。そのほかにもいろいろある。
「おはよう。アーシュ」
扉の前には少女が一人立っていた。いつのまに入ってきたのだろう。気づかなかった。
「ええ、おはようエイナ」
エイナ――金色の髪が肩まで落ちていて、ゆったりと襟元を覆っている少女。まだ17歳。私と同じ歳だ。そして10年近くの付き合いの親友。
「今日は結婚式だね」
「ええ・・・・・・」
あの夢を見た後ではあまり言葉に元気さが宿らない。なにかあの夢をみると私はすこし落ち込んでしまう。なぜだろう?自分に、ましてや他人に問いかけてわかるものではない。
「どうしたの?アーシュ」
やはりエイナもすこし落ち込み気味のアーシュに気づいたようだ。
「ううん、なんでもないの」
首を軽く横に振って笑顔を見せるアーシュ。ベッドから出てカーテンを開ける。まばゆい陽光が飛び込んでくる。思わずアーシュは手で日陰をつくる。
「今日の結婚は国の関係を結ぶこともあるんだから、頑張ってね」
そう、結婚の相手はある一国の、ファンヴェルグ国国王の息子。結婚することで我がアルヴァンス国家とファンベルグ国は、この物騒な世の中を治めるに、両国を栄えるために共に尽くす忠誠を誓い合う。
そして私はそのアルヴァンス国家の王の娘。今日はおそらく国全体がお祭り騒ぎとなって祝福をするだろう。
「それじゃ、私は行くね。頑張ってね」
エイナは窓へ。そうか、窓から来たのか。よく考えればそれも当然だ。今いるこの場所は国の城の内部。そしてエイナは国の関係者ではない。一般市民だ。ちょっとしたきっかけで私達は知り合いになった。そのきっかけから今に至る。
エイナは窓を開けて軽く跳躍をする。窓からエイナを見守るアーシュ。エイナはトン、と木に飛び移り、塀へ。簡単に侵入できることはすごい。しかも飛び移ったその木は微動だにしない。葉も落ちず、これならだれか木にいるなどわからないだろう。
「さすがね」
アーシュはひとりベッドに腰掛けて深呼吸する。結婚・・・・・・。考えると緊張してくる。人生でとても大きな行事だ。これからの人生を左右する。幸せ?不幸?おそらく幸せの道を歩むはずだ。あの人は良い人―・・・・・・。アーシュはこれ以上考えるのをやめた。結婚を考えるたびに心臓の鼓動が激しくなっていく。
8時になればメイドが来て着替えやなにやらみんなしてしまう。あと30秒・・・・・・。
3・2・1・・・・・・
「おはようございますアーシュ様」
同時にメイドがドアの向こうでノックして言う。お見事。毎日正確だ。ロボットじゃないの?失礼だがそう思ってしまう。確かに現代機械が発展し、飛空艇やらなにやらできているがロボットはまだまだという感じだ。
「ええ、入っていいわよ」
「失礼します」
アーシュはメイドの手をかりながら普段着へ着替える。普段着、普通ならドレスと思われがちだがアーシュはあまりそういうものを着ない。なぜかというとやはり動きにくいことが原因だ。
半そでのローブと涼しい感覚のズボン。どちらも白、白でどこか清潔感を漂わせる。本当は町民のような服装が良かった。しかしそれでは王の娘としてのイメージが悪くなる、と父は言うのでこれが限界だった。肩には白く透けるマントをつけ、アーシュは食堂へ。
「おはようございます。お父様、お母様」
「おはよう」
金の髪を後ろにすべて流した父。王としての貫禄が普段からでも染み渡る。
「さぁ、席について。朝食を取りましょう」
母に言われてアーシュは席につく。メイドが運んでいく朝食。とても食べきれるものではないがかまわずメイドは運んでくる。理由は色々な種類を選んで食べれるためだ。まぁ、悪いが私はくだらないと思う。それよりも選りすぐりの料理が出たほうが私にはいい。
食事を終え、メイドたちはまだ食料が多く残っている食器を下げていく。まったくもってもったいない。アーシュは貴族の中では珍しい思考の持ち主だった。それもやはりエイナが影響しているだろう。
「それで、今日の婚儀だがな。今は街に他国にいた、この国を敬愛している町民や種族たちが続々とここへ向かっているというからすこし騒がしくなっている。婚儀は予定よりも遅く開かれるだろう」
心臓の鼓動がすこし騒がしくなってくる。結婚を意識するとなにかこころがそわそわしていく。
「失礼のないようにね。きちんと化粧もするのですよ」
「はい、わかっています。父上、母上」
そしてアーシュは食堂を出る。また自分の部屋へ。エイナが出て行った窓とは別の窓を開いて街を見る。石造りの建物が立ち並び、多くの町民が街を歩いている。なかには風船を持っているのも少なくない。
「メイクの時間です」
ふとメイドがまたドアの向こうから呼びかける。そしてアーシュは婚儀の準備へ。
婚儀は街のそとで行われる。新郎と新婦が街の中心部へ向かい、城へ向かうのだ。城への道を“ホワイトロード”と呼ばれ、そこは新郎と新婦のための城への通路が確保されている。神聖な道だ。
アーシュは父と母と共に町の中心部の広間に来ていた。アーシュは白いドレスに宝石を数十個使った冠をつけ、きれいに化粧をしていた。周りにはアーシュを守るべく兵士達がいる。もうすでに町民達が集まってきている。かなりの数だ。みな笑顔で祝福してくれている。アーシュは笑顔で手を振って応える。
広間に飛空挺が降りてくる。わずかな風を発生させ、ゆっくりと着地する。パシュ!という音と同時になかから白い鎧を、しかし兜はつけていない青年が出てくる。銀色の髪の毛がわずかになびき、アーシュと目が合うとさわやかな笑顔を見せる。青年は一輪の花をアーシュに渡した。
「セイル・ファンヴェルグ。今あなたの元へ」
青いその目はアーシュの表情を自然と笑顔に変えていく。美しい、とても神秘的な瞳だ。アーシュの茶色がかった瞳とは違う。
飛空艇の中からはセイルの父と母、そして兵士達がそれぞれ出てくる。アーシュの父と母に頭を下げて、父と母も応える。
そして周りからは大声援が響き渡った。音楽隊がゆっくりとホワイトロードへ。ホワイトロードをゆっくりと行進していく。音楽隊のすこし後ろからアーシュとセイルはついていく。兵士達が町民達に足を踏み出させぬようにとしっかりと左右にまわっている。
アーシュとセイルは町民達の声援に応えて笑顔を振りまく。町民は皆笑顔だ。祝福してくれている。かれらに応えるべくこれから彼と幸せにならなければ。
町民達は石造りの建物の2階からは白や赤い花びらを舞い散らせる。ホワイトロードを花びらがうっすらと覆う。とても神秘的に見えてくる。
そして城の前に行き、音楽隊は左右へ別れる。用意された台座に上がり、アーシュとセイルは誓いの口付けへ。近くには貴族達が集まり、すこし奥では町民達がいる。彼らに手を振り、ふたりはゆっくりと口付けを交わした。大声援が響き渡り、花火が空へ。音楽隊の音楽もさらに活気が見られる。
「これからの幸せの道を。あなたに」
誓いの口付けを終え、セイルはそう言った。これ以上ないというほどの笑顔。アーシュの手を握った。
「ありがとう。私もあなたに幸せを」
【2 旋律と戦慄】
しばしの時が過ぎ、しかし街はにぎやかさと光を保ちながら夜を迎える。酒場などの店からは歓喜の声が飛び交い、どこも昼間と同じくらい盛り上がっていた。
アーシュはバルコニーにいた。動きやすい薄く、すこし足首までくらいの長さのドレスに着替えていた。これの色は白。今日のような日はほとんど白いものしか着ない。白は純粋を意味させるものだからだ。アーシュ自身その意味が大好きで着ている。
夜風ですこし冷え込んだ手すりに手をつき、街を眺めた。街の建物はどこも光が漏れている。まるで夜空の星達が舞い降りたようだった。すこし冷えた夜風はアーシュの頬に触れ、後ろへ。髪がすこしだけなびき、アーシュは心地よさそうに髪に触れる。
結婚した。・・・・・・わたしは結婚したんだよね。
うれしさから笑みがこぼれてしまう。女性なら誰でもあこがれる婚儀、そして誓いの口付け。ふと手すりにおいていた左手を離し、唇に指で触れる。あのときの感覚がまだ残ってるような気がした。
広間からはバイオリンなどの美しい旋律をかなでる音楽が聞こえてくる。広間では貴族達が踊りを楽しんでいる。誘いがあればアーシュも踊りに行くだろう。アーシュはすこしこのようなひとときを味わいたいと思い、隠れてここへ来たのだ。
「踊りませんか?」
ふと後ろから声が聞こえてきた。アーシュはすこしだけ体を後ろのほうへ向く。声の主はセイルだった。セイルは手を差し出す。
「あなたと踊らなければ今宵は満足できません」
アーシュはその手に手を重ねる。すこし夜風で冷えたその手にぬくもりが触れる。すこし心臓の鼓動が騒がしくなる。セイルと踊るとなるとなにか緊張を感じてくるアーシュ。
セイルと共にアーシュは広間へ。光が反射して装飾が輝きを放つ天井、赤い花の刺繍が所々にはいったカーペットが視界に広がる。貴族達が軽やかな足運びで踊っている。これではなにか浮いてしまいそうで不安なアーシュ。
「ダンスはどれくらいのご経験が?」
「たしなむ程度です。といってもうまくありませんよ?」
本当はたしなむ程度以下である。まぁしかしあまりうまくないと言っておいたので良いだろう、と思うアーシュ。しかし周りがうまいので緊張と不安が増大する。
「はは、大丈夫ですよ。私もそううまくありません」
セイルは笑顔で言った。セイルとアーシュは踊る貴族達の中へ。リズムを合わせて二人は踊りだした。
セイルの踊りはかなりのものだった。どれくらい?それはもうアーシュの想像を超えた、楽しくなるような踊りだ。軽やかな足運び。セイルはアーシュの耳元で足を動かすタイミングや位置を教えてくれるのでアーシュ自身うまく踊っているように見えた。いつもなら足がほつれてころんでしまうが今日はどうだ?流れるようなダンス。まるで風のように踊っている。
いつのまにか貴族たちは隅に引き、アーシュとセイルの踊りを観ていた。皆が見ているということでアーシュは先ほどよりも緊張が増す。
「さぁ、力を抜いて。大丈夫です。うまいですよ」
セイルが耳元でそうささやいた。音楽もそろそろ終盤。そしてアーシュはセイルの腕をくぐり、沈むように体を背中から落とす。そこへセイルの腕が伸び、アーシュを支える。ここでちょうど音楽が止み、最高の終幕を演じた。拍手が飛び交った。セイルはアーシュを起こしてふたりは貴族達の中へ。拍手がさらに大きくなった。
セイルは父と母に呼ばれ、「失礼しますね」と一言言ってその場を離れた。
所々から拍手に紛れてアーシュとセイルを褒める言葉が聞こえてくる。しかしそこへ意外な言葉が聞こえてくる。
「まさかあんなに踊れるとは思いませんでしたよ。アーシュ様」
貴族達の中から4人の男女が現れる。正装だが貴族達とは違う雰囲気を放つ。彼らは貴族ではないのだ。
「わ、わたしだってやろうとすればできるのですよ?えっと・・・・・・」
「また忘れたのですか。まったく、アスティーダですよ。そして左から、レン、キリッシュ、ジェス、ラーフルド」
と、アスティーダは指を差しながら名前を言っていった。まぁ名前を忘れることも仕方がない。彼らとは半年に一度話すくらいだから。彼らはアーシュの護衛たちである。しかも護衛の中でも4つの部隊のそれぞれの隊長たちだ。
「ご結婚おめでとうございます。」
長い黒髪が襟元を覆う女性――レン。鋭い瞳がなんとも印象的で彼女は憶えていた。レンは頭を下げた。
「あい、と。これ渡しとくぜ」
青年キリッシュ。銀色の長髪で長身の青年。セイルと同じ地の者だと髪の毛からわかる。キリッシュはにこやかに銀色の装飾が施された、そして美しく輝きを放つ鞘に納まった剣を渡した。
「あんたのために作った剣だ。剣技はうまかったよな?」
そしてキリッシュの影にいるジェス。無表情で、アーシュと目が合うやかるく頭を下げるだけだった。隊長宿舎に遊びに行ったときもこういう感じだ。大人びた顔立ちでレンよりも鋭い視線がクールさを感じさせる。女性兵士達にはかなり人気だ。
「はっは!じゃ俺からはこの花を!王女」
ひざをついてラーフルドは花を差し出す。お調子者の正確なため行動もまったくもってこんなことばかりだ。
「・・・・・・一応受け取っておきます」
お調子者のラーフルドは顔が良くても性格が女性達を逃がしてしまう。なんとも複雑な人だ。しかしこの花・・・・・・。所々にある料理を置いているテーブルの花瓶に挿していた花ではないだろうな?ちょっと似ている気がする・・・・・・。
「みんな、ありがとう。私はちょっと疲れたから部屋に戻ります」
そう言ってその場を後にするアーシュ。広間を出たあとの廊下は少々暗く見える。アーシュはすこし疲れたのかゆるやかな足取りで部屋へ。月光でわずかに照らされた部屋。起きた後と違い、ベッドはピシッと整えられていた。
「う・・・・・・ん?」
部屋に入るや、視界がぼやけ始めた。疲れからか?そう思ったアーシュ。すると今度は眠気が襲ってくる。体の力が抜け、足取りも重くなり、アーシュはなんとかベッドに近づいてベッドに倒れこんだ。そしてまぶたを開けることも困難になり、目を閉じてしまった。きっと疲れがどっと押し寄せたのだ。そう、アーシュは思っていた。
――“賢者の遺産”はやることはできん!――
おぼろげに目の前に男性が現れる。すこし歳がいったような声。どこかで聞いたような気がする。そしてなにか輝いたと思うとその男性は胸を剣で貫かれた。剣からは血が流れ、床をいっそう赤く染めた。
「な、なに!?」
アーシュはベッドにいた。あの時の倒れたままの状態だ。すこし眠ったようだがそう時間はたっていない。部屋の中は薄暗く、月光も輝きを保ったままだ。ただ、なにか騒がしい。扉の奥からはダダダと走るような音が聞こえる。アーシュは部屋をでて様子を伺った。数人の兵士達の流れについていくと、一室へついた。
ふとなにか鼻をつくにおいを感じるアーシュ。血の匂い?よくわからないが嗅いでいてあまり心地のいいものではない。兵士達は中へ入っていった。アーシュは影で中を覗いてみるとそこには驚愕の光景が広がっていた。床に大の字で倒れている男性。胸には銀色の装飾が施された、そして美しく輝きを放つ鞘に納まった剣が――アーシュの剣が刺さっていた。
現場を兵士達は調べまわる。この部屋はセイルの父のために用意された一室である。壁には有名な画家の絵が飾られており、天井にはおおきなシャンデリアがある。そのほかのもアンティークの飾りなどでここにいるだけでよい気分になる部屋。しかし今では血痕が生々しく残り、月光により血塗られた剣が輝く殺人現場であった。
これは夢に見たのと同じ状況だった。胸に刺さっている剣。あの声の主はまさにセイルの父であった。唇が震えていく。手も、足も、すべてが恐怖により震えていった。もう立つこともできなくなり、床に座り込むアーシュ。よくみると部屋の隅にはセイルと、その母がいた。セイルの母は顔を手で多い、涙を流していた。セイルはただ、胸を貸して亡き父を見つめる。
「アーシュ様?」
するとアスティーダたちがやってきた。この部屋に呼ばれたのだろう。
「あ、あ・・・・・・そ、その」
口がもううまく回らない。アスティーダたちは部屋を覗くや、表情を変える。セイルの父が死んだこと、しかしそれよりもその父に刺さっている剣を目にしたことで驚いた。
兵士達はアスティーダたちを中へ呼び、いろいろと話を伺った。アーシュはいても立ってもいられなくなりその場を逃げるように立ち去った。
――私じゃない!絶対にやったのは私じゃない!
