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『ディープ・ブラッド   0〜6』 作者:御堂 落葉 / SF
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 プロローグ     月夜はただただ照らすだけ





 涼しい風が横薙ぎに吹く。
 さすがに夜も更けた外は人などいなく、静かすぎる。
 ただ、
「………う、ぐぅ」
 足元の男達の呻きが煩い。
 まあ、自分でやったことなので、と青年は指で頬を掻いた。見るからに面倒そうだ。
 青年は一人の男へ配偶の言葉を掛ける。
「……大丈夫ですか? 貴方は確か……腕をへし折っただけのはずですが」
 白々しいことこの上ない。
 現に声を掛けられた男は右腕を押さえ、這い蹲る形で青年を睨んだ。
「ぐ……ちくしょう。なんなんだよテメェは……!! オレらが何をしたってんだよ!!?」
 青年は見下ろすようにして眉をひそめた。
 満月がとても美しい。
 その中心に立つ青年の容姿は微妙にして異様。
 黒いベルトで巻きつけられた感じに装飾された服の上から真っ黒なコートを羽織っていて、全身が黒い。
 アサルトブーツに黒い西洋ガンマンが付けていそうなベルトが巻かれてあり、ホルスターには銀のボディが輝かしい大きな銃。
 黒い髪と眼を持ち、色白な肌からは日本人だと思われるが、格好があまりにもここ日本の基本的な服装とは程遠い。
 コスプレに見て取れるが、夜のイメージと相まって妙に合っている。
 計らずともその月をバックにしている青年は、男から見ればとても神秘的だった。
「いえ……別に、貴方に恨みがあるわけではないのですが」
 青年は少し上を仰いで言いにくそうに躊躇ってから、
「正直に言うなら、俺の進行する道を占領されていたので衝動でやってしまったんですよ」
「……衝動、だと………これ≠ェかよ……!?」
 え? と青年は辺りを見回す。
 向こうのほうに明るいビルのそびえる密集街がある。
 ここはその密集街から少し離れた草ボーボーのただっ広い敷地。
 何かを建設しようとして中止にでもなったまま放置されていたのか、前からこういった不良達の集い場として使われていたらしい。
 らしい、と付けたのは青年がここに来てまだ間もないからであって、当然の如く青年は彼らを知らないし、彼らも青年を知らない。初対面だ。
 いくら草ボーボーといっても寝転がるには砂が汚い地面に躊躇うことなく倒れているのは野郎・野郎・野郎………。
 ゴロゴロと転がってはいるが、どれもこれも呻いているか気絶しているだけで、死んでいる気配は全く無かった。
「………、別にいいんじゃないですか? 命は取ってないんですから大目に見てください」
「な……なんなんだよ……テメェは!!」
 徐々に男の言葉に泣きが入ってきて、青年は再度苦笑する。
「ですから、先程言いました通り教えるわけにはいかない理由がありまして」
 あれやこれやと理由付けている青年の右ポケットから、コール音が鳴り響く。
 こと深夜の郊外だけあって、静寂の中で構わずに鳴るコールはやたらうるさい。
「あ、ちょっと待ってて下さいね」
 さも平然と青年はポケットから今も叫び続ける携帯を取り出して通話ボタンを押す。
「はい。クロトです」
『あ、クロト様ですか……?』
 受話の向こうから聴こえたのは、小鳥のさえずりのように愛らしい少女の声。
 ただ、青年は苦笑する。
「アリューナ。携帯にかけてきて確認の必要は無いと思いますけどね」
『あ、えと……す、すみません』
「いえ、別に怒っていませんよ」
『あ〜もう! 挨拶してる場合あらへんやろが、貸してみぃ!!』
 遠くで電話を取る音が聴こえる。
『もしもしクロト? 今どこにおんねん』
 ネイティブな大阪弁の少女が出てきた。
 さらに青年は苦笑する。
 出てきた相手が思いっきりドイツと日本のハーフであり育ちが大阪だからだが、一応名前は横文字である。
 あえてそこをツッコまずに要点を答える。
「ええ、無事日本に着きましたよ。ただ少し厄介な揉め事が起きてしまいましてね」
『揉め事ぉ?』
「いえ、気にしないで下さい。もう済みましたので」
 向こうで『ふぅん……』と頷く気配がする。
「それよりクラヴィエ。今そちらはどういった状況ですか?」
 向こうの少女に間が空く。どうも考えていなかったらしい。
『いや……ウチに言われたかてなぁ……』
 ポリポリと頭を掻く音が聴こえる。
 まあ範疇ですけど、と青年は笑顔でため息をついた。
「そこまで知りたいことではなかったので、流して下さい。3日後には無事に入る≠フで」
『さよか。ほんならそれユクトナに言うとくで〜』
「ああ、ありがとうございます。貴方達も、俺がいないからといっても大人しくしているんですよ?」
『……、』
 なんやそれ、と小さく呟いたのが聴こえたが、すぐに電話の相手が代わった。
『あ、あの……クロト様』
「あれ、アリューナですか。どうかされましたか?」
『あ、いえ、特には……それではまた』
「はい。あ、言う必要は無いと思いますが、しっかりクラヴィエを見ていて下さいね。悪さをしないように」
『あ、はい……♪』
『聴こえとるでおんどれら……』
 青年とか細い少女の苦笑のため息が重なった。
「では、また。何かあったら電話します」
『は、はいっ。ではお元気で、クロト様』
『あ、そや。クロト〜、土産買ぉて来てぇな』
「ふふ……。ええ、分かりました。では」
 青年は携帯を切って、足元を見る。
「済みません、お待たせしま……って、あれ?」
 青年はキョトンとする。
 ついさっきまで親の仇のように睨んでいた不良の男は黙ったまま顔を下げている。
 青年は頭を掻いた。どうも彼も気絶してしまったらしい。
「……まあ、自業自得のアフターオプションということで」
 そういって振り返る。
 アフターオプションというより、単なる無視なのだが。
 青年は歩きながら、街を見つめる。
 暗闇とは縁の無さそうな近未来的な街並み。
「凄く明るいですね。《WITCH》の居留地は星ばかりの田舎だったですから」
 薄く眼を閉じ、頬を撫でる風を感じる。
「………、強い香りですね……あまりにも強すぎる程に……」
 眼を開ける。
「さあ………貴方達≠ェ眠れる世界など端から無いんですよ」
 その瞳は、血が溜まったように紅く紅く染まりきっていた。
 ただひとつの光源である満月は、何も言わずに暗く照り続けていた。










 blood.1     絶世美女はマジ泣きで逃げる





「う〜………なんでこんな、不幸! 不運すぎるよぉ〜!!」
 さして意味もない唸りを上げて、日陰の影響を受けて少しひんやりとする路地裏を疾走する。
 ブレザーに紺のスカート。白のソックスに黒い革靴。胸元にネクタイ。
 日本人にしては最近の子供に見られる、ハニーブロンドの地毛を真っ直ぐ背中まで伸ばした、すっぱり言うなら美少女だ。
 そんなことないと自分では思っているらしいが、事実少女の通う学園では知らぬ者が馬鹿にされるほどのアイドルであって、噂では正体も定かじゃないファンクラブもあるらしい。
 だが、逆を言えば彼女を知らない人間から見ると顔が100点満点のジョシコーセーでしかない。それが普段から成績も訊けない連中だとすれば尚更。
 彼女にとってこの出来事は非日常であって、突然の出来事だったことは言うまでもない。
 前からそういった運の悪さは自覚していた。
 よくコケてよくぶつかってよくど忘れすることもあるが、要は注意力の如何によるものだ。
 しっかりしていれば、こんなことはそれこそ日常にならない。

 それでも、実際に起きた。
 しかも思いっきり注意力そっちのけの不運な経緯で、彼女は逃げていた。







 日本国・東京。
 今や数多の情報の中心と謳っても過言ではない科学バンザイの国。
 今時の高校生ともなれば『ピンクの電話ってナニ?』と本気で首を傾げそうな先進国家になり、治安も軍事も目を瞠る。
 そんな今時の″mZ生の少女・八神 舞(やがみ まい)は走る。素で逃げ腰の全力疾走だ。
 遡ること10分程前。
 帰り掛けの大通りを歩いていた舞はとある非日常を発見してしまった。
 見慣れない学生服の男子数名が、舞と同学の男子生徒一人を囲んで首を掴んでいた。
 早い話がカツアゲである。
 そんな光景を日常で見ない舞は少し戸惑った。
 すると、不良のひとりが舞の視線に気付く。
 それに出所を促されたのを機に、舞は自分の財布を渡して男子生徒から手を引くように訴えた。
 が、彼女は失念していた。自分の容姿は年齢や性別を問わず、すれ違い様に振り向かせる程の威力を持っていることを。
 当然絡まれる対象が舞にチェンジ。
 そこまできたら非日常どころか未知の状況の舞は余計に訳が分からなくなる。
 肩を掴まれた瞬間、乙女の反応が手に持つ学生鞄という武器を不良の顔面に叩きつける結果となった。
 しかもこめかみヒットでノックダウン。



 現状。



「う〜………なんでこんな、不幸! 不運すぎるよぉ〜!!」
 今に至るわけである。
 不可抗力、という言葉がある。
 が、そんなもの国語赤点が必須であろう不良に伝わるはずがないのである。
 路地に置かれてあったゴミバケツを蹴っ飛ばしそうになってよろける。
 こんな道を通ること自体が非日常だが、確かこの先は商店街に繋がっている。知り合いの父兄や店の店員に匿って貰おうと舞は考えていた。
 だけれども、それは舞の言わば理想であって、現実はそんな甘いものじゃなかった。
 路地を出ようとした瞬間、横から伸びてきた手に舞の腕が捕まる。
「―――――――、」
 ひきつった顔で振り向こうとした一歩手前で、口を塞がれて引っ張られた。



「むぐぅ……、うぐ……!」
 必死に首を振るが、一向にその束縛は解けない。
 ズルズルと引きずられるようにして舞は開けた空き地に連れてこられる。
 四方を高いビルで囲まれており、そこだけまるで監獄のように薄暗かった。
 やっと口を放されたと思った直後、背を突き飛ばされて地面に倒れる。
「あ、ぅ……!!」
 どしゃり、と倒れこんで、擦った膝を押さえながら見上げる。
 茶髪の髪を整髪料で固めた、いかにもガラの悪そうな高校生。
 どうやらその茶髪がリーダーなのか、周りを取り巻くように数人の同じ制服の男子生徒がニヤニヤと笑っていた。
「あ〜いいねぇ〜その脚。艶かしくてサイコーだわ」
 え? と一瞬首を捻って脚を見ると、スカートが少し捲れて白い太腿が露わになっている。
 慌ててスカートを押さえて舞は赤い顔を上げる。
「な、なに……!? お金なら、私のでいいじゃない!!」
 ほんの刹那。気付きにくいほどの一瞬、茶髪の顔がしかめっ面になったが、すぐにニヤける。
「あぁアレね。そうそう、あのクソガキの代わりにアンタが出すっつーから、それでいいって話になったんだっけ?」
 忘れていた、と言わんばかりに嘲笑って舞を見下ろす。
「じゃあ……」
「だけどさぁ、もうその問題は解決したケドな。今度はオレらとアンタの問題なワケよ」
「え……?」
 眉をひそめる舞に、茶髪は顔をしかめて頭を掻く。
「わっかんねぇかな〜……まあ、いいや」
 茶髪はポケットから薄光るそれを出して弄る。
 カチンと音がして顔を出したのは、折りたたみ式のバタフライナイフ。
 気付いた。
 普段から間の抜けていて天然の舞でも、気付いて、血の気がひく。
 立ち上がって逃げようとした直後、
「おおっと」
 脚を引っ掛けられて、再度転ぶ。
「逃げてもらっちゃ困るなぁ、これから楽しいことしようとしてるのに」
 歩み寄ってくる。
 尻餅をついたまま、退いて拒否する舞の両腕を、取り巻きが掴む。
「アンタすっごく可愛いしさぁ……だからオレらを楽しませてくれよ」
 ブレザーを無理矢理脱がせ、白いシャツの首元からナイフを入れる。
「……っ、」
 恐怖で声が出なくなった舞を煽るように、男子生徒達が薄ら笑う。
「さあ、ショータイムってかぁ♪」
 ナイフに力を込めて、シャツを引き裂こうとする。
 不意に喉の奥に溜まっていた言葉を叫ぼうとして、
「い―――――――」


