- 『黒狗』 作者:豆腐 / アクション
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僕は、犬を飼っている。大きくて、凶暴で、真っ黒なソレ。もしかしたら、僕が知らないだけで、実はオオカミなのかもしれない、なんて時々思う。ソイツは、僕の知らない間に暴れまわり、誰かを傷つけては、僕の心を悲しみで満たす。出来るだけ、そうならないよう、僕は、頑丈な首輪でソイツを繋ぎ止めている。
五月二十日 深夜
僕が思うに、ここ、御神沢市(ミカサワシ)は都会と田舎の中間である。
今日があと一時間程で終わりを告げる時間帯でも、明るくてそれなりに活気で溢れている繁華街。周囲には様々な屋台が出ていて、その主が酔っ払いやサラリーマン相手に腕を奮っている。繁華街から少し離れた所にある、今は既に眠りに落ちた華やかな建築物や立派なビル。それらを考えれば、充分に都会と言える。
繁華街を抜け、僕の家へと続く道路を一人、歩く。
しかし、それはこの都市を人間に例えれば、外見だけを見ているに過ぎない。内面、つまりここに住んでいる人間は皆、田舎の人たちの様な人間味を持っている。他人との接触を毛嫌いしないのだ。ほとんどの住人が、義理人情に厚い人たちばかりなのだ。
例えば、雨の中を家出少女が、傘も差さずにふらふらと歩いているとしよう。三分、いや、一分もかからずに人が寄ってくるだろう。そして誰もが自分の傘を差し出すなり、親身に話を聞いてやるなりするのだ。
だから、そんな御神沢に生まれ、この町を気に入っている僕が、コンビニでレポート用紙を買った帰り道。所々に切り傷を負い、電柱の影でぐったりと座り込んでいる女性に声を掛けるのも不思議なことではない。
僕が近づいても、彼女は少しも動かない。僕の存在に気づいていないようだ。聞き取れないほどの声で何かを呟いていることから、眠ってはいないことがわかる。近くで見ると、その衣服もまた、随分とぼろぼろだった。
「あの、大丈夫ですか?」
俯いていた彼女は、びくりと身体を震わせた後、恐る恐る僕を見上げた。ぼんやりとした電灯の光が、背中まで伸びたブロンドの髪と、蒼い瞳をライトアップする。……日本語で大丈夫だったろうか?
「……貴方は?」
彼女が、躊躇い気味にぽつりと尋ねてくる。瞳からは、尋常ではない怯えの色がはっきりと見受けられ、日本語話せるんだ、なんていう間抜けな安堵感を直ぐに引っ込めた。
「僕は、里見 司狼(サトミ シロウ)。高校生です」
簡単に自己紹介をしながら、携帯電話を取り出した所で、誰に電話するの、という彼女の声が耳に入る。か細く、震えた声だった。
「警察、とか呼んだほうが……」
「やめて!」
彼女の叫び声。驚いた顔をしている僕に、私は大丈夫だから、と言い放ち、立ち上がろうとして、再びしゃがみ込む。彼女の右足、脹脛の辺りが血で紅く染まっていた。先程までは僕にとって死角になっていたので気づかなかったが、かなりの出血なのだろう。彼女が座っていた場所が、赤黒く変色している。誰が見たって大丈夫には見えない傷、そのうえ警察を呼べない程の訳がある。ここが、普通の都会だったら、ああそうですか、と言ってしまうものだろうか?