【3 宣告】
アーシュは部屋へひとり戻ってただただ空を見つめていた。あのときのことを頭の中で繰り返して思い出す。部屋の中に入って、そこで眠気が襲ってきた。そのあとはベッドに倒れこんだ。――剣は?持ったままだっただろうか。それとも眠気が襲ってきたときに無意識に手放してしまったか。
しかし部屋の中にはあった。だれかが侵入してその剣をとり、セイルの父を殺した。そういうことでしかありえない。あの夢は?おそらくなにか予感などの類で見らさったのだろう。
アーシュは両手の手の平を広げた。見つめるその手は普段と変わりない。血塗られてもいない。剣を振るった感覚もない。
「失礼します。アーシュ様おられますか?」
扉の奥から声が聞こえてきた。兵士の声だ。おそらくセイルの父の件でのことであろう。アーシュは兵士が扉を開ける前に自ら扉を開けて兵士の元へ行った。4人の兵士が待っていた。セイルの、ファンヴェルグ国所属兵士のようだ。よろいの胸部分には紋章が彫られていた。十字架に花びらが渦巻くその紋章。アーシュはセイルの表情が浮かんだ。
「賢人聖法廷が開かれます。調査はもうすこしかかるということであなたには法廷門へ共に来て頂きたいのです。ご無礼をお許しください」
「いえ、良いのです。行きましょう」
賢人聖法廷――賢人と呼ばれる制裁を下す者たちが善人か罪人かを判断する場である。どの国にも属さないため彼らの判断は正しきものと言われており、過去約3000人の者達が裁かれた。
アーシュはアルヴァンス国の中央に設けられてる賢人聖堂に父と母と共にいた。あれから数時間が経っていた。アーシュは待合室にいた。狭く薄暗い部屋の中。わずかに揺れる天井につるされた3つのランプの火と窓からこぼれる月光だけが部屋を照らしていた。椅子が数個壁に沿うように並べられている。この椅子には約3000人の者たちが座って制裁を待った。アーシュもまた、その椅子に座っていた。
「アーシュ、賢人達は正しい判断をしてくれるさ。お前があんなことするはずない」
アーシュの父と母はアーシュに励ましの言葉をかける。セイルはいない。おそらく母の元にいるのだろう。
アーシュの心は不安でいっぱいだった。どんなに励ましの言葉をかけられてもその不安は簡単にぬぐえるはずがない。セイルとの結婚はどうなるのだろうか。それが一番心配だった。国のためにも結婚は重要な意味を持っていた。
もしかしたら、いや考えるのはやめよう・・・・・・。アーシュはふとこれからのことを考えたがすぐに考えることをやめた。
「アーシュ、そとで待ってるぞ」
父と母は待合室を出ていった。アーシュはうん、と一言言って見送る。木造の扉のきしむ音がわずかに部屋の中に響く。扉を開け、父と母が出て行くと、入れ替わりにエイナが入ってきた。エイナと目が合い、エイナは軽く笑みを見せる。しかし心配そうなその表情。
「・・・・・・なんだかすごいことになったね」
「うん・・・・・・」
アーシュはすこし顔を下に向けた。両手を握り、その手をもじもじさせた。アーシュの不安な様子が仕草からわかる。場に沈黙の空気がしばし漂う。
「大丈夫!アーシュが罪人だなんて考えられないわ。絶対誤解だよ」
「うん、ありがと・・・・・・」
そっけない返事が返ってくる。そしてまた沈黙が漂う。薄暗いせいか、その沈黙の空気は多大なものに感じるエイナ。
「また、ね」
エイナは思い足取りでその場を立ち去った。励ましの言葉をいろいろとかけたかったのだろうが、アーシュのあの様子では言葉をかけづらかったのだろう。アーシュ自身すでに返事に気力がなくなっいる様子から励ましの言葉をかけたとしても気休め程度にしかならない。この事件がもたらすさまざまなもの。もしも自分が罪人とされたら?考えないようにしようとしても脳裏をよぎってしまう。アーシュはすこし高い位置にある窓を見つめた。
漆黒の夜空。今日は星達が見えない。雲が空を覆っているのだろうか。それともただ単にここからは見えないだけなのだろうか。いつも見るあの美しい宝石がちりばめられたような空はなく、ただ漆黒の空が見える。夜空の美しさは心を癒すが今日に限って漆黒でしかない夜空はアーシュの心を晴らすことはない。アーシュは視線をまた落とした。
出口とは別の、法廷へのドアから兵士が入ってくる。カシャンと歩くたびにわずかな鎧の音が聞こえる。アーシュは開けられた扉の中へ入った。
賢人聖法廷にはいったアーシュ。薄暗く、壁は青と黒が混ざったような色の部屋。アーシュの後ろには扉と兵士数人が、そして前には顔の大きさくらいのなにか白いボールのようなものが孤を描く壁に6つ取り付けられている。この部屋は上から見ればおそらく丸い形なのだろう。待合室への扉さえもすこし孤を描いていた、アーシュはこの部屋の中央に立った。
白いこの球体、父が昔話していたことを思い出した。賢人達は名前も顔も明かさず、法廷では“スフィア”というものを通じて法を下すという。ワイロは不可能。すりかわることも相手がわからないため無理。完全な、正しい法を下すためであり、賢人自身の身を守ることでもこういう方法を用いられている。
「始めようか」
声が聞こえてきた。すると白い球体が光りだす。声はそこから出ているようだ。アーシュの心臓の鼓動がすこし高鳴る。
「アーシュ、キミが部屋に戻った後、セイル氏の父ダルスも部屋へ戻った。これについてはなにか述べることはないか?」
しかしセイルの父ダルスが部屋に戻ったことなどアーシュは知らない。アーシュが先に広間から出たのだから当然である。おそらく賢人達はアーシュがダルスを呼んだ、もしくは会う約束をしていたと思っているのだろう。
「私は・・・・・・部屋に戻って、その時眠気を感じたのでベッドに眠りました。そして――」
賢人の一人がその続きを引き取った。
「起きたらダルス氏は死亡していて剣はダルス氏の胸に?」
「はい・・・・・・」
アーシュは顔をすこし下に向けた。不安がまた増大する。あきらかに賢人達は疑っている。賢人達はすこし沈黙をおいて話し始める。
「キミが眠っていたということを 証明するものはない。そして、キミのベッドからはナイフが見つかった」
ナイフ!?アーシュは顔を上げて驚愕した。そんなものがあったことはアーシュは知らない。これは誰かが仕組んだ罠、アーシュはそう思い、否定しようとした。
「それは――」
しかし賢人に言葉を遮られる。
「私の推測ではキミはそのナイフを使おうとしたが、キリッシュ氏に剣を貰い受けたのでそれを使うことに変更した。その剣なら相手を脅す良い武器になる。ナイフなら怪我のひとつでも覚悟すれば奪い返せるものだ。ダルス氏自身兵士としての訓練を経験している」
「兵士からは目撃証言も出ている」
「――私は部屋から出ていません!」
――殺した理由は何だ?
――目的は?
――一体なにを考えているのだ?
賢者達はもうすでにアーシュの処置を決めていた。アーシュを罪人と対処した質問。すでにアーシュには弁解の余地さえも与えられなかった。どの質問にもアーシュは言葉を詰まらせてしまう。わからないことを聞かれれば当然のことだろう。
「信じてください・・・・・・」
アーシュはただそれしか言えなかった。流れる涙。声は震えてただそれしか、ほかにはもうなにも言えない。
「話す気にはならないか・・・・・・。大女神スダーナへの誓いはどこへいったのだ・・・・・・」
落胆する賢者達。アーシュの今までの印象は崩れ、もう罪人アーシュという印象に変わっていた。
「アーシュ・アルヴァンス。七日の拘束後、死刑を処す」
【4 脱走不可】
「ま、待ってください!」
アーシュは叫ぶが白い球体の光はすでに消えていく。叫び終えた頃には怒りは消え、ただアーシュの声だけが空へ消えるだけだった。兵士達がアーシュを囲んだ。持っている槍がアーシュを威圧する。
「罪人アーシュを連行する」
アーシュは冷たいてつの手錠をかけられる。わずかに肉に食い込みすこし痛い。王家から罪人になれば対処も愕然と変わってしまった。待合室とは別の扉から出るアーシュ。7日の拘束、そして死刑。これは最級高大罪である。拘束場所は各国にひとつだけある“永獄悲罪宮”に送られる。
アーシュは顔を下に向けたまま歩く。この先などもうすでにわかっている。見る必要もない。ただただ直線の通路。地下を通って街の外にでると“ 永獄悲罪宮”がある。地面や壁、そして孤を描く天井はレンガによって覆われている。所々ヒビが入っていることからあまり手が付けられていない。一定に天井につるされた古ぼけたランプと壁にかけられている松明だけが通路を照らす。通路の幅は大体2メートルくらい。アーシュの左右に兵士が2人ずつ並び、アーシュに合わせて歩く。
アーシュの表情はもう心が抜けてしまったような、悲しみに満ち溢れていた。アーシュの思考も、なにも考えられずずっと真っ白なままだった。通路内には手錠の鎖の音と、アーシュと兵士の足音が響く。
兵士達はさぞうれしかろう。彼らはファンヴェルグ国所属兵士。同国兵士では脱走をさせてしまう可能性があるために兵士が返られた。自分がしたことを悔やめ、という感じで彼ら兵士は時々横目で見る。“永獄悲罪宮”の一日は生き地獄である。一日の食事は一回。4畳くらいの石造りの部屋。窓はなく、一日中沈黙と暗黒、そして孤独が取り巻く。面会はない。一度入ったら最後、次に光を拝める時は死刑の日だ。
どれくらい歩いただろうか。途中、背後からかすかに足音が聞こえる。一人の兵士はその足音に気づいて後ろを振り向いた。ここの通行は兵士4人と罪人しか現在は通行を許可されていないはずだ。足音が聞こえるのはありえない。気のせいかと思うが念のために確認する。
「な、何!?」
振り向いたとき、そこにはふたりの男女がいた。男性は槍を奪って兵士の頭を兜ごと殴り気絶させる。女性も同じ行動を取る。
「何者だ!」
そう叫んだ時には不意をつかれ、叫び終えるごろには地面に倒れこんだ。風がかすかに発生し、松明やランプの火がわずかに揺れる。そのため、アーシュは振り向いて顔を確認しようとするが誰なのかわかりづらい。
「アスティーダと・・・・・・レン?」
火も落ち着いて回りがはっきりと確認できるようになった。アスティーダは何も言わず、アーシュの手を強引に引っ張る。バランスを崩しかけるが、なんとか持ちこたえ、アーシュは来た道を引き返すことになった。
「な、何を――」
アスティーダは強引にその続きを引き取って言う。
「馬鹿なことをしてる?ですか!?えぇ!馬鹿なことしてますよ!はい!私は馬鹿です!」
自らを馬鹿馬鹿とけなし、アスティーダはすこし駆けて戻る。レンは無言で兵士が来ないかずっと先を見つめていた。
「でも最初に考えたのはレンですよ!?ここに連れて行くときは待合の警備がすこしうすくなるし、外には弱い兵士が立ってるからすりかわろうってね!」
するとレンは腰に巻いている皮製のバッグから斧を二つ取り出した。刃についているカバーを外し、強引にバッグに突っ込む。敵がいるようだ。振りかぶって斧を投げつける。
ガギン!