 眼前の茶髪が、一気に横へ吹き飛んだ。


「―――――――……え?」
 呆ける。
 見事に真横へスライドするように吹き飛んでいった茶髪を目で追う。
 手に持っていたナイフをすっぽ抜けさせて、地面をバウンドする。
 ぐへ、と変な悲鳴が聞こえた。
 舞はその首を右へ。左に吹き飛んでいったのなら、右で何かあったんだろう。
 振り返った視界の中に入ったのは、一人の青年だった。
 私服なのか、黒のシャツの上にこれまた漆黒のジャケットを羽織って、紺のジーンズを履いている。
 黒がベースで白いラインの入った、出しなにしては大きいバッグを片方の肩に掛けている。旅行者だろうか。
 黒い瞳と髪が日本人に見えるが、白い肌と整った顔立ちは女のようにも見える。
 片足を上げた状態で静止していた青年が脚を戻して苦笑する。
「ああ、済みません。軽く押し倒す程度の蹴りのつもりだったんですが……強すぎました?」
 アルトの高さの声で、穏やかに言う。
 舞がぽかんと見上げるなか、不良達はひきつった表情で地べたを転がった茶髪へ駆け寄る。
「し、志雄さん……!?」
 茶髪のほうへ不良達の注意がいったため、青年はゆっくりと舞を見る。
「大丈夫ですか?」
「え? あ、う……はい」
 それは良かった、と言いたげに笑顔を作る。
 すると、視界の端で群れが動いた。
 茶髪が顔を押さえて半身を起こしていた。
「て、め……んだよコラぁ!?」
 口の中を切ったのか、もごもご言っていて上手く聴き取れないが、怒りを露わにしていることだけは確かだった。
 青年はその質問に軽く首を傾け、疑問に顔を呆けさせる。
「いえ、拒絶している女性を男数人が寄って集って、っていうのはさすがにいけないでしょうから」
 青年は遠くを見るように目を細める。
 茶髪はギリギリと歯を食いしばった。
「の……や、ろう……! テメェらぶっ殺せ!!」
 その一言に触発された計3人の男子生徒は一気に走ってくる。
 青年は苦笑混じりに息を吐いた。
「やれやれ、日本も噂には聞いていましたが……なんとも物騒な国ですね」
 そう言いながら、青年はバックをストンと足元に落として、いきなり不良に向かって走り出した。
 ギョッとして、先頭を切っていた男が拳を振るう。
 始終穏やかでいられそうなほど落ち着いた動きで、青年はその拳を避ける。
 その影。後ろからもう一人の男が殴りつけてきたが、青年は後ろに眼があるかのように上半身を横に捻ってスレスレを避ける。
 何だか笑っているようにも見える表情で、青年は虚空を殴った格好の男の脚を両方一気に蹴った。
 当然、足を払われて重力を失った男は地面に倒れる。
 倒れた男の左太腿を踏んで、起き上がれなくすると、立っている男二人が向こうからやって来てくれた。
 二人そろって殴ってくるところを、前へ出て掻い潜る。
 一歩二歩よろけて不良が向き直ったところに、青年はため息をついて手に持っているものをぶち撒けた。
 ぼとぼとと落ちているのは、何かのバッチ、金色のボタン、ライター、煙草ケース、簡易メリケン、財布。
 なんなのか分かっていなかった二人は、はっと気付く。
 下を向くと、着ているブレザーのボタンも学生バッチも、懐に仕舞っていたモノも総て無い。
「あの、もうやめませんか? 俺はいいのですが―――――――」
 そう言いながら、不良の懐から取ったジッポを親指と人差し指だけの力でベキン、とへし潰してしまう。
「ここで勝っても負けても、あまり価値のある結果は得られないと思いますが……」
 だから選ばせてやる。
 そう言っていることを察した不良達はゾッとして、一目散に逃げ出した。
「な……おい!?」
 置いてけぼりを食らった茶髪と青年の視線が合う。
 ひきつった顔の茶髪をしばし見つめ、ニッコリと青年は含みのある笑顔で応えた。
「……っ―――――――!!」
 ついに観念した茶髪は立ち上がり、もと来た道をよろめきながら走り去っていった。
 辺りに静寂が戻る。
 非日常を見続けていた舞が呆然とする中、青年は舞を見て苦笑する。
「怪我はありませんね? しかし災難でしたね」
「え、あ…と……」
 フレンドリーに話しかけてくる青年へ、舞は言葉を選び仕損じる。
 すると、青年が指で頬を掻いて躊躇いがちに笑った。
「え〜っと……まずは衣服の乱れを直してくれませんか?」
 え? と下を向くと、我に返る。
 ブレザーははだけ、豊満とも言えなくはない胸元をブラジャーが薄く見えるカッターシャツ全快の状態。
 ちなみに今日は水色のチェ―――――――
「う、わぁぁぁぁぁ!!!」
 真っ赤になって舞はブレザーを閉口さす。
 青年が苦笑した。どうも微苦笑の絶えない人間だ。
「まずはここから離れましょう。先ほどの方々が人を集めてまた来ない内に」
 提案に、舞はブンブン首を振って頷いた。
 見も知らない青年についていく時点で危険なのだが、そんな余裕は舞にはなかった。










「あ、コレ、いります?」
 青年は自販機で買った紅茶のジュースを差し出す。
 ども、と小さく呟いてそれを受け取る舞を見て、その後隣に座る。

 今、二人は空き地から少し歩いた公園にいた。

 ベンチに座り、貰ったジュースを両手で包むように持つ。
「あの……」
 舞が意を決して振り向く。
「はい?」
 青年は視線だけをこちらに向けてくる。対応としては、顔ごと向けられるよりそのほうが良かったため、救われた気分になる。
「えっと……ありがとうございました」
「いえ、いいんですよ。俺の個人的な衝動で助けたかっただけですから」
 謙遜なのか分からないが、遠慮気味に手を振る。
 優男風にも、やや線の強い女性にも見れる青年。どっちにしても、
「……いいひとなんですね」
 舞は不意に言った。
「え……?」
 青年が面食らう。
 舞も自分が何を言ったのか気付いた。
「あ、え……や、私、何言って……!」
 慌てて立ち上がり、鞄をひったくるように掴んで距離を取る。
「と、とにかく、ありがとうございました………それじゃっ」
 青年の返事も待たず、踵を返して走っていった。
 青年は止めない。
 むしろ、舞が去っていくのを待っていたかのようにベンチに腰掛けたまま空を仰いでみた。
 ローファの乾いた足音が消えていく。
 徐々に、
 徐々に、
 やがて、耳に入る音は風に揺れてざわめく木々の調べのみとなる。
「……」
 目を閉じ、薄く開けると、瞳の色が変わっていく。
 紅く紅く、血のように。
「………、血の匂い……まさか今の子から?」
 不意に、右手で持っていたコーヒー缶をグシャリ、と握り潰す。
「……………」
 青年の頭上は、ゆっくりと、それでも確かに夜が近づきつつあった。










 blood.2     真実へと続く少し前





 息が切れてきた。
 さすがに公園からは1キロほどの距離があり、フルランニングすれば息も上がる。
 重たく棒のようになった脚を休めるように、舞はゆっくりと歩くことにした。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……、………」
 ふと自分の左手を見る。
 そこには自販機発の紅茶の缶が握られている。
 それをしばし傍観し、あの青年を思い出した舞は小さく呟いた。
「………変なひと」
 大きな正門の前に辿り着く。
 その先にはバルコニーだの木製の真鍮雨戸だの西洋かぶれにも程がある大きな屋敷。
 もうそびえ立つと言っていい豪邸の正門を潜り、てくてくと歩いてゆく。
 大体の『豪邸内を徒歩=ガードマンに捕まる』というジンクスはここには無く、どちらにしたってその豪邸の持ち主が咎められるわけがないのだが。
 本音を言うなら、いちいち気を使わなければならないような人間を置くのが億劫なだけだったりする。
 そんなことしなくたってもう一人の住人が、それこそ拳銃相手に素手でボッコボコにしてしまう鬼教師だ。
 なにが恐いって、本当の意味でのソレもあるが、本気で怒るとボッコボコじゃ済まないからである。反芻するだけでも怖ろしい。
 ブル、と背筋を凍らせて舞は玄関に手をついて、扉を開ける。
「おや、お帰り〜舞♪」
 玄関前の廊下でばったり逢ったのは20代も始めの若い女性。
 タンクトップに青の短パンだけという外で歩くにはあり得ない格好で、右手に茶の入った湯飲みを摘むように持ち、左手には煎餅の入った袋を持っている。
 長くしなやかな黒のロングヘアを揺らしながら、女性は舞を見て眼を輝かせた。
「ただいま」
 その、男性が目のやり場に困る大胆な格好の女性こそ、銃弾より恐ろしい腕っ節を持つ教師・三月 笙子(やよい しょうこ)である。
 ついでに言えば舞の通う城閃学園の高等部教員軍上位の実力を誇る立派な範師である。
 普段はズボラなだけの女性で、現に舞の家に居候しているのが彼女のほうなのだが、食事と洗濯は舞に任せっぱなしなのだ。単に出来ないだけ、という意味も含まられるが。
「いつもより遅かったわね、どったの?」
 職場を持つ大人か? と訊きたくなるほど子供のような口調の笙子に舞は首を振る。
「え、あ、ううん。何でもないです」
「そぅお?」
 さすが年頃を相手に仕事するだけあって、まだ不審めいた表情で手に持つ茶を啜る。
「まあいいけどね。アンタになんかあったのかと、こっちは心配してたのよ」
「……ごめんなさい」
 薄く笑う舞。
 いくらなんでも、不良に襲われかけてましたとは言えない。
 言ったら最期、その不良達がいろんな意味で終わって≠オまうからだ。
 不良の安否に気を使わなければならないほど、笙子はやると言ったらマジでやる。
 ふと笙子は視線を下に落とす。
「あれ、それどうしたの?」
 え、と手を見ると、そこには紅茶の缶ジュース。
「珍しいこともあるのね〜アンタが自販機使うなんて、なんかあったの?」
 そう言って居間へ歩いていく笙子の背中へ、舞はややひきつった顔で平然を繕った。
「ちょ、ちょっと……亜里沙ちゃんと帰ってたから」
「ふ〜ん……」
 生返事で納得する笙子の背中に、舞は口の動きだけで『ごめんさない』と言った。
 級友の紫藤 亜里沙(しどう ありさ)は今頃バイト三昧に明け暮れている。
 舞自身、身近な人間に嘘をつくのは抵抗の有無を通り越して嫌いだった。
 居間のテレビをつけて、ニュースを見だした笙子。
 舞もいつまでも制服のままでは致し方ないので、2階の自室へ歩き出す。