そんなことを五月の夜風に吹かれながら考えた。何気なく仰いだ空には、御神沢が都会とは思えない、もう一つの理由が点々と輝いていた。それなりに都会の町並みのくせに、こんなにも星が綺麗に見える。
視線を彼女に戻す。彼女は電柱にしがみ付きながら、必死で立ち上がろうとしている。
十八年間、この町に住んでいる僕の考えでは、雨の中の家出少女が、実は犯罪者であったとしても、その罪がどんなに重いものでも、ここの住人なら、傘を差し出して、話を聞いてあげるのではないかと思う。ましてや、彼女がどうしても悪人に見えないのであれば、尚更にそうするだろう。
「わかりました」
彼女が僕を見る。まだ、そこに居たのか、という視線だった。僕は続ける。
「あなたが、警察を呼べない状況にあるのなら、警察は呼びません。誰にも言わないことも約束します。そして貴女が僕の言葉を信用して下さるのなら、すぐそこの僕の家で応急手当と、暖かい食事の用意くらいはできますが」
先程よりも、ずっと驚いた表情でじっと僕を見つめてから、
「どうして、見ず知らずの人間に、そうまで言えるのですか……」
困惑の混じった、掠れ声で囁く。僕は、返答に困り、痒くもない後頭部を掻く。
「貴女は、警察を呼べないとは言っているけど、悪い人には見えませんし、それに、何て言うか、ここって、そういう町でしょう?」
ああ、少しだけの驚きと、安心感を混ぜたようなため息をついて、
ええ、そうでしたね、と彼女は微笑み、
微笑みながら、涙を流していた。
その涙は、彼方の空を翔る流星のようだ、と僕は思った。
五月二十一日 未明
僕と姉さんの二人で住んでいるマンションまで、彼女に肩を貸しながら歩く。「一週間は帰ってこないから」と言って、仕事に出かけたのが昨日だから、当然ながら姉さんはいない。玄関の時計が示す時刻は午前一時。
僕は、彼女の応急手当を済ませることを、最優先事項と定めた。電柱から歩き始める前に、血は止まっていたようだったが、かなりの出血だったと思う。彼女をリビングのソファに座らせて、僕は包帯やら消毒液やらが入った応急箱を持ちだす。姉さんが綺麗好きでよかったと、初めて思った。週四、五回は大掛かりな整理整頓や掃除をしているので、どこに何があるかはすぐわかる。それが、滅多に使わない応急箱でも、だ。
「あの……手当ては、自分で出来ますから」
応急箱を持ってきた僕に、おずおずと、どこか申し訳なさそうに呟く彼女。僕としても、そうしてくれた方が効率良く行動できる。つまりは、僕の夜食兼彼女に約束した暖かい食事の準備に取り掛かることができるので、応急手当は彼女に任せてキッチンへと向かった。ふと、何かの気配を感じた気がしたが、特に気にも止めない。
リズミカルに包丁を動かしながら、考える。
例えば、光が射す場所には必ず影が生じる。光が強ければ強い程、影もその深さを増していくのだ。だから、この町の住人の優しさや暖かさ、それが光だとしたら、それによって生じる影が、無いと言えるのだろうか……。ざくん、包丁が大げさな音を立てた。多分、こんな考えは、誰もが持つ、有触れた疑問だろう。
そんな有触れた疑問を、僕は彼女に話した。彼女と向かい合う形でソファに腰掛け、二人共が急ごしらえの五目チャーハンを食べ終えた後のことだった。僕と彼女に挟まれたテーブルの上に、二人分の食器が置かれてある。彼女は少し考えた後、優しく諭すように語りだした。
「もしも、太陽が輝くのを止めたら、世界から光は消えてしまいます。もしかしたら、深い闇を生んでしまうかもしれないけれど、それでもやはり光は必要だと思います」
僕がキッチンで料理している間、応急箱のついでに、姉さんの部屋から拝借してきた服に着替えた彼女は、そう言って笑った。それは、先程までの怯えは影を潜めた、とても優しい笑顔だった。これこそが、彼女の本質なのだろうと、そんなことを考えながら、僕は
思惑通りの答えを得ることができて、微笑む。
これで、ドアの外で様子を窺っている彼も、遠慮なく入って来ることだろう。
「……それが、人工の太陽の、偽物の光だったとしても、貴女は同じことを言えますか?」
ああ、アイツが吠えている。僕だけに聞こえる、獰猛な叫び声がする。
言っている意味がわからない、そんな表情の彼女をそのままに、僕はソファを立ち、全身が映る立て鏡の前まで歩く。鏡に映っているのは、角度のために斜めになった彼女と、僕自身の姿。