奥でなにか鉄と鉄がぶつかり合うような音が聞こえる。すこし進むと扉が見え、扉の奥には肩に斧が刺さった兵士が倒れていた。「手加減したから」とレンはつぶやいた。斧は分厚い肩の鎧に食い込み、兵士はあまりの出来事に驚愕して腰を抜かしていた。
レンは刺さっている斧を回収してまた駆ける。待合室、そして聖堂、入り口、と行こうとするが入り口から兵士がやってくる。
「な、貴様ら!罪人を――」
兵士が槍を構えようとしたとき、兵士の胴と首が分かれた。ごろん、と首が床を転がる。どうはまるでマリオネットの糸が切れたかのように倒れた。
「お、おい・・・・・・」
さすがにこれはやりすぎではないだろうか。アスティーダはそう思ったのだが、戦場では当然のことのようにレンは繰り返していた。“首狩りのレン”それが彼女のもうひとつの名。邪魔になる敵とみなせば首を狩る。今は声をあげて援護でも呼ばれてしまうのが厄介だからだろう。
アーシュは口を手で覆って視線をそらした。あまりの光景に見ていられない。ごろごろと転がる首は隅の壁にぶつかって静止する。
「こ、殺さなくてよかったろ!?どうせばれるんだから!」
時間が経てば見回りの兵士がすり替わった兵士を見つけるであろう。それに“永獄悲罪宮”からいつまで経っても罪人がこないと連絡が入るはずだ。
「・・・・・・これは覚悟の証」
そう言ってレンは入り口ではなく上への階段へ向かった。どんなことをしてでも連れ出す、という意味をかねているのだろう。アスティーダとアーシュも後を追う。階段を上がりながらアスティーダは耳に手を当てる。耳に小型の通信機をつけているのだ。
「準備はいいか!?」
なにかをするつもりらしい。しかしなにをするつもりなのかアーシュには見当もつかない。入り口から出ると兵士が来るということから別の道を選んだと思われるが、この先はただ屋上が広がるだけ。すると下のほうから声が聞こえてくる。
「上だ!」
「行くぞ!」
足音と声から10人くらい。まぁ罪人が逃げたとなると当然の人数だ。いや、少ないくらいであろう。
「ねぇ、やっぱり私戻るよ!捕まるとふたりまで――」
「はいはい、わかりました!疲れたのですね!」
話もろくに聞かずアスティーダはアーシュを肩に背負って階段を駆けていった。
「聞きなさい!命令です!」
アーシュは耳元で大声を出すがアスティーダは少々顔をゆがめて「後で聞きます!」と言うだけだった。できればこのままふたりにはどこかに隠れてもらい、兵士達の所に戻りたいアーシュ。このままでは捕まってしまう。そうなるとふたりとも、おそらく罪人と同じくらい重い罪が科せられる。それだけは嫌だ。アーシュはなんとか説得しようとするがアスティーダは耳を貸さず、階段をどんどん駆け上る。
屋上に出るとめいいっぱいに夜の街が広がった。ただ平で、街が見渡せるだけでなにもほかにはない。するとレンはアスティーダのほうに視線を向ける。アースティーダは目を合わせ、うなずいた。後ろからはもう兵士が来ている。逃げることは不可能。すると、アスティーダはアーシュの腕を掴み、走り出した。レンも走り出す。
「ちょ、ちょっと!この先は!」
この先は10メートル下の地面があるだけ。兵士達も追いついたようで後ろから声が飛び込んでくる。引き返すことはもうできない。かといってこの先へ飛び降りることなど問題外だ。しかしアスティーダとレンは足を止めない。
「待っ!――」
その時にはすでに空に。下から上へ風が駆け巡る。髪の毛が一気に猫の毛が逆立つように立った。
ゴオゥゥン
すると下になにか大きな影が現れる。もう地面についたの?アーシュはそう思った。しかし、それはあまりにもはやすぎる。一瞬で地面にはつくはずがない。ドン、としりもちをつくアーシュ。衝撃はさほどない。しかし尻はちょっと痛い。アーシュは手をつくとなにか機械のようなものがあたる。
「これは・・・・・・飛空艇?」
漆黒の飛空艇。月夜に輝くその飛空艇はアーシュたちを乗せて建物から離れる。兵士達は屋上からただ指をくわえて見ているしかなかった。
「よし!じゃ、行きますか」
そして飛空艇は夜の闇へ消えていった。
【5 王としてではなく】
「おーい!こっちこっち!」
隅のほうから声が聞こえ、アーシュたちは目をやると、船内への扉から手招きをしているラーフルドが見えた。ラーフルドの元へ行き、アーシュたちは船内へ入る。そしてブリッジへ行った。
ブリッジは結構予想以上に広かった。いや、余計な機械を取り入れていないのだろう。軍用となるとレーダーや双撃銃のコントロールパネルなどは場所をとる。
奥のほうには180度見渡せる大きな孤を描いた窓と、その目の前には機会に囲まれた操縦席。ジェスが座って操作をしている。ラーフルドは動かすたびにガラガラと音が鳴る鉄の箱を取りだし、中からなにか小道具を出す。
「ちょっと強引なやり方だけどいまはずすからな」
しかしアーシュは手を引っ込める。
「あなたたち自分がなにをしてるのかわかってるの!?」
「ですがあなたが永獄悲罪宮に入ったところで殺されることは目に見えてます」
アスティーダはそう言って操縦席のジェスの元へ。
「それに無実の貴方を永獄悲罪宮には私達は入れたくありません」
確かに殺されることは目に見えている。このような大罪にはもう暗黙の了解になっている。罪人は死する運命が当然。特に殺人を犯したものは殺されて当然。そういうものだ。遺族が賄賂を渡して頼み込むこともあると聞いたことがある。
「でも・・・・・・」
アーシュは言葉を詰まらせる。このままで良いわけがない。しかし・・・・・・、しかし無実を証明できるチャンスがあるというのならば・・・・・・。アーシュはその新たな道に身をゆだねたい。だが父や母はどうなるのか、アーシュは心配だった。
飛空艇は海の上を飛行している。漆黒に染まった海。アーシュは甲板でずっとその海を眺める。視線を腕へ。手錠の跡がまだうっすらと残っている。手すりに上体をゆだね、力を抜いてなんとも腑抜けたような格好をしている。セイルや父、母、貴族達、兵士達・・・・・・。いろんな人たちの顔が浮かんでくる。とくにセイル。結婚はやはり破棄されてしまっただろう。まだ報告は聞いていないがおそらくもうそうなっているはずだ。
「アーシュが脱走した・・・・・・?」
アーシュの父ハゼルは兵士から報告を聞く。まさか?と思う反面、どこか安心する。そしてもうひとつの報告は隊長5人が行方不明ということ。ハゼルは考えた。あそこを脱出することは不可能。出口の門の前には兵士が1人、そのほかに4人が建物を囲んでおり、一人ずつ10分ごとに中を見回る。ほかに中には一人おり、見回っている。窓はあるが通り抜けることなどできる大きさではない。協力者・・・・・・。
「それと、ファンヴェルグ国のセイル氏から通信が入っております」
「ああ、ありがとう。まわしてくれ」
ハゼルはテーブルにおいてある通信機に手を伸ばす。小さな照明がひかり、通信機を耳元へ。「私だ」と言って話を聞いた。
「私には・・・・・・どうすればよいのかわかりません・・・・・・」
亡き父のために復讐を選ぶか、それともアーシュのために“愛”を選ぶか。とてもセイルにはアーシュを殺すことなどできないのだろう。セイルは選択を迫られていた。国の隊長や国民達は復讐を望んでいる。アルヴァンス国との戦争を、という声も出ている。
「協力者は貴方の国の隊長達なんですね?」
「あぁ、そうだ」
ハゼルはなにも隠すこともごまかすこともせずに答える。
「私は、アーシュはあのようなことをするはずがないと思っている」
ハゼルは天井を見上げる。見てもなにも思わない装飾。アーシュがよく退屈するからなにも書かなくていいと言っていたことを思い出す。なにかを見るたびにアーシュのことを思い出してしまうはハゼル。娘をこんなにも大事にしている、親バカ・・・・・・そうかもしれない。ハゼルは視線を戻し、感慨深い気持ちになった。
「攻め込むことになるかもしれません・・・・・・。隊長たちはアーシュさんを見つけるべく・・・・・・。私にはもはやこうするしか・・・・・・」
セイルの気持ちは痛いくらいわかる。ハゼルもこのような苦渋の選択を選んだことがある。“復讐”それはかならず果たさねばならない。いつしかこの世に染み付いていしまった。特に王族ならばどんな方法でも、しかも相手国の王族ならば国を攻めるという案も出るだろう。
しかしハゼルは表情を微動だにせずに答える。
「私は、王としてではなく、父として国を、娘を守る」
そう言って通信を切る。攻めるというのならば迎え撃つしかない。戦争など最近はないが昔はよくやったものだ。どこの国々もやはり復讐から戦争へ発端することが多い。他国の兵士が王族を傷つけただけで戦争に発端したというのもある。
「王としてではなく・・・・・・父として」
最後にそうつぶやいてハゼルは部屋を出て何処かへ行ってしまった。
通信を切られ、セイルは頭を抱える。復讐は母も、国民達もみんなが望んでいる。とても一人の意見で止められるものではない。王の命令は絶対、しかし復讐という炎を命令という水で消すことなど不可能である。その炎は増大し続ける。すでに兵士達は準備に取り掛かっている。
どれくらいの被害が出るだろうか。セイルは考えた。ひとつの国が崩壊するかもしれない。相手国は隊長が不在、しかも戦力はこちらの3分の1にしか満たない。それを承知で守る、と言ったアーシュの父ハゼル。セイルは彼の強さをどこか知った感覚にとらわれた。あの言葉の重みをセイルは忘れなかった。
【6 セイルの誓い】
一夜明けて、しかしアーシュはまだ腑抜けたようなまま朝の光を向かえた。無実の潔白を証明するにはどうしたらいいだろうか、今頃国はどうなっているだろうか、いろいろと考えすぎて疲れてしまったアーシュ。ため息を漏らし、甲板でひとり海を眺めていた。
地平線、そして大陸、海、大空、見る限りほとんど青に染まった世界。アーシュはゆっくりと腰を上げ、船内へ戻った。3階建てになっている飛空艇、3階がブリッジ、2階が機械室、1階が居住ルームである。アーシュは居住ルームへ向かった。エレベーターに乗り、3階へのスイッチを押す。
今のところ、アスティーダたちのこれからの行動も聞いていない。無実の潔白など証明などできるのだろうか。アスティーダたちはなにがなんでも照明したい、とアーシュに話していた。
アーシュは居住ルームに入った。丸い酒場あるようなテーブルと椅子が所々に置かれており、右側のところには料理台が設置されている。奥には個室が設けられている。するとそこから声が聞こえてくることに気づいたアーシュ。だれかが話をしているようだ。聞き取れる声からジェスとアスティーダのようだ。
「・・・・・・彼女が犯人でないという証拠はあるのか?」
「それは、今に見つけてみせるさ!」
ジェスはどうやらアーシュを疑っているようだ。それも仕方がない。あれだけアーシュのことを証明する材料がそろっていれば、しかもベッドからナイフまで見つかったというのだから。
「・・・・・・国も今は危険な状態にあるだろう。私は目の前の真実にだけ目を向ける」
アーシュはジェスが出てきそうなので物陰に隠れた。ジェスは個室を出てエレベーターに乗って行ってしまった。アスティーダはまだ個室を出ない。
「アスティーダ・・・・・・」
アーシュは個室に入った。背を向けているアスティーダ。アスティーダは声を聞くと振り返った。
「聞いて・・・・・・いたんですか?」
「うん・・・・・・。これからどうする気なの?」
国もやはり危険な状態、それなのに自分のためにこんなことをしていいのか、アーシュはできれば国に戻ってほしかった。
「それについてですが・・・・・・」
アスティーダは通信機を取り出した。なにか打ち込み、どこかへ通信をつなげる。アスティーダはアーシュに通信機を渡した。
「アーシュか・・・・・・?」
通信の相手はどこかで聞き覚えがある。場所が離れていることから通信の声が聞き取りにくい。しかし、アーシュはすぐにその相手がわかった。
「ち、父上!?」
「・・・・・・いろいろと大変だろう。国のことは私に任せておけ。お前は無実を証明するために動いていればよい。とりあえずは“ルクセンブド”に向かえばいい」
ルクセンブト、武器の生産が盛んな国だ。アーシュは行ったことがないので詳しくはわからないが。なんていったって海を越えて行かなければならない。時間もかなりかかるため観光で行くには少々骨が折れる。
「あのベッドにあったナイフはその国でしか売っていないらしい。調べてみるといい。アンジェリーナはすこし体調を崩してな、すまないが通信にはでれない。がんばれ」
「はい・・・・・・ありがとうございます父上」
父にありがとうというのは久しい。アーシュは思わず涙をこぼした。通信を切り、アーシュはアスティーダに泣いている事を知られまいと顔を壁のほうに向けて、涙をぬぐった。
