- 『流離い抜刀〜明治流浪剣客物語〜 更新【其の十七・二つの戦場】』 作者:影武者 / 時代・歴史 時代・歴史
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――流離い抜刀〜明治流浪剣客物語〜・序章――
江戸幕府、徳川家康が開いた幕府である。そして織田信長、豊臣秀吉に続く『最後の幕府創始者』でもあった。
しかし、徳川が率いる江戸幕府は長年の末、江戸時代1867年の『大政奉還(政権を朝廷に返す)』により、
徳川家康の政権は朝廷(天皇)に返えされ、幕を閉じ、江戸幕府崩壊と平行し刀を振り回す武士達の時代も終結した。
政権は(明治)天皇が持ち、初めて『政治』という土台が日本に建ち、『明治時代』が訪れた……。
そして何よりも文明開化により外国からの文化が日本に渡った。それにより日本も武士時代から変わろうとしたのは、
言うまでも無いだろう。また、明治時代の確実な成立の役目となり日本中を揺るがしたものが一つあった。
それは『明治維新』
明治維新は日本国を武士時代から政治時代へと変えるものだった。
そして農民も武士(幕府)による力から抜け出したかった。
江戸幕府、幕府崩壊、明治時代、明治維新……と、移り変わる時代の背景。
しかし、裏には信念と意思を貫く者がいた。それは江戸幕末以来、忘れかけていた武士(侍)や浪士だった。
―武士道―
そんな志しを持ち、そして剣客たちは未だに、明治の陰に隠れながら日本に存在していた。
明治時代1871年、ある静まり返った夜のこと。
誰一人もいない小さな直線の路地、下町に良くある入り組んだ路地だ。
当然、夜ということで誰も外に出る者がいなかった。それは先程言ったように―静まり返った夜―で
見て取れるだろう。真夜中の天体では星が満面の笑みでひかり、沈んだ夜を灯していた。
一直線の路地の左右には路地に沿って、いかにも古そうな家が建ち並んでいる。
木材の家、が茶色で一層夜を暗くしていた。玄関は木材で障子ばり、そして屋根は黒い瓦が敷き詰められ、
そして玄関の近くに立っている二、三本の柱は瓦屋根を支えていた。
今、現在、日本の状況によれば一般的な農民の暮らしぶりだろう。それほど貧乏ではなく、かと言って反対に裕福ではない。
しかしながら、狭い路地に暗い夜は何故か庶民の家を貧乏そうにさせたのだ。
そんな、ある夜。誰一人もいないはずの一本の路地に動く光が路地を明るくした。
その明かりと共に近くの家の玄関先が少なからずハッキリと見えたのが分かった。
そして明かりは少しずつ前に動いたように見え、それと同時に明かりで、前の家、前の家、と、一つずつと玄関先を明るくする。
しかし、明かりは一つではなかった。二つ、三つ、四つ。
そう、その明かりは、人が持つ「ちょうちん」だった。
今、夜を歩くとすれば明治政府の配下の者か? それとも珍しく―辻斬り―か? どちらかだ。
しかし明かりで灯された者達の服装を見ればすぐに分かった。
黒の服装に腰に掛けてあるサーベル(外来の剣)。その二つでその者達は明治政府配下の剣客警備隊であったことが分かった。
剣客警備隊とは今で言う、警察官のようなものである。そのため、このような夜回りはほとんど毎日していた。
どれくらい明かりは動いたのだろうか? 数分はかかった徒歩も、そこで止まった。数分歩いたものの風景は一向に変わらず、
狭い路地に古い家が立ち並んでいるだけだ。変わったと言えば少し前に右、左、前、と路地が分かれている。
そんな風景と共に剣客警備隊は、ある薄暗い家の前に止まり、剣客警備隊の先に立つ者がしゃべった。
「ここか……剣客隠密組(けんかくおんみつぐみ)……!」
ゆっくりとしゃべり、そして尚且つ熱意のようなものを語尾に加えたようだった。
すると、一言聞いた後方の者が前に出て横に並んだ。
「陀崎隊長(ださきたいちょう)……」
前に建つ古い家を見ながら言った。
「なんだ? 北沢(ほくざわ)?」
陀崎が質問する。そして横に立っている北沢は眉をひそめ小さくしゃべった。
「生かせてはおけませんよ。新しい時代を作ろうとする邪魔者めが。
政府が誕生してから指名手配中の隠密集団……剣客隠密組。首位にいる手配者は……」
そこまで言うと、北沢は口を閉じ、手に持っていた手配書を見ながらつばを飲み込んだ。
「手配者は…ただ二人……だけ。一人は隠密組首謀者とされる者、名は不明。二人目の名は……これは判明してます。
名は、剣在信一(けんざいしんいち)」
数分後、剣客警備隊は隠密集団の拠点地へ突撃し、抹殺。
事件翌日に全国の一部の新聞記事により報道されることになった。
――明治時代1871年5月26日の暗い夜、神奈川下町川崎にて
剣客警備隊により指名手配集団『剣客隠密組』が抹殺される。
昨夜の時点では指名手配者数はたったの二人だが、
剣客警備隊の突撃により16名の隠密集団と発覚する。
剣客警備隊第一番隊長、陀崎の証言を入手。
「やつらの首謀者と見られる者が言っていた言葉がある。奴はこう言っていた……。
我々は犯罪をする訳では無い。むしろ世のための剣客隠密集団だ。と、」――
そして、この話には続きがあった。
『剣客隠密組』の一人、剣在信一の行方不明。更に、この事実は誰も知らない。
知っている者と言えば……この事件で活躍した『剣客警備隊第二番隊長、北沢総司(ほくざわそうじ)』ただ一人。
事実は『剣客警備隊の突撃により17名の隠密集団と発覚する』なのだ。
そして物語は、明治維新真っ只中の明治時代1872年より、東京下町から始まる。
――流離い抜刀〜明治流浪剣客物語〜 【其の一・流離い剣士】――
明治維新の日本と言えば『文明開化』により外国からの文化などが渡り、東京も外国のものが見て取れた。
例えば、レンガ造りの建物、外国で愛着されているスーツ、など和風と洋風で混ざっていた。
しかしながらスーツやレンガ造りの建物など金持ち人ぐらいしか、所持していなかった。
そこまで明治維新は庶民の暮らしも変えた。当然、金を持っていない者と持っている者とで差が愕然としていた。
そんな背景を物語っていた日本だが、東京下町は「下町」とあるように金持ちの住むところではなかった。
が、東京下町は「東京」とあるだけあって庶民の家が多く、人口も沢山だ。
そして、その東京下町の風景に一人の男が立っていた。色々な路地が右、左、前、後ろ、へと沿ってつらなっている。
丁度、その男が立っている一本の路地は、「下町の商店街」のように見えた。
なぜなら、その路地には八百屋や呉服屋、など生活に欠かせない店が立ち並んでいたからだ。
店が多くあるだけあって人だかりもあり、一層に東京下町をにぎわせた。
そして店主と手提げかばんを持ち着物を頬衣でいる女性の客の会話も近くで聞き取れる。
しかし、周りにあわないような服装をしている男がいた。
上は白い道着に下は「袴(はかま/和服で腰につけ下半身をおおう緩やかな衣服。武士が愛着)を着ている。
もっとも特徴的なのは、白い帯を腰にくくり、そこに刀を差していた所だった。
一瞬、その姿を見ると、武士の時代を思い出すだろう。しかし今は時代が変わり明治……。
武士の時代が終わったのだ。だが、その男の姿は武士を思わせるが男からは武士のなごりは一切なかったようにみえた。
それは涼しげな顔に、上半身の道着は白色。しかし下半身の袴は青色だった。
ちょんまげのように髪を後ろで束ねることは当然ながらしていなく、短髪だ。
そんな男が路地端に立ち止まっているのだ。なぜ立ち止まっているのかは分からない。
しかし、その理由もすぐに分かった。丁度、八百屋の前で人だかりができていた。
人だかりは円を描くように丸くなって八百屋の前で集まっていた。男は疑問に思い少し頭をかいた。
「何か見せものでもあるのでござるか? 面白そうでござるな」
男は少し違った答えを出した。普通、あれを見ると一般的には事件でもあったのか? と、思うはずであろう。
と、言っている間もなく男は人だかりの元へと歩き出した。ささっと駆け寄り人ごみの前で止まった。
ざわざわと人ごみから少なからずしゃべり声が聞こえた。少し中にいるのか。その声は小さく聞こえた。
「元気な嬢(じょう)ちゃんよね。早織(さおり)ちゃんって」
その声からは人ごみの中心でなにが起こっているのか予想もできなかった。分かったのは中心に女性がいること……。
男は、決心したように頭を下げながら人ごみを掻き分け中へと入った。
数十秒もかかったようだった。服は汗が少しにじみ、やっと人を掻き分け中心へとたどり着いた。
掻き分ける人ごみの最後を、ぐっと両手で左右に開いた。開いた瞬間力が抜け、男は中心へと放り投げられ、
上半身が前へと出た。
「おっとっと」
投げられた上半身を支えるように両足でバランスを保ちながら、仕舞いにひざをついた。
「ぅわ! 痛いでござるよ〜」
男はひざをなでながら弱音を吐いた。人ごみの中心には大きな体格の男が一人、着物を着た女性が一人、
向かいながらにらんでいた。その両人のにらんだ顔を見ると男はつぶやいた。
「なんでござるか? 人ににらむのは失礼でござるよ」
男の言葉に反応したのか。右にいる女性が男ににらんだ。
「何よ! 私はこの筋肉男に喧嘩を売ってんのよ! 邪魔しないでよ!」
「け、喧嘩!?」
「そうよ……この筋肉男、魚買っときながら金が無いって言うのよ! 黙っていられないわ!」
女性は向かい合う男を体格から『筋肉男』と表現しながらも自分の言い分をはっきりと述べた。
ようやく、ひざをなでながら男は、ゆっくりと立った。
「御主(おぬし)、名は早織でござるな?」
この言葉に驚いたのか、つっていた女性の顔は目を丸くしして「女性の顔」に戻ったのが分かった。
「……何で私の名前?」
男は右手で頭をなでて照れながら言った。
「いや〜〜。可愛らしい女性の名前ぐらい知るのが当然でござるよ」
偶然、先程聞いた名前を言って、嘘っぱちを言ったのが良かったのか、否か。
わけも分からない二人の会話は「筋肉男」をのけ者にした。
「おい! 俺はどうなるんだ! そこの嬢ちゃん!」
筋肉男はのけ者にされたことを怒りながら早織を呼んだ。早織は筋肉男に再び顔を向けた。
「何よ! 金を払えばいいのよ! だから、早く金を」
と、言ったところで早織と筋肉男の間になっていた「刀の男」が早織の肩を少し叩き、後退させた。
筋肉男の前に出た男は、さっきまでの勢いの抜けた顔と口調を一気に変えてしゃべった。
「一向に終わらないでござるな。御金を置いていけば済む話でござる。さっさとしてくれないでござるか?」
「なんだ! 明治にもなって袴の野郎に言われたかねぇ〜よ!」
筋肉男は袴をのけ物にして前に立つ男に暴言を放った。しかし「刀の男」は以前と変わらず視線を落とさない。
その視線に口を出せなくなった筋肉男は仕方なく、こう言った。
「……わ、分かったよ! 金を出せば良いんだろ!……っち」
筋肉男は白い上着の胸ポケットから金を出し、早織の腕をつかみ、手の上に金を置いた。
「仕方ねぇ〜。釣はいらねぇ……。だがな、袴の野郎、今度会ったらタダじゃおかねぇ〜ぜ」
筋肉男はそういうと人ごみを掻き分け走っていった。早織は助けてくれた男を下から上へと眺めながら金を内ポケットへと入れた。
「ありがとうございます……あんな人はときどきいるんです。ところで名前は……」
男は反対側に帰ろうとしていた所で、早織の方に振り向き、笑顔を作り言った。
「剣在、剣在信一でござるよ。ただの流離い(さすらい)剣士でござるよ」
――流離い抜刀〜明治流浪剣客物語〜 【其の二・刀が舞う/前編】――
「ちょ、ちょっと、待ちなさいよ! お礼ぐらいしないと私だって悪いわ!」
人だかりは徐々に崩れていき人ごみの中心と、その周りが姿を現した。
その場所は丁度、八百屋の前の路地であり、八百屋の店先に店主と思われる腰を曲げ杖を片手に男性老人が立っていた。
この場合で考えると店主は早織の父か、それとも祖父かと考えられた。
そして、剣在は筋肉男が去っていった反対方向に歩いて行こうとした時に早織が、一言、言い剣在を止めたのだ。
「私の家は八百屋なの。だから晩飯ぐらいはおごるわよ!……」
早織は、赤面になり熱心に説得する。剣在は振り向き早織の赤面をうながすように優しく言った。
「……晩飯でござるか……。良いでござるな」
剣在は、にっこりと笑い早織を落ち着かせた。が、剣在は……。
「では、宿泊も良いでござるか?」
早織はムッとして大声を出した。
「宿泊!? なんでそこまで私がしなくちゃいけないのよ!」
「やはり駄目でござるか? 早織殿は心が狭い……」
早織はなおも威嚇する。
「なにが狭いよ! あなたが無理やり宿泊って言ったのでしょ! ……ん〜〜ま〜良いわ。どうせ借りがあるんだし」
早織は仕方が無く剣在の宿泊を許した。そこに剣在は八百屋の店先に立っている老人を見て問いかけた。
「早織殿、あの方は御主の父様か?」
剣在は問う。早織は怒りながら言った。
「私のじいちゃんよ!」
剣在は父様と間違えたことに恥らい頭をなでながら早織の案内にそって中へとはいっていった。
「ねぇ? 袴の人? あなた何で刀なんて持ってるの?」
夕方の晩飯、八百屋の奥の茶の間。早織と剣在、そして早織の祖父と三人とでちゃぶ台を囲み食事をしている所だった。
早織は剣在の後ろに置かれている「刀」に疑問を持ち剣在に問いかけた。
剣在は後ろの刀を見て、笑いながら言った。
「拙者の名は剣在信一でござるよ」
そこまで笑うと剣在は静まり返った。剣在の様子に心配した早織だったが剣在の話にまずは耳を傾けた。
「拙者は……刀は好きではござらん」
「じゃあ、なんで……?」
早織が小さく言った。その小さい声を剣在は拾い、その問いに答えるように話を続けた。
「刀は当然、人を斬る道具でござる。しかし……拙者は……」
そこまで言うと剣在の口は閉じてしまった。今まで元気な剣在と静まる今の剣在とのギャップに心配して早織は一言。
「いいのよ。話したくなかったら……」