 プルルルルルルル………、

 1階に染み渡るコール音に、階段の前で静止する。
 リビングの電話が鳴った。
 位置的に舞の方が近かったため、舞は食卓テーブルの上に鞄を置いて受話器を取る。
「もしもし八神です」

『あァ? 八神だと?』

 向こうから、聴き慣れたと言っちゃ難な低い声がする。
 はい? と電話相手に小首を傾げる舞。
 数秒の後、気付いたように呻く呼吸が聴こえる。
『あ〜アレか、八神かお前。俺だ俺』
 掛けてきた方が八神かとか言うのもアレなのだが、そっけないことこの上ない口調にピンときた。
「もしかして、熊野先生?」
 通話の相手は舞の担任の熊野 一利(ゆや かずとし)だった。
 というか、担任が教え子の家に電話してきておいて『あァ?』はないと思うが、そこが舞の天然込み。
「どうかしたんですか? クラスで何か回すとか」
『違う違う、そこにいやがる馬鹿同僚に用なんだが……』
 語尾にため息が混じる。
 なるほどそれで私が出てきて驚いたのか、と納得する。確かに笙子は居候だ。思いっきり。
「笙子さんにですか」
『笙子ぉ? あ〜まぁそうだが……まあいい、代わってくれ』
 はい、と頷いて振り向く。
「笙子さ〜ん、電話ですよー?」
 んぁ〜? と、居間から変な返事が聴こえる。
 住んでいる場所が場所だけに、笙子宛ての電話や手紙は滅多に来ない。いきなりのことに驚いたのだろう。
「誰からぁ〜?」
「学園の熊野先生からです」
「………はぁ!?」
 軽い悲鳴と共にテレビが消える音がする。
「アイツから!? ………いいわ、居留守使って!」
 あっさりと言ってくれる。
 少し離した受話器から、
『もろバレてるぞ』
 とか聴こえて舞はひきつった空笑いをする。
「うぅ〜、笙子さーん」
 半泣き声で懇願すると、笙子が面倒臭そうにこっちへ来た。
「もぉ〜メンドくさいなぁ〜。なんでよりによってアイツなのさ」
 舞にではなく、受話器の向こうの相手に向かって悪態つく。
 二人は同じ職場の同僚だが、なんとなく仲が悪いのは舞も知っていた。ただその理由までは知らないが。
 コード接続タイプの受話器なので、本人に来てもらわないと困る。
 ブツクサ言いながらやって来た笙子に受話器を渡して、舞は今度こそ自室へ向かう。
 その際に、後ろから「何よメンドくさいわね。用は何?」と、一利顔負けのつっけんどんで対応する笙子に苦笑しながら階段を上った。







「舞〜」
 コンコン、とドアをノックされて、宿題の消化をしていた舞は振り返る。
「はい〜?」
 ガチャリと開いたドアの先、そこにいたのは笙子。
 が、
「あれ?」
 いつも≠フ格好ではなく、紺のスーツを着込んで髪を梳かした笙子が小さなバッグを肩に掛けていた。
「どこか行くんですか?」
 笙子は少し苦い顔をする。
「それがね、さっきの電話で高等部と中等部の全教員が緊急招集されるのよ」
「しょーしゅー?」
 小首を傾げる。
 舞は成績も@ヌいのだが、会話になると意外と漢字に弱くなる。
「何でも、前々から問題になってた深夜に徘徊してる不審者が、ウチの学園に入り込んだらしいのよ」
 ウチの学園、という単語に重大さを知った舞はほわほわしていた表情を少しだけ真面目にする。
「それで舞には悪いけど、当分の間夜勤警備に駆り出されると思うから」
 当分一人で我慢して、言いたげな感じはする。
 舞は柔らかく笑った。
「うん、平気だよ。頑張って行ってきてください」
 目を瞠り、それからフッと笑ってから、ドアに手を掛ける。
「それじゃ行ってくる、戸締りしっかりね。アンタのことだから、なんかふわ〜っとしている内に変な契約とかサインしそうで怖いわ」
「そんなことないよ〜」
 悟っているように苦笑する舞。いいえアナタならやりそうです、と笙子は内心のみでツッコむ。
「そんじゃ行って来ま〜す」
 扉を閉めようとした寸前で、舞はにっこりと笑った。
「行ってらっしゃい」















 その二人は、初めはただの人間だった。
 意外と女っぽい名前の青年と、ホストにいそうな名前のチャラ男と。
 二人は面識などなく、日常を日常と信じて生きる極々普通の人間だった。
 そうでなくなる、あの日までは。



「はぁ……はぁ、は、……ぐ、はあ……はぁ、はあ!!」
 規則性すらない呼吸を繰り返し、薄暗い遊歩道を走る。
 その俊足すら、車に対抗出来うるスピードを出す彼等は、後ろから追ってくる者に脅えていた。
 荒げた呼吸と、震える声と、血走った眼が物語っていた。
 息を吐いた男の口から、二本の異様に伸びた犬歯が見える。
 街灯の無い見えにくい道でも、彼等は躊躇うことなく走っていく。


 だん、


 不意に鈍い音が背後からして、視線だけを後ろへ。
 向けたさきには、着地したのか屈めた姿勢のままのとある者がいた。
 とある者は、格好も行動も、その目的と標的さえも異様だった。
 とある者はゆらりと立ち上がる。
 恐い。
 走りながら身震いした彼等は視線を前に戻して速度を限界以上に上げようとする。
 一刻も早く、とある者から逃げ遂せたい。
 彼等は逃げる。
 とある者はその姿を視認すると共に、体勢を低くして跳躍。
 信じられないほどの飛距離。
 優に30メートルは下らない高さを跳んだ、とある者は眼下に目をやる。
 左サイドにさっきからそびえ立つ豪邸の屋敷の屋根へと、とある者は飛び乗った。
 ガシャン、と音を立てて瓦数枚を踏み割ってしまう。
 立ち上がる。
 昇る月が照らし、とある者の輪郭が少し鮮明になった。


 黒一色の服だった。
 ベルトのような装飾が幾重にも巻かれた奇天烈な服の上に、漆黒の大きなマント。
 アサルトブーツも黒く、腰に巻いた大きなベルトには、ホルスターに納められた銀の美しい色のリボルバーが携えられている。
 黒い髪と白すぎる肌を持ち、顔は分からない。
 男性であることは少なからず分かるが、その顔には気味の悪い仮面が着けられていた。
 目の部分はアーチ状で、口の端が両方上へ上へと釣りあがっている、ピエロのような嘲りの表情。
 中世の街の伝説に記載されている、200枚の仮面のひとつ。
 沈黙の静止は数秒。
 とある者はいきなり姿勢を低くし、今も逃走中の彼等へめがけて跳躍した。










 blood.3     さよなら私の日常世界





 カチ、カチ、カチ、と壁掛け時計の規則的な機械の刻む音が部屋を支配する。
 そのほかには、ノートの上を踊るシャーペンの音と、小さな呼吸ぐらいなもので、舞はここ一番の集中力で英語の訳を書いていた。
 普段からの成績も人並み以上に出来る舞。
 ただでさえその容姿が浮きだって見える舞に、戦闘カリキュラムを除く総ての学科上位は拍車を掛けていた。
 そこがアイドル視の理由なんだろうが、彼女からしてみれば戦闘カリキュラムを平然とこなしていく生徒達には羨望があった。
 親友の亜里沙はというとバリバリの戦闘バカなのだが、人一倍友情を重視する義理人情の塊だ。

『オマエが傷つくのは見たかないっつーの。第一そういう事しなくたって学術カリキュラム受けてりゃいいだろうが』

 とのことだ。
 嬉しくないことは無い。が、えもいわれぬ寂しさがあったことを舞は隠した。
「………戦闘カリキュラム、かぁ……」
 外で誰かが走っている音が聴こえて集中力がきれたためにシャーペンが止まり、舞はついでとばかりに呟く。

 彼女の通う城閃学園は普通の学校機関とは違う。
 その所以が、ダブル・カリキュラムと呼ばれる城閃の名物システムである。
 いわゆる選択授業のようなものなのだが、二つの方針の違いは大きく、手っ取り早く言えばガリ勉派か戦闘バカかを本人に決めさせて学生をやらせるというものだ。
 一方が学術カリキュラム。
 文字通り想像通りの普通な授業方針で構成されている。
 必要なのはやる気とノートと筆記用具と宿題に対する向上心。
 毎日に近い宿題の出現率は大変だが、それほど辛くもない。
 もう一方が名物と言える戦闘カリキュラム。
 殴り合いである。
 ただ殴り合いと言っても、同じ体格同士が軽装にグローブ着けて四角いリングの上でカーン、なわけではない。
 試合ではなく戦闘。体力や技術もそうだが、重視しているのは戦術の特化と強化。
 ナイフ使い相手に素手ならどうするか、みたいなものを学ぶのだ。
 たとえば、注意を別に逸らして突っ込むもいい。こっちも武器を持っているように思わせるもいい。なんでもいいのだ。
 最低のルールさえ守れば、あとは生徒の勝手気儘。
 さすがに幼少にまで喧嘩はまずいので、実際に戦闘カリキュラムに適応されるのは中等部2年からと、高等部である。
 どうでもいいが、舞はずっと学術ルート一直線だ。本当にどうでもいいが。
 どちらでもいいのだ。
 学術を選んだのだから、ペン片手に答案用紙に挑戦し続ければいい。
 そんな学術一辺倒平和主義の舞は宿題を終わらせてゆく。
 さああと少し、と意気込んで舞は机に向かった。
 カチ、カチ、カチ、と壁掛け時計の規則的な機械の刻む音が部屋を支配する。
「…………………………」
 カチ、カチ、カチ、
「…………………………」
 カチ、カチ、カチ、
「…………………………」
 カチ、カチ、カチ、
「…………………………」
 カチ



 ガッシャン……!!!



「っ、……!?」
 頭上から何かを叩きつけるようないきなり音がして、舞は口から心臓を出しそうなほど驚いた。
 見上げる。
 天井の向こう。瓦敷きの屋根に何かが乗ったのか、まだ瓦の破片の擦れる音がする。
 舞は訳が分からなかった。
 この屋敷の敷地は広く、外から物を投げて当てるには、それこそプロ野球選手でもなければ届かない。
 鳥でも激突したのかと、舞は椅子から立ち上がり窓を開けた。
 窓の外はバルコニーになっていて、2階からなら多少は展望が出来た。
 バルコニーの手摺り辺りまで来て、振り返る。

「―――――――え?」
 そこには異様なモノが立っていた。
 屋根の上に堂々とそびえるのは黒い影。
 マントをバサバサと音立てて、バルコニー以上の展望で眼下を見つめる。
 仮面を着けた人間。
 嘲笑の白い仮面は不気味で、その人間の表情はおろか性別も隠してしまっていて判らない。

 確かな異様が、そこにいた。
 舞の日常には無い、月夜に照らされている異様が。



「……………」
 舞が絶句していると、その人間は突如動きを見せる。
 両足を基点に、姿勢を低く低くする。
 バネ仕掛けのロボットのような動きで低い体勢をつくったその人間は、脚に込めた力を爆発させた。

 ズドン!!!