「それとエイナっていう子が連絡ほしいって言ってました。なんだかレンがあのときに会ったらしくて伝言を頼まれたようです」
アーシュは紙切れを受け取る。随分くしゃくしゃになっている。まぁエイナらしいといえばエイナらしい。アーシュは通信機に打ち込む。
「盗み聞きしないでね」
アスティーダはそれを聞いて、笑顔を見せながら個室を出て行った。
「終わったらブリッジに来てください」
通信が入った。アーシュは問いかけてみるとと声が飛び込んでくる。
「心配したんだよ!?いまどこなの!?」
エイナの声、もう10年以上聞いていないように思えた。どうやら通信機を借りてずっと待っていたらしい。借りるのもかなり大変だったようだ。心配してくれるエイナ。アーシュはこのような親友を持ってうれしいと思った。
「こっちはこっちで明日にでも戦争が起こるらしいの・・・・・・」
はやり戦争は行われるようだ。アーシュは心に罪悪感を覚える。自分のせいで戦争になる、おそらく死者も出るでるだろう。
「ごめんね・・・・・・。わたしのせいで」
「なに言ってんの!アーシュは無実を証明するために動いてればいいのよ。こっちは任せて」
そしてしばらくふたりは会話をする。エイナは町の人たちのことを話した。
「みんながアーシュ様は無実って言うのよ」
エイナはうれしそうに言う。街では今回の事件はもう毎日話されていた。誰もがアーシュは無実を証明するためにあそこから逃げたのだろうと語る。
「だから、アーシュ。頑張ってね」
エイナにそういわれてアーシュは思わず涙を流す。慌てて目をぬぐうアーシュ。最近涙もろくて駄目だなぁ・・・・・・。そうアーシュは思った。国民達は誰もがアーシュを信じている。アーシュはうれしく思った。
「うん・・・・・・頑張るよ」
そして通信を終える。アーシュは個室を出て近くにあった椅子に座り込んだ。木でできていてあなりすわり心地は良くない。テーブルも木でできている。まわりの物と雰囲気が合わない。
結婚・・・・・・。あこがれていてようやくかなったと思った。しかし、今はもう破棄されてしまっただろう。仕方がない。しかし誰がどのような目的であのようなことをしたのだろうか。それもかなり計画的である。ベッドにナイフまで隠すということは王家の可能性が高い。セイルのファンヴェルグ国の王族も最近はこちらに来ることが多かった。それにほかには“ラーダス国家”も来ることが多い。彼らはなにかハゼルにようがあって来ている。やはり王族の犯行という線が高い。
アーシュはすこしいらだってくる。なんていったってこれによって結婚も破棄になり、人殺しにまでされたのだから。そう思うとアーシュは席をすぐに立った。ルクセンブドにはやく向かってなにか手がかりを探さなければ!と思った。
「絶対に見つけてみせるんだから!」
アーシュの心はまるで炎のように揺らめいていた。
「セイル様、どうかご命令を」
隊長4人がセイルの前に立っていた。それぞれ武器を持ち、セイルの一声で全てが動く。しかし、セイルはためらってしまう。そのたった一声、どれだけ重いものだろうか。もはやその一声はこれからの運命を左右する。
「この戦争が終わり次第、貴方は正式な王となります。貴方の母上はそう申しています」
セイルはしばらく視線を落として沈黙する。重い腰を上げてセイルは広間へ、総勢3000人の兵士が待っている広間へ向かった。隊長たちもセイルについていく。セイルは広間を見渡せるところへ。4000人の兵士達がセイルを見上げる。セイルは右手を前に出して広げて言う。
「我らの王の復讐を果たすために、大女神スダーナへの誓いを立てた者は進みだせ!」
兵士達は咆哮のように叫び、剣を手にして空へ高く上げる。セイルは腰に下ろしていた剣を手にすることはなかった。普通なら剣を前に出すものだ。それが彼の抵抗の表れなのだろうか。
隊長たちは兵士達を引き入れるために表へ向かう。セイルは一人、兵士が少なくなっていく広間をただ見つめる。この剣はなんのためにある?人を傷つけるためか?・・・・・・いや、私は大女神スダーナには“人々を守るため”にこの剣を手にすると誓った。セイルはその誓いだけは守る。だから剣は手にしなかった。戦場にも足を運ばないだろう。
ふと空を見てみる。鳥達が空を優雅に飛んでいる。しかしすぐにこの鳥達はいなくなってしまうだろう。そろそろ飛空艇が動き出す頃だ。鳥達は恐れてどこかへ行ってしまうだろう。セイルは婚儀の時を思い出した。アルヴァンスの国民たちは笑顔で迎えてくれた。その彼らの笑顔を自分の手で消し去ってしまう。セイルの心には罪悪感が芽生える。
「くそ・・・・・・」
セイルはそういい残してどこかへ去っていった。そのセイルをじっと見つめる一人はセイルが見えなくなると同時にどこかへ消えていった。
【7 ハートに火を灯そう】
ハゼルは空を見ていた。鳥達が優雅に飛んでいる。鳥達はとても役に立つ。飛空艇を避ける習性があるので戦争の時にはよく空を見上げる。バルコニーの手すりに手を当てて、しばしなにもせずに時を過ごしていた。陽光に照らされてすこし暖かい。あの夜アーシュもバルコニーにいたらしいがなにを考えていたのだろう。ハゼルはふとそんなことを考えていた。ハゼルはすこしにごった銀の鎧を着て、腰に長剣を差していた。
「5代種族の神々はそれぞれの種族を育てた。いつしか彼らの種族は争いが起き、神々はそれぞれ種族を勝たせるために力を注いだ」
「――しかしこのままでは種族たちが全て死んでしまうため、神々はひとつになることを決した。それが5つの種族たちが交わるきっかけとなった」
すると後ろからハゼルのその言葉の続きを引き取って誰かが言った。ハゼルは後ろのほうを見るとそこには妻アンジェリーナがいた。白いドレスを着ていた。しわひとつないドレス。陽光でキラキラとドレスが輝く。
「大女神スダーナの神話、最近よく口にしてるわね」
「最近よく頭に浮かぶんでな、口にしたくなる」
ハゼルはまた空を見上げた。鳥達の動きが先ほどよりも違う。なにかを警戒しているようだ。おそらく飛空艇が近いのだろう。ハゼルは「行ってくる」と言って部屋を出る。扉に手を当てようとしたとき。アンジェリーナは言った。
「誓いを忘れないで」
ハゼルは顔をすこりアンジェリーナのほうへむけてうなずいた。
誓い・・・・・・。私の誓いは、命を賭けて全てを守ることだ。ハゼルは心にあの頃のように再び誓う。戦力はファンベルグ国のほうが上であろう。しかし、こちらの国には魔道士団がいる。戦力を増大させてくれる。今は戦力が下であっても状況次第で戦力はいくらでも変化する。ハゼルは勝利を考えていた。負けることなど考えない。一度でも考えれば心に染み付く。
ハゼルは戦線へ向かう。隊長の代理を務める者たちがハゼルについていく。町へ出て馬に乗ろうとした時だった。風が吹き、あたり一面に差し込んでいた陽がなくなり、黒い影が覆う。ハゼルは上を見上げた。飛空艇がすでに来ているのだ。
「こちらの飛空挺は!?」
「はい!すでに飛行しています!」
ハゼルは町民達に地下空間へ隠れるよう言っていたので街には人ひとりいない。周りには兵士達がいるだけだ。およそ1000人くらいしかいないがうまく動けば勢力は二倍三倍になる。この国の構成は円になっている。360度に城壁が囲んでいる。国に入るには東西南北にある4つの大門からでなければ入れない。
「入門橋を上げろ」
入門橋を上げれば大門に入るには川を渡らなければならない。ハゼルはそう言って隊長たちを大門へ向かわせる。1000人を4つに分けるので250人ずつに分けるのだが、ハゼルはあえて25人ずつにし、魔道師団100人を25人に分けて配置し、それぞれに50人ずつ分けた。
のこりの800人の兵士は中央近くに配置している。
「しかし大丈夫でしょうか?」
ハゼルに就いている兵士は心配そうに伺う。
「心配するな、一泡ふかせてやるさ。被害が一気に出れば一時退かざるおえんだろうしな」
そして飛空艇がどんどん上空を飛んでいく。城壁のむこうからは兵士達の咆哮と大地を震わせるような足音が聞こえてくる。攻め込んできたようだ。
「上も気をつけろよ」
上空では飛空艇の銃撃戦が始まっていた。青と白が混ざったような飛空艇。ファンヴェルグ国の文章が彫られている。左右についている銃口から火花が散り、アルヴァンス国の飛空艇に攻撃をしている。アルヴァンス国の飛空艇も攻撃を返している。およそ30くらいの数が空を飛行している。
「そろそろ作戦を実行する頃だな」
ハゼルは兵士に視線を送る。兵士はうなずいて通信機を手にする。といっても通信機は大きいため背中に背負って子機を手に取っている。
「はい、了解しました!おい!実行だ!」
そのころ外では多くの兵士達がすでに川を渡って侵攻しようとしていた。そして兵士達は異変に気づき始める。
「こ、これは!?」
いつの間にか動きが鈍くなっていく。川が凍りだしているのだ。気づいたときにはすでに遅かった。下半身を完全に凍らせ、その氷はさらに上半身も侵食していく。そして川には入らなかった兵士達のところへ弓や銃弾が降り注ぐ。大門が開かれ、そこから25人の弓部隊が銃撃部隊が一斉に攻撃をする。
作戦は成功した。防御に回ると思わせて川に誘い込み、そこを魔道師団の魔法で攻撃をする。そして川に近づけないことを利用して遠距離の攻撃で一気に数を削る作戦だ。おそらく上空からは建物にみな隠れていたためなにもわからなかっただろう。
「あの王ならどうしていたかな。まぁなりたての息子にはまだ作戦など考えられんだろう」
それにすでに戦争が少なくなったため、王はセイルに知識を教えることなどほとんどなかっただろう。
「せ、成功です!」
しかしまだ飛空艇で兵士を降下してくる可能性がある。ハゼルは中央で報告を聞いても表情を微動だにしなかった。大門にいた兵士達を中央にあつめ、直接対決の準備をする。
飛空艇が撤退していった。おそらく兵士を集めに行ったのだろう。ハゼルは兵士達を建物の中へ潜ませた。懐かしいこの感覚にハゼルは思わず笑みをこぼした。ぴりぴりと感じる殺気。昔経験した戦争ではよくこの腰に差している長剣を振るったものだ。ハゼルは過去の戦争を思い出しながら腰の剣を手にする。ゆっくりと剣を抜いて前へ出る。
続々と飛空艇が戻ってくる。ハゼルは飛空艇に剣をかざした。それを見て飛空艇はファンベルグ国の飛空艇に銃で打ち込む。しかし兵士の侵攻は止められないだろう。小型望遠鏡で辺りを見回した。視界から見える敵兵士は約100人ぐらい。おそらく様子見の役割でも果たしているのだろう。この中央の広間に来るまでにはおよそ5分くらいかかるだろう。
「正面衝突は避けられないか・・・・・・」
建物に潜んでいる味方の兵士達の奇襲でおそらくは大分少なくなるだろうが増援がどんどんくればやはり激しい戦争になるだろう。
「負けるわけにはいかないな」
そして敵国兵士達が向かってきた。それぞれ剣を持ち、高々と上に上げている。咆哮のような声を上げて突っ込んでくる。
建物から見方兵士達が奇襲をかけて敵国兵士と交じり合った。今飛び出した見方の人数はおよそ200人。まだ中央まではこない。この方向は南、おそらく四方から攻めてくると思われる。
「東西南北すべてに警戒態勢を出すんだ。攻撃は奇襲で、弓部隊と銃撃部隊は建物から隠れての攻撃を実行しろ」
飛空艇での攻撃で侵攻を防げるのは期待していない。敵国の飛空艇はやはりこちらよりも頑丈に作られているため、攻撃を与えてもびくともしない。兵士達が降下する前に落とすのは無理のようだ。
所々でどんどん激化していくのがわかる。爆発音も聞こえる。ハゼルは城のほうに通信をつなげる。しかし誰もでない。おそらくもう地下に避難したようだ。これで集中して戦争をできる。
「よし・・・・・・。再び俺のハートに火を灯そうか」
―アーシュのためにも―
アーシュはふと国が気になった。なにか胸騒ぎがする。そろそろルクセンブドにつく。もうアルヴァンス国は見えない。すでに目の前にはルクセンブドの大陸が見える。あれから数時間が経過した。夜が開けてようやくついた。
ブリッジで大陸に下りる準備をしていた。通信機で国に連絡しようとしてもどこも通信が入らない。アーシュは戦争が始まったことを感じ取った。鳥達がすこし回りに多い気がする。なにかこちらの大陸の空によって来ているような感じだ。
「しかし犯人はどんな目的であのようなことをしたのでしょうか?」
ふとアーシュはアスティーダのその言葉を聞いて、あの時に見た夢を思い出した。セイルの父が言っていたこと、賢者の遺産。一体それはどのようなものだろうか。
「ねぇ、賢者の遺産って知ってる?」
「あぁ・・・・・・口止めされてますけど、秘密にするなら」