剣在と早織の会話はそこで途切れた。そこに早織の祖父が口を出す。
「早織、流離いの剣士は疲れているのじゃ。奥の間に連れて行ってやらんか」
早織は祖父の言葉どおりに剣在を奥に連れて行った。
朝方の日の出と共に剣在は腕を伸ばし、目を覚ました。
剣在の横には祖父、その隣には早織が寝ていた。ようだったが、もうすでに早織は茶の間へ行っていた。
「剣士さん」
祖父の声に驚き、剣在はハッとする。祖父は寝ていたようだったが狸寝入りだった。
そう、剣在が目覚めるのを待っていたと、言うべきだ。
「丸栄(がんえい)殿……起きていたでござるか……」
丸栄は天井を見ながら話す。それと平行して剣在も天井を見た。
「剣士さん……私は御主とは関わりも無いが、一度だけ御主に聞いてもいいかな?」
「あ、ああ。良いでござるが」
「過去に何かあったように見えるな。過去を話せとは言わんが『その刀』に何を願うのか、言ってくれんか?」
「拙者の、刀は大切なものでござる。言葉でどう言えば良いか分からんでござるが……。
拙者は、昔、貧乏な暮らしでござった。そして両親は小さな拙者を捨てていったでござる。
そこで拙者は強くなるため、『刀』を手に取ったのが始まりでござる。しかしながら、あの時、拙者は強くなるために
刀を手に持った……そんな時、そんな拙者の無防備な心と体を救った者がいたでござる。
その者は『刀を持つ意味』や『刀も持つ者のこころざし』を教わった。
……しかし、拙者の『師匠』は当時の剣客警備隊に殺されたでござる。何か、誤解があったでござるのに……」
そして二人の会話をふすま越しに聞く早織……。
ふすま越しに聞いていた早織は、その過去に呆然と立ち尽くしていた。
そんな時、八百屋の店先に見たことがある体格と風潮があった。早織は客だと思い店先へ飛び出そうとして、
俵靴を履こうとした。が、早織は右足を俵靴へと忍び込んだところでぴたっと止まった。
「よう、八百屋の嬢ちゃん。あの時は失礼」
そのがっしりとした体格は、早織と争っていた『筋肉男』であった。早織はまた何かをされると思いにらみつけた。
「おいおい、俺は袴野郎に渡したい手紙があるだけだ」
そう言うと筋肉男は内ポケットから四つに折りたたまれた手紙を出し、早織の前に出した。
早織は何も言わずに受け取り、その後、筋肉男は去っていった。
右手の上に置かれている手紙により「剣在に渡す」ことを思い出し、早織は俵靴から右足を戻し、
ふすまへと向かった。がばっとふすまを両手で開けて手紙を前に出す。
「剣在さん! あの男から手紙!」
「あの男!? あの時の、でござるか?」
剣在は布団を起こし、そして立ちながら言った。
「そうよ。あの男」
剣在は手紙を取れる位置まで早織に近づき、右手で取った。丸栄も興味深いようですぐさま重い体を持ち上げた。
剣在は手紙を開き中を見る。
「……先日は八百屋の嬢ちゃんに失礼した。が、そのお礼をしたいわけであります。
よろしければ明日の正午に北川橋、河原にて刀の手合わせ願いたい。……と書かれているでござるよ」
「行くの?」
「行かなければならないでござるな……」
――流離い抜刀〜明治流浪剣客物語〜 【其の三・刀が舞う/後編】――
翌日、丁度、正午をあらわす「空の頂上」の手前で太陽は熱を発しながらとまっていた。
剣在信一は『筋肉男』から早織を通じて渡された『勝負状』を、ちゃぶ台を囲み眺めていた。
剣在の隣には丸栄があぐらをかいて座っている。
そして剣在から、数メートル離れた奥の間へ通じるふすまの横、で早織はタンスの中の着物を整理していた。
「ねぇ、剣在さん。あの男との勝負って今日の正午でしょ? 後もう少しで太陽も上がりきるわ。
もう行った方が良いんじゃない?」
早織は一番下段のタンスの整理が終わり、タンスを押し込み、こちらを見た。
丸栄は、『勝負』に何も反応は無くあぐらをかいたまま、頭だけを下げて寝込んでいる。
「うむ、そうだな〜。北川橋と言えば……」
「この家から北側に行って、左側にある橋よ」
剣在が場所を気にした後、早織はすぐに場所を示した。だが、早織は話を続けた。
「ねぇ、剣在さん。あなた強いの?」
早織は問う。剣在は『え?』と、一瞬言葉を出す。
「……どうでござろう? ならば早織殿、ついてくるでござるか?」
「良いの?!」
「拙者も、相手がむさ苦しいと嫌でござるから、早織殿がついて来てくれると助かるでござるよ」
なんだか筋肉男を遠まわしに『弱い』と言っているような気がしたが、剣在は何も気にせず言った。
その後、剣在は後ろに置いている刀を持ち、おもむろに立ち上がった。
腰に刀を差して、袴を整えた。
八百屋の店先に出て、剣在と隣にいる早織が北川橋を目にしてから、そう時間はたっていない。
太陽も正午を示し、炎のように降り注ぐ日光を背中に浴びながら二人は河原に続く、
北川橋の隣にある階段を目がけて歩いていた。
河原に続く階段は石を置いて丁寧に階段をつくっているものではなく、人が歩いたものにより、
その階段はぎこちなく一応『階段』となっていた。
そんな不便な階段を下り、河原のところへと踏み入った。左に流れる川は魚が少し目立ち、綺麗を物語っていた。
川を見ながら前方に進んでいた二人は、前にいる『男』に気がつかなかった。
「ようやく来たか……明治維新の背景も見れない袴野郎……おい!」
筋肉男は気がついていない剣在に向かって、怒鳴った。それに気づいた二人は前をすぐさま見た。
どっしりとした体格に長身長の体系。そして一番に目が言ったのは腰にささっている長めの刀。
白い帯によって差している『長い刀』はどう見ても一般的な刀より長いのは見たとおりだった。
そして、二人は10メートルに筋肉男と間隔を取り、そこで止まった。
「異様に長い刀。この者……流儀でも……」
隣にいた早織が話しかける。
「流儀もってるんだったら、アイツ……強いんじゃないの」
「何とかなるでござるよ」
早織が苦笑いする。
「あなたって、本当にのんきよねぇ」
しかし剣在は早織の言葉に無視するように前にいる男に言う。
「おぬし、まだ名を聞いていなかったでござるな。拙者は剣在信一……ちなみに歳は、26歳」
早織は再び苦笑い。男は『ちなみに――』の語尾の歳が気になった。が、男はしゃべった。
「ふん、俺は近藤番儀(こんどうばんぎ)だ」
近藤は歳は言わなかった。それだけ勝負には真剣のようだ。
「……剣在。このまま話しをすることも無い。早速、勝負と行こうではないか」
その言葉に反応するように剣在は早織の安全をはかって、小声で合図した。
早織は、うなづき横へ離れる。
一瞬、やわらかい風が吹き付け、その後、緊張が高まった。そして緊張が切れたのは数秒後。
すぐさま近藤は右手で長い刀を鞘(さや/刀をしまう道具)から大振りに抜き、重たい刀とは言え、右手だけで
その刀を持った。
「やるでござる」
重い刀にも耐える近藤の腕力にほめた。次に剣在が刀を右手でゆっくりと抜く。
近藤に対して剣在は両手で正眼の持ち方をした。(刀を少し斜め上にして持つ)
「剣在、おまえから来たれ……」
しかし剣在は行かなかった。なぜなら……
「勝負を申し出たのはおぬしではないか? おぬしから来るでござる」
「はっはっは、確かに、では遠慮なく!」
近藤は大声を出し、足に力を入れてこちらへ向かってくる。剣在は冷静に近藤の動きを見ていた。
「これでもどうだ!」
近藤は剣在の手前で急に立ち止まり、右手の長刀を大振りで横に払う。
空気を斬る『ザッ!』と言う音が聞こえた。しかし、剣在は驚かずに後ろにひいた。
「なに! よけただと!」
長刀は長さも剣在の刀より当然長く、普通ではよけ難い。だが剣在は迅速だった。
「ふむ、近藤殿。おぬしは力に頼りすぎでござる」
剣在は、そう言うだけで近藤に刀を振らなかった。近藤は大振りをし、隙が空いたが剣在は刀を向けなかった。
しかし、そのかわり剣在は正眼のまま、少し前に出て、近藤ののどの直前で刀の先を止めた。
「一瞬の隙は死でござる。さっきの大振りはその証拠でござるな」
近藤は、枯れたのどを癒すようにつばを飲み込んだ。
「うぬ、やるな。しかし! 俺の腕力を忘れたか! こんな近くに寄った貴様は馬鹿だ! 一振りでなぎ払う!」
右手に持っていた刀を『カシャッ』とならし刃を剣在に向けた。右手を頭の上に持ち上げ、再び大振りの準備をするように
刀を後ろに引いた。
「あの時、俺に口出したお礼だ!」
刀は剣在のすぐ上にまで来た。空気を斬る音と共に剣在を斬ろうとした。
「力任せだと言っている!」
剣在は迅速的に右へよける。元にいた場所には残像が残るほどに、その動きは見事だった。
「馬鹿な! しかし! この手が残っている!」
その言葉に疑問を抱きながらも剣在は一応、後ろへ後退した。
近藤は刀を地面に付けた。地面は小さな石がごろつき、刀の刃は空を見上げて石の中に隠れる。
「なにを……?」
剣在が疑問に思うのも無理は無かった。
近藤は右足を前に少し出し、左足を後ろへやり、体制は低くなった。刀を持っている右手はそのままだったが、
それに加えて左手も加えた。体制は低く刀を地面につけている。
近藤は笑う。
「はっはっは! これで終わろうではないか」
剣在は、近藤の体制をよく眺める状況しか出来なかった。しかし次の瞬間、剣在は『ハッ』とした。
「今、気づいても遅い!」
近藤の動きはもう始まっていた。近藤は全身を前に一気に倒し刀を地面にそって前に出す。
地面は削れ、石はその刀の威力により砂と共に剣在に飛びかかる。
「ぐわ!」
剣在は目に砂が入り、石が体に衝突する。『一瞬の隙』だけでは無かった。数秒間目が砂により痛み前が見えなくなる。
近藤は刀を上に持ち上げ、今度こそ……と言う勢いで剣在に振りかかった。
――流離い抜刀〜明治流浪剣客物語〜 【其の四・剣在始動】――
剣在信一、と近藤番儀、との勝負。では今のところ近藤の強さは分からない。しかし、
近藤の長刀を操る腕力の強さに、早織も分かっただろう。
こんな時に刀のやり合いは、そうめったに無いだろう。世の影で剣客がいるのは事実だが、
こんな見開いた河原の場所でやり合うのは驚きだ。裏を返せば、剣客警備隊に追い詰められても、
腕に自身があると見た。
「(大丈夫かしら。警備隊にでも見られたら……)」
そんなことを思いながらも早織はじっくりと眺めている。
近藤の長刀が振り下ろされる中、剣在はどのようにするだろうか?
と、疑問を問うとしても、近藤にはそんな疑問は浮かばない。近藤はここで剣在を仕留めることを決心していた。
近藤の技により剣在は目に砂が入り前が見えない状況。その中で、早織は剣在の無事を一瞬に固めて、
剣在に向けて叫んだ。
「信一!!」
早織は『剣在』とは呼ばなかった。思いを祈るように『信一』と叫び、剣在の力に期待を寄せた。
叫び。は空気を振動させて音として剣在の耳に入る。脳に信一、と言う言葉が焼きつく。
しかし、その願いは叶わなかった、ように見えた。振り下ろされた刀は剣在の右肩を狙って食らいついていく。
「ハッ!」
近藤は気を込めるように大声を出して、一気に下に下ろした。振り下ろしたことにより刀は地面に当たり、刀と同時に顔も
下を向いた。近藤は勝利を喜ぼうとし、ニヤッと少し笑う。
……が、なぜか横に離れた早織は前で手を一叩きする。パン、という音が響き近藤は下を向いたまま早織を見た。
「なんだ?……!」
早織は見るからに喜びの表情を出し、少し上を見上げている。
その行動に少し後に異変に気づく近藤。すぐさま下を向いていた腰を上に引き、顔を少し上に向けた。
太陽の日光によりあまり見えなかったが上に跳んでいる姿に気づいた。
その姿は白い道着に青い袴。その服装は明らかに『剣在信一』その男であった。
飛ぶ拍子にひざを曲げて、刀を両手で上に掲げて白く反射している。しかも、剣在は痛む目を細く開いている。
近藤は、悟った。
「(やられる……)」
心の中で思う敗北の言葉には未練が無かったようにうかがえた。
剣在は上に掲げた刀を、重力により落ちて行く体と共に、構えを上から右横へと転換する。
そして徐々に落ちて行く。タイミングを見計らい、「ここだ!」と言うところで剣在は刀を近藤の左脇下へと狙い、
そして振った。バシン!という音が聞こえる。
「ぐわッ!」
近藤は右へなぎ飛ばされ、腹を下に向け倒れこむ。石が、近藤の体により衝撃を受けて音をたてた。
近藤の頬が河原の石へ当たり頬が少しへこんだ。
何とか砂をかぶりながらも剣在は近藤を倒し、太陽の光で輝いていた体は無事に地面へと着地した。
「何かしら……」
そう、言うのは口調の通り、早織であった。剣在が無事なのは良かったが何か早織の奥底では疑問があった。
その時、剣在は左へ流れる清流を見て、涼しげに流れながら、川の中には数匹の魚が優雅に泳いでいる。
剣在は魚を見ながら川へ歩み寄って刀を鞘に収める。ひざを折ってしゃがみ水を両手でくみ上げ、
何度か顔を洗う。二、三回程したところで剣在は近藤に踏みよった。
「……大丈夫でござる。刃ではないでござるから」
近藤は、腹を下にして顔を剣在の方向に向ける。
「……刃ではない? 峰打ち、か……?」
「ああ」
「ふん、たいした野郎だ。え〜っと剣在って言ったかな。一つ聞きたいことがある。
俺がさっき下ろした刀をよけるようにして上に跳んだが、上に跳ぶだけじゃぁ、
振り下ろされた刀に当たっちまうんじゃねぇのか?」
剣在に問いながら近藤は両手で地面を押さえて立ち上がる。砂で汚れた衣服を手で払った。
「……おぬしは見抜いていないようでござるな。拙者は確かに上へ跳んだ。しかし近藤殿の言うとおり、
上に跳ぶだけでは刀に当たる。では、刀に当たらなければ良い話。即座にあの瞬間……
拙者は、まず刀受けをし、そしてその後に、刀を流した。そうすれば、刀に当たらずに上へ跳ぶことが可能」
「!……と、言うことは、お前の動作に俺の目が追いついていなかったから、俺は上へ跳んだだけだと
勘違いした訳か……」
あの一瞬の間隔で剣在はどうやって刀受けと刀流しの二つの動作が出来たのだろうか?