 何か爆弾でも破裂したかのようなけたたましい音と共に黒い影は飛んでいく。
 慌てて目で追っていくと、人間とは言えない高さを飛来してゆく影が、向こうの街路樹に隠れて見えなくなった。
 唖然としていた舞は、我に返る。
 胸騒ぎがした。
 今見たものは幻には思えない。
 舞は意を決するよりも早く部屋に入り、箪笥から外出用のセーターを着、上にジャンパーを羽織って電気を消して部屋を後にした。










 ざざざざざ、

 木々がざわめく。
 夜も入りたての午後7時過ぎ。
 4月も半ばのこの時間帯はとっくのとうに陽が沈み、辺りは月夜と街灯だけが光源、無音とは違う静寂が支配する闇の世界になっていた。
 この辺は学生寮が目立つため、夜を歩く人間は皆無に等しい。
 その中で、闇夜を疾走する二つの呼吸。
 荒々しいそれを引きずって、学生と男は逃げていた。
「ちくしょう……! なんなんだよアイツ!?」
「オレが知る訳ないだろ!」
 多少は面識があるのだろうが、二人はお互いの名前を知らない。
 知らなくたって困るわけでもなかったし、野郎の名前なんて率先して訊きたかない。
 ただ、共通点はあった。
 職業も年齢も嗜好も違う二人のただひとつの共通点。

 人間ではないこと。



 だん、

 後ろから音がして、再び振り返る。
 だが、

「こちらですよ」
 振り向いたそこには誰もいなく、耳元に男の温和な声がした。
 次の瞬間には、顔の右半分を埋め尽くす衝撃を纏った蹴りが炸裂した。
 蹴られた男は地に倒れる。コンクリート造りの地面は擦って痛かった。
 二人の顔がひきつる。
 そこに現れた仮面の男はゆっくりとした動きで正面を向いて、二人を一瞥する。
 仮面で視線が判らないためどっちを見ているのかさっぱりだが、そんな大差は無かった。危険であることに変わりはない。
 蹴られた男は立ち上がり、薄い茶のコートの懐から警棒を取り出す。
 つい最近購入しました、と言わんばかりの新品めいたソレを片手に、仮面の男へ走り出す。
 抵抗ではない。純粋に殺すつもりで走った。
 充分に間合いに入った瞬間、一気に振りかぶった腕を、

 後ろから掴まれた。

「―――――――………はぁ?」
 男は怪訝な顔をした。
 目の前にいた仮面の男は視界から消え、後ろから振りかぶった男の腕をやんわりと掴んでいる。
 男は硬直する。
 ギチギチと首を少し回し、視界に仮面の男を入れる。
 白い楕円を縦に、目も口も小馬鹿にしたように笑うシンプルかつ不気味な仮面。
 その狂笑が真っ直ぐこっちを見ていて、男は背筋が凍る。
「ぅ、あ……!!」
 掴まれている右腕を振り解こうと力を込めるが、

 ズグン……!!

 それよりも先に、仮面の男の右腕が男の胸を後ろから突き刺した。
「はぐ、ぅぁあ!!」
 胸から生えたその腕の先、手の平の上には赤黒い塊が乗っかっている。
 心臓。
 男がそう理解した直後に、仮面の男はそれを呆気なく握り潰した。
 ぐちゅり、という音が最後。男は腕を引き抜かれる反動で前へ倒れた。
「……、」
 学生は言葉を失う。
 名前も知らない仲でも、同じ日に仲間となった同志は無惨にも死んだ。
 その男を見下ろしていた仮面の男は振り返る。
 ぞくり、とした。
 右腕を漆黒のコートごと真っ赤にした悪魔が、ゆっくりと歩いてくる。
 怖い。
 そう理解した学生はその場で尻餅をつく。
 あと数メートルというところで、仮面の男は立ち止まった。
「ひとつだけ訊いておきます。貴方達を吸血鬼にした【ノスフェラトゥ】は誰で、今はどこにいますか?」
 学生は脅えた表情でキョトンとする。
「な、なんのことだよ……!?」
「あれ? おかしいですね……この辺りで従者を大量に創ろうとしている【ノスフェラトゥ】がいたっぽかったんですが……貴方はそうではないのですか?」
 学生は何の事かわからずに、茫然自失と眺めている。
「困りましたね。血の匂いが強すぎて、どこにどんな吸血鬼がいるかも判りませんし。でも貴方達のような【ストリゴイ】がいるということは、必ず【ノスフェラトゥ】もいるのでしょう」
 仮面の男は少しずつにじり寄る。
「その先にいるだろう【ハイデイライトウォーカー】も『執行』してしまおうと画策したのが天罰だったんですかね。影からコソコソいくべきでした」
 仮面の男は腕を一振り。
 垂れていた鮮血が、地面に飛んで付く。
「仕方有りませんね。拷問は魔術狩り部隊の専売特許なんですが、生は言えません」
 拷問。という単語に、学生の意識がはっきりとした。
 立ち上がり、逃げる。
 仮面の下から、ふぅ……というため息が聴こえる。
 体勢をやや低くし、仮面の男は追おうとした。



 その時だった。
 曲がり道のそこから、一人の少女が出てきた。
 染めているというわけでもない、自然で温和的なハニーブロンドの髪を伸ばし、その顔は見る者を魅了しそうなほど端整であった。
 スカートとセーターを着込み、ジャケットを羽織るカジュアルな格好。


 仮面の男には、見覚えがあった。


「……え―――――――」
 呆ける少女めがけて走っていた学生は、思う所もなく腕を出した。

 ズグン、

「―――――――あ……え、?」
 少女は何が起こったのか、分からなかっただろう。
 見知らぬ学生服の男に、気が付けば胸を貫かれていたのだから。
 ごぽり、と血を吐いた少女から腕を乱暴に引き抜く。
 重力に抗う余裕すらなくなった少女は、どさりと倒れる。


 ―――――――ズドン!!!


 鈍い炸裂する音が背後から響く。
 咄嗟に振り返った学生の額に、ゴンッと堅い物がぶつかった。
 怒りを隠しきれずに圧倒する重圧を放つ仮面の男。その手にはホルスターから抜き放った白銀の大口径のリボルバーが握られている。
 銃口は学生の額に突き刺さるように押し付けられ、薄く血が滲む。
 全身から冷や汗が溢れ、学生は嘲る偽りの下に隠れている殺意を込めた怒気に恐怖した。

 ドゥン!!

 大口径から繰り出される弾丸は、一際大きな銃声と共に学生の頭部を綺麗に打ち抜いた。










 非日常のなかに舞はいた。
 今は夜の路上で頼りなく酸素を求めてヒューヒューと呼吸していた。
 なんでこうなったのかなんて、もうどうでもよかった。
 奇妙な人物を追って外へ出て、ちゃんと玄関の鍵を閉め、体力に自信がないのに走り、路上で妙な声が聴こえてそこを目指し、人にぶつかりそうになり、

 気が付けば、胸を貫かれていた。

 怪訝な顔で、胸のど真ん中へ刺さっている腕を見下ろして、訳がわからなかった。
 次に感じたのは、痛いという感覚と迸るほどの熱い感触。
 焼きごてを当てられたように熱い傷口を呆然と見ていると、荒々しく引き抜かれる。
 すると、その荒い動きで痛みが増す。
 だが、もう舞には痛覚に苦しむ力もなかった。
 脚に力が入らず、舞はどさりと倒れる。頭に重い衝撃が奔るが、それももう朧気だ。
 次に感じたのは、寒気だった。
 春も中盤の時期でも、さすがに夜の初めは寒い。
 それでもそれ以上に寒く、身体の芯から寒さが広がっていく。
 激痛と寒気と脱力に襲われた舞は、ふと近づいてきた影に気付いた。
 焦るような呼吸が伝わる。
 見上げようとして、無意味に終わる。
 夜という暗さも相まって、輪郭も分からないほど舞の視覚はぼやけていた。
「こ な   、貴 を…  間じ  く てし いま ……」
 何かを言っているように思えた。
 だんだんと意識が軽くなってゆく。
 頭の奥からキィーンという耳鳴りが感じる中、舞はゆっくりと眼を閉じた。
「ごめ な い……」
 最後だけは、謝っているだけは分かった。










「もしもし……!? もしもし!!?」
 クロトは驚愕に少し動揺していた。
 目の前の死≠目の当たりにして。
 彼はなまじ自分の死を自覚していない。
 恐いといったら、【ハイデイライトウォーカー】のような真祖レベルが相手では本気も本気じゃなければ殺されるが、それ以下なら大した危険はなかった。
 今回も、あまりにも匂いの充満したこの都市の中で、不意に見つけた3人の吸血鬼。
 時間的・場所的にタイミングが良かったのか、周りには誰も介入者はいない。
 面倒だったが、『常日頃から執行時には着装すべきだ』と部隊も違うとある同僚に言われているので、拘束衣に着替えて仮面を着けて対峙した。
 すると、彼等3人は驚いた顔をしていてクロトは首をかしげた。
 その内の一人が突っかかって来た。
 急にその男は首を掴んできた。しかも頚動脈を押さえるのではなく、首をへし折るつもりで力を込めてくる。
 はっと知った。
 なるほど、と思ったクロトはとりあえず尋問相手を一人に絞るために、男の顔を両手で掴んで180度反転させた。
 ゴギン、と鈍い音が漏れて男が崩れ落ちる。
 確信した。どうも3人とも【ストリゴイ】だったらしい。
 力自慢をひけらかす事といい、たかが首の半回転程度で死ぬような【ノスフェラトゥ】はいない。【ハイデイライトウォーカー】がそんなことで死んだら笑い事どころか耳を疑う。
 少しがっかりし、恐怖に逃げ出す2人を追った。
 人ごみに逃げないよう上手く誘導し、大きな屋敷を経由して追い込み、もう一人の男も殺した。さすがに心臓を抉られては即死だった。
 残る、一番の年下だった学生を問い詰めているときに、クロトは非日常を起こしてしまった。
 道端で出遭った少女を、【ストリゴイ】が殺してしまった。
 尋問そっちのけで内面で燃える感情を表立だせて脳天を打ち抜く。
 やってしまった。
 スマートな執行をし損ねたこともそうだが、それ以上の失態は一般人を巻き込んでしまったこと。
 クロトは、徐々に呼吸の消えてゆく少女を見てから、しゃがんで傷口を見やる。
 荒く突かれ荒く引き抜かれたせいで損傷は酷いが、潰れていたのは肺だけだった。
「心臓は無事ですか……」
 少女の顔を覗き込む。
 口元を血でべっとりとした少女は虚ろな瞳でこっちを見ていた。
「こうなったら、貴方を……人間じゃなくしてしまいます……」
 すっと、自分の手を自分の左胸に押し当て、