アーシュはこくりとうなずいた。なにか賢者の遺産というものが気になる。一体どのようなものなのだろう。もしかしたら意外にも手がかりになるかもしれない。アーシュは誰にも言わない、と誓ってアスティーダに聞く。
「確か古代兵器“賢者の咆哮”を発動する鍵ですよ」
アーシュはあまりそのようなものは知らなかった。それも、賢者の咆哮などは昔戦争で使われたもので、一部の者しか知らないという。
「もう5年も経ちますよ。知っていてもそれのありかがわかりませんからね。噂ではファンベルク国国王が賢者の遺産を持っていたらしいですが、今ではわかりませんね。教えたことは秘密にしてくださいね」
そのようなことは父は何も話してくれなかった。おそらくそれほど教えたくないものなのだろうか。アスティーダも秘密にしてというので、おそらく秘密裏にされたのだろう。しかし5年となると、ちょうど戦争が少なくなってきた時だ。
「・・・・・・なぜ賢者の遺産を?」
ヴィスが横から聞いてきた。いつもの鋭い視線でアーシュを見た。アーシュはどういって言いかわからなかった。信じてくれるだろうか?夢の中でみたなんて。しかし、一応言うだけ言うことにした。
「夢の中でね、なんかその言葉が出てきたの」
「・・・・・・そうですか」
しばらくヴィスは視線を落として考えると、どこかへ行ってしまった。賢者の遺産の話はそれで終わってしまった。
ラーフルドはヴィスと代わって運転しているためあまり絡んでこない。それはそれでうれしい。キリッシュはしばらく見ていないがどこへ行ったのだろうか?そしてしばらくして飛空艇は大陸へ着陸した。
【8 動機】
世界最大商業都市ルクセンブド。その名のとおり、商売街は武器や、特産物などの店ばかりが並んでいる。
道いっぱいに人ごみが埋めており、前へ出るのも困難である。しかも道を歩くホゥロという中型の動物がかなり幅を取っており、通行に利用する者も少なくないため追い討ちをかけるように通るたびに狭くなる。
「本当に!せまい!」
アーシュは人々に押されるたびに愚痴をこぼす。太陽の陽射しも強いため、空を仰ぐやため息をつくアーシュ。見かねてアスティーダは近くの店から帽子を買ってくる。
「気休め程度ですけど、あるほうが良いでしょう?」
アーシュは帽子をかぶると、以外に涼しかったことに驚く。あまりこのような商店の帽子などかぶることがなかったので、アーシュの印象は役に立たないものと受け止められていた。
「あ、ありがと・・・・・・」
アスティーダの気配りに感謝するアーシュ。
この商売街はかなり広いため現在皆それぞれ別々に行動している。そしてアーシュも行くというのでアスティーダと一緒に行動することになった。しかし多くの武器商店のなかからナイフひとつを探すことなどできるものか、アスティーダは見つけれるか不安になる。なんていったってこんなに広いとは思わなかった。
あのナイフはたしか刻印が彫られていた。竜が炎をはく模様だ。この国では武器商店はそれぞれ作った武器に刻印を彫るのでその刻印がついている武器商店を探せばいいのだが、どこまでも続きそうな道、しかも左右には商店が長々と並んで建てられている。
それにここで探し始めてからすでに1時間が経過している。このようなことに慣れていないアーシュにはさぞ重労働であろう。アーシュのほうに視線を送るアスティーダ。アーシュはかなり疲れている様子だ。
「ねぇ・・・・・・あれ見て」
突然アーシュはそう言ってどこか指をさす。アスティーダはそのほうへ向くと立ち並ぶ商店の中に竜の刻印が彫られている看板の店があった。たしかに、古そうな看板だが竜の刻印は確かに見える。ふたりは早速人ごみを書き分けてその店へ行った。店の中に入ると数々の武器が視界に広がる。
「いらっしゃい」
なにか力がこもっていない店主の声。店の中は壁に隙間がないほどに埋め尽くされている武器があった。銃や槍、そして剣など、さまざまな武器がそろっている。その中にはナイフもあり、ふたりはさっそく探してみることにした。
「・・・・・・あった!」
しばらく見て回るとアスティーダはあのナイフを見つけた。直接ナイフをみて記憶していたので確実だ。
「店長さん!これを最近買った人を知りませんか!?」
メガネをかけた40くらいの無精ひげを生やした店長。本からアスティーダとアーシュに視線を移してメガネをくいっと上げる。なにか興味がなさそうな顔。いや、現に我々に興味など持っていないだろう。
「・・・・・・ん?それは・・・・・・たしかファンベルグ国の紋章をつけた若い男が買っていったよ。すこし話したがたしかナッシュとか言ったなぁ」
ナッシュ・・・・・・。彼がもしかしたら犯人かもしれない。しかしやはり動機が何なのか、気になるアスティーダとアーシュ。やはり裏にはなにか大きなことがあるのかもしれない。我々の知らない、王を殺害しなければならないほどの大きなことが。
そしてアーシュはアスティーダと店を出ようとしたときだった。
「これでいいんだろ?」
ふと店長がそのようなことを小声でアーシュに言う。アスティーダは聞こえていない。
「え?」
思わずアーシュは聞き返した。よくわからないその意味。しかし店長は視線を本に移して何もなかったかのようにしていた。
「なにか?」
「いや、なんでもないよ」
首をかしげながらアーシュは店を出る。レン達と合流して飛空艇へ向かった。あの店長の言葉、たしかに「これでいいんだろ」と聞こえた。なにがよいのだろうか、それよりも店長とは今日はじめてあったはずだ。知っているわけがない。誰かと間違えている?いったい誰と?アーシュは考えた。
―双子の妹がいたんだがな、覚えていないだろう。お前が物心がつく前にしんでしまったからな―
ふと昔父が話していたことを思い出す。名前はなんだっただろうか・・・・・・。あまり覚えていない。この話を聞いた時はたしか10年以上前になる。そのせいかもう記憶はかすれている。しかし、妹は死んだ。ありえない。アーシュはこのことについて考えることをやめた。
ファンベルグ国にこの飛空艇で行くのはまずい。近くの港から行くしかないだろう。そしてアーシュも連れてはいけない。この国ではアルヴァンス国との交流がほとんどなく、国も離れているので知る者はいなかったがファンベルグ国は国民が皆知っているだろう。いけるとしたら顔がわかられていないアスティーダたちでしかいけない。
「私も行くよ!自分で解決しなきゃだめじゃない!」
アーシュは強く同行を希望した。なにがなんでも行きたかった。とりあえず犯人の頬を引っ叩きたい、そしてこれは自分で解決しなければならない、そう思った。
「だが、見つかるとただではすまなくなる」
ヴィスのその言葉にアーシュはそれを聞いて言葉をつまらせてしまう。たしかに見つかればおそらく永獄悲罪宮に戻され、処刑されるだろう。アスティーダ達も罪人として捕まってしまう。
「なら、カウヴァーつければ?」
するとラーフルドはそのような言葉を口にする。カウヴァー、それは一部の宗教で顔を隠すために用いられている。顔を黒い布で覆うため見えるのは目だけである。古来より女性がつけるものとされており、ファンベルグ国にもその宗教を信じて顔を覆う者が少なくない。
「それ!うん!それで行こう!」
そう言うとアーシュは強引にアスティーダを引っ張って飛空艇を出る。
「・・・・・・余計なこと言うなよ」
嫌そうに眉間にしわを寄せながらヴィスはラーフルドに言う。
「だってアーシュ様も自分で解決したいだろう?わかってくれよ」
しかしヴィスは納得したような感じはなく、ひとりブリッジを出て行った。
「まったく・・・・・・。そういえばキリッシュはどこいったんだろう?」
「お前は違うよな?」
キリッシュは居住区にいた。個室に入り、通信機で何者かと話していた。用心深く小声で話し鍵まで閉めている。
「・・・・・・そうか。では誰が?」
しばらく話を聞き、沈黙するキリッシュ。
「あれはお前が持ってるんだな?彼らに会っても決して見せるなよ」
そして通信を切る。キリッシュは個室の鍵を開け、個室を出た。しばらく通信などをしていたためほとんどアスティーダ達と会っていなかった。言い訳を考えながらキリッシュはブリッジへ向かった。
「やはり“コレ”はどこかに隠した方がいいのでは?」
永獄非罪宮のような場所に男性は立っていた。弧を描いた壁に白い球体がつけられている。そのうち三つは光が帯びていない。
「しかし隠すのは気が散ってだめだ。我々の生活にわずかに邪魔になる。身に付けていたほうがいいだろう。なにかわからないようにするのがいいのではないか?」
男性は視線を手に。手にもっているのは小さな玉。わずかに光に反射して輝いている。小さい、とても小さい物だけれども、とても大きな“もの”へと変わる。恐ろしく、すべてを呑み込む。壊すことなどもできるはずがない。壊すここさえも恐ろしい。
「そうだな。だが明日には六心賢者にも会う。そして彼女にも。そこですこし泳がせとく事にしたい」
「そうね。未だに動機はわからないものね」
「では、そろそろ終わろう」
そして球体の光が消えていく。男性は光が消えていくのを見送る。今一番気になっているのはやはり動機である。なぜ彼女は結婚という大きな事を捨ててまで王を殺したのだろうか。到底理解できない。賢者の咆哮は恐ろしいものである。
過去賢者の咆哮は複数あった。それを各国が保有し、戦争のために利用していた。そのため賢者達はその賢者の咆哮をこれ以上使用させぬようにひとつに集めた。そして誰もわからない場所へ。今は賢者の咆哮はひとつである。威力も昔の数倍。恐ろしいが、賢者の遺産がなければなにも出来ない。
もしも賢者の遺産が、そして咆哮が目当てというのならば命をかけてでも殺さなければならない。大女神スダ―ナに誓って・・・・・・。
【9 複雑な構成の愛】
「ハゼル様!もうすでに400人ほどが死傷しています!これでは国が倒れるのは時間の問題です!」
ハゼルは現状に悩まされていた。やはり多勢に無勢。残りの兵はおよそ600人ほどしかいない。飛空艇も20船のうち15船がすでに破壊されている。対空武器で対応するにも撃つ前に敵兵にやられてしまうので、やはり攻撃よりも防御に回らなければなるまい。
「わかっている・・・・・・。こういうときこそ冷静になれ」
考えるハゼル。今こちらが唯一勝っているものといえば銃弾が豊富ということだけ。狙撃部隊はおよそ10人くらいしかすでにいない。銃弾はすでに意味を成さない。では、新たな意味をつければ良い。銃弾から、爆弾へ。ハゼルは兵士に簡単な構成資料を渡した。
「蜂爆弾を急いで作るんだ」
蜂爆弾、それはすこし大きめの球体に火薬と弾薬を入れる爆弾であり、爆発のときの弾丸の散り方から蜂爆弾と付けられた。弾薬が豊富なので数十個は作れるはずである。そして使い方次第でこの状況を変えられるはずだとハゼルは思った。すでに町には多くの敵兵が侵攻しており、ここも危うい状態にある。おそらくここへ侵攻するのもそう遅くはない。現在は建物を崩して道をふさいだりして時間を稼いでいる。ここに侵攻するまでには何とか蜂爆弾を作り終えておきたい。作り方は意外と簡単で時間もそうかからないためあとは数をどれだけ増やせるかが問題だ。
しかし・・・・・・おそらく蜂爆弾は気休め程度にしかならないだろう。威力は強いもののやはり数が多すぎる。蜂爆弾の範囲はおよそ5メートル。数人程度にしか影響はないだろう。火薬のほうも増やすと数が足りなくなってしまうため威力を急激に上げることもできない。
剣を手にずっと外で周りを見つめるハゼル。あの栄えていた町並みはもうすでになく、倒壊したり、煙が上がっているところもある。特にひどいのは墜落した飛空挺が建物に突っ込んだところだ。
今はもう空には飛空挺が飛び回っていない。必要ないと見たのだろう。現にそうである。兵士を侵攻させれば自然にこの国は崩れるであろう。唯一国が助かる方法・・・・・・。それはアーシュを差し出すか、アーシュが犯人を見つけるか、そのどちらかだ。無論ハゼルはアーシュを差し出すことなど考えることはない。
「蜂爆弾20個完成しました!」
ハゼルはその報告を聞いて“攻撃は最大の防御なり”を信じ、実行するために動き出した。
また人ごみを掻き分けてアーシュはカウヴァーを探しに行った。しかし本当に人が多くて困る。若干背の小さいアーシュは周りの商店が見えづらい。そこで、引っ張っていたアスティーダを前へ押し込んだ。
「商店どこにあるかおしえてね」
今度はアスティーダの背中を押して突き進むアーシュ。一応カウヴァーはレンの分も買っておいたほうがいい。そうでなければひとりだけカウヴァーをつけるのは怪しまれる。
やっとのことで商店の前に行くことができ、二人分のカウヴァーを購入したアーシュとアスティーダ。戻ろうとしたが、すこし小腹がすいたのでどこかで食事を取ることになった。おそらく飛空艇でも食事をもう取っている頃だろう。戻って食べることなどアーシュには我慢できない。