それは俊敏な速さと剣在の剣術能力、そして無駄の無い動作によってだろう。
しかし、じっくりと二つの動作を考えると剣在の速さは驚きである。
刀受けをするとなると、まず剣在が刀を地面と平行に持ち、そのまま上へ持ち上げ、峰の先部分を左手で押さえる。
そして近藤の刀を止める。その刀が剣在の刀に接触した瞬間を見計らい、剣在は刀流しをする。
刀流しは、先程言ったように、接触した瞬間を見計らい、剣在は刀を左斜め下にする。
そうすれば、近藤の刀はその斜面を下り、地面を落下する。そしてよけた瞬間に跳ぶ。
その動作を俊敏に正確にすると上へ跳んだだけだ。と見えてしまう。
「!……そうか、だから」
ここで早織は今さっき、奥底にあった疑問が解けたようにあった。一連の剣在の技をたたえるように言った。
近藤もこれには驚きだ。
「速い、速すぎる……。しかしもったいない。お前が剣客警備隊へ入っていたらもっと活躍できるのだがな……。
そうだ。なぜお前は刀を持っている? 今は権力の時代だろ? 幕末の武士も権力を欲しがり、
明治政府へ入る状況だったが」
剣在はすぐには語ろうとしなかった。が自分の刀を一瞬見てから話し始めた。
「……確かに、権力で世は整っているのかもしれん。だが、権力で人の心も体もしばりつけることもあるのは事実。
今更、武士の未練があるわけではござらん。しかし拙者は、この刀を自分の今の力として、
少しでも世のためになることを願っているでござる」
「そうかい……」
そこまで話すと異様な空気に異変を感じて、口を閉じた。
「そろそろ帰った方がよろしいようですな」
近藤は後ろを見た。後ろ側には木材で作られた北川橋が通っている。その上には数人の者がこちらを見ている。
「!!……剣客警備隊」
そう、こちらを見ていたのは剣客警備隊。今の時代、刀を振り回すなど自殺行為である。
剣客禁止令が今の世に出されている自体、刀は持ってはならなかった。
「どうする? 剣在」
小声で近藤が問う。その状況を悟った早織は剣在の横へ歩いてきた。
「何?」
早織が問う。剣在は早織を見て言った。
「剣客警備隊でござるよ」
早織はすぐに横の北川橋の上を見て警備隊の影に気づく。早織が横を見ている際、近藤は剣在に一言。
「逃げるか? 剣在」
一瞬、空気が止まった。その言葉に早織も剣在を見た。剣在は何も言わなかった。
しかし他の二人は剣在の言いたいことは分かっている。選択は二つ、「逃げる」か「捕まるか」どうせ、剣在の答えは後者。
剣在は二人と目を合わせて、数秒後、うなづいた。
「逃げるでござる!」
剣在は背を二人に見せ、鞘走らないように左手で鞘を押さえて走る。その後に背中を見ながら近藤と早織はお互いに顔を
見合わせ走った。
太陽の場所も勝負が始まってからずいぶん経過していた。
太陽は少し下へ傾き、昼の三時頃と言うところか。三人は何とか剣客警備隊から逃れ、
早織の家である東京下町八百屋のちゃぶ台を囲んでいた。
ふと、剣在は口を出す。
「そう言えば早織殿の詳細はまだ聞いていなかったでござるな」
「あ〜そう言えば、え〜っと、私の名前は川嶋早織よ。歳は22歳……信一とは四つ離れてるわね」
「拙者が年上でござるか」
そこに近藤が、
「剣在、俺も自己紹介」
剣在がなぜか驚いた。一瞬、身を引くように顔を張る。
「お、おぬしとは友達関係ではないでござるよ!」
「な、何言ってんだ。俺はお前の剣術に惚れちまったんだ。仲間になろうぜ。……と、言うわけで俺は近藤番儀。
歳は35!」
他の二人は顔がつったように驚いた。意外にふけていいたことが事実だと知って驚いたに違いない。
「35!あんた案外、ふけてんのね」
早織が言う。
「それは失礼だろ!」
怒りながらも近藤は裏で悲しんでいるに違いない。と影で剣在は思った。
「仲間になった訳だ。剣在あんた、人のためにつくしたい、って言ったよな」
近藤は無理やり剣在と仲間になった言い癖を吐いた。剣在は軽くうなづいた。
そして急に真剣になった近藤の口調を気にするように二人は話しに噛み付いた。
「よし、剣在、お前の腕を見込んで頼みたい。……隣町に古い武家屋敷があるんだ。
かなり古いんであまり近寄らないが、周りには家も立ち並んでいる。俺の家もその辺りだ」
「そこが、どうかしたの?」
「……そこには、たちの悪い野郎達が住み着いているんだが、評判が悪い。理由としては簡単。
武家屋敷に住み着いているリーダー格が一人いて、大上淳(おおがみじゅん)って言うんだが、
根っこから金の亡者で辺りで金を巻き上げているだ。何度か俺の家も襲われたが、大上はかなりの剣術家で尚且つ、
不良剣客集団を築いている。剣客警備隊もあまり手が出せねぇんだ。剣客警備隊も全員が凄腕じゃぁね〜からな」
剣在は目を光らせるように近藤の横顔を見る。
「それを、拙者に打てと?」
「……話が分かるねぇ〜剣術兄貴」
――流離い抜刀〜明治流浪剣客物語〜 【其の五・大上剣客浪士組と大上抜刀団】――
武家屋敷と言えば、江戸時代のような武士の時代の時に良く町並みにあった屋敷だ。
その名の通り、武家の屋敷であり大きな「家」と言うところか……。
隣町に剣客不良集団を築いて、その古く大きな間取りのある武家屋敷を利用して住んでいる。と、なれば
その大きな間取りから大人数の剣客達がいると予想できた。
剣在もそれを心配し、近藤とは念入りに話をしていた。その会話に心配して店先に出ずに早織は二人の横にいた。
いつものようにちゃぶ台を三人で囲み話していた。
「だいたい予想される部屋数は五部屋、二階建てじゃないから、それ程多い部屋数じゃねぇよ」
近藤は間取り説明をしている最中であった。そこに早織が剣在を見て言った。
「いつ、行くの?」
剣在に問いかけているのに対し、なぜか近藤がかえした。
「う〜ん、昼間行くと明るすぎて騒ぎが警備隊に悟られる。かといって、夜中じゃ警備隊の夜回りだ。
だとすれば……明日の明朝。武家屋敷突撃になるかな」
剣在もそれには同意するように首を縦に振る。早織にはやはり心配があった。
下にうつむき、念押しするようにもう一度剣在に問う。
「……ねぇ? 信一、やっぱり剣客警備隊の本部署に連絡したほうが」
本部署とは東京中心部の警備署(警察署・警視庁)のことである。しかし剣在は頑なに喋った。
「……すまぬ、それは出来ぬ話」
「なんで!」
それには近藤が答えた。
「剣客警備隊なんぞタダの刀を持っている警官にすぎん。凄腕ではないぞ」
「いや、違うでござる」
これには近藤は驚いた。剣在には個人の問題があったように感じた。
「本部へ連絡すれば拙者の存在がばれるでござる……」
「どういうことだ。存在がばれるとは?」
剣在は言葉を出しすぎてしまったように後になって両手で口を押さえ、目を大きく丸くした。
近藤は剣在に顔を近づけ、眉間にしわを寄せた。早織も剣在の一言には圧倒された。
「いや、何でもないでござ……る。ただ拙者は刀を持つ身でござるから、存在が知られると捕まるでござるから……」
近藤は一層に剣在に近寄る。剣在は冷や汗を隠しながら近づく近藤の顔に身を引いた。
「本当か? そうなら良いが……」
近藤は顔を戻し話に戻ろうとした。早織には、まだ剣在の詳細は分からない。ただ剣在の信念だけを知っているだけ。
出身地はどこか。とか、好きな食べ物は何か。とか剣在の心には入れなかった。
両親をすぐに無くした剣在の気持ちも分からず早織は黙った。
「どうしたでござるか?」
剣在が言った。なんでもないように早織は我慢した。
「うん、なんでもない」
「よし、じゃあ、明日の明朝に出陣だ。嬢ちゃん。俺も泊めてくれないか?」
「あ、うん……明日は出発だもんね」
近藤は川嶋家へ一泊とまり、三人と、そして祖父である丸栄と四人で一夜をすごした。
しかし、早織は熟睡は出来なかった。剣在が心配であったからだ。
死ぬことはない! と当然のように祈りながらも横に眠っている爆発的に熟睡している剣在を見ながら思ったのだ。
「起きろ! 剣在! 出発だ」
明朝の頃、近藤は早く起きて剣在を怒鳴りつけた。
「ふわぁ〜もう朝?」
「当たり前だ! 刀を持って俺の近所の奴のために戦ってくれ」
近藤の気持ちは一つだった。それに答えるように剣在は布団を起こして立ち上がり枕の横に置いてあった刀を腰に差した。
その頃、近藤は早くも店先へ出ていたようだった。
早織を起こさないように剣在は、早織をまたごうと歩き出した。
その時、小さな声が剣在を止めた。
「死ぬのは勘弁してよ……まだ、あんたの事、詳しく知らないんだから……」
早織は起きていた。多分、剣在よりも早く。布団で顔をおおいながら早織の声は揺れていた。
しかし、
「な〜に、ただの不良集団。江戸の新撰組のように討伐するだけ、心配無用でござる」
そう言うと剣在は早織の布団をまたぎ、消えていった。
「……」
早織には剣在がどこかに行きそうな気がした。集団相手に二人。当然剣在と近藤のことは信用しているが、
心配はつのった。
隣町、武家屋敷には遠くはない。北川橋を通り路地を抜け、少し行くと隣町だ。
隣町は、同じく賑わいがあり店も出ている。が、行き先は裏路地の古い武家屋敷。
一般家の二つ、三つ程の領地を使用しているほどの広さであった。
明朝だけあって人も出ず、霧がたっている。
二人は裏路地の武家屋敷付近へいた。見る限りでは中の様子は分からない。
しかし、門番のような浪士が二人、玄関先で立っている。
「拙者らを見れば剣客だとすぐに分かるはず、では先に拙者が門番を担当する。近藤殿は
その隙に中へ入るでござる」
「了解した」
近藤は了解した。剣在はゆっくりと武家屋敷門番へと向かった。門番は剣在に気づくと一言いった。
「誰だ! てめぇ! こんな朝早く、袴姿で刀とは不思議だぜ」
右側にいた門番が剣在の刀に気づくと、自分の刀に手を当てて威嚇した。
剣在はひるむことなく門番に近づく。
「誰だって言ってんだ! 答えろ野郎!」
「野郎はそっちの方でござろう? 大上抜刀団!」
下にうつむき、前髪によって目は見えない。
門番二人はそろって驚く。
「なんでその名を……貴様、何者!」
尚も剣在は下にうつむき、刀の柄(つか/握る場所)を右手で持った。
「拙者の名は……剣在信一……」
「剣在! だと!」
その会話には裏があるように見えた。後ろ側の家の影で隠れていた近藤は少し顔を出して剣在を見た。
「なんだ。剣在と大上とは関係があるのか?」
門番は驚いて援軍を呼ぼうと上着の胸ポケットから黒い小さな笛を出した。
剣在はすぐに柄を一層に握り締め刀を抜いた。が剣在はわざと左手の拳で顔面を殴った。
「今だ! 近藤殿!」
近藤は隠れていた陰から出て鞘走らないように左手で鞘を持ち門をくぐり中へ入っていった。
剣在はすぐに体の方向を、もう一人の門番へ向け、
「死にたくなければ去れ」
と言った。門番はすぐにうなり声を出して遠くに逃げていった。
中では近藤が抜刀して自慢の長刀で振り回し浪士達を切り倒していた。
剣在も、近藤を追って中へと入った。玄関は広く様々な靴があった。
「近藤殿! 死人はあまりだすな! 気絶するぐらいに斬れ!」
近藤は奥にすすんでいたが剣在の声は聞こえたらしく「おう!」と声を出したのが分かった。
剣在がいる部屋は数人の浪士が倒れ、手には刀を持ち倒れこんでいた。
そんな時、奥で近藤が叫んだ。
「剣在! 早く来い!」
剣在は近藤の異変を心配して奥へ走った。ふすまは刀で斜めに切られたり、浪士達によって打ち破れていた。
何部屋か通ってやっと、近藤のいる部屋へとたどり着いた。
近藤は刀を両手で持って正眼の構えで動かない。
「どうしたでござる。近藤殿……敵は……大上は」
近藤は尚も動かない。剣在にも顔を見せずに部屋の奥を見つめていた。
「いるんだよ。大上、大上淳が」
剣在は奥を見つめた。紫の和服に、同じく紫の袴。その姿は黒い木材の御膳を前にしてあぐらをかいて座っていた。
「……近くに住んでいる近藤の動きがオカシイと思っていたが、やはり明朝に動いたか……。
そうだ。剣在さん、久しぶりですね。一年ぶりですか?」
「そうだな。大上淳。おぬしが生きているとは思わなかった。もう警備隊にでも捕まっていると思っていたが、
こんな所で金を巻き上げていたとわな……」
近藤は二人の会話を眺めているだけだった。大上は剣在の言葉に有頂天になり笑い転げた。
「はっはっはっは! 剣在さんも死んでいるかと思いましたよ。あの事件で逃げるとは驚きですよ。
で、他の剣客隠密組の者は討伐されたんでしょ?」
大上は少し微笑みながら剣在に目を合わせた。
――流離い抜刀〜明治流浪剣客物語〜 【其の六・大上我流と天地心流】
「ああ、死んだよ。貴様のおかげでな……大上抜刀団と剣客隠密組は同じ信念と共に戦ってきた同士。
自由と平等を訴えてきた仲間だったが貴様は大上抜刀団の団長であった貴様の兄、大上柳(おおがみりゅう)を
殺したあげく、我々の拠点を本部署へばらした……そうなのだろ? 大上?」
剣在の話には曇りは無かった。大上は何度かうなずき、再び微笑んだ。
異様な空気に近藤はついていけなかった。二人の関係が一切、分からないままに話はすすんだ。
「ほ〜、その通りですよ……兄は本当に正義感を持ってましたから邪魔でしたね。
兄は明治政府へ楯突いて四民平等を訴えてました。しかし私はどうでもよかった。なぜ兄が邪魔だったのか……
教えてあげます……簡単に言えば私は明治政府へ入り権力を欲しかったんですよ。
そのためには政府へ楯突く兄を殺し、同じく隠密組の居場所を教えれば政府と私は友好関係になり、
最終的には剣術を持っている私を剣客警備隊に採用する。あとは上へのぼりつめるだけ」
しかし、大上の言っていることと、今の現状は矛盾していた。
「剣客警備隊へ就任、だが今は金を巻き上げる犯罪者でござるが……」
「お〜っと、そうだよな。始めは権力が欲しかった。だが剣客警備隊は人を斬るわけだ。
段々と人斬りに目覚めちまって今は犯罪者。これほどまで楽しいことはないぜ。
お前をじっと見るのにも我慢の限界があるな……お前達を斬りたくてならないんだよ〜」
剣在の脳裏には大上の気持ちからゾッとした。
横では近藤が長刀を構えている。今にも襲い掛かろうとする大上の態勢には剣在も刀を握り締め構える。
「……そろそろ行こうか……な?」
大上の腰には刀が二本、差さっているのがうかがえた。
「二刀流か?」
どっしりと立ち上がった大上は剣在の問いに答えるように自分の刀を見た。
「ああ、そうさ……」
大上は刀を一本だけ右手で柄を握りスーッと抜いた。
近藤は噂に聞いている大上の腕を気にするように汗が頬をなでる。
「来い!」
剣在と横にいる近藤の声が一つになって大上に伝わった。
大上は低い体制をとり、まずは近藤めがけて突進していく。
「近藤殿!」
剣在は横を向いて叫んだ。一直線に突進する大上に対して近藤は恐れて一歩、身を引いた。
しかし突進するのは変わらない、大上の畳を蹴る音が段々と近づくにつれ近藤の汗は止まらない。
近藤の混乱状況に合わせて、剣在は仕方が無く近藤の前にでて近藤を防衛した。
しかし、剣在は防衛した後に大上を斬る予定だったが、予測異常に突進してくる大上に剣在は刀を振り切れず、
大上の横払いに剣在は腹部を斬った。
「ぐはッ!」
斬られた腹からは出血し、和服は横に切れていた。近藤は自分の情けなさに心を痛めた。がそれと同時に
闘志が燃えた。横へ倒れこむ剣在の前にはすでに大上が刀を構え低い姿勢にいた。
「うわー!」
近藤のうなり声と共に長刀を真下へ振ろうとしたが、その先に大上が低い姿勢を利用して近藤の両足首を斬ろうと
横払いを仕掛けてきた。それに気づいて横払いと反対方向へ避けた。
「ぬッ……」
間一髪で避けたが近藤の体は震えていた。カラスの目のように鋭くこちらを睨みつけ、近藤の体を縛り付けた。
「間一髪ってところか〜? こ・ん・ど・う?」
「き、貴様!」
大上の挑発に乗ってしまった近藤はうねり声を上げて大上に向かって腹部に突きを入れた。
長刀だったためか目的へ刀がたどり着くまで時間は短かった。しかし、その長刀の動きを見極め、避けたのは大上。
腹部へ長刀が来る直前に大上は体を横へずらし、しなやかに避けた。
「挑発に乗るとは馬鹿も休み休みにしろ……よ」
大上の決めの一言は近藤の精神に痛く傷ついただろう。
だが、その言葉をそっくりそのまま返したのは……剣在。
「……それはおぬしの方でござろう? 大上殿」
そう、大上は近藤に気を取られ剣在の存在を否定してしまっていた。あの横払いの一撃で倒れ、「死んだ」と断定
してしまった大上の「ミス」だったのだ。剣在は隙を見て大上の後ろへ立っていた。
暗い表情を浮かべ大上の汗が首を沿って落ちた。
「……くッ(……しかし!)」
心の中で「しかし」とつぶやき、まだ完敗していないことを物語っていた。
「敵に背を向ける。とは死を意味するでござるよ。大上殿」
剣在は刀の刃を大上の右肩に接していた。どう見ても大上の完敗なのか?
だが、大上には切り札があった。ニヤッという表情を出した。近藤はその表情に疑問を持ちながらも危険を察した。
「……剣在! 気おつけろ!」
「!!」
近藤の一言で剣在は危機を悟った。しかし、剣在は大上の後方であり勝ち目など大上には一切なかったように見られ、
剣在はそれ程、危機感が沸かなかった。
「甘く見るなよ……元剣客隠密組、副長! 剣在信一!」
「何を言うか! 勝ち目は……」
そう、自己判断の間違いだった。剣在は後方にいるから大上の攻撃は読めると判断していた。
剣在は、そんな判断で大上を甘く見てしまい、勝ち目は自分にある! と思い込んだ。
が、大上の剣術はたやすいものではなかった。
少し考えれば分かっただろう。そうなのだ……大上の腰には、もう一本の刀があった。
剣在に隙を作れば、すぐに二刀で殺せる。剣在はそれに気づき、大上の腰の刀を見た。
そして、その一瞬に隙が出てしまった。一瞬、目をそらしただけだったが、大きな隙が出た。
「そこ! 大上我流、二刀連斬(がりゅう、にとうれんざん)!」
我流とは自己流、二刀連斬とは二つの刀を合わせ持ち連続して斬る技。
二刀流で尚且つ連続斬り、そのため敵は攻撃が出せなくなる。
大上は左手を使い、剣在に抜刀術(鞘から出しそのまま斬る技)の横払いをして、そのまま後ろへ回転し、
再び剣在の出血部分を斬った。そしてそこからが大上我流、二刀連斬の始まり。
大上は、左右上下、斜めと連続して刀を振り、剣在を斬りつけた。
血は出血し、大上の額には剣在の血がこびりついた。お互いの和服は血でにじみ、闘いの証拠を残すものになった。
「ぐはッ! ごほッ!」
剣在の体はボロボロ。近藤は大上我流を眺めるだけだった。
「剣在ーーー!」
剣在は何とか床の上に立っている体の重心はフラフラとずれて今にも倒れそうだ。
「大丈夫で、ござる、よ……しかし、大上殿……おぬしの、我流は腕力だけのものでござる。
剣術ではござらん」
「何をぬかす!」
「刀の技は腕力だけでは到底、不可能。剣術を見極めた者が勝利を得る。大上我流を避けれなかった拙者が
言うのも説得力に欠けるが、これだけは決定的。剣術は腕力の技ではなく……『敵の攻撃を読む』ことでござる。
敵の攻撃を読み、どこに自分の技を打ち込むか、それを見極めなければならない。後は補足である腕力や
自分の腕、次第でござる」
「ぬッ……言わせておけば! 大上我流、二刀斬竜(にとうざんりゅう)!」
「いけるか! 剣在!」
近藤が剣在に託すように声を張り上げた。
「いけるでござる! うおぉぉぉ!」
大上の二刀斬竜は二刀を使用し、後は敵の接近時に自分の体を回転させる。そして遠心力を利用し、足で地面を蹴って跳ぶ。
跳ぶことより敵の足から頭まで回転する二刀により斬られる。今まさに二刀連斬で接近した大上には適用した技だろう。
しかし、剣在は読みきっていた。大上が二刀を振る瞬間に剣在は低くしゃがみ、回転する大上の刀の下で身を低めた。
「下だと!」
「遅い!」
尚も低い体制をする。
「天地心流(あまちしんりゅう)!」
低い姿勢のまま、剣在は刀の峰を上に出し、大上の足元に刀の切っ先を床につけた。
「上竜剣(じょうりゅうけん)!」
そして、床につけた刀を握り締め、低い姿勢のまま、刀を一気に大上の体を沿って上へ峰打ちし、
最後に床を蹴って跳んだ。峰の切っ先は体をなでて、大上を峰打ちする。
天に昇る竜のように……。
――流離い抜刀〜明治流浪剣客物語〜 【其の七・北沢隊突入】――
ドサッ……。二つの刀を持った男が一畳の畳の上に、倒れた。
「大上淳」その男は剣在の流儀剣術「天地心流、上竜剣」に負けてしまったのだ。
上竜剣は大上の正面体を峰打ちし、後ろへ倒れた。
「ぐふっ、ごほ……く、俺が……負けただと」
腰を打ち、一瞬、息が出来なくなり咳が二発出た。大上は手に持った二つの刀を同時に腰付近の畳に垂直に刺して、
その刺した反動で腰を起き上がらせた。
剣在は戦闘中の険しい表情をゆるませ、近藤に心配をかけまいと少なからず微笑んだ。そして瞬時に大上に顔を向ける。
「……おぬしの兄は、平和を愛し、泥沼に沈んでいる人々を助けようと信念を燃やしていた。しかし、
おぬしは、その兄を殺した。たった一人の兄を自分の欲で殺すなど許される行為ではないぞ」
「なにを言うか! お前も同じだろ! 自分の仲間、剣客隠密組の者達を捨てて一人だけ逃げたくせに、ほざくな!