「ごめんなさい」

 一気に貫く。
 鮮血が少女の美しい顔を紅く染め上げた。










 blood.4     仮初めの朝日は昇る





 コール音を鳴らして、ただひたすら待つ。
 普段から多忙なだけであって、意外と出ようと思えば出れるのだが、性格上の悪がある。
 ようするに、いらん悪戯をちょくちょくするのだ。
 とても上司とは思えない、とクロトは汗だくで苦笑した。
 ブツッ、と繋がる。
『は〜いはいはい只今留守です御用の方は発信音の後に30秒内でお伝えください、はいピー』
「貴方保留の設定分からないでしょう? それから普通は40秒です」
 少女特有のトーンの高い声の主は『む……』と唸る。
『お〜やおやおや、その迅速かつ的確なツッコミはリゼリアかクラヴィエかマリーアントワネットかメリッサか』
「クロトです。それと若干一名だけ時代が違うドイツ人がいます」
『ど〜もどもどもクロっちゃん、無事に日本に着いたってユクトナから連絡あったよっていうか超忙しいっつの電話すなー』
 呼吸どっちらけで一息で話す口調が変わっている、クロトの上司はふと気がついて声を少しだけ低くする。
『……なにやら呼吸が荒いねぃ。それと心拍数も44といやに少ない。クロっちゃんが息を切らすのは珍しいことだけど、それは異様だわさ』
 電話の向こうの心音も聴き取るスキルはお見事、とクロトは苦笑して頷いた。
「ええ……ちょっとポカやらかしてしまいまして」
 向こうからギシ、と椅子に寄りかかるおととため息が同時に聴こえてくる。
『クロっちゃんがポカねぇ……………【ハイデイライトウォーカー】?』
「いいえ、【ストリゴイ】3体です」
 携帯の向こうでガタ、と動揺の音が漏れる。
「いえ、その3体自体は瞬殺でした………ただ」
『ただ?』
「一般人を一人巻き込んでしまいまして」
 今度は動揺が聴こえない。
 ふむ、と考えるように唸って数秒。
『……………死んだの?』
「ええ、死にました………人間としては、ね」
 その遠回しな言い方に、向こうは気付いた。
『まさか……その一般人を?』
「………はい」
『な〜るなるなる合点。その荒い息は疲れじゃなくて衰え≠スんだねぃ』
「すみません」
『な〜ぜなぜなぜ謝るのかねこの子は……しかし思い切ったことしたね〜リゼリアとレキが怒るよ?』
「その前にメリッサが飛んできそうです」
『確かに確かにって和んでん場合なーい。お前は自分が何したか自覚してるのかえ〜』
「ええ………承知ですよ」
 一瞬沈黙が奔る。
『………まったく、忙しいっつぅんの』
「ええ、すみません」
『何苦笑してんのお前はとかちょっとまてその身体≠ナ連中に勝てるとかおもっ』
「ああ、そろそろ電話料金心配なので切りますね」
『ちょっとまてっちゅーとんのじゃあ、とりあえず場所! 住所住所潜伏先〜』
「失礼します………ああそれと、メリッサはドイツじゃなくて純欧米の子ですよ」
『上司の話はちゃんと聴』

 プ、と携帯を切って、

「―――――――、は……ぁ!」
 一気に息を吐いた。
 あれ以上電話をしていたら、さすがに気付かれていた。
 薄く眼を開けると、その瞳は紅く紅く血のように輝く。
 10階建て程度のビルの屋上で、壁によりかかって座ったクロトは力なく自分の胸元を見る。
 拘束衣の胸の部分がぽっかり穴が空き、その周りはおびただしい血色で染まっている。
「思っていた以上に……血を失いますね」
 ズルズルと壁にもたれて失笑する。
 電話の相手との会話にも、薄く叱咤激励のようなものを感じたが、そんなものは欲しくなかった。
 クロトは名実共に、一人の人間を殺し≠スのだから。
「………、」
 自分の右手をかざして、それを見つめる。
 色白すぎる手を見て、クロトは遠い目をした。
「……ハイネ。貴方の苦労が身に染みますよ……こんな苦しみだったんなら言って欲しかった」
 空は澄んだ琥珀に染まる。
 ゆっくりと、それでも確かに、夜は更けた。










 外から差す陽光に、薄っすらと目を開ける。
 まどろみから無自覚に起きる影響からか、張り付いたような目蓋を引っぺがして見上げると、白い天井。
「…………………………」
 ボーっとしていた舞は、一気に覚醒する。
 掛け布団を押しのけて起き上がる。
 そこは、紛れも無い自分の部屋だった。
「………あ、れ?」
 呆ける。
 いつのまに眠ったのかを反芻していると、不意に夜の悪夢が甦る。
 暗闇の道でぶつかりそうになった学ラン服の男に、
「胸を……」
 摩ろうとして視線を落として、絶句した。
 舞が着ているのはスカートにセーター、その上にジャケットだった。
 しかも胸の部分が穴が開いたように破けている。
 ただ、破けているだけで肌は無傷で血も付着していない。
「ゆめ、じゃ……ない」
 しばし呆然としていた。
 舞は自分の部屋を見回す。
 窓からは燦々と陽光が差している。
 何一つ変わらない風景。
 舞の知る日常の


「……………ん?」


 ふと思った。
 陽光。
 そんなものが差しているということは夜ではないのだろう。
 ゆっくりと、壁掛け時計を見る。
 そこには一番短い針が『10』を刺していた。
「っ……―――――――!!」
 もれなく今日は平日。
 チャラララッララ〜、舞は寝坊≠繰り出した。

「にぎゃああああああああああぁぁぁぁぁ!!!」

 絶叫なのか悲鳴なのか。
 とりあえず大音量であることは確かな衝撃が屋敷に木霊した。










「―――――――」
 明るくなった朝の光を浴びて、青年はそこにいた。
 学区から少し離れたオフィス街で、当然と言わんばかりに高層ビルが立ち並ぶ。
 その中でも一際大きなビルの屋上。
 超がつく高層ビルの生み出す強い風になびかせた髪は真っ白で、目鼻立ちも日本のそれとは違った。
 どこかの学校の生徒なのか、紺のブレザーに灰のズボンを着て下のシャツを第2ボタンまで開ける。ネクタイまで緩めれば、なんともやる気の無さを象徴していた。
 100メートル以上は遠くに見える地面をもろともせず、彼は屋上の端に佇んでいた。
 眼下を見下ろしていると、後ろから気配がする。
「………キミから僕に逢いに来るなんて珍しいな。麗しきレディ・クレセア」
 首を回し、視線だけを背後に向けると、そこには女性が立っていた。
 どこかのパーティの帰りのように真っ赤なドレスを着ていて、少し赤みがかった黒い髪を腰までストレートに伸ばしている。
 妙齢の美女は笑わずに、むしろ機嫌が悪そうに青年を睨む。
「まったく、こんな眩しい場所によく立っていられるものだわ。人間じみた行動は止しなさい」
「僕から言わせてみれば、陽の光に弱いなんていう人間の信じる°z血鬼を演じる必要は無いと思うけどね」
「演じた憶えは無いわ。夜の方が行動しやすいからでしょうに」
 青年は悪戯に微笑する。
「キミの能力も夜のほうが倍加するからだろう?」
 美女はハイヒールの踵でコンクリートの地面を踏んだ。
 カツン! と一喝するように響き渡る。
「挨拶はいらなくてよ暮れの向こう側=Bアナタの薦めていた例の計画の報告が遅れているのよ? 何が哀しくてアナタのような放浪癖の捻くれ眷属を私が捜さなくてはならないの」
 不平不満をぶつけてくる美女に、青年は薄く笑う。あまり反省の色は見えなかった。
「例の計画、はて……心当たりが多すぎて分からないな」
 悪戯に恍ける青年の背後に、美女は殺気を漲らせる。
 コンクリートの地面に、ピシリと亀裂が奔った。
 見兼ねた青年は両手を曖昧に上げて『降参』のポーズを取る。
「はいはい……【イリス・ネットワーク】の事でしょ? 未だ探索中。ハイ報告」
 すると、諦めたようにため息が聴こえた。
「アナタのような多趣味が、執拗に知りたがるソレは一体なんなのかしらね」
 軽く毒づく美女の言葉を耳に、青年はポケットに手を入れて再び眼下を見つめる。
「キミは知らないほうがいい。僕の欲しがっているものへの道は、いつだって敵が多すぎる」
「分かっててやっているのではなくて?」
 詮索の言葉に、青年は失笑した。
「人聞き悪いなぁ……とか言おうと思ったけどね、キミを怒らせたくはないよ。ただでさえ氷雪≠セの下弦の天秤≠セのに殺されかけているのに、キミまで敵に回したくない」
「そして気付けば煙に撒く。アナタの常套手段じゃなくて?」
 ピシャリと言われて、青年はぐぅの音も出なかった。
 苦笑の背中に美女は一瞥をくれて振り返る。
「まったく、こんな男を眷属に持つマスターの気が知れないわ」
「そうやってキミの愚痴を聞いてくれてるんだろう? 正直キミだってマスターを主と思ってないでしょ」
「お互い様よ、そんなもの」
 カツ、カツ、とハイヒールの乾いた音が少しずつ遠くなっていく。
「伝言とか頼もうものならその首切り落としてやろうと思ってきたのだけれど」
「おや、だったらひとつ頼もうかな♪」
 はっとした後に、遅かったと苦悩する美女。
 その姿を楽しそうに見てから、青年は空に上る太陽を目を細めて見上げる。
「ま、特に言うことは無いからね。マスターによろしくって言っといてくれないかな」
「フン、舐められたものね。殺してやりたいぐらいだわ、暮れの向こう側<tァルス」
「それもお互い様だろう? 麗しき同志、月の静寂<Nレセア」
 もう一度鼻を鳴らして、美女は屋上から飛び降りていった。
 心配や危惧の類は必要ない。【ノスフェラトゥ】が落下事故で死んだらお笑い種だ。
 むしろそんなことで笑おうものなら、地獄の底からでも這い上がってきて彼に怒りの一撃をお見舞いすることだろう。彼女はそういう人格だ。
 ふと足元を見る。
 遙か下の道路を、それこそ全力疾走で駆け抜けていく女子高生がいる。
 にぎゃあああ、という悲鳴みたいなものが薄く届いた。
 遅刻というよりも寝坊かな、と青年は笑う。
「まったく、か……確かにね、この国は本当に平和だ………壊してグチャグチャにしてしまいたくなるほどに」
 目を細め、その女子高生を見届けた後に青年は空を仰ぐ。

 瞬間、何の動作も起こしていない青年の姿が消えた。

 そこにはもう影も形も存在しない。
 後に残ったのは、高層特有の強い風だけだった。










「にぎゃあああああああああああ!!!」

 まだこれである。
 窮地に立たされると思考がスパークするくせに、やるべき事はやろうとする器用貧乏な金持ち矛盾少女・舞は疾走する。
 あまりの事態に髪を梳かせず制服も荒く着、加えて、