僕は、どこにでも居そうな、中肉中背といった背格好の自分を見つめた。愛用のジーンズとジャケット、染めてもいない黒髪はぼさぼさで、そろそろ切った方がいいかな、と思わせる。
「この町の住人は」
鏡越しに彼女を見ながら、僕は口を開く。
「何年も、何十年も前から、洗脳を受けてきた。彼らの優しさは、先程の僕の言葉通り、偽物の光なんですよ。……でも、そんなことをして、誰にどんなメリットがあると思います?」
みしみしと、鎖が音を立てる。頃合かな、僕は、ゆっくりと首輪を外す準備をする。
「メリットは二つ。洗脳によってこの町の犯罪は他の町に比べて、段違いに少ない。よって、そんな治安の良い町に、世界的な犯罪組織が潜んでいるとは、誰も思わない。……最も、ここ周辺の警察には、ほとんど組織の息が掛かっていますが。そして、組織に逆らった裏切り者たちや逃亡者。彼らが逃亡を試みた場合、この町で組織の追手が素知らぬ顔で近づいてきて、手を差し出しても、全く疑いはしないでしょう? ここは、そういう町なのだから」
闇が自身の深さを増すためだけに、造り上げた人造の太陽。それが、ここ御神沢市。
彼女の顔からは血の気が失せ、真っ青だ。がくがくと震えながら僕を見ている。出会ったとき以上の怯え方だった。
「あ、貴方は……」
やっとのことで、声を絞り出した彼女。僕は、食器の置かれたテーブルに歩み寄り、ポケットからコインを取り出して、彼女に見せる。五百円硬貨程の大きさで、色合いもそれとほぼ同等。そして、表と裏に一文字、アルファベットの『H』が刻まれている。
「貴女と、もう一人の方が逃げ出した犯罪組織、DH(ダブルエイチ)の刺客ですよ、ミス・メリル」
時計が午前二時を告げると同時に、銃声。玄関方向から、二発。
やっと、お出ましか、僕は微笑む。
獣の様に吠えながら、男が僕と彼女の間に踊り出る。
金髪を逆立て、両耳にはピアス、様々な装飾が施された紫がメインのジャケット。本来の機能は発揮できず、単なるアクセサリと化してしまった、何本ものベルトを巻きつけたジーンズ。逃亡者とは思えない、派手な格好。両手の拳銃の代わりに、ギターを握らせた方が、しっくりきそうだ。メリルは喜びの表情と共に、彼の名前を叫びながら、駆け寄っていく。
「クソガキがッ! メリルに手ェ出したら……」
「唯じゃ、すまさねぇ、ですか? ミスタ・ギルバード。……良かったですよ、貴方がドアを前にして、即座に乗りこんでこなくて。その判断のお陰で、約束通り料理を振舞うことができた」
青年、ギルバードの、殺気を丸出しにした咆哮を受け流しながら、美味しかったでしょう、とメリルに視線を投げる。しかし、彼女は必死になってギルバードの背中に隠れているため、気付いていない。声が届いているのかも、疑わしい程だ。馬鹿にする様に肩を竦める。ギルバードが、テメェ、と吠える。彼は右手でメリルを庇い、左手の銃を僕に突きつけている。
首輪に手を掛け、少し躊躇う。もしかしたら、また、悲しい出来事が起きてしまうかもしれない。……だけど、躊躇いは一瞬で、僕は、ゆっくりと首輪を外す。
僕の中の闇が、黒く大きな犬の形をした闇が、嬉しそうに僕の心を蝕んでいく。僕は、ずぶずぶと飲み込まれ、意識が朦朧としていく。
意識を手放す直前、アイツの声が響いた。
「……ハジメマシテ。俺はDH、特務第一部隊長、黒狗。ほんの二、三分の短い付き合いだろうが、よろしく頼むぜ」
見えなくてもわかった。アイツが、獲物を目前にしたオオカミの様な、獰猛な笑みをうかべているのだ、ということが。
その瞬間、僕の意識は、完全に闇に呑まれた。
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2005/05/08(Sun)23:10:18 公開 / 豆腐
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■作者からのメッセージ
豆腐です。取り敢えずアクションとはしたものの、肝心のアクションシーンが無いまま一話が終ってしまいました。それどころか、現段階では、アクションシーンなんて一つや二つ程度しか入る予定がありません。……それでも他のジャンルと比べればアクションが一番しっくりくるかと思った故の判断です。何卒、ご容赦を……。