確かに俺は周りから見て悪役だろう……が、お前こそ悪役だ。いくら警備隊の突入だとしても、なぜ戦わなかった。
なぜ逃げた!」
剣在は下を向いた。それを見た近藤は何もいえなかった。どちらが正しいのか。
剣在の過去を知らない近藤としては剣在の姿を見ているだけだった。
「……確かに拙者は逃げた……」
その言葉に大上は微笑み、近藤はそれに驚くように目を丸くした。
「しかし、拙者の師匠である辰霧怜座(たつぎりれいざ)師匠は隠密組の志を引き継ぎ、生き残りとして拙者に託した。
それを拙者は心に置かなければならない。おぬしのような者には分からぬ」
「はっはっは!」
そう言った直後に大上は立ち上がった。そしてにらんだ。
剣在は自分の素直な気持ちを言ったのが、大上の「笑い」によって打ち消されたことに歯を食いしばり、気持ちの中で
怒った。
「そうか、そうか、面白いことを言うな。世の中は明治。そんな正義的理想は権力でしか確立しない。
お前みたいな理想家には、平等や自由を言い張ったところで確立はしないのだよ……だろ? 近藤?」
そんな質問を聞かれたところで何を言えばいい?
心の中では正直、大上の言っていることも正しかった。と思う反面。
剣在の気持ちにも一票だ。
「(剣在の言葉が正しいと言えば皆殺し、大上が正しいといえば剣在を敵にまわす)」
そんな交じり合った気持ちでいた近藤には、目が回るだけで口から言葉は出なかった。
タ、ト、ト、タ、ト、ト、ト、
近藤の心の中で混乱が増す一方で後ろの部屋から畳を踏む音が聞こえた。
それには剣在も気づく。
「……?」
だが、大上は微笑む。剣在は、その微笑から悟った。
「おぬし、誰か知っているでござるか」
「誰って……当たり前だろ? 俺を政府の足軽から人斬りへと覚醒させ、大上剣客浪士組を築いた者。
言わば……御頭ってやつだな」
それを聞いた近藤はすぐに後ろを向き、「御頭」の存在を見ようとした。
「何だと……」
近藤は後ろを振り向いた後、発言した。
「近藤殿、どうかしたでござるか!?」
「……あれが御頭? 文明開化の仕入れ物、『紳士服』を着てやがる」
明治時代に紳士服を着た人々と言えば限られる。例を挙げるならば、政府人だ。
黒の服に、ネクタイ。そして着こなすズボン。
「政府の者か?」
さりげなく剣在は大上に言った。
「御名答。そうだ。俺の御頭……東貝英禅(とうがいえいぜん)は政府人だ。具体的に言うならば東京班剣客警備隊の
管理官だ。管理官だから警備隊の剣客じゃあねぇ〜から、お前らも見たことは無いだろうな。
政府人として警備隊の管理官を任され、裏では浪士達を束ねる悪人」
そこで剣在はハッとした。大上は剣在の考えていることが分かったのかニッコリとした。
「そうか、だから大上剣客浪士組には一時たりとも警備隊が来なかったわけか……」
そうなのだ。警備隊の管理官であるならば警備隊を、何にでも出来るわけだ。
だとしたら、まずは警備隊を、この武家屋敷には近づけないだろう。
そんなことを考えている時、「御頭」は直前まで迫ってきていた。髪は整っていて清潔感があるように思う。
「やぁ、剣在信一と近藤番儀さん。会うのは初めてかな?」
二人は威嚇した。目をつりあげ東貝をにらみつける。
東貝は何も応じない。
「そこまで怒らなくても良いでしょ。どうせ戦わなければならないのだから。そう言えば礼を言っとかないと……
私の部下が御世話になりましたね。剣在さん、近藤さん」
「礼などいらぬ。それより貴様ら、何を目的に浪士組を結成した」
「簡単ですよ。外来語で言うならば、『すとれす』解消と言ったところですね。
私も政府役人で、イライラがありましてね。人殺しは一番の安らぎなのですよ」
「くッ、おぬしは悪魔でござるか」
東貝は笑い転げた。顔を上に向け口を大きく開き、
「はっはっはっはっはっはっは! 悪魔か、私が悪魔ですか。なるほど、それは面白いですね。
では、その悪魔と、戦えますか? 剣在さん?」
剣在は申し出に断るわけにはいかなかった。この「悪魔」を世に生かしておくわけにはいかない。
自分のやるべきことは人々の平和。であるからだ。
二人からは戦闘に入る気配が漂い。まわりの近藤と大上は側壁へと背中をよせた。
「東貝殿、死んでも知らぬでござるよ」
「私が死ぬわけ無いでしょう?」
どちらも一歩は出さない。両方はお互いの力を知っているからだろう。
緊迫した空気とは、このことを刺すのか、と近藤は思ったに違いない。
―武家屋敷、門前。朝六時―
静かな朝も騒がしくなる何時間前といったところだろうか。
門の前にはゾロゾロと十数名程の「剣客警備隊」がいた。中にいる四人は全くのことながら知らない。
そこに、警備隊の先頭に立ち、門の近くにいる男が一言いった。
「明治政府東京班剣客警備隊管理官、東貝英禅を追尾完了。追尾先は町外れの武家屋敷。
と、お前は明治政府と本部署へ伝えて来い」
「はッ! 北沢隊長! 今すぐ行ってまいります」
北沢と呼ばれる東京班剣客警備隊隊長は、怪しげな動きを多々見せる東貝に目をつけ今日の今、
追尾を完了したところだった。北沢の横に立って、伝言の指示を受けた警官はすぐに走り去った。
「よし! 次は、この武家屋敷突入である! 心してかかれ!」
と、言うと、次に合図を送った。
「……突入!」
――流離い抜刀〜明治流浪剣客物語〜 【其の八・剣客隠密組生き残りの決闘/前編】――
朝、六時……。
やっと霧も少し晴れて、向こう側が透き通るように白く見える頃だろうか。
その朝に騒がしいのは、この武家屋敷周辺だった。大きな声と武家屋敷へ突入する剣客警備隊の足音が
鳴り響く。中の剣在達は当然、それには気づいた。
「なんでござろうか?」
東貝との勝負は途切れるように剣在は自分へ問う。
「来たか……追尾されたか。東京班剣客警備隊め」
「御頭! 追われてたんですか!?」
大上が驚いた。しかし東貝は何もしようとしない。たとえ突入しようと……それには訳があった。
「おい、大上。私が警備隊相手に負けると思うのか?」
「い、いえ」
「負けわしないだろうな。だがな、東京班第一番隊長の北沢総司は、かなりの野郎だ。
ちと、手間がかかるな……。いっその事、本拠地へ戻るか? 大上?」
本拠地、それを聞いた瞬間に剣在と近藤は不覚にも驚いた。
まだ、仲間がいるのか。と思いながらも今の状況から二人は逃げ出したかった。
「すまん、剣在さん。勝負は次ですね。私も怪我はしたくないですし……」
「こちらも同じでござる」
長話は無用。のようにも大上と東貝は、武家屋敷の裏庭へ歩き出した。
裏にはへ行くには、ただ、今いる奥の間から障子を開ければ裏にはであった。
簡単な経路だったのか、大上達は走らず歩いて裏庭まで行った。
「では、また後日」
そう言うと、裏庭から姿を消し、去っていった。
また、戦うことになる東貝……。剣在は自分の旅の長さに息を一息だし、警備隊を待った。
「戦うのか?」
近藤が引きつめた顔を浮かべて言った。
「さぁ」
簡単な言葉に近藤は、愕然とした。何か意味があって戦うと思っていたが、剣在の少し中途半端な所が、
まだ理解できないでいた。
「奥へ進め! 浪士の死体は後で調査だ! まずはリーダー格を捕らえろ!」
これは北沢の声ではない。突入してきた警備隊の一人だ。
先頭に走っていた警備隊員は、そう声を張り上げて後ろへいる警備隊員を率いて奥へ進んでいた。
その時、北沢は、ゆっくりと屋敷内へ入ってきていた。
警備隊の畳を踏んで走る音は大きく、二人の耳に届いた。
「来るでござるな」
丁度、剣在が言った矢先に警備隊は奥の間の入り口に立っていた。
右手にサーベル(洋風の剣)を持ち構えている。
「やはり、今の明治はサーベルが主流か」
何となく納得する近藤。だが一時と休めれなかった。それは次の瞬時に理由は明確になる。
「隊長! 奥の前で二人の浪士発見! どうしましょうか!」
「まて! 今、行く!」
奥の方で北沢が答えた。ダッダッダ! と言う畳を蹴る音と共に数秒後、奥の前へ姿を見せた。
「! 剣在信一……まだ生きていたか」
北沢の一言はこれが初めてだ。剣在には北沢は誰か知らない。だが北沢には剣在のことが知っていたようだ。
「剣在だな?」
「そうでござるが……?」
「そうか、生きていたとなると剣客隠密組も壊滅ではないな。詳しく言うと、お前が隠密組の生き残りと知っているのは俺だけだ。
なぜなら、お前が、あの時逃げたのを見たのだからな」
しかし、矛盾があった。警備隊にもかかわらず、なぜ剣在を逃がしたのか?
「俺は、隠密組の拠点屋敷の裏へ隠れこんで、逃げてくる浪士を待っていた。しかし、誰も来なかった。
逃げてきたのは、剣在、お前だけだった。なぜ逃がしたのか? ただの俺の失態さ。
俺は同情したのさ……お前と隠密組、組長との会話でな」
剣在の体は動かない。顔の表情も固い。
「おぬし……」
「お前達の会話は、今の明治政府への不満だったが。中身は意外。政府の権力の使い方を否定し自由と平等を
出張するために、お前を逃がすという話だった」
「同情するということは、お前も……」
初めて近藤が剣在の過去の話へと口を出した。
「確かに、政府の権力の使い方は庶民を尊重していないこともある。だが今の世の中は権力で確立するんだ。
自然の摂理なんだよ……俺は政府へ使える身、お前を倒さなきゃ行けないのさ」
ゆっくりとサーベルを腰から引く北沢。
怪我を負っている剣在にしてみれば不意打ち状態だった。
「(負けるかもしれんでござるな)」
心の中で弱音を吐いたが、外へは出さなかった。
「行くぞ!」
ゆっくりと走る北沢。サーベルを右手にかざし、真正面にサーベルを持つ。
「突き!」
サーベルは突き技を出した。切っ先は真正面に飛び出て、剣在を串刺しにしようとした。
剣在は間一髪で右へ避けた。
「避けたか。だが、これで!」
北沢は次にサーベルで攻撃しようとする。と剣在は予測した。が当たらなかった。
後ろへ下がったのだ。
「攻撃すると思ったな? 違うな。俺は剣専門じゃないからな」
剣在は次の攻撃の予測がつかない。剣専門ではないとしたあ飛び道具であるからだ。
何の道具をつかうのか、まったく検討がつかない。
そんな時、近藤が目をつけた。
「やばい! 剣在! 腰から何が出してるぞ!」
近藤が丁度、北沢の横へいたため、北沢の動作が確認できた。
近藤が北沢を見ている隙に正面から他の警備隊員が襲ってきたのが目の端で見えた。
「俺が相手だ! 長刀野郎!」
近藤は戦うことになった。だが相手は数人の始末。いくら長刀を持ったとしても負けてしまうのが目に見えた。
しかし、剣在は離れられない。
「何を出すでござるか」
呟く。
次の瞬間、北沢の左手には指の間に何かを持っていたのが見えた。
「これが何か分かるか? 教えてやろう。 これはこうして使うんだ。我流! 飛翔剣!」
鋼の光沢が銀色に光って三本ほど、こちらへ飛んできた。
「速い!」
剣在の中では避けれるか心配だった。
柄が無く、持つ部分が鉄でむき出しになっている。多分、重さを減少するためだろう。
そして刃物のような刃で出来て、鋭い。
三本、正面から飛んでくる剣は剣在の足部分へ行こうとする。
再び左へよけようとした。難なく、一本目の剣を避け、後ろの畳へと突き刺さる。
次の二本目は右太ももを少しかすっただけですんだ。
そして、不意を撃つように左足首へとかする。
「くッ!」
大上の横払いの腹部への傷によっての出血。そして足へのダメージ。
剣在に限界が出てきた。
「これで終わりか?」
北沢が真剣な顔で問いかけた。
――流離い抜刀〜明治流浪剣客物語〜 【其の九・剣客隠密組生き残りの決闘/後編】――
剣在の体は足、腹とも傷を負って、血が畳の上へとしずくをポタポタと落とす。
その音は鼓動を速める。近藤はその音に気づき、一瞬、目をそらした。
だが、四、五人相手に苦戦する近藤には剣在を心配していられない。同時に敵を抑えることだけしか出来ない。
「これで終わりか?」と言う北沢の質問に十数秒たった今、一向に剣在は答えない。
と言うより、下を向いたまま、自分の鼓動を慎重に静めている。と言う感じのようだ。
答えない剣在に再び北沢は喋った。
「答えられないようだな……まーそれの方が殺しやすい。これで隠密組の最後の時だ」
サーベルの鋼の光が剣在の目に入る。北沢は完全に次の攻撃に移ろうとしていた。
「死ねーー! 剣在! 信一!」
突き、の構えをして北沢は剣在に向かって突進する。だが、動こうとしない剣在。
異変に気づいた近藤は敵を長刀で威嚇して押さえ込みながら、少し後ろを振り向く。
「剣在! 死ぬな!」
顔を下に向け、前髪は逆さまに垂れ下がり顔は見えない。
北沢が突進し近づく。その時、剣在は言った。
「北沢! おぬしは形だけの明治維新で納得しているつもりでござるか!」
顔を上げて剣在は心から気持ちを振り絞った。あの時、北沢は同情し剣在を逃がした。
だとすれば、まだ北沢の心の中では何かがあるはず……と願った。
「! 何を言うか!」
北沢は叫んだ。その後、瞬く間に頭の中で剣在の一言が呟いた。
――おぬしは形だけの明治維新で納得しているつもりでござるか!――
この言葉が矢のように心に刺さるのが自分でも分かった。
体は突きの構えを崩さず、真正面に向けた切っ先を剣在の首筋へ照準を合わせて、腕を押しサーベルでそこへ「突き」
をした。しかし北沢の心には「矢」が刺さっている。
「(形だけの明治維新が何だと言うのだ!)」
心の中でそう思いながらも、表面では嘘が分かった。
切っ先は剣在の首筋直前で静止した。
「北沢殿……形だけの明治維新を変えるのは……可能でござる。政府が都合よく『明治維新』と提示したが、
人々の中には、まだ幕府時代の時のような苦しい生活をしている者がいる。それが事実なのでござる」
サーベルの切っ先を首筋で止めたまま、
「……剣在、今日はこれまでにする。深追いは危険だからな……」
サーベルを止めたわけを喋った。これが北沢の本心ではないことぐらい剣在は分かった。
しかし、部下達には本心が言えなかった。言ってしまえば明治維新を否定し、部下を敵にまわすことになるからだ。
「逃げろ。剣在」
小声で言ったのは北沢だった。
剣在は軽くうなづいた。
「近藤殿! 逃げるぞ!」
「逃げるのか! 分かった! 裏庭からだな!」
「そうでござる!」
剣在と近藤は武家屋敷を後にした。
静まり返った屋敷内はサーベルを収める北沢と部下達だけだった。
「(これで良いんだ)」
心に刺さった矢を自分の本心としてしまい込んだ。
北沢の闘いを見届けたのは一部の部下だけ。だと見て取れただろう。
が……天井の板を少し横へずらし、その隙間から二人の戦いを「もう一人」の者が見ていた。
「なるほど、北沢の本心は裏にあるようだ。しかし、今の俺の仕事は剣在信一の討伐。
この賞金稼ぎの斬鬼(ざんき)が、殺してやるぜ……」
――流離い抜刀〜明治流浪剣客物語〜 【其の十・消える早織】――
昨日の明朝。大上一派を壊滅させようと剣在と近藤は武家屋敷へと足を運んだ。
しかし、この通り大上と東貝は逃亡し、その後に及んでは行方が分からないでいた。
もう一人の客としては東京班第一番隊長、北沢総司との決闘では、相打ちとなってしまい、
最終的に明白ではない終結となってしまった。北沢の本心を喜んでいたのは他でもない……剣在だった。
だが、近藤は大上一派を逃がしてしまったことに違和感を感じていた。
早織はと言えば、剣在達の無事を確認し、八百屋の店先で商売をしている最中。
「いらっしゃ〜い! 魚が安いわよ〜!」
威勢の良い声を出して、町を賑わせる。それにつられて川嶋八百屋へ行く客もいるのだ。
「あっ、早織ちゃん。今日も頑張ってるね。今日は魚が安いんだって?」
女性の客が早織へ問いかけた。
「はい、今日は魚が多いんで安いんです」
「じゃあ、二つ……」
客は魚を二匹、買おうとする。金を丸栄へ払い、早織から魚を取って、客は遠ざかった。
中ではいつもの男衆がいた。――剣在と近藤――である。
「傷は大丈夫か?」
近藤が昨日の怪我を気にして剣在へ問いかけた。
腹の傷は少し大きいため中々、治りにくいが、足の怪我は大丈夫であった。
「足は無事。腹は少し痛いが、まー大丈夫でござるよ」
その証拠に腹にはグルグルと包帯を二、三回、巻いてある。
「何とか、無事に帰還したが大上を逃したな……」
「そうでござるな、仕方がない……それより、奥の間で何か他の者の気配がしなかったでござるか?」
「気配? いや……そんな物は無かったが、どうかしたか?」
「いや、勘違いでござる」
そうだった。もはや剣在には、武家屋敷での天井に潜む、男の気配を読んでいた。
天井の隙間から見つめる瞳。その視線を感じていた。
剣在がその男の気配を気づいていることなど「男」は予測しているのだろうか?