「あそこは?」
アーシュが指差す先には料理をしているらしい煙が上がった店がある。そこからは香ばしい匂いも香る。アーシュは早速駆け足でアスティーダを引っ張りながらその店へ向かった。店の中は満員で店員が忙しそうに行ったりきたりを繰り返していた。香ばしい匂いがふわっと香り食欲をそそる。カリィという食べ物の専門店らしい。おいしそうなので思わずアーシュは注文して席についてしまう。そしてカリィが出され、アスティーダと共に食事する。
「これおいし〜!」
「ほんとですね!結構熱いですけどこれなら食が進みますね」
そしてふたりはしばらく会話を楽しみながらカリィを味わった。セイルのときとは違った楽しい感覚。このよな時間は久しく感じる。あれから23日は経った。たったそれくらいの時間だけれども、かなりの時が過ぎたように感じてしまう。国も恋しくなる。
「国は今どうなってるのかなぁ・・・・・・」
「大丈夫ですよ。心配ないです」
そんな根拠などどこにもない。しかしアスティーダはいつでも聞かれたらかならずそう言う。アスティーダの思う国は大きく、そして強いのだから。倒れることはなく、いつも栄えている国。それがアルヴァンス国。
食事を終え、ふたりは飛空艇へ向かった。しかし、よく考えればこれはデートという部類に入るのではないか?アスティーダはふとそう思った。隣には昔から好意を抱いていた女性が肩を並べて歩いている。一緒に買い物をし、一緒に食事をする。最高の時間だ。
――今がチャンスではないか?――
頭をよぎるその言葉。今はふたりきり、周りには少々人がいるがレン達はいない。飛空艇近くに行けば人はいなくなる。そして今アーシュは表には出していないが内心辛いはず。支える人もすでに敵に回ってしまった。
そうこう考えているうちにすでに飛空艇が近くなってしまった。山の近くに止めているためやはり人はほとんどいない。昼間はどの民も商売街に出歩くためであろう。
「どうしたの?さっきから黙ってて・・・・・・」
アーシュにそう言われてアスティーダは我に返る。隣には愛しき人。こんな時にこんなことを言おうとするのはやはり非常識であろうか。しかしいつかはこの想いを伝えたかったアスティーダ。セイルと結婚すると聞いた時にはショックだったが、今はもう違う。
「あの!アーシュ様!」
アスティーダはアーシュのほうを向き、アーシュの両肩を掴む。唐突のことに口を半開きで目をまん丸と開けるアーシュ。アスティーダは深呼吸をする。心臓の鼓動がどんどん高鳴る。
しかしこの状況になりながらもアスティーダはまだ迷っていた。普通なら勢いで言ってしまうであろうが、たかが国の隊長のひとりが王女に告白するということはまったくをもって前代未聞。告白するということさえも夢のまた夢、結ばれることなど夢のまた夢のまた夢である。
アーシュの瞳を見つめ、しばらくアスティーダはそのまま沈黙する。アーシュの頭の中は唐突のことで真っ白になっているだろうが、当の本人も真っ白になっていた。なにを言えばいいのか、そして言ってしまって良いのか、そんなことを考えているうちに頭の中は真っ白になってしまい、ただ沈黙状態になってしまった。
「そ、その・・・・・・好きでした・・・・・・」
「え?――」
思わずアーシュは聞き返した。真剣なまなざしにかすかに鼓動が打つ。
「あ!そ、その忘れてください!」
突然アスティーダはそう言って言葉を打ち消した。やはり非常識だ、と心に叫び今の言葉をなかったことにする。今はやはり言うべきではなかった。そう反省するアスティーダ。やはりこんな時期に言うのは非常識も非常識。そしてこのさき落ち着いてももう言うことはないだろう。一応伝えたいことは伝えた。
「では、行きましょう!」
アスティーダはアーシュの手を掴んで飛空艇へ。ささやかに心に誓いをたてる。今度からは俺がこの先手を掴んで進んでいこう、と。
心地よい風が流れる。連絡船の甲板でアーシュは風を感じていた。髪がなびき、黒髪が輝く。潮騒は美しい旋律のように、潮風は海という存在を象徴するようにアーシュの周りを流れていく。カウバーからの視点は少々狭く感じるが、それでも十分な風景。夕焼けは水平線に沈んでいく。今日の役割を終え、我々に別れを告げるようにゆっくりと沈んでいく。
アーシュはあのときの言葉を思い出していた。あのとき、確かに彼は言った。「好きでした」と。聞き返したのは聞こえなかったからじゃない。はっきりと聞こえていた。真っ白な頭の中にたしかにその言葉は入っていった。今思い出すとアーシュは頬を赤らめてしまう。なぜこんなにもうれしいのかわからない。確かに昔からアスティーダとは仲が良かった。歳が近いことや、雰囲気が話しやすいから自然と仲が良くなっていた。
気がつくと目をまん丸に開けて頬を手で覆っていたアーシュ。・・・・・・熱い。まるで沸騰したお湯のように熱くなっていた頬。風邪ではない。もしかしたら湯気でもたっているのではないか?というくらいに熱かった。
――アスティーダのことが好きなの?――
いや、そんなはずはない。わたしはセイル様を愛してる。
――だが、その人はわたしが選んだのではなく、父と母が決めたこと――
しかしセイルの言葉よりもアスティーダの言葉は心に響いた。あの時はあまり反応はできなかったが、たしかにアーシュの心に響いていた。どちらが本当に好きなのか、どちらと本当に一緒にいたいのか・・・・・・。自らに問いかける。胸に手をやり、心臓の鼓動を感じる。アスティーダのあの言葉を思い出せば鼓動は高鳴る。もしかしたら今まではアスティーダへの“好意”を自覚していなかったのかもしれない。アスティーダの言葉によってそれは明確になったのかもしれない。セイルは“愛さなければならない”という気持ちがどこかあったのだろうか。今思えば彼に対する想いはどこか違うような感じであった。
――愛、ではない?――
「そう・・・・・・かもしれない」
なぜカウバーを買いにいくとき、彼の手を引いたのか。それは――・・・・・・。
「本当に・・・・・・なにをバカなこと考えてるんだろうねわたし・・・・・・」
今は犯人を見つけることが大事、そう思いアーシュはこのことについて考えることをやめた。考えると、やはり胸が高鳴ってアスティーダのことを意識してしまうこともあるからだ。
しかし無意識にもアスティーダのことを考えてしまう。まさか告白をされるとは思ってもいなかったアーシュだった。セイルからは告白は受けていない。それはすでに婚約が決定付けられていたからだ。告白など必要がなかった。
告白されるということはこんなにもうれしいことだったとは知らなかった・・・・・・。
アーシュはいつの間にかアスティーダのことでまた考えていたことに気づき、気を紛らわすために目の前の風景をみる。船首からの風景は最高だ。しばらく眺めていると目的地ファンベルグ国が見えてくる。国の規模は最大とあってここから見る限りやはりかなり広い。
港に着き、一行はファンベルグ国へ足を踏み入れる。建物や文化はアルヴァンス国とそう変わりはない。唯一違うといえば、人々の髪や瞳の色が違うことだ。港からは多くの種族が散るが、やはりこの国の人々は目立つ。
ルクセンブドの民はアルヴァンス国とそう変わりはないのであまり違和感はないが、町を歩くとやはり違った感覚を覚える。なにかひとりぼっちになったような感じだ。しかしヴィスはあまり気にしていない。故郷に帰ってきたということぐらいであろう。
「ナッシュは知り合いだ」
ヴィスは連絡船でそう話していた。昔ここに住んでいたときに知り合いになったのだ。ヴィスの父はアルヴァンス国出身であり、結婚をきっかけにアルヴァンス国へ移った。それ以来はナッシュには会っていないようだ。もうすでに10年以上前になる。偶然同じ名前ということもあるが、とりあえず彼の家を訪ねることにした。
「家が変わっていなければいいが・・・・・・・」
ヴィスはそうつぶやいて木造のドアを軽く叩いた。そしてゆっくりとドアがあけられ、仲からは男性が一人出てくる。やはりヴィスと同じ髪の色。わずかに光を帯びた球体が埋め込まれた首飾りが首から下げられている。どこにでもいそうな男性だ。
「ヴィス・・・・・・なのか?」
「久しいな」
再会にその男性は表情を輝かせる。ヴィスは笑みを見せる。やはりうれしいようだ。しかしなにか正直でない感じを受ける。もっと喜びを表現すればいいのに・・・・・・・とアーシュは思う。一行は仲へ招かれ、ここへきた目的を話す。
「わたし達は武器屋で最近ナッシュという人物が王を殺害したナイフを購入したという話を聞きました。それはあなたですか?」
するとナッシュは足に目をやる。義足のようだ。歩くたびに鉄がこすれるような音を立てる。
「これを見てくれよ。歩くのも大変でルクセンブドには行くのは辛いぜ?それに最近は忙しくて行ける暇もないよ」
やはり同名だったか、と一行は落胆する。こんなに国が広いとどう探していいのかもわからない。ナイフを探すよりも大変だ。しかももう暗くなってきている。そろそろどこか宿を探さなければならないだろう。
「今日は遅くなってきたからここに泊まっていけよ?ベッドもあるしさ」
ナッシュの提案に一行はありがたく賛成し、その日はナッシュの家で過ごすことになった。
――見つけた――
――やっぱり賢者に渡していたのね?――
――おそらく王がこの国を広くしたのも、宮殿を離れた場所においたのも、アレを隠すため――
――賢者の遺産はわずかに反応していた。距離も合う――
――さぁ、光と闇の鎮魂歌を解き放ちましょう――
【10 賢者】
漆黒の闇、輝く月夜の下に一人の男性――ナッシュがいた。手には月夜を反射する切れ味のよさそうな剣を持っている。今宵はこの剣が朱に染まるかもしれない。この国を見渡せるこの丘の地も死臭を漂わせてしまうかもしれない。しかしそれは致し方がないこと。この丘を台無しにすることなど代償には入らない。世界とつりあわせればとても小さなものだ。世界はひとつ。約30億人の民が生活をしている。笑いあい、泣きあい、喜びあい、愛しあう。
「それが失われていいものか・・・・・・」
そしてナッシュの背後に人影が現れる。両手には斧を持っている。わずかな夜風に髪がなびく。ナッシュは振り返る。ふと雲が月を覆い、あたりを暗黒が包む。女性、それしかわからない。斧といえば一人一行の中にいたことをナッシュは思い出す。しかし表情はよくわからないためその人かはわからない。身長はいかほどのものか。ナッシュよりは高くない。さらりと茂る草木が風に揺れる。
ついてきたことから一行の中に確かに賢者の遺産を目的とした人物がいるということ。おびき出すことには成功した。あとは首を落すだけ。ここなら騒がれても問題はない。それにアーシュだとしても王の仇としての行動とすれば良し、違うとしても身を守るためにしたということで良し。アーシュならば王殺しの犯人ということも確定し、動機もやはり賢者の遺産ということが確定する。
しばしの沈黙。それぞれ両者手に持っている武器はまだ微動だにしない。距離は23メートルくらいしか間がない。剣を抜いて一振りすれば首を落すことができる距離だ。この距離では斧は届かない。一、二歩前に出なければなるまい。しかし一歩出た時には彼女の首は地に落ちているだろう。義足は体重を乗せやすいようすこし手を加えている。兵士の一太刀など比べ物にならないだろう。
木々が騒ぎ出した。まるで我々の交戦を恐れているように。いくつもの落ち葉が目の前を横切る。対峙すること数分が経過する。木々のざわめきが終えると同時に、空を切る音があたりに響いた。ナッシュの一振り、首を狙って刀を左下から振り上げる。切った感覚はない。見るとその女性は半歩下がってかわしていた。斬れたのは皮一枚程度。首にはかすかに傷がついている。わずかに血がにじんで滴る。
ナッシュは舌打ちをした。今の一撃で確実に首を落すつもりだった。すこし不利な状況である。やはり義足はかなりのハンディキャップである。追い討ちを仕掛けることができない。女性は斧を左右から振る。ナッシュは上体を瞬時に下げてよけ、剣を振り上げる。地の草木を削りながら、まるで閃光のように振り上げる。女性は両手の斧を立てて剣を受ける。衝撃が走り、ぶつかり合う音があたりに響いた。かすかに火花が散る。
義足のおかげで距離をあまり取れないため、離れようとするが、ほんのすう蓬莱のよりしか離れられなかった。あきらかに不利である。これほどの実力だとは思っても見なかったナッシュ。すると容赦なく義足に蹴りが繰り出される。大きくバランスを崩してナッシュはひざをつく。そこへ顔面へ斧が振り下ろされる。ナッシュはとっさに剣で防いだ。女性の力とは思えないほどの重くのしかかる斧。表情をすこしゆがませる。女性はなにか笑っているようだ。有利ということをわかっているのか、どこか余裕を見せる。