 くるるるる……、

「うぐ……」
 走りながら舞は自分の腹を押さえる。加えて飯抜きだ。
 城閃学園のような馬鹿でかい学校でも、それゆえのチェックは厳しい。
 特に高等部は初等部・中等部と違って出席名簿なんてモノがない。
 全部カードキーシステムなのだ。教室に入って自分の席に座り、目の前のモニターを起動して脇の差込口にカードイン。
 つまりカードキーを忘れたりすると再発行してもらえるまで午前中の授業は欠席扱いになる。
 ちなみにこれは学術カリキュラム選択生徒の話で、戦闘科に入ればいちいち授業の始まりにカードを差し込まなくたっていい。その辺が学術科の悩みどころの一つだ。
 まあなんにせよ寝坊した舞にそんな余裕があるわけでもなく、ダッシュを決め込む。
「ううううう……、やっぱり不幸だぁぁ〜!!」
 誰かいるわけでもないのに叫ぶ。
 舞の知る、少しずれただけの……日常がそこにあった。










 blood.5     邂逅





 そっと扉を開ける。
 だが、

 カラカラカラ……。

 微かなレール音が教室に染み渡ってしまい、舞はひきつった顔をした。
「………八神 舞、遅刻……と」
 教卓が無い代わりにどでかいモニターの前でテキストブック片手に授業をしていた白衣の男はそう呟いた。
 熊野 一利(ゆや かずとし)。
 城閃学園高等部で学術科では理数系の教師であり、その白衣も『形から入りたいんだ』と本人が言っていた。
 運が悪いか良いのか、今は理科だったらしい。
 カードキー主流の高等部生に遅刻宣告したとしても名簿を探す必要は無いのだが、妙なところで形にこだわる一利は、腰を屈めた格好で苦笑いする舞をねめつけるように見た。
「この校舎の扉はな。今のお前みたいなことする輩のために、わざと音が出る仕組みになってるんだよ」
 教師としても範師としても、生徒に慕われている一利は変に舞と同等の位置からものを言う。
 はぃ、と小さく頭を下げてそそくさと空いている席に座る。
 どうやら戦闘科とは個別授業になっているらしく、教室には半分の生徒もいなかった。
 たぶん、今頃あの無駄に広いグラウンドを走らされているだろう。
 そんなことを考えていた舞は一番後ろの席に座り、モニターを起動させて脇の差込口にIDカードを差し込んだ。
 案の定、数秒後には遅刻の表示報告のウィンドウが出て、舞は苦笑しながら端末をクリックした。
 城閃学園の援助資金は主に政府からである。
 暗にそう言っても、軍事的なものがどこかで働いているわけである。
 ただの学校ならこんな援助金は無い。
 そこがこの学園の長所であり、根源であるダブル・カリキュラムの片方が担っている。
 戦闘科での卒業生の9割以上が軍隊や警官隊に配属されている。
 というのも、なまじ素人以上に戦い慣れしている子供を入隊させて、軍事力に大きく貢献させたいというこの学園側の智謀がある。
 斡旋による入隊率100%という脅威の就職率も目を瞠り、それに伴う学園生活への配慮も怠っていない。
 それはやっぱり学術科にも影響は出る。
 現に今目の前にあるこの電子モニターも、相当金が掛かっている。この教室だけじゃない。高等部だけでもざっと3,400台あるのだ。
 一台いくらするんだろう、と舞は首を傾げたことがあったが、無意味に終わった。
 室内だけでなく、学園全体の設備が凄い。
 学生寮を始め特殊治療室、武具保管室、グラウンドが計3つ、修練場に至っては8つもある。
 学園内の自動販売機を数えようものなら、誰かの指を借りなければ振り切れてしまうのだ。
(バケモノ学園、ここに極まれり……)
 などと考えていると、いきなりディスプレイに鎌を担いだ仮面とマントの死神のアイコンが出てきて仰天した。
 前を見ると、一利が教員用ディスプレイに手を置いてこっちを見ていた。

『俺の授業で呆けるとはいい度胸だな、八神……?』

 そう、目が言っていた。
 あははぁ、と空笑いで首を竦めて謝ると、今もモニターのど真ん中で『YOU BAD!!』と言っている死神アイコン(可愛さ3割)を見下ろして、舞は考えに耽った。
 昨夜のことを、思い出していた。
 あれが夢でないことは、着ていた服装からして見て取れた。
 問題は―――――――、
(………)
 自分の左胸に触れる。
 何の変哲もない、それこそ毎年の身体測定で常に級友・紫藤 亜里沙を破り続けている、豊満と言える隆起したものが二つあるだけ。
 あんまりデカいと余計に注目浴びるんだよなぁ、なんて考える舞。
 別に今更そんな装備が無くても充分に連勝街道(そして撃墜街道)まっしぐらの舞は、首を振って目を鋭くする。
(ダメダメ……! 気のせい、だと……多分、思う………)
 確信が持てなかった。
 まだ、胸騒ぎがする。
 ざわり、と首の後ろの辺りに奇妙な感覚を憶えてゾッとする。
「……、」
 ふと、気付く。
 モニターに映る自分の顔の一部に、
「…………………?」
 八重歯が長くなっている。
 思わず触れると、確かに長くなっていた。
 笑うと少しだけ見えてしまいそうで、首を傾げる。
(……………)
 八重歯なんて気になっただろうか、と舞はモニターを鏡代わりに思う。
(………、年頃)
 一瞬そう思って、はっとして、ぐでーっとする。
 我ながらバカらしいことを考えた、と苦笑していると、

「深刻な顔で首を振って、モニターに睨めっこして、挙句の果てにゃ居眠りの格好で何ニヤニヤしてんだお前は?」

 頭上から声がした。
 え? と振り返るよりも早く、舞の頭頂部に鉄拳制裁が落下した。







「お。めっずらしい遅刻者発見〜ってなぁ♪」
 授業の終わりと共に、教室へと入ってくるジャージ姿の生徒達。
 この学園の教室の座席は決まっていないため、皆思い思いの場所で雑談をしだす。
 そんな中、ディスプレイの脇からIDカードを取り出していた舞が振り返ると、そこにはジャージ姿でやってくる二人の女子生徒がいた。
 茶髪を二本おさげにして、頬にでかいテーピングを貼り付けた線の強いボーイッシュな少女と、しなやかな黒い髪をマラソン用に一本に括った、目の据わった少女。
「亜里沙ちゃん、志筑ちゃん」
 舞は顔を子供のように輝かせた。
 一見、女の皮を被った男(オッサン)の少女が紫藤 亜里沙。
 言葉遣いもそのままに豪快・痛快・壮快という三原則で出来ている猪突猛進な級友だ。
 実際のところ近くに住んでいて、小さい頃に強者を求めて旅をするという正に子供じみた行動をしていた亜里沙が、当時は天性の防衛本能を誇っていた舞にコテンパンにされて、それ以来自身の強さに憧れて城閃学園に入った。
 同性同齢であるが故の舞との絆は固く、舞のために平気で喧嘩騒動を起こす。というか、起こした女傑だ。
 もう一人の、束ねていた髪を解き漆黒の長髪をなびかせる日本人形のような少女も級友、加賀 志筑(かが しづき)。
 学区の、オフィス街とは正反対の小山に古くから佇む神社の子供で、舞を連れ立って続・猛者を求めて三千里をしていた亜里沙がこの神社に入り、境内で掃除をしていた彼女に出逢って始まった。
 本来ならあそこで喧嘩が起きるかも、と舞はおろおろしていたがそうはならず、何かが通じ合ったらしい。
 全体的に影を持ち、常に目を伏せているクールビューティーであり人を寄せ付けない雰囲気を持つが、舞と亜里沙には積極的に話し、特にこの二人には薄く微笑めいたものを見せるほどでもあった。
 二人の共通点は多い。まず同性同齢もそうだし、二人とも戦闘科だ。
 追求するなら舞に対する庇護本能も高いのだが、自分のことになると鈍感な舞は気付いていない。
「……今日はどうかしたの?」
 ひどく抑揚の無いトーンで志筑が訊いてくる。
 いつもこうなので舞達は気にしない。
「そうだぜ〜、心配したんだぜ?」
「ごめんね。寝坊しちゃって……」
 顔を赤らめる舞に、亜里沙は苦笑した。
「ま、いいけどよ。とりあえず二時限目から来たろ。一時限目の宿題とかいいのか?」
 その問いに、舞は「あぅ…、」と呻いた。
 学術科の懸案事項は、ビバ機械の学園の唯一の『宿題はノートを起用』であること。
 やったという結果を見なければならないため仕方が無いのだが、いつどの授業で学術科生徒に宿題が出されるか分かったものじゃない。
「もしかして……でた?」
 困惑の表情ですがると、亜里沙は志筑のほうを見る。彼女自身、どうでもいいことはどうしても忘れてしまうのだ。
 志筑は少し間を置いて何かを反芻する。
「……確か………一時限目は現代国語。宿題は……無かったはず……」
 ほっと胸を撫でようとして、
「………にゃ゛っ! 現国……!?」
 舞はひきつった顔をした。
 このクラスの現代国語の担当は、あろうことに笙子だった。
「………あぅ〜」
 情けない声を出してモニターに突っ伏す。
「いいんじゃねーの、たまにはさ。優等生の舞もいいけど、遅刻に頭を抱える舞も可愛げ7割増しだぜ?」
「……亜里沙。7割増しは認めるけど、それじゃ本人が困るでしょう?」
「むぇ〜……志筑ちゃんまでぇ〜」
 何か悪いことを言ったのか、と本気で首を傾げる志筑。
 とりあえず、悲観モードから脱出すべく身体を起こす。
「あとで笙子さんに謝っておかなくちゃ」
「むしろ過保護過ぎんじゃねーの? 笙子さんは」
 自分のことは素で棚に上げる亜里沙は意地悪く笑った。
「ははは、はは……は………、……………?」
 徐々に、亜里沙の鼻に突かない笑い声が停まっていく。
 二人は怪訝な顔をした。
「……亜里沙?」
「亜里沙ちゃん、どうかしたの?」
 その呼びかけにはっとする。
「え? あ、いや……あのさ舞………お前、なんかした?」
 なんか、と問われて舞は首を傾げる。
「なんか、って?」
「なんつーか……お前、雰囲気変わった気がしたんだけど」
「え……?」
「あ〜なんでもねぇなんでもねぇ。やっぱ気のせいだ」
 手をヒラヒラと振ってそう言う彼女に、二人は目を合わせた。







 キーン、コーン、カーン、コーン………

 日本全国が馴染みの機械音も、この学園には健在である。
 今日の授業を全て消化した学生達は、ヒソヒソと夕方の遊びスケジュールを言い合っている。
「んじゃあま……俺が言うことはもう無いわな。珍しく宿題がなかったらしいが、常日頃から気だけは抜くなよ」
 とかショートホームルーム中の一利を無視してまだあちらこちらでヒソヒソ。
「………、」
 ゴキン、と一利の手の関節が鳴った。
 瞬間に、一気に生徒達が静まり返る。本気で無音だった。
「じゃあ俺からは以上だ。有意義な午後を過ごしな」
 そして、起立・きょーつけ・礼を済ますと同時に、教室はどっと騒がしくなった。
 念のためのノートの確認をしていた舞に、亜里沙が小走りで近づく。
「舞、ワリィ。今日もバイトでさぁ。シフト代わってくれって店長が言うから受けちまったんだよ」
「そうなの?」
「だからアタシは先に帰るぜ。お前も気ぃつけて帰れよ」
「うん、バイバイ」
「やっべ時間が………ま、また明日な……!」
 そう言ってさっさと走っていってしまった。
 立ち上がると今度は、
「……舞」
 振り返ると、伏目がちの少女・志筑が鞄片手に立っていた。
「志筑ちゃん。今から帰りでしょ?」
 こくん、と頷く。
「……そのつもりだったのだけれど……実はウチの神社の参拝道具のことで、早めに帰らなくてはいけないの」
「ふぇ、そうなんだ」
「……だから今日はここで」
「あ、うん」
 踵を返し、控えめに手を振った。
「……また明日」
「うん、ばいばーい」
 にぱぁ、と舞が笑うと、志筑も苦笑混じりに笑顔になった。