「奴は気づいているに違いない……剣客なら気づくことは間違いないな」
川嶋八百屋と同じ下町に位置する。ある一般的な家の中で誰かが言った。
畳の上であぐらをかいて座り、あぐらの右側に大きな斧(おの)が、ドシッと置いてある。
特徴的なのは顔の「おでこから鼻の付け根までに達する直線の切り傷」だった。
「そうなのか? 気づいているのなら殺しにくいんではないのか?」
和服姿に身を包み、あぐらで腕を組んで座っていた男が言った。
「なぁ〜に、簡単だ。それより奴を殺したら賞金をもらえるんだろうな?」
「当たり前だ。だが殺せたらの話だ。前払いは無しだぞ」
「分かったよ。本部署、東京班剣客警備隊補佐官(参謀役)……武田朗冶(たけだろうじ)さんよ」
いつともなく、平和な日々と思えるほどの東京下町。
剣在は忍び動く影には分からない。早織が消えるまで……。
「行ってくるね。信一」
今日は商売繁盛ということもあり、店先の食材は底をつく気配がした。
店先から声が聞こえた。
「どこでござるか?」
「今日は、もう店を閉めて食料を買ってくるの」
「では、気をつけるでござる」
「うん」
八百屋を後にして早織は今晩の食料を買おうと、近くの食料屋へと向かった。
八百屋がある直線路地を真っ直ぐに歩き、二、三分程で食料屋へと着こうとしていた。
「あ、あそこだわ」
自分で確認し、あと十数歩というあたりで向こうから一人の男が歩いてきた。
男の姿は本部署の指定服装である黒服を着ている。
早織は人目で本部署の者だと悟った。
「すいません。この辺りに大上一派の武家屋敷があると聞いてたんですが……
調査のため来てみたら迷いまして、どこでしょうか?」
問う警官に早織は迷い無く答えた。だが一瞬、ためらった。
それは警官の顔に切り傷がついていたことだった。
「え、え〜っと、北川橋を通って――……」
そこまで言ったが、すぐに警官は首をかしげて、再度しゃべった。
「すみません。方向音痴なもので、ついてきてもらえますか?」
「はい、良いですけど……」
警官はニッコリする。だが切り傷を気にしすぎて早織は警官の微笑を無視した。
一直線の路地を通り右折する。北川橋の上へと来ると早織は言った。
「この橋を通って、あそこの路地を通ります。あとは古い屋敷があるんで」
指をさして「あそこの路地」を指した。だが警官の反応は無かった。
不気味な空気に飲まれるような感じがして早織は「何かに」疑った。
「ありがとうございます。だけど、いくら……俺が警官の服を着ていたからといって、知らない人についていくのは
止した方がいいでっせ。川嶋早織さん……剣在信一を殺すために一躍してほしいんですよ〜」
「へ?」
早織は状況判断が遅れているように思えた。
顔に傷を負っている男は、もう誰か分かっているだろう。そう、賞金稼ぎの斬鬼である。
何のつもりで剣在を殺そうとしているかは分からないが、斬鬼と仲間である本部署の武田郎治の警官服を着て、
早織を狙っていた。
斬鬼は早織の腹に一発殴りこみ気絶させた。
「ぐッ! 何を……するの……」
早織の目の前はゆがんで見えて、段々とひざが地面へと落ちていった。
倒れこむ早織の体を斬鬼は腕で受け止めた。
「剣在をおびき出すエサ、だ……後は置手紙でもしとくか。……この顔傷の恨み晴らしてやるぜ!」
――流離い抜刀〜明治流浪剣客物語〜 【其の十一・記憶が呼ぶ】――
早織が晩飯を買いに出てから約十分は経過していた。
それ程、遠くない場所に出かけているのに関わらず十分もたっていたら遅いだろう。
川嶋八百屋の中で剣在は、それに気づいていた。
「近藤殿、早織殿が遅いではござらんか?」
ちゃぶ台にひじを付けて頬杖をする近藤は少々、眠っていたように思えた。
「あ〜? ……う〜……確かにそう言われてみれば遅い気もするな」
「剣在殿、近藤殿、どうかしたか?」
店を閉めるために店先に出している食材を片付けて、丸栄が杖を右手に持ちながら中へと入ってきた。
「あ、丸栄殿。早織殿は帰ってはござらんか?」
「いや、まだじゃが……」
「うむ、少し見てくるでござる」
「おう」
近藤が答えた。剣在は何も危険がないことを悟り刀を腰から抜き、畳の上へと置いた。
ゆっくりとした足取りで店先へ通じる段差を降りて、俵靴を履き、外へ出ようとした。
「何だこれは?」
剣在が見たものは小さな紙だった。すぐ手の届く場所へあったため手を伸ばし紙を取った。
三つ折りにしてあった紙は「手紙」だったことが分かった。
「……」
ゆっくり開いて中を見る。それ程、長い文章ではなかったのですぐに読めた。
――川嶋早織を誘拐した。女を助けたいのならば、
東に位置する竹林へと来たれ。 元剣客隠密組・人間狩りの斬鬼――
不穏な表情をし剣在の怒りは頂点へ達したようだ。
元剣客隠密組と語尾につけられた言葉には「過去の修羅」を剣在に思い出させた。
「人間狩りの斬鬼……本名、竹座武蔵。裏切り者が再び姿を現したか」
「どうした? 剣在」
早織を見に行こうと外出するはずの剣在が店先へ固まっているのだから近藤も異変に気づいただろう。
剣在の背中越しに近藤は問いかけた。
「早織殿が誘拐された」
「……誰に?」
「元剣客隠密組の者でござる。奴は人を斬ることに心を囚われ隠密組までも抹殺しようとし、
人間狩りの斬鬼と呼ばれ、去っていった。拙者も一度は刀で勝負したが奴も中々、手強く、顔に傷を
負わせることしか出来なかった……」
剣在でも勝てないと言えば近藤はどうなるのだ?
近藤は勝てないだろう。それを勘付いて近藤は言った。
「お前が勝てないとなると俺は無理だな……だが、ここで俺が手を引いちまえば……」
無理だと分かっていても剣在を一人で戦わせるわけにもいかない。
微妙な心境である。だが剣在は決意を込めた。
「過去の決着でござる。近藤殿……心配無用でござる」
真剣な顔で近藤は背中越しに立っていた。
「誰だか知らねぇ〜が、ボコボコにしてこい剣在」
そう言うと近藤は畳に置いてあった剣在の刀を取って、剣在の腰へ差した。
何も言わずに外へ出る剣在を見送るように近藤も店先まで出て行った。
東に位置する竹林。そこへ向かう途中であった剣在は、おもむろに下を向いていた。
賑わう路地に一人だけ刀を差して寂しそうに歩いている。
周りのものは刀を差す剣在に驚いて勝手に道が開けていく。
頭の中では「過去に戦った斬鬼との記憶」が連想されていたに違いない。
――約二年前。『剣客隠密組壊滅事件』より更に一年前の事――
当時、剣在信一は『剣客隠密組、副組長』として活躍していた。
夕暮れ時のことだった。からすの鳴き声がして夕焼けの赤く染まった空には点々とゴマのように飛んでいた。
そして斬鬼と呼ばれた竹座武蔵、と剣在信一が戦ったのは……当時、隠密組の拠点であった神奈川(県)川崎(町)の、
静まり返った荒れた土地での事。
夕暮れの暗さに開墾もしていない荒れた土地の無様な風景。時折、あたりを見回すと1メートル程の岩がごろついている。
地面は、やや茶色であり、夕暮れ色と地面の色とが混ざり合い一層、風景を重くした。
竹座武蔵は、それ程いかつい者ではなかった。「人間狩りの斬鬼」と呼ばれるのだから、凄い怪力の持ち主であり、
凄い体格でいかつい奴だ。と想像するが見れば愕然とするだろう。
当時は28歳という若さだった。その年齢からも老けてはいないのだ。
そんな若さと逆に「斬鬼」と命名されている。その竹座と剣在との対決を見届けようと、剣客隠密組の部下達が
向き合う二人の周りを囲んでいた。
「どうだろうな……剣在副組長も強いけど、竹座は隠密組の中で唯一の鎌術(カマじゅつ)の持ち主だぜ〜?」
部下達が、ひそひそと話している。
「そうだな。辰霧組長の天地心流を受け継いだ竹座の事だ。この闘いは剣在副組長も大変だ」
「副組長も一応は天地心流だぜ……とは言っても、この対決を見ないと分からないな」
唯一の天地心流の受け継ぎ者である剣在と竹座。どちらも互角に思えた。
「どうした。人の血に魂を取られた人間狩りの斬鬼……おぬし、四民平等を忘れたでござるか?」
同じ同志として隠密組へ入ったが、人斬りに覚醒してから四民平等を出張してきた竹座の心は変わっていた。
「ふふふ、何が四民平等だ。副組長……。いつ達成できる! 今は時代が変わったんだぜ」
「ふん、そうか……。では同じ天地心流として、おぬしを倒そう……」
周りの話し声が一瞬にして静まった。剣在の刀を抜く音が空気を振動させ耳に伝わり、竹座の鎌が、ぎらつく。
「行く、でござる」
そう言って自分に対決の事実を確認して、顔をいかつくした。
多分、目を見張って竹座の行動を予測しようとしているのだろう。
竹座は、どう出るか? それとも同じく目を見張るのか? そうならば両者共々、沈黙が流れるはずだった。
しかし、竹座はいきなり行動へと移した。
「俺の鎌術、とくと見やがれ!」
2メートルだろうか。木材で作られている。そのぐらいの長さである大きな鎌の木材部分を両手で持ち、攻撃態勢へと移した。
竹座は剣在へと近づく。ここまで近距離になると攻撃を仕掛けるだけだろう。
「手始めは、これだ! 天地心流鎌術、突斬(とつざん)!」
言葉どおり、突いて斬る技である。
竹座は、ぎりぎりの間合いで、普通ならば鎌の刃を剣在へ向けるのだが、ここは刃と逆の木材部分を剣在へ向けた。
そして、腕力を利用して迅速的に腹部分へ突き技をした。
しかし、当たり前、剣在には避けれた。体を少し横へずらしてと突き技を仕掛けてくる木材の鎌を横目で見る。
「突きは当たらないでござるよ」
「ふん、惜しいな」
ニコっと唇を横へ伸ばして、剣在を迷わせた。完全に避けた筈なのに……と思っていたに違いない。
まだ竹座の突斬には、次の仕掛けがあった。
「突斬は二段技だぜ〜!」
竹座には剣在が避ける事は策に的中していたのだ。避けなければ技が完成しないからである。
横へ避けた剣在は、避けるために体をひねる。それによって一瞬ではあるが、隙が出来てしまう。
そこで鎌の刃で剣在の体を斬るという寸法であった。
突斬……突き技をしてから斬る。本当に言葉どおりである。
「不覚だったな。副組長!」
竹座の腕力の最大限。で鎌は横払いとなった。
鎌の刃は少しブリッジのようにそれている。その刃は体へと食い込む。
――ブシャー!――
衣服は破れて、体も破れた。
剣在の視覚は揺れ動き、めまいと化した。鎌の刃には血がこびりつき、地面へとシズクのように落ちて行く。
「死ぬには、もう一撃、欲しいところだな」
横に払った鎌を元に戻し、次なる技へと体系を整えた。
竹座は、十歩程、後ろへ下がった。
「やべぇ〜。あの技は竜巻斬・雷(たつまきざん・いかずち)。だ……」
部下の一人がうろたえながら、呟いた。
竹座は両手で鎌の中心を持ち、前へ出した。
「天地心流鎌術、竜巻斬・雷!」
ゆっくりと、竹座の両手により鎌は回っていった。遠心力と腕力とを重ね合わせて最大の攻撃にしようとしているのが分かった。
回転は速度を増し、遠心力も平行して倍増していく。
空気を殴る音が何度も聞こえて、それは次第に剣在の近くへ来ていた。
「走って……来る……。避けるには左右か? いや、上……しかないでござる!」
最後の気力を振り絞り横腹の傷を我慢しながら最後の賭けへと突入した。
刀の柄を持つ両手の握りを固めて、気持ちを高めた。
「来い! 竹座! 天地心流奥義、見せてやるでござる!」
突進していく竹座と回転する鎌。しかし、どうやって釜の上へと飛び上がり竹座を倒すのだろうか。
それほどまで、剣在の脚力はあったのか?
それは、次に分かった。剣在は後ろを見た。後方には大きな岩があったのだ。
竹座が近づくにつれ、それと同時に剣在も後ろへ移動していた。岩に近づくために。
最大近距離へ迫って来た瞬時に剣在は後ろへと飛び上がった。
「何を……!」
それには竹座も驚きだろう。
剣在はタイミングを計り、岩の高さを利用して大きく岩を蹴った。飛び上がった体を確認して下を見る。
「上か! だが釜を上へ持ち上げれば……」
上へ飛んだ剣在を驚きながらも次の対処として前で出していた鎌を上へと持ち上げようとした。
「!!」
だが、持ち上げれなかった。遠心力により回転する速度と力が大きすぎ、自分の腕力が遠心力へ奪われていた。
その間にも剣在は攻撃へと移ろうとしていた。刀の刃を一回転させ峰を下へ出す。
多分、刃では攻撃しないと言うことか。その峰を地面と平行にした。
「天地心流! 天地(あまち)!」
重力と共に剣在の体は、竹座へと落下していく。刀の峰は地面と平行のため、峰は竹座の頭と、同時に
回転する鎌に当たった。その衝撃により鎌の回転は止まり、竹座の手から釜が落ちた。
落下した剣在は最後に、竹座の表情を見た。口を開けたまま目は見開いている。
よほど頭への衝撃が大きかったに違いない。そして偶然にも剣在の刀の切っ先により、
竹座の「おでこ」には一直線の傷があった。
――流離い抜刀〜明治流浪剣客物語〜 【其の十二・竹座の奥義】――
「あの竹座と再度、刀を交えることになるでござるか」
過去の記憶を巡りながら剣在は、下町外れの竹林の近くに、既に歩いていた。
街中のコンクリート状の歩道とは違い、歩いている所は砂道であった。
目の前は、もう竹林。
竹林の真ん中には直線の砂道がある。かと言っても、竹林の奥まで見渡せるほど、綺麗な一直線ではない。
程よい曲線を描いて竹林を砂道が通っている。
剣在は、その砂道を通り、そのまま、竹林の中へと入っていった。
少なからず横風が吹き、竹をゆらゆらとなびかせ、同時に竹と竹がこすり合い、がさがさと音をたてた。
一分程だろうか。剣在は竹林の中を幾度となく歩き続けたいた。
そろそろ、早織の助けを呼ぶ声が聞こえてもいい頃ではないだろうか?