「やはり目的は賢者の遺産か!?」
女性は応えない。ただ、笑みだけを返して斧の体重を乗せ続ける。徐々に耐えることができず、剣が下がってくる。そして――・・・・・・
――バキン――
剣が耐えれずに砕ける。ナッシュはとっさに体をひねるが、二つの斧はナッシュの肩口と左腕を斬りつける。まるで電撃が走るような痛みがナッシュを襲う。布製の服はどんどん朱に染まり、血が滴る。左腕の傷は深い。動かすたびに痛みがしつこく襲い、筋がすこし傷ついたようであまり動かせない。斬られた右肩をおさえることもできず、ナッシュは折れた剣を手に女性を見上げるしかなかった。汗がぶわっと噴出す。表情は苦痛にゆがみ、わずかな声も上げず痛みに耐えているが、相当の痛みが汗から物語る。
「冥土の土産に持っていきなさい」
最後に、月が雲から出て月夜があたりを照らす。そしてナッシュは女性の顔を見る。
「き、貴様――」
そして朱があたりを染める。崩れるようにナッシュの上体は地面に倒れこむ。女性はナッシュの胸元を探る。金属の感覚に触れ、笑みを見せる。手を引き、掴んだ首飾りを見る。装飾には球体が埋め込まれている。あのときよりも輝きを帯びている。その球体を強引に取り出し、女性はその場を立ち去った。
翌朝、一行は目が覚めるとレンとナッシュがいないことに気づく。ふたりは初対面のはず、どこか一緒に行くとは限らない。
「ナッシュさんが殺されたらしいぞ!?」
すると外からファンベルグの国民が大声でそう言った。外は騒がしく、アーシュたちは人の流れについていくことにした。そして、たどり着いたのは眺めの良い丘。そこには変わり果てた姿のナッシュがいた。ヴィスはすぐさまナッシュのほうへ駆け寄り、ナッシュをおこす。
「ナッシュ!ナッシュ!返事をするんだ!」
しかし、ナッシュはただ沈黙だけを続ける。もう口を開けることはない。だれかは言う。魂はすでに大女神スダーナの元へ旅立たれた、と。
まずい・・・・・・
キリッシュはあせっていた。ナッシュの持っていた賢者の遺産を埋め込んだ首飾りがない。ここには“賢者の咆哮”もある。もしも発動されればここは粉微塵となるだろう。肉体が耐えれる衝撃ではない。そんなものを受けたらこの国はひとたまりもないだろう。
「みんな、ちょっとついてきてくれ」
キリッシュは黙って丘を降りていく。ヴィスには話していないが良いのだろうか、と思う一行。質問をするラーフルドやアスティーダの言葉にはただ「いいから」とだけ返事をする。表情はひどく青ざめている。なにか大変な事があったのだろうか、とアーシュは首をかしげる。
「レンは・・・・・・もしかしたら・・・・・・」
そう歩きながら言うキリッシュ。しかし途中で言うのを止めてしまう。町の中心部を越えて、ファンベルグ国の城に近づいていく。すこし見上げるとなにか大きな建物が見える。城ではない。大時計が取り付けられた塔が見える。
「・・・・・・スダーナ大教会、に行くのか?」
スダーナ大教会、それは大女神スダーナをもっともあがめるこの国が作った建物だ。中には大女神スダーナ像が置かれている。過去この国に来た時にこの大教会には皆行ったことがある。ラーフルドの質問にただ、うなずいた。目的は?と付け足すがキリッシュは沈黙だけを返す。近づくにつれて駆け足になっていくキリッシュ。大教会の扉を勢いよく開けて中へズカズカと進んでいく。
横長い椅子がきちんと並ばれており、奥の中央には大きな、5メートルくらいの大女神スダーナの銅像が置いてある。壁には鮮やかな色彩の大きな窓取り付けられており、光が差し込んでいる。人々はいないようだ。どうやらナッシュのことで行ってしまったらしい。
「“賢者の咆哮”はここにあるのね?キリッシュ」
すると外からレンが入ってくる。つけてきていたようだ。手には光を帯びている球体を持っている。それをわざと振って見せるレン。こぼれる笑みは恐ろしく感じさせる。
「貴様・・・・・・!」
キリッシュは利用されたことに気づいた。もともとレンは賢者の咆哮の場所など知らなかったのだ。しかし唯一わかる方法があった。それは賢者の遺産が取られたことを知れば、賢者の咆哮の場所へ行き、犯人を探し出すことを利用したのだ。
そしてレンは銃を取り出し、アーシュたちへ向ける。笑みを見せながら、一歩一歩近づいてくる。アーシュたちは近づくたびに退いていく。キリッシュは背中の剣を取り出した。続いてラーフルドも、アスティーダも剣を取り出す。アスティーダはアーシュを影へ連れる。身を呈してでも守らなければならない、そう思っての行動だ。
するとレンが止まる。球体の光が強く輝く。その瞬間、レンはなにかを投げ込んでくる。それは・・・・・・
「伏せろ!蜂爆弾だ!」
瞬時、あたりは花火が放たれたように輝き、スダーナの銅像や壁、そして窓が次々と容赦なく破壊されていく。身につけていた薄型の鎧がなんとか防御してくれたが、やはりそれ以外の場所が傷を負ってしまった。やはり蜂爆弾の威力はすさまじい。
「きゃ!?」
一瞬目を離した時、レンはアーシュを捕まえていた。そしてスダーナ像の元へ。蜂爆弾の衝撃で動けないアスティーダたちは動くことができない。ただ声を出すことしかできなかった。
「レン!やめるんだ!」
今にも消え入りそうな声。レンは笑って彼らを見下すように見た。そしてスダーナ像を銃で撃ち、なにかを取り出した。球体とあわせると球体は今以上に輝きを放つ。球体からは液体が漏れ、球体を覆う。手の平くらいにまでなり中の中心部には球体が浮くようにある。ふわふわとレンの手の上で浮いているそれは、まさに賢者の咆哮。
「あとは上空からこの国を消して見せましょうか」
そしてアーシュを強引に連れて行く。人質ということであろう。いつものレンの姿はもうそこにはない。外へ出て行くアーシュとレン。体中痛みが走る中、アスティーダたちはなんとか起き上がる。おそらく“上空”という言葉から飛空艇を使うはず。
「行こう!」
アスティーダは駆け出した。体中まるでヒビが入ったように痛い。しかし、そんなことはどうでもいい。アーシュが危ないとわかればアスティーダは駆け出す。これから先、かならず手を引いていきたいから、ずっとアーシュを見て行きたいから、アスティーダは駆け出した。
近くには軍倉庫があり、そこには予備の飛空艇がいくつかある。運行しかできないため戦争には出されることは少ない。
「軍倉庫はすぐ近くだ!」
キリッシュはやけにファンベルグ国のことが詳しかった。迷うことなく分かれ道などはすぐに進んでいく。キリッシュは疑問に思うアスティーダたちのことを察して話し始めた。
「俺は・・・・・・賢者だ。この国にも賢者として何度も行っている」
賢者、その言葉を聞いて、驚くアスティーダとラーフルド。聞けばヴィスの親友ナッシュも賢者だったらしい。そして軍倉庫につくや、突然軍倉庫の屋根から飛空艇が飛び出した。屋根を勢いよく突き破り、破片を辺りに散らしていく。アスティーダたちも中へ入り、飛空艇へ乗り込んだ。
「賢者の咆哮は、戦争が激化した場合のために残しておいた。ハゼル様も過去に賢者のひとりだった。今は俺が代わりだ。そしてセイル氏の父も現在の賢者のひとりだった」
賢者に身分など関係ない。王もいれば中には民もいる。そして意外に身近な存在にいるのだ。アスティーダはキリッシュが賢者の一人とわかり、ひとつだけ聞きたいことがあった。
「あの判決は正しかったのか・・・・・・?」
7日の拘留後、死刑・・・・・・。最高求刑にはいる。キリッシュの表情がすこし硬直する。飛空艇を操縦しながら、一言言う。
「あぁ・・・・・・正しかった」
「そ、そんなこと――」
「真実かはわからない、とかは止めたほうがいい」
そしてキリッシュは巧に操縦をして徐々に飛空艇との距離を詰める。自動操縦に切り替える。おそらくあの飛空艇も自動操縦にしているであろう。かなりスピードは出ているがこちらが近づいてもそれ以上スピードは上げることはなかった。甲板が見えると、そこにはレンとアーシュがいた。アスティーダはワイヤーを取り出した。甲板にはワイヤーを飛ばす装置が置かれている。それでワイヤーを飛ばし、飛空艇に打ち込んで乗り移る作戦だ。かなり危険だが、同じスピードにしており、距離もそう離れていないので大丈夫だろう。
「行こう!」
【11 私は待ち人】
強風が吹き荒れる中、そこにはふたりの女性がいた。風になびく髪の毛が目にかからないようにアーシュはすこし薄めにしてレンを見る。強風にさえ微動だにしない“賢者の咆哮”この世の科学では解明などできない物質である。手の平ほどの大きさでしかないそれは、全てを破壊する力を持っている。いまやレンによって世界の運命が左右される
「あの事件の犯人は誰だと思います?」
レンはリーシャにそのようなことを質問していた。この時点で、この状況で誰もが普通ならレン、と答えるであろう。リーシャも同じ答えを言う。
「あ、あなたしかいないでしょう!?」
するとレンは笑みを見せる。なにがおかしいのか。それとももうすでに、いわゆる壊れてしまったのだろうか。ナッシュも、レンが殺害したはず。おそらく動機は“賢者の遺産”と“賢者の咆哮”が目当てだったのだろう。そうアーシュは考えた。
「あなたですよ。アーシュ様、いえ、エイナ様とも言いましょうか」
エイナ?それは親友だが、彼女なはずがない。アーシュは言葉の意味を理解できなかった。その時、アーシュは眠気に襲われる。視界がぼやけ、目が重くなる。あの時と同じだ。そう思ったとき、風景は変わっていた。
潮騒が聞こえ、あたりは花が咲き乱れ、草原がひろがる。心地よい風がおだやかに頬を触れてわたっていく。いつか見た夢とおなじ場所。しかしひとつだけ違う。それは、親友エイナがいること。
「アーシュ、また会ったね」
「え、エイナ・・・・・・?」
これは夢であろう。アーシュはそう思った。ただ気絶して、夢を見ているのだ。不安がることはない。これはただの夢なのだから・・・・・・。心にそう言い聞かせるアーシュ。ふと、風景が変わる。そこはアルヴァンス国のある一室。壁には有名な画家の絵が飾られており、天井にはおおきなシャンデリア、そのほかにアンティークの飾りがある、あのセイルの父がいた部屋。アーシュは部屋の中に、中央にいた。閉じられている扉。そこへアーシュとセイルの父がやってくる。自分を見ているのはとても不思議だ。しかしこれは夢。現実ではない。再度言い聞かせる。
セイルの父は正装で、腰に剣を差していた。雰囲気からなにか警戒しているように感じる。鋭い視線に動じない自分をみるアーシュ。これはわたしではない、これは夢と思っているのだが、不安が徐々に増大する。
「あれは賢者の咆哮の封印の役割もしている。当然我々賢者封印としての役割を全うさせる。それに賢者の咆哮はこれ以上戦争が起きない為にあるのだ!」
「関係ないわ」
恐ろしいほどの不敵なその表情にセイルの父はすこし臆したような表情をする。あまりにも恐ろしく、アーシュもすこし身を震わせる。
セイルの父は腰に差していた剣に手を伸ばして言った。
「賢者の遺産はやることができん!」
剣を鞘から勢いよく抜こうとした時だった。その時、すでに胸に剣が深く刺さり、剣は鞘から抜けることはなかった。計算してのことか、アーシュはすこし後ろに下がって返り血を浴びないようにしていた。そしてアーシュは静かに部屋から出て行った。アーシュが部屋から出ると同時に風景が戻り、エイナが現れる。
「これが真実よ。アーシュ」
するとエイナはいつの間にか手に持っていた剣でアーシュの頬を軽く傷つける。血が頬を滴り、アーシュは痛覚を感じる。これは夢のはず、という考えが吹き飛んだ。たしかに痛みを感じる。頬にできた傷を触るたびに電気のような痛みを感じる。血も、わずかにぬくもりをもっている。
「精神状態だけど、ここでは痛みも感じるし、殺すこともできるのよ」
エイナは剣についたわずかな血を指でぬぐう。あの時のエイナとは何もかも違う。すでに親友としてのエイナはどこにもいなかった。
「あの人ね。わたしの目的を知ったらいきなりあんなこと言うから、殺しちゃった」
恐ろしいほどの不敵なその表情、あの時と同じ表情だ。
アーシュはよく理解できなかった。その言葉の意味もよくわからない。一体なにが言いたいのか。そして本当に自分がセイルの父を殺してしまったのか。考えることを止めてしまいたいアーシュ。エイナはため息をついて口を開いた。
「教えてあげるわ。一言で言うと私は貴方。貴方は私なの。思い出して・・・・・」
――アーシュ――
――エイナ・・・・・・もう目を開けることはないの・・・・・・?――
――泣くな、エイナがスダーナの元に逝けないだろう――
――ねぇ、お姉ちゃん。どうなったの?――