 廊下をてくてくと歩いていく。
 さすがに学園内に留まる生徒は少なくさっさと帰ってしまうのか、廊下にいる人間はほとんどいなかった。

「あ〜ら。御機嫌よう、八神さん」

 不意に背後で声が掛かって舞は振り返った。
 廊下のど真ん中で威風堂々と腕を組んで立つ、数人の女子生徒がいた。
 その先頭で舞を見る少女こそ、この謎軍団の中心人物だった。
「あ、帰りなの? ………え〜っと……い、いしの……いしみ、あれ?」
「石小路野宮 椎名ですわ」
 ぴしゃりと言い放たれ、舞は苦い顔で笑った。
「あ、ごめんなさい、覚えにくくて……だから名前で呼びたいんだけど」
 すると、彼女の後ろの3人の女子生徒がクスクス笑った。
 首を捻る。どうも舞は自分の言ってることがおかしいとは思っていないのに笑われることがある。何故かは全く知らないし、身に憶えもあるわけない。
 クスリと笑っていた少女、石小路野宮 椎名(いしのこうじのみや しいな)は少しふざける。
「残念だけれど、アナタにそんな馴れ馴れしくなってほしいと思ってないですのよ」
 名実優れ認められる上流階級のお嬢様である椎名は、嫌味混じりに言う。
 だが、それに含まれる意味に気付いていない舞は首を傾げる。自分に関することは超鈍感なのが舞である。
「う〜ん……難しいんだよね、漢字って……いし、の……みやこ、ん?」
「だから何度言えば―――――――」
 いきり立とうとして、それをぐっと堪える。
 首を傾げたままの舞を睨んで、フンと鼻を鳴らした。
「まあ、学術カリキュラムばかりの平和ボケは気楽でいいわね」
「あれ、君達もじゃなかったっけ?」
 さらに息をつまらせる椎名。
「……、フン! こんな話し合い無駄ですわ。それでは八神さん……またいずれ」
 嫌味ったらしい笑顔でそう言うと、取り巻きを連れてこっちへ来る。
「邪魔ですわよ」
 わざと肩で突き飛ばして、よろめく舞をよそに去っていってしまった。
「むぅ〜……なんであんなに怒ってるんだろうなぁ〜名前が可愛いからそっちで言いたいのに……」
 というか長くて苗字が言えないのだが、自分に関することは超鈍感なのが舞である。
 仕方が無くといった感じで、舞は廊下を歩いた。
 とりあえず、ボケじゃないと思うけどな〜とか考えていた。










 夕暮れは早い。さすがは春の半ば、4月19日の午後3時半。
 繁華街通りを闊歩する人だかりの正体はタイムサービスやら時間抽選会やら様々だが、学区内から一歩外へ出ればビルビルビルのオフィス街だ。
 楽しむための要素がここにしか無いため、繁華街の午後は学生で溢れ返る。さらに夜が深まればオフィス街帰りのサラリーマンで溢れ返る。
 今は前者だが、どうにも紛争と書いてバーゲンと読むモノによって、人の通りは結構のものだった。
 実は舞が今からいく場所も、学術科での平穏から少し離れた決戦の場だった。
 ちなみに今日の標的は豚肉500グラムパック228円である。
(ま、とにもかくにも……)
 とにかく人が多い。気を抜いていたらぶつかりそうで、舞は慎重に歩いていた。


 その時、
 ふと視界に揺れる人波の中で一つの黒い影が見えて、舞は硬直したように立ち尽くした。
 まさに、黒だった。
 色白というより、白すぎる肌を包むように黒いズボンと黒いジャケットを着た、ややライダー仕様の格好の黒髪の人物。
 舞は驚愕と困惑の表情でその背中を見た。
 見覚えがあるのは、その背中に担ぐように背負っている白いラインの入った大きな黒いバッグ。

 ドクン、

 自分の心臓が、意味も分からない脈動を起こす。
 言葉を吐く力は喉に込められず、舞自身を動かす全ての動力を本能で脚に集中させてしまい、気が付けば走っていた。
 幾度も肩をぶつけてしまう。中には実に不満そうな顔で一瞥した人間を視界に入れたが、それどころじゃなかった。
 もう少し、
 あと少し、
 雑踏を歩いている背中を目指して舞は人ごみを掻き分けるように進む。
(もうすぐで―――――――
 頭の中が、不意に真っ白になった。
「………、?」
 目の前まできた人物は、いきなり振り返った。
 なんでか解らない。エスパーだろうか、と舞はどうでもいい頭脳をそっちに持っていく内に気付く。
 その秀麗とも言える青年は、舞と自分の間に視線を落として怪訝な顔をしている。
 何事かと舞も下を向くと、

 そこには、青年の手をしっかりと掴んだ舞の手があった。

―――――――………え?」
 舞は凍ったように停止する。
 ゆっくりと、自分が今何をしているのかを脳内で構成し直して行く。
 そして気付く。今更過ぎるほど遅く気付く。


 あろうことか、舞は見知らぬ青年の手を握って、思いっきり引き止めていた。


「……………」
「………え、と」
 伸ばした手をそのままに沈黙する舞と、未だ手を掴まれ空いた左手の指で頬をポリポリと掻く青年。
 夕日は変わらず。雑踏は変わらず。
 しかし、舞が自分が一番非日常な行動を起こしていることに気付いたのは、この10数秒後だった。










 blood.6     揺らぐ心は何処へ行く





「あ、コレ、いります?」
 差し出してきたのは紅茶の缶ジュース。


「―――――――って……!」
 舞は首を振った。
 前にも同じようなことがあったが、決してデジャヴではない。
 しかし変わらず爽やかな微笑を湛えて、青年は缶を差し出し続ける。
「おや、いりませんか?」
「いえ、いります」
 即答で缶を掴むと、青年は満面の笑みで喜んだ。



 あの時、繁華街通りで青年を拉致状態にしてしまった舞は、どうしようかとあれこれ考えていたら、先に青年が動いた。
 左手で舞の手を覆い、
「俺についてきて下さい」
 そういうと、その手を引いて昨日と同じ公園へと連れてきたのだ。
 ただ、今回は逆に舞にとって離れる理由はなかった。
 青年に手を引かれて、と言ったが実際は舞が上から青年の手を掴んでいたのだ。
 公園へ誘っている最中も、舞が離したければいつでも手を引っ込められるように考えていた。
 そのせいもあって、舞はほぼ無抵抗でこの公園に来て、今に至る。



 木製ベンチに腰掛け、缶ジュースを開けると、それを飲む。
 仄かに甘く、暖かいを超えた熱さが身体の芯に染み渡ってゆく。
 ほぅ、と思わず息を吐いて落ち着く舞を見てから、青年も自分の缶コーヒーを開けて飲む。
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………って、ちがーう!!」
 いきなり舞は咆える。
 え? と訊いてくる青年はキョトンとする。
「えーっとだね、私は君に言いたいことがあって呼び止めたの。き……えと、名前なんていうの?」
「ああ、すみません自己紹介も儘ならずに……俺はクロト。クロト・ヴァーティラインです」
 舞は首を捻り、それから少し驚いた。
「外国の人なの?」
「まあ、ドイツにいましたが……実際は純日系ですよ」
 それが何か? という顔で首を捻ってくる青年・クロト。
 う、とたじろいでから舞は軽く息を整え、声を言葉にしようとした。
 一歩手前で、
「それよりも」
 クロトが言葉を切りだしたために、舞は開口の状態で停止する。
「昨日の夕方に御逢いしたのに、また逢うなんて奇遇ですね。その格好からして学生でしょう? こちらが帰り道なんですか?」
 至極普通に爽やかに訊いてくる。
 思いっくそ話の腰をへし折られて、舞は崩れた。
「? どうかされましたか?」
「ううん……なんでもないよ。なんでも、ね……」
 さも普通に「そうですか」と頷いて笑うクロトを横目で見て、
(なんか、言いにくいというか……)
 気を取り直して首を向ける。
「えと、クロト君。昨日、私と別れた後で………何してた?」
 いきなりの質問の意外性にクロトはキョトンとする。
「貴方と別れた……夕方のですか? 何……と申されても、普通に帰宅したとしか……それがどうかされましたか?」
「帰って、それで?」
「う〜ん……気が乗らなかったんで夕飯は食べずに、銭湯で汗を流しに行って……あ、俺の今の下宿先、風呂付いてないんですよ」
 少しずつ、話がズレてゆくクロト。
 彼に決して悪気が無いのは、その爽快な笑顔で判る。判るが、配慮しろと言われて素直に聞くのは楽なことじゃない。
「だ、だから、君のプライベートを訊いてるんじゃなくてぇ〜」
「え、でも今何してたって訊いたんじゃないんですか?」
 うぐ、と舞の喉が鳴った。
 そうである。翌々考えてみればその通りである。
「あ、あの……そうじゃなくて、」
 埒が明かなくなって、舞はぐっと息を呑んでから意を決した。こうなれば核心を詰めるしかない。
「あのさ、君……昨日の夜に外出なかった?」
「え……?」
 薄く、クロトの表情に驚きの色が混ざる。
「昨日の……7時過ぎだったかな。その時も家にいた?」
「いえ、家にはいませんが―――――――」
 その瞬間、クロトははっとして自分の口元を押さえた。
 当然、舞も見ている前で。
「―――――――いや、家にはいませんでしたが、ついさっき言っていた銭湯には入っていたはずです」
「……本当に?」
 舞は眉をひそめる。
「本当に、です」
 クロトは臆さずにきっぱりと答えた。
 これでは実質、舞のほうが負けているのだ。
 確かに違和感を感じたが、あの夜の出来事に『クロト』という存在はしっかり確認していない。
 むしろあれ≠ェ実際の出来事であるかどうかも、舞には朧気で不確かなのだから八方塞である。
 クロトが自分の缶コーヒーを飲んでいるうちに、舞は自分の意識を脳に集中させた。
「………あの―――――――」
「ところで」
 内心で舞はずっこけた。
「? どうかされましたか?」
「………ううん……本当に……なんでもない、よ」
「そうですか。ところで話が変わりますが、貴方の着ている服は学生服ですよね。この辺りの学生なんですか?」
「え? あ、うん。私、城閃学園の高等部2年」
「え……?」
 クロトは薄く驚いた顔をする。
「な、なにか……?」
 まずいことを言ったのか、と舞は本気で怯えた。
「あ、ああ……済みません、ちょっと聞き覚えのある名前がでたもので」
 気にしないで下さい、と付け加えたクロトをまじまじと見てから、急いで視線を外す。
 よ〜く考えてみれば、舞は今男と話していることに今更気付く。
 普段が普段だけに、言い寄ってきて過保護フレンズに撃退される野郎ぐらいとしか面識が無い舞だ。同じクラスの男子生徒でも、一度も話したことが無い人間がいる程でもある。
「あの、」
 クロトは少し眉をひそめて舞を見る。
「そろそろ用事があるので俺は帰りますが」
「え?」
 どうしようか、などと考えて舞は自重した。
 引き止めたところで相手は赤の他人だ。
 どう言おうか迷っていると、クロトは缶を片手にバッグを担ぎ直し立ち上がる。
「それでは、また逢いましょう」
「あ……」
 クロトは一礼をすると、振り返って行ってしまう。
 昨日のは逆の順で帰られてしまい、深く考えてみれば昨日の舞なんかも理不尽に去ったため、呼び止める気にはなれないまま、彼の背中を見送った。
 曲がり角を通ったら、もうそこには彼はいなくなる。
 数秒の間車もまばらな車道を見つめ、舞は缶の中身を一気に飲み干そうとして、熱さにやられて悲鳴を上げた。