そんなことを考えながら、少し首を振り辺りを見る。
「!……」
両足が交互に動いていたはずだったが、何かに反応して足が静止した。
その頃には、もう竹林は横風によって動いていなかった。
風景も静止する。だが、剣在の目に映る「もの」は静止ではなく、動いていた。
頭の中に焼きつくほどの異様な微笑みが見えたのだ。
「(……竹座なのか……?)」
剣在の前には大きな鎌(かま)を持った男が一人立っていて、こちらを見る。
しかし、いくら斬鬼の強調である鎌を持っていても剣在には二年も会っていない斬鬼を確認できなかった。
だが、斬鬼であることは間違いないと思うことが一つあった。
「早織殿……」
鎌を持つ男の少し後ろには正座して、腕を後ろにして縄でしばられている。しかも口には布が噛まされ、しばられていた。
剣在に気づいて、もがいている。
ただ、男は竹座武蔵であることは間違いない。
「やはり、竹座でござったか……。恨みを晴らしに来たでござるか?」
「その通り。二年間、俺は賞金稼ぎ屋として飯を食ってきた。今日も、賞金稼ぎのために殺そうとしている所だ。
元副組長さんは隠密組生き残りとして賞金が高いんでね」
「賞金稼ぎだと? 誰に雇われたでござるか?」
「お前は分かっているんじゃねぇ〜のか? お前を隠密組生き残りだと知っているのは北沢だけじゃねぇ〜か。
だとしたら、北沢は本部署の誰かに暴露するだろ?」
「北沢が暴露だと? (ではなぜ、あそこで拙者を逃がしたんだ?)」
「お前は、今、北沢は同じ本心を持つ仲間だと思っているだろうが、北沢も警官だ。
お前を武家屋敷で逃がしたことで後が無いらしい……。そこで北沢はお偉いさんに暴露した。
新しい情報を教えることで首を逃れたんだろうな。そして、そのお偉いさんが俺に剣在信一を殺せと命じた。
北沢では役に立たないことを悟ったからだ。後は俺がお前を殺し賞金をもらって、
最終的には、雇い主である、そのお偉いさんが『剣在を倒したのは私の部下だ』などと嘘をついて昇格する」
「全ては権力か……。だが、なぜ、おぬしが知っている?」
「俺の雇い主は本部署の上官だぜ〜。そのぐらいの情報は耳に入る」
竹座の雇い主が本部署の上官だったことが明白になった。
全ての会話が真実だか分からないが、北沢が剣在の詳細を上官に教えたのは間違いなさそうだ。
そうでなければ、話の筋が通らない。
「どうだ? 副組長、本部署にばれると後が無いだろ?」
満面の笑みを浮かべながら右手に持つ鎌で地面を叩く。
鎌が動いたことに剣在は攻撃態勢を取るように鞘を左手で持った。
「後が無い……でござるか。だが、真実は違う。隠密組は世のために働いた」
「ふっふっふっふ。しかし、その世の中が隠密組を悪いと思っているのだぞ?」
「そうだとしても、早織殿のように拙者を理解してくれる人がいるでござる。今の世が隠密組を悪者だと思っていても、
それは、明治政府が創った幻覚に過ぎない」
「……なるほどな。……だが、その正義気取りの、お前がここで死んだら意味が無いな」
「いや、拙者は死なないでござる。竹座……」
会話に終止符が打たれたように両者共、自分の武器を構えた。
剣在は刀を右手で抜き、竹座は鎌を握り締めた。
その闘いを目の当たりで見ている早織は黙っていた。
数秒後のことだった。再び竹林に横風が吹きかけ、竹は横へ振れた。
その衝撃で隣の竹と接触して、ざわざわと音をたてた。
「お前から来い! 剣在!」
剣在は言葉どおり、走った。袴が足の動きにつれて動き出す。それと同時に横風により剣在の髪は横へなびかせた。
「……」
竹座は何も言わない。それよりも何かに集中しているようだ。
その時、初めて鎌を振り上げ横へ大振りした。横払いをしても何も起こらない。
ただ鎌の横払いに沿って、空気の斬れる音が響いただけだった。
「二年の修行の成果、見せてやるぜ」
剣在は何かに気づいた。メシメシっと音をたてるものがあるのに気づいたのだ。
五本程だ。竹座が大振りした右側の竹林の内、五本が砂道へ倒れようとしていた。
「(何! 鎌の刃は竹に触れていないはず……でござるが)」
丁度、剣在の目の前に倒れてきて、剣在は上から落ちてくる竹のおかげで目の前が一瞬、見えなくなった。
三秒後には五本程の竹は地面に落ち、やっとのことで剣在は目の前を見ることが出来た。
しかし、前にいたはずの竹座の姿は見えず、早織だけが正座をして何かを伝えようと必死にもがいている。
だけど伝えようとしていることが分からない。ただ何かが起こっているのは分かった。
「(竹座がいない。一体、どこに?)」
頭の中で思い描いたところに上側から言葉が聞こえた。
「鎌術我流! 斬空(ざんくう)!」
猛スピードで落下する竹座。その速さにはよけれない。
竹座は鎌を真上に持ち上げ振り下ろそうとする体形を作った。
剣在のもとへ落下する直前に竹座は振り上げていた鎌を剣在、目掛けて振り下ろした。
「(避けれるか!)」
いや、それは出来なかった。と言えば語弊があるかもしれない。と言うのは、剣在は振り下ろされる鎌に直前になって
右へ避けた。
しかし、竹座の初めの技を思い出して欲しい。竹座は五本程の竹を斬った。
それは事実だが鎌の刃は当たっていなかったはず……。竹座は遠心力と腕力を利用して空気の振動で、竹を斬ったのだ。
ここまで言えば分かるだろうか? 振り下ろされた鎌を避けた剣在は、空気の振動でダメージを負っていたのだ。
――それが、二年の修行で得た、『我流、斬空』だった――
「避けれたでござる! 竹座!」
右へ避けた剣在は勝利する自信を持ちながら、そう言った。
着地した竹座は地面に刺さった重い鎌を、ゆっくりと持ち上げながらニッコリとした。
「お前の負けだ」
先程、言ったように剣在は空気の振動でダメージを負った。
その証拠に剣在の左肩は麻痺状態を引き起こしていた。
「……左腕が動かない……!」
早織は大粒の涙をこぼしながら、剣在を見ていた。
――流離い抜刀〜明治流浪剣客物語〜 【其の十三・神速の奥義】――
「(死んじゃう! 信一が……!)」
早織の胸の内には剣在が死ぬのではないのか? と思いながらも助かること。剣在が勝つことを願っていた。
左肩を斬空により麻痺状態になった今、剣在の腕力は半減してしまった。
左腕を、だらりと地面にたれ下げて、力が無いように見えた。
「(これでは刀を両手で構えることが出来ないでござる!)」
強気になっていた心も冷め時になってしまった。
竹座は二年前より、一層と強くなっていたことに剣在は確信を持ち始めた。
「おいおい、女を助けずに死んじまうのか〜? もう少し、俺を楽しませてくれよ〜」
鎌を右手で持ち、地面に何度か叩きつけた。
剣在は、その音さえも頭の中に入ってこない。しかし、竹座の一言は頭に焼きついた。
――女を助けずに死んじまうのか〜?――
その言葉に何かを感じて、剣在は、ふと早織を見た。涙を流して自分を見ていた。
「拙者が、拙者がおぬしを倒さなければ……早織殿は助からないでござる!」
「!……良く言ったものだ。ふっはっは! どうやって俺を倒すんだ! 右手一本でやってみろ!」
「左手が使えなくとも、剣は振るえるでござる!」
さっきの冷め切った気持ちは、どこへ行ったのか?
今、しなければいけない「こと」……。それは早織を助けることだ。
再び心に火を灯し、決心を固めて剣在は竹座に睨みつけた。
剣在は、再び刀の柄を握り締めた。
重く冷たい表情をして、竹座のつま先から顔までなでるように見る。
「……ごくん」
剣在から殺気が溢れて、竹座につばを飲み込ませた。
「(なんだ。この殺気は……!?)」
左腕が動かない。などは竹座には思えなかった。確かに左肩は麻痺して左手は使えないが、
殺気を感じる剣在を見れば、どうでもいい。そんなことを竹座は思った。
「(だが、勝てる! こっちが有利!)やって見ろ! やって見ろ! 剣在!」
「貴様は、まだ分かってはござらん。天地心流の極意を!」
「極意だと! そんなものやる前に殺す! し、死ねーー!」
竹座は剣在の殺気に恐怖を感じて、すぐに鎌を大きく持ち上げ、剣在を目掛けて右から横払いをした。
「!!」
横へ鎌を払ったはずなのに、どこにも剣在はいなかった。あの近距離で避けれるはずがないのだ。
「ばかな! そんなはずは――」
「いや、貴様の攻撃の仕方。見切らせてもらったでござる」
「どこだ!」
「ここでござる! 竹座!」
その声を耳に聞き取り、竹座はすぐに剣在の居場所が分かったような気がした。
うしろを見るように少し首をひねり、真後ろを見た。
既に、うしろ側には剣在が待ち構えていた。
「なんて早さだ……。俺の周りを走り、真後ろに構える。この技は……!」
「そう、この技は、天地心流! 神速剣舞(しんそくけんぶ)! でござる!」
刀を構えて竹座の背中を斬った。右上から左下へ斬られた場所は赤くにじんだ。
背中を斬られた竹座は、両手をひざに当て、自分の体重を支えた。
夕方の空は赤く、からすもどこかへ行ってしまっていた。もう、からすの鳴き声は聞こえない。
無事に思ったように思えた早織は、ほっとして涙が止まった。
「おぬしに、もう一度話したい。……おぬしは辰霧師匠の志を本当に忘れたのか?
……おぬしは師匠の志である自由と平等を信じて世のために師匠についていった。
なぜ、おぬしは人斬りになったのでござるか? なぜ、隠密組の仲間を裏切ったのだ?」
ずっといかつい顔をしていた竹座の表情が少し、崩れたような気がした。
昔、自由と平等を信じて隠密組として闘かってきたことを思い出したのか。
しかし、竹座は、こう言った。
「……黙れ! なにが自由だ! なにが平等だ! この時代に何が叶うと言うんだ!
何をやっても成果が出ない。刀を振り回したとしても、権力には物は言えない!
なぜ、それが分からない! 俺みたいに貧乏な奴には目もくれない明治政府に刀では物は言えんのだ!」
「竹座! おぬしは何も分かってはおらん! 確かに明治政府は権力が強く、古き時代にいる弱者には目もくれない。
だが、権力に恐れてばかりでは弱者は救えない。一人でも多く救いたいなら、自分までも犠牲にしなくてはいけない。
……それが怖くて、おぬしは自分の心から逃げていたのでござろう? 世を変えるのは今でござる!
それが分からないなら本当に、おぬしは人間狩りの斬鬼で……ござるよ」
一瞬の沈黙が空気を流れ、剣在の言葉は竹座の心に当たった。
忘れかけていたことを思い出したように竹座の心は透き通ったように透明で、晴れていた。
「剣在、俺は駄目だ奴だ」
「竹座、自首するでござる。今からでも遅くはない」
竹座には、その言葉が、うれしくも悲しくもさせた。涙を出す竹座を見るのは剣在が初めてだろう。
剣在は、そっと竹座の肩を叩き、早織のところへと歩いて行った。
――流離い抜刀〜明治流浪剣客物語〜 【其の十四・敵は本部署全範囲!】――
昨日の闘いが嘘のように、心が晴々としていて、透き通って気持ちが良い。
あの後、竹座は本部署へ出頭したのか? 間違いなくしただろう。
あの涙は、偽りには見えないから……剣在と早織は、そう思った。
だが、ただ一人、何も知らない者がいた。
「おい! 信一! 教えろよ〜! 何があったんだ?」
近藤がしつこく、剣在にまとわり、昨日の出来事を教えろ。とうるさく言ってきた。
狭い部屋の中なので、声は反響するので、こう言われれば、なぜか言えなくなる。
「うるさいでござるよ〜。長話になるでござるから、嫌でござる〜。早織殿は無事だったのだから良いではござらんか〜」
だが、そんなところで引き下がる近藤ではない。じっと剣在の顔を眺めた。
剣在は心底、身震いをした。
「いやいや、お前、もしかして……」
その、もしかして。が気にかかって剣在は、じっくりと近藤の顔を見つめた。
そして、近藤は真剣な顔をして、口を開いた。
「……もしかして〜お前〜早織の奴と……出来ちまったのか?」
「何を言うでござるか! 拙者は――」
顔を赤くして訴えようとする寸前に嫌な殺気が、どことなく感じた。
「うるさい! あんた達、ちょっとは静かにしなさいよ! 客が困るじゃないのよ!」
店先へ出て、接客している早織は、大声で怒鳴りつけた。まだ、怒鳴るだけでよかったと思った。
それは、二人の会話の内容が分からないのが幸運だった。二人とも、そのことに、ほっとして顔を見合わせ、吐息をした。
そんな時、聞き覚えのある声を店先から聞こえた。少し低めの声で響きのある声だ。
「すみません。ここに剣在信一と言う方はおられませんか? ここだと周りから聞いたんですが」
剣在は、首を伸ばして、外を見た。
外には警官服の黒服を着て、サーベルを腰に掛けている。
「あ! 北沢殿!」
「お、本当じゃねぇ〜か」
近藤が外にいる北沢を見ながら言った。それに気づいて北沢は軽く腰を曲げて礼をした。
「初めて見る顔がいる見たいなんで、改めて自己紹介を……本部署配属の東京班第二番隊隊長、北沢総司
と申します」
「私は、この八百屋の娘、川嶋早織です」
北沢は、あぐらをかき、ちゃぶ台のところで座っていた。丁度、剣在の真正面に。
店先には丸栄が仕事をしているため安心して、早織は、剣在達と共に話を聞くことにした。
「まず、謝ろう。お前も知っているかもしれんが、俺はお前の詳細を暴露した。すまん」
「いや、北沢殿、おぬしにも深い訳があったのだろう。仕方がない」
「ああ、すまんな。俺の本心は分かってるよな? 剣在と同じ信念を持っている。と言うか、心変わりしたんだがな」
「それより、あんた、信一に伝えたいことがあるから来たんでしょ?」
早織が聞き出す。北沢も、それにはうなづいた。
「ああ、その通りだ。斬鬼を倒したらしいな……今朝、出頭しに来た……」
昨日の出来事を知らない近藤は、あの人狩りの斬鬼が出頭したことを驚き、剣在の横顔を眺めた。
多分、何とか剣在が斬鬼を説得したのだろう。と予測はついたに違いない。
「で、どうなったでござるか?」
それに北沢は暗い表情をした。
「……処刑、された」
あの涙を流してまでいた竹座が、処刑された。早織は重い表情をして、じっと北沢を見つめた。
「なんで処刑されんのよ! 確かにアイツは悪い奴よ! だけど――」
「仕方がないでござる。拙者も自首をしろと言ったが、二年間も人斬りをするとなると処刑は間違いない。
だが、竹座は処刑されるのを覚悟に出頭したはず。出頭した竹座は、ちゃんと自分の罪をF識しているでござるよ。
処刑されようと竹座は天国で生きているでござる」
それには北沢も納得した。昨日の出来事は分からないが、剣在が言うことなら、間違いない。
早織も剣在の言葉に一瞬、驚いてうなづいた。
「その竹座の処刑は仕方がない。だが俺が言いたいのは、その裏だ。
竹座の雇い主の話だ。竹座の処刑決定をしたのが、東京班剣客警備隊補佐官(参謀役)の武田朗冶(たけだろうじ)と
いう奴なんだが、俺が、お前の詳細を教えた上官は、その武田って奴なんだ。
だから、お前を隠密組の生き残りと知って、竹座を雇い殺させようとした。最終的には、
自分の部下が剣在を殺した。と嘘をでっち上げれば補佐官から昇格する。と言う寸法だ。
あくまでも、これは俺が入手した噂と情報だがな」
筋の通った話しである。それと同時に竹座の言っていたことと同一であった。しかし、この話は本当だろうか?
確か、竹林の中で竹座と話したときも、雇い主は、本部署の上官だと言っていた。
しかも、「話の筋」は一つも間違ってはいない。
「いや、それは本当でござろうな。拙者が竹座に聞いたとおりでござる」
横で早織も納得している。あの時、早織も竹座の言葉を聞いていた。
「そうだわ。竹座の言っていた雇い主は、本部署の上官と言っていたわ」
「それに話の筋も同じでござる」
そこに近藤が、ちゃぶ台を平手で一叩きして、体を乗り上げた。
「おいおい、俺は、そんな難しい話は分からねぇ〜が、その武田朗治って奴が親玉なのは明確なんだろ?
じゃ〜早く倒しちまおうぜ!」
「待て! そう焦るな。俺たちが、武田が親玉だと分かっちまった以上、どうせ、その事は武田も分かるだろう。
だとすれば、武田は口封じのため、俺たちを殺す。武田は剣客警備隊の補佐官だ。
言わば、警備隊の出動命令を下す奴。すなわち作戦実行人……警備隊を思いのままにすることが出来る。
と、なると……敵は本部署全範囲ということだ。良いな?