それは記憶の中でいつしか消えてしまった記憶。つらい記憶はいつしか思い出すことを拒否し、心の奥底に、しかしかすかに残っていた。アーシュは全てを今思い出した。幼い頃にひとつの命が失われた。
――エイナは遠くに行っちゃったんだけど、すぐに戻ってくるぞ――
エイナの死をごまかす父のその言葉。しかし、アーシュにはそんなことは通用しなかった。すべてわかっていた。双子は見えない絆につながっているもの。どちらかが欠ければすぐにわかるのだ。アーシュは姉がこいしくて仕方がなかった。会いたい、と強く思い続け、そして心に異変が起きた。それが親友エイナの存在である。
「私はあなたによって作られたのよ。そしてあなたの姉への記憶が私に埋め込まれた」
「なら、エイナは・・・・・・」
「貴方が作り出した魂、そして人格よ。ひとつの体に二つの魂。だからもう判るわよね?」
真実はそういうことだった。もともとセイルの父を殺した別の犯人などいなかった。アーシュ自身が殺害した。ただ、そのときの人格が違っただけだった。
そしてアーシュにエイナの記憶が流れてくる。武器屋のあの店長になにか話している。
――ファンベルグ国の紋章をつけた若い男、ナッシュがこのナイフを買ったと言ってくれない?――
そう、あのときの「これでいいんだろ?」という言葉はアーシュに向けられていた。そしてさらに記憶が入ってくる。
――私がすこし吹き込めば皆貴方を助けようと動き出すでしょう――
今度はレンと話しているアーシュ。どこかの兵士の泊まる部屋のようだ。少々薄暗く、狭い。アーシュにはあまり似合わない場所だ。
――あとは、彼らに任せればファンベルグには行けるわね――
それは念入りに計画されていた。ファンベルグの賢者の遺産と咆哮を手に入れるためにアスティーダたちを移動のために利用し、目的地をあのナイフを利用して決めさせる。どこか近い国に、ファンベルグ国意外にしなければならない。そうでなければすぐに捕まってしまう。
そして店長の言葉からファンベルグに向かうのだが、普通なら兵がいてすぐに捕まるだろう。。だが、王の殺害により、戦争をおこさせることで兵士は国からいなくなる。国と国との戦争はうsべての兵士が参戦する。それを利用したのだ。
「無事に、ナッシュの元にも行けたし、賢者の咆哮ももうここにある。」
笑みを浮かべて勝ち誇るようにアーシュをみるエイナ。アーシュ自身、必ず犯人を見つけ出すために自ら永獄悲罪宮に戻ることをしなかったことも予測されていた。
「どうして・・・・・・そんなことを」
エイナは理解に苦しむような表情をする。なにを間抜けなことを?と見下したような視線を投げ出し、面倒そうに口を開いた。
「この世界を手に入れるためよ。すべての敵を破壊し、私の支配する世界にする。最高でしょう?それと貴方も敵。だから、バイバイ」
するとエイナは剣をアーシュの胸に刺す。その剣は胸を貫き、アーシュは口から血を吐き出した。突然の出来事に、頭の中は真っ白になる。ただ、脳裏をよぎるのは“死”。尋常ならぬ痛みと苦しみ。アーシュがその時頭に一人の男性が浮かんだ。
――アスティーダ――
セイルではなく、アスティーダの笑顔。それがアーシュが想いをよせる人。今確信したアーシュ。死にたくない・・・・・・。もう一度合いたい・・・・・・。その想いとは裏腹に、アーシュの視界は闇に途絶えた。
「アーシュ様!」
甲板にアスティーダたちがワイヤーを通して飛び移ってきた。甲板にはひざをついて動かないアーシュと賢者の咆哮を持っているレンがいた。アスティーダのその言葉に、アーシュはなにも反応しない。そしてすくっと立ち、レンの方へ行くアーシュ。賢者の咆哮を受け取るその背中からいつもの雰囲気とは違うものが伝わってくる。
そして、振り返るアーシュ。異変がすぐにわかった。瞳は赤と黒になっている。これは・・・・・・アーシュ様ではない!?脳裏をよぎるその言葉。しかし、内心理解できない。アーシュであってアーシュではない存在を感じる。
「たしか、アスティーダとか言ったわね」
するとアーシュは突然レンが腰に下げていた銃を取る。アスティーダたちに向ける、と思いきや、レンに向け、胸へ発砲した。血の雫が宙を舞い、アーシュの頬に雫のひとつがついた。そしてアーシュはレンを押して、飛空艇から突き落とした。かすかに鈍い音が下からきこえる。
そして、大陸をはなれ、海の上へ。しかし潮風など感じない。それほどまで現在は上昇している。落ちればひとたまりもない。たとえ海に落ちたとしても衝撃が尋常ならぬほどになっているだろう。
「白状するわ。セイルの父は私が殺したの」
徐々に髪の色も赤と黒が混じった色になる。すでにアーシュの面影は消えている。高笑いをして彼らを見つめるその表情は鳥肌が立つほど恐ろしい。そして手には賢者の咆哮がある。この世界の運命はもはや彼女にゆだねられているのだ。
アスティーダは全てを理解した。“あれ”はアーシュではなく、違う存在。その存在がセイルの父を殺害し、この事件の元凶。アーシュは腰に刺していた剣を手にする。ラーフルドも、キリッシュも。しかし、内心はアーシュを傷つけることができるはずがなく、ただどうすればいいのかを考えていた。
そして、アーシュは横を向き、賢者の咆哮を大地へ向ける。咆哮が光だし、周りの空気を吸い始めた。アスティーダは走った。ラーフルドよりも、キリッシュよりも反応が早く、アーシュに向かっていった。しかし、咆哮はすでに閃光を放った。が、閃光は大地へ向かうことはなかった。空に向けられ、閃光が放たれる。雲が一瞬にして閃光の周りから消え、空へ光の柱となって融けていった。
「アス・・・・・・ティーダ・・・・・・」
振り向くアーシュのその目はいつもの色に戻っていた。髪も半分だけだがあの艶やかな髪の色に戻っている。瞳からは涙の雫が滴る。アーシュは最後の力を振り絞り、もうひとつの魂を押さえ込んでいた。しかしそう時間はない。体中が痙攣する。あまり動かすことができない。
「みんなには・・・・・・ちゃんと説明してね・・・・・・」
ふらつきながら、アーシュは歩き出した。アスティーダには殺してもらう役割は与えるわけにはいかない。もともと自分が起こした元凶、自分で締めくくらなければ。アーシュは甲板の手すりまでくる。
「なにをしようとしてるんですか!?」
アスティーダはアーシュの腕を掴む。ラーフルドとキリッシュも駆け寄る。アーシュは何も言わず、アスティーダの唇に唇を重ねた。
「ありがとう・・・・・・」
すでにそれが限界だった。
――やめるんだ!――
――死ぬことになるんだぞ!?――
心の中で何度も叫ぶエイナ。すでに覚悟は決めている。今更このようなことを招いて生きようとは思わない。そしてアーシュはアスティーダを突き飛ばし、甲板から賢者の咆哮と共に身を投じた。アスティーダは思い切り腕を伸ばすが、空を掴むだけだった。アーシュのその表情は笑顔だった。徐々に小さくなるアーシュの姿。そして、はるか下の青い海に波紋がひろがった。
「アーシュ様―――――!」
大粒の涙を流し、崩れるようにアスティーダはその場に座り込んだ。愛する人の手を引いていくのではなかったのか、こんなにも決意とははかなく崩れていくのか。自分がとても小さく思える。愛する人を守れなかった。
そして、世界は無事に救われ、この事件のことは世界に広まり、アーシュの無実が説明された。この事件の主犯はエイナ、エイナ・アルヴァンス。アーシュはエイナに利用されるも、賢者の咆哮と共に死亡。アーシュは世界を救った英雄として人々に伝えられた。
戦争は終わり、両国とも和解しあった。賢者の咆哮は失われたが、このようなことが起こらないためにも、惜しむことをすることはなかった。保有していたことが元凶につながったのだから。
アーシュの遺体はすべての民が見守る中葬られた。アルヴァンス国の大広間は民で埋め尽くされていた。どこも、すべて民が埋めている。燃え上がるその炎。天へ誘われる煙。誰かは言う。その煙に乗って大女神スダーナの元へ行くのだと。
アスティーダはアーシュの剣を手にしていた。いつかあなたに会うために、会ったときに“会いにきた”なんて照れるから、こう言おう。“この剣、忘れてましたよね”と。まるで走馬灯のように浮かび上がるアーシュとの思い出。流れる涙をとめることができず、アスティーダはずっと涙を流し、アーシュを思い続けた。
誰かは言う。大女神スダーナは下界で素晴らしい行いをした者にはスダーナの使いとして天界で転生することなく、そこで愛しき人を待つながら、神に仕えると。
誰かは言う。愛とは時に苦しみを生み、時に人は愛を手放そうとするが、愛を手放すことこそ苦しみであり、愛する人を想い続けるのなら忘れないこと、そして想い続けるべきだと。
【エピローグ】
潮騒が聞こえてくる。あたりは花が咲き乱れ、草原がひろがり、心地よい風がおだやかに頬を触れてわたっていく。海は遠くに、とても遠くに、しかし確かにある。花びらが舞い散る中、ひとりの少女が立っていた。長い、艶やかな髪がなびいてきらめく。髪をかきあげ、少女はただ遠くを見つめる。白いうなじには陽光に輝く首飾りがゆれる。
少女は大切ななにかを、とても大切ななにかを忘れているような気がしていた。
――思い出さないと
そう、思い出さなければならない。絶対に。そうでなければそのなにかを失ったまま時間を過ごしてしまう。
――そのなにかとは?
少女は表情をすこし下へ傾ける。きれいな花が咲いている。その花を憶えている。しかし、思い出せない。
――なぜ?
この花もとても大切な何かの一部分だと思う。思考にぼやける一人の青年の表情。笑顔、それ以外わからない。ずっとここで考えていた気がする。ついさっきここに着たのに。ずっとである。そう、永遠のような。永遠であってしかし一瞬であるような。変わった感覚が少女を覆う。
舞い散る花びらの一枚を少女は手でそっと掴む。新鮮な、とても触っていて心地良い感触。不意に、風が強まって舞い散る花びらが風にあおられていく。少女の黒髪もあおられていく。少女はそっと手を広げて手の中にあった花びらを風に乗せる。
「みんなといるのがいいよね?」
私が掴んでいてはその花びらは“みんな”と離れ離れ。あの花びらは私?まわりには誰もいない。草原と花たちしか。遠くの海には?おそらくいない。根拠はない。しかしわかるのだ。
――ここの世界では私はひとり
ではみんなのもとへ帰る?しかしあの“なにか”を思い出さないといけないようなきがする。それまでここにいなければ。思い出さなければ。少女は不安そうに胸に手を当てる。空を見上げてみた。雲ひとつない大空。
少女は視線を戻して、海へ。なにもないことはわかっている。しかしどこか逝かなければ。このまま時を過ごすのは無駄である。
歩むたびにやわらかな感覚を感じる。草木が豊富に茂っているため土を踏む感触が感じられない。しかし草木を踏むということは少々嫌な気がする。なにか生命を痛めるような感じだが地面全てを覆っているため仕方がない。
海は輝きを放ち、星達が舞い降りたように綺麗だった。透き通る青。魚達が、生命が泳いでいる。―――ここではない。“なにか”を思い出すにはここではできない。やはり先ほどの場所でしか。
――再会を誓ったあの場所でしか
・・・・・・再会?ふと頭をよぎるその言葉。私は誰かを待っていた?
―誰を?
おそらく大切な人。愛し合うことを誓った人。私が心から求める人。名前、名前、名前、名前、名前、名前。
―――――思い出せ
思い出さなければ。思い出せ!思い出すんだ!とても大切なことだ。失ってはならない。絶対に。
――思い出せ――
―――アスティーダ―――
ふと蘇る一人の男性の名前、そして笑顔。少女は待ち人を思い出し、心の違和感を消し去った。思い出した。彼の声、彼の笑顔、彼の姿、彼との口付け・・・・・・。こぼれる涙。私は待ち続ける。いつか彼は来てくれる。この手を引っ張ってくれる。
――――ずっと待ってるから――――
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■作者からのメッセージ
あ、できました(何 とりあえずなんだかわかりづらく、駄目駄目ムード丸出しです・・・・・・すみません。しかしこれで終了です。(ノ∀`)フ 終わった終わった〜とりあえず、犯人はアーシュ自身だったというわけでした。ただし人格が違うだけで。そしてレンも共犯者なのですが、最後は大変な死に方ですた〜。いやぁ自分実は―ぐしゃ―という表現を書こうとしましたがちょっと自分的に却下しました。そして最後はバッドエンディングという形を取らせていただきました。まぁ私自身バッドでしたけどねぇ・・・・・・・。それでは皆様最後まで誠にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。