 車道脇の一般者道を歩くクロト。
 公園周りの樹木から隙間を通して、遠くにいる少女に一瞥する。
 にぎゃあ! という悲鳴を上げながら口を手で押さえていたのを見て、クロトは少し笑う。
 どうやら本人は自分の身体のことには気付いていないようで、安堵を覚えた。
(そのほうがいい。身を以って知るという苦しみは、凡人にとって毒が強過ぎますからね……)
 そう言い聞かせるようにクロトは思い、前を向いて歩き出す。
「それにしても……城閃、ですか」
 困った風に空笑いする。
 触れた右手を見下ろして、すっと目を閉じる。
「どうりで彼女から微かに血の匂いがするわけでした……」
 そう言って開けた瞳は、夕焼けよりも深い紅の瞳だった。










「………ふぅ」
 風呂から上がり、濡れた髪をタオルで拭きながら舞は自室に入る。
 あの後すぐに帰ったはいいが、結局笙子の姿は無く、やはりまだ警備体制が解除されていないようだった。
 普段の姿がズボラな笙子が、長時間もキリッとしてると思うと、舞は想像して少し笑う。
 椅子に腰掛け、机の上に置いたノートの中身をチェックする。もう癖になってしまっている。
 ただ、
「……………」
 今日が宿題の無い日でよかった、と舞は思った。
 まったく気が乗らない状態で、むしろ頭の中では悶々とした煙が立ち込めている。
 出てくるのは、やはりあの物腰の優しい黒い美青年。
 気になる、という相手が異性な時点で過保護フレンズの標的になり兼ねないのだが、自分に関することは超鈍感なのが舞である。
 少し目を閉じて、昨日の夜のことを思い出そうとする。
 だが酷く朧気で、そもそも昨日の夜は外に出たかも曖昧だった。
 それでも、胸に痞える違和感は消えない。
 何かが変わった気がして落ち着かない。そのせいで授業中に3度も熊野 一利に拳骨を落とされたが、それは余談でしかない。
 もっと深く、もっと鮮明に、昨晩の光景を反芻しようと、舞は「うむぅ〜……」と変な声を出しながら集中していった。


 ドクン、


「―――――――あ、」
 咄嗟に目を開ける。
 思い出したわけではなく、それが何なのかも判ったわけではない。
 一瞬感じた脈動が、うなじを通って全身を震わせる。
 ぞくり、と悪寒に近い感覚を感じて立ち上がると、窓を開けてバルコニーへ出る。
 手摺りへと駆け寄って、舞はとある方角を見つめた。
 暗くなった夜の道、反対側にはオフィス街の眠らない喧騒が見えるが、舞は決して目を逸らそうとしなかった。
 実際、目を逸らすことが出来なかった。
 彼女の視線に射抜かれているのは、一つの大きな庭園じみた学園。
 遙か遠くからでも見える広大かつ巨大な通学先に、舞は怪訝な顔をした。
 違和感がより強くなる。
 あれは本当に城閃学園だっただろうか、という疑問と不安で、舞は再び背筋を凍らせる。
 あった。
 そう舞は確信する。
 これは昨日の夜と少し違うが類似している。
 バルコニーから見たものが違うが、それでも感じた違和感も同じ。
 いてもたってもいられなくなる、この感情も。
 舞は誰かに操られたように部屋へ入り、急いで着替え始めた。


 その時、彼女は気付いていなかった。
 彼女の瞳が、血より深く炎より輝く、真紅の色をしていたことに。










 疾走する。
 その時になってやっと気付いた。
 いつもなら100メートル走を一度やっただけで上がっていた息が、今は少し息が乱れた程度だ。もうかれこれ2キロは全力疾走したはずなのに。
 しかも、妙に明るく感じる。昼のようにではないが、暗視ゴーグルを着けたらこんな感じだと思えるほど、夜道が鮮明に映し出される。
「……何が、……一体!?」
 上気した頬からはほとんど汗が出てこない。
 黒いシャツの上に蒼いジャンパーを羽織り、スパッツの上にチェックのプリーツスカート。
 白い息を吐きながら、舞は全力で学園へ走った。
 やがて到着する。家からたったの5分。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、」
 さすがに息の切れた舞は胸を押さえ、正門の前に立つ。
 当然のように閉まっている。
 どうしようかと考えていると、ふと以前に亜里沙が言っていたことを思い出す。
 確か彼女は一度バイトで遅刻して大事なシューズを忘れたために夜侵入しようと、壁を伝って入ったことがあったらしい。
 見上げる。
 壁というのは学園全体を覆う塀のことで、高さは優に5メートルはある。
 普通なら監獄の障壁のように見えるのだろうが、城閃学園の戦闘科にとってはロッククライミングの模擬練習ぐらいにしか思われていない。
 しかも亜里沙や志筑といった戦闘科のトップランカーならほとんど難しいことじゃない。
 だが、舞は学術科の生徒だ。身体を動かすことに好き嫌いと出来る出来ないが区別されているようなもので、たとえ好きでも出来るかどうかは別なのである。
 舞は少し躊躇って、それでも唇を噛んで気を引き締め、一気に跳んで壁にしがみ付こうとした。

「―――――――……あれ?」

 素っ頓狂な声を上げてしまった。
 1メートル跳べればいいと思っていた舞の片手は、塀の天辺に掛かっていた。
 慌てて一つの手を掛けて、身体を上げる。
 すると、何の抵抗もなく上がる。
 見下ろすと、遙か下に地面があった。
(5メートルを……?)
 しばし呆然と見ていた舞は、グラリと視界が流れて驚く。
 ただ単に足を踏み外しただけなのだが、下が5メートルあることを思い出す。
「ふ、わわぁ!!」
 叫んでいる内に、ドシン! と鈍い音がして舞は腰を打ち付けた。
「〜〜〜〜〜っっ………!」
 腰の強打に苛まれていること数秒、腰を擦りながら立ち上がると、舞は息を潜めて高等部校舎の裏手に回った。





 裏の緊急用の扉を開けようとして、はっと気付く。

『この校舎の扉はな。今のお前みたいなことする輩のために、わざと音が出る仕組みになってるんだよ』

 熊野 一利の一言だ。
 緊急用の扉にまでそんな細工をしているとは思えないが、単独行動は深読みしすぎて損はない。
 窓から入れないかと辺りを見回すと、校舎の中を歩いている人影を捉えて、心臓が跳ね上がりそうになる。
 肝心な事を失念していた。今この学園には警戒体制が布かれていることを。
 咄嗟に草の陰に隠れその姿を確認しようと顔を少しだけ出すと、
「………、っ!!」
 見覚えのある違和感が、そこにいた。
 ベルトみたいなものがたくさん付いた妙な黒い服の上に、真っ黒なマントを羽織っている。
 黒い後ろ髪が見えるが、顔は白い肌よりも白い色をしていた。
 仮面、と気付くのに時間は掛からなかった。
 余計な装飾は全く無く、白い面に目と口の部分がくり貫かれているだけ。
 その仮面は異様なほど楽しんでいるように目を口を悦ばして狂笑を浮かべる、不気味で残酷で無垢なピエロの仮面。
 出で立ちから男にも見える。この暗闇の中でそこまで視えるのも、舞にとって気掛かりなことだが、それどころじゃなかった。
 出来る限り息を潜め過ぎ去るのを見送ると、舞はゆっくりと仮面の男が出てきた辺りへ向かう。
 すると、一枚の窓が薄くだが開いていた。
 破壊の跡は見られず、どうやって開けたのか判らないがチャンスだった。
 恐る恐る開けると、舞ははっとしてスニーカーを脱いで廊下に降り立つ。
「………」
 どうしようか戸惑ったが、彼を追うことにした。引き返して教員に出くわしたら、夜間不審者に間違われてしまう。
 辺りはシン、としているが、まるで誰かが後ろにいるような感覚に襲われて少し身震いした。
 ゆっくりと角を曲がり追うと、見つけた。
 奇妙すぎる黒い格好で廊下を進む浮浪者。
 月明かりに差されて、鮮明と曖昧との間で歩く仮面の男を、舞は息を殺して尾行する。
 もしかしたら、夜間の連続不審者は彼の事かも知れない。
 舞は少しずつ少しずつ注意しながら追うと、

 キキュ、

 床と靴とが擦れる音がして、仮面の男は立ち止まる。
 靴の音に怪訝な顔をして舞は目を凝らすと、仮面の男はブーツを履いていた。
「………おかしいですね」
 ふと、男が言った。聞き覚えのある声だ。
「ここだと言っていたのに……まったく、更級さんのいい加減さもここまで来ると悪ふざけとは思えないですね」
(さらしな……?)
 舞は廊下の陰から窺う。
「血の匂いはするんですけどね……やっぱり彼女のあれ≠ヘ気のせいだったんでしょうか」
 独り言をしながら仮面の男は踵を返す。
 こちらにやって来る。舞はギョッとした。
 背を向けて小走りで隠れようとした瞬間、後ろから声がする。

「仕方がありませんね。まあ、潜伏先に吸血鬼がいたら洒落になりませんけど……」

「……、」
 舞は硬直した。
 一瞬、彼が何を言ったのか判らなかった。
 少しだけ間を置いて、意識の中で彼が言った言葉を理解してゆく。
(きゅうけつ、き……?)
 ふと、気付く。
 自分の脚がさっきから動いていないことに。
 もうすぐそこに仮面の男が来ている。
(ダメ……!)
 そう願うが、願いが即席で叶うのは人間の業じゃない。
 角のすぐそこまできた気配を察知し、舞は懇願の顔を悲痛に歪ませた。



 ―――――――、



「……!!」
「……、?」
 鼻腔をくすぐる、鉄と塩が混ざったような生臭く甘酸っぱい匂い。
 不意に角の向こうで立ち止まり、振り返る音がする。
(……………?)
 息を殺して立ち竦んでいると、声がする。
「成る程、あながち隊長様の言うことは聴いておくべき、という事ですか……」
 そう言うと、角の向こう側でいきなり走り出す音が廊下に染みる。
 徐々に足音が小さくなってゆくのを充分に待ってから、舞は口を押さえていた両手を離し、角から覗く。
 案の定、もうそこには誰もいない。
「……なに、今の?」
 舞は刹那に匂った香りに首を捻り、後を追ってみた。


 月夜の中で、異質にした者と異質になった者とが出逢う。ほんの少し前の出来事。
 その時、彼女は気付いていなかった。
 彼女自身が、やがて血塗られた戦場と温もり優しき平穏との狭間の、紙一重の存在に変わっていたことに。





《続く》
2005/06/06(Mon)23:12:39 公開 / 御堂 落葉
■この作品の著作権は御堂 落葉さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
文字数多くなったので、新規で書かせていただきます。
少し修正しましたが、まあ……ご愛嬌ということで。
それでは新規で召しませ、ダークSFファンタジー丼。
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