俺は、もう一度、翌日の明朝にここに来る。それまでに、刀でも磨いとけよ」
北沢は、あぐらの足をほどき、ゆっくりと、そこに立ち上がり、八百屋を後にした。
翌日の朝、五時。川嶋八百屋にて……。
こんな明朝は武家屋敷の時、以来であろう。霧が立ちこもり、目の前は白く冷たい。
そこへ一人の警官がいた。
「今日は、俺の節目だ」
今日は武田朗冶を討伐する日である。警官である北沢は、この日を節目として思っていた。
自分の本心をつらぬき、剣在と共に武田を倒しに行く。これこそ自分の役目だと悟ったのだろう。
タタタ、タタ。足音がする。その足音の行き先は、もちろんのこと、川嶋八百屋であった。
北沢は何の未練も無く、剣在のいる八百屋の中へと足を運んだ。
軽快なステップで店先を通り、部屋の前へ止まった。
二枚の障子が部屋と店先を区切っていた。
北沢は、その障子をスライドさせた。
「剣在! 用意は出来たか! ……出来ているようだな」
障子の向こうには、いつものようにちゃぶ台を囲んでいる剣在と近藤、早織がいた。
剣在は、あぐらをかいて、右手には刀が持っている。
「用意は出来ているでござる。しかし、その武田とやらは、どこに?」
靴を脱いで、中へと入り、腰にぶら下げているサーベルを取って、畳の上へとあぐらをかいた。
そして、手に持っていたサーベルを、ゆっくりと寝かせた。
「ここからは、そう遠くない。三十分で着くだろう。目的地は……武田大屋敷だ」
「おいおい、家にまで名前をつけてんのか?」
近藤が言った。
「いや、本部署内では、そう呼ばれているだけだ。ただ広い屋敷なんでね……。
それより、本題に入るとしよう。まず出陣するのは、俺と剣在……。
近藤は、この八百屋を頼む」
「おい、俺も行くぜ!」
「それは駄目だ。武田は本部署幹部と言われるほどの警官だ。奴の情報網は、ここの場所ぐらい把握しているさ。
だから、お前はここで用心棒をしとけ」
近藤は、大きな任務でも頼まれたような気がした。もしも、警官の大軍が押し寄せてきたら、どうしろというのだ?
警官の大軍は、まずないだろうが、なぜか、そんなことを妄想した。
「良いか? 近藤、剣在? この手順でいく」
「分かったでござる。拙者は北沢殿と……」
「俺は用心棒……」
「よし、この闘いは激しいぞ。心してかかってくれ」
いかにも、武士時代の戦争で将軍の誰かが言いそうな台詞だった。
――流離い抜刀〜明治流浪剣客物語〜 【其の十五・霧に隠れた危険】――
朝、五時三十七分。北沢訪問より三十七分経過。
東京下町、武田大屋敷内にて……。
「お前達! 用意は出来たか! 奴らの来る予測時刻になった! 相手は裏切り者である北沢、元剣客警備隊第二番隊隊長。
そして、もう一人! その者は、皆が知っている人物だ! その人物と言うのは、元剣客隠密組の副組長!
剣在信一だ!」
黒い警官服を着て、腰にサーベルをかけている一人の男が、そう怒鳴った。
なおかつ、サーベルを持っている姿を見ると、剣客警備隊の者であることは見て取れた。
そして、指導者のように声を張り上げる姿は、よほど、地位が高いと見た。
それらから推測すれば、その者は剣客警備隊の隊長だろう。
そんな威勢の良い声を聞いて、周りの剣客警備隊の部下が、ぼそぼそと喋りだした。
「相手は、元隠密組の副組長? 倒せるのかよ?」
「なんで?」
「なんでって、隠密組の組長は、噂では昔は維新志士だったんだぜ? その維新志士の弟子なんだぜ〜。
しかも、古流の天地心流を使うらしい……」
「天地心流? おい、それって、もしかして……」
「何を喋っている! そこの者達! 戦闘準備だ!」
喋っていた二人の警官は、怒鳴る男にせき止められ、二人は足を揃わせ、敬礼をした。
「すみません。 陀崎隊長!」
陀崎は謝る部下を見ながら、何度か首を縦に振って、後ろを見た。
数メートル程の後ろには、白い壁があり、その壁の前には、洋式の大きな椅子があった。
そして椅子に座っているのは、黒のネクタイに緑のスーツを着ている者だ。
足を組んでいて、右手の中指で眼鏡を押していた。ばっちりに決めている髪形を見れば、いかにもエリートマンである。
「陀崎……そこまで大きな声を出さなくても、皆には、お前の声は届いている。そう焦らずとも……」
「はい、しかし、武田補佐官。私と隠密組を壊滅させた、あの北沢が、隠密組の元副組長と、手を組むとは思っても……」
「ふふふ。だから、こうして殺すのだろ?」
中指で眼鏡を鼻の根元にまで、押し上げながら、武田はすす笑いをした。
朝、五時四十分。武田大屋敷前にて……。
屋敷は外から見えば、洋式の建物。ほぼ白の一色のような色合いである。二階建てのようだ。
「予定より、十分遅れたぞ。剣在」
「いや、どうせ遅れたとしても、我々が来ることは分かっていたようでござるな」
武田大屋敷の鉄製の門の前で、剣在と北沢は立っていた。門の両サイドには白いコンクリートで作られた塀がそびえている。
「なるほどな。来ることは分かっていたようだな」
鉄製の門の隙間から、見える屋敷内には、警備する警官が、ゆっくりと周辺を模索している。
「ここで、武田の悪事を明らかにして、捕まえなければ、反対に俺達が殺人未遂になり指名手配されることになる。
だから、一度かぎりだ」
「ふむ、そうでござろう」
「で、どうするんだ。剣在」
右側へいる剣在の横顔を見ながら、次の手段を聞いてみた。
聞くということは、北沢は事前に考えていなかったのだろう。剣在も考えていない。
なぜなら、真剣な顔をしながらも、顔には「分からない」と書いてある。
「ふん、どうせ俺も、お前も考えてはいないな。だとしたら、突っ込むか?」
少々、剣在は黙って、真剣な顔をしながら北沢の目を見た。
「突入も良いかもしれんが、やはり、何か作戦考えたほうが良いのではござらんか?」
「と、言っても、今更、考えても時間が減るだけだぜ?」
少々の沈黙は流れたが、両方の考えは一致したようだった。
北沢は剣在を見て、うなずき、剣在は北沢を見て、重いうなずきした。
「お前は、意外に、威勢が良いな」
そう言いながら、北沢は門の隙間から中を覗きながら、そんなことを言った。
剣在は、その言葉の意味が読み取れなかった。
威勢が良い……その言葉の前には「意外」がついている。剣在を中々の剣術家だと思っていた北沢は、
突入する決心がついた剣在を見て、こいつは作戦派ではなく、「意外に」行動派なのか? と思ったのだろう。
だから、威勢が良い。の前には「意外」がついた。そんなところだろう。
首をかしげていた剣在を、本題を戻したのは北沢であった。
「この門は、おそらく、俺の体の二倍はあるだろうな。門をよじ登るより、少し低い塀を登って突入した方が良いな」
剣在は、再び真剣になり、右手であごをさすった。
「そうでござろうな。周りは塀でござるから、やはり塀から突入する手立てしかないでござるな」
自分の頭の中で納得していた剣在。その時には、既に北沢は塀を、足と手をたくみに使い、よじ登っていた。
「おい、早く来い」
「へッ? (いや、北沢殿は意外に、おちゃめ……?) あッ、早く行かねば……」
剣在も北沢に続き、塀をよじ登ろうとした。その時には、北沢は、塀を乗り越え、屋敷内へと突入していて、
もう、中ではサーベルで人を斬る音が何度か聞こえた。それと同時に斬られる警官の声も聞こえた。
「早いでござるな〜」
中の警備隊をサーベルで斬っている音が聞こえて、北沢の迅速な突入と戦闘を、少々ほめた。
「おい! 剣在、早くしろ!」
剣在の顔が塀から少し出ていた。もう少しで塀を乗り越えそうだが、北沢には遅く感じた。
「待つでござるよ〜!」
やっとのことで剣在も、塀の上に乗っかり、そこから跳び、地面に着地した。
屋敷内へと入ることには成功した。中は数人の警官が血を流して、倒れている。
屋敷内の緑の草に、赤がまじり、異様な光景である。目を開いた警官や手を伸ばしている者。様々な死に様だ。
「北沢殿、あまり死人を出すと悪いでござるよ。この警官は何の罪もないでござる」
「ふん、そんなことも言ってられるか。そうしないと、こちらが斬られる。こいつらは、他の警備隊と違う。
こちつらは、最も強いとされる東京班剣客警備隊第一番隊だからな……。
よし、それより建物の中へと入るぞ」
北沢は、「第一番隊」と言った瞬間、何かを思い出したように悲しい眼をしていた。
剣在には、それがひっかかり、走っていく北沢の背中を見ながら、ぼーっとした。
「早くしろ。のん気は一番、嫌いだ」
武田大屋敷の建物の玄関と見えるところで北沢は立っていた。意外にも扉は、門よりも小さく、洋式であり木材で出来ている。
片手だけで開けれそうな扉であった。
剣在は、扉の前へと歩いて行き、北沢の左側へと体を立たせた。
「開けるぞ。剣在」
「準備は良いでござる」
扉の、ギーっと言う音が響いて、中は一直線の通路が、目に飛び込んだ。
二人は、中へと走っていった。
朝、五時四十八分。武田大屋敷内にて……。
正方形の小さなコンクリートが床一面に敷き詰められ、その上には、十数名の警官と陀崎一番隊隊長が構えていた。
もちろん、椅子に座って、待っている武田もいた。
「そろそろ……だ。陀崎……始末してくれ」
「分かっています。裏切り者を葬るのは私の役目。そして一年前の決着をつけるのも私であります。お任せください」
北沢を裏切り者と認識し、そして逃亡した元隠密組の剣在を倒し決着をつける。と確信した陀崎。
この、明朝で、全てが……一年前の事件が終結する。
「うわー!」
「ぐはッ!」
どこからか、警官の声が聞こえた。その声は、死に声だろう。そのことを直感した陀崎と、他の警官は、
すぐに、ここの一室の出入り口の扉を見た。扉は北沢から見て真正面である。
「(やはり、来たか……)よし! 戦闘準備! サーベルを抜け!」
陀崎の指示が一室の端から端まで響き渡り、警官は腰のサーベルを抜こうとした、その時だった。
バコン、と大きな音が、同じこの一室に響き渡り、警官はサーベルを抜くことを忘れて、再び扉を見た。
扉は前方に倒れこみ、扉が無くなった出入り口には、二人の男が立っていた。
陀崎は、その男達につばを飲んだ。
「北沢と……剣在か……。ええぃ! 何をしている! サーベルを抜け!」
再び陀崎の指示が飛び、サーベルを抜くのを一時停止していた警官達は、サーベルを抜こうとした。
「北沢殿、ここは拙者が行く……」
剣在は、そう言うと、北沢の了解無しに、サーベルを抜く警官達に飛びかかった。
「速い!」
警官達が、剣在の走り早さに圧倒され、そうなげいた。
剣在は、素早くすり抜け、迅速的に警官をなぎ払った。
段々と、前から警官が倒れていく。サーベルを振ることも出来ずに、警官は口をあんぐりと開き、床に倒れる。
丁度、全員の警官が倒れて、走り抜けていた剣在は、そこで止まり、うつむけになりながら、刀を鞘に戻した。
「峰打ちでござるから、後で手当てをしてやるでござる」
陀崎の数メートル前で、すでに剣在はいるのだ。やろうと思えば、剣在は陀崎を殺せると言う訳だ。
後ろにいる北沢は、初めて見る剣在の速さに圧倒され、突っ立ったままだ。
「やるな……剣在信一。天地心流だけある」
「当たり前だ。天地心流は、維新志士である辰霧師匠の流儀。知っている者は知っているはず。
そして、一年前、その辰霧組長と戦ったことがある、おぬしなら尚更、知っているはずでござるな」
「……確かに天地心流は、その名の通り、天から地、そして心も満たすような力であった。
だが、その組長を倒したのは、私だ。お前もここで殺す」
にらみつける視線と視線。一年前の出来事から決着する時が来たようだ。
「言っとくが、私はそんなに弱くはないぞ」
サーベルを徐々に抜きながら、そう言った。
熱気がこもった空間に手が出せないでいた北沢は、一応、戦闘が始まる気配がしたのでサーベルを抜いた。
それと同時に剣在も、再び鞘から刀を抜いた。
天井にある電気から発する光に反射して刀は白く輝いた。
「行くぞ!」
刀を抜き終わった直後に、剣在は怒鳴った。
そして、後ろにいる武田は、その激闘の始まりを見ながら、小さく呟いた。
「……馬鹿だ……こちらには切り札がある……」
朝、五時五十三分。剣在と陀崎の決闘は始まり、
それと同時に、川嶋八百屋の前には、霧に隠れた……大きな鎌がぎらついていた。
――流離い抜刀〜明治流浪剣客物語〜 【其の十六・闘志から静寂へ】――
「剣在には悪いが、仲間を殺させてもらう」
そう言うのは、川嶋八百屋の前に立つ一人の男だった。
大きな鎌を地面と垂直に右手で持ち、地面を一叩きする。
存外、大きく響きのある音であったので、八百屋の中にいる近藤と早織は、耳に力を入れて、その音を聞いた。
「おい、早織。嫌な感じがする……お前は、じいさんと奥へ行け」
近藤には、危険が迫っていることに少なからず気づいていたのか。早織に、そう言った。
早織は、座り込んでいる丸栄の腕をひっぱり、奥の間へとゆっくりとした足取りで歩いていった。
近藤のいる部屋と、早織と丸栄がいる部屋の仕切りとなっているふすまが締め切り、近藤は茶の間で一人となった。
しかし、早織は心配したため、ふすまの近くに寄って、茶の間の景色を読もうとしていた。
「早織や……大丈夫じゃ。何も起こりはせん」
杖を右手に持ち、自分の体を支えながら、丸栄は小さく呟き、早織の心配性に安心をかぶせた。
「だといいけど……」
何も起こらないことを願いながらも、ここに敵が来ることは無い。とは断言は出来ないのだ。
そうしている間にも、鎌を持つ男は、ゆっくりと店の中へと入っていく。
店先と茶の間とを仕切っている障子に、段々と近づく。
そして、近づくと右腕を挙げて、鎌を上に振り上げた。
「何だ……この感じ……」
焦る気持ちが吹き上げる。何かが近づいてくることに気づいたのか。近藤の心拍数は上昇する。
それと平行して、左手の長刀を鞘から抜き、そして構えた。
その時だ。大きな音が八百屋の中に連動した。近藤は一瞬、まぶたを閉めた。
空気が目の中に入ってきたためだ。空気は力強く近藤へ吹き付けた。その出来事は早織達も気づいている。
そして数秒後、近藤は目を徐々に開いて、前を見た。障子は斜めに亀裂が入り、亀裂を境目にして上部が畳の上に、
落ちそうになっていた。それだけではない。店先から低い声を聞こえた。
「俺の得意技なんだぜ。空気の衝撃は意外に体に衝撃を加える」
その言葉に驚きながら、近藤は応答した。
「誰だ! 貴様!」
「おいおい、怖いこと言うなよ。今、入るから待て」
そう言って、鎌を持つ男は右足で障子を蹴り、茶の間へと入った。
近藤は、まず大きな鎌を見て、次に相手の顔を見た。額には一直線の傷があった。
そして、うろたえながら口にした。
「……剣在から聞いたことがあるぜ……。鎌を武器にし、額に一直線の傷がある男……斬鬼」
「ふん、御名答。俺が人間狩りの斬鬼……本名は竹座武蔵。お前らを殺しに来た」
にやつき、近藤の目を強く見つめた。
「そんな力か! 隠密組の副組長は、どのぐらい強いと思えばこんなものか!」
サーベルと刀が、激しく交差してぶつかり合い、そして高い音が鳴り響く。
どのぐらい、剣在は陀崎と刀をぶつけているのか。
数分は経過しているだろう。
剣客警備隊第一番隊とは、簡単に言えば強さの値を表す。「第一番隊」という意味には、簡単に言えば、一番強い。と、
いう意味である。ちなみに北沢は剣客警備隊第二番隊隊長であるから「東京班の中で二番目に強い」となる訳だ。
ただ、「第一番隊隊長」というだけあって陀崎は強豪であった。
「(いくら、打撃を入れても、かわされるだけ……ここは流儀で倒すしかないか……それとも、この男を説得するか。
この男は武田が悪人だとは気づいてはいない……)」
天地心流の奥義で倒して武田をとらえる。か、もしくは陀崎を説得して武田をとらえるか。二つに一つだ。
しかし、説得しようにも今からでは遅いのだ。陀崎は、ただ、隠密組に決着をつけようとしたかった。
その闘争心を逃げ切るには、まず最初に、陀崎を追い詰めなければならない。
天地心流の奥義で幾度と無く、敵を打ちのめしてきた剣在には、やはり天地心流の奥義に頼るしかなかった。
苦い顔をして、刀を振る剣在に対して、陀崎は軽やかな表情で、剣在の打撃に対抗していた。
剣在は打撃を入れる中で、少しの隙に、後ろへ下がった。一旦、体勢を整えようとしたからだ。
「はー、はー、はー、はー」
息遣いが荒く、体勢はもろくなる一方である。いくら後退して息を整えたとしても、陀崎の弱点を見抜かなければ意味がない。
「どうした? 元副組長。息が荒いぞ?」
「(くッ、奥義をやるしか……)」
猫背になっていた背中を、まっすぐに伸ばして、剣在は手に汗を握りながら、陀崎の攻撃を見抜こうとした。
陀崎は、ゆっくりと近づいてくる。そして、陀崎のサーベルを持つ右手の拳は、さっきより、力が入ったように見えた。
少し大きな拳が、より小さくなった。
「(ここでござる!)」
陀崎の攻撃の出方を読み、攻撃のタイミングを計った。
見る限りでは、陀崎は「突き技」のようである。いち早く、それに気づいた剣在は、適した奥義を取捨選択した。
陀崎が、突き技をする一歩手前ぐらに、剣在は素早く陀崎の右側を迂回(うかい)した。
そして、迂回しながら、いつものように、こう言った。
「天地心流! 神速剣舞(しんそくけんぶ)!」
この奥義は、前回、竹座を倒した技だ。
――敵の技の出方を見極め、技が出る前に後ろ側へよけておく。その後に背中を斬る。
これが天地心流奥義『神速剣舞』である――
この文章は前回、神速剣舞の説明として、記したものである。
再び、ここで、この技が出て、この文章が出るほど、この『神速剣舞』という技は、大きなものであるのだ。
そして、その技を仕掛けるように、陀崎のまわりを迂回し、背後に移った剣在は、刀を構えて、振り下ろそうとした。
しかし、次の瞬間。
剣在は、陀崎の背中を目掛けて、刀を振り下ろした。はずだったが……刀は、かすりもせずに、振り下りた。
「どこに!」
迷う剣在に、答えたのは、やはり陀崎だった。
「神速剣舞!」
いつのまにか、剣在の背後にいたのは陀崎であり、サーベルの刃は剣在の背中へと斬り込んだ。
血は、音をたてて床に落ちる。ぽたぽたとした音が、なぜか剣在に恐怖を与えた。
「神速剣舞は、敵の技を見極め、技が出る前に後ろ側へよけておく。その後に背中を斬る。
第一に敵の技を、次の次まで見極めなければ、本当の神速剣舞ではない」
そのように、たんたんと言いながら、陀崎は剣在の背後から、剣在の真正面へと場所を移した。
剣在は、両手をひざに当てた。背中の傷により気力が削られていくのが自分でも分かった。
「おぬし……なぜ、神速剣舞を……?」
「言っただろ。私はお前の師匠と闘ったと。その時に、私はあの組長の神速剣舞により傷を負った。
お前の攻撃の出方を見て、神速剣舞だと直感した。ただそれだけだ……」
後ろの方に、なおも立ち尽くす北沢は、剣在の大怪我に目を丸くした。あれほどまで剣在が弱く見えたのは不思議な気持ちである。
だが、剣在が怪我をしていても、なぜだか北沢は闘おうとしない。
かつて、剣客警備隊として陀崎と一緒に、仕事をともにしていたことを懐かしみ、その過去の記憶が、北沢に闘志をわかせなかった。
「なぜ、かつて仲間だった者と闘わなければいけない……なぜ、陀崎隊長は武田の悪事に気づかないのだ……」
小声でつぶやき、サーベルを見つめた。
先程まで、無かった闘志が、違う感情とともに復活した。
それは武田に対する憎悪であった。
「殺せばすむ……覚悟! 武田朗冶!」
後ろの方で、怒鳴り声が聞こえて、剣在と陀崎、そして武田の三人は、サーベルを構えて突進してくる北沢をすぐさま見た。
その北沢に驚き、武田は足組みをやめて、身を乗り出し、声を張り上げた。
「! 陀崎! 何をぼやっとしている! 速く殺せ!」
武田の恐怖は、北沢が近づいてくるに従い、徐々に増していく。
そして、武田に北沢を殺せ。と命令を受けた陀崎は、サーベルを構えるものの、北沢へはサーベルを振らない。
「陀崎! 命令だ! 聞こえてるのか!」
武田は、眼球が出るほど目を見開き、強く言った。だが、陀崎は動かない。
やはり、陀崎も過去の記憶を懐かしみ、北沢にサーベルを振らないのか?
いや、違った。確かに陀崎は過去の記憶を懐かしみ北沢を殺すことをためらった。が、
陀崎から見れば、北沢は「悪党の元隠密組副組長と組んでいる愚か者の北沢」である。
そんなことを思い、北沢への愛情がわいた。悪党と組んでいる北沢を、少しでも目覚めさせるための感情である。
そこで陀崎は、ためらっていたものを呼び覚ますように、突進する北沢にサーベルを向けた。
「やめろー! 北沢ー!」
剣在は陀崎の行動を見て、北沢の危険を読み、呼び捨てでそう言った。感情的に発した言葉である。
しかし、大きな闘志は北沢を止めようとはしなかった。段々とサーベルを構えている陀崎に近づいていく北沢。
走ってくる北沢と同時に陀崎も素早く北沢に近づいた。
「許せ! 総司!」
陀崎はサーベルを北沢の腹へ押し込みながら、そんなことを言った。
「ぐはッ!」
サーベルが腹へ刺さったために、北沢の口からは大量の血が出た……床をぬらして。
――北沢の腹にはサーベルが突き刺さっている――と剣在は確信した。
「総司ーー!!」
剣在の声が響いた。
その光景を見つめていた武田は、床に広がる血を見て、息を飲んだ。
「うぐ……陀崎! 良くやった!」
しかし、陀崎は答えない。床には血の他に小さな透明の粒が何粒か落ちていた。
それと同時に、透明な粒が陀崎のほおをぬらしている。
陀崎は、ゆっくりとサーベルを持っている右手を手前に引いた。北沢の腹から血で染まったサーベルが抜けていった。
そして、数秒後にはサーベルは無事に北沢の腹から抜け、北沢は前に倒れようとした。
倒れて行く体をよけるように陀崎は、横へ体を移し、床へ倒れた北沢の体を見つめた。
陀崎のほおには、いくどとなく、涙が流れていた。
――流離い抜刀〜明治流浪剣客物語〜 【其の十七・二つの戦場】――
激闘の場を一変させたのは、北沢が床へ倒れた直後であった。
床へ体がぶつかる音により、陀崎が北沢を殺そうとしたのを理解させたのだ。
そして「激闘の場」から「沈黙の場」へと変化させた。だが、その沈黙の場に変わったものの、
一人だけ有頂天になっている者がいた。その者は目を大きくし、また、口も大きくして、
「ふふふ、はっはっはっは!! どうだ! 剣在信一! 仲間が死んだのだぞ!
もはや一人! 陀崎よ、始末しろ!」
武田は椅子に座り、足を組んで、そう言った。
その発言により、陀崎は、ゆっくりと剣在へ体を移した。先程までの涙は嘘のように、無くなっている。
北沢を、自分の手で刺したことに感情が爆発した証拠である「涙」は、もう無い。
と、なれば……陀崎は心を入れ替えて次の標的を剣在へ的を合わせた。
陀崎の目は曇りも無かった。それが今の陀崎の心である。
「……一年前の決着、つけようではないか。剣在信一……」
しかし、剣在はそれについて、うなずかないでいた。逆に、剣在は沈黙した。
右手の刀は、戦いを望まないように見えた。それは、心の共にある刀が語っていることだ。
「……いや、おぬしとの勝負は、ここまででござる」
その言葉に期待がはずれた陀崎は、一瞬、目を丸くした。
「何を言う。もはや、迷いなど無いだろう。それとも、仲間を見捨てて逃げる気か?」
陀崎の発言の中には、こんなことがあった。――仲間を見捨てて……――
仲間を見捨てる? 今の段階では、北沢が確実に生きているのか、死んでいるのかは、まだ判断できないはずなのに、
陀崎は、「仲間を見捨てて――」と言った。死んでいると分かっていたら、まず、言わない。
だとしたら、この発言を置き換えるならば……「仲間が生きているのに、見捨てて逃げる気か?」となるだろう。
そんなことが頭をよぎった。剣在には、陀崎の発言がなぜか、心に隙を与えた。
「……おぬし、今、『仲間を見捨てて逃げる気か?』と言ったでござるな。それは、どういう意味でござる」
真剣な表情をして、そう言った。
「どういう意味だと? ……あ〜なるほど……お前は死んでいると思っていたのか? 弱気な奴だ。
……武田補佐官には悪いが、やはり、総司は殺せなかった。
……急所をはずしておいたから、奴の心臓は動いているはずだ」
さりげなく言った。さっきまでのつりあげた目は、床下に視線が送られ、剣在とは目を合わせない。
やはり、過去の懐かしい記憶があってのことで、北沢を生かしたのだろう。と剣在は感じた。
いや、それが正しいのだ。なぜなら、剣在と北沢は「武田の悪事を仕留めに来た」のだから。
剣在達は殺されるような者達ではない。
しかし、それに怒ったのは武田であった。
「何だと! 陀崎! 見損なったな。剣客警備隊第一番隊隊長だから、この仕事を任せたが……。
かつての仲間だった北沢と闘わせるのがいけなかったか……」
「武田補佐官! 北沢を仕留めれなかったのは私の情け、しかし、剣在だけは私が仕留めます!
これは一年前の決着!」
ついさっき、剣在が、陀崎とは闘わないと言ったのに対して、やはり陀崎は闘うことを望んでいた。
陀崎は、胸の内を答え、武田に気持ちを伝えようとしたが、任務遂行が遅いため武田は、また怒鳴った。
「ならば、陀崎! 速く殺せ! 上官命令だ!」
速く殺せとでしゃばる武田に、剣在は再び武田に対する憎悪が吹き出した。
陀崎を、操り、北沢を殺そうとさせた罪。そして自分を殺そうとさせた罪。
全てが自分の権力だ。全ては自分の昇格である。
「黙れ!! 武田朗冶!! お前の素性が握っているんだ……陀崎にでも言ったら、お前の作戦も御仕舞いだ」
いつもとは違った言葉遣いであり、冷静ではないように伺えた。
その暴言が武田には驚いたようで、腰が抜けて椅子の背もたれで背中を支えた。
「ぬ……(確かに、奴は私の素性を知っている。だが歴史上では奴は悪人。いくら陀崎に言っても信用されない)」
剣在と武田とのやり取りの中、その合間を区切ったのは、ある声であった。
その声は、剣在達が入ってきた入り口のところからであった。
「武田朗冶……何かと動きがあると読んでしていたが、変な企みがあるようだな……。坊主、俺もその素性を聞いてみたい」
いつのまにか、一室の中へと入っていたその男。剣在は、ふと入り口の方を見た。
まず、武器は何も持っていないようであったが、手には白い手袋がされていた。
その男を見て、武田は驚いたように喋った。
「華山(かやま)……華山滝連(かやまろうれん)さん……お、ひさ……しぶり……でございます」
「ああ、ひさしぶり」
しなやかに答える華山という男に対して武田は、つばを飲んだ。
「と、言う訳だ……どうだ? いい作戦だろ?」
と、話しているのは竹座であった。いきなり襲撃しておいて、何かを話していたようである。
竹座は、畳の上へあぐらをかき、突っ立っている近藤をあざむいた。
「いやな作戦だな……。処刑されたと思わせておいて、剣在の隙を狙ったか……。
と、言うと本部署の警官にもだましたのか?」
「ああ、そうだ。処刑決定役は俺の雇い主である本部署補佐官だから、適当に本部署の署長にでも嘘をつけば
簡単……本当に俺が死んだかは、いちいち調べないからな……そこまで落ちぶれているのさ」
たんたんと話す竹座に対して、近藤は、本部署内部の情勢が気になった。
確かに、まだ明治維新は始まったばかりであるために、事件は起こりっぱなし、そのために本部署も、
処刑の詳細まで調べられないほど忙しい毎日なのだろう。
「なるほど、計画じたての襲撃ってわけだが……」
そう言った直後に竹座が答えた。
「俺を倒せば、意味が無い……って言いたいんだろ?」
ニコッと微笑み、いや、苦笑いをして近藤はうなづいた。
竹座も近藤の気持ちを確認して、その場から立った。畳の上に置いていた鎌を右手で持ち上げて。
近藤は右手の長刀を視線でなめながら、構えた。
「(奴の強さは、俺より大きい。剣在でも手間取った奴だ……一瞬の時でも逃がさねぇ〜ぜ)」
「力を抜こうぜ〜。こんな小さな部屋での闘いなんだぜ? 恐怖があって楽しいよな〜」
近藤に気合が入っていたことに勘付いた竹座は、そのように言った。
「力を抜けれるかよ。こんな小さな部屋だからこそ力を入れるんだぜ」
「いい心構えだ」
そう言うと、いきなりのごとく、竹座は横払いを仕掛けてきた。
「(いきなりかよ!)」
軽い表情ではあるが、心は押しつぶされそうであった。
横へ素早くよけた近藤も、長刀の長さを利用して、横払いをした。竹座は後ろへ引く。
長刀であるにもかかわらず当たらなかった。丁度、近藤と竹座の間にはちゃぶ台が
あり、近藤の払いはうまく竹座には当たらなかったのだ。
「おしい、な」
微笑んで、そう言った。逆に近藤は下唇を歯でかみ、険しい表情をした。
「悔しいか? 待ってろ、すぐに楽にしてやるさ」
竹座は、鎌を構えて、もう二歩、手前に引いた。
「俺の我流、見せてやるよ……斬空!」
再び、鎌を右から左へとなぎ払った。ただ空気を斬っているだけしか見えないが。
空気の波動を与えていた。
「(何をしているんだ……!!!)」
近藤には竹座の行動がいまいち把握できていない。だが、すぐに理解できた。
腹に当たる何かの衝撃が神経に伝わったのだ。
腹は少しへ込み、腰は「く」の字に曲がる。
「ぐ!」
内臓に伝わる衝撃は大きかった。衝撃は表面だけではなく内臓に加え、神経にダメージを与えた。
「何だよ! 動かねーぜ!」
手足は動くものの、腹部分の周辺一帯が麻痺を起こしていた。
竹座は、ひざを曲げて、畳の上へとひざをついた。自分の体を支えるように、ちゃぶ台にひじをつく。
上から見下ろす竹座は、近藤の命が自分の意思に関わっていることを悟った。
「やはり、弱い……な。剣在の仲間なのか? あいつも足手まとい野朗を仲間にしたものだ」
鎌をその場で何度か叩いて、暴言を叩き込んだ。
自分が弱いと理解していたが剣在までも、こんな自分のことを「足手まとい」と思っているのだろうか。
歯をくいしばりながら、そんなことを考えた。
「いや、俺が足手まといか……足でまといじゃないか……ここできっちり分からしてやるぜ……」
麻痺を起こし、体が自由に動作しないのを我慢しながら、自分の足でその場にやっとのことで立った。
それを見て、竹座はうなずく。
「う〜ん、うたれ強さは、あるようだな。だが、お前の負けは見えてるぜ〜」
「……どうかな?」
近藤は、長刀を右手一本で前に構えた。だが、腹部分の麻痺状態により、腕に力が入らないのか、
右腕が少し震えている。
「何だ? どうした?」
右腕の震えに気がついて、竹座はにこやかに近藤をついた。
「こんなの、どうにかなるさ。力が入らなくてもやれるぜ! 切下!」
近藤は、前にあるちゃぶ台の上に飛び乗り、竹座から攻撃されないように長刀を真っ直ぐに構えた。
その体勢のまま、近藤はちゃぶ台の上から、竹座のところまで跳んだ。
真っ直ぐのままの長刀は、近藤の右手の動きにより、一度だけ上段構えをして、
そして、竹座の近辺にさしかかったところで、上段構えの長刀から、下へ払った。これが切下という基本技である。
しかし、そんな基本技など、竹座の当たるわけがない。もちろん竹座は後退した。
「なんだ! この技! 私があたるわけがないだろ!」
そんなことを言っている矢先、近藤はなぜか微笑んだ。それには竹座も理解できなかった。
ちゃぶ台から、竹座に向かって飛び込んだわけなので、竹座のふところには入りやすかったのだ。
と、言うことは……。
「横払い!」
切下の技をした直後に、近藤は、すでに竹座の一歩手前まで迫っていた。
竹座の右手には鎌がある。すなわち、近藤から見れば左に鎌があるのだ。
近藤は、鎌の刃のすぐ下部分を目掛けて、右から左へと横払いをした。
ずばっと斬れた鎌の刃は、畳の上に偶然にも刺しこまれた。
その刺しこまれた同時間に、近藤も畳の上へと、着地した。
「基本技は、応用技に発展する……剣在を見ていて、一つ分かったことだ」
軽やかに言って、竹座をのけ者にしようとする。
が、竹座の表情は以前と変わらない悪質な表情であった。
「貴様は……必然的な『運命』なんだ。もう、イタズラはヨソウゼ」
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2005/07/06(Wed)11:38:04 公開 / 影武者
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